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昨日の昼前に松江に帰ってきて、午後からある親子と私の作品をめぐった。坂本町の家(日記に写真掲載)は一見すると和風だが、和風を意識して計画したわけではなかった。夫婦・親子で意見が分かれた。和風がよい、いや、洋風がよい。「和風や洋風かはどうでもよく(あえて言えば)どんな暮らし向きがよいか、どんな空間よいか、風景になじむ形態は?ということを考えていきましょう。」計画案をたたき台にイメージを膨らませていった。和風がよいと言っていたご主人も満足、洋風がよいと言っていた奥様お子様も満足していただいた。1尺3寸の構造材がむき出しのダイナミックな空間は圧巻だ。色々な方をご案内するが、施主ご夫妻が、あたたかく迎え入れていただいている。このあと、国屋町の家、田和山メディカルスクエアーと巡ったが、町に作品がなじんでいっている様子に、私自身が改めてうれしく思った。 坂本町の家 設計:コムース
2004/05/31
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昨日は広島だった。一泊し本日帰った。広島で活躍中の女性建築家の誘いでコーポラティブハウスを推進する若手建築家の集会に参加したのだが、実に有意義なひと時となった。講演会もよかったが、その後の懇親会さらに2次会ととてもよいふれあいのひと時となった。講演会の講師は、コーポラティブハウス「経堂の杜」と最近、日経アーキテクチャーで紹介された「欅ハウス」の設計者・コーディネーターである建築家の甲斐徹郎氏だ。2次会では甲斐ご夫妻の隣の席となり、特に奥様とは色々お話できた。私が現在ヒルハウス(段上住宅)形式のコーポラティブハウスを進めていることをお話したら、文京区の事例を紹介していただいた。今度東京へお邪魔することにした。また一人知り合いになれた。いずれ友人といわれる仲になれればさらによい。志が同じ人はいるものだな。この縁を大切にしていきたい。
2004/05/30
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この物件についても以前の日記で紹介した。写真家 植田正治氏の「松江」に載っている由緒ある建築の再生を行なう。築99年の建物はきわめて状態がよい。リニューアル可能だ。この文化的な事業(といってよいだろう)を手がけることができることはとても幸せなことだと思っている。本日、打ち合わせ会を行なった。元請の竹中工務店。下請けの各専門業者。この中には塗装家だいぼさんもいる。本日は欠席だったが、ハッピーCさんも主要メンバーだ。基本設計が固まり、実施設計に入っていく中で、いずれ工事に参加するであろう方々に集まっていただいて知恵を結集する。このことに竹中工務店も大いに賛同していただいた。ようするに、よい意味で、建築家も元請も下請けもない。みんながプロジェクトメンバーだ。次回には施主さんも参加してもらい、みんなでよってたかって文化財(といってよいでしょう)を創り上げていくのだ。竹中にとってみればミクロの世界のような仕事だろう。しかしマクロな意味を持つ物件であることを感じ取っている。これからのスケジュールが決まった。12月中旬の完成をめざす。古民家再生はとかく黒い(あるいはこげ茶)木材に仕立てられている。私が古材の色を抜くといったら第3者から異論を唱えられてしまった。私は言った。「それはあなたの既成概念だ」と。私は託された建築家として導き出された思いであくまで進めていく。「全部色を抜くんだ!」断じて! 完成すれば意味がわかるだろう。 和田見の家(商家の再生) 設計:コムース 1階 模型 2階 模型
2004/05/28
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この物件は以前の日記でも紹介した。精神障害はいわゆる障害ではない。病気であり、誰でも例外なくかかりうるものだ。誰でも風邪をひくのが当たり前のように。風邪をこじらせると肺炎になったりして入院をして治療する。精神障害もこじらせると入院をして治療する。精神障害は風邪と違い社会に復帰するためには授産施設のようなところでのリハビリを行ったり、そこを活躍の場としてしていく。通所授産施設は一般的に郊外に設けられることが多い。施設建設費の調達は大変で、それにより土地単価の安い郊外での立地となる。この物件の施主である社会福祉法人の女性理事長は、なんとしても街中に施設をつくるのだ!との気概で進めてこられた。私は設計を託されたとき打ち震えるものがあった。この地域は古い商店街となっていて、昔の栄華はもはや微塵もないが、若い商店主の息吹は将来を変えうるなにかを感じさせる。一方、デザインなんとかという市の諮問委員会のようなところが町並みは和風にすべし!というわけの分からん答申をだしているようで、私に、コンセプトもなにも聞かず、「ここはそんな町並みにすることで申し合わせが行われているので。」というお達し。何の権限もない話ではあるが。私は今のデザインでいく!と断言した。施主も、建設委員会もご近所の方々も今のデザインを認めていただいている。精神障害者通所授産施設「まるべりー松江」。この建物はファッションビルだ。いわゆる健常者も障害者もない。だれでも入りたくなるようなそんな空間を創り出すのだ。この界隈の人々もこの施設を暖かく迎え入れてくれる。界隈の人々もよりどころがほしいのだ。ご近所に貢献できる、そんな施設にしよう!それを合言葉に進めている。現在実施設計の最終段階を迎えている。8月には工事着工となるだろう。入札を経て建設会社が受注することとなる。工事中に、支障がない限りのことで、みんな工事に参加しよう、自分たちの施設をみんなでつくろう!来年の4月の開所に向けてみんなですばらしい思い出をつくっていこう!みんなも思いが込められた施設。中心市街地の中心的な建築になっていくことだろう。 精神障害者通所授産施設 設計:コムース
2004/05/27
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この物件は民主医療機関に依頼され計画したものだ。仕事というのはとかく政治的なからみで決まっていくことも多いので私が設計を任されるかどうかはわからない。しかし、計画案を組合員総会でプレゼンできたことだけでもよかった。建設予定地の立地を選定する作業や、どのような施設が求められているのかいろいろな方々と話し合えたことはよい経験になった。この計画では、診療所とデイサービスが併設されたが、外部に開かれた施設を目指した。軸線をずらして配置し、さらに軸線をずらした2階を載せ、そこにできた隙間を外界との中間領域とし、できるだけ開放的にした。 診療所計画 設計:コムース
