全479件 (479件中 251-300件目)
2001年、911アメリカ同時多発テロの衝撃の後、イスラム教ユダヤ教キリスト教についての本を少しばかり読んだ。読んだけれどもよくわからないというのが本音である。その当時集めた中で今までなぜか読まず最後に残ったのがこの『イエスの生涯』もうすぐクリスマスだが、この本はイエス様が厩で生まれたとは書き始まっていない。ところがこれがわかりやすかった。遠藤周作氏の人柄と作家の力量だからだろう。西洋画に書かれた神々しい像は、後の時代の想像力によってなされたので、容貌も平凡な中東人がどうしてイエスキリストなのか?イエスはユダヤ人で大工さんであった。ナザレというところで30~40代まで近親者と働いて暮らしていたが貧しかった。そんな普通の人が思うところあったのか、困る身内の反対を押し切り、捨てて家出してしまう。そして放浪の生活。原始キリスト教に出合のだが、原点は貧困にあえぐ人々への同情。奇跡を起こすでもなく、救済者メシアでもなく、何にもできない無力者のイエスが政治的陰謀にはめられて、ゴルゴタの丘で十字架にかけられてむごたらしく殺される。その処刑されたということにキリスト教の意味があるという、遠藤氏の直観力が開示される。おおざっぱに言ってしまったが、遠藤氏が思索なさったことに妙に納得してしまった。この後編に『キリストの誕生』をお書きになったが。ちなみに2001年、当時読んだ関連本を(まだブログをしていなかったので)挙げておく。『イスラーム 』蒲生礼一『釈迦とイエス 』ひろさちや『ユダヤの民と宗教』 A.ジークフリード『ユダヤ人 』J.P.サルトル『エクソダス 1 2 』レオン.ユリス(犬養道子訳)『キリスト教がよくわかる本 』井上洋治(『イエスの生涯』の解説も書ていらした)『ビンラディンのイスラム教とユダヤ教キリスト教 』神辺四郎『イスラム過激原理主義 なぜテロに走るのか』 藤原和彦『旧約聖書を知っていますか』阿刀田高『新約聖書を知っていますか』阿刀田高中東やイスラエルについてはまだまだ進行中で奥が深い。
2018年11月25日
コメント(2)
この小説の書き手である主人公杉村三郎は、解説(杉江松恋)に「宮部みゆきが初めて書いたハードボイルド・ミステリーの主人公なのだといえます。」とあるから、へー、ふ~ん、ハードボイルド小説なのか?逆玉の輿、つまり大金持ちの娘と結婚して、その義父の事業のうちの子会社で働いているだけで、妻の持参金による優雅な暮らしをしていて、探偵ごっこをするはめに、という夢のような人生の杉村三郎。ことあるごとに「あんたはいいよねえ」揶揄され・陰口きかれても、どこ吹く風、といっても杉村三郎の性格がいいから嫌味でない、とくると「そんなにでれっとしてるんじゃないよ!」とチコちゃんになってしまうけど(笑)宮部さん初期の作品はほとんど読んでいるので、相変わらずわかりやすくて、読みやすい描き方だ。ともかく安心して読めるところがいい。本屋さんで連作ものの第一弾ということでひさしぶりに手に取った。『名もなき毒』『ペテロの葬列』『希望荘』と杉村三郎風のハードボイルドが続くらしいが・・・。
2018年11月21日
コメント(0)
池内紀・川本三郎・松田哲夫さん編集のセレクト。みなさま1940年代生まれ。その年代が微妙に影響していて、同年代わたしの好みの短編が集められていることになるのはもっともだ。ひとつひとつ、うなずきながら読んだ。その中でも一番印象的なのは、やはり宇野浩二『夢見る部屋』書き手のこだわりや好みが変わっていて、ちょっとめんどくさい性格。と読めるのだが、誰にでも思い当たるところのある心理でもあるなあと思う。売れない作家が家を一軒借り、自分だけの部屋を持つのだが、それを誰にも見せたくないけれども、妻もいれば、お手伝いさんもいるのでおちおちできない。すごく見せたくない事にこだわっているのだけれど、最初は人に見せられない事情があるのでもないよう。「閉じこもり」的な自分空間の夢想らしい。ところが、しばらくするとこんどは外部にひと部屋を借りる算段をする。短編にこんな文章がある。「この世で何が一番好き」かと聞かれれば私は「山と女と本」と答える、と。あらら、本音はそこか?ではそこで逢引きするのね。と思いきやその借りた部屋に女性を招くのでもないのだ。山の絵をかざり、本棚に好きな本を並べ、お茶を自分で入れ、万年床で原稿を書いたり、本を読んだりするだけで悦に入っている。狂ったように楽しんでいる。自分の好きなことを、心行くまでしてみたい。それが出来れば苦労はないよ。人間だれしも持っている孤独癖や現代の人間心理はそういう傾向になりそうで気になるなあ、という展開がおもしろい。
2018年11月19日
コメント(0)
明治維新の江戸城明け渡しには物語があるということをみつけたのは、浅田次郎氏の『黒書院の六兵衛』だけか(?)と思っていたらまた巡り合ったこのエンターテインメントストーリー。こんどは江戸城大奥が舞台で、登場人物も侍ではなく、大奥の女性たち、作者も女性。時代に舞台を取って描く小説の人間性は、その書かれた時代の思潮に色濃く染まって、というのがある。このエンタメもしかり。組織でも団体でも縁の下の力持ち的な働き手、手に職があるもの、生きていくための手段でも、さまざまな性格と力量によって変化していく。お針の得意なヒロインが「呉服之間」という職場で活躍していても、いざその職を解かれるとどうしてよいかわからなくなる。キャラクターがはっきりしたそれぞれの職種「御三之間」「御膳所」の女性たちもそうであり、うろうろする描写が続く。ちょっとそこら返はくどいかな。いつの時代も職場替えや転職やらは、一大事なことなのであるけれど。それをまとめるのが、大奥の組織図から言うと上役の「御中臈」の女性らしい、ということが分かってきたところから物語の展望がよくなる。
2018年11月15日
コメント(3)
遠藤周作の『イエスの生涯』を読書中で、そんな関心があって図書館でこの本に目が留まり、何気なく借りた。「『沈黙』の前奏曲ともいえる短編集」とあるけれど、遠藤周作さんの文学に対する姿勢がよくわかったし、『イエスの生涯』などという少々敬遠してしまうような内容の本にも理解の助けになる。なぜ『イエスの生涯』を読んでいるかというと、古いことになるけれども、9.11のアメリカでのテロ事件の直後、イスラム教とは何か、それに関係するキリスト教文明を知りたいと思い、いささか読んだその関係書物の一つである遠藤周作氏の本であったけど、なかなか手を出せていなかったもので。そういう前奏曲がないと、この短編集に描写される人間たちのふるまいは、どうしようもなくかなしいけれども、哀れにもなり、笑ってしまうかもしれない。いや、一遍ごとにやり切れない思いも募り、いやな気分にもなる短編だ。人間の存在とはこんなものだよ、うそつきで、おくびょうで、ずるいかぎり。冷静に人間の浅ましさを見て、それを人間の日常に創作再現する。その罪の意識を暴く。一見私小説のように創作されているが、遠藤周作さんの文学上、人生上の思想の変遷途中経過なのである。キリスト教を理解するのは難しいけれども、一つの宗教を追求するその精神的な苦しみは理解できる。つまり、遠藤氏が幼いときに自覚もなく洗礼を受け、成長して後の悩む精神上の煩悶が文学として結晶している。なお40年以上前に『沈黙』は読んでいるのだが、すっかり忘れていて再読せねばと思う。
2018年11月08日
コメント(0)
先日亡くなった樹木希林さんに敬意を表して読みました。映画は見ていませんが、プロログの徳江さん(おばあさん)登場の場面は希林さんの演技を彷彿させました。なるほど映画の脚本のような書きぶりの小説でもありました。どら焼きの中身、小豆の美味しい煮方指南などは微笑ましいが、すぐに徳江がハンセン氏病完治者とわかってくるのにしたがって、じっとりと空気が重くなってくる。登場人物の3人が3人とも、それぞれ社会から疎外されている屈託を抱えている。それをことさら怒るんではなく、恨むのでもなく淡々としているように描写しているのが、かえって胸迫るのだろう。そういうことはみんなあるよね、といいながらそれが「みんなの思い」にならないことがわかっているからである。普通が平等にならない、しかし人間の存在はみんな同じではないとわかってみれば、生きにくさに向かっていく勇気が出るのだ。
2018年11月02日
コメント(0)
1924~1933年 関東大震災の復興、大正から昭和に、戦争の足音(わたくしの生まれる直前の時代・・・)口語体文学が発展途上にあって、こんなにも完成した短編が書かれていたとは驚きだ。創作ながらに、しっかりとその時代、時代を捉えて生き生きと人間を再現させているので、面白いことこの上ない。中勘助『島守』『銀の匙』だけではない。岡本綺堂『利根の渡』梶井基次郎『Kの昇天』元祖、幻想短編か。島崎藤村『食堂』震災復興には「食だ!」というフレーズが新鮮。黒島伝治『渦巻ける烏の群』これぞ埋もれたプロレタリア文学。加納作次郎『幸福の持参者』普通のことがいいなあ。夢野久作『瓶詰地獄』水上瀧太郎『遺産』龍胆寺雄『機関車に巣喰う』林芙美子『風琴と魚の町』尾崎翠『地下室アントンの一夜』シュールレアリスムで驚いた。戦前は昭和の初めだもの。上林暁『薔薇盗人』堀辰雄『麦藁帽子』ちょっとプルーストの『失われた時を求めて』の一部を彷彿させた。大佛次郎『詩人』広津和郎『訓練されたる人情』上林暁の『薔薇盗人』を読みたくて、図書館検索に引っかかった本。新潮文庫で池内紀・川本三郎・松田哲夫編にて年代別に1~10巻がある。全巻読みたい、興味がわいてきた。
2018年10月31日
コメント(0)
