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・1.31.火 僕の姪(妹の娘、19歳)は、高校を出て、べつに成績が悪い訳でもないのだが、自分の意思で「大学に行くのは時間の無駄」と言い切って、今自分の興味のあることを研究したり、それを実行に移したりしている。 そのライフワークとは、無駄を省き、体に毒であるものを取り入れず、古いものから何かを学ぶというようなことであるらしい。 伝承する者がいないとされる沖縄の織物を学びに現地に赴き、鍼治療の講習を受けに関東に赴き、京都の町家再建の取り組みに参加し、妹(彼女の母)や母(彼女の祖母)が買ってくる食材やお菓子は裏の表示を見て、使用されているものが気に入らなければ口にしない。 放射能物質をを何十パーセントキャッチできるという布で家を除染し、服装はいつももんぺにリュックで自転車。 もちろん携帯電話は持っていないし、電子レンジは使わず、自分で調理する献立はほとんど精進料理のようなもので、何処かで学んで来た食生活を実行する。 家族にそれら自分のやり方を強要すると反発を食らうので、今や何も言わずもくもくと自分の生活態度を遂行しているという。 もちろん僕としては彼女の生き方に好感を抱くし、その実行性に頭が下る。 一人のこの若い女性が、どのようにしてそれらの「真っ当な生き方」に興味を抱き、今の物質社会に魂を奪われず、僕に言わせれば「未来へのパイオニア」を目指すこととなったか。 もし我々皆が勇気と興味を持って、彼女の目指す「真っ当な生き方」に踏み込めたら、きっと資本主義の輩に騙されぬとも生きていけるものを。 それに比べて、同じ家に住む彼女の家族の無関心といったら。 ーーーーー 幸福な人生 「まずいものを食べる」という趣味 私のブログに「私の趣味は、まずいものを食べること」と書いてあります。確かに、 まずいものというのは結構、美味しいもので、それだけで趣味になりうるとは思いま す。 でも、それは私の幸福感というのに深く関係しています。私のエッセイの一つに「愛 用品の五原則」というのがありますが、それが10年ほど前に高等学校の教科書に採用 されました。私にとっては生涯、忘れ得ぬほど名誉なことなのですが、そこに私が書 いたことは、 「人生を幸福に生きるためには、節約が一番だ。贅沢な生活で幸福になることはない 」ということで、「その一つに愛用品に囲まれたしっとりとした毎日」であったので す。 すでに、こんなことは古今東西の偉人が何度も言っていることで、わたしのオリジナ ルでもなんでもありません。お釈迦様は「中庸がよい」といわれましたし、イエス様 は「お金持ちより貧乏の方が幸福になる」と言われています。それを私は科学者なの で、少し具体的に考えています。 人という生物は「今の状態で満足できれば幸福」という性質を持っています。たとえ ば今から1000年ほど前の平安時代には、水洗トイレはない、瞬間湯沸かし器もないの ですから、汚い便所に座ったり、あかぎれの切れた手をさすりながら冷たい水で洗濯 をしたものです。 それに比べると現在はウオッシュレットつきの水洗トイレや蛇口をひねるだけでお湯 が出てくる生活ですから、平安時代は悲惨な生活のように思います。でも、その時代 、数年ぶりに豊作になって稲穂が頭を垂れている田んぼの横で、草むらに仰向けにな ってそよ風に吹かれている彼は「ああ、俺はなんて幸福なんだろう!」と思ったこと でしょう。 また、今から1000年後の人たちは私たちの生活を歴史の時間に学んで、「なんてひど い生活をしていたのだ!これでは奴隷のようじゃないか!」と驚くことは間違いあり ません。人間は、生まれてからの平均、ここ1ヶ月の平均が「平均」になり、それ以 上なら満足、それ以下なら不幸と思うものです。 ・・・・・・・・・ 金持ちというのは得てして不機嫌で怒りっぽいのですが、それは当然でもあります。 たとえば「美味しいものを食べたい」と少しでも美味しいお寿司屋さんを探すと、最 初は1000円、次は1500円となり、それが1万円ぐらいになると、次のお寿司屋さんも ほとんど差がないほどの味になります。つまり、「美味しいものを求めていくと、人 間の舌はその差を感じなくなる」ので不満がつのります。 さらに、加速の良い素晴らしい車を買うことができるようになると、いつも前の車が 遅いと言って文句を言っていなければなりません。それもたちの悪いことに前の遅い 一台を抜くと、さらにまた前に遅いのがいるではないか!! 私のような車好きの人間は、エンジンの音も聞こえない、排気ガスのイヤな臭いもか げないなら車に乗らずに、電車で行きます。車の良いところは、ガタガタ、ゴトゴト 、時々、故障して手を焼かすことだからです。 毎日、美味しいものは食べられず、車に乗るとイライラ、何もトラブルのない毎日・ ・・これがお金持ちの生活ですから、不機嫌なのは当たり前のことです。 ・・・・・・・・・ ある時、東京の大学の学食に行ったときのことです。大学の中に食堂が5つほどある のですが、その一つに「貧乏学生用の食堂」がありました。320円でたらふく食べ、 カロリーも十分なのですが、なにせメニューが特殊です。 「アブラ揚げ」と言ったらよいのでしょうか、見かけは鶏の唐揚げのようなものなの ですが、食べてみると、ころもの下は白い油の固まりなのです。つまり、「白い固ま った油」を「液体の油」であげた唐揚げ??です。そして、慎重に白いアブラの中を 探すと微細な1ミリぐらいの肉の痕跡を見つけることができます。なるほど、ちょっ ぴりのタンパク質と、大量の脂肪・・・これなら貧乏学生でもカロリーを取ることが できるという計算です。 学生と一緒にアブラ揚げ定食(正しい名前はC定食)を食べたら、その後は極楽です 。650円のサラリーマン定食、1000円のデラックス夕食、そしてホテルで3000円の食 事をする度に、極楽のように美味しい味を楽しめます。 そしてまた1週間後、私は学食に行き、油揚げをほおばります。そこでまた私の舌を リセットするのです。このような私の行動パターンは食事だけではありません。重た い荷物を持っておっちらと階段を上ったり、寒い日に雨に濡れたり、「不幸なこと」 は私にとってすべては「幸福の準備」でもあるのです。 「幸福とは不幸なことである」、「金持ちとは貧乏のことである」、「健康とは病気 のことである」・・・それらはすべて真実なのでしょう。 (平成24年1月23日) 武田邦彦
2012.01.31
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・1.29.日いつも思うことは、実際我々人体に放射能がどれだけ影響を及ぼすかという点である。「放射能を怖がり過ぎることを言ってはならない」という人の話に「広島や長崎の原爆で被爆しただろう人々でも、未だ元気に生きておられる人がいる。これをどう説明するのだ」というものがある。確かに大量の被爆をしても、全く何の問題もなくずっと元気に生きている者もいるようだ。ただ原爆以後、10年、15年過ぎて癌で死亡しても、それが原爆の被爆が原因と証明できないから、データとしては上がって来ようがない。そこを今の政府も心得ているのだ。ここからは僕の個人的な推測になる。まずどうやら被曝というのは、その人の腎(腎臓のことではない)や腎性の強さ、それに伴う解毒力の強さに関係があるのではないか。他にも、今の医学では分かっていない個人による被曝にたいする体の反応の違いがあるのではないか。ひょっとしたら、そこに自然放射能の高い地域と低い地域による、長い生活から来る対応能力も関係するかもしれない。それと共に、高度成長期辺りから急に増え始め、今や二人に一人と言われる癌発症率は、放射能が大きく関係していると僕は思う。「何故近年癌の人がこんなに多いか」という問いには、ほとんどの人が「現在社会のストレス」と応える。確かに観察していると、何かに深く悩んでいたり、仕事や人間関係の問題を抱えていた人が癌に見舞われている場合が多い。でもそれは最後の引き金であり、被曝によって痛められた腎性にとどめをさしたということではと僕は思っている。それに、一人の人生のどこを輪切りにしても、ストレスは抱えているものではないか?昔の人だって、今よりずっとストレスを感じる生活だったと思われる。お城でお殿様に仕える者のストレス、貧乏で明日の食べるものすらない生活のストレス、少しでも足並みを乱せば村八分に遭う恐れのある村での生活など。ただ江戸時代以前の病死の原因データはないだろうし、明治から近年までは、癌よりも結核、肺病の死亡率がずっと高かったから、これまたデータがないということかもしれないが。でもこのところ、突然20代、30代の若い人たちが癌で亡くなることも増えているように思えるし、それとこれまた増え続ける小児癌だ。もしこれらが1960年の1000回以上のアメリカ対ロシアの原爆実験、アメリカスリーマイル島の原発事故、チェルノブイリ事故、10年ほど前のインド対パレスチナの原爆実験、北朝鮮の地下原爆実験などが原因で増え続けている癌発症率であるとすればどうだろう。もちろん政府やマスコミが何も言わないことに信頼は置けない。以前誰かが巨大な隕石を地球にぶつけて氷河期を起こし恐竜たちをリセットしたみたいに、今回も原子力を与えて、もしくは発見させて、人の心の「利益を求める」という部分を利用して、人類のリセットを計っていると考えるのは僕だからだろうか。ということは、恐竜のときと同じように、人間の次の生物がすでに準備されているはずだ。要するに、その誰かが人類の観察に飽きたのだ。今我々は、せめて短いこの人生を楽しく充分な時間味わえるよう、子供たちや若い人たちからもその権利を剥奪しないため、あらゆる人災の危険を除去する努力を怠ってはならないと僕は思う。ーーーーーーー頭の整理・・・被曝と健康(3) 病気にならないために(鎌形赤血球白血症)端的に言えば、「放射線で被曝しても病気にならなければ良い」ということです。キュリー夫人がラジウムの崩壊を発見してから、およそ100年。レントゲン写真、原子力発電など人類は多くの原子力科学を「人間の人生をより豊かに、健康に送ることができるため」に使ってきました。その中には原子爆弾のような間違いもありましたが、それは間違いであって、原子力という科学が本来、目指しているものは「幸福と健康」に他なりません。間違えないようにしたいのは、原子力が目指すものは「電気」とか「兵器」ではないのです。・・・・・・・・・もしも原子力が電気を起こしたり、肺結核を検査することができるだけなら問題がないのですが、「放射線の被曝」というやっかいなものを伴うので、そのバランスが大切になります。そこで、「被曝と健康」という関係は原子力にとって最重要なテーマでもあったし、また今後もありつづけると考えられます。人間は約600万年前に誕生して以来、ずっと「自然からの放射線」を浴びています。なにしろ、太陽が巨大な原子炉ですし、宇宙のエネルギーのほとんどが原子力エネルギーですから、自然界に放射線があるのは当然で、人間はそれを浴びることになります。日本では平均して1年に1.5ミリシーベルトで、東日本は少し低く、西日本は高い傾向があります。これは放射線をだす岩石が西日本に多いからです。そのほかに宇宙線やカリウムの中の放射性同位元素などからも被曝します。世界では自然放射線が強いところがあります。極端な場所は別にして、古い岩石の多いところなどで高いところがあるようです。平均は1年に2.4ミリシーベルトぐらいになります。