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19年の月日が流れた。 中学生だった少年・少女たちも、もう立派な大人。 商社マンの妻、高校教師、ラジオのパーソナリティ、美容師、 製菓会社重役、市会議員、市会議員の妻、バーのマダム、中学教師、 そして、自称冒険家等々。 小山内先生のお通夜。 遺影は、五十代の時のもの。 大人たちが、まだ中学生だった頃の写真。 元美術部員が、写真をコピーして葬儀屋さんに送ったもの。第七章は、これまでの章に比べて、とても短い。その細切れな場面転換が、逆に、それぞれの登場人物の時の流れを感じさせる。そして、 恋とは、するものではない。 恋とは、落ちるものだ。 どさっと穴に落ちるようなものだ。から始まる文章に、本作品のタイトル『ツ、イ、ラ、ク』の意味を知る。
2007.03.31
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千里眼が千里眼でなくなってしまったら? それが『千里眼 ミッドタウンタワーの迷宮』のメイン・コンセプト。 戦闘機パイロットとしての経験が、 岬美由紀に人並みはずれた動体視力と観察力を与え、 その能力が、相手の表情を読み、感情を読み取ることを可能にした。 また、自衛官として訓練を積んできた経験が、 彼女に人並みはずれた身体能力と格闘能力を与え、 相手の攻撃を瞬時にかわし、素早く一撃を食らわすことを可能にした。そんな彼女の能力が失われてしまう。そして、これまでにないほどの窮地に追い込まれることに。それも、信じていた友人の裏切り行為によって……。治外法権の場を舞台に繰り広げられるパーティー。そこで行われるギャンブルの持つスリリングな緊張感と、その裏に潜むトリックを、次々に暴いていくワクワク感。松岡さんの作品で言うと、『マジシャン』シリーズの趣が強く打ち出され、TVドラマで言うと、『オールイン』や『TRICK』等の面白さを同時に楽しめる作品に仕上がっています。さて、美由紀がピンチに追い込まれたとき、これまでだったら「嵯峨くん登場!」っていう感じだったと思うのですが、新シリーズになった今回は、「舎利弗さん登場!!」です。そして、この舎利弗さんと藍ちゃん、二人の活躍ぶりが、今回の緊迫したストーリーの中で、何とも言えない「癒し」になっています。なかなか良いキャラですね。
2007.03.31
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河村礼一郎の父は、三歳年上の慶子さんと、 二十代の頃から付き合っていた。 が、父は、 部署の先輩から紹介された9歳下の母とも付き合い始める。 そして、母が礼一郎を妊娠したので結婚。 ところが、その後も、父と慶子さんは、 関係が戻ったり離れたりを繰り返す。 それを母が知り、離婚。現在に至る。「九歳下で幼いと思わなかった?」不明瞭な質問の意味を、明瞭に父は悟った~と文中にあるが、実は、息子の言葉の真の意味には気付いていない。だから、「ところで、どうなんだ、学校のほうは?」と聞くことができる。まさか、息子が九歳下の女子中学生と、そんなことになっているとは思いも及ばない。冬休みも終わりかけようとする頃、久しぶりに、隼子がかけた電話に礼一郎が出た。隼子は、マミの姉であるミカさんに頼んで、今晩は、マミの家に泊まっていることにしてもらう。もちろん、本当は礼一郎の家に行く。そのために電車に乗るところを、三ツ矢に見られてしまう……。別して濃厚な夜の営みの後、 「……これって、もう、今日が最後ってことだよね?」 「……そうだ」三ツ矢の倒錯した愛の復習劇の始まり。隼子の家の窓ガラスに落書き。男女の交合を示す記号のような絵。そして、教室の黒板に、あのポルノ雑誌の切り抜き。矢印で「河村」「隼子」と、写真の男女を示し、さらに、赤い絵の具で一部を汚したパンティを画鋲でとめる。 「河村先生なんかなんの関係もない」隼子は、最後まで嘘を突き通した。そして、河村も 「三ツ矢、おまえは森本の将来をめちゃめちゃにするところだったんだぞ」 「森本が学校に来たら謝れ。三ツ矢だけじゃない、全員が」その日以降、河村と隼子が、電話でも手紙でも、言葉をかわすことはなかった。三月、河村は辞表を出して、長命中を去った。桐野も、長命中を卒業していった。その翌年、隼子も卒業。
2007.03.31
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「つづきしようよ こないだの」 美術室には、隼子と河村先生だけ。 でも、途中で美術部の福江愛がやって来たために未遂。 それでも、結局、「つづき」のための約束はなされる。 約束した時間、約束した場所に隼子は立っていた。 23歳の河村礼二郎は、14歳の森本隼子を自分の車に乗せた。 隼子は、車の行き先をナビゲート。 そして、辿り着いた場所は、人気のない寺の門前。 「ここでいい」と隼子は言った。ここから先はかなり過激。映画にはR指定があるけれど、小説は、そんなの全くお構いなしの世界だということを再認識。誰でも、何の気兼ねもなく、この「恋愛小説」を読むことができる。福江愛は、三ツ矢のことが好き。でも、三ツ矢は森本隼子のことが好き。愛としては、三ツ矢の隼子を見る目を変えてしまいたい。だから、愛は、美術室での出来事を三ツ矢にちくる。梢先生のもとに匿名の手紙が届いた。大きな事件になりかけたのを、救ってくれたのは小山内先生。洗練された大人の女性は、作り話をして隼子をかばった。しかし、彼女の行動の真意に、隼子は気付けなかった。昔、妻を自殺に追い込んだ教師が、その原因を共に作ることになった教え子と一緒に、スキャンダルから遠ざかるため、大きな街へと逃げていった。その優雅な美少女の内面は、鬼のように冷酷。そして、今は、自らも教師となっている。それが、美しい女性、小山内先生。
