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靖国神社で不戦の誓いをしたと言う安倍首相の発言とは裏腹に、自民党は運動方針案の原案にあった「不戦の近いと平和国家の理念を貫くことを決意」との文言を削除し、いよいよ歴史修正主義を実行に移す姿勢を鮮明にしています。このような動きに国民は抗議の声を上げるべきで、メディアもそういう声を積極的に取り上げるべきだと、19日の「しんぶん赤旗」コラムが訴えています; 消費税増税、集団的自衛権の行使、沖縄米軍基地強化、原発再稼働、TPPそして東京都知事選・・・激突の年明けです。安倍政権の歴史偽造と逆コースに反撃する市民、民主勢力も大いに意気が上がっています。 安倍音三首相は6日の年頭会見で、昨年末の「靖国参拝」を正当化し、中国・韓国の反発や同盟国・米国の「失望」表明にも「丁寧に真意を説明すれば、誤解は解ける」と強弁しました。 さらに自民党運動方針最終案(8日発表)も、原案にあった「不戦の誓いと平和国家の理念を貫くことを決意」を削除し「参拝を受け継ぎ、国の礎となられた方々に対する尊崇の念を高め、感謝の誠をささげ」と変えました。19日党大会で正式決定の予定です。 まさに安倍首相の「歴史修正史観」を具体化する内容です。昨年末、多数の反対と懸念に目を傾けず強行成立させた日本版NSC創設法、秘密保護法を土台に、解釈改憲、立法改憲を進め、米国とともに「戦争する国」へまっしぐらです。 これまで、「景気回復」「デフレ脱却」の甘言に惑わされてきたメディアも、安倍政権の正体を見抜き始めました。 まず、ジャーナリストの大先輩たち-むのたけじ(元朝日新聞)、原寿雄(元共同通信)、澤地久枝(元中央公論)、内橋亮人(元神戸新聞)各氏ほかが呼びかけ、「特定秘密法廃止と安倍政権退陣を求める緊急会見」(14日、東京・内幸町・日本記者クラブ)でのろしをあげました。 メディアや法曹関連団体などでつくる「Stop!秘密保護法共同行動」の街頭行動(14日・有楽町)や、院内集会(16日、参議院会館)なども。昨年11~12月国会包囲行動の中心となった実行委員会も継続して、通常国会開会日(24日)に終日行動を行います。 市民の声と運動が重なり合い、ジャーナリズムが呼応する・・・それぞれが真価を発揮する年にしたいものです。 (あべ・ひろし=新聞ジャーナリスト)2014年1月19日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-激突の年真価発揮を」から引用 二回目の安倍政権は、発足の一年目は経済政策をメインにして国民の支持を集める姿勢でやってきましたが、いよいよ二年目は本性をむき出しに暴走する様相を見せ始めています。戦後68年の平和国家としての歩みを踏み外すことのないように、私たちは国民の意志を明らかにしていく必要があると思います。
2014年01月31日
元外交官で京都産業大学教授の東郷和彦氏はどちらかと言えば改憲論者で、私とは若干考え方を異にするものですが、安倍首相の独りよがりのデタラメな政治姿勢の前には、共通する意見が多く見られます。12月29日の朝日新聞のインタビューでは、東郷氏は次のように述べています; 先の戦争で亡くなった人たちを慰霊する場として、私は条件さえ整えば、靖国神社が最適だと考えます。しかし今の状況での首相の参拝には賛成できません。 一番の問題は、日本の戦争責任について日本人自身がいまだに総括していないことです。中国や韓国が反発するから、米国が何か言ってくるから、何とかしないと、という問題ではないのです。 退官後の2006年、小泉純一郎首相が靖国に参拝する少し前に、私は首相の参拝を「一時停止」し、A級戦犯合祀(ごうし)を始めとした問題を解決した上で再開すべきだと提言しました。しかし、その後7年、議論らしい議論もないまま、安倍晋三首相は参拝しました。極めて残念です。 * <戦争責任直視を> そもそも、日本人全体の戦争責任をどう考えるのか。 日本による満州国の建設、盧溝橋事件に始まる日中戦争、中国南部への進出など、徐々に広がっていく過程を国民は見ていました。知らなかったとは言えません。 しかも日本人の中に、赤紙一枚で召集された兵と、それを指揮した人を同列に扱うのかという根深い対立がある。靖国問題とは、まず私たち日本人の問題なのです。 自前の歴史認識を作る代わりに、日本は中国製の歴史認識を受け入れたと言われても仕方のない行動をとりました。1972年の日中国交正常化の時に当時の周恩来・中国首相が出した「日本軍国主義は日中人民の共通の敵」という「周恩来テーゼ」です。悪いのは日本の一部の軍人や軍国主義者たちで、大多数の日本国民は被害者だったというものです。 当時の田中角栄首相は反論しなかったし、歴代首相もとりたてて反論はしませんでした。国際社会では反論しなければ受け入れたとみなされます。A級戦犯は国際的に日本軍国主義の象徴とされてしまった以上、反論するにはよほどの覚悟が必要です。 * <不信深める挑発> 06年の小泉参拝当時に比べて国際情勢は大きく変わり、事態はさらに深刻です。 昨年9月の国有化以降、尖閣諸島の周辺で日本と中国の間で戦争が始まるかもしれないという危険な状態が続いています。 首相の責務は、尖閣が日本の領土だという筋を通しつつ、中国との戦争を回避することにあります。方法は抑止と対話の二つ。抑止は重要ですが、装備を増強するだけでは危険度が逆に増してしまう。対話は不可欠です。 対話を成功させるためには、不信感が生じるようなことは一切差し控えるべきでした。中国は靖国を、首脳会談が困難になるくらい重大な問題ととらえている。それを承知して参拝したことで、中国からの日本の首相への不信感は増幅します。限りなく危険です。 米国は靖国問題で中国を挑発するな、という意味のメッセージを送り続けていました。にもかかわらず、参拝してしまった。 万が一、中国との間で戦争状態になった時に、米国は本当に助けに来るのか。米国世論はどう出るか。中国を挑発するような愚かな国のために血を流す必要があるのか、ともなりかねません。 同盟国に対して「失望した」と言うことの恐ろしさを知ってほしい。外交の世界で同盟国にこんなにはっきり言うのは異例です。 韓国にとって靖国は主要問題ではないと私は考えています。しかし、韓国が反発するのは明らかです。理由なく悪化している日韓関係の立て直しこそ首相の重大な職責にもかかわらず、また一つ不信の要因を作ってしまった。 北方領土をめぐり、プーチン大統領との間で、かつてない打開の機会があると見られたロシアからも批判の声があがり、日本との関係を進めようという力を大きく減らしてしまいました。 安倍首相は、靖国参拝というたった一つの行動によって、米中韓ロの歴史認識に関する包囲網を作らせてしまった。安倍さんの周りには優れたアドバイザーがたくさんいるのに、どうしてこういう行動になってしまったのか。日本人として極めて悲しい。 日本人自身としての歴史認識と、外交の優先順位の原点に戻って考え直す必要があると思います。 (聞き手・編集委員 刀祢館正明) * とうごうかずひこ 45年生まれ。外務省条約局長、欧州局長などを歴任。元外相でA級戦犯の東郷茂徳は祖父。著書に「歴史認識を問い直す」「歴史と外交」など。2013年12月29日 朝日新聞朝刊 12版 9ページ「靖国参拝 信念の向こう側」から一部を引用 元外務官僚による上記の指摘は大変重要で、日本が国際社会で孤立していることは明らかです。年が明けてからの報道によると、安倍首相の靖国参拝の2週間前には米国副大統領から靖国参拝を思いとどまるように要請する電話が安倍氏に直接あったとのことで、米国の面子を台無しにし日本の国益を損なった首相の責任は重大です。
2014年01月30日
安倍首相の軽率な発言を痛烈に批判する投書が、12月29日の朝日新聞に掲載された; 安倍晋三首相が靖国神社参拝後に発表した談話や記者団に語った内容は、言葉巧みにこの国を危うい方向に導こうとする、この政権の本質を遺憾なく表していると思う。 談話には「二度と戦争を起こしてはならない」とあるが、一方で安倍政権は集団的自衛権を認め、武器輸出三原則を見直し、さらにはまさに「過去への痛切な反省の上に立っ」て支持されてきた平和憲法まで変えようとしている。既に弾薬1万発が韓国軍に譲渡された。日本の武器で人が死ぬかもしれないのだ。 「信なくば立たず」というが、これほど言葉が軽い首相のどこを、私たちは信じればいいのだろうか。 また、韓国・中国の反発を念頭に、これからも謙虚に説明し、対話を求めていきたい、と述べている。しかし先に相手を傷つけても後から説明すれば分かってもらえるということであれば、あまりに独善的過ぎよう。私たちは同じ言い回しを特定秘密保護法の成立過程で何度も聞かされたが、結局法はその本質を変えることなく成立している。 力で反対を押し切る強権的な手法が外交に持ち込まれたら、緊張は高まるばかりだ。今必要なのは二度と戦争を起こさない知恵と行動だ。2013年12月29日 朝日新聞朝刊 12版 8ページ「声-言葉軽すぎる首相の靖国参拝」から引用 二度と戦争をしてはならないと言いつつ、でも集団的自衛権の行使を容認して何時でも戦争できる体制にする。過去の戦争を痛切に反省すると言いつつ、でも戦争を禁じた憲法は変更したい。このような状況を見れば、誰でも安倍氏は本音を言ってるとは思わないでしょう。自分のやりたいことを、出来るだけ国民の抵抗を少なくするために耳障りの良い発言をしているだけであることは、すぐに分ります。こういう手口に、国民がいつまで騙され続けるのか、見ものです。
2014年01月29日
安倍首相の靖国神社参拝を痛烈に批判する投書が、12月28日の朝日新聞に掲載された; 安倍首相が就任1年を迎えた26日、靖国神社に参拝した。衝撃は大きい。予測されたように、米国を含む諸外国から一斉に反発・非難の声明が出された。 なぜここまで靖国参拝が問題視されるのか。それはひとえに靖国神社が軍国主義の象徴だからである。そもそも靖国神社は、明治以降の日本の戦争・内戦で政府・朝廷側で戦没した軍人らを祀(まつ)る神社だ。戦後の1978年、それにA級戦犯14人が合祀(ごうし)された。それ故、靖国に一国の代表である首相が参拝することは、日本の軍国主義による侵略の責任を認めないという意味を持ち、近隣諸国の神経を逆なですることになる。 一般市民による戦没者慰霊と、首相が侵略のシンボルである靖国に参拝することは意味合いが全く違う。無謀な戦争で多数の国民や周辺国の国民の命を奪ったA級戦犯の責任は大きい。靖国参拝はその認識を欠く。安倍氏は首相失格と言わざるを得ない。2013年12月28日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-侵略の反省欠く首相の参拝」から引用 戦没者遺族ならまだしも、首相の靖国神社参拝に何故、国の内外から批判が出るのか、この投書は比較的ていねいに説明しています。一国の首相たる者、この程度の常識は身につけてほしいものです。元は軍人であった中曽根康弘氏も、一度はやむにやまれぬ気持ちから参拝したものの、問題の本質に気付いて二度と参拝はしませんでした。日本の首相に求められる最低限の常識です。
2014年01月28日
安倍首相の独りよがりの靖国参拝を厳しく糾弾する投書が、12月28日の朝日新聞に掲載された; 国のリーダーに個人の信条で行動されたら困る。リーダーとは、ビジョンを打ち出し、その行く先への道筋を示し、率先垂範するものだ。そういう意味で安倍首相は、成長戦略を始めたところまではリーダーとして信頼できた。その後、特定秘密保護法あたりから、リーダーとしての顔は失せ、中間管理職の発想・行動に劣化し始めた。 そして、国の信条でもなく、個人の信条で公に靖国参拝するに至って、リーダーとしての資格を失った。靖国参拝がリーダーたるものの責務だと思っているのなら、個人の信条と公のリーダーであることを混同することであり、間違った方向に進むことにつながる。 これ以上、中韓両国との関係が悪化することはないと踏んで、個人の信条と、ひとりよがりの責任感で参拝したのなら、リーダーとしての資質に失望の極みだ。リーダーたらんとするならば、我慢としたたかさを求めたい。2013年12月28日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-公私混同、リーダーの資格なし」から引用 この投書が言うように、一国の首相たるものは国の信条に基づき国家を代表する者としてやるべきことをやるのが筋というものである。先の十五年戦争は、戦後の日本外交において天皇や首相から戦争被害国に向けて何度と無く「誤れる国策」を謝罪する発言がなされたもので、「侵略戦争に対する反省と謝罪」がわが国の信条である。したがって、この反省すべき「侵略戦争」に動員されて不本意にも命を失った戦没者に対しても、日本政府は謝罪こそ必要であり、「国のためによくやってくれた」などと「尊崇の念」をもって顕彰するのは「反省と謝罪」を棚上げする態度であり、これは、戦争被害国に対する背信であると同時に、戦没者や国民をも裏切る行為である。幼稚な愛国心を振り回す安倍首相の資質が疑われる。
