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下り道です。 下から撮ってあげるからそこで待ってて、と言い残してどんどん降りていってしまう友人家族。ものすごい奇遇で、以前日本に留学していた親友が故郷のスコットランドに戻り、そこで家族を養い、娘が中学校のブラスバンドクラブでたまたまサキソフォンを吹いていた関係で、ここディナンを訪れたとのこと。10年ぶりの再会でした。ま、その話は「幽霊」には書きませんでしたが、そのうち、スコットランドの怪談で登場するかもしれません。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.30
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突端まで行くと町が見下ろせます。ノートルダム教会も眼下に。 確かに要害の地です。近代に至るまで、多くの血が流されたというのも頷けます。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.29
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この鎧を着ていた人は、3発の銃弾を浴びてこと切れたのですね。真ん中のやつが致命傷でしょうか。これ、壁にむき出しで無造作に飾ってありました。触るなとは書いてありましたが・・・。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.29
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ばっちっこ その11 体つきも精神も大人びていた俺は、同級生の男たちの誰よりももてた。3年間で受け取ったラブレターは優に段ボール1杯を越える。毎朝げた箱を開けるとどさどさと手紙が落ちるというのは大げさにしても、ほとんど毎日のように誰かから幼い愛の告白をもらった。いかに幼いと言っても中学生だ、誰かと同じ場所に自分の傑作お手紙を押しこむはずはない。だから必ず一か所から一通が見つかる。俺はそれらすべてにせっせと返事を書いた。否定的な中身を返したことは滅多にない。嘘でも君はきれいだと書いた、君に興味が尽きないと書いた。だから相手が俺に飽きるか俺をあきらめてほかの男にくっつくか、まれに俺が付き合いを断るかしない限り、彼女たちもまた、せっせと俺にラブレターを書き綴ってくれた。その蓄積が、抱えきれないほどの想いだ。 剣道と響子と、母親に付き合って12時まで起きている間の「学業」と。それに恒久が遊びで絡んできて、加えて山ほどのラブレターだ。俺の中学校生活は充実を通り越して中身が溢れかえる毎日だった。「先輩あのねあのね」「なんだよ、早く言えよ」「ううん、なんでもない」 こんな子もいた。今から思えばかわいそうなことをした。キスの一つもしてやればよかった。たしか鴨川玲子という名前だったと思う。肩より長い髪の毛を三つ編みにして束ねていた。女子中学生はみな、同級生の男が子供に見えるそうで、飛びぬけて大人びていた俺なぞは例外中の例外、その上勉強も剣道もと来れば。しかし、そういう女の子たちとは、俺は一線を越えることはしないできた。 やがてそんな期せずして保ってきた節操を破る日が来た。中学2年の秋、上級生とひとりの女を張り合うことになったのだ。宿沢という男だった。のち、新宿のその筋に就職(?)し、有名な新宿抗争の時に受けた傷がもとで死んだと聞いた。 その宿沢と、俺と同級の光子というちょっと白痴っぽい美人を争った。光子の態度が煮え切らないので、じゃあ、強いほうと付きあうことでいいかと本人に念を押し、屋上を子分たちに封鎖させて決着をつけることにした。『タイマン』などという物騒なボキャブラリーを覚えたころだ。 相手は170センチの柔道部だが、俺だって170センチにちょっと足りないくらいの剣道部だ。勝負は上級生が柔道の組手に来ようとした時点で決まった。俺が鼻にパンチを打ち込んだからだ。大した怪我でなくても痛みと出血は戦意を喪失させる。鼻血を押さえながら涙を流して逃げようとしても、屋上のドアは内側から施錠してある。俺はこの先どこまでもこの男をいたぶり続けることができる楽しみがわき上がってくるのを、暗い気持ちで感じた。そしてそのどこまでも光の射さない感情に身を任せる愚を悟った。 取り決めていた合図の柏手を3回打つと、鉄のドアが内側に開き、対戦相手は本当に転がるように逃げ出して行った。