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バスの中で僕は突然「ああ、退屈だよな」とため息混じりに言ってみる。「またそれ?あなたはいったいいつ退屈じゃないのよ」ととなりの少女が横目で言う。「君みたいに若いころは男たちは皆なんでも出来ると思っている。でも実際はたいしたことは出来ないものなんだ。少しずつそれに気付き始めると人生が意外に詰まらないものだと分かって来る」「それであなたも人生が退屈なのね」「そう、でもそれが年を取るということなんだ」「ふーん、あなたの年でそれじゃ後の退屈な時間はすごく長いわよ」「だから皆酒を飲んで時間の感覚を麻痺させたり、ばくちのような余計な事業に手を出して夢と引き換えに借金を作ったりするんだ」「へー、男の人ってバカみたい」少女からは新しく変えた香水の微かな香りがしている。耳には子供っぽいイヤリング、ちょっと短過ぎるスカートに裸の太腿。それでも僕は性的には全く興奮を感じない。「男の人の求めるワクワクと女の人が求めるワクワクは違うのねきっと」「そうなんだろうねきっと」「でもだからこそ私達今バスに乗ってるんじゃない」「何処に行くんだろう」「持ってみると意外に重くて、柔らかいけどちゃんと角だってある海牛を見に」「それで僕の人生がワクワクするようになるのかな」「自分を客観的に持ち上げてみるところから始めるのよ」少女は相変わらず横目で僕を見ながらまろやかな微笑みを口元に浮かべる。2007年4月
2007.04.26
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クワストフはとうとう歌劇場のコーラスの仕事に就くこととなり、一年半続いた我々二人のコンビによる絨毯配達の仕事も終了することとなった。朝まだ暗いうちから起きなくてはならない生活にもうんざりしていたが、いざ終わるとなると何だか寂しいような気もした。寒い日は山靴を履いて膝上まで積もった雪の中を、夏の暑い日は半パンに帽子を被って汗だくになり、激しい雨の降る夜もずぶ濡れになって二人で絨毯を運んだ。そこで僕はドイツ語を覚え、ドイツ人の気質を知り、山間の小さな村の古くから続くドイツの人々の生活を数多く見た。今もドイツ歌曲を歌う際、そういった彼らの生活を思い出す。我々の最後の配達は八軒と結構多かった。工場の絨毯をLKWに積込み、我々は車に乗り込んで、いつものように住宅街に向かった。クワストフは黙ってハンドルを握り、僕たちはあまり話さなかった。八軒全部配達し終わると我々は汗だくになってはあはあ言いながら車に戻った。「どこの歌劇場で歌うんだい?」と僕はようやくクワストフに質問した。少しの沈黙の後「ベルリンの近くの町らしい、まだはっきりとは決まっていないんだ」「そんなに遠いところかい、それじゃそうしょっちゅうは帰って来れないな」「そうだな、でもそのうちケルンの歌劇場にでも戻って来れるように頑張るよ」「君がいなくなると寂しいな」「ここでいい勉強をしていいテノールになれよ」と言ってクワストフは僕の膝を揺らした。「ああ、どうなるか分からないけど、とにかくやってみるよ」「元気でな」と言い手を差し出した。僕も手を取り「君も元気で」と彼の顔を見た。そして仕事を終え、ディーリングハウゼンの駅で別れた。ケルンへの列車の中で僕はクワストフのこれからの幸せを祈った。 つづく
2007.04.23
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今年もまた故郷の山奥のダムにやって来る。いつもより水が少なく、土葬の墓から露出した色褪せた骨のように茅葺き屋根の先が見えている。あの時幼い僕が立っていた場所と同じ所に今いるはずだから、あの屋根は三郎じいさんの家かもしれない。27年前、村人(たち)が皆この小高い丘の上に立って、住み慣れた村に少しずつ流れ込む水を見下ろしていた。晃や則ちゃんと独楽回しをして遊んだ路地にもゆっくり水が溢れその上に朝の日の光が影を作り、生まれ育った家の角の崩れ落ちた見慣れた白い壁も日に照らされて光って見えた。「三郎じいさんが若いころよくあの家の縁側を舞台代わりにして落語を聞かせてくれたのよ。お母さんはまだ小さかったけどよく憶えているわ、テレビなんかなかったから楽しみにして、皆庭に茣蓙を敷いて座って聞いたの」僕が見上げると母は三郎じいさんの家の縁側を瞬きもせずじっと見下ろしていた。縁側は開け放たれ、古い畳の上にも水は流れ込み始めていた。僕の周りの村人からはすすり泣きの声が聞こえたが、母は涙を流さずただじっと時間の消滅する瞬間を見守っていた。今は皆もういなくなって、静かな水面に鶯の声がこだまし、その水の下ではささやかな落語会に集まる村人たちの笑い声が響いている。2007年4月
2007.04.21
