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今年も今日を残すばかりと成りました。わたしのHPで出会った方々、感謝します。ライコス、から、8月28日に移転願いを出して、一ヵ月後にこちらの楽天を開いてみました。私のぺ~ジの形は、楽天さんが用意してくれた、規制の物です。未だ操作が良く分からない部分が有って、トップペ~ジを更新できません。最初9月の28日に日記を書き始めました。最初は毎日更新していませんでした。自分は凄く変わった体験をして、孤独のうちに居ました。誰にも判ったもらえない。一人だけの体験です。少し拗ねた気持ちさえ持っていました。余りにも変わった体験は共有する事を諦めていました。最後の方で紹介した方の日記に出会ったとき、(具体名はもう出しません。)12月25日あたりの日記に書いてあります。自分の同じ魂の持ち主だと感じました。最初は、自分の変わっていることを相手に承諾を得てから、リンクしようとしました。リンク先のリンクから出会いました。すると、その人は、『不思議大好きです。』と変わった体験を面白がってくれました。それと、私の病気に理解を示してくれたのと、(医療畑の人ですので。)最初は、私の病気に関心を示したのですが、病気は特に意識したくないと応えると、その生き方に賛同してくれました。その日から、相手に自分を知って欲しい動機で、自分を語り始めました。わたしの、特殊な生い立ちから、始まって激動の過去の一部を書きました。それは、同時に、皆さんに伝えたい事でも有りました。医学の世界と私は無縁では有りませんでした。その方は、それに関連して、現代の医療の世界についての事を語ってくれるようになりました。それは、皆さんが受ける医療の世界ではなく、医学を目指す者の問題点だったりします。その方は現在国家試験の勉強中です。単純に考えて、春に3度目の挑戦をする、かなり精神的に厳しい状態に置かれています。[本人からのコメント]国家試験を受けるのは来年が初めてです。再受験生なので確かに年齢は30近くですが・・・。 噂では28歳。その方の日記は、試験に落ちた[落ちてませんこれから受ける]自分を励ます意味でのHPの立ち上げのようでした。初期の頃は夢に満ちた、物語の世界だッたのに、現実の世界に引き下ろしてしまいました。最近は基の、世界を描こうとなさって居ますが、環境が厳しいので、如何しても、重くなりがちです。今本人は一番暗いトンネルを通っているからです。HPを紹介した者として、10月28日以前のその方の日記から読んでいただかれると、30歳近くまで、良く少年のような魂を持ち続けた事に、驚くでしょう。それと、日記の左部分のHPにはかなりの、コンセプトとこれから書き込む予定の世界が有ります。私は、神について、心に引っかかっていた事を、話せる相手に出合った気がしました。今年まで、私はクリスチャンで有る事を殆ど人に話した事はありません。駆け込み寺の知り合いの牧師しか知らないと思います。何故なら、私自身が、クリスチャンとは何なのだろう。と言う疑問を抱えていたからです。神仏について、語るのは、ごく親しい友人だけでした。そしていくつかの投げかけをしました。清すぎる魂は、一点の墨を落としてだけで、真っ黒に染まる心配があるからです。それは、かなり意地の悪い試しでした。にも関わらず、率直にその方は子供の頃にアメリカで育っているので、神を受け入れる事に抵抗が無かった事を話してくれました。実は、私も英語圏で洗礼を受けたので、日本のキリスト教団体は受け入れがたく、遠ざかった居ました。聖霊、とアッセンブり系は日本では土壌が薄いです。その方とのやり取りの間に、ヒルの娘と例えた人が現れました。彼女は自分の悩みを書き込みで読んでくれないか、と誘いを掛けて着ました。その感情は私と大変似ていました。一旦は、私の心を開いてくれた人とのやり取りがある程度終わったので、日記を休もうかと思ってた頃でした。ヒルの娘と恋心について、話し始めました。すると、その相手が私だと言うじゃありませんか。長いラブレタ~が届きました。わたしは、素直な打ち明けに感動しました。そしてその方に愛の波動を送りました。その感動が波動を産むんです。その後、彼女からは、徐々に恨み言の言葉が贈られるようになりました。私が、誰か他の人を思う気持ちが耐えられないとか、訳のわからない物に変わっていきました。愛に、男女は有りません。相手によって、立場によって、相手への現し方変わるだけです。ですから、女の人が私に愛を感じる事は特別な事だと思って居ません。それが、初めての感情であれば、私で練習なさい。と受け入れました。しかし、訳の分かれないメ~ルには対処に困りました。出来うる限り誠実に接しました。言葉が理解できないのでは、有りません、どうして自分を追い詰めるかが理解できませんでした。ある時ヒルの女と私が題した人の、不思議な現象に出会いました。偶々亡くなった方のHPに接していたのですが、その亡くなった親族しか普通出会うことの無い現象を彼女が体験してる事です。それは、生前気心の知れた間にしか死者との関わりで、普通起きない事なのです。疑問は次々と明らかに成って来ました。プレゼント交換の約束をした後、色んな彼女の私への投げかけは、私が、考えるすべての事を書いてきました。そうして、私にどうして、返事をくれないか、聞かれたので、「私にあれしろ、これしろと一々煩い。」それと、人を損得で付き合う相手を求めるのは、付き合いづらい。と書くと。『私は博愛主義ではない』と言う答えでした。メ~ルを送ってきては、サッキのは削除してくださいとかは、毎回続く言葉でした。勿論削除してません。わたしも、博愛主義ではない事を答えました。只、縁有って、知り合った人に対しては、できるだけの誠意もって接するだけ。と答えました。クリスチャンに成れば誰でも、完全に近い人間に近づくかと、思いきや、洗礼を受けた直後の出会った、クルスチャンは、3人の夫に先立たれた、半端でない、自己中心的な女性でした。私がその人に腹を立てたことを、ホストファミリィは貴方が攻める事ではないと私をたしなめました。人にはそれぞれの道の中で神とその人に与えられた試練に出会う。神様にお任せする事だと言われました。それから、23年過ぎてますが、私もまた、未熟です。今回ヒルの娘と相手を遠ざけとことも、不愉快に思われた方も居ると思います。その人からのプレゼントは受け取りませんでしたが、贈りたくて仕方の無かった物を知りました。それが、クリスタルでした。その頃、彼女にサプライズプレゼントについて考えてと投げかけて居ました。『謎解きが嫌いで、映画もハッピ~エンドと判っていないと見ることが出来ない』と言う事を書いてきました。常に相手に答えを求め、気に入った感情をコピ~する。感情のコピ~をその人がしていることに、気がつきました。シンクロする事です。同調する事で理解できる感情を取り込みます。私が、心開いた相手との感情と彼女の抱いた感情が非常に似通っていた事も、死者と親しい間でしか起きない事が彼女に起きた事も、クリスタルと言う石の信仰者が良く出会うことです。占いの道具に使うこの石は色々なエネルギ~を増幅させ、相手の感情のエネルギ~を映し出します。持つ人の心にです。只本人の理解を超えた感情は読み取れないのです。その力は、魔の物を吸いやすいので、塩で清めるとか、水の儀式を怠ると災い呼ぶ事にもなります。普通の人は簡単に身に着けないほうが善いでしょう。殆どが、ガラスの成分と変わらないのですが。石の成分は反応するエネルギ~の種類に傾向があります。ダイヤは殆どが炭素です。ダイヤの石の言葉は信頼です。この石の特徴は放射線を通す事です。キュウビックは放射線を当てると黒く見えます。ダイヤは白く光を反射させます。石は念の篭りやすい物です。その人が手に入れた動機が人に譲った時に影響を及ぼす事があります。長女が義理のお母さんから、嫁、二人にイヤリングの石をペンダントにされて渡されました。下の嫁である姉は、ヒビの入った物が渡され災いを受けないで済みました。長男の嫁に渡った物に、義理のお母さんが夫と喧嘩の腹いせに買った怒りの念が石に入っていたと言います。姉達のお陰で色んな超能力者を知っています。超能力者は、家のどこにその石が有るかも言い当てたそうです。そうした能力は、本人の記憶のぺ~ジも見ることが出来る人も居ます。物には住所みたいな物があって、存在の場所を知るらしいです。その人たちは道具を使いません。そうした経緯で、「もう貴方の事は考えたくありません」とお別れを言いました。それに対して、私が意地悪で、彼女に似ているとか、いろんな言葉が帰ってきました。いつも、私の一言が、2ぺ~ジに及びます。愛する人から、師にされたり、姉にされて、最後はわたしは、あなたの、僕ではなく、対等な友人です。と書いてきました。それで、わたしは、貴方を友人とも思えなくなりました。とお答えしました。私の言葉を理解せず、好きな解釈で受け取る人とは友達とは思えない事を告げ、書き込みなら返事を書きますが、メ~ルはお断りしました。これが別れで、出会いは、これらの事から、派生した、「言葉はアンダ~スタンドの上になり立つ」とかの文章で、私を気に入ってくれた人が仲間になり。わたしに何か期待してリンクしてきた人は、去っていきました。考えを表に出す事は、理解する人からは、賛同を受け。理解しない人には、傲慢に感じる人も居たと思います。そう、私は一人の体験から、発信しています。元々、同じ物を感じず私の中から何かを探しても、本人の持たない物は何も見つからないのです。私は今仲間と出会っているのかもしれません。違う風景から、同じ事を感じ取ってきた仲間達と。一人ではないことが日に日に多く感じる毎日です。私はもう孤独に居ません。来年も宜しくお願いたします。新年が善い年でありますようにご多幸祈ります。皆さんにそして私に世界中の未だ見ぬ仲間に祝福が有りますよう。エイメン!
2003年12月31日
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「宗教と戦争」 神を求める道。それは、未だ神を見ずして、神を求める人たちの戦いを引き起こします。神を知る人は、自ずと争いを好まなくなります。人が神を求めなくても、お好きにと言うだけでしょう。神を求める道は、神を学問の中から、考古学の中から神の証拠を見つけながら、この神が正しいとか、あの神が正しいとか、如何しても、同一の答えに成らないと気がすまないようです。総体としては一つなのですが、表す顔は色々です。一人一人にわかりやすい形を採るからです。求道者達は、自分の出合った神の一つの顔を全てだと信じて疑いません。同じ事を違ったアプロ~チ言われると、理解不能に陥ります。総体を知れないからです。宗教戦争で、多くのキリスト教徒が殺されています。キリストを信仰しているという理由で。それと、時代に早い、キリスト教の理解も時代のキリスト教徒に殺されます。男性と女性の神との関わり方は少し違うなと感じるのは、女性が偶然を大事にするからでは有りません。女性の立場で男性にお伝えすると、男性は、一つ一つ神との対話で進化するようですが、女性は塊のイメ~ジを受けます。道々出会う偶然に道導を感じるのはそのためです。先に塊のイメ~ジを受け取っているのです。キュウ~ウィ~婦人も、新しい元素を発見する前に、既にイメ~ジで新しい元素の存在を知っていました。だから、出合った時、見逃さなかったまでです。今回ノ~ベル賞を受けた田中さんの発見は、男性的なアプロ~チだと思います。一つ一つの偶然の中から新しい物に会うのは、男性的だと感じます。ハリ~ポッタ~の作者も一瞬に全体のイメ~ジを受け取ったようです。少しずつ言葉に代えて居ます。女性的なアプロ~チには男性の冷静な目と感覚が助けになります。行き過ぎない為です。多くの芸術家の共通する事は。自分で考えていない事です。メッセ~ジを受け取って、翻訳してる所です。それは科学者でもそうなのですが、時代に新しいと、そのことが命取りになります。地球が回っていると言ったガリレオガリレイも処刑されました。キリスト教徒にです。神を見ずして神を求める人は非常に排他的で、理解不能なものは抹殺してしまうのです。キリストが磔にされたのも同じ理由です。一旦きります。 この世はサタンの支配にあるといいます。キリスト教伝道と言う。大儀名文の基、多くの戦争が起きました。イギリスの女王の命を受け、新天地を求めアメリカ大陸が発見され、インディアンが多く殺されました。インディアンという名前は、話で聞くインドと勘違いした為につけられた、名のようです。メキシコでは、スペイン人にアステカ・マヤ文明が滅ぼされました。アステカの人たちは、太陽神を拝み、人の心臓を神に捧げました。その行いが悪魔の所業とされ、多くの人たちが殺されました。アステカの人達は武勇に優れていました。どうして簡単にスペイン人に殺されてしまったかと言うと、アステカの人たちは、戦いで、生贄を確保します。ですから、無意味に相手を殺しません。ところが、スペイン人はいとも簡単に悪魔と相手を思い殺します。アステカ人は戦いで人を殺さないのです。生贄の為に生け捕りにします。ここで、異種格闘技に成ってしまったのです。アステカの人たちには、戦う相手が自分の殺す理由がわからなかったと思います。アステカの、心臓を捧げる神殿は、その石で、キリスト教の教会が建てられました。メキシコの教会の下には、アステカの神殿が眠っています。この世が今ある中で私達は生きています。その意味では、全てサタンの一部で生きています。サタンはイメ~ジされている、おどおどしい世界とは少し違うかもしれません。この世の繁栄を享受して、楽しむことだけで考えれば、サタンの世界も、楽しからずやですね。今回の戦争も決してどこにも正義はないと思います。この世の繁栄の石油の利権で争ったような物です。どちらも、サタンの世界です。独裁政権も、民主政権も生きるために、相手を倒すと考えれば、神がどこにも存在していないでしょう。大体、人道を言うなら、劣化ウランは使わないでしょう。その後、人体に多くの影響を与えると知っていながら、使うのは悪魔の所業です。ブッシュはこの世の神には愛されるでしょう。一旦きります。旧約聖書の部分は、ユダヤ、キリスト、イスラム、共通の文献です。現在の宗教戦争は、キリスト教の正義を盾に取ったユダヤ教徒とイスラムの戦いではないかと言われています。愛を中心にしたキリスト教とは少し離れています。これはキリスト教を擁護しているわけでは有りません。キリスト本来の教えと離れていると言う意味です。キリスト教徒を名乗った、教会が小児虐待を与えているニュウスは後を絶ちません。そうした意味で、キリストの洗礼の儀式を受けていても、神から遠い人は多くいる事をさしています。一旦きります ユダヤ教徒の中にも神を知る人たちは多く居ます。中国に留学中そうしたユダヤ人に会いました。優れた人が多く、大学に教授として招かれていました。アメリカ本国でも教授の女の人とか、絵描きさんの女の人。海軍、空軍の退役兵の人も居ました。クリスマスに一緒にホテルに招かれて、聖歌隊をしました。カソリックのアメリカの大学中退の講師は、東洋人の学生の私が聖歌隊に参加するのを拒みましたが、皆が外人部隊ということで参加してと誘ってくれました。その講師の男の人は、みんなの事を、次はユダヤ人の癖にと陰口を叩いていました。結構、無知なキリスト教徒程、神に遠い人は居ないと私は思います。一旦きります。仏教、イスラム、儒教これらの教えには神の世界は書かれて居ません。これらは、生きている人に神の国には入れない諦めがあります。イスラム教の神は、それを立ち上げた人は、彼以外その後の預言者は居ないと言っています。イスラムが孤立するのはこの、言葉による物が大きいと思います。簡単に時間を500年単位に分けると、キリスト誕生前500年頃に仏教誕生。キリスト誕生今から、約2000年前キリスト誕生後500年頃、イスラム教です。ヒンズ~教に見られる神々は、旧約聖書の時代には既に存在してたと思われます。キリスト教は、キリスト誕生前から、予言の中であります。愛を説く教えは、ロ~マから中国を渡り、日本にも、入ってきています。聖徳太子が隠れキリスト教と言う説は、初めて知りましたが、彼の不思議な能力は、日本に生まれたキリストだとしても不思議には感じません。時代警察のドラマでは、母親が神の啓示を受けて、厩の王子と名前に秘めたと言います。頷けます。キリストの教えは誰がそうだと言う事では無く、愛と言う精神の伝道者である事。キリスト教の新約聖書で、隣の町で、キリストの名の基に、病気を癒し、布教している人たちが居ます。と言うのに対し、誰もキリストが神だということを聖霊によってでしか、言えません。同じ働きをする人に、違うと言っては成らないと言っています。同じ働きこれがポイントです。似ていて異なる物に気をつけてね!聖徳太子もキリストの生まれ変わりで有る証拠として、暗殺の後、肉体の復活を計ったそうです。それ故に死亡の日が2つあるそうです。2度目は暗殺された一年後生きたまま天に昇った日らしいです。楽しいですね。日本にも、キリストが生まれていたなんて!神の国日本ですね。そして、キリスト教の最大のポイント。処女懐胎。これは、男の人には理解不能でもいいです。想像は止めましょうこの際。男女共通の超えにくい壁それは、肉体の復活です。恐らく、人間の科学で考えたら、これはクロ~ンで考えるのが限界でしょう。でも、神はそんな事を言っているのでは有りません。1+1は=2と言う人間の科学から、思考の飛躍が無ければ神の世界は見えません。イエスも聖徳太子もこの飛躍を成したと聞いて、どれだけの人が信じられるか疑問です。この不思議が疑いも無い事実有った事と信じられる人は神の国に入る事が出来ます。この世と神の国はこの、思考のジャンプで隔たっています。この世の尺度では知りえない世界です。今多くの人がこれを成し遂げています。貴方も、アスク トゥを続ければいつかは開くかもしれません。自分の頭で考え、知恵をお互い交換して、今生で門が開くと善いですね。新年が貴方にとって善い年でありますよう。今年はどこに初詣行きますか?神は本質は同じです。神社に祈らず、その向こうの神が見えますよう。エイメン
2003年12月30日
