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3月1日しいちゃんのアトリエ舞踏458幸福の時差孤食と個食と※3月5日は駿府マラソンです幸福の時差今朝、布団の中でしみじみ自分が老人になったなと思った。別に悪い意味ではない。老人の幸福について考えたことだ。、母のぶんについて書けば、80歳から里の山の中で暮らした10年間が、ぶんへの神からの最高の贈り物だったろう。それは私にしても、平和な最高の10年だった。真冬は北斗七星が、前の山の頂に柄杓の柄を見せるとアッと言う間に山峡の空を渡り移動していく。私は寒い外に出て、地球の自転をしっかり体に感じた。夏の夜明けには、猫のピーをおしっこに外にだす。ピーの帰りを待つ間、庭先の朝顔のつぼみが左巻きの絞りをゆっくりと、開いていくのを見ていた。ゆっくりブルーの時を刻む朝顔の目覚まし時計・・春はのびるの好きな母と、近くの池の周りで食べきれないほど摘んだ。犬のプーも猫のミルミルも、幸せそうだった。そんな田舎の10年間が、私にも幸福の時だったと・・幸福の時差がとけて、過去と現在が混じりあい気が付くと幸福の中に私は生きていた。孤食と個食と孤食と個食はべつのもの。個食は食事の単位、弧食は孤独をかみしめて食べる食事のこと。それとは別に、とりあえず空腹を満たすひとり食もある。スマホがあっても人が恋しくなったら誰かと一緒に飯でも食べよう。人間おかしなもので、ずっと一人は何故かつまらない。たまには誰かと酒を飲み語り笑い、時を過ごせたらいい。最近,老人たちが街にくりだして、昼のレストランを賑わしている。この間は私が一人で小さなレストランでお腹を満たしていると、うしろの席で老女たちが若者のように、大声でよく笑っている。レストランや喫茶店で、うるさいのは近頃は老人のほうらしい。年金や蓄え、なによりありあまる時間、老人にはいい時代かもしれない。今年82歳になる私の世代は、さすが足腰も衰え病気も多く街に繰り出して、大口あけて笑う仲間も少なくなった。多分70代あたりだろう。女が元気なことはおおいに、いいことだ。店を出際に、ちらと振り返ったら、一番大笑いしていたのは中高同級だった友人だった。私は気づかぬふりをして店を出た。いやいや、82歳まだまだだと、家まで歩いて帰ってきた。
2017年02月26日
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゛2月21日しいちゃんのアトリエ舞踏457デカプリオとドナテッラ極まる季節が好きデカプリオとドナテッラ娘の家の猫のアラモが死んで、どのくらいたったろう。娘がボランティァの譲渡会で先週貰って来た生後五ケ月の猫の兄妹の写真をスマホに送ってきた。ちんちらのハーフ。なかなかの美猫だ。兄の名はデカプリオ、妹はドナテッラ。二匹なら留守番も寂しくないだろう。居間の段ボール小屋に表札かわりに、二匹の名前を書いてもらった。子供たちは大学で忙しい。親も仕事がある。人間たちはいつも頑張っている。いや頑張らないと負けると考えている。スペシャルの餌に大喜びし、遊び疲れて寝ている犬や猫を見ると、人間はなんだかホッとする。そんなに頑張らない犬猫にだって生きる哲学がある。今日のことは今日で終わる。明日のことをくよくよ考えない。ところで、夜中のテレビ討論会で、捨て犬捨て猫の殺処分の問題が出た。ボランティァ代表と代議士が、ドイツでは年間10億円の寄付金とボランティァにより、素晴らしい施設と100%の譲渡に成功していると言う。日本では20万円で可愛いい生後3ケ月未満の犬猫を街の一等地のショーウィンドウで見せて売る販売業者が乱立、売れ残りの犬猫と、捨て犬猫で8万匹が今も殺処分されていると言う。認可を厳しくし悪質な業者を減らすほかないと言う。そのことで私は、日本人が寄付に慣れていないことも一因だと思った。