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話が中々行き着かない初七日の日。私は初めて一人になった。居候君は家へと帰った。次姉は次兄に任せた。次兄はみんなを元気付けるため、孫たち全員を連れ旅に出た。継母は8月8日の12時頃に息を引き取り、10日の夜発見。警察から、身に付けていたものが渡された。私がママが生前はずしたことの無いプラチナのブレスレッドを自分の腕に嵌めた。初七日一人ベッドで休む。横になり、ふとブレスを嵌めた腕を額に当てた。不思議な情景がまぶたの内に流れた。物凄い勢いで、二つの門をくぐる。この門は黄色い光で出来ている。道があるが、その門をくぐる意識に体は無かった。ず~と行くと、石や泥で出来た町に行き着く。そこには人っ子一人居ない空虚な世界。町外れには、やはり、ぼ~とした光が見えるが群青に黄色を混ぜた不気味な光だ。意識はその先に進む。空に穴が開いていた。透き通った大きな人4人が頭を寄せてこちらを見ている。怖い感じがしなかったが、そちらには行ってはいけない気がした。何となく、仏教的な感じがした。私はクリスチャンもっと別なものが見たいと思った。宇宙に出ていた。私は宇宙の星を光で繋いで、ビ~ナスを落書きし始めた。でふと、気がついた。私の体は普通にベッドに居る。幽体離脱もしていない。今見ている、これは、ママの残留思念の世界だ。2度見ることは無いことを感じた。どこまで見れるか、気力の限り頑張ることにした。わたしは、円盤型のUFOを見た。上から、下に回り込むように観察した。その次は人の形をした軍団が、髪も無くかろうじて、人間の形を留めた、集団が祈りを捧げている。その向こうにはロウソクが沢山並んでいた。私は一端目を開けた。続きを見れるかどうか判らなかったが、集中力がそこで切れた。タバコに火をつけ、庭に面した廊下の先で空を見上げた。ほぼ満月に近い夜だった。気持ちを落ち着けて、再び腕を額に乗せ、ブレスレッドを当てた。その後、色の加減が明るさを増し、細胞状のものに入っていった。その次の情景は、お宮参りのシ~ンだった。その先はテレビの放送の終了ごとくザ~と視界が途切れた。印象深かったのは、お宮参りの時代が、現代ではなく、ママの生まれた頃大正から、昭和初期と思われる時代背景だった。ママは転生したらしい。それも、ママの生まれた年、昭和8年から12年頃。この情景があたしの想像の産物でなければ、他にも見てる人が居るはず。私は49日の翌日中国のアモイ大学へ留学に出た。美術系の基礎科を受講するために。留学記は別に機会に書くとして。話を進める。ママの死から3年後個人の作品展を開いた。この情景を人に見て貰うためだ。この情景全体8シ~ンを見た人は居なかったが、5人ほど似たものを見た体験者が居た。そして、人間に近い魂の状態を見た人は、アングルも同じだッたと言う。違うのはロウソクではなく、山山だったと報告された。やはり、母親を亡くした時に見たという。これが、人類の共同意識が見させる幻想かどうか、私にはわからない。去年から今年に掛けて、時空を越えて、いくつかの地球を私は渡り歩いた。歩いたというより、飛ばされた。そして、アインシュタインの相対性理論の内、全て一定であった場合、アンドロメダ星の地球においても今のあなたと同じ行動をしている。神が決めたがごとく全ての人に同じに与えられている時間だけが実は一定ではない。という事を私は理解するようになっって居る。これは、私が精神異常で見た幻想と思うか。実際の体験と受け取るかは、読んでいるあなた自身に受け取り方は任せる。いくつかの地球、時空を異にした地球。何が一番の違いと感じるかは、紫外線の量。太陽が違う。精神病院で隔離された時。看護士達の不思議なしぐさに出会う。ある時、『泡雪さん』と私を呼び、体に隠し、指でVサインを示した。これは、実はVサインではない。サッカ~のワ~ルドカップの頃一つの時空を越えている。この時の、隠れた暗黙の基本数が2だったのだ。この出来事は、私の心の中だけの出来事と思っていただけに驚いた。また、別の時空に移る時。その時も、同じ病院に避難した。やはり、隔離病棟。タバコの時間私が何かを口にした時、女子の職員が喜んで胸に手を当て忠誠のポ~ズをとり。握手を求めてきた。実は、私にはいつも本当は何もわかって居ない。色んなことを総合して、自分なりの結論に達している。3度目の今年、今度は男の職員が、『泡雪さん。鼻毛切ろう。』と鋏を持って入ってきた。『こういうことは、いい難いし、僕が切ってあげるのが一番いいと思って。』きれいな男の子だった。そして、『泡雪さん。月は凄いと思わない?太古の時代からそこに居る。』わたしは、思わず私の考えを口にした。「太陽が変わっても?」『月は太古の時代から、そこに居る。』どうやら、月と地球は一体で存在して、時空を超える時も運命をともにしているようだ。わたしは、病院で色んな不思議な人たちに出会った。開放病棟に少し体を置いていた、退院の時。いつの時空からか知らないが、自分からのメッセ~ジを植木鉢に日に焼けた状態で受け取ることもあった。見たものがママの残留思念と判断した以外。何の解釈もせず。事実だけを書いた。そして、今落ち着いているのは、どの時空に落ちても愛する人は同時に同じ世界に居ること。そして、皆それぞれ、私の聞かされた過去と少し違う過去を持っている。最初は年月が記憶の事実を変えてしまったのかと疑いもした。でも、本人の中ではそれが、真実となっている。そして、これからは、私の解釈だ。人間が思い残すことがあると、何度も人生をやり直すことになる。わたしは、何度目の人生かは正確にはわからないが。私以外の私がもう一人存在してること。どうやら3人みたいだが、確認しているのはもう一人、今の私より先に生きた私が存在している。過去・現在・未来は同時に存在しているみたいだ。今を変えることで、過去も変える事が出来る。最近確かに、時間に閉じ込められたり怖い体験をしたけれど。その時の感情は流れる。全ての感情に囚われない癖が私を救っている気がする。そして、変わらないものも。最近心に芽生えた、温かい心これは、無くしたくない灯火だ。自殺した霊について。祈る人の心で転生は出来ると思うのだが。同じ魂の方向性は同じ道筋を通るでも、今生きているあなたが、もし、自分の命を絶つと同じ道を堂々巡りして、何度も自殺を体験し今生から抜け出せなくなる。最近、アナザ~へブンと謂う、アメリカのテレビドラマを見た。そこでは、殺されたり、死んでしまった時、物事の後悔を取り除くべく、3日間自分の過去を正す機会が天使の助けで行われる。そして、別の人生の展開で生きることになる。この発想はもはや新しいものではない。自殺する人の魂を開放できるのは、自殺した本人の力でしか助けることは出来ない。まずは自分を救うこと。他人にはどうすることも出来ない。自殺に見せかけた、謎の死。これは、本人の魂が生に向かっている. この世に今生での未練が無くなた時。宇宙に開いた穴を迷わず光に向かって飛び込んでください。わたしは、パパとママの愛情の泉を飲みながら育った。思い残すこと無い生き方どんな場合も自分の覚悟で生きている。しかしながら、これから、1対1の人間の愛を育む事があるとしたら。もう一度その人と暮らしたいとこの世に転生を願うかもしれない。幸せを味わう転生なら、何度してもいいかもしれない。求めるほどではない。何故なら、まだ体験無いので、執着が未だ無い。願わくばこれから出会うあなた。一つの光になりませんか?話は地獄の黙示録に移る。日本は世界に類を見ない平和な国だ。こじきに至るまで、人権を与えら得ている国は珍しい。世界はそれほど豊かではない。近い国に北朝鮮がある。人口も少ない。日本のように自国の民を全員飢えさせないで居られる国は珍しい。昔、サラり~マンの家庭の人に会った時、同じ兄弟で一方は親ばかりでなく、お婆様からも、援助を受けて、比較的優雅に暮らしていた。親が失脚するまで。その後は知らない。その当時、同じ親から生まれた弟は、自分で学費を稼ぎ苦学をしていると聞いた。私には理解し難かった。同じ兄弟でどうして、そんなに扱いが違うのか。医学生であった彼は、自分の特別で頭脳はそれを受けるに値すると、兄弟に同情も無かった。私は自分の親に聞いてみた。どうしてこんなことがありえるのか。ママは限られた収入の中では、優れた一人を世に出すことは珍しくないことだと言う。北朝鮮の選民思想はこれを拡大した考えだとおもう。限られた資源。自国で生産するものは少ない。近隣諸国は北朝鮮にとっては、持てる国だ。自国の民、選民思想で一部を擁護する。全ての国民を養えないからだ。残飯さえ無いと思う。脅迫してでも生き残ろうとする。生きる手段をもたなければ、その方法しか思いつかないと思う。最近脱北した、ファン氏が北のドンをアメリカに叩いてほしいと嘆願している。アメリカが日本が援助を経っても、中国が最低限の物資を流す。中国は長い戦いの歴史から学んだことがある。ソビエトでペレストロイカが起きたとき。中国は緩やかな修正社会主義に転向した。資本主義を取り入れた。極端な転向は多くの血を流し摩擦が大きい。毛沢東の時代人々は、文化大革命の名の元、多くの命を失った。赤の帝国。人が人を治めるとき。人々が豊かになり、知恵をもつことが、時の時勢者の恐怖になる。毛沢東は、死後多くの時代の批判を浴びた。そして、今、運転手の交通安全の神様になっている。周恩来を悪く言う人は居ない。毛沢東をけん制自らも命を賭して、多くの温情を働かした。中国でも多くの人が国内で同じ中国人から殺された。密告者を優遇し、今の北とそう変わらない歴史を持っている。そして、飢えが危機を更に深めることを知っている。人間自分の死の危機を意識すると、他人の不幸なんて同情の余地も残さない。取りあえず腹を満たせば、急激な不幸は起きない。時が満ちるのを待つ。中国が歴史の中で覚えた。人間の生存方法だ。冷戦時代。新聞によると、日本の在日中国人は5万にすぎなかった。永住権をもつ外国人は100万人と計算された。外国人の約95万は朝鮮からの外国人だ。西洋人で永住権を求める人は当時少なかった。朝鮮と日本は文化が似ている。食べ物も似ている。日本に労働力として、強制的に連れてこられた人たちが多い。そのことから。日本では、国籍を出生地で与える習慣が無い。日本は、別の意味で外国人に寛大だ。日本の文化を理解し、同化しているものに対して、これは、韓国の首相の働きかけにより少しずつ権利を拡大した。今、日本国民とほぼ同等の権利を与えている。参政権以外は。戦争が憎しみしか生まない。憎しみは更なる憎しみを生む。力で抑えれば、村中をつるし首の見せしめで全体を統治することとどこに違いがあるのだろうか。テロを憎む心。そのテロを生み出す前にその人たちに対しての迫害は無かっただろうか。今どちらも正義を振りかざす前にひと時考えては見ないか。どの国にも、戦いに正義はある。親が子供を思う情。思想が分かれていても、子を思う心。夫婦の愛これは、人間界に生きる人間に共通した思いだ。(これは、今日見た、フケツの娘、『慧生』が父母が再び会えるように周恩来に送った手紙のパクリ。本当にそのとおりだと思う。中には、子供が手におえなくて、保険金目当てで子殺しをする親。確かに畜生界に生きる人たちも居る。でも、ある程度衣食足りたところで、人は初めて礼節を知る。人道とは、正義で歩む道ではない。人が人の心を残して初めて歩むことが出来る道。私は人類を信じたい。
2003年11月30日
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本来の日記に戻る。正直、旅で菩薩界を彷徨った後。過去の修羅界に戻るのはかなりつらい。文章を書くときは、時を異にしてるとは言え、当時の心境を思い起こすことになる。9時から、朝日系列の『最後の皇弟』を見る予定なので、少し今日の予告編を自分の道付けとして、書くことにする。どの時代の中でも愛の世界に行き着く人たちが居る。愛を探してる方必見です。今日の私の日記のダイジェスト。ママの死に出会うことで、死後の世界と輪廻転生の道筋を残留思念から、読み取り、知ることとなる。地獄の黙示録。現在尚も独裁政治の下で、死の恐怖政治を味わいながら生きている人たちが居る。それに対して、私たちかなりの自由と人権を得ている私たちにできる事。について少し書きたい。今1時50分予定は未定だ。前回に続き。長姉と居候君に様子を見に行って貰う。フェンスのついた窓が10センチほど開いていて、掃除機が投げ出されていたそうだ。『何か急用でも有ったのかもしれない。』と、長姉は言う。私はママの死を心の中で確信した。ママは行動はいつも完結している。掃除機を投げ出して、外に出ることはあり得ない。私は、父の死を腕に受け止めて、今度は第一発見者になるのは嫌だと思った。その朝。わたしは、明け方不思議な体験をしている。現在の私の霊体と2年後の私の霊体が申し送りをしている。2年後の私『2年前の××は、××だった。』今の私『うん。判った。』本体は何のことだか判らない。私が運命を変える事が多いので、この頃では本体に伏せられていることが多い。意識のある私の体はそれを感じとっている。昔私の「魂」は私の馬鹿さ加減に愛想を尽かし、逃げ出したことがある。実際に感じた体験で言えば、人間は、肉体。霊体これは重なるように存在する。精神。思考による肉体の一部として存在する心もこのうちに入ると思う。スピリッツ。それと、魂。ソウルこの魂がこの体を神殿として宿っている。生まれた時、人は皆、この魂を宿る。初七日あたりに体に入るものと思われる。旧約聖書にも生まれて7日あたりの儀式と死後の49日の似たような記述があるので。経験的にかかれたものだと思う。魂がない状態でも人は生きる。肉体霊体精神魂この4つが有って人間として。完全な状態と思われる。魂がどこに避難していたかは知らないが、19歳の時私を抜け出していたが、眠りの中で、10年後の世界を見せられていた。夢では知らない人が映画のように、現れていて、13年後現実の出来事として、遭遇するようになった。14年目「魂」は私の中に戻った。仕事が暇でガラス張りの外を眺めていた。閃光が辺りを包んだ。周りの人に「今見えた?」と聞いたところ、みんなには見えていないらしい。わたしは、どこか我に帰った気がした。神の許しを得たようだ。「魂」は神と同質のもので出来ている。それを、なくして生きていた時は、手探りで進路が見えなかった。成り行きで生きてきた。そして、ある程度未来の見れる私は、運命を変える事を覚えた。宿命は変えることは、出来ないが、運命はある程度切り開ける。 長姉に昼間見に行って貰ったので、その夜仕事はアップされたが、デザイナ~に仕事を渡し帰ってもらって、私は自由になった。その夜、私は、化粧を施し、遊びに行こうと居候に言う。『ママのところは?』「いや、もういい、早く家をっ出よう。」確信は確認とは違う。現実を見なければ、ママは生きているのと同じ。家を出ようとしたその時、電話が鳴った。叔母からだ。従兄弟もママと縁が深い。叔母は夫と別居していて、ママが叔母に足りない部分を従兄弟に愛情を注ぎ、相談役となっていた。その従兄弟が、私からの連絡を叔母から聞き、やはりオカシイから、見に行くよう決めたらしい。叔母は炎天下バスで仙台まで付き合った負い目がある。これが原因で、過労死したことを、認めたくなかったのだ。それで、私たちにそっとして置くようにと命じていた。ママの近くの私たちが一足先に行くことになった。こんな時、変えられない宿命を感じる。逃げ切れなかった。私は部屋の前につくと、直ぐに、死臭を感じ取った。管理人のいないマンションの自治会の人を探し、ドライバ~を借りて、フェンスをはずした。自治会の人は、螺子全部をはずさず、力で曲げようとしたが、私は「すでに死んでいるから、慌てないで。」とフェンスを痛めないよう。丁寧に全部の螺子をはずして貰った。窓から部屋に入った。 テレビのスイッチが入ったままの室内で、ママの死体は、テレビの移り変わる光に浮かび出されて、まるでヒッチコックの世界だった。わたしは、思わずママと腕に手を伸ばした。親指が死体に反発を感じず、めり込むのを感じた。病院のし以外は変死扱いなので、110番警察に連絡する。現状維持が鉄則だが、下半身を剥き出しに、裸体でいる体に布を掛ける許可を警察から取る。その後、順次に兄弟に電話を掛ける。警察がきた。下半身が裸だったのは、大量の下血による死因で、トイレと洗面器にティッシュを用意してあって、その中に処理した血が残っていた。下着一枚汚し物を残さないみごとな死に様だった。死体はまるで、キリストの磔のような形をしていた。右足を立てひざして、両手を広げ、首を左に傾け、穏やかな死に顔だった。下半身が裸だったので、少し恥ずかしくて、私に発見されることを待っていたようだ。ママの生まれた日は、区役所に届けているのと少し違う。12月25日くしくもキリストの誕生日と同じだった。私たちはクリスマスをママの誕生日として受け止めていた。父と継母、二人の死に様を見て思ったことは、人間死ぬ時は、生前一番多くしていた表情で死ぬ。この2人の死を見取ること、これは、私の変えられない宿命だった気がする。検死の結果。父が酸素を求めるようにして死んだのは、がん細胞が脳にも現れていて、増殖した細胞が脳を押し出し、呼吸中枢を圧迫していて事。つまり、鼻から酸素を送っても脳に酸素が届かなくなっていた。父の解剖には次姉、3女が立ち会った。父の検死で、生前3度心筋梗塞を起こした形跡が見つかった。その3度はどんな時におきたのか。想像を越えない。それでも、病院に掛らず生き延びていたからだ。ママの死因は心臓の血液が逆流を起こし、下血したらしい。専門的なことはよくわからない。ママはガンの再発は無かった。正しに急ぐように、その後まだ行っていない海外旅行の予約が2つ入っていた。次兄は術後、こんな無理をしていたら、どこかで必ず死んでいた。海外で倒れたら、全員で海外に出向かなければならなかった。日本で息を引き取ってくれたことに感謝した。叔母は発見が遅れたことを恥じ、新しいスト~り~を作り上げ、通夜の席で、『倒れた時私に電話が有ったの、駆けつけたのだけれど間に合わなかった。』誰も聞きもしないのに、言って回った。ママはイザという時人に頼る人ではない。自分で何とかする人だ。生前交通事故に有った。包帯を頭にしたママに会ったとき驚いた。ママは笑って、『知らせたところで、あんた達に何が出来るわけではないし、医者に任せることで、連絡しても余計な心配掛けるだけで、意味が無いから。』と気丈な人でした。パパも気がつかなくて、最近の包帯はネットの形をしていて。『新しいファッションかと思っていた。』これもまたおき楽なもんだ。一人で暮らしていて万が一の時の話をしていた。『新聞が溜まって、出前の器が回収されていなかったら、死んだと思って。』父も自分の死期を知っていた。父は3月に死ぬ。4月まで持たないのに、こんな時に長兄が正月に嫁の実家に行くことを嘆いていた。本当に、3月29日に突然死んだ。ママも、普段、店屋物を頼むわけではなかった。死の前の日くらいに、長兄を呼んで、御寿司を取っていた。留守にする時は、必ず新聞を止めるので、自分の死をそのように予告していた。死体は検死にまわされ、私たちは、各自家に戻り翌日の通夜に備えた。私は死体を見た時、2日間放っておいたので、顔の下になった部分が紫色にうっ血しているのを確認している。ボディパウダ~にファンデ~ションを混ぜ、簡単なドウランを作り翌日斎場に向かった。それと、ママの棺に納める。カサブランカの花を買い求めた。お隣から花代を受け取った。叔母は、花代を貰ったからって、本当に花を買ってきたのかと私を馬鹿にした。カサブランカの花には、意味があった。ママはなくなる前にいろんな事を私達と話し合っていた。ママの希望は。『生まれ変わっても、パパと結婚したい。』そして、『出来ることなら今度は、結婚していないパパと出会って、子供の居ない状態から、始めたい。』「うん?私たちはどうなるのかな?」と思った。そして、私はこの二人の間に生まれる気がした。次姉もこの話を聞いている。彼女には生母の記憶もある。彼女は彼女の選択がある。この思いは自分の中に秘めた。パパとママは18歳、年の開きがある。ママが年下だけれど、死ぬまで3年しか待たなかった。パパとママのもう一つの歴史、番外編の予感がした。そして、血が繋がって、居ないのだが私の顔はママに似ていて、知らない人は誰も、継母とは気がつかない。血の繋がりによらず、精神で繋がった親子になっていた。その繋がりは今でもある。何か知らせる時は、今でも夢に現れる。最後に現れたのは最近だが、内科を受診するように言われたが、今回は無視している。今度癌になったら、手術は受けないつもりで居る。別の心配があるのかもしれないが、自己の免疫に頼るつもりだ。話が逸れた。カサブランカはママの花嫁になる為のブ~ケだ。もう一つ役目が有った。仕事で海外に出ていた姉にまだ、ママが亡くなった事を知らせていない。兄弟が私に知らせるように言ったが、ママの教えのとおり、何も出来ない状態で仕事中に訃報を知らせることは酷だと思った。焼き場から、お清めの席を設け。全てが終わってお骨は、叔母が持って行った。家で姉を迎えた。私は、姉にビ~ルを薦めた。「まあ、飲みなよ。」暫く間を置いて、「実はママが亡くなった。お骨は叔母のところにある。」つらい役目だ。姉の意識が軽く飛んだ。信じられないことだ。出かける前は元気で挨拶して、仕事に出ている。「姉さん、発見から色々な事があった。神様はその人に絶えられないことは出合わさないようにしてるんだよ。」正気を失いかけている。「姉さん。心配しないで、あなたを病院に入れたりしない。誰でもショックを受ければそうなる。私は全て経験済み。時間があなたを元に戻すから。静かに休んで。私は彼女を部屋に寝かせそっとしておいた。もう一つ、居候さんからの懺悔も有った。『ママには悪いけれど、怖かった。』こういう事態において、誰も心を開かずに置けない。どんな思いも自分の内に秘めるのが苦しい。わたしも、父が亡くなったとき、瞬間的にパパを突き放した事を長姉に懺悔していた。その時長姉は、肉親は、記憶に一番いいときの記憶がある。倒れ掛かった時入れ歯がはずれ、思わずよけたのは、『生理的反応』と教えてくれた。子供のウンチに慣れるまで時間が掛るのと同じ。人間は、完全でないものに抵抗が働くものだと教えて貰った。私は彼女に、『死体を愛するものは居ない。生前愛していたから、醜い抜け殻の始末を請け負うんだよ。』と答えた。
