2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全11件 (11件中 1-11件目)
1
感性を感じるひととき昨夜の広島で、島根県中小企業家同友会の立上げに貢献された広島同友会のYさんの古希の祝いの集いがあった。まさしく感性を感じるひとときであった。島根からも9名が参加した。仲間と語り合うよい機会となった。感性にふれてなのか、仲間内で素直に語り合えるひとときだった。会の活性化についてYさんは「会を盛り上げよう!とか、会員を増やそう!などと思わなくてよい。一人一人が自分の成功に向けてひたすら努力すればよい。そんな直向き(ひたむき)なところに、共感を覚え仲間が集ってくる。」とおっしゃった。その言葉を受けて仲間と大いに語り合った。 「どうしたら会が活性化するのか?」それは、自分自身の強さも弱さも、賢さもアホさもみんなさらけ出して話すことではないのか。ただそれだけでよい。世の中の人間は賢い人間など一人もいない・・・そう思ったほうがよい。そうすればカッコつける必要がない。お互いに、正体が分からないから本音で語り合えない、ということで、先日、「おもいを語る会」を行なった。次回は、「代表理事と語る会」の開催だ。足りなければ本音で語り合えるようになるまでしつこく何回でも何回でも行なう。それしかない。ペットが好きな人ときらいな人は付き合えないか?・・そんなことはない。ペットが好きとかきらいとかはそれぞれの個性なのだ。決して反目しあうことではない。それぞれの個性を理解しあえれば何の支障もなしに付き合えるものだ。それと一緒で、仲間同士が打ち解けないとすれば、それぞれの特性を個性として感じ取っていないか、認め合っていないかのいずれかだろう。
2007/02/18
コメント(4)
広島へ本日は、中小企業家同友会でお世話になっている広島の会員の方の古稀の祝いの集いがあり広島入りとなる。前職の時、広島に営業所があり頻繁に通っていた。そういうこともあり広島に行くと感慨深いものがある。高速道路ができれば、松江と広島はおそらく1時間30分あまりで行けることになるだろう。先日、行ったことのある県、ない県について話題になった。沖縄、九州、四国、中国地方、近畿、北陸、北海道は行った。東北と関東の一部の県には行っていない。茨木県、岩手県、宮城県には一度も行っていない。新潟県、秋田県、福島県は通過したことはあるが、街を歩いてはいない。そういう中で、他県で一番行っているのが広島県だ。広島県内の職安や学校へ、毎年のように社員募集に廻ったので、広島全県の様子を知っている。地元の島根県は全県を廻ったことがないので、ことによれば広島県のほうが地理的に詳しいのかもしれない。広島県の熊がでそうな郡部(ほんとうにいる)を廻っていたところ、村中のお年寄りが公民館に集まっていた。そこでは、元広島カープの衣笠祥雄の講演会が行なわれていた。一時間あまり一緒に拝聴したことを思い出した。もうかれこれ15年まえのことだ。私の前職であった父の創業した会社は今はない。広島へ行くと当時を思い出す。
2007/02/17
コメント(0)
朗報1年の節目は節分にあり!とはよく聞くことだ。私の関わるプロジェクトなど、確かに節分を期に様々に進展しているようだ。私自身の変化というより、関わる物事が変化している。このところ連日のように朗報が届いている。物事を節分ごとに長いレンジで捉えてみると、確実に動いていることが分かる。進むようで進まず、しかし、確実に進化を遂げている。物事とはそのようなものなのだな~、としみじみ思う。例えば、足掛け3年も取組んでいるある事業も、いよいよ事業の外堀というのか、必要な要件の全てが出揃った。本日、絶対必要条件としての大きな朗報がもたらされた。いよいよ実施に向けてのフィニッシュだ。いかにこの日を待ちわびたことか・・・いよいよ事業主の内部的な最終決済を残すのみの状態となった。超大型の事業なので、関係者の企画立案に向けてのエネルギーは相当のものだった。プラスマイナスに様々なエネルギーも作用してきた。振り返ると、大きな障害が現れればあらわれるほど、事業が充実したものになっていった。これは実に不思議なことであった。当初の規模の1.5倍になっていったのも、様々な問題が起こり、それに対処していった中での結果であった。エネルギーを傾注してきたことが報われようとしている。いよいよそのときがやってきた。いずれ近いうちに、当社のホームページにこの事業を紹介できるできる時がくるだろう。「日本で始めて」がテンコモリの大事業だ。