入れ替わりに子分たちに背中を押されて光子がぼんやりと体を現わした。「俺が、お前の恋人だからな」「うん、わかった」「7時に三平ストアの前に来い」 響子のアパートの近くにあるスーパーマーケットである。中学校からも近く、ときどき同級生たちが万引きをして捕まったとかうまく逃げたとか、俺たちの話題に頻繁に顔を出す場所なので、ちょっと頭の中身が覚束ない光子でもわかると思ったからだ。 その晩は警察剣道をさぼって、しかし何事もないように家族4人で夕ごはんを食べたあと、待ち合わせ時刻ぴったりに着くように家を出た。そう、兄は母親の頑張りで得た学資で予備校に通い、この年の春には何とか現役で2期校に合格していたが、ろくにアルバイトもせず、家でゴロゴロしていた。母親は俺の夜間外出には慣れっこになっているので、何も聞かず、ただ鍵を持ったかどうかを細い声で答えを期待する様もなく言っただけだった。 光子をスーパーの前で拾ってまっすぐ響子の部屋へ向かった。この時間なら店に出ているからだ。呼び鈴なんてシャレた物は始めからない。俺はもらっていた合い鍵を使って無造作に安物のドアを開けた。 響子がいた。「あら、のぶくん、ごめんねえ、かぜぎみでさあ。あら、どなた、あら、いもうとさんかしら」 俺は声が出ない。びっくりしたのと、まずいことになったのと、二つが頭の中をぐるぐる回っている。風邪をひいている響子への心配なんてかけらもない。 しばらく無音状態だったのだが、思いがけなく光子が沈黙を破った。「いとこなんです。ちょっと気分が悪くなっちゃって、のぶちゃんが横になれるところ、近くにあるからって、連れてきてくれたんです。すいませんけど、ちょっとだけ、貸してください」 これほど笑いをかみ殺すのに苦労したことはない。「He go home yesterday」なんて普段英語の試験に書くくせに、こういうときは学校の勉強だけはできる俺なんかよりよっぽど芸が深い。どうして女はとっさにこんな見え透いた嘘がつけるのだろう。「ああ、そうなの、大丈夫かな、きたない部屋だけど、どうぞ、遠慮しないで寝てていいわよ。何か飲むかしら。のぶくん、ちゃんとお世話しなくちゃね、ちょっと、あたし、氷買ってくるわ、三平ストアに売ってるから、すぐ戻るからね、お嬢さん、スカートゆるめて、横になっててね。のぶくん変なことしちゃダメよ、じゃあ、行ってくるから」 突っかけをうまくすくい履きそこねてドアに頭をぶつけた響子は、なにやらぶつくさ言いながら出て行った。 俺は言うべき言葉が見つからなくて黙って光子を見ていた。光子はゆっくりとしゃべり始めた。「帰ろ。いつでもできるよ。あたし。高松君の恋人になったんでしょ。したければ学校でもよかったのに。場所。あるし。あたしがしたんじゃなくて。変な眼で見たでしょ。あたしじゃなくて。たとえばガーコとか。ああ、荒井和子ね。あの子は江波戸と。デキてるから。うちでもいいわよ。おねえちゃんと二人で。住んでるから。おねえちゃんがいない時なら。大丈夫」「わかった、おまえとやるのはあとにしよう。おまえ一人で先に帰れ。あしたまた考えよう」 光子は素直に帰った。 入れ違いに響子が戻ってきた。買い物かごには氷だけでなく、お菓子とビールも入っていた。「もっと時間つぶそうと思ったんだけどね、あの子が出て行っちゃったからね、もういいかなと、思って」 涙がぼろぼろこぼれはじめた。まあるい粒が化粧っけのない頬をほとんど濡らさずに転げ落ちるように流れる。「早く戻りたかったの。もう」 俺は精一杯やさしく抱きとめてやった、無言だったが。「あたしなんかね、誰にも許してないんだから。あんただけなんだから」 俺はゆっくりと薄い布団の上に寝かせてやった。「うつると申し訳ないからね、のぶくん、悪いけど、帰って」 鼻の頭の汗を舌ですくい取ってから、ゆっくりと体を起し、台所でありあわせのコップに水を入れ、響子が買ってきた氷のかけらを二つ落とすと、枕もとに戻って「あした、来てやるから。治しとけよ」と言った。 横向きにこっくりとうなずいたのを見て、俺は帰ることにした。ドアを閉め、鍵をかけようとしているときに、響子が何か言った。再びドアを開けると、「やさしくしてあげんのよ、痛がるからね」と聞こえた。俺は苦笑しながら顔を引っ込め、外から鍵を掛けた。響子も俺自身に鍵を掛けたいのだろうと思った。『束縛』という漢語が頭の中を往来した。 ばっちっこ 続く人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.28