2003年11月29日
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私たちの、嵐山、宿のまん前に有った。大本山、天龍寺塔頭・大亀山 『寶厳院』紅葉を目的とした、今回の旅を満足させる庭園でした。歴史は浅く、去年から、開かれたとも聞きます。宗派を問わず、様々な世代が交流できる場所、自分の来世の供養を生前に準備する方等、多目的に、法縁を深めるのが、開山の目的としているらしい。本尊は、『無・石偏+疑・光堂』→永遠の光。小さな庭を一周すると、一生を体験するらしい。祇園やクラフトセンタ~等は、パスして車内で爆睡。お昼には、京都を1キロ程、離れた、『寿長生の郷』和菓子を生業をしている。店主が、裏千家の茶の心で、懐石をもてなす。6,000円のコ~スは食後、抹茶のお手前の接待も受けることができた。お干菓子はないけれど、重菓子は流石本業、流通されない新鮮な物が、口に美味しい。2日間ホテルの、苦行に近い量の食事をしていたので、料理は久々に美味しいを感じる。庭には1000本の梅の木が有って、梅が流通で傷つくのを避け、山にお菓子工場を開いたらしい。梅酒も売っている。駅名は今判らないが、シャトルバスが出ている。姉の知り合いが、番組で取り上げたので、この場所を紹介され知るところと成った。食事前に、庭を案内され食後、さっさとお茶を戴き、次の目的地へ。滋賀県大津市石山寺大本山 『石山寺』今回の旅の最後になるお寺だ。午後4時近く、夕闇まで、時間が少ない。この寺は1200年の歴史を持つ。33年に一度のご開帳を去年迎え、本尊の胎内佛が発見された。本堂は舞台づくりで高い位置から、山を眺め下ろすことができる。胎内佛(非公開)が特別拝観券300円で今は見れる。本佛は勿論公開されていない。次は32年後だ。こちらの、本堂までの、アプロ~チでたくさんの、小さな仏を収めた、祠がある。インドから渡って来た初期の仏像は、髪が青い、そして皆笑顔だ。ここで、予期せぬものに出会う。空海の剃髪で刺繍された、南無阿弥陀仏である。最近次姉は空海に恋をしている。生前の体の一部に出会うことになる。20代の頃、密教は私にとって、謎のもので、体の一部に痛みを感じていたのが、今は何も対抗がなくなっていた。今回は主に、密教を尋ねる旅となった。釈迦は死後の世界を解いていない。生きることで、解脱の境地を教えている。密教の大日如来は空海の活躍が大きい。そして、大日如来は、宇宙を現し、神道のそれとぶつかるところがない。日本において、仏教弾圧があり、多くの仏を失ったことは、前日の利休が切腹に追いやられた、寺で聞かされた所だが。この寺は1200年火災にも遭わず、今日存在していることが、奇跡に近いことと感じる。日本もまた歴史の古い文化を持つ国である。帰り道長姉の家族と別れ、次姉と二人になる。今回、聖霊のことについて書かれた本を少し読んで、理解したことがあった。 他の宗教でも、救いの主はいる。チャットで面白いことを聞いた。仏の許しは、7度まで。神の許しは490回。じゃ、490回超えないように気をつける。と言うと。別の人が、491回目は獣姦とされているらしい。これは、無いな、と思いつつ。子供の頃、家に入り込んだ、痴漢が去ったあと、人間なのに獣臭が残っていたのが印象に深い。獣は、四足や人間以外の動物と言う意味では無い気がした。幸い被害は無い。次姉と二人になって、キリストのことに聞く。あなたは、キリストの存在をどう思うか。彼女はキリストを必要としていないので、興味が無いという答えだ。聖霊は、万人に与えられた賜物である。キリストを受け入れない人々の間にもある。その働きは、コリント人への手紙に書かれていて、一人一人で現れ方が違う。予言するもの、治癒能力その他全部で9つの働きが書かれている。全てひとつの霊によるものとされて、その賜物は神がその人にあった形で与えられていると言う。キリストが磔になったあと、肉の有るからだで復活をしていること。人間の理性では、受けいり難い事実だ。処女懐胎も、色々科学されて、卵子を何度も針でつつくなどの刺激を与えると、自己分裂を起こすなど新しい研究発表もされている。しかし、クリスチャンは理性を超えたところで、この事実を受け入れている。不思議・不可思議がこの世に存在していること。そして、自分の善行によって、神の許しを到底得られないこと。キリストの死の購い。そのキリストの体も、神によってもたらされた者。これを受け入れることは、科学を超えた真実と時代を超えて信じたものがクリスチャンである。私は疑問に思うことがある。キリストを知ることなく死んだものはどうなるのか?去年入院した病院の近くで、アッセンブリ~系の教会に出会った。私は教会員ではないが、よく、ミサとミサの後の食事をご馳走になった。日本アッセンブリ~教会という教会で、4・50名の構成教会員で教会を維持して、8000万の借金から始まって。今は2000万代に借金が消えている。全額返済後、教会から、牧師の奨学生を出すのが次の夢らしい。教会の献金の意味がはじめて判った。ドイツなどは、税金のように献金が徴収されるらしい。キリスト教会離れも多く、徴収が難しくなってきているらしい。私のように無教会主義も多い。でも、教会の存在は何かのときに有難い。わたしの、キリスト教に入信しなければ、助からないのか?と言う質問ん対して。ここの牧師は、私の気に入った答えをくれた。『聖書に書いていないことは、判らない。』『判らない』私はこの答えに満足した。人は判らないから、求め、生きることができる。明日がわからないから、明日を楽しみにできる。死後の世界も死んで見ないと判らないのだが。死んだ人から教わることもある。どんな宗教であれ、神に近づく思いは一つ。『一期一会』この今生で違った価値観の兄弟に会えたことを感謝しつつ、今回の旅の締めくくりとする
2003年11月28日
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嵐山に有る。大川内傳次郎。丹下左膳で有名な俳優だったらしい。34歳から、64歳まで、出演料の大半をこの庭園に、費やした。 人が大きな財を得た時、その人の人間性が、その費やし方に残る。素晴らしい庭園でした。紅葉が程よく配置されて、訪れる人を、和ませます。 金閣寺。修学旅行から、数えて、3度目の訪問。年と共に感じ方が変わる。三島由紀夫の金閣寺。読んだ事有りますか?自殺願望の方、一度読んでみて下さいね。死にたい人どの時代にも居ます。自分だけじゃないよ。 大徳寺。織田信長の墓が有ります。等寸台の坐像が有り、人物像が描き易いです。菩提寺の名は総見院。お茶に興味が深くて、お酒を嗜まない人だったそうです。戦場に向かうとき、濃いお茶をビ~ルを飲むように、がむのみして、士気をを高めたそうです。院内には、3つほど、茶室があります。禅道をした部屋もあり。拝観料が600円で、ほうじ茶とお菓子を振舞ってくれます。一通り案内してくれるので、何だか、お得な気分。利休が直接切腹に繋がったといわれる、山門も、この大徳寺の山門にあります。総見院には墓のほかに、茶せんの、供養塚があります。 大徳寺塔頭、高桐院。細川家の墓所。 三斎公及びガラシャ夫人の墓石は、生前、利休が秘蔵していた、とうろうを、豊臣秀吉と、三斎に、譲ってくれと言われたとき、利休がわざと、裏面の3分の1を壊して、疵物だから、秀吉に断った。利休が切腹をした後、三斎公に送られた。三斎自体も、完全を嫌うので、自分でも、一部を欠いたらしい。その他、参勤交代の時も、持って歩いた、利休から貰った、石のつくばい。手を洗う石の洗面器みたいなもの。円筒型の石の上の部分が丸く彫られている。運んだ家来が大変だったと思われる。 三斎は、織田、豊臣、徳川、3時代に一貫した精神で身を処した。(生き抜いた、智将)茶道の奥義を究め、歌道をたしなむ。文武両道の哲理の人。私もこの人は知りませんでした。利休と一緒の時代に茶道を楽しんだ人のようです。東寺。二十一尊の仏像がある。空海のメ~セ~ジが込められている。人間とはなにか、人は何故苦しむのか、苦しみを生むものは何か、と仏教は考える。らしい。そして、一つの結論を導いた。それは煩悩に執着する事が誤りではないかと。人間は悟りより煩悩のほうが好きではないのだろうか。迷いたいと思っては居ないだろうか。悟りたいと口ではいうが、実は煩悩の中でまよっていたい、これが人間ではないだろうか。この世は10の世界からできているという。それは、6道のせかいである、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界。 それと、声聞(声門)界、縁覚(えんかく)界、菩薩界、仏界を加えた10界である。声聞界とは、真実の声を聞こうとする心の状態をいい。縁覚界とは、自然現象も含めて、あらゆるものを縁として悟ろうとする心の状態をいう。菩薩とは、仏の教えを実践する人をいい、仏とは真理を悟った人を指す。六道を彷徨う人間を前提に、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界に至る人間の可能性をあらわしている。人間の本来の姿とは、六道を迷い歩く姿ではなく、仏を内に秘めた存在である。だから、目覚めなくてはならないと語っている。『東寺の謎』(詳伝社)より、一部抜粋。人間は皆生まれた時から、仏を持って生まれてくるから、それに、気がつくように、ということらしい。今回のたびで、どうして人が宗教を求めるのか、少し学んだ気がする。皆内に秘めた仏であって、自分の仏に気がつくために生きているから、宗教を求めるようだ、その方法が人によって違うだけだ。永観堂。禅林寺夜の特別拝観みかえり阿弥陀如来の像がある。振り返って、おちこぼれは居ないかと気を配る如来像です。証明に照らされた、紅葉の庭は幻想的で、不思議な情景を浮かび上がらせる。昼では味わえない、幻想的な風情を是非一度味わって下さい。今回知った事。仏教が釈迦を祭る事に対して、密教は大日如来を一番に祭る別の哲学である事。仏教の始めは仏像などの偶像を使わない、言葉の世界だった。アレキサンダ~がアジアに到達した時に、彫刻を得意とする、ヘレイズム文化が反映して、今の仏像の文化を生んだ。昔、人々は苦しくて、来世を夢見たが、インドの商人が、金剛石ダイアモンドなど、を流通して、豊かなものになり、この世が楽しいものとなった。その時代に、楽しい仏の世界を、仏像という、目に見える形に昇華したらしい。本来の仏教とは違った形で、発展したのが、密教らしい。だから、この2つは別のものとみなしたほうがよいのだが、密教は一つの宗教としては、弱い立場にあったので、仏教の一部と日本では捕らえられたらしい。にわか仕込みの知識ですが。何方か、間違えたところ気がついたら、教えて下さいね。宜しくお願い致します。明日は、道々訪ねながら、帰路に着きます。本来の日記にそろそろ戻ると思います。また、会いましょうね。ではでは。ご報告までに。
2003年11月27日
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今日は寝坊をしました。大阪から訪ねてくれた、友が、面会できずに、帰った。ホテルのチャックアウトのコ~ルで起きる。すぐ、友達に電話入れる。もう梅田につく頃だそうだ。このまま返っては後味悪いので、私から大阪に出向く事にする。梅田まで、阪急の特急で、46分。御堂筋線で更に、20ッ分。駅に迎えに来てくれて、仕事場の近くの公園で語らう。私塾を経営している友達は2時半から、仕事。この友達は会うのは2度目。一度目のとき、気に入ってもらって、よく、挨拶のメ~ルが入る。チャットに顔を出していたのは、私が、想像を超えた体験を何とか、理解するために、助けを求める手段として、友を探した。現象学の考えと、ヒモ原理が考えを落ち着かせる、助けになった。不思議な現象は自分自身が何事か頭で受け入れるまで、時間を要した。そんな訳で、私の体験を再び簡単に話すことに。勿論彼は、理解者ではない。むしろ、からかう方だが、今日は面と向かっているので、さほどからかわない。ワ~プしたのは、何時頃?去年。一番怖かったのは、時間に閉じ込められて事。太陽の位置が止まった。『どうしてそう感じたわけ?』太陽が、自分の居るテラスカラの角度が、長い間、変わらないのに、テレビの中での時間は過ぎていく。自転が止まっているのに、重力に影響して居ないこと。太陽の光が、白くスタジオのように、張り付いた陰影で動かない。時はその後急いだの?そう、姉がテラスのドアを開けては行ってきた時に、一瞬の内に、太陽の位置が真上に移った。同日、病院を紹介された時、移動中に、車から姉が電話をかけに、外したとき、一件目の病院で注射してもらい、助手席で眠っていた私は知らない丘の上に体が移動してしまった事。太陽の位置が止まった事に比べれば、体の移動はそれほど怖くは無かった事。移動の範囲は?15キロくらいが一回目。2度目は、1キロ。スト~カ~被害の事。私もその現象を自分が望んで居ないのに起きるので、理解に苦しんだ事。聞いてる方も分らない。当たり前だ。この間会った時は、不思議なテレビの後だったんだ。最近は?少し、タイムリップする事が有るけれど、動じない自分に成れたこと。オカシクテ、変な体験をするのではなく、おかしな体験に、精神が参ってしまう事など等。とにかく会えてよかった。このまま返っていたら、喜多郎 が重くなるところだった。公園の食堂で、関西風のうどんを食べる。ご馳走様でした。電車に乗り、再び京都。嵐山の駅について、歩き始めた頃、姉から、電話が入る。今何処?駅に着いたところ。凄いタイミング、私達も今渡月橋辺りにいる。今中の橋を私は超えている。河を渡ったらダメ、駅へ戻ってと次姉。わたしは、渡月橋は渡って居ない、今向かうところ。『河を渡ってはダメだから、駅に戻って。』「だから、渡月橋は渡って居ない、ってば~今たもと」次姉は、JR の駅しか知らなくて橋を渡ったところ、渡らないところ、永遠と話を進める。長姉に電話が変わる。橋を車が走っているのと同じ方向に橋をあったってきて、橋の途中で落ち合いましょう。渡月橋は川の中州から渡っている。川の中州を挟んで、駅は京阪嵐山駅とJRの駅が二つあったのだ。だから、橋を渡る渡らないは、使った路線で、見方が変わる。来るもの進行方向の歩道で橋の真ん中で出会う。さすが、長姉。要領がいい。車に乗り込んで、宿の向かう。京都年金基金センタ~らん山 温泉旅館一泊2食付で、一人14、000円ツインル~ム食事は京料理でなかなかいい。魚は鮎の塩焼き。小鉢のものが沢山出る。てんぷら、茶碗蒸し等、作り立てが出る。お値段の割りに、クウォリティが高い。紅葉の季節は、素泊まりはできないが。食事の心配がない方が、ゆっくり出来る。食事前、近所の散策に。もう夕闇が迫っていて、姉たちと、姪と私は逸れてしまう。姪と、小物の店に嵌った。姪と私は、参道へは行かず、道明寺、キビ餅など、お菓子の試食で楽しむ。桜餅を買った。食後食べたのだが、関東の桜餅と違って、関東は、クレ~プみたいなのに、あんこがくるまれていて、葉が硬くて食べられないのにくれべ、2枚の若葉に包まれた、はんつきのもち米に包まれた、桜餅は、全部食べられる。あしたは、栗のお菓子にするかな。と店を渡り歩く。可愛い、お干菓子を買う。昨日買った、かんざしを、姪にプレゼント、長い髪を纏めて綺麗だった。風呂の入る。久々の内湯。露天は無い。食事を終えて、昨日からの運転の旅の姉たちはたちまち、眠りの中に。わたしは、姉のPCを借り、皆さんに旅の報告を、明日に備えて、そろそろ寝ます。良い夢を・・・・・・。
2003年11月26日
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今日、昼には京都にいた。う~ん久々の一人旅、とはいっても明日は、姉妹に合流。一足早く来て、ミニオフ。宿の手配も、友達に頼む。京極通りに違い3条通りにいる。京都の町は、中学の頃の観光土産屋の感が薄れ、銀座と原宿が一緒になった感じがした。伝統の物も、面白い。こんなところに着てまで、ネットカフェ来るなって?でも、今、みんなのこと気になる。今日はどんなこと考えたのだろうって。京都は、物価が安い。買い物が楽しい。マトリックスモデルのサングラスを買う。玩具っぽいが、形はいい。カンザシを買う。風呂敷を買う。着物のコ~ト、セカンドハンドで買った。しつけがついたままだから、袖は通してないぞ。家で半天みたいに着るつもり。西陣のはぎれ、何かを作ろう。髪飾り。え~、この店原宿にも、渋谷にもあるんだ。普段見ないからな~。キリスト系の本屋。実は最近まで、あまり勉強してなくて。今回、私が、キリスト教になってしまった、きっかけの、聖霊についての本を見つける。いろんな本があったが、高い。聖霊の本は、比較的安くて、気楽に買えた。レジで、男の子と話す。聖霊を求めて、願っていたそうだ。9年間願ったそうだ。あるとき体に入ってきて、異言を話すようになったらしい。自分ではわからないけれど、牧師さんが異言だというので、そうなのか。と思ったらしい。「サタンに襲われた?」と聞いたら。やられた。と渋い顔をした。皆、聖霊系では体験するようだ。例のごとく、日記読んでね!と別れる。まず、昼食。「かに道楽」2、500円のコ~スかにのお刺身が大変おいしかった。ぜんぶおいしかった。最後の抹茶が大変おいしかった。京都はおいしいものが安い。身近にある。女の友達で、京ゆみ。私を見るなり。『えいめ、変わってるよね。日記見ると。だからどんなかと心配したけど。会うと普通の人だね。』そうそう私、至ってノ~マルです。写真はお互い見ている。チャットで気の合った人だ。東京横浜では、皆の集まりには出るが、あたしは、自分が合いにに行くときは、気に入った人しか連絡しない。面倒だから。その日の気分が大事だから、前もって計画は苦手。アバウトな日にちと後は、2.3日前にお互いの都合を合わせる。流れたら、それまでだ。元々は、彼女の家にホ~ムステイの予定だったが。最近、MSN のチャットル~ムの再編成と、私が楽天に嵌ったので、殆ど話してなかったのと、家族に病人がでたので、表で会うだけにした。楽しく時間が過ぎ、お互い携帯カメラのセルフポ~トレイトや、証明写真をみせあって。いろいろ顔が変わる事を自慢しあっていた。彼女はパチスロに嵌っている。その共通項から、仲良くなった。わたしは、熱が冷めるとやめる性質だが、計算の合わない、馬鹿なことに嵌る人が好きだ。でも。身を崩す人は、もってのほかだ。遊ぶには、ある程度勝ち続けなくては、遊べない。で、今日は、京ちゃんがご馳走してくれた。パチンコで、すったと思えば安いものよ。と笑う。わたしも、ご馳走様と素直に受けた。何だか、大人の付き合いって感じがした。彼女は夕飯を作りに帰り。わたしは、町の散策に出たわけだ。夕飯は。スッポン雑炊が目に留まった。食べ終わった後、さらに、メニュウをゆっくり見る。うなぎの、白焼き。お造りー甘エビ。マグロ。いか。それと、出汁まきを頼んだ。すっかり、お腹いっぱいになった。美味しかった。本当に京都は美味しい。スッポンも、白焼きも何十年食べてなかった。しめて、3,300円くらいだったと思う。カ~ドで支払う。少し買い物をして、ホテルに帰り。風呂にはいって。気持ち良く、ネットカフェに。昨日の続きは、うちに帰って、近くのネットカフェで書くね。次は完結できるかもしれない。でも気分だからな~また脱線するかも。今日は、報告まで。
2003年11月25日