ウイットに富んでいて軽い文章は読みやすいけど、夫婦間のやり取りはくすぐってはくれるが、もう新しいとは言えないかも。この夫婦喧嘩は現代ならモラルハラスメント問題に発展だ。自由になりたいとて仕事を辞めてしまったぐうたら夫を、あの当時(戦後5年1950年ころ)妻が夫に「出ていけ!」っていうのが新しかったので。むしろあの頃の風景や風俗情景を知るにはよい。わたしは小学3,4年ころだったから社会や周りのことはわかっていない。「戦後ってこんなふうだったのね」という感じで読んだが、それが興味深くなおかつおもしろかった。
2018年10月26日
コメント(8)
ウオーキングの効果は成人病予防や体重のコントロール、一般に健康志向にもっともよい方法だとは何となく知っておりました。そんなことを言われだしたのが1980年代の後半からだと記憶しております。田原総一郎さんが流行らせた飽食時代とかで、わたしも『太りはじめたら読む本』(橋詰直孝)『サーロイン症候群』(小野博通)など読んでます。わたしたちも若かったのでジョギングやウオーキングもかなり長距離歩いたものです。でも、生活が忙しいこともあって、コンスタントに続けられてなかったのです。そしていまは毎日のようにウオーキングしておりますが、前に比べたら軽いものです。そりゃそうです、81歳と77歳では何が起こるかわかりません。そんなおり、この本に出あいました。<肥満><高血圧症><高脂血症><糖尿病><肝機能異常><高尿酸血症>人間ドックなどで限界域になったとしたら、原因は便利になった生活で歩くことが少なくなった、もちろん偏った食生活やストレスもあるが、一番とっつきやすい歩くことによって数値が下がるとの研究。そして持続可能を求めるならば優しい目標から。泉先生の「ライフスタイルウオーキング」つまり一日一万歩といわれて久しいのですが、(8000歩という説もありますね)それを生活の中の活動(家事雑事)も含めて歩数とする、というご提唱。この新書は2006年出版ですから、それからもまだまだ研究されてきているとは思いますが、「成人病予防」が「生活習慣病に克服」に考え方が変わった経由が書かれていて参考になりました。わたしは高血圧の薬を50代から服用しておりますが、その50代初めに今のようなウオーキングを続けていれば今薬を飲んでいないかもしれません。要は自覚するか、しないかです!!
2018年10月15日
コメント(0)
橋本治氏の作品には夢中になって読んだシリーズがあるそれは『桃尻娘』シリーズ『桃尻娘』『その後の仁義なき桃尻娘』『帰って来た桃尻娘』『無花果少年と瓜売小僧』『無花果少年と桃尻娘』『雨の温州蜜柑姫』って、シリーズものはそれだけ?調べたらこの続きらしい『桃尻娘プロポーズ大作戦』というのがあるわたしはもう中年になっていたけれども、おもしろかったなあ~息子や娘がちょうど同じ年ごろで、子供たちの気持ちがわかっていたつもりになったさて、橋本さんおっしゃるところの「近未来科学私小説」私小説だからといって橋本さんの等身大ではない、空想そりゃそうだ、1948年生まれで、これを書いたのは2016年、68歳わたしだって「どんなふうになるんだろう」って興味におもう60代でおもう98歳と70代でおもう98歳は違うだろうけど読みながらクスクス笑ってしまった老人はよく独り言を言うようになる地の文よりかっこの中のモノローグの方が多いのがそれを表している(なんだ、ちくしょうめ!足が動かねえじゃないか)なんてね気持ちはちっとも変っていないのに体がいうことを聞かないこれから30年後はどうしてもデストピアになるという東京直下地震で家が壊れ、命は助かったけれども仮設住宅が栃木県の日光の杉並に近いところに避難している設定作家だから心境を書けという注文が来るそれでダラダラ、モノローグを綴り、間に文章が・・・橋本さんは実際、難病を患っていらっしゃるらしいでも、人間が年取るって難病みたいなものねそれがうまく絡み合って、シニカルな、コミカルな、ユックリなまず、まず、面白かったですよ
2018年10月11日
コメント(0)
嫋々と立ちのぼる、ねっとり絡みつくような印象の文学をものする人々は往々にして被差別部落や朝鮮半島人のルーツを持つ日本文学作家であるわたしの知っているのは立原正秋、ほんとにたくさん読んだ『残りの雪』などはもう一度読みたいもう、30年位前であの頃は流行っていたのだ被差別部落で育った作家である、中上健次の『鳳仙花』自身の生まれ、ルーツを題材にいくつか作品を残して46歳で早世だからこの『鳳仙花』も自分の母親をモデルに、主人公フサを創造して「女の一生」物語背景は紀州古座、海に囲まれ、自然豊かでおおらかな風習母親が不倫、生まれた末っ子フサは異父兄姉に囲まれて成長した「近所の誰よりも色が白く、目鼻立ちの整った器量よしだった」フサその別嬪のフサが母親と同じように男遍歴になってしまうその成り行きは運命論というよりは連鎖といおうか叙情的・官能的およそからっとしていない文脈しかしながら引き込まれるように読み継ぐことができるのは文章の中に本物の感情や行動があるからだろうしかしこういう抜けきれない、しがらみのようなことを文芸にする時代は終わったのか
2018年10月05日
コメント(2)
1・・・香港・マカオ2・・・マレー半島・シンガポールユーラシアをバスなどで放浪して、最終目的地はロンドンへ行くという旅の記録氏は手練れのルポライターとか(ご本人が巻末対談でおっしゃってる)よく書けている、おもしろい放浪記でしたこのおもしろさの整い方は何ゆえに・・・沢木耕太郎氏が日本を脱出してたのは1973年ころ執筆されたのは1986年ころだそうその10数年のタイムラグというか間が興味深い作品はルポルタージュではないということかいえいえ実際に行かなけれなこんなふうには描けません行かないでベトナムを舞台にフィクションしてしまった結城昌治さんの『ゴメスの名はゴメス』ではないのだからこの温めていたということが作品を端整にしたのでしょうかものごとは直後でない方がいいときもあるいいものだけが残る可能性もある悪いことが増幅されることことになるかもしれないなるほどこしかたが自身の中で醸造され「思い出」となって残るのは人間にしかできない「わざ」なのだ
2018年09月26日
コメント(7)
「あ~、くたびれた」というのが、第一の感想こんなにぶっ飛んでるSFというか、ファンタジーというかはわたしには無理と思いつつ、「次、どうなるか?」「ええっ!どうするの?」と結局、夢中で読んでしまいましたやがて、おもしろうてかなし訳者の解説に「おもしろくて、笑える」とありましたがむしろ、人間の行く末が心配で心配でたまらなり、ちょっと深刻になってしまいましたジェットコースター展開物語の口直しに「普通の文学」それもへなへな「日本の私小説」を読んだらいいのかもしれません(笑)日本の作家でも筒井康隆さんの小説を読んだときはそのハチャメチャぶりに刺激を受けたのでしたが現代においてコミックやマンガではきっとそうなのでしょうわたしがその方面を知らないだけです
2018年09月21日
コメント(0)
読書傾向が支離滅裂と気づいてはいるのですがこころのおもむくまま、気の向くままそれで心地よいのだから仕方ありませんでも、そんな気の向くままに読み継いでいると不思議と今の自分に何かしら関連してくるから面白いのですまあ、凡人の思考なんて年経てもそんなに複雑化するわけないから何につけても自分に問いかけるしかないのでもありますというわけで、まえに高橋健二さん訳で読んだ『車輪の下』の時よりもああ、そういうことだったのか!、という感想になりましたが訳が問題なのではなく、理解できた時がわかったときということです「青春は年齢を言うのではない、勇気を持って挑むことができる時が青春である」という詩がありますがこの秋山六兵衛氏訳の『車輪の下に』を読みまして青春というその意味がわかったとき、それがまさに青春の意義だと思いました*****主人公の優秀で利発な少年ハンスが勉強ができる故、村の期待を背負って好きな趣味もすっかりやめ頑張って、官費で神父になれる神学校にみごと入学してもまだまだその先があると、村の大人たちに叱咤され、せっかくの夏休みも返上で勉学に励まざるを得ない入学すれども状況は同じ「そうしないと車輪の下じきになる」と神学校の校長先生って、この状態が車輪の下でしょうに唯一の理解者の友人ハイルナーも神学校を脱走してしまい孤立無援のハンスはとうとう精神を病んでしまい学校を辞め、村に帰ってきても立ち直れなかったハンス「とにかく、真に天才的な人間にあっては、傷はたいていよく癒着し、学校のことはおかまいなくりっぱな作品を書き、後々になって、彼ら(型にはめようとした教師たち)が死に、時代の距りという快い後光に包まれたとき、それらの作品が、学校の教師たちから、他の時代の人々にすばらしい作品として、また気高い範例として紹介されるような人物になるということは、せめてものわれわれの慰めである。」などと、ヘッセが何気なくこの小説に挟み込んだ文章は、自身の青春を語ってやまないノーベル賞作家の言いたかったことと思いました
2018年09月14日
コメント(2)
「後味の悪い~」ということで、ブログにするのを迷った小説さすが吉田修一さん、登場人物たちの描写がうまいのでそこら辺にいそうだから、困るのだがま、わたしゃ化石化しかかっている昔の人間だから、まともすぎるかわからんけど登場人物が全員理屈なしに小悪い、というか、上面(うわつら)のみで生きているどういうことかというと(ネタバレになりそうだが)あるきっかけでシェアハウスしている5人の若者たちのお話その人物たち杉本良介・・・大学三年生、実はほとんどストーカーまがい恋愛大垣内琴美・・・無職、実は人気俳優の秘密の恋人業相馬未来・・・イラストレーター、実はアル中寸前小窪サトル・・・男に男を売る仕事、実は空き巣ではない侵入魔伊原直輝・・・真面目な普通の会社員、ところがとんでもない人であったそのとんでもないことが気持ち悪くなったんだけど5人は実に和気あいあいと暮らしている上手に生きるには「なりたい人物像」を演じていくのが一番!とかなのか?
