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物件が重なっている。 ありがたいというか、なんとかしなければ、というか・・・。設計は、基本設計と実施設計に分かれる。基本設計には気の遠くなるような時間が必要となるが、その基本設計の開始ができない物件が4件も出てしまっている。4人の事務所でこなすキャパを大きく超えてしまっている。毎日帰りは午後11時は当たり前の状況、日が変わる前には帰るようにしているが、それでも追いつかない。大きなプロジェクト2件、実施設計・施工中が4物件、基本設計開始前4件、土地探し中が3件、の計13件が同時進行中。年末を迎え何かと気ぜわしい季節だが、それどころではない。ただでも気ぜわしいのに、ソフトビジネスパークしまねの事務所の入居期限もいよいよ今年一杯に迫ってきた。同じ建物内の広さ15坪のレンタルオフィスに入居すべく県に申請中だが、審査を受けて見なければ分からない。加えて、年内中に決算報告をしなければならない。これだけ物件を進めながら資金繰りは苦しいときている。大きなプロジェクトの進行状況によるが、そろそろスタッフ数の増強も考えなければならないかな。このような産みの苦しみの中から事業は立ち上がって行くものなのだろう。なにはともあれ、このような状況はやはり感謝の一言だ。色々な方々が訪ねて来てくれる。その方々の期待にこたえて行かなければならない。
2004/11/30
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昨日は、神戸への旅(走行距離600km)を行なった。主たる目的は、進めているコーポラティブハウスに向けて、神戸にコーポラティブハウスの町があるということで視察に赴いたということであったが、正直、言葉にする価値のないものだった。(半分予想はしていたが)従って、文字通り、安藤建築をめぐる旅となってしまった。順に辿ろう。 (写真はすべてコムース撮影) 六甲の集合住宅(1) 変わらぬ雄姿に感動を覚えた。 ここは外人専用のマンションだが、不心得者が多いせいか、いかめしい 看板があるため、さっさと切り上げた。 六甲の集合住宅(2) (1)の右隣りの斜面に建っているが、よくもま~こんなところにと思う。 六甲の集合住宅(3) 時間の関係で遠望に留めた。 北野町(異人館街)に移動。 KITANO WALL 初めて見たが、なかなかよい建物だった。ただ、店舗へのアプローチ のしにくさは否めない。 リンズ ギャラリー 新築当時に訪れたが、今は随分歴史が感じられる状態となっていた。 WALL SQUARE この鉄骨の建物は以前と変わらぬ輝きを発していた。 しっくに輝くメッキ処理の外装材は、カーンを思い起こさせる。 WALL STEP 地下に下りる階段や、坂の途中であるために自然にできる段に 面白い風情を感じる。 KITANO ALLEY 私の好きな建物であったが、以前訪れたとき打ち放しがいたんで いたが、見事に塗装が吹き付けられていた。空室だらけだった。 ROSE GARDEN 名建築は残る。 西沢文隆先生が絶賛したこの建物は、今も雰囲気を発している。 ただ、店舗の数が減っているのが気になるところだ。 三宮方面へ移動 竹中大工道具館 ここは、竹中工務店発祥の地。 大工道具の殿堂だ。ここの道具はいつでも使える状態となっている。 移動 兵庫県立美術館 この建物はまことしやかに評論されている。 私の印象だが、このスケール感が分かる人はそう多くないかも しれないと感じた。 この形態は、私の中ではフランク・ロイド・ライトとだぶる。 ライトの建物にあるスケール感そのものだ。 この建築は、安藤の他の作品とは異次元のものであり、比べてみる こと自体が間違いであることが分かる。 水平にブレースされた鉄骨は、カーテンウオールのマリオンを 美しく掴み取っている。 垂水へ移動 垂水の4m住宅 この建物は、カーサブルータスへの応募により建てられた安藤建築だ。 海に向かって開かれる大開口は、とても小建築のそれではない。 隣りに、同じように建ててもらいたいという方がいて、木造では 如何かと提案したとは聞いていたが、まさしく完成間近の状態だった。 4m住宅から見た明石海峡大橋 姫路へ移動 世界遺産の姫路城 時間が遅くなり、近くから見るだけとなった。 これだけ廻ったのに、松江には午後8時30分に帰った。 少々お疲れ気味。しかし、久しぶりにワインをあけてしみじみ デジカメ画像を味わった。約500枚の撮影枚数は、デジカメ だからこそだ。以前のスライドフィルムではとても考えられない。
2004/11/29
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ふと思い立ち神戸へ足を向けることにした。今日はどんな旅になるか楽しみだ。しばらく本拠地を離れないでいるとどうもいけない。自分の中の旅好きアラームが鳴り出す。旅は良い。色々なことが見えてくる。色々なことが考えられる。日帰りなので、たっぷり神戸近郊を楽しんで、帰りは深夜になるに違いない。いつもどおり頭の中でしっかり順路を決めているので、思うように行けるだろう。久しぶりの神戸。なれた街ではあるが、きっとなにかを語りかけてくれるに違いない。安藤忠雄設計の垂水の4m四方住宅も見に行こう。六甲の集合住宅、風の教会、北野町界隈の異人館や安藤作品の数々のその後の姿も楽しみだ。評価が分かれる兵庫現代美術館にも足を向けてみる。帰りに淡路島の本福寺水御堂にも寄ってみようか。それではいざ出発。ただいま6時30分。
2004/11/28
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目的と手段を間違えてはならない! この度の自治体と共同して行う自然共生型コーポラティブハウスは、地域のコミュニティの新たな創造を行なうため、そして、地域活性化を促すために、その手段としての可能性調査を実践を通して行うというものだ。 この場合、私のスタンスはさながら都市計画家といってよい。この事業がうまくいけば、自治体は広く門戸を開き、コーポラティブハウスによる街づくりを標榜することとなるだろう。文字通り全国初の取り組みとなるだろう。自治体の担当官と、全国に発信しよう!先進地視察を受け入れよう!(笑)などと先走りながら、夢の実現に邁進している。ところが、どうも地元の業者か、はたまた役所のだれかか、とやかく言うものがいるらしいが本末転倒もいいとこだ。私はその方々の仕事をも生み出そうと努力しているのだから。一方、昨日、住宅建築を工務店ではなく各専門業者に分離発注するシステム(CM方式)を全国的にフランチャイズ(?)化して取組んでいる地元の設計事務所の経営者から連絡があり、是非会いたいという。色々語り合おうという。どうも私をCM方式専門業者と位置付けていらっしゃるようだ。私は、申し訳ないがCM方式などどうでもよい。あくまで手段にすぎない。その方を指してのことではないが、そもそも設計事務所の連中と会いたいとも思わないし、会っても時間の無駄だ。どんな職種でも良いが、例えば、建設会社同士だったり、八百屋さん同士であったり、同業が3日間語り合ってもなんにもならないのと一緒だ。