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今日は、午前中の風雨が嘘のように、午後から青空が広がっています。近くの公園の「ハクウンボク」がずいぶん大きくなり、ただいま満開です。名前の通り「白雲」が棚引くように咲いてくれる日を夢見ています。道路を一つ挟んだ家の庭に「なんじゃもんじゃの木(ひとつばたご)」の花も満開です。こちらもずいぶん大きな木になりました。公園の白雲木(ハクウンボク)エゴノキ科の落葉高木・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヒトツバタゴ(一つ葉田子) なんじゃもんじゃの木・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・散歩道の至る所で、クレマチスが咲いています。このMさんのクレマチス↓が大好きです。Mさんのクレマチス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・I さんのクレマチス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・我が家のクレマチス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フラワー&ガーデンショーのクレマチス↑ クレマチス・エジンバラ↑鮮やかな濃いピンク
2018.04.25
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☆光の帝国・恩田陸 常野物語(とこのものがたり)・集英社・1997年10月30日 第1刷発行・初出誌「小説すばる」に連載 (1994年4月号〜1997年5月号)*大きな引き出し小学4年生の春田光紀は、既に江戸時代までのほとんどの日本の古典を暗記している。春田家ではそれが当たり前で、みんなもそうだと信じていた。春田家では子供が生まれると真っ先に、桜でできた美しい書見台(ヒロシ)をこしらえる。中学1年の姉は、シェイクスピアに凝っている。最初は日本語訳を片っ端から“しまって”いたが、最近はオリジナルで“しまい”はじめた。光紀が順調に日本の古典を“しまえる”ようになると、父の貴世誌は楽譜の読み方を教え、ピアノを鳴らして音を教えた。彼がたちまちオーケストラのスコアを読めるようになると「これで光紀は指揮者にだってなれるぞ」と大変喜んだだが、そのことは周囲に黙っているように、と固く言い渡されていた。ここは「常野(とこの)」ではないのだから・・・。*二つの茶碗初対面の客の未来を見る能力がある娘がいる店に連れていかれた。予め言われていた通り「お水を一杯いただけますか」と言った三宅篤に、娘は「お茶をどうぞ」と、差し出した。その茶碗を受け取ろうとして、目が合った。その静かな湖のような瞳に、すうっと吸い込まれそうになる。「あっ」と娘が小さく叫び、ぱきいんと小さな音がして茶碗が三和土で割れた。水が欲しいと言う客に、大したことがない凡人の場合は白湯を出す。お茶を出すのは、何か大きなことをする、世の中に顕れる可能性のある人物と見られたとき。それが美耶子と篤の出会いだった。「近いうちに父の田舎に行きましょうね。私も小さい頃に一度行ったきりなの」と美耶子が言った。常野に帰ってしまったと言う美耶子の父には、婚約の時と、式の当日と2度しか会っていない。妙に惹きつけられる、不思議な大きさを感じられる人だった。*達磨山への道泰彦は親友の克哉と2人、昔、父に連れられて来た達磨山に登っていた。達磨山は神かくしの山と言われていた。父は、ここは常野一族の聖地で、このあたりには不思議な力を持った一族がいたが、殺されたり、散らばったりして、だんだん力がなくなっていったと話した。人生の転機にある人間がこの山に登ると、その人にとって重要な場面が目の前に現れるというという。父は晩年、本気で常野一族のことを調べていたふしがある。熊笹の海の中に、少女が立っていた。白いサマーセーターに紺のプリーツスカート。最初に感じたのは親近感だった。俺はこの子を知っている。「あたし、たかはあつみ。おじさんは?」突然、はっきりした声で少女がしゃべった。熊笹の葉が宙を舞っている。動悸が激しくなり、全身にびっしょり汗をか いている。見たことのある少女だった。懐かしさを覚える顔。どこで見たのだろう。克哉の名は、鷹羽克哉。誰かに似ていると思ったら、あの少女は、泰彦から去って行った藍子に似ていたのだ。