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坂道は何処までも続き、僕は息を切らして立ち止まった。強気だったチョンソンもさすがに疲れたらしく「ちょっとその辺で休みましょうか」と言って、脇にある岩に腰を下ろした。「お城に住んでいた貴族とその家来たちはどうやって買い物に行っていたのかしら」「さあ、想像も付かないね、食料をたくさん買い込んでも冷蔵庫も車もないしね」「ちょっとポストにはがきを出しに行くのでも一苦労だわ」「ビールが切れたからちょっとそこまで買いに行くという訳にも行かないね」「そろそろ我らの城に向かいましょうか」と言って我々はまた歩き始めた。少し行くとガタゴトという音が聞こえ、「ほら、電車が走っているような音がする」と僕が言い「まさか」とチョンソンが鼻で笑った。もう少し行くと目の前が広くなり、小さな駅のようなものが見えた。ケーブルカーだった。どうやらここから頂上のお城まで乗せて行ってくれるみたいだ。我々は切符売り場の窓口に立ち「二枚ください」と言った。おばさんは黙って切符を差し出したがそれは子供料金のものだった。こちらではこういうことがよくある。どうやらアジア人の僕たちは15・6歳ぐらいに見えるみたいで、我々は有難く子供料金を払ってケーブルカーに乗り込んだ。窓から下に見えるライン川や町の景色はすばらしく、お城の三角屋根はどんどん近付いて来る。 つづく
2007.03.31
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レストランの店先に出されたパラソル付きの白いテーブルに着き、ペキンズッペ(トマト仕立てのぴりっと辛いスープ)それに鶏肉と野菜を広東風に炒めたもの、それに白いご飯を食べながらのんびりと石畳の広場を散歩する人たちを眺めていた。明らかに速度の遅い時間の流れの中にいると、日本という国の時間が異常な速さで流れていることに非芸術性のようなものさえ感じる。ここではこうやってのんびり座っていても、自分だけが置いてきぼりになるようには思わないのだ。「ねえ、ボンの駅に到着する少し前に列車の窓からお城が見えたのよ。ライン川沿いを走っている時よ。小高い山の上にあったわね。あそこに行ってみない?」「何という駅だろう、それにお城の名前は?」と僕はジャスミンティーを一口飲んだ。「お城が見えたら次の駅で降りればいいのよ、名前なんてどうでもいいわ、さあ出発」といってチョンソンはポシェットを手に取って立ち上がった。「はいはい、女王様」といって僕も立ち上がり、重い腹を抱えてまた電車に乗った。列車が動き出してから間もなくチョンソンは「あ、ほらあそこ」と山の上を指差した。我々は一つ目の駅で降り、お城までの道を誰かに尋ねようと人影を探したが、誰もいない。「まあとにかくあのとんがった屋根の先が見えている方向に歩いて行きましょう」とチョンソンはにっこりと僕を見た。「すぐそこに見えているようでも、あれは随分遠いぞ」と言ったが、彼女は聞いていないようだった。なだらかではあるが、永遠に続く坂道を息を切らせて上った。チョンソンはとても自然に僕の手を握り、我々は冗談を言い合い笑いながら上へ上へと歩いた。 つづく
2007.03.25
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薄暗い理科室の隅に骸骨の模型がある。それは小学生の僕よりも大きく、スタンドに釣られてゆらゆら揺れて、何とも不気味にいつもにやりと笑っているように見える。でも僕は彼に言い表せない魅力を感じ、時間があれば一人で前に立ってじっと眺めたり、手を取って匂いを嗅いでみたり、眼窩に指を入れたりする。僕たちだっていつか死んで焼かれれば骸骨になる。でもそのまま歩けて人格や体臭があれば気味悪くステキだなと思うと、それが何とも魅力である。彼と遊んでいると、死後の世界は必ずあると思えた。でも今よりも宿題が多かったり、つまらない授業をじっと座って聞いていなくちゃならない生活だったらいやだな。学校に来たって他に魅力を感じるものなんて何もない。僕は彼の体を少し揺すってみる。セラミックのカタカタと触れ合う音がする。そっちに行っちゃった君はどうだい、こっちにいる僕はまだずっとこのままみたい。2007年3月
2007.03.22
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フランクフルトからインタースィティーに乗り、ケルンの駅に列車が滑り込み「Koelner Wasser(ケルンの水)」の大きな看板を見ると帰って来たという思いでほっとした。長かった旅の仲間と別れて寮に戻り、荷物を置いてからお土産を持ってチョンソンの部屋を訪ねた。チョンソンは部屋にはおらず、キッチンで昼食の準備をしていて、振り向いて僕を見るとにっこりと微笑み「ハーイ」とフライ反しを上に上げた。彼女の笑顔は心に染みて懐かしく、旅行での緊張がすっと解けて行くのを感じた。僕の分も用意してくれた食事をしながらいろんな旅の話をし「私もそのおじいさんのすばらしいテノールの歌を聴いてみたいわ」と彼の声を想像するようにフォークの先を唇に当てた。外はちょうど寒くもなく暑くもない、ドイツではとても短い気持ちの良い時期だったので、「次の日曜日ボンにでも行ってみないか?」と彼女を誘ってみた。「いいわね」と彼女も言って、我々は日曜日の午前中から寮を出た。ケルン駅からDツーク(国鉄)で30分ほどでボンに到着。ケルンに比べると昔のままの小さな田舎町で、駅からかわいい商店街を抜けて少し行った所に大きな広場があり、その中心に白いベートーヴェンの像があって、その前に立って、この辺りをゲーテと肩を並べて散歩していたベートーヴェンを想像する。この町並を見ると、おそらくその時代そのままであろうと思われる。我々は少しその辺りを散策してからベートーヴェンの生家を見学しに行く。思ったよりは小さく、普通の庶民の家だった。そうこうしているうちにお昼になって、我々は先ほどの広場にあったレストランで昼食を取ることにした。 つづく