異業種と会ってこそ初めて進歩的な話ができる。私が感ずるに、その事務所はCM方式を「目的」に事業を行っているのではないか。くどいが、私は、CM方式などどうでもよい。あくまで「手段」にすぎない。だから、「CM方式かくあるべき!」などと語り合うつもりはさらさらないし、申し訳ないがほんとに興味がない。たまたまクライアント(施主)にとって都合がよいからやっているだけ。工務店方式のほうがよければさっさと切り替える。ただ、誤解があってはいけないので書くが、私はCM方式ではなく、文化としての職人方とクライアント(施主)を出会わせ、一緒に住まいづくりを行ないたいのだ。結果として似たようなものになるかもしれないが、私は設計事務所なんぞに興味がない。各専門の職人に最大の感心を寄せているのだ。なぜなら、今なんとかしないと職人文化が日本の国から失せてしまうからだ。コミュニティと職人文化がなくなっては、日本の国は存在できない。それこそ世界の笑いものだ。話が膨らみすぎた。枝葉末節なことで貴重な時間を割くのはもったいない。カンベンしてほしい。私にとっての最大関心事は、「コミュニティ」だ。大切なことは、崩壊しつつあるコミュニティを次世代のために支えること。私の目的は、そんな理念を掲げ実践する「建築家」となることだ。コーポラティブハウスも手段、CM方式も手段。私の理念を押し付けるつもりも、説得するつもりももちろんない。私の理念を理解していただく方々だけと一緒に歩んでいく。それだけ。感心のない方の批判など受けてる暇はない。関連するが・・・いつぞやの日記にも書いたが、センスは生まれつき。センスがない人はいくら勉強してもセンスは生まれない。残念だが、センスは生まれつきだ。心配はいらない。センスがない人はその自覚症状はないから。 (周りの人にはわかるが・・・)センスのある者は万人にうけようなどと無駄な努力をする必要はない。自分と同じ目線の人との出会いに感心を向ければよい。若い時は特にそうだ。年長者は偉そうに言う奴が多い。自分の世界を膨らませていってほしい。今悩んでいる若者は国の財産だ。偉そうに言うことになるが、それに加えて、センスとしての芸術性に目を向けてほしいものだ。きっと、さらに世界が広がることだろう。もっとクリエイティブになれるはず。エールを送りたい。企業経営の考え方も一緒だ。(と,私は、偉そうに思っている)私の言うところの社会性を理念に据えるというのは、決まりごとではなく、あくまでセンスの問題だ。芸術性、と言い換えてもいいかもしれない。センスのないものに社会性を説いても時間の無駄だ。果たしてどっちのタイプか? (事業性の成立は当たり前として。 慈善事業の意味ではなく。) (1) 社会性が目的、業務は手段。 (2) あくまで目の前の業務の成功が目的。私は常に社会性を目的にする、と自分に言い聞かせている。(いや自然体かな)この度の自治体に向けての事業も、そんな意味で「都市計画家」に変身してお手伝いしている。つまり、「土台となる理念」と「実現という結果」が大切で、その途中はどういう進め方でもよいのだ。さまざまに変身すればよい。無手勝流だ。(先ほどのCM方式もそうだ。たまたま手段に活用したに過ぎない。)社会性を目的にしていない者、業務の成功のみを求めるものは、その途中の「格好」にこだわる。(苦手なタイプだ 近づきたくない)いい加減疲れます、そういう方々と話していると。
2004/11/27
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昨日は、たのみもしないのに押しかけてくれた人たちがいた。コーポラティブハウス事業をいかに世に知らしめるか!ということで、延々3時間も自分の時間を私にくれた。顧客の心にいかに素直にストレートに届くかどうかが勝負。まずコーポラティブハウスという言葉すら知らない方々がほとんどの状況の中で、いかに理解していただけるか。万人に承ってもらう必要はない。生意気な言い方になるが、こちらで顧客層を決めさせていただくことが大切、ということになった。来月早々に地元経済誌に発表される。当社の新聞広告も来月から2ヶ月間はコーポラティブバージョンに切り替え。ホームページも専門的過ぎるとのご指摘により、主婦向けに改造。などなど、色々なことが広がったひと時となった。こんな人たちに支えられている私は幸せ者。とにかく地域によりよき住環境を創るのだ!あんたはそれだけ考えていればよい、とは諸氏のことば。そんな心根を持つあなたたちこそが地域にとっての一番の宝物。ご期待にこたえるべく、せいぜいがんばります。
2004/11/26
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街の真ん中に住もうプロジェクト 最近の建築専門誌を見ると、都会地などでは、以前オフィスであった建物が空いて、そこを集合住宅に作り変えるということが数多く行われている。特に大手ゼネコンは積極的に手がけている。というわけでもないのだが、わが町松江市も空洞化の状態はいなめないし、オフィステナントも空室が目立つ。先日、街の中に住みたい!という方がこられて、改めて企画してみたのだが、よいアイデアが浮かび、銀行の営業本部にも相談したが、進めようということになった。以前から、宍道湖・中海圏域70万人(現実にいる)が心ひとつになれば、日本海側屈指の都市となるわけで、これこそが地域活性化の原動力となると訴えてきたが、しかし、なんとなくすっきりしないのは、街中に人が少ないことではないか。商業ゾーンも周辺に分散している傾向にある。空洞化対策も叫ばれてきたが、どれも商業拠点としての施策ばかりだ。どうせ都市周辺型商業ゾーン傾向が変わらないのであれば、中心市街地は思い切って居住ゾーンにしてはどうか。商業地域の線引きがしてあるため、建築の規制はすこぶる少ない。容積率も400~500%もある。日陰でとやかく言れることもない。クライアント(施主)がそこにいて、その夢の実現を担うのは建築家としての使命である。中心市街地では、組合方式の大規模(?)開発による再開発が企画されているが、街並み形成をがらりと変えてしまうようなそんな大げさなことしなくても、小粒のジャブを重ねていけばよいのではないか。2千万円(できれば1,800万円までで)未満で取得できる都市型住居。内部はもちろん完全フリープラン。土地が見つかれば計画スタートだ。
2004/11/24
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プロジェクトものというか大きな企画が2物件動いているが(もう1つ大きな企画が浮上してきた)進めていくのはそう簡単ではない。一番大変なのは、やり遂げるまでの資金的問題だ。大きな物件になればなるほど資金サイトは長くなるからだ。つまり、企画・計画作業の期間はとても長いからだ。数多くのスタディを重ねていくわけだが、一通り原案が出来上がらなければ話にならないし、その計画が実行の流れに乗ってはじめて資金が動き出す。結構話題として派手な(笑)割りに貧乏しているのはそのためだ。人によれば、そのような企画は資源であり財産だという。確かに、それがあってはじめての収入となるわけなので、同業より恵まれていることは確かかもしれない。特に下請けしている連中は大変だろうな。もっとも、私は建築家という職制が好きで好きでたまらないのでこの苦労も結構楽しんでいけている。寝るときには、意識が薄れる私の頭の中は、夢が実現した風景がパノラマのように展開される。これが私の原動力。 これしかない!と思えることが生きがいだ。というか、自然に生きがいになるわけではない、色々な苦労の果てに生きがいにまで昇華していくものなんだな。変な言い方だが、生きがいにまで昇華したものをよりどころにする。振り返ってみると色々なことがあったが、私を支えていてくれたものは「夢」だった。いや、もしかしたら、夢を創造しようとする心に支えられていたのかもしれない。
