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一度は群馬県議会が全会一致で設置を承認した追悼碑は、戦時中に朝鮮半島から動員されて日本で劣悪な環境の中で重労働を強いられて命を落とした労働者を追悼するものであったが、その後、右翼団体にそそのかされた自民党群馬県連は、議会で多数派を構成していることを武器にして追悼碑の撤去を決議したのであるが、それに抗議する市民団体が、事実上最後となる追悼集会を開いたことを、市民団体代表の仁藤夢乃氏が26日の「X」に、次のように投稿している;日本が侵略し植民地化し、強制連行などによって朝鮮から連れてこられて働かさせられ、過酷な労働を強いられるなかで亡くなり、殺されもした朝鮮の人々のことを忘れないため、加害の歴史を記憶し、繰り返さないために、そして平和と友好のために市民の手で建てられたこの碑が、明日から見られなくなる。 #群馬の森朝鮮人追悼碑撤去反対碑は広い公園の中に静かにたち、20年近く歴史を伝え続けてきた。安倍政権発足後に右翼の嫌がらせが激しくなり、行政は攻撃に屈した。(Colaboのバスカフェが歌舞伎町から追い出されたこととも重なる)明日から公園が封鎖され、この碑が撤去される。碑の撤去に抗議する市民の集会が始まる1時間以上前から、警察が碑の近くに100人以上の体制で(最終的には200人くらいはいたのかな)離れたところや小さい丘の上に潜んでいた。集会が始まる40分ほど前にはその警察がぞろぞろと出てきて、なぜか碑を訪れる人々を囲い、公園を自由に行き来できないように碑の周辺を封鎖していた。そのあと右翼がやってきてヘイトスピーチや「お前の母ちゃんでーべーそー!」などと叫んでいた。市民の集会は静かに、怒りと悲しみの中で行われた。追悼碑の右側にある塔から石碑の方向がのぞけるようになっていて、それは朝鮮の方向を示している。朝鮮の方々が祖国で聴いていたであろうプンムルノリの演奏に、涙が出る。この碑の撤去は加害の歴史をなかったことにしたい権力者たちや歴史修正主義者を勢いづかせるだろう。世界的にも認識され、日本政府もかつて認めていた歴史的事実である強制連行や強制労働、女性の性奴隷化、慰安婦にされた女性たちがいたことと共に、群馬の森にこの碑があったこと、碑を作り、守ろうとした人たちがいたことも覚え、皆さんとともに負の歴史を繰り返さないために行動を積み重ねていきたいです。市民の追悼集会を取り囲む群馬県警の警察官たち1月28日の「X」から引用https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1751519268276244767?t=AKpfUj0wn9n3p0SEEmZhVw&s=03 この投稿が示すように、戦時中は日本が植民地支配していた朝鮮から多くの労働者が、ある者は自らの意思で、またある者は官憲による強制によって日本に連れてこられ、劣悪な環境で重労働を強制された史実は、今では世界中に知れ渡っており、追悼碑を破壊したところで今更「史実」が消えてなくなるものでもなく、警察官まで動員してあたかも実在した史実をなかったことにするかのような仕業は、「日本はそういうことをする国だ」という「恥」を世界中にさらず暴挙であり、日本人としては実に恥ずかしいことです。
2024年01月31日
イスラエルによるパレスチナへのホロコーストによってジャーナリストも次々と命を失っていく状況について、文筆家の師岡カリーマ氏は13日の東京新聞コラムに、次のように書いている; ガザで死亡したジャーナリストがこの3ヵ月で79人に上る中、特に注目を集める男がいる。アルージャジーラのガザ支局長ワーイル・アル・ダフドーフ、53歳。次々と悲劇に襲われるも揺るがす、取材を続ける姿がアル・ジヤバル、つまり山にたとえられる。 最初の個人的な悲劇は10月に襲った。テレビ中継の最中に、家族の避難先の住居が爆撃されたと知らされたのだ。この攻撃でワーイルは妻のアムナ、15歳の息子マフムード、7歳の娘ジャーム、そして孫アダムを失った。それでも翌日、彼はカメラの前に立ち、現地の状況を伝え続けた。 12月には、避難所となっている学校への攻撃を取材中に負傷し、同僚が死亡。そして先の日曜日、やはり記者として活動していた息子のハムザを乗せた自動車が、報道によれば「狙い撃ち」され死亡。27歳だった。 カタール訪問中に会見でこの件について問われたブリンケン米国務長官は「同じ父親として、想像を絶する悲劇」と答えた。長官としては誠実に答えたに違いない。でも「言葉は安い」というアラビア語の表現を思い出さずにはいられない。ハムザや2万人を超えるガザ市民の殺害に必要な武器を提供している国の代表が「悲劇だ」などと言っても、無責任なだけで慰めにならない。「今すぐ停戦を。さもなくは軍事援助は打ち切る」と言うべきだ。(文筆家)2024年1月13日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-山と呼ばれる記者魂」から引用 イスラエルによるパレスチナへのホロコーストは許すべからざる犯罪である。今回の紛争の始まりはハマスがイスラエル市民が集う施設へのミサイル打ち込みで数千人のイスラエル人が犠牲になったことだと報道されているが、ハマスのミサイル打ち込みは自分たちの国土がイスラエルによって侵略されたことに対する報復なのだから、やはりこの責任は元はと言えばイスラエルの責任なのである。そのイスラエルに軍事援助を続けるアメリカの犯罪性も、国際社会は議論するべきであり、アメリカの責任も追及するべきです。
2024年01月30日
自民党の国会議員が企業献金を政治資金報告書に記載しないでフトコロに入れるという「裏金」事件を起こしていたことについて、成蹊大学教授の野口雅弘氏は12日の朝日新聞に、次のように書いている; 「政治とカネ」の問題がまた起きた。自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる裏金事件は国民の政治不信をますます高めているが、政治思想が専門の野口雅弘・成蹊大教授は、問題は「カネ持ち支配」の構造にあると指摘する。 哲学者アリストテレスは「政治学」で寡頭制について論じた。少数者による堕落した政治形態で、少数の富裕者が政治を私物化し、政治がゆがめられた状態と言える。「政治とカネ」は、日本固有の問題でなく、古代ギリシャの時代にまでさかのぼるのだ。 今回の裏金問題は、“プルートクラシー”の存在を浮き彫りにした。 プルートスはギリシャ神話における富と収穫の神。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーはカネ持ちによる支配のことをプルートクラシーと呼んだ。資金力のある人たちが発言力を強めるため権力に近づき、権力を握る者にどんどんカネが集まる。カネの側面を強調した寡頭制とも言える。 プルートクラシーは世界的な現象だ。ソ連崩壊後の民営化で誕生した「オリガルヒ」もそう。米国のトランプ前大統領が当選した時は、大金持ちが貧しい者の味方を気取り、権力を握ったということで、プルートポピュリズムという言葉が使われた。 経団連の会長が裏金問題は批判しつつも「民主主義の維持にはコストがかかる」として、企業からのクリーンな寄付は「一種の社会貢献」と発言した(昨年12月4日の記者会見)。自分らに有利な体制を維持するためにはカネを出し惜しみませんというプルートクラシー的な発言に聞こえる。■排除される市民 民主主義の基本は、財産や思想に関係なく政治的に平等であること。それにもかかわらず、一枚数万円のパーティー券を何枚も買う余裕のない市民は政治決定の場から排除され、無力感を覚える。また、平場で市民が議論したら首をかしげるような政策も出てくる。例えば、五輪や万博の報道を見ながら、なぜこれだけの税金を使ってまで開催したいのだろうと思う人は多いだろう。 政権交代が定期的に起きることは、プルートクラシーの誘惑への一つの抑止になる。緊張感が生まれ、いくら大金を積まれても政治家はある程度自制するはずだ。 そうすると選挙がますます重要になると思うかもしれない。だが、むしろ選挙はプルートクラシーと親和的だ。フランスの思想家モンテスキューは「法の精神」で「選択による選出(=選挙)は貴族政の本性にふさわしい」と書いた。つまり、選挙で当選しやすいのは名望家やカネ持ち。その結果、どうしても世襲議員が多くなる。選挙はそういう性質も持っている。 政治家へのカネの入りをゼロにすればよい、という意見もあるだろう。だが、ウェーバーが「仕事としての政治」で書いているが、政治家とカネを切り離すと、政治のために無給で働いてくれる人だけしか政治家になれなくなる。資産家だけが政治家になり、ほとんどの人が政治から排除されてしまう。これもカネ持ち支配の一種だ。■ビジョン見えず 不信感を抱くのは分かるが、政治にカネの問題はつきもの、というさめた認識を持つことも大事だろう。どこまでだったら許せるのか、どこからはアウトなのかを見極めることが有権者には求められる。 ただ、今の日本ではその見極めが非常に難しくなっている。政治家にビジョンが無くなっているからだ。 田中角栄は金権政治の象徴であった。だが、彼はやりたいことがはっきりしていた。国民に理想を語った。国民はどこまでだったら彼の欠点を許し託すべきか、と考えることができた。 しかし、今の政治家は理想を語らない。無理して裏金を作ってまでしたいことは何なのかがよくわからない。このわからなさが、一連の現象をグロテスクなものにしている。 ではどうすればいいのか。選挙以外の民主的なルートを確保することが必要だろう。無作為抽出された市民による熟議の場である「ミニパブリクス」と呼ばれる手法や住民投票などを組み込みながら、民主政治を豊かにしていく。プルートクラシーにあらがうにはこういった民主主義の制度の多元化が不可欠だ。(構成・田島知樹)2024年1月12日 朝日新聞朝刊 25ページ 「政治の“カネ持ち支配”こそ問題」から引用 この記事はなかなか面白いことを書いている。フランスの思想家が言うことには「もともと選挙というものは名望家やカネ持ちが当選しやすいもので、ほおっておけば世襲議員が増える」と、それを先に教えてほしかったと思います。私たちが学校で習ったことと言えば「明治のある時期に国会ができて、人々が議員を選挙で選ぶのであったが、その選挙権は一定額の税金を収める男子のみだった。やがて、戦後になると民主主義の時代になって男女すべての成人が投票できることとなった」というのみで、「漫然と投票していると、世襲議員が増えることになるから注意が必要」と、そこまで学校教育でやってもらわないと、日本の政界の世襲化現象には歯止めがかからないのではないかと思います。また、この記事は今の自民党議員が「無理して裏金を作ってまで、何をしたいのかよくわからない」と言ってますが、それは新聞やテレビが世襲議員に遠慮して「裏金を何に使ったのか」を取材しないから、情報がないだけのことであり、今後は変な遠慮などしていないで、何に使ったのか、あるいは使うつもりだったのか、しっかり取材して報道してほしいと思います。まあ、どうせ世襲議員の考えることですから、ひと財産貯めこんだアカツキには吉田茂が住んだという神奈川県大磯町の吉田邸とか、鳩山一郎の音羽御殿のような大邸宅を子孫に残したいとか、そんなところではないかと思います。
2024年01月29日
生活に困窮する若年女性を支援する市民団体Colaboを運営する仁藤夢乃氏を誹謗中傷する記事を掲載した「デイリースポーツ」が、名誉棄損で訴えられて敗訴し損害賠償を命じられたことを、原告の仁藤夢乃氏が24日の「X」に、次のように投稿している;デイリースポーツを提訴した裁判、判決が先ほど出て、勝訴しました。安倍晋三元首相が殺害された後、私が政権批判をしたことに対して、「安倍晋三の死は自業自得」と言ったかのような見出しで書かれたものです。これについて、名誉棄損及び名誉声望保持権の侵害と認められ、22万円の損害賠償が命じられました。被告は「自業自得」と書いたのは要約だと主張していましたが、要約とは言えないこと、ネットニュースは見出しだけしか読まない読者もいることなどが考慮された判決となりました。見出しだけしか読まない読者もいることはネットメディア自身がよくわかっていて、だからこそセンセーショナルな見出しをつけたのだと思います。首相が殺害された翌日に、私が笑顔で写っている写真(女性の人権に関する賞を受賞をしたときのもの)と一緒に「自業自得」と言ったかのような記事を配信されたことの影響は大きく、その後私やColaboに殺害や銃殺をほのめかす連絡が相次ぎました。また、LINEなど多くの人が目にするSNSでも配信され、Colaboとつながる・つながりたい私たちが考えている若い女性たちもその記事を目にすることになりました。見出しの《「女性の権利」軽視にも怒り》という言葉からも、モノいう女性に対する攻撃を煽り、犬笛を吹いているのが明らかです。私が若い女性だから選ばれたのだと思います。私に対する取材なく、私の発信が歪められ、見出しにされました。このような記事をメディアが書いて、エンタメとして消費したこと。それによって、「何をしてもいい相手」「黙らせよう」とする人たちからの注目を浴び、その直後に始まった暇空茜こと水原清晃(40代男性)らによる深刻な攻撃にもつながっていったと考えています。実際に暇空のノートでも、Colaboに対する誹謗中傷の最初にこのニュース記事について扱われています。声を上げる女性に対してデマ拡散や誹謗中傷を行うことで、再生回数やPVを稼ぎ、お金儲けに繋げる、そうした人たちによる深刻な被害をColaboはこれ以降、1年半にわたって受け続けています。この件では、大手メディアがそうしたことを扇動し、加担したことの影響が大きかったので、裁判所がまともな判断を下してよかったです。しかし、この犬笛記事によって被告のデイリースポーツが得た収益はわかりません。損害賠償を命じられた金額よりも多くの利益を上げている可能性もあると思います。このようなことが許される社会であってはいけないと考えています。1月24日の「X」から引用https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1750078241153720721?t=Bmx-Cydi8cTFcWLloXqAEQ&s=03 本人が言ってもいないことを、さも「こう言いました」と書いて、人目を引いて購読料を稼ぐという悪質な販売戦略をとるのが「デイリースポーツ」という新聞であるとは、はじめて知りました。しかし、「デイリースポーツ」が取材もしないで名誉棄損になるような記事を掲載した本当の目的は、単なる購読料稼ぎではなく、Colaboのような団体が活動できなくなるようにしたい、という、暇空茜と同じ「目的」があってのことだろうと思います。そのような邪な目的を達成しようとすれば、社会正義の観点から「ちょっと待て」と声がかかるのは当然で、裁判所がまともな判決を出したのは本当に良かったと思います。
2024年01月28日