2人はおそらく、この先巡り会う運命にあるのだ。あの子は、克哉と藍子の娘なのだ。*オセロ・ゲーム一歩でも二歩でも先回りをして、絶対に後手に回らない、というのが拝島瑛子のモットーである。日々戦い続けている。不特定多数の人に会うのはなるべく避けなければならない。オープンになったカフェなどには、ここ数年入ったことがない。店の客が一目で見渡せる場所を選ぶ。いつも先手を打たねばならない。先に見つけられてはならないのだ。会社のエレベーターの中に「あれ」が突然現れた。「裏返すのだ」素早くその宅配便の男の目の奥の、赤い光をめがけて激しく視線を注ぎ込む。ぎりぎりという音が頭の中で聞こえ、全身が震えた。裏返すには莫大なエネルギーがいるのだ。娘の時子が3歳のとき夫が裏返された。裏返した者より強大な者であれば、呼び戻すことができる。*手紙倉田篤彦と友人、知人たちとの「ツル先生」に関する往復書簡。明治17年に書かれた俳人の記録によると、福島で子供に読み書きを教える、禿頭で白髪、膝を鶏のように曲げた「ツル老人」がいた。70歳を超えたツル先生は、戦前にも、戦中も、戦後も、変わらぬ姿で校長をしていた。青森の白神山地にあった分教場にもツル先生がおり、その分教場は謎の爆発事故を起こして全滅してしまった。事件は軍部が口止めをして闇に葬られた。日本中どれだけの場所でこの先生は草履を履いて校長をしていただろう。*光の帝国ツル先生の名は「遠山一郎』。ツル先生は常野の人たちに頼まれて学校を作った。上野の音楽学校に行っていたコマチ先生。大男のジロ先生。細い竹でジロ先生が作った笛を完璧な音程で吹いた、みさき。遠目のあや。健一。信太郎。国がひどくなる一方の時代だった。常野の人たちは軍の特殊部隊に連れ去られ、ずいぶん人数が減っていた。怯えている常野の人たちを救うために東京へ行ったツル先生が戻ったとき、分教場は跡形もなかった。焼け跡に呆然と座るツル先生の耳に、空からハッキリした子供達の声が聞こえた。「みんな一緒だから心配しないで。うんと先かもしれないけれど、必ずみんなで戻ってくる。先生は長生きだから待ってて」ツル先生は、子供達がプレゼントしてくれたホーキンスのサンダルを履き、丘の上にぼんやり立って風に吹かれている。自分でも思い出せないくらい長い間、校長先生をしている。数えて見たら先生になってから200年は越えていることに気が付いた。今年こそ、今年こそ、きっとみんなが帰ってくるに違いない。ツル先生は、今年も丘の上に立って待っている。*歴史の時間*草取り*黒い塔*国道を降りて・・・トラックの行き交う国道を降りて、小さな車は、水を張った早春の田圃の真ん中を走り始めた。ハンドルを握る青年の名は川添律、隣に座るショートカットの娘は田村美咲(みさき)。川添律はチェロ、美咲はフルート、2人は世界に羽ばたく音楽家だった。律は言った。大昔は一つの共同体として生活していた一族が、今日は世界中から集まるらしい。うちの一族がどういう一族なのか俺には分からない。どうして特殊な力が伝わってきたのか。どうしてこの場所に引き寄せられてきたのか。・・・・・・・・・俺もこんなにたくさんの仲間に会うのは初めてなんだ。君にも見て欲しい。俺と一緒に聞いて欲しい。美咲は黙々と隣を歩く律の横顔を見つめる。心は既に彼に寄り添っていた。雑木林の中にちらちらとたくさんの明かりがみえた。それは、木造の古い小学校の校舎らしかった。美咲にはなんだか夢でも見ているかのような景色だった。校門のところに、膝を軽く曲げた、白髪の老人が後ろで手を組んでのんびり立っていた。「ツル先生だ。一族の長老なんだよ。変わらないなぁ」律が懐かしそうな声を上げた。律が挨拶するとその老人は顔を綻ばせた。「こちらは、今日一緒に演奏する田村美咲です。僕の婚約者です」と紹介すると、老人は美咲を振り返り、何かに打たれたような表情になった。「ーみさきか、みさきちゃんか」美咲も吃驚する。その老人は、じっと美咲を見ていたが、やがてかすかに震えだした。目に涙を浮かべる老人を、律が戸惑うように2人を交互に見比べた。その老人の顔を見ているうちに、美咲もなぜか胸がいっぱいになった。なぜだろう。とても懐かしい。なんでこんなに胸が苦しくなるのだろう。大勢の歓声を聞きながら、美咲はフルートケースを取り出した。老人がちらりとそれを見た。「そうだな、みさきは笛がとっても上手だったな」納得したように呟く。
2018.04.25