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そんな訳で(昨日に続く)私はサタンの攻撃・神の祝福・宗教の謎を同時に抱え込むことになった。昨日テ~マに書いた、『地獄の黙示録』まだ辿り着いていないが、これについて書くのに、自殺の魂について書くのを避けられない。少し、触れて書くと、法によって、収められる世界と人が神となり、治める世界の違い。それと、死にたいほどの地獄を見た人が、何故自分を殺してもらうことを、願うのか。大きく分けてこの二つである。日本に帰ってきて、聖霊に包まれた感覚を持つことがしばしば在った。日本で教会を探すことを諦めた私は。『不可思議』と『神』を理解する友と会うことは難しかった。今思うとその人物は『私のすぐそばにいた。』それは、継母である。これからは、彼女のことを我が家での呼び名で呼ぶ『ママ~』これは、英語でもマミ~とか、ママとかの音が在るが、偶然にも北京語でも、「マ~マ」である。父親は「ぱ~ぱ」そんなわけで、日本語が我が家の共通語である我が家は、『パパ・ママ』を採用。言葉は、英語の起源は英語の教本を本屋で探すとあるはずです。読んでみてね。ゲルマン民族とラテン語とかいろんな流れがわかって面白かったよ。という感想だけで、内容は忘れた。中国語と英語が似ているのは、単語に一つ一つの意味があること。中国語は文字が象形文字からきてるので、字ひとつにも、哲学が読み取れて面白い。歌曲もドイツ語英語中国語は殆ど同じに訳されているが、日本語は音に意味があたりするので、音楽に乗せるとき、曲と別の意味が多い。タウベルトの子守唄を例に取ると、『ねむれよ、あこ(愛子)よ、安らかに』その部分の旋律は少しも安らかではない。中国語の歌詞では、『但我抱煩悩的心、重不能安息』日本語に訳すと、『胸に悩みが一杯で、中々眠りにつけない。』この内容だと旋律に合うのだ。例えば 『危ない!』と英語で言うと。イッッ、デインジャ~みたいな訳し方が多いようだが。わたしは、日本語に似た音を採用している『ハブ・アン・アイ』「ハブナイ!」という発音言葉遊びとしては面白いと思う。わたしが、英語で書くとき、カタカナで書くのは、英語学校で、やや難聴気味の耳を治すのに入学したため、授業の音を取るのに、口真似をして、同じ音を口で再現して、聞き取っていた。ある先生は、こだまのように聞こえる私の声に『勘弁してくれ』と言われた。悟るのお化け状態の生徒だった。そんな訳で、読めるけれど、書けない。スペルを覚えていないのだ。今の能力としては、「今を生きる」英語のみでの理解力は20%位だった。「マトリックス」90%理解できる。初めての名詞が聞き取れない。何語でもそうだが、最初に概念が理解できていると、言葉が初めてでも理解できる。同時に言葉の単語数が拡大される。特に最近の英語の吹き替えは優れている。字幕は、読める字数の関係で、本編と違う単語や場合によって、解釈が疑問のものがある。英語を聞きながら、文字を追うのは、かなり厳しい。本編を英語で見た後、日本語の吹き替えを見ることをお勧めする。バックのざわめきまで、実によく翻訳されている。地獄の黙示録は、日本語吹き替えが無くて、残念だった。わたしの、人体の死体体験を書く事にする。始めて見たのは、2歳半、生母の死体。母親と聞かされて、記憶に残るはじめての母の形。白菊に囲まれて、顔だけが見える。家から運び出すとき、黄色や色の花を銘々が投げ入れる。祭壇が、お雛様の段飾りに見える。たくさんの人が来ていて、楽しい。不思議な沈黙があたりを包んでいる。家の1階は生母が営んでいた、歯科診療所のままのつくり。待合室の壁際に、着物を着た、16センチくらいの粘土の人形に目をやって遊ぶ。焼き場には行かなかった。近くの当時どこでもあった、コンクリのゴミ箱の上に立ち、ばあやに両手を預け、待つ。後日人から聞かれると、私は、みんなに、「箱がね、透明の滑り台でくるくると天に昇っていくんだよ。」と言っていた。みんなこの話が好きで、何度も話すことになった。ママのお父さんの死を見てない。ボケたおばあさんが、みんなが集まるので、金銀の帯を締めるといって聴かない。指の指輪を眺め行っている。ママのお母さんの死。お爺さんと違って、娘と孫だけの密葬。合同のベニヤで仕切られた葬儀場の別室から、やたら賑やかな太鼓の音。ママの姉妹たちは笑い出したが、孫の私たちは、人に葬儀で笑うのが不謹慎に感じ、笑いをこらえた。当事者と縁者の違いだと思う。短大、一人一人頭蓋骨のデッサン、東南アジアから、買い付けられた本物。触れなくて、意味も無く涙がこぼれる。『可愛ぶって!』と陰口を叩かれたが、理解ある友達が変わりに運んでくれる。死体解剖の見学。ロ~カ~の隣が、遺体保存室。解剖室には、保存液の匂いが充満する。屍独特の匂いを憶える。身元不明人の遺体も在って、刺青が印象に残る。解剖室の神棚に手を合わせて、遺体提供者に感謝と安眠を祈る。飛ばして、老人病院で、若い看護婦と組むと、夜中にステル事(死ぬことをステッタと言う。ポアでは無かった。)心電図が停まり、死亡時刻を確認。生と死の境が肉眼ではわかり難い。家族を呼ぶ時間が無かったので、死に水を取る。裸にして、全身の拭掃をする。お腹押し、出来るだけ、排泄物を押し出す。穴と言う穴に綿を詰める。分泌物だ出ないようにと言うのも在るが、魔物が入り込まないように、栓をする。死に装束に着替えさせる。着物の合わせを間違えたのに気づく。若い看護婦はめんどうだからいいよ。と言う。いや、最後だから、きちんとしようと反論。やり直す。死に化粧を施す。遺体安置室に運び込む。魔物が入り込まないように、組んだ手の上に刀を載せる。 夜中にステルと、看護婦は事後の手続きに追われる。よって、80人のオムツ換え2回。合計160人のオムツ換えを一人ですることに。指一本で、患者を転がす技を会得。完璧と思った遺体の処理。家族が来て、お通しした時、「なんか変!」ワォ~・遺体の顔に布を被せるのを忘れていた。慌てて用意する。これも、「人の息から、魔が入らないためにする処置のひとつ。」30歳病院で朝食を済ませた、父が『トイレに行きたいと言う。』小康状態から、下り坂に見えた今日から再び酸素を繋いでいる。その朝は炊き立てのご飯を食べさせるのは私の当番だった。ベッドでの排泄を嫌う気持ちはわかるので、介助に回る。倒れたときに半身麻痺と言葉を失って半年、ママの介護でリハビリで、話せるようになっていて、歩くことも出来た。両手手を取って、歩き始めると三歩歩いたとき私に倒れ掛かった。思わず、体を支えたが、抱きとめるより、少し腕で、自分から離した。心ですまないと思った。患者だと受け止められるのに、肉親だとどうして出来ないのか。心に少し後悔。酸素を繋ぎ最大酸素量を設定すぐ、医者を呼びに行く。スタッフに混じり、足元の足を抑える。「パパ代ジョブよ、心配しないで!」父は手を空に伸ばし『酸素、酸素!』と何かを求めるように動くほうの手を泳がせた。何分か何秒か断末魔の苦しみのあと瞳孔が開いた。腕が力なく落ちた。わたしは、意識が無くなったことを確信し、電話に走った。わたしは、悲しみとか、何の感情も動かないこと自分を哀れに思った。普通父親の死に面したら、叫びながら呼び戻すものかもしれない。ママが到着して、病室に入る。蘇生術を施している最中だった。わたしは、その後病室に入っていない。死に目に会ったのは私だけ。断末魔の苦しみをもし母が見たいたら絶えられなかったと予想する。それだけが救いだ。 3年後。ママと連絡が取れなくなった。叔母に、連絡する。前日、仙台の七夕から、帰ったばかりなので、そっとしておくように、言われた。少し気になることが在る。2週間前に私はママに電話でお別れの挨拶をしている。「ママがいなくなっても、ママが私にしてくれたこと、忘れないよ。決して自分を粗末にしないから。」『あなたは、色々あるわね。』「うん。まだ若いからね。」『素直になりなさい。そうすれば、少し人生が凸凹しなくなる。』「うん。判った。今まで有難う。」これが、私と、彼女の最後の会話である。 今年わたしは、私の要望で、家に引き取った元家で娘に、今年はどうしても、里帰りしてくれないかと呼んでいた。彼女はじぶんの母親に無い部分を私のママから色々教わった。彼女も、私の継母をママと呼ぶ。英語学校で私に、『堕した事在る?』と不思議な近づき方をした子だ。家出して、自分でホステスをしたりして学費を作り、入学していた。学校のグル~プスタディで演劇のシナリオ作りとか、演劇部の化粧担当と、BGMの編集等。親が居なくて、一軒やの我が家は、格好の溜まり場だった。当時姉が家で中だったので、一人で使っていた。2万で下宿させるよ。と言ったら、本当に荷物を纏めてしまった。「チョト待って、自分の家じゃないから勝手は出来ないんだ。親を説得する時間をくれる?」私は、親に相談した。『猫の子じゃあるまいし、私は反対。』「私が責任取るから、私の好きにさせてくれないか?」彼女に親元に連絡を取り、親が私に挨拶にくること。2週間に一度は実家に帰ること。この二つを条件に家をシェアする事を許す。その子は池袋のトイレ共同の部屋を借りていた。怪しいおじいさんの外人とかが訪ねてきていた。私は、暗い瞳をして、髪をカ~り~にしていた、その少女に。一切のこれらの人間関係を断ち切ることを条件に入れた。私が英語学校を病気の為に中退して、入院する事になった。主の居ない家に居心地悪く。家を出たところ。父親がトラックで迎えに行き。荷物ごと田舎に娘を連れ戻した。田舎の暮らしは彼女に退屈で、新聞でバ~レンの日本料理屋の従業員募集をみて、再び家出。向こうで、お金持ちに可愛がられて、職場の違約金を払ってもらい。彼女の話は面白い。大胆な性格で、ホテルの3階の窓からプ~ルに飛び込んだらしい。こういった大胆さは愛される。2年後に再び東京へ舞い戻る。愛の記念に高価な腕時計とイヤリングを持っていた。その金持ちの金持ちぶりは一晩に食事代は100万だったそうだ。そして、魔よけに食器を割る話を聞く。東京での生活は女の一人住まいは就職にも不利だし、孤独に耐えるストレスが無駄なので、挨拶にきたとき、そのまま家に住むことを許した。父も家から嫁に出そう。とわが子が帰ってきたように喜んでいた。ママは子供が増えるとお土産から、外食の食事代も一人前増えるのよ~。と笑って諦めたように承諾してくれた。3年前に嫁いだ、彼女を呼び寄せた。ママは元気だった。誰も、急死を予測していない。私には、漠然と死期が判っていた。理屈では言えないのだが。その人がこの世の役目を終わった時点でお迎えがくる。父の死後、ママは、変わるものの居ない孤独のうちに居た。『このままでは連れて行かれる。』と言いつつ、体を酷使して、死に急いでいた。そして、この世の名残は『私』。そして、2週間前に旅立ちを許した。居候を呼び出していたので、ママに連絡を取り始めた時刻に結果としては亡くなっていた。私は当時、フェニックス企画の最近破産したシ~ガイアのコスチュ~ムデザインのイラストアップの仕事をしていた。連絡が取れなくなった日から、仕上げまで、2日要した。デザイナ~が家に来て仕事をしていた。そのデザイナ~はいわゆる見える人だった。二人はその日から夜意識を失うように眠る時間が在った。「何か来てたね。」と彼女は言っていた。居候君が到着した。長姉が何を思っていたか、車で遊びにきたので居候君と様子を見に行ったもらった。窓が少し開いていて、使っている途中のように、掃除機が投げ出されていたそうだ。続く 旅に出るので28.29あたり…
2003年11月24日
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私は自分の病気を治す為今は無き、松本亨英語専門学校に入った。残念ながら、松本先生はお亡くなりになっていて、その奥様の開いた、二回忌に松本亨先生の著書『愛の追求』と言う本に出会った。 その専門学校は先生の名前を担いだ、森学園と言う、独自の経営をしていた。スロ~ガンは「イエス・アイ・キャン・アンド・アイ・ウィル・トゥライ」これを、毎日唱えさせられる。本当に博士号採ってる先生と、ハ~バ~ド卒業途中(未確認情報)アメリカ人、事務兼務の日本訛のぺらぺらから、いろんな英語が有った。校内では、日本語禁止。3回で1000円の罰金。居眠りしていて、指されると、反射的に「はい」と答えてしまうとぺナ一回だ。毎日宿題があり、提出しないと、欠席扱い。全てタイピング提出。授業料は、70万当時では、大学並。ボ~イフレンドに誘われて、親を脅して学費をせびり入学した。私の脅し文句父親に、『私のことなんてどうでもいいんでしょ。』すると、母が見てられなくて、『お金の事で、パパを苛めないで!』と二階から、百万の現金を持って降りてきた。私が両親を訪ねたとき、丁度、長兄も、無心にきていた。彼が頼んでいたのは偶然30万だった。父親は泣いて頼む兄にガンと首を振っていた所に、イキナリ飛び込んで。この一言でお金を引き出してしまう、私を面白くなく思ったと思う。私は、勝手に受験して、長姉に親が書くべき学校への入学願いを書いて貰って、親には相談無く、入学手続きに及んだ。 急場で説得の時間が無かったのだ。 私は、テロリストのように、いつも泣き所をつく。ボ~イフレンドの親は、その金額なら、留学に出たほうが安いと友達はアメリカに渡ることになった。 両親は診療所の2階に住んでいた。卒業後、離れた仕事に50から始めるのは大変だった。自宅から父が通いきれず、母が店を閉めアシストに回った。実宅を私に預け、高校から、別居していた。 継母に言わせると、私の要求は喉元に短剣突き付けれれるおもいだそうだ。要求するとき、「お願い」と可愛く言ったことは無い。 一度父に、ベッドを頼んだとき、『あなたは、パパ騙すの得意だから。』と言われえたとき、私と父には無言で通じるところがあった。何となく、女の嫉妬が感じられた。何だか、可愛かった。そこで、いつも母を通すことにした。 また余計な話になった。で話を英語学校に戻そう。とにかく、高い月謝を払えば人間取り戻す気になる。と言うのが、学校の方針だ。ハワイの、学校の研修は、2週間で38万だった。ホテルに午前中缶詰で、ハワイ大学の先生を招いて講義を受ける。面白かったのは、ハワイには幽霊が多いという話だ。午後は観光、か自由にビ~チで遊ぶ。『ファ~スト・アッセンブリ~・オブ・ゴッド』と言う教会のファミリィ~に2人づつ、振り分けられた。 あたしたちを受け入れてのは、元、沖縄からの、日系アメリカ人だった。彼女はアメリカ軍人の妻でした。夫は沖縄の基地にいたとき知り合い結婚して、ハワイに来たのだが、軍での表向きの仕事は、水道工事、でも実は諜報部員であったそうだ。ある時、軍の秘密を吐く事を強要される場面に出くわしたそうだ。その時、家族を盾に捕られたらしい。 情報を提供することなく、家族を守る為頭を打ち抜いて、自殺を謀った。身を犠牲にしたとは言え、自殺には変わらない。 彼女はキリスト教では、自殺が最大の罪とされることを知っていた。そこで、亡き夫の魂を救うために教会を探した。この教会を選んだ理由は明るかったからだそうだ。ミサが全部楽器と歌で進行する。聖書に基づいているのだが、少し他の教会と違うのは、奇跡を起こす教会だった。一人一人が、キリストのように神の子になるのが目標だった。小児麻痺の子が歩けるようになったり、一人一人が奇跡を起こす人間になること。これは、諸教会からは、悪魔の教会と最初言われたそうだ。奇跡は、キリスト以外起こしてはいけないし、奇跡は教会が認めた、不思議認定を受けなくてはいけない。奇跡は聖職者の間に起きる。なんせ、キャソリックでは、神父は神の代弁者。信徒には神の声は聞こえないものとされている。このファミりぃ~が教えてくれたことは、神は牧師の口を借りてあなたに話す事は無い。一人一人との神との歩みであること。教会の十字架は社員章みたいなもので、シンボルにしか過ぎないこと。だから、エクソシストの、十字架でオナニ~する悪魔もいなければ、払える悪魔もいない。全て人の心にある。力は十字架を持つ人の心に神がいるかどうかだ。というものである。 9月に講習請けた後、日本に帰り自分を考え、国際電話で、洗礼式を願い。ボ~イフレンドも行くから、受入先決めてくれと、3分8000円以内で一方的に話した。 3ヵ月後、航空券を買い、ロス、途中ハワイ一回立ち寄りのチケットは、当時、18万でした。レ~トは230円。銀行の日本語の家庭教師の仕事とお小遣いで楽に捻出できた。時給2.500円でした。きついのは授業の後、アメリカンクラブでスカッシュに付き合わされること、それと食事。 2週間ロスでは留学した友達と車を借り、サンフランシスコ。屋台のタコスは格別だった。ソフトタイプで。コリアンダ~が使ってることに感動。アルファルファ~の食べ方をメキシコ人に訊く。答えは、『アイ・ドント・スピイ~ク・イングりっシュ。』これがアメリカ。 サンディエゴ近くまで、ビザの関係で、私はメキシコに入れないので、水族館に行った。私の好きな動物は当時はトドだった。 グランドキャニオンラスベガスには、グレイハントを使った。キャ二オンでは、虹の説明に夢中になった飛行士のニアミスに遭遇しスリル万点。不思議と情報は街角のフリ~新聞から読み取れた。可笑しかったのは、私が道を聞きに入った店がドラッグとポルノの店で、無防備なわたしは、どこでも親切にされ、表でボ~イフレンドが後から店の看板の内容を話してくれて、そういえば店主が驚いたようだった訳がやっとわかった。ケイン小杉ン父親ががロスで、身包みはがれたのと、同じ年に、私は日本の空港から、2番目に並ぶブラックマンに荷物を預け、時間まで、コ~ヒ~ショップで、優雅に過ごし。キャビンで楽しく過ごす。キング牧師のコピ~は実用だった。耳になじんでいた。アメリカでは、ロスの空港はド~ムで、ビルは一本しか建っていなかった。モ~テルに荷物を預け、自由に動いた。極端に無防備な子供に対して、牙を向けるものは無く、みんな大変紳士・淑女だった。日本人の旅行も少なく、未だ良き時代だった。特にグレイハントの利用はまともな白人もしないと言われるほど、大胆な行動らしい。どこでもレストル~ムでは、必ずタバコをネダラレルシ。どこでも打ち解けている。無知ほど怖いものは無い。この場合、「敵はいない」と言うものだ。ハワイでは日本人の女のアメリカンドリ~ムの飛行機会社の社長のコックピットの真ん中に座り操縦中の二人とも、客席に向かってピ~スの写真を3人撮った。 ハワイで、普通の家庭の生活の中に入った、クリスマスで本土からも、老夫婦、3度夫に死に別れた妻。それと、パ~マネントで、カレッジの留学のために沖縄からステイに来ている居る女の子順子と、一つのベッドになった。ホワイトジンジャ~の花が、水盆に盛られ、素敵な香りで迎えられた。いろいろな話は洗礼前に聞かされた。ハワイの第一夜、私たちはホテルを取った。不思議なことはそこから起きていた。雨音のような音が自分に近づいてくるのだ。私は祈った。「イン・ザ・ネイム・オブ・ジ~ザス・ハレルヤ」祈り方は、教会で聞いた、それしか知らない。しかし、音は止む事無く、私の近くまで来た。『口先の題目は効かない。』私は思わず、「ギャっ」と悲鳴を上げて、ボ~イフレンドにしがみついた。翌日、ファミイ~にホテルまで迎えに来てもらった。 洗礼の前の日、眠っていると部屋のドアがノブが回り、開いた。わたしは、『リナ?』とそこの娘の名前を呼んだ。隣の順子を起こすが起きない。わたしは、恐る恐る、ドアに向かい外を見た、誰も居なかった。わたしは、その日眠った。 翌日、その話をすると、この家に悪霊なんて居ない、でもあなたが今回洗礼を受けることは、正式に神の家に娶ることだから、悪魔の攻撃に会うのも頷けると言うものだった。そう。 神の不思議を受け入れる人たちはサタンの力も知っているのだ。わたしは、神の存在、宗教、特にキリスト教を知らない。日本に残った兄弟3人の内私だけが、キリスト教の学校に行っていない。カソリックとプロテスタント違いさえ知らなかった。わたしは、神とサタン・キリスト教の謎を同時に受け入れる事になる。 洗礼の方式は白い服。自前でデザインは自由。牧師さんが先に祭壇裏のプ~ルに入って、私はプ~ルの階段を一人で下りて入り。腰ほどの深さの水に牧師さんに身を任せ、祈りとともに全身を横に沈める。 その時誰にも言っていない事故が有った。左足の親指を階段に強く打った。わたしの、神との道の険しさを暗示するかの様であった。翌日わたしは、高熱を出し、病院へ運ばれた、口からは、恐ろしい声を上げている。野太い男のような声で、頭を振り乱していた。わたしは、最中にも自分の状態をさめた頭で「何か暗示にかかったのだろうか」と考えた。病院の人に可笑しく思われないかと心配した。ここは、『教会系の病院だから大丈夫。』みな私の為に、一心に祈っていた。サタンは病気の形で入ってきたりいろんな形で入ってくる。心配しなくて大丈夫と言われた。レントゲンを撮ったり、注射が打たれ、私には原因がわかれぬまま体の症状は治まってきた。半分後悔していた。「なんてことに関わってしまったんだろう。」 その後クリスマスを庭のバナナを切ってプレゼントにしたり、楽しく、打ち合わせや、当日の子供たちによるキリスト誕生の劇、クリスマスソングはその時ほとんど覚えたと思う。メロは。歌詞は見ないとわからないが。そして祈り素晴らしいクリスマス。そして、その後すぐ、クリスチャンに対して挫折を覚える。本土から、来た3人の男の未亡人が老夫婦を街に置き去りにして、二人は自力で帰った来たが、本人が連絡もなしに行方不明になって心配かけたのだ。私には大人として信じられない出来事だった。クリスチャンの上級者ともなれば、人格的にも優れていると勝手に思い込んでいたからだ。 わたしが、「何たることだと勝手すぎる。」怒ると。マザ~が嗜めた。マザ~の名は『道子』偶然でも今思うとできすぎている。神様は一人一人に試練を与えられている。『彼女のことはあなたが責める事ではない。』『彼女は、彼女の道の中で神の試しに出会っている。』『それは、彼女の道だから。』 日本に帰って、私はユダの事を考えた。キリストを売って、それもお金が目的ではではなく、キリストの更なる奇跡を見たいが為に、した行為がキリストを死に追いやったこと、後悔して首を吊ったユダ事。神はその魂さえも救おうとしているのではないかと。日本で、『ジ~ザス・ア・クライシスト』を2年前に見ていた。ユダが売った後、ミサイルが飛んだ。その表現が分からず、続けて2度見た。尻が痛かった。結果・矢が放たれたと簡単に理解した。 聖書の中の逸話を思い出した。体からいったん出たサタンは、行く所を失って再び元の体に戻ろうとする。すると掃き清められた体のすみ心地のよさにもっとたくさんの仲間を連れてやって来る。 オ~マイ・ゴッドとその時はそんな言葉も知らない。日本に帰って、自分がキリストの霊もしくは、御使いの霊その区別も知らない。サムスィングに出会った状況から、分析することから始まった。私は音声学の本を買った。癒しの時間一度だけ耳にして、記憶されたその唄は。次のものである。 アイ・ラブ・ジ~ザス。プレジュ~ド・マイ・ロ~ド。 イン・スィ~…
2003年11月23日