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ばっちっこ その10 2学期は新谷のり子の『フランシーヌの場合』を学校帰りに大声で『ブランチンコの場合は』とわめきながら歩き、正月は『黒猫のタンゴ』を『ボクの恋人は黒いあれ』と小声で笑い飛ばしながら過ごし、予定通り俺は区立中学校に進学した。恒久は俺が受けなくなってから日進で1回だけ一番を取って、両親の、そして恒久自身の希望通り麻布中学に通うことになった。 もちろん、昼間は麻布の生徒として遊び呆け、夕方は大人の恒久サマ(弓子にはこう呼ばせていた)として遊び呆けていた。酒もだいぶ強くなっていった。ついでに一人で出すものを出すやり方も覚えてきて、目の前で俺に実演して見せてくれた。これは、チンパンジーが死ぬまでやり続けたというまことしやかな話が満更嘘でもないと思った。ただし、目にも刺激が必要で、かつ、俺の家で兄弟や両親に気付かれずに満喫するのはほとんど不可能な方法だった。今度ばかりは恒久がうらやましくなりかけたが、何も一人でやることはないわけで、その気になったら夜中でも響子の部屋に行けば済むことだと気づいて納得した。 俺の方は普通の区立中学だから昼間は遊び呆けるというわけにはいかない。恒久は教室の後ろで授業中に雀卓を囲んでじゃらじゃらさせていたというから相当のものだが、さすがに俺はそこまではしなかった。代わりに、響子の部屋で見かけた剣道部という文字に興味を惹かれ、防具一式を響子に譲ってもらって剣道を始めた。面は中学校が部活用に揃えている普通のものと同じような造りだが、響子の汗が染みていてかすかにおしろいの香りがした。胴は中学生用の竹製とは全く違って、いわゆる「赤胴」だった。響子はこれで関東大会3位まで行ったという。 なんだか下半身を響子が守ってくれているようで、紺色の袴を着(つ)けるたびに緊張感と同時に桃色の空気が目の前を横切るような気がした。乱取り稽古が一巡するまではいつも何となく落ち着かない気分だった。 竹刀は一年の時はいわゆる『さぶろく』(3尺6寸)の学校備え付けのものを使ったが、2年生になった時から、響子が買ってくれた大人用の『さんぱち』(3尺8寸)を使い出した。同時に、週3回のクラブ活動では物足りなくなって、クラブのない日は同級生を誘ってすぐそばにある新宿警察署の道場に通い始めた。警察剣道、略して「警剣」それを俺たちは「経験」の意味をダブらせて使っていた。その甲斐あって、2年の半ばで初段、3年の11月には弐段をいただくことができた。が、都大会では3位が最高だった。一流になるには真面目さが足りないということは自分でもよくわかっていた。 そんなこんなで、一年の夏には俺が中学生であることがばれてしまった。そのことに気付いた時、響子のただでさえ大きな目玉が、思わず手のひらを出して落ちてくるのを受け止めてやろうとしたくらいに見開かれ、息を吐くのを忘れたかのようにじっと息を止めたまま1分くらい沈黙が続いた。やがて、「でも、しょうがない、あたし、あんとき、館山で、サメが来たとき、溺れちゃったのよね、のぶくんに、きっと。だから、いい。まあ、年下である、ことには、変わりないもんね、それに、ぷろみっしんぐ、東大、だし、ね」 響子は半分泣きながら俺の学生ズボンのベルトに手をかけた。 道場へ行かない日は図書館にいた。文字が目当てではない。毎回分厚い美術書、画集を何冊も抱えて閲覧テーブルに戻り、飽きもせずに眺めた。区立中学の貧弱な蔵書はすぐに見つくしてしまい、当時できたての新宿中央公園の外れにあった区立図書館に通い、そこも征服すると渋谷区立だが環状6号線(山手通りとは地元では呼ばなかった)のすぐ外側にある本町図書館にまで足を伸ばした。 やがて絵にも飽きたころ、レコードというものに出会った。真面目ぶってクラシックと呼ばれるジャンルから聞き始めたが、バッハハイドンベートーベンからモーツアルトに進んで、これを何故「クラシック」と呼ぶのか疑問を持った。これはポピュラーソング以外の何物でもないと思った。思ったついでに図書館にいることも思い出し、音楽の本をひとしきり読んだ。吉田秀和の『モーツアルト』が出たころで、2時間で読み上げてばっかじゃなかろうかと思い、それきりクラシックは沙汰やみにして代わりにジャズを聴き出した。続いて、ロックンロールまで。およそジャンルにこだわらず、3時過ぎから7時頃まで、考えてみればよく飽きもせず、こんなに聞き続けたものだ。夏などはヘッドホンが汗まみれになって、耳の後ろに汗疹(あせも)ができたくらいだ。 夏休みは恒久のいとこで静岡大学に通っている瑶子さんという山女の影響で南アルプスに登るのが恒例になった。