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※ 11月2日から静岡大道芸ワ―ルドカップ9月29日しいちゃんのアトリエ舞踏 495一年中ちりめんじゃこめしええーっ そうだったの?一年中ちりめんじゃこめし一年中ちりめんじゃこ飯を食べている。いろんなちりめんじゃこが売られているが甘みの少ない乾いたじゃこが好き。たいがい成城イシイで京都の老舗か瀬戸内の県の瓶詰を買う。デパートの京都物産展で試食して買うこともある。決めても店が続いておいてくれないことがあるから、その時は瓶の外から判断する。買ってきたら、次にこれも京都の黒山椒をたっぷりと混ぜる。蜂蜜を少しだけ加える。これでマイ・チリメンジャコのできあがり。もうひとつ和歌山の自然チソ漬け小梅も常備菜。この二つと季節の野菜の糠漬けで、おかずは足りてしまうのですが・・週一配達される野菜と果物を消化し、これも好きな肉と魚料理が加わります。甘いものも好きです。これでは太ります。健康のために痩せるのがいいのですが、やめられません。食べることくらいが老人の楽しみなんですか。※ 中野信子ええーっ そうだったのか努力しよう。努力こそ目的への近道だとみんな思ってるよね。なせばなるとも、、ところが努力が人間を駄目にするなんて本が売れているのです。能科学者の中野信子の「努力不要論」簡単に言えば、楽しくもないのに見返りを期待して苦痛な努力をして恨みを溜めこむなら、やめたほうがいいと言うのですが・・暮らしの糧を稼ぐには、わかっていても苦しい努力をやめられないのが庶民ですよね。努力は報われると思っている人はダメで、だいたい努力だ努力だと思っている人はとんでもない感ちがいで努力の見返りを求めるから、挫折して上司を恨んだりするのだそうです。最後に「真の努力は努力をしない努力」だと書いてあるんですね。自分の好きなことを本気でやれと言うのでしょうか。わかったようなわからない本でした。老人は有難いことに毎日好きなことだけして生きていられることに気づきました。なんという幸せでしょうか。感謝して生きてまいりたいと思いました。
2017年09月25日
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※ 品川宿場まつり9月25日しいちゃんのアトリエ舞踏494橋之助改め芝翫襲名公演駿府城公園ジョギング・パラダイス橋之助改め芝翫襲名静岡公演中村橋之介が八代目中村芝翫襲名披露公演が静岡文化会館であった。公社全国公立文化施設協会主催の全国ツアーの西コースまづはめでたい「猩々」人語を解し水中に住み、赤髪赤顔した人間のような容姿で酒を好み無邪気に舞い戯れる靈獣猩々を素材にした舞踊。踊る尾上松禄と芝翫息子の橋之助福之助。三匹が酒壺から扇の盃で酒を汲み飲むわ飲むわ・・・それだけの踊りだが、なかなか愉快だ。続いて口上、中村梅玉がズラリ並んだ一門の紹介をする。末の息子は高校生で参加せず、長男橋之助、次男の福の助が挨拶。最後に芝翫の口上。襲名披露とあってひときわ拍手が盛大だった。人気のあった人形浄瑠璃からとった「熊谷陣屋」源氏と平家の戦の話だが、登場人物が多く複雑でセリフのない役者はただ黙って座っている。これにはまいった。歌舞伎を見て奇妙なのは、セリフのない役者はただ座っていること。それはそれで歌舞伎独特の演出だろうが、もしかして今夜のご飯のことでも考えているのではないか・・などと不意に思ったりする。私がファンの壱太郎はたまたま動きのついた主役だったのか。ファンになれば黙って座っていても好き好きだから、かまわないのだが。やはり芝居はファンになって見るのが一番。9月の歌舞伎座の壱太郎は昼の部で祖父と組んで道行を踊るが行くことが観にいけなかった。舞台はファンになって観るに限る。そうでないとチケット代が高い。昼の部は満席、ホールを出ると夜の部の客が並んでいた。歌舞伎地方公演も人気が出てきた。和服の女性客も多かった。一言で言う芸術はみんながご飯が食べれれば、なくてもいいようで、実はなくてはならないものだろう。考えると後の世に庶民の暮らしや文化を伝えるものは文芸、音楽、舞台、美術、などの文化によって残され伝えられる。