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昨日は、友人とパシフィコ横浜で開催されている「日本フラワー & ガーデンショウ」に行ってきました。去年は様々なスタイルのガーデンが再現されていましたが、今年は新品種の展示即売がメインでした。↑ 石楠花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ 藤↑ 牡丹・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ 青いカーネーション青いカーネーション → ムーンダスト・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…↑ 都忘れ↑ ジギタリス ベリーカーナリー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ ジニア プロフュージョン チェリーバイカラー↑ ジニア プロフュージョンオレンジ種だけでも、この2種類は普通の2.5倍でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マックスマム 3種見たことがない大輪のマーガレットでした。キク科アルギランセマム属のマーガレットと、他のキク科の植物との交配により作出された新しい花なのだそうです。詳しくは → マックスマム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑トルコキキョウのハート・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑一足早く薔薇を楽しめました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑↓ オダマキ2種・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ 紫陽花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ サンリッチひまわりこれまでのイメージとは違った、小輪のシャープなイメージのひまわりでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・動く歩道から見た、帆船・日本丸の甲板上には、鯉のぼりが泳いでいました。
2018.04.22
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キンラン(金蘭)・ラン科キンラン属の多年草公園にある、一株だけの「キンラン」。皆んなに見守られて、今年は花も葉も立派!生き生きと咲いていました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 我が家の庭の花 ー↑ エビネ一昨日は庭の大掃除。繁りすぎた椿の枝を落とし、風通しを良くしました。ふと見ると、古い葉の陰で、エビネが咲き始めていました。昨秋は庭の手入れができず、そのままにしてあった古い葉を取り除きスッキリ。植物は正直で、今年は花が少ないです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ ギンギアナムこちらも、友人からもらったものの、ちっとも咲かなかくて放りっぱなしでした。先日、咲いているのに気づきました。今年は植え替えてやらなくては・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ ミヤマオダマキ & スズラン消えてしまったと諦めていたミヤマオダマキが、ひょっこり咲きました\(^^)/・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ ムラサキツユクサ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ Yさんから頂いたサクラソウピンクもあるはずなのですが、消えた? それとも、これから? 周囲に一杯出ている小さな芽は、み〜〜んな青紫蘇です。
2018.04.19