2018年09月11日
コメント(2)
『最後の一葉』は昔の教科書に、有名な作品ですからよく知っているような気がしておりましたが情緒たっぷりで、もっともっと激しく、わたしの中でふくらんでおりましたたぶんそれはリライトが、ドラマが、盛り上がりを大きくしていたのでしょうかページ数にして11ページ、こんなに短かったのですね簡潔な文章、とくに売れない絵描きの老人の描写のあっさりしていることとくに嵐の夜に老人の傑作が生まれる情景はしつこかったそれに、だからか老人が努力したのに、肺炎の娘さんがあえなく死んでしまいましたという結末だったと覚えており・・・(勝手に操作してはいけません)今回280編余りの作品のうちの91編を新潮文庫、大久保康彦訳で読みつくし構成といい、意外性といいやはり名短編作家であったと改めて思った次第ちなみにわたしの好きな作品は『緑の扉』『馭者台から』『人生は芝居だ』『人生の回転木馬』『二十年後』意外性の裏側というか、意表を突いているのに普遍性なんだよなあ
2018年09月09日
コメント(0)
山本周五郎さんと対極にあたる「めおと感」直木賞受賞作、この短編集にある小説の数々に思いました「夫婦ってなんだろう」と突き詰めれば様々に答えが出てくるのですしこれが決定版とか、超現代の様相だからとか結論付けはありません池波正太郎さんは洒脱の中に深くあたたかい愛情司馬遼太郎さんはユーモアにくるんだ慕情そして山本周五郎さんは厳しいまでの自律を経ての愛情「めおと感」を時代小説として表した過去の作家たちを見て思うときはて青山文平さんの「めおと感」はかなり異色突き放されて、突き放して何が何だかわからなくなってくるのが現代っぽいというか、現代に即しているというのかつまり、夫婦をやっておりますとポロポロこぼれ落ちるものや、ボロボロになるものがあって両者とも「私が正しい」「私は間違っていない」になるんだとさそう言えば藤沢周平さんの「めおと感」は何だっけ?わたしは感知していないよう、わからない、残念というのも、周五郎→周平→文平さんの印象だから
2018年09月02日
コメント(8)
権力を握ったら権力者に欲が出る権力欲はとどまるところを知らず、腐敗する一握りの権力者の権力を保つために、多くの人々を虐げる恐怖政治国を挙げての息が詰まるような監視と密告制度の克明な描写読み始めのうちは「えっ!これって北朝鮮のこと?」作品が書かれたのは1949年、だから違いますね1949年に1984年を未来として想像したのですからその1984年もとうに過ぎて、超未来の現代にも当てはまる権力闘争基本は変わってないのですね小はスポーツ団体や各種の学会や官庁、国の機構・政治権力闘争のような、はじき出すような地域の中もっと言えば、このごろはネットの中でもいろいろあります、やってます暴言、讒言、揶揄、など言いたい放題の様相「自由は隷属なり」とこの小説の仮想国家権力のスローガンあながち間違いではないです自由・自立とは何か?と考えさせられた一書
2018年08月27日
コメント(4)
「多彩な名文を実例に引きながら、豊かな蓄積と深い洞察によって文章の本質を明らかにし、作文のコツを具体的に説く。」いまさらなんですが、これでも少しは勉強しようかと読んだからとて、教養は一朝一夕にいかず、才能は生まれつきにしかず第1章から第12章までのうち、いいなと思った章は第2章 名文を読め第3章 ちょっと気取って書け第5章 新しい和漢混淆文第9章 文体とレトリック少々乱暴にまとめると名作名文をたくさん読んで意気込みと勇気をもって今の日本語、漢字かなカタカナ混じりの、時々はローマ字もいれて言いまわしを選び、リズムをもって書くのだつまり何はともかく、本をたくさん、たくさん読めってことで丸谷才一さんの『文章読本』はさながら高級な読書案内でもありましたよ
2018年08月16日
コメント(5)
「息もつかせず読み切る」これがあれば小説は成功していますねただ、では「何だったのか?」が立ち上がってこないとすっきりとした読後感にならないのですよ釈然としないのが世の中なんだよ、といいたいのか『悪人』のきゅっと詰まった小説をめでたわたしにすれば贅沢だけど物足りないという気持ちもほんと ところで作者には申し訳ない話この文庫本は古本屋で上下とも108円で購入上巻を開いてびっくり、著者サインがあるではないか!印鑑もついてあるしねこんなこともあるんだ~~!!
2018年08月13日
コメント(2)
女探偵ヴィク(V・I・ウォーショースキー)のキャラクターで読ませるハードボイルド風活劇曰く等身大のキャリアウーマンウーマンリブ女性活躍大いに賛成差別反対すぐ発火する性格でバツイチ、子供なし、男関係自由ご丁寧に、家事嫌い強調ファッションに興味ありといえども、ままならないそれは働けど実入りのことを考えないため、いつも貧乏ま、女性が読めば面白いし、痛快なことは請け合いだ昨夜も半分徹夜してしまって『ガーディアン・エンジェル』を読了だから早朝の散歩をサボってしまった『ガーディアン・エンジェル』はシリーズの7番目今までののシリーズは『サマータイム・ブルース』(1)『レイクサイド・ストーリー』(2)『センチメンタル・シカゴ』(3)『レディ・ハートブレイク』(4)『ダウンタウン・シスター』(5)『バーニング・シーズン』(6)『バースデー・ブルー』(8)『ヴィク・ストーリーズ』(短編集)上記をわたしも2002年から気長に読み進めているのだが下記のようにまだまだ続いている『ハード・タイム』(9)『ビター・メモリ』(10)『ブラック・リスト』(11)『ウィンディ・ストリート』(12)『ミッドナイト・ララバイ』(13)『ウィンター・ビート』(14)『ナイト・ストーム』(15)『セプテンバー・ラプソディ」(16)大体こういうものは必ずマンネリになるのであるここらへんでやめるかどうか思案しているでも、夜更かしするほど面白かったのは確か
2018年08月05日
コメント(2)
「ダルタニャン物語 3」あの「三銃士物語」完結から20年後の物語です。少々古めのエンタテインメントですが前編の「三銃士物語」つまり「ダルタニャン物語 1 2」が面白かったので、引き続き購入して、でももうかれこれ30年近く放ってあった本なんですよ。きっと、完結しているのになんだ?という気持ちがあったのですね。物語は40代(今の60代ね、たぶん)になった三銃士たちはそれぞれが悠々自適に暮らしていてひとりダルタニャンだけが宮仕えしている。再び一旗揚げたいダルタニャンはみな(三銃士たち)をいっしょにと誘うが・・・なんだか変、それぞれ、考えも違うし方向が違ってしまっているのですね。当たり前です、そう、定年後の一旗揚げは若いころとは違うのです。爆発的に人気だった「三銃士物語」に気をよくして柳の下の泥鰌の二匹目を狙ったのですね。やはり、二番煎じは免れませんよね。でも、そのことと相まって当時、三銃士物語はヒーローたちも若かったし、読んだわたしも今より若かった。今から思えば若々しいノリの冒険が楽しかった。なんだかうら寂しい経過に思うのは、あきらめに近いやり直し。しかし解説によると、この本が出版された19世紀では再び人気作品だったとか。さすがデュマ、恐るべし。
2018年08月01日
コメント(0)
不思議な魅力の短編集を読みました。その内容も創作であるのか、随筆風なのかはっきりしません。一応「アメリカの鱒釣り」を探す物語っていうテーマはあるのですけどね。釣り人でしょう、なぜ鱒なんでしょうね、アメリカ人は鱒釣りが普通なのか?訳者藤本和子さんの解説に「鯨ではない、鱒なんだ」とありましたのがヒントになりましたが。メルビル『白鯨』の広い海での大きく勇猛なたたかいではなく、川釣りの穏やかさというか、限られたなかでの比べれば小さなたたかい。でもそれも失われていく・・・。まあ、いろいろ意味づけはできるでしょうが、ぼーっと読むにはうってつけです。ちょっと俳句の解説のようにも取れました。芭蕉の句「古池や かわず飛び込む 水の音」の読み解きを思い出しました。
2018年07月28日
コメント(0)
和歌山毒カレー事件はもう20年前のことになるのですね。ちょうど今頃でした・・・。今でもそうですが、マスコミは熱していましたからいろいろ情報が錯綜してこの小説を読んでいると、わたしでも昨日のことのように思い出します。この本の前半、カレー事件とは別の彼女が起こしたとおもわれる保険金詐欺が次々と明るみに出てくる描写には、今でもそくそくとしたおぞけがきます。現在は死刑囚女性の心の暗闇に一歩でも近づきたいと思う著者の執念迫力を感じますこの本の語り手は、ひ素はもちろんいろいろの毒物の研究をしている、臨床医でもある教授、難しい医学的専門用語、毒物の種類、過去の事例を引いてリアルそのもの。実際に事件を下敷きにしてのそうさくは「彼女がなぜ毒カレー事件を起こしたのか?」グイグイ迫るエンタテインメントで、一気読み請け合いです。わたくしの見るところ、あのカポーティの『冷血』に迫ってます。 「心の闇」彼女(林眞須美死刑囚、この本では林真由美)は頭がいい人だとは思います。悪知恵が働くというのとも違うのでしょう。ただ、実際に手を下したと思われるのが、あさはかというか病気というか。そんなこと言っては何ですが、世の中、もっともっと悪いことをして平気な人はたくさんおりますね。毒を食らわば皿までも・・・おお怖い~~。