2004/11/23
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自治体と共同でつくるコーポラティブハウスの募集が間近に迫った。800坪の敷地に12世帯をランダム配置し、くぬぎやこならなどのどんぐりや椎の木などを植えて、文字通り自然共生型の界隈(かいわい)をつくろうというものだ。 エイコーン・パーク・タウン 設計:コムース 名称も決まった。エイコ-ン・パーク・タウンと名付けられた。エイコ-ンとは、ACORN=どんぐり2時間考えてここに至ったわけだが、ストレートでいいかな(笑)と思っている。どんぐりの成長とともに暮らす界隈(かいわい)。ここで育つ子供達はどんな体験をするのだろう。いよいよ12/4~12/5に行なわれる住宅祭でお披露目となる。団地を売る手立てではない。本来あるべき界隈(かいわい)をつくるのに選んだ場所が今回の場所だ。参加者が協力して界隈(かいわい)を創り上げる。800坪の敷地は4面が道路に面している。道路に近いところに住戸を配置し、真中にコモンスペースが生まれる。ここがどんぐりの杜だ。昔懐かしい縁台がそれぞれの家の前にならび、それこそ庭を共有する。子供達はここで育ち、お年よりはここで会話を愉しむ。これこそが、地域が子供を育てることであり、年寄りを慈しむことではないのか。それこそ何万坪に及ぶこの界隈一帯がどんぐりの雑木林で囲まれることを夢見ている。そしたらリスでもはなそうか。この町は、日本海クルーズの基地であり、ヨットハーバーもある。神戸ナンバーの車も多く見かける。杜と海との自然共生型コーポラティブハウス。いよいよ実現の時が近づいた。-----------------------------本日の自治体担当者との打ち合わせの中で、名称の新たな提案があった。ハングル語でどんぐりのことを「ととり」というらしい。だから、「ととり・パーク・タウン」では、という案がでた。韓国との交流も盛んな地域なので、それもよいかなと思う。どちらがよいかアンケートを取りたい。(笑)
2004/11/22
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本日は、比津の家の地鎮祭が行われた。日ごろの行いがよいせいか(笑)地鎮祭の最中は天気がなんとかもった。終わったとたんふりだした。いよいよ着工だ。今までの日々を思い出し感無量だ。全て準備は整い、各業者のスクラムもしっかり組めた。クライアント(施主)ご夫婦と業者ともコミュニケーションが取れてきた。ところで、この地域は県民住宅祭が行われたところなのでまわり中建売分譲住宅だらけだ。地鎮祭が始まるまでの時間に見てまわった。普段は見る気もしないので分からなかったが、しみじみと眺めてみたところあまりのひどさに愕然とした。いったいどなたを想定してのデザイン?和風の屋根に洋風の樋がついていて、おまけに洋風の軒天。外壁の吹きつけ仕上げの下はサイディング張り。目地が取ってないのでてっきりラスモルタル下地だと思っていたが、これでは将来、外壁はボードの継ぎ目のところでひび割れだらけとなるだろう。それにどこもかしこも薄っぺらなサイディングだらけ。見せ掛けにベルバラでもあるまいし、モールでデコレーション。素人をバカにするにもほどがある。売れてないという。申し訳ないが当然だろう。地元の住宅専門の工務店はそれでもましだろうと思いきや、右へならえだ。もしかしたら私の目が肥えてきたせいかもしれない。しかし私がもしこのような設計でプレゼンしたら、その瞬間に建築家としての評価はされなくなるだろう。奇をてらった建物を設計せよ、と言っているわけではない。クライアント(施主)の姿なしに建売住宅もないだろう、といいたいのだ。それに、それぞれのメーカーが思い思いに建てているので、とにかく景観がしっちゃかめっちゃかだ。なにより、素人の営業マンが売るのが問題だ。いや・・・素人だから平気で売ることができるのだろう。なつかしい町並みの風情の雰囲気は微塵も感じられない。客離れの理由は、われわれ建築家の批判のせいではない。顧客の潜在ニーズから離れていっていることにある。もはや企業論理の押し付けが通用する時代ではない。21世紀は、施主自信のオリジナル性を見つめ、それを表現していく世紀だ。勝手な押し付けはもはや通用しない。
2004/11/21
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明日は比津の家の地鎮祭の日だ。めでたい!世間での儀礼儀式の状態はよく分からないが、私はできるだけクライアント(施主)の負担を軽減することが大切だと思っている。地鎮祭については、家の歴史が始まるに際し、今の代をはじめ、子々孫々が健やかに繁栄していくことを願い地の神に願うという行事であるので、これは厳かに行なうべきものであろうと思っている。それに、見えざるものに畏敬の念を向けることは人間として大切なことであるとも思う。建前の時の職人への祝儀は不要、私はそう決めている。もちろん普段の茶菓の接待などもってのほか。ただし、建前終了時にだけは、簡単な折詰めと2合瓶を渡してやっていただきたいとお願いしている。CM方式では各専門業者が元請ということもあり、建前の時にそれぞれで建瑞(けんずい)を差し上げることが多いが、ま~沢山お酒をもらっても喜ぶのはお父さんぐらいのもの。それならと、みんなで一緒に施主さんに商品券を差し上げることにしたが、これが偉く喜ばれている。儀礼儀式も合理的に行なうことも必要ではないかと思う。家を持つということは並大抵のことではない。初めての方も多いので、そのあたりもしっかりとサポートしていくことが大事。職人連に気を使わなければならないようでは、ますます大変だ。少しでも負担を軽減してあげることが大切だ。しかしながら、昔はその家でも2代か3代に1回、家の建替えを行なうのが通例だった。それが、現代はとにかく車を買うごとくに家を建てる。それは決して悪いことではない。しかし、昔の家づくりがそう簡単では無かったのと同じで、現代でも大変さは実は変わっていない。さきほどの儀礼儀式について、儀礼儀式を簡素に、といっているわけではない。大切なことは何かということだ。天の神、地の神というか自然に対する畏敬の念を持つことが大切であるわけで、それが、型どおりのものである必要はないといっているのだ。世間でよく見られることだが、型にこだわるあまり、肝心な精神がどっかにいってしまうからだ。型から入る、ということも大切だが、習い事でもあるまいし、とにかく自然への感謝の誠を捧げることが根本的なものであろう。家を持たれる方も、家づくりをお手伝いさせていただく我々も、お互い感謝の気持ちでことに当ることが大切なことであろうと思う。先日の業者打ち合わせ会に施主さんに参加していただいたが、基礎屋の大将が、「一生懸命仕事させていただきます。現場にちょくちょく顔を出してください。」いや~、い~な~。施主さんと各専門業者とが直接にコミュンケーションを重ねていく。不思議なくらい、幸せな思いに包まれるのはなぜだろう。