ハルノ宵子著『隆明だもの』(晶文社刊)について、仏文学者の鹿島茂氏が13日の毎日新聞に、次のような書評を書いている; 吉本隆明の長女で漫画家のハルノ宵子が父と母と過ごした日々を回想したエッセイに妹の吉本ばななとの姉妹対談などを付した一冊だが、PR誌で『共同幻想論』を解読しようと悪戦苦闘している私にとってはこれ以上にありがたい本はない。「ヘンな話、うちの家族は全員がちょっとした“サイキック”だ。(中略)父の場合は、ちょっと特殊だった。簡単に言ってしまえば、“中間”をすっ飛ばして『結論』が視(み)える人だったのだ。(中略)無意識下で明確に見えている『結論』に向けて論理を構築していくのだから“吉本理論”は強いに決まっている」 ふーむ。これは凄(すご)い。まさに私が『共同幻想論』解読の末にようやく到達した結論と同じである。では、いったい、こうした吉本のサイキック(スピリチュアル)な能力はどこから来ているのか? 「現代的な表現をするならば、一種の“高機能自閉症(サヴァン症候群)”だ。たぶん人間は、縄文期頃までは、普通に行使していたはずだ。(中略)たとえばネイティブアメリカンの族長を想像してみてほしい。なんとなく父のイメージと重なると思う。論理とスピリチュアルは、決して相反するものではない。まずインスピレーションありきで、そこに経験や修練によって得た知識の強固な裏打ちがあってこそ、父はあそこまでの仕事ができたのだと思っている」 吉本スピリチュアル説! なるほどこれを用いると『共同幻想論』の難解な前半部分もわかりやすくなる。では後半の中核である対幻想についてはどうか? この点でも本書は最高の絵解きとなる。 「父と母は、正反対のベクトルの強い力で反発し合いながら、同じ力で引き合い均衡を保っていた。お互い自分と同等のエネルギー値を持つ者は、この世に他に存在しないと、どこかで分かっていたのだと思う」 吉本と「同等のエネルギー値を持つ」とはどういう意味なのか? 後半に収められた姉妹対談を読むとわかる。病弱だったこともあり、料理が嫌いだった母和子が完璧を期してつくる料理の「恐怖」が語られているからだ。「吉本 私、母に料理を作られると逆に恐怖だった。(中略)ハルノ そうですね。だから大(おお)晦日(みそか)とかすごい恐怖だったわ」 こんな夫婦だったからこそ「対幻想」という画期的な概念が生まれたのだろうが、その発生の現場は修羅場であったに違いない。 「吉本家は、薄氷を踏むような“家族”だった。父が10年に1度位荒れるのも、外的な要因に加えて、家がまた緊張と譲歩を強いられ、無条件に癒(いや)しをもたらす場ではなかった」 最晩年、糖尿病で眼(め)と脚をやられ、認知症を併発した吉本は「薄闇に包まれた、肉体という牢獄(ろうごく)の中に閉じ込められ」た存在になった。没する4、5カ月前、突然、玄関で物音がしたので駆けつけると外出の支度をした吉本がたたきに転がっている。これを見た著者は死の予感によって姿を消す猫の死に方を連想する。「最後には真の自由と孤独の時間を生きるために、すべての老人も出て行くのだと思う」 「族長」吉本は縄文人のような死に方を望んだのかもしれない。身内の回想とは位相を異にする、父親論にして最高の吉本論。(仏文学者)ハルノ宵子著『隆明(りゅうめい)だもの』(晶文社・1870円)2024年1月13日 毎日新聞朝刊 13版 17ページ 「今週の本棚-『対幻想』発生の現場は修羅場だった?」から引用 吉本隆明は60年安保を闘った大学生や若い労働者に人気の思想家で、しかしその共同幻想論は難解でそれだからこそ多くの若者が世の中の真実を求めて、夜を徹して議論を闘わせたのであったが、今となっては遠い思い出である。しかし、その偉大なる思想家の実の娘たちが二人して「実は、うちの家庭内はこうだった」と内実をばらしていて、しかもそれがなかなかユニークな家庭生活でなにやらユーモアが感じられて面白そうな本のように思われます。但し、人の家庭生活はもともと人それぞれであるのが当然で、どういう生活が普通でどういう生活がユニークだ、などという判定は実はナンセンスであることを、偉大なる思想家のために申し添えておきたいと思います。
2024年01月27日
日本語に潜む性差別的な表現について、翻訳家の平野卿子氏は昨年秋の東京新聞に、次のように書いている; 拙著『女ことばってなんなのかしら?』で、私は日本語に潜む数々の性差別的な表現を取りあげました。英語では「I」、ドイツ語では「ich」など、西洋語では一人称は一つだけなのに、日本語では「私・僕・俺・自分・小生・我」など沢山あります。でも、女が使えるのは「私」だけ。 個々の言葉にも差別的な発想がしみ込んでいます。たとえば「少女」と「少年」。「少女」といいながら、なぜ「少男」ではないのか、それは、男を表現するときには「性を超えた人間性]があるのに、女は「性」から逃れられないから。「人=男」だからです。女偏があるのに男偏がないのは? それは人偏があるから。「侍・僕・俺・僧」が男性を意味するのは偶然ではないでしょう(man=男も同根)。今更言葉を根本から変えることはできませんが、実態を知った上で使うことには大きな意味かあるのです。 その延長線上にあるのが、「男のロマン」。遠くを見る目、今ここにはない何かを求める心ー『ロマン』とは本来いいものです。ところか、「男の」がついたとたん、排他的で独善的な響きを帯びる。漫画『ミステリと言う勿れ』の主人公整(ととのう)は、警察の男社会を「男のロマン至上主義の人たち」と断じています。作者は?もちろん女性です。 「男のロマン」は日本独自のものではありません。「男の口マン」てんこ盛りのアニメ『紅の豚』の先駆は、かの各画『カサブランカ』です。合言葉は-女にはわからない。けれども、「ロマン」は決して男の専売特許なんぞではない。英国の作家R・ゴッデンは、名作『ねずみ女房』で「ロマン」を追うめすねずみを感動的に描いています。ここにあるのはただ、「口マン」という言葉が本来もっている魅惑的な響きだけ。 前回、昨今は中立語で話す女性か多いと申しました。そんな中、女ことばなんか使っているようじゃだめだ、格差か縮まらないという声もちらほら。けれども、問題は「女ことば」にではなく、別の所にあります。それは「女らしい言い回し」。過度に相手に配慮した女性特有の話し方のことです。 たとえば、断定を避けて「あなたもそう思わない?」、要求せずに質問して「今晩どこへ行く?」、へりくだって「もし、誰も反対でなかったら」。これらは、あまりに深く刷り込まれていて、もはや意識すらされません。これは西洋語にもあります。 女性にとって重要なのは、このような「女らしい言い回し」をやめてきちんと自己主張すること。いくら男と同じような言葉遣いをしても、この「女らしい言い回し」をやめない限り、女らしさの規範から抜け出すことはできません。 本書が世に出て数力月。著者として何よりも嬉しかったのは、私のこの思いが多くの読者にストレートに伝わったという手応えを得られたことです。 一方で、標準語で育った自分は「言語マジョリティー」なのだということに、今回初めて気がつきました。何を今更・・・しかし、それこそがマジョリティーというものではないでしょうか。マジョリティーとは「労せずに得た特権に気づかずに済む人」のことだからです。 その事実に気づいた時、私は足を掬われた思いでした。自分を顧みることで、社会的マジョリティーである男たちに自らの特権に気づかせることの難しさ、ひいてはジェンダー格差克服への道の険しさを改めて思い知らされたからです。(ひらの・きょうこ=翻訳家)2023年11月19日 東京新聞朝刊 11版 18ページ 「言葉を見つめる・日本語に潜む性差別(下)-『女らしい言い回し』やめよう」から引用 戦前までの日本では「夫唱婦随」などと言って、一家の主は「夫」であり「妻」は主の指図に従って行動する立場の者という決まりが社会にあったわけでしたが、戦後は憲法に「男女同権」が書き込まれたので、理屈の上では夫婦間に主従関係はなくなったはずでしたが、実際の世の中はそう簡単に切り替わるものではなく、社会のあらゆる分野が男性中心の組織で構成されており、女性はあくまでも補助的な存在として軽視される立場に留め置かれてきたと思います。憲法だけは「男女同権」と言っても、その他は旧態依然というのでは「進歩」もなかなか進みませんが、何故進まないのか、そのカラクリに気づいた平野卿子氏のような人たちが、今後多くの啓蒙書を書いて読者を増やしていけば、やがては理想的なジェンダー・フリーの社会が実現するものと思います。それにしても、英語では男も女も「I」なのに、日本語では「私・僕・俺・自分・小生・我」と男を意味する言葉が多くあるのに、女は「私」しかないというのは、言われてみれば確かにそうではあるのですが、しかし、これは中国語ではどうなっているのか、中国の男も自分を意味する言葉は複数あって、女が自分を意味する語は一つしかないのか、大変興味深く思います。
2024年01月26日
家庭内のトラブルで家を出て都会の繁華街にたむろする若年女性が安易に売春の道に誘われることを防止するための活動を展開する市民団体Colaboに対し、執拗に妨害活動を続ける暇空茜(仮名)をColabo代表の仁藤夢乃氏が訴えた裁判が始まったことを、仁藤氏が24日の「X」に次のように書いている;今日は原告の私と、被告の暇空茜こと水原(40代男性)の本人尋問がありました。被告は、裁判所から出るところを追跡されるなどするリスクがあり身の危険があるため尋問には来れない、それは遮蔽措置やビデオリンクだったとしても同じだという、とんでもない理由で来ませんでした。ちなみに私個人に対する被害として尋問でもお話しましたが、私は流されているデマや誹謗中傷の影響により、レイプ予告や殺害予告は日常茶飯事で、私が登壇予定の講演会が安全確保ができないとして主催者により中止になってしまったり、私が参加する会議がズーム開催になったり参加を拒まれることもありました。また、事務所にはりついて尾行をこころみたり、自宅を特定しようとする人もいました。傍聴席は50席以上ありましたが、70名以上?の人が並んだようで抽選となりました。私は尋問を通して、被告のデマや誹謗中傷による被害の大きさについてお話しました。例えば以下のようなことです。被告のデマや誹謗中傷をきっかけに、バスカフェのバスが切りつけられたり、少女たちやスタッフの安全が脅かされたり、バスカフェへの直接的な妨害が深刻になったこと。路上をさまよう少女たちとつながるためにアウトリーチに街に出ると今でも毎回、男に付きまとわれたり撮影されたりしながら、被告によるデマや被告がColaboを誹謗中傷するためにつくった造語を浴びせられたりしていること。被告が情報開示請求で得た、Colaboが東京都に提出した報告書などをネットに公開したり販売し、新たなデマを拡散していること等から、東京都の事業を受託すると少女たちの安全が守れないと考えて、東京都の補助金事業に応募を断念せざるを得なくなり、それだけでも5千万円ほどの資金を得られなくなったこと。他にも、被告のデマや誹謗中傷の影響で、Colaboのスタッフや関係者、少女たちや支援者の情報が晒され、自宅を特定安全のためにColaboへの支援をやめざるを得なくなった支援者や企業があったこと。それによりColaboへの寄付が減ったこと。少女たちの安全が守れないためシェルターを複数閉めざるを得ず、そこに暮らしていた子達の地域での暮らしが奪われたこと。シェルターを出た後も、何年もつながり、そこをいつでも帰れる実家のような場所として大切に思っていた子たちが多くいて、親や家族を頼れない状況のなかで、大切に作ってきたそのような場所を壊されてしまったことに大きな喪失感を持っている女性がたくさんいること。他にも、被告のデマによって支援活動や少女たちの生活や心身への深刻な影響があること。少女たちは社会や他者への信頼感を失っているし、これからColaboと繋がりたいと考える少女たちがネットで調べた時に、この裁判を通して被告のデマがデマであることが証明されても、その後もそれに影響された無数の投稿がネットにあるため、それらを目にすることで、繋がれなくなることの影響の深刻さなどについてお話しました。また、被告はColaboと戦うことを目的として、カンパを1億3千万円以上集めたり、裁判の書面を販売したり、YouTubeのネタにして儲けたりしていて、この裁判で多少の賠償を命じられても経済的には痛くないであろうこと。デマによって女性支援や少女の人権を守る福祉の活動を衰退させるだけでなく、裁判すらお金儲けに利用する、そういうことはあってはならないと考えていること。被告を模倣する人も出ているし、被害をこれ以上拡大させないためにも、被告の行為の悪質さを踏まえて、できる限り大きな損害賠償を命じて欲しいとお話ししました。反対尋問では、被告の代理人弁護士3人からそれぞれ質問がありました。それについては次の投稿に書きます。1月24日の「X」から引用https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1749809379749368050 この記事にもあるように、当初は東京都も市民団体Colaboの活動の「意義」を認めて補助金を出していたのであったが、暇空茜らが暴力的な妨害活動を始めると、なんと東京都は補助金の支出を中止するという暇空茜らの妨害活動に加担するような態度に出たときは、本当に呆れてしまいました。しかも、暇空茜がColabo妨害を目的にカンパを募るとあっという間に1億円以上が集まるという、異常な社会になっているのが、私たちの日本です。このような「狂った社会」を、少しでもまともな社会に軌道修正できるような、まっとうな「判決」が出るように、裁判の行方を見守りたいと思います。
2024年01月25日
元日から能登半島には大地震と津波が押し寄せていたにも拘わらず、岸田首相の現地視察が2週間後になってしまったことについて、文芸評論家の斎藤美奈子氏は10日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 阪神・淡路大震災(1995年1月17日)の際初動が遅いと批判された当時の村山富市首相はそれでも発災2日後の19日には現地に入った。 新潟中越地震(2004年10月23日)の際、小泉純一郎首相が現地に視察に入ったのは発災3日後の26日である。 東日本大震災(11年3月11日)の際には菅直人首相が周囲の反対を押し切る形で翌12日に福島に飛び、福島第1原発に乗り込んだ後、東北一円を空から視察した。 熊本地震(16年4月14日)の際、安倍晋三首相が現地視察に入ったのは9日後の23日。予定の16日に、より大きい本震が来たためだった。 能登半島地震の発生から10日。岸田首相はやっと13日に現地に行く方向という。交通の難があったにせよ遅すぎる。 政治家、特に首相の被災地訪問については以前から議論があった。主な反対論は「被災地の負担になる」というものだ。部下や警備を引き連れて押しかけられても迷惑なだけ! しかし災害の現場も見ず、被災者の声も聞かずにどうやって救済ができるのか。政治家の視察が邪魔なのは、政治家側が視察を平時の大名旅行と同等に考え、受け入れ側が視察を接待と考えているからだろう。 独断で現地に入った国会議員を批判するなど本末転倒。最低限の随行人数で現地の悲鳴を最大限受け止めてきてよね、首相なら。(文芸評論家)2024年1月10日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-現地に行く意味」から引用 村山富市首相(当時)が阪神・淡路大震災の被災地入りしたのが「初動が遅い」と言われながらも、2日後であったとは驚きである。当時の人々は何を基準に「遅い」と言ったのか、その辺も知りたいところだ。岸田氏の場合は、どんな天災が起きても、多分この人物はあまり興味を示さず、首相ともなれば一応は「視察」は必要だろうくらいの認識ではないかと思われます。彼の場合は、そんな地震よりも自派の経理責任者が検察に何をしゃべってるのか、そっちの方がよっぽど気がかりで、視察は後回しになったのではないでしょうか。道路が寸断されたのなら、首相官邸の庭からオスプレイに乗って行けば、水も食料も積んで行けただろうにと思います。
2024年01月24日