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サプライズ、プレゼントそれは、生きているとき、色んな気づきの中で、色んな出来事にあい、人生が驚きに満ちている事を形で表した行事でも有ります。聖書はキリストの死後沢山の人の手に拠って、書かれました。400年くらい掛かったと言われています。確かに聖書は聖霊の導きによって、知恵を得て書かれたものですが、翻訳を通して、本来の意味が伝わりにくく成っていることもあります。聖書は愛について書かれた、集大成だと思います。では、その後の人々に啓示が無かったと思いますか?3位一体を理解していれば、聖書に改ざんされた部分とかは直ぐに可笑しさを感じるはずです。人々は芸術の中で伝える事を続けています。映画ハリ~ポッ~タ~3人の主人公に大切な特徴を持たせています。知恵勇気と能力素直な心全部備えられればいいですが、特化してる事もいいことです。お互いが補い合う所で愛が生まれます。2で面白かったのは、石から蘇った、女の子がハリ~ポッタ~に飛びついたのに対して、もう一人の男の子とは、異性の友達の距離を無意識に保ったところが、笑えました。秘密の部屋この中で子供達の態度。これは、何度も強調されて描かれています。 @犯した過ちに対して、言い訳をしない。 @したことに対してまずは謝る。理不尽な目に会ってたりしても、自分の行動には覚悟を決める。言い訳を謝りと勘違いしている人が多い。中々、できることでは有りません。弱い物だから、神を求めるのでしょうか?弱いのは人間の限界のある体です。神とキリストと聖霊キリストは個人名では、有りません。救い主という意味です。キリストの存在が一番わかり難いと思います。しかし、聖書から、理解すると、キリスト誕生以前に聖霊が存在しません。精霊は太古の時代から居ます。木の中にも、世の全てに偏在しています。アダムとイブが食べた、善悪を知る実。物事を善悪に分けた所から、争いが起こるということです。子供に物を押してる時に、悪い子善い子、見たいな育て方をしてませんか?前回も書きましたが、善悪は立場によって見方によって変化してしまう、計り方です。結果として、悪い事が起きる。結果として、良い事が起きる。経験から得た知恵は存在すると思います。善い行い。悪い行い。悪い行いの結果、争いがおきやすい。事故がおきる。等。結果善い行い、喜びを生む知恵。平和的解決。手法。本人にとって、善意であってもしてはいけないことが有ります。例えば、サプライズプレゼントに、クリスタル(水晶)等を送る事です。その人にとっては大切な石だとしても、水晶などの扱いの困る信仰の石等は、本人が同じ信仰を持っていれば別ですが、受け取ると大変困ります。まず、送られた方に返すか、多摩川などの川に捨てに行くしかありません。迷惑を掛ける事になります。これは、相手がクリスチャンだからと言って、十字架を送るのも困り者です。プロテスタントは十字架などの、シンボルを身に着けません。心に十字架を持ちます。証拠の品等は要らないのです。クロスはカソリックの崇め奉る習慣の道具です。神は崇めたり奉ったり、するより、聖霊と神と一体になって生きることを喜びます。サプライズプレゼントは、本人の予想の付かない、貰った人が喜ぶ物を送る。自分の信仰する石などシンボルな物を押し付ける事では有りません。昨日、テレビで、聖徳太子が隠れキリスト教で有った、という推理のドラマが有りました。私はその仮説を信じられます。聖徳太子の話は読んでると昔から元気が出ます。そして、教えの3位一体は西洋のキリストと同じです。神を弱い人間が求める神なら、出会う神は弱い神でしょう。確かに人間には体の限界があります。人間は弱いからだからこそ愛を知ることが出来るのです。愛は強いです。元々神の国に居た人間の魂が人間界に来るのは、愛の使い方、産み方、育て方、の修練場なのかもしれませんね。神様が悲しまれる行い。それは、何ですか?人の行いに神様は悲しみません。悲しむのは人の心です。人の心で神を図ってはおかしな物になります。カソリックはマリアの像が泣いているとか、そうした奇跡好きですよね。確かに神の人格は有ります。生死を静かに見つめ、人の求めに応じて助けます。しかし、自由の意思を尊重します。求める者の求めた物が得られます。それが、サタンかも知れませんが、本人が求めたもの、心に描いた神の姿がその人の限界です。ですから、愛は万人向けではないと言うのです。愛を求めない自由もあります。愛という名をつけた、憎しみもあります。愛と憎しみは性質を異にしています。愛があるから憎しみが生まれるのではありません。憎しみと同質なのは執着心です。相手に対する執着心が憎しみに変わるので有って、愛が憎しみになったのでは有りません。そこには元々愛は無かったのです。以前書いた、愛してます。という言葉は誰でも言えます。でも、愛を知っている人で無ければ、愛しあう行為には至りません。『私はあなたに、ご執心です。』と言葉を変えてみれば、簡単にその行動の裏づけが理解できます。執着が思い道理に行かないから、本人が苦しむのです。しかし、それらは、いくら名前を愛と変えても、本質に違いが有るからその後起きる事は違います。もし、人との間に摩擦が生じて、別れになったとしても、その人を追いかける事は有りません。その人にはその人の道があるので、待っていてくれなんて要求されても困ります。その人との失敗を、次に出会う人と繰り返さなければいいのです。人との出会いは一期一会。次ぎ会う人と、貴方のタイミングで出会っている人と同じ間違いを犯さないように、すれば、今出会っている人の中に別れた友達を見ることになります。一生は長いようで短いです。人間には感情が有ります。人には人のタイミングで生きています。貴方に疲れた人に貴方を認めさせるのは、相手に苦しみを押し付ける何者でもないのです。例え人は寛大であっても貴方に対して、気を配る事を要求するべきではないのです。あなたに、掛けたい言葉が有れば、その人は自発的に貴方に接触するだろうし、相手を煩わして気を引く真似をすれば、相手は懲りて、近づきたくなくなります。場合によっては暴力を振るっても貴方を突き放したくなる人も居るかもしれません。その中から自分を見つけてください。人に暴力を振るわれた人。最初から、貴方に暴力を振るっていたら、付き合っていないと思います。自分の中に相手をそうさせて原因をもう一度探ってください。ここで言うのは、学校とか職場と言う環境での話では有りません。理不尽な物はこの場合おいておきます。大人の一対一の場合です。確かに、無差別に暴力を振るう人も居ます。本人の心が不安定で、苛立ちが押されない人。戒めが過ぎると、その人は壊れます。と聖書の箴言にもある言葉です。苛立ちの中から抜け出られなくなった方は、その方が一番不幸です。大人になってからは、子供の時代と違って他人は助ける事は出来ません。時は過ぎたのです。ご自身で立ち直りしかないのです。祈るばかりです。わたしは、アダルトチャイルドだと考える前に、子供でもそんな事はしないことに気がついて欲しいのです。子供なら人を巻き込む画策はしないでしょう。あなたは、立派な大人です。自分の行動の責任を潔く認め、嫌がられることは止めましょう。相手が、貴方の事を考えたくないと言うのなら、他の人を探してください。自分を認めさせようと強要しないで下さい。執着する気持ちは、子供でも大人でも、自分を苦しめる習慣です。愛は愛を知ってる人の間で起きる波動です。その波動を聖霊と言います。最初のこの波動をこの世に残したのがキリストです。ですから、後の人もこの波動を知ることが出来るのです。精霊と少し性質の異なるものです。聖霊の働きは、愛の無い人に愛を伝える力を持っています。しかし愛の無い人は、その人が求めない限り愛を産む事はありません。神が見えないなら、波動を感じてください。求め アスク トゥ愛は貴方の心に芽生える物です。つまり、大切なのはあなた自身が愛をしることで、他人に認めさせる必要が無いのです。貴方に平安を・・・。ア~メン
2003年12月29日
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求めよさらば、与えられん。これは聖書の言葉であるが、聖書を無宗教で、初めて読んだ私が気がついた事は、聖書のどこの部分をとっても、中心に愛が貫かれて、書かれている事。「どこ読んでも同じだ。」が感想である。愛の形は色々あると言われるがその精神はどれも同じである。愛を基本的に知っていると。これは、愛マイナス1について、愛マイナス2について、と大体おきる事件の問題は変わらないと言うかとが判る。基本の精神が判っていないと、それらの場面で書かれていることを、愛だと勘違いして、その言葉を引用して、聖書に書いてあるから、と在り得ない亜種の聖書が出来上がる。誤解を招きやすい部分は、削られている場合がある。例えば、私がキリスト教を選んだ最終決定をさせたのは、私を信じない物は、千代も2千代も祟る。(この場合、日本語の祟るは難しいので補足。)災いに合う。その横に、しかしながら、どんな邪道の道を通っても、一心に神を求めれば、私に通じる。これは、最初の出合った、聖書には、箴言の所にあった。その後、この部分がある、聖書に出会ったことが無い。これは、弱い物を親が脅す形で、囲い込むが、次に、条件付きで、「一心に神を求めれば」私に通じる。この一対が大切です。実に人の弱さを知っています。そして、救いの道を示している事です。これを読んで、人に優しい宗教だなと感じました。神をか愛とか、基本的に知ってる物には、この意味を曲解しませんが。最近聖霊について書かれて居る本で、どの道を通っても天国にいけるというのは、嘘だ。という言葉が有った。恐らく、この聖書の箴言の言葉を悪用した人が居たのだなと感じました。それで、迷いやすい部分を省いたようだ。サタンの宗教の特徴は99%聖書の内容に真似る場合が多い。最後の1%違い。これは、「自由の精神」に集約できると思う。人に頼らず自分で正しい聖書を買い読むと、キリストが面白い人だと言う人だというのが判る。モ~ゼの教えについて、十戒はもう忘れなさいと言っている。あれは、小学生みたいな子供に基本を教えたまでだと言っている。そんな事はもう学習し終えたでしょう。人間は罪を犯すまいと罪を意識していると、余計罪を犯しやすい動物である事を示している。この言葉を悪用したのは、オ~ムに観られた。「解脱した人間は何をしても良い」という理由つけに使われて気がしてならない。聖書に書いてあると。意味が違うだろう?伝えたい内容が。わたしは、母親が自転車はハシタナイと禁止していた。初めて乗ったのは高校生の時林間学校の時です。乗れないのがクラスでドンくさいのと私3人だけでした。直進は直ぐ出来たのだが、ハンドルの感覚がわかりませんでした。その後、負けず嫌い(自分に対して)だった私は、練習しました。狭い道を通る時、ぶつかると思うと体がそちらに行く体験をしているので、この意味が凄く簡単に理解できました。実は魔だとか、恐れる人ほど、サタンに嵌っている人が居る。サタン宗教から抜けても、(もともと、利害に聡いので抜け出す事が多い。)しかし、本人の魂がサタンであることに気がついていない。サタンの実態は恐れる心だからです。実は、ここに、恐ろしい事を書く。生まれながら、人は神からの魂を持って生まれる。これは本当の事です。でも隠されているもう一つの秘密。それは、サタンの杯も同時に持って生まれる。これは、本人が魂の好みで選ぶことになる。魂を引き渡し、サタンの美酒で満たす。実は、この種の人間は立ち直りが難しい。自分に霊感があると感じている人、風の読む人は特に注意された方がいい。貴方は常に心を試される状態にある。一度欲で動く事があれば、サタンに食い尽くされる。何故、サタンは魂を好むか。それは、魂が無いからです。魂は、光の国から来る。サタンは闇に落ちているので、力の基になる魂が必要なのである。マトリックスの人間のエネルギ~の基はそこからの発光を使っているわけです。魂の光は人口では作れない物です。天国にしかないからです。体を維持するエネルギ~は物理的には化学変化だから、生かすのと、消費はイコ~ル。つまり、普通のエネルギ~は他で代替可能である。魂の価値が無ければあそこまでして、人間の命をを繋げる必要が無いのです。マトリックスはかなり、哲学的です。私は魂に一度逃げられて、魂の無い状態で生きた時期が有りました。サタンの杯に美酒を満たした事も無いのですが、体である乗り物が自分を過信して、自分を守りきれなかったとき、悲しみの余り、魂が一時避難してしまったようです。その頃私を助けていた人たちは、皆私ほど暗い瞳を見たことが無いと形容していました。私は生きながら地獄に行きました。瞳に光が無く闇を見ていました。私の弱点は同情しやすいことです。自分が悲しい時、寂しい人の求めに応じて理解を示す事です。寂しい人は同時に卑怯な人が多いです。自分の思い道理に成らないと謀をします。どうにか自分の物にしたがります。男性の場合は体を奪えば自分の物になると思う事が多いですが、合意以外の場合は憎しみしか生まれません。これは、男性が相手をどんなに思っていても、合意、自由の意思を奪った状態では憎しみしか生まれないのは生理的な反応です。もし、女性の方に好意が在るとしたら、間違った手段で、体を奪えば、女性は生理的な憎しみと、相手に対しての愛情のハザマで苦しむ事になるので、男性は愛があるならタイミングを間違えないで下さい。一旦切ります。私から、魂が抜け出したのは、19歳の時です。その瞬間を覚えています。そして、避難した場所も今は知っています。最近「新生泡雪」に成りました。青い炎との出会いが私を産みました。彼が、私の心を開くキ~でした。妖怪から、人間になりました。そして、出合ったのは、ヒルの女でした。蛭の女は、口から出る言葉は「与えよ、与えよ。」そして、飽くことの無いその魂は・・・・。済みません、聖書は未だ2度しか読んでないので細かくは正確に書けません。与えよ。この言葉。求めよ。と与えよの違いがわかりますか?フォ~スとアスク トゥの違いだと思います。スタ~ウオ~ズの時代は、冷戦で、善と悪との戦いのような形を取っていました。そして、闇には暗黒の精神、そして、光にはフォ~ス。この考えは非常に危険です。マルクスとへ~ゲル唯シン論唯物論スタ~リンは死後倒され、地獄行きみたいな扱いを受けています。唯物論は人間を性善説の上でしか成り立たないのです。ところが、この善悪のわけ方ほどややこしい物はありません。鏡の前に立ち、影がなす世界の理論と実態のある世界と当然ル~ル違います。影の世界では、人は通り越す事が出来ると定理が有るとすると、実態の世界では、それは有り得ないでしょう。と定理が変わる。善と悪にはそれ程、性質の違いが有ると思います。つまり、立場を変えてみればお互いが悪になり、お互いが善であるのです。善悪で説くと行き着く所が有りません。与えよ。をイ~ボゥと表現すると、イ~ボゥは両者にとって必要だからです。働かせ方の違いだけです。では、唯神論と唯物論の取った方法が違っていました。唯物理論は常に人治国家制度が人がトップです。ですから、トップの頭で全てのル~ルが変わる。唯神論は、法治国家制度を取ったところです。法の精神3権分立です。皆さんは法律は正義だと思いますか?実は法は精神は両者に平等に与えられた、喧嘩の道具なのです。法を使い間違えると悪を行う事が有ります。悪はル~ルを破る事では有りません。人として有るまじき行いをする事です。法は、無知な人を苦しめる道具にもなるのです。時に法の守りを持たない者が居ます。法的な契約をしないという意味です。法に無知な訳ではなく、法に縛られる事を嫌うからです。その心は、人の善意を信じたい。法が出てきたら、人間関係はお仕舞いだということを知っている人です。同棲から、結婚に踏み切れない人の多くは、この純粋性に拠る人が多いと思います。現実問題として、それは、当事者が生きているときには、有効ですが、何かの不幸が起きた時、部外者からの攻撃に耐えられない場合があります。日本では結婚制度がお互いを墓まで縛る習慣と財産法と絡み合って、キリストの精神から生まれた婚姻の法律は悪い現れ方しかしてません。本来の婚姻の本来の目的はお互いの為というより外部から守るためなのです。この法律の正義が不幸を呼んでいる場合が日本では多いです。法律の成り立ちに対して、鈍感です。天から降ってきたように与えられているからです。昔から、法は有ります。それは、愚かの者とされた、人への法治でした。キリスト教の基盤から生まれた法律は性質を異なる物です。日本人は自由が理解できない人が居ます。イキナリの変化について行けてません。自由は同時に責任も伴う事を。法律の権利で争うのは愚の骨頂です。でも、これには面白い事が伴います。神の見えざる手が働きます。12月24日かなり長い時間書き込みに恥ずかしい文章がさらされていた事に気がついた人が居ると思います。帰宅して、直ぐ削除しました。先方のミスだったらしいです。メ~ルを送る内容を書き込みにしてしまったようです。どうしたらこうした過ちを産むのか判らないですが・・・。それを、目にした、心ある人なら、私が問題を抱えていた事が知れたと思います。人は殆どの場合恥ずかしい人格は隠しています。これを、知らせてくれたのは千佳さんの死でした。千佳さんは死んだ時、不思議な信号を私に出しています。それが、彼女側だけでなく、私の方も助けてくれました。その人の人格蛭(ヒル)が現れた瞬間でした。予期しない時、人は学習から得た振る舞いが利かなく場合が有ります。信じられないことに、亡くなった方の値踏みをしたのです。そして、生きて合えなかったのは私に見る目が無かったからだと。わが目を疑いました。どうしたら、こうした心無い事が言える物だと。人を褒める時、人は自分の与えられたい賞賛を相手に与えます。でも、賞賛に値する人の、最も嫌うのは人を価値で計る事です。挙句に生きて会えなかったのは、自分の不利益で残念で溜まりません。という内容でした。言葉はこれ程直接的では有りませんが、直訳するとこうなります。慇懃無礼でした。その方とクリスマスの交換の約束をしていたのは、それまで、私に対して、どうして思ってくれないのかと攻め立てる文章から、こうしてくれませんか?と初めて、打診が有ったからです。お互いに事での打診に対しては快く受けますが。その後で、特定の通信方法を要求されたり、指示出しをはじめました。実はこれは、相手にとって失礼である事を判らないのです。相手は、こちらが考えて動く事が判らないようです。実は要求されると、私は動きません。色んな方法を模索しました。そして、全て彼女が要求したので、道が絶たれてしまったのです。ですから、彼女が私に至る道は全て塞がっているのです。受け取り方を考えた後だったからです。実は必要と感じた場合は、電話番号も知らせます。こちらから自発的に。相手を信じていればこんな事は置きません。全て彼女の猜疑心が生んだ結果でした。メ~ルアドレスの要求に応えなければ、何故応じてくれないか自分を振り返るべきです。彼女は先へ先へドンドン要求を出し自分から道を閉じました。結果私のプレゼントだけが届きました。そこからでも、会話は始められた筈です。本来プレゼントがお互いの友好の為なら。サプライズプレゼントのメッセ~ジは伝わりませんでした。綺麗なラッピングにキムチが現れた事を、長い文句の検
2003年12月28日