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母親の愛を知らず、人の情を憎み、近付いて来る男たちを殴り倒し、女たちを騙し続けて、あばらの見得る馬にまたがり町から町をただ南へ進んだ。俺が心を許すのはこの血に染まった一本のナイフだけ。他人を蹴散らすことでのみ自分を守って来た俺の心は初めてナイフ一つ持ったこともないその白い柔らかな手によって深く傷つけられ、その場に倒れ込んだ。甘く疼く傷口から流れ出る熱い血液は不思議な清々しい離脱のようであり、おまえの黒い瞳を人知れず濡らす涙は俺が歩いて来た乾いた荒野の砂埃に優しい雨を降らせた。そして俺の墓におまえが花を手向ける日、ついに根の無い野獣は体の力を解いて土に心を許し、この地に柔らかく抱かれて眠るだろう。2007、4月
2007.04.14
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お城の外に出て建物を見上げてみると、それは本当にかっこいい形をしている。 鋭く尖がった切妻の屋根と、ベランダの欄干に目隠しのように立てられた壁に等間隔に開けられた銃を撃つための穴などが威圧感を出し、テレビで見たドラキュラー伯爵の城そっくりだ。 「お城はBurg(ブルク)とSchloss(シュロッス)に別れて、これはブルクの方ね」とチョンソンが僕の横に立って言った。 「どういった違いがあるの」「シュロッスは住むためだったり、別荘だったりして、お客様などを招いてパーティーをしたりする。 平地に建っていて、綺麗な庭園にお堀がある。 それに対してブルクは敵が攻めて来てもすぐ分かるように小高い場所に建っていて、自分の領地を守るための戦闘用になっているのよ」「なるほど、見るからに挑戦的だもんね」 「帰りは歩いて下まで下りましょうか」「えっ、ケーブルカーに乗らないの」「下りだから大丈夫よ、綺麗な景色を見ながら歩きたいわ」「そ、そうだね」と苦笑して言ったが僕はすでに疲れ果てていた。 いつも思うが、この体力はチョンソン独自のものだろうか、それとも韓国人は皆こんな風なのだろうか、時々僕の体力では付いて行けない時がある。 でも確かにドイツでは珍しい柔らかな春の日差しとライン川を見下ろす景色はとても気持ちよく、いろんな話をしながら一時間ほど掛けて僕たちはなだらかな坂道を歩いて町まで下りて来た。 我々はライン川の畔にあるレストランでピザとビールを注文し、僕はぐったりしながらそれを食べた。 チョンソンはまだ余力があるようで、夕闇が迫る外の風景をきょろきょろ見回していた。 「ねえ、今度はちょっと遠くまで足を伸ばしましょうか、例えばスイスなんてどお」 「いいね、でも僕が君の元気に最後まで付いて行けるかどうかそこが問題だ」「もう、あなたそれまでにちょっとジョギングでもして鍛えれば」 我々はもう一杯ビールを飲んでケルンに向かって列車に乗り込んだ。 つづく
2007.04.10
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ケーブルカーを降りて少し坂道を登るとお城の入り口があった。 その門前に三頭のラバがつながれていて、係員がそのうちの二頭を他の場所に移していた。 その途端残された一頭が「僕だけを置いてかないでくれ」と言わんばかりに悲鳴を上げて泣き出した。 それは想像を絶するものすごい声で、その辺にいた人々は皆驚いて立ち止まりこちらを見た。 でもとても頭のよさそうな動物だった。 お城の中には結構たくさんの観光客がいて、ガイドの率いる列の後に僕たちもついて歩いた。 僕はガイドの話すドイツ語がほとんど理解出来なかったが、チョンソンは大体理解しているようだった。 でも聞き取りに必死で、全然説明してはくれない。 僕は仕方なくその辺の置物やテーブルをいじくり回していた。 手袋をはめた係員のような男が僕の所に飛んで来て「触らないで下さい!」とものすごい形相で言った。 よく見ると展示物の至る所にNicht fassen(触るべからず)と書いてあった。 二階の部屋全部と大きなベランダのような所に大砲を据える場所なんかも回り、ガイドの案内が終わった。 チョンソンはパンフレットにも目を通し、結構楽しんでいたようだったが、僕は退屈の極みだった。 つづく
2007.04.08
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いつの間にか歳を取ってみれば私は一人ぼっちでこの小さな部屋に横たわっている。どうやら倒れたらしい。傍らの畳の上には急須と湿ったお茶の葉がちらばっている。このまま私は死ぬかもしれないなとぼんやりした意識の中で考える。ありったけの現金と少しの荷物を持って真夜中に家を出る若いころの自分を突然思い出した。私の背後の家の中には妻と二人の幼い子供が眠っていた。華やかな世界での仕事も家族も全部捨て、遠く離れた町で長距離トラックの運転手をした。耐え切れず孤独の中に逃げたのだ。あれからどれほどの年月が経ったろう。一生を掛けて何から逃げおおせたというのだ。窓の外の夕暮ではサッカーボールをける音と子供たちの声が聞こえ、私のまぶたの裏には長距離トラックのフロントガラスに映る街灯が、等間隔に後ろに飛び去り続けるのが見えている。私の罪はいったい何と引き換えることが出来るだろう。2007年4月
2007.04.02
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