恒久と二人で4日から1週間くらい山に入る。その当時南アルプスは山小屋があっても無人だったり、管理人がいても素泊まりだったり、食事の提供がある一部の、例えば北岳周辺などでは今度は宿泊代が高くなりすぎて、などなど、結局いつもシュラフ(注1)にツェルト(注2)、それに食料は自炊で停滞(注3)の分の予備を含めて予定日数の1.5倍くらい持って出かけた。3年の夏は伊那谷側の戸台から延々と河原を歩き、そのまま千丈岳直登。翌日野呂川まで2千メートル以上降って再び北岳に登り返し、更に間ノ岳農鳥岳を縦走して大門沢を降りるコースに挑戦したのだが、このときは新宿駅まで歩く間に汗が吹き出し、早くも二人で「帰ろうよ」コールが始まる始末だった。40キロのキスリングはさすがのやんちゃ坊主たちをも拉(ひし)いだ。もちろん完走したが。 水道橋にあった『フタバヤ』で登山靴をオーダーしたのもこの頃だ。代金は、もちろん響子が出した。その当時の大卒男子初任給の半分以上した。 山から戻ると、休養と称して館山の別荘に1週間ほど滞在した。今の表現でいう、『ゆるーい』日々を過ごすわけだ。そのうち1日か2日は響子たちが遊びにくるのも毎年恒例になった。相変わらず冷房のある部屋はひとつしかないから、俺たちはセットで夜を過ごした。恒久と俺はそういう仲だったし、響子と弓子も似たような関係だった。 3年の夏はこの生活から戻ってすぐに駿台模試を受けて、平気で1番を取った。 話は戻るが、父親からは入学祝にオリベッティのタイプライターを買ってもらった。活字はパイカではなく、名前に惹かれて一回り小さいエリートにしてもらった。それに、英語専用ではなくドイツ語のウムラウトもβ(エスツェット)も、フランス語のセ・セディーユ(Cの下にひげがあるやつ)までも打てる西ヨーロッパ言語仕様を頼んだ。βはさすがに特注で、一ヶ月待たされて届いたのを見ると、バーに活字が銀蝋付けしてあった。俺はつまらない英語の授業の間、フランス語の独習を始め、3年になる頃にはこのタイプライターでラシーヌの『フェードル』を写し、持ち歩き、イポリートの名セリフををそらんじたりしていた。Vous voyez devant vous un prince deplorable,D'un temeraire orgueil exemple memorable.あなたの前にいるのは、一人の哀れな王子、後の世まで、傲慢な自負心のいましめとなるべき者なのです。(二宮フサ 訳) バカな話だが、結局英語よりフランス語の方が(日本人としては、だが)より自由に使えるようになった。押し付けはだめだと気付いた。 夜は、このころから父親が家に寄り付かなくなっていたこともあり、粗末な夕食をそそくさと掻きこんですぐに兄や弟が冷たく北側の兄弟3人が寝起きしていた六畳へ引っ込んでしまうのに対して、俺はやさしい母親の悲しそうな顔を見ているつらさよりもそばにいてくだらないテレビを一緒に見てやる方を選んだので、響子との1週間に一度は通うという約束が果たせないこともあった。ひとしきりテレビに母親が飽きてこっくりこっくり始めると、六畳から自分の教科書や兄の参考書などを持ち出して来て12時まで暇つぶしをした。NHKが国旗を映し、君が代を流すのを聞いて、ため息をつく母親が布団を敷くのを手伝ってから、件(くだん)の6畳に引き上げる日々だった。 そういうわけで、別に意図したわけではないものの、中学校の成績は、お兄さんの再来いやそれ以上、神武以来の秀才だと囃し立てられた。入学して最初の中間テストで488点を取った。5科目だから平均は98点近いわけで、囃されるのも当然かもしれない。数学と英語、それに地理(一年生の社会は地理だった)は満点、国語は答案用紙に名前を書き忘れて10点減点、理科の第2分野(生物と地学をまとめてこの当時はそう呼んでいた。ちなみに次の「第一分野」は物理と化学である)は満点、そして第一分野はあとで「意地でもミスを見つけてやろうと思って必死にアラ探しをした」と教諭が笑って話してくれたのだが、元素の『元』の字が数学の「π」に見えるという言いがかりでマイナス2点になっていた。それで都合488点だ。 このときばかりは世の中そんなものかと思った。悲しそうな母親の顔を見たくないから隣で暇つぶしに教科書を広げているだけでほとんど満点が取れるほど世の中は難問が枯渇しているのかと思った。それなら俺は世のため人のために一生をささげる必要はない。自分の好きなことをしていればそれで世の中は俺と関係なく回って行くに違いないと悟った。万一、世界が俺を必要とする時が来たなら、その時はすべてを捨てて尽くせばいいと思った。