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うちの母(下関の実母)はここ数年、メニエル病で、調子が悪いとめまいがしたり耳が聞こえにくい。私たちが来る日の朝、めまいがして転んで竹のかごを崩壊させたりして、今回の旅行予定も心配だった。何かあるたびに、聞こえていないことが多いので、病気の影響なのかなと思う反面、そういえば以前から人の話は聞いていないのでは…とも思う。ようするに、自分が言いたいことだけしゃべって人の話は聞いていないのだ。今回もいろいろとすっとぼけていたが、聞いていなくてあきれたいくつかの場面を紹介すると<その1>2階から食事に下りてきたSが、眠いのか、少し泣きそうな顔になっていた。母 「お父さんになんかしかられたんやろう?」私 「いや、しかっちょらんよ。少しねむいんやろう。」 1分後母 「お父さんになんかしかられたんやろう?」私 「いや、しかっちょらんよ。ねむい時はこうなるけー、ちょっとほっとき。」 さらに1分後母 「お父さんになんかしかられたんやろう?」私 「しかっちょらんって言いよろうが(怒)!」<その2>Sの食事の時、まわりが食べ始めてもまだその気にならないSは食卓に近づいてきては、ちょっとさわったりして、少しずつ慣れていこうとしていた。その様子を見て私が「今少しずつその気になってきたケー、今『Sくん、食べよう』とか言うなよ」1分後、急に母 「Sちゃん、食べりーね。座りーね。」S 「うーーー」と言って逃げていった。<その3>私 「おー、入ったー」テレビのアナウンサー 「ゴーーーール!」父と母は隣の部屋にいたが、サッカー中継を見ていた私の声とテレビの音はかなり大きかった。父 「どっちが入れたんか? 日本か?」母 「ああ、あれ、○○さんに送ってもらったんよ。1本よ。」しばらく沈黙。私 「日本が1点 シリアが0点」父 「おー、そうか」母 「○○さんが送ってきたときに・・・・・・・(果てしなくぺらぺら)」下手に途中で話すと余計話が混乱するので、すきをついて父と私は情報を交換したのだが、「日本」のことを「なんらかのいただきもの1本」と勘違いしたままの母はその話をずっと聞いていない二人にするのであった。結局、自分がしゃべれればいいから、うちの母の場合、聞く機能の衰えはあまり関係ないらしい。
2007/03/31
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下関の実家にはもう12歳になる犬の「リョウ」がいる。ゴールデンレトリーバーらしき?雑種で、耳がたれてかわいいヤツなのだが、猟犬らしく散歩でぐいぐい引っ張る力は強いし、しつけはなってないし、大変なものだ。昨年、Sと初対決の際には、Sに目玉を触られたり完全に支配下に置かれながらも、お互いに謎の愛?が生まれ、Sが帰った次の日には一晩中悲しく鳴いていたそうだ。そんな二人(二匹?)の関係、1年ぶりとなると最初はややSが警戒していたが、すぐにうちとけた。リョウは外で飼っているのだが、家のせり出した部分からドアを開けてかまえるようになっている。そのせり出し部分でリョウと遊ぶのだが、リョウの喜びそうなボール(手触りがよくて光るので今回Sのために買ったもの)を見せびらかし、さらに微妙にリョウの手(足?)が届かない位置に置いたりしてからかっていた。なかなか意地悪なヤツだ。しばらくからかった後、最後にボールを高いところでみせびらかして、ぽろっと落として、ボールをあげていた。リョウの表情が「兄貴、ありがとう!」という感じだったが、Sは8歳なので本当はリョウの方が兄貴なのだ…。ちなみにSは暇があるとその犬部屋の前に行き、床にうつぶせになっている。犬目線になって見つめ合う二匹(いや二人)には、私たちには計り知れないコミュニケーションが存在しているのかも知れない。
2007/03/30
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本日は最終日…もうほとんど新幹線で過ごす一日だ。 映画「長州ファイブ」(たぶん井上馨とかあのあたりの長州藩の人物を描く映画?)にちなんだ「長州ファイブ」という駅弁があり、うに・めんたい・ふぐ・あんこう・くじら…がそれぞれ入っているという下関の名産品を寄せ集めたかのようなうまそうなお弁当1300円であった。 見本を見ると、どう見ても「有頭えび」が主役に見えるが…それは数には入れていないようだ。 でもせっかくこの数日おいしい海の幸を食べていたのに、今ひとつのウニ、今ひとつのめんたい、今ひとつのふぐフライ、今ひとつのアンコウ、今ひとつのクジラカツ…を食べるのもかえってがっくりしそうだし、腹痛もあったため断念してパンを買った。 Sは、新幹線の中で、家であげた鳥の唐揚げをよく食べ、お赤飯も1パック完食した。 ところでこの旅の間に気がついたことがある。 下関や門司や別府で外食をするときに気がついたのだが、Sが不意に出す「超音波 (奇声)」への反応が、関東地方のそれよりも大きいということだ。といってもずっと大声を出したりするわけではなく、一瞬、高い声で「うほほーい」と声を出す程度なのだが、その瞬間のまわりの人のリアクションが大きいのだ。 別に悪意があってにらんだりするわけではない。 「え? 何?」という感じで驚きの表情を浮かべて、かなりびっくりしている。 で、まわりを見渡してSを見て、「なんだ子どもの声かー」とわかると2回目以降は気にしないでいてくれる。そんな感じだった。 都会に比べて地方の方が自閉症児が人数的に少ないこともあるかもしれないが、まだ外に積極的には出にくい環境にあるのだろうなあ…と思った。 今、我が家のある街は、都会ではないが、自閉症の人が人数的には多いので、理解者も多い。そういう意味では恵まれているなあと思った。 今回の下関への帰省、Sがとてもがんばったし、楽しそうでよかった。 ちなみに私も、とてもよくがんばってえらかった(笑)。