2014年01月27日
安倍首相の政治姿勢を厳しく批判する二十歳の大学生の投書が、12月28日の朝日新聞に掲載された; 靖国神社に参拝した安倍首相は「英霊のご冥福をお祈りし、手を合わせるのは世界共通のリーダーの姿勢」というが、近隣諸国との関係を悪くする行動が果たしてリーダーの姿勢と言えるだろうか。「中韓の人の気持ちを傷つける気はない」といっても、相手次第である。誤解を解くために本当に必要なことは過去の事実をしっかりと受け止めることではないだろうか。 安倍政権はかねて温めていたらしい安全保障政策を一気に推し進めている。今月閣議決定した国家安全保障戦略で武器輸出三原則の見直しを明記し、先月は自衛隊員の携行武器制限を撤廃する方針も打ち出した。 首相は今こそ転換点と考えているようだが、一時的に国会に占めた「数の力」で戦後68年間守られてきた日本の平和主義を変えるのはよいことだろうか。戦時中の苦しさを祖父母から聞いて育った私は、今回の政府の戦争を肯定するかに見受けられる方針転換には危機感を抱く。 現政権が決めたことは私たち若者やその次世代の国民の暮らしに大きく関わってくる。今こそ若者が「日本の平和」に正面から向き合い、考える時ではなかろうか。2013年12月28日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-靖国参拝、若者も平和考える時」から引用 この投書が指摘する安倍首相の「英霊のご冥福をお祈りし、手を合わせるのは世界共通のリーダーの姿勢」という発言には、歴史認識が欠如している。先の大戦で敗北し国家滅亡の寸前で連合国側が出してくれたポツダム宣言には「日本国民をだまして戦争に動員した権力者とその勢力を永遠に除去する」という条件が入っていて、日本政府はこれを受諾したから、戦闘はその時点で終了し、戦後処理の交渉に入ったのであった。それから68年たって安倍首相が参拝した靖国神社は、戦争責任者を「永遠に除去する」どころか英霊として祀っているのであるから、そこに参拝するというのは「ポツダム宣言」を無視する行為であり、連合国側のリーダーであるアメリカ政府の顔に泥を塗る所業と言わざるを得ない。よくアメリカ政府が「失望した」程度の表現で自制できているものだと感心する次第である。
2014年01月26日
昨年末のどさくさに紛れていきなり靖国参拝を強行した安倍首相を、痛烈に批判する投書が12月28日の朝日新聞に掲載された; 安倍晋三首相が靖国神社参拝を断行した。中国、韓国が直ちに厳しい抗議を表明したのは当然の成り行きだ。安倍首相は参拝後、記者団に「これからも謙虚に、礼儀正しく誠意をもって説明し、対話を求めていきたい」と述べた。しかし、中韓両国としては、安倍首相の行動は、まず相手を殴ってから説明を聞いてほしいと言っているのに等しいと受け取るのではないか。 安倍首相が本気で中韓両国と仲良くしたいと思うならば、何はともあれ相手の嫌がることは行わないことだ。次に相手の言い分をじっくり聞く。その上で靖国参拝についての自分の考えを説明し、どうしても相手に受け入れてもらえなければ、信念に基づいての靖国参拝は封印するのが大政治家というものだ。 猪瀬直樹前東京都知事は、退任前に、自分は政治のアマチュアだったと話したが、安倍首相は「外交のアマであり、政治のアマ」と言えよう。都政よりはるかに巨大な国政を今後も担い続けられるのだろうか。 多くの国民は中韓両国との対立を憂えており、一刻も早い友好関係の復活を期待している。両国との対話を早期に実現できれば、安倍首相が政治のアマでないことを示す絶好の事例となるのではないか。2013年12月28日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-安倍首相、外交のアマ政治家か」から引用 この投書は問題の核心を突いている。安倍首相は自分のやりたいことを先にやってしまって、後から「丁寧に説明する」などと言ってもそれは口先だけのことで、誠意はまったく無いことが中国や韓国に見え透いている。多分本人もそういう自覚はあって、ただアリバイ作りに「対話のドアは開いている」と言っているに過ぎず、日本の国益のために日中関係、日韓関係を正常化しようという意志はまったく無いと言える。こういう態度では日本のリーダーとして失格であることを、国民は認識するべきだ。経済指標が表向き良くなっているかのような幻想に騙されて、このような愚劣な宰相を擁して行けば「失われた数十年」をさらに延長することになりかねない。
2014年01月25日
昨年夏の参議院選挙で初当選した共産党の吉良佳子氏は、12月24日の朝日新聞インタビューに応えて、次のように述べています; 「共産党のイメージ変えましたね」とよく言われます。私は変えたとは思っていなくて、私自身の活動自体が共産党そのもので、私という人間を通して党を知っていただかなければいけないと思っているんです。 安倍政権が特定秘密保護法案を提出しようと準備していた今年9月。事務所に「あなたは法案に賛成しますか」と問い合わせがかなり来ました。戦前から国民主権、平和、民主主義を掲げた歴史を持つ政党。憲法の根幹を揺るがす法案に賛成できるわけはないのに、まだまだ共産党が何を訴え、どういう政党であるか浸透していないと突きつけられたように思います。 「党名を変えては」という声は一般有権者に恒常的にありますが、名前を変えても「元共産党だよね」で終わり。何も悪いことをしていないのに有権者におもねるものでもないと思う。 結党から91年の歴史は人々の苦難をどう救うかと考え、行動してきた党員たちが連綿と作ってきたのだと思います。ソ連や中国の共産党から介入を受け、党が分裂の危機にあった1950年代にも地域や職場の党員は奮闘し、自主独立の党を確立していったことがすごいと思っています。 小林多喜二は貧困と重労働に苦しむ人々に寄り添い、その人生をどうよくしていくか真剣に考え、屈しなかった。多喜二を描いた演劇に「後に続く者を信じて走れ」というセリフがあります。たとえ自分の人生はここで終わっても、後に続く者がいる。私も後に続く者の一人として頑張ろうと思いました。就職活動中に60社にエントリーして内定はたった1社。7次面接で落とされた時も、「あきらめない」という気持ちをもらいました。 原点は平和です。小学校低学年のころ、家にあった「ひろしまのピカ」「おこりじぞう」など戦争の絵本を読んで衝撃を受け、旅客機が飛ぶ音を聞くだけで核爆弾を想像し、おびえるようになった。そこで母が「日本には憲法9条があるから絶対に戦争はしない。そして戦争の時にも戦争反対を言っていた人がいた」という話をしてくれたのが最初の出会いでした。 綱領を理解し、しんぶん赤旗を読み、党費を納めることなどを確認すれば誰でも党員になれる。私も日々勉強しています。マルクスの資本論は1巻を読み始めたところ。それも不破哲三さんが書いている解説本を横に置きながら、「こういう意味かな」と。次の世代に新しいバトンを渡すため一歩一歩歩んでいます。(聞き手・松田京平) * きらよしこ 共産党の参院議員 82年生まれ。参院議員秘書を経て、13年参院選東京選挙区で共産党候補として12年ぶりに当選。国会ではブラック企業問題で実名を挙げて追及2013年12月24日 朝日新聞朝刊 12版 9ページ「『資本論』読み始めたばかり 吉良佳子さん」から引用 マスコミは選挙運動中から吉良さんの活動とそれに呼応する有権者の反応を指して「共産党のイメージを変えた」と報道してましたが、私が思うには、吉良さんの言動は今までの共産党候補者のそれとあまり代わり映えのしない内容だったと思いました。しかし、吉良さんに対する有権者の反応は確かに今までの共産党候補に対する反応とは違っていました。若い候補者の出現で若い有権者の反応が変わったのではないかと思います。これからの日本は、若い人たちの努力で新しい地平を開いていってほしいと思います。
2014年01月24日
戦前に活躍したジャーナリスト、桐生悠々について、12月24日の朝日新聞コラム「記者有論」は次のように論評している; 戦前、わずか6年間に27回も発禁や記事削除の命令を受けたメディアがあった。朝日新聞記者や信濃毎日新聞主筆を務めた桐生悠々(きりゅうゆうゆう)による個人雑誌「他山の石」だ。 初の発禁は創刊翌年の1935(昭和10)年の記事「広田外相の平和保障」。内務省警保局は「我国ノ戦争ニ対スル正義観ヲ歪曲(わいきょく)シ、反戦的思想ヲ誘致」したと判断した。 しかし、実際の文章は「その職業意識から、戦争あれかしと希望する結果、ややもすれば瓢箪(ひょうたん)から駒を飛び出させ、想像を現実の舞台に追い出すに何の不思議があらう」と、軍人優勢の風潮に警鐘を鳴らしたものだった。 36(昭和11)年の2・26事件後の「言論自由の再実現」では「言論機関をして『軍部』といふ言葉にすら伏せ字を使はしめつつある今日の世態は、天に口なし人をもって言はしむる真理そのものを抹殺せんとするものである」と書き、発禁にされた。 軍部批判は一貫していた。信毎主筆時代の33(昭和8)年の「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」で「投下された爆弾が火災を起(おこ)す以外に、各所に火を失し、そこに阿鼻叫喚(あびきょうかん)の一大修羅場を演じ、関東地方大震災当時と同様の惨状を呈する」「敵機を関東の空に、帝都の空に迎え撃つといふことは、我軍の敗北そのものである」と約10年後を見通した。 憤慨した在郷軍人が新聞の不買運動をすると騒ぎ、主筆のクビを切れと求めたため、悠々は退社に追い込まれる。しかし、筆は折らない。翌年、「他山の石」の前身となる冊子を創刊したのだ。 悠々の背後には読者たちの支えがあった。購読料を納める会員は300人以上。尾崎行雄ら政治家、松永安左エ門、岩波茂雄、徳田秋声ら経済人、文化人も支援した。 激しさを増す弾圧で支援の輪は小さくなり、暮らしも悪化する。その一方で信濃毎日新聞の前任主筆、風見章司法相が悠々宅を訪ね大金を置いていったり、子どもの学費を出したりと支える人もいた。 悠々は日米開戦直前、世を去る。病床で友人らに「軍閥がワシントンの戦犯法廷へ引きずり出される最後の姿を見届けないで死ぬのが残念だ」と語ったという。葬儀には憲兵が目を光らせた。 新聞は権力を監視する使命がある。しかし、それを可能にするのは支えてくれる人たちがいてこそ、だ。読者の信頼を裏切ってはならない。特定秘密保護法が成立した今、その思いを新たにしている。 (こまのつよし オピニオン編集部)2013年12月24日 朝日新聞朝刊 12版 8ページ「(記者有論)言論の使命 読者の信頼に応えてこそ」から引用 戦前、軍部が暴走して、大部分の新聞がそれを批判するどころか、ますます煽るような世の中にあって、一人反対の論陣を張った桐生悠々は、正にジャーナリストの鑑と言えます。日米開戦の前に既に日本の軍閥が戦犯法廷で裁かれることを予測したとは、実に「真理は少数意見の中にあり」を示していると言えます。
2014年01月23日
