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足掛け4日の車の旅から帰った。(昨日の日記の掲示板書き込みは旅先のパソコンを借りてアップした)走行距離1,700kmは結構きつかった。娘の進学に伴う引越しのためだが、どちらかというと旅を満喫する目的もあった。どちらも所期の目的を達成できた。中央自動車道はよい。駒ケ岳→諏訪盆地→八ヶ岳→甲府盆地→相模湖からはずれて神奈川(座間・相模原)へ八ヶ岳から甲府盆地にいたる間にある韮崎(にらさき)あたりは、まるでアルプスの少女ハイジの世界のようだ。八ヶ岳山ろくからのびるなだらかな傾斜地が東の下界に向けて消えうる様は圧巻だ。帰りは逆ルートで夜の帳の中の走行となったが、街並みがパノラマのように広がる光景はまるでおとぎの国ようだ。二日も居るとその街が好きになるのが私の癖だ。去るときには後ろ髪を引かれる思いになる。どの街にも人情がある。町々のよさを満喫して帰る。しかし、旅から帰るといつも感じるのが、我街のよさだ。山陰は実に良い。(手前味噌ではなく)松江市だけの人口を見ると一見少ないようだが、宍道湖・中海経済圏はひとつの街といってよい。鹿児島市は広大な広さの中で人口60万人。宍道湖・中海経済圏も約70万人いる。立派な人口密集地なのだ。山陰は田舎だと思っている人が多いが実はそうではない。いつか必ず注目されるときが来る。旅をすると余計そう確信できる。ここのよさは意外と知られていないが、中には良さに気付き、結構都会人が居を移してきている。私だけでも都会の2家族を松江人にしてしまった実績を持っている。みんなこんなに都会(田舎ではないと言う意味)だとは思ってもみなかったと言う。教育レベルも高いし。松江市の県立の普通高校はまるで学習塾だ。だから松江市の子供は中学までは遊べる。県立の普通高校に入ればいい大学に入れる。都会地の県立とはかなり違う。中学までは自然を満喫しての遊びをする。子供に都会の喧騒の中の学習塾へ通わせるのがよいか、中学までは自然人で過ごさせるのがよいか。 答えは明白だ。山陰人は逞しい。都会で活躍する地方人のなかでも結構いける口だと思う。松江市近郊には2つの空港があり、どちらも1時間で羽田と結ぶ。東京人からはどう思われているかしれないが、松江市から東京は実に近い。松江市の真中を流れる大橋川は宍道湖と中海をつなぎ、淡水魚と海水魚のどちらもいる。街のど真中で1m級のスズキがつれるところってそうめったにあるものじゃない。私はエイをもう少しのところで取り逃がしてしまった。中学の息子と二人がかりで揚げようとしたがテグスが切れてしまった。大山スキー場へ1時間。日本海の海水浴場へ20分。飛行場へ30分。中国山地の行楽地は山ほどある。ハイキングコースは奥多摩の比ではない。お国自慢になってしまったが、この街にしばらくいるとその魅力に取り付かれること請け合いだ。(旅人の私がいうのだから間違いない)これからも、東京の街しか知らないかわいそうな東京人をそそのかしていくことにしよう。
2004/03/30
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この前の日記で、「全ての人が訪問販売員だ!」と書いたが、同じく、「全ての人が職人だ!」とも思う。社会は様々な職業で構成されている、という言い方もあるが、私は「人は色々な役割を演じている!」と言いたい。大きくは、産・官・学。会社組織においては、役員と社員。(役員は社員ではない)政治・行政は、政治家と官僚。大学は、教授、助教授、講師。などなど。とにかく、必要があってそれぞれの役割がある。自分の職業が見出せない人がいるが(悩むのは大いに結構なことだが)どの職業を、というより、どの役割を演じて生きていきたいか。その道に乗るにはどのルート(学校、専門学校、弟子入り)を辿っていくのか。これが、人生設計というものでは?若者よ、漠然でもいいから自分の道を思い描いてみよ!ミドさんは「社長になる!」と宣言した。大きな方向性を示した。それでは、どのような役割をもった仕事で社長になるか?が次にくる。その職業で社長になるためには?と、思い描いていくとどんどん深くなっていく。(土壷にはまっていく)逃げ腰では土壷にははまれない。本気で考えないとはまれない。はまってきたと感じたら、すなわちプロの道が始まったのだ。大工は職人。 では社長は? やっぱり社長という職人。官僚は? やっぱり職人。 よっしいさんを見ればわかるでしょ。人全てが職人。(断言する)職人とは匠(たくみ)だ。百貨店の店員さんたちも販売という職人。訪問販売にくる方達もすばらしい職人だ。 職人=プロ余人に代え難い自分だけの匠の技を一生かけて手に入れるのだ!みどさんはいつか社長という立派な職人になることだろう。なぜなら、そちらの方向に身体を向けて、ひたむきに進んでいるからだ。そんな姿に人は共感を覚える。職人はひたむきだ。 大工は黙々と木を刻み、組みたてる。その姿は美しい。 信頼を寄せられる。すなわち、本気で職人の道を進むことが、自分の人生の道を開くことだ。
2004/03/27
