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ALWAYS三丁目の夕日’64と言う題の映画を観てきました。1964年(昭和39年)、東京の下町を舞台とした、第3作目の映画です。この映画を観て思うことは、非常に懐かしい当時の風景や、看板そして下町の生活風景です。自分も会社に就職した年で、そして東京オリンピックの年でした。よくも、その当時の風景や小道具を集めて撮影に使用したものと感心しますし。特に、オート三輪車は、本当に懐かしい限りです。 そして、この映画の一番の売りは、下町人情と何でも出来る、前進する可能性を含んだ当時の社会情勢が心に響きました。その時に入社して社会人になった自分は、前進出来たかというと、今一かなと思う。完
2012.01.30
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江戸時代に舞阪と云う宿場がありました。先日、東海道を歩いて、浜名湖の近くの舞阪宿を通った時に見た石像です。「浪小僧」と言います。この浪小僧にまつわる伝説が書いてあったので紹介しましょう。むかし、遠州灘の浜では、地引網漁がおこなわれていました。魚がとれない日が続いたある日、真っ黒な小僧が網にかかりました。漁師たちは気味悪がり小僧を殺そうとすると、小僧は「わたしは海の底に住んでいる浪小僧です。命だけはお助け下さい。その代わり、ご恩返しに、海が荒れたり、風が強くなったりする時は、太鼓を叩いてお知らせします。」と言うので海に戻してやりました。それ以来、天気が変わった時、波間から太鼓の音がするようになった・・・・・とさ。ウム!いかにも漁師浜の面白い伝説であり、漁師の期待も込めた作り話でもあります。ところで、この浪小僧が立っている場所には、江戸時代から続く、見事な松並木が600mほどあります。この様な昔の物が保存されて、現在見ることが出来るのは、我々にとって幸せな事ですね。完
2012.01.26
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キョロキョロしながら自分の足で歩いていると、車で通った時とは別のの世界があり、思わぬ収穫が時々あるのです。先日浜松市内を歩いていたら、面白い看板に出会ったので、紹介します。一つ目は浜松市内の繁華街で出会った看板です。どうも営業時間を書いたつもりですが、誠にユニークな看板でした。二つ目は、同じ浜松市の郊外で出会った、ちょっと噴き出してしまうもの。マッサージの案内看板ですが、表に「裏は見ないで!」と書かれてあると思わず覗きこんでしましますが、そこには「見たな!」と書かれてあり同じ店のの宣伝文句がありました。全く、これもユーモアのある看板でした。 完
2012.01.24
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東海道を歩いて、浜松宿場に入りましたが、昔の宿場の面影を偲ぶものは全くありません。歩いていても「ここに本陣があった」と言う立て札のみがあります。浜松の中心街なので、開発に依って、全部取り払われたのでしょうが、残念ですが、致し方ないことでしょう。ところで、この宿場が有った辺りは、国道152号線となっていて、交通量も激しのですが、市役所前、連尺交差点、伝馬町交差点等には、横断歩道が無く、地下道だけです。この様な交差点は、浜松市東側駅まででも観ました。車いすの人、ベビーカーの人、階段を登れない人は、これらの交差点は渡れないのです。エレベーターもありません。いったい、どうして渡るのでしょうね。ある交差点で観ていると、外人の若い女性が、子供をのせたベビーカーを押しながら、交差点を歩いていました。非常に危険です。その日投宿したホテルの掛りの人に聞きましたところ、「そうなんですね、歩道がある所もあるので、廻り道になるのですが、そこを渡るしかないでしょうね」と云うが、なんと、人間に優しくない交差点だろうか。これで、市民から文句が出ないのだろうかと心配しました。ネットで調べて見ると、浜松市長と市民の対話が載っていて、それを見ると改善要望を出しているのですが、市長からは、地下道を埋めて、横断歩道を作りたいが、これらの管轄は県公安委員だそうで、市では勝手に出来ないとの回答でした。なんとかしたらどうなのかと強く思う県外の人でした。完
2012.01.23