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☆窓の向こうのガーシュウィン・宮下奈都・集英社・2015年5月25日 第1刷発行標準体重の3分の2しかなく、機能も未発達なまま生まれた。貧しさと両親の無知から保育器に入れられなかったその赤ん坊は、成長してもいつもどこか足りなかった。うまく人と話せず、自分から話すことはほとんど浮かばなかったし、人の話を聞いているだけならまだしも、それに答えようとすると途端に雑音が混じって聞き取れなくなってしまう。人と交れず、人に好かれず。それでも嫌われたり、あからさまに除け者にされたりするわけではなかったから、どうにか息をひそめてやってきた。夏が来て、暮らしは楽魚が飛び跳ね、綿花は高く背を伸ばすあんたのお父さんはお金持ち、お母さんは美人だからさ、よしよし、泣くんじゃないよ父が良く聞かせてくれた歌だった。その父は、あるときふいと出ていってそれきり戻らなかった。母と2人の暮らしは楽ではなかった。高校を出て、運良く就職した会社は半年ほどで倒産した。何か資格を取ると良いと忠告されたが、私には資格を取るほどの力がなかった。スーパーのレジのそばで見つけた無料のパンフレットの中から、ホームヘルパーの講座をみつけた。資格試験が無く50時間の講習を受ければ誰でもホームヘルパー3級が取れた。とにかく講習を受ければ資格がもらえるのだ。これなら私にもできるかもしれない。ケアセンターにヘルパー登録して、初めての派遣先が「横江先生」の家だった。12時に仕事を終え、報告書を書いた。「さようなら」ちゃんと声に出して挨拶し、頭を下げた。階段を降りて、スニーカーをつっかけながら、ちょっと身体が軽くなっているのを感じた。どうも私はここへ来るのが好きらしい。先生の家は沓脱ぎから向こうが、作業場を兼ねた土間になっている。その人は木枠を当てて作業をしていた。聞くと、レコードのジャケットの額装をしているという。子熊みたいな笑顔のその人は、ジャケットを見せ聞いた。「エラ・イン・ベルリン。知ってる?この人の歌」そのレコードは私が知っている歌だった。そうだ、あの歌だ。懐かしさがこみあげてきた。「私はその歌がすごく好きでした」とこたえると、その人は、焦げ茶色の素朴な木枠を合わせて、こちらに向けた。ああいい感じだ。私が「いいですね」というと、ブツブツ言いながら「そうだよ、きっと幸せな思い出を飾っておきたくて額装を思いついたんだよ」と、自分に言い聞かせるように繰り返し、納得したように作業台に向かった。エラ・イン・ベルリン。帰りに、CDショップへよった。なけなしのおこづかいが飛ぶ。それでも私はこれを聞きたかった。私の幸せだったらしい記憶を、その風景を、確かめたかった。幸せだっな景色を切り取り、額に入れて飾る。いい仕事だと思う。今度横江先生のお宅を訪問するのが楽しみだ。子熊みたいな笑顔のあの人が誰のどんな幸せを額装するのか、後ろの方から見させてもらおうと思う。やがて私は額装の仕事を手伝わせてもらえるようになった。ある日帰宅すると、父が帰っていた。父は私が買った『エラ・イン・ベルリン』のジャケットを見ながら嬉しそうだった。一緒に聴きながら、父が作ってくれたインスタントラーメンを食べた。誰も私を急がせないでくれた。未熟に生まれた赤ん坊なのに、急いで大きくなる必要がなかった。雨が降って、太陽が出て、風が吹いて、少しずつ少しずつ大きくなれば良かった。「ありがとう」初めていった。父にありがとう。音楽に疎い私は、文中の「歌詞」が、何の歌だか分からず、調べて見ました。どうやら、LPレコード『エラ・イン・ベルリン』の中の、サマータイム(ガーシュウィン作曲)らしいと判明。赤ん坊をあやして寝かしつける母の子守唄でした。
2018.04.19
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ー Yさんのナニワノイバラ ー( ナニワイバラ)撮影日:4月14日去年掲載したのは、4月25日今年は、10日あまり早いです。↑ 全景↑ コバノランタナ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー こちらは別の家 ー白、赤、黄色の彩りが美しい上段左から、ナニワノイバラ、コデマリ、モッコウバラ赤は、チェリーセージ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 隣家のノースポール ー
2018.04.17