この時は、捨てるに惜しいものなど何ひとつ持っていなかった。 そのあとも似たり寄ったりの点数で、ついに卒業まで一番で居続けた。別に「一番を守った」なんて言うつもりはない。単に、結果として、そうだっただけだ。 一方めちゃめちゃに遊び回っている恒久はさすがに一番は取れず、それでも麻布の中でひとけたにちょっと届かないあたりをうろうろしていたようだ。はっきりとは言わないがまあ、10番から20番くらいのところなのだろう。これは嫌味でも何でもないのだが、俺たちにとって学校の成績は人間の善し悪しを測る尺度ではなくなっていた。そんもの、やればやったで上がるし、やらなくたってできるやつにはできる。でも人間の価値は学校の勉強・成績なんかとは全く別のところで決まるんだということを、学校生活とはかけ離れたところで思い知らされていたからだ。それは、響子や弓子や、彼女たちを取り巻くオトナの男たちを見たり実際に彼らと付き合ったり彼らのシノギの邪魔をしたりしながらわかったことだった。 でもまだその話に行くのはちょっとだけ早い。注1 シュラフ:寝袋。それもダウン100%なんてぜいたく品ではなく、重くかさばる化繊の安物だった。注2 ツェルト:非常用の小さなテント。注3 停滞:山中で雨などのとき、同じ場所で『停滞』し、次の日の行程を先延ばしすること。だからその分食料が余分に必要になる。注4 キスリング:昔の、帆布でできた大型のリュックサック。今はまず見かけない。 ばっちっこ 続く人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.28
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こんな回廊を抜けていくと、思いがけない展示品に出会います。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.19
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もう一度、戦場に咲く一輪のバラ! そして大砲! 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.18
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殺伐とした中にもバラです。 でも油断しているとこんな感じ。大砲が市街地を睥睨しています。ああやっぱりここは殺人の館なのです。「バラと大砲の日々」うん、新しい小説ができた! 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.17
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続きです。鍵を開けると、ギロチン(フランス語でギヨチーヌ)。生首まで置いてある大サービス。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.16
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やっと戻ってきました。本当に「奥地」でした。成田から北京まで、これは3時間半ですが、そこから飛行機を乗り継いで昆明まで。これがなんとほとんど成田までと一緒で3時間ちょっと。そこで一泊。翌早朝の列車で6時間掛けて午後1時半ごろ駅に到着。そこからさらにタクシーで30分。わかってはいたけれど、遠い・・・。しかも、早朝の昆明駅で背広の外ポケットからデジカメと旅行用メモ帳を掏られてしまいました。 えーん(泣)。 今回の旅行はしたがって携帯電話にオマケでついているカメラで撮影したしょぼい写真しか残りませんでした。折りがあったらブログに載せようと思います。人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.15
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明日からちょうど一週間、中国の奥地に出張に行ってきます。しばらく更新できませんが、ブログランキングよろしく。人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.08