元日から大地震に見舞われ航空機事故まで起きた今年の正月について、現代教育行政研究会代表の前川喜平氏は7日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 能登半島地震では家屋倒壊などで多くの人命が奪われた。日航機と海保機の衝突事故では5人の乗員が亡くなった。愛する人を失った人たちの悲しみは想像に余りある。 地震は自然が起こす天災、航空機事故は人間が起こす人災だ。天災は防げないが人災は防げる。しかしこの二分法で全て割り切れるわけではない。地震は正確な予知はできないが予期はできる。能登半島の活断層の存在は知られており、大地震の危険性は専門家の間では認識されていた。その危機感が行政や住民と共有されなかったため防災対策が遅れたとすれば、その結果は人災だ。 羽田の事故では管制の指示を海保機が取り違えた可能性が高い。二重三重の防止策があっても、勘違いによる過失が防げなかった。「間違える」という人間の天性に由来する点では、天災の要素も含まれると言える。 ではウクライナやガザの悲惨な戦災は、何か引き起こしたのか。戦争は人間の故意によって起きる。その意味では完全な人災だ。かつて哲学者の田中美知太郎は「平和憲法だけで平和が保証されるなら、ついでに台風の襲来も禁止しておいた方がよかった」と言ったが、人災と天災を同一視した妄言だ。人間が起こす戦争は人間が防ぐこともできる。防げる戦争への準備でなく、防げない天災への対策にこそ税金は使うべきなのだ。(現代教育行政研究会代表)2024年1月7日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-天災と人災と戦災」から引用 天災と人災に関する前川氏の指摘は正にその通りであるが、この文脈に田中美知太郎氏の「平和憲法だけで・・・」の発言を引用するのは「場違い」というものではないかと、私は思います。「平和憲法だけで平和が保証されるものではない」という指摘は実際にその通りであり、わが国の憲法には「国の交戦権を認めない」とはっきり謳ってはいるにも関わらず、安倍政権以来わが国政府は自衛隊が集団的安全保障に基づいて、例えば米軍と共に紛争地の戦闘行動に参加することは憲法違反ではない、との見解を採用しており、憲法に平和主義を明記していても、自衛隊がいつどこで米軍と共に戦争に参加してもおかしく状態になっているのが現状であることを見れば、田中美知太郎氏の発言は、平和憲法があるからと言って国民が油断していると、あっという間に反故にされるぞ、という警鐘だったのではないかと、今にして思います。
2024年01月23日
フェミニズム思想家として知られるジュディス・バトラー氏について、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は6日の同紙コラムに、次のように書いている; 良きユダヤ人であることとイスラエル国家を非難することは両立しうるか。人ごとと思ったあなたが日本人なら、日本人と日本国に置き換えて同じ問いをつぶやいてみてほしい。ましてユダヤ人には、1900年近い民族離散の歴史がそこにのしかかる。 ジュディス・バトラー氏(67)は、ドイツ・東欧圏から米国に移住したユダヤ人の家に生まれた。母方の親族の多くは第二次大戦中、ハンガリーで殺された。 幼少よりユダヤ教信者の集会所に熱心に通い、ユダヤ思想を深く学ぶ。二十歳のころは「イスラエルなんて人種差別政策の南アフリカと同じだ」と難じる友人に夜通し反論する学生だった。 それが今、イスラエルとイスラム組織ハマスの停戦を求めて昨年10月、米連邦議会議事堂を一時占拠した団体「平和のためのユダヤ人の声」に加わっている。 自分という人間は、個人を超えた「ユダヤ性」に根ざしているという強烈な自覚。一方で、イスラエルがパレスチナ人を迫害し続ける正当化できない現実。 シオニズム(ユダヤ民族国家建設運動)からの離脱は、ハマスのイスラエル襲撃のはるか前に始まった、20年越しの「魂を引き裂き、自らをずたずたにちぎる」ような経験だったという。 葛藤の跡を分厚い本に書いた。題は「分かれ道」(2012年、翻訳は19年)。長く共に歩んだ同胞と別の道を行くほかないが、断じて反ユダヤ主義にはくみせず、ユダヤ人であり続けるとは、どのようにあることか。難渋な思想書なので、なかなか読み終わらない。でも、なぜか手放せない。 バトラー氏は、第3波フェミニズムの思想家。男女の差異に生物学的なセックスと別の、社会的・文化的なジェンダー概念を持ち込んだのが第2波なら、第3波はセックスもジェンダーも男女両極に分かれるのではなく、万人に万人のジェンダーがあるという。 第2波の前提だった「女たち」というくくりも解体してしまうので、フェミニズム同士の反目も起きる。16年米大統領選でヒラリー・クリントン氏がドナルド・トランプ氏に敗れた一因は、若い女性層がヒラリー批判のリベラル急進派か、無関心かを選んだからだという説得的な分析がある。 トランプ氏は「自分が大統領だったらウクライナ戦争はなかった」と言うが、イスラエルの暴走は止めないだろう。バトラー氏はトランプ氏再選にもちろん反対するはずだ。分かれ道は、ねじれ、時に交差し、並行する。それでも分かれ道はある。(専門編集委員)2024年1月6日 毎日新聞朝刊 14版 2ページ 「土記-分かれ道」から引用 この記事の冒頭には「良きユダヤ人であることとイスラエル国家を非難することは両立しうるか」と、あたかも重大で難解な問題であるかのように表現しているが、私たち日本人は天皇を中心とした一部の政治家と軍人に支配された国家体制と決別して国民主権の国家を樹立したのであり、イスラエルに住むユダヤ人にも、ジェノサイドに奔走するネタニヤフを政権の座から引きずり降ろして、パレスチナとの平和共存を目指す政権を樹立をするべきだと思います。ユダヤ人には1900年に近い民族離散の歴史があるなどと、この記事は書いてますが、別に1900年前に誰かに力ずくで追い出されたわけではなく、当時のユダヤ人は遊牧民が家畜の餌を求めて大地を彷徨うように、ヨーロッパ各地に出かけて、行った先の人々と仲良く暮らす生き方を選択しただけのことで、当時のユダヤ人が「異民族差別」という「問題」を計算に入れてなかったのは、今にして思えば大きな誤算であったということです。しかし、だからと言って1900年前に先祖が住んでいた土地だからと言って現在住んでいるパレスチナ人の土地を取り上げるというのは、現代の社会では「犯罪行為」であるという「常識」は世界共通であり、ユダヤ人だけは特別扱いというわけにはいなかいということを、日ごろからイスラエルを擁護する欧米の政治指導者にはしっかり認識してもらいたいものです。
2024年01月22日

広島に大雨が降って土砂災害が起きても平気で「赤坂亭」などと称して酒盛りをつづけた安倍政権も、熊本地震のときは素早く自衛隊を派遣して一応「まともな」対応をしたような印象を持ったものだったが、それに比べると岸田政権の対応はあまりにも遅く、被災地の情報も乏しく、「例によって岸田政権の対応は遅い」という印象を強く持ったのであったが、6日の東京新聞は、次のように報道したのであった; 石川県で最大震度7を観測した能登半島地震で、人命救助などのために派遣されている自衛隊員は。5日時点で約5千人となった。政府は、地理的条件や近隣の部隊配置などに違いがあり、単純比較できないとするが、2016年に震度7を記録した熊本地震の5分の1にとどまる。野党からは、政府の初動対応の遅れを批判する声も出ている。 防衛省は地震発生翌日の2日、陸海空自衛隊の指揮系統を一元化した統合任務部隊を1万人規模で編成した。ただ実際に現地で活動するのは2日の段階で約千人、3日は約2千人、5日も約5干人にとどまっている。発災から5日目で約2万4千人が活動していた熊本地震と比べて規模が小さく見える。 立憲民主党の泉健太代表は5日、記者団に「自衛隊が逐次投入になっており、あまりに遅く小規模だ」と批判。別の立民幹部も「物資が届かず、被害の全容が明らかにならないのは、自衛隊員が足りない影響だ」と指摘する。 岸田文雄首相は記者団に「(陸上自衛隊西部方面隊の拠点がある)熊本にはそもそも1万人を超える自衛隊が存在したが、今回は大規模部隊はいなかった。単に人数だけを比較するのは適当ではない」と主張。木原稔防衛相も「道路の復旧状況も見ながら人数を増やした。逐次投入との批判は全く当たらない」と反論した。 被害が甚大な石川県珠洲市では、4日時点で救助要請の20~30件が未対応で、輪島市でも生き埋めの救助要請が40~50件ある。初動対応として自衛隊の派遣規模が適切だったかどうかが国会での論点となりそうだ。(川田篤志)2024年1月6日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「自衛隊派遣『初動遅い』」から引用 地震発生の翌日には台湾からレスキュー隊を派遣する準備が整ったとの連絡が外務省に入ったのに、日本政府は「そのニーズは存在しない」との理由で断ったとのニュースを聞いたときは、先方は72時間以内の救出活動を意識して連絡してきたものと理解されたので、少なからずショックを感じた。そのような影響もあってか、なぜ岸田政権は何もしないのか、という焦燥感が募ったような気がする。
2024年01月21日
2024年は元日から能登半島に大地震が発生し、翌2日には羽田空港から現地に救援物資を運ぶ海上保安庁の小型航空機が着陸してきた日航機と接触して両機とも爆発炎上して、海保の航空機乗員5名のうち4名死亡、日航機側はキャビンアテンダントの機敏な判断で三百数十名の乗客は全員無事に避難できたという大事件に見舞われたのであった。3日の東京新聞は、能登半島とその周辺の原子力発電所が、大地震で多少のダメージを受けたものの、大事には至らなかったとして、次のように報道している; 能登半島地震で国土地理院(茨城県つくば市)は2日、震源に近い石川県輪島市で最大約4メートルの地表の隆起を観測したと発表した。県内は珠洲市でも大きな隆起を確認し、最大約1メートルに及ぶ可能性かあるとしている。水平方向では、輪島市で西に約1・24メートルの地殻変動を観測。ほかに穴水町で西に約93センチ、珠洲市で南西に約95センチ、七尾市の能登島で北西に約65センチ動いていることか分かった。 新潟県糸魚川市で約13センチ、富山県入善町で約15センチなど両県でも10センチを超える変動があった。地理院は「かなり離れた地域でもこれだけの地殻変動が確認され、地震の規模が大きかったことか分かる」と指摘。より大きな変動か起きている可能性もあり、今後データを精査する。地表の隆起は人工衛星「だいち2号」のレーダーで観測した。◆原発 大きなトラブルなし 1日に起きた最大震度7の能登半島地震で、日本海側に立地する原発の一部では、変圧器の損傷や、使用済み核燃料を保管しているプールからの水漏れなどか確認された。運転中の原発もあったが、いずれも異常は確認されず、職員や作業員にけかもなかった。 震度7が観測された石川県志賀町に立地する北陸電力志賀原発では、停止中の1、2号機に大きな異常はなく、プール内の使用済み核燃料の冷却も続けている。2日の発表によると、1日午後6時ごろに原発の取水設備で、約3メートルの潮位変動を観測した。敷地内への浸水はなかった。 地震の揺れで1号機と2号機の変圧器の配管が壊れ、計約7100リットルの油が漏れ出た。影響で外部から受電する系統の一部が使えなくなったが、別の系統に切り替えて電源を確保した。変圧器を点検した作業員は当初、「爆発音がして焦げ臭い」と報告したが、変圧器内の圧力を下げる装置の作動音と漏れ出た油の臭いだったという。火災は起きていないとしている。 1号機プールでは、地震直後に約40分間冷却が止まったが、復旧済み。地震の揺れで1、2号機で計約420リットルの水があふれた。外部への流出はないという。 全7基が停止している東京電力柏崎刈羽原発(新潟県柏崎市、刈羽村)でも、6号機プールの水が約600リットルあふれたが、外部への流出はなかった。福井県にある関西電力の大飯原発3、4号機、高浜1~3号機は運転を継続中。停止している高浜4号機、美浜3号機、日本原子力発電敦賀2号機も含め、各原発に異常はなかった。(小野沢健太)2024年1月3日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「輪島 最大4メートル隆起」、3ページ「原発 大きなトラブルなし」から引用 この記事は記者が原発の現場を取材して書いたものではなく、電力会社が発表した内容を記事にした所謂「発表報道」である。北陸電力志賀原発は地震の揺れで主電源がダメージを受けたので、予備電源に切り替えて事なきを得たという内容であるが、まだ地震直後で北陸電力自身が現場を十分に把握できていないように思われます。この一週間後には大きな余震に見舞われ、その予備電源もダメージを受け、現場は修理対応に追われることになります。また、志賀原発は本格稼働した場合には原子炉の冷却に海水を用いる設計になっており、原子炉棟の裏手に海水の「取水口」が設置されており、そこから海水を取り入れて「原子炉冷却水」を冷却するのであるが、今回の地震で原子炉棟の地面が数メートル隆起して、海水面から浮き上がった状態になったため、取水できない事態に立ち至っている、という情報がX(旧ツイッター)では散見されます。このような状況を原子力規制委員会がどのように判断するのか、注目されます。
2024年01月20日
2023年を振り返って、この年を象徴する漢字は「酷」であると、法政大学名誉教授で前総長の田中優子氏が昨年大晦日の東京新聞朝刊に書いている; 「今年の漢字は『酷』よね?」「そうそう絶対『酷』だ」と、数人で盛り上がった。集票結果は「税」だったのだが、しかしやはり私のこの1年に抱く感慨は「酷」である。 まずは酷暑。日本の夏の平均気温は過去125年で最も高かった。1~10月の地球の平均気温も、産業革命前に比べて1・43度高かった。パリ協定は気温上昇を1・5度に抑えることを努力目標に掲げている。危険な状態に入ったのだ。漁業も農業も多くの地域で変化している。酷暑は一時的なものではなく、一層の地球沸騰化に向かう兆しであり、人類や地球の存亡にかかわる。今年は地球にとっても「酷」の年だったのだ。 ◇ ◆ ◇ 次に2つの戦争だ。ウクライナでの戦争に終わりが見えず、多くの人々が停戦を望んでいる中、イスラエルがパレスチナ自治区ガザで前代未聞の数の市民を殺している。日々、酷い状況が映像を通して流れてくる。この戦争も終わりが見えない。私たちは現地のジャーナリストや医療関係者から情報を得る。戦争の実態を具体的に実感するために、戦争報道は極めて重要なのである。 しかし、その「酷」の状態を横目で見なから、日本政府はひたすら軍需産業を拡大している。 もう過去のことのように思えるが、やはり今年起こったのがジャニーズ性加害問題である。約70年間にわたって数えきれない少年たちに行われた、前代未聞の酷い人権侵害だった。長く隠蔽されてきたこの問題を日本の報道機関がようやく取り上げたのは、英BBC放送のジャーナリストの丹念な調査の結果だった。 このように、調査によって知り得た事実を、根拠を示して報道することを「調査報道」という。国際調査報道ジャーナリスト連合が2016年に公表した、タックスヘイブン(租税回避地)の実態を伝えるパナマ文書で、調査報道が知られるようになった。報道の基本は調査報道なのである。日本の多くの報道機関が行っているのは、発表されたことをそのまま報道する発表報道だ。しかも記者会見で鋭い質問を執拗に投げかけるのは、望月衣塑子記者のようなごく一部の記者にとどまる。それでも「こちら特報部」を持つ本紙など、調査報道に力を入れる記者たちを支える新聞があるのは救われる。 ◇ ◆ ◇ 年末になって次々と明らかになってきた自民党派閥パーティー券を巡る裏金も、酷い問題だ。こちらも、政党交付金が導入されて約30年、誰も気づかなかったか、1年以上前、昨年11月6日の「しんぶん赤旗」がスクープした。このとき、他の報道機関はほとんど取り上げなかった。しかしその調査結果を見た神戸学院大学の上脇博之教授は「これはすごい」と仰天した、と「ArcTimes」で語っている。大変な手間のかかる調査をやり遂げたことに驚いたのだ。そしてその調査をもとに、上脇教授は政冶資金規正法違反(不記載)容疑で東京地検に刑事告発した。それをもとに特捜部が動いたことで、他のメディアはようやく報道を始めたのである。 酷いニュースが多い中で、ジャーナリストの調査と市民の告発の連携が政治家の不正を追い詰めたことには、希望が持てる。私たち市民は一層、ジャーナリストと深く連携していかねばならない。そう思うと、ようやく年を越せる気がしてくる。2023年12月31日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-『酷』の1年」から引用 この記事が末尾で指摘しているように、自民党の裏金問題は酷い問題である。政治にはカネがかかるからとの口実で国民の税金を政党助成金と称して政治資金にしておきながら、それだけでは足りないとばかりに「公にはできないカネ」を集めては不正な手段に使用して、それで何とか議席を確保していたというのだから、呆れた話だ。岸田政権は、この裏金問題を解決するための話し合い機関として「政治刷新本部」なるものを立ち上げたのであるが、その「本部」メンバーには裏金を貯めこんでいると報道された安倍派議員が9人もいるというのだから、正に「泥棒が集まって、窃盗犯の量刑を少し軽くしよう」という相談をするような「本部」なのである。こういうふざけた会合を開いている政党を、問題解決に取り組んでいると思う国民がいるらしいというのもこの国の「酷い」状況を示している。自民党がいかに「酷い」政党であるのか、という点をもっと大きくはっきりと報道してくれるジャーナリズムの登場が期待されます。