人間ばかりではなく、あらゆる生物はその環境で最適になるように体ができていて、それは自然淘汰で決まっています。たとえば、放射線にとても弱い生物はもともと地上で生きていくことができませんし、自然の放射線が強いところには「被曝に強い生き物」が競争に勝ち残りますし、放射線が弱ければ「被曝には弱いけれど、他の攻撃には強い」というような生物が残ります。・・・・・・・・・たとえば、有名な遺伝子障害(被曝が原因では無いと考えられているが)に「鎌形赤血球貧血症」という病気があります。この病気は遺伝的にヘモグロビンの異常があり、多くは30歳ぐらいで重度の貧血を起こして死亡します。だから、「普通の環境のところ」では鎌形赤血球貧血症の人はほとんどいません。30歳で死亡する人より60歳まで生きる人の方が子供を作るチャンスが多く、また社会の競争にも勝てるからです。ところが、マラリアが蔓延する地方(亜熱帯)では、この病気が多いのです。その理由は、昔はマラリアにかかったら25歳で死に、マラリア原虫(マラリアのもと)は鎌形赤血球の人には感染しないからです。つまり、鎌形赤血球貧血症になれば30歳で死にますが、マラリアにかかると25歳。そして鎌形赤血球貧血症になればマラリアにはならないので、25歳で死を迎えることなく、30歳まで生きることができるからです。両方とも哀しいのですが、自然淘汰というのは厳しいもので、25歳でマラリアで死ぬような地方では、それより少しでも長生きするチャンスがあれば、それが30歳で死ぬ病気でも、そちらを選ぶのです。・・・・・・・・・このようなことなので、日本人の場合、1年1.5ミリシーベルトまでの自然放射線なら「一応」安全と言うことができます。ここで「一応」と括弧をつけたのは、「自然にある放射線だから安全」というのは何の根拠もないということです.むしろ、厳密に言えば「自然放射線だから、あきらめる」と言った方が科学的・医学的には正しいと言えます。なぜかというと、生物の歴史は自然放射線や太陽からの紫外線との戦いでした。初期の頃の生物は空から降ってくる放射線や紫外線でガンなどの病気になり、抵抗力をつけていきました。そのような戦いの結果、今では「一応の人生を送ることができる」ということだけで、現在、1年に30万人の方がお亡くなりになっているガンのうち、どのぐらいが「自然放射線による被曝が原因」しているかは「医学的に不明」だからです。「不明」というのは「安全」とは違います。ヨーロッパの被曝専門の医師が言っているように、「現在のガンのある程度は、放射線によるものだから、医療用被曝も注意が必要」というのが本当なのかも知れないのです。つまり、「自然放射線だから安全」とか、「自然放射線が1.5ミリだから、それ以下は大丈夫」というのは医学的にも論理的にもなんの意味もないのです。仮に人工放射線が1年1ミリとすると、合計で2.5ミリになりますが、「1.5ミリの被曝が安全だから2.5ミリは安全」というのも非科学的です。政府の人が事故を小さく見せるために、放射線医療の専門家が放射線医療をやりやすくしたいために、新聞がよい子を演じたいために、「大丈夫だ」と言いたい気持ちはわかりますが、「自分の利益のため」ではなく「被曝する子供たちのことを考えて」発言して貰いたいものです。(平成24年1月26日)武田邦彦
2012.01.29
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・1、28、土今回の武田氏のブログでは音声で説明しているが、これは僕には大変腹立たしいものである。「福島原発が爆発した原因と対策」と銘打って話を進めて、何故福島原発が壊れて今回の事故に繋がったか、何が手薄で、何を見直さねばならないかをまとめたものである。最初はその科学的見地と関係者の考え方の間違いについて語っていたが、少しずつ話が「もし原発を再開するなら」という話題に傾き、そのうち熱が入って「安全な原発を作り、津波の来ない多摩川や木曽川の上流、または琵琶湖の畔に建設するのが一番」と提案し始めた。この話はどう聞いても「例えばの話」というふうには取れない。「汚い廃液が流れ出る」としながらも、そのような提案を堂々とする彼の心理の中には、やはり以前から感じていた「いつか原発再開を」という思いが見て取れる。もちろん僕は全くの素人だが、これぐらいは勘で分る~安全な原発などこの世に存在しない!!フランスの原発が、セーヌ川の上流でずっと長い年月安全に運転を続けている例を出して説明しているが、本当に小さな事故を起こさず、全く放射能漏れせずにずっと来ているか確信できるのだろうか?武田氏のつもりでは、200年もすれば安全な原発運転が、日本でも実現するにちがいないと思っているようだ。彼は人を信じすぎる。いくら科学が進み完璧な装置が開発されても、それを管理し、点検し、いざという時に処置するのは人間だ。全く優れた能力と理念を備えた人間がずっと担当するとは誰にも約束できないし、事実今回の事故の処置にしても、驚くべきずさんさが明るみになったばかりである。何故彼はここまで来て原発から離れられないのだろう、彼にとって原発開発の人生は、そこまで骨の髄に染みこんだライフワークなのか。さてここのところが小出弘章氏と根本的に異なる点だ。小出氏は40年以上前から原発を止めることに力を尽くして来た。それに対して武田氏は事故後に原発開発者として責任を感じ、国民のために専門家の立場からアドバイスと警告の情報を提供して来た。放射能は医学でも多くの命を救って来た。しかしそれでも、やっぱり放射能は人間が扱ってはならない物質だとやはり僕は思う。医学関係機関からの放射能漏れも、どうやら水面下で起きているらしいのだ。特に、原発によるエネルギー開発は根底から批判するべきだし、なぜ全く新しいエネルギー開発の思案、自然を破壊しない太陽光エネルギーやお金の掛からない水力発電の開発に意識を注げないのか。「いつか完全な原発運転を」という考えに傾くのは、武田氏の奢りであり、科学者のエゴだ。ーーーーー原発・エネルギー・環境の重要テーマ(前半、すべて、音声です)音声はお聞きになりにくい方と、音声の方がわかりやすいとか車の中でお聞きになれるなどの方もおられますので、現在の重要なテーマを音声でいれました。今回はジックリお話をするために長さは長くなっています。(1)福島原発が爆発した原因と対策 (2)被曝で病気にならないために (3)電気は足ります (4)石油は無くなるか?「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.402-(12:17).mp3」をダウンロード「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.404-(14:44).mp3」をダウンロード「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.405-(8:44).mp3」をダウンロード「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.406-(10:42).mp3」をダウンロード(平成24年1月27日(金))武田邦彦
2012.01.28
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・1、27、金 知り合いの女性で、周りがどんな風潮であろうが、その場が何かの思想に傾いていようが、とにかく自分の考えを確固と持ち、それを飲み込んでしまわずはっきりと発言のできる人がおられる。 それでいて周りの人たちからは決して嫌われたり煙たがられたりしない。 何故なら、彼女の目はいつも公平さと客観性な位置にいるからだろう。 東洋人にはなかなか難しいことだ。 群集の空気が国を動かし、考えと生活を一定方向に運んでいく。 とにかく我々は、皆と違うことをしたり、違う意見を持ったりすることが怖くて仕方ないのだ。 そこをうまく利用して、空気を操作しようとするのがマスメディアということか? でもそれを一つ一つ否定すれば新たな空気が出来て、いずれそれもエスカレートして行く可能性があるから難しい。 自分は個人的にその問題についてどう思い、感じるのかを常に自問自答する聡明さが必要となるだろう。 ーーーーー 「よい子」はどこで作られるのか? 日本は「空気の社会」と言われるぐらい、何の根拠もないのにいったん「空気」がで きると、全員がそれにならって「よい子」になり、空気の変化について行かないと「 おまえは悪い子だ!」と社会的バッシングを受けることになる。 誰が、いつ「よい子」を作るのだろうか? 2つの例を挙げて考えてみたい。 【第一】 戦争前、早稲田大学と慶応大学がアメリカから「野球」を輸入した。時代 は「鬼畜米英(アメリカとイギリスは鬼か畜生だ)」という軍事優先の時代である。 朝日新聞は野球に噛みつき、「野球は日本精神を破壊するものだ。アピール・プレー なるものは醜悪だ」と叩き、「このまま早稲田と慶応が野球を続けるなら、2つの大 学をつぶしてやる」というキャンペーンを張った。 ところが、戦争後、日本がアメリカに占領されると、朝日新聞は「全国高校野球」を 推進し、「野球こそが日本の青少年の健全な発達に最適である」として「野球と教育 」が一体となった「甲子園」が誕生した。同じ野球なのに、戦前は野球をやる子は「 悪い子」であり、戦後は「よい子」に変わった。 【第二】 3.11以前、「放射性物質を漏らした人」は極悪人で、少しでも(法律で定 められた量の100分の1でも)漏らしたら、朝日新聞の記者が血相を変えて駆けつけ、 責任者をつるし上げたものだ。私も原子力の施設長をしていた時、放射線が漏れなく ても、施設の中で「階段を踏み外した」などがあると、ひどくバッシングを受けたも のである。 2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原発から3億ベクレルが漏れたときも、朝日新聞は叩 きにたたいた。「漏れた量が法律上、許されるかどうかなどという問題では無い。放 射線を漏らすこと自体が重大な犯罪だ。健康に影響があるかなど些末な議論にするな !」という趣旨だった。3億ベクレルという量は福島原発で漏れた量の30億分の1と いうごく微量であった。 ところが3.11と福島原発の事故の後、「放射性物質は危険だ、漏らしてはいけない、 除染した方が良い」と言うと、朝日新聞から「危険を煽るな!」というお叱りを受け た。最初は、本当に朝日新聞?!と思った。その後、「ガンで死ぬ人は年間30万人も いる」とか、「タバコの副流煙より安全」というキャンペーンを朝日新聞が始めたの で、間違いでは無いことが判った。 3.11以前は「被曝を憎む」のが「よい子」だったが、3.11以後は「悪い子」になって しまった。 ・・・・・・・・・ 8.15(終戦の日)を境に野球は悪い子がよい子になり、3.11によって放射線は「悪い 子」から「よい子」になった。今では「1年1ミリの被曝限度は法律で定められ、これ まで日本人を被曝から守ってきた」というだけで「悪い子」に分類され、マスコミで の発言を制限される始末である。 朝日新聞には朝日新聞の言い分があるだろうけれど、私には「その時代の主人(戦前 なら軍部、戦後ならアメリカ、3.11以前なら原発反対派、以後なら東電)」にゴマを すって、根拠無く「よい子」を決めて、その「空気」を日本社会に作る・・・それが 朝日新聞のように思う。 そんな新聞でも、新聞界では主力であることから見ると、「空気を創造する」ことは 日本社会にとって、なにかとても良い面があるのだろう。 利得を得る人がいて、庶 民にしてみれば「よい子」に追従しておけば大きな顔ができるなどがあるのだろう。 ともかく、このような社会では原発のような巨大技術を安全に動かすことはできない し、学問の発達もいびつになるだろう。「朝日新聞はなぜ読まれているのか」という ことと、「よい子の創造研究」を少し続ける必要があるように思う。 (平成24年1月16日) 武田邦彦
