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コカ。ご存知のように、麻薬コカインの原料はコカの葉です。コカの葉から取れる成分を精製するとコカインができるそうです。南米ではこのコカが大量に採れ、中でもコロンビアが有名ですね(怖いよー)。何だか麻薬、マフィア、密輸、なんて暗いイメージばかりが浮かびますが。が、しかーし。ここボリビアでは、農民を中心にみんなが普通にコカの葉をたしなんでいます。タバコみたいな感覚ですね。葉っぱなので、別に麻薬作用なんて無く、それはもうほとんどただの「嗜好品」という感じ。口に入れたらすぐに飲み込まずにしばらく噛み潰し味わう、らしいです。おいしいんかな?コカの葉を栽培する「コカ農家」も存在し、彼らはコカ栽培で生計を立てています。村人の中にもコカの葉を売ってる人います。葉っぱを食べるだけじゃなく、「コカ茶」もあります。これは高山病による頭痛や消化器官不良にとても有効で、私もラ・パスにいた時に毎日飲んでました。古代南米人の生活の知恵なんでしょうね。ハーブティーみたいでかなりおいしいですっ!多分日本には持って帰れないけど・・・。こんな感じで、ボリビアでは特に違法でもなんでもないのですが。一方で、どうやらボリビア政府が麻薬絡みの理由でコカ栽培を禁止しようとしているらしく、それに対してコカ農家が猛反発し、ボリビアの政情不安の一因になっているのです。栽培が禁止されたら、コカ農家にとっては生活できなくなるわけですから一大事だよなぁ。ところでCOCA COLAってCOCAの成分入ってるの?誰か知ってたら教えてくださーい。
2005年05月31日
はっきり言ってイモばっかりです。予想してたとおり、ボリビアの(南米の?)ジャガイモ消費量は半端じゃーありません。トウモロコシはそんなでもないけど。毎食毎食、何を食べてもジャガイモ氏が「今日もよろしくね」と言わんばかりに、姿かたちを変えて出てきます。マッシュポテト、フライドポテト、ふかしイモ、ベイクドポテト、小さく角切りされ米にまぎれてたり。おなかいっぱいになるからいいんだけどねぇ。このペースだと、この先2年間で一生分のジャガイモを食べることになりそう。いや、まじで。でも、さすがジャガイモ原産地。イモの種類はすごいです。ジャガイモだけでも100種類以上あるのです。料理の仕方によって、どの種類のジャガイモを使うか変わるらしいのですが、素人の私にはまったくわかりません。そして、日本のサツマイモみたいな甘い「カモテ」という名のイモもあります。これ、焼き芋みたいですっごくおいしいですよ!イチ押し!こんなこと書いてたらお腹減ってきた・・・・。
2005年05月29日
世界各地、どこででも日本車は走ってます。特に、「開発途上国」(と見なされている国)では、日本の中古車が溢れてることが多いですよね。ボリビアもご多分に漏れず、日本の中古車がたーーーーーくさん走っています。日本の基準ではもう使用不可となった中古車が、ボリビアではまだまだ現役で大活躍。街中ですぐにそれとわかるもの。それは、市民の足のバス。スクレのバスは、いわゆるマイクロバス、みたいなやつです。その車体には、「西○ライオンズスポーツスクール」「○×旅館」「△△自動車学校」「○×幼稚園」という文字が。日本の中古車をそのまま持ってきて、ハンドルを左に付け替えて、ドアも反対側に付け替えて使ってます。私たち日本人が「もうダメだよこれ、使えない」とか「新しいのに買い替えちゃえ」と言って廃棄されたものが、こうして他の国でリサイクルされてるんですねー。ま、資源の有効活用もしくは効率的なリサイクル、と考えれば別にいいんだけど。でも、日本の生活の中で、まだまだ使えるものを「古くなったから」と言って簡単に捨ててしまってはいないか?と考えさせられる光景です。こっちの人は、モノが壊れても簡単に捨てない。直して直してもう一度使えるようにする。その技術も普通に身に付いている。新しいのを買う経済的余裕がない=モノを大事にするっていう関係もあるんでしょうけど。ちなみにブラジルでは、日本で使わなくなった地下鉄の車両がそのままブラジル地下鉄で使われてます。車輪の幅が日本の規格とほぼ同じなので、そのまま有効活用できるんだそうですよー。
2005年05月28日