2004/05/26
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このプロジェクトは醸造家バッシーさんの事業の生産部門の拠点となる施設(醸造所)のイメージ案を提案させていただいたものだ。設計という仕事、なかんずく、建築家としての仕事というのはことによればクライアントの事業の真髄まで踏み込んでしまう。クライアントにすれば余計なお世話な部分もあるかも知れないが、物事、かかわるもの同士がお互いの領域に少しずつ踏み込まないと隙間ができてしまう。重なりが大切だと思う。なぜなら、どのような事業においても「建築」は重要な部分であることは間違いないからだ。コミュニティワイナリー事業。知れば知るほどすばらしい事業だ。農業そのものの本質をしっかりみつめ、それをワイン文化にまで昇華し、消費者と生産者が一体となる。私は既存のワイナリーのイメージを崩したかった。いや、建築家コムースのワイナリーはこうだった、というほうが正しい。アンチテーゼではない。そんな狭い領域の意識ではない。グローバルな広がりから導きだされたデザインだ。 コミュニティワイナリー 設計:コムース
2004/05/25
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今月連休明けに田和山メディカルスクエアーが開院した。この地域は新たに区画整理された地域で、商業系の建物がたくさん建ち、松江市の南地区の拠点となる地区となった。商業系の建物は、デコレーション的な建物が多く、色彩も鮮やかだ。建築家としては、表面的な装飾を施した建築は好みではない。やはり何であろうと時空を超えて存在できるデザインを求めていきたいと思っている。この皮膚科クリニックと調剤薬局とで構成する田和山メディカルスクエアー(勝手に銘銘)のコンセプトは「杜の街」だ。木をたくさん植えるのも杜の街だが、木づくりの建物とわずかな植樹で杜の街を実現したかった。カラフルな街にブラック(正確には、ダークなワインレッド色)な建物の出現。振り返る人が多いのは正直うれしい。私はスタッフに多くの模型を作らせる。計画の初期でのスタディ模型。ディテールを検討する部分模型。こんな手順を踏みながらこの皮膚科も完成の日を迎えた。 伊藤皮膚科クリニック 設計:コムース
2004/05/24
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この物件もコーポラティブハウスとして計画した。しかし、この物件は志半ばで取りやめとなった。松江市街と宍道湖を見下ろせ木々に囲まれた絶好の地であるが、ただ標高が高いため住宅地として成立したかどうかは分からない。神戸を考えればなんてことはないのだが。自然な景観を壊さないように、敷地を安易に広げるのではなく斜面をそのまま使って計画した。この小単位のコミュニティは木造・板張りでつくりたかった。この物件の実現は最早有り得ないが、ドイツでよく見られるような自然の中にあるコーポラティブハウスをいつか実現させたいと思っている。ドイツなどでは、住まいを創るにあたり、まず家族で文化を語りあうことからはじめる。自然の景観に溶け込む住まいとは・・・私たちのライフスタイルは・・・私たちの夢を実現してくれる建築家は・・・日本はどこから始めるのだろう。モデルハウス・・・?ショ-ルーム・・・?ま~いいか。とにかく景観にマッチした建築を考えることが大切だ。 山麓の集合住宅 設計:コムース
2004/05/23
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松江市は宍道湖に面している。この計画地は松江市の北西にあり、宍道湖を南東に見下ろす絶景の地だ。松江市でここのほかにこれといった絶景の地は見当たらない。以前から目を付けていたところだが、ようやく地主を説得し、事業計画にこぎつけた。メインとなる参加希望の方も決まり、母体となる「和長屋」同人会も設置された。本格的な参加者の募集活動はこれからだ。この計画案(イメージ案)どおりにいくなどとは毛頭思っていないが、建築家として、こんなイメージはどうでしょう!、というプレゼンは大切ではないかとの思いで企画してみた。ヒルハウス(段上住宅)は、エーゲ海のミコノス島をイメージした。湖面をわたる風を感じながら暮らせる住まい。松江市内に5分の地で、まるでリゾートの雰囲気を味わえる。ここに住めば別荘は要らない、そんなシチュエーションだ。私は松江が好きだ。生まれ育ったから言うのではない。いろいろ旅する中で、こんなにいろいろ兼ね備えているところ、仕事ができて癒されるところはない、と感じているからだ。以前の日記にも書いたが、宍道湖・中海経済圏は約70万人が住んでいる。私の商圏はこの70万人だ。それに、街の真ん中で1m級のスズキが釣れる。山陰海岸に15分もあれば着く。大山スキー場へ1時間もかからない。出雲空港へ30分。中国山地の自然の中には1時間も走れば入れる。絶景の地は腐るほどある。(表現が悪いが)などなど。商圏があって自然があって。こんな中で、この湖畔の集合住宅が住む人にとっての心豊かな基地になっていくことを願っている。 湖畔の集合住宅 設計:コムース
2004/05/22
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ほぼ1年にわたる基本設計というより基本計画の末にようやくまとまった計画案。施主・建築家ともに、妥協を許さない性格なものだからこんなに時間が経過してしまった。この物件で私の概念がひとつ進化したように感じている。コートハウスというのは密集した住宅地の中で、周囲の目を気にしないプライベートな空間を確保することにある。安藤忠雄の「住吉の長屋」は究極のコートハウスだと思う。つまり、コートハウス=密集地の住宅、とう概念を持っていた。N邸は、新しく開発された住宅団地の中に計画された。この団地は敷地の面積も広く、周辺の住宅も余裕のある建て方をしている。N邸での要求はコートハウスだった。正確にいうと、施主が私に伝えようとしているのがコートハウスだとは思わなかった。施主は計画案にクビをかしげる。かしげ続ける。何回も何回も計画をしなおした。ようやく私に伝わったとき、私の概念が変わった。施主の思いと一致した。そうか、コートハウスはどこでも成立するんだ!窓が道に面していてもカーテンを下ろさなければならない。真中に庭があれば全て開け放しで生活ができる、というのが施主の概念だった。お陰で、いつのまにか常識に捕らわれていた私の心は完全に解き放たれた。いつか、「あの住宅の設計でそれからの人生が変わった」。大げさかもしれないが、しかし、そんなきっかけを与えてくれた物件であることには違いない。 N邸計画案 設計:コムース
2004/05/21