2012.01.27
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・1.25.水 民主党は消費税10パーセント増税を進めているし、数年の間には17パーセントまで上げると匂わせている。 すべて年金確保のためと言っているが、本当に本当のことなのだろうか? 確かに少子化は進み、今でも若い人たちは年金を納めていないのに、これから若い者が年配者を支える社会など崩壊するのではないか? かと言って、10パーセントまで上げられただけで、飲食店、中小企業、個人の商店や大きな企業(政府に献金しているような大企業以外)は、本当にやって行けるのだろうか? これから一層倒産するところが増えて来るのでは? 下記にあるように、隠れ貴族なる輩たちが、自分たちの利益を確保した上で「金が足りない」と言って我々を締め付けているとすれば、この国は全くの不毛地帯だ。 どうやってこの国を乗っ取っている連中から、本当の民主的な社会を取り戻せばいいのか? そうなってしまった元の原因は、この国の学歴制度ではないのか? ーーーーー 増税の屁理屈・年金破綻の理由(1) 仲良し同盟 東洋経済新社から「国債は買ってはいけない」という本を出版したときに、日本のお 金の流れについて、科学的な手法を用いて整理をしてみました。それまで「お金の流 れ」というのは「経済学の問題」と思っていたのですが、当たり前でもありますが、 「科学と同じように数字や論理でもかなりの理解できる」ということを感じました。 日本には「文科系」と「理科系」の区別があって、私のように「理科系」の人間が経 済や倫理のことを言うと、文科系の人からの反撃が厳しいのですが、ヨーロッパには 文科系と理科系のような区別はなく、人間が知らなければならない知識として理解さ れています。 日本も「近代化」するためには、「あの人は理科系」とか「俺は数学が弱かったので 、文科系になった」等というのはそろそろ止めにした方がより合理的で、人のことを 理解しようとする社会になると思います。 ・・・・・・・・・ ところで、日本のお金の流れや税金のことを整理すると、ビックリしたというか、当 たり前というか、いくつかの大きな流れがあることが判ったのです。 1)日本にも「隠れ貴族」(東大、早稲田、慶応などの出身者が多い)がいて、相互 に巧みに連絡し、利権やお金を分け合っていること。その中に新聞やテレビも入って いるのでややこしいこと。 2)官僚は自分たちを「お上」と呼ばせることで、格上であることを常に国民に意識 させ、間違いを認めず、その影響を利用して、「お上に任せておけばお金は有効に使 うことができる」(実は正反対だが)という常識を普及させ、その結果、税金、利権 をどこまでの上げようとしていること。 3)これらのことは「力がすべて」という点で、人間が動物であることを考えると、 生物学的には合理性があるが、多くの日本国民はもっと楽しい生活と人生を送ること ができるのに、その機会を失っている。 4)かつては労働者を代表した社会党、理想を目指す共産党などがあったが、労使関 係が無くなり、ロシア、東ドイツ、ポーランド、チェコなどの共産国の指導者が国民 を裏切ったこともあって、両党とも実質的に力を失った。今ではオール与党になり、 議員の多くは「隠れ貴族」側に組み入れられている。 5)人間は「生きるのも大変なぐらい追い詰められる」と暴動を起こすが、ほどほど 苦しいという状態では暴動までは行かない。「99%現象」(国民の1%が巨万の富 を得て、後の99%が報われない社会システム)だけでは変革の力にならない。 6)その結果、消費税の増税、赤字国債の発行、年金の崩壊、道路公団の破滅などが あった。議員報酬が常識外れに高く、安く超豪華な宿舎、鉄道の無料パスなどの特典 が議員の誠実な心をむしばんで、改革を阻害している。 などを理解することができました。本を書いたのは今から5年ほど前になりますが、 その時に整理したことが、今、問題になっている消費税増税の時にも役になっていま す。 「税金が足りない」というのは、「収入を超えて使うから」に他なりません。毎月30 万円の給与を貰っている人が、「生きる上には憲法で保障されている健康で文化的で なければならない。だから、マイホームを建て、車を買い、本を読み、1週間に一度 は高級バーに飲みに行くことは俺の権利だ」といって、毎月40万円を使ったとします 。 当然、10万円も足りなくなるので、その人が社長のところに言って「憲法で定められ た権利を行使していたら10万円も赤字になった。給与を10万円上げろ!」と言ったら 、おそらく首になるでしょう。 このことと同じですが、人間には「必要」ということはどんなことでも理屈がつける ことができます。でも現実には「無い袖は振れない」ということで「やるべきことを やらずに」我慢するのです。ところが、政府の言っていることを聞くと、「やるべき ことをやるにはお金がいる。だから赤字国債(借金)を出しているのだが、これは不 健全だから増税する」と言っています。 ・・・・・・・・・ 減税は簡単です。「事業仕分け」などの目くらましをマスメディアも報道したので、 「節約する」ことでお金が少なくなると思った人も多かったようですが、「本来、こ れは必要である」というのを口で言うのは、どんな支出でも簡単なのです。だから、 まず10%減税すれば、なにが不足するかが判ります。それを見て国民が判断すれば よいことです。 第一に、官僚の数を減らして人件費を削れば、人件費ばかりではなく、その官僚がム ダなことをするお金もへります。先日、ある県の環境部の方と新年会でお会いしまし たので、「まだ、温暖化などやっているのですか?」とお聞きしたら、「当然です。 仕事がなくなります」といわれました。 少し冗談でも入っていますが、一面で真実をついています。もともと地球は温暖化し ていませんし、温暖化対策をやっているのは世界で日本だけ、それも国が温暖化対策 を進めることがあっても、市や県が専任の役人をおいてやるようなことではありませ ん。 でも、現実には「税金が余っているし、役人も余っているので、仕事を作らないとや っていけない」のです。私は環境のことを調べていてそのように思いますが、原子力 でも、科学でも、お金でもみんな同じことです。機会を見て一つ一つ整理していきた いとおもっています。 (平成24年1月25日) 武田邦彦
2012.01.25
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・1.24.火 小出裕章氏は、原子力をどうやって止めさせるか、その後どうやって安全な原子力を可能にするかに40年以上心血を注いで来た人物である。 「結局私が出来うる限りの努力で原子力排除に力を注いで来たが、とうとうそれは叶わず今回の事故が起こってしまった」と悔しさを滲ませる。 「子供たちを放射能から守る」という根本のテーマに順じて、彼が語った事柄の中で特に印象深かったことを取上げてみたい。 ●原発とは、別名「海水温め機」 300ワットのエネルギーを原発で起こした場合、そのうち100を電気供給に使用し、後の200を海に捨てなくてはならない。 すると海水の温度は上昇し(そこははっきり述べなかったが)それが温暖化を進めているのか? ●汚染拡大に対して 二つの提案があると彼は言う。 まず東電が一番やらねばならないことは、すべての食材を正しく測定し公表する。 これは避難した東北の人々の保証を担うよりもずっと費用の掛ることだが、最重要課題である。 結局ばら撒かれた放射能は消えはしない、移動するだけだから、野菜などの汚染は場所によって差はあるにしろ避けられない。 でも食べないと皆生きて行けない。 だから年齢によって汚染度を振り分ける。 55歳を境に放射能の体への影響はぐんと少なくなる。 よって子供たちに最も汚染の少ない食物を譲り、20・30代はその次、55歳以上は許される範囲の汚染されたものを食べる。 もう一つの提案は、校庭や公園などの土壌を削った汚染された土の持って行き場所だが、放射能物質はもともと東電の持ち物だから、広大な敷地のある第二原発にお返しする。 また汚染された砂利などが今マンションの壁などに使用されて問題になっているが、いずれ1号機から4号機まで全部石棺にせねばならないのだから、そのセメントに使用する。 ●地球誕生から46億年、それを460メートルに置き換えて考えてみると、産業革命からこっち、急に増大なエネルギー使用に傾いてストップすることが不可能となった人類の歩んだ時間は0.12ミリエネルギーを根本から見直す勇気を持たねばならない時期を迎えている。 ●「今回の事故で日本がこうなった責任は、ずっと原発運転を見逃してきた、または関心を持たずに来た国の大人全員にあると言える、責任を負う必要のないのは子供たちだけ」 これは僕も全く同感である。 例えば僕にしても今回の事故までは原発も愚か、放射能などには全く興味を持たなかった。 反原発の人たちが一体何を主張しているのか、耳を傾ける気もなかった。 その無関心さ、電力会社と政府の思惑を見逃して来たことこそが、今回の事故の責任の一旦を担っていると思う。 ●放射能の汚染は、実は日本にとって今回の事故が初めてのことではない。 1950年、60年にアメリカとソ連が競って行なった核実験は何千発にも及び、その放射能物質の飛散は、もちろんのこと日本の上にも多量に降った。 (茶木意見)草花は奇形が多く見られ、雨の影響で葉っぱには模様が浮かび出た。 そのころから著しく癌発症率が増大した。 その後1986年四月のチェルノブイリ原発事故。 これも多くの放射能物質が日本全域に降ったという。 すべて政府は何も言わないが。 その上に今回の事故で、日本全域、世界への影響も含めての被曝量は考えただけでも怖ろしい。 ●今すぐ原子力を止めても、使用済み核燃料の1000万年続く放射能物質のおもりを誰がするのか。 1000万年危険が継続する大変な物質を、未来の人たちに押し付けざるを得ない我々の仕業は、46億年の地球の歴史の中で、これ以上ない恥ずかしい行いである。 放射能物質とは、一旦エネルギーとして使用しようとすれば半永久に核反応は止らないし、それは何度でも臨界事故や爆発の可能性を秘めている。 ●我々はウランを使って原子力を起こす技術を生み出したが、核反応を停止させる術を持たない。 停止させることができなければ永遠に続く悪夢となり得る。 ●高速増殖炉もんじゅの本当の目的。 もんじゅに集められる使用済み核燃料で、最も強力な原子爆弾がすぐに作れるらしい。 だからこそ政府は、14年間のブランクを越えてももんじゅを再稼動したいのだ。 もちろん原発推進は、そのまま核保有に直結する。 ●使用済み核燃料の処理について、今まで様々な意見が出て来た。 ロケットで宇宙に捨てる。 ロケット打ち上げは頻繁に失敗するので、これは却下。 南極の氷の上に置いて帰って来る。 氷を溶かし地面に到達し染みこむと、近隣の国への影響にも関わることになるので却下。 海底深くに埋める。 何かの事情で浮かび上がって来たり、海に流れ出ないという保証はないので、余りの危険を伴うため却下。 そして未だその処理方法は見付かっていない。 未来の人たちに託すしかない状態。 それでいいのか? ●「原発を今すぐすべて止めても、我々の生活には何ら影響はない」「CO2を減らさねばという嘘に騙されてはならない」「地下資源は後数百年枯渇しない」その他主張していることが、武田氏と全く同じ提案や見解が多い。 そしてやはり多方面からのバッシングを受け、著書の批判も凄まじいようだ。