2024年01月19日

昨年夏に記者会見した松野官房長官(当時)は「関東大震災時に朝鮮人虐殺事件があったとする公文書は、政府内には見当たらない」と公言したのであったが、その後、ジャーナリストの渡辺延志氏が防衛省防衛研究所資料室で蔵書資料を調査して発見したのが、当時の陸軍熊谷連隊区司令部が陸軍大臣あてに送付した報告書の写しで、警察が保護した朝鮮人労働者40数名を熊谷警察に護送する途中、クワや竹やりのような凶器を持った市民の一団に取り囲まれて、警察官の制止をきかずに護送中の朝鮮人をことごとく殺害した様子が報告されていた。そのことを、12月25日の毎日新聞は1面トップで報道し、歴史家で早稲田大学名誉教授の李成市氏の次のような解説を掲載している; 関東大震災の朝鮮人虐殺について李成市・早稲田大名誉教授(東アジア史)から話を聞いた。(以下は、李氏の談話) 見つかった公文書は、一地方の役所がまとめた小さなピースだが、日付や書式や記述を精査し、本省の通達や他の公文書と突き合わせると、当時の政府が虐殺事件を国際的な大不祥事ととらえ、国家ぐるみで隠蔽(いんぺい)しようとしていた大きな構図が浮かび上がる。 政府は1923年9月の関東大震災後、東京・大島町(現在の江東区大島)で起きた陸軍による中国人リーダー・王希天惨殺事件を巡り、真相究明を迫る中国との外交交渉に苦慮していた。外務省は震災復興支援の親日ムードが、在日中国人集団虐殺の報道で一変した事態を危惧し、「国際的に隠し通せない。事実を認めて謝罪、補償するしかない」との考えだったが、軍や内務省は行方不明で突っぱねようと主張。11月7日、閣議後の5大臣会議(山本権兵衛首相、後藤新平内相、伊集院彦吉外相、平沼騏一郎司法相、田中義一陸相)は「調査せるも真相判明せず」で押し通す政府方針をひそかに決めた。 その前から各大臣は「そもそも真相が分からない」と発言している。各官庁は震災後の虐殺事件について日本人、中国人、朝鮮人を問わず広く調査したはずだ。 陸軍省副官の通牒(つうちょう)が出たのは11月2日、提出期限が25日。民間研究者が見つけ今年公表された神奈川県知事から内相宛での報告書は、10月27日に通牒発出、11月21日に報告されている。すでに知られていた司法省の調査書も11月。5大臣会議の前後、各省ごと政府全体で大規模調査を同時に実施していた。「徹底的に隠蔽」する方針の対中交渉を見据えた善後策の一環だったと考えるのが自然だ。 植民地だった朝鮮との外交交渉はなくても、朝鮮人留学生たちが被害を調査していた。国際間題にしないためには、対中国との並びで大半を不問に付すしかないと考えたのではないか。 隠蔽が大元にあるので公文書は基本的に廃棄されただろうから、少ないのは当然だが、探せばまだ埋もれている資料があるかもしれない。民間の証言や対外関係などと併せた全容解明が、さらに必要だ。2023年12月25日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「国家ぐるみ 隠蔽か」から引用 この記事が示すように、震災直後に発生した朝鮮人中国人虐殺は、実際にあった事件であり、発生直後から日本政府内部には「なかったことにしよう」という「意思」が存在し、そのために現場の軍や警察が作成した報告書も正式には保管されず廃棄された、というのが真相のようである。しかし、実際にあったことを「なかったこと」にするのでは、これまではそれで通してきたとしても、これからはそういう姿勢では国際社会の信頼を得ることは難しくなると考えるべきであり、可能な限りの資料を集めて真相を明らかにして、将来への戒めとする姿勢が大切だと思います。
2024年01月18日
昨日の欄に引用した神奈川新聞の記事の続きは、専門家会議の答申を後退させる条例案を提示した市当局の人権問題に対する姿勢を、次のように批判している;◆共生社会のビジョン示せ 相模原市人権施策審議会がまとめた答申はこれから進むべき道筋を示している。差別を禁止する。ヘイトスピーチを罰則で規制する。多文化共生は差別やヘイトスピーチがあっては実現しないからだ。 私は市内の建設会社の相談役を務めているが、まちなかの工事現場で働いているのは外国ルーツの人たちばかりだ。下校中の小学生の列にも外国ルーツの子どもの姿を見ない日はない。相模原のまちはこのような人たちによって築かれ、担われていこうとしているのだ。 人権尊重のまちづくり条例案の骨子に答申を反映させなかった本村賢太郎市長はしかし、そうしたまちの姿や将来像が見えていないのだろう。 市の人口は拡大傾向にある。どうぞ私たちのまちに来てくださいと言えるようにしておかなければいけない。差別かあれば市は言うべきことを言います。マイノリティーの人たちも差別されずに住めます。それが人々の安心につながる。答申には、罰則や市長声明など市に求められているものが盛り込まれていた。 ところが条例案の骨子は答申を骨抜きにし、事なかれ主義が透けて見える。市や市民の利益が考えられていない。 市の姿勢を目の当たりにした思いだったのは、市役所を訪れた8日のことだった。骨子を答申通リに作り直すよう求めるため、障害者団体「DPI日本会議」や人権NGO「外国人人権法連絡会」とともに市民局長らに面会した。その際、同じフロアの隅に隠れながら見張っていたスーツ姿の人影に気付いた。 すぐに警察官だとぴんときた。誰が公安警察をよこしたのかと憤りを覚えた。後に県警から出向しているコンプライアンス推進課の職員だと知って合点がいった。人権を守ってほしいと要請に来た市民に行政が目を光らせるような対応は異様で、問題かおる。 マイノリティーや支援者をトラブル要因として見なしていると受け取らざるを得ず、そのようなまなさして差別事案をしっかり把握できるとは思えない。大した立法事実はないと市は説明しているが、きちんと調査ができていないのではないか。 外国人を監視して管理する対象として扱い、人権侵害を繰り返している象徴的な存在に出入国管理庁がある。厄介者は追い出すという発想だ。それは建設現場で外国人労働者に「帰れ」と言い放った男たちとも重なっている。自治体こそ共生と対極にある入管の思想を否定すべきで、本村市長には外国ルーツの人々を含んだ地域社会のビジョンを示してほしい。必要なものは答申に書かれている。2023年12月24日 神奈川新聞朝刊 21ページ 「透ける事なかれ主義」から引用 私たちの日本は数年前から人口減少の時期に入っており、今後ますます人口が減少していくので、経済活動を現状のように維持していくためには、どうしても外国人労働者に頼らなければならない状態であり、移民は今後ますます増やさざるを得ないのであるが、そういう「現実」が相模原市当局には見えていない、または見ようとしていないのではないかと思います。日常の会話がスムーズにいかない外国人は厄介者だ、というような発想はとんだお門違いであり、会話が少々不自然でも有難い労働力なのだという「感謝」の気持ちをもって臨むのでなければバチが当たると心得るべきでしょう。相模原市には、外国人労働者も安心して働けるような環境を整えるために、専門家会議の答申に基づいた条例案を採用するように希望したい。
2024年01月17日
人権尊重の街づくりを目指すという方針を掲げた相模原市では、市の委託を受けた専門家会議が罰則付きの条例案を答申したにもかかわらず、本村市長はその答申を無視して罰則なしの条例案を市議会に提示している。そのことについて、人権問題に取り組む市民団体代表の鳥井一平氏は12月24日の神奈川新聞で相模原市の姿勢を次のように批判している; 罰則を削るなど、差別をなくすための画期的な答申を骨抜きにし、批判か広がる相模原市人権尊重のまちづくり条例案骨子。外国ルーツの人々の支援に取り組む「移住者と連帯する全国ネットワーク」の鳥井一平共同代表理事は「罰則を設けるほどの立法事実がない」という市の説明に疑問を深める。「本村賢太雎市長は自分の足元も見えていないのではないか」(構成・石橋学) 何か残念かというと、罰則付き条例をつくった川崎市ほどの立法事実がないという理由で答申を後退させたことだ。差別についてそのような比較はあり得ない。もっとも、市長は自分たちのまちで起きている差別すら認識できていないようだ。 11月28日、中央区の住宅の建設現場で4人の外国人労働者が働いていた。2台の車で乗り付けた男がクラクションを鳴らし続け、「国へ帰れ!」と差別発言を投げつけてきた。 4人のうち2人は相模原市民で永住資格がある。子どもたちは地域の学校に通っている。たまりかねて「うるさい」と言い返したところ110番通報され、駆け付けた警官に在留カードの提示を求められた。1人は「何も悪いことをしていないのにオーバーステイのように見られた」と大変傷ついていた。差別した側こそがとがめられなければならないのに。 これは氷山の一角にすぎない。市内の小中学校は多国籍化が進んでいるが、保護者からは肌や髪の色が違うという理由でいじめられ、差別されているという相談が寄せられる。日本中で起きていることで、相模原市だけないということはない。差別を禁止し、ヘイトスピーチを規制するに足る立法事実はある。 答申づくりを担つた市人権施策審議会の韓国籍委員へのヘイトスピーチが市役所前で毎週のように許されてきた。まちなかで外国人労働者に「帰れ」と排斥する行為は、その悪影響が広がり、外国人への加害が蔓延し始めているということではないか。 条例で罰則を定めることで「帰れ」などと言うことは許されない、差別はしてはいけないと地域社会が学んでいく。多文化共生のためのメッセージを率先して発信していくことが政治家・自治体の最も大切な役目であり、責任だ。◆相模原市人権尊重のまちづくり条例案骨子 有識者らでつくる市人権施策審議会が3月にまとめた答申では▽津久井やまゆり圉事件を「へイトウライム」と位置付けて非難する▽人種、民族、国籍、障害、性的指向、性自認、出身を理由としたヘイトスビーチを禁止し、悪質なものは罰則を設けて規制する▽救済機関として設ける人権委員会には独自の事務局を置く▽差別事案に対して市長か声明を出すよう意見できる権限を人権委に持たせることなどを求めていた。(相模原市の)条例案骨子ではいずれも採用せす、差別をなくす姿勢が見えないと本村豎太郎市長への批判か高まっている。2023年12月24日 神奈川新聞朝刊 1ページ 「足元見えない本村市長」から引用 この記事が説明するように、専門家会議の答申を得ながらも答申からは後退した条例案を提示した本橋市長は「川崎市のような立法事実は相模原市にはまだ無い」と説明したのであったが、実際には上の記事が示すように差別主義者が用もないのに警察を呼んで外国籍の労働者にいやがらせをしている。それに対して、神奈川新聞は「市長には足元が見えていない」と極めて穏当な表現をしているが、私が思うには、本橋氏は選挙の都合があるのかどうかまでは分からないが、レイシストの「支持票」も無視できない事情があるため、彼らと取引をして選挙では投票してもらう代わりに人権条例に罰則はつけないという「約束」をしているのではないかと思います。いずれにしても、我が国の政治家にとって、「外国人労働者の人権」がその程度のものとしてしか認識されていないのが、我が国の人権事情であり、大変残念なことだと思います。
2024年01月16日
安倍政権と菅政権で日本の民主主義はどのように歪められたか、ジャーナリストの青木理氏は12月29日の朝日新聞に、次のように書いている;◆戦後まれに見る「警察政権」 第2次安倍政権と菅(すが)政権は、戦後例のない「警察政権」でした。各省庁を差配する事務担当の官房副長官には一貫して元警察官僚の杉田和博氏が座り、幹部官僚人事を牛耳る内閣人事局が新設されると、間もなくその局長も兼務。また、外交防衛政策を企画立案する国家安全保障局長にも、警察官僚の北村滋氏が起用されました。いずれも、警察組織のうち警備公安部門の要職を歴任した人物です。 これには歴史的背景があります。 公安警察は戦後長らく、「反共産主義」をレーゾンデートル(存在意義)として肥大化してきました。警察内部でも公安部門は中枢でありエリートでした。しかし1990年代に潮目が変わります。冷戦崩壊で共産諸国が倒れ、国内の新左翼も衰退。そこへ戦後最大級の組織犯罪であるオウム真理教事件が起きますが、捜査を委ねられた事件で失態も続き、逆風下で人員も減らされていきます。 ところが01年に9・11米同時多発テロが起きると、公安は「国際テロ対策」、さらには「安全保障」を新たな存在意義として見いだします。警察庁警備局と、最大の実動部隊である警視庁公安部の外事部門が拡充され、他方で、政治権力中枢に急接近して密接な関係を築いていきます。その極致が第2次安倍政権でした。この下で、特定秘密保護法や共謀罪法といった、警察に強力な武器を与える「治安法」が次々と成立します。◆強引な捜査の背景に「経済安保」 20年の大川原化工機事件では、軍事転用が可能な噴霧乾燥機を無許可で輸出したとして、社長ら3人が外為法違反などの疑いで警視庁公安部に逮捕されました。これに刑事司法のゆがみも伴って勾留は11カ月にも及び、1人は病の治療を迅速に受けられず、保釈も認められぬまま他界します。 初公判直前に検察が起訴を取り消すという異例の経過をたどりますが、無理筋の立件は、外事部門の存在感を内外に誇示する思惑があったのは間違いありません。当時「最も総理に面会した男」と呼ばれた北村局長の下、国家安全保障局に経済班が新設され、「経済安保」が声高に叫ばれていたことも、明らかに「背景」にあります。 公安警察は特異な組織です。日本は自治体警察を建前としていますが、公安部門の活動費は国庫から支弁され、全国の公安警察は事実上、警察庁警備局の直轄下にあります。時には都道府県公安委員会はおろか県警本部長の頭越しに指示や命令が発せられます。 刑事警察の任務は、犯罪捜査と容疑者の検挙ですが、公安警察の活動はこれにとどまらない。全国津々浦々の警察網を駆使して情報を集め、個人や団体の動向を日常的に監視するのが最大の任務です。事件解決を目指すというより、時には別件や微罪を理由とする捜査によって、対象団体などが「反社会的」で「危険」であるというメッセージを世に発信すること自体を目的としている。いわば「掣肘(せいちゅう)」を加え、それが治安維持につながるという発想が染みついているわけです。