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山下公園から元町へ。元町中華街駅のエレベーターで屋上へ上がると、そこがアメリカ山公園です。黄色いモッコウバラが満開。バラもちらほらと咲き始めていました。ー アメリカ山公園 ー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・元町界隈の風景と古い地図アメリカ山公園の壁に、3点掲示されていました。以前からあった筈。これまで気にもとめなかったのですが、写真を拡大して驚きました。興味のある方は、是非拡大してご覧下さい。クリック or タップで拡大画像が開きます。「閉じる=✖︎」で元の画面に戻ります。♣︎ ↑明治21年末現在の横浜地図♣︎ ↑ グランドホテル全景現在のアメリカ山公園付近からの眺望。堀川にかかる鉄橋は谷戸橋。川沿いの切妻の大屋根はヘボン式ローマ字の生みの親の旧ヘボン博士邸(現在の横浜地方合同庁舎) ♣︎ ↑ 元町通り大正時代の元町一丁目付近(現在の元町商店街)の様子。正面突きあたりは、増徳院(現在の元町プラザ付近)アメリカ山公園を通り抜け、右手に外人墓地、左手に横浜地方気象台をみて坂道を登り切り左折。まっすぐ行くと港の見える丘公園です。ー 港の見える丘公園 ・展望台 ー「ガーデンネックレス横浜」のマスコットガーデンベアがいました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 沈床花壇 ーここは、地形を生かして香りのあるバラが植えてあります。バラは未だ固い蕾でしたが、クレマチスが咲き始めていました。沈床花壇とは、「西洋庭園の形式の一種で、地面を掘り下げて、周囲よりも一段低い位置に設ける花壇のこと」だそうです。面白い画像を見つけました。工事中の港の見える丘公園・沈床花壇↑ベイブリッジが一望できますエリスマン邸〜イタリア山庭園へー エリスマン邸 前の庭 ー↑私はだれ?花だけ見るとガクアジサイ。葉っぱが違います。ノリウツギ、カンボク、ヤブデマリ・・・。どれも違うような・・・。開花時期が少し早いのですが、見た目は「ヤマアジサイ」が一番近いように思います。↑アネモネ・シルベストリス(ヨーロッパ原産のアネモネの原種)花だけ見ると、秋明菊ににていました。詳しくは → アネモネ・シルベストリス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…ー イタリア山庭園 ー↑ オダマキ・左下=イギリス館、その他=外交官の家・・・・・・・・・・・・・・・・↑ 小さな西洋館の丘・プラフ18番館の庭立て札に「2017年の第33回全国都市緑化フェアにおいて、港の見える丘公園に設置されていたもので、フェア実行委員会より寄贈していただきました。2018年3月(公財)横浜市緑の協会」とありました。とても精巧に作られた模型です。去年、港の見える丘公園でも見ましたが、こちらの方がしっくりと風景に馴染んでいるようにみえました。13時30分。この日の最終目的地、プラフ18番館に到着。“グループ f ”の皆様の、素晴らしいボタニカルアート作品を堪能させて頂きました。
2018.04.14
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この季節は「ガーデンネックレス横浜 2018」と称して、今年もMM21地区〜赤煉瓦倉庫〜象の鼻パーク〜山下公園〜港の見える丘公園一体は、様々なイベントが開催され、花で溢れます。今日は、プラフ18番館で開催されている「グループ f 」の皆さんの、ボタニカルアート展を見に行ってきました。今日が初日のため、オープンは午後1時から・・・。折角なので、午前中に山下公園へ行きました。バラはまだ固い蕾でしたが、チューリップやラナンキュラス、アメリカハナミズキなど春の花が咲き、初夏の花のジギタリスも咲きはじめていました。↑マリンタワー(左)、ホテル・ニューグランド(中央〜右)↑♧=ラナンキュラス・ピンク↑♧・左のオレンジ↑ ♧・黄色↑♧・左から、朱、ピンク、淡黄色↑♧・黄色↑ 氷川丸山下公園〜陸橋を渡り、人形の家〜元町へ。そのあとしばし、ランチタイム休憩。坂道を登るのはやめて、元町中華街駅のエレベーターで屋上へ。アメリカ山公園〜港の見える丘公園を一回り〜山手通り〜やっとこの日の目的の、プラフ18番館へ。続きは、また改めてといたします。よく歩きました(^∇^)上の画像の中の「♧」マークの花は、最近よく見かけるようになった「ラックス(ピカピカ)シリーズ」の「ラナンキュラス」です。まるで花弁にワックスを塗ったように、ピカピカと光沢があります。詳しくは下記のリンクをご覧ください。綾園芸 → ラナンキュラスの品種ガーデンネックレス横浜 2018(第40会「横浜花と緑のスプリングフェア)↑ ガーデンネックレス横浜・会場マップ♣︎ click or タップで拡大画像が開きます。(「閉じる」=✖️で戻って下さい)
2018.04.12