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なんだか随分年寄りくさいタイトルになってしまった。「経験」ということを現したいのだが、結果とすればやはり年齢を重ねることと同意語になってしまうかもしれない。20歳代に言っても通らなかったことが現在では受け入れられる。と、感じる。時代が変わったか、周りの私に対するイメージが変わったか。内容が濃くなってきたのか。プレゼンがうまくなったのか。海千山千になった?(そうかもしれない)何にしてもいろいろ経験を重ねてきたことが物をいうことは間違いない。これからという人たちを見ていると、いずれこういう人物になるに違いないと想像できる。よい人材が山ほどいる。これからの日本、捨てたものではない。話はうって変わり・・・最近の経営者に一言。「分からんなら分からんと言いなさい!」と申し上げたい。最近はどうか分からないが、以前は社員教育に余念のない経営者が多かった。社員教育は、下手をすると上司の(経営者の)顔色ばかりを気にするイエスマンを作り出すことになりかねない。そもそも何が大事かを考えてみる。挨拶、名刺の出し方、言葉使い。 それがどうした。(あえて)同じ方向を向いて(顧客を向く)くれる社員・スタッフをいかにつくれるか。これが組織づくりというものではないか。顧客のために激論を交わす社員、時には経営者にも食ってかかる社員をつくることが真の社員教育ではないか。今時の経営者。イエスマンばかりつくってきたツケが廻ってきている?夢のある人材をいかにつぶしてきたか反省したほうがよい。(あえて)要するに、クリエイティブな社員をいかにつくれるか!これだ。と、いうことを、過去たくさんの社員教育を受けてきた者として、歳を重ねる中で見えてきた。
2004/03/26
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同じくにびき相互支援ネットの仲間である醸造家バッシーさんがいよいよ法人化に向けて動き出す。バッシーさんとは同じ事務所(大部屋)の同居仲間だ。島根県ソフトビジネスパークの創業を目指す者が入居できるシェアードオフィスの仲間だ。だからよく夢を語り合う。私とバッシーさんとは10歳も歳が違うが、夫婦と一緒で結婚してしまえば歳の差はなくなってしまうのと同じ、無二の友となった。だいぼさんも同じ部屋だ。だいぼさんとは20歳も違う。息子でもおかしくない。でも無二の友になった。この歳になっても青春を謳歌できるのは仲間のお陰だ。アヤチャンだって友達だし!(勝手ですが)なにより役所の人間(あえて)と友達になれるなんて実によい。産官学がどうした!関係ね~よ!とずかずか入ってきてくれるよっしぃ。ほんと、こんなヤツは初めてだ。(涙)もちろんくにびきの皆さんをはじめ私の周りの方々は皆かけがえのない存在だ。夢を語り合う中で、夢を現実にしていくこともよく話しあう。夢は右脳で(感性・知恵)で想う。現実は左脳(知識)で処理する。右脳で大いに感じて、左脳で現実化していく。語り合うことで、こんな訓練になっているのかもしれない。そして、この一連の人間関係(騒動?)をじっと感じ取ってくれている2人のスタッフ。帰れ、というまで何時まででも仕事を止めないバイタリティには頭が下がる想いだ。建築家コムースのわがままを受け入れてくれてありがとう。君たちも私のよき友だ!一緒に、地域・顧客の夢の実現に向けてこれからもがんばって行こうな!
2004/03/25
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長らく人間していると色々なことがある。さりげなく聞いたことがとても胸を打つこともあったり。そんな時、ふと立ち止まってしみじみ思いを巡らせる。そのことが人生の大きな転機になったりすることがある。昨年、安藤忠雄設計の大阪茨木市の光の教会を訪ねたときのこと。教会の中へ入ってコンクリート打放しの壁をくりぬかれた十字架を見たとき、そのくりぬかれた十字架から太陽の光があふれていた。無信心な私でも厳粛な気持ちになった。遠く訪ねた先に見つけたものは神なる光であった。光はいつも私を包み込んでくれていたのだ。素直にそう思えた。その時こんなことを思い出した。数年前、車を運転中に流れていたFMラジオから流れるヒルサイドアベニューで、パーソナリティーの小川もこがこんな物語を紹介した。私は車を止め、しばし余韻に浸った。原文はよく覚えていないが、概ねこういう物語だった。 「足跡」 ある男が道を歩いていた。その道の名は「人生」と名づけられていた。一人ぼっちで歩いていた。ふと振り向くと自分の足跡の隣にもう一つ寄り添うように足跡があった。隣を見るとそこに神様がいた。「あなたはいつから私の隣を歩いていたのですか?」「私はあなたが人生を歩み始めたときからずっと一緒にいたんだよ」「でもさっき気付くまではいなっかったでしょう?」「あなたが意識して見なかっただけです。」「私はこれからもずっとあなたの隣を歩いていきますよ。苦しいときにはあなたを守ってあげます。」男はうれしくなりました。やがて、大人になり一生の仕事を見つけました。神様も応援してくれました。より良き人生を謳歌できるに違いないと思いました。時は移り変わり、不幸なことも起こりました。その都度、神様が励ましてくれました。男は乗り越えていきました。でも、いよいよ人生最大の試練がおこりました。どうしていいかわかりません。苦しくて前へ向かって歩くこともおぼつきません。ふらふらとやっとの思いで前へ進んでいます。その時男は振り向きました。そこには男の足跡しかついていませんでした。「人生で一番苦しいときこそ助けてくれるのが神様ではないのか!」と男は怒りました。やがて、人生にまた光がさしてきました。以前のように明るく生きていける時が来ました。男が振り向くと、足跡が二つになっていました。隣に神様がいました。「神様、いったいどこへ行っていたのですか?なぜ、私の一番苦しいときに居てくれなかったのですか?」男は腹が立ってしようがありませんでした。「いいえ。私は一時もあなたのそばを離れたことはありませんでしたよ」「でも足跡は一つしか付いていなかったよ!」「それはね。苦しくて歩けないあなたを私がオブって歩いていたから」