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最近私が、個人情報を出しすぎることで、ご心配いただきました。私には、少しここでも書きましたが、既にスト~カ~居ます。それも、複数。それで、今回自分をある人に、知ってほしいという欲と同時に、スト~カ~さんに、どうせなら、正確に把握してほしいと願っています。特に声をかけられた場合は、向かい合って話をします。知るということは、同時に興味を失うことでもあります。好奇心による、悪戯が減ってくれれば良いと願っています。結構人畜無害ではないかと、自分を思っています。 さああて、イスラエルについて、これも浅墓なちしきでですが。日本に定住した、イスラエルからの人に会いに行ったことがあります。その地は、重にキリスト教者というより、ユダヤの人が多いようです。旧約聖書でイスラエルを『約束の地』とされていて、聖書を心で読まず。文献として、地上の歴史に基づいて、中東へのアメリカの干渉が今回の火種のようです。 イギリスが新天地を求めた時、アメリカ大陸に行き当たって。多くのインディアンの血が流されました。文献から、インドと勘違いしたことから、インディアンと呼ばれたそうです。黄金を求めてアフリカの土地に行った時、女王に対しての、土産が無くて、アフリカ人を馬や牛に変わる労働力として、連れ帰ったのが、アメリカのニグロ、の存在です。正確にはブラックメンです。白人は、コケ~ジョンだったと思います。 イギリスから、派生したのが、アメリカで、第二次世界大戦の頃日本も、人命が爆弾のコンピュウタ~代わりに使われました。 神風特攻隊の空軍が有名ですが、その他に、あまり知られていないのが海軍の人間魚雷と言うものが有りました。 今、テロの使う人間爆弾は、日本にも存在していたし、そう遠い昔でも有りません。日本は養子的な存在です。 今アメリカは精度良いコンピュ~タのおかげで、B29の時代と違い無人の爆弾を持ち、兵器倉庫を狙いましたが。 ある意味ボタンを押す人間の間違いで、民間の人を巻き込みました。そこにどうしても恨みを残します。勿論兵士も人間で、家族の恨みは計り知れません。 ユダヤ人は血による者では有りません。ユダヤ教の教えにのっとって生きる人々です。 その教えは、朝起きて、降ろす足がどちらかの足からベッドを下りるかからの決まりごとを躾の中で、様式を覚えます。 かなり、生きる上の知恵が盛り込まれています。そして、代々の人が、家計図の最後に自分が生きた上で見出した知恵を一行書き残すと言うのも聞いたことがあります。 そして、優れた民族性は多くの人々の妬みを買い、命を狙われることが多い民族です。 イスラエルの土地は、キリスト教とユダヤ教のいさかいを無くす、平和の地を夢見て、建国されたと思います。この場合イスラムはどうだか私は知りません。旧約聖書の教えはイスラム教の基にもなっている事は間違いないと思いますが。ユダヤ教は母親の入信によって、ユダヤ人が増えます。子供を生み、母親が教育を担う事が多いからです。 イスラエルからきた、日本在住のユダヤ人は、妻と日本の職業訓練所で知り合い。木工で生計を立てています。妻が入信しなかったので、子供はユダヤ人で無くなりました。砂漠の土地からきた人にとって、木々の豊かな日本は、それだけで、天国に居るかの心地と想像します。 年とった農家人たちに、民家を維持するのは大変で、大きな屋敷が2万で借りられ、少ない収入を自ら、パンを焼き、畑の作物で生きていました。 心無い、親族が、もっと高価な収入が得られると、平気で大家に言ったものだから。 この次は、他の土地にログハウスの建築予定だと聞きましたが、どうしているか、その後の消息は知りません。イスラエルには、政府からお金を貰い、聖書の研究している人たちが居ます。そして、お金を出している、アメリカ側の人々に、厳しい事実を述べています。聖書に書かれた、イスラエルは、地図上の歴史的な場所では無い事です。ですから、イスラエルを擁護したアメリカの政策は大きなアラブ諸国には、外圧に感じられます。私の継母は戦争経験者です。天皇勅語を一夜の内に失って、神様って何だろうと言う興味の内に有りました。子供たちに諦めが突いたとき、夫婦でシルクロ~ドから始まり神を知る旅を始めました。 重複した国も有りましたが、夫婦で外国に入国したのはでは66回になります。内戦中にチグリス・ユ~フラテスを尋ねています。何時も父のビザに苦労してました。出発当日入国許可が降りる事もしばしば有りました。そこで、美しいバクシ~シな会います。日本のような制度で、再分配されるのではなく、金持ちが施す事が当たり前なのです。施される方も卑屈さはなく。受け取る事で、金持ちの天国への道を助けるのです。だから、乞食のように、投げられるのではなく、そっと目に付かないように渡されます。実は善行は人にばれると、ご利益が減るのです。イエスの教えで、人の前で祈るなと言う教えもありますイエスの教えで、神を持って人を恐れさすなと言うのもあります。つまり、キリストであるイエスは聖戦などと言う考えは有りません。キリスト教団がシステムの中で考え出した正義です。それが、全て間違いとも言えません。今の日本に人間爆弾が無い事を有りがたく思います。歴史の中の偶然のひとつの産物です。私は必然を考えません。結果は常に過去だからです。偶然の中に神を感じます。 一度旅に出ると、3週間は家に帰らない時が多くありました。その継母の残して言葉。『この狭い地球に神がいくつもあるはずが無い。科学の進化に比べ、人が進化していない。』『もし人間が科学と同じだけ進化したなら、とっくに、ボ~ダ~が無くなっている。』 私たちが当たり前に受け取っている、自由と人権これは、フランス革命に血で購われたものです。子供の頃読んだので、スト~り~は忘れましたが、当時活躍した『ジャンヌ・ダルク』と言うレジスタントの存在が自由の女神のモティ~フになっていると思います。時の勢力者にとっては、テロリストです。私は、一人の自称ア~ティストの立場で少し物を言わせて貰うと。民主主義自体が自由の象徴では有りません。それは、ある国にとっての方式です。美しいしきたりに生きる自由も有ります。芸術家が大事にしてる精神は神の掟では有りません。『自由の精神です。』私はある時継母に私の生き方は『個人主義』だと言われました。私はその意味を良く分かりませんが。中学のとき、継母は私の個人主義を認める代わりに、『他人の個人をも尊べと』と教えました。英語学校で、政治の時間。ドクタ~は、一番怖いものは何か、について皆に、聞きました。私は、『マイセルフ』と答えました。先生は、う~んと困りました。授業で教えたかったのは、アメリカにおいて、宗教と政治について語るのは、命がけであることでした。私の代の時は、キング牧師の『アイ・ハブ・ア・ドリ~ム』を抑揚と発音のコピ~しました。英語にはいろんな癖があって。他の代では、イギリス英語の女王のイントネ~ション、又は、ケネディ大統領の演説でした。ケネディの演説とキングの演説の最後は銃弾の音によって、終わります。今、こうして、少しばかり、好きなことを書いても命に危険を感じない日本がすきです。それと、凄い事は、前日に『クリントンと小泉氏の会談』の内容が翌日クリントンの『メ~セ~ジ』が流されることです。これは、盗聴ではありません。総理が発表している事です。世界の出来事がいち早く物語のように流れるのも日本です。中国の天安門事件の時。中国に仕事で行っていた姉は、その事実を知れませんでした。私たちの国籍は一番困るのは中国国内に入っている時です。守ってくれる国が無いからです。当時日本のどこかの市長もパンダを貰いに中国に入国していたので、危険は薄いだろうと日本での心配を和らげました。旅行業の姉はル~トの香港に入れず、確か単独北京回りで日本に帰国したかと記憶しています。9・11の時も、日本からの知らせで、事件を知った人が多くあったと聞きます。総理の発表、今誰だか名前忘れましたが、自民党代表で、コメントを出している人。襲撃については、事実として受け止め、動揺しないよう。と言う内容のコメントがあったと思いますが。とても、残念に思うのは、それを報道する立場の人たちが独自の解釈を添えることです。『自衛隊派遣に対しての考え変わらないようです。』事態を見守ると言っているのに、「勝手な考えを流布しているのは、報道関係者である事。」言葉解釈は個人に任せましょう。 と私はマスコミに言いたい。好きな解釈で色んな不安を掻き立てないようにお願いしたい。過去の発言が間違いかどうか。そんな事喧嘩してる暇は有りません。時代は動いていて、常に動いている。今どうするかを考えなくては成らないからです。そして、全てが歴史に残ります。歴史は過ぎ去った出来事です。当時の正義が悪魔の所業と死後される人も居ます。死んだ人には届きません。生きているからこそ、今考えるのだと思います。話は変わります。アクセスカウンタ~をクリックすると、当人以外でも、訪問者が分かります。時々、他の人の足跡から、行き着く事も有ります。すると、自分から、どう飛んだか判らなくなることがあります。私の書き込み残っている人出来たら、そちらからも、足跡残して下さると、こちらから行き易くなります。よろしくお願いいたします。
2003年11月22日
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今日現在20有ります。いろんな生活の中で、際立って独自が現れている人を選んでいる。このところ、リンクする事が多く。された数を上回っている。お勧め新着をクリックすると、十を超えた数のリンク先が現れる。今日リンクしたのは、私が認めた究極のミ~ハ~と言ったら、怒られれそうですが。御眼鏡に叶いました。笑える。赤ちゃんを育てる実感の伝わるもの。専門的で高度な物は、私のリンクした先からさらにいけるので、外させてもらっています。お気楽が売りかな?数が多くなってきたので、より見やすくするために、削らせてもらったものもあります。リンクして貰って、リンクをはずさせて貰ったものも有ります。そちらから、こちらに来れる事に甘えています。私のほうからは、掲載ぺ~ジで行けるので、甘えさせてもらっています。皆さん素敵なぺ~ジです。楽天サ~ファ~さんからは、日記に加えて、いろんなHPの情報が貰えます。唯、懲りすぎた、ぺ~ジはどこから、入ればいいか初心者には判り辛いところが有ります。楽天サ~ファ~さんのあたしなりの入り方ですが、初めての方のところをクリックして、日記=BBSと言うところの、日記をクリックして、入ってます。眼に美しいと言う理由で選んだもの。生き方が元気。精神世界の描き方が美しい。リスカを正直に書いたもの。神戸の震災で、鬱だかなんだかわからないけれど頑張って生きて、自分を皮肉って、面白がってる人。ライコスから移って、精彩が欠けて心配しましたが、『これでも生きてるぞというメッセ~ジ』その面白がる精神が健在で有り、楽天ん機能不足で他で活躍している事を知り安心して、再度リンクしました。中村天風をもじった、日常の洞察の面白い人。感覚が極めて普通の人。のろけまくりのほっとする人。どの世界にも飛べるように心がけています。訪問者を頼りに作っています。一度私のリンクからの心の旅してみてくださいね。リンクさせて下さいとお願いして、失敗してリンク出来なかった人もいます。心当たりの方。もう一度アクセスお願いいたします。私の持っていないアンテナを貰っています。書き込みについてのお願い。タイトルのところにメッセ~ジで入られると、順次に流れて、消えます。日時の近い日記に感想で書かれると、日記の後に、長期間保存されます。ですから、出来るだけ、感想から入ってください。この情報は、楽天サ~ファ~さん貰いました。お願いいたします。ここの所有り難い事に、50アクセス超える事が多くあります。ログが流れて、お尋ねできない事があります。書き込みに、挨拶くださるとこちらから、確実に伺えますので、よろしくお願いいたします。出会いは、一期一会できるだけ、沢山の考えに触れたいと願っています。
2003年11月21日
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誕生秘話これは、長兄の記憶です。わたしが19の時聞いた話。私が生まれる前の出来事はこの人の記憶に頼るところが多い。長兄とは、9つ離れている。私が6歳の時に、15歳で単独中国に渡り、文化大革命に巻き込まれ、私が19、彼が28の時に、日本に帰国が叶い。再会する。この兄とは、最終的に、弁護士を遣って、講義したのが、きっかけで直接の付き合いは、無いが、今彼が代表の家族会社の事務所登録の部屋に幽霊住民で居る。諸経費は会社払い。兄弟仲をよくしようと努力した親に感謝。弁護士に対しては、兄弟なんだから、直に言ってこいと、一切に弁護士からの要求に答えなかった。俗っぽい感覚が私と相容れないが、行政にも強く、名前に仁を貰って居るだけあって、人情に厚い。で、誕生秘話。私の前の子供を4人も居て育てる苦労を配慮してオロシタ。私を身ごもった時、母の後悔の念から、どうしても生みたいと、父に願い出た。乳癌が有ったので、命に拘るのだが、父はそれ受け止めた。つまり、私の前の人が命を貰っていたら、私は堕胎された可能性が強い。生まれた時から強運がついている。長姉2歳半で死亡。未熟児で生まれ、家庭で注射などで育て2歳半で、風邪による気管支炎で死亡。この時父は、人の力の及ばない、寿命を知る。長兄、文化革命中、はだしの医者で活躍、日本に帰国後、資格を取り、鍼灸医で活躍中。人体実験の数がものを言っているのか、かなりの腕前。お困りの方はご紹介します。医者の家の長男としての印として、名前に仁を貰う。因みに医者の家系の友達は『元』を貰っている。それぞれに、大切にしているものが少しづつ違うようだ。兄は自分の息子にはこの文字を上げていない。毛沢東フリ~クの名残で、毛沢東が死んだ年に生まれた息子に、大胆にも、沢生とつけた。現在歯科医。限度の無い奨学金を選択して、卒業と共に、3000万の借金を負う、自分の親より借金額の多い不憫な子供。 次姉実質的長姉。やはり、中学卒業後、単身中国に渡る。文化革命中、親からの仕送りを、兄にも直に渡っていると、思い込み一人で優雅な生活。ウサギの餌係担当。お姫様感覚の落ちぬし。発想が奇抜ね大胆。行動力があるので、間違えた発想を持った時、周りに対する被害が大きい。最近義理の両親を無くしてから、初めて、レジという労働に従事、最近は一般の感覚を身に付き始めた。胃癌の体験者。偶然の発見で、胃の3分の2を失うが。自慢は、その執刀医師の縫合技術で今は傷口も一筋の線しか残っていない。胃袋も殆ど手術前と同じ位の容量を持っている。かなりの強運。 香港経由で、早めに帰国しているので、イギリスの国籍だった事が兄弟の仲で少し違っていた。香港が返還されて、彼女の国籍はどうなったか、未だ聞いていない。次兄 私がサルならこの人は馬。私とこの兄は継母にスパルタで教育されるが、彼の自慢は、靴べらが折れるまで叩かれた事。 私の自慢は、箒の竹が折れるまで叩かれた事。どっちが痛いかと言う自慢話。 予想として、靴べらだと思う。しなりのあるものが折れるのは相当な瞬間だ。 ユ~モアセンスにあふれている。 一番おかしかった一言。結婚後、彼の実家の部屋を私が片付けて、自分の部屋にしてしまった時。『お前なんか、だ一嫌いだ~!もう帰ってこないぞ~!どうせ俺は、いじけ山の小僧だ~!』と、泣きながら、家を後にした。素直で可愛い性格で、小柄な兄は、肝油を持たされていた。本人の夢は、お客の夢を売る、マジックの出来る、バ~テンダ~になる事だった。 目の前のにんじんで走る兄は、親の希望どうり、歯医者になる。いつも、下駄をはかしてもらって、進学するが、卒業時いは、上位で卒業している。 一番可笑しかったのは、卒業と国家試験受かったら、車を買って上げる、と言われて頑張った。免許は、取得させて貰っていたが、国家試験前に前科がつくと資格を失うので、事故を懸念して、運転は禁止されていた。資格取得後。継母は、笑って。『もう自分の力で買えるでしょ。』甘えん坊の兄は悔しがった。が友達から、シャコタンの赤いスカイスカイラ~クを5万で譲り受ける。初乗りは私がナビとして、同乗、父の会社の別荘の奥多摩まで運転。可笑しかったのは、40キロで走行しえたのだが、一台も追い越さなかった事。字数を見る関係でいったんきる。三女 実質の次姉女らしい性格で、幼い頃姉妹の中で、唯一の一重の持ち主。次兄と私の三人が継母と大きな拘りを持つ。おしゃれに関心が強く。下敷きにはテ~プが弓形に切り抜かれた、物がいつも残っていた。自分の評価が常に低い。若い頃は、キャバ系の化粧に凝る。不自然な色使いで、私の目にはかなり恐ろしい顔していた。 母から注意を受けると、『ハイ』と素直に返事をして、舌を出す性格故に、あまり叩かれた経験が無い。父親コンプレックスか高校生の頃から既婚者に引かれる。今でも周りに独身者は居ない。有名人、時の権力者、医者の権威が好きで、いろいろな世界の人とのパイプを持っている。彼女の今のボ~イフレドは某公立大学の医学部のある分野の40代で教授になった人である。機能の抱負では、去年他界した一人の予言が、50歳で結婚もしくは、戸籍上デハナク実質的な結婚がある事を信じて夢見ている。家庭のある人との恋愛は直接的な向き合いが無いので、実現することを私も願う。 さてさて、私自身の事、出生の秘密以外で何をかこうかしら?いったんきる。
2003年11月20日
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私は、生まれたときから、愛されていた。わたしは、赤ちゃんのころに母親を亡くした事を、不憫に思う人たちに、思い切り愛されてきた。だから、愛情の求め方を知らない。求める前に愛されていた。人によっては、本当の母を知らないから、愛情に飢えている、という人もいる。愛情にうそも本当もない。近所に人、にもかわるがわる抱かれ、しゃぶると甘酸っぱい味がしたり、いろんな人がいた。一番のお気に入りは、パパのおっぱいだった。寝る前はパパに抱かれないと眠れない。で、心臓の音が好きだった。パパが眠ったか?と聞く。ううん。未だ。と言う。もう少しして、落ち着いてきたら、うん。眠ったと言う。ばあやの胸に抱かれて、眠る。そんな日々が4つまで続いた。父がいないと、眠らないので、父は外泊したことがない。そして、クリスマスのサンタがパパだって一番先に知ったのも私だ。クリスマスには、キュウピ~の形をした、チョコレ~トを買ってくる。でも、これは、パパと私の秘密だった。継母が、結婚するとき、継母に苛められると思ったばあやが私を連れて逃げたしまった。その逃避行中。またたくさんの人たちにかわいがられ、愛された。けっこう、ひょうきんなやつで、料理屋さんに居候してたとき。宴会している大人たちを見て、舞台に立ち、どんぐりころころを自作の振り付けで歌いながら、お遊戯した。酔っ払いには大うけだったが、店の人があわてて、舞台からおろした。結構、受けるのが好きなやつだった家に連れ戻され、ばあやが、泣くと、おかゆに砂糖をかけたものを食べさせるとか、母の目にサルのような私を人間にしなくてはと思う気持ちから、ばあやは解雇された。そして姉やがきた。上の兄弟たちは、親達の作った学校が、一時間くらい、かかるところだったので、寮に入れた。夜は一人で寝るようになった。その頃から、私の不眠症は始まっている。でも、継母とあたしの1対1の対決が始まった。色々あったが、兄弟たちがみんな一緒の、土曜日だと思う。継母があたしの初めての料理を作った。太いきゅうりの中を抜いて、肉を詰めた、ス~プを作った。私の目には、グロテスクに見えた。それで、食べられないと言うと、『だったら、食べなさんな!』と庭に放り出された。この瞬間勝負がついた。子供心に、「この人に逆らったら、生きていけない。」そう思った。それから、継母の出すものは何でも食べるようになった。我が家は全員料理が上手い。この母のおかげだ。餌付けが上手くいくと、私は従順になった。とは言え、元はサル、母にたくさん躾けられる様になった。幼稚園から登校拒否、理由。夜眠れなくて、眠い。わたしは、出かけたふりをして、こっそり半畳の押入れにもぐりこみ、ドア式の扉を、定規で中からカンヌキを下ろす。幼稚園はまさか、児童が親に隠れて、ずる休みすると思わない。だから、連絡が無いのは、親の怠慢だと思ったのだろう。暫くばれなかった。半端じゃなく、サル知恵の働くやつだった。父の収入では、5人の子供を教育できないと思った継母は店を開いた。それがあたった。喫茶とスナックの店だった。多摩川に練習場があった巨人軍や、自由が丘の飲み屋のお姉さんが、お客を連れてきて、閉店時にはタクシ~の並ぶ店となり。東京の川向こうの店では、東京に名の知れた店となった。全て、職人を引き抜いてきた。アルバイトは、慶応生と結構高級っぽく。決めた。当時では、斬新だった。あたしの朝ごはんは焼きりんごと牛乳。サンドウィッチなど、職人の味を味わっていた。そんな訳で、継母の関心を一心に集め。他の兄弟より格別に、手にかけられ方違う。 姉は大人しかった。女らしいかわいい子だった。すると、親は目がいかなくなる。安心だからだ。そんな訳で、姉はいつも、褒められようとする癖がある。いい子でいれば、愛されると思ってるふしがあった。 だから、いつも尽くし癖が抜けない。いつも誰かのために尽くし裏切られる。 それは、女であったり、男であったり。いつも誰かのためにただ働きをして、軽く扱われる。受け止めているのは兄弟だけだ。 そんな彼女が49の年を今日迎えた。そして、リセットする。と言い出した。私は、彼女を食事に誘った。台湾料理がいいな~と彼女は言ったが、今日は私に任せてくれ。と言った。電車で行こうと言う。「勿論そのつもりだよ。今日は私も飲むから、帰りはタクシ~にするよ。」私は酔うとタクシ~を使う。軽く飲んで酔わないときだけ電車を使う。そして、私は呑み助ではない。家ではアルコ~ルを口にしない。もう、4ヶ月は飲んでいないと思う。そして、お酒歴は、33年だ。フランス料理の店に連れて行った。そこは、飲み友達がパテシエをしている。かなりおいしい店だ。わたしは、友達を呼んでもらった。もう3年は会っていない。予約していないけれど姉の誕生日でお願いできないかと聞いた。彼は予約係に目を向けると、店も快く受け入れた。 鉄人坂井宏行の店だ。残ったらもって帰るからとワインをフルボトルで頼んだ。ボルド~の1997の赤を選んでくれた。6年前か~「何してたかな~」と話はお互いのことになる。味は、少し刺激が強いが、香りが強くすっきりした喉越しだった。 今日の料理は半端じゃなく美味しかった。この私が美味しいと言うのはかなりだ。謎解きする気にもならない。本当の職人芸だ。 説明を受ける。この場合珍しい野菜を使っていたり、するので、食べたとき悩まないですむので、有りがたかった。はやと瓜とか季節のもの。 それでも、唸る。イチゴ一つもイチゴを超えた味。焼いたトマトもこれトマト?ってくらい美味しい。で、これはなんですか?と聞くくらい美味しい。答えは「特に名前は無くて、甘いトマトだった。」最初少しの緊張がワインでぶっ飛ぶ。姉も自由に味わう。店は心使いが行き届いて、客に気を使わせない。