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「感動をありがとう!」 TVのスポーツ中継はもちろん、 近頃、イベントや色んな場所・場面でよく聞かれる言葉。 そんな言葉に疑問を投げかけ、 「それ、もう、やめませんか?」と語る著者。 サブ・タイトルは、『「涙」を消費する人びと』。 確かに、「泣く」ために映画館に足を運んだり、 連ドラ見てる人って、結構多いかも……。 ***かつて、「感動」は、自らが様々な事象に直接関わるなかで、自然発生的に湧き起こる、自らの内なる感覚であった。つまり、「感動」は、自分自身の行動の内から湧き起こり、自分自身の行動の余韻の中で味わうものが主であった。ところが、現代社会における「感動」は、他者・企業により、商品として創り出されたものが多く見受けられる。それを、私たちは、観客という「一消費者」として購入し、味わっている。自らの感情や判断は、どこか彼方に追いやってしまい、マスコミや企業が、次々に大量生産し続けている均一的な「涙」や「感動」を飽きることなく、取り憑かれたように消費しているのだ。 ***「涙」や「感動」まで、お金で買うものになってしまっていたのか……。そんな事実に、本著を読んで、初めて気付いた私。自分自身が、どれほど消費社会にどっぷり浸かっているのかを、再認識することになりました。そう言えば、最近、私が読んだ書物のなかにも、現代社会を見つめるキーワードとして、「消費社会」を挙げているものが、何冊かありました。そして、本著のキーワードも、やはり「消費社会」。「お金」さえあれば、欲しいものの多くは手に入る、「お金」さえあれば、欲求の多くは叶えられる。「お金」を支払う側は、受け取る側より圧倒的に有利な立場にある。だから、「お金」さえ支払えば、受け取る側には、何も言わせはしない。「お客様は神様です」。何でもかんでも「地獄の沙汰も金次第」。そんな「消費社会」の中で生きている人びとの感覚の中に、危ういものが、どれほど多く含まれているのだろうかと、最近、つくづく考えさせられます。
2007.05.26
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本著のタイトルを見て、 「これは、ぜひとも買って読んでみなくては!」 と思った世のお父さん方、 皆さんの多くは、本著を購入し、読み進めていくと、 途中で、きっと大きな衝撃を受けることになるでしょう。 「そ、そんな……。」っていう感じで。 というのも、本著のタイトルを見て、 「これは、ぜひとも買って読んでみなくては!」 と思った世のお父さん方の多くは、最近、自分と娘さんとの関係に、かなり「モヤッと」したものを感じ、少々お悩みなのではないか、と想像されるからです。にもかかわらず、そんなお父さんたちに向かって、著者は、こう言い放つのです! 娘が父親をどのくらい信頼しているのか、 つまり、どのくらい「娘のサイン」を出しているのか、 その見分け方を一つご紹介しましょう。 カンのいい読者ならおわかりだと思いますが、 娘が何歳までお父さんと一緒に風呂に入りたがったかが 一つの重要な目安となります。 もし、小学校の高学年になっても 「お父さん、一緒にお風呂に入ろう」と、 娘の方から言うような間柄なら合格です。 <中略> 中学生や高校生になっても一緒に入りたがるとしたら 100%合格です。これに合格できないお父さん!あなたが、オスの目で娘さんを見つめているから、娘さんが、あなたを避けてしまうんだそうですよ!そんな目で、娘さんを見つめちゃダメダメ!! ***でも、世のお父さん方で、このテスト(?)に合格できる人って、いったいどれくらいの割合で、存在するんでしょうかねぇ?しかも、著者は、高校生の息子が母親と一緒にお風呂に入りたがるのは、微笑ましい関係とは言えないとも述べています。母親は息子と一緒に風呂に入れなくてもOKで、父親は娘と一緒に風呂に入れないと「父親失格」か……、なんだか、今まで以上に「モヤッと」感が上昇してしまうこと間違い無しの一冊ですね。しかし、お父さん!めげる必要は、全くありません!!だって、この本って、あくまでも男性が書いたものですから!本当のところ、女性ならどう思うのか、年頃の娘さんだったら、どう感じるのかは、わかりませんよ!!あなたの娘さんと本著の著者は、異なる感覚を持った全くの別の人格で、しかも別性ですから。だから、まかり間違っても、年頃の娘さんを銭湯に誘い(だって、家にお風呂がないお父さんだっているでしょ?)、男風呂に一緒に入ろう、なんて言っちゃ、絶対ダメですよ!そんなことしようものなら、娘さんに思いっきり張り倒されたあげく、今後、一切口を聞いてもらえなくなること間違い無しですから!!!!ましてや、自分の娘さんが「一緒にお風呂に入ろう!」と言ってきたからといって、銭湯に一緒に出向き、女風呂に一緒に入ろうものなら……お父さん、あなた、どうなっても知りませんよ!!もちろん、娘さんが、あなたと一緒に男風呂に入ろうとしても、何か違和感ありますよねぇ。しかも、娘の一糸まとわぬ姿を、見知らぬ男どもにジロジロと見られるのも、父親にとって、まさに生き地獄、でしょ?
2007.05.24
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オウム真理教有名幹部を次々に脱洗脳し、 警察庁長官狙撃事件の実行犯とされる人物からは、 消去されていた記憶を引き出して、 大反響を呼んだのが、本書の著者である苫米地英人さん。 そんな人が書いた本だというだけでも、とっても興味をそそられるのに、 「はじめに」の部分で、 「本書の手法をくれぐれも間違った目的で使用されないよう」 なんて太字で書かれたら、もう、これは、読むしかないですよね。私の読後の感想は、「苫米地さんて、こういう方だったのですね……。」というもの。そして、こういう方こそ、日本のために、そして世界のために活躍して頂かねばならないのでしょう。なぜなら、苫米地さんの夢は、「世界から差別と戦争がなくなること」だそうですから。これこそが、本著のキーワード「抽象度を上げる」の到達点なのでしょう。それにしても「時間は未来から過去に向かって流れている」は、けだし名言。過去にこだわることが、いかに無意味なことなのかを、相手に納得させる場面において、目から鱗が落ちる感覚を、間違いなく相手に呼び起こさせる、なかなかの理論だと思いました。
2007.05.12
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裁判官。 私にとって、普段の生活の中では、 めったにお目にかかる機会のない職業の方たち。 私にとって、そんな異空間(?)に属しておられるとも感じられる方々が、 様々な裁判において、様々な場面で述べられたお言葉の数々を集めたのが本著。 扱われている裁判は、 世間の誰もが知っているような有名な事件の裁判もあれば、 ほとんど誰にも知られる事のないような事件の裁判もある。また、その言葉が発せられたのは、判決理由を述べている最中もあれば、補充質問や閉廷後等々、実に様々。世間の喧噪とは、あまりにかけ離れた「異世界」とも思えるような「法廷」という場で行われる、あまりにもリアルで生々しい、人間が本来持っている「業」や「性」の激しいぶつかり合い。そんな中で、裁判官によって発せられた一言一言は、すでに「過去」となってしまった「犯罪」という名の行為が行われた記憶の断片を、「現在(いま)」を生きている被告人の目の前に強引に呼び戻す。今では、全く異なる「二つの世界」に存在しているかのようにも見える「過去」の被告人と「現在」の被告人。その二人の被告人を、一つに融合させ、そこから、本来あるべき「未来」の自分へ導こうとする、それは、異空間からのメッセージのようでさえある。
2007.05.03
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