全国版のテレビでも、報道番組で事業の最前線として紹介されることになるとクライアント(事業主)はおっしゃっていたが、おそらくそうなるに違いない。まさしく最先端の事業だ。建物の設計をさせていただいていてそのことがよくわかる。私にメルブックを書くようにそそのかしていただいたハマムラさんは、「苦労の裏返しに大きな喜びが存在している。」と言ってくださっていたのだが、ほんとうにそうなんだな~・・・と思える状況となってきた。奇跡と思えることでも、実は、結果としての必然であるのだろう。つまりそうなるように絶えずアクションを起こしつづけている訳なので、火のないところに煙は立たず、のことわざのように、絶えず働きかけてきていたのだから、当然・必然の結果なのだろう。アクションを起こしていない中での“必然”は有りえないだろう。それにしても、必然だと思えないほどに大きな苦労の連続だった。何でこんなに苦労しなければならないのだ!と叫びたいこともあった。しかし、じっと耐えるしかないだろう。このときがくるのをひたすら待たなければならないだろう。そして、いつしか朗報がもたらされる。必然としてやってくる。
2007/02/16
コメント(0)
初出版出版と言っても、自分でコピーしてホチキスで止めたもの。それでも、私にとっては始めての出版物だ。昨年(平成18年)3月から配信を始めたメルブック「住宅建築の玉手箱」が第十九章となり、50ページを超えたので、以前から密かに予定していたアナログ版の出版となった。十章増えるごとに、アナログ版に追加していきたいと考えている。本日出版で、一日に10冊ずつコピーして作る。つまり、一日10冊限定だ。(笑)無料で受け取っていただくのだが、いつか有料で配布できる日を夢見ている。(笑)いや、まじめに!メルブック配信で、URLでPDFを開く形で見るのと、たとえホチキスで止めた出版物であっても、本になれば見事なものだ。53ページの大作だ。表紙の「コムース著」の文字に感慨深いものがある。人生で始めての出版。実にうれしいものだ。さ~、明日から、どんどん受け取っていただきますよ~!
2007/02/13
コメント(0)
真摯に向き合うもの以前の会社の部下だった女性から久々に電話をいただいた。この女性は仕事のできる人で、企画・提案能力があり、当時トップセールスを誇っていた。今でもたまに電話をしてくれる。かれこれ13年くらい前に入社し、その後5年くらい一緒な組織にいた。今でも思い出して電話をいただくのはうれしい限りだ。あの時代に活動したことの証しとして語り合う。いつも励まされることばかりだ。事業が成就していくことを本当に願ってくれている。建築家として創業して6年。この間に積み上がってきたものを真摯に見つめ、全てを受け入れ、全てにベストをつくす。クレームにも真摯に向き合わなければならないだろう。時代の要求も真摯に見つめていかなければならないだろう。今だから見つめることのできるものがある。真実を見つめる真摯な思考が必要だろう。彼女も自分を見つめている。同い年で生年月日が極めて近いこともあり、同じ感性で感じるのかもしれない。50歳を過ぎてから見えてきたものがある。彼女も同じように感じていた。ゆったりと生きたいという。まったく同感だ。それにしても、私の建築家としての人生は6年前に始まったばかり。まだまだ道半ば。いつか、本番と言えるときがくるのを目標としている。
2007/02/12
コメント(0)
沖縄8~9日は、沖縄で行なわれた中小企業家同友会全国研究集会へ参加した。今回の研究集会への参加においては、大きな気づきが2つあった。ひとつは、研修の中で感じた「経営者のリーダーシップ」について、もうひとつは、「沖縄の思い」であった。経営者のリーダーシップ、つまりトップダウンの大切さだった。約18の分科会に分かれ、それぞれのテーマに沿って事例報告とグループ討議が行なわれた。同友会の大きな特徴であるが、経営者同士が胸襟を開いて、今困っていることについて、あからさまに相談し、それをグループの誰もが共通の問題として真剣に考えていくということが行なわれた。リーダーシップ、あるいは、トップダウンというと、頭ごなしのように聞こえるかもしれない。そうではなく、例えば、権限委譲を行なう場合でも、最終的には経営者がそう判断し委譲する訳だから、つまりは、企業の活動は、全てトップダウンで行なわれると言ってよいだろう。社員・スタッフとコミュニケーションを図るのでさえも、そのような経営環境を実現する!という経営者の思いと決断、方針決定して行なわれるものだろう。経営が、社員からのボトムアップで行なわれる、などということは、まったくもってありえない話だと思っている。