安倍首相が「積極的平和主義」と言うのを、私は一度だけテレビのニュースで見ましたが、新聞報道によれば首相はけっこう頻繁に「積極的平和主義」を発言しているらしく、そのイカサマ性を指摘する投書が、12月24日の朝日新聞に掲載されました; 昨今の政府の動きには「戦争のできる国にしておかないとやられるのではないか」という強いおびえがあるように見えます。しかし、悲惨な戦争の現実から何も学んでおられないのでしょうか。いったん事が起これば人類の存在まで危ないという想像力はないようです。 戦争はゲームではありません。共に生きてきた親子、夫婦、きょうだい、友人といった大切な人間関係が引き裂かれ、奪われることです。同時に、食べられなくなることです。 原発事故や地球規模の自然災害などで家族や故郷を奪われ、悲しみを生きる人々のあふれる社会の中で、さらなる悲しみを生む方向へと踏み出すのは愚行でしょう。 軍備を拡張し、この世に武器をあふれさせながら平和実現に貢献するという「積極的平和主義」は根本的に成り立ちません。米国の銃規制の問題と同様、武器ある限り殺人が絶えないという現実があるのですから。 文化や考え方の異なる国々の垣根を越え、憎しみを乗り越えながら、相互に尊重し合い互恵関係を結ぶ最大限の努力が、地球人として今、本当に必要ではないでしょうか。 武器を準備するお金は環境問題など真の平和を実現するためにこそ、使っていただきたいです。2013年12月24日 朝日新聞朝刊 12版 8ページ「声-『積極的平和主義』成り立たぬ」から引用 現代の政治家が「戦争のできる国にしておかないとやられるのではないか」と考えているのは残念なことです。米ソの冷戦時代は現代よりも一層、厳しい国際環境であったにも関わらず、自民党長期政権が憲法9条を堅持し平和国家建設に努力してきました。現代の政権担当者は、そのような先達の努力をもう一度振り返って学習する必要があると思います。もし、自民公明にはそのような人材が払底してしまったというのであれば、これからの平和国家建設の事業は、新しい力としての共産党・社民党にバトンタッチしてもいいのではないかと思います。
2014年01月22日
暮れの安倍首相の靖国参拝が国際社会から批判されていると、12日の「しんぶん赤旗」が報道している; 昨年12月26日、突如、靖国神社に参拝した安倍晋三首相。韓国、中国はもとより、米国、ロシアまで世界中で厳しい批判が起きています。参拝は東アジアの緊張を激化するばかりか、第2次大戦後の国際秩序の根本を覆すものだからです。 坂口明記者 「参拝は、御英霊に、二度と再び戦争の惨禍に苦しむことの無い時代を創る決意を伝えるためだ。中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは全くない」-安倍首相は参拝後に発表した談話で、こう釈明しました。 しかし、中韓両国は「国際正義への公然たる挑戦」(王毅・中国外相)、「北東アジアの安定と協力を根本から損なう時代錯誤の行為」(韓国政府声明)だと直ちに厳しく批判しました。米国も26日に在日米国大使館の声明を出し、次のように批判しました。 「日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかしながら、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している」 欧州連合(EU)のアシュトン外交安全保障上級代表は「地域の緊張緩和や近隣諸国との関係改善に貢献しない」と表明。播基文(パン・ギムン)国連事務総長も声明で「他者の感情、とりわけ犠牲者の記憶に敏感である必要」を強調しました。◆「民族主義的」 今回の靖国参拝で米国が、「遺憾」や「懸念」でなく「失望」という異例の強い表現で「同盟国」を批判したことが国際的に注目されています。米国務省のハーフ副報道官は12月30日の記者会見で26日の声明を再確認。「失望」という表現について「われわれが選んだ言葉をみればメッセージは極めて明瞭だ」と述べました。 ヘーゲル米国防長官も1月4日、小野寺五典防衛相との電話会談で、「日本が近隣諸国との関係を改善し、域内の平和と安定を前進させる協力を促進する措置をとる重要性」を強調しました。 米シンクタンク、外交問題評議会のシーラ・スミス上級研究員(日本担当)は、靖国参拝が中韓両国との関係を悪化させるだけでなく、「安倍政権は、北東アジアでの危険を米国の政策立案者と同様に捉えているとの(米側の)確信を損なう」と指摘。日本が「合理的な戦略的選択ではなく民族主義的感情」に基づいて行動しているとの懸念が米国で生じていると言います。(12月30日付論評) 同氏はまた、中曽根首相や小泉首相が靖国参拝した時期と比べ「今日の北東アジアは、はるかに複雑で、はるかに大きな戦略的危険をもった情勢」だと強調しています。 米国は日米軍事同盟強化の路線とともに、中国などに対し、外交的関与を通じて影響力を強めるという基本戦略をとっています。安倍首相の靖国参拝は、そうした米国のアジア戦略にもマイナスになるということです。◆根本的な問題 世界が批判するのは、首相の靖国参拝が根本的な問題点をもっているからです。 靖国神社は、(1)戦争中は国民を戦場に動員する役割を担った神社(2)今も、日本軍国主義による侵略戦争を、「自存自衛の正義のたたかい」「アジア解放の戦争」と美化、宣伝する特殊な施設(3)戦争を起こした罪を問われたA級戦犯が、戦争の犠牲者として合祀(ごうし)されている施設-です。 この施設への首相の参拝は、侵略戦争を肯定・美化する立場に自らの身を置くと世界に宣言することにはかなりません。 第2次大戦後の国際秩序は、日独伊による侵略戦争を不正不義のものと断罪することを共通の土台としています。首相の行為は、今日の国際秩序への正面からの挑戦です。◆侵略を「正しい戦争」靖国神社とは 東京・九段にある靖国神社は1869年、東京招魂社(しょうこんしゃ)としてつくられ、1879年に靖国神社に改称。最初から兵部(ひょうぶ)省など軍事官庁が管理していました。1930年代以降、天皇のために「名誉の戦死」をした人を「護国の英霊(神)」として祀(まつ)る施設になりました。 78年には、東京裁判(46~48年)で戦争を起こした罪を問われた東条英機元首相らA級戦犯14人を、「昭和殉難者」=戦争の犠牲者として合祀しました。 靖国神社には遊就館(ゆうしゅうかん)という展示館があり、侵略戦争を美化。同神社は日本の戦争を「正しい戦争」として宣伝するセンターの役割を果たしています。2014年1月12日 「しんぶん赤旗」日曜版 7ページ「安倍首相 世界が批判」から引用 首相が神社を参拝することは憲法に違反する上に、この記事が示すように、国際社会にも問題を提起することになります。中曽根首相や小泉首相が参拝した当時に比べて、現在の国際社会ははるかに複雑で微妙な情勢になっていると記事は指摘しますが、その辺の情勢判断ができていないという点で、安倍氏の政治感覚はかなりお粗末で、首相の座に留まるには危うい政治家であることを、我々は認識する必要があります。
2014年01月21日
天皇が誕生日に記者団に語ったコメントに関連して、10日の東京新聞投書は次のように述べている; 天皇陛下が昨年12月23日、80歳の誕生日を迎え、80年を振り返った感想や印象に残ったことをお答えになった。 その中に「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして日本国憲法を作り…」との言葉があった。 私には、この言葉は、憲法を改正し戦前の誤った日本へ立ち返ろうとしている安倍政権に警鐘を鳴らしているかのように思えてなりません。 日本国憲法は過去の過ちの反省下にできた世界に誇れる平和憲法です。しかし、安倍政権は平和維持の名のもとに軍備を増強するなど右傾化が気になります。改憲や軍備を増強することは周辺諸国にとっては逆に大きな脅威になってしまうように思います。 日本が今の憲法下にあることで、日本や周辺諸国、さらには世界が平和であることを見誤ってはいけないと思います。政権与党の言う日本を取り戻してはしくはありません。2014年1月10日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-改憲を目指す政権への警鐘」から引用 私もこの投書に同感です。日本が敗戦したとき、今上天皇は12歳の少年でそれなりに苦労をしていたものと思われます。そのような体験からも、現行憲法は国民にとってはもちろんのこと、皇室にとってもかけがえのない大切なものに違いありません。政治的権能は極度に制限される代わりに政治責任を追及されることは無く、身分と生活が憲法で保障されるのですから、有難くないわけがありません。このような制度が長く続くためには、国民の間に民主主義を定着させることが肝心です。したがって、全国の学校という学校に日の丸を上げさせることが教育委員の仕事だ、などという発言はあってはならないことだったわけで、去年の春、安倍内閣が強行した「主権回復の日」で予定に無かった「万歳三唱」などは、今上天皇にとっては如何に迷惑であったか知れません。今回の誕生日のコメントは、あの「万歳三唱」に対するカウンターであり、改憲を目指す安倍政権への警鐘であることに間違いはありません。
2014年01月20日
法政大学名誉教授の抽井林二郎氏は、昨年暮れに都知事を辞任した猪瀬直樹氏について、10日の東京新聞投書欄に次のように書いている; 猪瀬直樹クンに言う。私があなたをクンづけで呼ぶのは、今やお互い一介の都民であり、また物書き同士だからです。 猪瀬クン、あなたは政治に手を出すべきではなかった。物書きが政治にかかわると必ず文章が汚れます。せっかく、あれだけの文章力と才覚があったのですから、石原慎太郎元知事のアドバイザーで満足していればよかったのです。 あなたは、アマチュアだったから失敗したと言います。しかし、あなたは、政治の恐ろしさを知らなかった。物書きが政治に手を出すことは、悪魔と契約を結ぶに等しいのです。 都知事辞任後、再び作家としてご奉仕したい、とあなたは言う。しかし、あなたの書くものを誰が信用するでしょうか。ただ一つ善くに値するのは真実の告白書です。同じ大宅壮一ノンフィクション賞の受賞者として私はその儀悔(ざんげ)録に期待します。それができたらあなたは、作家としてもう一度復活できるでしょう。2014年1月10日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-猪瀬直樹クン 真実執筆して」から引用 有能なノンフィクション作家の猪瀬氏があのような不祥事で都知事を辞任したのは、意外でもあり残念なことであった。福島や新潟・柏崎の原発から供給されていた電力量がゼロとなっている対策として、それに見合う電力量を東京湾の火力発電で補うために、老朽化した設備を更新する事業が途中であったことも残念であるが、原発がなくても東京は大丈夫という見通しはついたので、次の都知事には是非この事業を継続していただきたい。
2014年01月19日
年末のどさくさに紛れて靖国神社を参拝した安倍首相を、痛烈に批判する投書が10日の東京新聞に掲載された; 昨年12月26日午前、安倍普三首相は靖国神社に参拝した。事前にマスメディアに通告し、衆人環視の中、公用車を使い、SPを従えて、内閣総理大臣名の献花をしての参拝である。これは日本国民のみならず、全世界に見せ付ける行為にはかならない。この行為は憲法20条の政教分離の規定に明らかに違反するものだ。 国の最高機関の首相参拝は、宗教法人である靖国神社を援助、助長する行為である。首相は談話で「・・・尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、尊崇の念を表し・・・」と述べている。そもそも戦没者を「英霊」と呼ぶことは国や靖国神社が戦争を進めるために戦死者につけた尊称であり、靖国の教義を代弁していることになる。 メディアは中国や韓国の反発を問題にするが、私たちはまず、国内問題であることを認識すべきである。また、A級戦犯が合祀(ごうし)されていることが一番の問題ともいわれるが、これは問題の本質ではない。私たちは靖国神社が戦没者の追悼にふさわしい場でないことを理解しなければならない。 日清戦争当時、福沢諭吉は「天皇・国が戦死者の過悼儀式を大々的にやって遺族を敵撫しなければ今後の戦争を続けられない」と言った。まさに靖国神社が戦争神社であることの本質を表している。 この神社に参拝した首相が「不戦の誓いを堅持していく決意を、新たにしてまいりました」と言うのは全く場違いな詭弁(きべん)で、その行為とは懸け離れている。それほどまで戦没者を追悼したいのであれば、別の場で一人ひっそりとすればよいことである。2014年1月10日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「ミラー-靖国参拝の説明詭弁」から引用 国の最高機関を代表する首相が、特定の宗教を宣伝するような行為をすることは、この投書が指摘するとおり、憲法に違反している。首相であっても個人として信教は自由だというのであれば、闇夜に紛れて深夜に一人で参拝すればいいのであるが、これ見よがしに関係各方面に連絡を入れて参拝するのは、信仰心と言うよりは独りよがりの自己顕示欲というほかない。そんな浅ましい言動で国際問題を引き起こすというのは、国政のトップにあるまじき不祥事というものだ。首相にこのような愚行を許す背景には、国民世論の靖国神社に対する曖昧な認識がある。靖国神社は、この投書が指摘するように、福沢諭吉が戦争遂行のためにその必要性を主張して作られたもので、遺族でもない者がそこに参拝するのは、これからも戦争をやるという意思表示をするようなものであり、国際問題になるのは当たり前だ。私たちは靖国神社が戦没者追悼に相応しい場ではないことを理解する必要がある。