2004/03/23
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私は暇があると東京行きの夜行に飛び乗る。翌朝は東京の下町で、さも東京人のような顔をして歩いている。東京は、教師・反面教師含めて体感してみる価値はある。最近の汐留あたりのうんざりするような変貌ぶりも見ておく必要がある所だ。六本木にもどうかしてる大型建物が建ったし。その気分の悪さを救ってくれるのは、下町・山手に点在する名建築群だ。池袋のフランク・ロイド・ライトの自由学園を訪れるといつもほっとする。あのスケール観は子供の目線を意識して設計されていることが分かる。「明日館」と名付けられた建物は原風景なるもの、郷愁を誘う。目白の講談社の横の坂を上がったところにある丹下健三の東京カテドラル聖マリア大聖堂も癒される名建築だ。(私にとって)ナショナリズム的なデザインの前の、まさしく造形美を追求する時期の丹下の気配を感じる。表参道は建築家のラッシュだ。安藤の同潤会、隈研吾の理想ビル、黒川の看護会館、まだまだ登場する。中でも青木のルイ・ビトンビルは、ステンレスのメッシュで建物を覆うなど、ビトンのコンテンツを満足させるデザインだ。表参道の並木と名建築。 許せる東京だ。江戸川区の小岩や新小岩にも足を伸ばすが、親水公園もなかなかよい。千住・柴又にいたる一帯もなかなか面白い東京だ。うって代わり、下北沢あたりも見逃せないところだ。横浜にいたる沿線には魅力ある街が多い。そして、横浜。関内はとても好きな場所だ。サザンを歌いながら馬車道を歩いたりするところが、田舎者のなせる技だ。(ほっとけ)旅はよい。新たな自分を発見できるから。
2004/03/21
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世の中の職業は全てサービス業・訪問販売業だと思っている。産官学に関係なく。本来なら、サービス側が顧客のところに出向くべきだ。例外なく。かの松下幸之助はソケットや自転車のランプ用の発電機を開発し、風呂敷を背負い卸問屋を一軒一軒訪問販売して廻った。「え~物ができました。扱っていただけませんやろか。」どこも最初はけんもほろろだったそうな。ソニーの森田さんは、ラジオを抱え、アメリカの販売会社を一軒一軒訪問販売した。日本製など相手にされなかったそうな。創業者のこんな努力を出発点に今の一流企業がある。忘れるな!本来は、売る側が、サービスする側が一軒一軒訪問して営業すべきところだ。それをわざわざ顧客が足を運んで来てくれている。こう考えれば、接客に対する姿勢は当然心のこもったものになるはずだ。どっかのデパートのように毎朝30分挨拶の練習などする必要ない。(そろっていると一見格好はよいが)要は、社員に本来の道理(こちらから出向かなければならないところを顧客が来てくれていること)を教えてやれば、その社員なりの心のこもった挨拶はできるはずだ。心のこもらないマニュアルの挨拶などいらない。お昼どきになると、それぞれのユニフォーム(制服)を着たお嬢さんが財布片手に、すっかり一般人に戻ってお食事やショッピング。おたずねをするものなら、「私は今昼休み中よ」という感じで・・。これがプロかな~。プロとは演じきることではないかな。医者は、医療という行為を行なうサービス業。例え夜中でも、急患とあれば診てくれる。(当然だ)何時いかなるときでも演じる気概を持っている。それでは他の職業の人は?制服を脱いで、どんな職業の者か分からない状態でもやれと言っているのではない。(しかしやるべきだが)ディズニーランドを見習うべきだ。とことん演じきってくれている。掃除のお兄ちゃんにしても、とことん気配りしてくれる。「担当が違うんで」などと言って逃げたりしない。多分だが、今すべき業務があっても、目の前に困っている、求めている顧客がいたら、そちらを優先する(判断能力を養われているのだろう)ように教育されているのだろう。顧客の前では決してぬいぐるみは脱がない、例え休憩時間でも私語は言わない。とことんアクターとなり演じきっている。私たちもそうあるべきだ。それが信用だ。絶対気を抜いてはいけない。と、自分に言い聞かせながら、「建築家」というサービス業をとことん演じきるぞ!私は、「建築家」という訪問販売員だ。
2004/03/19