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昨年7月、奈良市の「つなねコーポラティブハウス」を訪ねた。まさしく本物のコーポラティブハウスだ。よりよき自然なコミュニティが形成されていた。山陰地方にはまだコーポラティブハウスは建っていない。既製品の分譲マンションが多い中、入居者が一緒になって創りあげる集合住宅が望ましいと私は考える。そのオリジナリティ性とローコスト性などメリットは多い。松江市の北西に位置する宍道湖を見下ろせる絶景の地の地主を説得し進めている物件があるが、参加者(入居者)を募るのは容易なことではない。そんな折、松江市の南にある大きな住宅団地の中の、つながった3つの宅地が提供された。3区画をひとつの敷地にして4つの住宅を配したイメージ案を計画した。ここからコーポラティブハウスがこの地域において当たり前の存在になってくれることを願っている。 古志原のコープ住宅(イメージ案) 設計:コムース 1戸あたりの詳細木造3階建て 延面積36坪 取得予定額 3,000万円前後土地所有形式 - 持分割合所有建物所有形式 - 区分所有ーーーーーーーーーーーーー--------------- 室内イメージ写真 外観イメージ写真
2004/05/20
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先月、松江市田和山町に調剤薬局が完成した。この建物の設計の依頼を受けたのはもう2年も前になる。土地区画整理事業地を購入し建設する、というものだった。初めて敷地に立ったときに、建物は木造、外壁は板張り、色は黒、というイメージが瞬間的に浮かんだ。実施設計としての調整はあったものの、初期イメージがほぼそのまま崩れずに最後まで残ったケースは私の場合珍しい。接客ホールは高さ9mの吹き抜けとなっている。小屋裏まで吹き上げてすべての構造材を現しにしたい、と思い、この地域では現代の木の語り部として有名な(株)こびき屋(製材会社)の社長と、大工棟梁を設計段階から引き入れ組み上げていった。この空間はとても豊かな空間となった。吹き抜けに面する2階ギャラリーの手すり壁とブリッジの床はFRP製のグレーチングとした。2階社長室と吹き抜けとの境の壁はスリガラスをはめ込んだが、透明感のある豊かな空間が出来上がった。この薬局がにぎわうのは、来年(平成17年)の完成にむけ新築中の松江市立病院のオープン後であろう。集成材ではない本格的な無垢材の本格的な和小屋組、珪藻土を塗りこめた天井、杉板を張った内壁。この空間に足を踏み入れたとき一瞬でも豊かな気持ちになっていただけることを願っている。 乃木調剤薬局 田和山店 設計:コムース
2004/05/19
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- 思い出の作品 -このコンクリート打ち放しの住宅は昭和61年に設計したものだが、これは自邸だった。近年、残念ながら手放してしまったのだが、10余年にわたるここでの生活は私にとっても家族にとっても忘れることのできないものとなった。子供たちはここで育った。2階にリビング・ダイニング・キッチンを配したが、透明ガラスのトップライトから見える青空や星空、通過する飛行機に目を輝かせている子供たちの姿が忘れられない。冬寒く夏暑い。壁にかびも生えることもあった。家族全員で壁を雑巾がけ。美しい御影石のような打ち放しの壁がよみがえる。家と共に生活する(うまく表現できないが)、というか、胎内ではぐくまれる、というのか、包み込まれれているような感覚の中にいたような気がする。約10年にわたる安藤事務所訪問の集大成として、自分の中に醸成されたものを現した作品だ。ディテールは安藤先生の名作「住吉の長屋」を引用した。今の持ち主もオリジナルのままで事務所として使っている。これからも私の中では永遠の名作として残っていくだろう。 コンクリート打ち放しの住宅(松江市) 設計:コムース
2004/05/18
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- 思い出の作品 -今から20余年前に設計した建物だがとても思い出に残っている作品だ。賃貸の集合住宅なのだが、敷地が狭く、住宅金融公庫の規定やもちろん建築基準法に合致していないといけない訳だし、おまけにクライアント(施主)の要望にも応えなければならない。賃貸住宅は持ち家と違い、いわゆる賃貸アパート経営という事業であるため、クライアントは収益性、費用対効果を最優先する。その中で、建築家としてはいかに地域の原風景となる建築に仕立て揚げるかが問われる。どこでもある市営・県営住宅(アパート)のようなデザインでは建ったときからデザインが30年古いものとなってしまう。敷地が南北に長いため公庫規定でいうところの南に面した部屋を最優先とした建物となると戸数が取れない。そこで考えたのが、軸を45°振って、全室南向き。どうだ!とばかりに公庫に提出。なんせ今から20余年前のこと。担当者が「公庫では今までこんな建物見たことない!」と。「でも基準は満たしているでしょ。」と応酬。奥から課長がでてきて、「面白い!」これで決定。課長、あなたのお陰だ!と心で思い熱いまなざしを向けて御挨拶。今ならさほどめずらしいことではないが、当時はこれでも斬新だった。基本設計に約1年かかったが、この形態を思いつくのに随分苦労したことを思い出す。今もしっかりと管理されて建っている。周辺の建物が壊され駐車場になったために大きな道路から丸見え状態になったが、新しく建った建物と勘違いされる方が多いと不動産業者は言う。20歳代中盤の多感な年頃(今でも? 笑)の作品だ。 幸町の集合住宅(松江市) 設計:コムース
2004/05/17
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思えば遠くへきたものだ!は海援隊の歌のタイトルだが、まさしくそんな心境だ。100アップを意識していろいろ書いたのか、それとも書きたいから書いたのかよく分からなくなったが、日記癖が付いたのは間違いない。自分の気持ちの確認ができたり、というか自分発見の旅であるような気もする。なにはともあれ、私には建築しかないことがはっきりした。(いまさらだが)はっきりものをいうことの大切さも私のなかでは感じた。私のメインは身近なアナログ世界であることは間違いないが、また違うコミュニケーションができていることも感じている。自分自身の思いや活動を明らかにできるよきメディアとしてこれからも活用していきたい。-------------------------------100アップを記念して、これからの日記はビジュアル系に生まれ変わることにしよう。 国屋町の家(松江市) 設計:コムース------------------------------◇5月3日に淡路島と四国に安藤建築を訪ねる旅をした 大福寺 水御堂(淡路島) 設計:安藤忠雄 南岳山 光明寺(愛媛県) 設計:安藤忠雄 私の本家の菩提寺と同じ浄土真宗本願寺派のお寺だった