2004/11/20
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経営コンサルタントの研修や事業の成功者の話を聞いたりしたとき、気をつけなければならないことは、いつのまにか悟った気になって自分が他人に対する評論家になってしまっていることだ。自己啓発のために受けた研修では、確かに視野が広がる。しかしそのために見えなくていいものまで見えてしまう。理窟を知ったからといって、たちまちに自分自身の経営がうまくいくわけでも、成功が約束された訳でもない。あくまで自己啓発の背景ができたに過ぎない。自分自身がいかに確信がもてるか・・ただそれだけだ。( しかしそれがなかなかできないから夢が描けない。)仮に描けたとしたら、大切なのはひたすら内なる努力を重ねることだ。いつのまにか陥っているのが、周りの方々に対して「ねばならない!」という姿勢になってしまっていることだ。特に身近な人たちに対しては気を付けなければならない。プレッシャーを与えているだけになってしまうからだ。プレッシャーは人を成長させない。プレッシャーは人の心を閉じ込める。小さなことを気にする人間をつくりだす力を持っている。中でも一番恐いプレッシャーは「悟り」を武器にしたプレッシャーだ。「俺はお前の知らない世界を知っている」という姿勢・・・上から見据える姿勢というか。人間誰しも、知らない世界に対しては自信がないものだ。(当たり前だが)でもへりくだる必要のないところでへりくだったり・・・というか悟ったようなことをいう奴がいて、結構プレッシャーを掛けている。知っている、ということはあくまで知識としてインプットされたに過ぎない、との謙虚な姿勢を忘れてはならない。でないと、かかわる者を顔色だけを気にする人間にしてしまう恐れがある。組織では、これが一番恐い。つまりイエスマンだらけになってしまうことになる。空手は他人を殺傷する能力を有する。故に、空手はあくまで自分自身の内なる能力に向けられている。研修での知識も一緒だ。決して人に向けてはならない。あくまで自分自身の内なる啓発のため。そんな自己啓発をする姿勢に周りの者が共感を覚える。決して誘導・パワーコントロールしてはならない。と、今一度しっかり自分に言い聞かせる!
2004/11/18
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(以前の日記にも同じタイトルで書いたかもしれない。)費用対効果とは近年よく使われている言葉だ。私の青春時代(今でもそうだ・・?)は、「国土の均衡ある発展」ということで、当時の政府は全国整備計画を掲げ、それこそ高速道路整備等を行なってきたのだが、今になって費用対効果を勘案し取りやめ区間もあるという。・・・これはどういうことだ。とにかくいい加減にしてほしいものだ。決めたものは最後までやれ!などというつもりはもちろんないが、当時の事業草案にあたってのビジョンやポリシーが伝わってこないのはどういうことだ。こういう状況が訪れた最大の原因は、当時いい加減な試算をしていたか、あるいは試算などあってなきがごときだったことによることは明々白々だ。と言われても仕方あるまい。当時の政治家も官僚も経営意識など持ってなどいない。まして現在だってどうか分かったものじゃない。だからこんなザマだ。蛇足だが・・・バブルはとうの昔から始まっていた。昭和20年代、戦後の復興を目的に世界銀行からの借入も受けながら荒廃した国土の整備が行なわれていった。昭和30年代になり、一応の形が見えてきた。しかしそこから、所得倍増論、高度経済成長へと向かっていった。GNPは跳ね上がり一見かっこよくなっていった。しかし実際は借金まみれになっていった。経済大国とうそぶいて発展途上国へのODA(海外技術援助)を繰り返す。しかし援助された国からは感謝もされていない。おまけに気付いたら国債残高700兆円。の破産寸前の国家。これが実態であることは百も承知している。全国を旅することが多いし、まして建築家の観点からそれぞれの地域状況を見てしまうので、生意気ながら色々気付くことが多いが、費用対効果のバランスが悪いのは全国満遍なくそうだ。費用対効果については、もっともっと深く掘り下げていかなければならないのではないか。建築の構造力学の応力計算では、「長期応力」と「短期応力」とで検討するのが決まりだ。たとえば、地震や台風といった力は短期応力だ。力は強いが長くは続かない。長期応力とは、自分自身の体重とでも言おうか。太りすぎた身体はじわじわと成人病が襲ってくる。どちらも恐いから、どちらの備えもおろそかに出来ない。費用対効果も一緒だ。短期的な効果やすぐ見える効果は花火のごとく終わる。長期的なビジョンに立ったものは、効果はなかなか現れなくても気付いたら文化に根ざした豊かな国土が築かれていた、というのが本当の社会資本整備だろう。責任転嫁するような国民の声などは無視すればよい。そういう意味で、長期的展望に立っての費用対効果と、短期的視野に立っての費用対効果の両面で考える必要があると思う。どちらかと言うと、都市に求められいているのは、短期的に効果が現れる事業だろうか。早急になんとかしなければならないものが山ほどあることも事実だ。一方地方は、長期的視野にたっての事業が必要だ。だから地方には事業は必要ないなどといってはいけない。お互い、歴史(戦後からでよい)も含め、経済や社会の勉強が必要だ。日本の危機はとうに始まっているから。決して他人事ではない。
2004/11/16
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事業は誰のため? このことを強く考えさせられた一日だった。 本日は、ある会社にプレゼンをした。大手ゼネコンとのジョイントで提案したが、延面積約100坪あまりでテナント3店が入る計画だ。正直、我ながらすばらしい案ができたと思っている。ところが、事業収支が合わないという。(施主)そうかな~?(私)手持ち資金ゼロ、全額借入で、建てて初年度からそれなりの黒字。いっても100坪あまりのテナントで全額借入という条件の中なのだよ!立派な収支だ!(なんで分からんの?)ところが、不満の声。いったいいくらが目標か・・との問いかけをしたが、その答えに目が点になった。色々考え方があって結構。しかしそれはまいったぞ。(アッケ)建築家がそこまで踏み込んでいいのか?と言われそうだが、・・・踏み込まなければならない!きちんと道理を教えてあげるのも親切というもの。施主(お客様)は神様、でも万能ではない。大切に思うからこそ、言ってあげなければならないときもある。安藤忠雄と出会ったころ、とにかく建築馬鹿にだけはなるな!とよく言われたものだった。建築を知らないから馬鹿、という意味ではない。建築のことしか考えていない馬鹿になってはいけない!