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「ビジョンとハッタリは紙一重」 これは私の知り合いのギフトショップチェーンで成功された社長さんの言葉だ。現在、数店舗を経営され、地域では敵なしだ。この社長が創業して10年間は実に大変だったという。信用も何も無い者に商品の仕入れは並大抵のことではなかったという。とにかく売れるか売れないかというより売る商品が手に入らなければギフトショップどころではなかったという。当時の社長には夢を語ることしかなかったという。ビジョン、それも壮大なビジョンを語り続けたという。ビジョンは現実化させるために思い描くのだが、ようするに「絵に描いた餅」。取引先から見れば実際どれほどのものかも分からない。「よう信用してくれたもんだわ。」と屈託なくおっしゃるのだが、そのときは必死だったに違いない。信用されるまでどれだけ頑張れるか、ハッタリがビジョンに昇華するためにどれほどのエネルギーが必要か。私もまさに真っ最中。大きなビジョンを思い描いている。見習うべきよき先輩がいらっしゃることは私達にとって幸運なことだ。そして、本日送られてきたアントレプレナーセンターからの配信メールの言葉。「やると決めて、いかなる困難でも受け入れること。決意において大切なことはどこまでの困難を受け入れる覚悟ができるかである。世界一の企業をつくるには世界一の困難をも乗り越える決意をしなければならない。「決意をするにあたっては、自分がいまどのような状況にいるかは関係ない。そして決意をすると、目的を達成するために1つでも多くの問題を少しでも早く見つけ出して対処していきたくなる。決意は顔に現れる。」がんばるぞ~!
2004/08/28
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「私はついている!」この言葉は私がいつでも口にする言葉だ。車の中では一人で大きな声で言う。(いや叫んでいるかな?)理窟ではよく分からないが、やはり言葉の持つ力というのは凄いなと思えてきた。5年6ヶ月前に大きな挫折があったが、こうして建築家として再起できたのは自分でも奇跡のように感じている。建築の世界には戻れないと思っていたのにここまでくることができたのは、多くの方々に支援・応援していただいているお陰であることは間違いない。さらに、その根底をなすもの、自分を突き動かすものの力の大きさも感じている。以前、色々なセミナーで共通していたのは、潜在意識の大切さについてだった。その潜在意識に働きかける継続的なるものも大切だと言っていた。特に言葉は直接的に潜在意識に働きかけるという。挫折の時期は絶望感しかなかったが、なぜか無意識にこんなことを思い、こんな言葉を口にしていた。「こんな状態が何時までも続くわけが無い。」「きっとよい時がくる。」「絶対浮かび上がってやる。」もしかしたら2年くらいは言い続けていたかな?今は、2年前に巡り会えたアチーブメント(株)の青木仁志(さとし)先生から教えていただいたアファメーションを車の中で、通勤時とか社用で出かけるときに声に出している。「私はできる!私はやる!私は価値がある!私は成功者であり勝利者だ!」「いいことがある。ますますよくなる。きっとよくなる!必ずよくなる!」青木先生に初めてお会いしたときに、言葉によるアファメーションの大切さと、これらの文章を教えていただいた。以来、この言葉達が私を支えてくれている。いや、潜在意識にある私を突き上げるものにエネルギーを注ぎ込み続けている。うまく説明できないが、奇跡的なるもの事が次々おこっていることを自分自身が一番感じている。決してオカルトの世界ではないし、そんなものに興味もない。しかし、念ずれば通ず、のことわざのごとく、浅いものではなく深遠なトラディッショナルなるものを感ずる。私はついている!