2018年07月24日
コメント(4)
昔流の言い方ですれば「娯楽小説」現代的言い方は「日本人によって書かれた中国三大古典のバスティーシュてきリライト作品」だそう中国の古典からとった「中国版女忍者の妻が、か弱き夫を助けるの巻」1966年の新聞小説で、この文庫本も2001年に再録だからか今頃読んだ私が悪いのか、その後の日本の作品に似たのがあってわたしも少しく読んでいるので、既視感に襲われた例えばこれってTV時代ドラマ「妻はくのいち」を見たものにとっては焼き直し感あの市川染五郎さんがはまり役でその印象を振り払うことが出来ない浅田次郎さんの『蒼穹の昴』に描かれる科挙試験時のすさまじき戦いぶりがそっくりとはいえ昔者のわたしはこっちが本家だと応援したくなる武田泰淳さんは『森と湖のまつり』を若いころ読んで、北海道、アイヌ民族を書き込んであって、印象深く好もしく思っていたのよこのような娯楽本も手掛けていらしたんだなあ
2018年07月17日
コメント(2)
映画なら見なかったと思いますが、18世紀末に生まれ、19世紀初頭20歳の美女が書いたという小説ならば興味ひかないわけはありませんところが、暑さも忘れるほどゾッとする怪奇な恐怖話ではないことむしろ、これは現代にも当てはまる事情ではないかと、そこに背筋が凍りましたねフランケンシュタイン青年科学者が人間に似た生命体を完成させるそれが怪物くん、フランケンシュタインが作った名無しの権兵衛解説にある通り、わたしも怪物の名前がフランケンシュタインと思っておりましたでも、フランケンシュタインが生んだようなもんだから、フランケンシュタインでいいんじゃないかそれはさておき、作品の生命体があまりにもおぞましいので(そこは詳しくは描写されていないので、想像で各自イメージする)製作者は拒否してしまう、つまり、捨ててしまうちょっと待って!仮にも人間に似た生命体だよ書き損じの小説や、作りかけの工作じゃないんだから・・・怪物くん見た目はひどい(おそましい)が掘り起こせば感性に溢れ、知性と情けを知る御仁あるきっかけで人間としての教養を積んでしまうそれではと人間社会で受け入れてもらいたいのがあだとなり本人の意向とは裏腹に恐れられますます孤立してしまう悲しさ生みの親にも嫌われ、誰も振り向かない、認めてもらえないそうなったときどうなるか?失意のどん底、復讐の魔物となるのか少々饒舌なところもありますが、三重構造の良さ語りてフランケンシュタイン怪物くんそれぞれの真に迫ったモノローグがグイグイと迫ってきます怪物とは「超現代科学技術のもう取り返しがつかない行方か!」との思いを強くしました
2018年07月14日
コメント(0)
過去、ヴォネガットは3作品を読んでいる『プレーヤー・ピアノ』『猫のゆりかご』『スローターハウス5』いま、このブログにある自分の感想を見てみると、どれも好もしくよろしい感触さもありなん、このもう最後の作品になるのかという、作者73歳か74歳発表の『タイムクエイク』やはり、なかなかの作物なり創作あり、随筆風あり、思い出あり、文学紹介あり幾層にも複雑化した構成の中に、いい年輪を感じさせる、その気持ちわたしたち年寄り(この本では「古手」といっている 笑)にはよくわかるのであるタイムクエイク(時空連続体)によってある時、詳しくは2001年2月23日、10年前逆戻りして1991年2月17日に戻ってしまい、やり直しできるのではなく、繰り返さなければならない日常になっていざ、タイムクエイクがストップしても、何をしていいか戸惑う設定人間繰り返しが続くと自分の頭で考えることを無くすしかも、随筆風の部分の2001年は作者の将来で、長生きするつもりで「そんな風に自分はこの世にいる」と想像するのであってこれもわたしがよくやる手(笑)いろいろ文学的な思い出やら、薀蓄もわたしにはおもしろかったですね
2018年07月10日
コメント(0)
先日、この本の冒頭と同じく『私にふさわしいホテル』すなわち「山の上ホテル」の近く、神保町を歩いてみて(時も同じ夏)「わたしにふさわしい街に帰ってきた」なんてね、悦に入ってるこのごろです。ほんとにどうしょうもないのが本好きのオタク、っていうような内容の作品です。売れっ子作家になるため、なんでもやる、なんでもありのエンタテインメントです。作者の柚木麻子さんがそうなさったとか、そうだったとは思えないのですが、ハチャメチャに苦労する新人作家の奮闘物語。軽くて面白かったですよ。ひとつ気になったことがありました。作家さんが作品についてのネット上の批評批判で落ち込むことがあるってこと。そりゃそうでしょうえね。ほいほい、わたしも遠慮なく書いてしまっているときもありますですよ。いくら「このど素人が!」って思っても気に病むのが人間。ネット上の勝手なおしゃべりは止まらないですから、むしろ「わたしにはこの作品は合わなかった」というオブラートの裏に「どへた!」があり、良いところの指摘にニンマリするように、ひそかに「わたしのどこがいけなかったのだろう」と考えた方が作家として成長すると思えるんですけどね。オタクって怖いほど知ってるひとでもあるんですもの。
2018年07月03日
コメント(0)
日常に忙しいといいつつも、暇を見つけては読書してしまうのが本好きのサガ5~6月と荷物を片付けつつ9冊・・・「信兵衛」さんの「読書手帖」に「面白いなあ、おもしろいなあ」との感想から「そうなんだ~~」と興味を持って柚木麻子作品を3冊ほど、そのひとっ『名作なんかこわくない』本好きは名作といわれている本たちがずらりと並ぶと、とても喜ぶのは間違いない「あ、これ読んだ」「名作かな?これ!」「うむうむ、まだ読んでないのがあったぞ」なんてね、チェック入れたりして楽しむ「キラキラもギラギラも、すべて名作に詰まっている。」なるほどね、しかつめらしく名作を解説していない、文章が若いし翔んでいる感でもって、なにかほのぼのしているおもしろさがある「へ!こんな読み方あるの」本好きわたしも別の読みどころを教えられたような気分例えば『ボヴァリー夫人』のところ、いきなりこうおっしゃる「あー、ファム・ファタルになって遊んで暮らしたいなぁ」「ファム・ファタル」・・・男性の運命を変える女性(ふうん、知らなかった)で、ボヴァリー夫人「エンマ」がそうだという夫や付き合ってる男性をわがままいっぱい、破滅させるひとでも憎めないひと、バカでミーハーなだけなんだだって平穏な暮らしは退屈なばかり、心からの充実はないからね、と作者がそうなのか、今どきの女性ってこうなのか(偏見です)世界は自分中心に回っている感が強いかな、それでいいんだけどねと、ちょっと趣の違う50何編かの世界文学、フランス・日本・イギリス・アメリカの名作案内あ、ドイツ文学がないふむふむ、あれはロマンと哲学に分け入ってるのが多いからなぁ、愉しくならないしやっぱり柚木麻子流文学案内だったので・・・
2018年06月28日
コメント(2)
瀬戸内さんの本は晴美さん時代のものがいいとわたしは思っているだから最近のものは読まないことにしているでも本好きの友人がドサッと貸してくれた中にあってパラパラとしていたら、つい引き込まれた91歳(現在は96歳)の時に書かれた『死に支度』って、ああた、充分お支度が出来ているのじゃございません?と言いたくなるような賑やかな身辺雑記風小説相変わらず達者、筆運び、文、構成、ボケてはおりませんま、晴美名義最後の作品『いずこより』の後編のような気もしないではないその作品をわたしが読んだのは1974年、その前年1973年に51歳で得度され寂聴尼になった華々しい記事などで随分喧伝されていたもうすこしひっそりとなさればよいのにとも思ったが興味を惹かれたのもほんと、わたしも若かった(33歳)そんな気持ちになるのはなぜゆえに・・・とさっそく自伝的小説『いずこより』を読んでしまったのだからその、週刊誌の記事のような人生遍歴はその後何度もあちらこちらで話されていて、もう珍しくもなんともないけど「子供を捨てて恋愛に走った」というその時はその率直な書きぶりに驚いた!『いずこより』わたしは来たのでだろうか?より「いずこへ」いくのだろうか?と思えるほどエネルギ溢れた小説だと感じた51歳の寂聴さんが91歳で『死に支度』へ来たのだろうかねでも、でも、この著書でもまだまだお元気なんだけど・・・
2018年05月05日
コメント(5)