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弘明寺の八重桜地下鉄(ブルーライン)、弘明寺駅前にある留学生会館(旧横浜国大)のフェンス沿いに、珍しい八重桜並木があります。どの木もかなりの大木で、満開の時期には見ごたえがあります。今年は開花が早く、松月、普賢象、御衣黄、関山が満開でしたが、残念ながら大半は既に見ごろを過ぎていました。敷地内には、八重桜だけでなく、正門付近には早咲きの大寒桜(正門付近)も植えてあり、早春から楽しませてくれます。横浜国大と桜が結びつかなくて、一体いつ、誰が、どう言う理由で植えたのでしょう?あれこれ調べてみましたが分かりませんでした。↑ 松月(ショウゲツ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ 普賢象(フゲンゾウ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ 御衣黄(ギョイコウ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ 鬱金(ウコン)(既に満開を過ぎて、ピンクに・・・)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ 関山(カンザン)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑↓ ?個人宅の藤の花八重桜を右に見て少し行くと、正面の家の藤が見事な花を咲かせていました。写真撮影をお願いすると、快く承諾して下さいました。奥様の話では植えて21年経つとか。木は一本で、幹は西南の角に植えてあり、左右に枝を伸ばして育てられていました。左手=西側、中央の角=藤、右手=家の南面
2018.04.09
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☆たったそれだけ・宮下奈都・双葉社・2017年1月15日 第1刷発行(2014年11月 発行の単行本を文庫化したもの)Teardorops for me打ち込むと、画面が開いた。あなたのパスワード。開いた画面にはホルダが一つだけ。シャワーの音が派手に聞こえている。一目で極秘の資料だと分かった。国の名前、公人らしき名前を見、あってはならない送金を見、口座名義を見た・・・。自分の携帯にメモを取り、電源を切った。浴室のドアを開けると、望月さんが驚いた顔をした。彼はいつもやさしい微笑を浮かべ、私に逃避し、そのうちに私からも逃避し、どんどん追い詰められていく小動物。贈賄の差配なんてできるわけがない。深夜に彼をアパートの戸口で送り、すぐに自分のパソコンを立ち上げた。簡単に贈賄を告発する文書をつくる。朝になるのを待ち、降りたことのない駅に降り、コンビニからファクスを送った。その店で男物の下着と靴下、食べ物などを買い、現金を下ろし封筒に入れた。会社近くの駅で望月さんが来るのを待った。「望月さん、逃げて。お願い、逃げ切って」ややあって「分かった」望月さんは、ありがとう。声を出さずに言い、一瞬笑顔になった。次の瞬間、背を向け、足早に去っていった。望月可南子。夫の名は望月正幸。会社の海外営業部の部長をしている。2人には「涙」と書いて「ルイ」と読む名の、9ヶ月になる娘がいる。「涙」という漢字は夫が独断で決めて届けてしまった。夫は優しい人だった。その朝もいつもと変わらない朝だった。ルイがぐずって泣いていて、話らしい話もできなかった。あの人は普段通りに朝ごはんを食べ、ルイと私にいってきますを言って笑顔で出かけていった。そして、そのまま帰らなかった。弟の容疑が固まったらしい。正幸が失踪する朝、愛人関係にあった女性と会社近くで話しているのが確認されていた。警察の人は、無理やり連れ去られた形跡はなく、自分の意思でいなくなった可能性が高いと教えてくれた。弟は、逃げてはいけないと思いながら逃げざるを得なかった。その孤独を思うと、涙が出そうになる。夫の消息を求めて、可南子はたびたび引っ越した。転校のたびにルイはいじめられた。父のことは6年生のとき、学校のパソコンルームで調べた。地元の公立高校へ進学したルイに、初めて黒田トータが話しかけてきたのは、職業体験のときだった。彼は「望月さんのクールなところに惚れた」といい、以来、柴犬の子供みたいに、ルイの行くところどこへもついてくるようになった。ワルだった高校生がちゃんと生き直そうと思うと、なかなか簡単にはいかない。八方塞がりのとき、黒田トータが、町がやっている介護施設で職員を募集していると教えてくれた。