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仕事納めの飲み会を、金曜の夜にしてきたけれど、明日も出勤する予定です。休めばいいよと、言われたけどね。掃除もしてないし、そもそも、仕事が終わっていない。毎年そんなこんなで、年末はとにかく余裕がないから、我が家には、いっさいクリスマスの飾りつけはしていないのだけれど、ママ友が、公民館を借りて開催してくれるクリスマス会に、親子で参加しました。みんなでケーキ作りしたり、ビンゴゲームしたり、子供たちが盛り上がっている横で親たちは子供の様子を見つつだらだらと、愚痴ったり笑い話したりで飲み会しているという、保育園のときからずっと続いているクリスマス会です。もう、見守りなどいらなくなった子供たち。を実感。始めたときは、園児だったのにね。子供たちも大きくなってきたし、それぞれに忙しくて日程を決めるのに大変みたい、もうこれで終わりかなーと、毎年思うのだけれど、いつも仕切ってくれるママ友が、「来年が最後かな、次は6年生だし」・・・え!来年もやるの?・・・・・いや毎年ほんとありがとう。保育園のころからお友達の子供たちは、ほんっとにみんな仲が良くて。この子たちがみんなずっと仲良しでいてくれたから、続けられたんだろうな、と。さて、明日一日出勤して大掃除して事務所にバルサンたいて帰るぞ。それで、30日は、我が家で忘年会!これを読んだ皆の者、参加フリーじゃ。
2014.12.28
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シャワー中の覗きに驚いて、裸の泡だらけで逃げた脱衣所ですっ転び、蹴り開けた壁の穴がふさがりました。なんと、友人が、穴がふさがるだけでいいならと、タダで直してくれた。ビバ人脈!きれいじゃあないの~~~~、と大感激です。お礼に奢らせてくだされと、焼き鳥屋に飲みに繰り出し、二件目も盛り上がり、ああ、楽しい。んで、トイレ行っている間とかに清算が済まされていて、よくわからないままに、逆に奢られて、帰ってきた・・・・あかん、借りを返すつもりで、借りの上塗り。あたしは、皆様に、甘やかされて生きています。心の傷も癒えました。本当に、ありがとうございます。
2014.12.16
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私が、素敵ぃ~~~と胸きゅんさせていた、西島さんが結婚するみたい。いやべつにいいんですけど。まことしやかにネットにでている、彼が結婚相手に求める条件て、まじですか?とにかく、わがまま厳禁、文句言わずにでしゃばらずに主張せずオレを(オレの仕事を)支えろ的な・・・(それでいて目標があり頑張っている人って、なかなかの無理が・・・)ちょっとコレ、私、ぜんぜん、まったく無理じゃんて(いやたとえ、条件そろえても、そういう問題じゃあなく無理だけど)「なにこれ?」しばしパソコン画面相手に固まっておりました。だめですって、そんなあからさまなことしたら、イメージ悪・・・くないですか?まあ、結婚、結婚て、そういうものでしたっけ・・・結婚相手は、ただただ世界で一番好きな人、というわけにはいかないんだね、ああ、そうそう、そういうものだったかもね。知っています?恋愛結婚よりも、結婚相談所なんかのお見合い結婚の方が、離婚率が少ないって、結婚するには、やっぱり好きじゃなきゃだめだけど、結婚を継続するには好きだけでは難しい、結婚の条件をお互いが満たしているかどうかの話なのかもしれませんね。私は、結婚相手に求めていたものって、経済力でもなし生活力でもなし見てくれでもなし、条件なんて、なんもないわ、お買い得だぜ、と思っていたのだけれど。フツーの価値観と、フツーの常識は備えていて欲しいとくらいは思っていた、でも、それも今にして思えば条件だったのかもしれないし。何より、女だからっていうわけのわからん理由での自分で操作できない人の(結婚相手とはいえ他人の)人生に乗っかって生きる気はさらさらないので、自力で地に足を付けて歩いていきたいから、人生の邪魔はしないでねっていう、そういう形の、精神的にも経済的にも自立させてくれという形の条件だったように思う。子供は欲しかった。結婚したのはこれが一番大きいといまでも思う。でも、結婚もせず産もうと言う選択はできなかったのだ、なんせ生きていくために重要なのは、フツーの価値観とフツーの常識だと思っているのだから。かといって、生きていくためになんて理由で、誰かにこの身や将来を預けることもできない、理想があるがために、不安いっぱいの私のような女は、今の時代は多いと思う。生き方が選べるのだから迷うこともできる、迷うから不安になる、幸せなことだ。さて結婚、そうだ結婚は条件が重要。西島さんは世の女性がドン引きするほどあけすけ過ぎたわけだけれど、それは正論なのだ。条件があると言うことは、相手を好きという気持ちより、この先も、自分を好きでいられることが重要ということではないだろうか。5年後も、10年後も、自分が納得した自分でいられること。将来のビジョンがしっかりしている人ほど、結婚は条件なのだろう。私は結婚10年を超えて、一応これに成功している。時間が経つほど、相手に対する気持ちはどうだとか、仲がいいかとかはたいした問題ではなくて、私は私のことを、なかなかいい人生送っているなと思っていて、このことを重要視するようになった。10年前に思い描いた10年後の自分より、ずっといいかもしれない。想像通りでは、ないけれど。さて、それに比べて、好きと言う気持ちは、無条件だと思う、相手が何をしていて、何を考えていて、何をされても好きな気持ちには変わりないということだ。子供を持ってみて、好きって正にこれだとわかった。子供が、どんなに理想と違っていても、例えばこの先めちゃめちゃ反抗されたとしても、きっと私は無条件に大好きで、愛していて、この気持ちは不動だと感じている。昔、無条件で好きだと思える人がいた。相手がどんな人であってもその人を好きだと思った。だから、私がどんな女でも私を好きであってほしいと、そこばかり求めてしまった。好きなあまりに不安で、その思いが強かった。わがままになり横柄になり浅はかになり、とにかく嫌な女になった。それでも、それでも好き、と受け入れられたいと思っていた。まるで、共依存の心理。これだから共依存は、高め合うことができなくて、お互い堕落してしまうのだろう。幼かったと思う。人と人との付き合いは、気遣いや、思いやり、そして遠慮や思慮深さが必要なのだ。親しき仲にも礼儀ありを、好きになりすぎると忘れてしまう。激しい好きの気持ちは、次第に私を追いつめた。嫌なところもすべて受け入れてもらいたいと望めば望むほど、いい人生を送っているなどとは程遠い私になる。将来のビジョンが見えない。想像もできない。逃げたんだ、あのとき、嫌になるほど醜い自分を見せたあなたから逃げた。向上心がなく、依存心が強く、思いやりがなく、勝手で傲慢で陰湿で醜く振る舞った、あんな私は私ではない。と思いたかった。この世のどこかで元気でいてくれたらそれでいいとかなんとか、納得いくわけもない一方的な別れの言葉を残して逃げた。あなたがなにものであっても私が好きでいたように、あなたはすべて受け入れて好きでいてくれたのに。好きって、そういうものだと思う。好きと言う気持ちに、条件などない。今なら、もっと上手に気持ちをコントロールできたのにあのころは無理だった、好きになるほど堕ちていく自分を、あなたごと断ち切った。ただ、誤算だった。20年前は、それほどまで好きになれる相手には、そうそう巡り合えないということは、まだ知らなかった。今後もそういう相手に巡り合えるとは思えないし、そして巡り合えない方がいいかもしれない。積み重なる時間と経験に、じわじわ納得させられた。大切なものを失ったんだってこと。
2014.12.09
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