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昨年の暮れに熊本へ旅をした。目的地は熊本県人吉市。ここに熊本県立球磨(くま)工業高等学校がある。いわゆる普通の県立の工業高校だ。しかしここには日本で唯一の伝統建築を教える科がある。つまり宮大工の養成なのだが、高等技術校ではなく、工業高校にあるところが振るっている。建築科の主任教諭と話ができた。文部省の方針では、工業高校の専門学科は総合学科に移行されようとしている。その中で、さらに特化して教える科があることは画期的なことだ。ここで考えさせられるのは、「背反するものの狭間に社会がある」ということだ。専門性が薄らぎなんでもござれの総合学科でないと最早今の若者は自分の人生の進路の選択という勇気をもてないのか、あるいは親がそれをさせないのか。一方で、伝統建築科のように、「俺は宮大工になるぞ~!」と、わずか15歳という年齢で親元を離れこの地を目指してくる若者がいる。私は見届けたかった。確かに伝統が受け継がれていることを。ここの校舎郡のマスタープランは、象設計集団が担当し、さらに、建築科・伝統建築科の校舎は象が直接担当した。この建物は熊本県の優良建物に指定されるほどのきわめて芸術性の高い木造校舎だ。熊本県は、細川護煕知事時代に優れた建築の実現が図られたが、このことはいずれ後日触れることにする。芸術的な建物の中で、伝統建築という匠の芸術を修得する。たしかに日本文化は失われていなかったここには全国の名工が次々訪れ指導する。卒業して、さらに2年間のインターンシップも設置される。ここを巣立った若者は、京都で、奈良で、そして全国で、伝統建築の匠の技を発揮することだろう。
2004/03/16
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昨年の8月に、約20年ぶりに安藤忠雄建築研究所へ足を運んだ。はじめて訪ねたのは30年くらい前になるが、当時の富島邸を改造した事務所に30代の安藤先生がいた。現在、建物は3代目の建物へと建替えられていた。雑誌では目にしていたが、実際に足を踏み入れると、「うなる」ことの連続だった。受付がない、玄関の自動ドアが開くと即仕事場。いきなり安藤先生のコーナーがある。書籍や資料が所狭しと並び、人が一人通れるスペースしかない。内部は5層(?)になっていて、吹き抜け空間を共有している。「お~い!と言うたら、みんないっせいに返事しよる。ええやろ。」最上階が応接兼打合せコーナーになっていて、雑誌に載っている国内外の模型が所狭しと並んでいる。最上階への階段は実に狭い。吹き抜け空間に突き出るような形で付いているので、チト恐い。打合せの内容は全てオープンで事務所内に聞こえる。「みんな聞こえてええんよ。そのほうがええ。」何の虚飾も排除し、機能だけを考えた空間は、逆に美しいまでの芸術性を感じさせる。「仕事シテルナ~!」という思いになる。なによりうれしかったのは、人柄がまったく代わっておられなかったことだ。世界的な方になられ、超有名人になられてもまるで、「周りが騒いでいるだけや。」というような感じだった。古参の所員の方も「安藤はぜんぜん代わってませんよ。」共通の思い出話をされたときには感激した。はじめてお会いしたときの出来事など思い出され、「こんな人もおったな~。そういや~どないしてるやろな。」と、遠い記憶に思いを馳せるような顔をされた。たった一度しかお会いになってない人のことまで思い出された。私が今日あるのは安藤先生にめぐり合えたお陰だ。メジャーになっていかれることが、自分自身のことのようにうれしかったものだ。一時建築家の道をあきらめ家業を継いだが、その後の出来事をお話したところ随分心配していただいた。私自身苦しい状況になった時期に、テレビに主演される安藤先生を見て、「俺はこんなことで落ち込んでいる場合ではない。お会いしたい。会える状況にならなければ!」という思いが、今日までの支えになった。再会のときには、涙をこらえるのに精一杯だった。ありがたいことに、所員の方にアサヒビールの大山崎山荘美術館に案内していただいた。昔話に華が咲いた。設計された建物で興味のある所をお聞きしたが聞いて見なければ分からない話が山ほど聞けた。事務所を後にするとき「これからも遊びに来いよ。」の声に安藤先生の姿が涙でかすんで見えなかった。この旅を、建築家という道の出発点と決めた。
2004/03/14
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島根のメンターよっしいさんの日記に関連して。常々思っていることに近いので、私も言わせていただく。私は、建築というのは、概念的にコミュニティを創り上げることが目的であると捕らえている。これを基に考えれば、住まいにしても、福祉施設にしても、様々な用途の建物でも全てイメージできる。なぜなら、人間が主体となってつくるのが建築だから。最近、土木の世界でもデザインの大切さが問われだした。ただ単に構築物としてのダムや道路やトンネルを作ればよい。ということではいけないのではないか?ということから、たとえば地下鉄の駅は土木的な構築物だが、建築家が関与し、デザインを詰めていったりとか、東京大学の土木工学科に建築家の内藤廣が教授として招ねかれたりとか・・・。これすなわち、建築の意味するところの、人間にとってのコミュニティの場を創る、それにふさわしい計画・デザインを考える、という思考が大切であることが認識されてきたことによるのではないか。私が許せないコンサルに、温泉地の旅館・観光ホテルのコンサルがいる。もちろん中にも納得できる方はおられる。しかし、大半の方のプレゼンには納得できないものがある。デザインの前にコンセプトが気に食わない。顧客が一度旅館に入ったら外へ出さない仕掛けをする。スナック・キャバレー・カラオケ・ストリップ・みやげ物屋などなど。旅館街のみやげ物屋は倒産し錆びたシャッターが並んでいる。顧客は観光地めぐりを終えて夜に旅館に入るから旅館街の風景はよく見えない。