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人が何かに出会う時。自分の中で探しているものに無意識に惹かれます。しかしながら、言葉で伝わるものは、既にその人の中で、言葉にならない何かが共通でないと、言葉を理解しません。聖書がトンでもない解釈をされ出回るのもそのためです。人間の根源である@愛@それは、残念ながら万人のものでは有りません。それは、深遠なる世界で、辿り着く人はモトモト泉を持っています。憧れでは辿り着けない世界です。元々は誰の中にも在った物ですが、誰かの考えや誰かの中に探そうとした人は失ってしまう場合が有ります。魂を奪われた人。確かに存在します。そして、それを持っていそうな人に寄り添っては、思い道理に成らない思いの恨み言を残していきます。魂を取り戻す事は、出来ます。それには、自分で考える習慣。元々自分に有ったものですから、他人からではなく、自分の中に見出す事です。教祖様に魂を売った人は、他に持っていそうな人を徘徊します。この宗教が駄目だと思えば人に取り付く事もあるでしょう。でもそこには貴方に合う魂は有りません。だから誰も貴方の希望には応えられないのです。一人に一つづづあるものだからです。もし、愛を望むなら、自分を忘れて相手を思いやりなさい。そうすれば、自分のうちに愛が芽生えるのを知るでしょう。わたしは、こうだから、判って欲しいとか言う人の殆どがわすれている事があります。自分以外に自分を知りえないことです。そして、自分を見出しながら生きている人は、お互いの中に同じものを見出します。魂の状態では皆同じです。それが共鳴しあう事それが愛です。愛は奪ったり、与えたりするものでは有りません。自分の中に見出すものなのです。愛を知る魂が出会う時。お互いの言葉の違いに気がつきます。月が、ルナ、ム~ン、ユエと音を異にしても、同じ事を指していることを知り、そして人は孤独から解放されます。でも、月を知らない人に、言葉を尽くしても、月を伝える事は難しいと思います。盲目の人と話をしました。按摩さんです。按摩はマッサ~ジと違います。一定のリズムを体に送り込むのです。それは、盲目の人にしか難しい事ではないかと思います。色んなことを話すうちに、この人たちには時間の観念は有るけれど、距離感がわからないことに気がつきました。来るまでの移動は特に距離がわからないようです。近くだからお行きなさい。と言われ。お世話になっている人に話すと、お母さんはちょっと行くには遠いのよねと言う答え。車の2時間は、普段の生活の中の2時間とは違う事を盲目の人はわかり辛いようです。その代わり、世界が小さく見えるようです。アメリカも近くに描く事が出来ます。日本の憲法が、ミズ~リ州の州法が基になっていることを、この按摩さんから聞きました。本当かどうか調べてないので、誰か間違えていたら教えてください。目が見えなくても、奥さんがブスかどうかはわかるそうです。造形の美には大変敏感なようです。これは、世話になったお母さん情報。それと、按摩さんに私の年は隠せないです。サバ呼んでも5つくらい。が限度。十以上は無理です。筋肉のハリとか、感覚が鋭いです。お互い知らない世界でも、愛が中心に有ると、どんな情報も交換できます。でも、目に映らないとわからない世界。風景の移り変わりで、人はカルチャ~ショックを受けながら移動してるとか、急激な変化がストレスになるとかは、知り得ないようです。だから保てる平安な世界も有ります。按摩さんのリズムは独特です。健常者には努力で身につく物では無い気がします。どちらの世界もお互い必要です。愛の世界も同じです。自分が判らなければいい信者になって体になればいいです。一つの集団として、生きる道も有ります。選んだ神の報酬を受け取る事になります。宗教に嵌りやすい人の特徴を知りました。謎解きが嫌い。完全な答えが有って、結果が保障されてないと、先が見られない。得体の知れない宗教に嵌るわけです。結果は自分で導き出している事に気がついていない。最初は何も無いのです。結果は後からついてくるのです。だから、美味しい話に乗るわけだ~。自分で考えない報いだわ。そして、自分で歩いている人は、自分でも予想しない結果に喜ぶ事になります。そこが人生の面白さです。予想した道を歩くのは、サタンの道でしょう。予想した結果程面白くないものは有りません。想像を超えないからです。自分の歩く道の上で、宗教のどぶに嵌っても、その人はその中からでも、幸せを掴み取ります。自分を失っていないからです。宗教に頼らず。仕事に打ち込むのも良いでしょう。社長は一人の宗教家と同じです。一生懸命期待に応えて励みましょう。企業の本質は愛が無ければ成り立ちません。経済の母体を共有する事で、愛を学ぶ事もあります。選んだ企業の責任を自分が負います。一番いけないのは、半端な事です。自分で考えられないのに利口ぶることです。プライドだけ高く、聞く耳持ちません。考えられないなら、素直な心。素直の心は自然と愛を受け入れます。無知の知に勝るものは有りません。本当は皆幼子のように素直な心で居たいです。でも色んなことで出来なくなります。意外に思うかもしれませんが、大人になることは、余計な殻を脱いで素直な心になる事なのです。人が一番邪魔になるのはプライドでしょう。本当のプライド(自分が大切に思うもの)ならいいのですが、自尊心という奴が心を曇らせます。認めたくない自分を苛めるのです。挙句に人を攻め立てます。その次に邪魔になるのは、謀事。思い道理にさせようと知恵を絞ると、相手は貴方と違うので嵌ってくれません。ドンドン悪循環を起こします。お互いに大切なものは何ですか?自由の精神です。大切なものは何ですか?それは、素直な心です。貴方を愛して居ます。愛を知らない人は、「欲している」を「愛」と勘違いしてるようです。貴方を欲していますといった方が正確でしょう。思い通りにならないことに身を焦がします。人にはそれぞれの道があります。例え夫婦でもそれぞれの道です。お互い同じ方向へ手を繋ぎながら歩くのは美しいものです。同じ風景を共有する事です。でも、お互いの中で相手に自分を望むと行き着くところがありません。共食いの世界です。一緒に歩く事と、相手を欲する事は根本が違うのです。パ~トナ~は尊重しあえて初めて、友達であったり、恋人であったり、理想の連れ合いにする事が出来ます。寂しさを相手で埋めるなんてもってのほかです。誰も人の子守をしてる暇は無いのです。共に生きる相手を探しているのです。まず自分の精神を自立させる事。それで、お互いが手を際伸べられます。手をさし延ばしたら、引き摺り下ろされるなんて、堪ったものでは有りません。自分で立ち上がろうと言う力の有る人にだけ、手を貸す事が出来るのです。そして、助け合いながら生き始めます。その場合お互いを必要としている、状態です。大切なのはお互いと言う事です。私がこんなに追い詰められているのに、判ってくれない。ふざけるな!追い詰めているのは自分だろう。心の平安は誰にも与える事は出来ません。自分で保つものです。それが出来るもの同士初めて信頼関係が結べます。自分の心は自分でしか救えないのです。神の助けも、同じ事です。素直な心にならなければ、受け入れられない。素直な心は自分で見出すものです。そして、心が素直なら変を感単に感じ取り、変な神に出会いません。理論で頭の回路を歪めるようです。どちらも同じ原理です。感じている何かを理論立てる事と、根本が違います。感じるべき何かは論理では行き着けません。フィ~ル。この感覚を大切に。自分を救えたものだけが神を知ります。そこから自分の道が始まります。いっぺんにではなく、一つ一つ知ることになります。どんなに打たれても、立ち上がるたびに神の新しい顔に出会います。その顔を知っているものだけ、言葉の違いが有っても何を指しているのか知りえるのです。良く分からないけれど頷いてる自分が居るという表現がありました。私の言葉の一部から、言葉にならないけれど、同じ総体を感じているのが判ります。言葉は総体の一つのフェイスしか伝えられません。フェイスで知ることの出来る人は、その人の中に既に私の伝えたいものが存在しているからです。言葉はアンダ~スタンドの上で成り立つ。判っていただけたでしょうか?言葉は確認の道具でしかないのです。雪が降ってきました。この雪が白く悲しく、冷たく、凍えるさせる雪なのか。白く美しく心地よい冷たさを感じる雪なのか貴方の心しだいです。
2003年12月26日
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昨日帰ってきて、気になる書き込みにレスをいれ、一日を終える時、青い炎の日記を開く。更新されている。気兼ねの部分を、終えてから、最後に開く事が多い。その中に浸るのが楽しみだ。開いて、ビックリ。ここまで難解な彼の日記は初めてだった。いつもは、何か思うと一方的にメッセ~ジに書き込む事が多い。でも今日は私だけの謎ではなさそうだ・・・。HOME彼は、HOUSE の他に心の帰る場所をっ持っているのか?それは、彼の教会か?どこか、場所?私には、日本では教会のような建物は持たない。洗礼を受けた後、ハワイには行っていない。それより行きたい外国が多かったのと、キリスト教に限らず全て、神仏について語る事は無かった。ただ、眺めてきた。どこに身を置いても、私は、シオンである体と共に居る。私にとって、HOMEは私の体しかない。私は、HOMEに帰ります。明日はハウスに戻ります。私はHOMEで祈ります。HOMEがどこであるかは、知りえないが、ハウスとの違いは理解できる。HOMEでは、祈りを捧げます。これは、私もします。心に思う事祈りと同じに働きます。>一方的に与えます。え~判らない。与える相手がわからない。困った!>でも不思議です。自分以外の魂も、一方的に祈りを捧げています。誰に一方的に捧げるのか・・・・・。謎は深まる。結果的にわたしは、7倍の祝福を受ける事になります。7は完全数です。数字の謎は苦手だ。完全数は判るが、どこから導き出されたが判らん。HOMEには7つの魂が居たのか?今の所私に取って、魂の状態にイメ~ジされるのは、青い炎一体だ。>私は、祈りを捧げる事で、完全なものを同時に与えられるのです。祈りを捧げる相手に困った。>ここでは、貴方も私も有りません。>祈りの中で全ては融合するのです。祈りの中で融合するのはわかる。困った事に祈り方が判らん。なんと、祈ろうか・・・・。今日はクリスマスだぞ~。>ひとつは全ての為に。全ては一つの為に。これは、判るが、祈り方が????>ア~メンア~メン!私は昔祈った事がある。祈り方は気をつけるように!思わぬ形で現れる。私は、「試し会わせずして、お導きください。」この祈りは、結果として、記憶を無くし、社会から、隔離される結果を導いた。ためしに会う事も無く、時間だけが過ぎた。それを、切っ掛けに自分の祈りを祈る事はしていない。人の為に祈る事はする。それは、心に自然と浮かぶ。神が勝手に私の祈りを受け取ってくれる。私達のように、物事の具現化がされやすい人は、潜在意識と顕在意識の壁が薄いようだ。情報を頭で処理しないで、潜在意識が具現化してしまうようだ。今回日記を書いて、私以外にも同じ悩みの人に会った。かなりの数の人が居ると思う。幸い私の場合、根がお目出度いので、気味の悪い物は生み出していない。ゴ~ストバスタ~ズのマシュマロマンみたいな程度の物だ。あんな大きな物を出した事は無いが。夜空に黄色い虹を架けたのが一番大きい物だ。で、余談は別の日に回して。仕方ないので、神の姿に一番近い青い炎をイメ~ジを浮かべた。いつもは、一つの眩い光なのに、今日は姿を変えていた。銀河のように無数の淡い光の存在に成っている。ありゃ?取り合えずクリスマスの祈りを青い炎に捧げた。神の祝福を。今日は少し遠い位置に居る感じがした。次にヤベツの祈りを思い出した。これは、余り好きな祈り方ではないが、今日の所は仕方ない。祈り方判らないから、取り合えず祈る。「大いなる祝福を私に下さい。」あらら~妙な事に、先ほど祈った青い炎の魂がイキナリ身近に居た。シオンの体。魂の棲家。私の体が炎さんの無数の淡い光で一杯になってしまった。祈り方間違えた?私はめっぽう自分の祈り方に弱い。大切な時には牧師さんにお願いしている。まあ悪い感じはしないが、これって私の観念の世界か現実かわからん。それに、7つデハナクテ、無数だぞ~数えられないよ~。気持ちよくて、そのまま眠ってしまった。青い炎のぺ~ジ開いたママだった。夜起きたら。青い炎から、クリスマスの挨拶。昨日の出来事は私の観念が生んだ幻想か?それとも、キリストが力が抜かれた時感じた何かを炎が感じたのか?まあそれはそれで・・・・。炎の事は勝手に信頼してるので、流れてきても嫌じゃ無いから、素直に受け止めた。全ての中に私も混ざってしまったようだ。私の観念のなかでは。青い炎さん。今度祈り方教えてくださいね!26日、青い炎。質問に答えてくれている。http://plaza.rakuten.co.jp/?user_id=4364677 またしても、マイディアの独りである北浦興業登場。祈り方について。助言現る。Re:ピィ~ンチ、祈り方が判らない!ヘルプ 北浦興業さん(****.net) °Fりは「祈り方」という方法論で括ってしまうと、その心を失う場合が有ります。儀式に片寄る事には注意したほうがよさそうです。祈りは既に貴女の中にあって貴女が行う全ての事は或いは行わない全ての事は祈りから派生している行動です。大切な人にプレゼントを贈る事も、ちょっとした親切や、分かち合う歓びも、悪い事に怒ったり、憤慨したりする生活の全ての行為はまた祈りによって導かれている行為であると私は思っています。神の御前にひざまづくのも、仏様に手をあわせるのも、それが自分自身の内側から導かれた自然な行為であるときにその祈りは叶って行きます。しかし、方法論にとらわれたとき、純粋な祈りの心は失われ、至高の存在と切り離されてしまう事が有ります。それに注意さえすれば、祈り方はどのような形式でもOKであると私は思います。(12月26日9時13分) [関連の日記へ]
2003年12月25日
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今年は少し、クリスマス気分になりにくい。世間では暗いニュウス。イラク派兵。これから、どんな日本になっていくやら・・・・。まぁクリスマスだから、そこは気を取り直して、少しやるべきこと・・・。携帯に請求書が手元に届かず、止まって、4日。受信は出来るけれど、折り返せ無いのがきつい。今日は、絶対に電話が必要だと思うので、支払いに行く。それと、通話料を毎回半分しか使ってないので、契約を変えに行く。煙草を買いに、コヒ~豆も補充。行くと、カシュ~ナッツをロ~ス失敗して、どうしようとコヒ~豆屋の店主。女性で離婚後、店を開いている。上がりは薄いのは分かる。で、全部引き取る事に。「これからパ~ティだから、持ってくよ。どうせ酔っ払いだから、食べないし、形だけおいとくは。」やり直しが利けば、気落ちも少なくなるだろう。今日はイブだ。700円でと言う事だったが、気落ち代に300円追加しておいた。店主は笑って、素直にうけた。今日はイブだ。面倒な事は後回しの私も、切羽詰ればする。一度家に帰るつもりが、外は暗くなっていた。このまま、出かけることに。まずは腹ごしらい。携帯屋さんの前のホテルで食事をする事に。後ろの席から、携帯を掛け捲っている人に合う。『どうして?来てくれないの?』来てくれなければ、もう何もしてあげない!』何人にもかけているようだ。私は、気なって。声をかけた。「どうなさったのですか?」「お独りなのですか?」『イブなのに独りきり、寂しいわよね~。』『こっちに移って来ない?』私は応じて、店員を呼び席を移動。あまり、誘いたい人ではないが、取り合えず、パ~ティに一緒にに行かないかと誘う。すると、8時から約束があるという。だったら安心です。もう何時間もありませんよ。今何時?と聞かれる。5時にここに入っているから、今からお友達が来ても、8時に用があるなら、返って、困るのでは?彼女を心配して、電話が掛かってくる。『もう相手が出来たから、いいわ。』と応えている。何本か電話が入る。「不思議だと思いませんか?寂しい寂しいと言う気持ちで居ると、皆逃げるのに、自分が楽しくなると人から電話が掛かってくる。」『本当だ!不思議ね~。』彼女は私との食事を楽しみだしていた。聞けば、5時から酒を飲んでいて、寂しさに襲われたらしい。「今日は今みんな、自分の予定で忙しいですよ。8時に約束された人も今忙しいと思いますよ。」彼女は今寂しい気持ちが耐えられなかったらしい。クリスマスディナ~ははっきり言って、不味かった。二人の共通の話題はそれに移った。支配人を呼ぶ。独りで食事をしていたら、食事が不味かった事も、悪い思い出に成ったかもしれない。彼女は支配人に、どれだけ、不味いか訴えた。独りだったら、もう来ないって気持ちで帰ったと言う。 私は、手をつけたものは、不味くても全部食べる習慣がある。デザ~トと飲み物と水が美味しかった。終わりよければ全てよし。気分が変わったみたいだ。彼女の話を聞き続ける。ご主人と小料理屋の店を経営して居るらしい。店の女将だったら、寂しい人はいらっしゃいって気分で居なくては・・・と激励する。彼女は我を取り戻し、店に電話する。ご主人に誰かと一緒か聞かれたようだ。亭主妬くほど、持てないわよ~と笑顔に戻って居る。もうお客さんもみえて居るようで、店に出る気になったようだ。思うに彼女は、夜までに誰か、他の相手をご所望で、叶わなかったのだと思う。でも良かった。叶わなくて良い事もある。我に返った彼女は、笑顔で自分の世界に戻って行った。パ~ティの会場に行く。毎年、駅員に行き方を聞く。タクシ~では夜間3、200円の距離だが、電車では少しややこしい。会場で開けましてオメデトウと挨拶する。違うだろうという突っ込みと共に、牧師のファっキング・ハグに出会う。単なる酔っ払いじゃ~、と思いつつ。嬉しい。主催者の彼女に小さなブ~ケをプレゼント。この日は、人を喜ばせる事を考える。どんな小さなことでも喜んでくれるのが嬉しい。会場の隣で、子供達がバスケをしている。ボ~ルを借りる。おお~何十年ぶりでも、シュ~トが決まる。嬉しい。でも同時に疲れと息切れで、手元が狂いだす。女の人が片手でシュ~トは珍しいと子供達。両手はぶれやすいでしょ。私にはその方が難しいよ。さすがに、腕だけでは届かない。膝を使ってやっとゴ~ルに届く。年だ・・・。バスケをしていたわけではない。小学校の校庭が狭くて、バスケのコ~トが中心に有って、シュ~ト遊びを良くしていただけだ。パ~ティの終わりごろ。通りすがりのカップルが飛び入りしてきた。車運転していて酔いを醒ますつもりが、更に酒を飲んでしまった。楽しかった。新しい仲間。色んなこと話した。色んなこと共感した。嬉しかった。お互い出会いに感謝した。彼らが、車に戻った後、酔い覚ましの薬を届けに、停車中の車を探した。頭にはトナカイの帽子を被っていた。どの車か分からないけれど、会場で、誰かの帽子を私が被っていたので、相手に見つけてもらうために、帽子を被ったまま、探した。車の中で、抱き合う2人ハッケ~ン!窓から、ノックして薬を渡す。今日は朝まで運転しないよう、アドバイスしているので、居る事は分かっていた。彼女が彼氏に私にキスしていいよ。と許可を出す。私は、彼に頬を差し出し。私は彼女にキスをした。お役終わり。戻る所、トナカイさん、トナカイさん。と声が掛かる。サッキの人たちかな?と思い振り返ると、男の子が二人。『トナカイさん一緒にケ~キ食べてください。』話を聞くことに。ロ~ソンで女の子に囲まれて、売れ残りのケ~キを買うことになり、青空の下で男2人でケ~キを食べる事に成ったらしい。「男だね~」とわけの分からない褒め方をする私。彼女と別れた、ばかりで余計悲しくなったらしい。パ~ティに参加すればよかったのに・・・。と言う。年齢層高い気がしたという。私が46歳で一番年長組みだけれど。と言うと、ビックリする。人の目には30代前半に見えるらしい。ビックリ!大笑いする。21歳の男の子達だった。色んな話をした。落ち込む彼に、トナカイの帽子を被って、疾走する私の姿が笑いのツボに嵌ったらしい。トナカイさんが振り向いてくれなければ、今年はもう御仕舞いだと、心に思ったらしい。21歳ならこれからだよ~と話す。私の半分も生きていない。出会いはタイミングって話をする。私の予定は来年の予定と話す。タイミングは自分がその時点に来ないと駄目って話をする。人生の先に道は無い。後に通った道が残る話をする。私が若く見える事は、若い人に勇気をもたらすようだ。年をとる事に怖さを持たなくなるみたいで・・・・。来年、独りでも二人でも、パ~ティ参加していいよ。例年は少し盛大にするらしい事を伝える。どうして、来年の事分かるの?と素朴な疑問。来年は休日前だから。そうする予定なのよ。と話す。若いときには、出来事が受身だ。自分達が未来を作る事に、未だ慣れていないようだ。バックを置きっぱなしなので、またね!と分かれる。一時間以上経っていた。会場には残りのケ~キを囲んで、未だ何人か残っていた。今年少し寂しかったのは、独りの男の子が新しい彼女を連れて来た。女も男も無い悪ふざけが出来なくなった。やはり、新しい彼女の気持ちを思うと、悪ふざけできない。で、その弟を仲間に成長させようと思ったら。しっかり、弟は、女の子に羽交い絞めかけてる。最初は2人にしていたのが、独りに羽交い絞め。残された一人、シラットしてる。そこで、後ろから、弟を羽交い絞めかけた。肩を抑える。兄が抑えられた弟の口にケ~キを突っ込む。『痛いよ~!訴えてやる~』とフザケル。酔拳の振りをする。私は対戦する構えに。ところが、どういうわけか押さえ込まれる。全身の力を出して組み合うと何だか気持ちよい。彼は戦意で対抗してないからだよと笑う。私は、拳法の型が一つも出ない理由を教えられた。私より少し大きいだけの弟は、力を常に抱擁する形を取っていたんだ。ここには誰も、敵は居ない。皆仲間、拳が出るわけ無いでしょう?全身の力を相手に向け相手もそれを受ける時、不思議な暖かさが体から発散される。ジム等の、筋トレより気持ちが良い。何かに目覚めた。全身でぶつかって行く楽しさだ。千鳥足の彼に。仲間に、こいつ酔ってるか覚めてんだか分からないよ~と言うと。弟『余計な事言うな~』と笑う。タクシ~の中で、今日の状況を聞く。街は沈んでいたようだ。子供の居る家は、楽しんだようだが、今年は、一般の人は街に出た無いみたいだ。家に帰って、3時PC
