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今月は小田原市の生活保護を担当する職員が制服まがいのジャンパーに生活保護受給者を威圧するような不適切な文言をプリントして着用し業務に当たっていたことが発覚して処分されるという事件があったが、この事件について、19日の産経新聞は次のようなコラムを掲載した; 「まず驚き、次に腹が立ち、そして何ともいえぬ悲しい気持ちになった」。平成5年6月の朝日新聞「天声人語」が矛先を向けたのは、ケースワーカーの機関誌に掲載された、「福祉川柳」である。 「金がないそれがどうしたここくんな」「親身面(づら)本気じゃあたしゃ身がもたねぇ」「母子家庭見知らぬ男が留守番す」。これらの川柳が、生活保護受給者を侮蔑しているというのだ。他のメディアも抗議の声を上げて、機関誌は一時休刊を余儀なくされた。 神奈川県小田原市の生活保護を担当する職員らも、同じように激しい批判を浴びている。「保護なめんな」「不正を罰する」。受給者を威圧するような文字をプリントしたジャンパーを着用して、職務に当たっていたという。 確かに適切な表現とはいえない。同時に、職員たちの人権意識を糾弾するだけで済ませてはならない問題でもある。生活保護の受給者は、年々増え続けている。「福祉川柳事件」当時に比べて、職員たちは、ますます仕事に追われるようになった。 暴力の危険にもさらされている。19年にジャンパーを作ったきっかけも、職員が生活保護を打ち切られた男にナイフで切りつけられ負傷した事件だった。別の自治体では、殺人事件も起きている。第一線の過酷な状況に、改めて光を当てる機会にすべきだ。 最近、「ポリティカル・コレクトネス」という言葉をよく耳にする。政治的に公正な言葉を使わなければならない。そんな建前の押しつけに疲れた米国社会が、差別的な発言を繰り返すトランプ氏を大統領選で勝利に導いたというのだ。生活保護についても、実態からかけ離れた正義の声だけがまかり通れば、現場で悪戦苦闘する人たちが疲弊するばかりである。2017年1月19日 産経新聞朝刊 14版 1ページ「産経抄」から引用 今月起きた事件を論評するのに何十年も前の朝日新聞を引っ張り出してくるところに、産経新聞の「執念」が感じられて、いささか滑稽であるが、しかし、生活保護受給者を蔑視するような表現の機関紙がメディアの批判を浴びて休刊に追い込まれたのは当然であり、私たちの社会が健全であったことを示す証左であったと言えます。一般論として、私たちの社会の一部には、生活保護といえばすぐに不正受給と条件反射のように反応する人たちが存在しますが、上のコラムを書いた産経新聞の社員も、どうやらその手合いのようで、生活保護担当の職員は毎日、暴力犯や殺人犯を相手に過酷な仕事をしているかのような書きぶりであるが、生活保護の不正受給は全受給者の1%にも満たないという「常識」を、私たちは確認するべきと思います。上のコラムは、ポリティカル・コレクトネスばかり言っているとトランプ氏のような政治家の出現を招くといっているが、そういう政治家の出現で世界は大混乱の兆しを見せており、なんの解決策にもなりません。ポリティカル・コレクトネスは「実態からかけ離れた正義の声」などという浅はかなものではありません。平和で安心して暮らせる社会を維持するためには建前をおろそかにしてはいけません。現場の職員が悪戦苦闘しているのは、国や自治体の予算が不十分なのが原因ですから、自民党政権が、このまま格差拡大の政策を継続するのであれば、そのツケとして、生活保護担当職員の数を増員することになるのは、理屈としても当然というものでしょう。
2017年01月31日
アパホテルの客室に歴史をねつ造する書籍が置かれていることを、中国政府の報道官が批判したことについて、菅官房長官は次のようにコメントしたと、19日の産経新聞が報道している; 菅義偉(すがよしひで)官房長官は18日の記者会見で、アパホテルの客室に「南京大虐殺」や「慰安婦の強制連行」を否定した書籍が備えられていることを中国外務省の華春宝報道官が批判したことについて「報道官の発言一つ一つに政府としてコメントすることは控えたい」と述べた。 その上で「過去の不幸な歴史に過度な焦点を当てるのではなく、日中両国が国際社会が直面する共通の課題、そして未来志向に向けて取り組んでいる姿勢を示すことが重要だ」と指摘した。 先方の報道官の発言一つ一つにコメントをつけるようなことは差し控えたいという菅官房長官の発言は、一応大人の対応ということで良いのかもしれませんが、その後の「過去の不幸な歴史に焦点を当てる」ことを否定しているのは、いかがなものかと思います。私たちは、世界史の中で日本人がどのような立場にいるのかという認識からも、歴史上の事実から目を背けるべきではありません。歴史を直視して、二度と同じ過ちを繰り返さないと決意することが大切であって、その上で「未来志向に向けて取り組んでいる姿勢を示すことが重要だ」と続けば、これは完璧なコメントだったわけですが、なにしろ菅さんの目上には「アパホテルは良くがんばっている」などと言い出しかねない「大ボス」がいるので、滅多なことは言えない苦しい立場が透けて見える気がします。
2017年01月30日

昨年末、中国の南京大虐殺記念館の前館長が来日し、国内11カ所で講演をしました。「週刊金曜日」片岡記者は、20日の同誌に次のように報告しています; 日本軍による「南京大虐殺」(1937年12月13日・南京入城)から2017年で80年の節目。「南京大虐殺の記録」は15年10月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録されたが、この登録申請を進めた中心人物で、15年12月に南京大虐殺紀念館の館長を退職した朱成山(ツウツェンサン)さん(現・名誉館長)の講演が昨年末、東京都内で開かれ、全国11カ所での「南京大虐殺証言集会」の最後をしめくくった。その講演の中身を紹介する。 朱さんの入国をめぐつては、法務省管轄の福岡入国管理局で「事情聴取」され、目的外の活動をしない旨の「誓約書」を取られるなど、不当とも言える圧力があったことが本誌16年12月23日号「アンテナ」記事(平野次郎さん執筆)で報じられた。最後の講演の夜も、会場外には右翼団体らの妨害を警戒する警官や警察車両が配備され、集会の主催者側も写真撮影の禁止などをたびたび来場者に注意喚起するなど、ビリビリとした雰囲気の中での開催となった。 集会ではまず、主催者側を代表し「ノーモア南京の会」の田中宏代表が「忘れてはならない事実がある。今年(16年)はオバマ米大統領が広島を訪れ、安倍(晋三)首相は真珠湾に行くが、加害国の責任者として(南京や「慰安婦」など)被害者と向き合うことが大切」などと挨拶。南京大虐殺体験者の証言ビデオ上映後、朱さんが「世界の記憶と平和構築に努力する」と題して講演した。◆虐殺数や人口で持論展開 朱さんは23年間の館長時代を振り返りながら、記憶遺産登録までの主な活動内容を紹介したが、「重点的に話したい」としたのが虐殺数の問題だ。「数字の問題を大虐殺の本質についての尺度とすべきではないが」と前置きした上で、朱さんは「受難者数30万人以上」とする根拠を説明。日本軍による南京大虐殺での犠牲者数は、1947年に結論が出た南京軍事法廷で「30万人以上」、48年の東京裁判では「20万人以上」とされた。これについて朱さんは、「東京裁判では(揚子江に投げ込まれた死体や土中に埋めるなどして処理された死体は含んでいない)とされていることから、30万人以上というのは確実な数字」とし、「現在の中国(49年建国)ができる前からこれらの数字は確定していた」と述べた。「処理数に重複はあるものの、38万以上の死体埋葬の記録がある」とし、「1つは慈善団体による18万5000人余りの死体埋葬、2つ目は個人によって埋められた3万5000人余りの死体、3つ目は偽政府(当時の中華民国の政権のこと)による6200体余りの埋葬、4つ目は日本軍による死体損壊の痕跡が15万体あること」などと説明した。 また、「名古屋の講演で右翼と思われる人から『当時の南京の人口は20万人ではないか』と質問されたが、これは大きな認識の誤り」とし、当時の中国の首都だった南京の人口について次のように説明した。「37年5月の南京市の人口は101・6万人、11月になると日本軍の侵攻で多くは避難したが、それでも60数万人がいた。20万人というのは国際安全区という狭いエリアにいた避難民の数」とし、「南京行政区全体の面積は約470平方キロメートルと広大で、うち南京城内は約50平方キロメートル、その中にある国際安全区はわずか3・86平方キロメートルだ」とし、「上海などから逃げてきた避難民ら約20万人はその国際安全区に避難していた」と指摘した。 朱さんは「南京大虐殺は人類にとって災禍ですが、この歴史を教訓として悲劇を繰り返さず、人類の平和権、生存権を尊重していくことが正しい道。平和のためには歴史の事実を忘れないことが大切」と強調した。 なお、日本政府はこの間、南京大虐殺の記憶遺産登録についてあからさまな不快感を示し、カネにものを言わせるかのようにユネスコに対し16年の分担金約38億5000万円の支払いを留保し続けてきたが、同年12月19日になつてようやく支払い手続きを済ませた。片岡伸行(かたおかのぶゆき)・編集部。2017年1月20日 「週刊金曜日」 1120号 「平和のために事実を忘れず」から引用 南京市の「南京大虐殺記念館」の館長を23年も務めた朱成山氏は、今さら「虐殺事件の責任云々」などと日本政府を追及するようなことは言っておらず、歴史を教訓にして人類の平和権、生存権を尊重していくべきだと言ってるのですから、どうやら反日思想の持ち主ではないようです。私たち日本人も、いたずらに被害者数の不一致を取り上げて史実を矮小化することなく、歴史と正面から向き合い、未来への教訓とする態度を身につけるべきと思います。
2017年01月29日
一昨年末の慰安婦問題に関する「日韓合意」が、韓国内や国際社会でどのように評価されているかという点を一切報道しない日本のメデイアを、20日の「週刊金曜日」は、次のように批判している; 昨年12月30日、韓国・釜山(プサン)の日本総領事館前に「平和の少女像」(以下、少女像)が設置され、翌31日夜には除幕式に3500人(警察推計)が集まった。当初少女像は「日韓合意」(以下、「合意」)1年を迎えた12月28日に「未来世代が建てる少女像推進委員会」が設置したが、道路管理権限をもつ釜山市東区と警察により強制撤去された。しかし、区には苦情や抗議が殺到し、30日に再設置された。これに対し、1月6日、安倍政権は駐韓日本大使の一時帰国、日韓通貨スワップ協議の中断など強力な外交措置4項目を発表した。 そもそも釜山の少女像は、「合意」に憤った学生や市民らが建立を決意。昨年1月6日から「人間少女像ひとりデモ」を毎日交代で350日余り続け、設置のための寄付8500万ウォン(約830万円)を集めた。 少女像は、被害女性と民間団体らが日本軍「慰安婦」問題の解決と平和を求めてソウルの日本大使館前で20年続けられてきた水曜デモ1000回にあたり2011年12月に建てられた(正式名称「平和の碑」)のが始まり。当時から日本政府は少女像撤去を執拗に要求してきた。しかし、少女像は韓国各地、米国、カナダ、オーストラリア、中国と広がり続ける。とりわけ「合意」後、日本大使館前の少女像を守る学生たちの24時間座り込み(続行中)など若い世代も動かし、爆発的な拡大をみせ、政治と文化が呼応するトランスナショナルな「記憶闘争」として深化した(岡本有佳・金富子(キムプジャ)責任編集『増補改訂版(平和の少女像)はなぜ座り続けるのか』世織書房参照)。昨年1月には「合意」後初めて被害当事者が来日し、「少女像を撤去することば私たちを殺すこと」(姜日出ハルモニ)と語った。 一方、日本ではマスメディアが「合意履行で日韓関係の改善を」という論調一色だ。しかし、韓国世論は約6割が反対、国連人権機関も国際人権基準に照らして不十分と評価している。つまり、韓国社会からも国際社会からも認められていない。しかも、「合意」後も韓国側からの「おわびの手紙」要請に対して安倍晋三首相が「毛頭考えていない」と発言、12月29日には稲田朋美防衛相が靖国神社を参拝。「合意」では加害国として同じ過ちを繰り返さないための歴史教育に一切触れていない。それどころか「慰安婦」の記述は教科書から削除されたまま。ドイツが自らの加害責任に向き合うために作ったホロコースト記念碑のようなメモリアルもない。そんな加害国がどうして「少女像」の撤去要求をできるのか。◆マスメディアの偏向報道 また、1月12日、在日本韓国民団中央本部の呉公太(オゴンテ)団長が、「合意」を「英断と評価」し、「撤去が、私たち在日同胞の共通した切実な思い」と述べた。これに対し、「民団中央・呉公太団長の暴言に抗議する在日同胞有志」から撤回を求める声明が出るなど、批判が相次いでいる。問題なのは発言内容とともに、「少女像撤去要求」に反対する意見や動きを伝えない日本のマスメディアがこの発言をこぞって大きく取り上げたことだ。 最後に、日本のマスメディアで唯一みつけた「少女像撤去」に疑問を呈する声を紹介したい。1月14日の『朝日新聞』大阪本社版に掲載された加藤敦美さん(88歳)の投書である。(※引用者注:加藤氏の投書は当ブログ1月25日の欄参照)16歳で特攻隊を目指す予科練だった加藤さんは今回、少女像の写真を見て、「不意に涙がこみ上げた」と言う。「自分も一員になった日本軍と日本人の、朝鮮人に対する無慈悲な扱い、差別を知りぬいている。/その中に投じられた少女たちの悲鳴が、私に聞こえないはずがない」「私たちを死なせ、素知らぬふりをした権力者。今、安倍政権の権力者らは『少女像』に反感むき出しだ。女性に逆に謝らねばならぬのに。こんな日本人でいいのか」。 いま日本社会に問われているのは、「慰安婦」問題の根本的な解決のために、加害国として何をすべきなのか、改めて誠実に考え実行することである。<岡本有佳・編集者>2017年1月20日 「週刊金曜日」 1120号 6ページ「金曜アンテナ-加害国の『撤去』要求は疑問」から引用 一昨年の暮れに日韓両国が慰安婦問題で「合意」したと発表されたときは、その「合意」の内容が河野談話よりも後退したものだったので、果たしてこれで本当に解決するのか、少なからず疑問を感じましたが、案の定、ソウルの大使館前のみならず釜山の領事館前にも少女像が設置される羽目になりました。合意に不満をもった若者のグループが、一年前から領事館前の像の設置に取り組んできたことなどは、日本にいる我々には一切報道がなかったので、突然降って湧いたような「領事館前の少女像」という印象で、どう解釈するべき事例なのか、不思議に思っておりましたが、上の記事を読んで、なるほどと思いました。やはり、この問題は安倍政権のような、こっちは10億円出したんだから、あとはそっちの責任だ、というような姿勢では解決しないと思います。この問題は、日韓両国政府が協力して解決を目指すべきもので、取り分け日本政府には、加害国の政府としての自覚が求められるのではないかと思います。