2004/05/16
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松江市内にある明治時代に建てられた商家の再生を依頼され計画を進めてきた。この商家は、今は亡き写真家の植田正治氏が昭和40年代前半に出版した「松江」に載っている由緒ある建築だ。工事は竹中工務店が行なう。この商家は地松(じまつ)がふんだんに使われている。今同じものを建てるとすれば億単位となるだろう。実によい。内部に吹き抜け空間を設け、これからのライフスタイルにも順応できる空間、を目標とした。2階の床板はそのまま1階の天井となっているが、今ではなかなか手に入れることができない地松の厚板だ。約100年にわたって染み込んできた木材の渋い色。私はあえて落とす。建物の構造材は今までのように全部現しとなる。あえてもともとの木材の色を露にする。同じくにびき相互ネットの創業家でハウスクリーニングを手がけておられるハッピーCさんに、試験的に色を落としていただいた。あまりにも松が肥えて(よい意味)いるので薬液が利かないという。「こうなればサンダー(機械やすり)で全部の材料をこするだけだ!」の言葉に「あんたはえらい!」と心の中で叫んだ。道路に面した連子格子(れんじごうし)はよく見ると痛んでいない。ハッピーCさんが色を落としてくれたが、明治の木の肌が現れた。一連の色落しのあとの仕上げは塗装家だいぼさんの登場だ。田和山メディカルスクエアーでは、ダークなワインレッド、脅威の3回重ね塗りの神業を駆使してもらったが、今度は自然色だ。商家の再生にドイツの自然塗料を施す。みんなの腕の見せ所だ。実施設計にあたり、竹中工務店を中心に匠の職人集合。私はいつも職人を指定する。(他薦・自薦に限らず)なぜなら設計の段階から匠の知恵を組み入れなければよい建築はできないからだ。匠の職人が一同に会しての設計打ち合わせ会。また、名人のきびしい思いやりの言葉が浴びせ掛けられることだろう。工事着工前にプロに映像として残してもらう。そして工事完了後にも撮影する。まさしくビフォア・アフターだな。またひとつ我々チームのステータスとなる物件を手がけられる。私はクライアント(施主)に感謝している。このような機会を与えていただいたことを。-----------------------------今までのどの物件もクライアントはもちろんだろうが、手がけた我々がいとおしく思うくらいの思い入れをもって手がけてきた。全ての物件が思い出の一作だ。今、複数棟が計画中だ。新築・改修。こだわって生きているとこだわりのある建築を依頼されるものなんだな~。(と、しみじみ)施主・建築家・職人、全てがひとつの建物にこだわりを込める。金額ではない。思いの強さだ。匠の職人もみんなそのことを感じている。本日、業者との契約式を行なったT邸新築工事もいよいよスタートする。この住宅もローコストながら、いずれ日記の巻頭写真となるときがくるだろう。名作だ!(自分でいうのもなんだが)それに本日、あるクライアントと土地を見に行った。そこで決まるかどうかは別にして、一家の姿を見ていると、心のなかで「任せておけ~。きっと感動的な住まいを創るぞ~!」とふつふつと湧き上がるものがある。依頼いただいた建築すべてが・・・地球上にたった一組しかいない一家の、それも地球上に一箇所しかない土地に、その一家のこれからの未来につながる住まいを創る。これだけ冥利につきることはない。神の子である人の、神から授けられた土地に建つ住まい。私のクライアントは神だ。(神から託されているんだな)そんな厳粛な気持ちを抱きつつ、施主以上に感動で打ち震えながら日々を生きている建築家コムースであります。(冗談抜きで)
2004/05/15
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決めたことが2つある。お金を貯めることと支出することだ。(1)定期預金 ここで言う定期預金は少々覚悟がいる。 預けるばかりで一生おろさない預金だ。 おまけに妻の名義なので、私が自由にできることは最早不可能。 だから金額的には無理な数字ではしない。 蓄財が目的・・ではあるのだが、それより、意志を貫く訓練 のためだ。小さな成功体験を重ねるためだ。 例え1千円づつでも毎月行なう。満期になったら1年の据え 置き定期にして毎年更新する。 おまけに、新たな小口の定期を毎月スタートさせる。 つまり1年後は12口の定期が動いており、毎月満期を迎える。 満期を迎えた定期は1年据え置き定期とする。 1年以上前に始めたのだが、毎月満期だ。実に気持ちよい。 小さな成功体験だ。この体験は私に無類の自信をもたらしてくれている。途中でお金に困ったこともあったが、頑としてやりぬいた。これがまずひとつ。次は・・(2)お金を使うことを決めた。 できるだけお金は使わないぞ!などと空威張りのごとくで 行くと、使う羽目になってしまったときには、挫折感を味わ うことになる。だから使うことを決めておけばよい!と思った。 使途を決めるのではない。支出するんだ!と決めておけばよい。 いざ支出したときには、夢が実現したのだ!またひとつ成功 した!実現した!(笑)と、一見滑稽なようだが、ぜんぜん 違うことになる。 使うぞ!て決めたら(実際にお金があるかないかは別にして) さて何に使おうか?となる。使わないぞ!と決めると、いろいろ お金はかかるけど、でもよいアイデアだ!と言えることを どことなく封印してしまう。 だからお金は絶対使うぞ!と決めると、遠慮なしにアイデアが 出てくる。 事業をすすめる、会社を運営発展さえていくためには、もち ろん収入を第一番に考えるべきだ。 それは普遍的大前提で否定すべくもなくあたりまえのことだ。 ここで言いたいのは、それはそれとして、多面的に物事を考 える捕らえる発想での話だ。 つまり、「こうも考えられますね。」という話だ。 お陰で、「プロデューサー」に使うぞ!(ちっとは安くしといてね 笑) となった次第。 このプロデューサー氏。見事なまでにお金のかかることばかり 提案するわ、提案するわ!どんどん夢がかなう。 これは絶対無駄金にはならない。 なぜなら、私の腰が引けてないから。 そのお金のかかることをしたら次にこうなる!ということが よく見える。お互いに確信しながら先に進めている。 広告宣伝もするが、広告代理店も巻き込んでくれた。 だからプロデューサー氏を中心に、もっとも効果的な支出を 考えてくれる。 よくあることだが、腰が引けてる人に限って他人任せにする。とま~、意味のよく分からない日記になったかもしれないが、私のなかではしっかり整理がついている。くどいようだが、使うことを決めると実に色々アイデアが涌く。倹約ばかりを意識していると右脳も遠慮するんでしょうね。だから、今、私の右脳は遠慮なし状態だ。