2012.01.24
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・1.23.月 小出裕章(京都大学 原子炉実験所 助教)のことは知っていたが、昨日彼の山梨での講演の動画を見つけ、二時間以上集中して閲覧した。 彼は40年以上前の、まだ東北大学の学生であったころから、すでに原発を止めさせることに人生を費やして来た人物だ。 「これからのエネルギーは原子力だ」という当時の風潮の中原子力工学を専攻し、原発の本当の正体を知るにつれ、これは何としても止めなくてはと自らの学問を180度方向転換したという。 そして現在講演の内容から、原子力を心から憎んでいるように感じた。 にも関わらず、というか、だからこそ今彼は原子炉研究所というところに所属して日夜安全な原子力利用を研究している。 二時間以上の彼の話は非常に興味深いもので、素人にも分りやすく多くの勉強となった。 ・まず原子力を研究して来た者の責任として、原発を止められなかったことに対して謝ることから始まり、舞台上で深々と頭を下げる。 ・原発とは、別名「海水温め機」という話題。 ・事故後の政府の態度と嘘が、どれほどの人々を被曝させ、酪農者や動物の命を奪ったか。 ・すでに国全体に広がりつつある汚染拡大に際して、汚染物質をこれからどうするか、汚染された食物をどう考えるかという話題。 ・地球誕生から46億年、それから見るとほんの短い時間の人類の存在の話題。 ・「放射能物質はなくならない、移動するだけであり、子供たちをそこからどうやって守るか」ということと「国民全員が被曝を避けることはすでに不可能、どれだけ軽減できるかという課題」と「すべての責任は東京電力と政府にあることを忘れない」、今回の事故で日本がこうなった責任は、ずっと原発運転を見逃してきた、または関心を持たずに来た国の大人全員にあると言える、責任を負う必要のないのは子供たちだけ。 ・今すぐ原子力を止めても1000万年続く放射能物質のおもりをどう考えるか。 ・高速増殖炉「もんじゅ」の本当の目的。 ・アメリカもヨーロッパも1970年代にすでに原発ビジネスからは手を引いて、30年以上原発を増やさず停止する方向に向かっているのに、何故日本だけは未だ推進を唱えるのか。 ・地球上のすべての生態系に不可欠であるCo2を、どうして減らす減らすと言うのか。 そのような話題の中、印象深かった話を次回取上げてみたいと思う。 ーーーーーー 4号機とセシウムの基礎知識 (4) セシウム飛散の原因(速報) (本当は書きたいのですが、時間が無いので録音にしました)。音声で言っているこ とは、福島のセシウムが急に増えたのは、どうも「瓦礫とゴミの焼却」から出ている 可能性が高くなって来ました。 各地で瓦礫やゴミが燃やされています。この煙突からでている煙の測定が行われてい ませんので、きわめて危険です。自治体の市長は「お金がもらえるから、福島の人を 助けるフリをして受け入れる」と言っていますが、福島は瓦礫の処理設備が必要で、 他の自治体が瓦礫の受け入れをすることは、福島の人を苦しめ、汚染を拡大します。 マンションが汚染されていて可哀想な人が多く出ましたが、汚染された砂利などは大 手の建設会社も使っています。こんな状態が拡大すると日本は大変なことになります 。国を愛する人、全員で心を一つにしましょう!! (平成24年1月20日) 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.402-(6:33).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.01.23
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・1.22.日 日本人が日本をだめにして行く大きな原因は、まさに下記の記事にあると僕も思う。 この間から僕もこの点について書き続けているが、論点のずれない効果的な議論のもとに前に進まなくてはならない。 言い替えれば、頭の悪いやつは少し黙っていて欲しいということだ。 「人を批判するときに、批判する人が本心から違うことを考えているのではなく、事実や考え方ではなく、ある特定の人間をつぶしたいという希望だけが先行しているうようにも思えるのです」 僕の経験からしか言えないが、ドイツ人は議論が大好きな人種で、何人か集まれば必ず論争だった。 テーマは政治、哲学、文化比較論から男女関係やケーキの有り方まで、とにかく自分の説や理論を余すことなく口にして相手の意見と闘う。 しかしそこで感じたのは、あくまで彼らの愛するのは議論であり、個人に対する攻撃や自己のプライドの保護ではないというところだ。 だから、相手の言うことが自分とは違う意見とは言え納得できることなら必ず「das stimmt/同感」と首を縦に振ったものだ。 そういう意味では彼らは「議論のプロ」と言える。 今傾いたこの国(必要以上の自己卑下は良くないと思うが、実際この国は内面的に傾き崩れかけていると僕は思う)のその原因が我々の人種的特長にあるとすれば、この根っこを皆で見直さなくては、実に悲しい結果が待っていると僕は思う。 ーーーーーー 「よい子」の研究 (2) 日本人の特徴と「よい子」製造の要因 日本人には良いも悪いも、他国とは違う特徴があります。読者の方からもメールをい ただき、日本人の特徴とよい子の関係をまとめたくなりました。 「日本人は融通無碍」とか「曖昧な国、日本」などと言います。確かに、年末になる と、12月24日にはクリスマスイブを祝い、イエス様に信仰を誓います。そして6日た つと大晦日に神宮にいって初詣をして八百万の神様に感謝し、ほどなく仏教の観音様 にお参りに行ったり、仏様のお話を聞いたりします。「いったい、あなた、どうなっ ている?」と聞くのも失礼なぐらい、イエス様も、神様も、仏様も信じているのです 。 私はキリスト教でもない若い二人が、教会で「永遠の愛を誓いますか?」と言われて キリスト教の神の前で誓っている姿を見ると、どうも「愛していると言っているけれ ど、最初からウソかな?」と意地悪に思ってしまいます。でも、誓っている二人は真 剣だというところが日本人のおもしろいところです。 先日、国際学会で話をしたときに、「本音と建て前」について、英語でどのように言 ったらよいかを専門家と話してみましたら、「日本語でhonne, tatemaeといって、そ の意味を説明する」ということになりました。「原発は安全」というのが建前、「原 発を僻地に作る」というのが本音です。二枚看板といっても良いかも知れません。 また、読者の方からは、日本人は「見て見ぬふり、聞いて聞かぬふり」ができるとい う指摘がありました。確かに、街に立っている電柱と絡み合った電線は日本人の目に は入らないと言います。 日本の伝統芸能であり人形浄瑠璃は黒子が舞台の上で人情を操りますが、日本人は黒 子に存在を見ないで、人形の動きで涙を流します。「見ざる、聞かざる、言わざる」 の3匹のサルも同じことなのかも知れません。 ・・・・・・・・・ 戦前には野球をやる子は悪い子、戦後は野球をやる子はよい子。終戦前まではアメリ カは鬼、終戦の翌日にはアメリカは善意の国。高度成長期には大量生産が三種の神器 、成長期が終わったら大量生産は悪い子。1970年までは寒冷化が悪い子、1990年から は温暖化が悪い子。前は害虫駆除がよい子、今は生物多様性がよい子。311までは被 曝は悪い子、以後は被曝を避けるのが悪い子。 融通無碍で何でもOK。首相が首相になる前には「公約を死守する」と言い、首相に なったら「公約は破る」と言ってもさして問題にはならないということです。そうい えば、あれほど自衛隊に反対していた社会党(旧)が政権を取ったらすぐ自衛隊の観 艦式に社会党の党首が出席して敬礼したのを見てチョックを感じたことを思い出しま す。 ・・・・・・・・・ どうやら、これまで日本人を信頼し、信じてきたのですが、ひょっとすると日本人は 「得になれば神様は何人いても良い(魂よりお金)」、「本心を隠したいから建前を 言う」、「都合の悪いことは見ないようにする」、「言うことはいつ変えても良い」 という情けない民族なのかも知れません。 「よい子」がぐるぐる代わり、それが一日にして変わって、前の日まで「よい子」だ った人が、「悪い子」としてバッシングを受ける、そのことを朝日新聞は良く計算に いれて、いつも「よい子」側に就くか、もしくは自分で「よい子」を創作しているの ではないかとも思います。 それに加えて、どうも「ウソつき」という感じもします。ネットなどで「ウソをつい て他人をバッシングする」という人が多いのも気になります。 この前、東大で講演したときの質問の半分ぐらいが、私が言っていないことをネット で誰かがねつ造したものが多く、それを根拠に質問される。だから「私はそんなこと を言っていません」というのを繰り返すことになりました。 人を批判するときに、批判する人が本心から違うことを考えているのではなく、事実 や考え方ではなく、ある特定の人間をつぶしたいという希望だけが先行しているよう にも思えるのです。これも「よい子」はグループを作り、「悪い子」をいじめるとい う「事実や考え」ではなく「人」を的にするからでしょう。 あるテレビで、私が石油や石炭の埋蔵量は多いから心配することはないと発言したら 、朝日新聞の解説委員と紹介された人が「武田さんは論文をどのぐらい出しています か」と間髪を入れずに質問したのには驚きました。もちろん見当外れの質問だから答 えませんでしたが、埋蔵量が多いという考えに異論があるなら、そのことを質問すれ ば良いのです。 私も日本人ですから、日本人を批判するのは自分自身にムチを打っているようで気分 はよくありませんが、今回の福島原発のようなことが起こった原因が、日本人の悪い ところに原因があるなら、それを直す良い機会なのかも知れません。 そしてそれは「よい子の生産」に大きく関係しているように感じられます。 (平成24年1月18日) 武田邦彦
2012.01.22