2017年01月28日
新しく米国大統領になったドナルド・トランプ氏と安倍晋三首相のよく似た性格について、同志社大学教授の浜矩子氏は、15日の東京新聞コラムに次のように書いている; 「あの人、ちょっと言い張り過ぎじゃない?」。このセリフが、かのシェークスピア悲劇、「ハムレット」の中に登場する。ただし、上記は筆者の勝手翻訳だ。権威ある小田島雄志訳では「あの王妃は誓いの言葉が多すぎるように思うけど」となっている。 ハムレット王子は、母親の行動が許せない。夫が死んだらとたんに、彼の兄弟と再婚してしまう。王子は、そんな母親への当てこすり芝居を考案し、新国王夫妻の前で演じさせる。この劇中劇の中で、夫に先立たれた王妃が必死で「絶対に再婚なんかしないもん」と言いたてる。ここで、ハムレットが母親にこの芝居をどう思うか聞く。彼女の答えが冒頭のセリフだ。 人は、心にやましいところがあればあるほど、本当じゃないことを本当だと言い張る。本当のことをウソだウソだと否定する。ハムレットの母のセリフは、この人間心理を実に的確に言い当てている。 なぜ、この話を持ち出しているのか。勘の鋭い皆さんはもうお察しのことと思う。ドナルド・トランプ次期米大統領の記者会見を見ている中で、上記のセリフが頭の中に繰り返し繰り返し浮かんで来た。 そもそも、あれを記者会見というのか。政策方針に絡んだ発言は、ほぼ皆無。突然、顧問弁護士的な人物が出現する。トランプ氏のビジネス帝国を、いかに完壁に大統領職から切り離すか。それをしゃべり立てる。勉強不足とみえて時折つっかえながらだったが、これまた「言い張り過ぎ」の観極めて濃厚だった。この場面のおかげで、トランプ民本人の記者会見時間は、かなり短縮されることになった。 最も「言い張り過ぎ」色に満ちていたのは、ロシアとの関わりを巡るくだりであった。ここまで突っ張って全否定するということは、この人、やっぱりプーチンさんに何やら秘密を握られているのじゃないか。ここまでムキになるということは、身に何がしかの覚えがあるに違いない。どんどん、その思いが強まった。 ここでまた、別のフレーズが頭に浮かんだ。「しのぶれど色に出にけりわが恋は、ものや思ふと人の問ふまで」。ご存じ、百人一首だ。トランプさんの恋はどうでもいいが、この人の場合、実にさまざまな下心や思いつきや怨念や癇癪(かんしゃく)が、たちどころに「色に出る」。そもそも、「しのぶ」ことは知らないらしい。 さて、このように書き連ねて来ると、圧倒的に抗(あらが)い難い必然性をもって、もう一人、別の人物のイメージが眼前に浮かび上がって来る。これまた、勘のいい皆さんにはすぐさま共有して頂ける感覚だろう。さしたる勘の鋭さを要しないかもしれない。 いうまでもなく、その人はかの安倍晋三首相だ。この人も、何かにつけて言い張り過ぎる。昨年夏の参院選に向けて「アべノミクスは失敗したわけではありません」と必死で繰り返していた。あの時も、彼のムキになりぶりが、筆者に「ハムレット」の中のあのセリフを思い出させた。安倍首相も、多くのことがすぐ色に出る。気に食わない質問が発せられると、不快感を隠せない。彼もまた、しのぶことを全く知らない。洋の東西の似た者同士だ。 「ハムレット」には「心弱きもの、おまえの名は女」という良く知られたセリフもある。これはセクハラだが、これを「心弱きもの、おまえたちの名は癇癪男」と言いかえれは、何ハラでもなくなる。(同志社大教授)2017年1月15日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「時代を読む-次期大統領のハムレット的考察」から引用 浜教授の視点は、なかなか面白い。確かに、トランプ氏自身が自分には何も心配することなどないと信じていれば、とやかく言われたロシアのことなど「まったく関係ありません」の一言ですむはずなのに、何かと「情熱」を込めていろいろ言うものだから、「これは何かあるな」と人々に印象づけることになるわけです。また、この記事が示唆するように、私もトランプ氏は安倍さんとよく似ている印象を受けます。これが単なる「印象」に過ぎないのか、それとも、それが単なる印象にとどまらない事実であることを裏付ける事象がこの先起きるのか、興味は尽きません。
2017年01月27日
豊洲の地下水調査で環境基準の79倍の有害物質が検出されたことを報じる15日の東京新聞「筆洗」は、次のような感想を述べている; 2、3年に一度クラスの強い寒波が列島を襲う中、話はかき氷である。夜店などで売っているかき氷の上にかけるイチゴやメロンなどのシロップ。その違いは着色料と香料ぐらいで基本的な成分にはばぽ違いはないそうである。 おかしいではないか。確かに味が違う。そう言う人もいるだろうが、味の違いは色や香りによる一種の錯覚。赤いシロップを見て「イチゴの味だ」と思い込むことでイチゴ味を感じるというから不思議である。 まさか過去の調査は「有害物質など出ない」の思い込みがあったわけではあるまいな。そう疑いたくもなる豊洲市場(東京都江東区)の地下水調査である。 昨日公表の9回目調査で環境基準を大きく上回るベンゼンなどが出た。7回目までの調査では環境基準を超える有害物質は検出されず、8回目で基準をわずかに上回るベンゼンなどが出ていたが、今回、環境基準の最大79倍のベンゼンが出たとは深刻な数字である。話が根底から変わってくる。 一時的な変動による結果との見方もあるが、これほどの数字の変化は不可解である。土壌の適性はもちろん過去の調査に対する信用も揺らぐだろう。 移転を望む人にはショックだが、徹底的に調べるしかあるまい。「そのうち消える」の思い込みではベンゼンは無害にはならぬ。あのまま移転していれば・・・。真冬のかき氷以上に身を震わせる。2017年1月15日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用 この記事は、過去の調査に「有害物質はない」という思い込みがあったのではないかと疑いたくなるなどと書いているが、私はそれは甘いと思います。別の報道によると、豊洲の地下水の調査は、1回目から7回目と8回目、9回目を請け負った業者が異なるとの情報もありますから、過去の調査には、請け負った業者と発注側の間に、データー改ざんの「指示・了承」がなかったのかどうか、その辺も徹底的に調査するべきではないかと思います。世の中には、基準値などというものは大して影響力のあるものでもない微量な数値だから、そんなもので大騒ぎする必要はない、みたいなことを言う人もいますが、そういう論法ではなんのための「基準値」かという話になるわけで、やはり有識者が議論して決めた「基準値」の意味をよく考えて、ものごとを判断するべきだと思います。
2017年01月26日
釜山の日本総領事館前に設置された「少女像」に関連して、14日の朝日新聞は戦争体験を持つ読者の次のような投書を掲載した; 旧日本軍の慰安婦を象徴する「像」の写真を新聞で見て、ハッと気付いた。韓国・釜山の日本総領事館前に、市民団体などが設けた像。彼女は少女だったのだ! 柔らかい身と心の少女。16歳で特攻隊を目指す予科練(旧海軍飛行予科練習生)へ、死にに行った少年の私と同じ年頃。不意に涙がこみ上げた。旧満州(中国東北部)で満鉄社員の子として暮らした私。自分も一員になった日本軍と日本人の、朝鮮人に対する無慈悲な扱い、差別を知りぬいている。 その中に投じられた少女たちの悲鳴が、私に聞こえないはずがない。私は涙を流す。 私には特攻死が待っていた。少年らに「死ね」と命じた無慈悲な大人たちは謝らない。死ねば靖国に祀(まつ)って閉じこめ、よく死んだとほめる。私たちは真っ暗な坂道を転がり落とされるような絶望と恐怖の中にいた。何人もの仲間が死んだ。朝鮮民族をさげすんだ日本人に、少女らが感じた恐怖の闇。民族も立場も違うが恐怖は分かる。 私たちを死なせ、素知らぬふりをした権力者。今、安倍政権の権力者らは「少女像」に反感むき出しだ。女性に逆に謝らねばならぬのに。こんな日本人でいいのか。2017年1月14日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-少女像に涙、予科練だった私」から引用 今までに読んだ戦争体験者の手記の中には「8月15日の玉音放送を聞いて、これでボクは戦争で死ななくてもよくなったんだと思うと、急に目の前が明るくなって、新しい世界が始まるんだという予感のようなものを感じた」というようなものがあって、戦前の教育が「男子は天皇のために戦場で戦って死ぬのが本望」と教え込んで、いかに国民の精神を抑圧していたかということを彷彿とさせることがありました。上の投書の筆者が図らずも気づいたように、予科練で学んで特攻隊に行かされる運命の少年も甘言でだまされて慰安所に連行される少女も、国家権力の前には同じ立場の人間であるということですから、私たちは釜山の総領事館前に設置された「少女像」を批判するべきではありません。私たちは、靖国神社に祀られた戦没者を含む2千数百万の東アジアの戦争犠牲者に対する日本政府の責任を問う立場であることを自覚するべきだと思います。
2017年01月25日
沖縄で基地反対運動をする人々には日当が支払われているなどというデタラメを、白昼堂々と放送したMXテレビについて、7日の東京新聞は次のように報道している; 東京ローカル局のニュースバラエティー番組が、沖縄県の米軍基地反対運動を「日当をもらっている」などと攻撃した。反対派は「沖縄ヘイトの典型だ」と猛反発している。(沢田千秋) 問題の番組は「東京メトロポリタンテレビジョン(通称・TOKYO MX)」(東京都千代田区)で2日に放送された「ニュース女子」。沖縄の基地問題の特集コーナーで、軍事ジャーナリストの井上和彦氏が沖縄を訪れたVTRが流れ、「万が一逮捕されても影響が少ない65歳以上を過激デモ活動に従事させている」として、反対派に「シルバー部隊」がいると説明。「反対派の暴力行為で住民も現場に近づけない」と、反対派を「テロリスト」に例えた。 また、ヘイトスピーチやレイシズムに反対する団体「のりこえねっと」(新宿区)を紹介し、「反対派は日当をもらっている」「何らかの組織に雇われている」と推測した。 VTRの後、井上氏はスタジオで「韓国人はいるわ、中国人はいるわ。何でこんな奴らが反対運動やってるんだと地元の人は怒り心頭」と主張。元経済産業省官僚の岸博幸氏は「実は沖縄の人はみんなアメリカが好き」と決めつけた。経済ジャーナリストの須田慎一郎氏は、のりこえねっと共同代表の辛淑玉氏を「在日韓国人の差別と戦ってきたカリスマでお金がガンガン集まる」とやゆした。 のりこえねっとは5日付で、「辛淑玉を誹諦(ひぽう)中傷する虚偽報道に対する抗議声明」を公表した。 辛氏は、「MXの取材も連絡も一切受けていない」として「金でしか人間関係を築けない人は身銭を切って正義や人権のために動く人が理解できない。番組は沖縄で踏ん張って生きる人を侮辱した、まごう事なき悪意。沖縄ヘイトの典型だ」と批判する。「日当」については「昨秋、沖縄の現状を実際に見て、ネット上で発信する特派員を募集した時、交通費として5万円を出した。カンパで5万円が集まるたびに一人派遣し、合計16人。だが、格安航空券でも、那覇空港から電車もない現地へ行くには5万円では到底足りず、みんな自腹覚悟で行った」と反論する。 MXの編成部は「こちら特報部」の取材に「状況確認及びご回答の可否も含めて、結論が出ておりません」としている。 地元の反対派からも怒りの声が上がっている。「辺野古ヘリ基地反対協議会」の共同代表で名護市在住の安次富浩氏は、特に岸氏の「アメリカが好き」発言について「米軍にレイプされ、殺された女性の両親に聞いてごらんなさい。オスプレイも落とされ、それでも米軍が好きと大多数が言っていると取材したのか」と吐き捨てるように言う。 沖縄在住のノンフィクションライター渡瀬夏彦氏は「古今東西、植民地支配者は必ず現地の協力者をつくる。沖縄にも中央の補完勢力として、反対派の日当や基地容認論を流す専門家がいる」と危倶する。 なるほど今回に限らず、テレビや雑誌、ネットでは、沖縄ヘイトやデマが飛び交っている。どう対抗すればいいのか。 ヘイトスピーチ問題に詳しいジャーナリストの安田浩一氏は「本土より恵まれているとの意図的デマで沖縄をおとしめる言説の流布は、在日コリアン差別の回路と非常に似ている。メディアがばかばかしいとデマを放置した結果、在日コリアンヘイトが悪化した」と指摘した上で、沖縄ヘイトについて「許し難いデマの間違いを訴え続け、沖縄の実情をメディアが正しく報じるしかない」と訴える。2017年1月7日 東京新聞朝刊 11版 24ページ「『沖縄ヘイト』まん延」から引用 沖縄の基地反対運動に対するヘイトの言説は、在日の人々が特権を持っていると主張する理屈と同じ論理構造を持っているように思われます。それらに共通するマインドというのは、弱い立場の者はそれなりにおとなしくしていろ、ということではないかと思います。それにしても、公共の電波を使ってウソやデタラメを放送するMXテレビは、偏向報道をするよりも悪質ですから、こういう放送局こそ高市総務大臣の出番であり、厳しく対応するべきなのではないでしょうか。MXテレビ自体も、この記事が出た時点では、「どう対処するか、結論は出ていない」とのことであるが、どう落とし前をつけるのか、興味深いところである。
2017年01月24日