2007.03.29
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膝関節炎のため、卓球部から美術部に転部した隼子。 三ツ矢からの独りよがりな電話には、全く興味を示さず、 統子から河村先生についてのコメントを求められても、 「なんであんな男をまた」と無礼千万な発言。 でも、偶然自宅近くで出会った三年の桐野龍とは、 隼子の足首に「R・K」のアンクレットが、 桐野の鞄のキーホルダーには「J・M」が付く仲に発展。 それぞれの時間割表の裏には、相手の時間割表が貼られた。発熱で保健室に運び込まれた隼子。彼女を家まで送っていくことになったのが河村先生。家に到着し、落とした鍵を拾おうとした時……。ふう~ん、こういう展開になるのか……。キ・ケ・ン梢先生に没収された本格的ポルノ写真集を取り戻すことに異常なほどに執念を燃やす三ツ矢。梢先生から指導を引き継いだ河村先生との闇交渉の末、4ページ分だけを奪回することに成功。それらのページには、写真と共に何かが数行印刷されていた。 「いけない放課後、いけないことを待っている……」いけないことをしていることにされたモデルの名前は隼子だった。99%妄想と理解しつつ、そのままにしておけない少年の複雑な想い……。 そして、次のシーンはホテルの734号室。そこにいるのは、河村先生と恋人の貴和子さん。ここに至って再確認する、この物語がどんなジャンルの作品であるのかを。恋愛小説とは、如何なるものであるのかを。そうだったのか……。
2007.03.28
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長命中学校には、長命小学校を卒業した仲間たちだけでなく 長命東小学校を卒業した者たちもやって来る。 新しい同級生、先輩、そして、先生との出会い。 トイレに行くときや体育館や理科室や家庭科室に行くときに、 97%の女子には「必ず一緒に行動する相手」という存在がいるのである。 中学1年生くらいなら、 その行動の意味するところに、全く思い至らない男子は実は多い。 この物語では、その役割を担っているのが坂口進。でも、決して彼を笑ってはいけない。彼の場合、その頭の中の思考を、そのまま言動として、無防備に外界に噴出せずにはおれない性向のため、「幼さという真実」が、世間に露呈してしまうだけなのである。それに対し、多くの男の子たちは、その思考を、言動として表に出し過ぎないよう、多少なりとも用心しているため、頭の中を直に覗きこまれることを免れ、「幼さという真実」を、他人に熟知されずに済んでいるだけなのだから。マミの姉、ミカは高三。受験はせずに、卒業後、すぐに結婚する。できちゃった婚の相手は、高校の体育の先生。音大に行って、音楽の仕事をすると、隼子には言ってたのに。長命中では、村田先生が妊娠して産休に入った。彼女に代わって、河村礼二郎という、23歳の男性が赴任した。 「うっとうしい前髪……、短こう切ったらええのに。」若い男性教師に教室が騒然とする中、隼子の感想はこの一つだけだった。隼子は現在、イアン・マッケンジーに夢中。どんな時も。 「森本、聞いているのか」国語の授業中、河村は、一番前の席に座っている女生徒に何度も言った。でも、返事をしない。 「森本、聞いているのか」隣の席の三ツ矢に肘を下敷きでつつかれて、初めて隼子は気付いた。苦み走ったファースト・コンタクト。
2007.03.27
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2年2組に3学期からやって来た転校生みゆきは、 机にうつ伏したまま過ごし続け、 終業式の日には、突然のように去っていった。 3年1組がスタートした日、やって来たのは転校生の佐々木くん。 病院の息子で、横浜からやって来た。 関西弁の「ド、#ファ、#ファ、ド」ではなく、 標準語の「レ、ファ、ファ、ファ」の「佐々木くん」。 彼は、席に着くと担任の結城先生の発言に反応し、いきなりしゃべった。結城先生のご指名で、校内放送のクラス発表(朗読)を、急遽やることになったのはこの佐々木くんと隼子。 後日、塔仁原が、隼子の口にいきなり押しつけてきたのは、佐々木くんのマスク。そして、次にそのマスクを佐々木くんの口に押しつけて「キスや!キスや!」そしてさらに、塔仁原は、校歌を元に佐々木くんの歌まで作詞し、黒板には、佐々木くんと隼子のアイアイガサ。その後、佐々木と隼子はお互い避け続けることに。やがてアイアイガサは消え、佐々木くん自身も5年生になると私立大学の附属小学校に転出していった。どこの小学校でもありそうな、男と女のラブ・ゲーム。そんな日々の中で、身体は着実に成長し続けていく。
2007.03.26