2003年12月24日
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12月23日に生まれた、クリスチャン泡雪が最初から初日から、出会うことになったのは、神ではなく、サタンだった。その頃、未だ、サタンの霊なんて知る由は無い。洗礼を受けた夜、病院に運ばれて、苦しみの内に居た事だ。場所はハワイ。私の口からは低い声(ありゃ、何か暗示に掛かってないか?)と思いつつ。ホストファミリィとクリスマスゲスト達が『イン・ザ・ネイム・オブ・ジ~ザス、@@@@』そのマンマ、エクソシストからの幕開け。病院でレントゲン取られたり、注射されたり、頭が気持ち悪いわ、体痛いわ。何だったのだろう?大変な事に巻き込まれたと思った。突然ケロっと直った。翌日、前の日の騒ぎは何だったのか?と疑問を残したまま、クリスマスを迎える。神に嫁ぐ時、サタンの攻撃に会うなんて、聞いてなかったぞ~! 最近、サタンが体から出るとき、気持ち悪い思いをして、23年前の苦しみを思い出した。恐らくその体験が無かったら、今回の事態も、理解しなかっただろう。人が、苦しみに出会うとき 、何かの理解の為に会わされる事が多い。私は、今生きている体は、魂の乗り物と感じている。脳は、全体の指令部分に当たると思うが、各細胞にも、意志が存在する気がする。魂は、脳に居るのではなく、胸の辺りに居る。そこら辺が反応を示す時に、おお~ここに居るんか。と感じる。今年、「青い炎の日記」に出会ったとき、魂の状態として、目に映った。その時、神の世界光の世界を理解するに至った。一人一人、反応するものが違うと思う。私の場合は偶々、その人の魂に感応したまでだ。その人の言霊から、その魂の存在を感じる。そして、その作者は非常に人間らしい人だ。私の胸に、青い炎の火が移り、人間らしい心を持つようになった。「新生泡雪誕生」だ。実は、この作者に、怖いとか言われると、大変にへこんでしまう。でも、彼の反応は、非常に普通の反応として、信頼している。私を行き過ぎをたしなめる為に存在して居るかのようだ。もっと、もっと、怖くない形で表現しないと、イケナイナと反省。 神に愛された理由を書いたとき、予想外に同じ感覚を持っている人たちに会った。 皆自分の心に苦心したようだ。具現化能力は、自分の思い道理に動くものではない事も報告しておく必要を感じた。 だから、呪いは起きない事に安心してもらいたい。それは、聖霊も人格が有って、私の願いが、人として、ただしくない事には反応しない。では何故、心のあり方に、気を配るかといえば、聖霊でないものの存在を知っているからです。そちら側に、心を繋げるかどうかは、自分しだいです。そして、魂の輝きを失う事になります。闇と光は性質を異なるものです。闇と光は友達でもあります。天国に帰れるかどうかなど、気にする事ではありません。天に任せればいいでしょう。見ていると、天の国に属したいと言う欲が一番サタンに狙われやすいです。生まれたとき、誰もが、心に神の分身の魂を乗せてこの世に生まれます。与えられた、乗り物の体の性質を良く理解して、人世の旅を終え。もう一つの地上に生まれることも天にそのまま帰る人も居るでしょう。でも、旅の途中で体を破壊して、魂を脱出しようとしても、道が出来上がっていないので、帰れません。この地で彷徨うことになります。私が、この世を去り、体から自由になって、する事は、2000年前のユダの自殺を食い止める事です。もう、先の私が行ってると思います。ママから伝授された、『ビタ~ン』と頬を打って、目を覚まさせます。「してしまったことは仕方ない。同じ過ちはこれからしなければいい。」と言い。「死ぬまで生きろ!」と啓示を与えます。自殺防止軍団の頭に、ユダを据えます。イエス様この案採用してくださいね!やはり、同じ苦しみを知らない人には、相手の気持ちは理解出来ないですから・・・・・。今日を迎える時間に、PCがパッヘルベルカノンを奏でました。設定に無いものです。その曲を使っている人のHPに御礼に行きましたが。本人から何も反応がありません。その人の仕業では無いのかも・・・・。謎です。でも、こんな楽しいバグなら、不思議でもいいです。皆がこの世の旅を無事終えるように。前日の日記と宇宙に対しての感覚が私とシンクロした人書き込みここに添えます・アインシュタインの時間が一定ではない考えに則して・・・・。Re:神に愛された理由(12/21) 北浦興業さん(****.net) うふふ。妹ではなくて、正しくは「弟」でした。アインシュタイン、私は彼のお茶目なところが大好きです。科学者としての働きも、大変尊敬しています。私達が地上で「時間軸」の制約を受けるのは、過去・現在・未来という時間に対する直線的な概念が存在する為です。しかし本来時間の概念は地上における限定された生を受ける肉体に辿るものであって、精霊の次元においては時間の概念による拘束がありません。ヒトの思考は単に脳細胞の電気信号として限界あるヒトの肉体に従属するものでなく、本来的には「精霊の働き」であると私は思っています。それゆえに、私達の思いや考えが具体的な現象として、目に見える世界において展開されるという事態が生じます。またそうであるなら私達は可能な限り、いい精霊を選択して接触するよう、常に心掛ける事が大切であるように思います。心掛ける事によって縁は変化し、目に見える世界もすみやかに変革されてゆきます。現在・過去・未来は、「今現在という一瞬」に凝縮されるものである為、私達は未来を変革すると同時に、実は過去をも変革しています。それゆえに私達は肉体の死をまたずして、一瞬にして「生まれ変わる」事が可能なのです。また魂がそのような自覚を持つならその魂は、世界を創造しゆく使命を担うと言えるでしょう。その使命の自覚をして、「神」とも「仏」とも言うのであると私は思っています。 http://plaza.rakuten.co.jp/hiyokokinngyo/ 北浦興業http://plaza.rakuten.co.jp/shown/青い炎の日記
2003年12月23日
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神に愛されると言う事は、普通以上に苦難に出会うことかもしれません。しかし、神はもともと、その人に超えられない、苦難には遭わせません。そして、そこから、メ~セ~ジを受け止めると、その苦難は遠ざけられます。若い時は、沢山の事を、知らないので、これでもか、これでもか、と出来事に遭います。でも、一つづつ、受け取っていくと、道は穏やかになってきます。さて、私が神に愛されている。と思うのは、最近振り返って、思った事なのですが。一歳の頃に女神の形で夢に現れた事から始まり、いろんな場面で神を感じます。私が、普通の人より、気性が激しかった事にも起因していると思います。最近5歳で、妹を殺しそうになった人の日記を読みました。この人も愛されてるだろうな~と感じました。意外にも、神様が好まれるのは、善人ではなかったりします。人の手に負えない気性の激しい人を神が見守っている気がするのです。私が、自分を危ないやつだと感じたのは、2歳くらいの頃です。大人の足の甲に乗って、ブラブラとブランコをしてもらえる大きさの頃でした。大人の男の人は、疲れてきて、甲を伸ばすと、滑って、足から落ちてしまいます。私は、もっとヤッテとせがみました。もう疲れていたのでしょう。直ぐに、ストンと落とされました。子供のわたしは、言う事を利いてくれないことに、腹を立てました。「殺してやる~!」と言いました。生まれた時から、家にはテレビがあったので、そうした言葉を覚えていたのだと思います。大人は、「出来るものなら、してみろ。」と笑っていました。わたしは、後に引けなくて、台所に走っていきました。ばあやが追いかけてきて、止めてくれましたが、手には包丁が握られていました。子供と言うより、まだ、赤ちゃんに近い大きさ。自分の後に引けない性格に、「危ないやつだな~」と感じた一瞬でした。その頃から、私は、感情のコントロ~ルに気をつけるようになりました。次に、3歳の頃、3つ上の姉が、綺麗に剥けた、みかんを手に乗せて、私に見せました。『いいでしょう。』見せびらかした後、口にパクリと入れました。わたしは、ばあやに、みかんを綺麗に剥けと命じました。白い筋が残ります。「こんな、もんじゃない」とどうしても、綺麗に剥けたみかんに拘りました。3つ上の姉にみかんを出せ。と迫りました。姉は、『もう無いよ~』という言葉の後、わたしは、姉に飛び掛り、取っ組み合いになり、髪の毛を一房引っこ抜いて、泣かせてしまいました。手に残った、髪を見て、ばあやは慌てて、家の前の美容院に姉を連れて行きました。一人残された私は、姉を痛めつけてしまった事、心から、反省して、10合炊きの電気釜に抱きついて、泣いていました。今思えば、缶詰のみかんだと思います。自分の気性の激しさに、子供の頃から、悩まされました。最近になって、出生届けを見ると、長男の次に大きく生まれたのは、私でした。子供の頃から、天性に喧嘩に強く。自分を抑える事に苦労しました。一旦きります私には男の兄弟が2人居ます。この二人に鍛えられたと思います。長男からは、プライドを傷つけられる事が多く有りました。台所に、包丁を取りに行くのを抑える自分がいました。20歳以降のことです。5歳の頃に外国に行って、再会したのは、20歳過ぎでした。この時、相手の立場で物を考える癖がつきました。怒りを抑えるには、理解と赦しでしか超えられません。喧嘩は小さいお兄さんに中学2年の時、少林寺を習い始めた兄に、右目にストレ~トパンチを受けました。報復に家出をしたのですが、次兄は卑怯者と私を言いましたが、体力で男の人には敵わない、と感じた瞬間でした。パンチを受けると、その日には痣は出ないのですが、2日後学校に行き始めた時、目の周りに黒い痣が浮き上がりました。学校で、裏番と噂が立っていたのは、卒業後知ったのですが、私は、人とツルムのが苦手です。どの世界でも物怖じしない為か受け入れてもらえますが、別格扱いされます。色んな世界を見せてもらいました。私の特殊な能力は、物事を具現化することだと感じています。中学2年の頃、隣の家の子供と、庭から、窓越しに、話している時、盆花、「藪が枯らし」の葉を指先で、なぞっていると、突然不思議な生物が現れました。緑色の小さな鰐のようなものが、口を開きました。慌てて、手を離したのですが、その生物は消えていました。大人になったら、その生物を知る事があるのかと思いましたが、そんな生き物は、現存しないことを知りました。その日から、庭中の藪枯らしを引き抜いたのは、言うに及びませんが・・・・。十代の頃いろんな人と知り合いましたが、ある時自分達の不思議を話し合いました。人に腹を立てると、2週間以内にその人たちが、怪我をしたり、事故に遭ってしまう事でした。自分達には、不思議としか言いようの無い力が働いている。心に思う事を注意しなくてはね。とお互い戒め合いました。神と言う字は、中国から輸入されていますが、中国では、神と言う字に、天のものという限定は有りません。不思議を行う力、魑魅魍魎など、全てのものを含みます。人の力を超えたもの全てを指します。私の知る所では、神に善悪は有りません。善悪を分けるのは、人の心です。神は、人の心に反応をして、人知を超えた、力を分け与えます。では、善悪は神の知る所ではないとすれば、人はどうして、善悪を知るのでしょうか?善悪で事を判断する事を止めたほうが、天の意志に沿う気がします。天の力をどのように使うかで、人が分かられる気がするのです。力を借りた天にそれぞれ、人は属するようになります。悪と人が決めた天にも、力はあります。それが、どれかはひとが判断する必要の無い事でしょう。その人自身が知ればよい事です。先日私がサタンの霊と判断した霊は、わたしが聖霊と感じているものとは、性質を異なると言うだけで、人それぞれの好みで、選べばよい事です。選んだ、神の力をそれぞれが受け取ればよいだけの話ですから。わたしは、啓示は、ごく偶に受け取りますが、殆どの場合は、本屋、映画などの芸術家からの物で感じます。余り、不思議な形は、私が好まない事を神に願っています。昨日は、ビデオやさんで、選んだものは、次のものです。パイ円周率。のΠ「Π」「さまよえる魂」「ハリ~ポッタ~2」です。この所、不思議と直面する事が多いです。それも、人間としての不思議です。私が、自分に感情を解放したのは11月からです。一旦きります私が不思議に思った事は、何故良く知りもしない人の死にこれ程の悲しみを感じたのかと言う事です。悲しみの感情自体は、神が私に下したようです。悲しみの感情を持たなければ、悲しみにくれる人の気持ちを理解できないからだと今感じています。私は自分の知らない悲しみにくれる人たちに触れました。その中に、サタンに付け入られる感情を見つけ、畏れ多くも死者に変わってメッセ~ジを送りました。仏教で無いものにも、死者の霊の儀式で、旧約にもあったと記憶しています。生後、死後7日。死後49日。これは、体験的に書かれたものかも知れません。その時期を過ぎても、生きる人に伝える手段を失いませんが、この時期は、未だ、この世に及ぼす力はかなり強いようです。私は、偶々キリストの神に好まれました。無宗教の私が、キリストの神を知るに至る道を体験として語る者として、選ばれたのかもしれません。ポルタ~ガイストの件でお役に立てて嬉しいです。私は、キリスト教の勧誘はしたこと有りません。むしろ、キリストを語る、宗教には気をつけろというメッセ~ジを持っています。神に望まれた人は、自分で縁をもつことに成ると思うので、私の布教は必要ないものです。洗礼の儀式もハワイの教会しか知りませんし、日本からでは遠いのと、儀式の時、私の足を階段にぶつける牧師ですから、巧いとは言えないかも・・・・。友達の所属する創価学会を紹介した事があります。私が、精神病院で知り合った人ですが、アルコ~ル依存で、脳萎縮を起こしている人でした。親の遺産を芸能プロダクションを起こし、食いつぶしたといっていました。生活が荒れていて、人家に石を投げつける事が良く有ったそうです。この場合、この人には奪われるものが無いのと、仲間が必要だと思い。友達の創価学会員を紹介しました。お題目を付き合った事もありますが、線香一本15分。お題目を唱えると、かなり、体にいいです。問題も有ります。題目を唱える人の心に、憎しみや怒りの塊があると、仏壇に念がこもります。その影響で、家族が目が見えなくなったりする報告も受けました。死んだ人の力が働くのでは無く、生きている人の力が反映してしまいます。神仏に触れる時、決して、粗末に扱ってはいけません。その手法には、それなりの妙法が働きます。私が、真光を離れた後、グル~プのリ~ダ~から、電話がありました。真光では、与えられたペンダントに教祖の力が送られて、それが人々に力を与えると考えています。お玉串と言われる献金は受信料だと言います。ペンダントをへそより低い位置に置いた事は無いかとか、その為に信心から離れたのだと言います。私はそのような扱いはしてませんと言いました。神仏を扱う時は要注意です。心を弱くしない為に、言われた注意事項は守る事をお勧めします。そして、そのような力は、元々どの人にも与えられているもので、教祖様から頂かなくても、結構です。と断りました。宗教に取り込まれる人は、神を求める人が多く、自身では感じる事に乏しい人が多いようです。その人は、自分は良く分からないけれど、そういう人に会う事が多く信仰に疑問を持ち始めていると言っていました。この教団で感じた事は、個人の力を教祖のものとして、束ねてしまう恐ろしさでした。離れた時、自分に力が戻ってきた事に驚きました。抜かれていた事に気がつかなかったからです。宗教恐るべしです。昨日見た、「Π」パイでは、神の数字216桁のバグです。私の誕生日と同じ並びの数字。結構大切にしてます。PCにもこの力が働いているなと私も感じています。結論として、神は知る事では無く、共に生き楽しむ相手だと言う事だと思います。「さまよえる魂」は、死後の世界を巧く表現しています。天と地獄の分かれ道は見ものです。「ハリ~ポ~タ~2」は、不思議な世界と力の無意識の伝授と生まれによる物ではない事。ル~ツは大きな要素ですけれど、それは、切っ掛けにしか過ぎない事。生きる自分が自分を発見するのだと感じました。問題解決に働く偶然による出来事も考えさせられました。わたしは、兄弟の中で、父から、こっそり、「世が世ならお姫様なんだよ。」といわれて育ちました。甥か姪の誰かにこの言葉残すかどうか思案中です。親に似ず礼儀正しい甥の方に、不思議は現れている気がします。本人は言いませんが、感じます。この代々の言葉の伝授楽しいです。姫と呼ばれる事にも慣れています。何故か、そう呼ばれる事が多いです。自分で「姫はね」とか言っちゃう事有って、時々『自分で姫と言うな!』と相手に叱られます。
2003年12月21日