2014年01月18日
ベトナム戦争に派兵した韓国は、その後アメリカに加担して派兵したのは誤りであったとの反省から、金大中大統領や盧武鉉大統領が訪問したときはベトナム政府に謝罪する発言を行っていたが、こんどの朴槿恵大統領が訪問したときはその謝罪が無かった。そのことについて、日本の一部に「韓国だって謝罪しないじゃないか」という者がいるが、それは見当違いであると、12月21日の朝日新聞で京都大学、伊藤正子准教授が述べている; かつて韓国は米国に加担し、ベトナム戦争に派兵した。今年9月にベトナムを訪れた朴槿恵(パククネ)大統領は、原発輸出や自由貿易協定などセールス外交に力を注ぐ一方、以前の金大中(キムデジュン)、盧武鉉(ノムヒョン)大統領とは異なり、謝罪をしなかった。韓国の進歩的新聞「ハンギョレ」が批判したが、日本の保守紙はこれを都合良く引用。ベトナムが韓国に歴史認識の一致や謝罪、反省を求めず、未来志向の協力を重視する「成熟」した態度を示していると評価、こうした態度は「韓国の対日姿勢に対する圧迫になる」とした。日韓関係が悪化するなか、一般の日本人にも「韓国は日本に謝罪を求めるが、自分たちは民間人虐殺についてベトナムに謝らない」という見方が広がっているようだ。 ハンギョレの指摘は妥当だが、日本は朴政権を同じく批判できるだろうか。1944年冬から翌春にかけ、日本占領下のベトナム北部で大飢饉(ききん)が発生した。天候不順だけでなく、鉄道が連合国軍に爆撃され、コメを南部メコンデルタから運べなかったこと、コメの代わりに軍需用作物を植えさせたことなどが原因で、ベトナムでは「餓死者200万人」と言われている。 ベトナムは仏、米や中国などからも侵略されてきた。しかし現政権は「過去にふたをして未来に向かおう」というスローガンを掲げ、どの国にも「歴史」を持ち出さない。実は日本も、その「恩恵」にあずかっている。 過去を問わないのは、国民が「歴史」を共有できないからだ。旧南ベトナム政権側だった人たちは、現政権と「輝かしい戦いの勝利の歴史」を共有できず、全国民を包摂するナショナリズムの中核に「歴史」を置けない。国家は「経済発展」こそが代わりになるとし、いたずらに「過去」を持ち出して対外関係を悪化させ、経済援助を減らしてはならないと考えている。 その陰で、国内では戦争被害を語ることが抑圧される現象も起きている。私は、こうした点を現地で調べ、国や地方、被害者本人のレベルから被害への対応を論じた「戦争記憶の政治学」(平凡社)を著した。そこでは韓国NGOの和解のための活動も紹介した。 それに比べ日本では歴史を学ばず、歴史認識を批判され、反発する動きだけが目立つ。多少なりとも過去に真摯(しんし)に向き合おうとした「慰安婦」をめぐる「河野談話」や侵略、植民地支配を反省した「村山談話」さえ風前のともしびだ。スローガンは、どこの国でも「過去にふたをせず、過去をふまえて未来へ向かおう」であるはずなのに。 (いとうまさこ 京都大学大学院准教授〈ベトナム史〉)2013年12月21日 朝日新聞朝刊 12版 17ページ「国民が共有できない理由」から引用 先の大戦で敗戦する直前の数年間、日本はベトナムをはじめ東南アジア諸国を軍事占領した時期があったが、その間にベトナムでは戦闘で交通機関が破壊され、メコンデルタのコメを輸送できなかったために「200万人」ものベトナム人餓死者が出た、こういう所にも、日本人として戦争責任を自覚する必要があります。
2014年01月17日
大阪大学教授の平川秀幸氏は、原子力関連の専門家のインタビューでたびたび「技術の進歩にエラーはつきものだ」という発言がなされることについて、12月19日の朝日新聞に次のように書いている; 先日、原子力関連の聞き取り調査をしている知人がこんな話をしていた。調査先の科学者たちからしばしば「技術の進歩にエラーはつきものだ」という言葉を聞くという。たとえば1995年に起きた高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏出火災事故も技術につきもののエラーの一つにすぎない、と。その感覚の世間からの乖離(かいり)ぶりに知人はあきれ果てたという。 確かにもんじゅ事故は国際原子力事象評価尺度(INES)で軽微なレベル1。周辺環境や作業者に放射性物質の影響はなかった。この点で科学者の発言には正当性がないわけではない。だが、違和感が残るとすれば「エラー」がはらむ人間的・社会的な「意味」をないがしろにする態度が見え隠れするからだ。「技術進歩にエラーはつきもの」という言い方には、「そのエラーは技術進歩を止めるほど大したことではない」という含意が読み取れる。 実際、もんじゅの事故は、配管の破損や火災など単なる構造物の破壊に止まってはいなかった。もんじゅを開発・運転していた当時の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が事故現場のビデオ映像を改ざんしていたことが発覚。そこで問われたのは技術だけでなく、そうした組織の情報隠蔽(いんぺい)体質であり信頼性であった。さらに人々の不信感は動燃に止まらず原子力全体にも及んだ。その結果、政府の原子力委員会が、それまでの歴史からすれば極めて異例なことに、故・高木仁三郎氏など原子力の反対派も含めたかたちで「原子力政策円卓会議」を開催するに至った。事故を「技術進歩につきもののエラー」としてしまうことは、このような人間的・社会的意味を著しく矮小(わいしょう)化してしまう。 もう一つ気になるのは「技術進歩」という概念もまた、背後にある人間的・社会的な意味を切り捨ててはいないかということだ。「技術進歩につきもののエラー」という考えはさらに「その程度のエラーや社会的反響のせいで技術進歩が妨げられてはならない」という命題を含んでいる。技術進歩は、エラーなど摩擦要因さえなければ自動的に進んでいく自然現象あるいは歴史の必然であるかのようだ。 しかし、当然ながら技術は人の営みであり、どんな技術をどんな方向に進歩させるかは、根本的には人間によって判断され決定されている。研究開発や政策にも市場での選択にも、技術によって実現したい目的や意図、便益、利害関係、技術がもたらす効果・影響、リスクに関する見通しなど様々な人間的・社会的意味が介在している。もんじゅの例でいえば、その研究開発の継続は歴史の必然ではなく、様々なエネルギー技術や政策の選択肢から、技術的な特性だけでなく種々の人間的・社会的理由によって選択されたものだ。技術の行く末が社会に大きな影響を与える以上、その選択は万人に開かれているべきではないか。技術進歩は必然という考えは、この問いかけにふたをしてしまう。 遺伝子組み換え作物の是非をめぐる論争が英国で激しかった1999年、同国政府の首席科学顧問だったロバート・メイ氏は「この論争は安全性に関するものではなく、どのような世界に生きたいかというはるかに大きな問題に関するものだ」と述べた。ここで問われているのは、これまで述べてきた技術の人間的・社会的意味に関する問いである。それを考える主役はこの社会に生きるすべての人々だ。 福島の原発事故を契機に私たちの多くがこのことに気づき、考え行動し始めている。それは原子力に限られないだろう。あとはどうやって技術の研究開発や政策決定に対して影響力をもてるような制度や実践を生み出せるかだ。現在の政治状況では見通しは決して明るいとはいえないが、しぶとく、したたかに続けていこうではないか。 (ひらかわ・ひでゆき 1964年生まれ。大阪大学教授・科学技術社会論)2013年12月19日 朝日新聞朝刊 17ページ「あすを探る 科学-エラーはつきもの、の弊害」から引用 原子力の専門家の発言に見られる一般市民の常識との乖離、という指摘は、数年前に「裁判官は司法の世界に閉じこもっているので、一般市民の常識から乖離している。だから、司法の世界に世間の常識を取り入れるために裁判員制度が必要だ」と言われたことを思い出させます。しかしながら、技術の進歩というものは、この記事が指摘するように、自然に進歩していくなどというものではなく、その都度、人間がその技術をどう利用するかを決めて研究し発展させてきたことに間違いありません。人工衛星を飛ばすとか月に人を送って生還させるとか、軍事利用ができると考えたから、そう言う技術を研究開発したわけで、衛星通信とか気象観測などは付録のようなものです。今までは、そういう技術の発展の方向の選択は専門家にまかせっきりで、専門家はやりたい放題、その結果「一定のエラーはつきもの」などと言って、生まれ故郷が二度と生活できないような事態にされたのではたまりませんから、これからは専門技術の研究の方向性についても、一般市民は強く関心を持ち積極的に発言していくべきです。
2014年01月16日
朝日新聞の論壇時評を担当している高橋源一郎氏は、2013年の最後を締めくくる紙面で安倍政権が十分な審議を尽くさぬままに強行採決した特定秘密保護法について、最大限の皮肉をこめて、次のように書いている; ある若者が、デモに行くという友人と、その後で映画を見ようと約束した。その若者が、友人が交じったデモ隊の列と並んで歩道を歩いていた時、突然、私服警官に逮捕された。理由は公務執行妨害だったが、若者にはまったく覚えがなかった。後に若者は検察官から「きみが威圧的態度をとり、警官は恐怖を感じたからだ」といわれた。そういえば、私服警官らしい人間と目があったことは思い出したが、それが公務執行妨害にあたるとは夢にも思わなかった。 留置場に入った若者は、そこで、1年近く裁判も始まらずただ留め置かれているという窃盗犯に出会った。貧困から何度も窃盗を繰り返した男は、1件ずつゆっくり起訴されていた。警察・検察の裁量によって、裁判が始まる前に、実質的には刑罰の執行が行われていたのだ。 「それって、人権侵害じゃないの」と若者がいうと「わからない。法律なんか読んだことがない」と男はいった。若者と男の話を聞きとがめた看守が、房の外から、バケツで2人に水をかけた。 「うるさい黙れ、犯罪者には人権なんかないんだ」 極寒の房内は室温が氷点下にまで下がっていた。濡(ぬ)れた体を震わせながら、若者は、犯罪者の人権が軽んじられる国では、人権そのものが軽んじられるだろうと考えていた。それは、本や理論で学んだ考えではなく、経験が彼に教えたものだった。その若者が半世紀近くたって、いまこの論壇時評を書いている。 * 秘密の内容や罰則適用について拡大解釈が危惧されている「特定秘密保護法」が、強い反対の下、可決・成立した。この法律の問題点については、多くのメディアが詳細に論じている。たとえば、秘密情報の専門家として佐藤優〈1〉は、特定秘密に該当する情報は国民のものではなく官僚のものになる、と警告し、外岡秀俊〈2〉は秘密保全に関する法の歴史をたどり直す。 この法案に反対する約2千人の学者たちの代表が記者会見を行った、その映像をユーチューブで見ることができる。中でも、わたしは、平田オリザのこんなことばに強い印象を受けた〈3〉。 「最近、わたしは大阪のある行政職員から封書をいただきました。なぜ封書かというと、大阪の職員は、メールは検閲される可能性があると、萎縮してしまっているのです。……このいやな感じは、東京にいるとわからないと思います。(特定秘密法の成立とは)それが国政で当たり前になるということです」 維新の会の政治家がトップを務める大阪の状況は、この法案とは、厳密にいうなら関係がない。けれども、平田は関係がある、と示唆するのである。 今年になって目立ったのは、様々な社会的「弱者」がバッシングを受けたこと、「従軍慰安婦は戦争につきもの」という政治家や、「子どもが生まれたら会社を辞めろ」という女性評論家が現れたこと、そして、新しい政権が、強硬な政策を次々と打ち出し、対話ではなく力でその政策の実現を図ろうとしていることだった。