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いきなり重たい場面、リーダーによる仲間の粛正。 小学2年生にして、「女の世界」を感じさせるこのいたぶりよう。 最初から、7人ものキャラクターが、そこには登場し、 それが、新撰組の人間関係で比喩される。 そこでかわされる言葉は、関西弁。 しかし、それは、ポピュラーな関西弁とは違う様子。 「せんどしてるねん」という言葉から推察するに、 かなり独特な関西弁と思われる。このように、開始直後から独特な世界が広がり、こちらは、まったく着いていけない状況……。 ***「土方歳三」的存在の統子の命令を無視し、隊士の一員である頼子の粛正中に、「やめる」の一言で、脱走を図った隼子。このスリリングな瞬間が、たまらない様子。翌日の放課後、統子は隼子を呼び止め、隼子の家に行く。そして、隼子からホワイトチョコレート一箱をまるごともらう。そして、さらにその翌日、統子は隼子を自分の家に招く。そこで、隼子にバーのマダムの絵を描いてもらう。でも、それは、隼子が、ホワイトチョコレートが嫌いだったから、統子に、一箱丸ごともらって欲しかっただけ。隼子は、バレエ学校の先生を書いたつもりだったのに、統子は、それを自分の感性で、バーのマダムと思いこんでしまっただけ。 そんな統子と隼子では、かっこいいと感じる男子、好きだと思える男子は、当然違う。まだ、小学2年生と言えども。統子から好きな人のことを聞かれた時、隼子は、他人への初告白という場面に緊張しながら、TV番組の登場人物・ケンの名を口にする。ところが、統子は自分を馬鹿にしていると激高。そして、隼子は統子の命により、隊士たちから粛正されることになる……。
2007.03.26
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姫野カオルコさんの作品は、まだ一冊も読んでいません。 以前、『プレジデント』の「本の時間」欄で、 『ハルカ・エイティ』について書かれた記事を見て、 何となく興味をひかれたのですが、 結局、実際に作品に触れることはなく、 時間は過ぎ去っていました。 そして、今回、『ツ、イ、ラ、ク』が文庫化され、 金額的にも購入しやすくなりました。最後のページ・ナンバリングは、540で、結構ボリュームがある作品ですが帯には「読書のプロがこぞって絶賛」とあり、しかも、直木賞候補にもなったとのこと。では、期待しながら、早速読書開始と参りましょう。
2007.03.26
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アームストロング少佐の姉が初登場! 彼女は、北の大国ドラクマとの国境を守り “ブリッグズの北壁”の異名を持つ将軍。 その名は、オリヴィエ・ミラ・アームストロング少将。 エドとアルが、弟であるアレックス・ルイ・アームストロング少佐から預かった 紹介状を差し出したときには、それをビリビリに破り捨て、 「私以外の他人が付けた評価なぞいらん。 私は私の目で人を判断する。」と言い放った、超過激でスリリングなキャラクター。以前、そんな彼女に、イシュヴァール人の祖父を持つ、赤い目のマイルズ少佐が、食ってかかった。そのときに発した言葉が、とってもグッド!! 「マイルズ 貴様の中にはイシュヴァールだけでなく 多様な民族の血が流れているな。 それは多様な価値観を持ち、様々な角度から この国を見る事ができる血だ。 生まれも育ちも血も生粋のアメストリス人である私が上に立つには、 貴様のような者が必要だ。 四の五の言わず、付いてこい、マイルズ。」さて、一方、スカーとキンブリーとが、ついに戦闘開始。出所したばかりで、身体がなまっている紅蓮の錬金術師に傷の男は、兄が致命傷を受けたのと同じ場所に一撃を食らわす。キンブリーは大ダメージを受けて退散するが、勝負は、まだまだこれからといったところ。15巻が、イシュヴァール戦のお話だけで終わってしまったので、この16巻を読み始めたときは、それまでのストーリーを、きちんと思い出せないまま読み進めることになりました。そして、16巻を読み終えそうな所まできて、なんとか、記憶がよみがえってきて、流れをつかみ直せた感じ。でも、次の17巻の発行は、8月の予定とのこと。月刊誌連載作品だからしようがないけれど、ストーリーが展開するのに、とっても時間がかかる……。その間、記憶を保持し続けるのが、なかなかたいへん。でも、本当は、前回発行のものを読み直してから、新刊を読めば良いだけのことなんですが……。
2007.03.22
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この文庫本には、 普通あるべきはずの「解説」がありません。 その理由は、「文庫版のためのあとがき」に、 著者である重松さん自身が書かれています。 このスタイルは、私はとっても好きです。 以前、荒巻義雄さんの『紺碧の艦隊』や『旭日の艦隊』を愛読していた頃、 一番楽しみにしていたのは「あとがき」の部分でした (これらは文庫ではなく、新書でしたが)。そこには、作者近況を交えながら、最新の「世界の情勢」の読み取り方や、ストーリーに関連して、様々な「お勧めの書物」も記されていました。その中からめぼしいものは、実際に購入して読んだものです。さて、『卒業』は、重松さんが書かれている通り、「始まりを感じさせる終わり」を描き、「ゆるす/ゆるされる」の構図を持った四つのお話をまとめたもの。「これでおしまい!」って言うんじゃなくて、「さぁ、次もがんばろう!!」って言いながらバイバイするところが、今、まさに卒業のシーズンに読むのに、ピッタリの一冊でした。
2007.03.21