まるで黒子のように動く。客の動きにあわせて、リズム良く動く。どこも、誕生日の人が多い。ここは、普段使いと言うより特別な日に使いたい店だ。姉は日ごろの疲れが出て、眠くなってきた。「私酔ったから帰りはタクシ~だよ」『でもやっぱり、電車で。』彼女は苦労人だ。フランス料理はリラックスできる料理なのだ。彼女は何度もトイレに立った。目に光るものが有った。私は最初ゴミかとおもった。 口に入れたとたん。堪りません。って感じだ。 料理は人を幸せにする。彼女はランチ専門だ。そして、この店は初めてだった。彼女は私の顔が生き生きしてるねと言う。わたしは、「これは、私のフィ~ルドだからと答えた。」私にとっては、やはり知り合いが居ないと敷居の高い店だ。友達が居るのは心強い。いつも、内緒で楽しんでるよ。色々。兄弟に遠慮があるから言わないだけで。私は、女兄弟のフィ~ルドで遊ぶ。でも、私のフィ~ルドに招いたことは無い。あたしの友達は、皆、遊び仲間で普段仕事とかかわらない。でも特別な時、色々なところで一線で働く人が多い。この、飲み仲間達には、いろいろな場面で助けられている。そして、普段あまり、プライベ~トに関わらない。彼女はもう、デザ~トは無理だと言う。う~ん、でも、彼、パテシエだからね。期待しててよ。と私は言う。さすがに私も、「もう、デザ~トですよね。」と聞いた。イエ、宜しかったら、チ~ズがあります。うあお、ほかのテ~ブル見て、別に頼もうかと思っていたくらいだ。フランスの珍しいチ~ズが並んでいた。3種類ずつ、特別薄く切ってもらい、それを半分ずつ分け、6種類食べた。お腹がフルなのに、口がほしがる。美味しい、入ってしまった。「やっぱり、人にしてあげることって自分がしたいことだね!」姉も同意した。わたしは、何も疑問に思わない、だから何も知らない。姉は、『どうして、最後にチ~ズなの?』と聞いた。すると、『ルイ13世。』姉が席を立つ。聞いといてと言い残す。「っテ誰?」と私。あ~ごめん、ルイだよね。質問間違えた。西暦何年?『1200年ごろ。』『その時のシェフが、ゲルトなんとか、』聞き取れない。「それって、ケルト?」『いや、そうではなくて、様式です。』「なるほど、フランスの利休さんね。おもてなしの、お手前か~。」『シェフの名前は忘れたのですが。』この適当なところがいい。薀蓄くさくなく、アバウトに理解できた。そのしきたりが、フランス料理の基本となったんだ。『店に拠ったり、お客様の要望で、先になることもあります。』「じゃ、わたし、コ~ヒ~もらえますか?」母がコ~ヒ~とチイズが合うって、大好きだったんです。『へ~そうなんですか、じゃ僕も今度、試してみます。』すぐ、コ~ヒ~お持ちします。とおき楽。『お客様チ~ズを好まれない方が多いので嬉しいです。』と言う。「私たちも子供の頃は苦手だったよ。」えっ、貴女嫌いだったの?と姉が聞く。「ママがこのコ好きだから、と言ったら美味しそうに食べなくちゃならなかっただけだよ。プロセスチ~ズばかりだったし。」フランスのチ~ズは美味しい。やぎ系も臭くなく、マロヤカ。でも、口に合わなくても、口にする習慣が味覚の感覚を広げていった。今は美味しいものは何でも好きだ。今ではドリアンもいける。そして、あまり美味しくないものも、気持ちで美味しくいただける。デザ~トになった。ハッピ~バ~スデイのオルゴ~ルと共に運ばれた、デッシュにはチョコレ~トで書かれたメッセ~ジとウサギさんのア~モンドの粉で作られた、キャンドルたてに、灯が点されていた。『写真は後で、また灯をつけますから、願い事を思ってまずは灯を消してください。』もう彼女は涙をこらえることができなくて、涙を流し始めた。「おいおい、私までもらい泣きしそうだよ。」私もなんだか潤んだ。ウサギのキャンドルたてが、かわいいケ~すに入れられ、ワインも袋に入れてくれて、チョコレ~トも包んでもらった。『宜しかったら、ケ~キも有りますよ。』私は思わず、「もう勘弁してください。」と言ってしまった。本当にお腹がいっぱいだった。坂井さんが店の客に挨拶して回っていた。私たちと目が合い、こちらにも、来てくれた。私は握手をし、「ブラボ~て何語だかわからないけれど、そんな感じだった。」とお礼を言った。写真とりますか?ときいてくれた。「実は、岩佐さんの飲み友達で、後で4人でお願いできますか?」仕舞いに入っていたので手がすくのを待っていた規則でホ~ルいけないのだが、酒井さんが、呼んできてくれた。わたしは、酒井さんに「お勧めのところは?」『どこでもいいですよ。でも花なら、フロントのほうがと足を運んだ。』岩佐と姉は面識がある。そこで、「私は遊び人だから、正社員2年8ヶ月しか、働いてないけれど。彼女はズ~トがんばったんだよ~。」と言った。『わたし、がんばったよね。』と姉が言う。「うんうん、がんばった。」彼女は誰かに褒めてほしかったのだ。店を出て、姉は「タクシ~で帰ろう。」と言った、肩の力が抜けたようだ。幾つになった?『49』。初めて祝ってあげたね。『私本当にリセット出来た。』「うん、自分の為に生きてね。自分を粗末にしたら、駄目だよ。」『ねえ、なんか、飲んでても、飲める薬ある?』『体の疲れと、心と、興奮でばらばらで眠れそうも無い。』「うん。任せて。」家に帰り、私は半分からはじめるように注意して、2錠プレゼントした。(薬事法違反だ)ハイビスカスティ~を入れて、「酒の解毒に飲んでと渡した。」『すごく気もちいい、依存症が心配。』これ以上は上げないから心配しないで。と言った。薬品名は秘密。あしたは、新しい朝だろう。思い切り泣かしてあげたから。
2003年11月19日
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昨日、家に帰ると、ドアの鍵が開いていた、キチンと閉まっていなくて、ドアノブを回していない、状態、ドアがもたれかかった状態。分かるかな? ウッ!またか~。アナザワ~ルド。毎回鍵が開いているわけではない。鍵が閉まって居ても、部屋の状態が出た時と異なっている事がある。でも今日は、ドアの状態が家を出た時と違う。中に入る。今日は余り、いじられては居ない。テレビをつける。わたしは、テレビをつけたままで眠る。時々、眠っていても、自分に関心のあるものが放映されると、目が醒める。横になり、薬を飲み。 テレビをつけた。イチロウのコマ~シャル・滋養、強壮剤。イチロウの顔が、黒のコンストラクトが強くなって、鬼の顔に見えた。ウ~、今度は鬼の世界か~(闇の世界)この世界は初めてではない、以前はいろんな思考を遮断して、逃げた。イチロウは私の大好きな選手で、テレビに見ると、よく視線を合わす。正直映像は怖いが、イチロウだったので、びびり方が少ない。その後画面に、真っ黒な部分が多い。気味が悪いが、とにかく寝る。起きたら、どんな世界か。恋の渦中のとき、(今は落ち着いている)意識がかなり拡大した。食事がつらく、味の刺激が強すぎて、かなり食べはじめが辛い。ス~プ熱い感覚、ジ~ンと沁みる。かなりの猫舌になっていた。最後のほうで一番応えたのは、薬を飲み、眠りに落ちる間、冥界と通じてしまうことだ。ほとんどは、テレビから出る電波を頭が翻訳し文章になっていないいろいろな単語が錯綜する。少し怖くなると目を開けて、画面を見て、正常な音をとる。テレビを離れて、テラスに出ているときも続く。私は、流しているけれど、今回のキ~ワ~ドは『ハス』と言う音のようだ。 まゆまゆが、薬を飲むようになってから、霊を見るようになった。と言うのが少し理解できた。自分の意識がコントロ~ルを失うと、普段傍受しない、電磁波を認識しやすくなるようだ。2日程続いた。そういうわけで、少し、PCをお休みして、普通の生活を心がけた。 今は普通に食べられるし、意識の部分に入り込まれない。今日目覚めて、また、テレビを見る。やはり同じ世界に居る。黒が画面を占める範囲が多いのと、色彩に真っ赤が使われているのが多い。他にチャンネルを移動する。以前この世界にきたときは、怖くて逃げ出したけれど、イチロウの居る世界だし、大丈夫だろう。で、気がついたのは、今度は、光の軍団も一緒だ。光の軍団一口に言うと、ア~ティストだ。神からのインスピレ~ションで活躍する人々だ。昔読んだ、アメリカの経済哲学者の言を借りると、こういうことだ。宗教家が神の世界を説き、その世界について、聞くと、『私に着いていらっしゃい。そうすれば、神の世界に連れて行って上げましょう。』 芸術家が神の世界の旅から、帰ってきて、神の世界を聞かれると、トランクを広げて、目の前に、神の国の情景を形あるものとして見せる。昨日まで居た世界では、放映内容が、みんなが見ているものと少し違うところが有った。ある日午前2時ごろ今日23時と2度ほど短く予告があった。マトリックスのコマ~シャルと思っていた。翌日行きつけのコ~ヒ~豆やで、新聞を見せてもらう。旅の車窓とあった。その日の23時、長島監督が翌日の試合の前のホウフを語っていた。私は、きっと見ないだろうな。と思った。前回の、アメフトのバッカ~ズで懲りた。私は、どこも、応援しない。好きにやってくださいって感じだ。2月に世界が別れた日があった。松井選手の顔がくずれて、二つに別れた、松井を惜しむ人々と、松井のコメントが気になった。『4年に一度は会えますし、その世界でがんばります。』松井にはどちらでもよいようだ。その番組がはじまる前、そうバッカ~ズの試合の後の夜明け。暫くトランス状態にあったが、落ち着いたとき。だれが、傍受しているか、わからない相手に、落ち着いたと、打電した直後。テレビに流れるニュウズに続き、『閉めにかかるか』と声がしてから、『手なんか切るからだよ。』と続いた言葉に怯えた。あたしの過去は、神に既に許されている。だから、恐れはないが、崩れ落ちた松井の顔には、「びびった。」私が手を切ったことは、ネットのニュウズの投稿でリストカットの記事の後に投稿している。だから、他人の知るところだけれど、テレビに映っている人たちは人間だ。自分とどうかかわり有るのか知らないが、人間お目には赦されない出来事なのだろうな~とふと思った。病院の入院予約は入れている。何日かの辛抱だ。わたしは、その頃、近所のコ~ヒ~ショップで文章の作成をしていた。わたしの、ファィルを開けられた、形跡がある。添削までされたいた。その日の夜、姉は私が、眠るのを見届けると言って、離れない。でも、動くと目が醒めるので、眠ることを約束して、彼女は離れた。不思議なテレビ、この番組を他に見た人が居るだろうか。画面が心霊写真のように、奥に奥に映像が広がる。これは、空中で焦点が合わないと、見ることができない世界だ。本編が始まった。男の人が、強い電源に目を向け、裸の女性に目を向ける。すると、裸で座っている、女性胸に白い板を首から下げている。そして、男が女に目を向けると、なにか、吹き矢の小さなものが、飛んできて、女性の板に刺さる。女性は恐怖で身をよじりながら、叫び声をあげている。何度かそんなシ~ンの後、女性は「事切れていた」男が近寄り。胸の板を除ける。裸の女の胸には2つ銃創の跡のようなものが、見えた。わたしは、何度か本当に人が死ぬ姿を病院で見ている。その死体は本物かおように、見えた。男は首のあたりで、手をスラッシュさせた。その後、人の居ないその椅子が映され、椅子の下には、おびただしい、血痕の後が、有った。画面は白黒でした。わたしは、自分の特技を前日昼間チャットで書いていた。太陽を直視出来ること。なんだか、やられた~って気がした。勿論番組が私と関係有るとは思わないが、タイミングが悪い。その日はさすがに怖くって、テレビを消した。薬がきいて、眠った。翌朝、姉が迎えにきた。お向かいだから、迎えは大袈裟だが、携帯が見つからない。姉に呼び出してもらう。思わぬ洋服のポケットに入っていた。繋がらない電話を目の前で、お互いが話す事で、繋がることを確認。別のアナウンスが流されるのを阻止するために。出かける前に、テラス側の鍵を確認。はだかで、五千円札が落ちていた。これは、2月の出来事。私は、21日間隔離してもらった。私は、脅迫されることが、大きらいだ。それから、4年も経っていない。今年の2月の事。早9ヶ月それから、昨日まで、松井の活躍する世界に居た。みんなも同じだと思う。そして、2つの世界は今繋がっていると思う。闇も光もお友達だ。どちらも、必要な世界だ。《ひとつ、個人的な冥界通信》部屋を勝手弄るな。と言っても無理かも知れないが。通帳の束ホカロンに変えたのは赦す。請求書勝手に開けて電気会社のを契約していない、ガス会社の封筒にやはり、封を切って、アパ~トの入り口に気づくように入れてくれるのも赦す。靴をプレゼントしてくれたは有難う。マンションから下着を持っていったのも赦すが、これから止めてくれ。でも、姉の領域に立ち入ってくれるな。姉の部屋の鍵を返してくれ。それと、アパ~トから持ち出したコ~ヒ~カップ作りに行くの大変なので、返してくれないか?姉に買い物途中、私のパチンコ屋通い、やめさせるために、長男の名前出してまで、脅しかけるのはやめてくれ。脅しには屈しない。あれから暫く通ったが、今止めたのは、飽きただけだから。今回姉の部屋まで、悪戯してる事に、気がついたので、お願いする。あなた方が、私の近辺を弄るのは、鍵がなくても、電子ロックも開けれ開けられるのも。物質移動させられるのも、目撃させられたから知ってるけれど。出来たら、穏便に日を暮らしたい。特に、アパ~トは借りているので、警察に通報する気は無い。捕まる分けないし、気がつかないほど、鈍くも無い。取り合わないだけです。部屋で出くわしてしまったときは、警察呼んでるけれど、余り煩わせたくない。何の目的かぜんぜんわかる気もしない。男も女も居て、複数のグル~プ人たちがいるようだが、私は何もわかる気は無い。そっとしてください。以上。
2003年11月18日
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はじめに、今回のイスラムのハザ~ドについて書きたい。日本の自衛隊は自国を守る為に、持つことを許された軍隊であること。そして、外国に対して侵略行為を行わない約束で、安保があったと思う。核の保持の危険性で、今回イラクに侵略行為をした。どんな政権でも、自国の民が、自国で立ち上がったとき、初めて、援護する理由になる。そして、神はどんな場合も殺戮は好まない。例え犯罪者であろうとも、そして、天から神が降りてきて、戦争をとめることはない。むしろ、懲りるまで好きにやりなさい。と静観するだろう。自分たちでやめることを待っている。問題は終わったときどういう、世界を描くかに、日本は支援するという立場であったと思う。9・11は何故おきたか、そこに日本人の忘れた湾岸戦争があった。やられた当事者は終わってなかったらしい。それに対しての復習と思われた。それで、イラクが標的になたらしい。査察を受け入れていた。そして待てという世界の声に反して、アメリカのブッシュが先走った。強いアメリカに拘るあまりに。武力で武力を征する事は出来ない。世界は余りにも近く、狭くなった。日本は北朝鮮のテロに対する、恐怖がある。テロに対する戦争は支持する。でも参戦は出来ないでしょう。こうなると、北朝鮮はかわいらしくさえ思えてくる。もともと、イスラムとキリスト教は敵対していない。イスラム教が立つとき、その土地に必要な預言者が立つこと、擁護したらしい。神を求めるものとして、同じ神を求めると思うから。イスラムの人々は元は、敬虔な人々である。 中国はテレビに映っている人々は殆ど、漢民族です。劉邦の時代からだと思いますが。56民族共和国です。でも、55民族ともいいます。中華は漢の国で、55民族は属っ国という見方もあります。でも、人民共和国だとしたら、56民族です。多民族国家です。中国は大学の入学後、2週間軍事訓練受けます。いつでも、手りゅう弾使えるようになります。鉄砲も持ちます。大学生全部です。日本の大学生考えられます?イスラムの目の青い人たちもいます。その人たちは、虐げられています。石油は中央に直接パイプが引かれ、シルクロ~ドには、光ファイバ~が引かれています。完全な中央集権です。 中国には一人っ子政策があります。増えすぎた人口を養う力がないので、少しずつ減らしましょうと言う考えですが、少数民族はそれだと絶滅してしまいます。 天安門時代に学生が戦車に轢かれたのと同じころ、カシュガルとか国境に近いところで、暴動が起きました。求めは、 砂漠で核実験を行わないでほしい。 少数民族に一人っ子政策をしないでほしい。 それと、流刑人の刑の場所としないでほしい。 この求めは、人間としえ当たり前の希望だったと思います。 で、どうなったか、数はまちがっているかもしれないけれど。(最近忘れっぽい)確か、3万人の挙兵だったと思う。それに対して、5万送り、勝てなくて、12万人送り込んで、鎮圧した。問題はそこからだ。首謀者を全員一族郎党、晒し首にした。物凄い、残虐な見せしめだとおもう。これが、20世紀の終わりにあったことです。イスラムの人々は、元は敬虔な人々です。で、その教義を人が曲げた解釈をした結果。今のイスラム原理とかその他、神の名のもとに暴力を使う人々がいる。これもまた、新興宗教の一派です。自爆を喜ぶ神はどこにもいません。ハザ~ドと名をつけた、暴力団です。でも、今回侵略に関しては、フセインは言い分あると思います。そして、自衛とはいえ、軍隊である自衛隊が進入する事をまだ、フセインが生きているうちは、時の権力者にとっては、侵略行為です。戦いが終わるまで、静観しましょう。フセインと折り合いついたなら、再建するときは、人道の為の派遣すえば、よいことです。と思うのですが。フセインを倒しおえてからか、折り合いつけるのか、どちらかが、はっきり決着してからだと思います。これは、戦争の大義名分が見つからなかった以上アメリカが決着するべき問題です。侵略の武力は日本は持っていないからです。アルカイダは彼らにっては、自爆軍団なのかもしれません。武器の種類が違うだけです。もはや、人でもないのかもしれません。そんなもの、日本に送るといわれたからと言っても、既にいると思うし。日本が、イラク入りする理由ありません。この挑発で行ったら、子供の喧嘩です。派遣されたのが、クエ~トで良かった。そこは、アメリカの息の中だから、侵略ではありません。それ程日本は馬鹿ではない。当たり前のことですよね。ね!ね!そうですよね!来たら、やるぞ!ということは、来なければやらないってことですよね!「何言うか~!」と向かっていくほど子供じゃないですよね!とあたしは信じたい。だって、日本も本来神のいたくにですから。神様は血を好みません。人身御供も要りません。地獄の黙示録借りに行ったら無かったので、買おうと思いましたが高かったのと、内容見たら、キリングフィ~ルドのベトナム編か~重いからやっぱ、借りることに。こんな重そうな映画から良くまあ、あんなきれいな文章が思いつくこと。紹介見て、見る気になったが、美文は人を動かすな~ト思った。わたしも、いつの日か、あからさまではなく、美しい文章に昇華したいものだとおもった。おっと、これって洋画だったんだ。見つけました。そんな訳で、買ってしまいました。『いまを生きる』英語で二度見ました。三度目日本語で見たら、わたし、英語20%しか理解できないことに気がつきビックリ。これ見て勉強しようと思った。学生時代おもいだしたよ。わたしの環境二~ルと似たところあると思った。でも、あれほど、出来が良くなくて、親が諦めてくれた。親が子供の学費に必死なところが似てる。だから使い道も親が決めてるのよね。人生の価値観。親の描いた人生の価値観。ニヒルな子にも、似てるな~あの、卑怯なキャメルみたいなところもあった。うんうんこれ全部わたしだったわ~。それに比べて、今の私、よく活き抜いたな~褒めてあげよう。青春時代っていつの世も同じだな~。子供ってまだ自分で人生選べないんだものね。好きなことするのはレジスタンスだよね。親の知らない顔持っている。まだ自分で生きられなくて、親が必死に働けば働くほど苦しいのよね。親にもっと自分を生きてほしいのよね。親に諦めてもらうのが自己完成の第一歩だった。自分ではじめて決めた事が、退学だったな~。で、イキナリ生きることに躓いちゃって、ウエトレスでもなんでもやるって、誰にでも出来ると思ってた仕事。足ばんばんに腫れて2ヶ月出来なくて、挫折して。絵の予備校言って、講師の言ってる意味わからなくて。わかるわけないよな~教えるほうが判ってないんだから。因みに、今は絵描けますあたし。ただ何を描くかが問題で・・・。テニススク~ル行ったり、ジャズダンス習ったり、絵から離れたのはどういうわけだったか。生きることに悩んじゃったのよね。好きなこと判らなくなって。一番苦手な英語学校行ったんだな~。高校時代いじめの後遺症で、難聴に成ってるの、直そうと思ったんだな~。高校で、英検2級一番で受かってたけれど。メイビ~と言う、口語が分からない事気がついたの、23だ~。英語学校がきっかけで、霊の世界突入。思えば遠くに来た物だ。20に成ったとき、その先にはどこにも道が続いたいなかった。崖っぷちから落ちたのかな?何だか、私幽霊だった気がする。自分を探す。でも、今振り返ると後ろには自分の歩いた道が残っている。今やっと見つけた。今日夕日見ながら思い出しました。自分の扉。そして、子供の頃最後に残しておく為に隠しておいたものが見つかった。みんな持っているのじゃないかな。ひとつだけ宝物にしたものが。心の中で、どんな道を通っても自分が大切に守ってきた。何かが。ひとり、ひとり、これだけは、守り抜こうとしたその人なりの大切な心。わたしですか?秘密。 それは、これから出会う大切な人にだけ、取っておきました。その人だけに打ち明けます。ははh 今日も何言っているんだかわからなくなりましたね~。あなたがあなたらしくあるために、守り抜くもの。まだ無くしてなければ、心の中から最も失いたくないもの選んでくださいね。きっと、こころの旅の終わりに出会うことになります。そして、生きることのすばらしさ知ると思います。これからは、旅は止めて、わたしの、心の国の建設にかかります。私の隣は誰が住むやら楽しみ楽しみ。じゃ~またね!