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旧東海道を歩いていたら「許禰(こね)神社」を観ました。場所は袋井市木原にあります。この神社の創建は相当古く、熊野の神を祀った神社。この境内に大きな親蛙の背中に乗った5匹の子供の蛙の石像を発見側に立てられた木柱には「平和50年を六蛙(迎)える」と書かれています。第二次戦争終結から数えて、平和が続き、昭和が終わり、平成16年頃だと50年を迎えるが、それを記念して設置されたのかどうかは想像の域を出ませんが、いずれにしても、面白いものを観ました。心が和むような気がします。この神社がある辺りは「木原畷古戦場」だったそうで、武田軍と徳川軍が戦った戦場跡。徳川家康が三方ケ原で武田と戦い敗れて、浜松城に逃げ帰った、あの有名な戦いの前哨戦だったとも言われています。そして、この神社の境内には樹齢500年とも言われる大くすのきがあり袋井市の名木・古木に指定されていますが、そうすると、武田信玄も徳川家康も、このくすのきを観たのではないかと思うと、ちょっぴりと感慨深いものがあります。完
2012.01.22
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昨日のブログで、袋井宿は東海道のどまん中の宿場と紹介しましたが街を歩いていると、ここは「どまん中」を宣伝にしている街です。昨日は「東海道どまん中茶屋」を紹介しましたが、学校、神社、そして商店などが「どまんなか」を付けてアピールしていましたので、いくつかを写真で紹介します。まず、街の中心には東海道宿場公園があって、ここに大きな看板が有りました。そして、学校も神社も「どまんなか」と書いてあります。面白い街を観たと思います。【小学校もどまんなか】 【宝くじ売り場もどまんなか】 【神社もです】 【居酒屋さんもどまんなか】完
2012.01.21
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1月17日から2伯3日で旧東海道を掛川から豊橋まで歩きました。途中の袋井宿は、東海道53次の丁度真ん中、江戸から数えても京都から数えても27次の宿場です。ここに「東海道どまん中茶屋」があったので、寄ってみました。 袋井宿の東の入口に、初代広重が描いた「東海道53次袋井出茶屋の図」をモチーフに建てられた茶屋です。市民の憩いのばとして、又旅人の休憩の場として多くの方々に愛されている茶屋ですが、1月7日の昼ごろに寄ったら、おじさんが二人いて、お茶を入れてくれたり、お話をしてくれました。その内の一人が、53次の謂れを説明してくれ、そして資料もくれました。その謂れとか、袋井宿のどまん中の詳しい話は別途、ブログで紹介します。続く
2012.01.20
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東海道を歩いています。先日、静岡県の島田から掛川まで歩いた時に途中の「金谷」の街の金谷宿に入りました。写真の通り、平日ではあるのですが、街に人通りはありませんでした。この金谷は大井川の西側にある街ですが、江戸時代は大いに賑わった宿場街です。昼時なので、どこか食堂、レストランを探しましたが何も有りません。コンビニも探したのですがありません。仕方ないので、何か食べる物が売っている店を探して、飛び込んだのが饅頭やさんです。【飛び込んだ店の饅頭屋さん】 ここで「パンは有りませんか」と聞くが無いと云う。食堂を聞いたが「先日まで有ったのですが、しめましたねエ~、すみません!」とそこの店の女主人らしき人が、わざわざ、店の外まで出てきて、色々と説明してくれるのです。弁当なら、この先にJRと大井鉄道の駅内のキオスクで売っているとのことなので、その店の方が案内する様子だったので「自分達で行けますから」とお断りすると同時に、お礼を言って別れた。何と!親切な人だろうと思いながら、大井鉄道・金谷駅で、弁当が2つだけ売っていたので、それを買い求め、昼食に有り付けました。【大井鉄道・金谷駅のキオスクで弁当を買えました】一般的に、旧東海道を歩いていると、この様に、人通りが少なく、店も無い宿場街が多く、度々苦労しています。その土地の美味い物を食べようと思っていくのですが、レストランや食堂のたぐいが無い場合が多いのです。完
2012.01.15
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今日、1月14日は「どんど焼き」が、我が町内会で行われた。毎年の恒例の行事である。インターネットで「どんど焼き」と入れたら「佐義長(さぎちょう)」と出てきた。その解説に依れば「小正月に行われる火祭りのこと」と書いてある。正月に使った「門松」や「注連飾り」を焼いて燃やし、その炎で餅を焼いて食べたり、火にあたっったりすると、1年間の無病息災がかなえられると云ううものです。 本来ならば、小正月(1月15日)の行事だそうですが、でも、だいたいは14日にどんど焼きを行う所が多いそうです。全国的な行事で、呼び名もどんど焼きに限らず、地方に依っては、色々な呼び方をするらしい。これも、正月の全国の風物詩ですよね。これから先は、お正月気分を一掃して元気に励みましょう。完
2012.01.14