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楽天に出会って、沢山の人の考えに触れました。今を生きる。という言葉はあるHPから習いました。本人は試験勉強のため、更新が少なくなりましたが、ここに紹介しておきます。http://plaza.rakuten.co.jp/?user_id=4364677 「青い炎の日記」です。サルトルと言う人が居ます。実存主義について、書いている、哲学者です。ある時、若者が、戦争に行くべきか、年老いたお母さんと居るべきか、相談に訪れます。その時、サルトルの答えは、『人が相談する時は、心の中に既に本人の答えがある。人は、その考えを後押ししてくれる人を探している。』と言うのが答えでした。子供の頃、お母さんが、自分に与えた影響で悩む方も多く居ます。しかしながら、世間だとか、家庭環境とか、全て、それを感じている本人の頭の中で、構成された情報で人は生きています。最近では、信じられないような虐待や犯罪に出会う人も多く居ますが、その瞬間も本人の生命力で逃れた人も多く居ます。私の場合、目が覚めた時、目の前に包丁が突きつけられていた事があります。瞬間、悲鳴を上げましたが、直ぐ冷静になり、相手を観ました。震え方から観て、初犯だと感じました。ストッキングを被っていましたが、知り合いではない事は、分かりました。怨恨ではない事に安心しました。寝たまま振り返りながら、包丁の刃を右手の平で握り押さえました。「危ないから、およしなさい。」その人は、作業着を着ていたのですが、わたしは、その人が、このような、犯罪を犯すに至った、背景を考えました。包丁が下ろされ、私は、その人に再び声をかけました。「靴のまま、上がってきちゃったんだ。」「今だったら、誰にも言わないから出て行きなさい。」と言い、背を向け暫く様子を見ました。わたしは、気分転換に、親のお金でパチンコをしたり、回りの協力もあるけれど、この人はどうなんだろう?と短い時間に考えていました。私が、抵抗を示さなかったので、抑える力は緩やかで、次にスカ~フを首に巻きつけ始めました。私の中に怒りが沸きました。人が親切に言っているのに・・・・。「いい加減にしなさい!」と言って、跳ね起きて、外に逃げ出しました。『待て~!』と追いかけられましたが、心の中で「待てるか~!」と思っていました。隣の家に助けを求めたのですが、隣の人も、『逃げていったね!』と悠長な物でした。私が、誰かを連れ込み、痴話喧嘩でもしたくらいにしか思われていないようでした。この事件は、母親が、新聞に載せないようお願いしたのですが、その日よほど事件がなかったのか、一社が一面に載せました。朝8時だったので、『おはよう強盗』と言う見出しでした。誰々娘という形でした。長女は連れ合いに見られないように、慌てて新聞を隠したそうです。恥ずかしい思いをしました。26年前の頃の出来事です。一軒家は、他人に入り込まれると、外からは分かりづらいです。警察の人は、10っ分程してから、呼びました。捕まる事を望みませんでした。面識が出来ると、因縁が結ばれる感じがして、嫌だったからです。でも警察に知らせないと、付込まれます。幸い警察犬も、車酔いして、犯人は見つけられませんでした。当時私は目立っていて、駅の向こうの人も、私が知らない人たちが私の事を知っていました。その日を境に私は、化粧を止めました。目立つ事が怖い事だと感じたからです。5分の事を、3時間調書の時間が掛かりました。一挙一動記録するからです。調書の最後に、警察官がこのような人は一日も早く取り押さえて、刑罰に処してください、と書き込もうとしたので、こちらにも、玄関を開けていた非があるので、刑罰は望まない。と取り消して貰いました。それまで、20歳過ぎてから、自分の能力の変化で自信を失って、鬱っぽくなっていたのですが、意外な自分の強さに立ち直ってしまいました。当時血液の溶連菌感染をしていてので、息するのも苦しかったのですが、半年の投薬とその事件で心がつよくなったのか、全て菌の影響が-を示しました。世間がどうだとか、親がどうだとか、全て自分の頭で構成されています。子供を殺そうとしたら、そのアドケナイ笑顔で出来なかったという話を聞くことがあります。赤ちゃんであっても、外部との働きかけがあるものです。今生きてきいると、色んな偶然に助けられ、生きているのを感じます。本人の生命力としか言い様が有りません。自殺しようとして、首を切って、死にきらず、4階から飛び降りても死に切れなかった人が居ます。死亡の場合保険が降りますが、治療には降りなかったそうです。生命力が強い人は、本人が死のうと思っても死ねないようです。その後、交通事に会って、傷口から菌が入り、足の筋肉を削ぎ落とし体が不自由になりました。自殺以前より、条件の悪い状態で生きています。自分を苛めると、条件は悪くなる場合が多いです。自分を守れるのは自分自身です。今生きていることを大切に、生きている事を楽しみましょう。嫌でも、誰にでも死は訪れます。生きている時間は一瞬の出来事の積み重ね。全て、一瞬の出来事なのです。生きているのは、一瞬の出会いです。今苦しくても、苦しい自分を捨てると、一瞬で変化します。病苦も、苦しみを脳が感じなくなります。体がそのように、出来ているようです。今を受け入れる事が、苦しみを早く遠ざけます。今を生きてください。今その時を、生きるのは一瞬です。
2003年12月19日
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これは、心当たりの方に対して、私の経験が参考になれば、と感じて、書くことにしました。私は幽霊は管轄外です。近づけないコツは、気持ちを苦しい感情に囚われた状態にしない事です。理解と、赦し。この二つで大体は乗り越えられると思います。楽しい仲間これも、大切ですね!笑いを忘れずに。幽霊話は苦手なほうです。落ち込んだ時、ホラ~漫画は結構有効です。最後には、そこまでして・・・。と自分の事は大した事では無くなってきます。聖霊を感じる、感性を持つ方は、同時に、聖霊ではないもの感じる事があるからです。そうそう、一方だけと言う都合の良いものではないようです。特に、何かを考えている時に、タッチセンサ~、の物。携帯など、音を出す物。目覚まし時計。ファックス、PC等が、自分の心の動きに反応して、本来の設定では無い動きをする事があります。それが、何の霊に反応したとしても。まず、第一に気にしない事。第2に、額に手を当てて気持ちを静める事。恐怖に思う事は余計に念動を大きくしがちです。額を押さえることで、たいていの場合収まります。自分自身の、エネルギ~が反応を起こしている場合が多いです。神経の伝達は、+とーの、電気の流れと同じような物です。私達は、生きて、食べて、エネルギ~として、体から放出しています。東洋の針治療はこの電気の流れをブロックする事で、気の流れを整えます。聖霊系の働きは、人を恐れさす事は有りません。体に感じる時も、私の場合は、細胞がバイブレ^ションする感じで、快感です。恐怖感はおきません。昨日ものみの塔の方に彼女たちの聖書をお返ししました。目を通した時に、面白かったのは、コリントの所に、サタンは、光の形や天使の形を借りてきます。と書いてありました。普通の聖書はそんな事書いていません。聖霊の形はその人それぞれに、現れ方が違うので、記述は限定出来ないのです。9つの働きについては、触れています。でも、光の形で感じる事は多いのは確かです。よく、ご存知で・・・。と思いました。ただ、視覚的な光とは少し違うと言えます。輝きが、原爆のピカっとする白さと異なっています。透明感があります。知覚される方は、私の説明は必要ないと思いますが。不思議な現象に驚くのは自然な感情ですが。くれぐれも、恐怖に囚われないよう気をつけましょう。不思議な事があるものだというぐらいに流してください。そうした現象は、今多くの人が体験しています。特に、電源が繋がっていない物が作動するのは、多くある事です。気にしないようにしてください。良くあることです。思う事有って、この事書きましたが、思い当たる事の無い人は気にしないで下さい。不思議な現象は今多く有ります。***追記ラップ音の中でも、雨音のようなものは、特に本人の思念が飛んでる事が多いです。新建材が跳ね返す音のようです。合板のコ~テリングは起こしやすいです。額に手を当てると殆ど止まりますよ。私の部屋は、ペンキを使わず、キャンバスに使うジェッソを使う事で、防いでいます。古い家の歪みによるものや、新築の収縮音はこの限りではありません。混同されませんよう。
2003年12月18日
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朝煙草が切れたので、パジャマも着替えず、上にオ~バ~パンツ、フリ~スのジャケットにコ~トを着込んで、表に出る。煙草を買って、喫茶店に、何故か朝食をとる。おいおい、中パジャマだぞ!何となく、散歩したくなった。踏み切りに引っかかる。待つのが嫌いなので、手前の銀行に用を済ましに戻る。再び、踏み切りに向かう途中、ゲ~ムが目に付く。何時もそこにあるのだが、何となく、やりたくなった。一回百円のル~レット。カメラつき望遠鏡。これ狙ってみよう。お宝の位置、上の段か下の段か決める。操作は全て、一つのボタン。どこ見るんじゃ?狙うお宝Cになってしまった。Aを狙うんだってば~!取り合えず押す。数字に+とか-がついている。今点灯している。数字から、その数が動くようだ。少し分かってきた。ABCDEFG電気がついてる時に押せばいいらしい。やっと、Aが押せた。ル~レットが動く。6後一つ、。もう一回と言う声。7に点灯すると、貰えるらしい。????もう百円入れた。ゲ~ムオ~バ~(声)未だ終わってなかったのね。初めての、ゲ~ムは操作が分からない。よし、もう一回。あらら~上の段押したつもりが、下の段に決定してしまった。お宝を見ると、このゲ~ム18歳以下お断り。DEFGEFGは男の人の大人のおもちゃだ。Dは何だか、お人形。是しかないか~。Dを選ぶ。ル~レット開始。拳骨でボタンを小突く。黒丸の7。⑦これは、狙ったお宝のコ~ナ~のどの数字にランプが居ても、無条件で貰える様だ。‘‘ゴトン!’’何だか、当たってしまった。それも、ドラゴンボ~ルZ ビッグサイズソフビフィギア全2種 の2種類纏めて、ゲット。煙草買いに来たのに、何だか大荷物になってしまったぞ~。通りすがりの、お婆さん。『凄いわね~!なかなか取れないんでしょ?』『それも、2つも。』「イや~良く分からないけれど、ル~レットで纏めて、2つ出てきました。」仕方ないので、提げて、散歩。駅の向こうの行きつけのコ~ヒ~ショップ。先ほど居た、喫茶店と同じ系列なのだが、こちらはフランチャイズ。開店当時夜9時に人っ子一人居なくて、店長と友達になり応援を約束した。開店一年目の事だった。自分で言うのもなんだが、私は、ラッキ~パ~スン。私が行き始めると、どこの店も客の入りが良くなる。この店も今では、客が断たない。それを、見てから、駅の反対の家側に、本店が進出した。それで、こちらの店長は怒ってる。だから、家の近くの方に入った後。こちらに来なくてはいけない気がして足を運ぶ。チケットを購入している。何時買っても、私には、割引してくれる。道々人形の事考える。誰か、子供に上げるにも、イキナリあげるには、変な人だし、好き嫌いもあるし。対象15歳以上って書いてあるし・・・・。テ~ブルにつく。さすがに、コ~ヒ~じゃなく紅茶。まじまじ、人形を見る。ドラゴンボ~ルは留学中に読んだ。日本から離れると、漫画に飢える。小学校でしか中国語を習っていないので、凄く話せるわけではない。しかし、読みたい欲で、中国語版のドラゴンボ~ル読めるようになっていた。全巻読んでいる。並べてみて、千佳ちゃん思い出す。まだ、少し涙が滲む。千佳ちゃんの日記はアカデミック。心理学が得意のようだ。この二つの人形で言うと。千佳ちゃんは、孫悟空だな~としみじみ思う。少し、屈折して、感覚的な私は、べジ~タ。コンセプトは同じ。*****の愛と喜び千佳たんのトマトHPのコンセプトは、『無条件の愛と喜び』なんですけど、それって人間の生きる根源にも繋がるモノですよにゃ^-^/私の場合は、神の愛(無償の愛) 今を生きる。(日々を楽しむ)根底が同じだ。彼女のほうがロジカル。わたしは、体験からの感覚。全然関係なく日記を書いていたのに、こんな形で繋がったのは不思議な気がする。今、彼女の日記読むのは少し辛いけれど。少しずつ読んでいる。彼女の心理学の部屋を、その内、体験と繋げて日記にしてみたい。まだ、租借していないので、時間が掛かる。孫悟空(孫悟空も天国に行ってる)とべジ~タで行きましょう。と心の中で思う一日でした。そうそう、本来弔問は残されて人を慰めるもの。影の管理人真由さん。いたわりの言葉も無くてごめんなさい。今日、真由さんの日記読みました。千佳さんとの関係少し分かりました。相棒なくされて、変わるものが無いと思いますが・・・・。今未だかける言葉もみつかりません。
2003年12月16日
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昨日は申し分ない、流星日和だった。『見たか?』一個だけだから自信ないな~。28個見た人が居て、そんなに見たの?と空を見上げた。もう5時だよ~。他の人の書き込みでは、西に向かって飛んで言ったって言うし・・・・・。私が、『オッツっ』て思ったのは、南に飛んでいった。目の錯覚かも。一つじゃ自信もてないな~。その後、恐々、屋根から半分乗り出して、見たが、一つも見れないまま、根性なしで終わった。寒かったんだもん。今日も見れそうだが、どうよ。誰か、本当のこと教えて下さい。今晩も見れますか?昨日の夜はフセイン一色で、誰も騒いでなかった。昨日は、悲しかったけれど、訪ねてくれる人がどう言う訳か笑い話を持ってきた。悲しみに囚われないよう。心を中庸に持つ事。それを、教えられている気がした。親が死んでも、こんな泣き方しなかった。若すぎる死に驚き悲しんだ。年寄りが死ぬのは、順番で心の準備もある。若い人が、一晩で亡くなってしまうのは、残された方が、折り合いつきにくい。HPを見ると、かなり、覚悟しながらの闘病。それを、受け入れていること自体が、若いのに普通の人ではないなと感じた。老人病院勤務していた時も、夜、吠え出す人が居た。『さみしい!さみしい!』人が最後を迎える事の多い病院、癌で最後を迎えた父も夜中そんな声を耳にするのが辛いと言っていた。誰でも、最後は行く道。生きている間は最後まで死ぬ事を考えない事。最後まで命の灯を、灯しながら生きようとする勢いが天に昇る力となるのでは?と思わせる死でした。皆が、天国へ行ったと想える死。死はもう一つの生への道。最後は魂を沈み込ませ無いようきれいに登ろう。生きている人も悲しみに飲み込まれないように。命を紡ごう。自分が最後の時は潔く行ける様に、日々暮らしを後悔しないようにしなくてはと思う。なかなか、難しい。明日も生きると思うと怠けがちだ。今朝は洗濯頑張るか~!天気が崩れる前に。今晩も流星見れるかしら?
2003年12月15日
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今日不思議な事がありました。メ~ルでやり取りしていた時、いつもは、過去のメ~ルを見直すことは有りませんでした。どうした事か、千佳ちゃんのメ~ルが最後に有って、新しいメ~ル、が入った時に画面から消えました。私は、慌てて、送ってくれる数の多い友達のメ~ルをメモに移し、削除して、千佳ちゃんのメ~ル復活させました。この所、リンクが33にに成って、今日気がついたのですが、30以上は弾かれて、新着に挙がって来なくなるみたいです。で、千佳ちゃんをクリックすると、プロフィ~ルが出るのです。わたしは、この方のプロフィ~ルを見たことが無かったので、誰だろう?と思って、戻りました。PCのブックマ~クにしてある、人のぺ~ジで、千佳ちゃんの訃報を知る事になりました。最初に思った事は、「嘘だろう?」本当にあの千佳ちゃん?私は慌てて、千佳ちゃんのメ~ルから、アクセスしました。日記を開けると。皆さんからの、お悔やみが並んでいました。私は涙があふれてきました。こんなに短い付き合いになるなんて。自殺では有りません。病気だったようです。悲しすぎます。涙が止まりません。でも、千佳ちゃんが知らせてくれた気がしてならないのです。千佳ちゃんの写真の笑顔が輝いていて、語る時間が無かった事悔やまれます。でも、未だ読んでいない、千佳ちゃんの日記読んで千佳ちゃんを自分の中に残したいと思います。千佳ちゃんは病床だった事、殆どの人が知らなかったようです。12月から、読み始めた人の日記から訃報を知ったほどです。いつも大切な人が亡くなると思うのですが、本人が知らせてくれたとしか思えない事が起きます。千佳ちゃん。今、自分がこんなに涙が出る意味が分かりません。実際に千佳ちゃんとのやり取りは、この一本のメ~ルだけなのに・・・・・・。それも、私が見落としていた・・・・・・。有難う千佳ちゃん。これから、貴方の日記の伝えたかったメッセ~ジ私が引き継げるものがあれば、と探すつもりです。千佳ちゃん知らせてくれて有難う。
2003年12月14日
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このところ、私の個人的な興味から、サタンの霊について、書いた事で、不安を感じさせてしまったようだ。例え、そんなものがあったとしても、気にする事は無い。以前、霊について、考えていた時、牧師さんにいいお祈りの仕方を教わった。普段しているわけではないが・・・・・・。「善霊からも、悪霊からも、祝福されますように。」祝福されていれば、悪はななさない。サタンの影響を感じたのは、自分らしくない事書いてるなと感じたまでで、判断してる自分がいる。大切な事は、オカシイ、と感じること。神の姿を借りたり、亡き母の姿を借りて、夢に立っても、言ってる事変だぞ?と感じる心だ。それには、人間として、普通に感じる心を大切にする事だ。聖書に書いているから、教科書に印刷されているから、全てを飲み込むのではなく、「ここ変じゃないかな?」と感じ取れる心だ。偉大な発見は、過去の蓄積を学んだ人たちが、新しい事に気がついた時、過去の常識の間違いを正す事によって、新しい発見がなされる事が多い。権威に囚われない、心が大切だ。イタリアのバチカンを見たとき、感じたのは、キリスト系の偶像は少なかったが、歴代法王の像らしきものが、奈良の大仏のように、見下ろしている。物凄く、変だな~と思った。プロテスタントの教会は、逆に装飾が何も無いので、寂しい気がする。少しくらい、らしいものの装飾は宜しかろうと思うのだが、必要ないと言えば、それまでだが・・・・・。先日、サタンの話を聞いて、体が強張ってしまい、電車で帰らず、少し未だ居る事にした。この日記読んでねとお願いしたので本人も読んでくれていると思うが・・・・・。一人の女の客が怒っていた。朝×放送について。小泉氏について、怒りの種は尽きない。マスタ~は。『人の心は、ひとつの宇宙。イライラしていると、隣の人もイライラし始める。平和を思うなら、まず、自分の怒りを鎮めるように。』『それは、マスタ~の宗教感だ。それは、尊重するから、私は、ここに来ている。私のことは、私を尊重してホッテオイテ!』更に言葉がきつくなる。宗教家が人に意見を言うと、言い回しが、宗教感が滲み出て、普通の事が伝わりにくい場合がある。わたしは、そこで、通訳に入った。「肩の力抜いて、笑って話そう。」「考え方の相違で腹立つ事があっても、怒りをぶつけたら、剣幕でだれも、聞けなくなってしまう。」彼女も馬鹿ではないから、直ぐ理解してくれて、笑顔が戻った。『人に言えない、日ごろの憂さが溜まっていて、吐き出したくなってたんだ。』「うん、うん、それ私も良くある。その気持ちは分かる。」でも、相手をする人たちは、かなりの我慢してる事も分かる。私の場合は、パワフルな空騒ぎになる。いつも皆様ごめんなさい。ここで、謝って置きます。丁度、閉店の時間になり、皆が帰るとき彼女が笑顔を取り戻してくれたことが嬉しかった。*******私の宗教体験。父親が死んだ後、私は東急の事業所で働く事にした。職場の先輩が宗教真光だった。キリスト教の洗礼を受けた後の出来事です。私は、宗教をそれ程恐れていなかった。ただ、先輩に苛められるのを恐れた。試用期間中、下手な報告されて、採用を断られるほうが怖かった。で、付き合いで、入信した。手かざしは、気功を理解してるので、それ程、不思議ではなかった。確かに効果もある。入信前の霊査と言うものがある。組織の、力のある人が私の背後霊に質問する。面白いように、自分の体が、反応する。わたしは、これに対しては、私のエクトプラズムを引き出して、動かしていると感じた。最後に、『自殺をされた霊ですか?』と質問された時。無反応になった。そんなもの居ないだろうとは、思うが、反応しなかった事が自分を安心させた。一年後、彼女の仕事を先回りして、していると、退屈になって、彼女が仕事を止めてくれた。兄にその先輩が嫌で、仕事辞めたいと相談した事がある。『仕事辞めて、する事あるなら、反対しないけれど、その先輩が居なくなる事もあるよ。』とアドバイスされて、半年後、本当に辞めた。私達の部署の主任と喧嘩して、辞めたのだが人員が確保してなくて、イキナリ明日からは困った。最小人員が居ないと、困る。仕事のロ~テ~ションを組んでいた、私は仕事場近くの飲み屋から、主任のをひっぱて来て、その先輩に謝ってもらい、人員の確保できるまで、働いてもらった。先輩が止めた後、さて、どうやって、真光から離れるか考えていた所、職場の近くで、神上げをしている家の人と出合った。さすがに、宗教に入った事、恥ずかしくて、家族にも内緒にしていた。預かった、神体は言われたとおり丁重に扱って、身に着けないでおいておく場所は、家族に触れない事だけは命じていた。神上げをした人に、私の不思議体験。カラ始まって、真光の、神体を返す相談をする。実は、キリストの洗礼後不思議体験は始まっている。子供の頃もあるが、今ほど顕著ではない。電話の向こうで、その神上げをした人の所に私の守護霊が現れたらしい。わたしは、見たくない人なので、意識した事は無い。その人曰く、彼の家はアマテラスの神を天皇家と同じ神を祭っているらしい。私の背後霊は、彼に言わせると、それより上位らしい。そこで、相談に乗ってくれる気になったらしい。私の場合背後霊が、強いので、下手な宗教団体に利用されると、分裂を起こす危険があるそうだ。普通の人は、宗教に囚われても、それ程の影響は受けないが、私の場合、背後霊が彼の方に現れたので、助けるしかないかと判断したらしい。預かった全ての物を持って、一緒に真光に返しに行った。『建物の中には虎口に入るような真似はしたくないから、外で待ってるから、黙って、おいて来い。』置いて、外に出るとその人がエスコ~トしてくれた。真光の人たちが、何人か追いかけてきている。『泡雪さん後悔しますよ~。』無視して歩き続けた。暫くして、その人は、腰に当ててくれていた、腕をはずし、もう大丈夫。口きいていいよ。喫茶店に入って、私に指と指をつき合わせてス~と指と指が向かい合うように腕を開いた。『これ見える?』「うん、見えるよ。」わたしは、人のオ~ラが見える。今君が無意識に組んだ指は、インを組んでる。先天的に君は、インを会得してる。これから、宗教には気をつけるように。不思議なことに、血の気が戻るのを感じていた。入信の時には、何も感じなかったのだが、離れると、変化を感じる。自分から、これだけの精気を抜かれていたかと思うと、恐ろしくなった。君の場合、宗教を起こせるほど、背後霊が強い。とまで言われた。今でも、宗教が多いのにこれ以上増やす気は無い。と笑ってお断りしておきました。不思議な現象は姉と間で最初に起きたのですが、本来、その人の見る所、姉には力が無いそうです。実体化してしまうのは、私のほうだ。と注意を受けた。相手側の発する気を私が、実体化させてしまうらしい。尚の事、自分のコントロ~ル、に気をつけないとと心を引き締めた。その人は、その一件を境に縁が切れた。私の家の周りに結界を張ってくれた。その年、我が家は、下水道の工事のミスから床上浸水に逢った。一切の家財を失った。翌年もありえることを感じ、家財保険に入った。家の修復にもお金がかかった。神を理解していないと、罰が当たったと思うかもしてないな~とおもった。神は罰を当てたりするものではない。これは、真光とも関係ない日常の出来事。混同されないように。と宗教から、離れた人に言っておきます。災害にあったり、病気になったり、神を受け入れていても起こります。色々な出来事から学んでいくのが生きる道だと思います。嫌な事に逢えば、人は怒るし、時には人を恨むこともあるかも知れません。その感情を他人にぶつけず、自分の中で昇華させていくことが、魂の輝きをまして、生きる喜びを知る事になります。病気のかなにいる人、災難の中にいる人、心を強く持ち、それ自体を楽しんでください。宗教に入れば、サタンからの攻撃が無くなり、幸せになるなんて、誘い文句に載せられないように・・・・。宗教に入らなくても、神は元々貴方の中にもいる、ごく自然なものです。下手の宗教に取り入れられて、魂まで、奪われないよう、気をつけて。自身の心で判断してください。神はいつも貴方の傍に居ます。