今日5月27日はボリビアの「母の日」でした。「27日は母の日の祭りをやるから村にいなさいっ」と前々から言われてたから、週末スクレに行こうと思っていたけど断念。午前中。村でよくご飯を頂いたり、一緒にパン作りをしている家族の長女(16歳)と一緒に、その長女のおばあさんのお墓参りに行きました。ボリビア人は所かまわずゴミを捨てる習慣があるんだけど、墓地も例外ではなかった。亡くなった人が眠る神聖な墓地(と私は思う)なのに、ペットボトルやビニール袋が散乱・・・。ま、世界各地で宗教や文化・習慣によって「浄・不浄観」が違うので、日本の基準をここに持ち込むことはできないとわかっているものの、やっぱりちょっとびっくり。墓地には、小さな棺も多く「子どもの?」と聞くと、そうだと言う。以前にも書きましたが、村には診療所がなく普通に治療が受けられない状況。よっぽど重篤な時には1時間以上かけてスクレの病院まで行くそうですが。それゆえ、乳幼児や妊婦さんやお年寄りなどは命を落とす危険性が高いとのこと。乳幼児は特に衛生環境が悪いし、抵抗力も大人ほどないので、ちょっとしたことで亡くなってしまったりします。実際、ボリビアの乳幼児死亡率は南米でダントツ1位。悲しい現実です。さてさて、昼はその家族と一緒に鳥料理を作りました。釜で焼いた鳥まるごとは、ほんとーにほんとーに旨かった・・・(思い出すだけで、あっ、ヨダレが・・・)そして夜は・・・。村人ほぼ全員が集合。母の日を祝う祭りが始まった。初めに、ある男性が「母の偉大さ、母のありがたさ」についてスピーチ。それを聞いていたみんなが、すすり泣き。私の隣に座っていた、仲良しのアリシアという女性は去年母を亡くし、スピーチを聞いて大泣き(ちなみに親族を亡くした人は2年間喪に服すため黒色の服しか着ないそうです)。私も、日本の両親を思い出し大泣きしてしまいました。村へ来て約2週間。緊張、不安、の連続で精神的に決して楽ではなかった2週間(たった2週間だけどね)。そして、私の南米行きを理解し、快く送り出してくれた両親、家族、友達。そんな色々な思いがドーッと来て、思わず泣いてしまったのでした。この場を借りて改めて。父さん、母さん、本当にありがとう。そして、私と繋がってくれている全ての人に、ありがとう。スピーチの後がすごかった。チチャ(トウモロコシで作ったドブロクみたいな酒)を「飲め!飲め」と大量に振舞われ、というよりも無理やり飲まされた・・・。そして、泥酔。さらに、ガンガン大音量の音楽に合わせてみんな踊る、踊る。私も踊る。もー、どうにでもしてくれーって感じで(笑)。このチチャという酒。トウモロコシの香ばしい香りがし、でも何か炭酸っぽい、という酒。好きな人は大好きだと思う。けど、私は蒸留酒の方が体質的にあってるので、こういう醸造酒はちょっとキツかったー、正直。歌と踊りと酒は、延々夜中の1時まで続いたのでした。村へ入って間もないこの時期に、こういうお祭りがあってよかった。村人と一緒になって酒を飲み、踊り騒ぐことで、彼らとの距離が少し縮まった気がしたのでした。
2005年05月27日
スクレの町はチュキサカ県という県に属しています。今日5月25日は「チュキサカの日」だったらしいです。どうして「チュキサカの日」なのかはまだ調べてないのだけれど・・・。私は村にとどまってましたが、スクレ市内ではパレードがあったり町の中心のPlaza(公園)でお祭りがあったりと、賑やかだったようです。あっ、ボリビアのカルロス・メサ大統領も来たらしい。そういえば、スクレという地名の由来について豆知識。そしてボリビアという国名の由来についても。まずは「ボリビア」その昔19世紀前半まで、南米大陸はスペインの植民地だったのですが(ブラジルのみポルトガル植民地)、ボリビアをはじめ南米各国の独立運動を指揮したのが、Simon Bolivar(シモン・ボリーバル)という将軍。このシモン・ボリーバル将軍の功績により1825年ボリビアは独立を達成でき、将軍の名にちなんで、この国を「ボリビア」と名づけたのでした。★補足→シモン・ボリーバルは同じ南米ベネズエラの出身。したがって、今のベネズエラの正式国名は「ベネズエラ・ボリーバル共和国」となっています。通貨単位もボリビア、ベネズエラ共に「ボリビアーノ」を使用。そして、「スクレ」ボリビア独立後、1839年この町が首都に制定され、ボリビア初代大統領スクレ将軍の名にちなみ、「スクレ」と命名された。というわけです。そして1900年代に政府の中枢機関がラ・パスに移されるまで、首都スクレはボリビアの政治の中心であったのです。シモン・ボリーバル将軍についての本を日本から持ってきてるので、ボリビアの姿を知るためにも読み始めようと思ってます。
2005年05月25日