2003年11月17日
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水の洗礼はヨハネによって、もたらされたらしい。一つのキリスト教入信の儀式だ。ヨハネがイエスに水の洗礼をするときに、『私は水による洗礼を行う者だが、この方は、霊の洗礼を授ける者である。』と言ったとか言わないとか。わたしは、必要ないときは殆ど、聖書を開かないし持っていないので、記憶だけで書いてるので、正確な言葉ではない。自分が霊による洗礼を偶然受けてしまったのだと、感じたことと、周りの人たちにはそれが見えた。ヨハネは、キリストに、鳩のような霊が降りているのを見ている。何度も言うが私は霊は見ない。ただ感じる。キリストとは、名前ではなく、クライシスト、救い主という意味です。その存在は、旧約に予言されていて、イエスを救い主と見なしてない、未だ、救世主が現れていないと感じている人も居ます。その人たちはユダヤ教。旧約聖書の中で生きています。道は違っても、神は同じです。今年いろんな人と出会っている。そこで、霊を見る人からの、霊の分析を、私の携帯のメ~ルから、文章を貰う。冷光さん専攻物理。つくば大学院生わたしは、昔、霊とか見る人だったのですが、意識改革によって、そういうことはなくなりました。金縛りにあったとき、頭の上に霊を見る人が居ますが、それは心の中の恐怖がさせていると思います。もし、子供のころに『お化けは怖い存在」として、親から教わらなければ、霊を見ることは無いと思います。でも、たいていの親は、こどものしつけのためなどに、お化けを使いますよね。金縛り自体は霊的な現象ではないのに、霊と結び付けてしまう。私は意識改革によって、見るもの全てが真実というわけではないと思うようになりました。脳は、目や耳から入ってきた情報を過去の記憶と照らし合わせて判断します。わけのわからないものについては、変な判断を下します。そこで、恐怖をもつかもたないかによって、結果が変わってくると思います。心霊写真とか証拠にのこるものについても、れいせいにぶんせきすれば、たいしたことはありません。かめらは、人間の目に合わせて像を擬似的にさいげんするものですが、所詮ヴァーチャルリアリティです。人間に見えない強い電磁場を捕らえて再生したに過ぎません。誰かの顔から反射はをとらえれば、顔の形にもなりますし、複雑な動きをするもの(たとえば滝の流れ)の静止画の中に不思議な形を見つけることも出来ます。このように、冷静に考えれば怖いものも怖くなくなる事があります。逆に恐怖を持つと、脳の中で怖いものに作り変えられてしまいます。意味の無い不思議な現象については、意識改革によって、プラスにもっていきましょう。明らかな犯罪については、ほうっておいてはだめですが。パソコンはウィルスに感染している恐れがあります。当日はそれを調べたいと思います。関係ないことも、全文書きました。霊を見る人の一つの考え方です。この文で、共感するのは、霊を感受する力は、自分側にあるということです。神の霊と思われるものを感受される力のある人は、同時に、同じレイタイである。サタンも感受する能力があるということです。サタンについては、私も考えて、人間の極端な恐怖心が生み出すものではないかと感じています。ですから、霊を感じると思う人は、常に、自分の気持ちを、恐怖にとらわれないように、中庸に保つよう気をつけるべきだと思います。合わせるチャンネルは自分自身が持っています。今回のイラクの戦争も、テロに対する極端なまでの恐怖心が動かしたものだと思います。(石油の利権争いの理由付けと言う説もありますが)石油に対する信仰もそれも、ある種、利益と言うお化けに踊らされています。9.11アメリカだけ震撼したか、文明に対する抵抗と捕らえたかで出た答えは色々だと思います。他人事で有ったり、自分の責任として捉えたかの違いは有ると思います。唯、今回、日本がイラクとは友好国でした。それでも、アメリカが戦争を行動に移すと決めたとき、玉虫色の答えとしても、お金は必ず出すことになります。そして、キティ~ホ~クは日本から出港する現実の前に。戦争に口で反対したとしても、どこにイラクからの正義が見ることが出来るか、当然タ~ゲットは逃れられないと思うのです。イラクを潰しても、テロは、イスラム教をバックに動いているから、前回のように、イラクが引っ込むと言うことだけでは済まない。見ているのは、ビンラディンです。表面的な態度でごまかせません。日本の文明をもたらしたのは、戦後の軍需産業で武器を作るために沢山の情報が無償で手渡されています。私たちが何気に使っているPCにはアメリカと日本の軍事秘密が沢山使われています。1992年日本でさくら2号が打ち上げ失敗した同日、中国では衛星が飛び立っています。それは、中国の衛星ではありません。中国はその時点で、打ち上げ技術が一番なので協力しました。私はその年、政府の招待の旅行に参加していて、偶然知りました。現物の写真もとっています。施設を見学させてもらって、その衛星の目的を知りました。地球上の鉱物、地下宮殿等が、スキャン出来る物でした。その日を境に、資源が一国で管理出来る物では無くなったと思います。考古学も、盲目に探す時代ではなくなり、順次墓は開かれています。今2003年日本から、情報衛星が打ち上げられました。それは、一国のものではありません。世界の共有の情報を守るためのものです。もう、日本も隠れて、責任逃れは出来ない時代に入りました。イラクの戦争は時代のヒステリ~だと思います。そして、アメリカの国民も賛成してませんでした。しかし、自分たちが選んだ大統領だから、指示するという責任を着ています。今問題は既に、戦争を賛成したかしないかではなくなっています。今回アメリカの代表が来て、小泉が声高に『テロの脅迫には屈しない。』という言葉に、ぞっとしました。ほっとしたのは、アメリカがその誠意を汲んで、時期については、何も触れなかった事です。ブッシュの再選は難しいと思います。でも、戦争は始まってしまいました。いつ終わるか分からない戦争が・・・。それは、9・11から始まっています。プロセスが早まっただけです。 街を歩いていても妙な緊張感を今日は感じませんでした。少し息が抜けました。 いつでも、日本はさらされています。日本にもその国の人たちはイラクと言う限定した人々ではなく、命を惜しまない国の人々です。既に沢山入り込んでいることは想像出来ます。肌の色では見分けはつきません。話を戻します。最終的にキリスト教の洗礼を受ける決心をさせたのは、私を通らなくては誰も天の国に辿り着けない。その後、何代もたたるような脅しとも、戒めとも取れる事を書きながら、その横に、どんな邪教の道を辿ろうとも、一心に神を求めれば、私に通じる。と、戒めだけではなく、必ず横に救いを残す、人にやさしい宗教だったからです。これは、箴言で見つけた言葉でしたが、聖書によっては載っていません。私が教会で体験したことそのころは、人に良く話していました。『で、君はクリスチャンなの?』と聞かれるたび、返事に困ったので、正式にセレモ二~を受けられるようホストファミリィ~にお願いしました。12月23日に受けて、初めて、クリスチャンのクリスマスをその教会で過ごしました。日本に帰ってきて、兄弟達を恐れさせることが有って、その後から今日まで神の事についてはあまり語ったことは有りません。そして、クリスチャンであることもあまり知る人は居ません。日常的にはあまり関係ないからということも有るし、宗教に悩む人が多いので、ここに書きましたが。時に人は、玉虫では無く、正確に立場を表明しなくては、発言出来ないこともあります。次回は、私が霊にあった時、(キリストの霊以外の)発見した対処法を書きたいと思います。
2003年11月16日
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この呼びかけで、あなた方に宛てている事、気がついてくれれば嬉しい。そう、私が探していた、貴女。メッセ~ジに入れようと思ったのだけれど、私の体験で話すのは、押し付けがましいかと思い、本文で書くことにした。 今私は幸せだ。人生の中で、一番穏やかな日々を送っている。私の目から見て、私と同質の魂に出会ったことで、孤独から開放されている。私からは私の魂は見えない。唯、その魂に官能したときに、魂の在り処を感じる。私の目には、その人は光に見える。これは、私にとって初めての出来事です。私の生い立ちや、環境は余りにも特殊で、その上、本人も凄く、変わり者、誰にも解ってもらえない、と思っていたので、誰にも心のことは、話したことはない。(継母には、解決したときに話していた。)今こうして話し始めているのは、その人の生い立ちも、姿も分からないけれど、マザ~タング の他に、違う文化を知っているその人もまた、特殊な環境だと感じている。一人だと異質だけれど、二人以上そろえば、もう特別ではないと思えるから、こうして、一人の人間として、書く勇気を持てた。勿論特殊な環境、経験の者は沢山要る。バックグランドが近いのは、身近でいえば、兄弟であったりする。不思議に思うのは、同じ親から、よくマァ、こんなに違った個性が出るものだと思うほど、違う。素質にしても、その時代、生母が身につけたと思われる資質が加わる。私は、母の顔も知らない。2歳の頃、病室で乳首を含まされた記憶がかすかにあるが、乳が出るわけでないその胸が、母の物とは、認識してなかった。顔も見上げていない、見たかもしれないが、胸しか印象にない。なんだか、よく分からないで、窓から逃げ出したのは覚えている。それは、夢なのか現実なのかもわからない、おぼろげな記憶だ。私の部屋の壁に書いた茶と白と黒だけで描いた3りんのバラの絵を見て、5歳の時別れて、15年ぶりに会った兄が言った。私のタッチが母そっくりだと。私は、私の生母を私の中にしか見出せない。何がいいたいか。親子でも、兄弟でも、魂の求める天国が違う。今だから言えることがある。神に似せたのは、魂であって、体は地上の遊園地を回る、乗り物ではないかと。そして、思う、わたしは、継母と父の住む、天国を目指している。兄弟たちも、何れは同じ世界に行く着くのかもしれない。唯、今生に於いて、それぞれのアプロ~チ違う。私たちはお互いを干渉しあわずに、協力しあって生きている。そんなわけで、私は初めて、一つの光を見た。同じ時代に、体を持った訳でない、キリストの魂は見たことがない。その光を見て、外から覗いた天国がどんなものか、初めて理解をした。わたしは神に恐れを抱いていない。だから、平気でタメ口きくし、大きな存在が、例え唾を吐いたとしても、かわいいやつ、としか思わないだろうと、想像する。何かのときは、私は、明治神宮がご用達。おみくじに、いいアドバイスが書いてあるんだ。本当の神様はみな一緒。今はじめて畏れを知りました。それが、私の安全弁に成っている。生まれて初めて、この人に嫌われる事がこわいと思っている。私の美観を満たした、たった一人の人間の存在と、出会った事が、私の人間始めだと思っている。そして、その向こうに沢山の人が見えてきた。そして、私は、貴女方を見つけ出した。どうして、貴女(貴女方はツィンスタ~のようなので、これからは単数で呼ぶ。)を探していたか、道々話す。前置きが長すぎたけれど。3倍生きた経験値で話すと。心は、喜びに満ちたとき。膨らんだのと同じ位の力の強さで落ち込みに会う。それは、原因があってそうなるのではない、膨らみすぎるとパンクしてしまうからだ。生理的な反応だ。それと同じに、深い悲しみや、苦しみに耐え抜くと、天国にいるかの心地を得る。それは、その苦しみの度合いと、やはり、同じ位の高さに、上る。だから、途中で、別の手段で例えば、身体が持つ生命力を利用してその苦しみを逃れると、中々行き着けない。先ず、体の正常反応として、下痢をすると、涙がこぼれる。心が悲しいわけではない。体がつらいのだ、でもその時体が悲しいときと同じ反応を示す。安定した状態で体を傷つけてしまった時。例えば、料理中(仕事場ではなく、家庭でリラックスしてたとき。)包丁で、思わず手を深く切った時、やはり、涙が出る。そして、塩を振ると、血は止まる。手術でも体に傷を負うと、暫く、この悲しみに似た感情に見舞われる。一般的にはショックと呼ぶものだと思う。心が苦しいとき、痛みは現実には体で感じ取る。だから、体を苦しめれば、心はそれより、軽く感じる。だから、人は苦しくてもスポ~ツを好むのだと思う。でも、人からの話は、あくまでも、知識だ、貴女が体験から、新しい何かを、知らせてほしい。わたしは、2日前に、朝羞恥心で目覚めた。気持ちよくなかった。でも、それは一過性のものと知っているから、その気持ちには囚われない。全ての感情は一過性だ。もし、囚われたとしたら、それは、貴女の執着心だ。その感情を好んで、自分が浸かっている。嫌だったら、時間が全てを癒す。喜びの感情は、エネルギ~を消耗するので、喜びで、死んでしまわないように、落ち込みは神様が準備してくれた、緩和材だ。少し変な話をするね。男性は腹上死があるけれど、女性には無いらしい。腹上死、セックスが良過ぎて、最中にに死んでしまうのね。なんで、女性には無いかと言うと、その前に、失神するからだという話をきいたことがある。その点男の人のほうが思考が途切れにくく、大変だと思う。気力と体力は、割と、比例する。私は、セックスで失神したことないから、その事実は証言できないけれどね。これは、余談でございました。で昨日は、罪悪感で起きたのね。ふと、自分を振り返るよね、心に引っかかっていることを。頭で、前日アトリエのエアコン消してない事が気になってるのかと原因を探すよね。でもそれは、寝る前に折り合いつけている。心身が疲れているのもあるけれど。布団が原因だ。シルクの布団だけで、寝てるので体が緊張して、休んでないのね。明日は、羽毛布団かけようと思い、少し気分が治るまで、お臍に両手を当てて、もう一度寝る。朝までPCに向かった。アトリエに行きテレビに向かうと、保育園に子供を皆殺しにする、という脅迫状が届いていたり、学校では、爆発事故が起きていたり、小学生が、5人くらいで、一人の子を髪の毛を切ったり、肋骨に怪我するリンチをしている。情報が、犯罪の低年齢化を進めている。物凄く、追い立てられる気持ちになる。最近普通の生活してないな~。そんな時は、体が喜ぶことをしてあげれば治る。姉から連絡有ったので、誘い合わせる。空を見上げると、天女の衣を広げたような、ウス~ク真綿を引いたような雲を見る。生まれてはじめて見た、雲の造形だ。目が喜んだ。多摩川沿いのサンマルクで長~い昼食を取る。彼女はいつも怒っている。誰かに。で、私は同意しない。意見の一致が無いと彼女は救われないらしい。彼女が関わっている、ア~ティストの、プロダクションの社長の奥さんの記者会見での場の行動が許せないらしい。写真を取りたいのかと、思って、場所を譲ったら、社長のそばにきたいだけだった。おかげで自分が現場をよく見れなくなったと怒っている。わたしは、「女として、かわいい人じゃない」と言うと、『公の場で許せない。』と言う。『いい年をして、そんなことも分からないなんて、人種が違うのよ。人間住み分けが必要だわ。』「自分の仕事に差し障りがあるのなら、あなた自身がポジションを取り直せば、良いでしょ。文句いう前に。」と私は言う。『もう良い。』とお冠。『貴女とは感じ方が違うから。あんたの話もつまらないわよ。』食事の前でお互い仲直りの道を探す。料理の選択をはじめる。もう体が眠いから入らないと思ったら、美味しければ入ってしまう。何時の間にか、共通な話をしている。ロ~ストビ~フや、海鮮の乗ったボリュ~ムのあるサラダと舌平目のソテ~を分けて食べ、紅茶を飲みながら、焼きたてのパンをこれでもかってくらい食べた。コ~ヒ~とパンが美味しかったので、デザ~ト迄行ってしまった。彼女には、自分が無いと言う。これと言った、取り得が無いとコボス。唯、社会的な地位のある方々が、貴女は気がついていないだけと言ってくれるのが、慰めだと言う。私は、初めて、彼女に答えた『偉い人たちの意を汲んで動くこれは誰にでもできることではない事。それと、人と人を繋ぐ力がある事。只、会社勤めが苦手で経験が無いので、オファ~を受けてから動く癖が無いので、常に契約を飛び越えて、仕事をするからお金が発生してないこと。貴女が、段階を踏んで事をしていたら、高給が取れる事。人のために良かれと思って動いているので、処理能力が長けている事。でも、もしお金を受け取って、していたら、刑法に触れたかもしれないこともある事。もし、貴女が居なければ、兄弟を繋ぐ人が居ないこと。私も、上の姉さんも感謝してる事。彼女は嬉しそうに微笑んだ。『貴女とは生きる道が違うけれど、食事の好みが一緒なのは、親に感謝するね。』と彼女は笑った。6年ぶりに行ったのだが、閑散とした冷たい空間が、年配の御婦人たちの熟練した心使いの効いた、心地よい空間に成長していた。時の流れの素晴らしさを感じた。帰り道、公園の前で、車を降りて姉とは別れた。山茶花の咲くころ、公園に焚き火仲間がいる。久々に覗くと、枯れ葉が敷き詰められて、まだ時期が早かったみたいだ。誰もいない。ふと、『恋人よ』を口ずさんで見る。公園は声を出しても広いので、オカシク思う人はいない。野外ステ~ジに歩いていくと、公園の焚き火のボスが、『シンか?』と声を掛けてきた。お互いいつも感じが違うので、すぐには分からない。ニュ~フェイスが挨拶してきた。浮浪者に近い面々の集まりに、50前後バリバリ現役風。自己紹介に預かる。ここにも、時代の流れがある。4ヶ月前からだと言う。わたしは、2年かな?ベンチャ~立ち上げたところのひとだった。勿論、現役の仕事もある。ビジネスパ~トナ~の名詞も見せられた。NPOの名詞で、こんな働きもしてるのかと思う、機関名だった。その件で宜しくとボスに挨拶にきたみたいだ。わたしは、最後にこの日記の話をした。最近まじめに書き始めたから見てねって。何を勘違いしたか、出版社の話をし始めた。おいおい、作品ないよって笑った。商業べ~スのものじゃないから、私の自己紹介と思って読んでね!とサヨナラした。絵を書く前に買う人があらわれ、花を習えばいきなり、イケコミ頼まれる。そういえば、英語学校行っているときも、アメリカ系バンクのバイスプレジデントの、日本語教師頼まれたな。どれも、実力が有った訳じゃない。人生なんてそんなもので、何かに夢中になっていれば、例え病気でも生きることに、夢中で居れさえすれば、お天道様と3度の飯はついてくる。心配は死んだときしろ。これは、私の信条。テイク・一途・意~ズィ~(今度、スペル・覚えるね!)貴女の悩みは分からないけれど、喜怒哀楽。今回、私は悲しみではなく、恋する哀しみを知って、心は巧く転がるようになった。心ってコロコロ転がるから心って、心理学の教授が言っていた。貴女が苦手な感情は?それに出会えて、友達に成れれば、巧く転がるようになるかもね!怒りは弱った時の、活力に成る。死にかけたとき、次は怒りが必ずくる。怒りの消化法は、理解して許すしかない。・・これ結構扱い難だが慣れる…長く成っちゃったまたね!