2007/03/29
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5日目になるこの日、父方の墓参りに行った。 父方の墓は山陰の豊浦郡豊北町(今は下関市)の生家付近にあるのだが、その家はあまりに山奥すぎて電気も引けなかったのでもう誰も住んでいない。住まないうちにかやぶき屋根の家は数年のうちに朽ち果てて、竹が生え放題の土地になっている。 しかし、水はわいているし、花も柴も現地調達できる。その家の跡地付近は風がなく穏やかな気候で、昔の人はこういう自然条件のところを探してうまく家を建てたのだろうなと思う。 墓はその家の位置からさらに高台にのぼったところにあるので、「墓参り」というよりは「山登り」である。 写真はその墓地から見える景色だ。 一族の墓がある5m四方の場所だけは草がほとんど生えていない。これは手入れがいいのではなくて、すべて「土葬」だったので、何かの成分が土に入っているのだと思う(そうでないと霊の力ということになりかえって怖い)。 たくさんあるのは、一族の墓という立て方ではなくてすべて一人ずつ埋葬していたからだ。江戸時代にアメリカに渡って戻ってきた女性のお墓など明治期まではしっかりした墓石のお墓が多いのに、かえって現代に近い方がただの石を置いただけになっており、わらG家の栄枯盛衰を思わせる…。 私のじいさんの墓なんて、真ん中に石一つ、まわりを石で取り囲んだだけなので、油断しているとSがその上に立っていた…。 さて、もう一カ所墓地がある。一度家の跡に戻ってそこからまた反対側の山に登る。 なぜ、こちらにも行くかというと、先祖の誰かがよその名家に養子に行き、でも自分の家の方も絶えそうになったのでまたもどり…とかそんな経緯で、親戚のようなそうでもないようなそういうお墓がたくさんあるとのこと。どれが一族のものでどれが他人(当時の使用人の方)のものだかわからないような状態で、以前は草ボウボウで入れなかった場所なのだが、今は整地されたのでなるべく行くようにしている。 結構「横溝正史シリーズ」のようなすごいムードを出している場所だ…。 さて、墓参りの後は「角島(つのしま)」へ行った。ここの海は美しい! そして造った大橋もまるで海の上を走っているかのようだ。トンボロのできかけみたいな地形で、連絡船でしか行けなかったこの島が今では簡単に行けるようになった。 島には大きな石造りの灯台(映画「四日間の奇蹟」にも登場)などたくさん見所があるのだが、橋を渡る料金は無料だからびっくりする。地元の方は無料にしても、どうせ開発するなら地域の収入になる方法を考えればいいのに…。たぶん500円取っても普通文句言われないと思われる。うちの父は文句いうだろうが…。 橋の手前にあるオブジェは、去年もSの滑り台となっていたが、今年はもはや慣れたもの、その先に立って海を見渡していた。 角島の特産品を取り扱うみやげ屋「和田水産」のひげおやじの紹介で、有名な灯台の反対側にある「牧ノ原 風の公園」(名前が違うかも)にお散歩に行った。こちらは駐車場も無料、牛がのんびり放牧されていたり、行くまでの道も昔ながらの島の道路だ。 Sは、石の段が続くところを歩くのが好き。(平均台のように上に乗って歩き続ける) Sは、風に吹かれるのが好き。(「うほーい」とか声を上げながら喜んで時々タオルをとばす) Sは、水に入るのが好き。(海に走り出したりしてがけを降りないように必死で手をつかんでいた) 何もなくて、でも暖かい風が吹いて目の前に美しい海があって…すばらしい場所だった。
2007/03/28
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本日は別府旅行2日目。それにしても一晩中湯煙が出ている街ってすごい。 本当は遊園地に行く予定であった。行き先は今はそう流行っていない「別府ワンダーラクテンチ」。 実は私も小学生の時に行ったのだ。 当時、お化け屋敷の中に、足下がはしごになっているところがあり、その下に網が張ってはあるがかなり怖かった。暗闇にはしごなんて今ではまずないかな…。お化けと高さの両方の恐怖から焦ってか、クラスの女子が靴を落としてしまったのを覚えている。 ちなみにその靴は、後からお化けが届けてくれたらしい(笑)。 古い遊園地のその風情は、関東でいうと「浅草花やしき」といったところか。 ところが天気予報は雨。 そしてラクテンチに向かう車中で雨は強くなってくる。あきらめて、予定変更。これまた多分その当時(30年前)に行った水族館に行くことにした。 しかし、このマリンパレスは、全面リニューアルして立派なものになっていた。当時の面影を残すところは皆無。 一度つぶれた?という話も聞いたような気もするので、別会社でやっている現代的な水族館というところか。下関の懐かしい水族館も現代的な海響館というのに生まれ変わっていたが同じような感じだった。 まさか混んでるなんてことは想定していなかったのだが、ものすごく混んでいた。それもそのはず、このあたりの小学校の春休み初日で、しかもこの雨でラクテンチ・城島ゆうえんち・サファリランドなど他の施設に行くつもりだったみなさんがみんなここに来てしまったかのようであった。 人混み嫌いで、生物に特に興味のないSが、人をかき分けてまで水槽を見るわけがない…と思っていたのだが、しながわ水族館、下関海響館、そしてこの別府マリンパレス「うみたまご」と3回目にしてだいぶ興味が出てきたらしく、気に入ったものは見るようになった。 どちらかというと光やガラスの形状や座りやすさが気に入ると近づいて長居するようにも見えるが、そのあたりは基準がよくわからない。 2番目によく見ていたのは「イワシ」。ライトアップされてきらきら光るのがたくさん泳いでいたから見ていて楽しかったようだ。