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言葉は強(こわ)い! 夜(深夜)、だいぼさんが事務所にやってくるので、(共同オフィス)よく話すことが、言葉の強(こわ)さについてだ。夢しか実現しない。夢は必ずかなうようになっている。ただし、プラス(ポジティブ)な夢も、マイナス(ネガティブ)の夢も必ず実現できるようになっている。これは本当だ。占いみたいなものをはるかに超越している。これは科学・物理の世界のごとく、現実的定理であり、奥深い法則なのだ。だから軽んじてはいけない!だれも教えてくれないので、思考回路に入っていないのかも知れないが、もし私のこの日記をお読みいただけたのであれば、本日この瞬間から「夢は必ず実現する」ものだということを素直に理解していただきたい。しかもそれは恐ろしいまでもの実現力なのだ。以前の日記にも書いたが、「所詮夢はかなわないもの」などと思うと、「夢はかなわないもの」という夢が現実のものとなる。夢はかなうのです! 必ず!だから、ポジティブな夢を常に思い描き、声にも出すことだ。私の理念(夢)は、「社会貢献している建築家」だ。それも、独自の事業で地域社会に貢献しているというビジョンだ。「人間大好き」な私が、地域の新たなコミュニティを創出している夢。昨年7月に、島根県ソフトビジネスパークに集う産学官の仲間たちに呼びかけ納涼懇親会を開催した。その前から、産学官が一体となって地域社会をともに考え行動できる場を創りたい!という強烈な思い・夢を描いた。それは「地域の明日のコミュニティを考える会」というものになって実現した。その会が主催し、建築家の安藤忠雄氏、松下電工の元社長今井清輔氏(大阪商工会議所副会頭)をお招きし「まちづくり・ひとづくりシンポジウム」が開催できた。島根県民会館大ホールに1,500名もの人たちに参加いただいた。私は何もしていない。ただひとつのこと以外は・・・それは、夢を描くことだった。 それも強烈に。産学官の集いをつくるんだ!安藤忠雄を呼ぶんだ!・・・という夢。全部実現した。それでは、なぜ実現するのか!・・・?答えは簡単だ。私自身の私利私欲な夢ではないからだ。世のため人のため地域のため!との強烈な思いからの夢だからだ。大いにおこがましい夢を描こうではないですか!そしたら、それがダイナミックに実現していく様を体験できますよ!間違いありません!
2004/09/30
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色々な物事は、まるであらかじめプログラムされたように訪れるものだ。 島根県ソフトビジネスパークの創業者施設に入居して早いもので2年が経とうとしている。つまり入居満了だ。出て行かなければならない。より広いレンタルオフィスに入れるかどうかは、改めて審査会にかけられて決定するが、審査は内部組織ではなく外部の有識者が集まって行なわれるのでそれこそ真剣勝負だ。入居の申請書の作成、というより、この2年を振り返り、当初示した理念・ビジョンに照らしどうであったか、そしてこれからの展望は?などなど、いつのまにかうやむやに過ごしてしまいがちになるが、ほどよい加減で審査会が訪れる。アリガタイことだ。振り返ってみると、経済的遅れの法則はさておいて、企画した事業は間違いなく進んでいる。昨日は、コーチングも受けた。ビジョンは明確だ!間違いなく前へ進んでいる。色々現実的な物事が襲ってくるが、理念を忘れずビジョンの実現を目指していっている。今日の資金繰りに追われながらも高き理想を一時も忘れない信念。夢しか実現しない!の教えの通り、日々実践するのみ。恩返しができる時を一日でも早く迎えるために。
2004/09/29
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10月半ばに、奈良市の「つなねコーポラティブハウス」と寝屋川市の「ネイキッドスクエア」の二つのコーポラティブハウスを見学に行くことになった。建築家の、VANSの伴先生(つなね設計者)と、ヘキサの安原先生(ネイキッドスクエア設計者)にご協力いただき実現するものだが、自治体関係者をはじめ総勢10名の旅だ。よりよきコミュニティの創造をめざしてのことだが、いよいよ私たちも発進の時がきた。 つなねコーポラティブハウス 設計:VANS ネイキッドスクエア 設計:ヘキサ
2004/09/28
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一日経ってみて、やはり直島は凄い。 スケールが凄いな。考え方というか出発点というか。 直島は、もともと産廃の島だ。今でも高い煙突がそびえている。自然を取り戻す、という運動はベネッセという大企業に加え、安藤、そして世界的な芸術家が参加し、島ごと美術館という様相だ。このような世界的に注目される島になったのは、産廃の島をどうにかしなければ、という対症療法ではなく、もともと直島が持っている特性を見つめ、そこに芸術的空間が創造できたことによるものと考える。引き合いに出して恐縮だが、東京汐留サイトはJR(旧国鉄)の土地を払い下げして、区画整理して(とても都市計画といえるしろものではない)とにかくオフィス街を建てるという、何ともストーリーなり理念の無さを感じるが、直島は、その現状の悪条件にも関わらず、そこは住民も一緒になって、たぐい稀な芸術の島へと変貌していった。理念とその出発点の次元の高さを感じる。安藤先生が言われた「今見えているもの、今している仕事の向こう側にあるものを見つめていくんだ」という言葉が、まさしく顕現された姿としての直島を体感した。これは凄い! 高尚な理念を感じる。世界の芸術家が直島を目指す。地中美術館は、これから世界中の多くの人々を魅了し続けることになるだろう。 直島へ フェリーでのコムース 直島の象徴 産廃煙突 地中美術館 チケット売り場(写真撮影はこれが限度) 南寺プロジェクト