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・1、20、金僕も最近周りから、危険人物を見るような目で見られることが多い。誰かと話していて、会話によっては放射能のことに話題が向いた時にそれを感じる。それと僕がブログで武田氏の記事をずっと引用していることで「茶木は武田邦彦を崇拝している信者である」と思われていることもその要因である。まず考えなくてはならないことは、人の行動に対して称賛したり批判したりすることは、命題から外れる一つの原因となる。我々の使命は「今の緊急状況の中、子供たちをどうやって被曝から少しでも救うことができるか」という大道である。それは我々大人の責任であり、常識である。その次に、放射能に対して全く知識のない我々が、どうやって情報を収集し、正しい知識のもと行動できるかという点にある。これはどうしても専門家の意見に耳を傾けるしかない。その次に、専門家の語ることから様々な新しい勉強を得ながらも、自分はどうしたいか、何が必要か、自分たちにとって情報の危険とは何かということを見極める努力をすることではないか。それが命題から外れず、怪しい専門家に巻き込まれない策ではと思う。そんな時に、周りにはいろんな意見や考えや思惑が渦巻く。しかし「大丈夫」という専門家よりは「危ない」と言う専門家に耳を傾ける。今は危険を煽ったとしても、そのことで大怪我はしないという時期なのだ。これがいわゆる「予防原則」というものだろう。だからこそおじいちゃんおばあちゃんに立ち上がってもらい、お孫さんを守って欲しい。守られた子供たちの周りにいる限り、大人も皆安全なのだ。話が逸れたが、言いたかったことは「目の前の命題を見失わない」ということだ。ーーーーーー4号機とセシウムの基礎知識 (1) 薪とウラン(セシウム情報は末尾)福島のセシウムが急に増え、さらに福島第一原発の4号機が爆発したのではないかと心配されています。多くの人が心配しているのに、原子力関係者は事実や基礎的な考え方をほとんど公表していません。このようなことは、今に始まったことではなく、これまでの原子力に共通して見られたことです。つまり、反原発の人たちが懸命に調べ、発信し、抗議をしていても、原発推進の人たちは「俺たちには殿様(政府)がついているから、彼らの相手にしなくても良い」という態度に終始したのです。でも、これは反原発の人も同じでした。私は時に反原発の研究会などに行って、質問をすると「なんだ、こいつ! 原発側にいてケシカラン。そんな質問をしてどうなるのだ」という目で見られ、十分な答えをして貰ったことはありません。「不毛な対立」というのはこういうのを言うのでしょう。お互いに自信に溢れ、自分たちの村に安住し、自分と異なる考えの人も立派な日本人であるということを認めようとはしないのです。原発推進側は言葉使いは丁寧なのですが、慇懃無礼。反原発の方は、言葉使いは汚く、ののしるという感じです。私も反原発に近づきたくなかったのですが、その理由は「少し質問でもすると、ものすごい勢いで人格バッシングにあう」ということでした。質問に答えてくれるよりも、レッテルを貼られ、バッシングを受けるので、質問がむなしく感じられました。でも、私たちが原発のことを考えたり、議論したりするのは、私たちの世代だけのことではありません。長く、日本の将来を左右することなのですから、少し、「俺が、俺が」というのを止めて「相手は?相手は?」という姿勢をとって欲しいものです。・・・・・・・・・ところで、4号機とセシウムの急増はどうなっているのでしょうか? 私たちは子供たちを守るために、さらに何かをする必要があるのか、それとも、このまま何とかしのげるのでしょうか? それを自ら決めるためには単に「4号機が危ない」というだけではなく、「なぜ4号機は危ないのか」をキチンと示す必要があります。論説やネットで「4号機が危ない」と言っておられる方の内容を理解しようとしたのですが、どれも科学的に十分な説明がありませんでした。科学というのは、自分の意見、恐れ、希望などとは違い、万人が理性的に納得できなければならないからです。「おまえは知識がないから、判らなくて当然だ」というのは科学ではありません。・・・・・・・・・原発というのは原子炉の中で「核反応」が起こるものです。この「核反応」というのは難しいことのように思いますが、薪が燃える「化学反応」と同じものです。ただ、薪が燃えるのは大昔からのもので、ウランが燃えるのはキュリー夫人が見つけたもの(核の変化)なので、100年ほど前という新しいので、それを区別するために分けているだけです。「燃える」という言葉を「なにかが変化して熱を出す」ということで言えば、「薪を燃やす、ウランを燃やす」と言っても間違ってはいません。さて、薪を燃やすと、熱だけではなく煙やCO2(二酸化炭素)を出すように、ウランも燃えると「死の灰」を出します。薪を燃やしてできる煙も少し毒性がありますし、タバコの煙もその一種ですが、ウランを燃やしてできる死の灰はそれよりかなり毒性が強いので、問題になっているのです。でも、薪が燃えている時に火を消すと、灰は残りますが、煙たいことはなくなるように、ウランも火を消すと死の灰は残りますが、燃えているときに比べるとずっと安全になります。そして薪の火を消すて暫くするとすっかり冷えて、片付けられるように、ウランも火を消して暫く(かなり長いが)すると冷えて、これも片付けられるようになります。・・・・・・・・・あまりに簡単なことを説明しているようですが、実はこのような基礎的なことを間違えて解説している専門家もおられます。たとえば、「福島のセシウムにヨウ素が入っていないから、原発からではない」などがそれにあたりますが、原発からだろうが、畑からだろうが、火が消えた時間が同じなら、残っているものも同じです。また、4号機が爆発したといわれますが、それが核爆発ならヨウ素が出るし、水素爆発や水蒸気爆発ならヨウ素は出ません。このような基本的なことをしっかり、完全に理解しておくことが「自分で判断する」にはもっとも大切なことなのです。・・・・・・・・・少し長くなりましたから、ここで次に回します。ところで、福島のセシウムは相変わらず高い状態が続いていて、最新のデータでも、セシウム合計で60ベクレル(平方メートルあたり)もあります。この状態は10月11月とはまったく違います。少し緩い警戒を続けてください。(平成24年1月15日)武田邦彦
2012.01.20
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・1、18、水 セシウム降下物の情報を掴むまでどうしても数日掛るようなので、15日の情報が今日の速報となってしまう。 全く何処で何が起こっているのか、気持ちの悪いことである。 各HPでは様々な専門家が騒ぎ始めているし、一部の記者は事態の重要性に気付いているようだが、相変わらずマスコミ一般で一言も報道しないし、国は全く情報を公開しない。 どうして国に対して言い詰めるということが誰もできないのだろう。 この間の日記でも述べたが、これは決して東北・関東だけの問題ではない。 必ずこちらにも飛散するし、さらに汚染された食物が再び出回る。 何と言っても出所を突き止めない限りどうしようもない。 関西でもしばらくはマスク着用が好ましい。 ーーーーーーー セシウム速報 1月15日、セシウム降下物急増 福島のセシウム降下物がやや落ち着いて来たと思ったら、1月15日に再び跳ね上がり 、約200ベクレルを観測しました。「ゆるい警戒」を続けてください。範囲は宮城県 南部から福島、茨城、千葉、栃木北部と考えられます。 警戒は、風の強い日のマスク、洗濯物は取り込むときに叩く、外出から帰ったら玄関 に入る前に衣服を叩く、そろそろ水道に出る可能性もあるので発表データに注するな どです。子供は背が低いので、大人より被曝しますので、長期間の外の遊びなどはし ばらく止めた方が良いでしょう。 関係者は「地面に落ちたものが風で飛んだ」と言っていますが、すでに1月2日から2 週間も続いていて、風の弱い日もありますので、不明です。ただ、200ベクレル(1平 方メートルあたり)と言いますと、キャベツが4つぐらいが植わっている面積ですか ら、5日続くと新基準では出荷できないような降下量です。 (降下量の測定は直径1メートルほどの平たい「たらい」のようなもので降下物を受 けて測定していますから、野菜の上や川にも同じように降っていると思います。原因 を花粉、風、4号機、雪、瓦礫の焼却、家庭ゴミの焼却など広く、あたっていますが 、今のところ「飛散している」のは間違いないのですが、その原因までは特定できて いません。) 発表が2,3日遅れるので、発表を待っていたら被曝します。その分だけ、やや注意 をしてください。 (平成24年1月18日) 武田邦彦
2012.01.18
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・1、17、火 お正月の1月5日に、作曲家の林 光さんが死去された。 去年9月の雨の日に家の門を出たところで滑って転ばれ、頭を強打して脳挫傷でずっと意識がなく、今月5日に息を引き取られたということらしい。 ちょうど80歳でおられた。 ご高齢でもとてもお元気であっただろうし、悔しく残念な事故であった。 僕が初めて林 光さんに会ったのは、高校2年のころだった。 歌を始めたばかりで、先生のところでレッスンを受けていた。 レッスンが終わったら「茶木、今から僕はオペラの練習に行くけど、おまえも見学に来るか?」と先生が言ってくれたのだ。 そのころ僕はオペラが何かも知らなかったけれど、とても興味があったので二度返事で連れて行ってもらった。 先生の車の中で「今日はもうすぐ本番のある作品の仕上げ稽古で、作曲家も東京から来ているから、隅で静かにしてろよ」と言われていた。 練習場では張り詰めた空気の中「浮かれのひょう六機織唄」という邦人オペラの練習が行なわれた。 前の所で頭のはげたおじさんがいろいろ指導したり、皆に話をしたりしていた。 それが若いときの林 光さんだったのだ。 その時の僕の先生とは、林 光作品だけを上演する団体「オペラシアターこんにゃく座」の現在座長を務めている人物である。 先生は20代前半のころからすでに林 光さんに魅せられ、後に東京のこんにゃく座に身を置くこととなる。 その関係で僕は歌を始めて、コンコーネよりもイタリア歌曲よりも先に林 光さんの作品に多く触れることとなった。 先生が出られる林光作品の演奏会にはすべて足を運び、こっそり録音して、家で全部覚えてしまうぐらい聴きこんだ。 大学に入ってからは周りの環境から林 光作品とは遠ざかった。 しかし不思議なことにその10何年後、ドイツから引き上げて来て数年後、また林 光作品に関わることとなり、自らも演奏する機会ができる。 そして個人的にもお話するチャンスにも恵まれた。 林 光作品はとても特殊で、好き嫌いがはっきり分かれる。 嫌いだという人はとことん嫌いなようだが、魅せられた人はものすごい力で引き込まれる。 特殊なアンテナを持ち合わせた人にだけ電波が届く、特殊なテレビ局みたいなものだ。 そういった者にとっては、大きな樹木を失ったようなものだ。 これからは作品が増えて行かないのだ。 残して下さった多くの作品を、これからは皆で大事に演奏して行くことだろう。 林 光さんは、一つの凄まじい怒りを胸に生きて来た人だ。 その怒りが音楽となり、生き方を決めたのだと感じる。 怒りは優しさと弱さと強さの思念が渦巻く熱い楼閣であった。 ご冥福をお祈りする。 茶木
2012.01.17