例えば、教育関連で寄付をするのは、自分だけ得をしようとすると一種の公平さに欠けると言う考えかた。独自の教育理念の私立の学園や大学が、寄付金を集めることで、経営が安定し、生徒に奨学金を出すことも出来る。例えば私はデーケアーに通っている。私はこれからの季節に空調が外の温度と、あまりかけはなれると体に不快感がある。外に小さな子機を置くと、室内のカレンダとー時計機能があるデスク型の親機に、外温と室内温度、室内湿度が表示される。それがあればデーケアーの全員が、快適な温度で過ごすことが出来る。値段は格別高いわけではない、その機械をデーケアーにつけてほしい。出来れば自分で買って寄付したいところだが特別の行動は禁忌の雰囲気が、スタッフにも通所者にもある気がしてできない。それでは介護法で国家が決めたことしか、施設がやれないことになる。日本人にあるこの不思議な潔癖感と平等感は,大口の寄付金は別として時に一般人でも出来るであろう寄付行為を阻害する場合がある。それでいて高額のワイロは絶えずニュースを賑わしているから不思議だ。NPO活動はお金と行動の寄付行為でなりたっている。二ユーヨークのセントラルパークが不況の予算不足で荒れ果てた時に,無料で働く市民とお金を寄付する市民たちが集り、世界ではじめてのNPOを作ったと聞く。アメリカでは寄付金が減税になるから金が集まり、NPO活動もさかんで、NPOから給料をもらい生活する人が国民の一割もいると言う。日本も、東日本地震での救援活動、近くの小公園の花植や掃除とか・・行政との協働も多い。例えば土手に桜を植えるには、NPO活動なら集めたお金は全額使えて人件費はゼロ。終われば解散もできる。小さな事業には効率がいい。地方自治体や国家がやるには税金を集め会議にかけ予算を決めて実行するまでに、お金はどんどん減っていく。その討論会で感じたことは、このあいだは小池さんも滝川クリステルさんと動物殺処分問題をとりあげているし、動物愛護後進国日本がようやくスタート地点にたてたか、ということだった。男前のデカプリオと、シャイなドナテッラに会うのが楽しみだ。二匹の写真をブログに載せようとしたが、失敗した。極まる季節が好き春と秋があまり好きでないと言ったら変ですか?理由は雨が多く気温が定まらないのが嫌なのです。暑い夏も寒い冬も外の用事を早くすませて、快適温度の部屋に籠る。この籠るのが意外と性格にあっているかもしれません。年をとるごとに、この癖ははっきりしてきました。好きな街歩きも、家を出てから二時間ブラリとして帰るのが運動。これでは徒歩数は一日五千歩あればいいほうで運動量が確実にたりません。食べるものはおいしいから、この年でデブです。今年、駿府公園の内堀1.6キロの道をマラソン道路に使ってもらおうと市が体育館前の土地に、着替室とシャワー室を作るそうです。朝晩や休日はここら界隈は、また賑やかになりそうです。今年は足がよくなって、土日に帰る息子と、朝の8時頃公園の鳩にパンをやる習慣が一年ぶりに復活しました。堀端の道を一人や仲間で走るランナーたちとすれちがいます。10年前から、ピンクのスポーツウェアーで何周もするすらりとした長い赤毛のポニーテールの女性ともすれちがいます。顔は、ブラインドでわからないのですが、こちらがのんびり歩きますから、二回か三回はすれちがうことになります。挨拶はしません。でも少しだけ走るスタイルが年とったように思いました。むこうも、しばらくぶりの私をみてオヤオヤますますばあさんになったと思っているでしょう。これからの内堀は、桜、欅通りの新緑、土手のつつじと、春爛漫です。寒い冬の間、12時に寝て8時に起きてましたが、そろそろセブン・イレブン・・11時に寝て7時に起きるようにしようと思います。
2017年02月17日