まあ他にこんなに珍しい魚がたくさんいるのに、日頃食べている魚をずっと見ているのもどうかとは思うが…。 1番は… お姉さん。 水槽の掃除をスーツ着て潜ってやっているお姉さんに釘付け! 掃除をする吸盤みたいなものを反対側から一緒に追いかけるのには笑った。 掃除中のところなんてそれまで誰もいなかったのだが、Sの粘りに少しずつ人が集まり、そのうち携帯で写真を撮る高校生男子まで現れた…。水中でえさをやるときならともかく、掃除中…。 ずっと、観客の動きを無視していたお姉さん…ちょっと困っているようであった。 帰り道は、高速道路でものすごい霧に遭遇。 「恐ろしいねえー」とか言いながら寝てしまうばあさんと妻にあきれていたが、私もつい目を閉じてしまい次に開けたときには、霧が晴れ渡っていた。(30分経過) 一人で(Sも起きているが車ではおとなしい)平気で霧の中を運転したじいさんは、さすがは元プロ運転手であった。
2007/03/27
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今回帰省中に忙しかったのはここで1泊2日の家族旅行にさらに出かけたからだ。 実家を起点にしていると、私たちにとっては旅行でも、じいさんとばあさんは自分の家にただいるわけだから、奮発して別府の鉄輪温泉にご招待したのだ。 こっちが帰省できて、じいさんばあさんも元気で…という時期がいつまであるかわからないので、今年何とか実現したかったのだ。親孝行だな、今の俺。(笑) ばあさん(私の実母)は、ここ数年「メニエール病」が出ており、めまいがしたり、吐いたりとかも時折あるらしい。まあかといって死ぬような病気ではないのだが、帰省の前日にも一人で倒れて、竹のかごでアタマを打ったり?ということもあったので、別府旅行までは何かと安静にしてもらった。 食事も鉢盛りをとったり外食したり(これはバーミヤンがあったおかげでS大喜び)、朝食の洗い物は私たち夫婦でやったり。親孝行だな、今の俺(再笑)。それなのに、すぐに勝手に人んちの洗濯物を取り込んだりするので、結局お礼を言う前に文句を言ってしまったり、冷たく突き放したりするのであった…。 で、下関から別府まで車で行くのだが、そんな遠距離運転も大丈夫…な人が、うちのじいさん(私の実父)だ。彼はトラック運ちゃん(厳密には石油タンクローリー)歴40年(推定)以上のベテランである。長距離運転はお手の物で、昔小学生の私は仕事帰りに石油タンクローリーで甲子園球場に乗り付けたこともある。(その時に「ここは観光バスの駐車場です」と注意されても、「あいとるんやけー、ええやないか」と強引な父に結構感動した(笑)) さあ、そんな頼りになる父…のはずが、今年はやはりちょっと感じが違う。本人は今までと同じつもりだろうが、もうすぐ70歳ともなるとやはりどこかあぶなっかしい。運ちゃん引退からもう10年以上すぎてもいる。 下関で高速に乗った後、いきなり「ありゃ、こりゃ、どっちかいのう?(あれれ、これは、どっちなのだろう?)」と言いながら、広島方面と福岡方面に別れる道の真ん中で止まった日には(もちろん高速入り口で止まっては行けない)、これから先が不安なのであった。 さらにカーナビが古くて使い勝手が悪い。「俺のアタマに道は入っとる」と豪語する割にはすぐに「ありゃ?」というので結局私は昔ながらの地図を見ながらのナビ役。さらに、気がつくとすぐ30kmオーバーしているようなスピード狂じいさんをなだめながら私は眠れないのであった。 さて、そうやってお昼には別府に着いて、別府駅ビルのなんてことない店で食事。カレー屋とかたこ焼き屋とかが集まっている場所で席にいろいろと持ってこられる。ところがこのなんてこともない店の豚骨ラーメンが、びっくりするほどうまかった。 私はかなり豚骨ラーメンにうるさく、しかも博多ラーメンだと今ひとつ満足しないどちらかというと肥後ラーメン寄りの下関人の好みなのだが、その私をして満足させる角煮ラーメンセットであった。 ちなみにSもじいさんのラーメンをとって食べていたが、そんな中、私はあまりとられないように素早く食べた。 さて別府では、鉄輪(かんなわ)温泉地獄巡りへ。これは私が小学生の修学旅行で来た道でもある。 しかし我が家のように、メニエールで目が回るばあさん、観光地ではダッコマンに変身しがちなS…などさまざまな困難を抱える場合は、8つも地獄に行かずにホテルに近いところだけにした。 「地獄に無理に行かんでもそのうち本当に行くからええ」(地獄巡りで無理して全部に行かなくても、本当に死んだら地獄に行くからその時見るからいい)というじいさんのせりふには妙に説得力があって笑えた。 (まあ地獄行きはあんただけでたぶん他の人は天国かも知れないぞ) 行ったのはまず白池地獄。 そしてかまど地獄。ここは我が家のようにたくさん行けない人にはうってつけだった。 本来ならかなり遠い場所にある他の地獄が、スケールこそ小さいが、プチ「血の池地獄」、プチ「海地獄」などあるのだ。プチ血の池地獄プチ坊主地獄プチ海地獄 すみません、「プチ」は私が勝手につけただけで、実際は「地獄の○丁目」とかいう表記だったように思う。 そして最後に「足湯コーナー」。 誰も何も教えていないのに、Sは勝手に靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ズボンのすそをめくり(笑)、その青いお湯に入ったのだった。まわりのお客さんの様子を見てまねをしたのだと思うが、どちらかというと新しい体験が苦手なはずの自閉症児が、えらく積極的なので驚いた。 そして、この足湯コーナーの横にある温泉卵もおいしかった。 せっかくそばにあるので次は「金龍地獄」へ。ここはいわゆる地獄巡りの数に入っていない。たぶん、そういう組合(地獄組合?)に入っていないのか入れてもらえないのか…。どうせ共通券ではなくバラで買っていたので気にせずにそこに入った。