安倍政権の政治姿勢について、法政大学教授の山口二郎氏は8日の東京新聞コラムで次のように批判している; 安倍首相の強権政治は今年もとどまる所を知らない。この数年、われわれに希望を示してくれた天皇陛下の新年感想はなぜか取りやめとなり、首相の年頭所感なるものがNHKニュースで年明け早々伝えられた。何様のつもりだとあきれるしかないが、その所感でいわく、日本を世界の真ん中で輝かせるとの決意。首相はAKB48がよほどお好きのようだが、政治とショービジネスは違う。 この政権が考える輝きや活躍のイメージについて、最近思い当たることがある。それはJR北海道とJR九州の落差である。JR北海道は経営難ゆえに保有する線路の半分以上を放棄したいと言い出した。そもそも北海道の鉄道を民間企業が経営するのは無理なのだが、国はJR北海道と地元自治体の努力で解決せよと、何ら支援の姿勢を示さない。地域住民の足や貨物輸送の基盤として本来の仕事をすることについて誠に冷淡である。他方、JR九州は鉄道からの収入は全体の4割以下で、不動産やホテル事業で稼ぎ、昨年株式上場を果たした。これは優等生としてもてはやされている。 政府の任務の大半は、まじめに生きる庶民の生活や仕事を支える裏方の仕事である。世の中を支える地道な営みをもうからないという理由で切り捨てていけば、誰も活躍できない不毛な社会ができるに違いない。(法政大教授)2017年1月8日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-『活躍』の不毛」から引用 この記事では、今年は中止になった天皇の年頭所感が、今までは「われわれに希望を示してくれた」と述べられているが、それは多分安倍政権になってからの「数年」を指しているのではないかと思います。安倍首相の国会答弁は、いつも野党議員の質問に正面からは答えようとせず、はぐらかした答弁に終始して最後は強行採決、というパターンの繰り返しなので、国民が不安を抱くのも無理のないことで、そういう政権が「憲法改正を云々」と言えば急に心配になるのは当然でしょう。天皇だけではなく、皇后もいつかの誕生日の記者会見で、五日市憲法草案について言及したことがあり、憲法改悪を心配する国民にとっては心強いメッセージでした。また、この記事ではJR北海道とJR九州について書いてますが、こういう記事を読むと私は田中角栄首相の発言を思い出します。田中首相は、当時の国鉄について「地方のローカル線は赤字でも、これを止めてはならない。赤字路線であっても、あちこちから人々を中央に運んでくれて、それで大勢の人間が集められて新幹線に乗って、そこで黒字になる。その黒字で地方の赤字を補填してやって、それで世の中全体が元気になって国が発展していくんだ」というような意味の発言で、なるほど世の中というものは、そういうものなのかと、いたく感心した記憶があります。安倍政権のように、儲かっている会社は褒めるけれども、赤字の会社は「地元がなんとかすればいいんじゃない」という態度では、どこに「発展」の希望を見いだせるのか、甚だ疑問です。
2017年01月23日
今となっては、オバマ氏は前大統領と呼ばれる立場になってしまったが、任期の最後の2か月間に次々と繰り出した政策について、ジャーナリストの木村太郎氏は8日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 「立つ鳥あとを濁さず」という格言は英語にもある。しかし、あと12日でホワイトハウスを去るオバマ米大統領は、飛び立つ水面をかき回して混濁させているように見える。■かき回すオバマ大統領 まず、先月20日北極圏の米海域の大半と大西洋の一部について石油・天然ガスの掘削を禁止した。半世紀以前の法律を適用したもので、トランプ次期大統領がエネルギー資源開発の必要を説いているのを阻止する意図が見え見えだとされた。 さらにオバマ大統領は28日、ユタ州からネバダ州にかけての165万エーカーという広大な土地を国定史跡に指定し、地域の開発が大幅に制限されることになった。これも一世紀前の法律を適用してのことで、トランプ次期大統領の環境問題に対する懐疑的な考えをけん制するものと受け止められている。■イスラエル非難に棄権 そして外交である。23日国連安保理で行われたイスラエル非難の決議に米国は拒否権を行使せずに棄権をして、イスラエルのパレスチナ占領地での入植地建設の中止を求める決議が採択された。 米国は、イスラエルに不利な決議には拒否権を行使するのが慣例になっていた。オバマ政権は初めてこの伝統を破ったことになるが、イスラエルのネタニヤフ首相は、オバマ政権は陰でこの決議を準備して採決されるようにエ作していた証拠があると非難した。 これも、トランプ次期大統領がネタニヤフ政権に肩入れし、国際的には首都と認められていないエルサレムに米国大使館を移設することなどを明言していることへの対抗策とみられている。 さらに、大統領選の最中にクリントン陣営の電子メールがハッキングされ選挙に影響を及ぼしたのはロシアの国家的陰謀だったとして、29日オバマ大統領はロシアの外交官35人に国外退去を命じた。 ロシアのプーチン大統領に好意的な態度を見せるトランプ次期大統領の動きを「妨害する以外の何物でもない」(コンウェ一顧問)とされたが、プーチン大統領が報復を留保してオバマ大統領も肩透かしに遭った形だ。 確かに米大統領はその任期中は最後までその信念に沿って政権を運営できるわけだが、これほどまでに露骨に次期大統領の方針にたてついた例はかつてないとも言われる。■次期大統領にたてつく オバマ大統領は最後のひと月間に、その任期8年でもできなかったような大胆な政策を次々と打ち出したわけだが、最終的にホワイトハウスから飛び立つまでまだ日を残している。 英語で「死に体」を意味する「レームダック(足の不自由なアヒル)」は、これからもその水かきでワシントンの水をかき回し、新たな濁りを残すのではないかと次期大統領周辺は神経をとがらせているようだ。(木村太郎、ジャーナリスト)2017年1月8日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「太郎の国際通信-トランプ氏けん制 最後まで」から引用 8年の任期中には中々実行できなかったような大胆な政策を、最後の2ヶ月間に次々と打ち出したことを、木村氏は批判的に書いているが、私は批判するべきことではないと思います。むしろもっとやるべきであったと思います。特に、パレスチナを侵略しているイスラエルについては、今まで何かと拒否権を発動してかばってきたのが間違いであり、国際正義に反する行動だったのであって、今回拒否権を行使しなかったのは立派だったと思います。オバマ氏のこのような大胆な行動は、アメリカ市民の間では好評で、退任直前の支持率という点ではオバマ氏は史上4番目との報道もあり、オバマ氏は賞賛に値すると思います。
2017年01月22日
年末年始の新聞を読んだ上智大学法学部教授の三浦まり氏は、8日の東京新聞につぎのような感想を書いている; 年末から年始に、東京新聞は社説で「日本の平和主義」を連日訴えた。「非戦の誓い」こそが日本を日本たらしめているのだと、改めて認識させてくれる力強い文章だった。懸念される安全保障政策の転換を今年も注意深く報道してくれると期待が持てる。 振り返れば昨年は、英国の欧州連合(EU)離脱の国民投票と米国大統領選で事前予想が裏切られた。メディアは社会の片隅でくすぶる不満を見逃したことになる。今年はオランダ、フランス、ドイツ、韓国、そして恐らく日本でも選挙がある。果たしてハプニングは続くのだろうか。 新年なので、想定外の展開を少し想像してみよう。日本ではさしずめ、自公大敗、安倍政権退陣だろうか。内閣支持率の高さを考えれば、政権交代はありえないように思えるからだ。 英米での選挙結果や、欧州で懸念される右傾化の背景には既成政治への拒否反応があったとされる。没落するかもしれないという中間層の恐怖心が排外主義や憎悪扇動を操る政治家への支持を生み出すというのだ。 中間層の恐怖心といえば、日本での事態はより深刻だ。先進国で最も成長率が低く、非正規雇用は四割近くに達し、経済に明るい見通しがない。普通に考えれば、こうした状況は政権への失望につながり、内閣支持率も下がりそうだが、そうはなっていない。中間層の不安が安倍政権へのしがみつきをもたらしている。つまり日本ではすでに欧米での「想定外」が先取りされているのだ。 日本での新たな想定外は、むしろ野党が中間層の不満を受け止めることで成立する。アべノミクスに代わる経済政策が見当たらないために、奇妙な安定感を政治にもたらしているが、ひとたび野党の政策が「希望」を感じさせるようになれば事態は急変するだろう。 ではその希望はどこから来るのだろう? 分断と排斥の上に成り立つ見せかけの安心感ではなく、社会全体の連帯感に支えられた安心感ではないだろうか。 東京新聞の丁寧な貧困報道は問題を可視化させることに成功した。しかし、中間層からの連帯意識の醸成はこれからの課題かもしれない。「自分はまだそこまで貧乏ではない」と、自他ともに我慢を強要することにつながっている可能性があるからだ。 元日の井手英策、堤未果両氏の対談でも、自分を「中の下」と思いたい人たちの下層たたきの危険性が指摘された。 平和主義を守り抜くためには、扇情的な政治家に付け入られないよう、貧困バッシングを生み出さない報道が求められるだろう。そうした姿勢が「非戦の誓い」を確かなものにしてくれるのだ。(上智大学法学部教授)2017年1月8日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-非戦の誓い 新たに」から引用 英米での選挙結果や、欧州で懸念される右傾化の背景には既成政治への拒否反応があるとのことであるが、ここで言う「既成政治への拒否反応」とは、有権者が「従来の政党に政治を任せておけば、自分たちの生活は苦しくなるばかりだ」ということに気がついたということだと思います。本来であれば、そういうことは150年前にマルクスが「資本論」の中で説明していることで、人々が「資本論」を読んで学習していれば、もっと早く気がついて、ここまで追い込まれる前に対処できたはずですが、不幸なことに英米ではいち早くブルジョア階級が共産主義を弾圧したために、人々はそのような学習の機会を失い、扇情的な政治家に付け入られてずるずると右傾化の方向に引きずり込まれている、というのが現状ではないでしょうか。右傾化の行き着く先には、ナショナリズムで目隠しされた労働者階級が兵隊に仕立て上げられて「戦争」をやらされるという「悪夢」しかありません。労働者に戦争をやらせて、軍需産業が莫大な利益を獲得するという昔のパターンの繰り返しです。私たちは、そろそろ右傾化に歯止めをかけて、明るい未来に向け舵を切り直す時期にさしかかっているのではないでしょうか。
2017年01月21日
韓国で元慰安婦だった人々を支援する団体が日本総領事館前に少女像を設置したため、日本政府が対抗処置として大使を一時帰国させた問題について、岸田外相は次のように述べたと8日の東京新聞が報道している; 【パリ=共同】岸田文雄外相は6日(日本時間7日)、韓国・釜山の日本総領事館前に従軍慰安婦の被害を象徴する少女傾が設置されたことに対する日本政府の対抗措置に閲し「韓国側に、少女像の問題を含め(慰安婦問題解決に関する)日韓合意の着実な実施を求めたい」と強調した。訪問先のフランス・パリで記者団の質問に答えた。 駐韓大使らの一時帰国については「少女像設置は極めて遺憾だというわが国の立場を示すとともに本国で打ち合わせをするためだ」と説明。帰国時期は「来週以降になる」とした。 同時に「こうした措置をとるのは残念だが、日本にとって韓国は戦略的利益を共有する重要な隣国との印象は変わらない」とも指摘した。2017年1月8日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「少女像問題含め 日韓合意着実に」から引用 岸田外相は少女像の設置が遺憾であると、まるで他人事のように言っているが、そもそもの始まりは、日本政府自らが責任を認めている従軍慰安婦の問題である。この問題について、日本政府は20年以上も前に反省文のような談話を発表したきりで、何ら有効な救済策を行ってこなかったために、韓国内の被害者とその支援団体が、日本政府の無作為に対する抗議と悲劇を繰り返さないための記念として、世界のあちこちに少女像を設置しているのであって、日本政府が大使館前や領事館前に「像」を設置してほしくないのであれば、日本政府が直接、元慰安婦の方々やその支援団体と話し合うのがスジである。それを、被害者や支援団体が韓国人であるのをいいことに、日本政府は韓国政府に対応を丸投げしてしまったのが、一昨年末の「日韓合意」だ。「合意」自体は悪いことではないが、「合意」を実行する上で、韓国側から日本政府に協力要請があれば、日本政府は何を置いてもこれに協力すべきところ、10億円を出したきり何もしていない。韓国政府からは、改めて日本の首相の謝罪の手紙も必要との要請もあったらしいが、安倍首相は「そのようなものを書くことは毛頭考えていない」などと、あからさまに韓国の国民感情を逆なでするような発言をしたのであるから、釜山の領事館前に少女像を設置することになったのは、すべて安倍首相の責任というほかありません。日本政府がこのまま誠意のない態度を続ければ、世界のあちこちに「少女像」の数は増え続け、やがては日本国内にも設置されることになるのではないかと思われます。
2017年01月20日