2004/08/27
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起業・創業は大変だ。なんせ自分のやりたいことを事業として成立させようとする行為であるわけなのだから、そう簡単に社会が受け入れる訳がない。社会に役立つもの、社会に受け入れられるものとなるためには相当の努力が必要だ。私もまだまだ偉そうに言える立場ではないが、それでも、よい意味での思いあがりを持っているから書かせていただく。起業家は事業に対する熱意、いわゆる思いあがりがないとやっていけない。これこそが、自分を愛することであり、自分に素直に生きることだと思う。社会に役立つ仕事(使命)を、自分のオリジナルなもの(事業)で成し遂げようとする自分・・・なんとけなげなことか!だから自分が自分の一番の応援者になろう!自分を好きになれない人が多いが、それは使命に燃える自分を見出せないからではないだろうか。人は例外なく、自分を突き動かす何かを持っている。それを素直な心で(周りの人の価値判断ではなく)見つめていくことで、自分のスタンスや具体的なことが見えてくるのではないか。起業・創業とはすなわち経営を意味する。経営も、意識(意味付け)付け、動機付けの段階から経理処理にいたるまで、と、文化と文明といえるような様々な次元や段階を経て、あるいは確立してこそ立派なものとなっていく。私は、建築家として、設計事務所の経営者として、まだまだ整っているわけではない。でも少なくとも、何が出来上がり、何が足りないのかはよく分かっているつもりだ。まだまだ建築家としての文化の構築作業の真っ只中。一般の会社で言えば商品開発の段階だろう。建築家コムースを見たらあの作品が浮かぶ!ということになってくればいよいよ本格的なマーケディングと相成る。そんな中、最近よく起業家仲間と話すことが多い。会話の中で気づいたことだが・・・みんな素直な人間ばかりなので、目の前の人を大切に!目の前の人に尽くしきる!といわれると、ほんとに目の前の人に誠実に、そして大切にしている。 それはそれでとてもよいことだが・・誤解があってはならないが、真に、自分を待っている人を見極める目を養わなければならない。誰が目の前の人か?誰が自分にとって大切な人か?(事業として)教会の牧師さんなら万人が相手だが、起業家は果たしてそうか?目の前の人から相手にされず、あるいは、一般論を投げかけられてシュンとしたり、自信なさそうにしている人がいるが・・・その人が、ほんとに起業家スクール講師の福島先生の言われる自分にとっての「目の前の人」なのか?たった一人の顧客のために!の対象者なのか?評論家の意見など聞く必要はない。顧客の意見に耳を傾けるのだ~!私の場合でも、目の前の、会う人会う人が設計を依頼していただく方なら(将来はそうかもしれない)、松江市の4キロ四方を相手にしていれば一生暮らせる。(笑)自分が行なおうとしている事業を本当に必要としている人は必ずしも目の前の今話してる人ではないかもしれない。とても遠くにいる人かもしれない。(近くの人はどうでもよい、という意味ではない)そうであるかそうでないかをいち早く見抜き、本当の顧客に巡り会う努力をするべきだ。それが営業と言われるもの。営業とは物を売る行為を言うのではなく、自分を必要としている人を探し出す行為だと私は思っている。建築家が営業・営業というのは面白いね、とよく言われるが、それはその人の営業というものへの概念が”物売り”だと思っているからだ。話が膨らんでしまったが、要は、プレゼンして受けなかったからといって気にする必要はない、ということを言いたい。そこで止まってしまっては、その後の事業化など進まなくなってしまう。「自分の事業を待っていてくれる人がいる」と確信できるかどうかが創業のエネルギーだ。くどいようだが、それが目の前の人かどうか?単なる友達からのアドバイスに頼るとろくなことはない。真の顧客とは、真の「目の前の人」の意見は前向きで鋭くてきびしいもの。なぜなら、私の場合でいえば、建築家の私に、一生のローンを背負いながら家づくりを私に託すわけだから真剣そのものだ。事業をされる施設の設計を託される場合もそうだ。私に「自分の住まい」という夢を託しているのだ。私は託されているのだ。起業家は、「目の前の人」から自分が託される仕事を選択したのだ。自分にとっての「目の前の人」は・・・?一番大切な人が見えてくる!
2004/08/23
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夕方、テクノアークしまね本館4階にみどさんと一緒に松江を離れることになったまつりんさんに会いに行った。まつりんさんとはまだそんなに面と向かって深くお話ししたことが無かったのが少し悔やまれるが、ま、しかし、現代は携帯電話やインターネットなどという代物のお陰で人間と人間、遠くの町との距離感が無くなっているので、これからも結構ふれあいはできるかなと思う。まつりんさんとお別れした後、起業家スクールが終了した会場に入ったが、ゆうこさんがプレゼンの練習とディスカッションの最中だった。初めて研ぎの文化を主題としたプレゼンを目の当たりにしたが、正直感動、いや感応した。私自身、匠の職人(大工)の中で育ってきたため、匠の文化へのこだわりは強い。建築家でもここまで強いのはそうめったにいるもんじゃない、と思い込んでいるが、そんな私ゆえなのか、ゆうこさんのプレゼンの中に、遠く悠久のいにしえより育まれてきたであろうたたらと研ぎの文化の存在を感じるとともに、現代社会の中で薄まろうとしている文化性なるものを感じた。ゆうこさんは、祖父の時代からの思いを受け継ぎ、新しい文明の利器に託した現代社会における文化の再生を行なう事業を行なおうとしているように思えた。自称、こだわりの建築家としては決して大げさではないと思っている。東京で行なわれるプレゼンに向けての最終段階とのこと。ゆうこさんと知り合ってから随分経つのに、申し訳ないことにプレゼンを聞いたのは初めてだった。ゆうこさん。賞はどうでもよいではないですか。(取れたに越したことはありませんが)審査員のレベルが如何ほどかは分からないがヤツラに思いっきり言って聞かせてやってくれ!とエールを贈らせてもらいます。勝手に、文化を背負って立っていると勘違い・思い込み(笑)をしている連中がくにびき相互支援ネットには多い。私をはじめバッシーさんやだいぼさん。ゆうこさんも思い込んでいたとはうれしい限りだ。お互い大いに思い込んでいきましょう!