知り合いにある宗教に入信している者がいる。何かにつけて、会話や行動をその宗教に結び付けるので違和感はあったが、性格がよく、むしろ親切でいい人なのである。わたしは仏教でも神道でもどちらでも構わない日本人的無宗教派。特にうるさく勧誘もしないし、普通の付き合いには差し支えない。ただ、終末思想をひたすら信じていてその宗教に帰依していれば、自分だけは生き延びると本当に思っているのには心底驚いたし、しかもその他の宗教ではだめだそうで、その自分勝手なその狭さがなんだかうそ寒い。そんなことを思いながら、松本サリンや地下鉄サリンテロを起こした「オウム真理教」とは何だったのだろうか?というテーマを採り上げた田口ランディさんらしい切り口の小説を読んだ。らしいとは、率直で分かり易く、歯切れがいい文章を書く小説家と思っているから。***サリンをまいた実行犯死刑因Yとの、10年を超える面会や手紙のやり取りの交流をもとに、私小説風に描いている。Yもこの作家の本が好きで、死刑因の外部交流者に望まれたのだ。死刑因Yを拘置所に面会すれば、穏やかで理知的でいい人なのだとわかる作者。それなら「オウム真理教」とは何だったのだろうか?なぜテロにまで走ってしまったのか?がわかるのではないかと作家は期待した。Yとやり取りを重ね、識者に会い、専門書を調べ、脱退者と行動を共にするうちに作家は「オオウム真理」に飲み込まれしまったかのようになる。かえって拘置所いるYに「大丈夫ですか、もう調べるのやめてください」と心配されるほどになってしまった。***また、私の知り合い話に戻るけれども、その人はあちこち身体が弱い。すぐ寝込む。アレルギー性も強い。初めはシックハウス症候群だった。その次は芳香剤に息苦しくなった。そして農薬の弊害を訴えだし、しまいには電磁波過敏症を言っていた。でも、電磁波なんて今やそこら中に飛び交っているからどーするんだろうと思った。第一その人はスマホを四六時中使っているのだ。ドリンク剤だの、石のパワーだの次々と怪しげな(とわたしには思える)対処を自分でしていた。そしてわたしもその内に症状が出るから、そのドリンク剤や効果があるという石をわたしにもくれる。わたしは「症状はないし、そういう石だの飲み物は嫌いだから」と断るから、もう勧めすすめなくなったが。その宗教の集会場に行くと具合が悪くなるようになって、行かなくなったのだけどつながりはほかの方法であるという、それがスマホのアプリなのである。それにそれにそのひとの宗教のお仲間は同じような症状の人が多いような話!!それって、ほっといていいのか?話半分に聞いているわたしでも本当に心配になってきて、「もしかして難病かもしれない」「きちんと医学的に調べた方がいい」とアドバイスするが、お医者さんにはわからないし、いい加減なことされるから行かないという。「ああ、これなんだなぁ」何かを信じるということは、その信じたものを外から見られなくなるということ。***『逆さに吊るされた男』というのはタロットカードの絵札12番の図柄だそう。その図柄はとても奇妙で二本の木に渡した棒に片足を吊るされた男、手も後ろで縛られて身動きできない。そんなにしていたら死んでしまうだろうに。「なのに、男はどこか楽しげ。まるで、自らが望んで吊るされているかのように。」(P145)作者はそのような意味で思いついて題名にしたという。この小説にはその他、あっと思うような、ひらめいたような解きあかしがある。松本サリンや地下鉄サリンテロを起こした「オウム真理教」事件は、カルト集団の行き過ぎた事件で、事件を起こした人々を処罰すれば終わり、ということではない。
2018年04月18日
コメント(7)
物騒なタイトルで気が引けるが、警察ものやハードボイルドはこうなる。舞台はニューヨークはセントラルパーク。その公園の森の中で事件が起こる。宙吊り人間袋詰めが三つ発見される(うわ!)おまけに幼女誘拐も加わって・・・。セントラルパークはもちろん新宿御苑より広いんでしょうね。森がやたらと広く、木々がうっそうとしている描写があり、いかにもおぞましいことが起こりそうな・・・さすがにニューヨーク!って、知らないんだけど。そこに登場して活躍するのはキャシー・マロリー=ニューヨーク市警ソーホー署巡査部長。知らんかったけれど、これシリーズもので10作目、4半世紀も続いているとか。このヒロインの波乱にとんだ出自やとっぴな性格がシリーズが進むにしたがってだんだんわかる仕掛け。こういう時、シリーズの最初の本から読みたくなるのがわたしだけど、解説にこのシリーズに限ってどこから読んでもいいとあったので、まいいか。クリスティのような清張のような古典に親しんでいる者にとって、場面の展開の目まぐるしさ、仕掛けの複雑さに慣れるまでが、ちょっと読みづらいけどね。魔術的文章に魅せられてっていうのとは(サラ・ウォ-ターズ『半身』がそうだけど)また違う。猟奇的事件の陰に「いじめ」や「家庭崩壊」「組織」「賄賂」「政治家」・・・など、どこにでもありそうなことをさらりと盛り込んで、読ませる。
2018年04月13日
コメント(0)
今年は桜の季節が駆け足で行ってしまいました。早く散ってしまった桜を惜しみつつ、源氏物語絵巻から取ったこの表紙絵が印象的な文庫本白洲正子さんの『西行』です。幹に対してちょっと桜の花房が大きすぎ、なんて写実的を言ってはいけません。桜といえば西行の「ねがわくは花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」だけではありません、というのが白洲さんの読み解き。漂泊、放浪の西行軌跡を歌に沿って追って自身も旅する。京都から吉野、熊野、東海、みちのく、果ては四国まで旅の紀行文のような趣。だけではなく、西行の心のひだに分け入るようなうたを次々と繰り出され「世の中を捨てて捨てえぬ心地して 都離れぬ我身なりけり」「行えなく月に心のすみすみて 果はいかにかならんとすらん」西行が白洲さんに乗り移ったような鬼気迫る著書でもありました。といっても白洲さんの文章はシンプルかつ端正で、味わい深くございました。この著書をお書きになったのが、昭和ももう終わりという時代、ご本人78歳ころ。そのこともわたしには感じ入ることです。
2018年04月08日
コメント(0)
副題「新撰組 篠崎泰之進 日録」葉室麟さん去年の12月にお亡くなりになってしまいました。実は本の貸借する友人が好きで読んだのを貸してくれるのと、夫が作者初期の頃好み、家に本があったりで、かなり読んでいます。(たしか、わたし葉室さんはもういい、といったような 笑)でも、もう作品は増えないのですね。司馬遼太郎さんような強い個性ではなく、臭みがないというのでしょうか、さわやかな人間観察なのにちょっとおかしみのある描写、真摯な筆はこび。この本の解説(朝井まかて)によると葉室さんも司馬さんに啓発を受けていらっしゃったそうです。「新撰組」という、映画に芝居に超有名な幕末の組織を近藤、土方、沖田というお決まりの登場人物が中心ではなくて、組織が瓦解する後半を篠原泰之進という人から見ています。あの幕末はほんとうに混とんとしていたのですね。武士社会が崩壊して、農工商の人々が武力修行して台頭できる世界。でもそれは弱肉強食、邪魔者は殺して自分が生き残るっていう世界でもありました。新撰組はそのモデルのような組織で、思想などあってないようなもの、結局権力欲に収れんし、崩壊の憂き目を見るのです。新撰組はちょっとアウトローな組織、と思ってましたが、幕末に一つの役割は果たしているわけで、作家が描きたくなるのも、もっともとわかりました。
2018年02月22日
コメント(0)
『渡良瀬』にすっかりはまって、続きのような(私)小説を読む。前作は冷え冷えとした夫婦関係が印象的で、小説を彩っていたと同時に圧倒された。ところがこの『還れぬ家』によると、その後、主人公は離婚したのだった。新しい妻を迎えて、この度はなかなかいい関係なのである。(私小説だから前作の続きすると)「えっ!」しかも、若いときに家出した生家は父親が心臓病と認知症がからみ、母親が困窮している。それをこの夫婦は助けているのである。妻にとっては苦労と思いきや、妻は賢く、和気あいあいと、協力しているのである。「ええっ!こういう展開?」と考え込んでしまうが、人間味にあふれその描写が妙に好もしいのでもある。時代設定が2009~12011年、舞台が仙台なので東日本大震災にも遭遇する苦難もある。ほんとに私小説というよりも実録のように思ってしまう。とにかく私小説であって私小説でない気がますますしてくる。もちろん、文学であるわけで、普遍を描いている。だから私小説であるということは関係ないのである。筆力の凄さなのだと思う。
2018年02月17日
コメント(0)