2004/09/27
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直島の安藤忠雄の新作「地中美術館」を目指した旅、本日の走行距離約500km。 初めての直島。フェリーで20分の瀬戸内は心地よかった。ノーヘルの原チャリが多いのは離島ゆえののどかさかな。走っていると、どこかでみた建築・・・そうだ!石井和弘設計の直島小学校と直島中学校だ。こんなところに建っていたのか。しばらく走ると、直島町役場と直島郵便局。思わず笑ってしまった。いや、失礼、私の中からは絶対出てこないデザインなので。いよいよ地中美術館到着。この美術館は建築そのものが芸術作品と位置付けられているため、写真撮影は禁止。撮るな、触るな、しゃべるな!と、うるさい美術館だった。ともあれ、感動的な空間だ。クロード・モネ、ジェームス・タレル、ウオルター・デ・マリアと安藤忠雄のコラボレーションは素晴らしい!大満足!しかし当分よいかな・・・かなり強烈すぎるから。(よい意味で)しかしきっと、また足を向けたくなるに違いない。直島コンテンポラリーアートミュージアムもなかなかよかった。大きなスチール枠の大ガラス窓がいとも簡単に動く様は安藤建築の特徴だ。細かくディテールをチェック、そしてしっかりゲット。アネックスは宿泊者しか入れず見られなかったのは残念だった。最後に、役場近くの南寺プロジェクトに足を向けた。ジェームス・タレルと安藤の心地よい芸術空間が広がる。木造のそれは、アプローチが最深部へと続く。10分以上いなければ作品の認識ができない暗闇の空間。ディテールもすばらしい。そういえば、昨年8月と今年6月に安藤事務所を訪れたときに、階下の模型制作室で、45度(?)にぶつかり合う部屋と幾何学に組み合わされている壁と格闘していたスタッフのい姿を見たが、ことによれば地中美術館の模型だったかもしれない。などと、そんなことを思い出しながらの帰りの高速道路。前を走る車のテールランプが芸術的に見える。
2004/09/26
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ここのところ色々忙しい。元来旅好きな私がしばらくでかけていない。みどさんは明日から旅に出るという。本日打合せを2物件行った。両方ともかなりの進捗。自治体物件の計画も順調に進んでいる。コミュニティマンションも本格的なコーポラティブハウスとして来週から本格的な作業に入る。と、いうことから、私も明日は日帰りの旅に出たくなった。そうだ!直島へ行こう!安藤先生の地中美術館もオープン。ベネッセコンテンポラリーも行きたかったところだ。5月に行った南岳山光明寺。デジカメ画像を保存した外部ハードディスクが狂ってしまった。もし可能ならもう一度明日足を伸ばしたい。何はともあれ、あさっての朝までに帰ればよい。(笑)高知の坂本竜馬記念館にも足を伸ばしたいな。さ~、久しぶりのリフレッシュ。
2004/09/25
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経営者として、人間教育として、定期的にアチーブメント(株)の青木仁志(さとし)先生の研修を受けている。経営者、創業者、トップセールスを目指す方々など全国からたくさん参加されているが、建築家はどうも私が初めてらしい。おかげで、とても助かっていることがある。なにかというと、事業においてのさまざまな事象に慌てない、ということだ。建築家は経営に疎い、ということでもないかも知れないが、名建築家名経営者でなければならないとの思いがある。安藤先生は世界的な建築家であるとともに名経営者であると感じている。安藤事務所の組織フォーメイーションと経営者安藤忠雄のそれは、さまざまな企業のよき見本となるものだと思う。その生業を垣間見れたことは幸せなことだと思う。安藤先生から、建築のことだけではなく様々なことを勉強しなければならない、と教えていただいたが、私が経営者研修を受けることも決して場違いではなく、むしろ経営者として当然の責務だと思っている。研修の中で、企業の創業時は特に、事業の進捗と経済的な進捗とは必ずしも一致しないことを学んだ。「遅れの法則」というのだが、請負業では、大きな物件を手がけるときには、作業が長期化するのにともない資金繰りが問題となる。最終的には収支は合うのだが、途中では資金が足りなくなる。創業期においては特に大変だ。どの企業でも通る道。あらかじめ講義の中で聞いていたので、これがそ~か、という感じで冷静に対処できているように思う。青木先生いわく、日々の資金繰りを行っていくのは経営者として当然。その資金繰りのさなかでも経営者として、顧客の意向に沿って事業ができているのか、中長期のビジョンはどうか、ということを常に考えていかなければならない、と教えていただいている。資金繰りに奔走するなかで、建築家としての芸術性を求め顕現していく思考回路はもちろんフル回転だ。建築家が何を言っているんだ!といわれるかも知れないが、設計事務所の経営者でもあるのだ。昨日の日記に書いたが、遅れの法則の真っ最中でも事業の立ち上げを行っている。研修を受けていなければ、多分、新規事業どころではなかったかもしれない。目の前の問題はいつか解決する。しかし、先々の施策を、遠いことのように思い、準備を怠っていけば、いつか行き詰まるときがくる。心はいつも平穏。好きな道を歩んでいる中で起こる様々な来事は、むしろやりがいに感じている。本日夕方、先日完成した「浜乃木の家」に立ち寄ってみた。「大満足ですよ!」といってにこやかな笑顔を下さった奥さん。建築家冥利につきる!とはこのことだ。やめられませんね~!