次期アメリカ大統領のトランプ氏の発言は何故問題なのか、8日の東京新聞は一問一答形式で次のように解説している; 20日に就任するトランプ次期米大統領=写真、ゲッテイ・共同=はツイツターを通じ、企業の米国外への投資を激しく批判しています。5日にはトヨタ自動車のメキシコ工場新設計画に矛先を向けました。(ワシントン・時事) Q なぜ企業に政治介入するのですか。 A 米国内の雇用維持はトランプ氏の最も重要な課題です。多くのメーカーは人件費が安いメキシコなどでの工場新設や増強に向かっていますが、トランプ氏は「米国の雇用が奪われている」と批判。国外生産分に対する税率引き上げをちらつかせ、海外移転を阻止しようとしています。 Q 標的は製造業が多いのですか。 A トランプ氏は大統領選で鉄鋼や自動車産業の勢いが衰えた中西部の大票田を制し、勝利しました。中国やメキシコからの輸入を抑え、「米国の製造業を再び偉大にする」という公約を実現したい考えです。 Q 介入はうまくいくでしょうか。 A 圧力に屈した企業もあります。スパイサー次期大統領報道官は「成果が出ている」と主張しています。しかし、こうした介入ばかりでは、米国への投資が萎縮しかねません。 Q トランプ氏のツイートの問題は。 A 一方的で、虚偽や事実誤認も目立ちます。ただ、1900万近くのフォロワーを抱え、影響力は強大です。狙われた企業の株価は軒並み下落しました。トランプ氏がドル高批判をつぶやけば、大統領選後に進んだ円安ドル高が急変する可能性があります。中国を挑発するツイートも多く、貿易摩擦が激しくなる兆しもみられます。2017年1月8日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「トランプ氏、なぜ企業に介入?」から引用 トランプ氏は政治の素人で非常識な発言を繰り返してばかりいるような印象を受けますが、なぜ企業活動に介入するのかと言えば、それは工場がアメリカから別の国に移転すると自国の労働者が失業するから、それを防ぐために企業活動に注文をつけているということで、それなり一応スジは通っているようです。しかし、企業活動は経済原則に則って行われるもので、自国の労働者が失業しないように企業を政治的にコントロールするというのは、大局的に見て正しい手法なのかどうか、議論が必要と思います。最近の報道によると、トランプ氏にTPP反対の理由を尋ねたところ「中国が加盟して大きな顔をしているような枠組みにアメリカが参加するというのは許せない」と述べたそうで、彼は世の中をあまりよく分かっていないふしがあります。トランプ氏がTPPには加盟しないと発言しても、どこ吹く風のように安倍首相はTPP承認を強行採決しましたが、いずれトランプ氏は前言を翻すであろうことを読み込んだ上でのことだったのか、大変興味深く思います。
2017年01月19日

国会では超党派の議員らが、小中学生に労働法を学習させることを国に義務づけする法律案を作成することになったと、8日の東京新聞が報道している; 超党派の議員連盟が、働く人たちを守る労働法制や労使間のトラブルの解決策を義務教育から教えるよう国に義務付ける議員立法「ワークルール教育推進法案」の骨子をまとめた。20日召集の通常国会に法案として提出する。過労自殺が社会問題化する中、子どものころから必要な知識を身に付け、違法な労働条件のブラックバイトやブラック企業から身を守れるようにする狙いだ。 骨子をまとめたのは非正規雇用対策議員連盟。自民党の尾辻秀久元厚生労働相が会長で、民進や公明、共産など与野党の議員が役員を務めている。 ワークルールとは、労働時間を規制する労働基準法や時間当たりの賃金の最低額を定めた最低賃金法などの法律を指す。法案骨子によると、ワークルール教育の推進に向けた基本方針を定め、関連予算の確保を国に義務付ける。小中学校や高校の教育を所管する都道府県や市町村には、この方針に基づいて教育計画を定める努力義務を課す。 国や地方自治体が、大学に自主的な教育に取り組むように呼び掛けることや、社会人も教育を受けられるよう必要な措置をとることも求める。 国や地方自治体が、大学に自主的な教育に取り組むように呼び掛けることや、社会人も教育を受けられるよう必要な措置をとることも求める。 労働基準監督署の仕事や労働組合などの支援団体についても教え、労働者が不当な長時間労働やリストラ、賃金の不払いや減額などに対応できる力を付けることを目指す。議連は労働者が働く上で守らねばならない義務についても教育内容に盛り込み、企業側の理解も得たい考えだ。 議連は今後、各党の意見を募った上で具体的な条文を詰める。今年中の施行を目指している。 厚労省が一昨年12月から昨年2月にかけて、高校生を対象に行ったアルバイトに関する調査では、30%以上が労働条件でトラブルがあったと回答。中には賃金不払いなど深刻な例もあった。(我那覇圭)2017年1月8日 東京新聞朝刊 21版 1ページ「対『ブラック労働』小中から教育」から引用 子どもに労働法制を教えることは悪いことではないと思いますが、私はこの記事には少なからず違和感を覚えました。第一、小学生が労働法を学習したところで、彼らが実際に社会にでてその知識を生かすまでには、まだ相当の時間があるから、今目の前で起きているブラック企業の問題を解決するのに役に立つものではない。小中学生よりは高校生、大学生を対象にするほうが、まだ実用的なのではないかと思います。それに、働く側に労働法の知識を身につけさせることは勿論重要ですが、それに以上に重要なのは、企業側に労働法制を遵守させることであって、違反した企業を厳しく取り締まることが一番効果的です。一流企業の博報堂を一罰百戒のように処罰してみても、自分のところに火の粉が降りかからなければ「うちは関係ない」というのが経営者の根性ですから、国の姿勢は甘すぎるというものでしょう。また、この記事によれば、新しい法案に企業の理解を得るために「労働者が働く上で守らねばならない義務についても教育内容に盛り込」むそうであるが、これもまたおかしな話である。労働者が就職して企業で働くときに交わす雇用契約は、経営者と労働者が対等な立場で交わすものであって、労働者側にだけ一方的な義務が課せられるのはおかしい。「義務」があるとすれば、それは、そこで交わされた雇用契約を誠意を持って遵守・履行する「義務」であって、それは経営者と労働者の両方に課せられる「義務」である。こんな経営者に変な神経を使うような法律を作るよりも、交通違反を専門に取り締まる「交通警察」があるように、労基法違反を専門に取り締まる「労働警察」を設置して企業をびしびし取り締まる方が、過労死問題を解決するためには、はるかに効果があるというものではないだろうか。
2017年01月18日
法政大学教授の山口二郎氏は、元日の東京新聞コラムに次のような年頭所感を書いている; 読者の皆さま、明けましておめでとうございます。今年も「本音のコラム」で、世の不条理と戦いたいと思います。 昨年末の安倍首相による真珠湾メッセージの中にあった「寛容」と「和解」という言葉は、今の日本と世界に最も必要な価値である。これらを自分よりも強い者にへつらうメッセージではなく、自分自身の生き方の原理、他者に接するときの価値の基準にしたい。 特に昨年の日本では排除、差別がまん延し、多くの悲惨な事件が起こった。国内の社会で周辺に追いやられている人々の一部は、近隣の国民にいじめや差別の矛先を向けることで憂さを晴らそうとしてきた。 こうした問題は、米国や欧州諸国にも広がっている。人間の歴史を振り返れば、16、17世紀の宗教戦争による破壊を経験した人々は寛容と共存の必要を学び、市民革命以後、個人の尊厳という価値を定着させた。今の人類は、その400年の歩みを逆転させるか否かの瀬戸際に立っているといっても過言ではない。 この流れに抗して、寛容と和解を実現することは政治の課題であるとともに、私たち一人ひとりの生き方のテーマでもある。身近な場所での差別やいじめを許さない、困難な状況にある人々に手を差し伸べる。こうした一人一人の行動の積み重ねが、寛容な社会をつくり出すはずだ。(法政大教授)2017年1月1日 東京新聞朝刊 11版S 27ページ「本音のコラム-2017年の希望」から引用 去年はEUからイギリスが離脱し、残った諸国には移民排除を主張する勢力が台頭し、アメリカでは差別的な発言をする人物が大統領になるという危機的状況が進行しています。はたして人類はこの危機を乗り越えることができるのか、それとも歴史の進歩を逆転させる羽目になるのか、今年は岐路にたった年になるのかも知れません。特に、政治の素人が大統領になるアメリカがどういうことになるのか、その影響は日本にも直接的に影響してくる可能性が大であり注意が必要です。
2017年01月17日

2013年に試算した額の2倍に膨れ上がった原発事故対応費用について、立命館大学教授の大島堅一氏は、元日の「しんぶん赤旗」で次のように発言しています; 世耕弘成経済産業相は「発電単位あたりのコストは原発が一番、安い」(12月7日の会見)と強調しましたが、とんでもありません。安いと言うなら国民負担を求めず、電力事業者など業界に負担を求めるべきです。 原発のコストが高いことは、実際にかかったコストを比較すればわかります。 福島第1原発事故のコストは経産省のまとめでも21・5兆円。このほかに復興などで1・5兆円かかっており、森林除染をすれば2兆円程度との報道もあるので、現時点で25兆円境模になります。 これらの費用に、建設費などの発電コストや立地対策費用などの政策コストを加えると、1970~2010年度の平均で1キロワット時あたり13・5円になります。水力、火力よりはるかに高い金額です。(グラフ) 実は事故コストはさらにふくれあがります。溶け落ちた核燃料の最終処分や帰還困難区域内の除染など今後かかる費用を踏まえれば、30兆円を超えてもおかしくありません。 政府は、原発を拒否し新電力を選んだ消費者にまで賠償費用を負担させるため「過去分」などと言いだしました。商品の価格が安すぎたからと、何年もたった後で、追加でお金を取るなんて通常の経済活動ではありえません。 除染費用は東電株の売却益をあてるとしています。しかし、柏崎刈羽原発の再稼働や原子力事業の経営改革などで東電の株価が上がるという無理な前提で皮算用しています。 国民負担を増やさないためには、東電救済と原発推進をやめることです。東電を法的整理して株主や融資で利益をあげてきた金融機関に責任を求めれば、国民負担は縮小します。また原発推進をやめれば、毎年数千億円の予算が浮いて事故対応にあてることができます。 原発の事故コストと原発推進コストの”二重払い”を国民に求めるべきではありません。 そもそも、仮に原発コストが安いとしても、金銭で取り戻せない多大な損害を与える発電方法は排除しないと、社会が成り立ちません。 昨日の記事では、今の日本でまともな商売をまじめにやっているのは一般庶民だけで、この国を支配しているブルジョア階級は、一般庶民が気づかないのをいいことに、儲かった利益は自分のもの、失敗して損したときは国民全員に負担させるという横暴を、法律をでっち上げてまで実行しているという「資本主義体制の本質」が姿を現しました。今日引用した記事では、何が明らかになっているでしょうか。それは、原発事故の後に創業した新電力の企業にも事故処理費用を負担させる目的で政府が考え出した「過去分」の請求という問題です。「夕べ神社の境内でおたくに売ったあの綿あめ、500円では安すぎたから、あと2000円払ってくれ」、今どきヤクザだってこんなことは言いません。つまり、安倍政権はヤクザにも劣るような馬鹿げた屁理屈で東京電力を救済し、事故の負担を国民に押しつけようとしているということです。民主主義が正常に機能するまともな資本主義体制であれば、事業に失敗してできた膨大な赤字を、やむを得ず国民に負担させるにしても、その負担はなるべく縮小するべきで、そのためには事業に失敗した会社を整理して換金できる資産を全部処分して、少しでも国民負担を軽減するのがスジというものでしょう。「金銭で取り戻せない多大な損害を与える発電方法は排除しないと、社会が成り立たない」という一言は、実に示唆に富んでいるといえます。
2017年01月16日

2013年に経済産業省が試算した福島第一原発の事故処理費用は約11兆円と言われてましたが、昨年末に試算したところでは、ほぼ倍増の21・5兆円になったと、元日の「しんぶん赤旗」が報道している; 東京電力福島第1原発事故にともなう廃炉・賠償費用などが総額21・5兆円に倍増する-。経済産業省がこんな試算を示しました。安倍政権はこれらの負担を国民に押し付ける方針。1月開会の通常国会でも大問題になります。 本田祐典記者◆賠償7・9兆円 21・5兆円の内訳は、賠償(7・9兆円)、廃炉(8兆円)、除染(4兆円)、中間貯蔵施設(1・6兆円)です。 原発事故の賠償費用はこれまで、東電や、原発を持つ電力各社が電気料金に上乗せする形で負担してきました。 しかし政府は新たに閣議決定(2016年12月20日)で、原発の電気を用いない「新電力」の消費者にも負担させることを決めました。賠償費用のうち2兆4千億円は事故前に積み立てておくべき「過去分」だったとする珍妙な理屈を持ち出し、原発がない沖縄県以外のすべての消費者に負担を求めます。この「過去分」は送配電網の利用料の「託送料金」に上乗せして消費者に負担させます。◆廃炉8兆円 廃炉費用は、東電が自力で工面するという建前でしたが、これも消費者に負担させます。 政府は、東電が送電事業の合理化で浮かした資金を廃炉費用にあてることを決めました。本来は託送料金の値下げで消費者に還元される分を流用します。◆除染4兆円、中間貯蔵施設1・6兆円 除染費用は、国が「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」で引き受けた東電株1兆円分の売却益でまかなう計画です。そのためには東電の株価を現在の数倍にする必要があります。経産省は東電株の株価を上げるため、柏崎刈羽原発の再稼働や、他の電力会社との原子力共同事業立ち上げなどを東電に求めています。除染廃棄物を一時的におさめる中間貯蔵施設の建設は国の「エネルギー対策特別会計」を使います。財源は電気料金にかかる「電源開発促進税」。消費者から徴収しています。◆そのほかにも 政府は年末の閣議決定で、原発事故による帰還困難区域での除染費用を国が支出することも決めました。当面は復興予算を使います。17年度予算案では帰環困難区域内の除染とインフラ整備に309億円を計上しました。復興予算は本来、被災者支援などが目的。財源は2037年まで続く所得税の増税など国民負担です。◆新電力にも負担 東京都小平市の新電力「こだいらソーラー」の都甲公子代表は、「原発を拒否する市民で『新電力』を始めました。それなのに原発の費用を押し付けるのはおかしい」と話します。2017年1月1・8日合併号 「しんぶん赤旗」日曜版 4ページ「原発事故費用 21・5兆円 際限なく膨張」から引用 東京電力という一私企業が起こした事故の後始末や補償を、事故を起こした当事者にやらせないで、一般国民に負担させるというのは、資本主義社会のルールを逸脱した横暴です。現実の問題として、それしか方法がないというのであれば、少なくとも国民は、事故を起こした企業の責任者に対し刑事責任を追及するべきではないでしょうか。また、政府は現在保有している東京電力の株が数倍になったら売却して、そのカネを廃炉の費用に充てるなどと、全くあての無い夢のような計画を持っているとのことですが、これもかなり無責任な話です。ソニーがウォークマンを発売したときのような、よほどのヒット商品の開発でも無い限り、株価が数倍になるなどということが、そう簡単に起きるわけがないことは株を知らない素人にも分かります。福島原発の事故原因がはっきりしない限りは、柏崎刈羽原発を再稼働するべきではないし、新潟県知事もその方針のようですから、東京電力株が値上がりする可能性は、今はないと思います。政府はもっと現実的な計画を策定するべきです。