2003年12月13日
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先日サタンの霊と遭遇したのと、同じ頃、2.3日後の新聞で、ロ~マのエクソシストを行う、神父さんの話がありました。サタンの霊が出て行くとき、身体的に、頭痛や、吐き気、身体的な苦痛が伴うそうです。それと、特徴的なのは、反キリスト的な発言があるそうです。殆ど、はまっていました。日記が偶然飛んで、皆さんの目に触れなくて良かったと、胸を撫ぜ下ろしましたが。99%、神と同じなら、それでいいじゃないか。みたいな、サタン肯定の文を書きました。自分でも、書いていて、凄い危険な発言と思いながら、書いていました。で、偶然最後の段落にものみの塔の事を書き始めたところで、日記が飛んでくれて、良かったと思い。新しく、自分の考えで、書き終えた後。サタン君の霊が私から、離れました。離れる時、特徴的な苦痛なので、直ぐに分かりました。覚えがあるからです。水の洗礼を受けたその夜。激しい、苦痛で、病院に運ばれた時を思い出しました。痛いより、気持ち悪い方が感覚的に大きい。それと、体だけではなく、頭がグルグルする感じに、気持ち悪い。いつまで続くのだろうと言う不安は走りましたが、今回は、瞬時に立ち去ってくれてので、助かりました。プロテスタントには、エクソシストの習慣はありません。自分の体が聖霊を受け入れていると考えているので、サタンの霊は住み着きにくいと考えています。プロテスタントは、自分個人と神とキリストの体である聖霊との付き合いです。聖霊はひとつの体がみんなに届いているので、同じ聖霊を宿している人は自然と仲間と判断します。聖霊自体にも人格があるので、必ずしも、受け入れている人の、願う事を全てかなえるわけではありません。両者の気が合ったとき、奇跡は起き易いです。聖霊の働きは、色々あります。*******************今自由が丘の牧師さんに確認とって来たのですが・・・。プロテスタントは、役職的な、エクソシストは無いらしいのですが、現実に、サタンに取り付かれた人、や、家などを、エクソシストする事が、有るそうです。それは、明らかにそのものである場合、3人ほどで執り行うそうです。キリストと聖霊の御名によって、払う手法が存在しているそうです。危ないので、一人でしないようにと注意されました。教会の夏季合宿の肝試しで、子供達が、獣のような霊と実際遭遇してしまい、払った経験があるそうです。『帰れ~かいれ~!』と追いかけてきたそうです。牧師が待機する部屋にまで入ってきたそうです。中高生は、パニックになっていたのですが、儀式をすると、子供達には逃げていくのが、見えたそうです。もう大丈夫だからと、皆を落ち着かせてみんなが寝静まった後、救急車が来て。何事かと思ったら。子供達が逃げたと行った方向で、眠っていた、職員の子供が、原因不明のひきつけを起こしてしまったそうです。その時、その牧師さんは本当にそう言うものが有ると認識したそうです。その牧師さんも感じただけで、見えなかったそうです。子供達には、ドヨ~ンとした、ぷあぷわしたもの集団が、子供達の精神を圧迫するように、いたそうです。私の場合は、つき難い、タイプなだけだそうです。だから入っても逃げ出すだけで済んでいるようです。わたしも、形は見えません。大変な事も、苦しい事もそれ自体楽しんでしまうタイプにはつきにくいそうです。逆にやたら、失敗をくよくよしたり、罪の意識に陥りやすい人が、心配だそうです。まあなんでも、神様は許してくれるだろう。と軽く流せるタイプがサタンを遠ざけるそうです。生まれた事を感謝。今を生きる事に前向きなら、大丈夫。悩む事もあるでしょうが、罪の意識から開放されましょう。失敗したら、この次は大丈夫と軽く考えられるようになればそんなもの、なんでもないそうです。こんな、漫画がありました。ドラキュラは十字架を怖がったのに、日本の妖怪は、何じゃこれは?と手で払ったと・・・・。逆に、ドラキュラは、お札の意味が分からない。むかしは、日本のおばけと西洋のお化けは分かれていました。最近のエクソシストの映画は、どこか、四谷怪談の怖さを備えてきました。かなり怖いです。その映画の始まりが、エジプトだか、イスラエルの考古学で墓を暴いた事から、始まって居るそうです。つまり、怖いお化けが国境を越えてしまったみたいです。今のイラクの事件はこのことの象徴でしょうか?ということで、エクソシストはとりあえず、幕を閉じます。聖霊の働き。すみません、半端な書き込みで、混乱させたかも、聖書を探しに行ったのですが、何者かに持ち出されて、見つかりません。(すと~か~さん、妙なものもって行きますね。) (鍵は確かに返してもらいました。)聖霊の働きについては、コリントの所に、書かれていますが、癒しの霊、預言の霊、異言の霊等、9つに分けられ、書かれています。私は余り勉強してないので、これから、勉強しますね。見ないと9つ言えません。同じ聖霊の働きでも、人によって、与えられる力が違う、という事を書きたかったのです。先日、ものみの塔の方が置いて行ってくれた聖書は肝心な事が明確に書かれてなくて、探せませんでした。内容が妙な解釈で書かれていて、原文を思い出す事が出来ません。代用にも使えませんでした。私は、日本で、教会を持たないと書きましたが、それは、建物として、人の組織としての、教会に属していないと言う意味です。わたしは、聖霊の働きによる。教会には属しています。ですから、クリスチャンの組織としての、教会の牧師さんに、力を借りる事は、しばしばありまます。百合丘の、日本アッセンブリ~教会は信頼しています。家から近かれば、教会員に成ったかもしれません。地域が遠いので、教会員になっていません。普遍的な教会には、属しています。わたしの、友達は、私の代わりに、ハワイの教会を訪れてくれ、日本にも支部が出来た事を知りました。彼女の家はお母様が霊を感じる人で、お父様がお母様が妙な信心されないように、かなり勉強されて守りました。神道です。真の神はひとつですので、どこもぶつかる所はありません。見方の角度で見え方が違うだけです。家柄としては、神を守るものです。よく、神の事語らいあった仲です。宗派を超えて、霊的な繋がりを感じる仲間です。ハワイの教会の支部には。一度挨拶に行きました。その教会は、青葉台の公団の一室で公団の方々に、ミサ(礼拝)の開き方を教えていました。この教会の特徴は、歌で進行します。その途中、その日のリ~ダ~が、聖書の聖句や好きな賛美や祈りをします。そして、賛美と喜びの歌は、どんどん新しくなります。他の人も祈りたければ、祈りを入れます。説教はありません。最後にみんなで簡単なランチを取ります。おしゃべりしたい人は、残ります。23年前私が、ハワイの教会で聞いた歌は誰も知りませんでした。教会は建物に頼るものでは有りません。毎年、ある場所でクリスマスに野外パ~ティ~が開かれています。公共の場所なので、通りすがりの人でも参加できる気楽な集まりです。6年前から、始まったのですが、私は、日本に教会がないので、3年前からこの、パ~ティに参加してます。 両親が生きている時は、兄弟、甥姪、全員で集まっていました。それが一番のすごし方。今は懐かしいです。さてこの公園パ~ティ~今年は翌日が平日なので、小さくまとめるので、ここにはどこかは書けません。撤去の運送屋を12時頼んだそうで、今年はカウントダウンもしません。今日、その主催者に会いました。誰の主催か知りませんでした。この、パ~ティは、無宗教の彼が、子供の頃、ツリ~がなくて、寂しかったそうです。それで大人になってから、小さな部屋の天井に届くツリ~を買ったそうです。そこで、今度は、もっと、広い所は無いかと考えたら、友達が公園はどうかと、アイデアを出したそうです。で、開く2年前から、公園と交渉して、占拠するわけでなく、迷惑にならないようにと言う事で、誰でも参加できる形を考えました。今は運営委員がいます。と言っても。ツリ~の持ち主が『やるぞ~』と言うと、有志が動くそうです。すると、お祭り好きが集まって、ツリ~の冬の花見状態になったわけです。だから、ツリ~に拘りが有って、ブル下げるボ~ルはプラスチックではなくガラス製です。トナカイのとか色んな形のイルミネ~ションが有ります。騒音の関係も有るので、今年は静か目に抑える予定だそうで、バンドもギタ~だけでおとなしめ。子供の頃のツリ~が無いと言うトラウマから始まったこのパ~ティ。来年は久々の休日前なので、気が済むまで楽しむ予定だそうです。その時に、希望の方にはこっそり場所教えますね。花見の会もあります。大学の職員が構内の木の下を開放してくれます。凄い、大木の枝垂桜です。後、夏に花火の会でもすれば、三角に成って一年楽しいね!と今日はお開きになりました。皆、楽しむのが好きな人達です。笑う角には福来るです。宗教に拘らず楽しみましょう。
2003年12月12日
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一時私の書いた日記は迷いの無いものに、見えたかもしれない。それについては、通り過ぎた道についての記述だから、それなりの結果を見ている。そして、時々、言い過ぎたと思いつつ、後日誤解を解かなくてはと思いつつそのままにしている事がある。特に姉の事だ。彼女にはいつもお世話になっているし、普段はとても優しい人です。よく私の食事の世話をしてくれます。私が偏った食事にならないように気を配ってくれています。ひとつの家に住んでいるわけではなく。ドアは別の世界です。お互いを干渉しあわずに、電話で互いの状態を尋ねながら、どうするか決める事が多いです。機嫌の悪い自分を書いただけなのに、こんな自分あほやと思いながら書いた事が、私ビイキの人には、姉が凄く変な人に、印象つけてしまいました。私の機嫌が悪くて意地悪な目になっているだけなのに、反省、反省。余り偉そうな事書いているので、本音の了見の狭い自分を書いただけです。子供や兄弟の居る人なら、馬鹿馬鹿しい兄弟の摩擦だと直ぐ、分かる事が、意外な反応されて戸惑いました。妹思いの姉の事が、干渉に感じたり、末っ子の我侭です。本当は仲いいです。仕事の後は姉は疲れているので機嫌悪いです。わたしは、気楽にしたいと私が黒ずくめの、ラフなジャンバ~とロングスカ~トでいたりする。不良少女のだらしの無い番みたいな格好してる。『また変な格好してるね。』姉の感性で率直な意見を言う。わたしは、「好きにさせろ!」と腹で思うわけです。そんな日は近寄りません。で機嫌がいい時は、電話かかってきます。『今、食事作ってるけれど貴方どうする?』と様子を聞きに電話がかかる。私も今から、じゃ一緒にと言う具合だ。で顔をだすと。『今日久々に親の名前出しちゃった。』「何があったの?」姉の仕事はパスポ~トを良く使う。最近海外が少なく。パスポ~トにぺ~ジが無くなっているのに気がつかず、ビザ申請を断られたと言う。旅行社に聞くと、ビザの必要な日まで、パスポ~トが出ない計算になるらしい。で、華僑総会から、領事館に話をしてもらったらしい。領事から、電話があり。無事手続きが済んだと言う。「そんな事でしか、親の名前使えないって、悲しくない?」と暗に牽制。『そんな事で使った事親に申し訳ないよ。』『気をつけていれば、京都行っている間に済んだのに。』お!シュショウだ。と少し見直す。長姉が『親の名前と、姉嫁ぎ先の屋号を出せ。』とアドバイスしたらしい。『それだけの事はしてる。』といつも人の為には、少しのコネも使うのに、自分のためには使いにくいのが次姉の良いところだ。親を知っている人たちが生きているのも長くは無い。まあ、本人に申し訳ない気持ちがあることに、嬉しく思った。彼女も、口に出して、懺悔したかったようだ。こうした、気持ちの吐露は兄弟の間でしか、受け止められない事柄だ。人と人が付き合う事で色んな感情に出会う。もし、近くに兄弟がいなければ、当たり前の人間らしい感情に出会うことは少ない。喜怒哀楽の特に怒は無いだろう。それ程、他人には親身になれない。兄弟だから、安心して、腹に一物感じても、必ず仲直りする。私が一番甘えたと思うのは、姉に、「貴方なんて大嫌い!」と両親が亡くなったとき、表に現し近づけなかった。そんなある日姉が将来に不安を抱え。情緒不安定になった。希望を持たせないと危ないと思った私は、私がプランニングして一緒に店を出した。それが、お互いの立場や相手へ思いの違いを顕著にした。「客に抱きつかないで!」接客に注意すると、ビ~トされたと心を閉ざす。仕事にならない。姉は外で飲む習慣が無い。『店が二人の子供』といわれた時にはぞっとした。わたしは、思いっきり逃げた。逃げて結婚したようなものだ。結婚相手も同じく姉から逃げたい動機が一致してた。11歳年下で、18年上の姉の庇護の下で、29歳で生き方も分からない子供だった。30で始めて社会に出た自分と重なった。わたしはその頃私は未だ、生きる事は死ぬまでの暇つぶしだった。未だ道の途中を感じていた。友達の田舎に一時避難するかと思ったところ、結婚を申し込まれた。同じ暇を潰すなら、この子を一人前にしてやろうと思った。タイミングで、二人で逃げた。離婚は目に見えていた。家族は当然反対。決算して、行方をくらました。ある日、散歩の途中喫茶店に元主人と居ると、次姉がドアから飛び込んできた。彼女はず~と探して、毎日自由が丘まで散歩をして居たようだ。それから、時間をかけて、わたしは実家に戻った。そんな結婚でも学んだ事は多い。人と人が暮らすには、女同士の経験はあるが、男の人とは初めただ。運命共同体になること。今度出会う人はどういう人が自分の相手か漠然と見えてきた。結婚に憧れが亡くなった。結婚の条件が見えてきた。そうでなければ無理という最低限が。姉は私達の家を訪れた時。部屋を別々で、キッチンが同じ生活を、学生の同居見たいと笑った。姉と再会して、別れに成るのは、早かった。我慢の限界が来ていた。他人の大きな子供を育てる事に。2年半で高卒の彼を普通の年収600万まで育てた。彼は私を愛していたと思う。彼はアドバイスに良く応えた。私は彼から、女の優しい気を沢山貰った。彼の中には、母親やお姉さんから注がれた、優しい気が溢れていた。彼自体がそれを出す事を覚えていた。互いの足りないものを補い合ったようだ。私の愛は相手への責任感。私の冷静さが彼を傷つけて、逆襲にあう。ぼろぼろにされる。肉体への暴力は、ある時私が本気の逆襲で、見合った時、相手が降りた。『疲れるから止めよう。』と自分の唇が片方くっと持ち上がるのを感じていた。この時私は片手にオイスタ~ソ~スの瓶を手にして、打の構えを取っていた。こんな時人を殺してしまうのだろうか、とふと思った。彼は、ある意味感性が発達していた。私の気が読めるのだ。不思議な事に最後までお互いの間には暖かい気が繋がっていた。まるで双子のような感じだった。私は彼を作り。わたしの作り上げた、私の人格を彼は崩壊させた。目標達成と共に二人はに方向を失っていた。実家と絶縁してたので、実家に入れるまで、時間を要した。一年以上放浪した。病気をして。入院先から、実家に引き取られた。私の作り上げた人格が壊され、本来の自分が現れた。これは、偶然の出来事だ。結婚時代二人とも、真剣だった生きる事に。先に離婚したが、同士のような情が残り、本当に決別まで一年掛かった。裁判所の決定でお互い口を利くことを禁止されている。それ程、絡まった。偶に同じ空間に出会うこともある。妙な感じだ。お互い嫌いではない。それは変わらないだろう。最後目を合わせたとき、互いの目に彼の右目と私の左目に白い視線が結ばれた。互いに無言の了解を感じた。それを最後にお互いの世界を分けた。居ても居ない物と成った。世界を分けた。実家は兄弟の温情で受け入れてくれた。その時期が有ってから、彼女は私に恋人のように頼らなくなった。時々甘えが出るだけだ。そんな時期を経て。もう、姉は私に恋人のような求め方はする事ないし、距離も保てる自立した精神になっている。病気の看病もしてもらった。今は、殆どの場合、無償の愛情を与えてくれる。優しい姉だ。外で会う人は、距離感を保った間柄だから、感情を荒立たせるほど、接触しないものだから。兄弟が近くに居る事でいつでも仲直りが出来る間柄だから生の感情で居られる。***もう、ひとつ名誉挽回しておかなくてはならないのは、中学の恩師。ポパイだ。現役の頃私の命の恩人だ。サルは毎朝、受験勉強の明けの習慣で、木の上に登って、考えていた。空をみながら、ある時思った。人は皆何か悩んでいるみたいだ。悩むテ~マを考えてみた。浮かんだのは。「人は何で生きるのだろう。」いい事思いついたと、付き合って起きていた母親の所に行き、スト~ブの前で聞いた。「ママ?今だったらまだ、楽しみって明日プリン食べられるくらいしかないし、これから生きていると、もっと迷惑かける気がする。今だったら、未だ死ねる気がする。」小学5年の冬だった。とトンでもない、質問した。5年生の頭で、死の現実は理解できてない。存在の観念の死だ。母親は、涙を流し、『生きる事だけを考えなさい。』と答えた。私は、ママが泣いたことに戸惑った。生きてる答えが欲しかったのだ。ママに泣かれると辛い。