2004/09/24
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昨日、新たな事業としてコミュニティマンション事業がスタートした。巷にあふれる分譲マンションに憤りを感じつつ、建築家としてなにか手立てはないものかと考えていたが、構想3年を経ていよいよこの事業がスタートすることとなった。コーポラティブハウスのように、完全住民主導型ではないが、理念はまさしくコーポラティブハウスだ。我々がつくる集合住宅はこうだ!というものを顕現する。ハウスメーカーにしても分譲マンションにしても販売員は所詮素人の方々。もっとわれわれプロがしっかりしなければならない。建築とは、もっともっと地域なりそのコミュニティの形成・創造に寄与するものでなければならない。一戸建て住宅に住みたい人もあれば集合住宅に住みたい人もいる。一戸建て住宅に住みたい方のためにD&CM方式事業を立ち上げた。決して既製品の住宅だけが住まいづくりではない。建築家と職人と一緒に自分だけのオリジナルな住まいを創る、住まいを手に入れることとは、カタログから製品を「選択」していく作業ではない。なぜ鹿児島の人も北海道の人も同じデザイン、同じデイテールの家に住まわなければならないのか。もちろん選択権は顧客の方にある。しかし、オリジナルなものがあるという情報やそれを識別する回路がない。そもそも住まいづくりは「選択」ではなく「創造」でなければならない。私は建築家として、広く情報を開示していく義務があると強く考えている。そういう観点から、今回のコミュニティマンションは創られた。集合住宅に住みたい方々にも、カタログやモデルルームだけの選択ではなくオリジナルな集合住宅も可能なことを広く知らしめる。それは、具体的な物件として募集の運びとなった。ロケーションは申し分ない。(南に宍道湖を望む景勝の地)住戸の広さも申し分ない。(専有面積40坪)外観デザインは全員の意見を取り入れる。内部空間は、完全自由設計。参加者が一体となって進めるため、よりよきコミュニティが形成される。すでに入居者第1号が決まった。松江市内では最近、既製品住宅としての30坪マンションがたくさん建ち始めている。しかし実態は、専有面積(実際の部屋面積)は25坪で、バコニーなどの面積が5坪、それで合計30坪マンションと称している。子供だましもいいとこだ。コミュニティマンションは、専有面積40坪、バルコニー9坪、つまり分譲マンション業者の言い方を借りれば50坪マンションだ。そのマンションが、これら30坪分譲マンションの購入価格とあまり変わらないとすれば、どっちを選択する?決して、分譲マンション業者への対抗でもなければアンチテーゼでもない。建築家が考える集合住宅を提供するということだ。募集は公にはしない。口コミで募集する。なぜなら、モデルルームも作らなければ広告宣伝もしないからだ。これだけで、数千万円は安くなる。以前の日記にも書いたが思わされていること、思い込んでいること、それが常識になってしまっていることって多いのではないか。私の思考に常識などない。自由な発想の回路しかない。くどいようだが、同じ家族が家をつくる場合に、敷地のロケーションや近隣の環境でまったく違う住まいになるからだ。そんな汎用性は既製品住宅のカタログにはない。(断言する)
2004/09/23
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松江市の白潟天満宮近くに建設される精神障害者通所授産施設まるべりー松江の入札見積りに伴う指名業者からの質疑が次々入ってきている。現場説明時に、この施設の意義を話した。中心商店街に建設される精神障害者通所授産施設は、商店街が暖かく迎え入れたことにより実現の運びとなったものだが、おそらく全国で初めてだろう。すでにマスコミも動きはじめている。入札に関しては巷では色々言われているが、この物件に関しては、まさしくみんな真剣に向かってきている。質疑を見れば分かる。仕事が少ないということももちろんあるが、この物件を手がける意義は大きい。入札が無事終了すればいよいよ着工だ。工期は短い。通常時の鉄骨造であれば問題ない工期だが、中国の建設ラッシュで鉄骨が不足している。しかし、今回入札に参加していない大手ゼネコンから、もしお困りなら提供する、との申し出も受けている。21世紀とはやはり何かが違う。奥底にあるものが世の中を動かし始めている。トラディッショナルなものの世界が蘇ってきたのかな。
2004/09/22
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本日は、ある事業のプロジェクト会議を行なった。人それぞれの思いもあるので、決して独り善がりではいけないと肝に銘じつつ、しかし迎合して軸がぶれることはよくない。まさしく正念場。しっかり理念は貫くものの、全員が納得できるものということで長談義。結果、三人よれば文殊の知恵のごとく全員の知恵が結集した。異業種が集まりひとつの事業を組みたてる。その中心に崇高な理念がなければいずれ空中分解してしまう。真に顧客の求めるものを提供する事業。この軸がぶれなければ必ず成就する。事業の延長線上に見えるもの・・・よりよきコミュニティの新たなる創出をめざす!
2004/09/21
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自分の素直な心を見つめることができたなら、よき人生を歩むための90%は手に入れたことになる。あとの10%を埋めてくれるもの、これが形而上と形而下という概念ではないかと思う。夜空に浮かぶ月を見る。 月よなぜそこにあるのか?それは形而上と形而下というものが月をそこに置いているからだ。 (すこし次元が外れている例え話だが、体勢に影響ない)月をつなぎとめているのは「引力」だ。しかしその引力は見えない。しかし確実に存在する。パワーとして。この「引力」のように、目に見えないがしかし確かに存在するもの、それが文化であり、理念であり、思いだ。これが「形而上」の世界だ。月という物体が見える。誰でも目にすることができる。まん丸になったり三日月になったり。これは文明(概念としての)であり、計量できるものであり、共通に認識できるものだ。つまり、見えないもの、しかし確実に存在しているものを形而上と言い、見えるもの識別できるものを形而下という。もっと例えて、理想と現実。芸術性と機能性。経営理念と経営収支。と、このように、理想を現実のものにするという二つの力が必要だ、ということだ。「所詮夢よ。」と言って、夢を認識することによるパワーを信じることのできていない人は「形而上」を捨て去ってしまっていることになる。片方(形而下)だけでは幸せにはなれない。そんな人は、小さく縮こまって生きればよい。愚痴をこぼしなら一生を過ごす羽目になる。「夢を追うんだ」と言って、現実を見ない人は形而下を捨て去っている。夢を顕実化する経理・計算の世界が大切だ。超現実世界だ。形而上と形而下のバランスが取れる人。これが成功者となっていく。現実が厳しいから夢を縮こませる、というバランスを取るというのは間違いだ。夢は思いっきりグローバルでよい。そのパワーに匹敵するほどの超現実意識を持つことだ。なぜなら、世界一の企業を創る、という夢なら、世界一になる企業体勢を創らなければならないのは当然だからだ。なにはともあれ、でっかい夢を持とう。そんな自分をいとおしく思うことから始めよう!他人の考えや出来事など関係ない。振り回されるな。自分を信じろ。自分の中に見出せる形而上と形而下の世界を信じきればよい。人にジャッジしてもらうな。自分の中に見えている素直な思いが答えそのものだ。