村へ移動して約1週間。今日は週末なので、スクレ市へ上がってきています。村からスクレまでは乗り合いタクシーで約1時間。スクレの標高は2800m、村の標高は2000m弱らしく、その差が約1000mあるので気候が全く違って体調を壊しやすいらしい。確かにスクレは今、結構寒いです。村では昼間は夏みたいに暑いのにねー。さて、村で数日間すごして見ましたが。今のところ、村を散歩しながら村人と挨拶を交わし世間話をし、顔見知りになることから始めています。村で生活・仕事をするのに、村人を知らないことには何もできないしね。毎日が「みんなと挨拶・自己紹介キャンペーン」みたいになってる(笑)。すでに色々と世話を焼いてくれるお母さんと仲良くなり、夜ご飯を頂いたりしています。「女の子一人で住んでるなんてかわいそう!」って感じでね。その人の家で、子供たちと一緒にテレビを見たりもしてます。村でテレビを持ってる人はかなりまれ。周辺の家の人たちが大勢集まって、広いとは言えないその部屋で肩を並べあって見てる、という状態。大勢いる子供たちは、いったい誰が誰の子供なんだか・・?子供たちは初めは私の存在が珍しいらしく、遠巻きに見ていたり、こっちが笑いかけても恥かしがって逃げていったりします。でも、こっちが顔芸したりするとかなり受けるし、そんなことをしながら、徐々に仲良くなっていってる(てなづけてる、とも言う?)どこの国でも、子供は本質的には人なつっこいものなのかも、ね。ただ、子供たちを取り巻く環境は決していいものではなさそう。栄養状態が悪いためか、年齢の割りに体がすごく小さいし、はっきり言って着てるものも汚い。そして、靴を履いてる子はほとんどいなくて、ビーチサンダルか裸足。お風呂に入る習慣もあんまりないので(というよりも家にシャワーを持ってる家庭は半分くらい?←要調査です)、衛生的に良くない状態だと言えます。足に皮膚病を持ってる子もチラホラ。もちろん、子供特有の、ところ構わず駈けずり回って遊ぶから、余計汚くなるっていうのはあるけど・・・。そして村には病院がない。ドクターもいない。少しずつ少しずつ、村にどういう問題があるのか探っていこうと思った数日でした。
2005年05月22日
5月13日(金)、首都ラ・パスからスクレ市に移動。ラ・パスを出発する飛行機の助走の長いこと、長いこと。どうやら気圧と高度の関係で離陸までにかなりの助走が必要らしい、と誰かが言ってたなぁ。飛行機の中から見る景色もすばらしかったー。山の頂上すれすれのところを飛ぶしね。さて、ここスクレは、町並み全体が世界遺産になっているところ。標高2800m。ラ・パスより「かなり酸素濃い!」。相変わらず坂は多いけど、ラ・パスの比じゃない位ゆるい坂だし数も少ないからとっても楽。スペイン植民地時代に建てられたコロニアルな建物が沢山あって、それらは全て、真っ白な建物に赤レンガの屋根。世界遺産ゆえ、新しく建物を作るときは必ず壁を白く塗らなきゃいけない、という決まりがあるそうです。町全体が白いし、どの通りもよく似てるから、いったい今どこを歩いてるんだかよくわからんくなってくる。迷いまくり・・・。でも、こじんまりしててすごーくいい町です。ラ・パスみたいに高層ビルなんてないし。大学町だから学生も多いみたい。世界各地からの観光客も多くて、「ここ、ほんとにボリビア?」と疑いたくなるようなおしゃれなカフェやレストランもたくさん。まじでびっくりした。スクレに到着した日に、配属先であるNGOの人に連れられて、活動予定地の村を視察してきました。スクレはすごく街なのに、ちょっと離れるとまだまだ本当に小さな村(と言うか「集落」)が多い。水道と電気は通ってるけど、家の中にトイレがある家庭はまだまだ少なかったり。スクレの町との格差に驚く(ちなみにラ・パスやスクレの街中では、物乞いの親子がたくさんいます)。続いて、村人の前で自己紹介。ちょっと緊張。うまく溶け込めるように頑張らなきゃねー。このあたりの集落では、スペイン語のほかにケチュア族の言語であるケチュア語も話されてます。ケチュア語しか話せない人も結構いるから、その習得も必須。あーーーーー、スペイン語もままならないのに、その上、ケチュア語かよっ!でも、住民とコミュニケーション取るには覚えるしかないからなぁ・・・。私が住む家も見たけど、本当に質素な部屋。窓が一つあるだけでほかには何もない。これからここに住むんだなぁ、とぼんやり考えてました。ちなみに村人は先住民系のインディヘナの人達です。余談ですが(前にも書いたかな?)、南米の先住民インディヘナは、元々は私達日本人と同じ人種的ルーツを持ってるという説があります。モンゴル系ってことね。アジア大陸からアラスカを通り、北アメリカ大陸に渡った後、南下して南アメリカまで来たらしい。だから、顔つきが良く似てるんです。「こういう顔のおじいちゃん、日本にもいるいるっ!」っていうことが多い(笑)。いや、まじで。そんなかんじで視察終了。むむむ、ほんとにやっていけるんだろうか、と一抹の不安を抱きつつも、いやーやって行くしかないでしょ、だって来ちゃったの自分だし、なんて思いながらスクレへ帰っていったのでした。いよいよ明日午後、活動地のその村へ移動します。生活用品も買い込んだしねー。洗濯用のタライとかバケツとかトイレットペーパーとか食器とか、いろいろ、いろいろ。あっ、マットレスも買わなきゃ。とにかくドキドキ、ワクワク、ハラハラ、ウキウキ(っつーか死語?)です。これからが本番。がんばりまーす。