さらに不思議なのは、力を誇示する政治家たちが、同時に力とはおよそ正反対な「愛(国心)」ということばを叫ぶことだった。 誤解を恐れずにいうなら、わたしには、この国の政治が、パートナーに暴力をふるう、いわゆるDV(ドメスティック・バイオレンス)の加害者に酷似しつつあるように思える。彼らは、パートナーを「力」で支配し、経済的な自立を邪魔し、それにもかかわらず自らを「愛する」よう命令するのである。 平田が紹介した大阪職員は、「外部への発信」が「パートナー」に知られることを極度に恐れている。それは、DVでもっとも典型的な症候に他ならない。 * わたしは、いま毎日、「特定秘密法」全文〈4〉と、「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」(通称「ツワネ原則」)の(膨大な)英和対訳全文〈5〉を持ち歩き、しょっちゅう読んでいる。妙な言い方だが、とても面白い。 前者で特徴的なのは、そこで使われている日本語が奇妙であることだ。いわゆる法律用語で書かれた文章のいくつかはまったく意味がわからない。 詳しい人たちの話を聞くと、通常の日本語では考えられないような意味になったりするらしい〈6〉。日本語でないとしたら、それは何語なのだろう。ほとんどの日本人に意味がとれないことばで書かれた「重要」法案とは何なのだろう。 一方、国家の安全保障と情報の権利に関して、長い討議の果てにできた「ツワネ原則」は、全ての人間に「公権力が保有する情報」にアクセスする権利があることを、民主主義社会の根幹であるとしていて、知る権利の価値を軽んじる「特定秘密法」の考え方と鋭く対立する。だが、「原則」で、わたしがもっとも感銘を受けたのは、「わかる」ことだ。およそ、ことばを理解することができる者なら誰でもわかるように「原則」は書かれている。「ツワネ原則」(の文章)は読むものすべての心を明るく、励ます。 DV被害者へのアドバイスの多くは、こんな一文で終わっている。わたしがいま書くべきことは、実はそれと同じなのかもしれない。 ……自分を責めてはならない。明るく、前向きな気持ちでいることだけが、この状況から抜け出す力を与えてくれるのである。 *〈1〉佐藤優「特定秘密保護法と統帥権」(創1月号)〈2〉外岡秀俊「秘密保全の法律がいかに濫用(らんよう)されたか 現実を直視しよう」(Journalism12月号)〈3〉平田オリザの発言が含まれた動画「特定秘密保護法案・2千人超の学者が廃案を要求」(http://www.youtube.com/watch?v=yBOBvrytChM)〈4〉特定秘密法・全文(本紙12月8日付、ネット記事はhttp://www.asahi.com/articles/TKY201312070583.html)〈5〉日弁連による「ツワネ原則」の全文日本語訳(掲載ページはhttp://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2013/131115.html)〈6〉たとえば、おがた林太郎「テロリズムの定義」(http://rinta.jp/blog/entry-11717401429.html) ◇ たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。初のノンフィクション作品『101年目の孤独』(岩波書店)がまもなく刊行予定。 * 「論壇時評」は毎月の最終木曜に掲載します(今月は例外です)。2013年12月19日 朝日新聞朝刊 17ページ「論壇時評-愛を強いる支配 ここは、DV国家なのか」から引用 拙速に審議を打ち切って強行採決した特定秘密保護法は、法律としての欠陥を多く指摘されているが、読んでも意味が分らない文章まで紛れ込んでいるとは呆れた話だ。そのようにして急いでアメリカから要求された法律を成立させて、これでアメリカ政府からの評価が良くなるはずだったのに、その足で靖国神社を参拝したのは蛇足で、逆にアメリカ政府を失望させてしまったのは「痛恨の極み」である。やはり、安倍氏はどこかズレているのである。
2014年01月15日
NHKの新会長に外部の人材が起用されたことについて、8日の東京新聞コラムは次のように論評している; 私ごとで恐縮だが、自宅、実家、大学生活の息子宅の三カ所でNHKの受信料を払っている。仕事柄、ニュースなどNHKの番組を見ることも多く、ひそかに応援している。 そのNHKの新会長に日本ユニシス前社長の籾井勝人(もみいかつと)氏(70)が決まった。放送を業とする大組織の長としての力量は知らない。NHKの報道に対して、自民党を中心に批判が高まっている時だ。安倍晋三首相と親しい経営委員も複数送り込まれている。籾井氏がどんなかじ取りをするのか、注目したい。 例えば、昨年の臨時国会で成立した特定秘密保護法。コメントする識者の人選が反対派に偏っていたとの不満が、自民党内では出ているという。筆者に言わせれば、この法律をめぐるNHK報道は、問題点の提示と追及が甘いとしか言えないのだが、その程度でも電波に乗ること自体、お気に召さないらしい。 NHKには自局制作の優秀なドキュメンタリー番組も多い。海外のドキュメンタリー選びにも選考眼が光る。実を言うと、参考にさせてもらうこともある。そんな制作現場に圧力がかからぬか、心配だ。 「不偏不党」という放送法の縛りがあるとはいえ、NHKが、政府への異論を報じぬ、どこかの国の国営放送のようになって、いいわけがない。そんなNHKなら、潔く見るのをやめる。受信料も…。そこまで言うのは無粋だからやめておこう。 (豊田 洋一)2014年1月8日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「私説・論説室から-がんばれ!NHK」から引用 NHKの会長は、これまでも外部の人材を起用することは度々あった。主に大企業経営者が多かったので、その都度自民党との癒着が心配されたが、それは杞憂で、どの方も報道機関の使命をよく理解し、自民党からの横やりも跳ね返して報道機関の自主性を維持した。今回の籾井氏はどのような舵取りをするのか、視聴者はよく見守るべきである。
2014年01月14日
オリンピックやその他スポーツの世界大会になると、マスコミは盛んに「強い日本」だの「がんばれ、日本」だのと言ってもてはやすが、そのような風潮をスポーツライターの小川勝氏は、6日の東京新聞コラムで次のように批判している; 2014年が明け、ソチ五輪まで1カ月、サッカーW杯まで五カ月となった。日本にはソチ五輪で金メダル候補の選手が何人かいるし、サッカーW杯においても、過去最高のベスト16を超える可能性はあるだろう。 五輪でもW杯でも、日本代表の選手が活躍すれば、それは「強い日本」のイメージを体現する存在として称賛されるかもしれない。なにしろ現在の日本政府は「強い日本」とか「世界一になる」という表現をよく使う。五輪やW杯で結果を出せば、誰の目にも分かる「世界で勝てる日本人」として「強い日本」というイメージと結びつく。それはスポーツ選手がしばしば背負うことになるえたいの知れない荷物のようなものだ。 こうした、スポーツ選手の国際的な勝利を「国力」と結びつけ、国家のプライドとする心情は、少なくともスポーツのためにはならない。なぜなら、スポーツにおいて究極的に重要なのは勝利ではないからだ。 勝利は素晴らしいものだが、最も価値のあるものではない。勝利以上に価値があるのは選手個人の成長であり、精神の深まりである。そしてもちろんフェアネスの遂行である。スポーツにおいては、強いだけでは不十分なのだ。勝利は二の次ということではない。勝利だけでは不十分だということである。 五輪やW杯において、日本代表の選手たちに示してほしいのは「強い日本」などというイメージではない。「賢明な日本」とか「フェアな日本」のほうがいいように思う。さらに踏み込むなら「クリーンな日本」である。ちょうどなでしこジャバンがW杯で優勝した時、フェアプレー賞も同時に受賞したように。 五輪に出場する選手たちは、練習で国の施設を使ったり強化費の一部として税金を活用しているのは事実だが、税金から月給を得ている人はほとんどいない。選手たちの給料を払っているのは所属企業や支援しているスポンサー企業だ。国内での試合を支えているのもスポンサー企業や手弁当のスタッフであり、有料試合の場合は切符を買って足を運んでくれる観客である。だから選手たちは「日本のため」とか「国民のため」といった物言いではなく、競技を応援してくれたサポーターなど、実際に顔の見える人々のことを考えればそれで十分だと思う。 スポーツは「強い日本」を証明するための手段ではない。観客席に座るわれわれも、国家より選手個人に目を凝らしたい。 (スポーツライター)2014年1月6日 東京新聞朝刊 11版 21ページ「小川勝の直言タックル-選手個人の成長 見て」から引用 小川氏の主張は、まったくその通りだと思います。スポーツの目的は選手個人の成長であり精神の深まりです。国際試合で勝ったからといって、それがイコール「国力」ではないし、国家のプライドとしてひけらかすべきものでもないでしょう。したがって、勝った選手も嬉しいからといって国旗を背負って場内を走り回る馬鹿げたパフォーマンスはたいがいにしてほしいと思います。
2014年01月13日
金融関係の企業は顧客への請求業務を行うに当たって、従来は一か月分の利用実績と合計の請求金額を紙に印刷して利用者に郵送するというやり方であったが、近年は利用者の増加、環境保全、紙代や人件費、送料等々のコスト削減という状況の変化と必要性に促されて、紙に印刷した請求書の発行・送付の代わりに、ウェブ請求書に切り替える企業が増えています。中には切り替えを促進するために、ポイントを増やすなどとサービスをする企業もあります。そういう状況に危機感をもつ紙卸売業の読者が、次のような投書を、12月20日の朝日新聞に寄せている; 紙卸売業を営んでいる。先日、取引銀行から「手数料計算書」について書面をやめて「ウェブ帳票」に変更するという通知をもらった。最近、銀行の請求書などが紙からウェブに変わっている。銀行などはその理由を「環境保全への取り組みを目的として」などとしている場合が少なくない。 「紙からウェブへ」の趨勢(すうせい)は仕方ないが、「環境保全」があまりに強調されすぎてはいないだろうか。これではまるで、紙が環境破壊の最大の原因と誤解されかねず、紙に携わる者としてはとても残念だ。 実際は、コストの観点から紙の経費や発送作業の手間、郵送料の経費を削減するために切り替えていることが多いのではないか。 製紙会社は、原料として間伐材を使用するなど環境保全に取り組んでいる。卸売業者も、紙が大量に消費されればそれでいいとは思わず、紙を大切に使ってほしいと願っている。そうした現実も知ってほしい。2013年12月20日 朝日新聞朝刊 13版 16ページ「声-そんなに紙は環境に悪いのか」 従来紙の請求書を採用していた企業が、紙を止めてウェブ請求書に切り替える本当の理由は、この投書が指摘するように、コストの削減が目的であり、「環境保全」は付け足しに過ぎない。正直にコスト削減を第一の理由にすると、顧客へのイメージを損ねるので、「環境保全」という「美辞麗句」を第一に挙げれば、企業イメージも良くなるというものだ。 ところが、この投書の筆者の場合は、世の中の企業が紙を消費してくれることによって生計を立てている都合上、「環境保全」を理由に紙の消費が減ることは死活問題になるため由々しい事態である。「環境保全」については、製紙業界挙げて対策に取り組んでいるのだから、世間のみなさんには今までどおり、必要な紙は今まで通り使ってもらいたいというわけだ。 しかし、この筆者の願いが適うことはないと思います。資本主義経済、取り分け新自由主義経済では、利益が最優先で、労働者の生活の保障も切り捨てるくらいですから、月々発行される数百万枚の請求書をいちいち紙に印刷して封筒に入れ、郵便局に持っていってあて先ごとに仕分けして、それをまた人の手で配達するなどという「余分なコスト」は真っ先に削減の対象となるのは当然の成り行きです。問題は「紙」に限らず、近年は自動車の動力源も多様化し、ガソリンの消費も激減したため、私の知人が勤務する精油工場ではガソリンの生産ラインを5割も削減したという話も聞きました。このようにして世の中は変わっていくものだと思います。
2014年01月12日