俺よりよほど悪くて、よほど何も考えていないと思っていたやつだから驚いた。俺は高校を辞め、介護施設で見習いとして働きはじめた。そこで人生の目標とする人に出会った。益田さんはやさしい人だった。だいぶ歳はいっているけれど、整った顔立ちをしている。朝から晩まで、ときに夜勤まで、決して楽ではない仕事を黙々とこなし、それでも一切不満を口にしない。この人の端正な顔が俺は少し怖い。益田さんは介護福祉士の資格を持っていない。要件を満たさないからだという。益田さんは「好きな人と、短い間だったけど、一緒に暮らした。その記憶だけでいきていけるんです。もう決して触れてはいけない、幸福な記憶です」と言った。見習い期間の6ヶ月が終わる頃、黒田トータと施設の入り口でばったり会った。親父のところへ来たという。トータの陰から望月さんが顔を出す。2人とも大橋が辞めた高校の制服を着ていた。望月さんが、ふふっと笑った。誰だっけ。こんな風に笑う人。端正な顔。どこで見たんだっけ・・・。
2018.04.08
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横浜公園昨夜は雨戸に叩きつけるような雨と風の音がひどく、まるで春の嵐のようでした。チューリップが倒れてしまったのではないかと、半ば諦めつつ行ってきました。傾いでいるのもありましたが、思ったほど被害がなくてホッとしました。横浜公園のチューリップは、年によってバラツキがありますが、今年は花が多くて見事でした。時間が早かったため、人の姿も疎らで、ゆっくり見ることができました。↑ 背景の建物は横浜スタジアム日本大通りこちらは、風当たりが強かったようで、少し前にいらした方が撮影された様子とは大違い。花弁が風に吹き飛ばされてしまったようで、色とりどりに咲いていたチューリップの姿はまばらでした。
2018.04.07
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Kさんの椿ボタニカルアート教室の先輩Kさんは、絵のモデル用に、いつも庭で育てていらっしゃる花を持ってきて下さいます。今日もどっさり花や苗を持ってきて下さった中に、この椿の花がありました。包みを開けられた途端、思わず歓声が上がりました。余りにも綺麗なので、並べて写真を撮らせて頂きました。ダッチアイリスこちらは我が家のダッチアイリスです。菜園の隅に、離れ小島の様に残された花壇。たまに草を抜くくらいで、碌な手入れもしてもらえないのに、それでも毎年健気に咲いています。ずいぶん前に描いた絵を引っ張り出してきました(*^^*)
2018.04.05
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☆静かな雨・宮下奈都・文藝春秋・2016年12月10日 第1刷発行最寄り駅をを下りて歩き出すと、かすかにやさしい匂いが流れてきて、僕は足を止めた。パチンコ屋の裏の駐車場に、たい焼き屋があった。たい焼きはおいしかった。いつも繁盛していて、常連客は「こよみちゃん」とか「こよみさん」と呼んでいた。僕も名前で呼んでみたいなどと実にささやかな望みを抱えて冬を過ごした。もうその辺まで春が来ている頃、こよみさんに名前を聞かれた。僕の名前は「ユキスケ」。「コウスケ」と読むのを父親が読み方を間違えてつけた名だった。僕には生まれつき足に麻痺があり、ずっと松葉杖をついている。たんぽぽが咲く頃、僕たちはときどき一緒に晩ごはんを食べるようになっていた。後になって、こよみさんは言った。「初めて店に来たときのユキさんの目の色が忘れられないな。秋の夜みたいな静かさが目に映ってた。引き込まれそうだった。それと、もう半分は、あきらめの色。あきらめを知っている人ってすぐわかるの。あきらめるのってとても大事なことだと思う」僕にとって、手が届かない「高嶺の花」だったこよみさんが、僕の前にぽとりと落ちて来た。交通事故の巻き添えになったこよみさんは、目を覚まさず、僕の呼びかけにも返事はない。顔色も悪くない。気持ちよさそうに屈託のない顔で眠り続けていた。3月と3日眠り続けたあとで、なんの前ぶれもなく、こよみさんは目を覚ました。医師の話では、こよみさんの脳は大きなダメージを受けていて、短期間しか新しい記憶を留めておけないらしい。古い記憶はしっかりしているが、新しい記憶が残らないのだ。その日の記憶はあるが、翌日になると消えてしまう。脳に記憶が刻まれなくなっても、日々が何も残していかないわけではなかった。こよみさんの中に記憶が残っていかなくても、僕の中に残していければいいんだ。そして、こよみさんは安心して1日1日を新しく生きていけばいいんだ。