「大勢に与せず」みたいな姿勢が気に入ったので…。 ちなみに中には、大きめの仏像や竜やバナナ園があり、まあ他にそう驚くことはなかった。 関係ないが、今はもうないようなのだが、30年も前にやはりそういう正規の地獄?ではない「ヘビ地獄」とかいうのに入ったら、半径10mくらいのすり鉢状のあり地獄のような形の中に、何千匹(何万匹)というヘビが入っていて、下は重なり合うようにニョロニョロ、がんばって上の方まで来ているヘビも結構いて、私はのぞき込んで気絶しそうになったのであった。 ある意味、インディ・ジョーンズのあのシーンよりすごかったのだが、やはり動物愛護の観点から問題だったのだろうか? もうないと思うとうれしいようなさびしいような。 さて、今回の旅行では地獄巡りをそうそうに切り上げてホテルに行った。 宿泊は、つぶれたホテルを買い取って最近リニューアルされた「もと湯の宿 黒田や」というところ。 応対もみなさんにこやかで、とにかく食事がおいしかった。部屋も和洋室で広々していたし、文句なし。 温泉は小さめだが「源泉かけ流し」。 Sは最初は緊張して温泉の中を立ってうろうろしていたが、そのうち湯につかるようになり、その後は一緒にあがろうとしてもまた戻って温泉に入る…くらい気に入ったようだった。 強いて文句を言うとしたら、男性用露天風呂が白池地獄の駐車場ととなりのホテルおにやまから丸見えだということくらいか。これは見られてどうのというよりも、向こうも駐車場からふと目をやるとおっさんたちが裸でびっくり…という感じで、見られているこちらが何か悪いこと(露出系の犯罪?)をしているような気になるので(隠してたけど)ぜひ見えなくして欲しい。すると、すでに屋根はあるし、まったく露天風呂ではなくなるからやらないのかもしれないが。 夕食を個室で食べる際に、スリッパを脱ぐのだが、部屋でスリッパをそろえるのを教えたこともあり、Sはこだわりとしてピシッとそろえる。人のまでそろえる(笑)。これには仲居さんが感心して、「僕、えらいねー」とほめまくっていた。 「お行儀のいい僕」と呼ばれたS…その後は走り回ったり、超音波(奇声)を発したり、何度もトイレに行ったり、その際廊下で泣いて寝ころんだり…かなり大きな印象を与えたとは思う…。 それでも全体的に笑顔(ちょっと目が点になっているけど)なホテルのみなさんであった。
2007/03/26
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携帯からの更新はおっさんには大変なので断念。 自宅に帰ってきてからパソコンで少しずつ打つことにした。そのため、数日遅れでこれからアップする予定。 この日の記事の写真だけ今日はアップしてことばはあとから追加します…。 (ここから新規記入分) 二日酔いの、私とその父(じいさん)を含む一行(プラスばあさん・妻・S)は朝から母方の墓参りに出かけた。ここは昔は山の中の一角と思っていたのだが、墓地を増やすために切り開くうちに、関門橋が目の前に見えるは、違う方向には海峡ゆめタワーが見えるは、旧市内を見渡せるは、海は見えるは、もう大変な一等地である。 Sは相変わらず墓のまわりの囲いの上をぐるぐる回ったり、アクロバチックだ。 急に動きが止まる。 ズボンの上から股間をさわる…。 ムムムム…これは…。 墓地なのでやむを得ずその辺でというわけにも行かず、すみっこまで連れて行き、金網のところで立ち小便をした。いい景色で気持ちよさそうだったので私もしたくなったが、大人なので我慢した。 その後、関門橋を渡って門司港駅へ。いわゆる「門司港レトロ」と呼ばれている街(いつのまにかあのさびれた倉庫街がそういうことになったらしい)に行った。ところで、関門橋を渡るのはまだ生まれて3回目くらいだ(笑)。地元というのは案外そういうものなのか、安い関門トンネル(人道は無料、車も橋より安い)は多分100回といわず通っていることであろう。 我が家のケチぶりを示す話だったが、今回はSをよろこばせようとじいさんも素直に橋を通ったのだった。 さてその門司港レトロ、昭和レトロを装って最近建てられたもの…がずいぶん多いようにも思ったが、写真の門司港駅は「本物のレトロ」だ。昔からぼろかった。駅前広場でフリーマーケットなど行われていたが、その様子は都会のフリマとは何か違い、東南アジアの市場のようであった(行ったことないけど)。 そして、昼食へ。旅行中のSはとにかく食べない。1泊2日食事抜き…なんてことも過去にはあったが、昨年の下関帰省ではまあまあ食べた。 今回も1日目はあまり食べていない。 彼の食べそうなものとして私のチョイスは…瓦そば。 川棚温泉名物(今は下関だが合併前は豊浦郡)の元祖瓦そば「たかせ」が、なぜか門司港に進出していた。 錦糸卵とか甘く軟らかく煮た牛肉とかが上に乗った茶そば(ゆでた後、瓦の上で焼く)をモミジおろしとかレモンを入れた特製ダレに入れて食べるのだが、結構おいしい。 でも他店の「瓦そばもどき」は一つまちがうとかなり変な味となる…。 この店になぜかあったので頼んだ「ふぐのからあげ」をSはまず食べ始めた。 そこに、このブランドもの瓦そばがドーンと3人前置かれた。これをSは食べまくった! 案の定、茶そばの焦げたところばかりを食べる。 しょうがないので、牛肉や錦糸卵ばかりを私たちは食べていたのだが、はたからみると、小さな子にそばだけ食べさせて自分たちはいいところを食べている一家のようであった。 昼食にSは大満足。お礼に帰りのトイレで、旅行となると便秘がちな便までしっかりとしていった。 さてこの写真は一部上のヘリポートがきれているのだが、黒川紀章氏設計の高層マンション「門司港レトロハイマート」の31回展望室にのぼった。 高いところ好きのSはすぐに窓に張り付き、じっと下を見ているのだがその景色はこんな感じだ。 彼はガラスがなくてもこういうところの端まで行ってしまうのだろうか?