という意味だ。経済やビジネス(商売)、政治や自然科学に関する本も読まなければならないと言っていた。安藤は当時30歳後半で境屋太一と経済について渡り合っていた。安藤の口癖は、「向こう側にあるものを見つめていくんだ!」お陰で、以来、言わなくてもいいことを言う、というような余計なお世話のコムースになってしまった。(笑)安藤にはきっと誉められることだろう。本日のテナントの提案にしたって、施主が何を求めているか察知しての提案だった。これ以上のものはないという自信はある。大手ゼネコンの広島支店で事業計画を作成したのだが、手前味噌の話だが、お褒めの言葉をいただいた。生意気だが、自信がある。不動産賃貸業をよくよく意識しての基本計画だ。事業には色々な側面がある。 不動産賃貸業もサービス業だと思っている。つまり施主(家主)はサービス側の人間だと思っている。店子(たなこ)はお客様でしょう。店子は子も同然でしょう!子の成功を祈らない親はいないでしょう!大きな利益だけを見つめるのは勝手だ。でもほんとにそれでいいの?店子がつまずいて空室になったらどうするつもり?皮算用もいい加減にしてほしいものだ。考えなければならないのは店子の成功でしょう!空いたら次の店子を入れればよい?何をたわけたことを言ってるの!建築家としてのポリシーから、申し訳ないがこの根本が分かっていないお方の仕事はしたくない。もう少し勉強されたら如何ですか!と思わず言いかけた。テナントはいわゆるインキュベーションルーム。テナント業とは、起業家への支援事業に他ならない。これが分からないお方にテナント業をする資格はない!つくったってどうせろくなことはない。住宅の建築では、本当に幸せな家庭を築くのだ!という思いがヒシヒシと伝わってくるが、それこそ私自身のパワーの源だ。テナント業だって、ほとばしるほどの社会貢献意識で向かってほしいものだ。志のある創業者の後押しをすることが、大いなる社会貢献となることをだれか教えてやってくれ!コンサルタントは何してる?あんたらも分かってんの?儲けてはいけない!などといっているのではない。順番を間違えるな!といっているのだ。店子を成功させて、大家もしこたま儲ければよい。だれが文句をいうものか。
2004/11/15
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メタボルフォーゼ ホワイトアンドグレー ポストモダン リ・インカネーションこれらは建築の世界のいわゆる分類や手法といったものを表す言葉だ。一般的にもよく使われているのでご存知の方も多いと思う。ユーミンは、常に感性のアンテナを張っているので、これらをいち早く嗅ぎ取り、曲やアルバムもつくってきた。時代の最先端にいるミュージシャンとして若者に絶大な人気を得ていたが、我々建築の中にいた者にとっては、当たり前なテーマであった。これらは、経済の世界でも使われ、科学の世界でも使われる。メタボリズム(新陳代謝)はもともと医学用語であるので、むしろ建築が使わせてもらったと言える。いつのまにか聞かれなくなったこれらの言葉は、建築の中ではもちろん生きている。それらの分類や手法は、建築の中で胎内化され身体の構成要素と化している。時代の最先端を知りたければ建築の真髄に触れればよい。そうすれば時代の方向性が読み取れる。評論家のあたるあたらぬはっけとは違い、聞こえ出したらすでに顕在化しだしていることだ。しかし世間にはまだ届いていない。これにより、私は島根県という片田舎にいながら、日本中のこと、いや、世界の潮流が見て取れる。デザイン(芸術)は世界を創り出す。いやデザイン(芸術)は、現代の思想・思考を顕実化する、代弁する。世界の最先端を知りたければ建築の世界に目をこらせばよい。テレビで流れているコマーシャルにはたくさんの先進的なあるいはトラディショナルな建築が登場している。先端ファッションのそれには、マルセイユのコルビジェの作品(ユニテ・ダビタシオン)が登場したり、吉永小百合のテレビコマーシャルには北京でつくられた隈研吾の竹の家が登場したり・・・建築は文化だ。だから古いも新しいもない。良いものは良い。つまり、芸術性があるかないかだ。メタボリズムの次に私の目の前に現れたのは、モダンなアメリカの住宅群だった。ホワイトアンドグレーといわれた建築家達だった。チャールズグワスミー、ローバートシーゲル、リチャードマイヤーたちだった。建築雑誌に釘づけになってエスキスを重ねたものだった。その次がポストモダンだった。チャールズジェンクスの著書は私にとってとうとう解読不可能だった。そこへ黒川紀章が登場するものだからさっぱりわけがわからなくなった。あんたはメタボリズムでしょう!といってもしょうがないか。ときどき登場したマリオボッタやフランク・O・ゲーリーにも惹かれていた。今年、あたらしいディズニーホールがゲーリーによって完成し、ときどきテレビコマーシャルに登場する。子供の頃、鉄人28号の口のあたりにあるマスクのようなものに興奮を覚えたが、そのような外壁(チタンだろう)をもつ建物を手がけた。本能的に気になった建築家がこのように後々世に出てくることはまんざらでもない。自分にしか分からないことだが、もしかしたら俺は通用するかな・・という思いになる。リ・インカネーションの真っ最中に安藤事務所に入り浸りになっていたので、特に中ノ島プロジェクトに向けての安藤忠雄の思いを目の当たりにできたことはラッキーだった。現代の巨匠と言えば、安藤忠雄、ジャンヌーベル、レム・コールハースというところだろうが、これからの建築家としては、日本では、妹島和世・隈研吾・坂 茂、日本でときどき活動しているクライン・ダイサムは要チェックだと思う。ゲーリーは今後どうでるか・・見守っていきたい建築家だ。-------------------------------そうそう、もう一人大切な建築家を忘れていた。ブルース・ガフだ。フランク・ロイド・ライトにも影響を与えたという建築家だ。19世紀末に活躍した建築家で、その建築はえもいえぬ魅力を持っている。
2004/11/14
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現代建築の世界を開いた祖として、コルビジェ・ミース・ライトという3人の建築の巨匠がいるが、その後、カーンが第4の巨匠と呼ばれ、そして第5の巨匠に安藤忠雄が位置付けられようとしている。コルビジェの生きた時代は、第1次大戦、第2次大戦とまさしく激動の時代だった。その中にあって、自らの「建築」を確立しようとした・・・いや、建築の本質を発見しようとしたエネルギーは、ただただ凄いというほかはない。なぜ、やりおおせたのか。やはり純粋なまでの自分自身の本質の中で素直に生き抜こうとしたからだろう。それは決してテクニックなどではない。コルビジェにはとても学ぶべきものが多い。以前の日記にも書いたが、経済誌たるプレジデントになぜ安藤が度々登場するのか。単なる建築の紹介などではない。つまり安藤の求める本質が、実は経済にも通ずるところがあるからだ。コルビジェのそれもまったく同様だ。 自己を宣言する 革命をおこす 芸術へと昇華する。 究極の目的は芸術の完成だ。 芸術性の追求は、すべての物事に通用するもの、あるいは規範となるものではないのか。 