2018.04.05
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☆日比谷花壇大船フラワーセンター☆オープン初日の混雑を避けて、昨日(4月2日)午後、行ってきました。まず、入園口の上に掲げられた「日比谷花壇大船フラワーセンター」の文字が、目に飛び込んできました。写真右手の白いボックスのところが入り口、すぐ左手の柱の陰に、入園券の自販機がありました。ヒスイカズラのことが気になって、睡蓮池を横目に、つつじ・しゃくなげ園〜芝生広場〜元・観賞温室〜梅(桜)園〜牡丹園〜石楠花園〜ピクニック広場〜玉縄桜広場(新設)〜花の築山〜入り口と、時計回りで一回りしてきました。↑ 入園口(右手の白いボックス)すぐ左手に入園券の自販機がありました。(柱の影)↑↓ すいれん池↑ 左手奥=さるすべり園、手前右手=つつじ・石楠花園↑ 左手=花しょうぶ池・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 芝生広場 ー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 元 観賞温室 ー1.全景。 2.入り口付近。3.カトレアなど、ランがあったところ。4.ハイビスカス、ブーゲンビリアがあったところ(ブーゲンビリアだけ残っていました。 5.たわわに実っていたバナナは幹だけ…。・・・・・・・・・・・ー ヒスイカズラ ーなんとか生き延びていてくれました。温室担当の方と新しい園長さんのお話を少しだけ聞くことが出来ました。この2月の寒さで大きなダメージを受けているとか…。何れにしても、温室としての設備の復活はありませんが、何とか守る手立てを模索して下さるというお話でした。2日間だけでも、かなりの人数の方がヒスイカズラを心配して聞いていらしたそうです。幸いというか、新園長(センター長?)さんはヒスイカズラがある「夢の島熱帯植物館」の館長をなさっていた方でした。温室機能が無くなった状態で難しいことと思いますが、何とかまた花を咲かせて欲しいと願っています。ヒスイカズラと通路を挟んだ反対側で、唯一咲いていた花・・・・・・・・・・・6.すいれんの水槽の名残り(左端) 7.〜次の部屋(盆栽展の最中でした)8.パパイヤがたわわに実っていました。1年前の温室の様子をご覧ください ↓2017.2.24 ヒスイカズラ・フラワーセンター大船植物園・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー梅(桜)園 ー↑ 御衣黄(ぎょいこう)↑ 鬱金(うこん)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 牡丹園 ー↑ 全景広くなったのは良いのですが、外が丸見えに・・・(^^;;・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 石楠花園 付近 ー↑ ようやく芽吹き初めたばかり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー ピクニックグランド 付近 ー↑ 木瓜・金鶏殿↑ 池を埋め立てて作られた「玉縄桜広場」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 花の築山付近 ー↑ 石楠花が見事でした ↑↓ 静桜(園芸種)「花弁の中に、雄しべが花びら状に変形した旗弁(はたべん)が混じるのが特徴です。」(立て札に記載)「旗弁」どれか分かりますでしょうか?↑ 満開の菜の花(花の築山とすいれん池の間の花壇)1年前の様子はこちら ↓2017.2.23 玉縄桜と早春のフラワーセンター大船植物園つつじ・石楠花園、花の築山の石楠花は素晴らしい花を見せてくれました。芝生広場では子供たちが遊び、花壇のチューリップが綺麗に咲いていました。ピクニックグランドの藤は、ちょうど剪定作業の最中でした。薔薇もうすぐ咲き出します。元・観賞温室の変わり果てた姿の植物たちと、牡丹園とその背景の余りの変わり様が、ショックでした。けれど、ある程度は想定内のこと。気持ちを切り替えて、これからに期待することにします。
2018.04.03
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