2017年01月15日
一昨日、昨日と引用した「しんぶん赤旗」の記事は、日本共産党の3つ目の大きなたたかいとして、80年代に始まった「反共宣伝」に打ち勝ったことについて、次のように解説しています; 第三は、「日本共産党を除く」という「オール与党」体制とのたたかいです。 60年代の終わりから70年代の日本共産党の第一の躍進に対して、支配勢力は共産党封じ込めを図って反撃してきました。 日本共産党を政権協議の対象にしないことを明記した80年の「社公合意」を契機として、日本共産党をかやの外に置く反共作戦が開始されました。 90年代前半には自民党政治の危機が深まるもと「自民か、非自民か」の共産党しめだしの一大キャンペーンが行われ、選挙制度も小選挙区制導入の大改悪が強行されました。 90年代後半、国政選挙で日本共産党が連続的に躍進するなか、2000年代には財界が主導して「自民か、民主か」の「二大政党による政権選択」の大キャンペーンを展開。日本共産党の前進を阻む最強・最悪の逆風となって作用しました。 同時にこの反共作戦は、最悪の「反国民作戦」でした。新自由主義的「構造改革」路線により、格差と貧困が広がりました。自衛隊の海外派兵体制がエスカレートし、沖縄の基地問題の矛盾も噴き出しました。 このもとで、さまざまな分野で「一点共闘」が広がり、悪政を国民的に包囲する流れが広がっていきました。こうした国民のたたかいが合流して、15年から16年に野党と市民の共闘を生み出しました。「日本共産党を除く」という「壁」は過去のものとなったのです。 日本共産党は、5年後に党創立100周年を迎えます。開始された野党と市民の共闘を発展させ、安倍政権を倒し、野党連合政権に挑戦します。決議案は「日本共産党は、戦前、戦後の95年のたたかいを通じて、発達した資本主義国で社会変革をめざす政党としては、世界的にも最前線に立っている」ことを強調し、前進・躍進を呼び掛けています。◆党大会に4野党・会派が出席-史上初 日本共産党第27回大会(1月15日~18日)に民進党の安住淳代表代行、自由党の森ゆうこ参議院会長、社民党の吉田忠智党首、沖縄の風の糸数慶子代表の4氏が来賓として参加することが決まりました。 小池晃書記局長は19日の記者会見で「他党の代表が来賓として参加するのは史上初」と述べました。2016年12月25日 「しんぶん赤旗」日曜版 4ページ「第27回大会決議案 その5 歴史が決着 三つのたたかい」から一部を引用 60年代の後半から70年代にかけて、野党第一党だった日本社会党は自民党政治に対向するために共産党を含む全野党共闘という作戦を展開し、東京都、神奈川県、横浜市、川崎市などに次々と革新首長を誕生させた時期がありました。この革新勢力の進展に恐れをなしたこの国のエスタブリシュメントは、四方八方手を尽くして策略をめぐらし、社会党に「共産党を除く野党勢力の結集」という誤った路線の選択をさせることに成功し、このときから社会党の凋落が始まったとみてよいと思います。共産党は戦前の党創立以来、何回も強烈な「反共宣伝」に晒され、その度に、その時点では一時的に勢力を減退させはするものの、党員の忍耐強い闘いに支えられて、勢力を回復する、そういう歴史を95年間繰り返してきたと言えます。そして遂に、2015年~16年と、共産党を中心にした野党共闘が組まれる時代になりました。第27回の党大会には、史上初めて他党の代表が来賓として出席することになったとのことで、これは日本政治史が新しい段階に突入したことを告げる「のろし」のような意味合いを示しているものと思います。
2017年01月14日
昨日引用した記事の続きは、日本共産党が克服した2つめの大きな問題について、次のように述べています; 第二は、戦後の旧ソ連などによる覇権主義とのたたかいです。 50年にはソ連のスターリンが中国を従えて、日本共産党に武装闘争を押し付けようという干渉を行い、中央委員会が解体されました。この党史上最大の危機を乗り越えるなかで、日本共産党は、どんな大国の干渉も許さない自主独立の路線を確立しました。 60年代にはソ連と中国・毛沢東派の双方から、日本共産党を押しつぶそうとする激しい干渉を受けました。このたたかいも歴史が決着をつけました。 ソ連共産党は、79年の日ソ両共産党首脳会談で、過去の干渉について反省を言明。さらに論争は続きましたが、91年、ソ連共産党の崩壊によって終止符が打たれました。 中国共産党は、98年6月の両党会談の合意文書で、中国による干渉行為について、「内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方をとったことについて真剣な総括と是正をおこなった」と表明しました。 2つの大国の党にその誤りを認めさせた党は、世界にも日本共産党しかありません。2016年12月25日 「しんぶん赤旗」日曜版 4ページ「第27回大会決議案 その5 歴史が決着 三つのたたかい」から一部を引用 マルクスが書いた「共産党宣言」の末尾には「万国の労働者、団結せよ!」と記されていることにちなんだのかどうかは知りませんが、スターリンがソ連共産党の代表だった時代は、世界の共産党は団結して革命を推進するべきであるとの考えから、各国の共産党を束ねる世界組織が結成され、それぞれの国の共産党に「ああしろ、こうしろ」と指示を出した一時期がありました。ソ連や中国の共産党が日本の党に武力闘争を促したのは、そういう時代の影響だったのだろうと思います。しかし、ロシアや中国の共産党と違って、日本共産党は戦後の社会の民主化という現実を目の当たりにして、これからは武力闘争の時代ではないという方向に戦略を転換し、議会を通して「革命」を実現するという民主的な路線に転換したため、ソ連や中国の共産党とは袂を分かつことになったのは周知のとおりです。日本共産党が武力闘争の方針を放棄したのは1955年のことで、それまでの路線に献身的に尽力してきた党員の中には、路線転換について行けない人々もいて、それにまつわる色々な出来事があったようですが、芥川賞を受賞した小説「されど我らが日々-」などは、その一面を表現しています。
2017年01月13日
日本共産党の第27回大会議案書は、過去の3つの大きなたたかいに歴史が答えをだしてくれたとして、3つのうちの1つである「戦前の暗黒政治とのたたかい」について次のように記述していると、12月25日の「しんぶん赤旗」が述べている; 日本共産党は来年、党創立95周年を迎えます。第27回大会決議案は、95年のたたかいを経てつかんだ成果、到達点を明らかにしています。 「日本共産党の95年は、日本国民の利益を擁護し、平和と民主主義、社会進歩をめざして、その障害となるものに対しては、相手がどんな強力で巨大な権力であろうと、正面から立ち向かってきた歴史である」 大会決議案はこう強調し「歴史が決着をつけた三つのたたかい」に光をあてています。◆戦前の暗黒政治とのたたかい-戦後に生きる先駆性 第一は、戦前の天皇制の専制政治・暗黒政治とのたたかいです。 1922年7月15日、日本共産党は、侵略戦争反対と主権在民の旗を掲げて結成されました。天皇制政府は、日本共産党に激しい弾圧を加え、作家の小林多喜二をはじめ、多くの党員が命を落としました。それでも日本共産党は国民主権と反戦平和の旗を降ろさず、不屈にたたかいつづけました。 日本共産党のたたかいの先駆性は、歴史が証明しました。敗戦で受諾したポツダム宣言は、日本の戦争を侵略戦争だと認定し、軍国主義の排除、日本の民主化を明記。日本国憲法は国民主権を明記し、戦前の日本共産党の主張が戦後日本の根本原理となったのです。 12年間獄中でたたかい抜いた故・宮本顕治元議長など戦前の日本共産党のたたかいは、戦時を知る良心的知識人からも高く評価されています。(別掲)◆評論家・加藤周一さんの当時の談話 「宮本顕治さんは反戦によって日本人の名誉を救った。戦争が終わり世界中が喜んでいるのに日本人だけが茫然(ぽうぜん)自失状態だった時に、宮本さんは世界の知識層と同じように反応することができた」(訃報に接しての談話、「しんぶん赤旗」2007年7月21日付)2016年12月25日 「しんぶん赤旗」日曜版 4ページ「第27回大会決議案 その5 歴史が決着 三つのたたかい」から一部を引用 戦前の国民は、日本が神様の国だから負けることはないと教え込まれていたのですから、それが負けたということはどういうことなのか、にわかには理解ができず茫然自失だったのは無理もありません。しかし、共産党は戦争が始まる前から政府と軍部がやろうとしていることは「侵略戦争」だから止めるべきだと主張していたのですから、いざ敗戦となったときは「だから、言ったじゃないか」という心境だったことと思います。本来であれば、国民のたたかいによって軍国主義を排除し、日本の民主化を宣言し、国民主権を確立するべきであったのですが、GHQの支援を受けることになったのは歴史の経緯であって、今さらこれを否定するわけにもいきませんし、否定しなければならない問題というものも存在しません。それよりも、軍国主義の排除や国民主権などという主張は、戦前は違法行為とされ取り締まりの対象であったのですが、戦後は軍隊の否定も国民主権も憲法に書き込まれることになった点に、共産党の主張の先見性が表れていると言えます。「真理は少数派の中にある」という格言がそのまま当てはまる事例と言っていいのではないでしょうか。
2017年01月12日

昨年暮れにNHKテレビが放送した『ドラマ 東京裁判』について、12月25日の「しんぶん赤旗」は次のように論評しています; NHKが12日から4夜連続で放送した「ドラマ 東京裁判~人は戦争を裁けるか~」は、アジア・太平洋戦争を仕掛けた日本の指導者たちの責任を裁いた東京裁判(極東国際軍事裁判、1946年5月から2年間)をとりあげました。 11人の判事たちのぶつかり合う個性と議論を通して裁判が問い詰めたものに迫ります。公式記録以外にも判事たちが残した手紙、日記、覚書などの発掘資料をもとにカナダ、オランダと共同制作したドラマです。 焦土と化した東京の風景や、法廷(東京・市ヶ谷にある旧陸軍省大講堂)、証言席の被告の様子などは着色した歴史フィルムを使い、俳優たちの演じるドラマの合間に挟んでいます。違和感なく融合していました。東条英機被告の戦争責任への無自覚な証言ぶりが際立っています。 11人の判事は、米ソ仏英豪中蘭印、ニュージーランド、フィリピン、カナダから派遣された法曹や軍人です。戦勝国と日本の侵略を受けた国との違いが判事の見解にも表れます。 ドイツ人の女性ピアニストやドイツ文学者の竹山道雄との対話から考えをまとめようとするオランダの判事・レーリンクや、本国(豪州)から召還されそうになるウェッブ裁判長の去就なども織り込んでいます。◆隠れた部分 フランスのベルナール判事の発言は大戦の隠れた部分を表出させました。彼はナチスから死刑宣告された経験があるのに、「植民地主義は場所によっていいものだ」と話します。理由は「国民が文明的な政府を持てず、まともな生活をできない地域では」是認されるのだと。これをフィリピンの判事は「植民地にふさわしい地域などない」と制止します。西欧とその植民地になったアジアが一緒になり、日本を裁くことの複雑さを示す場面でした。 インドのパル判事は、「平和への罪」(侵略戦争を起こした罪)は極東国際軍事裁判所条例で初めて明記されたもので、戦争が始まる前にはなかった概念であり、事後法で裁くことは問題だとして25人の被告全員の無罪を主張します。 これに対しレーリンクは法廷で聞いた戦争犠牲者らの証言に突き動かされ、「日本が戦争を始めたときに侵略戦争が犯罪ではなかったからという理由だけで、彼らを無罪にするようでは、国際法は前進しない」と反論します。 『パル判事』(岩波新書)の著書がある中里成章東大名誉教授も同書のなかで、「東京裁判はあるべき方向へ国際法を前進させるワン・ステップ」になったと指摘しています。◆歴史的意義 国際社会では第1次世界大戦の惨禍をまのあたりにして反戦の機運が高まり、自衛戦争以外の戦争は違法というパリ不戦条約(1928年)が結ばれ、戦争を違法とする考えが勢いを増していました。パルの見解は「19世紀的な後ろ向きのもの」(中里前掲書)でした。 昭和天皇の戦争責任や広島、長崎への原爆投下にふれないなど、東京裁判は不十分な面はありますが、日本の侵略戦争を断罪したという歴史的意義は損なわれません。 国際刑事裁判所が設立(2002年)されて、「平和への罪」を裁いた東京裁判が築いた到達は受け継がれています。 他方、戦争犠牲者たちが自らの正義の回復と戦後補償を求め続けて悲痛な声をあげる姿を見れば、東京裁判後に積み残された課題は小さくありません。<神田晴雄記者>2016年12月25日 「しんぶん赤旗」日曜版 31ページ「国際法 前進させた判事たちの苦闘-『ドラマ 東京裁判』を見て」から引用 極東国際軍事裁判所の写真を見ると、戦後の混乱期にしては随分立派な法廷のように見えて、東京大空襲で焼け野原になった東京のどこにこんな立派な施設があったのだろうかと不思議に思っておりましたが、この法廷は当時市ヶ谷にあった陸軍省大講堂を使ったものだそうで、国民が毎日食うや食わずの困窮生活を強いられる一方で、戦争指導者はこういう豪華な施設を利用したいたのかと、つくづく考えさせられました。法理論的には様々な問題を含んでいるとは言え、私たちは71年前に終わった戦争に対する「判決」を正面から受け止め、これからも平和国家としての発展の礎の一つとするべきだと思います。
2017年01月11日
