「<反>哲学教科書」
君はどこまでサルか?<1>
ミシェル・オンフレイ /嶋崎正樹 2004/11 NTT出版 単行本 371p 2004年11月
No.994 ★★★★☆
「ソ
フィーの世界」
が14歳の少女に向けての哲学入門なら、木田元 「わたしの哲学入門」
が大学の初学者にむけてのガイドだった。高橋哲哉 「反・哲学入門」
は教員採用試験受験者や市民向けだったし、ウィトゲンシュタイン 「反哲学的断章」
はもう、本当の自覚的な「哲学者」たちに向けての、というより哲学者としての自分だけのつぶやきであったかもしれない。
かたやこちらの本は、高校生向けの教科書である。日本でいえば、「倫理・社会」(いまでもあるのかな)の教科書という位置づけか。
「私が20年近く教えた技術系リセ[実業高校]の生徒のための、オルタナティブな教科書だ。」
pii リセ
とは、日本でいえば、工業高校か国立工専にあたるのだろうか。いずれにせよ、将来「哲学」を専門とする道を歩む生徒たちむけの学校ではなさそうだ。
もちろん、この本も含めて、上に挙げたすべてが、使われた本そのものではなくて、一般向けに出版されるときには、大幅に手が加えられていることだろう。本書の原書の副題は「ソクラテス流オルタナティブ・レッスン」となっているようだが、なぜか日本語翻訳本となると、「君はどこまでサルか?」という副題になっている。なんでかな?
「< 反
>哲学教科書」---よく間違われるけれど、<反哲学>教科書ではない---は、哲学と世界、思想と現実、概念とマテリアルな事物を、再び和解させようという試みだ。(中略)当然だけれども、私が本書で語っているのはあくまで西欧の哲学だ。その哲学は、それを生み出した世界について考えさせてくれる。
pi
当ブログでは、一般的な常識不足を補うために、西洋哲学の素養を身につけたいなぁとは思っているけど、本来ではあれば、「反哲学」に関心があり、あるいは脱「哲学」を試みている。そして、そのエクソダストには東洋哲学が大きく作用しているはずだ、という読みがある。
で
は、日本において次のようなものを研究する利点はなんだろう? (中略) 本書は、行きつ戻りつするそうした細やかな弁証法の動きを追うための、入門書として読んでいただけるだろう。そのような動きは、禅の庭ともそう遠いところ
にはないはずだ・・・・。
pi
この辺は、日本語翻訳版へのリップサービスだ。
日
本の特殊性の一部をなす(西洋人にとって?)次のような事象についてもぜひ解き明かしてほしいからだ。パチンコと生け花、書道と文楽、脳と相撲、俳句と茶会、そして、ある種の悟りによって西欧的意識を二つに切り開いていくこの名だたる禅宗の石庭。それを解き明かすには、その世界を解読するにふさわしい概念、思考、表現、文体が必要となるだろう。
pii
当ブログとしては、日本哲学(?)などという珍妙な世界を探索しようとは思っていない。西洋も東洋も止揚した形での、地球哲学なら、食指が動くけれども。
「レ
ディ・メイド」は反芸術ではない。モダンな創作物の多くがそうであるように、それらは「脱芸術」なのだ。芸術でも反芸術でも両者の中間、関係をもたず空虚な領域に位置する何かだ。それらの意味するところについてはおびただしい注解がなされている---そのうちのいくつかは、おそらくデュシャンの笑いを誘うだろう---が、このことからも、それらが造形的というよりは批評的、あるいは哲学的だということがわかる。
p082
反、脱、この辺から、次へのステップを見つけることとしよう。
悟りへの階梯 2008.10.27
ツォンカパ チベットの密教ヨーガ 2008.10.26
聖ツォンカパ伝<2> 2008.10.25
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