2004/05/14
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約30年前に安藤先生から、「今見えている、今している仕事の向こう側を見つめていくんだ!」という言葉を投げかけていただいた。20歳代前半の私はそれなりの感性で聞いたように思うが、今になってその意味するところを、実際の日々の行動の中に感じることが多くなった。そのときに重ねて言われたことを思い出したが、「キュービックなるもの」だったようななかったような。言葉としては思い出せなくなってしまったが、目の前に見えているもの、概念でしか感じられない向こう側にあるものは違う空間にあるのではなく、同じキュービック体(同じ空間)の中に存在している、という言葉であったように思う。向こう側にあるものを意識するとき、目の前に見えているページを閉じてしまっては、文化的なるものと文明的なるものとは何時まで経っても一致点を見出せなくなてしまう。目の前に見えている文明的なるものを見つめる視線で、その向こう側にある文化的なものを見出す。あるいは意味合いを洞察する。理想と現実は一致しないもの、という観点しかない人には見出せない。感性とはスタンスによってきまる。その向こう側にあるものが、現実の投影線上にある、といえば、現実主義の人も近づけるのではないか。ページを閉じずに開いたままで目に見えない何かを感じ取ろうとする。 以来、その向こう側にあるものを意識しながら生きている。
2004/05/13
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創業して約3年、法人化して2年。あの暇だった時期と比較し、今日の状況はほんとにありがたい。そしてこれからのことを考えるとき、これだけ確信が持てることって初めてではないかな。と、思わせてくれる人との出会いに感謝だ。建築家として、というより起業家として経営を考えるとき、やはり仕組みの構築が大切だった。理念の構築、商品の組み立て、マーケティング。そこまで来たらいよいよ大切になってくるのがプロデューサーの存在だ。ビートルズにはブライアン・エプスタインがいた。橋田須賀子ドラマには石井福子がいる。建築家コムースには?この存在を得られるかどうかが勝負の分かれ目。お互いに片方だけでは存在不可能。大きな事業展開は望めない。事業者本人とプロデューサーがドッキングすると、大きな共同体となる。どの商売でも同じ。八百屋でも設計事務所でも同じだ。私が堂々と純粋に建築家としての道を歩めるのもプロデューサーのお陰だ。このプロデューサーは、顧客の夢の実現を夢とする私を大きく包み込んで仕事ができるようにしてくれる。ビートルズはエプスタインがいなかったとすれば今日のようなスタンダードな存在にはなりえなかったであろう。これぞ私のプロデューサー、という人物と出会えたことが私の人生においての最大のヒットだ。私はツイてる。心底そう思う。こういう状況の中で涌いてくるのが、感謝の心だな。
2004/05/12
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設計事務所を開設するときに、これからの企業は、なんでもできます仕事くださいではだめ、たとえ設計事務所であっても独自の企画事業を持っていないといけない!と思った。そこで、ここ3年かけて2つの事業(CM方式とコーポラティブハウス事業)と1つの講座(住まい塾)を企画し推進してきた。不安も一杯あった。「ほんとにうまくいくのだろうか。」事務所が自宅にあったころは、毎日天井を見つめ悶々と過ごしたときもあった。そして現在・・・住まい塾も来月から6期目が始まろうとしている。CM方式の建設事業も軌道にのった。コーポラティブハウス事業も少しずつだが形になろうとしている。(1)理念の構築に没頭した時期。(2)具体的な実践の、いや実績をつくり出す時期。(3)そして、本格的な事業展開のための仕組みを構築し展開する時期。現在、まさしく第3段階を迎えている。この間にたくさんの人たちと出会った。それぞの段階で必要な人と出会えた。クライアント(施主)もそうだし、事業を手伝ってくれる人とも。そして今日、設計図面作成に加わっていただく方に来ていただいた。図面の下請けを頼むわけではない。私は下請けは使わない。あくまで自前でやる。お願いするのは、3次元の設計図だ。立面図、断面図、詳細図、展開図、全て1次元・2次元の図面だ。立体感がない。木造の小屋組みが複雑にからむ設計をする。コンクリート打放しや段上建物など、幾何学的な形態の建築も設計する。そんな時、断面や伏図を専門職が見てもすぐには分かりづらい。従って、人間の目線で透視図的に描かれた設計図を書くことにした。これを所員が書くとすれば途方もない時間がかかる。それより、計画に時間を割き、基本図面を書くことに専念したほうがよい。その道のプロに3次元設計図を描いてもらうことにより、実施設計中にも空間の確認ができるし、職人にも分かりやすい。なによりクライアント(施主)にも一目瞭然。それにこんな設計図を描いているところはほとんどない。差別化だ。しかしこれは、以前から安藤事務所で行なわれてきた手法だ。安藤先生は、3次元設計図も所員に書かせている。理想としてはそうあるべきだろうが、私の場合は、その道のプロとコラボレすることにした。設計に協力してくれる構造設計、設備設計、3次元設計や施工の匠の職人など、コラボレしているみんなで寄ってたかって一流品を創りだす。そして販売マーケティング。これらのトータルとしての建築家コムースをメジャーにする。このこと全てが商品だ。中でも安藤先生のこだわりは、設計図面も商品、という考え方をしていることだ。従って他の設計事務所には到底真似のできない設計図を作成する。いや、しなければならない、と強く言っている。私の事業では・・・一流の理念。一流のデザイン。(手前味噌だが)一流のマーケティング。一流の設計図。一流のアフターフォロー(コミュニティの構築)これを絶対構築しなければならない。なぜなら、これがクライアント・全てのエンドユーザーのステータスとなるから。今から約30年前の若い安藤先生が言った。クライアントのために有名にならなければならない。あの安藤に設計してもらったんだ!と誇ってもらえる建築家に。自分の名誉欲とか独り善がりではない。施主の夢の実現を目指す純粋な心からきている。私は、どこまで近づけるか定かではないが、目の前のプロの方々とコラボレして、施主の夢の実現を図る。そして近い将来、あの建築家コムースに設計してもらったんだ!と誇ってもらえる建築家になる!