イワン・イリイチという裁判官が死んだ。その知らせを受けた同僚たちが、それぞれいろいろのことを考える。「空いた席に自分が昇進するかも」「その席を親戚の若い者に紹介できるかもしれない」「いや、席がずれて空席に自分が入れるかも」・・・イリイチの死を悲しむのではなく自分の都合のことばかり。同僚が弔問に訪れても、イリイチ家において未亡人すら現実的なのだ。お葬式の段取りだ、やれ手続きだと悲しんでいる暇がない。そして夫人から夫の死の苦しみを聞いて同僚の男は恐ろしくなったものの、それは自分じゃないのだと思う。「死は必ずやってくる。しかし他人の死はこわくない」あげくにあろうことか夫の死に際しての年金額を吊り上げるにはなどの相談も、しかし夫人がすでに調べつくしていることを同僚は見抜いてしまった・・・。何たるむきだしのエゴとエゴ!つまりトルストイが人間のエゴを、近代文学世界のレベルに乗せたのであって、なんとまっとうなしかし普遍的な気付きではある。先日のブログ「伊藤整『文学入門』より抜き書き」で「読んでいなかったか」と気になったトルストイの小説。なにしろ、伊藤整が人間のエゴをこれでもかと描き出すこと近代文学のお手本のような小説と挙げているし、光文社古典新訳文庫から新訳も出ていることだしと。『イワン・イリイチの死』は短い小説。この文庫には『クロイツェル・ソナタ』併収されてあり、これは若いころ読んでいたのだが、ストーリーをまったく忘れてしまっていたことがわかり、それも新鮮な驚き。トルストイの小説ではやはり『アンナ・カレーニナ』が印象深すぎということかもしれないし、『イワンのばか』や『人は何で生きるのか』などの寓話の方に気を取られたのある。近々(と言っても約10年前だけど)読んだ『戦争と平和』にも圧倒されている。(ところで、わたしの『あらすじ戦争と平和』のブログページ、アクセスがいつも多い、不思議だ。)『クロイツェル・ソナタ』「夫婦喧嘩にしろ、夫婦円満にしろ、夫婦間のずれはある」というこれも夫婦の普遍的事実小説で(簡単にまとめて、ちょっと乱暴だが)感想はまた今度。
2018年02月11日
コメント(8)
どこまでも私小説風だし、起伏あるストーリー運びでもないのに一気に読めてしまう不思議な小説。仇やおろそかには読めない文芸作品というか・・・。知らなかった!佐伯一麦さんの作品。たしかに若い頃はあのだらだら感が我慢できず私小説が嫌いで、世界文学を好んでいたのだからっていうのもあるけれど、佐伯さんは昔の作家ではない。年経て、私小説だってよく読み込めば文芸世界なのだとわかってきているし、文芸雑誌を読むほどにはなっていないけど、小説読みとしては一丁前のつもりだったが、まだまだ。帯に「私小説系の文学の頂点と絶賛された」とあるから周知のことだったのだろうが。文学評はともかく、ある点について印象深かったことを。主人公南條拓(電気工)と妻幸子との凍えるような不仲の描写が真に迫って悲しく、その原因が夫の小説にあるというのが切なかった。子供の健康を考え田舎に引っ越しして、そのために転職の苦労をし、でも、自分の技術を信じ工場の歯車になりながらも、懸命に仕事をしてまじめに働き、ちゃんと一家を養ってなお、家事を手伝う模範的な夫。だけど、思いやりがないのではなく、思いやれないのだから。彼が自分の世界を持って、自分の到達点を目指して知らず知らずのうちにそこに閉じこもってしまう。到達点とは文学芸の世界、小説の成功を願う。そしてその「私生活=実生活の文芸化」を書いて、その小説が傑作になり、小説家として成功する。でも描かれた家族・・・小説家の妻やまわりはやりきれないこともあるだろう。私小説家って因果な商売、あな恐ろしい。
2018年02月06日
コメント(2)
大雪が降ったすぐ後に東京で一週間過ごしましたが極寒、その冷凍庫状態に参ってしまい、すっかり風邪をひいてしまい散々でした。もちろん室内は暖かいのですが、原因は乾燥。コンクリートのマンションはしばらく住んでいないとカラカラに乾くのですね。と、ちょっと風邪の症状を軽視してました。こちらに帰ってきて熱が37.3度ほど出たので念のため、先ほど医院に行ったら、が~ん「インフルエンザ B型」とすぐわかりました!くすりをたくさんと、外出禁止令が出てしまいましたよ。おかげで、閉じこもって本はよく読めますが、要件が片付かないのでは困りますね。その点ネットはいいですね、うつしませんから。*****さて、タイトルの本について前にも書きましたように司馬遼太郎さんの歴史文学を読むと、他の方の歴史文学が「あれ?違うよ」と思ってしまう影響がありました。世間でも「司馬史観」といわれ、インパクトの強い個性的な作家の定評です。この磯田さんの新書『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』はそれを読み解いてくれます。司馬遼太郎さんは膨大な歴史の資料から独特の歴史を作った作家だということです。しかし、「司馬遼太郎を読めば日本史がわかる」というのは、半分は正しくて、半部は間違いです。(P5「はじめに」より)当然ですね。作家ですから想像力たくましく、そこに個性が照射されてお書きになったのですね。その個性というのが、司馬さんの戦争体験(太平洋戦争)で暗い青春を送った昭和の初期時代の記憶が色濃く影を落として、「どうしてそうなったのだろう」という疑問から明治維新期、そしてそれよりまえの戦国時代に起因を求めてさまよったのが司馬さんの文学になったという、磯田さんの読み解きです。そして司馬さんは昭和の時代戦争に突入していった歴史ものはお書きになれず(ならず)、遺言のようなものを「21世紀に生きる君たちへ」という文章で「小学国語6年下」(1989年大阪書籍)にもう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして”たのもしい君たち”なっていくのである。と書いて1996年21世紀を迎える前にお亡くなりになったといいます。あたりまえのことですが、明治維新期の無私の心で日本のことを考えた人々の史実からさぐりだされたのでしょう。それを考えると重みがあります。この本を読まなければ小学生向けの教科書は知らなかったと思いますので。
2018年01月29日
コメント(4)
歴史に名を遺した人物像を描くには、どのような作家がいいのだろうか?と、つらつら考えてしまう読後感であった。林真理子さんがうまく描けていないのではない。むしろ、そつなくわかりやすく読みやすかった。ただ林真理子流のつぼというか、らしさというかは感じられなかった。現代小説でのくすぐられるようなおもしろみがないのは仕方がないのか。歴史上の人物を描くこと、その人物に寄り添って、とくに女性ではわかりにくい人物を描くのは難しいと思う。ところで、わたしはこんなことも思った。いくら天才でも「こんな人、わけわからん」と思えるような人物だね、西郷さんてのは。でも、おおぜいの日本人に好かれているのでしょ。*****いち早く大河ドラマが始まる前に読んでしまった友人が例によって貸してくれたので、興味津々だったのだけど。
2018年01月21日
コメント(2)
ミステリー仕立ての警察もの。いわゆる孤島密室のハードボイルド風推理小説。大沢在昌氏の作品は『新宿鮫』で強烈な印象があり、次は何を読もうかなと物色中、新中古店で購入のを読んだ。外と遮断されている不便な島で事件が起こる、ってのは横溝正史さんだけではなくミステリー作家が一度は挑戦なさるので、平凡さは否めない。ま、ぜいたくを言ってはいけない。ストーリーが緻密であるし筆力があるから面白くて一気に読んだけどね。東京都の南海遠くの離れ小島、占領していた米軍から最後に返還された島という設定。そこへ警察を辞めた男が「保安官」として臨時雇いになる。この「保安官」を設定する島の役場がふるっている。いかにもアメリカン、けん銃片手に何か起こりそうではないか。南の島といっても人口900人の村社会。色欲、物欲、権力欲。島という狭い世間を渡るにゃ、うまーく調子を取って、丸く収めて知らぬ顔 。よそ者は最初からはみ出ている。事件が起こっても、情報(うわさ)が回るほどには真実が現れない。そこで正義の味方「保安官」の犯人探しが始まるわけである。パンドラの箱を開けるように、次々と意表を突く展開ではなくて、人間の営みがパンドラの箱のようなものだというのか。
2018年01月15日
コメント(0)
新春一回目の読書メモは『利休の闇』読了したのは去年大忙し大晦日の夜、寝床の中でした。作者の加藤廣さん、初めから作家ではなく実社会で活躍の後、75歳から書き初め『信長の棺』での堂々たるデビュー、歴史小説家となられた由。読んではいませんがニュースは知っておりまして、ある政治家が愛読書とおっしゃっていましたね。つまり、退職後作家で藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』の清左衛門の仕事を彷彿させます。しかも、この『利休の闇』お書きになったときは84歳になっていらした。この年齢に親しみを覚え、尊敬しますね。さて、「利休」はいろいろ小説に登場したり、たくさんの伝や論が書かれています。わたしも野上弥生子さんの『秀吉と利休』を読んでいます。ほとんど忘れていますから、比較ができないのが残念ですが・・・。茶の湯の師匠と尊敬していた利休を秀吉が、なにゆえに切腹を命じてしまうのか?これが作家の創作魂に火をつけるのでしょう。この本には「茶道とはどんなものか」も描かれています。茶道のたしなみのないわたしから見ると、七めんどくさい作法のような気がします。道を究めるのにも気質や出自も影響しますね、秀吉がだんだん離れていくのも道理かなと思います。それに利休が秀吉を嫌ったということもありそうです。嫌いは相手にすぐ響きます。これが加藤廣さんのたどり着いた利休の闇です。最初に自分を取り立ててくれた―自分と同じ長身で眉目秀麗な―信長に対する憧憬。その対極として短躯醜悪な秀吉への軽蔑がなかったとは言い切れまい。(347ページ)人間臭ふんぷんのいやらしさです。本当は秀吉自身にこそそれがあるはずなのに。「断捨離」の見本のような茶室、静謐な空間と簡素な美。到達した簡素美への驕り。あの有名な庭中の朝顔のつるを全部刈り取ってしまい、茶室に一輪の青紫色の朝顔が露も滴るように活けてある床。映像を思い描いても、人間臭さがいいのか、到達した清澄がいいのか、凡人は迷います。