例えば、商品開発を行なうにあたり、社員の提案型の運営をすることにしても、そのような方針を経営者がトップダウンで徹底するだろう。と、このように、全ての会社の物事の進め方は、最終責任者である経営者のトップダウン(最終決済・方針発表)で進んでいくのだ。会社は経営者の資質により決まる。経営者の資質以上にはならない。同友会は、経営者たる自らの資質を高めあっていく場だ。私の参加した分科会が、経営者のトップダウンに特化して討議された訳ではない。家業を継いで18年になる経営者が、積み上げてきた経営指針を披露するとともに、その苦労話を聞かせていただいた。その話を通じて強烈に感じたことが、経営者のトップダウンの大切さについてであった。もうひとつの大きな気づき。それは沖縄についてであった。やはり行ってみなければわからないものがあった。観光ではなく、研究集会への参加であったこと、現地で出会った方が、観光客が行かない普段の町を体験させていただいたことが大きかった。また、研究集会のレセプションで、周囲16キロの小さな島に住みながら芸術活動をし、たくさんの文化賞を受賞されている平田太一さんが演出された、沖縄県内の小・中・高校生による「大航海レキオス」という現代版組踊を観劇することができたことは、私に、沖縄の位置確認と、沖縄が抱えている事情や思いの一端を感じさせてくれるものであった。そのファンタジックな世界を、いわゆる素人の子供たちがそうとは感じさせない完成度で私たちに迫ってくるものであった。私は、沖縄を感じた。普段の町で出会った人たちは、人情にあふれていた。バスの運転手はわざわざバスを止めて教えてくれた。そのバスの乗客も、怒るのではなく、一緒に教えてくれた。まったくの偶然にバスに乗り合わせた人たちが一緒になって考えてくれたのだ。そして底抜けに明るい人たち。でも深い人たち。私は沖縄で沖縄を感じた。私の住む島根県松江市から沖縄まで、岡山空港を経由して昼前には到着する。こんなに近かったんだ!・・・一昨年の8月から約1年間、北海道小樽市のプロジェクトを2軒手がけることができた。このたびの沖縄で、私はまさしく北と南を体験した。沖縄のプロジェクトを手がけたい!強い衝動を感じた。
2007/02/10
コメント(0)
おもいを語る会昨夜は、島根県中小企業家同友会の役員仲間の24名で「おもいを語る会」を開催し大いに語り合った。同友会の会友は、60数歳から20数歳まで多彩な年齢構成となっている。しかし、ここには、先輩後輩といった垣根がない。ともに経営を勉強する仲間同士の関係だ。どこの世界でもそうだが、知っているようで知らないのが隣りに座っている仲間ではないだろうか。私が本格的に活動し始めて2年となった。この間、あまり参加率はよくはなかった。北海道小樽市の物件を手がけていたこともあり、大いに出張ぎみであったこともあったが、なんとなく出にくい気持ちであったためだった。怠け心もあったかもしれない。しかし、何にしても、ここに集う多くの会友の正体が知れないので、今一踏み込めないでいたためでもあった。以前からの会員と最近の会員同士でも、お互いにお里が知れない。それでもって、会の意義を語られ、「こうあるべき!」と言われても、そうおっしゃっている貴方は何者?という構図だ。何となくの手詰まり観があり、色々チャレンジする会友もいてそれなりに変化の兆しが見えてきたので、それではここで一発グット引き寄せるというのか、色々に染まっている(解釈が色々)ように思えたので、一気に漂白剤で無色透明にしたという催しだった。表面的な思い込みの色をなくし、透明でスケスケ状態でお互いを見つめると、かけがえのない仲間同士であることが明確に認識できた。これでこそ、中小企業家同友会!ようやく本領発揮の時がきたようだ。
2007/02/07
コメント(0)
創業 創業の苦しみは、創業したものでないと分からない。そう思える出来事があった。大きな事業を立ち上げようとしている創業仲間がいる。多くの支援の輪もできた。彼の事業は、仕入れと販売などという単に商材を流通させることによる利ざやで稼ぐ事業とは違う。地域の地産を立ち上げると共に、生産の装置や拠点をつくり上げなければならない。さらに、その前に立ちはだかっているのが、生産地域の因習だ。彼はそれと闘っている。ひたすら闘っている。孤軍奮闘。とにかく創業者は一人で立ち上げていかなければならない。乗越えていかなければならない。立ち上がれば、スタッフが運営に加わるが、創業は創業者しかできない。支援者の中には、情報が伝わってこない!