公安警察官は組織内で「治安の守護者」としての自負と選民意識をたたき込まれます。 これが政治と一体化するといかに危険か。「時の体制に従わぬ者は許さない」という思想警察的存在へと容易に転化します。その一つの例が、19年の参院選で、街頭演説する安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばした市民を北海道警の警察官が排除した問題です。◆民主的な統制のあり方、議論を 警察は軍事組織と同様、国家の巨大な「暴力装置」です。この統制のため、戦後日本は、民間人を主とする公安委員会を設け、政治が警察に直接介入したり、逆に警察が政治に干渉したりするのを排除する仕組みを整えました。この建前すらなくなったかのような、政治と警察の危うい蜜月がここ10年、続いています。杉田氏の後任の栗生俊一・官房副長官も、公安畑ではないですが警察官僚です。 政治家の側は、場合によっては自らに「暴力」の牙が向けられるかもしれないという想像力と緊張感を欠き、警察の側も、仕えるべきは政権ではなく国家なのだという意識が希薄になっている。それが表れた一例が、加計学園問題が沸騰していた17年の前川喜平・元文部科学事務次官の「出会い系バー通い」報道だと思います。 前川氏はその前年から2度にわたり、当時の杉田官房副長官から出会い系バーのことを指摘され「気をつけるように」などと言われたと証言しています。あの情報源は公安警察だと私は考えています。というのは、共同通信時代以来の取材先によれば、公安は省庁の局長級以上や基幹産業の幹部のプライバシーまで調べるからです。 日本学術会議の会員任命拒否問題も、公安警察的発想が色濃くにじんでいます。時の政権に逆らうとこういう目に遭うぞ、というメッセージを送り、学術界に疑心暗鬼と萎縮を広げる。世の人には「学術会議には改革の必要がある」という印象を植えつける。その目的が達せられれば、それだけでも十分に「効果的」だった――そういう発想です。 政治も警察もかつての一線を踏み越えている。明らかに「一強政権」の弊害だと思います。 今年TBS系で放送され話題となったドラマ「VIVANT」は、存在がうわさされてきた自衛隊の秘密情報部隊「別班」とともに、公安警察が重要なモチーフでした。どちらも、政治やメディアが常に監視し民主的コントロールの下に置くべき危険な存在です。にもかかわらず、あまりにも能天気でヒロイックな描き方でした。フィクションに目くじらを立てる気はないですが、欧米では「007」シリーズがある一方でオリバー・ストーン監督の社会派作品があったり、韓国でも「光州事件」に踏み込んだ映画が大ヒットしたりと、娯楽でありながらシリアスな題材を扱い暗部に切り込んだものが少なくない。残念ながら、日本のエンタメ界の限界を痛感したのも事実です。(聞き手・石川智也)<あおき・おさむ> 1966年生まれ。共同通信で94~96年に警視庁公安担当を務め、ソウル特派員などを経て06年にフリーに。著書に「日本の公安警察」「安倍三代」「日本会議の正体」「情報隠蔽国家」など多数。2023年12月29日 朝日新聞朝刊 13版S 11ページ 「耕論・公安警察 暴走の背景-政治権力との危うい蜜月」から引用 安倍政権は警察官僚を内閣府職員に採用して官僚を恫喝し、政権の意向に沿った行動を強要するという民主主義を捻じ曲げる政治を行って、世の中を支配したつもりだったのかも知れません。普段から安倍晋三をよいしょする記事を書いて懇意になった山口某という男は、女性ジャーナリストと会食中に飲み物に薬物を混入して、本人が人事不省になったところをタクシーに乗せてホテルに連れ込むという悪行が、ホテルの防犯カメラの映像に残っていたため、女性の訴えを受けた警察官が「これは立証できる」と考えて裁判所から逮捕状を取り付けたところ、山口某が安倍晋三の友人であることを知った警察官僚が現場の警察官に「逮捕状の執行中止」を命令したという「事件」があったが、その逮捕状執行中止を命令した官僚はその後警察庁長官に出世するという事態になったのであった。このようにして、安倍政権下では、警察を巻き込んだ不正が何度も繰り返され、上の記事に書かれている大川原化工機事件なども、現場の検察官が一読して「これは冤罪だろう」と察しがつくようなお粗末な訴状で、こんなことでありもしない事件をでっちあげないと存在意義を疑われるような組織は、もはや廃止の方向で検討するべきと思います。
2024年01月15日
自民党の裏金問題をメディアはどのように報道しているのか、ジャーナリズム研究者の丸山重威氏は12月24日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 自艮党主要派閥を巡る政治資金パーティーの裏金疑惑。臨時国会閉会後、岸田文雄首相は、松野博一官房長官をはじめ、4閣僚5副大臣を更迭、19日には安倍派と二階派に強制捜査が入りました。昨年11月に「赤旗」日曜版が疑惑を報じ、上脇博之神戸学院大教授が刑事告発。最近になって東京地検の捜査が始まった結果です。 「朝日」(19日付)は、1面トップで「安倍派・二階派きょう捜索」「特搜部方針」と伝えました。これは明らかに検察のリークですが、今回の「裏金疑惑」の報道は、全体として、メディアが調べて発掘した独自の情報ではなく、検察の筋書きに沿った報道になっていることが気がかりです。分厚い政治資金収支報告書を調べる余裕などない、が本音でしょうが、「赤旗」と上脇教授以外、公開の報告書をひっくり返してみようというメディアがなかったとすれば、問題意識の欠如です。 全国紙各紙は、地検の動きが報じられたことし11月18日以降、この問題を集中的に報道、論評しました。 しかし、その論調には、「派閥解消」とか「透明化徹底」は唱えても、諸悪の根源である政治資金パーティーや企業・団体献金の全面禁止は見当たりません。「読売」は、「政治活動に一定のコストがかかることは否定できない」「パーティーの禁止」は「妥当とは言えまい」(15日付社説)と容認です。「産経」は「国政の停滞はあってはならない」「防衛力の抜本的強化を」(同主張)とまでいいます。「政治とカネ」の問題は、企業・団体献金の抜け道となった政治資金パーティーの温存と、共産党などの反対を押し切り決めた、議員数と選挙の得票数で血税から政党にカネを配る政党交付金・小選挙区制強行の中で起きています。この根本問題を抜きに論じるわけには行きません。政冶資金問題についての一般紙の奮起を求めたいと思います。(まるやま・しげたけ=ジャーナリズム研究者)2023年12月24日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-裏金問題の根源を不問」から引用 読売新聞が「政治活動には一定のコストがかかるものだ」とか「パーティの禁止は妥当ではない」など、必死で自民党をかばうその意図が理解できない。一定のコストがかかるという主張に理解を示して、税金から政党助成金を支出することを国民は容認しているにもかかわらず、自民党だけが、その政党助成金だけでは足りず、党所属の議員にノルマを課してまでカネ集めをやらせて裏金作りをやらせていることが問題なのだ。自民党がなぜ裏金作りに一生懸命なのかと言えば、それは安倍政権時代に広島県で起きた買収事件とか、最近の都内の区長選挙でも違法な選挙活動で逮捕された自民党議員がいるように、政治資金報告書には記載できない用途、すなわち「犯罪」に支出するカネも必要とする政党だからである。そういう「活動」をしなければ満足な議席を得ることもできない政党に政権を任せているから、この30年間は日本は衰退の一途をたどって来たという事実を直視し、私たちは深く反省して、「AがダメならBを」という考え方で政権交代を実現しなければならないと思います。「B党は本当に信頼できる政党だろうか」などと詮索などとしているヒマはないのです。どの政党にも長所があり短所もある。そんなことを詮索していると「やっぱり、長年政権担当の経験がある党が一番安心」などという「間違った判断」から抜け出せません。そんな「信頼」だの「安心」だのといろいろ考えた結果、自民党に投票した結果がこれなのですから、今後は「無駄な詮索」は止めて、「AがダメならBを」という合理的な判断で投票する有権者になるべきです。頻繁に政権交代する環境ができ上げれば、「これくらいならバレないだろう」などという考えを持つ政治家はいなくなると思います。
2024年01月14日
自民党が長年にわたって企業献金を受け取りながら、その金額を政治資金報告書に記載しないで裏金にしていた事実が明るみに出たことについて、ジャーナリストの青木理氏は12月24日の「しんぶん赤旗」で、次のように述べている; 岸田政権・自民党を直撃する政治資金パーティーを巡る裏金疑惑。長年「政治とカネ」の問題を取材してきたジャーナリストの青木理(おさむ)さんにどうみるか聞きました。<田中倫夫記者> 今回は、これまでの 「政治とカネ」の問題とは位相が異なっていると思います。◆ロッキードなど今までとは違う ロッキード事件では首相に5億円の賄賂が渡ったとされ、リクルート事件では未公開株が政界にもばらまかれました。ただ、厳密に言えば、それに直接かかわったのは自民党でも一部でした。 しかし今回の政治資金パーティーを巡る裏金問題は、自民党で最大派閥の安倍派(清和政策研究会)をはじめ主要派閥すべてに及んでいます。まさに党全体が問われる”構造汚職”であり、特に悪質性が高い安倍派を中心に数十人の議員が東京地検特搜部の聴取対象になっているといわれています。 派閥の政治資金パーティーをめぐり、売り上げの一部を所属議員にキックバックし、それをすべて裏金化するなどという手口は、誰が考えたって「これはマズい」「いずれバレる」とわかるはずです。 それを最大派閥などが半ば堂々と組織ぐるみで長年続けていた。政治資金規正法が「ザル法」なのはその通りですし、強化が必要なのは明らかですが、今回の問題はそれ以前の話であって、政党や政治家として倫理の底が抜けた「言語道断の所業」です。◆「安倍政治」のなれの果て 今回の問題をみていると、「平家物語」の有名な一説「驕(おご)れる人も久しからず」を思い起こします。 各派閥のなかでも安倍派の悪質性が際立っているのは偶然ではありません。権力を独善的かつ放埒(ほうらつ)に振るい続けた長期「一強」政権のおごりが常識はずれの腐敗をまん延させたとみるべきです。 安倍政権下では、幹部官僚人事まで官邸が支配し、霞が関には忖度(そんたく)や萎縮が広がり、財務省では公文書改ざんまで引き起こされました。 そればかりか日銀や内閣法制局、さらには司法や検察、メディアや学術界といった、時の政治権力から独立して意見を表明し、チェック機能を果たすべき存在までを強権や圧力でつぶそうとしてきました。 一方で岸田首相は今回、安倍派だけを切り捨てて乗り切ろうと必死です。しかし、たとえば「赤旗」日曜版(12月10日号)が「麻生派も裏金」「派閥の例会でキックバック」「現金が詰まった茶封筒を渡された」と報じたように、問われているのは自民党全体です。そもそも安倍政冶を引き継ぐと称して政権に就き、安倍派におもねり続けてきたのか岸田首相でした。◆検察追随報道の体たらく 今回の問題の端緒を報じたのは昨年11月6曰号の日曜版でした。この時点で主要派閥の不記載2500万円を独自に調べあげた。非常に重要で見事な調査報道でした。実際、これを受けて上脇博之・神戸学院大教授がさらに独自調査を加えて刑事告発し、今回の検察捜査につながったわけです。 しかし、日曜版の調査報遣以降、大手メディアはまったく追随しませんでした。最近になって連日大きく報じているのは、特捜部が捜査に動きはじめたからです。 もちろん僕は、検察や警察といった捜査機関の動きを報ずることは否定しません。これを機に安倍政権や自民党政治のありようを根本から捉え直し、政治資金規正法の強化といった各種課題に取り砠む必要もあります。 ただ、当局が捜査に勦きだすと突然大きく報じはじめるような、捜査機関追随型の報道ばかりで、メディアは権力監視の責任を果たせるのか。検察や警察だって数々の悪弊を抱える権力機関であり、今回の問題だって日曜版の報道や上脇教授の告発がなければ、検察は動きださなかったかもしれない。 かつて大手の通信社の記者だった自省も込めて言えば、こうしたメディアの体質の根源には、大手メディア各社が官公庁などの「記者クラブ」情報に依存している問題もあります。そうではなく、メディアが自らの取材と責任で調べ、報じる「調査報道」にもっと力を入れるべきです。◆パー券・企業献金禁止を 特搜部による刑事責任の追及と合わせ、国会での真相解明が必要です。関係者の証人喚問などはもちろん、「ザル法」の政治資金規正法強化は喫緊の課題でしょう。 そもそも1994年に政党助成金制度が導入されたのは、企業・団体献金に代わる”健全な政治資金”の確保が目的だったはずです。なのに現状は政党や政党支部ならば企業・団体献金が許され、今回のようなパーティー券購入なら事実上野放図になっている。根本から改めるべきです。 さらに必須なのは政権交代です。政治腐敗が横行するのは、政権交代がないためなのも大きい。いずれ政権交代で暴かれると思えば、これほど組織的な悪事を当然のように続けることなどできないのですから。2023年12月24日 「しんぶん赤旗」 日曜版 3ページ 「自民まるごとの”構造汚職”」から引用 自民党の裏金問題は、この記事が言うように、「しんぶん赤旗」日曜版が最初に報道したとき他の新聞は後を追って報道することは一切しないで無視していたのに、検察が捜査に着手するとようやく報道を始めるという状態です。そういう姿勢の商業新聞だけを読んでいると、知らずに過ごしてしまうことは結構あって、「しんぶん赤旗」を読んで初めて「あ、そうなのか」と思わせられることは多々あります。例えば、上の記事には「岸田首相は今回、安倍派だけを切り捨てて乗り切ろうと必死です」と指摘している。このことは、一般の商業新聞を読んでいるだけでは「裏金問題は安倍派だけのことで、他の派閥は金額も少額だから、検察も相手にしないのだろう」というような気分になってしまいます。しかし、実際の政治資金規正法は、「金額によっては違法とならない場合もある」などという条項はないのであって、裏金問題は安倍派だけの問題ではなく、麻生派も岸田派も二階派も、自民党の派閥は全部問題なのだということを、メディアはもっとはっきりと報道するべきだと思います。
2024年01月13日
政府の政策を批判する内容の発言をする学者を学術会議会員に任命しないという「憲法違反」の行為を批判された政府は、なんとか学者の組織を政府の意向に沿った言動をする組織に改変したくて、政府寄りの考えを持った「有識者」を集めて、日本学術会議を「法人化」する「案」を出させたのであるが、このような日本政府の学問の自由を侵害する振る舞いを現代教育行政研究会代表の前川喜平氏は、12月24日の東京新聞コラムで、次のように批判している; 内閣府の「日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会」が学術会議を「国とは別の法人格を有する組織」とする報告をまとめた。「政府の方針と一致しない見解」を政府に助言するには「政府の機関であることは矛盾」だというが、検察は言うに及ばず政府機関が政府と異なる見解を持つことはいくらでもある。国の機関では「財源面でも限界」があるというが、求めているのは「対価を徴収して審議依頼に応じる」ことだ。コンサルで稼ぐことは学術会議の仕事ではない。 法人化は一見独立性を高めるように見えるがそこには罠(わな)がある。会員の選考は「独立して自律的に」行うとしつつ「選考に係るルールの策定や方針の検討に外部の目を入れる」。新法人の最初の会員選考は「出発点にふさわしい特別な方法」による。「ガバナンスの改革」のため、法人の活動・運営を外部有識者が評価・検証する「評価委員会」を設ける。「外部の目」「特別な方法」「外部有識者」を通じて政権が介入する方法か埋め込まれているのだ。 報告はステークホルダーとしての「国民及び社会」に何度も言及するが、その本音は「政権及び財界」だ。結局この法人化案は、学術会議を政権と財界の支配下に置こうとしているのだ。その最終的な目的は大学における軍事研究に道を開くことに違いない。(現代教育行政研究会代表)2023年12月24日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-学術会議法人化案の罠」から引用 政府にとって都合の悪い発言をする学者を排除しようとして世間の批判を浴びた政府は、学術会議を法人化して第三者委員会を付属させて、その第三者委員会に政府のイエスマンを忍び込ませようという魂胆のようであるが、これはかつてNHKを「政府批判を控える放送局」にするために取った手法であり、分かる人には政府の狙いは手に取るように分かるのだ。政府がそれほどまでに軍事研究を望むのであれば、防衛大学に勤務する学者の給料を他大学の倍にして誰もが防衛大学で研究活動をしたいという「環境」を整備して、それで優秀な人材を集めて政府が希望する研究にまい進させればいいのであって、いきなり日本中の大学全てに軍事研究を押し付けようというのは、あまりにもやり方がずぼらで、そんなやり方では有意義な結果は得られないと思います。