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2月17日しいちゃんのアトリエ舞踏456クラブハウスサンドイッチカフェンレスティークラブハウスサンドイッチ南の島の思い出とクラブハウスサンドは繋がっている。その海辺のホテルの部屋の窓は広く、木のすだれのカーテン越しに椰子の木と果てしない青い空と青い海が、目の前に広がっていた。このまま、ずっとここにいてもいいなとぼんやり考えていた。クラブハウスサンドとコーヒーを部屋に頼む。色の黒いボーイが小さなワゴンを押してきた。温かな焼いたパンにハムとレタスをはさんだクラブハウスサンド。香りの高いコーヒーは銀のポットにたっぷりと。このままずっとここにいてもいいなと、また思った。食べ終えていつのまにか長い昼寝をしていた。目覚めれば、海に沈みはじめた真っ赤な太陽をヨットが一艘ゆっくりと横切っている。夜がきた。仲間が海から戻って来た。少し涼しくなった外の空気が心地よかった。島から戻ると、私は居間のカーテンを竹すだれの特製カーテンに替えた。狭い庭もカーテンごしになかなか美しく見えたのだが夜になって部屋に電気をつけた。外に出てみて驚いた。部屋の中が丸見えであった。さっそく外し元のカーテンに戻った。今考えると、夜は布のカーテンと二重にすればよかったのだ。クラブハウスサンドの話だった。駅前のパルコ地下に新しい喫茶店治一郎がオープンした。珍しくクラブハウスサンドがある。さっそく食べてみた。なにかが違う。パンの焼き方やハムの厚み・・・今夜はあの南の島のクラブハウスサンドを懐かしく思い出した。 カフェンレス・ティー最近になって濃い茶を飲むと、眠りにくいようになった。いい茶は昼のうちに飲むことにして、四時すぎはほうじ茶や玄米茶にしたのだが、それも夜飲むとなかなか寝付けない。生まれてずっとバタングー睡眠の人間が、これにはまいった。デパ地下のお茶屋に相談をしてみると「ほうじ茶は棒だけにして、玄米茶は抹茶を入れないで作ってあげましょう。お客さんそうなると安いですが、いいですかね」安いに越したことはない。結局、四本で1200円払った。京都や奈良の人が棒だけのほうじ茶を飲むのが不思議だったが働き者だから、夜はよく眠るように、夏は暑いから沢山飲むように棒だけのほうじ茶が、その土地にあっていることに気づく。どんな時でもすとんと眠りに落ちていた私が,はじめて眠りに入りにくい体験をしたのだ。体をあまりを動かしてなかったのだろう。昼間にお菓子と一緒に飲む上等の緑茶が、格別に有難くなってきた。おいしいものはないのではなく、食べ放題飲み放題だからかも。制限をかけると、たちまちおいしいものが現れる気もしてきた。御馳走は欲望をセイブする演出が大切ってことかな。
2017年02月15日
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2月13日しいちゃんのアトリエ舞踏455➡多伊良一公短編倶楽部のご案内http://scorpionb.webcrow.jp/ NEW 豆本短編倶楽部 三篇 是非読んでくださいフーシェの宇宙靴が鳴る フーシェの宇宙今年のバレンタイン・チョコはなんと言っても、松坂屋地下のパリ・フーシェの宇宙だと思う。美しい水色の星地球、その地球をめぐる赤い火星、水星、木犀,金星、輪がかかる土星らが長細いボックスに並ぶ。もちろんお手頃な地球とあと二個の星の三個組だってある。まるで宇宙に飛び立ったように、とにかく美しいのだ。その松坂屋の五階のバレンタイン・チョコ特設会場はやけに地味だった。有名店もウィンドー一本で静かに展開していた。しかし、味で勝負するのかお試し攻勢がさかんで会場を出る時は、すっかりチョコレート気分になっていた。日本茶にもコーヒーや紅茶にも、大ぶりなケーキや菓子よりもチョコレートは実にあうのだ。日本人のイベント好きは、豆まきよりもバレンタイン。