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ガイドさんがいて、定時になると砦の建物の中を案内してくれます。フランス語コース、フラマン語コースがあって、英語はないのかと聞くと、ちょっとだけね、とのこと。フランス語で話してくれるガイドさんにくっついていくことにしましたが、あまり教科書的発音でないので聞き取るのに四苦八苦。。 で、いきなりですが、これは牢屋の鍵。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.08
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ばっちっこ その9 朝吹龍一朗 響子はそろそろ出勤なのだろう、栃女高剣道部と縫い取りのあるTシャツが脱ぎ棄てられ、上半身はブラジャーだけというあられもないかっこうだった。化粧はまだのようだ。そのままちゃぶ台の向こう側に座ると、幾分眼の覚めたような、やさしい声で言った。「のぶくん、よくわかったわね、ここが」ちゃぶ台をはさんで俺も腰をおろした。冷えてしまっていそうなお茶の入った湯のみがあった。口をつけると案の定冷たい。「すぐ近くに住んでる。だから歌舞伎町は歩いて10分だって言っただろう」「そうだったっけ。でも訪ねて来てくれるとは思わなかった、ぷろみっしんぐ東大さん」「それが危なくなった」「なあんだ、成績が急降下。毎晩あたしのあそこ、思い出して自家発電してたんでしょ、なあんでもお見通しなんだから」「そんなことは起きない。俺、一度読めば覚えるから」「あら、じゃあ」「金が続かない」 響子の声にかぶせるように言った、恥ずかしさを感じないように。2秒くらい、間が空いた。「で?」「抱きにきた」「なによ、お金、ないんでしょ」 そう言いながら両手を後ろに回した。顔は笑っている。「手伝いなさいよ」 俺は立ち上がってちゃぶ台を半回りした。響子の両手を前に戻した。「先に俺の方じゃないのか」「しょうがないわねえ、今日は一人だから、充分、お役に立ってもらうから。でも出勤時間がね、あんまり時間ないのよね」 響子は俺のバミューダパンツのボタンに手をかけた。初めて会った時と同じ短パンだったのに俺は気がついたが、響子はどうだっただろうか。 きっかり1時間後、俺は扇風機で汗を乾かしていた。「ハンろバックにお財布入ってうから。必要なだけ、持っれっれ。あらしもうらめ」 口がまわっていない響子の指さす先には口金の周りに皮の帯が回されている、少し大きめのしっかりした造りでやや大きめのバッグがあった。今ならすぐわかるが、それはケリーバッグと呼ばれるブランド品だった。当時の俺はもちろんそんなことは知らない。「じゃ、模擬試験、3回分、3千円。ありがと」「試験、がんあって、ね、もう、浪人、らめよ。ああ、きょう、お店出られないかもしえない。あんらのせいよ」「この部屋、電話、ないのかな」「ない、わよ」「じゃあ、次、来るとき、どうすればいい」 響子のとぎれとぎれの話し方が俺にまで伝染してしまう。ちゃぶ台と姫鏡台以外に何もない部屋を見回しながら返事を待つ。「いつれも、大丈夫。あたし、シングルらから。シングルって、特定の旦那さんを持ってないってこと」「じゃあきょうから俺が『特定の旦那さん』、な」「いいわあ、いい。それでいい。あんらみたいな人、そうそういないもん。あたし、当分、それでいい」「とうぶん、ね。わかった。じゃあ、3千円、ね、もらっとく」「うん、また、また来てね。今度いつ来るの」 ようやく口が回り出した。正気が戻って来たのだろう。3千円が惜しくならないうちにどろんしようと思った。大きいほうの聖徳太子も3人くらいいたから、まあ、このくらいは大丈夫か。「毎日ってわけにはいかないから」「そりゃそうよ、今日だって二つでしょ、毎日だったらあたし、死んじゃうわ」「じゃあ、まあ、最低週いち、かな」「そうして。その間にあたし、回復しとくから」 右の頬を引き上げてついでにへたくそなウインクをした。俺は再びバミューダパンツのボタンをかけてもらって部屋の外に出た。3度目のお役にたちそうな形態に変身しつつあるのを恨めしそうに響子が見上げたが、俺は左の口角を思いっきり上げて、「また、今度、な」 と言った。 すぐに恒久が出てきた。弓子の部屋で何があったかはあえて聞かないことにした。3千円、差し出された。「これでプラス3回分、ま、付き合ってくれてもいいし、何かに使っちゃってもいい。気にしないで。出所はわかってるとおりだし。俺たち、『ヒモ』って言うんだろうね」 無造作に紙幣という紙きれを受け取って、「いいんじゃんか、ヒモで」 と言った俺の声には別に引っかかりそうな棘はなかったつもりだったが、恒久は珍しく不機嫌そうに黙ってしまった。 