2007/03/25
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下関への道のりは新幹線だけでも約六時間。乗り物好きとはいえ、自閉症児Sがこの時間、耐えるのは大変・・・。よくがんばった。特筆すべきは、うちに飲みに来てくれた二人の友人。よく飲み、よくしゃべり、代行屋と帰っていった。すごく楽しかったのだが、ほとんど記憶とび・・・。夜打ったお礼のメールにはthank_vouとなっており、yとvの区別がなく、かなりの酔いを推測させる。太ってない相手でセーフ。少しアウト?夜中三時半と四時半に吐いた。
2007/03/24
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明日から6日間下関に帰省する予定だ。 よかったのは、今日までに来年度の講師の仕事のめどが大体立ったこと。 1校目はA校で来年が3年目、学年も持ち上がる。2校目の方の枠数がまだ確定していないが、とりあえず必要な数には行ったので安心して過ごせる。 ここまで、あまりに遠いとか曜日と枠数が合わないとかうまく条件の折り合いがつかなくて、断ってしまったのが3校。もう3月末なので話もそうないだろうと(急に5月頃に来ることもあるが4月中にある数まで行かないとボーナスが出ない)少し焦り始めていた。 で、近いところから来たら、少々の悪条件でもなんとかやろう…と腹をくくったら、昨日電話がちょうどかかってきた。 なんと、昔私が教諭として長くいたある市の学校。私のいたH中と双璧と呼ばれていたS中ではないか! 何の双璧かというと、「いつも荒れてる伝統校」という位置づけで、H中の教職員は「S中よりは大変じゃないからがんばれる」とよく口にしていた。しかし、これは向こうもそうらしく、「H中よりは大変じゃないんだから…」と言っていたと聞いたことはあるが…。 どうも今では両校とも落ち着いている…という話も伝わってきているが自分たちで流した噂かも知れず(笑)少しマユツバものだ。 現在の講師枠の空き状況を聞かれて、「○曜日と○曜日しか空いてないんですよね…」と口から自然に、断るようなニュアンスを出してしまったのだが… 「そうですか。それはすばらしい。ちょうど入っていただきたいのがその曜日なんですよ!」と教頭の弾むような声(笑)。 思わぬ展開に、こちらも「ええい、ままよ」とOKを出してしまった。 導かれてしまいました…。 ということで、来年度は久しぶりに少し苦労をしようかと思う。
2007/03/23
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朝、息子Sを小学校に送るときに、自分が勤務しているA中学校の裏手の道を通過する。 その道路の30mくらいの部分が1年生のいる校舎から見えるのだが、なぜか早くから学校に来ていて暇な少年(中1)が廊下から見ていて声をかける。 この男、声がでかいだけではなく、かなりひょうきんなヤツなのだが、日頃もその道の手前の職員駐車場を通る女性教諭に、恥ずかしいくらいの大声であいさつをしたり禅問答みたいな会話をして来るという謎の趣味があるのだが、3学期になって私も時々見つかるようになってしまった。 最初の頃は遠慮がちに「○○さーん!」と私の名を呼ぶだけなので、聞こえないふり(笑)をして通り過ぎていた。 しかし、日に日にボリュームが大きくなり回数が増える。 まわりに誰もいなければいいのだが、ちょうどまわりが小学生だらけの時に、声がマックスに! 「○○さーん!」と少年が必死で手を振る中、小学生が「誰のことだろう?」ときょろきょろ。どうみても中学生から「さん付け」で呼ばれそうなのは大人の私しかいない中、あきらめて「はーい」と手を振り返すと、今まで私の名を知らなかったまわりの小学生のみなさんも「あの人がいつも呼ばれていた○○さんか」と知ったであろうし、あの恥ずかしい男の知り合い(本当は教え子だが)であるということを知られてしまい、とても恥ずかしかった(笑)。 その日のそのクラスの授業で、その一部始終をみんなに暴露し、そのクラスでは大爆笑。「ということで、O君、私の名前を大声で叫ぶのはやめてください」と念押し。本人はみんなにうけてまんざらでもない様子だが、それなりに真っ赤になって照れていて、私も「してやったり」であった。 そして迎えたこの日。 遠くから声が聞こえる。また何か言っているようだが、ひとまず私の名前ではなさそうだ。 3度目に大音量で耳に入ってきたそのことばは 「おーい、知らないおじさーん! し・ら・な・い・おじ・さーーーん!」 小学生たちは、むちゃくちゃうけている。 あいつ、新学期になったらとっちめてやる!(それまでは打つ手なし)
2007/03/22
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昔ジンギス・カン、今チンギス・ハーン。なぜか歴史の学習でも発音が変わってしまった彼の映画だから見に行った。 戦いの様子とか大草原を行く大軍の様子が壮大なスケールで描かれていたので、劇場で見てよかった。 だが、番宣で自慢?の親子の愛もあまり熱くなかったし、たまたま自分が知っているエピソードばかりだったこともあり、あまり心に残らなかった…。 世界に打って出るほどの映画ではないような気がしたけど、大企業の力はそれを可能にしてヒットさせてしまうのか? 今後の動きがある意味気になる。