大阪の市立高校の生徒が体罰を苦に自殺したときは、メディアは大きな問題として取り上げたのであったが、その後も教育の現場ではこの問題が改められることもなく、依然として体罰は続けられている。何故続けられるのか、改善の方法はないのか、関西学院大学准教授の貴戸理恵氏は12月25日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 2012年12月、大阪市立桜宮高校の男子生徒が体罰を苦にして自殺した。事件から4年がたつが、教育における体罰は、いまもやまない。最近では日本大東北高校の相撲部で、20代の男性顧問が、部員をゴム製ハンマーで殴るなどの暴力を振るっていたと発表された。今月の初めにも、大阪市の中学校で女子バレーボール部の顧問による部員に対しての髪の毛をひっぱる・蹴るなどの暴力行為が発覚したばかりだった。 体罰批判の声は高く、体罰が発生する「土壌」についての分析もなされている。たとえば、スポーツ強豪校の勝利至上主義や、体罰を受けた側が振るう側に回る暴力の連鎖、内面の成長より表面的な規律正しさを重視する教育など、重要な指摘は多い。 しかし、そうした「正しい批判」にもかかわらず、体罰事件は繰り返される。背景の一つに、体罰批判を「タテマエ」としては受け入れつつも、「ホンネ」の部分ではそれを容認する人びとの態度があるように思う。 桜宮高校の事件を受けて産経新聞社などが実施した体罰に関する世論調査(13年)では「場合によっては仕方ない」が57・9%で「一切認めるべきではない」の40・3%を上回った。ここでは、体罰の完全禁止を「現実的ではない」と見なす生活者の視点が示されている。 ただ、人びとが何を「体罰」だと思っているかは、さまざまでありうる。「場合によっては仕方ない」と容認する人も、けがや死亡につながるような体罰まで肯定するわけではないだろう。体罰容認派の念頭には、次のような現場主義的な問いがあるのかもしれない。「暴力を振るう生徒を押さえつけて制止させる場合も体罰になるのか」「宿題を忘れて正座させるのもだめなのか」 実は、これには既に答えがある。文部科学省は認められる「懲戒」と禁止されるべき「体罰」の境界を、参考事例付きで解説しているのだ(学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰等に関する参考事例)。それによれば、暴力制止のケースは「正当行為」として認められる(=体罰ではない)が、正座は生徒が苦痛を訴えた後も続けさせれば体罰になる。 体罰を肯定・否定する以前に、「何が体罰にあたるか」を知識として共有しておく必要がある。すべての教師・指導者は、非常勤やボランティアで指導に携わる者も含めて「教育現場で何が許されないのか」を研修によって学ぶことが徹底されるべきだろう。 とはいえ現実には「何が体罰か」の境界は常に曖昧でありうる。曖昧さを前提にして、その都度対応するしかない。だから、研修以上に重要なのは、教師・親が「体罰」に関して持っている個々の考えを率直に話し合える関係・場をつくることだ。 職員会議やPTAで、私たちは「体罰」について語り合えるだろうか? 「ホンネ」の意見を言いつつ信頼関係を維持・形成していけるだろうか? 「体罰は悪い」。それがいかに正しくとも、正論を繰り返すだけでは「ホンネ」としての体罰容認論は残り続ける。 過半数が体罰を受容するこの社会で、大人である私たちが変わっていくために、異なる意見を持つ人との対話を通じて自らを見つめなおす機会が求められる。(関西学院大学准教授)2016年12月25日 東京新聞朝刊 12版 4ページ「時代を読む-『体罰』ホンネで対話を」から引用 生徒に対する体罰については、これを容認する世論が57・9%もあるという問題がありますが、メディアの取り上げ方にも問題があると思います。メディアは体罰は学校教育法で禁止されているということを、もっと周知するべきです。国が、具体的な例を挙げて「懲戒」と違法な「体罰」の境界を具体的示しているにも関わらず、現場の先生が「暴力を振るう生徒を押さえつけるのも体罰なのか」とか「正座させるのも体罰なのか」というような発言をするということは、普段いかに「体罰」に無関心でいるかという証左であり、教員免許の更新時には学校教育法をどこまで理解しているかという点も、重点的にチェックするべきだと思います。
2017年01月10日
三権分立という建前と日本政治の現状について、法政大学教授の山口二郎氏は、12月25日の東京新聞コラムに次のように書いている; 三権分立は立憲国家における最も重要な原理だと、私たちは子供のころから教えられてきた。しかし、この理念は今や絵に描いた餅である。 まず、立法府は内閣を抑制できない。日本では、国会の多数派が行政権力を掌握するので、行政権と立法権は分立するのではなく、融合する。内閣を攻撃したいのは国会の野党=少数派なので、何を言っても最後は数の力で負ける。そもそも日本のような議院内閣制は内閣の暴走をチェックするには不向きである。政府・与党の暴走は選挙で与党を負けさせることによってしか止められない。 裁判所も立法、行政をチェックする役割を担っているはずだが、最近の最高裁は内閣に対しては、借りてきた猫のようにおとなしい。それも当然である。内閣が最高裁長官を任命し、判事を指名することになっているからだ。人事権を握られている以上、裁判所は内閣に遠慮する。特に、特定の政党内閣が長期間継続することが予想されれば裁判所はその内閣によって手なずけられやすい。 日本には複数政党と自由な選挙があるから独裁国家とは言えない。しかし、内閣・与党が巨大な権力を握る集権国家であることば間違いない。巨大な権力の支配を恐れるなら、権力分立という幻想を捨てて、選挙で権力と戦うことにもっと大きな努力を払うことが必要となる。(法政大教授)2016年12月25日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-三権分立という幻想」から引用 この記事を読んで最初に思い浮かぶのは、砂川事件のことである。米軍基地反対運動が裁判沙汰になって、最高裁が判決を出すまえに米国政府に内通し「おたくに悪いようにはしませんから」というような意向を伝達していたというのは、およそ主権国家の裁判所のやることではない。それ以外にも、国の戦争責任を追及する裁判ではことごとく国家無答責などという都合のいい言葉を乱発して政府をかばうようなことばかりやってきたのは、一重に人事権を内閣に握られているから、という理由によるらしい。しかし、いくら人事権を握られているからと言って、司法には司法の使命とかメンツとかあるわけで、もう少し本来の「使命」に忠実に仕事をするべきではないかと思います。そこへいくと、韓国の司法は立派です。慰安婦被害者の人たちが人権救済を訴えても、韓国政府は「それは日本政府がやったことだから」と言ったかどうかは知りませんが、当初は冷淡な対応をしてましたが、これを韓国の司法は認めず、「人権救済を訴える国民に適切な対応をせずに放置するのは憲法違反だ」として、日本政府と交渉するように促す判決を出し、それでようやく韓国政府は重い腰をあげて日本と交渉したという経緯があります。事態はまだ流動的なので、交渉の結果を論じるのは時期尚早ですが、少なくとも韓国の司法はまともに機能しているように見えます。また、日本のメディアは、与党が過半数を割ると「ねじれ国会」などと称して、何か悪い状態になっているかのような表現をしますが、これも民主主義が未熟であることを示しているのではないかと思います。アメリカでは、大統領が民主党でも議会は共和党が第一党で、日本風にいうと「ねじれ」ているわけですが、それでもオバマ大統領は議会と話し合いを重ねて、自らの政策を実現してきたのは立派です。日本の政治家も、妙に戦前を回顧する癖をやめて、民主主義の発展に尽力してほしいと思います。
2017年01月09日

昨日引用した「しんぶん赤旗」の記事の続きは、日米安保条約と自衛隊について共産党はどう考えるか、という問題について、次のように述べています; 先の参院選で政府・与党は、野党と市民の共闘に対して”共産党の主張は日米安保条約の廃棄と自衛隊の解散だ。無責任だ”と攻撃をくり返しました。 大会決議案は、こうした攻撃に立ち向かう基本姿勢として2つの点を強調しています。◆真の争点は 第一は、いま問われているのは日米安保条約や自衛隊の是非ではありません。真の争点は、安保法制=戦争法によって「海外で戦争する国」づくりを許していいのかどうかです。 野党と市民の共闘は、安保条約や自衛隊に対する態度の違いを超えて結束しています。 日本共産党は、共闘の一致点を何よりも大切にし、野党と市民の共闘に、日米安保条約や自衛隊についての独自の立場を持ち込まない態度を鮮明にしています。 政府・与党の”共産党攻撃”は真の争点を隠し、自らの憲法破壊の行いを覆い隠すためのものです。 第二は、安保条約や自衛隊に対する党独自の立場を広く明らかにする努力です。 党綱領は”日米安保条約の廃棄と対等平等の日米友好集約の締結”と”憲法9条の完全実施に向けた自衛隊の段階的解消”の方針を示しています。◆安保条約は日本防衛と無関係 安保条約に基づく駐留米軍は日本の防衛とは無関係。干渉と介入を専門とする「殴り込み」部隊です。(図) 日本が米国の無法な戦争の根拠地とされ、協力させられてきたのは歴史の事実です。しかも在日米軍は、夜間の離着陸訓練や低空飛行訓練、米兵犯罪が裁かれないまま放置されるなど、米国内でも許されない異常な特権を受けています。 安保条約をなくしてこそ日本は、米国の引き起こす戦争の根拠地から抜け出すことができ、米軍基地の重圧から解放され、真の独立国家となれます。決議案は「安保条約廃棄を求める国民多数をつくるための独自の努力を行う」としています。◆自衛隊は憲法と矛盾 段階的に解消を 憲法9条にてらせば自衛隊が憲法違反であることは明らかです。世界でも先駆的意義をもつ憲法9条の理想に向かって、自衛隊の現実を改革していくことが政治の責任です。 憲法と自衛隊の矛盾は一挙に解決することはできません。次のような段階を踏み、一歩一歩進めていきます。(1)海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。(2)安保条約が廃棄されても「自衛隊は必要」と考える国民が多数にのぽる状況は当然予想され、自衛隊を同時になくすことはできない。(3)独立・中立の日本がすべての国ぐにと友好関係を築き、国民の圧倒的多数が「もう自衛隊がなくても安心だ」という合意が成熟したときに初めて、9条の完全実施に向けての本格的な措置に着手する。 かなりの長期間にわたって自衛隊と共存する期間が続くことになります。その際、急迫不正の侵害や大規模災害など、必要に迫られた場合に、自衛隊の活用も含め、あらゆる手段で国民の命を守るのは当然です。 大会決議案は「日本共産党の立場こそ、憲法を守ることと、国民の命を守ることの、両方を真剣に追求する最も責任ある立場である」と強調しています。2016年12月18日 「しんぶん赤旗」日曜版 11ページ「安保と自衛隊どうする」から引用 先の参議院選挙では、野党は共産党を中心に共闘態勢を組んで闘いましたが、この共闘に恐れをなした自民党は、共産党は安保条約に反対し自衛隊を解散することを主張する政党だから、そういう政党と共闘するなどということは、国の安全保障について無責任な態度だと攻撃したのでしたが、これは少なからず事実を無視した中傷というものでした。それというのは、共闘を組んだ野党各党は安保条約や自衛隊に対する考えや政策の違いについては、ここでは一旦棚上げして、憲法違反と言われた安保法制を廃止するという共通の課題についてのみ共闘する、という取り決めであったからです。そういう野党の共闘のルールが正しく理解された選挙区では、野党が勝利を収めることができたものと思います。 また、この記事の後半では、共産党はどのように自衛隊を解散にもっていくかという手順について述べています。要は、憲法違反だからすぐに解散するという単純なものではなくて、国の安全を確保するための外交努力を積んで、その結果国民が「これなら大丈夫」と納得したときに始めて自衛隊解散の手続きを開始するという、きわめて柔軟な思考であり現実的な方針であると言えます。リベラル派の人々の中には、「共産党は自衛隊が違憲だといいながら、すぐには解散しない、というのでは立憲主義に反するのではないか」と言う人たちもおりますが、現実の政治は、単純な理論で割り切れるものではありませんので、目の前の現実を少しずつ憲法の理想に近づけるという地道な努力が大切と思います。 なお、昨日今日と引用した記事は、第27回共産党大会議案書の極一部をダイジェスト風に記述したものなので、興味がある方には日本共産党のホームページで、27回党大会議案書を検索することをお奨めします。
2017年01月08日

