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全然報告してないけど、仕事は結構順調で、Sもまあまあ順調(笑)です。 ずっと忙しいせいか、ここのところ特に暑いせいか、帰宅して2階への階段を上っていると毎日足がつりそうになる…。 ギリギリでふくらはぎを押さえても、また翌日も…。 本日体育科からのアドバイスによりポカリスウェットを大量補給した(笑)けど、それ以上に特学の体育でやったバスケットの疲れの方が大きいと思われるのだが…。 明日、Sは運動会。例年600名くらい生徒とOBと保護者が集まるということで、「見学者は全員マスク着用!」というおたっしが出た(笑)。 なお、指導上の都合で先生たちはマスクをしていません(まちがいなく自閉っ子が混乱するからだろうと思われる)…という話が昨日出た通知文に書いてあって笑った。
2009/05/22
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実は、「わらG」という名前もRCサクセションと無縁ではないのである。 大学に入って、音楽サークル(バンド関係)に入部した時に、「入部の人はここに名前を書いて」とただの大学ノートである部誌を渡された。 私の氏名は、苗字かんたん・名前は字画多し…なので、受験以外の時は面倒で、それまでも苗字は漢字・名前はひらがな…で書くことが多かった。ただの面倒くさがりである。この時にまちがいが起こった。この話を知っている多くの人は「私の字が汚かったから」という説で聞いているはずなのだが(それももちろん一部その通りではあるのだが)、正式には、「部室のガタガタのイスに座って膝の上で適当に書いたから」さらに「うまく書けなかったのに、消してちゃんと書き直そうという気がなかったから」なのである。 そもそもそれを書く時に「書け」と言った人の態度が横柄だったのか、それとも緊張してそうなったのかは覚えていないのだが、それを見た5つくらい上のOBが「お前、珍しい名前だな。『わらじ』っていうのか?」と言われたのがことのはじまりである。その、のちのちもすぐ叩くから苦手な先輩は「今日からお前の名は『わらじ』だ。」と命名したのだが、その方の人望のなさのおかげかまったく広まることはなかった(笑)。ちなみに、この時の「わらじ」のアクセントは「ら」にあるか平行かで、いわゆる履き物の「わらじ」と同じである。 ちなみにその後言われたり、文字で書かれている(ひどい人は年賀状の宛名まで)「わらじ」「ワラジ」「笑児」「わらG」のアクセントは、「わ」にある! 似た感じで言えば、「アラジン」って言う時と同じ語感である。(そのせいで私のことを「アラジン」と思いこんで呼んでいたスタジオ関係者もいた) たぶんネット上での知り合った方はまちがいなく「履き物と同じ」方で読んでいたかと思いますが、これを機会に「アラジン系」でお願いします(笑)。 話は戻り、読みまちがいの後も何の変化もなく1ケ月近く苗字で普通に君付けで呼ばれていたのだが、ある時、急に、当時(は)部長で人望もあったH先輩が、「そうか~、お前そういえば下の名前「○○じ」なのに「わらじ」って読まれてたなあ」なんて思い出したようで、急に呼び始めて広まったのであった。その時は、当時(は)尊敬していた部長さんに言われたことなのですんなり受け入れられ、きれいな先輩とかにも「わらちゃん」とか言われるとうれしくて(爆)すっかり受け入れてしまったのであった。 その後、後輩は言わないだろうと思われていたのに「わらさん」とか「わらちゃん先輩」とか謎の活用の中で当たり前に定着し、電話で苗字を名乗っても誰だかわかってもらえない(泣)人となるのである。 それで、RCとのつながりはどうなったかというと、2年生になる頃、その当時(は)尊敬していたH先輩(ボーカル)とバンドをやることになり、その中で「お墓」とか「雨上がりの夜空に」とかRCの曲をやったり、オリジナル曲や服装などもRCにきわめて強い影響を受けたもの(笑)となった。