※ 緑濃い駿府城の堀を巡る路駿府城公園ジョギング・ラダイス朝の駿府城の内堀に、涼しくなってランニング族が増えてきた。私も土日帰った息子と涼しい朝のうちに鳩に豆をまきに、ひとまわりするが服装も走る格好もなかなかのベテランやグループにいっぱい出あう。一周1キロだったか、距離がわかるので堀の景色を見ながらみんな楽しんでいる今年は市も体育館の横に走る人たちのためのシャワーは分からないが着替え室や休憩室、ミーティングルームを計画している。市内のいくつかの緑地公園にも企画中。お金のかからない好きな時にでき一人でできるランニングは、健康増進にいい。老人には、ゆっくり散歩のできる街をつくってほしい。遅れて咲いた公園の土手の赤い彼岸花か゛今年は最高。こんなに土手が赤く染まったことも珍しい。彼岸花が咲かないと思ってると、ちゃんと咲くんだよねとなんだか毎年言ってきた気がする。今、家の狭い庭にほんの五、六本だが赤と白の彼岸花が咲いてた。折らずに楽しんでいる。
2017年09月25日
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※おわら風の盆9月22日しいちゃんのアトリエ舞踏493ユニクロの抽選大会城下町駿府に民謡がないユニクロの抽選大会駅ビルのデパートにユニクロが開店しました。帰ってきていた息子と、伸びるジーパンを買いにいきました。三連休の中日の日曜とあって客がいっぱいです。すごく広くてどこに何があるのか迷いそうです。ようやく裾上げを頼み待ち時間に6階のチボーでお好み焼きを食べました。お好み焼きはけっこう好きです。ジーパンを受け取りお金を払った時もらった抽選券を引きに店の広場に行くと行列になってました。みんな抽選場の横の段ボールの中の駄菓子のようなものを貰っていました。私の番です。箱の丸い穴から下の方の真ん中から二枚取り出しました。係のお兄さんが券の番号をみて、チャリンチャリンと鐘をならしました。「おめでとうございます。一等賞です」と言うではありませんか。なんと、ユニクロの抽選の一等にあたったのです。係の人が賞品をとりにいきました。初日はじめての当選で、用意がしてなかったのか待たされました。のしのついた封筒を渡されました。中は駅前のホテル9階のイタリアンレストランのランチ券二枚でした。このあいだ食べたのですが、なかなかおいしかった店です。わーいわーいと喜びました。が買う予定の6億円宝くじの運を遣い果たしたかもしれないと思ったのです。欲張りなものです。10月は私の82歳の誕生月です。ユニクロの素晴らしい贈り物に感謝です。誕生日には生まれてきてよかったと、いくつになっても思いたいものです。※ 駿府城公園の家康像城下町駿府に民謡がないタイトルの通リ当地駿府には民謡がありません。なにしろ雪もなく暖かな家康公の城下町だった静岡市は年間晴天率全国上位、一年中働きづめだったのか民謡も盆踊りもありません。「夏も近づく八十八夜」の歌は明治になって作られた国民唱歌です。休みと言えば正月と盆と4月の浅間神社の二十日祭後は10月のお日待くらい・・全国一人所得がずっと東京、名古屋、静岡と三位なのですがよほど働く土地柄なのでしょうか。岐阜の小さな町郡上八幡の月夜の盆踊りに行った時稲も実り解放感に夜通し踊る広場に、踊り子の汗でもやがかかるのです。 昔はそうして長い長い冬にはいったのでしょう。一年の季節のコントラストがはっきりとして雪に埋もれて家に籠る冬は長く、夏の日は短く盆踊りにエネルギーが爆発するのでしょうか。民謡もない働き者の静岡ですが、少しさびしい気もします。
2017年09月15日