2018年01月06日
コメント(0)
時代劇(主に江戸時代の)と言えばチャンバラがなくてはならない、と思っている時代劇好きが多いのでは?わたしはどっちでもいいけど、この北原さんのシリーズは剣劇がない。ただ、どうも女性作家のお書きになる時代物が好きではなかった。まだ読んでいない作家さんもあるが、平岩弓枝さんしかり、宮部みゆきさんしかり。なんだろうな?時代物に限って男女差があるというのも変だが、わたしは感じる。洒脱(しゃだつ)と剣劇がないとは気が付くが、それが時代物のすべてではない。叙情味あふれる繊細な情景描写が多くあるのは、大御所山本周五郎さんも、まして藤沢周平の世界も、ちょっと趣は違うが葉室麟さんにもある。そして、この「慶次郎縁側日記シリーズの傑作集」15~6巻も続いたものの傑作選集であり、その全巻を解説してあるので、お手軽かつすべて読んだ気になる、なかなかの本ではあった。もうこれは時代物ではない。シリアスな現代の世相や人の機微。ちょっと昔、マカロニウエスタンという西部劇があったが、そんな感じに似ている。現代が江戸時代にワープしたといってよい。そう言えばこの頃、映画でも、TVドラマでもそういうのが多い。そうしないと時代物が受け入れられないのかもしれない。昔の時代物でも書かれたその当時の思想が入るのだが、その入る現代がずれたということ。つまり、変な言い方だが昔が遠くなったということである。または、こちらがついていくのに大変だということかも(笑)
2017年12月24日
コメント(2)
副題が「慶喜と美賀子」にはなっているがヒロインは一人ではなく、最後の将軍・徳川慶喜の姿を「正妻(御台所)側」と「妾(側室)」から描いた一遍。明治維新で慶喜の役割は他の躍動したひと達にくらべると、薄い印象。殿様だからこそ果たした何かがあると、しっかり思わなかった。しかし、司馬遼太郎さんが『最後の将軍 徳川慶喜』をお書きになっているので、それを読んではいないが司馬さんが書かれるほどなら、何かがあるのではと短絡的な気持ちで読みはじめる。う~ん、人物像なら司馬さんにかなわないな、と読んでもいない本と比較してしまう。女性から見て封建時代の英雄なり人物なりを描くというのは難しい。大体、時代物が多い大河ドラマの主人公が女性になると失速するように、どだい封建時代の女性がくっきりと、歴史に足跡を残せるはずがないのである。無理があるのである。この本に描かれている歴史的事実はやっぱりおざなりに見えてしまう。林真理子さんはうまいストーリテーラーだし、女の気持ちをつかんで描ける。だけど、歴史を動かす何かを女性から掘り起こすのは難しい。この本が面白くないのではない。慶喜さんが維新後も生き延びて「大奥」ばりの女性を確保(笑)子供たちも多々残し(夭折しなかっただけでも13人)趣味多彩、新し物好きなど、知ってみればなるほどね、エネルギー溢れた人物を彷彿させるではないかと、それを我慢したやんごとなきお生まれの「正妻」
2017年12月12日
コメント(2)
済州島は「韓国のハワイ」とあります。ウイキで検索してみましたら景色がいいですね。韓国の高校生がその島へ修学旅行中、船の転覆事故(セウォル号沈没事故)にあい死者負傷者多数、日本でも大きなニュースになり知られるようになりました。朝鮮半島の先にある日本に近い小さな島、この書で知りましたが、戦前戦後を通して公式非公式「表裏取り混ぜて」、島民が日本にたくさん入国している縁があるということに、なるほどと思いました。東西冷戦下での国家成立に際して朝鮮半島が混乱、離れ島故の陰惨な闘争があり、虐殺事件が起こり、その中で作者が経験したことと、その後たどらなければならなかった波乱な人生の回想録です。常々、朝鮮半島が二つの国に別れなければならなかった経緯をたどる時、東と西に分かれて戦ったという単純なことではないとは思います。日本統治下、日本語で生育し自我に目覚めた時は日本の世界だったということ。そして18歳の時に日本の敗戦によって突然「解放」されてしまって戸惑う青年著者。この子供のころの記憶、詩人でもあるがゆえに切々と書いてある様子は読んでいて胸迫るもの。次第に朝鮮人としてアイデンティティを取り戻すも、東西冷戦下、本土(半島)から蔑視されている離れ島、島内は混乱状態になる悲劇。その辺の事情・事件が事細かく書かれているのですが、その様相はちょっと想像を絶するしつこい残虐さなので、人間の「ごう」について考え込まされます。闘争に巻き込まれ、官憲に追われた著者が済州島を脱出して日本に逃げてくる描写は不謹慎ながら映画のように迫力がありぐんぐん読ませ、しかし、その後大阪でいろいろ苦労しながらも人生をおくれたのはさいわいでした。幼いころの日本語教育、日本に逃げなければならなかったために日本に住み続ける葛藤。時の権力者の意向、政治によって国の方向性が決まるのは摂理。仕方がないこととはいえ、翻弄される個人。哀しみを覚えて読了しました。朝鮮と日本に生きる 済州島から猪飼野へ (岩波新書) [ 金時鐘 ]
2017年11月16日
コメント(0)
学校で習った歴史は羅列ばかりでめんどくさく少しも面白くなかった。年月が経って司馬遼太郎や吉村昭などの小説をたくさん読むようになるとすこぶる面白く、いろいろつながって日本の歴史が少しわかった気持ちでいる。もちろんフィクションもあるが、実例をなぞっているのだから全く違うというわけでもない。世界文学を読めば、部分的にでも飛び飛びの史実がわかり、それも目が開けたる気がする。世界を俯瞰するような小説はおめにかかっていない、だから想像するだけである。でも、近隣国の歴史は恣意的に知ろうとしないとおろそかになるらしい。近年いろいろと小癪な韓国(朝鮮半島)もしかり。中国の文化が朝鮮半島を通って日本に来たぐらいに考えている。昔のことといえば、百済・新羅と教科書の記憶もあるが、それ以上のものでもなかった。そして近代の日本の統治・併合くらいからのことはこの頃たくさん本になっている。このグローバルな世の中だからこそ、隣の国の歴史を知らないでどーする。そこでこの本、現職の高校の先生が教科書のように朝鮮半島の歴史を丁寧になぞってくれているので、頭の中を整理するのにちょうどいい。第一章 神話の世界と古代国家の成立第二章 統一王朝高麗と外敵の襲来第三章 朝鮮出兵と李氏朝鮮の盛衰第四章 日韓併合 日本の一部となる第五章 国家分裂と戦後の朝鮮韓国の歴史は異民族の侵入と中国への服従の歴史である。日本のそれと比べてみると、あまりに波乱万丈だ。大陸の勢力図が変わるたびに抜け目なく頭を下げる相手を変え、機嫌を取ろうと貢物を送る。それでも攻められれば島に逃げだして、地の利に頼る。日本との関係も利害関係が絡み複雑怪奇だ。友好関係を築いた渤海や百済のような国もあれば、倭寇をのばなしにしているとして攻め込んできた高麗のような国もあった。(中略)長年の友好国とは言えないものの、数百年の因縁がある敵同士という表現も当てはまらない。(作者「おわりに」より)海に囲まれた島国である日本と違って地勢学的に攻め込まれる運命は哀れ、気の毒でもある。だからこそたくましくも、一筋縄ではいかない国民性なのだろう。だからと言って日本はいい顔をしていたら、それこそ付け込まれる。世界は狭くなった。理解しつつも反面教師として筋を通し毅然と相対しなければならない。と、確認した読後であった。
2017年11月09日
コメント(0)