2004/08/21
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今年の盆は久々に2日間まるまる休んだ。というより、家族・親戚とともに久しぶりにのんびりと過ごすことができた。振り返ってみて、 最近何時休んだかな? 休みを取るのも計画的に!家族と過ごすことも計画的に!などと書くと機械的人間に思われがちだが、仕事人はそれこそ計画性を持って過ごさなければ全てが中途半端になってしまう。ここへ来てありがたいことに仕事の依頼が増えてきたが、この時期を節目により計画性を持って過ごしたいと思う。仕事、自己啓発(読書・旅ほか)、社会参加(人とのつながりをもっと強く、さらに広く)、家族とのふれあい、経済的充足(経済的問題からの脱却)、蓄財・・・・などなど。考えればきりがないかもしれないが、これらのことから目をそらさないで、人生の中長期計画を計画的に進めていかなければならない。私は、建築家という職制において社会貢献していくことを決めているが、それを実現させるなかで全ての物事をバランスよく進めていくことを決めている。この2日間、家族とともに過ごす中で、こんな思いを改めて深く心に刻むことができた。-------------------------------ART-CRAFTのホームページでは物件の動画ビデオもアップ中 ART-CRAFTへジャンプ
2004/08/16
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- 「浜乃木の家」(松江市) が完成! - 昨日、「浜乃木の家」が完成し無事引き渡しが終了した。この住宅は、敷地形状が複雑な上、狭小地ということもあり、そのため内部に空間を内包させる計画となったが、非常に難しい物件であった。計画を進める中で、悪条件の重なりが、次第に好条件へと転化していった。敷地にあわせた台形の平面形は次第に魅力ある場所に昇華していった。できるだけ単純な形態の中に複雑な空間を演出するのだ!という思いを胸に秘めて打合せを重ねていったが、昨日の引渡に際し、クライアントにとても満足していただけるものとなった。この建物は、職人との対話も重ねながら創り上げられていった。このような思いが込められた空間は、とても小さいはずなのに、内部はとてもダイナミックなものとなった。 浜乃木の家(松江市) 設計:コムース -------------------------------ART-CRAFTのホームページでは物件の動画ビデオもアップ中 ART-CRAFTへジャンプ
2004/08/13
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センスは生まれつきのものだ。そう思う。私のスタッフは幸いなことによき空間を創造できるセンスを持っている。私の要求する空間をともに創造できるセンスを持ち合わせている。かの安藤忠雄氏の創り出す安藤建築も、力のあるスタッフなくしては実現できない。それだけにセンスのあるスタッフの確保は大切だ。ありがたいことに、少しずつ設計依頼が増えてきてスタッフの拡充が必要となってきた。個々人のセンスはしばらく付き合わないと分からない。それだけにスタッフ選びは慎重を要する。雇ってみてセンスがなかった場合は最悪だ。その時から、いかにお引取り願うかという無駄なエネルギーを使う羽目になってしまう。建築家の仕事は空間創造力がなければまったく成り立たない。当たり前の話だが、しかし、世間で、社会一般で行われている建築物の創造行為はおよそ趣の違うものだ。設計とは図面が書けることではない。もちろん書けることは当たり前の話で、そこからの中身が問題なのだ。つまり、畑を耕し、種を蒔いて、肥やしを施し、水をあげれば野菜はできる・・・という理屈だけでよいのか?ということだ。そこにある芸術的なるものを感じ取れる感性。その創造力。それこそセンスだ。芸術性・・・という言葉を聞いてしらける人、話の通じない人は残念ながら・・・そういう方は私のスタッフになりえない。やはりプロの真髄はセンスだ。色々な方と関わって思うこと・・・「センスは生まれつき」センスを後天的に養うのは不可能・・・残念ながら事実のようだ。
2004/08/08
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先日来、井上 淳さんと夜を徹して語り合ってきたが、ここへ来てグっと伝わってくるものがあった。井上さんが日記でアップしていただいていたようなので私も久々にアップした。私も同じ年頃には同じように悩んでいたように思う。連日余計なお世話の話し合いをしているのだが、自分自身、その当時、こんな話に付き合って考えをまとめていくことに付き合ってくれる人がいたらな~、と思ったに違いないと勝手に思い(笑)話し合っている次第。 私の体験だが、色々な方から色々な話を聞いて、色々な体験をしながら過ごしてきたのだが、ある時、結局、誰が主人公か?との問いかけを自分にしたときから道が開けたように思う。井上さんに問い掛けた。「一体誰を主人公に据えて事業を考えているの?」色々話をしていくうちに、井上さんの考えている根本理念が私と同じであることがわかった。ということは、醸造家バッシーさんとも同じ、塗装家だいぼさんとも同じということだ。ただ今まで、それが間違いないものだという確信が持てなかったようだ。「コミュニティー」が根本理念であり、この荒廃した現代社会で新たなコミュニティの創出を目指していくことは、より次元の高い尊い理念であろうと思う。それを顕現していくことはとても大変なことだ。よっぽどの覚悟と実行力(成し遂げようという気力)が必要だ。しかるに、主人公が自分以外になったときにそのパワーは全開となる。自分の夢を実現させることとは、目の前のたった一人の人の夢の実現のお手伝いをすること。そのためにも自分自身を好きになること。自分を尊く思えること。そうでないと、自分以外の人を主人公にはできるわけがない。
2004/08/01
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