2024年01月12日
当初の目論見から大きく逸脱した大型予算になる見込みの大阪万博は、参加を希望している各国からはパビリオン建設の許可申請が出ておらず、短期間で建設作業が必要になる可能性があるため万博に限って建設労働者の労働時間には例外的に労働基準法を適用しないことを検討する必要があるなどと言われる状況になってきた「大阪万博」について、「もう止めたほうがいい」との主旨で、神戸女学院大学名誉教授で凱風館館長の内田樹氏は12月24日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 大阪・関西万博のための政府支出の「全体像」を政府か示した。インフラ整備費に8390億円、会場建設費などの直接経費に1647億円(会場建設費783億円、日本館関連360億円、途上国支援240億円、警備費199億円、万博の機運醸成38億円、誘致費用27億円など)。この他、間接的インフラ整備費約9兆円、各府省の事業費3・4兆円が示された。正気の沙汰とは思われない。 半年だけ開催される「お祭り」に10兆を超える公金か投じられる。万博の経済波及効果は当初は6兆円超と言われていたが、だんだん縮んで2兆円になり、それも言われなくなった。その一方で、桁外れの税金がこの「高い可能性で失敗が予測されているイベント」に注ぎ込まれている。繰り返し言うが、正気の沙汰とは思われない。 ◇ ◆ ◇ だいたい「機運醸成38億円」とは何か。その費目の存在そのものが開催まで500日を切ったがまったく機運が盛り上がらない現実をはしなくも露呈している。産経新聞のアンケート調査では「ぜひ行きたい」が14・4%(半年前から7・Oポイント減)、「行く気はない」が33・5%(19・8ポイント増)という絶望的な不人気である。「機運」自体が存在しないのである。存在しないものを存在させるために38億円もの金を何に使うつもりなのか。「楽しみですね~」と夕レントたちが作り笑いをする空疎なテレビCMを乱発するのか、日本中に街宣車でも走らせるのか。やってもその程度だろうとみんな知っているから機運が存在しないのである。 いい加減に腹をくくって「万博中止」を決心すべきだ。今もウクライナでは戦争が続き、ガザでは市民が虐殺されている。大阪まで行ってお祭り騒ぎに興じたいというような人は日本にも世界にもいない。 「一度始めたことはやめられない」というのは日本人がよく口にするけれど、そんな言明には何の合理的根拠もない。「それがもたらすメリットよりもリスクの方が大きいと予測されるプロジェクト」は誰が何と言おうと止めるのが正しい。そのせいで言い出した人間の面目がまるつぶれになろうが、これまで投じた資金が無駄になろうと、止めるのが正しい。 ◇ ◆ ◇ 社会福祉や教育や医療の予算のことになると「財源がない」とにべもない財務省がどうしてこんな「ドブに金を捨てるようなイベント」にだけは大盤振る舞いができるのか。その理由が私にはまったく分からない。誰か合理的な説明かできる人がいたら教えてほしい。 Netflixで「FYRE(ファイア)」というドキュメンタリーを観た。バハマの無人島でセレブたちと過ごすゴージャスな音楽フェスのはずだったが、飲食物も、トイレも、宿泊施設も、出演ミュージシャンとの契約もすべて準備不足で中止になったイベントである。高額のチケットを買って飛行機でやってきた客たちは難民のような扱いを受けて追い返された。企画者は詐欺罪で捕まった。 でも、プロモーションのために企画当初からさまざまな場面を撮影していたので、それを素材にドキュメンタリーが一本できた。たいへんに面白かった。「大阪万博」ではそれとは桁違いのスケールのドキュメンタリーが作れるだろうと英紙が報じた。たしかに万博協会はこれを売れば赤字をいくぶんかは補填(ほてん)できると思う。ぜひ検討してほしい。2023年12月24日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-大阪万博はもう止め時だ」から引用 この記事が述べるように、半年間のイベントに10兆円もの経費をつぎ込むというのは正気の沙汰ではないと言えます。しかも、何か物珍しい「目玉」となるような「テーマ」があるわけでもなく、参加を表明した各国も積極性に欠けるし、国民の間でも「行く気はない」という人が33・5%もいて、これは今後増えると思われます。大阪府の吉村知事がどうしても万博を実行しなければならない理由は、ここで万博を中止にすると、万博のためのインフラだからと言って国の予算をつぎ込んで、万博後にそれをカジノに利用するという目論見が外れてしまうから、それでは今まで「万博とカジノ」で大阪府政をけん引してきた「維新の力」の化けの皮がはがれてしまう、それだけは絶対避けたい、というのが「維新の会」の人たちの本音だと思います。しかし、大阪府の未来は万博やカジノで開かれるものではないと思います。イベントで経済効果を狙うという古い手段には見切りをつけて、働く庶民の暮らしを豊かにする福祉政策に力を入れる、そういう新しい府政を目指す政党に切り替えるためにも、万博は中止にするのが「正しい選択」だと思います。
2024年01月11日
ウクライナとガザの武力紛争について、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は12月23日の同紙に、次のように書いている; 今年後半を費やしたウクライナの反転攻勢は失敗した。ゼレンスキー大統領は50万人を追加動員すると言い出している。 英国放送協会(BBC)が戦場で両目両腕を失ったウクライナ青年と妻の姿を伝えている。ウクライナ保健省によると、今年前半の6ヵ月間に1万5000人が腕や脚を失った。地雷原へ自殺突撃を命じられている」という兵士の証言もある。第二次大戦で体の一部を失った英国兵は6年間で1万2000人だそうだ。 ウクライナ兵のヘッドカメラやドローンで撮った最前線の非公開動画を見た。ロシア兵はざんごう内で抗戦せず身を投げ出すように撃ち殺されていく。「自暴自棄の自殺に近い」と解説された。 平原にドローンから逃げ惑い、ゲームのように銃撃された何十人もの死体が転がっている。上空からだと幾何学模様に見える。これが全てロシア兵なのか。我に返ると、長く正視できない。 イスラエル軍が、ガザでイスラエル人の人質3人を射殺した。3人は自爆テロを疑われないよう上半身裸で、白旗を掲げていたが、それでも兵士は発砲し、他の兵士も続いた。上官が撃つなと命じても、兵士らは撃った。軍は違法な誤射だと認めている。 イスラエル兵は何十年も日ごろから、パレスチナ人をこのように撃ってきた。訓練された兵士にも、イスラム組織ハマス戦闘員のパレスチナ人とイスラエル人の区別が実はついていない。これを誤射と呼んでいいのか。ハマスの襲撃に対する反攻で、パレスチナ人犠牲者は2万人を超えた。うち8000人は子供である。 ロシアとウクライナでもソ連解体後、民族や革命、大国復活やテロ撲滅などの名の下、日常的な暴力が長年続いた。戦争は歳月をかけて、人々と社会の感覚を「殺人機械」に順応するまで「訓練」した後にしか行えない。 100年前の関東大震災で起きた朝鮮人虐殺に関する陸軍の公文書が新たに見つかった(14日付デジタル版)。東京や干葉の虐殺には軍や警察が関与していたが、新文書に記された埼玉の虐殺では、警察や在郷軍人会が一部民衆の暴発を止めようとしてできなかった様子が報告されている。 私たちの曽祖父世代が、家族と暮らす町や村で、虐殺に走ったのはなぜなのか。当時、日本には大陸で朝鮮人討伐を経験した元兵士が少なからずいた。「武装した朝鮮人が襲ってくる」というデマを信じる心と体は、人々と社会に醸成されていた。(専門編集委員)2023年12月23日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-人が人を殺すのは」から引用 ウクライナの武力紛争については、目先のことだけで言えば「ウクライナに侵攻したロシアが悪い」ということになるが、しかしゼレンスキー大統領が西欧からの経済支援と引き換えにウクライナにモスクワを射程に入れた米軍ミサイル基地を容認しようとしたという「原因」があってのことで、ロシアの出方を計算に入れないで安易にEUに接近したゼレンスキーの失政の結果であることは否定できない。したがって、領土の一部をロシアに占領されても、とりあえずこれ以上の国民の犠牲を避けるためにはここで白旗を上げるしかないと思います。また、イスラエルのガザ侵攻は、先にハマスがイスラエルにミサイルを打ち込んだからというのは事実であるが、しかし、イスラエルは70数年前に建国したその日からパレスチナの人々の土地を奪い生活を破壊してきた「ならず者国家」であることは、これまた事実であり、70数年間虐げられてきた人々が少しばかり反撃したからと言ってイスラエルによる「ジェノサイド」を容認するわけには行きません。国際社会は一致してイスラエル軍をガザ地区から撤退させるために行動を起こすべきだと思います。
2024年01月10日
栗原俊雄著『東京大空襲の戦後史』(岩波書店)に因んで、文筆家の師岡カリーマ氏は12月23日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 岩波書店から昨年出版された、栗原俊雄著『東京大空襲の戦後史』は、すべての政治家に読んでほしい本だ。一晩で10万の命を奪った空襲はまた多くの戦争孤児を生んだ。心身に傷を負い、差別と貧困と虐待に耐えて戦後の混乱を生き抜いた彼らの証言は、怒りと恐怖なしには読めない。大火傷(やけど)を負った父が、痛みのあまり「殺してくれ」と叫びながら死んでいくのを幼くして見送った人もいる。自分だったら、と想像してみてほしい。 「戦争の原因は国民全体にあり、軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔(ざんげ)しなければならぬ」。終戦直後、東久邇宮首相はそう言ったというから酷(ひど)い。国が始めた戦争の犠牲者が、責任者にされてしまった。反戦を訴えるなど許されず、消火にあたらせるため、空襲が予告された町から避難させないための法律まで制定して、被害拡大の原因を国が作ったのに。ただし、一応民主国家を自負する今の日本なら、今後もし国が戦争をしたら、国民も責任は免れない。 ゼレンスキー氏のマッチョな「勇姿」が戦争ではない。生きながら焼かれ、手足を失い、目の前で家族を殺され、家を奪われ、飢えて凍えて踏み躙(にじ)られるのが戦争だ。その無残と理不尽を記録した本書を読み、この国のリーダーたちには、たとえ道は険しくとも戦わない覚悟で歩むのだという憲法の理想を追求し続けてほしい。(文筆家)2023年12月23日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-二度と繰り返さないために」から引用 東久邇宮稔彦の「戦争の原因は国民全体にあるから、国民は徹底的に反省し懺悔するべき」という発言は責任転嫁もはなはだしい。しかし、彼がこのような発言をしても、当時の世論は特別な反応を示すこともなく、単に聞き流すだけで、戦争の片棒をかついで販売部数を伸ばした大手の新聞も「この口実は使える」とばかりに「一億総ざんげ」などという派手な見出しではやし立てて、自分たちが煽り立てて国民を戦争に動員する「役目」を担った「責任」をうまい具合にごまかしたことも、国民は記憶しておくべきと思います。この記事が指摘しているように、現代の日本は一応、普通選挙を実施して選出された国民の代表が国権の最高機関を構成して政治を行っており、もしこの体制で日本が再び戦争をするのであれば、今度は確かに国民に責任が存在する戦争という理屈になるのであるが、そのような自覚を持った国民は、おそらくあまり多くないと思います。その証拠に、政府が突然「集団的自衛権は合憲である」と言い出して憲法の平和主義を否定しても、それに意義を唱える国民の数はごくわずかである。こんな調子では、ある日突然政府が戦争を始めても、国民は前回同様に唯々諾々として徴兵に応じて戦地に赴くのではないかと思います。
2024年01月09日
今から3年前の安倍政権が検事総長の人事に介入しようとして失敗した事件について、12月20日の東京新聞は次のように論評している; 自民党安倍派と検察の関係で思い起こされるのは、2020年の安倍政権による検察人事への介入問題だ。「政権は捜査権力を操るつもりか」との疑念を生んでから3年余り。検察捜査は政権の中枢に迫ろうとしている。 検察当局は、10年に大阪地検特搜部検事による証拠改ざん事件が発覚して以降、「冬の時代」(検察関係者)が長らく続いていた。 東京地検特捜部が久々に本格的な政界捜査に踏み切ったのが、19年12月に秋元司・元自民党衆院議員を逮捕したIR汚職事件。このときの特捜部長が、現在は最高検刑事部長の森本宏氏で、検察内部には「森本体制での特捜部復権」を期待する声が出ていた。 その流れに水を差したのか、20年2月の人事介入問題だった。 安倍晋三内閣が検察官の定年延長という前代未聞の閣議決定をしたことで、検察ナンバー2の東京高検検事長だった黒川弘務氏が、検事総長に就任することが可能に。黒川氏は安倍氏や当時の菅義偉官房長官と関係が近いとされ、『政権による検察支配』を危ぶむ声が上がった。反対の世論は盛り上がり、政府は関連法の改正案成立を断念した。 昨年来、自民党派閥の政冶資金パーティーを巡り検察に複数回の刑事告発がある中、森本氏は今年7月、最高検刑事部長に就いた。最高検刑事部は、政界捜査などの難事件に「とりわけ深く関わる」(特捜部経験のある検察OB)とされる。特捜部長時代の森本氏を副部長として支えた伊藤文規(ふみのり)氏が、現在の特捜部長として全国から応援検事を集めて捜査を進めている。(池田俤一)2023年12月20日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「安倍内閣『検察人事介入』から3年-因縁の安倍派、捜査の対象に」から引用 安倍政権が自分の息のかかった人物を検事総長にしようと画策して前代未聞の「検察官の定年延長」という閣議決定をしたのは、上の記事が述べるとおりであり、その非常識な閣議決定のとおりことが進んで黒川某が検事総長に就任し安倍氏が存命で第三次安倍内閣が発足していれば、今頃は大日本帝国の復活が実現していたかも知れない。しかし、現実には安倍内閣の悪だくみは実現しなかった。上の記事では「検察人事への不当介入反対」の世論が盛り上がったからと書いているが、私の印象ではそのような「反対の世論」があったような記憶はなく、「文春砲」が黒川某の「賭けマージャン」を報道したことが安倍内閣の悪事の遂行を頓挫させたように思います。いずれにしても、東京地検特捜部には頑張ってもらって、下っ端議員の逮捕でお茶を濁すことなく、安倍派5人衆のうち少なくとも3人くらは逮捕立件しないことには、悪を根絶することはできないのではないかと思います。