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9月12日しいちゃんのアトリエ舞踏492デパートの化粧品売り場の変締切りデパートの化粧品売り場の変お気づきでしょうか?デパート一階の化粧品売り場の、内外メーカーのブースの大きな女性ポスター写真の変化を・・まず一年中同じ写真だったのが、モデルは同じですが時々そのモデルの表情が、よく見ると変わっていること。なんか以前より不機嫌な顔だったり、悲しそうだったり挑戦的だったり、悩みがありそうだったり・・人形ではない今を生きている女性の顔なんですか。特に目が表情豊かで、人形のように美しいだけではなく個性的な写真が多いです。だいぶ前からメイクは唇よりも、目を強調するようになってましたがマスカラやつけまつげやエクステーションの進化で一般女性も女優なみのアイ・メイクができるようになったのですか。世界的に女性が外に出て働くようになり男性に守られていた時代から、働いてもっと自由に生きていく時代に移ったからでしょうか。美しいいことは生きる武器になると、女性が気づいたのかもしれません。それにしても、老人の私には関わり合いのないことでした。今日も往復歩いてデパート一階化粧品売り場のポスターを眺めエスカレーターで地下に降りて、一人分の惣菜を買って帰ってきました。※雑誌の対談をする檀密と又吉締切り頼まれもしない原稿を、勝手に書いてきた書きたがり屋にとり締切が、今も私の書くしかけです。と言うか、作家も素人も締切がなければ、一行も書かなかったかもしれません。日記にしても、今日のことを書き止めると言う締切があります。コンクールは、締切までに書き上げた原稿を送るのが規則です。もちろん何本もの締め切りに、追われるのが人気作家です。このブログも、読者の皆さんに読んで貰うために脳味噌にたまったことを書く、わたしなりの締め切りがあります。お陰様で私にはこの締め切りが、ほどよい脳味噌の刺激となっておりいつも皆様には感謝しております。お金を貰う仕事も、実は時間という締切で働いていると思います。何時から何時まで働くのもそうですが、コーヒー店のウェイトレスは、注文を受けてなるべく早くコーヒーを届ける時間の締め切りがあるでしょう。女性の結婚はいつでもいいのですが、出産を考えると締め切りがあるようにも思います。少子化時代はいっそ結婚と出産を切り離してしまうのもあり? 出産適齢期の女性が、二年の出産休暇と収入の保証現職復帰の権利をもち、生まれた子供も国家の子供として教育の機会も平等に与えられる。もちろん男性の結婚育児への参加は当然ですが、これもありと言うことで・・かつて父親の名をかたらず出産したフランスやアメリカの女優は今も現役の女優であり監督として、いい仕事をしています。とりあえず働く女性が旧姓を使う自由が法で決まりました。少しづつ少しづつ女性の希望が、通るようになるのでしょうか。おっと締め切りの話でした。自分の人生の締切りが迫っていたことを忘れてました。
2017年09月08日
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9月6日しいちゃんのアトリエ舞踏491夏のうちから秋が来て秋になっても夏がいる暮色 やなきじろう夏のうちから秋が来て秋になっても夏がいるまあ9月はわけがわからない、そんな季節だ。しかし確実に秋はやってきた。真昼間でかけると相変わらず暑いが、あまり汗をかかなくなった。あわてて帰りシャワー浴びて冷房に入ることもない。町内のご老人も、デーケアーのご老人も少し元気になったようだ。なによりも身体がホッとしている。久しぶりに近所のトラ猫が、相変わらず不遜な顔で路を横切った。こころなし痩せたようだ。「お前も毛だらけで暑かったなあ」と声をかけるとチラと振り返り、マイッタヨと言った目をしている。娘の家の死んだ猫は尻尾の毛が抜けたのが、病気の兆候だった。暑くて単に毛が抜けたのかと思っていたら腎臓と心臓が弱り、次の年の暮に家族に見守られた死んだ。みんな泣いた。今度のドナとレオナルドのために、主の留守中も部屋は冷房をしてある。猫も犬も環境がよくなりずいぶん長生きになったが、20年超えるのはまだ稀だ。家で飼った犬と猫が20年生きたのは、田舎暮らしがよかったのかと思う。母も104歳まで生きた。働き者の肉体がいかに素晴らしいかと言うことだろう。最近、80歳以上の女性は長生きをめでたいと思わないと言う統計が出た。私も80歳を越えているから、なんかよくわかる。どんどん身体機能が衰えていく。時間だけが伸びても、めでたくもなんともない。