2004/05/11
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職人、なかんずく大工は、できれば小学校卒業したてから弟子入りしなければ本物の名工にはなれないといわれている。私の次男は宮大工になる!と小さいときから言っていたが、どうも本気らしい。この3月に私立中学を卒業したが、同級生はことごとくよい(?)大学を目指しているが、息子は、中学の先生の説得を押し切り、同じくにびき相互支援ネットの島根のメンターよしいさんにお骨お折りいただき、めでたく匠の修行にいそしむ路線に乗ることができた。よっしいさん、この場を借り、あらためて深く御礼申し上げます。ありがとうございました。職人というのは、まだ身体が一人前でないとき、思考が一人前でないときから修行を始めなければ手遅れになるといわれている。子供がせっかく職人になりたいと言っているのに、せめて高校だけは!といって、一番大切なときに遊ばせてしまっていることも多いのでは。実は、設計の世界も職人の世界であると思う。デザイン力はできるだけ若いときから鍛えなければならない。私の場合は、幸いなことに安藤先生とめぐり合い、顔を見ると二言目にはスケッチ・スケッチとうるさく言われたお陰で、手が自然に動くようにならせていただいた。私の事務所は、安藤事務所と同じ方法をとっている。正直、私は一切図面は書かない。物件は基本的に担当者に任せる。イメージを考え(スケッチ程度)それを所員に渡す。それを計画させる。つまりは所員の頭を使って設計するわけだ。この場合、若いスタッフが思わぬくらいよいデザインを考え出してくれるいことも多い。 即、いただき。所長としてのプライドにしがみついて、計画段階をクローズして実施設計だけやらせていては、せっかくのデザイン力を退化させてしまうことになる。所員を単なるドラフトマンでしか使う気がないのであればそれはそれでよいかもしれないが、しかし私は違う。我事務所は、真の建築家で固まっている状況にしたい。歯の浮くようなドラマティックな会話もする。そこへ思いっきり現実の問題をぶつける。理想と現実。どちらへも偏らない。この葛藤こそがよきデザインを生み出す環境となる。と思っている。だから入所したてのスタッフも即担当。スケッチを元にして計画開始。何十回の試行錯誤。おびただしいスタディ模型。計画案がまとまり実施設計へ。どんな規模でも基本的に一人で担当。この間、私と所員との一対一の格闘だ。所員は苦しむ。実践の中で覚えていく。しかも実際のクライアントがいる建物の設計という本番。デザイン・ディテールの検討。時には匠の職人の知恵を借りる。所員は私一人が相手。私は複数の所員が相手。それに所員一人が複数物件を同時にこなす。私は、一枚一枚の図面全て把握している。クライアントとの打合せや現場での指示は全て私の決済で行なう。帰りは深夜。何時寝ているのか。でもみんないきいきしている。それはそうだろう。やりがいがあるからだ。他の設計事務所で任せるでも任せないでもない、年功序列の飼い殺し状態の事務所と違い、入所、即、担当。大変なのは所員ではない。 私だ。でもあえてそれをする。なぜなら、初めて設計事務所に入った頃しばらく飼い殺された経験があるから、気持ちがよくわかる。今はチーム力が問われる時代。私と所員のチームは手前味噌だがとても力をつけてきている。それも複数のチームを持っている。24歳の女性スタッフ。この一年で見事に成長した。いや~やらせればやるんだな~。というか、才能を開花させてやるようにもっていけばよい。人材育成。これすなわち、私の夢の実現。
2004/05/10
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本音が通る時代。こんな言い回しはこれまでもしてきた。そこで本日は私の本音日記。今朝、テレビに長野県知事の田中康夫が出演していた。昨年安藤事務所にいったときに安藤先生が「田中さんとは友達だ」とおっしゃっていたが、実に賢く歯切れがよい人だ。要するにそういうことなんだ!とうなずきながら聞いた。建築の、それも各省庁にまたがる規定や融資・助成などのからむ物件を行なうときにいつも思うことだが、「お前ら役人が一箇所に集まって話を聞いてくれたら簡単に調整がつく話だろうが!」と声を荒げたくなることも多い。民事の事件で、被害者にも関わらず被害の実証責任があるごとく、のありさまだ。やってやるから調整してもってこい!などというスタンスだ。そんなところに田中さんはメスを入れ風通しをよくしようとしている。いややっている。要するにそういうことだ。それぞれの事業自体のよしあしは長野県の人や該当する地域の人、あるいは会計検査院がジャッジすればよいことで、要はその施策や事業の事務的な手順や仕組みの風通しをよくすることだけでも相当の構造改革が出来ているといえる。どこぞの知事連にも聞かせてやりたい。田中知事は、「自立」ではなく「自律」だといった。自分を律する。あたりまえのことだが、あたりまえになっていない世の中だ。(反省)昨今の報道を見聞きしていると、実際の事業自体に対しとやかくいうことが多い。しかし・・確かに町の境を中心に同じような保養施設が肩をならべお客さんを取り合うなどという目を覆いたくなる事業もある。しかし、大半の国民はまともで、盗人はごく一部の人間に過ぎないように、全ての公共工事を否定するごとくの報道は許せない。なかんずく地方の公共事業に対してのそれは、何をかいわんやだ。お前ら知っとるんかい!と言いたい。報道の連中よ!特に都圏の!ほんとに田中知事のように現場に行って真の意味合いを洞察しての取材の果ての報道か!と誰かがいいそうな有様。ダムはいらない!という地域もあれば、ダムがいる!地域だって現にある。真に必要としている地域がこれからダムを作るのに肩身の狭い思いをしながら、だとしたら、報道よ!片方だけを協調し国民意識を誘導したお前らの責任だからな!と誰ぞがいいそうな有様。私は以前、全ての職業が全てサービス業だと言ったことがある。田中知事の考えも、行政であってもサービス業だ、という考え方に基づいている。(と思う)果たして報道の連中にこのことが分かるかな?別の比喩で・・・今全ての人間が操り人形になってしまっている。(と思って・・・)今までお互いの目線で話をしていたが、すこし頑張って背伸びをしてみたら相手の頭の上に上から下がってきている操り糸が見えた。その糸の存在を教えてあげる。「操られていますよ。」なかなかぴんときてくれない。仕方ないので、少々荒療治だが、はさみでその糸を切ってあげた。その人間は最初はどうしていいか分からなくなる。でもすぐに自らの思考だけを頼りに行動し始める。田中知事は一生懸命、糸を切ってまわっている。私の周りには、産官学に限らず、糸の切れた連中だらけだ。だから山陰はますます面白くなる。そんな連中が生まれる理由はさだかでない。地域の利便性などとは関係ないことは確かだ。新幹線が通っているから人間が賢くなったり豊かな思考を持てるわけではない。どういう志を持つか。そんなこだわりを持つ人間がどれだけいるかでその地域の活性化がきまる。観光で来ても分からないと思うが。本音を発する人間を見ると身体の力が抜ける。(よい意味で)北野 武は、「お前らカッコつけるんじゃね~よ。根はロマンチストのくせしやがって!」