2004/09/20
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昨夜は島根県起業家スクール第4期生の皆さんと修了生との交流会があった。福島先生とは久々の再会であった。「夢しか実現しない、だから明確な夢を思い描く」先生の言われることは至極単純明快な理論だ。しかしながら、自分にとっての明確な夢、これがなかなか難物だ。私らのように結構歳を重ねてきたものにとっては、今までの人生でたくさん恥じもかいてきたので、今さらカッコつけてもしょうがないでしょう、ということで変なエネルギーを使うことがない。だからイケイケドンドンでいける。しかし若い人たちは何事も始めての経験ばかりなので、自分の考えていることや方向性がこれでいいのか?という思いにかられることが多いのではないかと思う。かく言う私も、その当時は純粋人間だったので、思い悩んだものだ。結構躊躇逡巡し結局先に行かなかったことだらけになってしまったものだ。今から思えば、誰に遠慮していたのかな?と思ったり、惜しいことしたな~、という思いもある。当時の私がなぜ先へ進めなかったのか?これすなわち、自分の心に素直になれなかったからだと思う。今はもちろん大丈夫。自分の心にとっても素直に生きています。 ゴシンパイナク!自分の中の素直な心に出会うためには、人様のフィルターは必要ない。自分自身の中の挫折感であったり、絶望感であったりが、真実の自分に出会うことができる唯一のツールだ。自分自身の真の向上心はとても強い光とパワーを持っている。これこそが「素直な自分の心」そのものであり、私の正体なのだ。しかし人間は子供から大人になる過程の中で見栄や体裁などというものがその周りに厚い膜を張ってしまっていつしか自分を見失ってしまう。挫折感や絶望感は悪いものと思いがちだが、実はこれらは、その厚く膜となった余計なものを攻撃してくれる価値ある武器なのだ。素直な自分は絶対に壊れるものではない。しかし見栄や体裁という心は、この武器によって壊すことができる。苦しくても、挫折感や絶望感を直視しろ!というのはそのためだ。苦しんでいるのは真実の自分ではない、見栄体裁という虚像が苦しんでいるのだ。歳をとってから気付いたのでは手遅れの場合も多い。だから、若者よ!もし今、挫折や絶望の世界にいるとすれば、それは不幸ではなく、真実の自分に出会える神から与えられたチャンスだ! (私は宗教家ではありません 念のため)病気の時に熱が出るのは、ウイルスを退治する体の防衛機能だ。高熱=悪い状態 ではない。 もちろん行き過ぎはよくないので解熱剤が必要な場合はある。38度まではできれば下げないほうがよい、といわれている。挫折感や絶望感を感ずるのも実は悪いことではない。子供を産む母親は死ぬ思いをして生む。だからこそ生まれでた子供はかけがえのないものだ。 これに理窟なんかあるものか!自暴自棄に陥ってはデビルの思う壺だぞ!めざめよ!真実を見つめること。産みの苦しみの中から生まれ出た、出会えた、いや気付いた「素直な自分の心」。人間は誰も例外なく!既に持っているんだ。認識すればよいだけだ。尊い自分に早く気付いてくれ!生まれてきたことへの感謝の涙を流せたら、それが人生の本番スタートだ! 私は毎日感謝の涙を流している。自分の人生は鬼に金棒!よっしゃ~ イケイケドンド~ン!
2004/09/19
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朝早く、昨日の新聞広告(当社紹介)を見て資料を送ってほしいとの連絡が入った。聞いてみれば土建業の経営者とのこと。D&CM方式の広告なので、いわば工務店を通さずに分離発注する方式なのだが、土木を主体にしている工務店とのことで、これから建築分野にも進出したいという。是非勉強したいということだったが、それはそれで思いを実現するポジションは見出せるものと考える。要は、顧客を大切にし職人を大切にし、なおかつ両者が共に会話できる環境をつくればよいわけで、それこそ施主の意向が職人に伝わり職人の思いが施主に伝わる。同じ思いの同志として、ぜひ、この工務店を支援していきたいと思う。
2004/09/18
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精神障害者通所授産施設「まるべりー松江新築工事」の入札に伴う現場説明・図面渡しを指名業者を呼んで行なっている。私にとって約25年ぶりの公共的物件の指名入札だ。一社ずつ個別に行なうためかなりの時間を要する。思い起こせば、このような日が再び訪れようとは想像もできなかった。なんだか素人みたいな言い方になるが、業者と相対しながら、「設計事務所してるな~!」などと思う私だ。事業の経営は一朝一夕では組立てられない。苦労の連続ではあるが、しかし確実に、このような実績が積みあがってきている。この実績あるいは経験が、自分自身、あるいはクライアントの確信になっていくのだろう。そうこうしている最中に、ある自治体の首長が会いたいと言う。提案物件がいよいよ議会を通過した。先進地視察に議会が行きたいという。財布の中身はカラでも、推進する事業の中身は満たされてきた。いずれ経済も追いついてくるだろう。なにはともあれ、地域にとって、住民にとって、真に有益な事業を提案し、実現していくことが建築家としての使命だ。いよいよ建築家としての本番が来た。
2004/09/17
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本日は、島根県立大学の学生の研究取材を受けた。 取材などどのように受けたらいいのか分からなかったが、お構いなしの性格なので、すべてをご披露。多分20歳前後かな? 息子と似たり寄ったりの女性からのインタビューに、最初は少しかっこつけて、途中からはお構いなしモード。起業のきっかけや現在の運営状況(資金繰り)などの質問に対しすべて正直にお話しした。話しながら、たまには過去を振り返るのも悪くないと思った。創業して3年。結構充実してきたな、と思えた。一朝一夕では成り立たない。されどこつこつと積み重ねたものがやがて形となり動き出す。その事業はやがて私の知らない世界で一人歩きしだす。私のところへ帰ってくるときにはお客さんを一緒に連れてくる。総合学科の学生だったかな?浅く広くの学科なのでそれが強みでもあり弱みでもあり、という。自分の成功は出会いの質による!とは今朝送られてきたメール格言。さっそく学生さんにご披露。建築学科を出たからって全員が建築の仕事をしているわけではない。建築学科 いや大学を出ていない安藤先生が世界的な建築家となった。どうでもよいとは言わないが、出身学科ですべてが決まるわけではない。再度格言を・・・成功は、自分自身の理念の質と出会いの質による!