2007/03/21
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介助員をしているC校の卒業を祝う会の後(式に出ないくせに打ち上げには参加している)、職員みんなで初カラオケに行った。 なぜか芸達者の多い謎の集団だった。 その中で、ひときわ歌のうまい若い女性(音楽科だしうまいのは知っていたが)が歌った曲が、あまりにもよくて目を閉じて聴き入って、不覚にもカラオケ屋で感動してしまった。 曲はアンジェラ・アキの『HOME』 立ち寄った店で上のシングル盤を買ってしまった。が、今アフィリ検索してみると、この曲の入ったアルバムがもう出ていた…。↓ 前々から気になっていたアーティストだが、いつもその場で「いいねえ」と思うだけで、いくつかCDを買おうとするようなときにはもう忘れていた。 が、今回は翌日早速購入。カラオケで聴いた曲を即買いするなんて、私のミュージシャンとしてのプライドはどこへ?という気もしたが、そういう力が働いたのだからしょうがない。 さて、この曲、なかなかよかったが、前日歌った素人(金を取ってないという意味で)の方が歌はうまかった…。 すごいぞ、実力派素人! ちなみに主任のS先生が歌った『宇宙戦艦大和』は衝動買いしていません…。
2007/03/21
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私を含め、フリーな立場の教師は、卒業式に出なくてよいことになっている。 3年間たまたま持ち上がったとかそういうことでもない限り、普通、講師の先生はこの地域では式に出ていない。たいてい講師の人は複数校勤務しているからどこかだけ出るのも何だしというのもあるようだ。 でも以前は気楽な感じで、当日急に思い立って…という参加の仕方もできたのだが、今は無理。前もって管理職にお願いして約束事も守る確約をしなければいけないからだ。 私の都道府県では、教職員の座席までピシッと指定されていて、ちゃんと「あの歌」を歌っているかどうか、教委から見張りが派遣される…そういうことにあの知事さんのせいでなってしまっているので、気楽に出られるものではなくなっている。 出なくていいのに無理に出て、その先でわざわざ処分されたり(笑)、やせ我慢したり…というのもいやなので、基本的には出ない方針に私はなっている。 今年は現在勤務の3校と、一昨年度勤めた小学校…と卒業式が最大4回あったが、うち2つは同じ日だし、結局どれも出なかった。 小学校は4年生で教えた子たちがここで卒業、一番思いも深かったので出たかったのだが、例の養護学校PTA行事とぴたりとぶつかってしまい、そちらに出席の返事をしていたので、「仕事より家庭優先」というスタンスで出られなかった。こちらは公立ではないので「あの歌」は誰にも強制されていないし、処分もなく各人の自由、そうなると児童が元気よく歌っていても全然違和感がないから安心して行きたかったのだが行けなくて残念。 さて、他の3校のうち2校では、卒業式予行に出た。証書授与が全員あるわけではないけれど、去りゆく卒業生たちの歌とかが聞けるし、入退場で最後の姿が見られるからこういうのでOKと思うようになった。来賓の長い話とかもないし好きな場所に動けるし。 2校とも卒業生の歌に、今SMAPのフレッツCMでおなじみの『旅立ちの日に』がふくまれていた。昔はなかったのに今は大人気なのは、「歌で荒れてる学校を立て直したどこかの学校?の校長が作った曲」で、10年くらい前から音楽科の先生たちの間でブーム?になったそうだ。(すみません適当な情報なのでご自分でお調べください) 我が都道府県の?合唱曲の定番『大地讃頌』とともに式でよく歌われるようになった。 3年生の一生懸命さは、地元のA校に軍配! 在校生と教職員に向けて、予行のみで歌う曲の用意もあり、なかなか感慨深かった。 さて、今日は他の用事もあり、朝息子SをA校の隣の小学校に送ったあと、自宅に車を取りに帰った。朝の下校中(笑)というややこしいタイミングで今日卒業を迎える3名の生徒に出会った。 ちょうどこれから一緒に登校するところだったらしく、「まさか私たちの卒業式に来ない気じゃないでしょうね」などと鋭いつっこみを受けながら、つかまった。 卒業アルバムに一言を書く…という先週は出勤日の関係でうまく逃げ切って誰にも書いていなかったものを思い出され、ひとことずつ記入。今年は3人限定だ。さらに家の人が出てきて、ごあいさつをし、その一言を書きつつも顔を作っての記念撮影。しかもインスタントカメラは3台。 ばたばたしながらの朝の時間、もし自分がこの学校の教諭だったら式後にあったはずであろう時間を、ミニサイズでプチ体験したのでなんだか満足だった。このCD、曲名が「なるほど」という感じですが、いったい誰が歌ったのが入っているのだろう?