と、ロマンチストの武がいう。ロマンチストなところを茶化しているのではない。本音を隠して生きていることが滑稽だ!と言っている。ロマンチストはロマンチストらしく生きろ!ということだ。20世紀はしらけた時代で、ロマンチストという本質を茶化された時代だ。(と感じて過ごしてきた)21世紀はロマンチストのくせにロマンチストを隠していることを茶化される。 本音で生きることを促している。 よき時代の到来だ。20代の私に「もっと大人になれ。お前の知らない世界があるんだぞ。」とほくそえんだ海千山千のおっさんの時代は終わった。お前らは、もうとっとと隠居してりゃいいんだ!もういい加減、陰気な一物を持ちながら生きるのはやめよう!ポジティブな志を、堂々と表明して一生懸命生きよう!人はそんな志に共感を覚え、支援してくれる。 そんな時代の到来だ。先日の安藤忠雄講演会実行委員会でayaz24さんが、「22世紀に贈る」というキーワードをくれた。21世紀はまだ始まったばかり、しかし今から22世紀を見つめる。いい年こいた産官の連中も(私も含め)若いayaz24さんのこの言葉に素直に感動した。今から100年の大計を意識しての事業。100年後には実行委員会のメンバーは誰もいない。しかし、100年後の人たちには間違いなく伝わる。次代に誇れる生き方をするぞ!これが本音だ。
2004/05/09
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昨夜は「安藤忠雄講演会実行委員会」を行なった。私が世話役を務めている会が主催し、建築学会、建築士会、しまね産業振興財団、ふるさと島根定住財団、松江市、の後援をいただき安藤先生を招いての講演会を行なう。島根県民会館に会場の予約に行き、中ホールを予約したが、講演者が安藤先生と知ると会館から中ホールを拒否されてしまった。(笑)曰く、あのような方の場合は間違いなく満席になるので、小さいホールでやってもらうと、結局、会館も巻き込まれてしまい、当日来場者の苦情処理をすることになるという。従って大ホールでやっていただきたい!ということで、会場が大ホールとなった次第。内容について検討した結果、委員会の総意で、基調講演とシンポジウムを組み合わせて行なうことになった。メインテーマも決まった。チケット準備が出来次第、チケット販売を委託するプレイガイドに持ち込み販売開始。前売り券のみで当日券は設けない。さて、これからが大変だ。入場券の販売が決定次第にマスコミやこの日記などのインターネットなどのメディアでも紹介したいと考えているが、地元だけでもうわさが飛び交いはじめているので、販売後短期間に完売になるかもしれない。この催しの目的は、地域の活性化に一役、ということだが、多分、安藤先生やパネラーの方々から様々な問題提起も行なわれると思う。従って、これを基点に様々に展開していくことになるのではないか。ことによれば、安藤先生に定期的にお越しいただき、共に山陰の活性化に向けての何かができればと、そう個人的には目論んでいる。たとえば、安藤建築のひとつでも生まれることもあってもいいかな、との思いもある。とにかく地域興し、活性化、再生、コミュニティの復活・・・なんでもいい。要するに意味あるなにかが行なわれ、これからの時代に自信を持って贈れる何かが生まれる。要するにそういうことだ。理窟をこねて結局なんにもしなくて評論家の集団になっても面白くないので、どうせやるなら大それたことを!ということで、昨年8月に安藤事務所に乗り込み、安藤先生への直談判。まんまと約束を取り付け、この度、いよいよ実行。アクションを起こさなければ何事も始まらない。人知をつくして天命を待つ。あとは野となれ山となれ・・・だ!実行委員会の皆さん。思いっきり巻き込んでごめんなさい。でも、今から、終わった後の打ち上げが楽しみです。(笑)
2004/05/08
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本日、匠の職人が結集した。私が召集したわけではない。これから始まるT邸の予算をさらに数十万円下げなければならなくなったが、私が個別に連絡を取りながら調整をしていたが、「水臭いじゃないですか。遠慮しないで召集してください。」といって、自分達で自発的に事務所に押しかけてくれ、それぞれ話し合って調整を図ってくれた。チ-ムで行なっている事業を自分達の事業だと認識してもらっているようでとてもうれしい。せっかく集まっていただいたので、これからチームで木造3階建て4戸のコーポラティブハウスを手がけることを話した。よい住宅団地なのだが、つながっている3区画がどうしても売れないで困っていると不動産業者から相談があった。この節、大きな土地は売れない。そこで、3区画をあわせてひとつの敷地と考え、ここへ4戸の住宅をぶち込む。いわば長屋だが、それぞれの住戸間に通路をつくり独立性をもたせ、かつ一体感をだす。南側の1階ベランダのさらに先に、4戸共通の外部からは隔絶したデッキを設けた。その下が駐車スペースになり、約2.3m上に位置する。4世帯の特別の空間だ。一緒に夕涼みもできる。計画がまとまり、役所の事前審査もOK。あとは模型をつくり写真を撮ってプレゼン資料の作成。みんなでいっせいに募集をする。募集も含め全て運命共同体。大工さんも一生懸命すすめることで、元請意識が育まれていくのではないか。仕事はもらうものではなく、自らが創りだしていくもの。これからの時代。あらためて職人の一本立ちがもとめられている。私は建築家として、職人文化をも抱え込む覚悟を持って活動していきたい。
2004/05/07
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現在、社会福祉法人の依頼で精神障害者通所授産施設を設計している。この施設は、理事長はじめ次代を担う所員の方々の思いの集大成だ。この理事長(女性)は厚生労働省の審議会委員に抜擢され、精神障害者授産施設の実態をまさしく現場からの実況中継で中央省庁内部に訴えかけている。精神障害者の方々はなぜか介護保険の適用外になっていたが、理事長の訴えかけで省が動き出した。先般は、参議院の厚生特別委員会で発表されるなど、度々中央へ出向き懸命の働きかけをしておられる。 そう遠くないうちに介護保険の適用となるだろう。先の授産施設は郊外に設けられることが多い。これは土地の価格が高いためだが、この法人では理事長以下、精神障害はだれでも例外なく起きる可能性があり、特別な存在ではない。一般社会の中にあたりまえに受け入れられ生活できる環境こそ大切ということから、今回、松江市の中心商店街のど真ん中に建設されることになった。このようなシチュエーションはおそらく全国ではじめてのことだ。この施設の近くにクリニックを併設するなど、経営的にもしっかりとした裏づけができた。全国の先進事例となることだろう。この商店街は、白潟天満宮がある天神町に位置する。この天神町は、おかげ天神はじめ、毎月25日に天神市を催すなど、衰退する中心商店街の活性化を積極的に行なっているが、NHKなどさまざまな報道メディアに取上げられたり、政府の要人も度々訪れるなど、全国的に注目されている地域となっている。この商店街の理事長が、老舗、中村茶舗の中村社長だが、精神障害者通所授産施設を暖かく迎え入れ、それこそ、東京巣鴨のように、老人・障害者の方々にやさしいまちづくりをめざしておられる。実際、天神市の日には、市内の小学生の模擬店、障害者の方々の模擬店が数多く軒をならべ、既存の店舗も応援をしている。天神市の日にはお年寄りに連れられた子供達も数多く訪れる。若いアベックも多くなった。こんな町にこの施設は暖かく迎え入れられようとしている。日本居住福祉学会の早川学会長(神戸大学名誉教授)も度々来県され、この天神を視察していただいている。いつか、学会の研究集会を招きたいと考えている。私にとっても記念すべき施設だ。こんな意味ある施設の設計を任されることに、打ち震えるものがある。現在、設計の最終段階に入っている。ひとつの建築が大きな影響を及ぼすであろう。まさに地域の原風景、いや、地域のランドマークをめざす。地域の方々が思わず入りたくなるような建築。私も建築家として、思いのたけを込めている。来年4月開所をめざしプロジェクトは進行している。