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・1、15、日 独占企業の電力会社からの請求である電気代は値上げされても逆らえないし、どれだけの徴収が正当であり、どこを越えれば不当であるか分らない。 一軒につき数円上げられてもさほど気にならないが、国民全員から数円徴収すれば大変な金額が集まる。 大体電気代の額が不当であるかどうかは、それが独占企業であるゆえ分らない。 税金の取立ても同様である。 皆から徴収した税金がどの部分にどれだけ必要な分使われたか知りようがない以上「震災の復興でたくさんのお金がいるし、ただでも日本国の借金は膨大で大変だから、消費税を上げます」と嘯かれても、我々庶民にはそれが本当なのか嘘なのか分からない。 大体国の借金がこれこれありますと発表されても、国民から税金を取り立てるための嘘である可能性もある。 巧妙なシステムで、税金を食い物にしている輩が四方八方に存在するはずだ。 以前にも述べた僕の想像だが、この国はすでにある連中に乗っ取られている。 彼らは国民から吸い取れるだけ吸い取って、個人利益を手に出きるだけ手にして、国が崩壊したらポイと捨てて出て行くつもりなのだ。 先日もさくら咲くのマスターと話していて「消費税5パーセントが実行され始めたら、850円のハンバーグ定食が900円になりますよ。 そんな値上げをしたら客は激減するでしょうし、店が被ればやって行けません。 となると材料費で工夫するしかなくなります。 どんどんやばいものを食べさせられる世の中になって行くという訳です」と嘆いていた。 本来は増税が施行される前に、国民全員でデモを起こし座り込んで暴動を起こすべきなのだ。 しかしマスコミはわざと「仕方ない」という雰囲気を押し出しているし、テレビの情報番組が自分たちの見方だと思い込んでいる国民は全くおとなしい。 結局ぶつぶつ言いながらも物価の高さに慣れて耐えて行くのが日本人。 それが分っているから、連中は息の根が止るぎりぎりまで締め上げて搾り取れるだけ取る。 その上数年の間には消費税10パーセントを現実化することだろう。 3月以降、マスコミへの圧力も加速して来ているようで、いよいよプロパガンダの臭いを露にし始めているように思える。 我々の生活は本当にこれからどうなって行くのだ。 救世主は現れないのか。 ーーーーー なぜ、消費税を上げなければならないのか? 北海道のある町で10年前、風車を作ることになった。その頃、「自然エネルギーは再 生可能だ」という話がもてはやされ、テレビや新聞は「風車が良い、太陽光発電は無 限だ」と言った。 やがてその話は北海道の町にも届き、国から1億円、地元で1億円を出して風車を作っ た。2億円は簡単に言えば「国民の税金」である。そして毎年、およそ600万円の経費 がかかり、600万円の収入があった。つまり、2億円を投資してまったく回収できずに 、2億円の税金は赤字のまま、運転をつづけていたのである。 そして10年、風車は壊れ、さらに4000万円の出費が必要なことになった時点で、町は この事業を中止し、風車が立っていたことを示すモニュメントが残る。 ・・・・・・・・・ 細かいことはあるけれど、簡単に言うと、エネルギー消費というのはおおよそ「値段 」に比例する。多くのエネルギーを使うものは高い値段になるし、エネルギーをほと んど使わずにできるものは安い。そこに使う材料も、もともと地下に眠っていた石油 や鉄鉱石は「ゼロ円」であり、それにどのぐらいのエネルギーをかけるかによって値 段が決まるから、結局、ザッと言えば、「経費=エネルギー」として良い。 まず、風車はエネルギーの節約になったのか? 建設費2億円+維持費0.6億円=2.6億円 に対して、生産されたエネルギー0.6億円 だから、差引2億円分のエネルギーと税金がムダになった。町はまだつぶれていな いが、民間ならつぶれているだろう。つまり、補助金を出した政府も町も責任を取ら ないので、その責任は2億円を分担した国民が取ったことになる。 では得をした人は誰か? まず風車を設計し販売した会社や団体(マスコミに風車が 良いと宣伝し、役所に政策にするために働きかけた人たち)、それに自然エネルーが 優れているという記事を書いて販売量を増やした新聞、「自然エネルギー管理団体」 のような天下り団体に行ったお役人などである。東大の先生は何回か環境省と経産省 の依頼を受けてデンマークの風車の「視察」に行き、そこでワインを飲んで帰ってき た。 国の事業はその94%が赤字である。つまり国民が事業の失敗の責任を取らされてい る。税金が増えること、それは「外交、軍事、国土整備など」の特殊な分野を除けば 、単に民間の事業を圧迫し、創造性は無いが役所にゴマをすることに優れている人と 役人の生活を豊かにするにすぎない。 それでも、それが将来の日本を作っていくなら別だが、民間の活力をそぎ、不当な利 益を追求する日本を作るだけである。 なぜ、消費税を上げなければならないのか? なぜiPhone(創造的な新事業)が日本 では生まれないのか? そのことについて、すでに野党が全滅し、オール与党、大政 翼賛になった現在、日本の専門家やメディアは「納税者のために」深く切り込み、そ れによって子供たちの未来を豊かなものにしていかなければならないだろう。 お金は決して人生に幸福をもたらさない。頭の良い人は他人をダマして税金を取り上 げることは容易である。でも、誰か、魂を持ち、自分のお金のためではなく、日本人 として日本の将来のためにだけ生きる人は現れないのだろうか? その人は幸福感を もって人生を終わることができるのに・・・ (平成24年1月15日(日)) 武田邦彦
2012.01.15
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・1、14、土 この日本独自の政策というのが、実は日本独自ではなくすべて人の物真似であるのではと僕は考える。 多く海外との文化の交流が盛んになり、ヨーロッパからの産業革命の影響を受け始めた明治時代にすでにこのことは指摘されていたようだ。 「他国の成功した例を取上げ、政策の基にある理念や先を見通した計画を無視して、上澄みの美味しい部分だけを効率良く盗み取ろうとする。 要するに足が地に着いていない、それが日本人のすべての失敗の元である」と。 全くその通り、現在もやっていることは全く同じ、もしくはエスカレートしている。 原発その物と、その周りに蠢く人の姿が正にそのサンプルである。 そして国の行なう日本独自のやり方というのは、我々の国民性そのままでもある。 もちろん日本人独自の良い性質もあるのだから、すべてを卑下し、すべてにおいて外国から遅れを取っているなどと思う必要はない。 そのように必要以上に海外を意識し自分たちを卑下するから、少し経済的に強くなって来たら急に横柄になったりして、影で笑われるのだ。 考えてみれば、今の中国か? そしてこの辺りの国民性は、普段の我々の生活そのままでもある。 ようするにちまちまと動いて、気が小さいのだ。 そういう部分を脱却し、地に足の着いた生き方を手に入れるためには、まず「人の物真似を止めて、自分独自のものを生み出す」ということが最重要課題となるのではないか。 何もないところから一つのものを生み出すという作業は、生みの苦しみ・先の見えない道程・根気と情熱・長い時間などを伴う。 それと共に優れたセンス・視点のぶれない明確な頭脳・己の利益だけではなく、皆で良い方向に足を進めたいという強い思念が必要となる。 それを回避しようとすると、ずっと先に崩壊が待っている。 ーーーーーーーーー 「日本独自」の「科学的政策」 今回の原発の事故が、実は「日本独自の科学的政策」が原因しているということは今 はまだあまり指摘されていません。原発に関する日本独自の科学的政策とは次のよう なものでした。 1)原発が「危険」で「安全」という矛盾した政策を採り、「安全だが東京のそばに は作らず、僻地の海岸線に作る」という方針を採用した。さらに、内陸の乾燥地帯で 設計された原発をそのまましようした。 2)従って、震度6にも耐えられず、津波はもちろん「海水面の静かな上昇」でも大 事故を起こすような原発が誕生した。多重防御とか、固有安全性というのも言葉だけ で実質がなかった。 3)危険なので僻地に作り、さらに危険手当を地元に出しているのに、同時に「原発 は安全である」という御札を床の間に貼り、首相から大臣、知事、市長、専門家、マ スコミに至るまで「安全」を唱えた。「偉い人がウソをつくのは当然だ」という文化 もあるように見える。 4)原発に反対する人もいたが、国民全体としては自民党を支持し(自民党は原発推 進)、同時に廃棄物の貯蔵所をいやがった。原発を推進するということは廃棄物が生 じることは当然である。 その結果、世界430基の原発の内、通常運転時に大事故(福島第一)を起こしたの は日本が最初、また震度6の地震で100%破壊したのも日本だけで、とても恥ずか しいことですが、それは「日本独自」が「科学的根拠を持たない」ということによっ ています。日本はこれからこの大きな欠陥を修復できるのでしょうか? ・・・・・・・・・ しかし、このような科学的政策が「日本独自」になるのは、原発ばかりではありませ ん。空気を大切にする国民性、自信たっぷりに国民を指導するマスメディア、学問よ りもお金と栄達を望む東大教授・・・これらの複合作用だからです。 ●温暖化政策で、京都議定書を締結した1997年を基準にCO2の削減を実施してい るのは日本だけ。 ●リサイクルで資源が節約できるとしながら、「分別した後、まとめて焼却」をして もリサイクルに分類しているのは日本だけ(ヨーロッパは焼却してもリサイクルに分 類するのは不誠実であるとして禁止している。この結果、日本ではリサイクル率が国 際的に突出している。) ●企業の技術としての省エネ技術ではなく、国民の省エネを強制しているのは日本だ け(アメリカのエネルギー消費は日本の2倍以上で、省エネはしていない。環境を大 切にしているという北欧のスウェーデンも日常生活では省エネを強制していない。「 石油石炭がまもなく無くなる」というのも日本独自。) ●「元気で長寿」という状態が生まれれば(日本は寿命は世界一)、高齢者の人口は 増えるのだから、社会的な負担が増える。人口分布の変化を科学的に計算せずに年金 を運営し、大きな赤字国債の要因の一つとなる。 ●赤字国債を大量に発行し、国の借金は世界一になり、そのお金を補助金に出して民 間活力をそぐという科学的に見て不合理な政策を続ける。 これらの一つ一つには膨大な「利権にもとづく屁理屈」がついているので、なかなか それを無くして明るい将来性のある日本を取り戻すのは時間がかかりますが、少しず つでも「あまりに日本独自」という政策を見直す時でもあると思います。 (平成24年1月14日) 武田邦彦
2012.01.14