2004/09/16
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本日は設計を依頼したいという方が来社された。ホームページを見ての問合せだったようだ。初めての出会いであったが、今までにメールを何回かやり取りしたため、初めてお会いしたような感じがしない。現地へ出向き現状を見させていただいたが、なかなかよいロケーションの地だ。イマジネーションが掻き立てられる。よい仕事ができそうだ。午後も先日設計依頼をいただいた方が来社されたが、色々お話しさせていただき大変有意義な一日となった。大きなプロジェクトも動きだした。いよいよ本番、やるぞ~!
2004/09/15
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まったく新しいものを創り出す必要はない。今あるものをさらに理念で越えたものを創りだせばよい。建築の世界のすべてのことは既に人がやり尽くしていることばかりだ。しかし、それを構造主義的にあるいは実存主義的に捉えて分析してみたところで、あるいはしがみついてみたところでなんにもなるまいに。そうではないもの、言い換えれば、「本質主義」とでも言おうか。それこそが見つめられるべき対象ではないか。私はそう思う。人は何(対象物)かを分析するときには必ずその構造的なるものモジュールなるものを見つけ出そうとする。コルビジェのモデュロール・黄金律はそれなりに説得力がある。それは確かに美しい。しかし、その生み出された具体的な造形はすべての規範とはならない。また実存主義のごとく、自己主張をしてみたところで、それがなんなんだ。そうではなく、それぞれがまったく個々に存在していてよいし、無秩序のなかにバランスが見えることもある。これは構造主義でも語りたくないし、実存主義でも語りたくない。言わば偶然の一致だ。しかし偶然とはいえそこには英知を超えたなにか、本質というものがあるのではないか。それは引力のごとく目では確認できないがしかしそのパワーは間違いなく存在している。ことによれば宗教人は、これを神と読んでいるのかもしれない。なにはともあれ、なんとか主義などどうでもよい。自分で書いておきながらそんな議論を展開する気もない。とにかく、昨日の日記でも書いたように、身の周りのことで、思わされていることって多すぎる。それでもって自己主張だ、実存主義だなどとは笑止。目をさませ!本質を見つめろ!例えその道の素人でもよく考えればわかる話だ。と訴えかけたい。そうかあいつが言うのはそういうことか、という感動を与えることを現したい。安藤忠雄にはその感動がある。30年前に初めて出会ったときから安藤は常にそのことばかりを考え、実行している。言葉としては「今までに無いものを生み出したい」と言う。
2004/09/14
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思わされていること PART2 最近、松江市でもデベロッパー(販売業者)の分譲マンションが沢山建ってきたが、ここで腑に落ちないことがある。これってもしかして思わされていること?一戸建ての住宅の場合、新築でも中古住宅でも広さについて、「延べ面積が30坪」と言うとどう思われるかというと・・・「狭い!」一戸建ての場合は通常40坪が基準となっている。それでは分譲マンションは、「延べ面積30坪」というと・・・「広い!」これってなぜ?分譲マンションは通常20坪~25坪が主流だ。だから最近の30坪マンションとなると「広い」という感覚をもってしまう。でもこれって変じゃない?同じ住宅取得なのになぜ一緒じゃないの?分譲マンションでは、、敷地面積に対する容積率が200%の敷地の場合、300坪の敷地だと延べ面積は600坪の建物が建てられる。この敷地に一戸あたりの面積が20坪のマンションだと30戸とれる。30坪のマンションだと20戸。35坪マンションなら17戸。デベロッパーの利益というのは面積あたりというより、1戸当たりいくらで計算されているから、つまり戸数が多いほど利益額の総額は大きい。つまり面積が大きいとそれだけ戸数が減るので採算が合わない。つまりは、供給側の都合で面積が決められているということになる。もちろん、商品としての住宅であるので、供給側の勝手ではあるし、買う買わないを選択するのはユーザー側にある。しかしながら、それでよいのか?もし広いタイプがリーズナブルな値段でできたら?一戸建ての住宅も分譲マンションも一般の4人家族では「30坪」は狭い!そうでしょう?30坪マンションは広い! などと、だれかから思わされていることに気付いてほしい。広くない!