そのまま俺たちは自転車で十二社通りを南に下り、これ以上言葉を交わさずに家へ戻った。響子の左頬にほくろがあったことをすっかり忘れていたことに気付いた。好きになってきた証拠かもしれないと思った途端、ポートボール(注1)の授業でわざとぶつかってきたチャコや、毎朝登校の時に俺のアパートの門の横で待っていて、俺の後ろを一人で歩いてくる晴子の顔が浮かんだ。この子たちを組み敷いている自分を想像してにやついていると、「伸彦さん、登校日、よっぽどいいこと、あったのね」 と母親が笑いかけた。 結局そのあと俺は予定通り夏休み中の3回だけ、日曜テストを受けた。予定通り、3回とも1番だったが、別にそれで自信がついたとか、うぬぼれたとか、別の進学を考えたとか、そういうことはなかった。進学教室で4回連続1位というのは珍しかったらしく、そのあといろいろと俺たちの同年次の奴らから話の種にされた。高校時代、大学時代に何かのきっかけで中学受験の話題になると、決まって進学教室話に進み、挙句、お前があの幻の天才少年か、とどこでも驚嘆された。いいことか悪いことか、俺にはわからない。単に、答えのある問題に短時間で正解を見つけることに長(た)けていただけだと今でも思っている。 先走るが、高校では4つくらい上に、自分の経歴に日進で一番を取ってどうのこうのと書いているやつがいるらしいが、俺からするとあんなもの何回でも取れる。さして誇るべきものではない。単なる学校秀才であることがそんなにうれしいか。俺の感覚では、進学教室の成績なんてせいぜいそんな感じだった。 夏休みが明け、気がつくと何人かが中学受験をするようだった。担任の女教諭があからさまにひいきをし始めた。「俊子ちゃん、よくできるわよねえ、陽子ちゃんもすごい、こんなにできるんだから5をあげていいわよね」 俺は世の中に『内申書』というものがあって、私立中学の場合、合否のボーダーラインになったとき、それに書かれている内容によって合格できたりするのだということを恒久から教えられた。「あの教員はたくさんもらってんだよ」「誰から」「決まってるだろ、あいつらの親からだよ」「お前のうちもか」「女子組(注2)と一緒にしないでくれ」 あきれたような声で俺を見上げる顔は、既に大人の顔だった。そして、恒久の目に映っていた俺自身の顔も、それ以上にオトナの仮面をつけていたに違いない。 それは、この夏が、俺たちにとって、決定的に、少年時代との訣別の季節だったと、そして同時に、取り返しのつかない喪失を内包していたと、感じさせる出来事だった。注1:バスケットボールの小学生版みたいなスポーツ。注2:当時の日本進学教室で、国立2組、1組、慶応2組、1組の次の席順のクラス。 ばっちっこ 続く人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.08
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弾痕です。左側はかなりの至近距離から撃たれたものですが、外れたようですね。第二次大戦でもここで攻防戦があったそうです。しかし平和ボケしている朝吹には映画で知る以外の知識はなく、こんな狭いところでバンバン撃ち合ったらすごい音がしただろうなんていう、ちょっとピントが外れた感想しか浮かんできませんでした。まあ、外れた弾の跡なんだからしょうがないか。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.07
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いわゆる銃眼です。ちょうどディナンの町が見えますので、街に向かって発砲したのでしょうね。このスリット幅だと、弓矢は通らないでしょうから、結構新しいものかもしれません。銃の時代になってから改造したのかも。 こんな感じです。橋の向こうが鉄道の駅、すぐ手前にノートルダム寺院が見えます。てっぺんの高さは相当なものですから、あそこを取られると砦としても困ったのではないでしょうか。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.07
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トンネルを抜けると開けたところに出ます。ここが城砦の中心部、山の頂上に当たります。この広場を中心に施設がぐるりとめぐらされています。振り返ると、こんな感じ。この右にもうひとつトンネルがあって、そこから入ってきたのですが、 構造は結構複雑です。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.07