私がファンの嵐の大野君が学生時代、貰ったチョコレートは最高で4個だったそうだ。松純はなんとクラス全員だそうで、なるほどねと思ったのだ。そんなことを笑って言う大野君がますます好きになった。さて私はと言えば、よくケーキ一個買うデパ地下の地元のケーキ屋でナッツを沢山埋め込んだ大きな平方のチョコレートを三枚買った。渡す相手もいないが,美味なチョコを二月に会う友人にあげよう。フーシェのチョコは自分用に買って、はるか宇宙の旅をしよう。靴が鳴るおてて つないで野道を行けばみんな可愛い小鳥になって歌を歌えば靴が鳴る晴れたみそらに靴が鳴るみんな知ってる童謡だ。自然に飛び出した仲間の高揚感を靴が鳴るでいい止めている。なんと素晴らしい唱歌だろう。子供たちが放課後、熟と稽古漬けの現代ではとうてい考えられない平和でのどかな唱歌だ。今更失くしたものに拘り、ないものねだりしてもしかたない。せめて休日に、野山を歩き自然の春の息吹を子供たちに感じさせてやりたいと思う。静岡の春は早い。山や野の春はすでに声をあげている。歌を歌えば靴が鳴る晴れたみそらに靴が鳴る白のジーンズと白とペパーミントのコンビ色のスニーカーを買った。、準備は出来た。膝を痛めて五年、今年こそ歩く距離を増やすのだ。春が来た春が来たと靴を鳴らして歩くのだ。
2017年02月10日
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2月8日しいちゃんのアトリエ舞踏454老人力群れず競わず老人力老人の生き方指南書が新聞広告や本屋にあふれている。対象は老人ではなく、本を買い、将来に備える時間のある老人予備軍に説いているように思う。共通していることは、余分なことは捨てて自由に生きろと言ってる。脳のダウンサイジングだ。膨らんだ脳のキャパシティーを少しだけ小さくして、残った空間で快適に生きる知恵を説いている。一番目立つのは人間関係と物を整理すること。余分なことはしなくてもいい年齢に入ったのだからと。近くの家族や、親しい仲間と楽しくやれば、いいではないかと書いている。売れっ子老人作家の佐藤愛子の逆説的毒舌はさわやかだ。しかし庶民は生涯文筆で生業をたて、今も健康な老人の佐藤愛子と同じわけにはいかない。課長なんとかのベストセラー作家弘兼憲史も、60歳からの手ぶら人生を出した。持てるひとが捨てろ捨てろと言ってもなあと思う。何も持ってない人は、とりあえず欲しいものだ。まづ持ってそれから捨てるのが順序だ。庶民はなにもないから捨てるよりも、とりあえず一杯欲しい。 たしかに家の中はラクタガで埋まっている。捨てるにも体力がいる。とりあえずこの件はあきらめよう。さて次は脳味噌の中身だ。人間関係はコンパクトに快い関係を大事にしよう。つぎはやりたいことだが、夢が沢山ありすぎてすすまない。そうか。夢は夢でいいのか。佐藤愛子も死は希望だと書いてるし・・・少しづつ着地点が見えてきたぞ。そうだよこんなに生きてきて不幸だなんてよっぽど馬鹿だよ。もうずっと幸福でいよう。馬鹿な私を支えてくれる人たちに一杯一杯感謝して。群れず競わずわたしはこの人生で二度、はかりごとに落された。落すほうにも言い分があろう。が一人落とされるほうは逃げるしかなかった。もし逃げ道がなかったら、私は死を思っただろう。最初は30年以上前、親から継いだ商売の失敗だった。夫は酒びたり、私は病気がちであった。番頭の使い込みに従業員が続き、気づいた時は収支がつかなくなっていた。母と私は名古屋の問屋にかえって慰められ,暖かな人情を知った。その時、私はきちんと仕事ができなかったことを反省しこれからも、人間を信じて生きていこうと思った。今思うと母がかばってくれたのだった。そして二度目、もう母はいない。わたしにとりこの事件は実に深刻だった。ある企画展の開催を私は友人と二人で準備をしていた。会員ヘの進行状況の連絡を、私は友人がしたものと思っていた。