私は、私のビジネスたる建築の世界で「芸術」を探求していく。安藤事務所の事務所の有り様も芸術的だ。(建築だけではなく、事務所運営も) それぞれの会社の組織も、扱う商品も、人も、すべてが究極の芸術を求め完成させていく行為にほかならないのではないのか。これがボケるといつか迷走をはじめる。会社を維持するだけの目的で運営が行なわれることになる。思い切って言えば、この芸術性の欠如こそが、昨今の企業論理でのみつくられた商品群のありようにつながっているのではないのか。求めるべきものは「芸術」だ。芸術的な経営を追求する姿勢。顧客に喜んでもらえる芸術的なまでの価値ある商品を生み出そうとする姿勢。(値段の問題ではない)政治にも、教育にも、なんにでも共通するものではないのか。これをパートナーや仲間達と共有することができなければ、その活動は無意味なものになってしまうのではないのか。 私の現在は革命的活動の実践。 私の近未来は、芸術の完成。 おおげさかもしれないが、コルビジェの時代と比べれば幸せな時代だ。もう少しまじめに(芸術を追求して)生きていかなければならないのではないだろうか。
2004/11/13
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いよいよ比津の家の工事が始まる。本日は、久しぶりにD&CM方式業者打ち合わせ会を行なった。比津の家とともに東出雲の家も12月から着工となる。D&CM方式もいよいよ本格的に盛り上がってきた。比津の家の今後のスケジュールを検討したのだが、概ね決まった。現在、確認申請の最中であるため、正式にスケジュールが決められないが、来週の後半には決まるだろう。その他、雨漏りの改善について打ち合わせを行なったが、みんな真剣に改善策を考えてくれた。なかなかよい案が出てくるものだ。これが、これからのノウハウとなる。「建物が完成しても終わっていない!」これが私達の理念だ。雨漏りをした坂本町の家は、内部の壁を大きく開けて徹底的に調べることにしたが、実際空けてみたら漏れているのはほんの一部で、下地の美しさ(仕事のよさ)を施主さんに披露する形となった。えらく感激の様子であったらしい。思い切って出費を覚悟してほんとによかった。なによりうれしかったのは、職人がしっかり仕事をしてくれていたという事実だ。もちろん信じてはいた。しかし、四六時中現場に付いているわけではないので分からないことがあることは事実だった。信頼すれば信頼を返してくれる。いや~、ほんと、いい仲間に囲まれて幸せだ。これからますます自信をもって職人方を紹介できるというものだ。「杜をつくるコーポラティブハウス」はD&CM方式で建設する。予定では一挙12棟をつくる。私は確信した。彼らとなら絶対にクライアント(施主)の信頼をいただけ、地域にとってのよりよいコミュニティが出来上がることだろう。
2004/11/12
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本日は新聞社の取材を受けた。コーポラティブハウス「湖畔の集合住宅」が新聞に紹介される。ソフトビジネスパーク島根のテクノアーク島根のインキュベーション施設に入居している企業(当社)の事業がいよいよ開始されるということで、しまね産業振興財団よりプレスリリースされるというものだ。取材は長時間に及びコーポラティブハウスについて徹底的に質問された。「湖畔の集合住宅」は、松江市一番とも言える最高のロケーションの地に建つ一戸建てに匹敵する(あるいはそれ以上の)面積(50坪)を有する住戸は、30坪の分譲マンションの価格と変わらない。よい感触を得た。来週はコーポラティブハウスプロジェクト会議を開催する。マスコミ報道と共に本格的に募集開始だ。新聞社は、新聞以外に地方経済誌にも特集で載せることも約束してくれた。さらに、いずれ、自治体との共同事業である「杜をつくるコーポラティブハウス」も特集していただけるという。いよいよ山陰に、本格的なコーポラティブハウス時代の到来だ。
2004/11/11
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湖畔の集合住宅の一番の壁がクリアできたことで、事業が本格的に動き出すことになったが、同じ日に、自治体と共同して行なう街づくりプロジェクト、「杜をつくるコーポラティブハウス」もいよいよ佳境に入ってきた。自治体の担当課との協議を行なったが、議会対策も万全。市長も先刻納得済み。コーポラティブハウス「経堂の杜」で見られるように、自然共生型のコミュニティを創ろうというものだ。もともと自治体開発の団地開発地がなかなか売れないことにより、なにか方策は?ということで提案させていただいた事業だが、従来の通り一遍の区画された団地開発は、碁盤の目のようで一見美しそうだが、塀で囲まれた街区は閉鎖的で、おまけに既製品の住宅のオンパレードとくれば情緒もへったくれもない。どうせなら、全国発進できる事業に、ということで提案したが、いよいよ日の目を見ることとなる。12月初旬に発表されることになっているので、それまではホームページで模型やCGをお見せすることはできない。一戸建ての住居がランダムに10数戸ならび、その周りにはクヌギなどのどんぐりの木が覆う界隈だ。どんぐりははじめは小さい。しかし時とともに大木へと成長する。その成長の過程を子供達が体験する。みんなで創り上げるコミュニティ。自然と共生するコミュニティ。しかもそれを自治体と当社で創り上げる。このコミュニティは、子育ての不安や、老人世帯の孤独感などは無縁のことだろう。売れるための手立てではない。よりよき地域づくりとして事業だ。みんなで「全国発信しよう!」をキャッチフレーズに組立ててきた。議員さんたちと、つなねコーポラティブハウスやネイキッドスクエアに視察に行った。つなねでは、お二人の住民の方が、わざわざ仕事を休んで迎えてくれた。なぜなら、本物のコーポラティブハウスができることを願っているからだ。さまざまな方々とのふれあいの中で、期待が確信に変わった。市長はもとより、議会の経済建設委員、担当課の方々。そして私。これだけ、自治体の方と一体となったことは初めてだ。昨日は、最後の詰め。喧喧諤諤やりあったが、すべて成功に導くためのおしくら饅頭。みんなで、「クライアント(施主)・顧客・住民」を見ている。「目的が共有できる」ということが、大きな原動力だ。
2004/11/10