米国の雑誌『アトランティック』が靖国神社遊就館が示す特殊な歴史観を紹介し、政府の責任者が参拝する施設としては甚だ不適切であると論評していることを、4日の「しんぶん赤旗」は次のように紹介している; 【ワシントン=洞口昇幸】米誌『アトランティック』(電子版)は2日付で、靖国神社にある軍事博物館「遊就館」について、20世紀の出来事をめぐり「日本を被害者」とする「信じられないほど偏向した解釈を提示している」と指摘し、「靖国神社は国家元首の訪問に適切な場所ではない」と報じています。 同誌は靖国神社・遊就館を訪ねた欧米人らの声を紹介。一人は同館の展示内容について「極右陣営の観点から戦争を書きかえたのも同然だ。ほとんどが日本の軍事的勝利を扱っている」「戦争で亡くなった人たちへの厳粛な敬意を示す記念館とはまったく異なる」と述べ、「靖国神社そのものが創設以来、日本の特定の人たちによる特異な歴史観を政治的に象徴するよう意図的に仕向けられ、絶対化されている」としています。 別の一人は同館で上映される映画を「第2次大戦時にまでさかのぼったプロパガンダ(政治的宣伝)にすぎない」と指摘。また別の一人も同館は「中国人や韓国人だけでなく、ほとんどだれもが不快に感じるだろう」と語っています。2014年1月4日 「しんぶん赤旗」電子版 「米誌 靖国『遊就館』展示批判」から引用 今となっては東京都管轄の一宗教法人に過ぎない靖国神社が、どのような考えに基づいてどのような歴史観を主張しようと、それは思想・信条の自由というものでしょう。実際に、通常の価値観とはかけ離れた信条を旨とする宗教団体は多数存在します。しかし、首相や閣僚の立場にある者がその中の特定の宗教団体に参拝することは厳に慎むべきです。憲法が政教分離を原則として定めているからです。ところが、安倍首相は「国のために命を犠牲にした人々に尊崇の念を表わすため」と言い訳しました。この言い訳は通用しません。戦没者遺族が追悼のために参拝することとは別で、日本政府の判断の基準は東京裁判とサンフランシスコ講和条約にあります。日本政府や天皇が繰り返し表明しているとおり、先の大戦は日本が国策を誤って引き起こした悲劇であった、これが、東京裁判とサンフランシスコ講和条約の意味ですから、その「誤れる国策」によって犠牲になった戦没者に対して、首相や閣僚は謝罪こそすれ、尊崇だの感謝だのを言う立場にないことを、政府も国民も認識するべきです。安倍首相が言う「尊崇の念」というのは、靖国神社が国家によって運営されていた時代の古い価値観です。国が靖国神社を管理していた時代は、政府は自らの命令で死に至らしめた国民を丁重に扱う義務と責任があったかも知れないが、そういう国家のあり方は1945年8月15日で終わっていることを、私たちは再認識するべきです。
2014年01月11日
朝日新聞編集委員の大久保真紀氏は、小泉純一郎元首相にインタビューしたときのことを12月15日の紙面に、次のように書いている; 「小泉純一郎です。大久保さんいる?」 先月12日の昼、社会部の電話が鳴った。受話器を取ったのは今春入社の新人記者。どぎまぎしながら、取材で外に出ていた私の不在を伝えると、「談話のことを取り上げてくれてありがとう。よろしく伝えておいて」。それだけ言うと、電話は切れた。 その2日前、私はこの欄でドミニカ共和国に移住した人たちのことを取り上げた。「日本政府にだまされた」と移住者が訴えた損害賠償請求訴訟。国が勝訴したのに、当時の小泉首相が「政府として率直に反省し、お詫(わ)び申し上げます」と非を認める談話を出したことで、国の対応は百八十度転換した。私はこう書いた。 「政治家が方向性を打ち出さない限り、官僚は動かない。それが日本の現実」 この言葉が、安倍首相に原発ゼロを迫る小泉さんの琴線に触れたのだろうか。取材を申し込んだときは断ってきたのに。電話をもらったお礼の手紙を出すと、小泉さんは知人を介して、3人で食事でも、と伝えてきた。 首相を退任してからはインタビューもテレビ出演もすべて断っているという。「取材ではないよ」と念を押されたが、直接会ってどうしても聞きたいことがあった。なぜ、いまごろ原発ゼロを声高に叫ぶのだろう。だって首相時代は、CO2削減を理由に原発推進の旗振り役だったのに。 * 「やあ、やあ」と言いながら、小泉さんは現れた。71歳には見えない若々しさ。席に着くなり言った。「いとこがブラジルに住んでいる。開拓でドミニカと同じような苦労をしている。ドミニカは(国が)ひどいウソついてたとわかったからな」。2004年に首相としてブラジルを訪問したときは移民に熱烈な歓迎を受けて男泣き。異国で暮らす同胞の思いに胸が詰まったそうだ。 原発推進から原発ゼロに変節したのも、心を揺り動かされた何か大きな理由があるに違いない。そう思って質問した。小泉さんを変えた一番のものは何ですか? 「電事連(電気事業連合会)の言ってること、ウソじゃん」。私の目を見据えて、強い口調でまくしたてた。 「専門家が『安全で、コストが安い』『脱石油にはこれしかない』と言えば信用しますよ。何年もオレたちにウソを言ってきた。これですよ。こっちは原子力の知識なんかないんだから。3・11前はそんな関心もなかったし。あれほど制御しがたいものとは知らなかった」 だまされたと思ったんですか。あえてそう聞くと、「そうだよ。思ったよ」。 じぇじぇじぇ。原発ゼロに背中を押されたのは、官僚や専門家にだまされたことに気づいたからなんだ。まるでオレオレ詐欺の被害者みたい。同じことを何度も尋ねたが、福島の被災者への言及はなかった。 じぇじぇじぇ。5年半も首相を務めた最高権力者がだまされたと嘆き、怒っているとは。でも、よくよく考えれば、日本はとんでもない国だ。正確な判断材料が一国の命運を左右する首相に示されず、安全神話を信じさせられてしまうのだから。小泉さんの変節は人間として何となく納得できるような気がした。 * 小泉さんの原発ゼロ発言が注目を浴びたのは、8月末に毎日新聞専門編集委員の山田孝男さんがコラムで取り上げてからだ。「新聞記事の影響の大きさが改めてわかったよ。だって、月2~3回してきた講演で同じこと話してきた。みんな無視したが、あの記事で無視できなくなったんだな」 山田さんのコラムの中でも、小泉さんはこう言っている。「戦はシンガリがいちばん難しいんだよ。撤退が」「昭和の戦争だって、満州(現中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」 昭和史に詳しい作家の半藤一利さん(83)に聞いてみた。「僕は小泉さんは大嫌い。(首相時代は)独裁になる前のヒトラーのやり口と同じだと感じたから」と前置きした上で「でも、彼の原発ゼロ発言は正論だし満州の例えはその通りだと思う」。 そして、こう説明した。日露戦争の後、日本は手にした権益を守るために大国主義を選んだ。その結果、朝鮮半島を「利益線」にし、さらにそれを守るために、資源や人口問題などいろいろな理由をつけて旧満州を「生命線」とした。「近代史の中での意味を考えると、原発と満州国は同じかもしれない。かつては満州があって国を滅ぼしたが、これからは原発をもつことで国を滅ぼすことになるのではないか」 小泉さんとの会食は3時間近く、話は映画や読書、ゴルフ、演劇にも及んだ。別れ際、抱きかかえていった30本の赤いバラの花束を手渡そうとしたが、体よく固辞された。一切もらわない主義だという。私が「(今日のこと)書きますので」と言うと、小泉さんはアッハハッと高笑いし、片手を上げて去っていった。 (編集委員)2013年12月15日 朝日新聞朝刊 13版 9ページ「(ザ・コラム)小泉元首相の変節 『オレたちにウソ言ってきた』」から引用 小泉氏の論理は明快である。原発ゼロ発言が報道され始めたころは、どうせ自民党の政治家だから裏には太陽光発電の利権なんかがあってのことじゃないかなどと文字通りの邪推をする向きもあったが、そんな下世話な次元を超えて、原発ゼロの主張は筋が通っている。原発反対運動の大きな推進力になっていってほしいと思う。
2014年01月10日
戦前の国家体制復活を目指すかのような安倍政権の姿勢を、痛烈に批判する投書が、12月15日の朝日新聞に掲載された; 自民、公明両党が、国家安全保障戦略(NSS)に愛国心を明記する政府方針を了承したというが反対だ。 「我が国と郷土を愛する心を養う」「国家安全保障の重要性や複雑性を深く認識することが不可欠」「高等教育機関における安全保障教育の拡充」などという内容が盛り込まれるようだが、これは非常に問題点が多いのではないか。愛国心をうえつける教育がされるということだ。 国民はそれぞれに十分、愛国心を持っている。なのに、それを教育で強制されるとは余計なお世話だ。日の丸の国旗をあげろ、国歌を歌えという強制が進むのだろうか。拡大解釈が危惧される。道徳教育まで推進されるというのだから恐ろしい。少子高齢化が進み、若者が貴重な時代に、どうして強制しようとしているのか。 かつては平均的だと思われた家族像が崩れ、多様な世帯や、ひとり世帯が多くなり、個人主義者が増えた。そうした現状の中で、政府はまったく逆の方向へ仕向け、それらをひとつに束ねようとしている。国民よ、ひとつにまとまり、日本国万歳と唱えよというのか。将来的に非常に不安だ。早急に見直しを求めたい。2013年12月15日 朝日新聞朝刊 13版 9ページ「声-『愛国心』明記、見直し求める」から引用 国家安全保障戦略に「愛国心」を明記するというのは、何か漫画的である。裏を返せば、現在の政府の組織で国家安全保障戦略に携わる公務員は「愛国心」が欠けているため、わざわざ法律の条文にその言葉を入れないとコントロールできない、ということになるが、いくらヒドイ国家体制でも、そこまでヒドイ状態で政府組織が維持できるとは考えられない。おそらく「ヒドイ」実態と言うのは、安倍首相を中心とした現閣僚のアタマなのであろう。独りよがりの古めかしい言葉を弄んで、それで立派な政治を行っているかのような立ち居振る舞いはコッケイである。愛国心は国民一人ひとりの心の問題であって、お上から「これが愛国心だ」などと言われる筋合いでは無い。数年前の首相は、靖国神社参拝を批判されて「これは心の問題であって、マスコミや外国政府からとやかく言われる筋合いではない」という意味の発言をしたケースもあったが、今や当時の首相発言はさらりと忘れているところもまた、コッケイである。
2014年01月09日
ルポライターの鎌田慧氏は去年一年を振り返って、大晦日の東京新聞に次のように書いた; 悪い夢を見ているような年末だった。安倍首相が脱兎(だっと)のごとく靖国参拝。就任一周年記念に、戦死を美化する神社を際立たせた。これから、「集団的自衛権」行使を認めさせ、米軍の戦争に参戦する。自衛隊員合祀(ごうし)の道を掃き清めに行ったか。 特定秘密保護法が強行採決され、軍事機密が最優先される世の中になった。防衛予算を増額、自衛隊員も増強、航続距離の長いオスプレイ、空中給油機、無人偵察機、水陸両用車を購入し、沖縄のジュゴンの海を埋め立て、米軍基地を建設・提供しようとしている。 靖国神社は侵略戦争を「聖戦」に変換する装置だった。戦死した兵士はいや応もなく「英霊」にされた。これから増税と就職難に苦しむ若者から自衛隊就活がふえそうだ。いままでは憲法九条が隊員の戦死を阻んできた。殺しも殺されもしない、それが戦争放棄の国の自衛隊の魅力だった。 敗戦時「国民学校」一年生だった私は、戦後民主教育とともに育ってきた。「戦争はしない」「武力で威嚇しない」。その日本人の反省と誓いと宣言を誇りに思ってきた。 安倍首相が信じている「武力による平和」論は前世紀の遺物である。日本国憲法の精神をまったく理解できず、戦争を「平和」と言い換えて語っているだけだ。 今年は議会制民主主義試練の年だった。除夜の鐘の響きはことさら意味深長だ。(ルポライター)2013年12月31日 東京新聞朝刊 11版 21ページ「積極的『戦争』主義」から引用 戦争が終わったとき小学生だった鎌田氏は、子ども心にも無謀な戦争が国民の生活をどれほど悲惨な状態に追い込んだか身にしみて体験しているから、もう戦争はしないと決めた憲法の大切さはよく理解しているわけです。しかし、戦後生まれで経済の高度成長期に育った安倍晋三氏の場合は、そのような体験がなく、歴史の勉強でも何を学んだのか甚だ疑問で、戦争犯罪人を祀った神社に参拝して「恒久平和を誓った」などと的の外れた発言をする始末である。筆者は悪夢のような年末などと書いているが、今年はそれに輪をかけたような年にならないように祈るばかりである。
2014年01月08日
