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chiko619 @ Re:新参者(09/22) 「新参者」読みました。 東野圭吾さんは、…
kimiki0593 @ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ はじめまして^^ 先ほどこのロングインタビューを読み終え…
2009.09.23
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カテゴリ: 教育・子育て

 これまでは 『下流志向』 がその座を守り続けてきていたが
 (そしてこの本こそが、私が内田先生にのめり込む契機となったのである)、
 遂にそれを凌ぐ存在が、新たに登場したのである。

 本著は、内田先生の神戸女学院大大学院における2007年の講義を編集したもの。
 掲載されている11の講義では、当時世間を賑わせていた教育改革や教育再生等、
 教育に関するあれこれの問題に対して、内田節が炸裂。
 そこで発せられる言葉の幅の広さと奥行きの深さには、もう脱帽するしかない。


  教育のような惰性の強い制度が不調になっているときに、短期的な解決などありえない。
  長期にわたる忍耐づよい継続的、多角的な努力がなければどうにもならない。
  そのためには「誰が犯人だ」というような他責的な議論は有害無益なのです。(p.174)

まさにその通り。この言葉に何の過不足も感じない。
この後に続く

  問題はすでに起きてしまった。その船に乗り合わせた以上は、
  この事態について自分には直接の責任がないと思っても、
  この危機を脱するためには他の全員と協力しなければならない。
  「私には責任がないから寝ている。責任があるものだけでなんとかしろ」ということが言えるのは、
  実は危機感がないからです。(中略)
  被害評価の低さ(無根拠な楽観)と、自己卑下(無根拠な悲観)、


は、現代の日本社会を見事に言い尽くしており、拍手喝采ものである。

  うんざりする話ですが、ともかく、その全国民を巻き込んだ国策的な
  「自分らしく生きる」「個性的に生きる」キャンペーンの過程で、
  消費行動に際して同意が必要な他者との共生は
  「よくないこと」であるということについての国民的合意がいつのまにか成立しました。

  そんなふうに「自分らしい消費生活」と「家族解体」のあともどりできないプロセスの中で、
  グローバル資本主義は大変に繁盛したのでした。(p.200)

なるほどね……結局誰かが儲けるために、こうなっちゃったってわけだ……。
そしてそのしわ寄せは、儲けた人とは程遠いところにいる人たちの所にまわってきた。

  だから、就活の面接のコツは簡単と言えば簡単だよといつも学生には言っています。
  「自分をよく見せよう」と思わないで、
  その場にいる人たちが(いっしょに面接を受けている競争相手も含めて)
  気分がよくなるようにふるまうことです。
  集団面接でディベートなんかやるときに、周りの人間を黙らせて、
  ひとりで滔々とと自説を述べるような人間はまともな組織は「ノー・サンキュー」です。(中略)
  むしろ、みんなが気分よく話せるように「ファシリテイト」するタイプの人間が高く評価される。
  (p.212)

これから面接試験を受けようとする人には、本当に有り難いアドバイス
(しかし、それを実践することは、思ってる以上に簡単でないと思われる)。

  ミスもチャンスもどちらもグレーゾーンに発生する。
  この経験則が、私たちの社会で現在進行している危機と、
  組織的停滞の理由を説明していると思います。(中略)
  「自己決定・自己責任」すること、「個性的であること」への病的なこだわり、
  「協働」という生き方に対するつよい忌避と
  それがもたらす「共同的に生きる能力」の不足が
  若者たちを非正規雇用や劣悪な労働条件に追い込んでいるということは、
  重ねて確認しておく必要があると思います。(p.222)

先に記したように、本著は大学院における「比較文化・文学」での講義録を編集したもの。
この辺りのお話しは、さすがに世間一般の人々に向けて語られるものとは違って、
アカデミックな香りが漂っています。

  言いたかありませんが、子どもたちが働くモチベーションをなくしたのも、
  モジュール化された仕事しかやりたがらないのも、
  疑似家族的な企業体質が大嫌いなのも、自分の能力について外部評価を受け入れないのも、
  これは私たち日本人が打って一丸となって国策的に推進してきた
  あの「グローバリゼーション」の輝かしい成果でなくて、何なのでありましょう。
  消費単位を細分化するために「家族解体」を掲げ、
  自己決定できる消費生活の素晴らしさを謳い上げ、
  「自分らしさ」とは尽きるところ「商品購入のことなんですよ」と
  二十年間メディアを通じて宣伝し続けてきた企業のみなさんが、今さらそれに頬被りして、
  「なぜ最近の若者は自分の消費生活を最優先して、
   他人と共同で労働することができないのだ」などと凄まれても、
  こちらだって言い返す言葉がない。(p.226)

内田先生、かなり熱くなっているようで、この後も「キャリア教育」について言いたい放題。
これが先に記した「しわ寄せ」が、大学にまわってきた最大(?)のところだから仕方ないか。

  私たちが怒るとき、あまり怒りの感情が高まってこないとき、私たちは怒気を強める。
  怒声を張り上げる。そうすると、自分が口に出した言葉につられて、
  内面の怒りの感情が沸騰してくる。
  まず怒りの感情が内面にあって、それがふさわしい言葉を選んで表出されるのではなく、
  ある言葉を選択したことによって、その言葉にふさわしい感情が内面に形成される。(p.246)

これは確かにそう思う。
つまり、貧困なボキャブラリーからは、
貧困な感情しか湧き起こらず、それ故貧困な行動しか生み出されない。
自分の感情をコントロールし、豊かで人間らしく生きていくためには、
その時々の感情に、出来る限りフィットする言葉の選択肢を増やしておく必要がある。
「キモイ」と「ウザイ」ばかりでは、豊かな未来は切り開けない。  

  前にも話したことがありますが、自分の子どもが生まれたときにそのことを強烈に感じました。
  自分の遺伝子の受け渡しが終わった。
  次世代にDNAが継承された。
  そのことによってドーキンスの「利己的遺伝子」的な考え方からすれば、
  私の仕事はもう終わったわけです。(中略)
  それは「もう、おまえは死んでもいい」ということです。
  子どもが生まれた瞬間に、生物としての仕事を成し遂げたという安心感と虚脱感が同時に来る。
  (p.254)

この部分は凄く共感したというか、実は驚いた。
こんな風に感じる人って、やっぱり他にもいるんだなって。
それも、内田先生と自分とが、全く同じ感覚を抱いたなんてね。
そして、この後はこう続いていく。

  でも、それだけでは終わらない。
  今度は自分から生まれてきた子どもを守り、
  次世代にこの子がDNAを「パス」出来る状態まで養育しなければいけないという
  新たな義務感が湧いてくる。
  これもまったく想像もしていなかった種類の情動でした。
  つまり、「もうおまえの仕事は終わった。もう死んでもいい」というメッセージと
  「石にしがみついてでも生きろ」というメッセージが同時に来るんです。(中略)
  子どもを持つというのはこういう経験のことなのかと、そのときに驚嘆したことを覚えています。

まさに、これこそが親というものだ。  





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Last updated  2009.09.23 15:30:25 コメントを書く
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