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本日、県の環境自然課より連絡があり、宍道湖のほとりに計画中の「湖畔の集合住宅」について、景観条例に照らし、問題なし!との回答を得た。 これで名実ともに晴れて公の募集ができる。新聞の取材も明後日に決まり、いずれ広く世間に知られるところとなるだろう。これからが本番。いわば仲間探しだ。コーポラティブハウスは理念を共有できる人でないとうまくいかない。世の中サービスの内容でいいわるいを判断する風潮だ。もちろん、企業側の営業努力の部分として大切なことではあるが、過剰なサービス競争によって人間が甘やかされてしまっているのでないのか。コーポラティブハウスはサービスをしてくれるデベロッパーがいない。文字通り自分達で積み上げていかなければならない。私はコーディネーターとしてお手伝いしていく立場だ。サービスを提供する立場ではない。これから色々なことがおこり、それを乗り越えていくことだろう。楽しみだ。わくわくする。コーポラティブハウス事業での私の師匠の建築家の伴年晶氏いわく、コーポラティブ事業が進み、完成が近づいてくると、そのコミュニティの中に自分も参加したい衝動に駆られるという。自宅はひとつでいいので、コーポラティブハウスをつくるごとに一緒に住むというわけにはいかない(笑)のだが、その気持ちが痛いほどわかる。既に参加表明しておられるよっしいさんとは、度々協議を重ねているが、自分の住家をつくる思いになってきている。しかしいつか、このコーポラティブハウスを遠くから眺めている自分がいて、一つ一つの照明に照らされた窓を見て、完成までの道程を思い起こし「よかった。」とつぶやくことだろう。と同時に、一緒に住みたい衝動に駆られながらその場を去ることだろう。いつものことだが、住宅が完成し引渡が行なわれた後、数日後に立ち寄ったときに、「そうなんだ、これは私の家ではないんだ。」と、ふとさびしい思いになる。理窟では分かっていても、やはり、手がけた建築は思いがある。このコーポラティブハウスは足掛け4年の時を経ている。その時には、さぞ強烈に思いが襲ってくることだろう。 「湖畔の集合住宅」の詳細は下記ホームページ 湖畔の集合住宅へジャンプ
2004/11/09
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私と建築との出会いは中学2年の時に見たフランク・ロイド・ライトの落水荘(アメリカ・ペンシルベニア・カウフマン邸)であることは以前の日記で書いたが、日本の建築家ではじめて意識したのは黒川紀章(きしょう)であった。しかしその後、黒川からは意識が離れてしまったが。黒川の創り出す作品自体にあまり魅力は感じなかったが、メタボリズムグループとして川添や菊竹とともに若手の騎手として注目を浴びていたからだ。その後、仏教思想(仏教に違和感があるわけではない)に基ずく「中庸」というものに傾倒していったことにますます距離感を感じたものだった。黒川は、作品の中で中庸な部分を中間領域と称して訳のわからないスペースを設けたりした。たとえばオフィスビルの中に幅30センチの小川を流したり・・・なぜそれが必要なのか分からなかった。中間領域(かな?)で言えば原広司の空間にはなんとなく魅力を感じていた。原の作品といえば,大阪スカイビルが有名だが、最近では札幌ドームを設計している。圧巻なのは、京都駅のコンペに当選したことだった。京都駅が出来たときに非難ごうごうだったが、私としてはアレはアレでいいのかなと思った。長大な中間領域の実現と言えなくもないからだ。21世紀になり感ずることは、20世紀の芸術(?)活動では、白黒はっきりさせる、というか、自分にとってイエスかノーか、という選択眼で感じる世紀だったように思うが、21世紀になってからあきらかに思考の変化が見られる。前記の黒川のいう中間領域とは違うものだが、ただ、リアルもサイケも同じ土俵に乗せることができる時代、懐広く、様々な思考を受け入れる時代になってきたことも事実であろう。ことによれば、安藤建築に見られる建築と一体となった水辺の空間をはじめ、第4世代、第5世代の建築家の創り出す作品群には、この中間領域とも解釈できる空間が当たり前に見られるようにたなってきた。中世の時代から、いきなり現れたコルビジェの代表作であるパリのユニテ・ダビダシオンの高層コンクリート建築、サヴォワ邸に見る開かれた空間とピロティの出現、ミースの、モダンの象徴であり、現在もっともポピュラ-な高層建築のプロトタイプとなったガラス張りのスカイスクレーパーの出現、日本の大手ハウスメーカーの見本となっているライトのプレイリー住宅など、20世紀は、今までの世紀には無かった色々なものが生みだされた。近代から現代へと移行する中で、様々な矛盾が生じてきた世紀ではなかったのか。現代人は、生まれたときから成熟(?)した世界に生まれてきて、すべてがあたり前と思っている。あれだけデリケートな扱いが要求されていた「中間領域」という思想はもはや意識するとはなしにそこに存在している。決して悪いことではない。が、しかし、対峙の中に深遠なる思想を見出せることが多いのも事実。芸術を意識するには緊張感が必要だ。深い意味のある物事を軽く扱うことだけは止めて欲しいものだ。深遠なるものに思いをはせるのも豊かな人生の源ともなる。身近なものでも、とても意味が深いことは山ほどある。特に「建築」は常に人間とともにあるもの、少し意識を向けるだけで身近な芸術にひたれる。直島のベネッセの地中美術館には是非足を運んでほしい。安藤忠雄とジェームス・タレルとのコラボレーションは特に圧巻だ。この建築、20世紀にはもしかしたら実現不可能であったに違いない。
2004/11/08
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たまにはオブザーバー参加しては・・という声に押されて先々週の島根県起業家スクールに顔を出してみた。ちょうど、タペストリー作家のSさんが、ご自身が手掛けようとしておられる事業のプレゼンを受講生を前にして行なっておられた。その事業はおよそタペストリーという領域のことではなかったが、芸術家としての領域内で同じように芸術性を見出されたことにより手がけられていることが容易に見て取れた。しかし、Sさんをあまりご存知ない方にとってはなぜこの事業か?ということになりはしないかと思い、発表の後の意見交換の際に思い切って発言した。Sさんは著名な建築家が依頼してくるほどの力のある作家であること。タペストリーを手がける理由とともに、この事業が芸術家として同心円の事業であることをプレゼンでしっかり語らなければ伝わらない!と申し上げた。Sさんにとっては的を得たことだったようで後で色々お話できた。しかし、少しショックだったのは、その意見交換の場で私のコメントに対して他の参加者の方から、「芸術などという非日常的な・・・」などという言葉が発せられた瞬間に、私やSさんが考えている芸術と一般(?)の方々が捉えている芸術というものの解釈に大きな隔たりがあることを感じたことだった。その方にとっては芸術とは非日常的なものらしい。私たちにとってはきわめて日常的な事象として捉えている。私達のいる社会、いや宇宙は芸術に満ち満ちている。例えば、企業で言えばトヨタ自動車の経営を捕らえたとき、そこに芸術的経営を見出せる。つまり経営の中での美の追求だ。看板方式と言うトヨタ独自(今ではどこもやっているが)の受注生産体制もこれは芸術性の追求に他ならない。シンプルisベスト!企業のQC活動にしても、単なる生産性の向上だとかムリムダムラの排除だとか、業務として狭く捉えている会社はうまくいかない。QC活動がうまくいっている会社で共通しているのは、経営者が芸術家であるということだ。つまり企業経営を神聖に考え、ここに集う仲間(社員)に崇高なまでの畏敬の念を抱いている。京セラの稲盛名誉会長は、そういう意味での大芸術家であろうと思っている。