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この本のタイトルは、 なぜ『カラヤンとフルトヴェングラー』であって、 『フルトヴェングラーとカラヤン』ではないのか? カラヤンよりフルトヴェングラーの方が、22歳も年長であったのに。 カラヤンがまだ若く、職も得ていない時期に、 フルトヴェングラーは、すでに押しも押されもせぬ「巨匠」であったのに。 そして、私が持っているCDの数は、 カラヤンのものよりもフルトヴェングラーのものの方が、 はるかに多いというのに……。それは、やはり『フルトヴェングラーとカラヤン』よりも、『カラヤンとフルトヴェングラー』の方が、「言いやすい(語呂がよい)」からなのか。それとも、世間一般的に見た場合、カラヤンの方が、馴染みが深い(つまり、知名度が高い)と言うことなのか。そして、この本は、三人の指揮者の物語なのに、この本のタイトルは、なぜ、『カラヤンとフルトヴェングラー』であって、『カラヤンとフルトヴェングラーとチェリビダッケ』ではないのか?チェリビダッケは、フルトヴェングラーとカラヤンが、戦後、共にナチに協力した容疑者として失業している頃、ベルリンフィルを連日指揮して支えたのに。フルトヴェングラーが、復帰した後も、ベルリンフィルは、彼とチェリの二頭体制で運営され続けたのに。 それは、やはり、世間一般的に見た場合、チェリビダッケは、馴染みが薄い(つまり、知名度が低い)と言うことなのか。それとも、わたしのCDライブラリーに、チェリビダッケのものは、今、一枚も無いからなのか……。 ***指揮者三人を軸にストーリーは展開するものの、そこに、音楽そのものに関する言及は、ほとんどありません。本著で繰り広げられるのは、ベルリンフィルという「世界一のオケの主席指揮者」の座を巡る想像を絶するような、ドロドロとした権力闘争。世間一般を生きるものにとっては、通常、知る術もない世界。そこには、並々ならぬ権力への執着や、嫉妬の嵐、策略等々が満ちあふれていました。そして、それらは、何十年にも渡って、繰り広げられただけでなく、死してなお、その存在が、生き残った者を苦しめ続けた。まさに「呪縛」から、決して解き放たれることのない世界。「超一流」と呼ばれる者だからこそ、背負い続けねばならない苦しみ……。 ***「レコード」や「CD」「映像」に対するカラヤン、フルトヴェングラー、チェリビダッケが見せる姿勢の違いを示した部分は、三人が音楽というものに何を求めたかをよく伝える逸話で、とっても興味深かったです。そして、私は、ついさっき、チェリビダッケのCDをネットで注文しました。
2007.03.21
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恐ろしいほどにリアルです。 また、その現状認識や分析には、圧倒されてしまいます。 それは、長年、現場で子どもたちを見続けてきた人が、 さまざまな観点から現状を分析し、書いたものだからでしょう。 トイレでの喫煙を教師に現認されても、最後までその行為を認めない生徒。 テスト中、教師にカンペを取り上げられても、 これはカンニングのためのものでないと言い張る生徒。 授業の最初からしゃべり続け、注意されたとたん、 「しゃべってねえよ。オカマ。ふざけんじゃねえよ。」と反撃する生徒。『今時の授業風景』や『うっかり生徒を叱れない』の部分で描かれているのは、著者が勤めていた高校における、生徒とのやりとりの一場面です。しかし、これらの「教師と生徒とのやりとり」は、もはや、高校だけに限ったものではなく、小学校や中学校でも、普通に見られる光景になってしまっています。1980年代以前のワルは、わがままを承知で自己主張していました。自分の中に、世の中や学校の基準値に馴染めない部分があることを知っていました。しかし、前述の例で示した生徒たちは、「自分がこう思う」ことは、当然、まわりの「みんなにも受け入れられるべき」だと確信して、主張しています。これが「オレ様化」した子どもたちの姿です。 ***1945年から1960年ぐらいまでは、共同体的な精神風土と人間関係を強く抱え込んでいた「農業社会的」レベル。1960年から1975年ぐらいは、共同的なものからほぼ離脱した「産業社会的」レベル。1976年から現在までは、共同体的なものがほぼ消失しつつある「消費社会的」レベル。時代と共に、社会の変化と共に、共同体的な「贈与」の場から、市民社会的な「商品交換」の場へと学校・教室は変わっていった。教師と生徒との関係性を、生徒も親も対等なものに読み替え始めた。教師に対する子どもや生徒の位置が上がっていき、幼児期の全能感を持ち続け、「特別な私」を信じてやまない子どもが増えた。「教える」-「教えられる」という共同体的な関係は無視され、教師と生徒との関係に、消費社会の「等価交換」を適用しようとするようになった。多くの子が、自分に合った、自分にとって不快でない、自分が傷つけられることのない教師、つまり、教師が上位にいない、一対一の人間関係を、学校・教室に求めるようになった。「畏れる」ものを持たない「自立」した市民社会的な「個」として。 ***本著を読んで感じたのは、現実の子どもたちの姿について、ちょっとだけ上辺から覗き込み、それを、自分の経験(これが一般的な人間と乖離しているケースが多い)と人の話(これも公立校の生の姿を示す情報は、ほぼ皆無なのでは?)から分析し、理論としてうまく成り立つようにまとめあげ、発表することを職業とする評論家や学者さんたちが書いたものと、全くレベルが違うということ。子どもたちは、学校でだけ学んでいるわけでは決してありません。子どもたちの有り様の変化を、そして、その責任追求の矛先と改革すべき場を学校の中にのみ求めることは、無理があるでしょう。そして、「共同体的な精神風土と人間関係」を回復しないまま、子どもたちを「オレ様化」したままにしていては、今後、(公立)学校や教室を存続させることは、難しいでしょう。「教育」を成立させるためには何が必要なのか、もっと「まとも」に考える時です。