2004/09/13
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新聞社が発行している住まいの情報誌「リビエール」に当社設計の「浜乃木の家」が大きく紹介された。日曜日なので、10時から行なう業者との打ち合わせに間に合えばよいと思いのんびりしていたが、現在設計の最終段階というか最終見積りに入っている「比津の家」の施主のNさんからの電話だった。なにか問題でもと思っていたら、「浜乃木の家がリビエールに出ていますよ~!」「え~!」 ART-CRAFT〈 浜乃木の家は”建築家と創るこだわりの家”のページ にあります 〉 コマーシャルではなく紹介記事なのでまったく予告なしだった。その記事に施主さんの言葉が綴られているのだが、ほんとに喜んでいただいているのを感じジ~ンとした。この「浜乃木の家」の施主さんも、昨日の日記でかいたように、職人との会話ふれあいの中で行なわれる住まいづくりに賛同していただき、また、住まい塾にも熱心に参加いただいての住まいづくりだった。本日も私の支援者(出資者)の方とも話したのだが、今は無理する必要は無い。ひとつずつ信用をいただく仕事を心がけていこう、とスタンスを確かめ合った。ほんとにありがたいことだ。こうして図らずも機関誌に紹介される。昨夜も小さな子供さん3人を連れたご夫婦がお越しになった。夢を語り合った。「コムースさんはいつお会いしても熱いですね。」いい歳こいてなんだが、本気で生きることが幸せなこと。たとえのぼせ者といわれてもかまわない。自分のためではない。クライアント(施主)の夢の実現だ。
2004/09/12
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建築家の道は常識との戦いの道だ。よりクリエイティブなものを創りだそうとすると今までの常識が抵抗する。幸いなことに、クライアント(施主)も同じ考えの方が多いので共に同志として闘っている。先日の日記にも書いたが、「思わされている」常識が多い。21世紀は本物の時代だ、と言われている。本質に照らして真に価値あるものしか生き残れないと言われている。くにびき相互支援ネットにはクリエイティブな人たちが多い。その人たちに共通していることがある。それは「原点回帰」ということだ。ほんとはこうでしょう! こうあるべきでしょう!という思いに満ち満ちている。ETICの最終審査に進んだゆうこさんの「研ぎの文化」、バッシーさんの「コミュニティワイナリー」、だいぼさんのペイントの世界、ハッピーCさんのひたむきな創業姿勢、みどさんの求める本質、さおりんさんやコスモスさんの自然回帰などなど、その他のすべてのメンバーに共通している思い。みんな、トラディッショナルな世界を見つめ、本来あるべき姿をイメージしている。それは決して空想世界をイメージしているのではない。いたって常識的な世界をイメージしている。もしそれが新鮮に感じたり、奇異に感じたりしたとすれば、今の世界が危うい証拠だ。20世紀は何かが狂っていた。確かにものの豊かさは必要だったかもしれない。しかし本質を曲げてまで豊かになることはなかろうに。今の若者は本物を知らない。あるいは触れる機会が少ないのではないか。待て!何を称して本物か?それはすなわち、「勝ち負け」で言い現されるもの。誰かが勝って、誰かが負けるものは本物ではない。しかし、これこそが20世紀の常識だった。21世紀の常識は、負ける者がいないこと。すべての人が喜びを分かち合えること。これが本物であり、常識となっていく。建築の世界で恐縮だが・・・文化とも言える匠の技の職人が、直接にクライアント(施主)と話ができない現状。名工と言われる職人が下請けと称して虐げられている現状。そのため後継者が育たない現状。 これは誇張ではない。ほんとに職人文化が無くなってもいいんですか!そこまで来ているんですよ!と叫びたい。元請が勝って、下請けが負けている。 これは決して本物ではない。しかし残念ながら、これが20世紀の常識だった。今も引きずっている。私が思う21世紀の常識とは・・クライアント(施主)が直接に匠の職人に仕事を依頼する。職人との対話ふれあいの中で本物の建築を創り出す。こんなことは昭和30年代までは常識だったことだ。いったい誰がこんな状況にしてしまったのか!国民すべてが反省すべきだ!などと、倫理道徳を盾に、全体責任に仕向けているやつがいる。そんならその道のプロは要らないことになってしまうでしょう。こんなことにしてしまったその道のプロが必ずいる!建築は他の産業と対比して栄えた冷えたなどという世界ではない。建築は、すべての産業や分野、住まい環境などの土台となる世界だ。つまり、社会全体が乗っかっている世界だ。いわば土台だ。文化だ。そこは純粋な世界でなければならない。話を戻す。職人との対話のなかで自分の住まいを創る。いたってトラディッショナルな世界。これが新鮮に聞こえたとしたなら、今の社会は危うい。今めざめれば、まだ間に合う。まだ本物の職人が残っているから。こんな話をすると、職人のPR不足だ。努力が足りないからだ、とぬかすやつがいる。なら居なくなっていいんだな。それで、あなたの子孫が喜びますか?職人は自分の技を精一杯磨くことが仕事。一般ユーザーは、その職人を見出すのが仕事。これが文化意識というものであり、本物を見分ける力というものだ。そんな力まで、企業に売り渡してしまったのか。商品としての建築物を売っている企業にとっては、職人はただの下請け。道具としか見ていない。しかも、クライアント(施主)に相対しているのは、そんな職人文化のことなどまったく意識していない素人の営業マンさんたちだ。失礼な言い方かもしれないが、しかし事実でしょう!誤解があってはならないが、その中でも職人を大切にしている工務店も中にはある。しかしそれも全国的に稀になってしまった。そんな工務店なら、心から応援したいが、なかなか見当たらない。私は、クライアント(施主)と職人の橋渡し役を果たしていきたい。職人文化を守り育てる! これが21世紀の常識だ!
