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今夜はほか弁にした。子ども二人はいつも唐揚げ弁当、大人二人は幕の内にでもすっかな~とお店でメニューを見ると、「のり弁 350円」の隣に「得のり弁 290円」とある。『これは、どう違うの?』と店のおにいさんに問えば『「のり弁」は、タルタルソース付きなんです。このタルタルがおいしいんですよ!!』と笑顔。『へ~。じゃあタルタルが60円ってことだね』『そういうことですね^^』と笑顔が憎めないおにいさん。とそのとき、あたしは気付いてしまった。さらにその隣の「のりタル弁 310円」メニューの写真の弁当には、ちゃんとタルタルがのっかってるぞ?だけど普通の「のり弁」よりも40円安いのだ!『これは…どういう…?』笑顔のおにいさんがその時放ったひとことで、あたしは迷わず「のりタル弁」を注文したよ。おにいさんはやっぱり笑顔で言ったんだ。『ミラクルです』と。
2008.05.29
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最初に産んだのはりんちゃんあかんぼの頃はぶっさいくでしたけど、今は美人さんになりましたこれも一重に母親の血の健闘のたまものかとv( ̄▽ ̄)v格別スポーツができるわけでも勉強が得意なわけでもリーダーシップがあるわけでもない娘ですが中学生になってから、毎日それはそれは楽しそうにしています。クラブ、勉強、小1から習い始めたピアノ、友人関係、どれもきっとシンドイこともあるんでしょうが本人なりに工夫をしながらどれもうまくまわしていてそれが自信になったりして、「自分はがんばってる」て充実感が楽しいようです。先日中2最初の中間テストがありました。テスト週間中盤のある日、リンが言ったのです。「おかあさん、テストで90点とれたら500円ちょーだい♪」あたしは何かにエサをぶらさげるのが好きではないので、これまでリンにそーゆーことをしたことがなかったのですが本人からの申し出だったし、それでモチベーションがあがるならと、即おっけぇを出しました。きっと自信があったんですな。1000円ふんだくられました。塾に通う子が多い中、あたしも夫も夜遅くまでの外出が嫌なのと、本人の希望もあって行かせてませんが理科なんかはクラスでいちばん点とれたそうです!!!いえいえ。リンは決してお勉強デキるキャラじゃあないんですよ。お友達も、べっくらポンです。こないだリンの同級生のマイちゃんに「リンちゃん、テストすごかったな!」て声かけられましたしね^^;テスト週間直前にはピアノの発表会がありまして、家では一度も成功したのを聴いたことなかったのに、本番では500円あげたくなるよな演奏をきかせてくれました。これから壁にぶつかることもあるでしょうが、このコなら大丈夫かなと、レッドカーペットに爆笑してる愛娘をみて思うのです。二番目に産んだのはタロウくん。本当にかわいいあかちゃんで、たまひよのモデルに応募したいとまぢ思ってました。小2でアドバンスにはまって一気に姿勢と視力を悪くしまして、今は立派なメガネのゲーマーとなりました。そのタロウもなんともう6年生。4年生で受け持ってもらった先生が今年また担任となりましたが先日の家庭訪問で「4年の時と同じ印象」と言われたことはこないだの日記に書きました。先生は「マイペース」と言葉を選ばれましたが、タロウはあまり友達と遊びません。家に誰かが遊びにこれば遊びますが、自分からは行きません。自分に自信を感じたことがないだろうし、「自分って結構イケてる」と感じたことも、そういう感覚があるということを意識したこともないだろうと思うのです。まだまだ先は長いタロウの人生の、一区切りの小学校を、へなへなのまま終わらせていいもんだろうか。そう思い立ってこの一年で、タロウ改造計画を断行中です。まずは、タロウにしみついた、適当に自分とあたしをごまかすための、ウソを重ねるクセを直さなくては。まず決めていることは、週末通ってるバスケの練習をサボらせないということ。これまでは、本人の希望だからと、いろんなことを途中でやめさせてしまったけれどとにかく最後までやり通させて「がんばったね」と褒めてやりたい。タロウも、リンと同じように、楽しい!!て晴れやかな笑顔の中学生になってほしい。思春期にひねくれても、このコなら大丈夫!と、信頼できるような男子になってほしいと思うのです。そう決意してからタロウを注意深くみていますと、あら?あたしはこのコのことを、これまでほったらかしだったんだなと、いまさらながら気付きました。この一年は、タロウのイイ男修行であると同時に、あたしにとっても、タロウのおかあさん修行であると、肝に銘じるこの頃です。
2008.05.28
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以前は会ったこともないような人の葬儀に行くってことがなんだか儀礼的で意味のないことのように思えていた。のだけど実際お参りさせてもらうとそうではなくてそれは実に様々な感情をわき起こす、厳かで意味のあることなんだとわかる。今日見た写真のそのひとはあたしよりもずっと若くて美しいおかあさんだった。幸せな笑顔のその写真が、遺影と呼ばれて黒いりぼんをかけられていることが不自然なほど。その写真を見ているとあたしがそのひとを知ってるか否かとは無関係に確かにあったいのちがひとつなくなったことを思い知る。中学一年生の息子さんの、まだだぶだぶの制服姿を見ると確かにあったおかあさんのいのちがひとつなくなったことを思い知る。力なく弔問客に笑顔を送る喪主の姿を見ると確かにあった妻のいのちがひとつなくなったことを思い知る。あたしにはいのちがあるということを思い知る。あたしたちにはいのちがあるということを思い知る。それが当たり前のことではないということを思い知る。このひとのいのちは、どこへいったのかなぁと思う。苦しくなかったかなぁと思い無念だったろうなぁと思い遺族の方の今後を思う。いのちが生まれてなくなる。自然の摂理であるのに、これはやりきれなくてかなしい。知ってるいのちでも 知らないいのちでもかなしい。ひととして、きっと共鳴するんだな。
2008.05.18
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ミズうえし~ま~がやってきた。リンの担任の英語のせんせ。「リンさんはこんなコ」てせんせの語りが、ウチでのリンの様子と全く同じであることにだははと笑ってまぁ安心。裏表のない子だってことは確かですな。ミスターまつばらがやってきた。タロウの担任の若いせんせ。三年の時も担任してもらったせんせの第一声が、あたしのタロウ観と同じであることにがっくりためいき気が重い。「三年の時の印象と変わってないんですよね」相変わらずのマイペースと、宿題学校でサクッとやってますな。タロウよ、友達つくろうや。
2008.05.09
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