RCのキーボードはゴン太2号(Gee-2wo)(ジーツー)というブルースピアノバリバリ、シンセの新しい音もバリバリという尊敬するアーティストなのだが、名前もそこにあずかり、ステージで紹介される時は「わらG-2wo」(わらじーつー)という名になった。ある意味、ステージネームだったのだ。 大学の卒業アルバムの個人写真にひとこと思い出などを書く欄があるのだが、そこに「わらG-2wo」と書いた自分をかわいくも恥ずかしく思う。(笑) ようはそれくらい、RCサクセションが好きでした…という話である。 余談だが、卒業して数年後のサークルの後輩とかは、「わらじ」が苗字だと思ってしまうらしく、「珍しいですね、どんな漢字ですか?」とか真顔で聞くので、飲み会の席のその場のでまかせで「調和の和に、楽しいの楽、「じ」は当て字で道路の路…『和楽路』と書く」とか言うと自分でもびっくりするほどきれいにまとまってしまい(笑)、あまりに感心してくれるのでそのまま訂正できなかった…。今さら、名前をひらがなで書いたら読みまちがえられて…とは言えなかった。 もう会うこともないと思うけど、その時にそのまま信じた数人のみなさんすみません。教師になって「珍しい苗字」とかで他の人に話していないことを祈るばかりである。ライブ帝国 RCサクセション(DVD) ◆20%OFF!タカさんの手作りわらじ・中(足サイズ22cm~24cmくらい)
2009/05/03
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今際の喜与史郎…本当はもちろん「忌野清志郎」さんのことを打とうとしたのだが、テキストファイル形式出力のこのワープロソフトの実力はこの程度か…。 というか「忌野清志郎」が一発変換すべき人物としてまだ認知されていないのだろうか?…などと考えながら、以下は「清志郎」と略させて頂くが、今も「きよしろう」と打たずに「せいしろう」と打たないとすぐに出ないから変な感じ…。(と思ったら清四郎となっていて、もう一度全部更新編集し直しています) 好きだった。尊敬もしていた。初めてRCサクセションを知ったのはたぶんロックバンド化した頃の「ブンブンブン」とかの頃。その色物ぶりに最初はひいたのだが、「このバンドかっこいいなあ」とだんだん思えてきて、かといっていっぺんにはまることなく、少しずつ好きになり、過去の作品も手に入れて聴くようになる。 やっとライブに行ける頃、90年代には解散。でも、清志郎がその後の活動の中で社会的な発言をするおかげで、それがなんなのかをわかろうとする姿勢になれた。東芝とのトラブルもかっこよかった。原発へのメッセージ、君が代でのどっちとも取れる上手なメッセージ…あの頃、世の中が音楽の力で少し動いた。 NHKのみんなの歌でいいパパになったり(笑)、自転車好きになっていたのもおかしかった。ロッカーであることとのギャップと一致をわざと楽しんでいるその感じ。でも、ガンとの闘病はまさにロッカー。喉頭ガンを、声帯への危険がある手術せずに放射線治療でやっつけて、また歌手として復活! でも転移して今回の死去。 ご冥福をお祈りします。 でもまさにロック的な生き方を最期まで見せてもらった思いがして、1ファンとして感動している。そしてファンの間では常識である、RCの初期メンバーが都立日野高校のOBで、三浦友和も級友でプロになったバンドについてふらふらしてたらスカウトされた?というのが、亡くなった今になってクローズアップされているのも、彼らの中の本当の友情が感じられて、すてきだなあと思えた。お互いに、そのつながりを売りにしてもうけよう?みたいな感覚が現役中はまったくなかったから。 そんな清志郎を、一度もライブで見ることができなかったことが、ものすごく残念。自分の中で、「見るべき人なのに見損ねている人ランキング1位!」だったのに、見損ねていること自体を忘れていた…。ということで、ランキング2位から浮上したエルトン・ジョンも次の来日時こそ見たいと思う決意がここに固まったのであった。【送料無料選択可!】カバーズ / RCサクセション【送料無料選択可!】EPLP / RCサクセション
2009/05/03
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