2024年01月08日
アメリカの元国務長官のヘンリー・キッシンジャーと言えば米中国交正常化に尽力したことで有名であるが、実は「米中国交正常化」の数年前にはチリに民主的な手続きを経て誕生したアジェンデ政権を敵視し、チリの軍部を焚きつけてクーデターを起こして大統領を殺害し、軍事独裁政権を誕生させるという「悪事」の首謀者でもあった。中央大学教授の目加田説子氏は、その辺のいきさつを12月17日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 1973年9月11日にチリで軍事クーデターか起き、民主的手続きによって正当に選ばれた左派の大統領、サルバドール・アジェンデ氏が死亡した。大統領府は空爆され、多くの市民も犠牲になった。それから半世紀。「負の歴史」を忘れまいと、今年9月11日に首都サンティアゴで式典が開催された。 演台には、元大統領の末娘で今は上院議員のイサベル・アジェンデ氏の姿があった。軍事クーデターの最中、大統領府で父親と別れたのを最後に、母親らと共にメキシコに亡命した。その後、政権を奪取したアウグスト・ピノチェト将軍による独裁が終わる直前の89年、チリに戻った。 この日、アジェンデ上院議員はこみ上げる涙を拭いながら「同じことを纈り返さないために、記憶こそが民主主義であり未来である」と言葉に力を込めた。 ◇ ◆ ◇ 17年間続いたピノチェト独裁政権の下、民主化や言論の自由を求める多くの若者が突然行方不明になった。アジェンデ支持者が街中の競技場に押し込められて拷問され、レイプされた。ヘリコプターから海に突き落とされた人もいた。 民政移管後の調べでは4万人以上が肉体的・精神的拷問を受けたと指摘されており、何十万人ものチリ人(政敵、独立批判者、あるいは左派との関係が疑われた無実の市民)が投獄され、殺害され、迫害され、追放された。千人以上の男女が葬儀も墓もないままいまだ「失踪中」である。真相究明委員会が真相を追求し続け、裁判は今も継続している。その努力の一つひとつが、民主主義による、半世紀前の忌まわしい過去の追及であり清算でもある。 「チリの911」は歴史にどのような教訓を残したのだろうか。アジェンデ政権で文化担当高官だった作家のアリエル・ドーフマン氏はニューヨークータイムズ(NYT)紙への寄稿で、「国民の約70%がクーデターを知らない世代となった今日、私たちは直面する開題を乗り越えるために思いやりや対話、連帯のために努力することなく暴力に訴えることがもたらす悲惨な結末を記憶することこそ極めて重要だ]と記した。そして、チリの人ぴとは「苦しんだにもかかわらず、いや、苦しんだからこそ、全ての人のための正義と尊厳への道を忍耐強く進むことかできる」と結んだ。 ◇ ◆ ◇ 軍事クーデターの背後で糸を引いていたのは、世界各地で左派政権が拡大することを警戒した米国だった。冷戦中のこととはいえ、暴力による政権転覆を支援したことは米国の歴史にとっても重大な汚点だ。 クーデター実行に深く関わったとされる当時のヘンリー・キッシンジャー米国大統領補佐官が、今年11月に亡くなった。米中接近などの戦略的外交で評価されたか、オバマ大統領の副補佐官(国家安全保障担当)だったベン・ローズ氏はNYT紙への寄稿でキッシンジャー氏を「偽善者」と呼び、こう論評した。 米国の「国益」にそぐわない相手をたたき続けた「力の政策」は今となっては「戒めの物語」であり、「より高い志がなく、私たちの行動に意味を与えるような物語もない時、政治と地政学は単なるゼロサムゲームとなる。そんな世界では力が正義となってしまう」。 米国は、今も同じ過ちを繰り返していまいか。2023年12月17日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-『チリの911』から半世紀」から引用 イサベル・アジェンデ上院議員の「同じことを纈り返さないために、記憶こそが民主主義であり未来である」との言葉は大変象徴的である。それは、チリに限らず日本にも通用する。日本人も、悲劇の歴史を繰り返さないように、記憶する必要がある。それは、例えば関東大震災の時にデマにあおられて朝鮮人や中国人を虐殺したこととか、中国や東南アジアに戦線を拡大するに連れて各地に日本軍が慰安所を設置したこととか、現在の日本政府が「そのようなことを記述した公文書は見当たらない」などととぼけるような事象について、我々ははっきりと「史実」として記憶し次世代に継承する義務があり、そうすることによってのみ、日本は平和国家として存続することが可能になるものと思います。また、上の記事では米国が今も同じ過ちを繰り返しているのではないかと書いてますが、それは今に始まった話ではなく、アメリカは昔から自国の利益のためには手段を選ばず力に訴えて今日を築いた国であり、インディアンの土地を収奪してアメリカ合衆国ができたように、イスラエルもパレスチナ人の土地を収奪して出来上がった国であり、このような「悪行」の連鎖をどこかで断ち切る努力がなされないことには、人類の平和共存は難しいと思います。
2024年01月07日
自民党議員が政治資金パーティで集めたパーティ券の売上収入を政治資金報告書に記載せずに裏金にして選挙時の買収に使用した疑いについて、メディアはどのように報道したか、ジャーナリストの沢木啓三氏は12月17日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 自民党派閥の政治資金パーティーを巡り、最大派閥・安倍派の主要幹部がパーティー劵収入のノルマ超過分のキックバックを受け、政治資金収支報告書に記載していなかった疑惑は松野博一官房長官はじめ、政権中枢の更迭人事が取りざたされる事態になりました。 日ごろは政権に同調的な読売新聞も、9日に松野官房長官更迭の見通しをいち早く1面トップで報じたほか、元五輪相の橋本聖子参院議員らも資金還流を受けていた疑惑を明らかにするなど、積極的な報道姿勢を見せています。 テレビ各局も、8日放送のNHK「ニュースウオッチ9」で「独自」として自民党の高木毅国対委員長と萩生田光一政調会長への還流疑惑を報じると、同日のテレビ朝日『報道ステーション』や日本テレビ「news zero」でも同様に「速報」として伝えるなど、スクープ合戦の様相を見せています。 10日のTBS「サンデーモーニング」ではコメンテーターの佐藤千矢子毎日新聞論説委員が「派閥パーティーは事実上、企業団体献金」と断じて徹底的な見直しを促しました。金権政治の反省を口実に政党助成制度を導入したのに二重取りになっている、との批判です。あえて言えば、日本共産党が企業団体献金の全面禁止などを盛り込んだ政冶資金規正法改正案を既に提出していることにも言及してほしい場面でした。 今回の政治資金をめぐる疑惑の発端は、「赤旗」日曜版が昨年報じた、自民党主要5派閥か政治資金パーティーの収入計約2500万円を政治資金収支報告書に記載していなかったというスクープでした。この点は7日付「朝日」社説が「『しんぶん赤旗』の報道で明らかになり」と報じています。 特捜部の捜査の進行を待つのではなく、メディアが裏金疑惑解明に向けて、さらに徹底的な取材・報道を継続してほしいところです。(さわき・けいぞう=ジャーナリスト)2023年12月17日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-自民裏金取材 徹底的に」から引用 そもそも国が政党助成金を支出するという制度を作ったときは、財界と自民党の癒着をなくす目的があり、その時に制定された政治資金規正法は「企業から政治家への献金を禁止する」と明記したのであったが、その時、自民党は抜け穴として「企業から政党への献金」は合法であるという条文を追加したために、今日のような「問題」が発覚することとなった。このような経験に学んだ日本人としては、「企業の政治献金は一切禁止する」という法律に変更する以外に問題解決の方法はないと知るべきです。
2024年01月06日
相模原市では人権問題の専門家が協議してまとめたヘイトスピーチ規制のための条例案に対し、本村相模原市長はその条例案を骨抜きにしたような「相模原市人権尊重のまちづくり条例案骨子」を市議会に提示した。このような本村市長の対応を、12月17日の神奈川新聞は、次のように批判している; 差別をなくすための画期的な答申を骨抜きにした相模原市人権尊重のまちづくり条例案の骨子への批判が止まらない。本村賢太郎市長は罰則を設けなかった理由を「ヘイトスピーチのひどい実態がない」と説明するが、外国人人権法連絡会事務局長、師岡康子弁護士は「立法事実の理解か間違っており、事実に反する。実際は日本一のヘイトシティーと言えるほどだjと指摘。骨子案を撤回し、根本から作り直す必要があると説く。(構成・石橋学) 市人権施策審議会の答申は差別を本気でなくすための優れた内容だった。ところが、骨子では答申がほとんど生かされていない、差別に苦しんでいる市民が実際いるのだから、どのように差別を食い止めるのかを第一に考えなければならないのに、その観点が見えない。市民が安心を得られる条例にしないと、作る意味がない。 差別的言動の禁止は外国ルーツの人を対象にしたものに狭められた。違反した場合も氏名公表のみで罰則を盛り込まなかった。ヘイトスピーチに刑事罰を設けた川崎市ほどの立法事実がなく、罰則規定を置くのは表現の自由の観点から問題があるというのが説明だ。 市は立法事実を極度に狭め、「死ね、殺せ」と叫ぶデモや街宣があったか否かという誤った見方をしているのではないか。 実際は相模原市には、外国ルーツの人へのヘイトスピーチに限っても日本一と言えるほどの立法事実があるということを認識してほしい。日本第一党という差別団体が審議会の韓国籍の委員に対して『なぜガイジンが口を出すんだ』と排斥する街宣を毎週繰り返してきた。市役所前だけでなく職場に押しかけたこともあった。こんなことが行われている自治体は全国を見てもどこにもない。 今はたまたまやんでいるが、いつでも再開できる。それをどう防ぐかか条例作りの出発点でなければおかしい。差別街宣を行った人たちや団体は名前を出して活動しており、批判報道もされている。氏名公表では効果がない。だから審議会は罰則が必要だと判断した。 今街宣が行われてなくても、歯止めがないためにいつまた起こるかも知れず、マイノリティーは不安を抱えている。相模原市民である在日コリアンの母親はスーパーでわが子が「オモニ(お母さん)」と言った瞬間、手で囗をふさいでしまったという。差別をあおる街宣が市内で繰り返され、朝鮮人だと知られたら誰に何をされるか分からないという恐怖があるからだ。そのような状況こそが立法事実に他ならない。◆「市が勝手に自主規制」 答申は有識者や市民らでつくる相模原市人権施策審議会が3年半の議論を重ねて策定した。私を含めた専門家のヒアリングを行った上で、市ではヘイトスピーチに罰則を設けるべきで、かつ十分可能だと判断した。 慎重になりがちな憲法学者の委員2人も違憲にはならないと言い、それでも市が迷うなら条項を凍結して様子見をしてもよいとまで提案している。それを答申が出た後に、無関係な行政法の専門家や弁護士が「難しいと言っている」という理由でひっくリ返すのは不合理だ。このままでは画期的な答申が出ても無視をして、ヘイトスビーチを規制しなくてもよいという悪い前例になってしまう。 立法事実がないということ自体、事実に反する。審議会の韓国籍の委員を攻撃する街宣だけでなく、市内では津久井やまゆり園事件が起こっている。インターネット上では植松聖死刑囚を支持する声があふれ、障害者への差別的な書き込みも後を絶たない。風化どころか事件は継続している。真に受けた者によって事件が繰り返され得る状況で、それこそが立法事実だ。 市民団体へのアンケートで差別的言動の事例は上かってこなかったというが、調査票自体がおかしい。デモや街宣におけるもので、なおかつ極端な内容の言動に限定される聞き方になっている。まちなかで子どもが「オモニ(お母さん)」と呼べない現状を拾えていない。 「死ね、殺せ」と叫ぶデモや街宣だけが立法事実と考えるのは間違いだ。在日コリアンが集住する京都・ウトロ地区では差別に基づく放火事件が起こったが、インターネット上の「在日特権」という一つの書き込みが、実際に火を放つヘイトクライムに直結しているということが証明されている。意図的かどうかにかかわらず、差別を広げるような言動が「不当な差別的言動」だ。それは今回の「骨子」の「差別」の定義でも示されている。 やまゆり園事件があった相樮原市で差別的言動を禁止もしないというのであれば、作らない方がましだ。障害者ら45人を殺傷するという未曽有のヘイトクライムまで起きた相模原市でできなければ、ほかのどの自治体でもできないということになってしまう。 立法事実はある。川崎市ほどのひどいデモがないと規制できないという考え方もおかしい。どの憲法学者も違憲になるとは言っていない。つまり相模原市が勝手に自主規制している状況だ。このままではせっかくの答申が無駄になる。罰則を盛り込み、本気で差別を止めるための実効性のある条例にしてほしい。(石橋学)【解説】相模原市人権尊重のまちづくり条例案骨子 有識者と市民でつくる市人権施策審議会が3月にまとめた答申では▽津久井やまゆり園事件を「ヘイトクライム」と位置付けて非難する▽人種、民族、国籍、障害、性的指向、性自認、出身を理由としたヘイトスピーチを禁止し、悪質なものは罰則を設けて規制する▽救済機関として設ける人権委員会に独自の事務局を置く▽差別事案に対して市長が声明を出すよう意見できる権限を人権委に持たせることを求めていた。条例案骨子ではいずれも採用せず、差別をなくす姿勢が見えないと本村賢太郎市長への批判が高まる。8日は人権NGOの外国人人権法連絡会のほか日本最大の障害者団体であるDPI日本会議、NPO法人の移住者と連帯する全国ネットワークが修正を求める要請を行った。2023年12月17日 神奈川新聞朝刊 1ページ、18ページ「相模原市人権条例案骨子、根本から作り直しを」から引用 相模原市の本村市長は、現在の相模原市には「死ね、殺せ」というような表現のヘイトスピーチはないから、罰則付きの条例にする必要はないとの主張のようであるが、それはこの記事が指摘するように、彼らレイシストが条例案の行方を見定めて様子見をしているだけであって、相模原市からヘイトスピーチが消え去ったわけではなく、ほとぼりが冷めれば直ちに復活するであろうことは明白である。本村市長は誰に頼まれて人権条例案を骨抜きにする気になったのか、背景を調べ上げる必要があるのではないかと思います。
2024年01月05日