治らないと病気とわかったり、あるいは老衰してしまったら、生かすだけのための延命措置はしてほしくありません。いわゆる「尊厳死」を選びたい意思です。しかし、言っていても書面で宣言しておりません。そんなあいまいな気持でいると現在の医療制度では「尊厳死」は実行できず、超現代の医学的な「延命措置」で痛み苦しまないと死ねないというのが本書の趣旨です。過剰な「延命措置」や「点滴」はおぼれて死ぬようなのだと著者は言っています。「痛くない死に方」は「平穏死」枯れて死ぬのが一番いいらしいです。「老病死」の「苦」を現実として受け止めているわたし、でもだからと言ってすぐは死にたくありません。だから「尊厳死を希望する文書(リビングウイル)」を書いてても、どこまでも助けてほしいと思う気持ちもあります。矛盾していますねえ。姑の例があります。代々医者であった家に生まれたのでいろいろ知識がありましたので「日本尊厳死協会」に入り毎年会費を納めていたのをわたしたちは知っておりました。96歳で大腿骨骨折「寝たきりになります」と医者に言われ、本人も「もう死にたい」と言いました。寝たきりになればこの本にあるように結局延命措置を受けるようになるのでしょうね。そんな時はどうするのか?ちょうどまさにその時夫が眼のガンで入院、わたしは付き添っており忙しく、(本当は事情があって姑の主たる後見人だったけど)その場に居なかったのですが、義姉、義兄が話し合って、結局手術を受けました。96歳でリハビリ・克服(そこが姑のすごいところ)車椅子を使いながら105歳で亡くなりましたが、わたしがその相談の場にいても、それが「尊厳死の宣言」に相当するのかわかりませんでしたと思います。この本には遠くの親戚やその場にいない身内の「尊厳死」妨害もあるやに書いてあります。結局日頃から言っていても書いておいても、本人と身内とのコミュニケーションがうまくいっていないと、いい結果は出ないのですね。
2017年11月02日
コメント(6)
(ミーハーで申し訳ないが)佐々さんというとテレビで右的こわもてご意見番の印象が強い。元警察官で「東大安田講堂事件」や「あさま山荘事件」で采配を振るわれた方とは知っているが、その後、政府機関の危機管理関係に携わったのち、危機管理関係の個人事業に独立されてTVや講演や著作活をなさっていらしたのである。(まあ、そうだったのね オイオイ)政治をつかさどる人を「「政治家(ステーツマン)」と「政治屋(ポリティシャン)」とに分ける言い方があるらしい。佐々さんは『権力に付随する責任を自覚している人が「政治家」権力に付随する利益や京楽を求めてしまう人は「政治屋」と呼ぶことにしている』と定義している。そうして戦後から現代まで34回、絶え間なく代わった宰相を、近くからかかわった著者が滅多切りしている。誰が「政治屋」で誰が「政治家」か?尊敬できる人かできない人か?最終章にその34回の歴代内閣の列挙がある。(まあ72年間くるくるとよく代わったもんだ)わたしなどが戦後の見聞きした政治家方が登場してきて、臨場感がありわかりやすかったのかもしれない。特に『「第二章国益を損なう政治家たち」こういう、一部マスコミの喝采をあび俗受けするリーダーたちが首相や大臣を歴任したことは日本の不幸だったというしかない』などは痛快だ。小沢一郎、田中角栄、三木武夫、菅直人、加藤紘一、河野洋平、村山富市さんらのお名前が挙がっているのだ(よ。笑)政治家の良しあしばかりではない。ご専門の「危機管理」と政治の関係も重要な要素とはこの現代において説得力がある。ただし、ひとつ気になったことがある。佐々さんは『明治以降、今日に至るまでの日本の政治外交経済や治安を支える上で、士族や内務省出身者がいかに、その役割を果たしてきたかということである。』と最後に書いていらっしゃるが、その見方はお立場から(元士族のご出身)言わせているような。わたしは少し前に松本清張『史観宰相論』を読んでいる。明治維新以来の大久保利通から戦後の鈴木首相まで、言わば宰相の通信簿兼雑談感想。その続きのようにこの佐々さんの本は戦後吉田首相から現在の安倍首相までの閻魔帳である。両書とも宰相とはどのような人物が的確なのか、政治とは何かを追求している。清張さんの雑談は文章が専門的で固い感じで、佐々さんのは平明でわかりやすい文章、もちろん両書とも右だ左だということで区別していないところもある。佐々さんは辛口に批評していらっしゃるが政府機関に寄っているので身内的感があるし、清張さんはもちろん外部から批判していらっしゃるし立場が違う。清張さん『史観 宰相論』の最後にある『ーーこの「宰相論」を書いてきて想うことは、古来から結合においては部族的、政治的においては官僚政治であるという帰納である。』違いがあるからこそなんともおもしろかったのであるが、ある一定の立場からモノを見てはいけないということもわたしは肝に銘じた読後であった。
2017年10月15日
コメント(0)
本棚の整理に見つけた古いこの本(1980年初版本)処分しようとしたら、帯もそのままきちんとしているのに目が行き、読みたく思う惹句現代人のエゴイズムは愛をむしばみ、夫婦の心の交流をさまたげ、家庭の崩壊を招くことが多いが、この作品は女性の立場から、そうした問題を問い詰めた意欲作であり、作者の新しい分野をしめしたものだ。(文芸評論家 尾崎秀樹評)とあり、あれ?この文芸評論家尾崎秀樹(おざきほつき)さんて聞いたことがあるよ、と調べたら「ゾルゲ事件」の尾崎秀美(おざきほつみ)さんは異母兄弟という、ああ紛らわしいというか、わたしがモノを知らないだけストーリーは歯科医院の家付き娘(久子)がお婿さんを迎え、その夫となった男(信孝)は腕のいい歯医者、病院を成功させるが、どうしようもない女癖の悪さとドメスティックバイオレンス男両親が亡くなり、離婚しようとするが、病院・資産に執着する夫は聞く耳を持たないお嬢さん妻はたまらず家を飛び出して自活する夫はこれ幸いと若い娘(恵子)を家に入れ、子供まで作ると、舞台は東京なれど関係先に「松前、江差」など北海道が出てくるし、ちょっと三浦綾子さんを彷彿させるが、情景がリアルに展開され、読み応えがあったなぜかというと、悪いのは男だけではない家付き娘の打算、養子で育って不幸だった若い娘の打算三者三様、これでもかこれでもかとエゴの塊で誰もが救いようがないように描かれ、良き、かわいそうな人はいなさそうで誰もが悪いのでもなさそう安眠は訪れず、人間のエゴイズムはその人の死まで続くのだろうということなかなかおもしろい作家さんだなと思うけど、南部樹未子さんて誰?相変わらず文学好きなのに知らない作家の多いわたし作者の意欲作って?南部 樹未子(なんぶ きみこ、1930年9月23日 - 2015年5月10日)は、日本の小説家、推理作家。東京出身。本名・キミ子。武蔵高等女学校(現東京都立武蔵高等学校)卒。1959年南部きみ子名義の「流氷の街」で女流新人賞受賞。1968年から樹未子。主として推理小説を中心に執筆した。(ウイキペディア記事)ああ、ミステリー作家の意欲作なのねそういえばミステリー部分もあったが、たいしたことはない
2017年10月05日
コメント(0)
森敦さんといえば最高齢(62歳)で芥川賞を受賞したという印象、それは1974年のことでのちに(2013年)黒田夏子さんが75歳で受賞なさって記録が塗り替えられたそのことも話題になったすなわち、世に知られるのが遅いということであるそのような作家の作品は奥深いかもしれないという期待を裏切らない、森敦さんの『月山』を初読みでなるほど、ストーリの内容としても文章としても味わい深いのであった枯淡かな思えば、この物語の主人公の年齢はまだ若いらしい未だ生を知らず焉(いずく)んぞ死を知らんなどと扉に掲げて、実社会からの逃避して月山という奥深い雪山寺での極貧生活をやるなのに山の生活は生々しいような、霞がかかったような、にぎにぎしい有様ここもにも過去あり、現実あり、将来があると言えば月並みのようだが導入文章に魅せられるながく庄内平野を転々としながらも、わたしはその裏ともいうべき肘折(ひじおり)の渓谷にわけ入るまで、月山がなぜ月の山とよばれるかを知りませんでした。もちろん、作者森敦さんが若い時に文才を認められつつもその後長らく放浪生活をおくっていた作家だとの印象があるからこそ、どんな?なぜゆえに?という興味が湧くので、いやましに期待するところもある『鳥海山』のほうも同様の漂白旅路の果ての決算のような物語で名文でありながら、遅れて再登場というキーワードが後押しにもなれば、でないと書けなかったのではないかという作品であった
2017年09月16日
コメント(0)
ストーリーは52歳の男性、ガンが再発、治療の結果「残念ですが、もうこれ以上、治療の余地はありません」と若い外科医に余命宣告されてしまう「つらい抗生剤治療で命を縮めるより時間を有意義に」と52歳の男性「先生は、私に死ねと言うんですか」納得いかない男性「もう先生には診てもらいません!」若い外科医を恨みながら「ガン難民」になってしまった男性苦しみの果てホスピスにたどり着くまでを患者の苦しみ、医者の悩みを対比させながら、展開されるわたしなら?昨日見た再放送NHK「ドキュメント72時」「海の見える老人ホーム」の中でホーム住人高齢の男性がいみじくもおっしゃっていた「80代になっても気持ちは30代と一緒なんだよなぁ」「だってさ、みんな具合が悪くなれば医者に行くでしょ」その恬淡とした物言いが印象深い前ブログの長尾和宏『薬のやめどき』を借りた友人からこの本も拝借また、一緒に長尾和宏著『痛くない死に方』もあったので、友人一連の関心がわかる
2017年08月06日
コメント(0)
全479件 (479件中 251-300件目)