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岡側からの入り口です。というか、こっちしか入り口はあり得ない。 この奥に城砦本体があるわけです。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.06
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高射砲です。「この高射砲を見てみい、これならどんなジェット機だって打ち落とせる」「そしてこっちは最新鋭のジェット機だ、どんな高射砲の弾よりも早く飛べる」「その高射砲でそのジェット機を撃ったらどうなるんだ」「フッフッフ。矛盾の故事だな。その答えは、それ、この本に書いてる、さあ買った買った!」 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.04
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400段を超える階段をパスして楽チンに登ると、なんとお出迎えはジェット戦闘機。本物です。墜落したのではありません。看板によると、ベルギー空軍で実戦配備されていたものとのこと。 こちらから見れば、墜落したのではないのがわかる?! 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.03
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ノートルダム寺院を出て、いよいよシタデルに上ろうと思ったら、この階段!400段以上あるとのことで、しかし疲れそう、と思ったら、 ロープウエイがありました。普通なら二人は座れる切符販売ブースを一人でも窮屈そうにしているおばちゃんにあまり安くはない切符を売ってもらって、4人しか乗れないかごに乗ると、1分ほどでシタデル駅に到着します。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.03
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荘厳な雰囲気に少し浮わついた気分を鎮めていると、中年と若年の間くらいの女性が出てきて足元になんだか赤いじゅうたんを敷き始めました。 なんとこの昼から結婚式だとのこと。朝吹が日本からやってきたと知ると、ぜひ出てくれとご招待されたのですが、そのあとのスケジュールがあるので申し訳なくもお断りしました。その代わり、 ほら、いすにオリーブをくわえた鳩が舞い降りていますよ、ぼくの代わりに、と指差しました。女性は、すごいすごいを連発し、あなたが連れてきてくれたのね、今日結婚するふたりはきっと幸せになる、と言いました。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.02
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ノートルダム寺院です。あんまり立派なので入ってみました。想像通り、かなりの立派さです。全体の大きさはナミュール司教区の司教座である聖オーバーン教会のほうが立派は立派なのですが、全体が醸し出す雰囲気は大きさの劣位を補って余りある壮大さでした。 近寄ってみるとこんな感じ。ただ、普段の教会には生花が飾られることはあまりないので、それも面白いなと思いました。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.01
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川に出ます。Meuse川です。画面の左から右へ流れていきます。したがって、ナミュールの町は右手の方向ということ。向こう岸の丘の上に見えるのがディナン(Dinant)の城砦です。ふもとに見える立派な教会は、ノートルダム寺院です。こんな小さな町には不似合いなほど大きくて立派です。 人気blogランキング投票よろしく 今日はどのへん?。
2009.11.01
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