2007.03.18
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小学1年生の時、母を病で亡くした少年。 そして、少年が小学5年生になった時、 父は、母の形見である闘病日記を少年に手渡した。 母の日記は、途中から、 一人息子である少年に直接語りかける形で書かれており、 病状が重たくなって、最後の時を迎えようとする頃のページには、 <けいちゃん、お母さんは天国に行ってからも、 ずっとけいちゃんのお母さんです> <けいちゃん、おかあさんのことをわすれないでください>とあった。初めて日記を読んだ翌日、父は少年の手から手紙を取り上げた。そして、さらにその翌日、父は、新しい二人目の妻を家に連れてきた。ハルさんという、太って目の細い30歳前の女性だった。少年とハルさんの関係は、全く前進しなかった。そして、ハルさんが来て、ちょうど一年が経った頃、ハルさんは、少年を呼んで、母の日記の話をし始めた。その時、ハルさんは言った 「敬一くん、いまのあんたのお母さんて、誰なん?うちやろ? あんた、いつになったら、うちのこと『お母ちゃん』って呼ぶんね?」 「うちのこと今度から『お母ちゃん』いうて呼んでもらわんと、 日記は返せんわなあ」 「日記、読みたいんやろ?返してあげるけん、あんたの宝物にしときんさい。 その代わり、言うてごらん、 ほら『お母ちゃん』なんよ、うちが、あんたの」その後も、少年がハルさんのことを「お母ちゃん」と呼ぶことはなかった。高校を卒業し、大学生として上京する際、ハルさんが日記を返してくれた。ところが、何も書かれていなかったはずの残り三分の一ほどのページをめくっていくと、そこには、 <敬一くん 東京に行ってからも元気でがんばってください。 困ったことがあったら、いつでも相談してください。 たまには手紙や電話をください。母>これに激高した少年。そして、その激しいやりとりの中、ハルさんは、日記をビリビリに引き裂いてしまう。そして、少年は大人になって結婚し、今では二人の小学生の息子がいる。半年前、文学賞を受賞して、今が「旬」の作家になった。そして、『我が母を語る』というエッセイを書いた。その母は、もちろんハルさんではない。亡くなった母に向けて、今でも生き続けているように書いた。次の『母親』がキーワードの企画でも、同じように、ハルさんの存在を無視し続けた。 「母からの手紙」が虚偽であることを読者に見破られ、久しぶりに家族と共に帰省した大晦日の夜、ハルさんと二人きりになった。その時、ハルさんは、あの日記を手渡す。ビリビリに引き裂かれたはずの日記。ハルさんは、それをなんとか修復しようと試みたが、うまくいかず、結局、一文字ずつ、母の字をまねて書き写したのだった。残り三分の一程の、何も書いてないはずページをめくっていくと、最後のページに、こう書いてあった <追伸 敬一くん わたしも天国に行ってからも ずっと敬一くんの母親です> 「風邪ひくよ、お母ちゃん」 「お母ちゃん、あけましておめでとう」コタツにもぐり込んだまま横になっているハルさん。ハルさんに掛けた布団が、小刻みに震えた。意地を張り合った、似たもの同士(?)の母と子。でも、このお話の真の立役者は、何と言っても、主人公の妻・和美だと、私は思います。本当にベスト・パートナーとして、大活躍でした。ご立派!!
2007.03.18
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久しぶりに読んだ学術書。 元々、英語で書かれた文章を日本語に訳したものだから、 純粋の日本語とは違う、独特の文体や言い回しの連続。 そして、新書として出版された書物とは違い、 読みやすさより理論立てを重視した、 ちょっと堅めで、かちっとした全体構成。 久しぶりの読書感に、学生時代が懐かしくなりました。日本での初版発行は、2001年の秋。さらに、原文の方は1999年の発行となっているから、インターネットの最前線の情報を元にしているとは言い難く、ちょっと昔の事情・状況を踏まえて書かれた部分が、当然多く見られます。しかしながら、インターネット上で見られる人々の振る舞いを社会心理学の基本的概念で解き明かそうとした研究書としての価値は、まったく低下することなく、そこに古さを感じることはありません。 ***オンラインにおいて、どんな「自分」を創造し、演じていくのか。それは、「現実の世界の自分」とどのような関係の「自分」なのか。そして、その「新たな自分」を、ネット上でいかに相手に印象づけていくのか。もちろん、そこには嘘、欺瞞が入り込む可能性がある……。それは、ミスター・バングル事件に見られる、ジェンダーの問題をも生み出してしまう。ネットにおける「集団の力学」は独特なもの。その集団は成極化する可能性が高く、そのため論争も数多く勃発。インターネットゲームにおいても、集団間競争が激しく展開される。また、ネットにおける「攻撃性」の高さは、誰もが感じるところ。そして、これらの背景には「匿名性」や「物理的距離」がある。だが、そのことが、逆に「援助の心理」を働かせやすくする面も。さらに、コンピューター相手の方が、人間相手よりも自己開示しやすいらしい。だから、ネット上には「嘘」も溢れているが、「本音」も溢れている。もちろん、インターネット上の「ポルノ」や危険サイトは要注意!けれど、ネット上で、友情や愛情が生まれることもある。インターネットは、現実社会に負けず劣らず、複雑怪奇なものなり……。 ***中でも、私が一番関心を持ったのは、インターネットのタイム・シンク(時間泥棒)的特徴、そして依存特性。本当に、パソコンをさわり出すと、時間お構いなしになってしまう……。ブログを書き始めると、なかなか止められなくなってしまう……。そんな私と、似たような経験があるあなたに、著者は、こう述べています。 インターネットはコカインでもなければ、アルコールでもニコチンでもない。 インターネットがタイム・シンクと化す理由がわかっている人は、 問題を克服し、もっと有意義な活動に戻ることができるだろう。