元自衛隊員の女性がかつて同僚隊員や上司から受けた性被害を訴えた裁判で勝訴したことについて、文筆家の師岡カリーマ氏は12月16日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 元自衛官の五ノ井里奈さんが、上官から性被害を受けたと訴えていた裁判で、元隊員3人に有罪判決が下された。実名で顔を出して強大な権力に立ち向かった五ノ井さんの勇気を讃えたい。 判決は、被告らの行為を「卑劣で悪質」と断定した。報道によれば五ノ井さんが属していた中隊では、女性隊員に対する「セクハラ」が横行していたという。今回裁かれた行為のみならず、これまで裁かれずに同様の加害を男性上司の当然の特権であるかのように犯してきた人々にも、「卑劣」という判定が下されたと考えるべきだろう。 五ノ井さんの訴えは当初、取り合ってもらえなかった。不正を正す権力も持つはずの人々からも「大したことじゃない」「騒ぎ立てるな」などと圧力を受けたと想像できる。それでも「残された女性隊員を守りたい」と被害を訴え続け、判決後は「刑の重さよりも、事実を認めて反省してほしい」と穏やかにコメントした。五ノ井さんの摘発は、「笑いをとるため」などと軽々しく犯される性的暴行が犯罪として罰せられるという結果を通して、自衛隊員を守ることにつながる。そして女性や被害者が泣き寝入りしないのが当たり前の社会へと日本をもう一歩近づける。ありがとう。あなたと、そして逆風に哂されても、性加害が許容される社会を変えようと声を上げるすべての人々に、敬礼。(文筆家)2023年12月16日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-五ノ井さん、ありがとう」から引用 今回の裁判で、性被害を受けた女性の訴えが認められ勝訴の判決を勝ち取ったことは、私たちの社会の人権意識が一歩前進したことを示していると思います。数年前までは、芸能事務所経営者の性加害を報道した週刊誌が名誉棄損で訴えられた裁判で、名誉棄損が認められず敗訴しても、メディアはそのことを大きくは報道せず、あたかも芸能事務所経営者の性加害はなかったかのように、テレビも新聞も平然とその事務所のタレントをテレビに出演させ、新聞や週刊誌のグラビア広告にその事務所のタレントを登場させて、当該芸能事務所はいつものように収益を得ていたのであったが、その問題の芸能事務所の経営者が亡くなってから、昨年BBCがこの問題を取り上げたことで、ようやく「この問題を放置してはならない」という認識が社会に共有されることとなり、当該事務所も被害者救済の事業に取り組むこととなった。しかし、性被害問題は自衛隊や旧ジャニーズ事務所だけではなく、関西の芸能事務所の大物タレントが生放送のテレビ番組の中で、女性タレントに対し暴力をふるい性加害の行為を公然と行って、それを笑いの種にしていた様子を録画した映像がX(旧ツイッター)に投稿されている。松本人志は、かつて加害行為を行った相手方の女性タレントに謝罪するべきであり、テレビやその他メディアが彼をタレントとして今後も処遇していくことは許されないことだと思います。
2024年01月04日
地検特捜部が捜査している自民党の裏金問題について、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は12月16日の同紙に、次のように書いている; 今や岸田文雄政権がどうなるかより、自民党はどうなるのかに人々の関心はある。「悪夢のような民主党政権」と繰り返した安倍晋三元首相の言葉が、ブーメランとなって自民党に返ってきた。 旧統一教会問題や政治資金パーティー問題が安倍氏の死後、釜のフタが開いたように噴き出しだのは偶然と思えない。「安倍さんが生きていれば」と嘆くファンもいるだろうが、その安倍氏本人がフタだったなら、話は逆だ。 安倍時代は派手なスローガンと外交、総裁選を含む毎年の選挙で人々を飽きさせない「イベント政治」だった。祝祭気分を楽しんだ人も多かったから、辞める時は支持率が驚くほど上昇し、「安倍さん、ありがとう」の感謝ムードで写真集も売れた。 でも、その陰で反社会的宗教団体に肩入れし、子分か「安倍人気」で集めたカネを違法に流用していたと知れば、裏切られた気になる人もいるはずだ。功罪は別と切り分けるわけにはいかない。 パーティー裏金疑惑は、安倍派(清和政策研究会、旧清和会)が焦点となっている。森喜朗、小泉純一郎、福田康夫、安倍各元首相を輩出し、麻生太郎政権と民主党政権をはさんで、約20年間に計16年余も権力を握った「清和会支配」が、ようやく終わる。 ところで、4人の清和会首相のうち本物の会長だったのは森氏だけである。小泉氏は森政権の1年間、留守役だったが会長ではない。3人は派閥の長を経ず首相になった。町村信孝、中川秀直、細田博之各氏も会長・代表世話人だったが、実権は森氏にあった。退任後の安倍会長在任は8ヵ月。森氏との関係が穏やかでなかった内情は、政界の常識に属する。 安倍氏亡き後、すでに議員でもない森氏は、妙に生き生きと派閥運営に口をはさんできた。14日一斉に辞任・辞表提出した安倍派5人衆(松野博一、西村康稔、萩生田光一、高木毅、世耕弘成各氏)は全員、頻繁な「森氏詣で」を欠かさず、森氏も岸田人事への影響力を吹聴してきた。 政官界の必読放談だった地元・石川県、北国新聞の連載「総理(元職への敬称らしい)が語る」が、11月26日に突然終わった。ここでの発言通りなら、5人衆が要職を占めていたのは全て森氏のお陰らしい。派閥事務総長ポストも、森氏の意向抜きには決まらなかっただろう。裏金は何のため、どこへ使われたのか。 森氏は車椅子に乗っているが、11日に東京で開かれた歌手・谷村新司氏を送る会にも現れた。まだお元気そうだ。(専門榻集委員)2023年12月16日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-森喜朗氏が語るとき」から引用 この記事は、自民党政治の実態がよく分かるように記述されていて、なかなか面白い。安倍時代の政治を「イベント政治」というとは、始めて知った。ロシアのプーチンを山口県まで連れて行ったり、20数回も来日してもらったのに、北方領土は二島返還どころが、一島も返ってこない結果になったが、「安倍さん、ありがとう」などと言う馬鹿にとっては、そんな結果はどうでも良くて、漢字が読めなくても総理大臣はできるのだという「事実」が、彼らにとっては励みになったのかも知れない。しかし、安倍政治のポイントはそんな「イベント」などではなく、平和憲法を捻じ曲げて「集団的自衛権の行使」は合憲であるという「詭弁」を無理やり押し通した結果、近い将来日本は戦争をする国となって、自衛隊も人手が足りなければ徴兵制を採用する方向に舵を切った、という点である。これはあまり時間がたたないうちに軌道を修正し、集団的自衛権は違憲であることをはっきりさせる政権を発足させる必要があります。また、この記事は森氏が谷村新司氏を送る会に姿を見せたことを称して「まだお元気そうだ」と書いているが、これは、必要があれば遠慮なく逮捕・収監しても、すぐには死にそうもないから大丈夫だ、という地検特捜部へのエールだと思います。
2024年01月03日
日本と韓国の歴史認識にズレがあることについて、歴史家で東京女子大学准教授の森万佑子氏は12月13日の朝日新聞に、次のように書いている; 子育てをしていると、ある出来事に対して親子で同じ気持ちを共有していると思いがちだが、親である私の理解と、子どもからの見え方とに異なる部分を感じることが少なくない。例えば、ピアノのコンクールを親子で頑張っているようでも、練習をめぐって葛藤が絶えない。音楽を通してやり抜く力や挑戦する気持ちを育んで欲しいと私は考える半面、子どもから見れば、コンクールを頑張りたい気持ちはあるが遊びたい気持ちも優先したいということだろう。 「今」に対する捉え方に違いがある。これが積み重なって、何十年後かに子どもが記憶する「今」は、「親にピアノをやらされた日々」となるかもしれない。そうならないためにも、今日も子どもから「今」がどう見えるのかを考える。 一日の大半を一緒に過ごす親子でさえ「今」の解釈と記憶のされ方が異なるのに、言葉や文化が違う国家間で「今」の解釈や歴史の記憶のされ方が異なるのは当然だろう。 * 日本は韓国と隣国で、他の国に比べると、言葉や文化に似ているところが多く、歴史の関わりも深いため、「今」の解釈や歴史の記憶のされ方も似ていると思いがちである。しかし、実際には違うため、時に外交問題にまで発展する。 2013年に始まった日本のNPO法人「言論NPO」と韓国のシンクタンク「東アジア研究院」の共同世論調査によると、「相手国の良くない印象」の理由として、韓国世論は「韓国を侵略した歴史について正しく反省していないから」が14年以降1位、日本世論は「歴史問題などで日本を批判し続けるから」が13年から22年まで1位を占めた。 なぜ、同じ時期の出来事をめぐって、ここまで大きな認識のズレが生まれるのか。試みに、私は韓国の高校の『韓国史』教科書を使って朝鮮近代史を講義してみた。すると日本人学生は、教科書の近代史部分の分量の多さや、生徒を当時の状況にタイムスリップさせて自分の考えを述べさせるつくりに驚きながら、「韓国人が反日になるのが分かった」や「歴史が道徳やナショナリズムと結びついて学ばれていると思った」などと感想を寄せた。 日本から見る日韓の歴史と、韓国が解釈する歴史の違い、そしてその記憶のされ方の違いを理解するのである。 * 確かに「今」、韓国の韓国史教科書を見ると、日本に比べてナショナリズムを涵養(かんよう)しているように見える。しかし、韓国が一貫して国史教育に注力していたかといえば、それは違う。国史教育の重要性を認識したのは、1982年の日本の歴史教科書検定に対する反発に端を発する。日本の歴史教科書の植民地支配に関する記述をめぐり、韓国では「歴史歪曲(わいきょく)」と解釈し「反日」世論が高潮した。国史教育に関心が高まり、現在に続く教科書づくりや「独立記念館」の建設、そして先の世論調査結果に至る。 日韓で、植民地当時の解釈の違いに加え、教科書問題が起きた時の見え方に違いがあり、その積み重ねが今日の歴史認識のズレになる。このズレを最小限に抑えるためには、葛藤が起きた「今」を相手はどう見たかを考え、記憶のされ方の違いを知ることが大切だ。例えば、歴史の教科書で、出来事や事件に「相手国ではこう学んでいる」とコラムをつけるだけでも認識のズレの解消に役立つだろう。 世界で新たな戦争が起こっている今、他国から見た歴史を知ることの重要性を痛感する。 ◇<もり・まゆこ> 韓国・朝鮮研究者、東京女子大学准教授 1983年生まれ。著書「朝鮮外交の近代 宗属関係から大韓帝国へ」で第35回大平正芳記念賞。ほかに「韓国併合」「ソウル大学校で韓国近代史を学ぶ 韓国留学体験記」など。2023年12月13日 朝日新聞夕刊 4版 2ページ 「(にじいろの議)日韓の歴史認識のズレ、どうすれば 見え方の違い、まず知る」から引用 この記事は、同じ屋根の下で暮らす親と子の間でも一つの事象に対する感じ方、見え方が違うのだから、海を隔てた2つの国で、歴史認識がズレるのはある程度仕方がない、といったような論旨であるが、私はそれは違うと思います。この記事で筆者が書いているとおり、韓国の歴史教科書の近代史の記述は、日本の歴史教科書に比べて、圧倒的にページ数が多く、それだけにかつての日本が韓国に何をしたのか、詳細に記述しており、侵略の実態を具体的に知ることができます。しかし、日本の歴史教科書の場合は、文部省の監督の下に書かれる関係で、大和朝廷の時代から現代にいたるまで、政府にとって都合のいいようなページ配分で当たり障りのない表現で一貫しており、このような教科書では、かつて大日本帝国が朝鮮半島を足場に中国を侵略し、満州帝国という「傀儡国家」を作った、というような歴史の事実を認識することは、実に困難であるのは当然であり、また、そこに教科書に対して検閲まがいのチェックを入れる日本政府の狙い目も存在するわけで、このような事実には触れずに、「親子でも見方がズレる」論で片付けようとする姿勢は、史実隠ぺいに与する議論であると言わざるを得ません。
2024年01月02日
自民党の裏金疑惑は1年前の共産党機関紙「しんぶん赤旗」が報道したのであったが、一般紙が後追い報道をせず無視していたところ、神戸学院大学教授の上脇氏が自民各派の政治資金報告書を丹念に調べたところ、これはかなり深刻な問題だということに気づいて刑事告発した次第である。そうとは知らず、政権支持率回復には党内最大派閥の「力」に頼るのが一番と思って安倍派の有力者を閣僚に据えた岸田首相は、慌てて閣僚交代に踏み切ったが、この先、岸田内閣はどうなるのか、12月10日の東京新聞は次のように報道している;◆繰り返す自民党の「黒歴史」 自民党安倍派の政治資金パーティーを巡る裏金疑惑の底が見えない。松野博一官房長官を皮切りに浮上した問題は、一気に他の安倍派幹部5人に拡大した。どこまで波及するか読めず、窮地に立たされる岸田文雄首相は師走の閣僚交代を迫られる事態に。もう政権浮揚は困難ではないか-。自民を中心に諦めに似た声が出始めた。=1面参照▽数の力 「ご心配をおかけしている。検察の捜査結果が出たら丁寧に説明したい」。9日、高松市のホテル。萩生田光一政調会長は講演で、政治資金問題に関し語った。自身に持ち上がった裏金疑惑には触れず、会合は約1時間半で終わった。 パーティー券の販売ノルマ超過分を議員側にキックバック(還流)する安倍派の「政治とカネ」問題。政治資金収支報告書に記載しない裏金化を指摘される派閥幹部は松野、萩生田両氏、高木毅国対委員長、西村康稔経済産業相、世耕弘成参院幹事長の実力者「5人組」に、塩谷立座長を加えた計6人に広がった。 衆参議員99人が所属する最大派閥の安倍派。9月の内閣改造・党役員人事では、数の力をバックに5人組全員が続投し、総務相に鈴木淳司氏、農相に宮下一郎氏を送り込んだ。「来年の党総裁再選を見据え、首相は安倍派を優遇せざるを得なかった」。閣僚経験者は振り返る。▽泥 舟 だが「裏金疑惑の闇」(自民若手)が深まるにつれ、安倍派を重んじた人事が一転して政権の足かせとなりつつある。 うつろな目つきで「私の政冶団体については精査して適切に対応したい」と繰り返すだけの松野氏をはじめ、記者会見などの機会が多い5人組は正面からの説明を避け続ける。他派閥の中堅は「説明責任を果たさない姿をさらすのは、政権にマイナスでしかない。要職から全員外さないと、政権が持たない」と憤る。 安倍派への厳しい意見が屆きつつあるのか、首相は松野氏を事実上更迭する方向で検討に入った。政権内では、年内にも内閣改造・党役員人事を実施する案が浮上する。 とはいえ岸田政権は、既に報道各社の世論調査で最低水準の内閣支持率に沈み、裏金疑惑の展開次第では、さらなる低下もあり得る。官邸筋は『人事で立て直しを急ぐ狙いは分かるか、泥舟に乗ってくれる人がどれだけいるだろうか』と懸念を隠さない。▽言及せず 政治とカネを巡り、自民は「黒歴史」を繰り返してきた。1988年に発覚したリクルート事件では、宮沢喜一蔵相が辞任に追い込まれ、89年の竹下内閣退陣に発展した。頂点に達した国民の政治不信は自民に向かい、93年衆院選で非自民8党派連立の細川政権を誕生させた。 日本歯科医師連盟(日歯連)から旧橋本派(現茂木派)への1億円献金隠し事件では、派閥の会長代理だった村岡兼造元官房長官が2004年に在宅起訴された。当時を知る重鎮は「底なしの闇だった。今回、岸田首相が対応を誤れば政権は瓦解しかねない」と警告する。険しい状況か続く首相。この日訪れた長崎市の「国際賢人会議」では、核兵器のない世界への決意を示したものの、政治とカネに言及する場面はなく、夜には麻生太郎副総裁と公邸で会った。松野氏も60歳の誕生日を迎えた皇后さまの祝賀行事に出席したが、記者の前で言葉を発する機会はなかった。2023年12月10日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「核心-自民裏金、疑惑底なし」から引用 この記事によれば、岸田政権を取り巻く環境は大変厳しく、一つ対応を誤れば政権が瓦解しかねないとのことであるが、1988年のリクルート事件のときは竹下内閣が退陣に追い込まれたが、あの時竹下氏はどのようなミスをしたのであったか、今からは調べることも難しいが、岸田氏は今の状況をどのように乗り切って行くのか、結果によっては岸田氏は政治家として竹下氏以上なのか、以下なのか、評価がはっきり出そうなところが大変興味を惹かれます。
2024年01月01日
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