今年開催が予定されている日本共産党大会の決議案について、12月18日の「しんぶん赤旗」は次のような解説記事を掲載している; 日本共産党第27回大会決議案は、安保法制=戦争法への対案をしっかり示し、安保条約や自衛隊に対する党の立場を広く明らかにしています。 決議案は2つの「平和の対案」-「北東アジア平和協力構想」(別項)と「グローバルな課題解決への5つの提案」を示しています。 「北東アジア平和協力構想」は3年前の前回大会で提唱。東南アジア諸国連合(ASEAN)が実践している、あらゆる問題を平和的に話し合いで解決する東南アジア友好協力条約(TAC)のような、平和の地域協力の枠組みを北東アジアでも構築しようという構想です。◆国外から評価 提唱から3年。日本共産党は、関係国の政府・政党・大学・研究所との意見交換を重ね、国際会議も通じて「構想」実現を呼びかけ、多くの賛同と評価が寄せられています。 -アジア政党国際会議(ICAPP)第8回総会。志位和夫委員長が「構想」を紹介し、その後全会一致で採択した総会宣言は”ASEANのような地域の平和協力の枠組みを、北東アジアを含む全アジア規模に広げる”ことが提起された。(14年9月) -訪韓した志位氏が韓日議連の会長代行、幹事長と会談。両氏は「構想」に関し「望ましい方向」「良い方向」と賛意を示し、「韓中日3カ国の協力が重要」だと強調。(15年10月) -ICAPP第9回総会。日本共産党は南シナ海問題など領土に関する紛争について”国際法を基礎に平和的に解決する”ことを提案し、総会宣言に明記される。(16年9月) -マレーシア政府のシンクタンク・マレーシア戦略国際問題研究所(ISIS)と懇談。「構想」は「きわめて具体的」「ISISの中でも北東アジアでのTAC(友好協力条約)の議論を始めている」との評価が。(16年9月)◆世論と合致 ”軍事対応一本やりから、憲法9条を生かした平和外交に切り替える”-。この方向は国民の願いにもかなうものです。NHKが実施した世論調査では、憲法9条の果たす役割を圧倒的多数の国民が評価したうえ、「武力に頼らない外交」を願っているからです。(グラフ) 日本共産党第27回大会決議案は「この『構想』をもって対話をすすめ、国内外でこの方向での合意形成がはかられるよう力をつくす」と強調しています。<別項>◆ 北東アジア平和協力構想とは 北東アジアで平和を築くために日本共産党は次の4つの目標と原則を提唱しています。(1)域内の平和のルールを定めた北東アジア規模の「友好協力条約」を締結する。(2)北朝鮮問題を「6カ国協議」で解決し、この枠組みを地域の平和と安定の枠組みに発展させる。(3)領土問題の外交的解決に徹し、紛争をエスカレートさせない行動規範を結ぶ。(4)日本が行った侵略戦争と植民地支配の反省は不可欠の土台となる。◆北朝鮮問題どう対応? 北朝鮮の核・ミサイル開発に国際社会がどう対応すべきか。日本共産党はすでに(1)「軍事対軍事」の危険な悪循環ではなく、対話による解決に徹する(2)国際社会が本気になって「核兵器のない世界」への具体的行動に取り組む-という2つの方向を示してきました。 さらに、国際社会が北朝鮮の開発を止められていない事実を踏まえ、「従来の延長線上にとどまらない外交的対応と、中国を含む国際社会による制裁の厳格な実施・強化という両面での対応を抜本的に強化すること」(大会決議案)を提案しました。 もう一つは「グローバルな課題解決への五つの提案」です。人類が地球的規模で直面している課題について、憲法9条を持つ国として、次のような努力方向を提案しました。<1>国際テロ根絶(1)国連を中心に”法による裁き”を基本にすえ、テロ組織への資金・人・武器の流れを断つ国際的協力を進める(2)貧困、教育、紛争などテロの根源を除去する(3)異なる諸文明間の対話と共存関係の確立に力を尽くす。<2>貧困削減 食料、保健、教育など基礎的生活分野の支援を中心にODA(政府開発援助)を充実させる。<3>難民支援 難民の定義をあまりにも狭く解釈する立場を改め、難民を受け入れ、生活や教育の援助を行う。<4>人道危機への対応 内戦などがもたらす人道的危機に対し、非軍事の人道支援、民生支援を抜本的に強化する。<5>気候変動への対応 温室効果ガスの削減目標を抜本的に上積みし、石炭火力増設の中止、再生可能エネルギーの大量普及、原発に依存しないエ、ネルギー政策に転換する。2016年12月18日 「しんぶん赤旗」日曜版 10ページ「『平和の対案』って何?」から一部を引用 NHKの世論調査が示すように、国民の大半は国際紛争を武力に頼らないで解決することを希望しています。その願いを叶えるためには、共産党が提唱する「北東アジア平和協力構想」が最も現実的な対案であり、安保法制を廃止する際の対案として国民は真剣に検討する価値があると思います。
2017年01月07日

奨学金問題対策全国会議共同代表を務める中京大学教授の大内裕和氏は、学生を支援するはずの奨学金制度が、学生に大きな借金を背負わせる制度になっている問題について、12月18日の「しんぶん赤旗」に次のように書いています; 深刻化する奨学金問題を考える際のキーワードは「世代間断層」です。学費、就職、親の年収などをめぐる状況が以前の世代から大きく変わっています。そのことの認識が世代間によって違います。世代間でその認識を共有させることが大事です。 まずは高学費の問題です。 現在の国立大学の授業料は53万5800円です。年間1万2千円(1963~71年)と安かった時期に大学時代を送った60代後半以上の方々は学費の高さに驚いています。学費の上昇が、奨学金を借りざるをえない学生を増加させています。 次に親の収入や本人の就職の問題です。 70~80年代は、まだ経済成長が続いており、年功序列型賃金と終身雇用制が機能するなかで、賃金が増えていました。だから大学の授業料が上がっても、何とか払える状況でした。 90年代前半までは大学卒業者の就職率も高く、正規雇用にも就けていました。そのため奨学金を借りたとしても、返すことができました。 しかし現在は、それらが全部無くなりました。 日本型雇用が解体した結果、折れ線グラフのように親の世帯所得の中央値は98年の544万円から、2014年には427万円と、100万円以上落ち込んでいます。 そのため親の仕送り額も減少を続け、多くの大学生が「ブラックバイト」をしています。学生は生活費のためにバイトしているので立場が弱く、私たちの調査ではバイトしている7割の学生が「ブラック」な働き方を経験しています。 卒業後の就職でも「名ばかり正規」や非正規雇用が増加しています。本人のがんばりが足りないのではなくて、労働市場の構造がとても劣化しているのです。 経済成長のもとで家庭や本人が努力して奨学金返済が何とかなった時代は完全に終わっているのです。 いま、貪困層の急増と中間層の解体が同時に起こっています。大学に通わせている家庭の多くは中間層ですが、その”普通の家庭”が大変な状況にあります。 奨学金問題をさらに深刻化させたのは制度の改悪です。 政府は1984年、それまで無利子のみだった奨学金に、有利子枠を創設します。99年からの10年間で、有利子枠を約10倍に増やしました。その結果いま、借りている学生の6割が有利子になっています。無利子の奨学金を受け取れる基準を満たしている学生も、粋が足りないため受け取れない状況が生み出されています。 奨学金の役割は、家庭の経済状況の差を是正することにあると思います。家庭の経済状況が悪いとたくさん借りて、その人が卒業後も返済に苦労するようなものは、「奨学金」の名に値しません。 卒業後、多額の奨学金を返すことが、結婚や子育ての大きな障害になっています。若者のライフスタイルの選択をせばめ、未婚化や少子化を促進することになります。このままでは日本社会は持続できなくなります。 政府は、返済不要の給付型奨学金の導入を検討しています。額も対象人数も極めて少なく、それを増やしていくことが必要です。 すでに借りている人の場合でも、本人の年収によって猶予・減額・免除を行い、無理のない返済ができるようにすることが必要です。奨学金制度全体の改善を図る必要があります。 同時に、高い学費を放置したまま、奨学金を改善しただけでは根本的な解決になりません。高い学費を引き下げていくということにも挑んでいく必要があります。2016年12月18日 「しんぶん赤旗」日曜版 7ページ「努力で何とかなる時代 終わった」から引用 昔、国立大学の月々の授業料が千円だった時代は、国立大学というのは国が予算を組んで運営する大学だったからで、その後、「小さな政府」を目指した自民党政権は国立大学や国立病院を独立行政法人という組織に改め、大学も病院も国のカネを当てにしないで自分で稼ぎなさいという制度になったため、現在のような高額の授業料を取る大学になってしまいました。このようにして、国立大学に経済的な大きなハードルを置いたのでは、有能な人材を排除してしまう可能性があるのですから、国家的な損失になっている可能性があることにも注意が必要と思います。また、それ以上に大きな問題は、努力して入学した学生に奨学金と称する過大な借金を背負わせて、結婚も子育てもできないような状況を放置しておきながら、他の分野でのみ「少子化対策に積極的に取り組む」などと言っても、それは単なる言葉の遊びに過ぎず、なんの実効性も期待はできないものと思います。
2017年01月06日
アメリカの大統領選挙でトランプ氏が勝ったのはポピュリズムの勝利だという見方を批判する投書が、12月9日の「週刊金曜日」に掲載された; 米大統領選挙のトランプ氏勝利について、ポピュリズムの勝利とする意見が挙がっている。だがそれは違う、と私は考える。もしそうであるなら総得票でも圧勝したはずだ。しかしそうはならなかった。なぜか。米国民主主義のバランス感覚が作用したからではないか。そもそも選挙人制度は大衆迎合主義を抑制する効果も期待され、存続した経緯がある。 米国の有権者は現実的な選択をしたのだろう。トランプ氏は不満をもった大衆を煽動したというが、煽動を諮(はか)ったのはむしろ、クリントン氏支持を明確に打ち出したマスメディア側ではなかったか。冷徹な有権者はそれに乗らなかったとの見方もできる。またメディアは、トランプ氏は政策に無知であると決めつけた。だが実際はいくつかの明確な政策を持っていたのである。たとえば次の提言は実利を重んじる有権者の琴線に触れる内容だったのではないか。 トランプ氏は選挙中、雇用拡大や公共投資を主張していた。不動産経営者ならば、ビル等の資産は設備をメンテナンスしなければ資産価値が下がることは百も承知である。地域のインフラもまた然りである。一例を挙げれば米国では中西部等にラストベルト(錆び付いた一帯)と称される、重厚長大産業が衰退してインフラの更新が遅れている地域がある。そこへ公共投資を行ない雇用を創出させるとともに資産価値を高める。 実業家出身者の発言であれば説得力を伴う政策と受け取られる。問題は財源である。大量の国債発行はクラウディングアウト(金利上昇により民間へ資金が流れなくなる現象)を起こす。ならば、どこに目を向けるのか。一番てっとり早い対象が日本円にして55兆~76兆円にもなると見込まれる国防費である。対GDP比では3%を超えている。ただしそのまま削減して公共事業に充当すれば軍産複合体をもろに敵にまわすことになる。そこで、国防費が膨らんだのは外国の防衛に金がかかっていることにすり替える。その代金は日本、韓国、サウジアラビア、欧州NATO(北大西洋条約機構)加盟国へ分担させ、もって自国の国際戦略の一翼を担わせ、防衛費負担を減らそうという考えである。いわば軍事のアウトソーシングである。経営者らしい合理的な考えといえるだろう。日本政府はその策に一番早くに乗ったかにも見える。 米国はもともと”分断国家”であり、常に内部対立を孕(はら)んだ国である。故にアングロサクソン流現実主義者たちは問題解決のためには実利的な行動こそ肝要と考える傾向がある。 識者の中には、いまだに米国は自由と民主主義を標模する理念国家で、国際秩序の守護神であるという憧憬を抱いている人たちがいる。しかし、そうしたエリート視点は時に有害であろう。米国政治の本質は生々しい実利にあることを見抜かなければならない。2016年12月9日 「週刊金曜日」 1116号 63ページ「論争-米国政治の本質を見抜け」から引用 この投書は、だまって読めばそれなりに説得力があるような気がする。既に存在するインフラのメンテナンスのために公共投資をして雇用を拡大すると言われれば、なるほどという気もするが、その一方でトランプ氏は大手の自動車メーカーがメキシコに予定にしていた工場の建設を断念させて、アメリカ国内に変更させようとしているらしいが、人件費の安いメキシコをやめてコストのかかるアメリカ国内で自動車を生産するということは、アメリカ人は高い車を買わされるということであり、売るために価格を低く設定すればメーカーは当初予定した利益を出せなくなるし、どうもトランプ氏は不動産業の方面では実業家であったかも知れないが、トータルの経済見通しという点では、大きな疑問または不安を否定しきれない面があると思います。
2017年01月05日
私たちの「戦争の反省」は、明治近代国家までさかのぼる必要があります。その理由を、山口大学名誉教授の纐纈厚氏は、昨日引用した記事の続きで、次のように説明しています;(昨日のつづき)――その司馬によれば、「日露戦争までよかったが、それ以降ダメになった」と。纐纈 日清・日露戦争が「祖国防衛戦争」だと思うから、そうしたおかしな論議になる。繰り返すように台湾出兵以降、明治近代国家の侵略政策は一貫しているのです。途中で「ダメになった」のではありません。――そのように考えると「12月8日」とは、大日本帝国のアジア侵略の帰結かもしれませんね。纐纈 1874年の台湾出兵、 1894年の日清戦争、 1904年の日露戦争、そして 1914年の第1次世界大戦の参加と、「4」がつく年に次々に戦争をしている。これは偶然と言うよりは、「戦争が次の戦争を用意する」、あるいは「戦争が次の戦争を生む」という、日本の近現代史の特徴の反映でしょう。日本は、日清・日露戦争後、戦争を頻繁に繰り返す「戦争国家」になつていきます。しかも、それでやっていけるかのような幻想も生まれていく。――朝鮮を植民地化してから、その後もそうでした。次に、満州(中国東北部)を狙う。纐纈 日本は1931年に満州事変を引き起こした後、満州国をでっち上げます。さらにそこを軍事拠点にして、華北、そして華中へ侵略していく。その結果、37年から中国との全面戦争に突入していくのですが、続いて国民党政府の補給ルートを断つために、今度は仏領インドシナ南部(ベトナム)にまで侵略する。その結果、怒った米国から石油の全面的な輸出禁止措置をとられてしまい、ついには石油や他の資源を狙って東南アジアまで侵略しました。それが、「12月8日」という歴史的意味なのです。台湾出兵から始まった、アジア侵略の帰結点として捉えられる。だからこそ私たちの「戦争の反省」とは、明治近代国家までさかのぼる必要があるのです。そうでないと、真の反省には決してなりません。◆侵略の口実とは――朝鮮植民地化以降の侵略を見ていくと、「日本陸軍の父」である山県有朋の「主権線」「利益線」という考え方と結びついているのでは。国境である「主権線」の外部に隣接した地域を「利益線」と呼び、国家の利益と密接に関係があるのだと。そうすると、どんどん外部に「利益線」を拡大していく傾向が生まれたと思います。纐纈 そうかもしれませんね。一種の「緩衝地帯」を国境に設ける発想ですが、しかし「他国に入り込んで、自分の国を守る」などというのは、まったく許されないことです。それは、侵略を正当化する口実にすぎません。――口実にすぎないと。纐纈 本当の狙いは、日本の近代資本主義の発展段階で明らかになった市場の狭隘さから、満州や中国を市場として独占したいという欲求があったのです。これには軍部のみならず、財界も賛成しました。今回、南スーダンに「駆け付け警護」で自衛隊が派遣されたのも、アフリカ大陸の石油資源が念頭にある。しかも、2004年に自衛隊のイラク派兵が本格化し、14年に集団的自衛権行使の閣議決定が強行されたのも、形を変えながら戦前的な行動パターンが現在も繰り返されているのを、暗示しているように思われます。――正確な歴史認識を持たないと、真に過去を反省するのは困難となりますね。纐纈 おっしゃる通り。明治近代国家から始まって、大日本帝国全体の歴史を総ざらいしないと、本当に悪い部分はわかりません。それを切り取り、さらけ出すことが過去の反省にとって不可欠なのです。安倍晋三首相は今月にも真珠湾を訪問すると発表しましたが、その前に侵略した中国や東南アジアへ謝罪のために行くべきです。このままだとますます「12月8日」からアジアの存在が消え、過去の反省が疎かになりかねません。聞き手/成澤宗男・編集部こうけつ あつし・山口大学名誉教授。2016年12月9日 「週刊金曜日」 1116号 20ページ「『大日本帝国』総体の侵略の歴史を総括せよ」から一部を引用 どの国の歴史にも、悲喜こもごも明暗があるのであって、すべてが光り輝く歴史の国とか、一から十まで全部真っ黒な歴史を持つ国というのも、実際には存在しないと思います。したがって、上の記事では、纐纈教授も「大日本帝国全体の歴史を総ざらいして、悪い部分を切り取ってさらけ出すことが、過去の反省にとって不可欠」と言っているわけで、至極当然な主張と思います。また、NHKや文藝春秋という日本社会に大きな影響力をもつメディアが、「昭和は残念だったが、明治は輝いていた」というデマゴーグを振りまく限りは、私たちは「司馬史観」の誤謬を徹底追及していくべきと思います。