2007.03.17
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自分のホームページやブログを持っている人が、とっても多くなりました。 一人で複数のウエブサイトを開設している人も珍しくないし、 最近では、携帯電話利用のホームページも急増中。 で、そんなウエブサイトを持っている人にとって 嫌でも避けて通れないのが「著作権」というもの。 「それって、何?」とか、「そんなの、私(オレ)に関係ないよ!」と言ってても、 やって来るときには、やって来る(らしい)「警告」。 場合によっては、かなり厄介なことになってしまうことになる(らしい)。『おふくろさん』をあれだけ歌い続けていた某有名歌手ですら、著作権をもつ作曲者先生の逆鱗に触れると、あんなにも厄介なことになってしまうのです。だから、ウエブサイトを運営する人にとっても、著作権を無視したまま、世界中に情報をばらまき続けるという行為は、やっぱり、どことなく落ち着かない気分。例えば、「掲示板の書き込み」ですら、著作権がある?とすれば、勝手に削除することはできないし、当然、勝手にその文章をぱくることなんて、絶対に出来ないということになってしまうのです。こんな風に、ウエブサイトを新たに作ったり更新したりと、色々していく上で、「これでいいのかな?」と迷ったら、とりあえず、この本を読んで、著作権に引っかかるのかどうかを、調べてみましょうということになるのです。でも、これだけ色んなことを気にしながら、文章を書いたり、絵を描いたり、音楽を鳴らしたり、写真を貼り付けたりしないとダメなんですね。読んでいて、これらをすべてクリアする個人サイトは、ほんとうにどれくらいあるのだろうかと思ってしまうほど。唯一の救いは、「黙示の許諾」ということになるけれど、もちろん、これとて万能ではない……。私のサイトにも、あちこち……。先日、某メディア大手が、米動画投稿サイトとその親会社であるインターネット検索最大手に対し、著作権を侵害されたとして、10億ドル以上の損害賠償を求める訴訟を起こしました。それでも、現在、米動画投稿サイトは、堂々と運営し続けているぐらいだから、ひっそりやってる我がサイトくらいのことなら、 そんなに神経質になる必要もないのかも……。
2007.03.17
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突然、会社に現れた親友の娘、14歳・中学生。 彼女とは、これまでに一度も会ったことはない。 いや、彼女が、まだ母親の胎内にいるときに、 一度会っているか……。 あれは、まだ僕が26歳だった頃、 大学時代の親友・伊藤の葬儀の時。 伊藤は、会社のビルの非常階段の7階の踊り場から飛び降りた。 その伊藤の娘が、今、目の前に現れた亜弥だった。伊藤の妻だった香織さんは、今では野口さんという男性と結婚、夫と共に、郊外の一軒家で、スペイン料理店をやっている。そして、亜弥が中学に入るとき、この夫婦は、初めて、亜弥の実の父『伊藤真』の存在を伝えたのだった。 『伊藤真のお墓』。これが、亜弥の作ったホームページのタイトル。彼女は、今、『伊藤真』について、情報を集めており、そのため、大学時代の親友だった僕を訪ねてきたのだった。こんなことを始めたきっかけは、グループからのいじめ。そして、先日、リストカットをしたらしい……。自殺した実の父。亜弥は、伊藤のことを『あのひと』と呼ぶ。でも、そんな『あのひと』との血の繋がり・DNAを感じてしまう亜弥……。 自分にとって、『伊藤真』とはどんな存在だったのか。親友とは、何なのか。亜弥と『伊藤真』を探し続ける中で、考え込んでしまう僕。大学を卒業し、就職すると、会社の仲間との付き合いが広がり、それが主になっていく。大学時代に親友だったとしても、当然、その交わりは、日に日に薄くなってしまう。同期入社のトップをきって部次長に昇進した春山。その春山が、僕の直属の上司。そして、春山からリストラを言い渡されることになった僕。もちろん、春山は、色々と気を遣ってくれているようだが……。亜弥は、いじめグループに囲まれ「死んでみろ」と言われた。そして、「死んでやる」と言い返し、校舎の2階から飛び降りた……。右脚の膝と臑を骨折、全治2か月。頭から落ちていたら、この程度では済まなかっただろう。そんな亜弥と僕が、伊藤が飛び降りたビルの7階の踊り場で、彼が最後に見た風景を一緒に見る。それが僕たちの卒業式。亜弥が、夜空に向かって語りかけた言葉の余韻が、いつまでも心に残る秀作。
2007.03.17