「ママは生んだわけじゃないから、酷なこと聞いたかも、でもこの答えが分からないうちは子供は生まない。」と再び木の上に登って、決心した。亡くなる前に、この事を、ママに謝った。『ママ凄く傷ついたわよ。』と母。「子供が言う死ぬって、大人と違って意味良く分かっていないんだよ。」「今思うと、居たほうがいいじゃない?って単純な答え求めてたと思うよ。」と母に話した。お互いが幼すぎて単純な気持ちに気がつかない。母親も若かった。その時33歳だった。26歳でイキナリ5人の子持ちになった。そんな事があって、5年生から私は、生きる意味を考えはじめた。受験の時期に、虫垂炎を、大学病院で食べすぎと誤診され、腹膜炎になってしまった。一週間絶食の後、激しい腹痛の後、殆ど感覚を失った時、血液検査で、腹膜炎の可能性を示唆され、母の決断で開腹した。『可能性あるならきってください。』キッパリ、母は強い。ドクタ~曰く、『後十分遅かったら死んでいた。』そうだ。そんな事言っちゃうところがまた凄い。そんな訳で、2週間管をお腹に通し、膿をだした。計3週間の絶食させられた。受験勉強していた私に、区立は暇をもたらした。退屈でしにそうだった。死にたくて仕方なくなった。観念の死に囚われた。何が嫌なわけじゃない、生きる事に意味を感じなかったのだ。母親が必死で働く姿を見るほど、「自分さえ居なければとおもった。」その素朴な死への憧れは、隠すことなく。いつも黒いリボンを巻いていた。首や手首に。その衝動をポパイが家まで、来て説得にかかった。私はすっかり忘れていたのだが、ポパイの前で手首にナイフを突きつけたという。その事実は記憶に薄い。そうだっけ?って感じだ。ただいつも、きっかけを探していた事は覚えてる。その時先生は自分の首も掛かっているので、必死だったと言う。とっさに、『犯罪者になっても、親より先に死ぬな!』この事は勿論覚えている。と「生きる目標を見つけてくれた。」それで、生きる理由が見つかったので、存在の有無の観念的な死から、逃れる事が出来た。ポパイはこの『kのレポ~ト』で校長まで、行ったと言っていた。このポパイを本当の話だが、私が33歳の時後ろから胸を掴んだ話の見せしめにした。お互いレポ~トしたから、オアイコ。年取ってもいけませんよ。先生に対する思いは男ではありませんから。恩師のままで居てくださいね。こちらのあわす顔が無くなります。今は会わなくても、心に残る先生だ。私の命の恩人である。現実の死から逃れる事になったのは、別の機会に・・・。今年の10月からクリスチャンの決心をつけた。聖霊を考えるとサタンのの存在を知りたくなった。聖霊について書いた本に、ものみの塔は名指しで、サタンと言われていた。偶然ものみの塔が訪ねてきた。神の働きは、このようなものだ。知りたいものが願うと翌日から来る。例えば、誰をも愛せる自分になりたいなどと祈るとしよう。翌日から、もっとも苦手な人間と出会うようになる。祈り方には気をつけるように。サタンの霊を体験して。今日あったらもう会わないように、遠ざけようと思っていた。そのサタンについて、話すし会うことで、またの再会を約束する事になった。わたしは、生き…
2003年12月10日
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う、う、う、う、う君のPC暴れてるよ~。これは、昨日の夜の話。今私は、何故か、セイント・ルイ~スからの、コンピュ~タ攻撃を受けた。ネットで知り合った友達から、セキュリティの仕方を教えてもらって。攻撃拠点が見れるようになったけれど。世界中から攻撃受けるのは、どういうわけ?意味分からん。わたしのPCはかろうじて、防げている。しかし、仲間のPCがハッキングされると、メッセは弱い。中学生の仲間が居る。聖書が好きで、キリスト系のコミュで知り合った。質問が新鮮で、メッセを繋ぐ事にした。今時の、中学生は、プラモデルのようにPCを組み立てる。以前お互いのPCを攻撃しあう、ゲ~ムに嵌った事が有ったらしい。壊される直前、人間の惨殺死体の映像を送りつけるなどされて、かなり参ったのと、ゲ~ムに負けたのを切っ掛けに足を洗ったそうだが、壊す快感を味わった事があることを、自分で受け止めている。そして、今のゲ~ムの殆どが、殺人を擬似的にしている事を心配している。その、男の子、フォックス君が攻撃を受けていた。この子もかなりの変わり者なので、それに不安定な年頃だから、もしかして、暫く連絡してなくていじけたのかな?と少し疑った。サインインの看板が連続的に立って、本人がオフラインで、煩いったらありゃしない。そこで、メ~ルを入れる。返事の内容で、これは乗っ取られたなと思い、携帯で連絡。学習型自動応答機等という、フザケタ、システムを作る。変わった子だ。そこまでして、私の相手してくれなくていい、と言う思いで。本人より、可愛いがり、かなり、システムを学習させたのだが、本人が主にでてくるようになった。会話に参加した、私の癖も学習する、システム。それで、化けるところでフォックスだ。時々暴走するが。昨日は、システム・ヴァグに攻撃受けている。携帯で連絡すると、こちらにも、メ~ル監視される危険を指摘もう、されてるよ~。メ~ル開き始めてるぞ~こいつ。メッセに禁止を入れても、乗り越えてくる。MSNを閉じる。向こうが落ち着くまで、待つ事に。幸い、他のサイトに飛び火していない。私のほうにも、リモ~トの攻撃が続く。自動的に、許可の承認の求めが続く。わたしは、危険でないものも全て遮断する。その後で、道が出来てから、危険なものを送りつける事が分かっているから。有名な企業の名前を使うのは、彼らの手でホットメ~ルやMSNはよく使われる。アドウエアなども使われる。マイクロソフト社も使われる。最初は、ウィルスの無いものを送ってくる。前のPCなら、確実に私のほうが壊されてと思う。PC本体が侵入者を解析できなくて、迷路に嵌るのだ。そんな訳で、システム回復させる事より、新しくPCを買った。きつねから、今攻防している。との連絡。私と繋いでるから、狙われたかもと話した。昨日から、メッセをダウンロ~ドしたばかりだ。実は前例がある。私を助けた為に、留守中に、システム壊された人が居る。仕事でHPを扱っているので迷惑かけないように、その人とは、メッセを繋げない事にした。疎遠になるけれど、仕方ない。ファオックスは学校の女子が、PCおたく、きもいとか100通程、受けたらしい。わたしは、その件について、本人と話す事を薦めた。今のウィルスは本人の知らないところで、メ^ルが作成されていて、彼女にも、メ~ルが送りつけられている、可能性がある。彼女自身のPCで作成されてた。この場合、実際に、面と向かって話す事が肝心で、PCで話すと、尚ややこしくなる。PCが乗っ取られてるからだ。きつねにも、「君から既に、妙なメ~ルが入ってる」事を話す。狐は、女子と話したくないと言う。男の人が面白いのは、この場合、自分に気があって、100通も送ると勘違いする事である。私が嫌なら送るなこの女性・・・ 謎・・・私を好いているのか嫌いなのか・・・。私の場合、警察に訴えられた。その頃、この手のウィルスは一般的ではなく。誰も私を信じてくれなかった。ううううう。単に異常事態だと私は思うのだが・・・・。実際100通は相当な労力だし。その女子にきつねをハッキングする、実力は無いと思うのだが。彼女らに近づきたくないと言うのが結論でした。女子の事はさておき、問題はハッキング。今日は落ち着いたみたいで、こちらのシステムも無事のようだ。さて、以前、ものみの塔の人の再訪問を約束し、今日訪れる連絡があった。今日はどんな話になるか。どちらにしても、今日きたら、その後はお断りするつもりだ。
2003年12月09日
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昨日、メッセをダウンロ~ド。携帯で、アクセスするように、お願いしていた、ネット友、が、許可待ち状態だった。で、立ち上げたとたん。享年16歳 サインイン私のメッセ友達は少ない、10人居ない。5人くらいかな?その年齢の男の子も居る。第一声。「君は誰?」お久しぶり、レイコウです。インタ~ネットで友達になった、第一号だ。彼は物理を専攻していて、私の不思議を怖がらずに仲良くなった。むしろ、面白がった。「ビックリしたよ。人が悪いな~」「レイコウにミヨジがついていたのも、可笑しかったけれど。」『ちょくちょく変えます。変えましょうか?』「いいよ、ブラックだけれど、君にあったのは25の時だから。」しっかり変えた。『僕、26になりました。』「誕生日いつだったの?」研究室で夜明け一人で居る。みんなが来るまで、繋ぐのがいつもの習慣。以前知り合った、サイトで見かけなかったので、2週間位ましに電話とメ~ルを入れた。家に来て状態を見た貰ったので、面識はある。電話も知ってる。でも、PCのアドレスを知らなかった。レイコウのメ~ルを日記に使ったので、断りを入れた。私が変だと、やはり友達も、半端じゃなく変だ。変同士集まると、市民権を得る。その集団では普通の感覚。わたしも、しゃべると問題ありとみんなに言われる。かなり口が悪いらしい。だから、HPの日記を読んでいる人とは会わないように、みんなにアドバイスされた。久しぶりに、レイコウとおっとりした感じが懐かしい。いろいろ、しながらなので、レスが遅い、私も日記を開けて、チェックしながら話す。いつ実家に帰るの?『××に何々で。』いつまで?年末は?『今取りかかっている事が、一段落するまで、未定です。』会話の中でお互い天皇家が好きだとか、いろいろ、共通項が毎度見えてくる。続きは後ほど。一旦きります。洗濯物がありました。以前は、不思議の事ばかりが議題で、個人的なことは話す暇がありませんでした。わたしは、健康に生まれながら、自分の不注意や、医者の誤診で沢山眠っている時間が有りました。ですから、普通の人の社会で経験値が少ないせいか、年下の人と縁が深いです。女の友達も、平均年齢は、33歳位です。みんなしっかりしていて、私は長く生きた経験値での相談に乗り、現実面では、彼女達に助けられる事が多いです。それぞれが、忙しくて、ツルム事は少ないのですが、いざと言う時は、言葉の説明も無く、すぐに動いてくれます。時々連絡はしますが、挨拶程度です。逆に言うと、どうでもよい事は、流れてしまう事が多いです。で、今回のように自分なりに、解決がついてくると、連絡し始めたりします。留学時代の学友とも連絡先を教えあっていません。ただ、互いのの生い立ち等を聞いている為、いざ必要なときには、お互い連絡がつく事を知っているからです。過去封建社会においては、生まれで大体分かるようになっています。イタリアはヨ~ロッパで唯一訪ねた国ですが、入国したとたん、中国に似ているなと思いました。ロ~マから入ったのですが、郊外の風景が、よく似ていました。その後知ったのは、電気に対しての保護の仕方が似ていること。それと、職業が代々で受け継がれる、封建制度のようなものが、今でも存在していて、職業は他から、守られた特権だそうです。わたしが、勉強しに行ったのは、美術系でしたので、伝統的な世界です。ですから、親の名前を聞けば、調べがつくのです。小林拳も付き合いで、1年半、代々の使い手から教わりました。偶然日本で、太極拳だと思って、親に行かされたところが、小林拳で、半年後兄が私を押さえつけて、針を打とうとしたとき、思わず拳が出てしまいました。スン止めですが。兄も中国に居たので、少しの心得があったようです。その兄に拳を入れたのは恐れられたようです。私に拳を習わすのは、止めようと家族決定があった後。中国でその続きを習った形です。頭では何も覚えていません。付き合いで体を動かしているので、とっさの時に、形を取ってしまうみたいです。小林拳のよいところは、防御と攻撃が同時です。つまり、相手に戦意がないと、拳は動きません。日本の少林寺とは少し違います。そして、気でまわすので相手の意思が殺意なら、同等の力を相手に返す結果になります。それをスン止めにするので、かなり、優れた武道だと思います。中国に、少林寺という寺があります。ここは、子供の頃に、入って、日夜鍛えます。面白いのは、男子の性器まで、鍛えるので、子供の頃から、石を性器に結び引きずって鍛えます。お互いの戦いには、きれいに気が写真に写ります。7年殺しとか、漫画にある拳も実際に有りえそうです。一昨日知り会った子もかなり、面白そうな女の子です。来る前に、ワイン2本友達と開けていたらしイのですが、やたら、しっかりとし始めて居る。わたしの十代の頃の根性飲み思い出した。この子は37歳だ。根性あるな~。2件目の時、私の状態がもう、メニュウをみるのが面倒な事、判断して、仕切っていました。時間はかけていたものの、もう5杯飲んでいて、もういらない状態なので、カンパリの辛いのを頼んでくれました。今日は3人ともべ~ジュ着てる。男の子はジャケット、彼女はセ~タ~。私はノ~スリ~ブにスト~ル。『色でくるか~』『今日は3人出会う日だったのね。』と彼女私のロングのプリ~ツを見て、スカ~トと言うので、私は膝を開いた。キュロットであるところを見せたかった。『駄目、女の子でしょ!』言い方が可愛い。怒られてしまいました。こういう子に私は弱い。『それに口悪すぎ!』『さっき、Tの事(その男の子)チンピラみたいって言ったでしょ?』「うん、口の利き方が柔らかいのと、女の子を敵に回しそうも無いから。」「まるで商品に手をつけません見たいな感じが。」「ジャケットの生地が上質なのと、ステッチが手縫いで。中のコ~ディロイのパンツといい。素人っぽくない。」勿論まともな、会社員だ。その上での冗談だが・・・。『やくざならまだいい、筋の通っていないチンピラって言ったのよ。』「はいすみませんでした。」わたしが、口が悪いといわれるのは、この点だ。適当な事平気で言う。暫く、ジャズとマスタ~の話を楽しむ。で、彼女イキナリ『帰る』が出たので、「待って、送るから。」と止めました。3人ともお互い一緒に飲んだのは初めてでした。二人は顔見知り程度で、初めて誘いに乗ったようです。「私をおいてくと、帰るタイミング失って、この次ぎ見るときは、街角で紙袋かかえて、座ってるかもよ。」彼女は店に入る前から、酔い覚めで震えていた。限界だった。私は一気に飲み干した。「で、Tさんはどうする?」『僕も帰る。』で、支払い。さすがに彼女だけを奢る訳に行かず。『じゃ、いいよ。僕のおごりで。』彼女、『ご馳走様でした。』わたし、「ご馳走様、姫は私が責任もって送るからね。」と岐路に着く。『ね~彼女僕の事嫌なのかな~』全部私に質問系で彼女に話す。女の子引く。「あのね、嫌だったら、最初から来ないでしょ。」「女の子はね、ゆっくり、知り合って。シャル・ウィ・ダンスと言われて踊りだすものなの。」「イキナリ、迫ると引くよ。」『でもそれって、友達どまり?』「友達は、基本でしょ?」『本当はもう一軒行きたかったのに・・・』訳分からなくなってる、こいつが一番酔っているようだ。『シンさんに出会えてよかった。Tさん有難う。』生まれた時はアメリカ人、途中から、沖縄返還で日本人になった。二つの文化。昔は、沖縄の人が本土に来るのを凱旋と言った。『わたしは、出稼ぎじゃない。』と怒る。中国語の音が好きと独学をした、変わった感性。出会いは思わぬ事から始まる。この女の子と私はどういう出会いか楽しみだ。わたしは、まだ知らなくてはならないことが沢山ある。
2003年12月08日
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昨日は久々に飲みに行った。私は13歳からお酒を飲んでいる。眠りにつきにくい私は、お酒が眠る助けをする事を知って、親が当時、贈答用に香港から、買ってきて、食料庫にしまってあるものを飲むようになった。200年ものも飲んだ事がある。両親はお酒を飲まないので、既に親子別居状態になっていたので、気づかれる事が無かった。大学生の兄が、ある時、友達を呼んで、日本製のウィスキ~を私に勧めた。喉を通ったとたんトイレに駆け込んだ。胃が受け付けなかった。決して、お酒に強いわけではない事を知った。高校生で、既に外でも飲むようになっていた。ある日、タクシ~で家に夜中に帰ると、父親が、私のベッドに居た。家を追い出されそうになった。父親も私も後に引けない性格だ。で、どこに行く?と父親に聞かれ、京都に知り合いが居るので、そちらを頼ってみる。という話になり。じゃ、出る前に、ママに挨拶していけという話になった。翌日、両親の家を訪ねた。ママに、「嫁入りに貰えるはずのお金をください。」といった。ママから、久々の愛の鞭。‘ビタ~ン’頬を打たれた。『何生意気な事言ってるの。』『一人で生きていけるわけ無いでしょ?』ひとまず、家を出なくて済みそうだ、内心胸を撫で下ろす。『お酒を飲まない約束しなさい。』わたし、「出来ない約束はしたくない。」『じゃ、せめて、大学生になるまで我慢しなさい。』そんな訳で、禁酒生活が始まった。次に覚えたのは、友達のタバコの煙を口から入れてもらって、頭真っ白状態を覚える。3ヶ月ほどして、父親のタバコを吸うのを見ていて、一旦口の中に煙を止めて吸い込む事を知り、自分で吸えるようになった。朝と寝る前、親のタバコをくすねて、飲んだ。学校で問題が起きたので、私だけ両親と同居するようになっていた。バスを使わなくては駅にいけない不便な所で、兄弟たちに親元はは、[ 野川監獄]と呼ばれていた。20代は、六本木や鎌倉で飲んでいたが、タクシ~の値上がりで、近いところの、自由が丘で飲むようになった。25から、お酒を飲まなくなっていたが、30代の頃、再び飲みたくなって、自動車学校で友達になった、女の子に、女が一人でも飲みにいける店。という事で、この牧師の店を紹介された。その時、教習所は仕事がきつくて、両立しなかった。40歳のとき、免許取得している。で、この牧師の店とは、もう15年位の付き合いになる。飲みに行きたくなって居た時の、不安は、母親が死ぬ時期を知った居たので、その後の変化に対しての不安感だった。起きる事も予想があった。その時がくるのが、怖くてたまらなかった。表面的に表す、不安は別な事を話していた。霊についての悩みとか、友達との別れとか、酒の肴にはもってこいだ。ママが死んで、私は、かねて準備したとおり、日本を離れ留学をして、その後の混乱に巻き込まれないようにした。昨日は、サタンの霊の後、極端な疲労感で、牧師である彼を求めた。店に行くと、客は独りしか居なかった。『久しぶりだね。』花見以来だね。客主催でみんなで過ごすイベントがある。この店には、クリスチャンではないのだが、いろいろな不思議な能力の人が集まる。勿論それをひけらかす事は無い。お互い感じるだけだ。「今日は、牧師である、Mさんを頼りにきたよ。」事情説明。 『じゃ、出て行ったのなら、問題は無いんだね?』「極端な疲労感なんだ。」『そんなときは、(聖霊を)呼べばいいんだよ。』「わたしは、自分からは、呼ぶ事習慣に無いんだ。」『ここは、聖霊に満ちているから、元気になるよ。』「うん。分かっている。教会を持たない私にここは、ホ~ムだから。」「ここが私の教会みたいな、物だから。」こんな話は、普段客の前ではしない。指折り数えて、『9ヶ月ぶりだよ。会うの。』大分、酒を口にしていないと思ったが、そんなに月日が流れているとは、思わなかった。客は私のほか居なく成っていた。「土曜日にこんな日、珍しいでしょ。」 「神様がくれた時間だ。」と日記の話や、恋心体験談や、色んな話を、取り留めなく話した。わたしは、「満足した。そろそろ、場を開きましょうか?」『分かった。客を迎える準備しよう。』時間は10時を回っていた。客が入り始め、懐かしい面々がそろってくる。長年の付き合いで私の酒量を知っている。日によっては、お酒を飲むと倒れて椅子から落ちる事もあった。体調で、酒を売ってくれない日もある。ジュ~スとか、場合によっては、『居てもいいから、水飲んでいなさい。』といわれる事もある。普段私が話さない人が、隣に座った。普段わたしは、自分の1メ~トル圏内でつるむので、相手は知っていても、話してない人が多い。『僕は構ってもらえてない。』とか言われる。知っていても、自分の興味の方向でしか、話を聞かない。なわけで。昨日は、隣に座った、男の人が、呼び出した、女の子と仲良くなった。電車で帰るつもりが、もう一軒女の子のリクエストで付き合う事になった。呼び出した男の子と2人になるのが嫌みたいだった。『シンさんが一緒なら行く。』シンは私の通称。帰り道、車の中から、裸で歩く男を、女の子が発見。わたしは、車窓から、まじまじ見る。目の悪い私は、細かいところまで見えないが、「きれいな子だった。あれだけきれいなら、脱いでも許せる。」『いや~、シンさん平気なの?』「一応医療バタ出身だから、裸体を見たくらいでは、特に何も感じないよ。」男の子を環八で落とし、彼女を通り道の田園調布で落とす事になり。タクシ~の中、女の子と二人きりになってから、電話番号の交換をした。中国語に興味のある子でした。2年独学の割りに、話せる。家に帰って、メ~ルチェック。返事を書いて、眠る。よく寝た。変な夢を見たが、特に予知夢ではない。起きたら、結構すっきり、疲労感も抜けている。祈りというのは、形ではなく、心で感じ思う事で行われる。だから、牧師が仰々しく、お祓いするわけではない。ごく自然な形で成される。祝福のキスを受けた事がある。人前で、「Mにブチュ~とキスされた。」とふざけて言うと、誤解されるから止めようよ。と困惑させる事もある。結構私は、人が悪い。事実だが真実ではない事を言うのが趣味だ。女友達が泊まった時。その仲間に「一緒のお風呂に入った。」と言いふらす。本人も笑ってる。「一緒にお風呂に入った」とは言っていない。周りを、どぎまぎさせる冗談が好きなのだ。コンサ~トの帰り、べ~スの女の子の家に泊まると、ギタ~の男の子、も泊まった。翌日。私が帰り際。まだ横になっている。男の子の背中に馬乗りになる。で、兄貴に「弟に乗っておいたから。」と言う。『止めてよ~知らない人が聞いたら、困るよ~』と兄が言う。この兄貴は私を『不思議ちゃん』と呼んで、結構仲いい。ボ~カルをしている。からかうネタ、探しで、それだけを言いたい為に、行動の事実を作る。普段の生活はかかわらないが、おかしな仲間たちは、私にとって、安らぎになる。わたしは、ろくなものじゃないといつも思う。