安藤忠雄がプレジデント(経済誌)にちょくちょく登場し、世の企業経営者に親しまれているが、安藤の芸術感というものが、非日常的なものではなく、日常的にあるすべての物事を捉えており、人間関係しかり、企業経営しかり、政治しかり、自治体の運営しかり、という具合だ。シンプルな中に芸術性を求めていくことで経営力のある会社が創られたり、産・官・学・地域が一体となって芸術を探求することにより、よりよい自治が生まれる。最近の例では青森県が安藤に依頼し芸術センターをつくったが、決して非日常的な空間ではなく、地域住民のレベルが確実に向上してきている。前記の御仁のように「芸術みたいな非日常的な・・・」などというレベルではなくなってきている。日ごろ私達の抱く理念こそ芸術感であり、それぞれのやりたい事業の追求こそ芸術活動に他ならないのではないか。整理整頓は作業の効率化を生む、ということにしても、芸術的感性に他ならないのではないだろうか。朝出かけるときに洋服を選ぶではないか、これってそれぞれの芸術感に照らして選んでいるのではないのか?ダリとかピカソとか、キュービズムやダダイズムの超芸術的世界こそが芸術だ!と思い込んでいるのではないか?そもそも私達人間も神聖な芸術作品ではないのか。芸術を日常的なものとして捉える。・・・欧州では当たり前のことが日本ではすっかりしらけてしまっている。まじめに語り合うことを拒否しおちゃらけている。そんな日本の有り様が世界中から笑われている。(そう思って間違いない)日本の文化はどこへ行った?とは外国から来る方々と話す中での共通の話題だ。自然も自然と言う芸術だ。だから、甲州を旅したときに見た八ヶ岳連邦の自然のパノラマを見たとき、いかなる名建築も太刀打ちできないものを感じたものだった。そういう意味での日常的なものとして、建築は芸術だ。私は、クライアントと一緒に、地域にとってのかけがえのない芸術を創りたい。
2004/11/06
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本日は比津の家のクライアント(施主)のNさんご夫妻と各専門業者との契約前の最終の顔合せ・確認を行なった。契約交渉を代行していた身としてこの日を迎えたことは感無量だ。以前の物件では、この期間の交渉に一生懸命になるあまり経過報告を怠っていたため、いつのまにか不信感を持たれていたことがあった。基本設計が終わり実施設計に入ると比較的打ち合わせの必要回数が減るが、この期間も要注意だ。まさか不信感を持たれていたとは心外だった。基礎屋の親父やうるさ型の各業者連と丁々発止けんか腰でやり合っていたのは何のためだったのか?と落ち込んだ時期もあったが、やはり我々専門のものが当たり前と思ったことでも一般の方にとっては未知との遭遇の連続であろうことが自覚でき、今は明るく生きている。そのクライアントも家の出来栄えについてはすこぶる満足なのが救いだ。このようなこともあって、できるだけ業者と会っていただくようにしている。私の足りなかったのはコミュニケーションだった。コミュニティの新たな創造を標榜する私がコミュニケーション不足で不信感を抱かせてしまったのだからしゃれにもならない。いいも悪いもすべて表に出して、人間裸のコムースでこれからも勝負だ!欠点は直せばしまいだ!長所はさらに伸ばせばよい!良くて当たり前がプロ! こんな私だが、とにかくクライアントの夢の実現が私の夢だ!少々誤解されようが、心にやましいことは何もない。クライアントを思う気持ちは誰にも負けない。従って、ひたすら邁進するのみだ。
2004/11/05
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やっぱり異常?(笑)私の周りには起業家(燃える集団)が多いせいかいつのまにかテンション高めになっていたのかもしれない。ソフトビジネスパーク島根にはたくさんの産学官の仲間がいるが、やっぱ異常なんだわ!(笑)いつのまにかテンション高くなっていたんだな。久しぶりに会った知人から、あなた変わったね。と言われた。誉め言葉かどうか(笑)分からないが、「いや恐縮です。」と(笑)ポジに受け取る自分がおかしかった。別に後悔も気にもしてないし、方針変えようとも思わない。夢の実現!とか、夢しか実現しない!とか、夢の計画化!とか・・・どう考えてもとても大事なんだ。異常といわれてもやっぱりテンションはますます上がっていくばかりだな。とことんやりますか!起業家は逞しいぞ~!
2004/11/04
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夢は必ず実現する。本日は、くにびき相互支援ネットのi-yukkiさん一家が事務所にこられた。島根県起業家スクール第4期生として夢の明確化に取組んでおられるが、「自分が明確に決める」ことの大切さに気づいたという。まったく同感だ。夢は必ず実現する。それも、明確に決めるだけでよい。自分が明確に決めれば、自分の周りにいる人も何を目指しているか明確に見ることができる。したがって支援のしようがあるというものだ。南比津の家は最終予算が決まり、各専門業者と最後の調整だ。最終だからこそきっちりやろう、という業者の方々の気持ちが伝わってくる。 クライアント(施主)から示されているの明確な夢。私も各専門業者も明確だからこそ明確に理解できる。だからこそいいかげんなことはやめよう!という。 当然だ。今週末には契約の運びとなるだろう。夢は必ず実現する。明確に決めればよい。
2004/11/03
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コーポラティブハウス「湖畔の集合住宅」の募集を開始した。 実際には、コーポラティブハウスの募集は以前から行なってきており申し込み順に決定していく方式をとってきている。とはいうものの、今回、この物件の計画が大きく様変わりしたこともあり、けじめとしてここで改めて広報しなければならないと思っている。この物件の反響はなかなかよい。できるだけ多くの方に「ここに住みたいな~!」と思っていただくことが大切なことだ。コーポラティブハウスということから、このような高層(中層)の建物になるとコミュニティの形成が難しいのではと言われる方がいらっしゃるがまったくそのようなことはない。理窟の上からでも明らかなことではあるが、実例として、先日、大阪寝屋川市のコーポラティブハウスネイキッドスクエアに視察に行ったが高層(中層)のコーポラティブハウスも立派にコミュニティが形成されていた。ネイキッドスクエアのように、「湖畔の集合住宅」も1階ホールにかなり広い交流スペースを設けている。このスペースをどのような形にしどのような使い方をするのか入居者同志が協議していくのだが、このような協議の場でお互いが触れ合う中で入居者相互のコミュニケーションが確実に図られていく。 敷地には斜面として残る緑地がある。この部分をどうするのか?子供達が喜ぶような仕掛けを考えていくことも、胸躍る作業になることだろう。反響は大きい。この反響が住宅取得を目指している方々にストレートに届くことを祈るばかりだ。 「湖畔の集合住宅」の詳細は下記ホームページをご覧ください。 ART-CRAFTへジャンプ
2004/11/01
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