2007.03.20
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「草が昼も夜もその薄く細い葉で立ち続けているということに目を見張るまで何十年掛かったことだろう」とその詩人は言った。僕は庭にしゃがんで、伸び始めた憎らしい夏草を指でつまんでみた。言われてみればやつらは屈伏することもなく、薄い葉で天に向かって喜びの触手を広げている、しかもやはりそれは昼も夜もだ。驚嘆すべきことだと言えば確かにその通りだ。自分の中にそんな希望や信じる心の力、何にも寄り掛からず誇らしく立ち続ける湧き出るエネルギーが秘められているだろうか。踏まれ、吹雪に夢をそがれ、根っこから希望を引き抜かれて立ち上がれず、諦めて何かに服従してはいないか。手探りで洞窟の奥底に残されているかもしれない清水を探すような思いで、しゃがんだままその草を見ていた。シロがゆっくりとやって来て、その僕の前の草を嗅ぎ回ってから片足を上げて小便をし、もう一度自分のマーキングを匂いでから、一日の残務を取りあえずやり終えた郵便局員のような顔付きであちらへ去っていった。2007年3月
2007.03.11
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その昔パン笛を首から掛け、鳥籠を背中に担いで女たちに呼ばれ口に鍵を掛けられたり、重い石を持たされたりした。 おまえはとても誇らしく、この世で自分を確かめることが出来たりしたものだった。 でも今は幾らたくさんの鳥を捕まえたって誰も食べ物と交換しちゃくれない。 おまえ自身が変わり続けるしかなかったし、これからだってそうだ。 それでもそこまで時が無情に流れても嘆くことはない、おまえの鳥籠では様々な季節の鳥たちの美しい声が今も山々に木霊する。 今は何処に暮らすパパゲーノ、野山を飛び回り今も太陽を抱きしめるか。 2007年3月
2007.03.06
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最後にゆっくりとドアを閉めてノブを握ったまま息を止める。 この部屋で数年の間に起こった歴史、入って来て出て行った何人もの人々。 最後にはいつも僕一人がこの部屋に残された。 でも思えば初めて自分一人で切り開いて来た時間。 僕は思い余ってそのままもう一度ドアを開ける。 何年か前に入って来た時と同じように、からっぽの広い部屋の古い畳の上に午後の日差がイラストのない葉書のように、四角く去られる者の心の穴を縁取っていた。 部屋中にまだ染み付いた自分の匂いをなごりに吸ってから、ドアを閉め今度はためらわず僕自身に鍵を掛ける。 空っぽの部屋に今までになく大きなカチンという音が響いた。 2007、3月
2007.03.03
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女がやっとのおもいでその丘の上に登り、遠くに霞んで見える木立のような陰を見付けた時、朝の日差はもうじりじりと地面を焦がし始めていた。女はよろよろと歩き始めた。他に身を寄せるべき所もないのだ。しかしその木立は丘の上から見えたほど近くはなく、夕暮れになってもまだ木の陰さえ見えない。西日が砂ぼこりの舞う地面を照り付ける中、何度も足を取られ砂の上に転びながら霞んだ目で前へ前へと歩いた。女が身に付けているのはかつてバスロープだったであろうぼろぼろの布切れ一枚。裸足の脛に幾つかの消えかけた傷。砂まみれの髪を払いもせず、一歩一歩前に進みながら女は渇きを知らなかった昔のことを思い出していた。夫と二人の子供、たしか女の子と男の子。泣き叫びながら夢中でその子たちを殴っていた微かな記憶がふと脳裏を過ぎる。怯え切った彼らの目が、まっ赤に焼けた剣を背中に押当てられたような感覚として、胸に突き刺さったままだ。気が付くと辺りは夜になっていて、頭上には満天の星が広がっていた。昼間の熱を含んだ砂の上を涼しい風が吹き抜ける。前方に目を凝らすと一部分に集中して立っている木々が見える。木を見るなんて何日ぶりだろう。あそこには湧き出る水があるに違いない。最後の力を振り絞って、荒い息で木の根の所に倒れ込んだ。木は変色し、立ち枯れるのをただ待っていた。その向こうに見えた地面の大きな窪みに転がり込む。女の体が到着したのは乾いた砂と石ころだけの場所だった。水が存在した痕跡さえない。女はその場所で仰向けのまま大きく息を吐き、にぎやかに瞬く星空を眺めた。私は哀れな女なのだろうか。それともここがもともと私の行き着くべき場所だったのだろうか。もう渇きも疲れも痛みも感じない。心地よく星空が近付いて来る。2007、3月
2007.03.01
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