2005年05月15日
今日は語学学校の最終日。スペイン語でプレゼンをしました。私が選んだテーマは、ボリビアの小学校の就学率と識字率について。たった10分のプレゼンだったけどかなり準備が大変だったよぉ・・。全然ボキャブラリー足りないし。ボリビアの教育についてちょっとお話。小学校は6-13歳の8年間。その上に高校みたいなのが4年間、そして大学が5年間です。小学校の就学率。都市部では90%の子供が入学、最終的に卒業できるのはその半分。農村部では、たった50%の子供しか入学できず、同じくその半分しか卒業できません。また、ボリビア全体の識字率は85.6%(男性92.1%、女性79.4%)。ちなみに日本の識字率は99.8%(男性99.9%、女性99.7%)です。このボリビアの小学校就学率と識字率は、中南米の中でも最低レベルだそうです。私が調べたところによると理由は主に3つ(もちろん都市と農村部では若干違う)。●その1「お金」小学校は義務教育・無料だけど、勉強に必要な文房具や本などは実費。でも、「開発途上国」(便宜上ここではこう表現します)の多くで見られるように、貧富の差がかなり激しく、子供の文房具代さえ払えない家庭も多いです。なので、お金がないから、結果的に子供を学校に通わせることができない。さらに、そういった家庭の親は、子供が学校に行く事よりも働き手となることを望んでます。●その2「設備」ボリビアでは1990年代に入るまで30年間に渡り、新しい公立学校が作られなかったらしい(政治的な理由?だと思う)。なので、今ある校舎はかなり老朽化して、学習に必要な椅子とか机とか色んな設備が足りない。なので、子供たちにとって学習環境・設備が悪く十分に勉強できない。●その3「男・女」今でも農村部を中心に「女の子に教育は必要ない」と考える人が少なくありません。家の手伝いをして、いいお嫁さんになることだけが女性にとって大事なこと、という考え。もちろん学校へ行くくらいなら、働き手になってほしい、という社会状況も多いに関係してます。教育の問題ひとつをとっても、ボリビアの社会構造、人種構成、価値観、経済状況、政治などなど関係することがいっぱい(当たり前だけど)。でも、そうやって多面的に捉えていかないと何も見えてこないんだろうなー、と。
2005年05月10日
それは一昨日、さぁ寝ようと思いベットに入った直後でした。突然の吐き気。それを無視するべく一旦眠りについたのですが、1時間後に起きてしまいました。そしてトイレに直行。嘔吐。下痢。1時間おきにトイレに行ったので全然眠れず。翌朝起きてもそれは収まらず、さらに熱まで出る始末。あー、大変。多分、食あたりじゃないかと。思い当たるのは一昨日の昼に食べた鳥料理。人が言うには、往々にしてちゃんと熱が通りきってない場合があるらしい。うーん、それにしてもびっくりです。だって、今までの旅行(東南アジアが主)で、どんなに汚いゲストハウスに泊まっても、どんなに不衛生な(と思われる)屋台でご飯食べても、緑色の川の水で歯みがいても、カフェオレ色のメコン川の水を間違って飲んでも、ちっともお腹壊さなかったし虫もお腹に飼わなかったのに・・・・。多少の細菌にはかなり抵抗力あると思ってたんですがねぇ・・・。おそるべし、南米、アンデス。思うに、やはり高地での生活は、自分が自覚している以上に相当身体に負担をかけるものなんでしょうね。疲れやすくなるし、知らず知らずのうちにかなりの紫外線量も受けてるはずですし。こちらへ来て約1ヶ月。疲れがたまってくる時期でもあったんでしょう。でも、もう大丈夫です。心配しないくださいねー。ちょっとやそっとのことじゃくたばりませんから。ええ、くたばってたまるもんですかっ!しかし、病気の時はやっぱり日本の味が恋しくなる・・・。
2005年05月05日
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