2003年11月13日
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私が神と出会ったのは、1歳の時です。その時は、夢に現れました。確かな年齢を知ったのは、8歳の時他国に別れた、一番上の姉さんと、17歳で再会したときです。わたしは、小さい時から有った、両手に紐の先に鈴のついた束を親指と人差し指の間に、受けよろしくって、挨拶をしたかの仕草をした、日本人形が大好きで、その顔に、別れた姉を忍ばせていました。床上浸水の被害にあった時、已む無く、ごみとして捨てたのですが布の衣装を着たその人形は、今思えば、かなり高価なものと思います。それで、その人形が姉のものと思っていました。よいものは、大抵一番先に生まれたもの所有物と思い込んでいたからです。姉に、捨てたことを謝ると、その人形が、私に火傷を負わせた、父が、お詫びの気持ちで、私に買ってきてくれたものだったそうです。火傷を負う瞬間の記憶はまるでありませんが、その傷がきっかけで、神に出会ったのは鮮明に覚えていて、忘れたことがありません。右顔面、額から、顎にかけて、熱湯による、ひどい火傷でした。スト~ブにかけていた、ヤカンを倒してしまったのだと、記憶にはありますが、そこら辺は、オボロゲな記憶なのですが。夢に現れたのは、右弓なりの三日月に腰をかけた、女神様でした。私の姿は、足元にチョコントひざを折って座った後姿しか見えません。女神様は、『いい子でいたら、直してあげます。』私は、一言「はい」と答えました。 覚えているのは、翌日つれていた頬が突っ張らなくなり、痛みが完全に消えていたことです。そして、私の顔には、火傷の後は、微塵もありません。私には、空気とか風とかが友達でした。よく、『生まれ変わったら、何になりたい?』と聞かれて、「風になりたい。」と中学まで答えていましたが、そんな漠然としたものじゃなくて、と言われていました。わたしにとて、風とかは、物凄く実態のあるものでしたが、周りの人たちにはそうではなかったようです。小学校のころ、漫画で、隠れキリシタンの話を読んで、踏絵を踏まされる所で、不思議に思っていました。どうして踏まないのだろう。神を知っていれば、踏めるのにと思いました。わたしは、魂に逃げ出されたことが有ります。自分の思い上がりから、自分自身を守りきれない事態になった時。家のベッドで思わず吼えました。その時、魂は私を見限って口から逃げ出しました。恐らく、天国に避難していたのだと思います。今は私の中に戻って、来てくれてます。戻ってくれてから、大分たちますが、最近、ある魂に出会ったことで、私は私の魂の所在を強く感じ取っています。多く信仰を求める人は、神にまだ、出会ったことがないのだと思います。ある人は、神は人となって自分の前に現れるもの、と人を通した神を知ったから、自分は全て知ったかの口をききます。それも、確かに神のひとつの働きです。でも一部です。神の働きは、無限です。その時折形をかえて、何かを知らせようとしています。自分が何を知ろうとして、生まれてきたのか、一人一人の命題があるとは思われます。神を求めるあまりに、人を傷つけないでください。一人一人の道の中で、神が一人一人に用意した試練があります。あなたの目には間違っていても、神の目からは、正しいこともあります。わたしは、縁有って、キリスト教的な、アプロ~チの手段を手にしたので、その言葉を借りることが多いと思います。今までに聖書は2度読みました。一度目は、自分になにが起きたのか、知るために。読んで、無宗教の私が、偶然浴びてしまったのは、キリストの生きた霊で事を知って、水による洗礼の儀式を受ける決心をした時。二度目は、作品展をする時に、神の声が胸に響き、(私の場合は、女性の声です。)幻聴と少し違うのは、耳を通さないことです。≪自らも求めるものは、自らの、コリンテス≫と聞こえました。で、眠ると忘れるので、辞書を調べました。一番近かったのは、コリントスへの手紙だったので、四谷に聖書を買いに行きました。作品展をするにあったって、一通り聖書に、その時は、旧約まで、読むことになりました。全ぺ~ジに目を通したわけでは有りません。前回、読んだときから、十年以上たっていましたが、マタイ、とかルカとか、キリストに関する証言はパスしました。私の聖書に関する知識はその程度です。聖書は私にとって、ひとつの辞書的な役割です。だから、聖書の言葉をもって、相手をねじ伏せるような、宗教家は好みません。ハワイのキリストの霊を浴びたその教会で、12月の23日にホストファミリ~と牧師さんと私だけの洗礼式を行いました。この儀式を受けるか受けないかは、ホストファミリ~の言葉を借りれば、同棲と結婚の違いくらいだと、言っていました。ですから、セレモ二~をうけたからと言って神を受け入れているかは別の問題とも聞きました。日本で教会を探すようにいわれましたが、何軒か回った感想ですが、日本はどこも、拝みや的な匂いがして、仏教徒との差がわかりませんでした。形が違うだけって感じで。ある時、義理の兄のベルギ~留学時共にした、フランス人のマダガスカルの神父さんをエスコ~トさせられた時、御茶ノ水の教会で、日本に、キリスト教は77宗派入ってきてる事を聞き、私は教会を探すことを諦めました。ホストファミリィ~から、人と人が集って、心をひとつにする時、そこに神がいる、と訓えをもらっていたので、私は、日本ひとつを教会と考えるようにしました。それと、どの宗教も神を装って近づいてくる、見分け方としては、悪魔は、力が弱いので、必ず、代償を求めてくる、神からのものは、無償だから、それで、見極めろと。私が、キリストの霊に包まれた時、私は、教会で眠っていました。英語学校の、合宿で最後の2日間ホ~ムステイが入っていて、適当に振り分けられた、出会いでした。異邦人を受け入れる考えのもと、その教会が引き受けたようです。一日目、わたしは、キリスト教の疑問点をその家族に、色々聞いていました。洗礼のこととか、もし、伝道されなかった、人たちは、どうなるのかと。翌日付き合いで行った教会でわたしは、心地よく最前列で眠っていました。そのミサは、ほとんどが音楽で構成されていました。異言で祈ることを採用している教会でした。で、癒しの時に、わたしは、腹の底から、何かが口を通して、出て行くのを感じました。それは、魂でないことは、経験上分かって、いました。異質なものでした。涙が溢れ、頭にひとつの悟りが与えられました。≪人のことは、どうにもならない。≫ミサの後、何人かの人に囲まれて、あなたはクリスチャンに成る。と口々に言いました。「ハアォ・キャン・ユ~・ビ~・ソウ・シユア?」と訊きましたところ、中の一人が日本語の聖書を私に渡し、『これは完全な聖書だから、日本にかえったれ読むように。』同じ家にお世話になった子が、『私は?』と尋ねると、『アイ・ドン・ノウ。バット・メイビ~。』と答えられた。私の家は無宗教だった。母は戦後の日本の変化に、神を求めるものと成ったが、私が、洗礼を受けに行くと言うと、『神はここにいるのよ。』拳骨で胸を叩いた。兄は『数珠でも持ってけ!』と言いました。兄も姉もキリスト関係の学校と縁がありましたが、私には、初めての、接触でした。洗礼の後、私の壮絶な人生が始まりました。今はかなり楽になりました。私は、宗教とは何かという事から、考え始めることになりました。信仰・愛・希望 この内で、もっとも大切なものは愛である。コリント人への手紙より
2003年11月11日
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この恋に出会って、最初によぎった、罪の意識は、その魂が、肉体的に若い人の魂と直感したからである。女性の魂は、触れたとたんに、逝ってしまいました。という訳で、私の魂は、天国の住人となりました。(爆)罪悪感の苦手な私は、すぐさま、本人に、懺悔致しました。色んな考えが頭に去来しました。聖書には生殖に関して2つ謎があります。一つは有名な、処女出産もう一つは、イザヤ書に取り上げられる、サラの出産年齢です。その子供は、イサク意味は、笑われ者、という意味だそうです。年齢的に親子ほど離れた相手に、セクシャルな感覚を持った事に、罪の意識を感じました。そうして、もう一つの逸話を思い出しました。生きている内に、長男の嫁が子を残さず、兄弟全員と交わりを持ち子を成すことが無かった場合、誰の嫁とみなすのか、という質問に対して、天の国では、もはや、娶るものも、子を産むものではない世界だ。と言う記述である。今世界は、神を知らない世界に突入している。過去の戦争は、キリスト教の布教と言う、聖戦と言う大儀名文があった。叡智が開かれ、どの宗教の神も、基は同じ物と感じられるように成った現代。ケイオス・カオス・混沌の世界に、今私たちは生きている。今生きる、ここが、天国であり、地獄であり、神話の世界だと思う。私の知る限りにおいて、天国は宇宙の外にあって、宇宙にぽっかり小さな穴が空いていて、4天皇が頭を寄せながら見下ろしている。その寄せ合った、4ツノ頭の空間に天国への世界が広がっている。これは、私の想像力で見たのではなく。継母が亡くなった時、身に付けていた、ブレスレッドに残された、残留思念を読み取った時の一つの情景である。その情景には輪廻転生の道筋があった。その記憶は何年か前に、作品発表した時に、8枚組みの絵に残してある。私の世界観はその時出来上がった、過去現在未来は同時進行している。あたしの勝手な理解で、数字に、表すと、人生は、360回やり直しが聞く。これが基本数で、24時間に分けられた時間を掛けた回数と、是か否かを掛けた回数と、その他無限の心残りの数を掛けた、回数人生は繰り返される。今まで私は今生を何回生きているか知らないけれど。怠惰なわたしは、今認識している一生で終わらせたい。と思っていた。今の気持ちは、生まれて、何日か数えられう日数だが。死ぬまで生きると言う私の目標が今を生きるに変わった。そして、恋する相手に、私はここに居る、とアピ~ルしている。生身の私の性はかなり悲しい。一番悲しかったのは、教育の立場に居る人に、女性として、接触された時である。英語の先生が統計的に多い。中学校のときの教師は、私の中国語を知る文法構成と舌を他の生徒の前で褒め称えた。精神的に不安定なこの先生は間もなく現場から消えた。ほっとした。高校生のときこの教師の担当が音楽だったか英語か記憶に乏しいが。高校で問題が起きたとき、私の弁護に回った先生が理解を理由に家まで送ってくれて、帰り際、玄関で、唇接触するキスをされた。ぞっとしたが、私は静かに微笑んだ、これは、私が敵に出会った時、身を守る術として、身に付いた悲しい習性だ。33歳の時中学の同級生が死に、お悔やみにクラス会が開かれた。担任は私は男嫌いだったと評価していた。小さな居酒屋の二回で、偶々担任の、体に、凭れる形になった。ポパイとあだ名のついた、その先生が、離れ際に私の両乳房をつかんだ。ああ~ポパイお前もか。その後クラス会には2次会しか出ない。懐かしい人デハナクナッタ。正直顔見たくない。 今日は選挙に触れた事を書く。私の生まれは大変普通ではない立場の親から生まれている。生業とは別の顔が有った。台湾出身のル~ツであるが、戦中日本に学生として過ごした父が選んだ国籍は、中華人民共和国である。その中でも変り種だ。天安門の上の席で、毛沢東と一緒に国慶節のパレ~ドを見ていた。親と子の世界を完全に分けられて、育った。親が偉いのと、子供が偉いのと、わけが違う。勿論、妻もである。生母の立場は父よりも上と生前はされたいたらしい。葬式は、華僑葬だったらしい。神話なので、間違えてるかもしれない。田中角栄が国交正常化する前まで、私たちには、公安の目が常に光ったいた。そんな私が政治のことに書くのは、かなり勇気だ。結論から書くと、極端な政権交代劇が無かった事に、安堵した。これは、自民党と民主という意味ではない。首の挿げ替えが起こらなかった事。自民党と民主党について。自民党はいろいろな人格のものを併せ持った、成熟した政党であること。極端な暴走に対しての安全弁を持っている。民主党手段を選ばない、政権交代に命を燃やす若い政党。その他の政党。それぞれの、歴史の背景の中でがんばっている。親の七光りよい面と悪い面簡単に知名度を得られる。持たないものには、それ自体が抵抗の理由になり勝ち。田中真紀子氏親の資質は遺伝しても、人格までは遺伝しない。江藤氏親からの伝授されえた知恵の公開これは、開業医の心得を説くわが母親と同じであった。近所で物を買う時に、安い高いで買わず、満遍なく、買い物をする。(おいおい、そんな事、みんなに言っていいのか?)石原氏家族の応援ではなく、個人で立っていたら、内容に耳が傾けられたかも知れない。バックが大きすぎた。官氏親に似て・・・・・。次に勢力について。小泉純一郎(じゅんの字正誤わからない)日本ではじめて、国際感覚に引けを取らない首相。日本の歴史的な成り立ちを理解している。現代俳句を引用して、語る口や、今回の反応に、日本人はクレバ~と表現する所に、隠しても滲みでる、教養を感じる。スマ~トではないよね。田中真紀子氏口から出るのは、角栄節と言うより、恨み節。主婦感覚の発言は大衆向けである。今回の発言で、日本人があまり知らない事に触れている。日本は、国籍を出生地制を取っていない。父親の国籍、または、母親(私生児の場合)の国籍による。血が日本人で有っても、日本で生まれていても、母親が日本国籍でも、父親がカナダ人の国籍を取得していると、子供はカナダ国籍になる。(現在、細かい、事例は、どうなっているかは知らない。)国籍は、その国の条件を満たせば、殆どの国で自由に取得できる。山崎氏天命←選挙は水物。落選によって、小泉氏懐刀を無くした。と評されるが、若い阿部氏のまだ抜かれていない刀の切れ味が楽しみである。過去を振り帰って。橋本政権が一番国民を信じた、時代だと思う。その時代の考察開かれた国会毎日国会答弁が流れていた。時代は、ヘッジファンドと世界経済の戦いだったと思う。橋本氏の失脚はアメリカ人を震撼させた。日本国民の無知さが現れた瞬間だった。あの時政権交代劇が無かったら、ここまで国民が深刻な血を流さずにすんだ気がする。現実に起きなかったことは、空論の域を出ない。官か民か税金を払う立場の企業になるか。税金で運営する立場の企業であるかの違い。労働による、お金の流れの区分の違い。民で有っても、仕事役割に寄って、自由に采配出来ない責任は有る。マニュフェストプロパで見事だったのは、空想内閣わかり難い政治を目に映る幻影を掲げたところ。私の目には漫画に映った。というのが感想である。 低い投票率について。日本は、自由も参政権も自力で勝ち取ったものではない歴史がある。代償無く得たものに、それ程の、貴重性を感じ取れないのだと思う。最後に。お世話になった、短大の学部長の心に残った訓えを書く。余りに清い水は一滴の墨をたらしても、真っ黒に染まる。清濁併せ呑んで、清きを選び抜いたのが、本当に清い人だ。政党の党略に拘らず。政治家には一人一人の頭で考えて欲しい。そして、極端な政権交代は、必ず多くの血が流れる覚悟が必要である。今現代世界中で一番恵まれた国は日本だと思う。この世の天国に生れ落ちた私は、先祖に感謝する。日本の犯罪者で文字の読めない者は一人も居ないと思う。(外人別枠で)全ての国民が教育を受ける権利を有する。これは、奇跡に近い事である。
2003年11月10日
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最近ハ~ドな物を書いて、少し疲れたので、暫くサボるつもりだったのだけれど、クリスタルの投げかけで、書いてみる気になった。それは、クリスタルの恋愛に対しての状態が、余りに私に似てたからなんだ。愛に関しては、生きる道すがら、いろいろな顔を見てきたけれど。恋は初めてなんだ。でも、それを知って、自分をさらけ出して、書く勇気が出たんだよね。気持ちが、元気じゃないと、あんなもの書けない。わたしも、心が、中学生以下かもしれない。でも、私には、今だったんだよね。女って、受け身な所が在って、来る人の中で、受け入れてしまっていたと思う。もちろん、そうじゃない人も居る。自分の目で選んでないんだよね。最初に男からのモ~ションが在って、次に、イキナリ無視されたりすると、それに、執着するように、振り回されたりして、でもそれは、自分の好みとは、違っていたりする。自分のプライドが傷つけれれたことに、癒しを求める行為かもしれない。それとか、言い寄られたとはいえ、自分が選んでいるから、相手が、メガネに適わなかったとしても、中々、自分の馬鹿さが認められなかったりして、遠回りをしてきたんだと思うんだ。私も去年、人に振り回されて。彼のかけた術から、逃げ出すために初めて、周りを見渡し始めたんだ。彼と、同じ位インパクトのある人を探しはじめたの。そうしたら、一人だけ目に付いた人がいたんだ。その時から、少しずつ、自分の好みがわかってきたんだ。で、クリスマスのイブイブに、私の男(そう呼べと強制されていた)無視された、腹いせに、偶然その存在感のある人が居合わせたので、こちらから、声をかけた。一年間同じ店でPCたたいていたので、向こうも私が何しているのか気になっていたので、会話が始またんだ。お互い年が気になっていたので、最初年齢から話が始まった。8歳年下の人だった。10歳下の人と結婚してたので、経験から、年下はパスでした。体力が違いすぎます。それと、これから、子供を持とうとする年齢の人とは、私は夢を適えて上げられません。そんな話を率直にした。最低限の条件があわない。安心の相手になりました。個人的な名刺を貰いました。この人に会わなければ、ネットとかかわる事が無く、『泡雪』は誕生してないんだよね。彼はプランナ~だったんだよね。そこには、いろいろな世界が広がっていました。特に感動したのは、犯罪者の刑罰を地雷の撤去に動員するとか。人間としての愛を感じたんだね。惚れた。この惚れるという感情は、自分より上においているんだよね。だから、自分を相手の対象として考えていないんだ。私は彼の、過去の提案を夢中になって読んでいた。そして、私の男に、「あなたより、すばらしいと思う人に出会ったんだよね。」と告げた。 「付き合いたいとかじゃなくて、あなたよりすばらしいと思ったことが、問題なんだよね。」と予告をし。クリスマスも正月も無い、この男に、初めてで最後の正月の思い出を残した。一月の半ば、呼び出しが会った時、断った。半年前から、さようならを私が口にすると、何故か私が許してもらう形で、続いた居たけれど。『今度は引き止めないね。』と言われおわった。私は、そのプランナ~の知識を頭に写し取ろうとした。夢中で読んだ。そのプランナ~のHPを開くと、書き換えられた、内容が届くようになった。以前、目を通したときと微妙に違うのだ。別な意図を持って並び変えられていた。わたしは、ファイア~ウォ~ルに閉じ込められ、送信欄にわけのわからない、文章が届くようになった。わたしは、その怪文書に答えて、妙なやり取りが有った。このHPの持ち主もまた、きちんと相手に向かい会って、話す習慣の無い人でした。悲しい思いをしました。突然目の前に現れたHPの持ち主から、『メ~るを送りましたか?』と聞かれ、私は、「はい」と答えた。『友達にも送りましたか?』わたしは、はい。と答えた。その質問の範囲においては、そう答えるしかないのだ。わたしのPCに異常があるのですが。と話すと、じぶんのPCは自分の責任で管理してください。と言われ。こちらの話も聞かずに立ち去られた。彼が被害を受けたと思われる頃、私は、病院の独房に居たんだよ。わたしが、怯えた状態になったので、姉が連れて行ってくれた。その間色んな情報から切り離されるんだ。持ち物も、部屋に一切いれない。人と話すのは、一日4回のタバコを看護士が付き添って、ベランダで吸う一回10分くれる。世間話する。隣の人と檻越しに時々話す。顔をあわせる事は無い。たばこ習慣が無ければ、特に苦しいことは無い。わたしは、一般病棟へは行かない。他人との生活上の問題は無い。私は、通産8回メ~ルを出している。最初は、相手へのHPのすばらしい事。途中からは連絡ほしいとの内容。友達にも、連絡ほしいと伝えてくれと言う内容。現れたときには、やっと、来てくれた、相談できると思ったところ。 精神に病気があるのは、聞いたけれど、誰にでも甘えていいものじゃない。皆ぎりぎりのところで生きているので、迷惑かけないでくれ、これ以上メ~ルを送ったら、しかるべき対処をすると言う内容のメ~ルが届いた。多量のメ~ルが流れたのは、それから、一月経ったころだった。姉が復帰を手伝ってくれた時に、流してしまったのだ。この際どこに何が届こうが、どう思われてもいいと思ったのは確かだが。それらが、どんなものか、開く気もしなかった。警察から連絡が有った。わたしは、初めて加害者の立場にたたされた。その後も、続いたようだ。わたしはPCを明けていない。姉のPCからアクセスしてプランナ~のHPを覗くと、私のアドレスが公開されていた。私は、英語専門学校に行っていた時のタイピング技術と、キ~ボ~ドでは矢印しか使えませんでした。PCの知識も無く。私に起きている事は、相手側に問題が起きている。と思っていました。今でもその人のHPを覗く過程で感染したとは思いますが。誰が私に、トラッキングしているか、未だわかりません。『私の男』はサイトを扱う生業でしたが、そこまで、悪質な人ではありません。法を破ることにおいては厳格な人だったからです。そう信じたいです。その後いれたシマンテックのシグナルを見るとトロイも木馬が送られてくる拠点は、世界各国を通してきます。わたしは、ドクタ~からも姉からも、そして、今日会った、オフの人たちからも被害妄想に見られていました。泡雪の日記はわたしのSOSの発信でした。妄想、とも、幻覚、幻視、その手と思われる記述超えて、私にコンタクトしてくれる人を待っていました。助けてくれた人は、セキュウリティ~を超えて、システムを壊されました。でそれから、余り連絡とっていません。結果として。わたしの、PCには、23個リモ~トが入り込んでいました。セキュリティ~を超えて今はシステム壊されている。ドクタ~はわたしが有名人でも、PCに精通した人間でもなく、ハッキングされるはずが無いと思い込んでいる。ドクタ~も何で私がそう思うのか知りたくて、同じHPを読んでいてくれていた。姉と、どうしてあれだけ頭のいい人が混乱するのでしょうね?話し合っていた。(知識あるとか頭がいいと言われるのは、心外だ。)私は、私の謎を解いてくれる、頭のいい人を探した。私がトラッキングを受けていることを殆どの人が信じてくれなかったのだ。携帯電話も外部から弄られている。私の声を合成して、私の録音してない、メ~セ~ジが流されて、外部からの連絡が絶たれた。姉はそれを、私が自分でして忘れていると思っている。姉はメモした、メ~セ~ジをドクに聞かせた。わたしは、携帯の操作の仕方を知らないのだ。友達の声を合成された電話もかかってきたが、その時は、本人が近くにいたので、偽電話だと、すぐわかった。メ~ルは必要なときお互いが繋がらなかった。本人と向かい合い、電話を繋げる作業からはじめた。チャットで知り合った、不思議を不思議と受け止められる、つくば大学の物理の学生も来てくれたけれども、PCの謎は解けなかった。妙なタイミングで、CDプレ~ヤ~も壊れたので、気が向いたときにその恐ろしい体験も書くけれど・・・。取り敢えず。新しいプレ~ヤ~を買いに行ってセッティングしてもらった。それに、携帯は電話会社を超えて、弄るのは難しいと調べてくれた。最近高校生に聞いたのは、HTMを受け取れる全ての物は、破壊できるらしい。以前使っていたライコスはプランナ~が個人的に使って居た、公式ではない、裏HPのサイトでした。いろんな経緯で偶然楽天に来て。いろいろなHPに出会い。最近恋と言う感情に出会ったのですが・・・。もし、目に見える姿とか立場とかを通して居たら、色んな概念が邪魔をして、恋心に辿り着かなかったと思います。ひとつ言えるのは、私は私の好みを余りにも知らなかった。今感情的な切なさや苦しさは収まってきました。体が疲れてきたのです。今安堵の中に居ます。クリスタル・今日の続きはまた明日。ちょっとスロ~にいつ語り終えるかわからないけれど。明日は、この恋に出会った時の、私の心に過った、罪の意識と心の変化を書くね。でねでね、前予告した心の座標はそれらのまとめにするね。