2004/09/11
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出会いが未来を創る 最近しみじみ感じることだ。自分が求めるもの(思い)が大きければ、それなりの方々と出会うことができる。以前では考えられなかった方々と平気でお話しできたり、懇親会を催したり、あるいは、プロジェクトの相談を受けたり。提案したり。私自身の根本的なものは変わっていないので、たまに、もう一人の自分が「お前すごいね」と言ってくれたりする。おかしな表現だがそんな感じなのだ。人生においては、自分自身の環境がドラマチックに変化する時ってあるんだな。これだからやめられない。かたくなに自分を信じ、たとえ苦労の中にあってもひたすら追い求めていく。その先に多くの出会いが待っている。その方々とドラマチックな物事が展開される。今では、そんな確信を持てるようになってきた。社会的使命を果たしたい!ますます燃えるコムースだ。
2004/09/10
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創業(経営)は色々なことを同時に考えなければならないもの。まさに日々実感だ。 経営は、すなわち経済的に成り立たなければならないし、法人税を納めていくという企業責任をも果たしていかなければならない。さらに、出資してくれた方々に報いていかなければならないし、社員の生活を守らなければならないし、日々の運営を行なうための資金繰りも考えなければならない。そしてなにより、これらのことが成立するためには、企業理念が顧客にとどき、顧客にとって必要な企業であるとの評価を受けなければならない。すなわち、企業理念が、顧客の夢の実現を果たすことに主眼を置いたものであるべきで、そこで初めて前記の諸々のことが可能となる。鶏が先か卵が先か?という議論があるが、これらのことがマルチに形成されている必要がある。経営者はこれらのことに、几帳面さと大胆さの両面を、しかも同時に駆使していかなければならない。今日の1千円の資金繰りに対処しながら、中長期の戦略を実行していくこと。現実を見つめながら、なおかつ理想を追い求めていく。相反するのではない。どちらも必要要件なのだ。島根県ソフトビジネスパークという環境の中であるがゆえに、周りに創業を目指す仲間達に囲まれているがゆえに、深く意識することができる。このことに感謝する。創業は矛盾な状態の中で成就していく。これも実感だ。創業して3年。誰かが、創業して軌道に乗るまでに最低でも3年はかかる、といっていたが、まさしくそのとおりだ。お金はあとからついて来るといったが、まさしくそのとおりだ。やっと事業が動き出した。これからも几帳面さと大胆さで勝負だ。
2004/09/09
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人々がほんとに欲していることは、今意識していることではなく、潜在的なるものにこそ、その求めているものの本質がある。本日、ある自治体に以前から提案してきたあるプロジェクトが決まった。それは大いなる創造だ。内容は今は言えない。そのうち明らかにできる時がくる。困っていることは困っていることではない。その困っていることの解決策として自治体から相談を受けての提案だったのだが、私がした提案は、その解決策ではない。それを超越した新たな都市計画の新たなる実現だ。議会承認がなされればプロジェクトのスタートだ。それは全国発信できるほどのことだ。今まで自治体がこのような形で取組んだことはない。私は申し上げた。「この事業は、全国の自治体の模範事業にしよう。」21世紀は新たなる創造の世紀。20世紀の呪縛から解き放たれる時が来た。今こそ、創造の実践のときがやってきた。官も民もない。ともにその本質を見つめ、それを実現する。その見つめるべき本質とは、「顧客の夢。住民の夢」。それは・・・新たなコミュニティの創造・・その実現。
2004/09/08
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思わされていること などというと、またコムースの過激な発言と受け取られてしまうかもしれないが、お構いなしに。 住まい塾を開催していわゆる一般の方々と相対してみると、結構思わされていることって多いことに気づいた。「高気密・高断熱」あるいは「外断熱」などということについて質問をされた。それなんですか?と私が答えると、え~知らないんですか!などと冷たい視線を浴びせられそうになる。もちろん最近メーカーが流行らせている言葉としては知ってはいるが、そもそも高気密・高断熱やらとか外断熱などということがそれだけで一人歩きすることのほうがチャンチャラおかしいということを一般の皆さんは分からないらしい。致し方ないことだとは思うが、いかにコマーシャルを情報だと勘違いしているかという典型的な例だ。メーカーの営業マンも所詮建築の素人の方々だから、愛社精神にのっとり会社が言っていることにとことん心酔しほれ込んで顧客に相対す。勧める方も勧められる方もそのことにどっぷり漬かって話を進めるものだから独特の世界が出来上がるのもしようがない。せめて住まい塾に参加された方々だけはその呪縛から解かなければ、そんなちっぽけな技術的な世界があなたの家をつくるのではない!ということを理解していただかなければ、と思う。思わされているとはメーカーには失礼かもしれない。ならば思い込んでいる顧客が悪いのか?これもよくない。要するに、建築家たる私達がもっと本当の住まいづくりを伝えていかなければならないのだ!建築家は元来建築ばかで、名うてのセールスマンのトークを打ち崩せない。でも私は違う。土建業、それもしっかり裏をみてきた人間が建築家をしているものだから、少々のことではだまされないし、小手先の営業トークを駆使しているやからを見るとカツを入れたくなる。というか、所詮それは我々とは次元の違う話だ、と思っている建築家が多いせいでもあるかもしれない。プライドが高いのは結構なことだが、やはり積極的に伝えていかなければ、実際のところ後悔している家族がどんどん増えている。住まい塾を開催してみての実感だ。いつだったか、よせばいいのに、何を思ったのかハウスメーカーの営業マンが住まい塾に参加してきた。様子見だったかもしれない。最初から忠告しておいたのに、回を重ねるごとに意気消沈してしまった。「いいんだよ。これから本当の建築をめざせば」などと慰めてあげても、所詮建築の専門知識をもっていない彼には困難な道だ。安藤忠雄は建築の学校を出ていないのに世界的な建築家になっているではないか、などというと、かわいそうかな。顧客だけではない。営業マンも思わされているんだな~。山口県だっから広島県だったか、もとハウスメーカーの営業マンで仕事に憤りを感じ一念発起建築家の道へ。その道は平坦ではなかったはず。今は立派な建築家となり、結構よい住宅作品を創りだしている。彼もせっかく住まい塾に触れてくれたことだから、この方のように本物の住まい創りをめざしてほしいものだ。さらに、昨日の日記をぶり返すが、オーダーメードの家は高い!と言って歩いている営業さんはどこのどいつだ?最初に予算ありきでしょう!あたりまえでしょう!予算なしで設計するやつがいるわけないでしょう!それを信じる方も信じる方・・・。「当社は設計料はかかりません。」・・・そんなわけないでしょう!よく言うよ。予算に応じて、ローコストの家なりハイグレードな家を設計していくのが設計業務。それは当たり前として、一番大切なことは、そこにその家族にとっての感動的な空間を生み出すことであり、その地域の原風景となりうる芸術性(デザイン性)の高い建築を地域の財産として創り上げること。安藤は、むしろ予算が無いほうが芸術的な(デザイン性の高い)建築ができる!とまで言い切る。それが我々建築家の仕事。そう思い込んでいただきたい。