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このブログで、大和市イベント観光協会主催のロケーション・フォト・コンテストに自分が応募した写真が「奨励賞」に選ばれた事を紹介しました。http://plaza.rakuten.co.jp/autumnleaf/diary/201112300000/2月11日に、高座渋谷の学習センターで、表彰式を行うとの招待状が届きました。優勝1件、入選3件、佳作3件と奨励賞が5件だった。3000円相当の商品が頂けるそうです。奨励賞と言えども、それは名誉なことであり、嬉しく思います。この日は、同じく、同協会主催の「ショート・ムービー・っコンテスト」の上映会も開催される。これも一般からの公募で5分間の「大和市に関する」ショート・ムービーで、上映後、グランプリも発表されます。大和市もいよいよFC(フィルムコミッション)を開始するらしく、その名も「さがみの国大和フィルムコミッション」と命名されたらしい。ロケ地は大和でとキャッチフレーズの基に、大和市内で映像のロケを沢山出来ると良いですね。完
2012.01.13
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先日、旧東海道を島田宿から掛川まで歩きました。島田宿から金谷宿迄は大井川に阻まれています。今は国道、鉄道、自転車、歩行者が渡るのには何の苦労もなかったが、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と馬子歌にもあるように大井川は江戸時代は大変な難所だったそうです。大井川の土手に立ってみたら、なんと川幅の広い大きな川だろうか、昔は、水量も多く、渡るのに難儀した川で、少しの雨でも川止めがあり、何日も旅人は足止めされたそうです。大井川の島田市側には、「史跡・川会所」がありました。再建されたものでこれは川越全体の管理をする役所だが、道具や当時の様子を伝える解説書が掲載されていて、中々興味深い。これに依ると川札の料金は大井川の水が人足の股までなら48文(現在の価値で1440円)、増水して人の脇迄なら94文(2820円)だそうだ。結構、高いのですね。 この料金は人足の肩車の場合であり、もし、連台に一人で乗る場合は連台料金含めて6倍の通行料(8,640円)が必要だった。江戸時代のいつごろの料金かは説明に無かったが昔の人が旅するにも、お金が無いと出来なかったのですね。川越や何日も旅籠に泊まる必要があるのだから、京から江戸まで1往復するのにどれだけお金が掛ったのでしょうね。今なら、新幹線で往復日帰りで3万円弱で足ります。 そして、この川を人と自転車が通れる、木の橋「蓬莱橋」を渡りたかったが昨年9月の台風で損傷して、今は、通行止めとなっているので、「大井川橋」の歩道を歩いて渡る。長さは1,026mもある。だから、歩いて15分は掛る長い橋です。完
2012.01.11
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1月8日に大山・阿夫利神社下社に行きました。沢山の登山者や初詣のひと達で賑わっていましたが、大山の名水が汲める場所があったので入ってみると、その更に奥には、双体道祖神があって「和合神像」と言いぼけ封じの守護神だそうだ。早速、老人の自分は、ぼけを封じ込めて貰う為に、その前で御祈りをしました。しかし、双体道祖神がぼけ封じの神様とはびっくりしたが、双体道祖神は、信州に多い神様です。【大山・阿夫利神社下社の本殿】一般的には男女が仲睦ましく並んで掘られている石仏が多いのです。夫婦円満が「ぼけ封じ」に通じるのかも知れませんよ。いつアルツハイマーになるか分らないので、ぼけ封じと聞くと、必ずお祈りしますが、そう言えば最近では、四国霊場第84番・屋島寺(源平屋島の合戦で有名な場所)でもぼけ封じの神様にお祈りしたっけ。【屋島寺から風光明美な瀬戸内を観る】 この時は、香川県の讃岐うどん食べ歩き旅行で、たまたま、ぼけ封じの神様に出会ったのですが・・・・・・・・・・完
2012.01.09
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1月7日は七草粥を食べる日です。毎年、自分の家でも作って食べました。今日、8日に大山の阿夫利神社に行ったら、この神社でも七草粥を提供していました。但し、有料でしたが。当家の七草粥は下の写真の様なもの。春の七草や餅などを入れて、薄い塩味で頂くのが通常ですが、でも、ちょっと物足りない味です。それが、七草粥を食べる目的なので、仕方ないと思う。つまりは、正月に暴飲暴食した胃を労わる、無病息災が目的なのです。この習慣は平安時代からのものらしいが、今の七草粥は、室町時代のものがモデルとなっているらしいとネット調べたら答えをくれた。しかしながら、毎年、思うのだが、春の七草の名前が覚えられないのです。今年も覚えようと繰り返しますが、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ・・・、それと、それらはどんな植物かも覚えないといけませんね。来年は、名前と、どんな植物かも、人に言えるように頑張ります。完