2007/03/20
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養護学校PTA主催の交流行事にSと親子3人で行ってきた。 インラインスケートとかブラスバンド体験とかいろいろとここでしかできないことに参加させてもらってきたが、今年度の最終回はボウリング大会だった。 ガーターガードもついているそうだし、もしかしたら破壊好きのSはピンに向かってものすごいエネルギーを爆発させるかも…と思って参加した。 球を積極的に持ちあげて、運ぶのは好きなのだが、投げるとなるとやる気なし(笑)。 あまりの勢いのなさに、私が一緒に転がしたり、転がり始めた球をさわって勢いをつけたりとかいろいろとやるのだが、向こうまでたどり着かずに球が戻って来はじめて、係員を呼ぶことも…。 そのうち、レーンの手前に球を置いて、片ひざついたSと一緒に手で転がす…という投法をおこなってやっとまっすぐ転がるようにはなったのだが、なかなかピンに当たらない。 先のガーターガードにずーっと沿って球は進むのだが、なぜかピンの手前の最後だけガードがない。 毎回、最初はまっすぐなのだが、球に勢いがなくて右か左にそれて、最後はガードのお世話になり、ピンの手前で消えていく…。 奇跡の第1投目以降(5本くらい倒れた)は、1本も倒れない。 ところが機械の得点板の表示は、2巡目以降、1投目はスプリットの3点、2等目は2点とたいてい表示されており、1本も倒さないのにいつも5点くらい入っている? 隣のレーンの人を見るとG(ガーター)の表示もちゃんとでている。もしかしたら高等部のお兄さんたちの参加が多かったから、小学生はハンデがついて、機械に名前を入力するときにハンデ入力とかがすでにされるのかも…。確かに同じレーンのボランティアのおばさまがガーターを出すとGと表示された。今時のボウリング場はすごい。 途中ぐずったりしながらも、なんとか2ゲーム最後まで過ごすことができた。だから10回×2×2ゲームで計40投やったので、それだけでもえらかった。 同じレーンの小学部のお兄さんは、順番を待つのと、音がうるさいのと、レーンに駆け出せないのとが複合した理由(推定)でパニックがだんだんひどくなって途中退場してしまった…。そんな後だけに「うちのSは今日よく持ったなあ」と思えた。 ちなみに40投のうち1投は、Sのぐずりがちょうど激しくて代わりに私が投げたのだが、あまりの球の軽さと指穴の小ささで、投げたつもりがまだ手に残っていて、そこから「ポン」とすっぽ抜けてしまい、まるでソフトボールの投手のような球が飛び、激しく落ちてのガーターだった。おかげで得点をとりすぎるような影響はなかった(笑)。 山場が一度あった。珍しくその回はSの投球に力が入っていた。そうとは知らずに一緒に強くSの手を押し出した私のパワーと合体して、かなりの勢いがついた。 球は最初から左に向かいガーターガードを直撃した。しっかりと斜めに当たるとしっかりと跳ね返ってくる。(入力角と反射角は正しい?) 今度は右のガーターガードに激しくぶつかって、そして跳ね返って戻ってきた。そして球は、右斜めからの完璧なラインを描きながら、1ピンの少し右側からピンのあるところに入っていく…。 ガシャ、グワッ、ポテ、ポテ…と倒れていき、なんとストライク! いやあびっくりした。 当のS本人は投げ終わると球の行方など気にしていないので(なるべく見せるようにしても目が見ていない)、わかっていなかったが、まわりのみんなが騒ぐのでなんだか驚いていた。 1ゲーム目だけで順位を決めるのだが、Sの初ボウリングは67点(実際は20点くらいか)58位(78名中)という結果であった。 ひとまず、ボウリングにはあまり興味がない…ということがよくわかった。
2007/03/18
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時期が時期なので、そろそろクラスによっては最後の授業となってきた。 選択授業だけ受け持っていたB校ではすでに2コマとも終わり、来年度は継続しない予定。4月になってお互いに困っていたら相談しあうという状況(クラス数が流動的なため)。 1学年丸ごと受け持っているA校は、来年度も持ち上がって2年を持つことが内定している。 とはいえ、1年契約の毎年更新の派遣の身、急に別れることもあるので、毎年今年が最後のような顔をして、最後の授業をしている。 1年1組は今日が最後。始めるときに 私 「今日が最後の授業です」 数人「やったー!」 私 「ばかもの!それは私のせりふだ」 Nさん「先生、来年もうちらの社会やるんでしょう?」 私 「それは後で言うけど、何とも微妙なんだよなあ…」 私 (一番前でぼけーっとしているKさんに) 「Kさん、どうしようか?」 Kさん 「チェンジ!」 思わぬところで勝手に交代させられてしまった…。
2007/03/14
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もう花粉症になって20年目くらいだ。杉花粉の宝庫でもあるこの街に住んでから症状もひどくなった。 特に目に来るのだが、ここに来た最初の年は運転中に目がごろごろして、そのうち両目とも開けていられなくなって眼科に駆け込んだ。 それからもう14年、目薬や目の洗浄液は使うが、飲み薬は年々抑えめにしてきた。昨年は、市販の弱めのヤツを3日に1回飲む程度とかそんな感じだった。 思い切って杉エキス入り?の注射とかを打つ人もまわりにいたが、杉の軍門に下るような気がして決してまねしなかった。 そして今年…今日までまだ飲み薬をまったくなしで過ごせている。鼻は乾くが、耐えられる程度。なんだか眠くなってくるが、それは少し寝てしまって解決?! 夕方寝られる今の生活に感謝。 「今年は薬なしで戦う」という私の決意に対して、「果たして何のために戦うのか?」という素朴な疑問を投げかけた先生がいて、「そういえば別に意味はないが、なしなら勝ったような気がする」と答えていたのだが、やってみてわかった。 「薬代がかからない!」 これはなかなかのメリットである。 ただし、杉との勝負に勝ったかと問われれば、???なのである。(泣かされてるし)
2007/03/12
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タイトル名は、昨日の夜9時からの『NHKニュースウォッチ9』の中で紹介された曲の題名。 歌詞が101番まですでにある(笑)ご当地おやじソングとして話題になっているらしくなんと5分間近くもこのニュースが特集されていた。 曲を作って、演奏しているのは『岡田良二教頭』 ちょうど、秋田の実力派ベーシスト兼教頭である大先輩(5コくらい上)から電話があり、なんと私たちの大学音楽サークルの大先輩(10コくらい上)が全国ネットのニュースに出るということで、この番組を見た。 東広島市ではすでにすっかり有名らしい。 下は中国新聞の内容。中国新聞 全国ネットのニュースで5分以上もやるなんてそれだけでもすごいが、話題は歌詞のことばかり。私が衝撃だったのは、「歌がむちゃくちゃにうまいこと」だ。 ニュースの音録りだから、音楽番組用の録音ではない。それなのにその歌う映像が何カ所か使われていてそれが長時間の放送に耐えうる内容なのだ。というより、「いい声だなあ」という感じで、少なくともただの教育関係者の歌ではない。 公募もして話題の歌詞はここから見られます。ニュースウォッチ9でてこい!おやじ! ところで、その音楽サークルで合宿係だった私、サークルのお金をおろしに行くときに使った預金通帳の名義が「岡田良二」だったような気がするのだが錯覚だろうか…。今もだったらすごいな。(30年間めんどうくさがって誰も作り直さないという点で…)