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・1、12、木何かを遂行するために、議論が存在する。大智の原理により、どんな頭の良い人でも、一人で考え決定したことには必ず間違いがある。複数の知恵を持って議論を闘わせ、そこから一つの有効な方法を模索し決定して行く。これがいわゆる今我々が生活する民主主義国家の理念でもある。さて、議論するという時に気を付けなくてはならない点があるといつも僕は思う。誰かの提案、考え、方向性に対して反対意見が生じる。それはもちろん必要なことだ。しかしその議論がほとんどと言っていいほど、個人的な意地、プライド、競争心のような言い合いに変わって、今何に関して話し合っているか、何を皆で少しでも良い方向に進めようとしているかを見失って行く。自分の意見への反対意見に冷静に対応し、じっくりその反対理由を考察し、柔軟な頭で自分の意見をもう一度見直す勇気を持つ。それでもやはり自分の考えが今の議論に有効であると考えるならば、更に説明を加え説得に当たる。そのような本当に力を備えた議論「大智」を心がけたいものである。ーーーーーーー福島県民は日本人ですか?大変、失礼な言葉ですが、福島のある首長さんが言われた言葉なので、そのまま表現しました。日本人は、日本の法律で1年1ミリシーベルトを被曝限度とすることで、「日本人」を被曝から守ってきました。その点では、1年1ミリシーベルトを超えている福島に政府は除染もしないのですから、論理的には福島県民は日本人ではないと言うことになります。また安全委員会は「1年5ミリ以上を「著しい被曝のリスク」として、10万年に1度なら5ミリにする」という決定を自らしていたのに、それは国民全体では無かったと言うことです。その意味では、東京の人が日本人で、福島県民も新潟県民も日本人ではありません。日本人にA級(東京)、B級(福島と新潟)と区別するからこそ、東京で使う電気を福島と新潟で作っているのです。東京に原発を作ると、東京の人を1年1ミリで守ることができず、それは法律で日本人を守るということにならないからです。今回、セシウムの降下物量が50倍にも増えても政府は警告を出さないのですから、ハッキリと国民をA級とB級に分けて、それを報道も容認していることを示しています。イヤな日本になったものです。「絆」などという怪しげな言葉が出てくるのは、国民を二つに分けたことを隠すためでしょう。また、1年1ミリが法律であること、ICRPは任意団体でECRRと同じであることを隠していた人も、早く「日本人の絆」を感じて、修正してください。(音声あり)(平成24年1月11日)「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.401-(7:35).mp3」をダウンロード武田邦彦
2012.01.12
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・1、9、月1月6日にものすごい量のセシウムを観測した結果を発表して、それっきり文部科学省は「後は観測結果が変わらないから」という理由で発表を停止してしまった。政府から停止命令が出たのだろうが、全く怖ろしい国だ。いろんなHPを漁ってみると、他の専門家も12月から正月に掛けてのこのセシウム降下量に関しては危惧を示している。正月に東北、関東に起こった震度4ほどの地震が関係しているという記事もあるし、四号機に注入している窒素が関係しているという記事もあった。どちらにしても、セシウムの出所は四号機である可能性が高いらしい。「福島第一原発は、津波が来る前に壊れていた」という記事もあった。どれも耐久性が低く、老朽化が酷い。福井県の三浜原発がその最たるものという。竹谷三男氏などは、1970年代から原発を危惧し、その運転に際するいいかげんさを著書にて発表し警告していた。電力会社の隠蔽、嘘、無知がその危惧の根拠であるというような内容らしい。40年以上経った今も、電力会社は全く変わらないということだ。福島原発以後、皆注意して観測しているから分ったことだが、実は1950年から何度もこんなあやしい放射能漏れは繰り返して来ているのだろう。現代急増している癌患者がこのような放射能漏れが大きな原因であるとしても、証明できないから歯痒い。人間という動物は、どうしてこう破滅へ破滅へと自ら進むのだろう。僕たちが子供のころに流行った「宇宙戦艦ヤマト」のように、放射能が地球上に蔓延し住めなくなると分り、移住できる星を求めて旅立つ日が本当に来るのかもしれない。そんな何十年も前から、誰かは今を見抜いていたのだ。ーーーーーー緊急速報 セシウム降下物とこれまでの状態と今日(2012年1月8日)(音声を追加しました)福島を中心にして急激に増えた放射性セシウムの降下量は少し落ち着いてきましたが、まだ安心できる状態ではありません。そこで、今後のこともあるので、過去のデータとの比較を行って、よく考えてみました。まず、12月から新年までの平均値を調べてみると、11月は1日で12メガベクレル(1平方キロメートルあたり)、12月は メガベクレル、そして1月5日までの平均が メガベクレルと1日あたりの平均は11月から急激に上がっています。7月まで減少してきたセシウム降下量は8月から11月まではほとんど1日10メガベクレル程度でしたが、12月の後半から上がり始めています。原発が安定し、3月と4月に福島に降ったセシウムが、道路にへばりつき、土の中に潜ったとされています。「除染しても効果が少ない。その理由はセシウムが少し潜り込んだからだ」と言われています。それなのに、このように急激に上昇しているので、警戒が必要です。それでは12月の状態をグラフで見てみます。縦軸の単位が上手く入らず、単位は1日あたりのセシウム134と137の合計値(1平方キロメートルあたりのメガベクレル)です。また横軸は12月の日にちですが、32日目は1月1日、33日とは1月2日を示しています。上手くグラフの横軸が触れなかったのですが、情報開示が急がれるので、そのまま出しました。このグラフを見れば、増えてきた12月といえども、暮れから正月にかけてのセシウム降下物は異常な状態であることが判ります。でも、昨日までは少しずつ減っていたので、このまま減っていって欲しいと思っていましたが、それほどは甘くありませんでした。いったん17まで下がったのに、また40ぐらいまであがったのです。これは本日、発表されたセシウム降下量で、また少し上がっています。福島県が発表してくれているので良いのですが、文科省は1ヶ月後になりますから、被曝してからの発表となります。・・・・・・ところで、一番多かった1月2日の約500メガベクレルですが、これは5億ベクレルになります。一方、1平方キロメートルは100万平方メートルですから、一日で1平方メートルあたり500ベクレルのセシウムが蓄積していきます。この程度なら一日で危険ということはありませんが、80日過ぎると、電離放射線障害防止規則第28条で決められているとおり、「危険だから東電が除染しなければならない」というレベルに達します。(法律の適応範囲は別にして、「実質的に危険な領域に達する」と言うことになります。・・・・・・・・・私が警戒を呼びかけているのは、第一に放射性セシウムが空から降ってきているのですから、内部被曝をする可能性があるということ、第二に徐々に増えているので、このまま2月になってさらに増えたら危険になるので何らかの準備が必要だということ、そして第三にこの時期にセシウム降下量が増える原因が見あたらない(人為的なことは別にして)ということです。発表が2日遅れで「被曝してから知る」という時間的なことにも注意が必要で、そのために少し警戒しています。判らないときには弱く警戒するというのがリスクを防ぐ王道ですから、慌てることなく、それでいて慎重に構えて1日10メガぐらいに下がるまで、暫く様子を見ましょう。なにしろ空気中をセシウムがうろうろしているのですから、子供さんの被曝に注意が必要です。また、ものすごい量の放射性物質が原発の近くで出ているというデータ(下の地図で見にくいと思います)もあるので、心配されている方も多いのですが、少しデータがおかしいので、今、問い合わせています。あまりこのようなデータをそのまま受け取って心配する必要はありません。(平成24年1月8日)武田邦彦
2012.01.09
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・1、6、金下記の緊急速報は我慢強く読んで欲しい。これは決して東北、関東だけの問題ではない。必ず風に乗っても飛んで来るし、食材も再び汚染され、それが西日本にも必ずやって来る。今でも関西の空気中の放射能の値は通常の三倍はあると言われているが、おそらくこれからもっと上がることだろう。こんな問題がこれから何十年と続くのか?東北、関東の人たちは、皆で何処かに疎開するべきなのだ。そして日本だけの問題ではなく、他国にも影響の出ることなので、東電、政府、マスコミは命を掛けて隠蔽することだろう。そして正しい情報は流れてこないので、対処にも遅れが出る。国民が一丸となって除染、疎開を試みても、原発がありそこにしがみ付く連中がいるかぎりだめだ。ーーーーー速報 福島中心にセシウム急増 マスク必要!!文部科学省が1月6日に発表した福島県、並びに他県のデータを見ると、福島県および関東一円のセシウム降下量は、事故後とほぼ同じぐらいのレベルに達しています。原因は不明ですが、とりあえず、マスクをする必要があります。今、緊急に調べています。結果がでたらすぐブログに上げます。念のための措置ですが、お子さんをお持ちの方はあまり外に出ないように。データの信頼性もチェック中です。データは危険なレベルです。マスコミが報道していないのは不思議ですが、1平方キロメートルあたり100メガベクレルを超えていて、かなり危険です。逃げる必要はありませんが、マスクをして外出は避けてください。しばらく後に葉物野菜が汚染されます。(データが正しければ)(平成24年1月6日)武田邦彦ーーーーーー緊急速報 セシウム降下と4号機12月29日、30日と高かった福島市のセシウム降下量は、いったん12月31日、1月1日と下がったものの、1月2日には「4月なみ(4月は福島からのデータはないので、茨城県北部のデータを参照した)」セシウムが降っている。この量が続けば3月、4月と同じだから一時避難しなければならない。ただ、今の段階で間違ってはいけないことがある。それは「原因を追及するのではなく、本当に3月4月なみのセシウムが降っているのか、なぜそれを政府が警告し、マスコミが報道しないのか?である。データは文科省の正式報告であり、値は1日で252メガベクレル(1平方キロメートルあたり)だから、十分に警告を出して良いレベルだ。「2,3日、様子を見る」ということかも知れないが、危険な兆候は知らせてくれないと困る。被曝は足し算だから、直ちに逃げなくても良いが、マスク、外出抑制はまずして、学校の開校は時期をずらした方が良いだろう。また、本当ならまもなく水道も汚れてくるはずであるし、半月後には葉物野菜が汚染されるだろう。第二に重要なのは原因の追及より、セシウム降下の事実を調べることだ。たとえば、このように考えたら良い。火事が起きて家族のいる居間に火が移ろうとしている。その時に逃げる準備や火がどこまで迫っているかは大切だが、火元が台所か風呂場かは当面はあまり深く追究しても意味が無い。だいたいの方向が判れば良い。実は、私も「4号機が危ない」という情報があったので、それを調べていたら、どうも「セシウムが降ったのは4号機ではないか」と類推し、4号機の問題にすり替わったらしい。4号機かどうかなどは2,3日後でも間に合う。セシウムが降っているなら、それだけに注目し、逃げる準備が先である。4号機でも1号機でも、福島周辺からの2次汚染でも、同じことが起こる。でも、原因追及より、事実確認をすることが第二だ。もちろん、事実確認をしている内に被曝してはいけないから、ともかく危険なデータがでたら、即、準備をするべきだ。(平成24年1月6日 午後6時)武田邦彦ーーーーー緊急速報 セシウム降下量のレベル1月4日文科省発表の福島市のセシウム137の降下量は1平方キロメートルあたり252メガベクレルであった。この量(252)と茨城県ひたちなか市(福島はデータがないので、当時、一番、セシウムが高かったところ)のデータだが、3月20日から、48,13000、12000、420、63、99,160、ND(0)、21、14,57, 390,(これで3月は終わり)、5月になると、71,0,8,0,0,0,0,0,0,0と0が多くなる。3月21日、22日が集中的に降った日だが、3月の平均が402だから、1月2日の量は、「3月より少し少なく、5月とは比較にならないほど多い」ということになるので、危険なレベルだ。たとえば直前の12月には、福島市のセシウム137の降下量は、5から20ぐらいだからハッキリと増大している。いくら何でも間違いではないかと何回も見直しているのだが、単位はMB/km2だし、サンプル採取時間は1日で同じようだ。おかしい???おかしいが被曝だけは先に防いでおく必要がある。洗濯物を取り入れるときにははたいて、外出から帰ったときには玄関先で服をはたいて、子供の服は洗濯を頻繁に、マスクをして、外出を控えるなどをしておく。様子を2,3日見ると判ると思うが、文科省が正直にデータを出してくれるのを祈るばかりだ。福島ばかりではなく、千葉市でもかなり高い値が出ているようだ。いま、範囲も調べている。とりあえず、福島、関東は要注意。(平成24年1月6日 午後6時10分)武田邦彦ーーーーー緊急憤激 東電は日本から出て行ってください事故で引責辞任した東電社長の退職金 2億円事故で電気代を上げる権利があると言った東電役員4万ベクレルを超えるのに掃除に来ない東電と九電力「定時降下物とは何ですか?」と聞く東電記者会見日本人は「悪かった」と謝らなければ許されない社会に住んでいます。交通事故や産業の事故とあまりに違うのに、記者(新聞、テレビ)が低姿勢!!(音声です)(平成24年1月6日 午後7時)「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.386-(7:27).mp3」をダウンロード武田邦彦「腸が煮えくり返る! 誠実さのないこんな国にはもう住みたくない!」と音声で武田氏が激怒。