朝、仲居さんたちに見送られて出発する。その時錆びたシャッターを目にするのである。多分二度と来ようとは思わないであろう。旅館街全体ではなく、自分の所だけの反映を選択した経営者に一番の責任がある。しかし、コンサルももっと鳥瞰的な視野で地域創りにつながるプレゼンをすべきだ。黒川温泉や由布院がなぜ今日の繁栄を得たのか。よく考えれば分かることだ。湯布院は普通の町だ。建築的に価値ある建物があるわけでもない。しかし、普通のコミュニティを創り上げている。普通のコミュニティを知らない今時の娘さんたちが、一人旅の中で、今まで体験したことのない心地よいコミュニティを感じているから何日も逗留することになるのではないか。昭和20年代生まれの私にとっては、あたりまえの近所の風景やなりわいが、体験のない若者にとっては斬新で新しいものに見え、かつ、心地よいわけだ。DNAが郷愁として感応するのではないか。そんなことをほんとに分かっているコンサルがどれだけいるかな?やっぱり、感性だな。感性でものを見つめていかないと、そこにある暖かい思いが見えないな。
2004/03/13
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社会におけるビジネスの世界では経営観が大切であると思う。なにも経営者に限ってのことではなく、産官学に関係なく、あるいは学生であっても必要な観念が「経営観」を養うことだ。経営は経営者だけが考えることではない。(あえて言えば)社会人となり組織の一員になれば当然のごとく経営は意識していかなければならない。なぜならいつか必ず経営を担うときが来るからだ。はじめて勤めたときから陸上で言えばバトンゾーンにいるのだ。先輩からのバトンの受け渡しが入社時点から即はじまるのだ。ロボットのごとく指示を受け、インプットされたプログラムやスケジュール通りに活動することももちろん大事。右脳と左脳の話で言えば、現実の活動は左脳で行動する世界。経営観とは右脳の世界だ。観念の世界だから、感性のない人間には見えてこないかもしれない。経営と言われて、単なる金儲けと受け止めている自分がいたら、すでに人生が終わっている。サヨナラとにかく、生まれたときから感性を磨く育ち方をしてこないと、親亡きあとの人生が結構きついものになる。(断言する)子育ては親の責任だ。甘やかしてもいい。きびしく育ててもいい。そんな問題ではなく、その子が感性豊かな人間になるように、親としていかに意識し、思いをかけてやったかが大切だと思う。親の気持ちが伝わる。テレパシーのようなものかな。これが感性を磨く唯一のものだ。(と私は思っている)「既に人生が終わっている若者」に見られる特徴は、この右脳の部分が退化してるか怠けているのか、気付かぬ振りをしているのか成長してないか、そんな感じだ。話をしてても実に面白くない。ジェネレーションギャップなどでは決してない。経営観の話に戻る。家業を次ぐ場合でも、新たに創業する場合でも、サラリーマンとして組織の一員で働く場合でも、いつかは必ず自分が主人公になるときがやってくる。「その時になって経営を考える」などという族(やから)は、組織のお荷物だ。とっととクビにすべきだ。息子に次がせようとする場合経営観を磨かない後継者などとっとと追い出せばよい。放り出されてはじめて真の大人になることができる、感性が磨かれる。甘やかしが一番いけない。お互いが不幸になる。うって変わり私はよく旅をする。23歳のときに安藤先生と知り合い、そのときに真っ先に言われたことが、「旅をしろ。自分の身体で体感することが大切だ。スケッチしろ。(建築家になりたいなら)」ということだった、以来、たくさんの旅をした。一人旅が多い。スケッチなど始めると、連れとの調整がきかないからだ。毎日2時間の読書と1時間の運動が日課の安藤先生。自分に課した義務などではない。感性を磨くことに貪欲だからこそなせる技だ。建築をやっていると建築馬鹿にになる。建築以外の世界に疎くなる、という意味だが、安藤先生はこれも指摘してくれた。「自分は建築教育を受けていないから、だからこそ偏ったことにならないように思う。なまじっか建築教育を受けたものはその型にはまってしまう。」建築ばかりではなく、経済の本を読め、純文学を読め、自然科学を読め、宇宙に思いを馳せろ、・・・数えればきりがないほどのことを教えていただいた。心から感謝している。とにかくチャレンジし続けることの大切さを教えていただいた。などなど・・・全て観念の世界だが、感性で受け止めることができなければ「猫に小判だ」な。
2004/03/12
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昔(?)の人たちはダイナミックに生きていた。結構、昔悪ガキという人たちががんばっていた。一流どころの企業の幹部クラスでも器の大きい人たちがいたものだが、最近の傾向は、なんだか粒が小さいように思う。(スイマセン)組織の上のことが気になり、顧客のほうはあまり向いていないように思う。なぜそうなったか。(決め付けていますが)大きな組織になるほど陥りやすいのが減点主義だ。人事考課の話だ。失敗は命取りだ。失敗したら減点される。つまりチャレンジして失敗したら二度と浮かび上がれない。何にもしなかったものが、可もなく不可もなく出世する。話が複合するが、20世紀末の社会が犯した失敗は、放任したからにほかならない。人材が悪いわけではない・・と思っている。