本当の歴史を歪曲し修正していこうという者が政権についたことによって、いよいよ歴史教科書の歪曲が始まる。安倍政権がどのような手を使ってやろうとしているのか、その問題点は何か、12月12日の朝日新聞は次のように論評している; 文部科学省が、小中高校の教科書検定基準の改定に動き出した。社会科の記述にバランスを持たせ、改正教育基本法の趣旨を反映させるというが、なぜ必要なのか。懸念は何か。保守色を強める自民党の意向を受けた改定の意味を、3氏に聞いた。■「バランス良さ」近現代史が焦点 教科書検定に関しては、安倍晋三首相が4月に国会で「検定基準に改正教育基本法の精神が生かされていない」と答弁し、見直しを示唆。同月に検討を始めた自民党特別部会の提言をもとに、文科省がまとめたのが今回の改定案だ。 要点は、社会科の教科書を「バランス良い記述」にすること。具体的には、▽近現代史で通説のない事項はそれを明示▽未確定な事項で特定の事柄を強調しすぎない▽政府見解や確定判例がある事項はそれに基づく記述――の3点。さらに、「改正教育基本法や学習指導要領の趣旨に照らし、『重大な欠陥』があれば不合格」との要件を加える。 このほか、教基法をより意識させるための申請書類の改定や、検定手続きの透明化も進める予定。教科用図書検定調査審議会の検討を経て、来年度の中学向け教科書検定から適用したい考えだ。■高千穂大准教授・五野井郁夫氏 近現代史などで諸説を挙げる中で政府見解にも触れることは、従軍慰安婦問題などの強制性をめぐる国のスタンスを知る機会にもなるので、必ずしも否定しない。敵対心をあおるだけの中韓両国政府の反日教育には抗議すべきだろう。戦後日本の平和教育も、歴史認識の正確さにおいて、疑問に感じる点はある。 それでも、今回の教科書検定基準の改定には反対する。政府見解の義務づけは教育のバランスを大きく崩し、偏向教育に陥りかねないからだ。改正教育基本法がうたう目標を意識した教科書は、これからの時代に必要とされ、国も推し進めているはずのグローバル人材を育成するうえで足かせとなるだろう。世界と対話するためには、内向きの政府見解から自由な歴史認識を持つことが必要だ。 王朝が代わるたびに「正史」として歴史が書き換えられた他国の問題点を踏まえ、日本では江戸時代から、史料に基づく歴史研究が取り組まれてきた。 この流れは「大日本史料」として東大史料編纂(へんさん)所に引き継がれている。わが国が世界に誇るべき姿勢だ。こうした伝統にのっとり、政府の恣意(しい)性を排した研究に基づく歴史を教えるべきだ。 政府見解といえば、従軍慰安婦への日本軍関与を認めた河野談話や、アジア侵略を明記した小泉談話もそうだが、これらの記載を求める気は国にあるのか。いずれも世界の中の日本の立ち位置を知る上で欠かせない。「負の事実を隠さなければわが国は愛されない」と考えるとすれば、「自虐史観」などとレッテル貼りする側の自信のなさゆえだろう。愛国心とは、正負両面の史実を知って初めて芽生えるものだ。【聞き手 三橋麻子】 ◇ 五野井郁夫 著書「『デモ』とは何か―変貌(へんぼう)する直接民主主義」で、反原発デモについて考察。反対の立場で活動した「ヘイトスピーチ」が今年の流行語トップテンに。2013年12月12日 朝日新聞朝刊 13版 33ページ「どこへ行く 教科書検定」から一部を引用 文科省がまとめた改定案では「バランスの良い記述」にしていきたいとのことであるが、あたかも現在の教科書はバランスが悪いかのような、あいまいな話に私たちは騙されてはいけないと思います。これまでも、政府の教科書検定は日本に都合の悪い表現をできるだけ削除して都合の良い教科書にしようとしてきた過去があり、あまりにもひどいというので、学識経験者から批判され裁判にまでなって、できるだけまともな記述ができるように努力してきたのが実情である。その「まともな記述」が気に入らない安倍首相は、「何が侵略であるか、定義はまだない」などと口走って、国際社会には通用しないような歴史教科書にしようと考えている節がある。そのような教育の歪曲では、育った国民は国際社会に通用しない「ガラパゴス化」してしまう危険性がある。安倍政権の間違った教育介入に反対の声を上げるべきだ。
2014年01月07日
戦前の侵略戦争を反省した日本が、戦後一人の外国人も殺さず一人の自衛隊員も戦闘で死傷させなかったのは、一重に憲法9条のお陰であるとする投書が、12月8日の朝日新聞に掲載された; 無人機の遠隔操作による爆撃を非人道的と非難する向きがあるが、そもそも戦争に良い戦争と悪い戦争があるか。操縦士がいる有人機からの爆撃なら人道的だということでは決してない。いかなる場合でも、戦争は国家が主導する殺人と国家破壊でしかない。 終戦以来、世界各地で戦争があったが、68年間も戦争に巻き込まれず平和を保ってきた日本のような国は貴重だ。幸運もあったろうが、平和憲法が果たした役割は非常に大きい。一歩間違えば戦争に直接加担する危機はたくさんあった。これに歯止めをかけたのはやはり憲法9条だろう。 安倍政権からは、この9条が邪魔になるのか、と思われる発言が相次ぐ。日米軍事同盟の強化に沿う改憲の動きや特定秘密保護法の制定など、きな臭さが漂う。 国が国民の安全を守るのは義務であるが、それは軍隊による武力でなく、平和外交によるべきだ。これまでわが国が進めてきた平和外交は十分であったか。もっと積極的にできたのではないか。今こそ憲法9条を発信し、世界に啓蒙(けいもう)する絶好の時である。2013年12月8日 朝日新聞朝刊 13版 10ページ「声-平和の功労者やはり憲法9条」から引用 これからの日本政府がやるべきことは、これまでわが国が進めてきた平和外交が十分であったかどうか、という検証であって、不足であった部分は今後充実させていくべきなのであるが、安倍政権がやろうとしていることは、これまでの日本政府の努力を全く継承しない、あたかも「木に竹を接ぐ」ような逸脱である。積極的平和主義だのと利いた風なことを言ってるが、その言葉には理念も思想もありはしない、口先だけの軽薄さである。こんな政権にやりたい放題やらせておいては将来に禍根を残すので、なるべく早く退陣させて、まともな政権の樹立を画策したい。
2014年01月06日
昨年秋に、戦時中の慰安婦問題調査のためインドネシアに記者を派遣した朝日新聞は、11月28日の紙面に次のような克明な報告記事を掲載した;■「大きな建物 たくさんの小部屋」 取材班は、女性たちが被害を受けたと証言する現場を探した。 島南西部のピンラン県に住むイパティマンさんの証言は詳細だ。当時、働いていた製糸工場内で小銃を持つ男に腕をつかまれた。インドネシア人の顔つきではなく日本兵だと思った。トラックで15分ほど走った所にあるマリンプン地区に連れていかれたという。 「大きな木造の建物に入れられました。廊下を隔ててたくさんの小さな部屋がありました」。そこに日本兵が次々にやって来て辱めたという。「大声で叫びました。怖くて涙が止まりませんでした」。3カ月後に解放されて間もなく、戦争は終わったという。 取材班は彼女の家から10キロほどのマリンプン地区に入った。古くから近くに住むタヒルさんという男性が広大な牧草地に案内し、「昔、ここにはたくさんの日本兵がいた。大きな基地だった」と話した。建物跡は見つからなかったが、日本軍がいたという裏付けになる証言だ。 イパティマンさんは自らが働いていた工場を営む日本企業を正確に覚えていた。今もある大手企業だ。 取材班は彼女の証言を頼りに、工場があったとみられるピンラン県パチョゲン地区の住宅街の一角に向かった。民家ばかりで工場を思わせる痕跡はない。近くに住むイカラウさんという女性に出会った。 イカラウさんは、こちらが教えていないのに、イパティマンさんの証言と同じ日本の企業名を言い、「日本軍がいた当時、ここに工場があった」と話した。さらに「母親からは『工場に近づいてはいけない。日本人の嫁にさせられる』と言われた。みんな恐れていた」と続けた。 取材班は当時の資料にもあたった。スラウェシ島は当時、「セレベス島」と呼ばれた。終戦後、旧日本軍がオランダ軍の求めに応じて作成した「南部セレベス売淫施設(慰安所)調書」には「ピンラン分県ピンラン町」に慰安所があったとある。それがイパティマンさんの言う場所かは不明だ。大手企業に取材すると、スラウェシ島に工場があったとの記録は残っているが、それがパチョゲン地区なのかは「確認のしようがない」とのことだった。■「全土300人以上」の記録も 日本はインドネシアとの個別の平和条約(58年発効)に基づき約2億2千万ドル(約803億円)を賠償し、戦後処理の一環として約1億8千万ドル(約637億円)の経済協力などを実施した。慰安婦問題の償い事業のため、日本政府の主導で95年に設立された「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)も償い金として3億7千万円を支援。インドネシア社会省は高齢者福祉施設69カ所の建設や修繕費に充てた。 基金の記録によると、スラウェシ島の21カ所を含め、インドネシア全土には少なくとも40カ所弱の慰安所があり、300人以上の慰安婦がいた。これらの数字は「南部セレベス売淫施設(慰安所)調書」などに基づくものだ。 基金は調査報告書でインドネシアには中国、朝鮮、台湾出身の慰安婦もいたが、「多くは村落社会から募集された」と指摘。軍が管理した慰安所以外に「特定の部隊が独自に女性を集めて自分たちだけが利用した私設の慰安所のようなところ」もあったとした。 93年に現地調査した日本弁護士連合会は女性8人から「慰安婦にされた」との証言を得た。その報告書に「慰安所が各地に設けられ、若い女性が性的関係を強要された」とまとめた。■内容は克明、答えに矛盾なし 取材班は今年7月、スラウェシ島に約2週間滞在し、元慰安婦や目撃者と名乗る約20人と会った。インドネシアには多様な地域語があり、多くの場合、日本語からインドネシア語、そして地域語に2度の通訳を介して話を聞いた。取材を拒む人や、記事にしない条件で話す人もいた。 彼女たちの証言を完全に裏付ける資料は見つからなかったが、内容は克明で信用できた。連行の様子や閉じ込められた部屋の特徴、どんな辱めを受けたか、解放後どうやって帰宅したか、どれも具体的だった。 金銭を受け取ったか、どうして逃げなかったのかという話しづらいことも聞いた。金銭を受けたという人はおらず、見張りや仕返しが怖くて逃げられなかったという答えが相次いだ。同じことを角度を変えて何度か聞き直しても答えに矛盾はなかった。70年たった今も彼女たちは苦しみ続けていた。 (鬼原民幸、板橋洋佳) <報道の経緯> 朝日新聞は90年代の慰安婦問題に関する数千枚の外交文書を情報公開で入手し、当時の政府高官らの証言とあわせ、慰安婦問題の拡大を防ごうとした日本外交の裏側を10月13日付朝刊で詳報した。日本政府が当時、韓国で大きくなった慰安婦問題が他国に波及するのを恐れ、東南アジアで聞き取り調査をしなくて済むよう動いていたという内容。2013年11月28日 朝日新聞朝刊 13版 12ページ「慰安婦問題 インドネシアの女性証言」から一部を引用 戦争を知らない戦後の日本人にとって、このような調査報道は大変貴重です。私たちはこのような情報に接して、先の戦争で日本軍がどのような災禍をアジアの人々に与えたのか、よく自覚して今後の行動の規範とするべきで、安倍首相のように無自覚に神社を参拝して恰好をつけるような軽薄な行動は厳に慎むべきであると言えます。
2014年01月05日