ところがある日、突然友人は連絡を断った。開催日がせまる。企画展の準備は助っ人と二人で徹夜で整え、オープニングの朝となった。オープンの10時、友人は平然と会員を引き連れ会場に現れた。「一人でやれるつもりですか? それなら私たちは帰りますが」と、昨日まで仲間だと思っていた一人が私に用意された質問をしてきた。ようやく私は諮られたことを知った。「よろしくお願いします」と言うと 私は展示のための道具を抱えて外に出た。どうして会員への伝達を私は自分で確認しなかったのだろう。私の悪人像の噂はアッというまにひろまった。老師匠についてから三十年続けたその愛すべき文芸を私は捨てた。幸い書きたいジャンルはまだあった。その日私はどれほど生きられるか、群れず競わず自由に書いていこうと決意した。人生二度目の事件のショックを忘れるには、二年かかった。そんな事件はどこにも転がっているだろう。しいちゃんのアトリエ舞踏に一回書き残して忘れよう。最近、鼻歌を歌うと息子に言われる。やっと事件を忘れたんだなと思う。愚かな故のふたつの事件について、家族と親しい友人二人に語っただけで私は沈黙を通した。沈黙はけして金ではない。生涯、噂まみれの泥沼人生を生き抜く覚悟がいる。それでも貫くものがあれば、それが私の人生だ。
2017年02月08日
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2月4日しいちゃんのアトリエ舞踏453立春大吉湯島の白梅立春大吉駅前の御串神社の前を、三日の金曜七時前、たまたま帰ってきた息子と通ったら、境内にワイワイ人だかりがしていた。そうか豆まきだった。小さな舞台に撒き手がズラリ並び七時の開始を待っている。小舞台のまわりを善男善女がぐるりと囲む。七時豆まき開始。うしろでは豆が届かない。なんとか前にいったが拾えない。ぶきな私は浅間さんでも拾えなかった。一緒にいった友達がいっぱい豆を分けてくれた。どうして私は拾えないのかなあ。その夜もかぶっていた帽子上にあげて頑張ったけど・・駄目だった。うしろで見ていた息子が、飛んできて下に落ちたビニールの小袋入りの豆を拾って私にくれた。ありがとう。家に帰って少しづつ撒いて、残りは二人でわけて食べた。恵方巻はやめて、中トロのマグロを買って鉄火巻きで存分に食べた。今年は恵方巻、どの方角見て食べたの? 年寄りには太いからつかえちゃうよ。節分がすむと 春はすぐです。なんとなく明るい気持ちになります。※ お蔦役の初代水谷八重子湯島の白梅会うは別れのはじめとは、戦前の歌謡曲の文句だが猫や犬であっても馴染んだ相手との別れは、哀惜の情が残ります。新派芝居で先代水谷八重子の演ずる芸者お蔦は、白梅の咲く湯島の境内で恋人の主税に,師匠の娘と結婚するために別れ話を切り出される。「別れろ切れるは芸者のうちに言うことよ」といったん断るものの、主税の出世のためにお蔦は黙って身を引く。終幕、死のちかい病の床に臥すお蔦の枕辺を訪れた主税が言う。「お蔦許してくれ。もう一度二人でやり直そう」「うれしいわ」と涙を浮かべ、主税の腕の中でお蔦は息絶えます。泉鏡花の原作は湯島の白梅が舞台ではなく、後半は主税の復讐劇だそうです。美貌とかすれ声の初代水谷八重子の最後の舞台を、幸運にも私は観ました。このドラマの筋,どこかで聞きませんでしたか。そうデュマの名作をベルディーがオペラにした「椿姫」そっくりです。戦前,結核が世界中に蔓延した時代、沢山の小説が生まれました。泉鏡花のこの小説もそのひとつだったのですね。今、駿府公園は春を呼ぶ寒桜と白梅が満開です。本州一温かい静岡の二月は、うきうきするような光の春です。光の中にいると、なんだか明るい予感がしてきます。
2017年02月06日
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