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最後の1ページの重みは、半端じゃない。 霊柩車の発車と共に繰り広げられた光景は、 主人公の父の教師人生の重みを、 ひしひしと感じさせてくれるもので、 私からすれば、最後の2行は、別になくてもよいくらいであった。 癌にむしばまれ、自宅で家族の介護を受けながら、 最後の時を迎えようとしている元教師の父を、 現役小学校教師である主人公の目を通して描いたのが、この作品。「死体」に興味を持つ自分の教え子に、最後の時を迎えようとしている自分の父の姿を見せることで、「死」の持つ本当の意味を伝えようとする主人公。彼こそが、父の最後の教え子になるのだと考える主人公。でも、主人公の発想には、甘さというか、世間知らずな部分を感じずにはいられない。教え子の数は、千人をゆうに超えるのに、教え子が、3か月の入院中に、一人も見舞いに来なかったから、葬儀にも、誰も参列する教え子はいないだろうと考える主人公。教え子の結婚式に、招ばれたことがないから、昔の教え子が、懐かしがって家を訪ねてきたことがないから、教え子の誰からも、年賀状さえ来ないからという理由で、父のことを、厳しくて、冷たくて、寂しい教師だと考える主人公。高校と小学校との違いはあるものの、同じ教師という職業に就きながら、しかも、18年もの間勤めていながら、「教師としての父」の本質に全く迫れていない……。本当に、そんなに厳しくて、冷たいだけの、寂しい教師なら、生徒からだけでなく、周囲の誰からもそう思われているはずだし、そんなふうに思われている人が、校長会長の重責を任されるはずがない。そんなことに、なぜこの主人公は気付くことが出来ないのだろう……。もやもやした気持ちで読み進めて、そして最後のページ。葬儀が終わり、死体となって、霊柩車で運ばれていく時に聞こえた、「先生!」という父の教え子の野太い声。そして、それをきっかけに広がっていった『あおげば尊し』の合唱。主人公は、この光景に、一体何を一番強く感じたのだろうか?
2007.03.14
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この本が、なぜこんなに売れているのか? 読んでみて、よ~く分かりました! それは、元首相が、 支持率低下に悩む政府・与党幹部に対して檄を飛ばした際、 「鈍感力」という言葉を使ったからだけでは、決してありませんでした。 私が思うに、 この本が、これほどまでに売れいている理由は、 何といっても、その扱っている内容と、気楽に読み進めることの出来る、平易で分かりやすい文章、さらに、軽く読破できる手頃なボリュームにあると思います。そして、その扱っている内容はと言うと、まずは「健康」、中でも「精神衛生」について。『あるある大事典』での捏造事件が、あれほど大きな社会問題になったのは、世間の人々の健康(ひょっとして、痩身?)への関心が、とてつもなく大きなものだったからでしょう。また、高度に技術が発達し、人間関係が複雑化した現代社会では、そこから生じるストレスに、どう対処していけばよいのか、そして、そのダメージを、どうすれば軽減させることができるのかは、誰にとっても大きな関心事。そして、もう一つの扱っている内容は「男と女」。既婚者または結婚経験者にとって、「結婚生活を維持させるために」の部分は、身につまされるお話。また、恋愛を知る者にとって、「愛の女神を射とめるために」の部分は、誰もが思い当たる節があるお話。さらに、恋愛を求める者にとって、「恋愛力とは?」の部分は、大いに参考になるに違いありません。「男と女」を扱ったら天下一品の直木賞・吉川英治文学賞・菊池寛賞作家、しかも医学博士で、現場の医師としての経験も持つ渡辺氏ならば、こんな「現代社会の二大テーマ」を、同時に扱った本を作りさえすれば、誰もが手にとり、読んでみようと思うものになるのは、当然と言えば当然のことなのかも知れません。この勢いで、私も、ついでに「愛ルケ」も読んでみようかな……。
2007.03.13
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数日前の夜、 寝床に入る前に、ちょっとだけ何か読もうかなと思って、 買ったまま、まだ読んでいない何冊かの本の中から 取りだしたのが、重松さんの『卒業』。 気軽に読み始めたものの、 さすがに重松さんの作品だけあって深い……。 途中で、やめるにやめられない状況になってしまい、 「まゆみのマーチ」は、最後まで読んでしまいました。 おかげで、翌朝は眠たかった……。しかし、まゆみのような子どもがいた場合、どのように接していくのが良いのでしょうか。母親の対応は素晴らしいと思いますが、かといって、それが教室の中でOKかといえば、なかなか難しいところではないかと思います。もちろん、早川先生のマスクは、ちょっと頂けないと思いますが……。母親の愛情で、小学校には復帰できたものの、それ以後も、学校や世の中となかなかうまくやっていけなかったまゆみ。どうすれば、彼女はより良く日々を過ごすことが出来たのか。それとも、実はこれで良かったのか……。私の中では、答えは出ないままです。
2007.03.10
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これから、この本を購入されようとしている方は、 ちょっとばかり注意が必要です。 それは、本著のタイトル 『日本ほど格差のない国はありません!』を見て、 プロローグ『日本に格差社会なんてあるものか』まで読んだ段階では、 何の疑いもなく、最近書かれた著作だと思いこんで購入してしまい、 最後に、ガッカリ……という恐れがあるということ。 私自身は、全くそのパターンでした。即ち、第1章以降を読み進めていくと、「何だか、ちょっと昔の話が多いなあ」と感じ始めます。そして、第7章を読み終えた後に、『旧版あとがき』というタイトルを見て、「これ、どういうこと?」と思いながら、最後まで読み進めると、こっそり、こう書いてあるのです。 本書は、1999年12月に弊社より出版された 『金美齢の直言』を改題・改訂した新版です。なるほど、そういうことか……。でも、その部分のガッカリ感を差し引いても、内容は、とっても充実したもの。もちろん、金さんの書いた本なので、やっぱり辛口。そして、「そうだよなぁ。」と納得させられる部分も大。藤原さんや櫻井さんといった、異境で日々を過ごした経験のある方たちが語る日本、そして、金さんのように異境から日本に来られた方たちが語る日本、そこには、日本の中からしか日本を見たことがない者では、なかなか気付くことが出来ない、客観的でリアルな姿があるような気がします。