昨年秋の朝日新聞の報道で、90年代に元従軍慰安婦だった金学順氏がカミングアウトした頃、日本政府はインドネシア政府に手を回し、インドネシアからは同様の訴えが出ないように根回ししていたことが明らかになりました。その後、朝日新聞はインドネシアに記者を派遣し、まだ生存中の元慰安婦を取材し、11月28日の紙面に次のように報道しました; 慰安婦問題は日韓間だけの問題ではない。日本政府が約20年前、東南アジアへの波及を防ぐ外交を水面下で進めていたことを朝日新聞は報じた。1942年に日本が占領したインドネシアには、現在も「旧日本軍から性暴力を受けた」「慰安婦だった」と証言する女性がいる。被害状況さえ解明されないまま置き去りにされた彼女たちに会いに行った今夏の取材を報告する。◆「日本軍のテントに連行された」 赤道直下に浮かぶインドネシア・スラウェシ島には元慰安婦の支援団体がある。これまで団体が聞き取りをしていない人を紹介してほしいと依頼した。 最初に会ったのは島南西部のシンジャイ県に住むベッチェさん。築数十年の高床式の家を訪ねた。80代半ばで曲がった腰にサロンと呼ばれる布を巻いている。未婚で親戚一家の元に身を寄せている。 記者は「当時、日本兵に何か怖いことをされたのですか」と切り出した。インドネシアは地域によって言語が異なる。日本語からインドネシア語、そして地域語へ、2回の通訳を経て質問は届く。彼女はつぶやくように話し始めた。 「あの時、私は10代半ばでした。ある暑い日の夕方、2人の男が家で料理をしていた私を無理やり外に引っ張り出しました」 男たちはインドネシア語ではない言葉を話し、銃を持っていた。それを見てベッチェさんは日本兵だと思ったという。10分ほどで彼女の目は涙であふれた。 「娘を連れて行かないでくれ」と叫ぶ父親の目前でベッチェさんはトラックの荷台に押し込まれた。他にも同年代の女性が乗っていたという。着いた場所には「日本軍のテントが張ってあった」。そのうちの一つに連れて行かれ、複数の男に犯されたと語った。 当時、その場所に出入りしていたというインドネシア人男性・ハムザさんに話を聞くことができた。「日本軍が三つテントを張って7人の女性を閉じ込めていた。そこで彼女(ベッチェさん)を見た。連行したのは地域を管理していた日本兵だ」。当時、若い女性が日本兵の慰安婦にされることが地域で恐れられていたという。 ベッチェさんは約3カ月後に解放された。だが、家族から「汚い人間は必要ない」と家を追われた。裸足で丸2日歩いた末、知人の住む村で畑仕事を手伝いながら生き延びたという。「これまで何もしてくれなかったインドネシア政府に腹が立つ」。取材を終えた時、紅潮した顔が涙でくしゃくしゃになっていた。2013年11月28日 朝日新聞朝刊 13版 12ページ「慰安婦問題 インドネシアの女性証言」から引用 韓国における従軍慰安婦の被害については、ある程度の検証も行われていますが、インドネシアやその他の地域ではどのような実態であったのか、日本政府は検証する責任があります。そのような責任を果たさないことには、戦後は終わらないと心得るべきです。
2014年01月04日
一橋大学名誉教授の田中宏氏は、侵略という歴史の事実を認めない安倍首相を、12月20日の「週刊金曜日」で、痛烈に批判している; アジアからの留学生の宿泊施設である「アジア文化会館」に、大学を卒業してから10年ほど勤めました。そこで、忘れることのできない体験をしたのです。 日韓が国交を正常化する前の1963年11月に、当時の千円札の肖像が聖徳太子から伊藤博文に変わったのですが、ある東南アジアの留学生から「日本は歴史についてどういう勉強をするのですか」と聞かれました。何のことかわからなかったのですが、彼はこう言ったのです。「伊藤博文とは、朝鮮民族の恨みをかって安重根(アンジュングン)にハルビンで殺された人物でしょう。私たちと同じように外国人登録証を携帯して外出しなければならない人たちで一番多いのは、在日朝鮮人です。彼らはこのお札を使って、買い物をしなければならないんですよ。ずいぶん残酷なことをするんですね、日本人は」-。 それを聞かされて、私自身本当にびっくりしました。歴史をどう見るかについて、いかにアジアと日本の間では溝が深いか、しみじみ感じたのです。この留学生は、こうも付け加えました。「日本は戦後、言論の自由が保障されているはずなのに、これを批判する言論人が誰一人いないのはなぜなのでしょう」と。 ちょうど50年前のことですが、この11月に菅義偉官房長官は、安重根を讃える石碑計画を韓国が進めていることについて、何と「安重根は犯罪者だと韓国政府にこれまでも伝えてきている」と述べたのです。相変わらずというか、歴史認識がまったくピンぼけのままではないか。 安倍晋三首相も国会で「(過去の戦争が)侵略かどうかは後世の歴史家が決める」と述べていますが、こんなことが国際社会で通用するはずがありません。しかも、昨今の週刊誌や一部夕刊紙の韓国・中国に対する誹諸・中傷のひどさ、隣国への憎しみを故意に煽るようなおどろおどろした風潮は、かつて戦前の中国侵略を正当化するために新聞が展開した「暴戻支那(ぼうれいしな)の膺懲(ようちょう)」(暴れる中国を懲らしめる)というキャンペーンが延ったかのような印象を受けます。◆過去の反省こそ名誉 しかしながら、戦後50年にあたる1995年の8月15日、社会党や自民党等の連立内閣の村山富市首相は閣議決定を経て発表した談話(村山談話)では、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と認めています。 そしてそこでは、「未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、(中略)心からのお詫びの気持ちを表明」しているのです。 この談話は、過去についての歴史認識の起点となるべきものです。それについてのアジアと日本の間の溝を埋める、政府レベルの努力として評価されるべきでしょう。そのため私は、談話に込められた精神を継承するために元外交官の天木直人氏や、高嶋伸欣琉球大学名誉教授らと共に「村山談話を継承し発展させる会」を11月に結成しました。ここからさらに、戦前の反省に基づく歴史の検証を進めていかねばなりません。 こうした歴史への反省を「自虐史観」などと椰輸(やゆ)する向きもありますが、そうではありません。過去に私たちはアジアに対し何をしたのか、その償いは果たしたのか、過去のけじめをつけたのかと謙虚に問うことこそ、日本の名誉につながるのです。逆に侵略を認めないような安倍首相の姿勢こそ、この国を貶(おとし)めているのではないでしょうか。しかも首相は以前、「村山談話」の「修正」を口にしていました。その職に留まるような資格はないと言わねばなりません。 このままだと日本は隣国との友好関係を築けないまま、安倍首相によって戦争も辞さないような国家になっていくでしょう。今こそ「村山談話」を思いおこし、不戦の決意を新たにせねばなりません。 (談)2013年12月20日 「週刊金曜日」973号 17ページ「今こそ立ち返るべき『村山談話』の精神」から引用 昨年暮れに中国東北部のハルピンに安重根の記念碑が建つというニュースが流れたとき、菅官房長官は「安重根は犯罪者だ」と発言しましたが、これは現代日本の政府要人の発言として不適切な発言で、その認識は誤りです。安重根が伊藤博文を暗殺して捕らえられ処刑されたのは事実ではありますが、それは歴史上のことであって、現代の政府が認識するべき「犯罪者」ではありません。例えば、昨年亡くなった南アフリカのネルソン・マンデラ氏は、若い頃当時の南アフリカの法律によって処罰され長い期間刑務所におりましたが、だからと言ってマンデラ氏を「犯罪者だ」という人はいません。安重根を犯罪者呼ばわりすることは、ネルソン・マンデラ氏を犯罪者呼ばわりするのと同じであることを、日本政府は認識するべきだ。
2014年01月03日
「共産党」と聞けば「一党独裁」「反対政党の存在を許さない」というイメージを連想する人々は多いと思いますが、それは歴史の一面的な見方に起因する誤解であることについて、12月1日の「しんぶん赤旗」日曜版は、次のように述べています; 自由と民主主義、政治体制という点でも、日本での社会主義の道は中国などとは異なる発展の道を進みます。 中国、ベトナム、キューバでは、政治体制の面で、事実上の一党制をとり、憲法で「共産党の指導性」が明記されています。 これには、それぞれの歴史的条件が背宗にあります。とくに、(1)社会主義をめざす勢力が、革命戦争という議会的でない道を通って政権についた(2)革命前には議会も民主主義の経験も存在しなかった-という点を見る必要があります。 しかし、議会的でない道を通過したとしても、反対政党の禁止は決して一般的な原則ではありません。 レーニンは、ロシア革命の初期に反対政党を禁止せず、国内戦のさなかでもソビエト大会にはエス・エル(社会革命党)やメンシェビキなどの反対党も参加していました。 日本では、一党制や、共産党に特権を与えるようなことは決して起こりえません。 日本共産党は、当面する民主主義革命でも、将来の社会主義的変革においても、その一歩一歩を、選挙による国民の審判を受けて進むことを綱領で宣言しています。日本の事業は、中国などの例で計り知れない豊かさと壮大さがあるのです。2013年12月1日 「しんぶん赤旗」日曜版 11ページ「自由と民主主義も発展」から引用 私たちの歴史にはいろいろな人々が、共産主義の理想を追っていろいろなことをやってきました。英雄的な戦いもあれば悲惨な虐殺事件もあり、ほめられる話ばかりとは言えませんが、それが人間の歴史です。私たちは歴史の教訓に学んで、これからの革命運動がより多くの人々の賛同を得て、より確かな方向性を獲得することを希望しています。
2014年01月02日
今月半ばに党大会を予定している日本共産党は、12月1日付けの機関紙「しんぶん赤旗」日曜版で、決議案の一部を次のように紹介している; 日本共産党第26回大会(来年1月15日~18日)の決議案は、第6章で「日本における未来社会の展望について」と題して詳しい解明をしています。「中国と同じ社会をめざすのか」などの疑問にも答える内容で、メディアも注目しています。そのポイントは~。 第6章は二つの柱から構成されています。一つは「”社会主義をめざす国々”をどうみるか」です。これは中国、ベトナム、キューバのこと。北朝鮮は”社会主義をめざす国”に入れません。 「どうみるか」-二つの角度が大切だと強調しています。 第一の角度は、これらの国々は、”社会主義に到達した国々”ではなく、「社会主義をめざす新しい探究が開始」された国々だ、ということです。 中国は、経済規模では世界第2位の経済大国ですが、国民1人あたりの国内総生産(GDP)をみると、発達した資本主義国の8分の1程度。「社会主義」という以前に、社会主義の経済的土台である発達した経済の建設そのものを迫られているのが現状です。 この土台をつくる過程で、中国は市場経済を導入しています。 この道に合理性があることは、経済的発展が証明していますが、同時に問題もあります。 国内外の資本主義が流入し、そこから汚職・腐敗、社会的格差、環境破壊などさまざまな社会問題が広がっています。◆道踏み外す危険 中国の将来を展望した場合、今後かなり長期にわたって、貧困とのたたかい、所得格差を縮小するたたかい、発展の中で環境を保全していくたたかい、政治体制と民主主義の問題など、さまざまな問題と格闘を続けていかなければならない-。そんな国として、見ていく必要があります。 そこには、模索や失敗もありえます。覇権主義や大国主義が再現される危険もありえます。大きな誤りを犯すなら、社会主義への道から決定的に踏み外す危険すらありえます。◆資本主義との対比が試される 第二の角度は、これらの国々が、発展段階でなお途上国に属しながらも、世界の政治・経済に占める比重が大きくなり、いやおうなしに資本主義国との対比が試されるようになっているということです。 決議案は、次の5点を挙げています。-「人民が主人公」の精神が現実にどれだけ生きているか-経済政策で人民の生活向上がどれだけ優先的な課題になっているか-人権と自由の拡大にむけ、自身が認めた国際規範にそくした努力がなされているか-国際活動で、覇権主義を許さない世界秩序の確立にどれだけ真剣に取り組んでいるか-核兵器廃絶、地球温暖化など人類的課題解決にどれだけ積極的役割を果たしているか 決議案は、こうした問題で中国、ベトナム、キューバが、資本主義国との対比で先駆性を発揮することを「心から願う」と表明しています。2013年12月1日 「しんぶん赤旗」日曜版 10ページ「中国 どうみる」から引用 共産党一党独裁の中国といっても、素人目にはどう見ても中国は共産主義の国ではないと思っておりましたが、上の記事によれば、そういう見方は間違いではなかったようです。しかし、私は中国はもう「革命」を諦めたのだろうと考えておりましたが、それはどうも違っていたようで、ものには順序というものがあり、「革命」を実行する前にその土台となる経済の建設が必要で、現在の中国はその「革命の土台となる経済の建設」を行っている最中であるというのが日本共産党の見方のようです。ただ、この「経済建設のための資本主義導入」というやり方は、その弊害として汚職・腐敗、格差、環境破壊といった問題を生じさせるため、油断はできないということのようです。
2014年01月01日
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