以前聞いた話だが、アメリカの企業は、だめなら社長の首でもすぐ挿げ替える。フォードの社長がクライスラーの社長になるのは朝飯前。つまりゴーンさんがトヨタの社長になるような話だ。日本では、やはり考えにくいことだが、しかしそんな中にあって、たしか・・パラマウント映画社だったと思うが、当時、大作を作っても失敗ばかり。トップ以下、全て入れ替えるか、という話もあったらしいが、オーナーが、失敗した連中をそのままそっくり残した。その後のパラマウントの繁栄ぶりはみなさんご承知のとおりだ。トム・クルーズ主演のトップガン前後からその勢いは現在までとどまるところを知らない。つまり、アメリカでも同じであったわけだ。パラマウントのオーナーは減点主義をとらなかった。放任しなかった。一丸となって、真のチームになった。真に観客に喜んでもらえる映画とは・・・。他社とは真剣さが違っていた。あくまで、たくす人材の資質によるが、失敗を経験として受け入れる度量をいかに持てるか。そこのところを見失ってはならないことを教えてくれている。今度の日曜日、久々にパラマウント映画を見に行こう。
2004/03/11
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これからの時代を担う人への提案だが、くにびき相互支援ネットの「メンター修行中」のよっしいさんが日記にかかれている「温故知新」に目を向けてほしい。http://club.www.infoseek.co.jp/club.asp?cid=k0200134まったく新しい何かを生み出そうとすれば、中世の時代まで帰らねばならないかもしれない。それだけ全てがそろっている社会だ。しかし何かがおかしい。何かにはめ込まれて日々を過ごしているように思えてならない。これだけ自由な時代に不自由さを感じてならない。それでは、全てを否定して何かを生み出す?いや、そうではない。今在るものの組み合わせを変えたりすることでまったく新しいものが生まれ出ることがあるのではないか。建築の例をあげれば、建築では、今は亡き、コルビジェ・ミース・ライトという3大巨匠が全て考え尽くしてしまった感がある。さらに第4の建築家としてのカーンがとどめをさした。今我々がやっているのはその応用に過ぎない。それでは設計者としてもうやるべきことがないのか? 否!ここで考えるべきは誰のためか?主人公は誰か?設計者としての自分が主人公ならもはややるべきことはない。しかし、自分を待ってくれている顧客が主人公なら、やらなければならないこと、考え出さなければならないことは山ほどある。古きを訪ね新しきを知る。応用でよいではないか。要は、顧客が待ち望むものを提供することだ。私の事業を紹介する。(恐縮だが、事例として)私は建築家だが、工務店といわれてもおかしくないことをしている。通常、設計が終われば、次に工務店が受注し、工事を行う。さらにその下請け(各専門職)が実際の工事を行う。住宅産業(?)といわれている世界では色々な問題が起こっている。住宅が商品と化し、創造ではなく、商品バリエーションのなかからの選択性になってしまっている。(大半が)果たして顧客は満足しているのか?(潜在的に)私は後悔の言葉をたくさん耳にしている。私の話を聞き、なぜもっと早く知り合えなかったのか!と涙を流された方がいた。(大げさではなく、本当です)私は、事業を立ち上げた。工務店に工事を依頼するのではなく、各職方(専門職)それぞれに分離発注し、顧客と各職方が直接契約する方式を採用した。設計者である私(当社)が、現場監理も担うのはとても大変なことだ。しかし、顧客のため、覚悟をきめた。本との住まいづくりを提供するんだ!夢の実現のお手伝いをするんだ!私の中では、施主も建築家も各専門職種も関係ない。夢の実現に向けて結集したプロジェクトチームだ。個人の住宅ではあるが、地域にとっては原風景となりうる財産だ。したがって、施主も地域の財産を創るビルダーだ、と思っている。このため、施主と建築家との設計打合せの段階から各職人にも参加してもらう。何日も何時間もディスカッションする。これにより、施主の思いが職人に伝わる。匠の技が顧客に直接届く。私の設計の考え方が、施主・各職方にダイレクトに伝わる。今、1作ずつ完成していっているが、顧客満足度は言葉にならないくらい大きい。建前の時には、みんなで記念写真を撮った。言いようのない感動に包まれた。世間では(マスコミにも取上げていただいた)画期的な建築システムと言われている。種あかしをしよう。このやり方は、昭和30年代までは、あたりまえに行われていたやり方だ。というより、工務店なるものが登場してきたのが昭和40年代からのことだ。それまでは、多くが、棟梁が建築家の役割をして各職方をまとめてきた。施主と各職方と直接契約してきた。施主と職人とのコミュニケーションの中で住まいづくりが行われてきた。いつのまにか、なぜ、あたりまえでなくなったのだろう。私の事業は、昔に帰ることではない。今、失われつつある本当のことを取り戻すことだ。なぜなら、これが顧客が一番求めていることだと思えるから。社会の悲鳴が聞こえるから。私の考えはきっと正しいのだろう。次々お話をいただいているから。一つの事例として、恐縮ながら私の事業の一つを紹介したが、このように、古きを訪ね新しきを考えたとき、現代においては、まったく新しい、しかも先進的なシステムといわれることが出来上がることもある。参考になれば幸いだ。
2004/03/10