と反目される方もいらっしゃるという。今は言えないのだ。今の状況を公開するためには、壁となっていることや人称を語らなければならなくなる。それが屈折して伝われば事業に大きな支障がでる恐れもあるから、とにかく言えないのだ。私にも彼から格別の説明があるわけではない。心配になると、私は当たり前のこととして、私から時々声をかけて状況を聞く。そして今の状況を理解できる。みんなも本人に聞けばよい。情報発信せよ!というご意見はまったくごもっとも!それはそうでしょう。しかし、伝わってこないといって誹謗するとはどういうことか。とにかく本人に直接聞けばよい。それで全てが分かる。創業とはスマートではない。まして地域を巻き込んでの事業となれば、とてつもないエネルギーがいる。支援者に気を使っている暇がないのだ。自動的に物事が進む状況にいらっしゃる方には理解できないのかもしれない。理不尽だろうとなんだろうと、創業者はひたすら成功を目指しているのだ。気を使うエネルギーがあれば、ひたすら無駄のない立上げ作業を行なってほしい。私はそう思っている。事業が立ち上がったとき、その時に支援者の皆さんに、支援のお礼と、今までの非礼を侘びればよい。今立ち向かっていることを乗越えなければ事業そのものの将来はないのだから。報告することに気を使って、事業が行き詰まっては、それこそ本末転倒だ。みんな成功を望んでいるのだから。支援者の皆さんも、もし不明な点があれば直接にお聞きになればよい。言ってこないからといって責めるより、言ってこれないほど何かがあるのだな、と考えてはいただけないのだろうか。支援者の方々も連絡されればよい。それが彼に対する大きな励ましとなるから。「応援していますよ!」と声をかけてはいただけないだろうか。とにかく、事業を成功させるということは並大抵のことではない。もし投機が目的なら、この創業者から離れてほしい。彼が成し遂げようとしているのは、日本の地産となる文化を再興しようとするものだから。自治体もそれに賛同している。とてつもなく時間がかかるものだから。すぐに製品ができるわけではない。誘致企業として、工場を建てれば即生産!・・という訳には行かないのだ。地域住民のコンセンサスを得なければ何にも始まらないのだ。そこのところでずっと地に潜ってがんばっているのだ。事業は、決して華やかなものではない。血のにじむような地を這うような作業をしながら、それでも遅遅として進まないものなのだ。
2007/02/05
コメント(2)
創り上げるということ土日で3物件、合計12時間30分の打合せ時間となった。時間が多いか少ないかは別として、クライアント(施主)の夢が明確になっていく様はなんとも言えないものがある。家族が真っ二つに割れることもある。しかし、根気強く努力を重ねていくと、いつしか一致点が見えてくる。要は、イメージ化できて初めて共通の認識が持てるのだ。幾度となく繰り返される試行錯誤。これは私が建築家である限り続いていく作業だ。答えはクライアント(施主)により千差万別。どれひとつとして同じ答えがない。クライアント(施主)に共通していること。それは、真剣に自分の住まいを創り上げようとするエネルギーの強さだ。私もクライアント(施主)に負けないパワーを発揮する。私はどうも依頼された住まいを自分の家だと思い込んでいるふしがある。もちろん自分のものではない。しかし自分でも分かるくらいに思い入れをしている。1回の打合せ時間は2時間はゆうに超える。長い時には、6時間に及ぶときもある。しかし、私だけでなく打合せに参加している関係者は、この時間を特別に長いとは感じなかっただろう。なぜなら、「創り上げる」とはイメージ化にエネルギーを集中することだからだ。右脳左脳の脳細胞をフル回転させる。クリエイティブなエネルギーは時間の経過とともに活性化する。つまり、疲労しないのだ。高揚したエネルギーは、さらなる創造を生む。クライアント(施主)と建築家は一心同体となる。
2007/02/04
コメント(0)