2003年11月08日
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最近お気に入りのHP。その人と世界観が一緒に見えるって、読者の感想から、その映画、借りてきてみた。最初、タイトル書いた、メモ渡して、借りたので、間違えたかなっと、思った。何故なら、画面に映る情景は、男の暴力的な性、の情景が歌いだされていたからだ。聞いていて、救われたのは、声のきれいさだった。その歌を、聴いている、観客の面相と同じ面持ちで、聞いていた。そして、映画が始まった。私は、同性愛者を否定しない。どんな人とでも、愛し合っているのなら、愛し合わないより余程、まともだと思っている。でもそこには、愛と見せかけた、子供の体を玩具にする男暴力的な性があった。わたしもそうだったが、25歳くらいまで、自分が男か女かわからなかった。自分の肉体は好きだった。かなり恵まれたほうだ。美しいものが、何でも好きだった。25の時、愛せる人と有って、初めて、女が女に与えられないものを知った。浪人仲間の男の子の言葉を借りると、愛が無ければ、タンポン突っ込んでるのと一緒。体による刺激を求めると、限りが無い。当時、ミスタ~グッドバ~を探して、っ言う、体で自分の相手を探し続けて、死んでしまう女の話があった。私の体験からすると、精神が溶け合うとき、体に触れている記憶も残らなかった。そのとき宇宙をさまよった気がする。でも、それも幻想だと気がつくときがあった。私はそのとき、彼が何を見ていたか、聞いたことが無い。生きている間に会うことがあれば、聞いてみたいと思う。魂がひとつになることは無いと思った。私は愛に絶望した。セックスに興味を失ってしまった。21年前の事である親同士会って結婚させようというはなしにも成っていた。彼は医学部の6年で、サラリ~マンの子だった。周りに、引け目を感じない生活を彼にはさせていた。当時岡田事件と言う。デパ~トの社長の横領事件が有った。そのあおりを受けて、彼の家は、5000万の責務を負った。この5000万と言う金額は、当時彼の千葉の実家の豪邸と等価だった。私は親に事情を話した。『そんなの、自分の家を売って返せばいいのよ!』とき負った。こうなると、母は覚悟したのを感じた。母は感情に出たときには、自分がそれを同時に負ってしまう人だと知っていた。この結婚不幸に成るそんな予感がした。卒業後家が生活を見る話に進んだ。大学に残ると、2万くらいしか出ないことを知っていたから。後は、アルバイトで、一回5万とか稼げるが、口も少ない。整形美病院に就職すると、できるかは別として、百万の給料だが、医者を目指すものとしての、求道の道が絶たれる。わたしは、東横線沿いの神奈川、駅から2分くらいのところに、50坪の敷地に今にも倒れそうなボロヤに一人住んでいた。トイレはポットンだった。まだ、下水道が引かれてなかった。そんな状況の中で、彼の不用意な一言が有った。彼の親の気持ちを私に言った。その事は、大したことではなかったが、続いた言葉に、私は凍りついた。『おまえの家がもっと金持ちだったらな~。』私は、家の資産を彼に話したことは無い。周りの人と同じように暮らす。一定の生活を保つ生き方は彼には見えていなかった。私は、包丁を持つ手が動かなくなるのを感じた。正気を失い始めた。オレンジと黄色のゴルフボ~ルがあった。願わくば、これが私の記憶の道標になることを祈りつつ。わたしは、数をずらして数え始めた。もし私に、記憶があったら、この愛を捨てて生きていく自信がもはや、私には無かった。そして私は、緩やかに、字も読めない状態になっていった。幸い、継母がなくなる前に、わたしは、全ての記憶を戻すことができた。仕事をしながら、数を数える事を覚え、0からの学習だったが、何度、ゴルフボ~ルを見ても、私の封じ込めたものはなんだったのか、思い出せなかった。父親が無くなり、初めて、正社員で働いたのが、30だった。母親が亡くなるのを予感していた私は、急いだ。継母も癌の手術を受けた。逸見さんと同じ病気だった。本当に、奇跡的に助かった。一年叔母から会うのを許されなかったけれど。私と母は向かい合うことができた。残された日々。いつ尽きるかわからない寿命を私は感じ取っていた。お互いの気持ちを話し合う中で、『親は気に入らなくても、結婚させてあげようとしたのに、あなたはああなったの?』と聞かれ、初めて彼の言葉を告げた。母は、『それでも、あなたを選ぶって言いたかったんじゃない?』それは、私も感じていた。でも現実には、わたしは、そのことの後に、お前の家が医者だったらな、といわれる気がしてならなかったのだ。 それを聞いて、母は、簡単な言葉で、締めくくってくれた。 『あ~信じ切れなかったのね。』私にはいろんな感情がいろんな出来事が。母のように簡単なわかりやすい言葉に辿りつくまで、時間がかかる。映画に戻そう。主人公は哲学者だった。大人たちに、未分化な性を決定付けられる。そこには、母親の考える幸せも応援している。夫に人形のように、捨てられ、性に翻弄される女の半生経験した。自分と同じ空虚な目をした、少年に出会い。自分の魂を注ぎ込んだ。少年の心が傷ついたとき、二つに分かれた魂を、再び一つにしようと少年が、セックスをしようとして彼女の本来の肉体が、男性で有ると知る。キリストフリ~クで有った、少年が肉体のアダムとイブの成り立ちをこえることはなかった。彼は、まだ、ママが心配するからと言う言い訳を思いつくほどの子供だった。そして、彼の分けられた、精神を、あたかも自分のものように、売って成功した。主人公であるヘドウィッグは再び、少年と会う。少年は彼の魂を移したものの。魂の行方を捜す、過去の人々の叡智を知らず、神の名前を間違えて覚えていた。少年の魂は少年のものであった。 少年は少年の一つの独自の真理にたどり着いたとき。その真理がヘドウィッグの生まれながらの性を取り戻す。(この際そこに観念の性は無い)お互いが一人一人として向かい合った時、魂は輝き始めた。魂の存在を知るの伝道者としての、新しい神として生まれ変わる。ここで、映画で彼を神としたところは無い。ただ私の知る、キリストの生きた霊が私に伝えたものと、彼が伝えた魂の存在が同等のものであるので、神として生まれ変わったとかいた。一人一人の魂の輝きは神そのものであるから。ヘドウィグが作り上げた、化粧の顔は、男の性衝動をよく知り尽くした男好みの女性の顔で、それが私に嫌悪を感じさせていた。、化粧を落としたその顔は、まさに、男にぼろきれみたいに捨てられた、女の哀愁そのものだった。笑顔は幸せな時も刻んでいた。彼女のすばらしかった事は、捨てた誰のことも憎んでなかった。ただ、淡々と受け止めた。目を開いて過ぎる風景を眺めていた。補足として、事の始まりだった出会いを理解するのであれば、有吉佐和子の『非色』を読むことをお勧めする。崇高な魂がどうして、こんな出会いから始まったか、理解の一助になると思う。3回目見ながら私は一緒に口ずさみ鏡の前で踊っていた。
2003年11月06日
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実は、わたくし、この感情ってものが一番苦手だ。子供の頃、感情的になることが、すごく恥ずかしい行為とさえ思っていた。そして、感情なるものを、簡単に4分割して考えていた。喜怒哀楽この4つに分ける。人は、撃たれれば、痛いと思うし。くすぐられれば、笑ってしまう。と言う簡単な分析で、この、喜と楽を極端に追求した。怒るとか、悲しみは、出来ることなら避けて、通りたいと思った。怒ると、自分の気分が悪い。で、自分を怒らせている相手の立場を理解することで、怒りを静めた。悲しみ、これは、不思議と出会わない。よくペットを餌を忘れて、死なせてしまったが、例えば小鳥を死なせてしまったとき。失った悲しい気持ちに浸って、もう鶏肉は食べないと思っていたら、夕方、気がついたら、チキンライスを作っていた。悲しみに対してのイメ~ジが誰かの詩、ハイネだったか、ゲ~テだったか、(わが悲しみのよいゆりかご)って言葉に陶酔していた。 これは、タイトルだった気がする。そのい一節に、不思議なものの音のする、という下りがあると、なんか、その不思議な物の音という言葉にき気がとられ。私のとっての不思議な音を探したりしていた。行き着いたのは、赤ちゃんの、振り子のようなおもちゃだった。最近の赤ちゃん持ってるの見ないのだけれど。買ってきて、分解してみると、円筒の基盤に何本かの金属の棒が立っていて、蓋の中心から、針金の先に金属の玉が付いていて、それが、回転されるとその、金属の、棒を叩いて、一定の音が回転される。音の質は、短調の音程だった。どこか物悲しい。感情とは、生まれたときに、全てを持ち合わせているのではなく、感じ取る、機能が有って、、塊として感情がある、感じたものを相手に伝える方法を学習するのではないかと思う。それを伝える手段としえ、涙が流れたり、声に伝達したり、体が震えたり、手足をばたばたさせたり。人と接するときに、初めていろんな感情として分化するのではないかと思う。例によって、私の記述に何の、アカデミックな裏づけはない。 初期においては、(快感)(不快感)その中間に(安定)が有って、快感か不快感の区別がはっきり、区別つかない感情の処理に困るのではないかと思う。 いづれにしても、快感であれ不快感であれ、体が反応し続けるのは、大変疲れる。エネルギ~がいる。次回は、この、私流、感情の4分割心の座標について書いてみたい。
2003年11月05日
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皆さん初恋っていつですか?と聞かれて、はっきり答えられる人は、幸せだと思う。他人に関心を持ったり性欲を感じたり、私の中では、これを恋とは認めがたかった。 でね、最近はじめて心にかなった、恋に出会った。ちょと、ズ~ズ~しいかも知れませんが・・・・・。 心に秘めていないのが、乙女と少し違うかな?永~い人生経験から。足りない頭で考えないで、すぐ知っていそうな人に聞くことと、小さな胸に抱え込まないこと。それと、自分をごまかさないこと。身に付いたのは、この3点かな・・・・・。で、今回はじめて恋と私に認定を受けた感情の感想は・・・・。せつなくて、苦しい。これに尽きる。感情が、肉体に及ぼす苦痛胸が苦しい。で、それを紛らわすために、身の回りを整理したり、音楽聞いたりする。自分の内なるものに気持ちが向いて、勝負事やら、関心がなくなる。でね、苦しいのになぜやめないかと言うと、心がなぎになった時、胸のうちに、静かだけれど、熱い情熱が生まれたのを感じるんだ。自分の存在を相手に知らせたくなる。私が自分を他人に理解してもらおうと、思ったのは、生まれて初めてかもしれない・・・・・・。自分の生い立ちなんて、結婚した人にも話していない。妖怪べム(わたくし)はやっと人間になったかもしれない。で、少し人間の気持ちが分かって、他人の役に立ちたくなった。私のかわいそうな一生を送った、愛犬マックを思い出した。小学校6年の時、痴漢が、枕もとに座っていたのがきっかけで、犬嫌いの継母が、良さそうなのを、親犬から引き離してきた。野良だ。おばが血統証つきをくれると言っていたので、少し不満があった。 早打ちマックと言う漫画が流行っていて、口の周りだけ黒い子熊のような日本犬だったので、熊をひっくり返して、マックと言う名になった。買い物もどこでも抱いて連れて行き、毎日洗って、夜鳴きに付き合った。番犬だから、もちろん外。3ヶ月ほどして、大きな犬に囲まれた。周りの人が抱き上げろといったので、手を伸ばすと、血迷ったマックは、私の手をかんでしまった。 私は泣いた、痛かったのではない、飼い犬に手をかまれた事が、許せなかったのだ。 その日を境に死ぬまで手で触れることはなかった。常に靴をはいた、足でなでた。繋ぐと絶食をする根性に負けて、放し飼いになた。駅には、プラットホ~ム迄送りにくる。駅員公認だった。わたしは、常にマックと他人の振りをした。飼い主だって、ばれたくなかった。マックは、町中でかわいがられ。赤ん坊にも歯を向けない、マックは、野犬狩りにも合わなかった。噂では、保健所に近所の人が、頼んでいたそうな・・・。本当のことは知らない。 何で突然マックの話をしたかというと、最近の自分の文章で、この、かわいそうなマックが、思い余って、私にモグラをプレゼントしたことを思い出したのだ。 すずめに、餌を分けるマックが初めてした殺生だ。きもちは分かるが、なんだか困った。 こらっと軽く、眉をひそめた。マックは悲しそうな顔をした。犬の癖にやたらニンゲンポイ感情の持ち主だった。 モグラはマックにとって、どう映ったのかは知らない。退治する醜いものに映ったのかもしれない。 私はマックが気持ち悪くなった。私は、ねずみ退治が得意だった。適当なカップを被せて、生け捕りにする。最後は、子ねずみを、餓死させて、死臭で、ねずみの侵入を撃退した。 はっきり言って、かなり残酷な人だと思う。 でも、じかに手は下していない。大きなねずみは、 ガラスのコップに誘導して、ガムテ~プで封をして、清掃車に出した。 今日は気分が重いので、軽い話にしようと思ったのに、またまた、大残酷になってしまった。 最近人の罪を目にして、自分も同じであったことに、気がつく。ボ~ンナゲ~ん スペルミスを恐れずに書いてみる。BONE AGAIN私が洗礼を受けた、ハワイの教会の教義だ。≪ 人は生きながらして、生まれ変わることが出来る。≫普通の言葉に置き換えてみよう。一度目は知らずに犯した過ち、2度目は失敗、3度目以上犯したら、それは、神のみぞ知る。アッこれは、わが親の教えだ。あたしの好きなHPから言葉を借りよう。≪ 人は、例え奈落に落ちようとも、引き返すことが出来る。≫今日は、これまで。
2003年11月04日
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継母は、東京白山の知る人ぞ知る、テ~ラ~ドの娘だった。継母の父親は、栃木の地主でも在ったらしい。戦後、社会党が一時政権を握った時、不在地主として、小作人に土地を渡されたらしい。そんな訳で、社会党が大嫌いだった。今の憲法が、マッカ~サ~が輸入したと認識している。神に与えられたごとく、尊守されているが、今日の法律に至るまでは、いろいろな紆余曲折が在った様だ。群馬のめしいの按摩さんとの世間話で、憲法が、アメリカのミズ~リ州の州法を基に、急遽作成されたものらしい。何度もいうが、私の記述に、アカデミックな裏づけは無い。 本題に戻そう。継母は大学に進みたがっていたが、女だてらに、学問をする事を当時、反対されたそうだ。 継母が生きているうちには、それとある程度、客観的にものが見れるまで、中傷とも取れる私の意見はかけなかったと思うが、私も石を投げられる覚悟で、私の偏見を書くことにした。 継母の教育方針に、男女の隔ては無かったと思う。それぞれの能力に合わせ、読む本を選択し、個性の違う子供たちに、読書の習慣をつけさせた。兄には、シャ~ロックホ~ムズ、姉には、赤毛のアン、私には、ラフカディオ・ハ~ン小泉八雲。 日本を愛し、各地の民話を集め研究しながら、最後まで、外人としてしか見られなかった、ヤグモの一生を触れさせる目的だったらしい。小学生の頃の話だ。 子供に対して、親の偏見が成長に、影響を与える。兄に対しては、外国人が、卑下されない職業に就く為と言う明確な目的があった。 私には、亡き母親と同じ資格を取らせたい、継母が感じた養育に対しての責任を感じさせられた。 姉に対しては、面白い感想を継母は持った。『あなたは、笑って可愛いと思われる内に結婚しなさい。』 姉は何度かお見合い経験がある。其の度に、選ばれた相手で、大変傷つけられた。(相手の方に申し訳ない言い方だが。)結果として。兄は子供を養うべく、基盤を手に入れた。親に対する忠が実を結んだ唯一の結果だ。 姉は不倫を好む、(この際それに対する、正邪は別のものと置く。)50前にして、未だ結婚していない。 私は、人生の選択に影響する資格をひとつも取ることが無かった。 そうして、生前の継母の子育ての感想は、子供は親の望むように育つものではない。と言うものであった。私は、これに真理を感じる。子供は、親が望むように育てるのではなく。子供の感性を、伸ばすべく、手伝いをするべきだと、思うのだ。今、目の前の目に映る世の中を、憂いて、転ばぬ先の杖を渡すより。転びながら、上手に生きられるように抱きつく胸であってほしい。最後まで、なかなか面白い親だった。私が絵描きになりたいと、姉から、伝え聞いたらしい。学校を中退した十年以上前から言っていた事だが・・・・。病気をしたりして、その印象が薄れていたらしい。タイトルに上げた金額は、歯医者の資格を取る為の大学に於ける、平均的な経費の金額だ。最近人気が無くて、20年経った今でも、それほどの変動は無い。最後に残された言葉は、『女の原始的な職業は、売春だ。』『人に後ろ指を指されても、人に迷惑さえかけ無かれば、何やってもいい、自分の夢のために生きろ。』と言うものだった。 私は母を文学で生きた、本人が生きるうえには聡い人だったが、理想とか夢に関しては現実離れした人だと今では感じている。生みの親は、歯医者と言う生業の他、新聞に日中の事で、新聞にコラムを書いていたり、日展の会員で在ったとか、(調べてないので真偽は知らない。他人の噂からのもの)残された枕絵の模写や、華道の初伝の看板など、が生前を偲ぶ物として残されているが・・・・・。『ママ~・私は、医者としての素養を持ち合わせていなかった。』これは、母親の生きている間に伝えた。適正が合わない。これは、ほかの職業でもいえる。服の上からでも、触れられて嫌っと感じると、痣が浮き出る。事もある。そして『ママ~、私は誰に触れられても受け止められる、おおらかな感性を持ち合わせていない。』 売春に関しては、同じ女として羨ましい能力だ。他人に強いられてわけではなく、自ら選べるとしたら。少なくとも、誰にも触れられずに生きる寂しさは無いと思う。(違っていたらごめんなさい。)母は私の妙な潔癖症に、職業に貴賎は無い事を教えたくて究極な事を言ったのだと思う。絵筆をあまりとらない私は、今何になりたいのかもわからない。ただ、最近こうして、文章を書き始めた、自分に出会っている。 私はいまだに迷子のようだ。
2003年11月02日
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