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昨日の日記は何気に書いたのだが、こんなにアクセスをいただけるなどとは夢にも思わなかった。メッセージをいただいた方には心から感謝を申し上げたい。人は鏡ということわざ(?)があるが、反応を返していただくと、自分の思考の中へより深く入っていけるように感じた。ありがとうございました。誤解があってはならないので昨日の続きだが、創造も、創造をする!という選択をしての思考なので、もちろん深いところでは選択がベースになっていることも事実。その思考の経過の中で、創造がベースとなり自分自身のオリジナリティといえる思考・判断基準などなどが生まれてくるのではないかと思う。昨日に関連させて、なんだか、社会全体が成熟しきれていないように思えてならない。このことは色々な観点から検証できる。なかなか大人になりきれないセミ大人。これは依存型が多いことでも分かる。もちろん若い方全てと言っているわけではない。大の大人でも結構多い。私の息子と同じ年くらいの親しい大学生をしてる友人がいる。今アメリカで苦学(?)しながらがんばっている。いつもメールでやり取りしているが、彼は非常に責任感が強い。いざ有事の時に最後まで残りがんばり後始末ができる男だと感じている。こういうヤツと一緒に仕事したいと本気で思う。依存型の特徴は自分のことしか見ていない。自立型は絶えず自分以外の人のことを考える。営業マンで一流と言われている方々は自立型だ。物事に没頭するタイプだ。売れない営業マンは商品を売りに行っている。営業マン自身のために売る行為をしている。一流の営業マンは夢を届けに来てくれる。えらい違いだ。依存型の営業マンは顧客に食わせてもらおうとしている。自立型の営業マンは、顧客の夢の実現にしか感心がない。今どっちのタイプ?どっちの人間になることを選択する?どちらを選ぶのも自由だ。私がよく、失礼にも若い方に、「本気でそう考えているんであればあなたの人生は既に終わっている。」と言ってしまうことがある。それは卑下しているのではない。気付いてほしいからだ。私は関わる全ての方々を大切に思っている。本気でそう思っている。だから平気で色々なことが言える。もっと輪をかけて私がまけそうなくらいの人物が身近にいる。島根のメンターよっしいさんだ。さしずめ、彼の頭の中は他人のことしか入っていないのではないか。心配性(他への思いやり)で涙もろくて、バイタリティ(自立)があり、 こんなやつめったにいないぞ!分かってんのか! 期待にこたえろ!気付け!と言いたくなってしまう。 思わぬ展開になってしまったが、 要は、本気でプロを目指すことだ。アマチュアで生きていくことなどできない。もしアマチュアのままで生きたいと思っているなら、それは逃げ道を確保しながら生きていくことを意味する。顧客にとってはたまったものではない。21世紀は本物の時代。プロでなければ生きていけない時代だ。プロとは、しっかり覚悟と責任を持って生きていく人のことだ。自分がこれだ!と選択した職業の真のプロになって生きていくことだ。私は、共感なんて入口にいる人間には感じない。本物のプロと出会った時とか、あるいは、自分の退路を断って本気でプロを目指している人を見てはじめて感じる。アメリカの彼はまだ学生だが、精神はしっかりプロだ。だから私は彼を尊敬し共感を覚える。
2004/03/09
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昨日の日記で書いたことだが、選択か?創造か?がえらく気になってしまった。視点を変えてみると、社会全体がいつのまにか選択性になってしまっているのではないか。そう思えてならない。右か左か? 上か下か? AタイプかBタイプか? 選択には創造より「想像」が必要だ。選択は枠の中で判断する作業だ。しかし果たして枠の中にあるものだけで選べるものか?このままだと指示待ち人間・レディーメードな人間だらけになってしまうのではないか。(私の勝手な危惧)私は創造こそ大切ではないかと思っている。起業家スクールは、職業そのものを創造するよい機会だ。私の行っている住まい塾も、住まいを自ら創造していける資質を身に付けてもらう場だ。新しい何かを生み出す。これは今も昔も変わらず難しいことではある。しかし、それにしても現代はものが多すぎ、豊か過ぎるために、ほどよい欲求不満がない。すぐ何かで満たされてしまう。こんな中で育つ子供たちの創造力はいかなるものか。余計なお世話ではあるが、しかし、少なくとも私は自分の子供たちには絶えず創造の芽が育つように接してきたつもりだ。あまり物を与えなかった代わりに、キャンプにはよく行った。アウトドアなどと格好いいものではない。サバイバルのような不自由さを味あわせた。我々親も大変だった。その他日常生活においても細かく気を配った。しかし、しっかり抱きしめたり、べたべたしたりとスキンシップを行うことにも気をつけた。このようなことからか、独立心が旺盛になったお陰で、この度中学を卒業する3番目の子は将来の夢・目標が明確になり、遠くに学びの場を求め、とっとと親元を離れていく。親としてはちとさびしいが一番のアマえっ子が独立心が旺盛であることに、親としてはうれしいかぎりだ。創造とは自立だ。自分だけの世界を組み立てていける人間になることだ。これからの時代は、過去の前例など通じない。私は親として、子供に創造力という財産を与えたいと思って育ててきたが、ことによればうまくいったのかもしれない。概念として、選択力ではなく創造力が大切であることを確信してきた。