2012.01.08
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鎌倉に行くと、必ず、小町通りを散策する。小さなお土産屋さんや洒落たレストラン、そして、食べ歩きに良い、コロッケ屋さんとかアイスクリーム屋さんが多く並んでいて、観て歩くだけでも楽しい通りだ。そして、その時は、必ず寄る場所がある「鎌倉・まめや」さんで、豆しか売っていないが、良くもこれでだけの種類の豆をつくるなア~と感心する位に、豆、豆そして豆、もう一つおまけに、豆だらけの店だが、販売している豆も買いやすく小袋入りで、値段も手ごろである。そして、この店は、ジャンジャンと試食が出来るのだ。全ての種類の豆の試食が置いてあり、お客さんでごった返している。半分以上は試食目当てのひと達で、試食品が無くなる前に、店員が補充する。一通りの試食を終わると、満腹になる。これと同じ店が、長谷駅近くにもありました。同じように試食が置いて有りましたので、入って、又、豆の試食を楽しみました。でも、大体は2~3袋を買うのですが、今年は、間もなく、節分なので、豆撒き用黒豆を買いましたが・・・・よく考えて見ると、撒いた後、黒は目立たないのではたして、如何なものでしょうか。完
2012.01.07
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昨日、JRの電車に乗り込こみました。座る座席は無かったので、ドアの横に立って直ぐに、そばに座っていた中年の女性から「どうぞ!」と席を譲ろうとしているが、自分は「大丈夫です」と断った。何度も進めるので、ここで「どうぞ!」、「結構です」と押し問答しても仕方ないので、結局、座らせて頂いた。心温かく、有りがたかったが、一方では「えっ~!」自分もそんな年齢に見られたんだ!と複雑な気持ちでした。家に帰ってから、まじまじと鏡で自分の顔を観て見たが、確かに、相当な年寄りの顔をしているのだが、まだまだ街道を1日に20~30kmも歩ける元気はあるので、本当に、何か判らないが、少し、悲しい気持にもなりました。そのような経験は、時間を遡ること、20年弱前に、一度、ありました。会社の用事で、中央アジアの「ウズベキスタン・タシケント」に行った時の話です。地下鉄に乗って、レストランで夕食をとりに行った時、立っていたのですが目の前の座っている高校生から「どうぞ!」と言われて、彼は席を立ったのだがその時は、もう少し若かったはずだが、多分、マナー教育結果で、外国人に席を譲ってあげたのかもしれませんが・・・・・・(負け惜しみかな)完
2012.01.06
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今日は1月5日、鎌倉・江ノ島七福神巡りに行きました。その様子は別途書きますが、鎌倉・鶴岡八幡宮を通った時に、折角だから、ここにも初詣をしてきましたが、この正月5日でも、鶴岡八幡宮は、初詣客と外人さんでごった返していました。未だ、相当な人出がありました。 いつも思うのですが、新年に神社やお寺に行くと、お守りや破魔矢そして縁起ものが沢山並び、参拝に訪れてた人々は、競って買っているのを見かけます。いつもの風景ですが、それにしても、その値段が、結構高いのです。それでも、自分も含めてですが、皆さんはどんどん買っていきます。そしておみくじを引きます。「大吉」とか「末吉」とか、たまには「凶」とかが出る度に一喜一憂してそして、運勢を全部読んで、当たっているとか、違うじゃんとか言いながら、木に結び付けます。30分もしないうちに、そのことは全て忘れる人が殆んどでしょう。これが、日本のお正月風景の一部です。今年は災害の無い、穏やかな一年でありますように、祈って来ました。完
2012.01.05
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新年明けましておめでとうございます。2012年の新しい年が参りました。昨年は3月の東日本大震災がありました。大変な年でした。被災地は復興に向けて徐々に立ちあがりつつあります。日本中、いや、世界中からの温かい支援がありました。今でも、ボランテイアさんが活躍しています。本当に、頭が下がります。自分も震災後に、宮城県の南三陸町に行きました。そして、兄弟が住んでいる宮城県にも行きました。形は見えませんが自分なりの支援をしてきました。今年は、大きな災害が無いように祈りたいのですが、元旦、早々に日本中が大きく揺れました。幸いにも被害の報告は聞かれませんでしたが本当に、今年は平穏な年で有ることをお祈りしたいと思います。完
2012.01.02
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