孤独はよくない、近頃人との関係が大切だと説く。年とって突然人との関係ができるわけもない。最後まで働いて死んだ頃は楽だった。しまいの心まで面倒みなくちゃならないから、今時の老人はうかとしてられない。暮色 やなぎじろうさっきからYはカフェの二階でスクランブル交差点を見おろしていた。人を待っているのか、時々冷えたコーヒーを啜るとフッと小さく溜息をつき、再び下の交差点の人の流れを見ていた。渋谷の街に暮色が迫っていた。いつもマリを抱いたチヤ子は、二階のYをみつけると嬉しそうに右手を振って、急ぎ足で交差点を渡り、このカフェにやってきた。Yは二階の螺旋階段の所で、チヤ子を迎えると白い毛玉のようなマリを受け取る。マリは嬉しそうにその黒い目をほそめる。それから二人は短いキスをして、窓沿いの長いテーブル席に座る。互いの手を相手の膝に乗せて、時々目をあわせて少しだけ笑う。二人はそうして長い時間を過ごした。いつもきまってマリはYの膝の上で眠りこける。「そうなんだよ。チヤ子。俺たちこれからどうしたっけ」Yは自分の出したかすれた声に驚いた。日はとっぷり暮れて、渋谷駅の電光時計は、ここにきてから二時間も過ぎた時刻をさしていた。相変わらず交差点のゼブラ模様に人波があふれていた。
2017年09月06日
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9月2日しいちゃんのアトリエ舞踏490ものからことへへびの恩返しものからことへ最近世の中の消費がものからことへ移っていると言う記事をよく読む。デパートの高級服は売れないが、夏休みの海外旅行をする人は増えた。芝居やコンサートチケットもよく売れている。東京にはニューヨーク、パリにつぐ数のホールがある。考えると、毎日とっかえひっかえ、着せ替え人形のように着替えてもすごい美人になるわけではない。懐具合はどうせ他人からは透けてみえているから、贅沢をしたところで浪費家だと言われるのがせきのやま。ものと違いことは消えてしまうようだがディナーやコンサート、芝居、稽古事や旅行、映画は実はしっかり心に残っている。物ではないことにお金を遣うことは、とても贅沢なこと。そして給料が少しもあがらなかった日本のサラリーマンのこの10年に物からことへの消費に、みんなの心が動いたのだろうか。少ない年金族の私はいつも古い服を着ている。30年40年前の服も着る。このことは老人だから我慢ができる。旅行は歩ければ家族が、年に何回か連れていってくれる。友人と食事したり、東京で娘と芝居やミュージカルやコンサートに遣うお金はよく効く心の栄養剤。思えばとうに物からことの人生を送ってきた。しかし、これはハレの日のことで、ケの毎日はごくごく平凡に老人らしい普通の暮らしをしている。この普通の暮らしが実は一番大切だと思っている。へびの恩返しこのあいだの暑い午後、横町のおむかえの奥さんがなにやら呼ぶので出てみると、30センチちかい茶色い蛇の死骸が車に引かれたらしくぺしゃんこになり道路にへばりついている。「なに これ?」と奥さんが私に聞く。「紐じゃないね。ヘビの子だよ」「やっぱり 土手の蛇の子だよね」「土手にかえしてやるといいよ」奥さんは気味悪そうに棒の先に子蛇をひっかけると、横町の突き当りの土手に投げた。道路に薄く黒く子蛇の死体の跡がついていた。夜雨が降った。雨で子蛇の後も消え、そんなことを忘れて三日たった。むかえの奥さんがまた、今度は大声で呼んでいる。「今1メートル半もある蛇が玄関の前にいて、なんとか隣の空き地に行ってもらっただよ」「ええーっ こわかったね」二人は少し青くなった。家に戻ってお米を一合研ぎながら考えた。子ヘビの死にガラを片づけてくれた人に母ヘビがお礼にきたのだ。するすると体をくねりながら、去っていった親蛇の様子が想像できた.蛇の黒いつきだして裸の目は、本気の目に見える。以前、土手に棲んでいた狸と、少し離れていたが目をあわせたこともある。私は律儀なヘビの棲む町に暮らしていることに少し誇りを感じた。
2017年09月02日
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