2004/03/08
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たとえば建築の世界での究極のプロは職人だ。昭和30年代までの住まいづくりは棟梁(とうりょう)、いわゆる職人との対話の中で行われてきた。プロとの対話だ。現代はどうか。素人の営業マンとの対話の中で住まいづくりが行われている。住宅が商品と化し、規格の中から選択していくやりかたといってよい。住まいづくりは規格を選択していくやり方でいいのか?いや、選択ではなく創造であるべきだ。建築の世界だけではなく社会全体でこのような兆候がみられる。一番大元(おおもと)はいったい誰なのか?そこにはプロがいるべきではないのか。建築家や棟梁などの匠の職人(プロ)であるべきではないのか。顧客とプロが会いにくい時代なのか。もしそうだとすれば、われわれプロの責任でもある。しかし、一般の方々の意識も促したい。テレビやインターネットでの情報は大半がコマーシャルだ。概念的な情報ではない。コマーシャルを情報と勘違いするところから真のプロと会えなくなってしまっているのではないか。このままだと、真のプロがいなくなる。
2004/03/07
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私は現在島根県が先端企業の研究開発や新たな起業の支援などを目的に開発設置された「しまねソフトビジネスパーク」に事務所を開設している。設計事務所でよく入居できたものだと自分でも感心するが、私の取組みたいと考えていた事業を真正面から受け止めていただいた県の関係者の方のお陰であると思っている。私のような創業をめざす方々がたくさんおられるが、なかなか親しくして、という雰囲気にはお互いなれない。いわゆる、それどころではないからだ。この施設に入居できてから物事が急激に動き出した。軽い気持ちで、懇親会でもしたらと思い呼びかけたら、50数名の方々に参加いただき、今では施設内外を問わず120名を越える方々に参加いただいている。(どういうことだ!)よい方々に恵まれ、盛り上げていただいているお陰で、過去3回の集まりを催し今回が4回目となる。5回目は超大物をゲストにと思い、ほとんどだめもとで働きかけたところ、なぜか来ていただくことになった。これには本人が一番びっくり。(返事をいただいたときの言葉が、 ほんとにいらっしゃるのですか? だった)とにかく、笑われてもいい相手にされなくてもいい、えい!とばかりになげかける~!もう躊躇逡巡する気持ちを振り払い、えいや~、てな感じだった。 やってみるもんだな~。(シミジミ)夢でも希望でも、思い描けたら、とにかく実践してみる。実践の大切さを学んだ。
2004/03/06
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同じくにびき相互支援ネットにみどさんという方がおられる。華々しい日記デビューから終始一貫姿勢を崩さない。最初は、なんだかにぎやかな人だな(笑)と思いながら、眺めていたが、その前の集まりのときにお会いした方だと分かりびっくり。こんなパワフルな方だったんだと思ったものだが、今日までその勢いは衰えるどころか、ますます逞しさを増してきたように感じる。終始一貫とにかく意地でも(笑 失礼)やりつづけることでなにか世界が構築されていくんだな、と感じさせてもらっている。成功とは、意識の中で成功の姿があるならすでに成功を手に入れているわけで、あとはみどさんのようにひたすらがむしゃらにやり続ける、成功が顕実化するまでやりつづけることなんでしょうね。みどさんはきっと夢を現実のものにするだろう。
2004/03/04
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私は、3年前に独立して設計事務所を立ち上げたときから、臆面もなく「建築家」と称している。「家」とは、とてもグローバルな意味がこめられた呼称だ。正式にいえば「建築士」であるわけだが、あえて建築家と称しているのは、グローバルな仕事をする人間ですよ、という意思表示のためだ。私がはじめて安藤先生にお会いしたときに聞かれたのが「君は建築家?」ということだったが、思わず「めっそうもないです。」と答えてしまった。安藤先生は建築の学校へいかれたわけではない。いわば素人だったわけだが、建築家になろうと決めたときから「建築家 安藤忠雄」と称した、ということだった。建築家をめざしているなら堂々と建築家と名乗ればいい、それが覚悟の表れになる。といわれたことを思い出す。この歳になり、自分の夢であった設計事務所の開設にあたり、思いっきり最初から「建築家」と自分を呼称してきたが、不思議なもので、最近、紹介されるときに「この方は建築家の○○○さんです。」と何のためらいもなく紹介いただけるようになってきた。覚悟とともに広い視野を持たなければ、との思いが日々込み上げてくるのだが、それとともに、いつも緊張感がある。醸造家バッシーさんとお話ししてみたら、やはり同じ思いでおられた。お互いに、「家」に成りきる決意をしあった。
2004/03/03
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