2012.01.06
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・1、3、火確かに我々の生活が豊かになり、寒さ、飢え、病魔から逃れ時間も節約出来、寿命も倍近く延び、皆が豊かに暮らせるようになったのはほんのこの100年ほどの間だ。明治に入るまでは、何千年という間庶民の生活にほとんどさほど大きな変化はなかったのではないだろうか。これはヨーロッパの科学者たちが世界をがらりと変えてしまった訳だが、確かにそれは世の中が良い方向に発展したと言える。にも関わらず「昔は良かった、昔に返りたい」と皆心の何処かで思ってしまうのは何故だろう。おそらく物質の上で便利になり豊かになった代償として、心で感じる何かが不満を訴えているのではないだろうか。当時の人々のピュアな心、豊かな自然、貧しいからこそ強い家族の絆、人間関係の中の情、そんなものが今よりもずっと息衝いていたと信じているのだ。おそらく本当にその時代にタイムスリップしたら一時間ももたないだろうし、現代人がそんな時代に憧れを持っているなどと当時の人が知れば目を丸くすることだろうが、でも僕にしても、まだ昔の生活が色濃く残る明治を舞台とした小説が大好きで、強い憧れを感じてしまう。下記に示された「五箇条のご誓文」で、明治天皇がそんな民主的に筋の通ったことを言っていたとは驚きだが、正に明治天皇の「五箇条のご誓文」は、それを目指すことで不思議にそれ自体が失われてきたということではないか。いや、ひょっとしたら一度も守られたことのない五箇条なのかもしれない。ーーーーーー明るい未来が来るという原理原則人間には不安や恐れがあるので、時に「社会は悪い方向に行っている」と思うことがあります。確かに、短期的には戦争に突入したり、バブルがはじけたりしますから注意が必要ですが、だからといって「この世の終わり」と言うように悲観的に考える必要は無いように思います。私は良く「1000年後まで考えなくても良い」と言うのですが、それは1000年前、つまり紫式部の時代を考えてみたらわかります。京都に住む一部の貴族は別にして、一般国民はまだ多くが縦穴住宅に近い家に住み、土間で気を燃やし、飢えと寒さに震えていたのです。それは江戸時代になっても変わらず、貧困で食糧不足だった江戸時代の人は平均寿命は短く、体重も軽く、背も低かったと言われています。江戸時代は道徳心も高く、リサイクルもして資源も節約していたと言われますが、そうしないと生きていけない時代でもあったのです.そういえば、現代の日常生活で利用している多くのものは、この100年で発明されたり、実用化されたものです。自動車、航空機、電車、蛍光灯、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、水洗トイレ、瞬間湯沸かし器、ガス風呂、水道、エレベータ、エスカレータ、新幹線、高速道路、高層ビルから、レトルト食品、カップラーメン、電気炊飯器、電子レンジ、コンピュータ、パソコン、ファックス、DNA、原子力、レーザー、インタホン、プラスチック、ポリ袋、割れにくいガラス、携帯電話、電子メール、ナビなど数え上げればきりがないぐらいです。つまり、私たちの生活は100年で大きく代わり、街もすっかり変わってしまいました。ほとんどスギでできた簡単な木造平屋だった町並みにはビルが建ち並び、駅前などはきらびやかな高層ビルが林立しています。さらに平均寿命はこの100年で約40年も伸び、若い内に病気になること自体が少なくなったのです.「昔の生活は良かった」という人に「昔に返りたいですか? でも、そんなにお元気ではいれないかも知れません」と言うことがあります。なぜ、100年前より今の方が良い生活ができるのでしょうか?それは「日本人のほとんどの人が、今日より明日を良くしようと思っているから」というのが私の考えです.だから、誰もが「今日より、少しでも明日を良くしよう」と思えば、必然的に良くなる、そして「何が良いのか」も一人一人が自由に考えた方が良いと思うのです.多くの人が贅沢が良いと思えば、そちらに行くし、質素でも心の満足を希望すれば社会はそうなるでしょう。「みんな」は「じぶん」ではないので、自分から見ると少し不満でも、みんなの平均では良い方向に進むと思います。でも、いわゆる「偉い人」が「こんな社会が良い」というのは当てになりません.それは山片ばんとう(難しい字)の「大知」・・・つまりどんな偉い人の考えも、多くの人に知恵には勝てない・・・の原理があるからです.原子力のように日本人の多くが不安に思っていたこと、それこそ「小知」(専門家の知恵)を重んじ、「大知」(みんなの不安)を軽んじた結果のように思われます. 石油や石炭はまだ十分にあるのだから、なにも原子力をやらなくても、何だったら節約すればよいという判断は正しかったのです.新年にあたって、私は民主主義には欠点もあるけれど、日本は日本人によって作られ、日本人のためにあるのですから、再度、明治天皇の「五箇条のご誓文」に立ち返ることが大切と思います. 五箇条のご誓文の精神を活かした現代意訳を下に示しました.1.議論を尽くし、あらゆることを公開で、2.誰もが心一つにして、日本が平穏なように、3.偉い人を作らず国民が一致して、途中で挫けず志をまっとうし、4.風習にこだわらず、論理と正義に基づき、5.知識は世界に求め、盤石な日本の将来を作ろう!五箇条のご誓文は1868年に明治天皇が新年に誓約されたもので、戦争に負けた1946年に昭和天皇が日本が民主主義を目標としていたことを強調するために、占領軍(アメリカ軍)に申し入れて入れたものです。多くの人が天皇陛下は民主主義とは違うと思っていますが、私が原発の事故で言って来たことはまさに五箇条のご誓文に基づいていたのです。何でも「公開」、ジャジャ漏れで、明るくさわやかな毎日を過ごしたいですね。(平成24年1月2日)武田邦彦
2012.01.03
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皆様、明けましておめでとうございます。旧年中はご愛読いただき、誠にありがとうございました。今年も精力的に書いて行きますので、何とぞよろしくお願いいたします。去年は言うまでもなく、我らの国にとっては大変な受難の年でした。しかし原発事故を通して、この国の様々な部分がはっきりと見えて来た年でもありました。それは、私にとって少なからずショックなことでした。人は、自分の人生に何かしらの誇りを持つことができなければ生きては行けません。それと同様、自分の生まれ住んでいる国に対しても誇りを持つことができなければ、これもまた暮らしては行けないものではないでしょうか?しかし信じていたもの、誇りを持っていたことがことごとく裏切られ、騙されていたことがこの原発事故によってはっきりしてしまいました。我が国の子供たちの命よりも、己の収入が大事とする態度をあからさまにする大人たち(熟年層)。人体にとって非常事態であることを認めたくない、今の生活を何一つ変えたくないという大人たち(年配者層)の無関心さ。それらが私にとって最も大きなショックであり、失望でありました。原始の村で言えば、村のオサが村全体の安全と幸せに頭を痛め、知恵を絞ることを拒否した瞬間です。「今の若いもんは!」という明言は消えたのです。すべての責任を熟年者層に押し付けるつもりはありませんが、熟年者が先頭に立って知識を蓄え、村人を守るために立ち上がってもいいではありませんか。「もう、おじいいちゃんおばあちゃんはいちいち煩い!」と子供たちに言われるほど危険を警告し注意する。それだけで私はこの国に誇りを持つことができます。そういった意味で、武田邦彦氏が立ち上がった熟年者の貴重な一人として信頼を置き、日記への引用を続けて来ました。あのような目立った行動をする者に対して「どうせ危険を煽って、本を売るための行為だ」と批判する声もありますが、私は彼の文章からその人柄を読み取り、ある程度の信頼を持つことができました。いくら本を売るためとは言え、あそこまで多方面からのバッシングを受けてまで危険を訴え続けようと思うでしょうか?出版やテレビ出演、大学での職まで根こそぎ奪われる危険も含まれています。とはいえ彼の記述には時々首を捻る部分が見受けられたり、横暴な意見があったりもします。そのような疑問にも目を配りながら、彼の語ることに耳を傾けて来ました。専門的な間違いなどについては私に見抜く術もありませんが、とりあえず彼の記事から多くの興味深いことを知ることができました。これまで全く興味のなかった放射能物質に対して我々がどう対処すればいいか、マスコミで報道されている何が嘘で、何が成果なのかも知ることができました。「放射能や社会の批判ばかりでなく、もっと明るく物事を考えようよ!」という意見もよく耳にしますが、決して悲観的に捉えているのではなく、これが今の我々の頭の上にある現実なのです。それらの社会的嘘が原発事故を引き起こし、これからも我々を危険にさらし、この国を誰も住めない島にしてしまう可能性だって含んでいる訳です。元々地球に存在する原子力や放射線が悪いのではなく、それを扱う人間の問題ではないでしょうか?「欲に膨らんだ個人利益」という悪魔に取り付かれた、我々の心の問題ではないでしょうか?これらは私たちの身近な暮らしにとっても同じことです。高価な車に乗り、綺麗な家に住み、毎日美味しいものを食べ、旅行に行ったりゴルフをしたりという生活が当たり前の現代人にとって、その悪魔の手を逃れることは不可能に近い難しさです。それでも私は日々の生活で、失敗や怠慢の中でも国という集合体が何であるか、何故我々は肩を寄せあい生きるのかを考えながら、この2012年も暮らしたいと思います。そしてそれが私の音楽にも少なからず影響を与えていることを感じます。もしうんざりされることなくお付き合いいただければ、とても嬉しく思います。
2012.01.02
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