読書30年前、「毎日1時間の運動と2時間の読書」の実践について安藤忠雄氏から教えていただいたのだが、今さらながらとても大切なことであると思えるこの頃だ。特に読書は大切だ。どんな出来事があっても、どのような状況でも欠かしてはいけないものなのだ。直面している問題に対して、直接でないにしても、純文学を読んでいることで頭の整理がつくこともある。人間は常に平常心でいることが大切なのだろう。そのためにも読書は欠かせない。安藤忠雄氏はこんこんと私に説いてくれた。「たとえ10分の読書でも、毎日となれば、1年たてば、読書をしない人と比べるととてつもない差になる。」決して人との競争と言う意味ではなく、自分自身の人間としての深みを増すために欠かせないものだと言われた。先日、リリー・フランキーの「東京タワー」を読んだ。私の母の思い出とだぶり、涙が止まらなかった。日常に追われ忘れていたもの、いや、目をそむけていた何かを改めて意識することができた。お薦めの本だ。社会・経済に関するもの、建築分野のもの、それに純文学を織り交ぜて併読している。もちろん、芥川賞、直木賞ものは必読。「う~ん、これで直木賞か~?」などと、審査員の顔ぶれを思い浮べながら読む。建築家コムースという審査員が審査員の審査を批評しながら読むのだから審査員もたまったものではないだろう。(笑)芥川賞は、かなり読み込んでいるつもりだが、改めて、第1回受賞者の石川達三の「蒼氓」から、今回の青山七恵の「ひとり日和」までで、読んでいないものを読みきってみたいと思っている。いつまでかかるか分からないがそれも面白い目標だろう。小倉百人一首もかなり覚えた。出張の途中で覚えるのにうってつけだ。読書の合間に百人一首の時間を挟み込むのだが、これが結構楽しいものだ。「花の色はうつりにけるないたづらに わが身世にふるながめせしまに」古今和歌集の小野小町のうただが、考えさせられるものが多い。ビジュアルもよいが、文字・文章の中に込められた雄大な宇宙観に触れるのも大切なことだろう。
2007/02/03
コメント(0)
本物であること私は4年前から、匠の職人とプロジェクトを組んで住まいづくりをしてきた。4年やってきて、もういい加減にしてくれ!と思うことも多々あった。職人は目の前の仕事に専念する。普通はそれでよい。しかし、それだけではプロジェクトは成立しない。なんとなくまとまりないまま今日にいたった感がある。依頼された住まいは、どれもよい出来栄えだと自負している。設計には相当の時間をかけていて、クライアントが納得するまで設計作業が延々と続いていく。従って、必ずよい設計となる。しかし、一方の、現場での職人同士の一体感が感じられない。「一体どこを見て仕事してんだ!」と思うこともあった。そこが、クライアントに今一感動を与えられない原因になっていたようだ。職人は元来、寡黙(かもく)で黙々と技をふるっているので、それでよいことはよい。仕事が出来が悪いわけでもない。出来上がった住まいはどれもよい出来だ。しかしそれだけではないのが、このプロジェクト方式なのだ。昔は職人文化とまで言われた匠の技が、現代社会においては、下請けの一職種に過ぎない扱いを受けている。私は、本来あるべき匠の職人の地位を改めて獲得するためにこのプロジェクトを行なっているのだ。職人のお客様は元請け業者ではない!元請けも下請けもないんだ!お客様は、住まいを建てられるクライアント(施主)なんだ!あんたが元請けだぞ!と、何度言ってきたかわからない。職人がクライアント(施主)と直接に契約をする。現代社会ではこれはすごいことなのだ。職人が、自らの暮らしのための利益を直接にクライアントからいただけるのだ。それは、匠の技の代償として。価値と価値との対等な交換として利益をいただけるのだ。私は、そのシチュエーションを創り上げてきた。しかし、職人は、お互いを誹謗中傷しあうこともあった。クライアント(施主)をお客様と意識できていないこともあった。長年の下請け生活で、文化の根が絶えようとしているかのように。私は、絶対そうはさせじ!とがんばってきた。しかし、時には投げ出したくなるほど私の気持ちをわかってくれないときもあった。昨年末、私はいよいよキレて、「もうやめた!」と宣言した。人間、本物になるときってどんな状況で訪れるかわからないものだ。畳職人が、「クライアント(施主)に直接に話ができるプロジェクト方式をやめないでほしい!」と言っていたと聞かされた。多くの職人がそう言っているらしい。要は、本物になればよい。ただそれだけだ。プロだ。心底のプロになればよい。お客様は元請け業者!などと、本当のお客様であるクライアント(施主)を認識できないやからとはもう金輪際付き合いたくない。そんな職人は文化にはなりえないからだ。技は人様のために磨くもの。家主のために!ご家族のために!と思いながら、匠の技を駆使してこその職人!職人同士が同じ目的に向かい、ともに、お互いのより高い利益確保のための協力をしていくことができる、お互いを思いやることのできる職人と私は組みたい。
2007/02/01
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1

![]()
![]()