2017年01月04日
真珠湾攻撃によって対米戦争が始まったという俗論に対し、山口大学名誉教授の纐纈厚氏は「当時の日本軍の主たる目的は、マレー半島の石油を押さえることが目的であって、マレー侵略に対しアメリカは当然牽制してくるはずだから先に真珠湾を叩いておく、という作戦だったのだから、マレー侵略が「主」、対米戦争は「従」であるというような見解を、12月9日の「週刊金曜日」誌上で述べている;――12月8日は、一般に「真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まった日」として記憶されています。今年で75年を迎えますが、しかし1941年の12月8日には、日本軍はマレー半島への侵攻作戦を先に開始していますね。纐纈 その通りです。真珠湾攻撃は日本時間で12月8日の午前3時頃に日本海軍によって決行されましたが、すでに午前1時半前にマレー半島北部での陸軍の上陸作戦が開始されていました。この時問差は、意味が大きいと思います。――「意味が大きい」というのは、なぜですか。纐纈 つまり太平洋戦争というのは、実は東南アジアへの侵略が主軸であって、そこで必ず牽制してくるであろう米軍をとりあえずブロックするために、真珠湾の米海軍に対し先制攻撃を加えたと言えるでしょう。ですから、南方侵略こそが太平洋戦争の本質であり、主軸でした。――いまだに右派は、太平洋戦争は「アジア解放のためだった」などと主張していますが。纐纈 とんでもありません。40年8月16日に閣議決定した「南方経済施策要綱」では、英領マレーや蘭領東インド(インドネシア)、仏領インドシナを対象に「皇国の軍事的資源的要求を基礎とし」て「経済的大東亜圏の完成」が目的だと明記してあります。どこにも「解放」などと書かれていません。米国が日本の中国侵略に抗議して対日石油輸出の全面禁止に踏み切る前から、日本は東南アジアの資源を狙っていたのです。◆「米国だけに負けた」?――その東南アジアに侵略したのだから、日本は英国やオランダ、さらにはオーストラリアとも交戦状態に突入しました。しかし、なぜか「12月8日」とは、真珠湾攻撃で米国と戦争になった日としてしか受け止められていません。纐纈 それが問題なのです。あたかも「米国だけと戦争し、その結果、米国に物量で負けて降伏した」という歴史認識で、ここではマレー半島やインドネシアのみならず、中国を始めとしたアジアでの戦争が見えてきません。中国大陸には日本は最盛時197万人規模の大軍を派兵しましたが、そこでも敗北しました。まずアジアに侵略して、負けたのです。ところが、「米国には負けたが、中国には負けていなかった」、あるいは「米国に邪魔されなかったら、中国には勝っていた」と何となく思い込む見方が戦後横行し、同時に「米国に負けたのだから、これからは米国についていけばいい」という発想が生まれました。これが国民の対米従属の心理を生み、現在も「日米同盟を支える歴史認識」となっています。――根深いですね。纐纈 アジア太平洋戦争の終わり方からして、大いに問題でした。「8月15日の玉音放送」=「終戦の詔書」で昭和天皇は何を言ったか。要するに、戦争の目的は正しかったが、米軍が新型の爆弾(原爆)を使い始め、戦争がうまくいかなくなったので、とりあえず止める-と。そこには、中国を始めとするアジアの民衆の前に敗北したのだという事実認識が、まったく抜け落ちていました。――そうすると、「12月8日」という日の歴史的意味を、再度問い直す必要がありますね。纐纈 同感です。ここで正しく問い直さないと、戦後、アジアの存在が完全にスルーされてきた過去の誤りにいつまでたっても気づかず、戦争の真の反省も、いつまでたっても生まれてはきません。――「反省」ということでは、憲法の前文に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と書いてあります。では、ここでの「戦争」とは何を念頭におくべきなのでしょう。当然、対米(英蘭豪)戦争だけではなくなるはずですが。纐纈 そこなのです。真珠湾攻撃の以前から、37年に日中全面戦争が始まっており、さらにさかのぼれば31年に満州事変が起きています。◆真の反省と歴史認識――「15年戦争」ですね。おそらく「反省」といった場合、対米戦争に留まらないで、この中国を中心とした15年間の戦争も含めるべきだというのは一つの見識だと思います。では、その前の日清戦争、日露戦争はいったいどうなるのか。作家の司馬遼太郎は、『坂の上の雲』で「祖国防衛戦争」だと主張していますが。纐纈 まったくの、デタラメな暴論です。日露戦争後の1910年に韓国併合が強行されたように、この二つの戦争は朝鮮半島を日本が支配するため、清とロシアの影響力を排除するのが目的の侵略戦争でした。さらに言えば、日本の戦争は1874年の台湾出兵から始まっているのです。「反省」といった場合、明治近代国家が手を染めた最初の侵略であった台湾出兵からまず見ていかないと、本質がわからなくなるのではないでしょうか。「15年戦争」に留まらず、さらに明治期から始まる大日本帝国の総体まで正確に総括する必要があるのです。そうしないと、「何が悪かったのか」という本質的な問題がわからなくなります。(後半省略)2016年12月9日 「週刊金曜日」 1116号 20ページ「『大日本帝国』総体の侵略の歴史を総括せよ」から一部を引用 司馬遼太郎は新聞記者上がりの小説家であって、歴史を専門に研究した学者ではないので、彼の小説に表現される歴史観をことさら「司馬史観」などと言うのはおかしいという指摘が、当ブログの常連さんからなされたことがありました。その指摘は確かにその通りですが、司馬遼太郎が言った「明治は輝かしい時代で、中国と全面戦争になった昭和は残念な時代だった」という発言をいたく気に入った文藝春秋を中心にした右派の論客は、明治時代を賞賛する司馬の発言を気に入って「司馬史観」などとまことしやかに言ってるのだと思います。司馬遼太郎がそんなことを言い出す以前は、誰もが1945年8月の敗戦をもって大日本帝国は滅んだと、いわば明治以来の歴史の全否定であったわけで、しかし、誰もそれを口には出さずにいたところに、司馬遼太郎の小説が「明治は輝いていた」などと言い出したもので、みんながそれに飛びついて取りあえず「全否定」からは逃げられると考えたのではないかと思います。しかし、冷静に考えれば、明治以来の軍国主義が1945年8月の敗戦という「結論」を導いたという事実は動かしがたいものであって、「昭和は残念だったが、明治は輝いていた」というのは史実を誤認した暴論であることは、上の記事が述べる通りだと思います。
2017年01月03日
中学高校で歴史を教えた経験がある元教員のグループが執筆した歴史教科書が文科省の検定に合格し、38校で採用されたほか、大人の読み物としても評判を呼んでいると、12月25日の東京新聞が報道している; 中学校の元教員らが執筆した中学の歴史教科書「ともに学ぶ人間の歴史」(学び舎=東京都立川市)が、大人の歴史学習会で使うテキストとしても分かりやすいと、好評を博している。10月に増補版も出版され」執筆者の1人で元中学教員の山田麗子さん(63)は「大人が歴史を学び直すのに役立っているのはうれしい」と話している。(小林由比) 11月初旬に埼玉県草加市で開かれた学習会。7人の参加者が戦後の教育制度などについて書かれた章を読んでいた。戦時中に動物園にいたゾウが殺され、戦後に「台東区子供議会」の中学生が東京でもう一度見たいと、名古屋の動物園にゾウを貸してほしいと訴えたエピソードが詳しく記述されていた。「動物園が空襲された事実はあったのか」「他国でも戦時中に動物は殺されたのか」といった疑問が出て、次回までに調べることになった。 参加者の金子英子さん(70)は「それぞれの出来事にどういう背景があるのかがよく分かる。点だった歴史が流れになる感じ」と教科書で学ぶ利点を話した。 この教科書は、小・中・高校で歴史を教えた経験を持つ現役、OB計約30人が執筆。2015年4月、教員らが全編執筆した教科書として初めて文部科学省の検定に合格し、本年度38校が導入。草加のグループのような学習会が、東京、千葉、愛知など十数カ所で開かれているという。 教科書の特色は、年号や人物など語句の暗記を重視するのではなく」興味を引く絵や写真を冒頭に入れたり、具体的な場面を描写したりして、子どもたちが自発的に疑問や問いを持ちながら読み進められるようにしたこと。 例えば歴史の記述だと、政治や社会の表舞台にいた男性だけが描かれがち。そこをロシア革命の項目では、パンを求めてデモをした女性を写真と共に紹介するなど、社会のうねりをつくり出した存在にも光を当てた。山田さんは「歴史認識は個人の感性や思考を通してつくられる。子どもが主体的に考える学びの中で、自分なりの歴史の見方を培ってほしい」と願っている。 「増補・学び舎中学歴史教科書」は書店で購入できる。2016年12月25日 東京新聞朝刊 25ページ「歴史 学び直しに役立てて」から引用 むかしは、米は米屋が売るもので酒は酒屋が売るものと決まっておりましたが、やがて規制が緩和されて、米も酒もスーパーやコンビニで買えるようになりました。教科書も、むかしは専門家が執筆するものと相場が決まっておりましたが、こちらは米や酒のような法的な規制はなかったのかも知れませんが、大きな出版社のような後ろ盾がなくても、一般の教員経験者が自らの経験に基づいて工夫した教科書がつくれるというのは、素晴らしいと思います。どういう教科書なのか、大変興味深く思いました。
2017年01月02日
世界のメディアがロシアの支援を得たシリア政府軍が反対派民間人を大量殺戮している問題を批判的に報道している最中、日本のメディアがプーチン大統領歓迎のムードを演出してばかりいることについて、法政大学教授の山口二郎氏は12月18日の東京新聞コラムに次のように書いている; 私は毎朝、NHKBSの外国放送局のニュースを見ている。世界の関心と、日本のメディアの報道のずれが広がっていくことを最近強く感じる。 欧米のメディアではシリア・アレッポの人道危機が連日、報道されている。民間人の殺戮(さつりく)はシリア政府軍の仕業であり、背後にロシアが存在することは常識である。 シリア危機のさなかに行われた日口首脳会談をめぐる報道は、極めて異様だった。領土交渉で前進が期待できないことは、大統領の訪日前のインタビューなどで明らかだったが、日本国内のニュースは大統領歓迎のムードを報じ、交渉本体とは関係ないエピソードの類が満載だった。 首脳会談後、一部ニュースはロシアのラブロフ外相がシリアやウクライナ東部の情勢について、日口首脳が認識を共有したと述べたと報じた。これが事実だとしたら、日本を除くG7各国がシリアの平和的解決を求めているさなか、世界的なセンセーションである。 両首脳が世界情勢についてどう認識しているのか、日本は領土問題優先で、欧米と異なる態度でロシアに対するのかなど重要な問題がたくさんある。こうした問題に踏み込めないのなら、日本の新聞、テレビはジャーナリズムとは言えない。 日本の政治家もメディアも、井の中の蛙(かわず)になっていることを痛感させられた首脳会談だった。(法政大教授)2016年12月18日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-日口会談めぐる報道」から引用 プーチン大統領の来日が迫ったある日のテレビ・ニュースでは、北方領土の元住民らを前にした安倍首相が「北方領土問題は、私の任期中に決着をつける」などと大見得を切るシーンが放映され、その一方では手元の新聞が小さな記事で「ロシアの外相が、ロ日首脳会談で領土問題が議題になることはない」と明言したことが報じられておりました。安倍さんは、よっぽどの秘策を持って世の中をあっと言わせるつもりなのか、そのような秘策もなしに元住民に無責任なパフォーマンスをしておいて、首脳会談終了後はどんな言い訳をするつもりでいるのか、私は不思議に思ったものでした。案の定、首脳会談では領土問題に関して1ミリの進展もなく、安倍さんは「要するに、北方領土問題は大変難しい問題なのです」などと真顔で説明する始末・・・。「大変難しい」などということは、国民の間で何十年も昔からの常識であって、その常識を前提にして「私の任期中に云々」という発言ではなかったのか、という不満を抱いた国民は少なくなかったと思います。こういう軽薄な人間をいつまで首相にしておくのか、有権者はこのお正月休みの間にじっくり考えるべきと思います。
2017年01月01日
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