2004/05/06
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よき建築とは決して予算があるからできるとか、予算がないとできない、というものではない。休み明けに建築工事がはじまるT邸は小さなローコストな住宅だ。でもきっと今までで一番面白い(真面目な意味で)建築ができると思う。小さな住宅の中に豊かなアトリウム空間が内包されたこの住宅は施主の夢が込められている。予算はめちゃめちゃきびしいが、だからこその匠の知恵の結集。各専門業者も協力してTさんの夢の実現をめざした。そしていよいよ着工。またドラマの始まりだ。いや、すでに始まっている。私はいつも芸術的な空間を創りだしたいと思っている。どんなときでも。芸術とは卓越、いや超越したものの称号。設計を託されたものが価値ある空間を創造するのは使命。その人のための、その家族のための唯一の空間を創造する。建築は芸術性が強く求められている。なぜなら、建築物は施主だけのものではない。地域の財産でもあるから。そしてその建築は地域の原風景となっていくから。私は、施主、建築家、匠の職人が一体となって、この建築という芸術を追求していきたいと思っている。思いをひとつにすればよき建築は必ずできる。例え予算がなくても。「よき建築を創るのだ」という心があればそれでよい。自分の住まいを創ること自体が地域貢献になるような建築を目指す。私は、クライアント(施主)のそんな夢を実現する。よき仲間とともに。
2004/05/05
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旅の記憶というか、昨日走行距離850kmの日帰りの旅をした。松江→神戸→淡路島→四国(西条市)→しまなみ海道→尾道→中国山地横断→松江宮大工修行中の次男(16歳)を無理やり連れて出発。この旅は安藤作品をめぐる旅だ。淡路島の大福寺の水御堂と西条市の南岳山光明寺がメインに見てまわった。淡路島に到着。淡路夢舞台は満車で車入れず、さっさと切り上げ次へ。大型の安藤作品より小粒の作品が面白い。夢舞台の近くにある大福寺の水御堂はコンクリートのおわんにハスの池がつくられ、その下が本堂になっている。16歳の次男は唖然として佇んでいた。「何か伝わってくるものがあるか?」 「うん」これ以上の会話は必要なかった。そして四国の西条市に移動。南岳山光明寺の木造というより集成材の本堂も圧巻だった。ただ、これだけ優れた芸術性の高い木造建築が集成材でつくられていることにはいささか希薄さを感じてしまった。予算的にかなわぬことであり、あるいはそれを単木で用意するのはもはや日本では不可能なことであることはよく知っている。集成材の耐久性は木材の耐久性ではなく接着剤の耐久性だ。30~40年持てばよい建築ならいざ知らず、優れた建築が集成材でつくられていることはいささか残念だ。内部は別として、外部のカーテンウオールを形成している15cm角の集成材の表面劣化は始まっていた。建築は美しく朽ちていく というのも持論の安藤先生。でも私は、いつまでも安藤建築が生き生きと存続しつづけてほしい。光明寺をあとに、今治市から尾道までの「しまなみ海道」へ入る。大小の島々を結ぶ橋。瀬戸大橋はじめ、この本州・四国連絡橋はさまざまな批判をあびているが、しかし、後世に誇れる20世紀の財産であると思う。今は費用対効果が薄いかもしれないが、いつか、後世の人たちがやっぱりつくってくれていてよかった、と言ってもらえる日が来る。その場に立ちそう思える。などなど、朝8時から午後11時までの旅は終わった。一夜明け、余韻に浸りながら、デジカメの画像を見ながら日記をしたためる。-----------------------------ちなみに、明日は娘に誘われてスケートに行ってきます。(中学2年の娘に誘われるのは何時以来かな?)ウレシイ!明日は建築家ではなくただの親父に戻ります。そうそう、こう見えても私はアイスホッケーの選手でした。言っておきますが、アイスホッケーは「ケンカ」です。(笑)
2004/05/04
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田和山メディカルスクエアーが完成した。感無量とはこのことだ。クライアントに引渡書と鍵一式等を渡したとき、手塩にかけて育ててきた娘を嫁にだす心境になった。色々なことが走馬灯のように思い出される。基本設計が固まっってきたとき匠の職人集合、施主の前で、「こんな設計では雨が漏る!」の一言には汗がでたな。施主の前で、設計者と職人とが激論バトル。みんなで一生懸命考えてくれた。工事着工前には色々あった。みんな私を信じてくれた。工事管理の不備をみんなで補ってくれた。施工的に、こんなレベルの高い建物は最近見ない。それほどよい仕上がりだ。施工チームの中心にいつのまにか塗装家のだいぼさんがいた。最後の仕上げに、それまでの工事に関わった人たちの思いを託す。彼は見事に答えてくれた。確かに、製材会社の社長に誉められる塗装家っているものではない。木の質感を出した最高の仕上がり。彼は設計のレベルも引き上げてくれた。打ち上げの大焼肉会には約50名の職人達が集まってくれた。その前の記念撮影。施主と一緒に写真に収まる職人って最近いるのかな。これが特別なことに思えるのが最近の日本の文化の衰退を表している。すくなくとも我々は匠の文化を守り通していくぞ!の思いを共有している。そして焼肉会は始まった。施主も職人もない。こうなればみんな集合。薬局の薬剤師の方々も合流。盛り上がってきたところで皮膚科クリニックの先生も合流。数ヶ月前に基礎の土工事をしてくれた職人達が鉄板焼そば製造係りに転進!(笑)これが実にうまかった。みんながうまいと誉めていた。サービス精神旺盛。本人達の口に入ったかどうか心配だ。そんなこんなで、みんなで後片付け。みんなが帰ったあとの会場となった駐車場。何事もなかったかのように静まり返る。もう明日から、我が物顔で入れないんだな。いつものことだが、うれしさとともに、寂しさも感じる瞬間だ。さ、明日から、また別のクライアント(施主)の夢の実現だ!みんな頑張ろうな!
2004/05/01
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