2007.03.10
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本著は、タイトルに 「学校では絶対教えてくれない」とあるように、 普段学校で生徒たちが学んでいる視点とは、少し違った視点から 「どうして人は勉強するのか」 「何のために生きているのか」について、 著者が本音で語っています。 第1章では、「子供たちはよく『自由が欲しい』と 呪文のように毎日毎日不満げに唱えますが、 実のところ、子供たちが欲しがっているのは自由ではなく特権であることを教えてやるべきです。」としたうえで、「自由」と「特権」の本当の意味を探っていきます。第2章以降は、人が勉強し、特権を得ようとするのはなぜかを解き明かすため、「人は何のために生きているのか」を考え、男女別に「勉強する意味は何なのか」について語ります。「生きていくこと」を子供たちに語る時、ひとつのヒントになる一冊です。※ この記事は、他サイトに2005年01月10日に投稿した記事を サイト閉鎖に伴い、こちらに移転したものです。
2007.03.10
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今までにないほど、盛りだくさんな内容。 新しい船、サウザンド・サニー号が完成し、 その船を造ったフランキーが、 新しくルフィー海賊団に加わることに。 そして、ルフィーの祖父がいきなり登場。 その人物は、海軍本部中将モンキー・D・ガープ。 さらに、ルフィーの父についても、突然、事実が判明。 その人は、世界最悪の犯罪者・革命家モンキー・D・ドラゴン。そんな中、懐かしい顔が、次々に登場。海軍で逞しく成長したコビーとヘルメッポ、赤髪のシャンクスに白ひげ、クロひげに、ルフィーの兄・火拳のエース。偉大なる航路(グランドライン)では、とある島で、准将になったスモーカーと少尉になったたしぎ。サクラ王国では、Dr.クレハに国王になったドルトン。砂の王国・アルバスタでは、ビビとその家臣たちが登場。 さらに、東の海(イーストブルー)では、海上レストラン・バラティエでは、サンジの師匠ゼフとメンバーたち。フーシャ村では、マキノさんに村人たち。シロップ村では、カヤとにんじん・たまねぎ・ピーマンの3人組。シモツキ村では、くいなの父・コウシロウ。ココヤシ村では、ナミの義理の姉・ノジコにゲンさん。ルフィー海賊団の8名全員が賞金首となり、水の都・ウォーターセブンを後にする。目指すは、グランドラインの後半の海、赤い土の大陸(レッドライン)の向こうに広がる最後の海、新世界!!
2007.03.10
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千秋のマルレ・オケ常任デビューは大成功。 そして、第2391回定期演奏会でも バッハを見事に弾き振りし、 千秋サマの実力を見せつけました。 そこへ、登場千秋パパ。 会場にその姿を見つけた途端、 千秋サマに異変が……。 「ここはどこ?」そして、新聞レビューで、評論家から厳しい指摘を受けることに。のだめとも、すれ違いばかり……でも、マルレ・オケのメンバーはそんな千秋をしっかりと受け止めてくれました。もちろん、のだめも。私の「のだめ一気読み」もとうとう、最新刊に到着してしまいました。これで、いつでも好きな時に、続きを読むということが、出来なくなってしまったわけです。次回、続きを読めるのは、いつ頃になるのかな?ところで、さっき「DSのだめカンタービレ」体験版というもをみつけ、早速チャレンジしてみましたが、とっても難しい……。千秋サマを怒らせてばっかりで、なかなかうまくいきません。
2007.03.06
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マルレ・オケの再生に向けて、 新常任指揮者千秋サマと コンマスのトマ・シモンが、 最強タッグを組んで、オケ・メンバーに襲いかかる! オーディションで優秀な人材を確保すると、 しつこくて細かい粘着のリハーサルに 居残りパート練習、 そして、ゲネプロ。表面上や口から出て来る言葉からは、団員間に不協和音が鳴り響いているかに思われましたが、そこは、やっぱりプロ。人目に付かないところで、みんな、うんと頑張って、一人一人が、レベルアップしてました!!迎えた第2390回定期演奏会。重たい空気が漂う中、ウィリアムテル序曲の、平和と自由を謳歌する、スイス独立軍の行進が響き渡る!!!悪夢の決壊をすべて吹き飛ばし、新生マルレ・オケの誕生です!!!!さて、昨年の大晦日に始まった私の「のだめカンタービレ、一気読み」も、いよいよ、次は最新刊というところまで辿り着きました。2か月少々で17冊は、ちょっと時間かけすぎたかも……。
2007.03.05
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