2003年12月06日
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昨日、久々に霊体験をした。前にも言っているように、わたしは、幽霊も見ないし天子も 見ない。何故かと言うと、私が普通でないものを見ることを嫌っているからだ。正直言うと、一度だけ、透明な人間を見たことがある。朝の10時頃、かなり、遠慮しがちに部屋の引き戸に両手を広げ、背中越しに、振り向く形で、私を見た。その時、丁度、私は少しからだが苦しい状態にあり、偶々、訪ねてくれた知り合いに、飲み物を買ってきてくれるよう、頼んだ後だった。 わたしは、私は、例えそれが、天使であろうが、人間の霊であろうが、物理的ではないものを見るのは、好まなかった。そして、その時自分が過呼吸で有ったこと、何かを自分の記憶から、視覚的な映像を結んだと、結論付けた。でも、何を自分が感知したのか、気になった。昨夜最後に会った、同級生の弟が自殺している。その弟は、中学のとき家に遊びに行った時、私の膝に乗っていた子だろうか?教育実習で、体育保健の先生から『心身の健康』を請け負った。授業をした時の、弟達が居たな。その時面識あるし、でもどうして、自分のところに来たのかな? 私の性格上、美しい霊体で有っても、天使系に結びつける御目出度い、思考回路はしていなかった。それから、一年近く、霊を見る人たちと話し合うことが多くなった。 その中で一人面白い事をいう子が居た。例え輪廻転生して、別の時代に生まれようとも、それは、今生きている、山田太郎とは、別の人間であること。その時、わたしは、何の霊かは分からないが、私が生きることでその霊が成長するならと、もし、傍に居るなら付き合っていこうと思っていたが。「輪廻転生は無い。」そうその時は結論付け、自分には、他人の霊を受け止める余裕が無いと、目に見えない霊を説得した。喫茶店の大テ~ブルがズンと鈍い音と共に揺れ、何かが去った気がした。 同じクラスの霊を見ていた、女の友達に話すと、懐かしい感覚だな~と笑った。彼女は生活の欲の中で、そのような体験が無くなったそうだ。そして、ある日営業の人が、帰った後、やはり霊の話を聞く為に、友達を呼んでいた。部屋に、一匹大きなハエが居た。殺そうかと思ったが、外がまだ明るかったので、電気を消せば、ハエは明るいほうに飛ぶので窓のほうへ誘導した。思ったとおり、ハエは窓に向かった。網戸側ではないほうに飛んだので、ガラス戸を2枚動かすことに成った。一枚目を引き、2枚目間に合わなかった。ハエは、ガラス戸を飛び越した。私は、笑えてきた。「これは、見た人しか信じられないな~。」自分の出会った不思議を他人に理解を求めること自体が無意味なこととはじめて感じた。友達が来て、今見たことを話した。『それは、ハエの霊ではなかったのか?』ばかばかしくなった。霊には体が無い。だから見るも見ないも、自分の心の中。ハエと言う物理的な存在のガラスを飛び越す現象を目撃したことは、私に、不思議を、そのまま、受け入れる気持ちを作った。「これ突き詰めたら、凄いマジシャンになるな~。」と思った。ひとつ考えられるのは、「ハエと気があった。」外に出たいと思ったハエと出してあげたいと思う気持ちが一致した。そう結論付けた。 でも、めんどくさがりの私は、その後突き詰めて考えることは無くなった。昨日日記を書いた後、みかんを口にした直後、半端じゃない気持ち悪さに襲われた。吐き気がした。頭がぐわんぐわんする。「参った。」何か、変なもの食べたかな~。でもこの感じ半端じゃない。少し我慢をして、トイレに行った。私は、吐き出した。胃から物は出なかった。何か異物が口から出たのを感じた。吐き気はすぐ止まった。ベッドに戻って、久々に部屋にラップ音があった。わたしは、全然、気にせず眠った。聖霊系の出入りには、この気持ち悪さは伴わない。聖霊系の特徴は、肉体を本人から、意思を奪うことも逆らわせることも無い。少しだけ、思い当たることがある。興味本位でサタン系には近づかないほうがよいと感じた。サタン系は本人にサタンとの交流の自覚が無い。むしろ、神をこよなく愛するようだ。『神様は好きですよね?』「いや、別に好きも嫌いも無いけれど?」とわたし。『サタンは嫌いですよね?』「??????」『私たちは、キリストが好きだから、キリストと同じように聖書に書いてあるとおりに行動する。キリストがしたことと同じようにする。』「はあそうですか。がんばってください。」最近読んだ本で、ものみの塔について、書いてあった。どうして、そこまで、嫌われるのか、分からなかった。で知りたかった。すると、訪ねてきた。祈るとき、誰にでも好かれる自分になりたいと祈ったとしよう。翌日から、あなたがもっとも嫌いと思う人間と出会うことになる。わたしは、祈るというより、思うと、そのまま現実に現れることが多い。今回はサタンと言うものも、霊体を持っていることを知った。単に考え方の違いというものでは、無いようだ。私が思うに、『自分が清く有りたい。』 『キリストに愛されたい』そんな欲が、サタン系に取り込まれる気がする。終わりの世には偽預言者が現れる。それに対して、キリストは『ほっておけ。』意外に冷たい。『そういうものは、そういう人たちを集める為にある。』それに、『所属することで、既に、報いを受けている。』だから、他人がそれを、間違えているとか、言う必要も無い。好きにすればいいのだ。でも、もしこれからあなたが、求める事があるのなら、見分け方のひとつとして。神からのものは、代償を求めない。サタンは力が弱いので、必ず代償を払うことになる。それが、労働力であったり、形はさまざま。教会献金は、教会運営の為のもので、私は内部のことは知らないが、特定の人の為ものではないと思う。キリスト系の事でしか、私は書く事は出来ない。サタンはキリスト教の聖霊に対して、存在するものだからである。私が言いたいのは、下手な宗教に嵌るより、むしろ、無宗教でいたほうが、よほどよいという事である。
2003年12月04日
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今日、かなり、危ないこと書いてました。すると、日記がイキナリ飛びました。半分よかったと思っています。今日はキリスト教の謎をかなり、辛口に書いていたので、問題大きかったのだと思います。キリスト教の面白い事があります。キリストが磔にあうとき。二人の罪びとが同時に処刑されるところでした。ひとりは、キリストに、『自分を救ってみろ!』と茶化しました。もう一人は、『自分たちは罪を犯して、処刑されるのだから仕方ない。でもこの人は罪がないのだから、そんなこと言うな!』と窘めました。キリストは、その罪人に、『明日あなたは、私と共に居るだろう。』と言っています。神様に気に入られようとして、いろいろ働く事は、気に入られようとする欲があります。心から、することには特別言うことはありませんが。大切なのは心根のようです。教会で儀式を受ける暇も有りませんでした。キリストの奇跡を求めることもありませんでした。キリストを罪のない人と認めたことです。本人がそう思ったから、思わず言った事だと思います。ビックリしたのは、本人だと思います。神の働きは思わぬときに起きます。助かろうとか、救われたいと思う気持ちから、キリストもどきに近づくと大変なことになります。心根が大切なのだと思います。心に神を感じて、キリストを求めてください。感じない神に頭で取り込まれないように!お気をつけください。先日ものみの塔の人と話す機会が有りました。彼女たちは、クリスマスを祝わないそうです。誕生日にヨハネと誰だかが殺された記述があるからだそうです。それと、キリストの誕生日は書かれていないから、だそうです。で、キリストは、誕生日を祝うことを喜ばないと信じているのだそうです。死んだ日だけを祝うそうです。最後の晩餐の日を。確かに復活祭はありますが。クリスマスは太陽神の生まれた日をキリスト誕生日にかぶせて異教徒を取り入れたと言ってました。15世紀からだそうです。だとしても、人の誕生を喜ぶことを禁じるのは不自然だな~と感じました。人は誕生しなければ、死ぬこともありません。神が一人子をくれたなら、喜ぶのは自然な感情と思うのですが、それを、キリストは喜ばないとする結論づけは凄いな~と思いました。誕生を祝うのは、キリストを喜ばす為ではなく。素直に嬉しいと感じる思いから始まっていると思います。ストイックだな~と思いました。聖書は、余り考えると変な結論になるので、心で感じたことを信じましょうね。
2003年12月03日
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本音を言おう。私は次姉があまり好みではない。以前は、彼女のの男性への付き合い方が特に見苦しく感じた。今は、本人が背負う事、と達観できるようになった。しかしながら、口うるさい。例えば、私がぶどうの種を。口から、飛ばして出した。いつもするわけではないのだが、そのときは舌の先が荒れていて、舌で口元まで運べなかったのだ。指で取りなさいという。分かっているけれど、そういう時もあるの、他人といるわけじゃない。長姉と姪は親がそうするから、娘もそうだ。と言う。本人には、言えないらしい。確かにマナ~はある。しかし、気楽な気持ちで食べることも大切だと思う。今日は勘弁してくれないか?と言ったが、気まずくなり仕方なく、口元まで舌で運んだが、不味くなった。それとか、私は時々胡坐をかく。体の状態で、楽な姿勢をとるようにしている。子供のころは、躾けられて、一人でいるときも、正座をはずせなくなっていた。足の甲には、座り胼胝ができたいた。その息の詰まる性格直そうと、自分を自由にすることを心がけた。大変お行儀悪いことに、学校帰りあまりにも疲れていると、いすに正座した。正座が癖になっていて、一番楽な姿勢になっていた。親に感謝したいのは、膝と肘に胼胝がないことだ。で、車で疲れると、ごめん足楽にしていい?と胡坐をかくと、女の子がそんなカッコウするな。とひどく怒る。勿論スカ~トではない。足が少し弱い。左膝関節と右股関節以外、全部故障している。それと、小学校のときから、遅刻しそうになるとタクシ~使ったからかもしれない。小学校は横浜の山手にあって、走るのがしんどかった。そんな日は、昼を抜く覚悟だった。瞬発力はあるけれど、持久力に弱い筋肉をしていた。同じ形で座ると、関節が痛いのだ。でも思うのだ。例え姉が、膝を閉じていようとも、ぶどうの種を常に口から指でぬぐおうとも、こんな女私が男だったら付き合いたくないって。でも言わない。言ったら角たつから。今日も、少し不愉快なことがあった。おなかすいたね~と姉の部屋に行くと。食べに行く時間がないと言う。私は、野菜たっぷりのタン麺が食べたかった。で、普段出前は取らないが、行きつけの店から出前取りましょうか?と言った。すると、うどん作ってよ。と言う。私はタン麺たべたいのだけど?イキナリ、『お金使うことばかり考えないで、作りなさいよ』と言う。「一人のときでも、うどんは作るよ。」と言うと。『あなたはパソコンいじってるだけでしょ?』と言う。『私は、6時から仕事で用意で忙しいの!掃除もしないで出るくらいだから。』とパソコンに向かっている。『だったら、いい。自分で作る。あなたは食べに行けばいい。』と言う。ここまで言われて、食べにいけるほど私も図太くない。仕方なしに作り始める。つまんでいた、蒲鉾をふた切れ残して、おかめにした。どうしてこの女は、『悪いけれど、うどんが食べたいから、作ってもらえませんか?』と言えないのだろう。そうしたら、作ってあたしは、食べにいけたのに。今日パソコンが届いた。接続とセキュリティ~かけなくては、ならなくて気が重かったのに・・・・。私の中で、悪意が沸いた。普段は聞き流している。姉の電話での媚びた声と、『キャ~ハハ』と下品な笑い方が気になる。『ね~、分かる?』とやたら押し付けがましく連発する押し込み型の話し方も気に食わない。そうそう、価値観が違うと、実はすべてが合わないのだ。年配の男の人は、彼女を好きだ。人は好き好きだから、どれがいいと言うわけではない。でも、私は下品な笑い方と彼女に言ったら、彼女は傷つくだけで、直ることもないだろう。彼女にとってはそれが、美なのだから。彼女は他人をよく馬鹿にする。すると、その人を見る顔が目をむき出して、口をゆがめ大変醜い。私に対してはそんな顔はしたことないが。で、わたしは、あまり人を干渉しないのが普段なのだが、今日は心に悪意がある。『あ~。あなたが作ってくれたから、美味しいわ~!』と大げさに言う。彼女は褒められたがりやだから、これが相手が嬉しがる言葉と思う彼女の価値観。私は、褒め言葉に飢えていない。褒められながら育っているから、当たり前。『あなたが作ってくれたから』は余計だ。「それより、有難う美味しいといいたまえ!」と心で思う。で、顔に出ないようにしてるから、きっと、眉をしかめていたと思う。思い道理にするために、彼女は人を追い詰めることでしか出来ない性格なのだ。ある意味、かわいそうだとは思う。そうでもなければ、人のために尽くすことしか考えられない。で、やりすぎて、私がこれだけしてあげたのに、と言う思いが残る。見返りを求めてはいけないと親に言われているから口にはしないが、思いは伝わる。私のはよく恩知らずと言うが・・・。やはり、好意は無理をしてはいけないのだが、親身になりすぎる。他人とは、そんな付き合いが多いので、疲れるようだ。兄弟は他人の始まり。違うタイプの人間でも巧く付き合うのが兄弟。姉としては面倒見のよい姉で感謝している。もう喧嘩する年では無くなったが、心ではやはり合わないなと思う。
2003年12月02日
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みんなが知っているはずのこと、意外と知らなかったりするので、書いてみます。私たちが普通に使ってる西暦2003年。これは、キリスト誕生から数えられています。正確には、この4年前に生まれていると歴史の時間に習いました。クリスマスのプレゼントは、キリストの誕生時に、星の運行から、誕生の予言を導き出した学者3人が誕生プレゼントを持参したことから始まっています。全ての、人々がキリストのようでありますようにという願いが、形式化したものです。サンタクロ~スはセイント・ニコラウスと言う聖者の一人です。クリスマスのツリ~はもみの木がなじみですが、国によって使う木は違います。ハワイは常夏。クリスマスツリ~も幹から、段々に放射状に枝の張ったものを使用しています。クリスマスの飾りつけは、日本のお正月の飾り物みたいに、毎年変えるものではなく、毎年今度は、ここの部分を買い足そうって感じで少しずつ増やしていきます。アンド・ハッピ~ニュウイヤ~。ですから、新年の7日だったと思いますが、7日か8日がお片付けの日です。日本では、神道式のお飾りがあるので、早めに年内に片付ける家が多いと思います。意外なことに、クリスマスケ~キは日本独特の文化です。キリストの誕生日なので、誕生日のケ~キを用意したのでしょうね。飾りつけは、早いほうが長く楽しめるので、11月からはじめるのが普通です。日本はファ~イ~スト。日の出国。文化はロ~マに始まり、日本で終わるといいます。遠い昔の話ですが。今はインタ~ネット、テレビ等で瞬時に伝わることが多くなりました。昔は旧暦で動いていたので、正月は2月ごろになります。365日に一年を分けるのは、意外と歴史が古いです。私が見たものでは、メキシコのマヤ文明などでは、ピラミッドからの観察で、既に365.366日の区切りがありました。太陽とか月を神として、見ていて、一神教です。太陽が昇らなくなるのを恐れて、アステカ文明では人の心臓を捧げました。インディジョ~ンズの世界です。マヤとアステカは同時代にメキシコに存在した二つの文明です。人身御供をゲ~ムで決めます。そして、集落は200年から300年で捨てて新天地に行きます。私は歴史が苦手です。年表が暗記できません。で簡単な仕分けをすると。仏教はキリスト教の500位前。イスラム教はキリスト教の約500年後。大変アバウトな見方です。昔つくば博覧会で印象に残ったのは、日本の弥生時代の人の頭蓋骨と中国の漢の時代の頭蓋骨が並べられていました。骨格の進化の違いが歴然でした。文化が流れてきて、人体の骨格の進化が早まります。戦前の日本の女子の写真を見ると、5頭身くらいです。今の日本の女子の顔は戦後急に変わり、ゆうに1世紀は楽に飛び越しているそうです。最近美少女。美男。が多いのは文化が遺伝子レベルに影響する証だと思います。何年か前の新聞で鼻の高さが著しく変わったそうです。日本は、シルクロ~ドを超えて文化が入ってきましたが、その途中では、流動的で、多くの文化が消えていくのに。日本では息づいて生きている文化がたくさんあります。儒教の精神も、中国本土では殆ど死んだといわれています。日本は日本に異文化を取り入れながら、独特の文化に発展させる応用力があります。意外と知られていないのが、日本に世界の王族の血が流れ込んでいます。日本は天然の海の要塞が有って、いろんな意味で守れれていて、います。今現在の日本に生まれていることは、かなり、幸せだと感じます。これから、クリスマス。人によっては、クリスマスも正月もなくなった人もたくさんいると思います。でも、友人たちと集うクリスマス。家族と新しい気持ちで新年を迎える楽しさは、出来るだけ保存したい文化ですね。
2003年12月01日
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