2004/09/07
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選択か創造か?このタイトルでの日記は2度目ではないかと思う。先日、第6期の住まい塾を終えた。やはり、選択か創造か、このことにつきる。これだけ物にあふれた時代。たしかにレディーメードでもすばらしいものは沢山ある。ビトンやベネトン・・・、これらは文化レベルが高く芸術的なまでに昇華された匠の技の産物だ。住まいはどうか?建築は?かの安藤忠雄氏はNHKの番組の中で、「あの建築はいかんかったですね。」と言った時、インタビューアーは慌てて聞きなおしていたが、「施主には関係ないことですよ。使い勝手が悪いわけではない。施主も喜んでいますよ。ただ、建築家としての芸術レベルが、この建築は低いということを申し上げているのです。」禅問答のような会話だが、文明的なものは唯物、すなわち目で追えるわけですが、文化的なものというのは、意識的なもの観念的なものであるので見る事ができない。住宅に芸術は必要か?などといわれそうだが、はっきり申し上げて、必要です!カタログから選ぶ住まいが果たして自分の住まいとしてふさわしいかどうかよく吟味しなければならない。出来合いの芸術など無い。すべて何も無いところからの創造であるべきで、よく値段のことを言われるがオーダーメードが高いなどといったいどなたが言っているのか?まず予算ありきは当たり前。そしてその予算の中でその家族にとって、その地域にとってふさわしい建築を創造していく。その行為をまじめに行なうことが、すなわち芸術を追い求めること。目覚めてほしい。気づいてほしい。その一念で住まい塾はこれからも続ける。
2004/09/06
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昨日、ある出会いがあり、3年前に立ち上げたプロジェクトが急浮上してきた。当時一生懸命になってクライアント探しをしていたものだが、なかなかうまくいかず、その後、他のプロジェクトが進行して今日を迎えていた。今にして思えば少し時期が早すぎたのかもしれない。それにそのプロジェクトを行なうのに世間的にも機が熟した感がある。やはり人との出会いが大切だ。現在2つの大きな事業が進んでいるが、この事業が加われば3つの事業となる。打つ手があるというのは幸せだ。もちろん、一つ一つの建築は芸術的価値の高いものでなければならないと思っている。大きな建物になるほど、大雑把になりがちだ。建築家として手を抜かず、地域の原風景となりうる建築を創造していきたい。
2004/09/04
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以前の私は理窟が洋服を着て歩いているような感じだったようだ。(自覚症状は多少あるが)やたら資料を作っていた。相手に分かってもらうためには懇切丁寧に資料をつくることと思っていたからだ。しかしながら意に反してますます追いて来れないという。丁寧すぎて資料が多すぎるのだ。最近の私はいたって資料を作りたがらない。所詮、身に付くものしか身に付かないから、資料を沢山渡したところでオーバーフローしてしまう。これはこちらの問題か?相手の能力の問題か?などと悩むことも最近ではしない。体験で身に付けていくしかないからだ。D&CMプロジェクトも、ようやく軌道に乗ってきたが、プロジェクトメンバーの意識付けにはなお時間がかかる。品質・工程・安全の各管理の当事者意識が薄い。最近、メンバーから、物件を進める中でどうしていいか分からないことが多いという。細かいところをもっと詰めてくれ!という。待ってました!その資料ならとっくの昔に作ってあるよ~!ニーズがおきたときに渡さないと、あれしろこれしろと命令なり管理されているように思われては元も子もない。下請けはイヤだといっても下請けにどっぷり漬かっていることも確かな方々。私の管理下にどっぷり漬かって指示待ち人間になってもらっては困る。コムースはこんなプロジェクトを立ち上げ我々を巻き込んでおいてなんの細かい決め事もしていない!と、思ってくれたらこちらの思う壺。人生中盤に差し掛かるとこんな所作も身に付いてくるものなのか。プレゼンは熱く語り、実現に向けて相手がいる場合は相手のペースを見ながらほどほどに進めていくことが大切。本日(9/3)正午から定例のプロジェクト会議が始まる。「コムースはどうも心もとない。もっと我々がしっかりスクラムを組んでやろうぜ!」という声を聞けることを期待している。
2004/09/03
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住宅など建築の設計依頼を受けたとき、いつも、打ち震えるものがある。絶対幸せにしてみせる~!などと本気で思う。建築が完成し、喜んでいただく姿を見たとき無上の喜びを感じる。このところ今までにないスケールのプロジェクトが進行中だ。企画を立て一生懸命プレゼンするのだが、最初はいかに受け入れられるか、などと考える。クライアントが企画を必要とし、受け入れ、私にそのプロジェクトの進展をゆだねる意志を向けられたとき、「私の企画を売り込むのではない。クライアントの夢・目的・目標の実現・達成のお手伝いをするのだ。」との思いになっていく。クライアントとプロジェクトの内容を確認しあう中で、いつしか誰が提案したとか、誰が施主などという次元を超えていく。信頼され期待されていることを感じたときとても幸せで大いなるやりがいを感じる。クライアントのため、絶対成功させる!人の夢を実現するのが私の夢!これこそやりがいだ。
2004/09/02
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悲喜こもごも。 色々あるものだな~、というのが最近の心境。物事そう簡単に進むものではない。されど同時に色々手を打ちつづけることも大切、とばかりに先(未来)に向けて働きかけている。経営的には色々な出来事が襲い掛かってくる。もちろんそれに対処していかなければならないが、最近聞いてるCDの京セラの稲盛名誉会長の講話に、「経営者は目の前のことに対処できたからってそれで経営者の仕事ができたと思ってはいけない。出来て当たり前。経営者は先々に対するよりよき改善や新たなチャレンジができ、確実にその成果を上げていくことに最大の責任を持つべきだ。」この講話がどれほど私を押してくれているか分からない。目の前のことに追われると大勢を見失う。もちろん目の前のことはおろそかにできない。しかしもっと大切なことは、例えどんなに目の前のことに追われていても、将来に向けてのあくなきチャレンジを辞めてはいけない、ということだ。
2004/09/01
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