2007/03/10
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「はい、どうもー」(吉本の若手芸人風に)で始まったのは、社会科の時間のある生徒の宿題の発表である。 1年の地理では、身近な地域のことや都道府県のことなど、やたらと調べ学習の設定が多く、かといってそのことばかりもできない。 結果的に、「調べ方」はみんなでやるけど、まとめるのは各自で…長期的な宿題…となってしまう。 今回のは2学期の終わりにはテーマを出せていたのだが、しめきりは3月アタマ。早い人は昨年やっただろうし、遅い人は当日の朝早起きしてやったそうだ。 ちなみにまだやってなくてラストチャンスにかけている人もまだ3分の1いる。やっぱり宿題っていうのは、短期勝負の方がいいようだ。 さて、「はい、どうもー」から入った生徒、日頃の授業中はほとんど声を発することもない子だ。でも前回の発表の時も、まるで別人のようなノリで、みんなをお笑いの世界にいざなった男である。 この日も2分弱、芸能レポーターのようなノリで、京都のお寺のいくつかについて紹介した。 「龍安寺…うーん、これは、この庭見るとみんな知っているはずなんだけどねえー。うーんどうしようかなあ、ちょっと黒板に書いちゃおう。」 ~ ~ △ ~~ 「こんな感じ。」 「え、わかんない! △が岩で、この~が白い砂。」 「あー(5名程度)」 「はい、わかった人手を挙げて(10名くらい。そのうち嘘であげる人も含めてやや増える)。はい大丈夫。これで全員ですね」 (全然、全員じゃないので一同笑) 「ねえー、やっぱり知ってるでしょ。 じゃあ次いってみよう」 というハイテンションなまま持ち時間をやりきり、最後は 「はい、今日はここまで。どうもしつれいしまーしたー。」と言いながら左手を前に花道?を去っていった。 思わず三味線の音が聞こえたような気がした。 圧倒された。 私の手元の採点は、発表の内容がA 声の音量などが特A 総合得点は10点満点で12点(笑)とついていた。 あとで、B4サイズの紙にまとめた地理新聞(発表原稿)の採点もしたのだが、それ自体は、Bで7点。 普通の(いや普通より超手抜き)原稿である。 あれから最高のパフォーマンスができるとはすごい男である。 そうそう、あまりの迫力に押されて、「りゅうあんじ」じゃなくて「りょうあんじ」だぞ…とつっこみそこねたのであった。
2007/03/08
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土・日は38度台の熱、家で寝込んで、月曜は37度台でB校に出勤。 午後は授業がなくて家で爆睡。でも夜にはまた38度台。 火曜は37度台に下がって出勤。学年末考査を返却し、ヘロヘロ。夕方は息子の療育のSTとOT両方あり。夜になるとまた38度台。 寝まくって、水曜は36度台(といっても9分)になって出勤。夕方は息子の歯医者送迎。そして今、やっと平熱。 結局、仕事に全く穴を開けないまま治りそうだし、一応マスクはしてたけどこれからはやるどころかもう流行遅れのタイプの風邪だし、俺って「講師の鏡」だな…なんてあつかましくも思うのだった。 さて一方で、家では全く炊事洗濯をしない日々が続いているので、こちらの風当たりはきびしそうだ(笑)。ただし、義母より後にひいて先に治ったからちょっと楽な立場だ。これで私が先だと何を言われてるかわかったもんじゃない(笑)のだが、今回はスタートが息子Sだったので、穏やかな我が家であった。
2007/03/07
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2日に飲み会に行った後、寝込んだ。二日酔いではなくて風邪だ。 先週、Sは月曜日早退、火~金は欠席だったのだが、見事なほど他の家族も次々に、高熱その後のどの痛みと下痢…の同じパターの風邪をひいた。 なので、金曜日はまだ元気だった私も、そろそろ来るな…どうせなら土・日だと寝込みやすいなあ…と少し思っていたのだが、本当にそうなった。 この数年、風邪の時に私は薬を飲まない。結構同じくらいに日付で治るし、治った後にぼーっとしない。どうもあのぼーっとするのは薬の影響もあるらしい。 ちなみにまだぼーっと少しするのだが、これはまだ治っていないのだな…。
2007/03/04
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テストのためC校の仕事が早く終わったので、帰りに、もうすぐ校舎建て替えのための解体工事が始まる前任校(正確には前前前任校)に寄った。 昨年から毎週一度はそばを通りながらも「まあそのうちでいいや」と思っていたのだがここまで結局行けていないので、「今日行かないともう一生行かないのではないか…」と一念発起。 4年間離れるうちに、知っている先生たちは激減。教諭4人と事務主事2人以外はみんな知らない人たち…。 今日行って、残っていらっしゃる方々6名全員に会えたので、本当に行ってよかった。 まだ、懐かしいおんぼろ校舎もそのままだった。ぼろすぎて、廊下の天井が崩れるという事件や、水道管が壊れて校長室が滝のような雨漏りに見舞われる…などもあった。一段低い天井を下に作り直す…など、こちらの建て替えの希望を打ち砕くような付け焼き刃の処理に当時は驚いたが、いざ建て替えとなると少し寂しいものだ。 グラウンドにはすでにプレハブの仮校舎がドーンとできていた。こっちに移っている数年のうちに、解体、新校舎建築…となるらしい。 野球部の元顧問としては一番懐かしい場所であるグラウンドがすでになかったのはちょっと手遅れの感もあったが、懐かしい方々と会えたことで、満足だった。 ある先生と職員室で話をしている間、他の20人くらいのみなさんが「ひとことも発せずに」仕事をしている光景にかなりびっくり。 どちらかというと「口から生まれたような人」がたくさんいた時代の職員室を思うと、うーん、ムードが変わったなあ…と思うのであった。 明日、当時その学校にいた人たち数人と飲むので、建築計画や学校の様子など「みやげ話」もたくさんできてよかった。
2007/03/01
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