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人はそれぞれ違う。考えも違う。違っていて当たり前。違うから、人間は美しい。どんなに仲の良い友達だって、全く同じ考えなんてことはありえない。違う考えを持っているから、お互いをひきつける。でも、違う考え(たとえそれが正反対の考えだとしても)をもっていても、友達になれる人もいたり、友達になれない人もいる。その違いは、「相手を理解しようという心」だと思う。違う意見をもっているからといって、まるっきり相手の言うことを理解しようともせず、相手のあら捜しをし、真っ向から否定していては、相手を理解することはできない。そして、相手を頭から否定していては、建設的な議論はできない。自分の心をからっぽにして、先入観も自分の感情もなくして、まずは、ひとの言うことに耳を傾ける。そうでないと、相手が本当に意味していることはつかみとれない。それどころか、相手を傷つけ、争いになる。相手を理解しようとするこころがなければ、どんな素晴らしい思想を持っていたって、世の中の争いはなくならない。シュタイナー批判を書いてくれた友人は、私を理解しようとしてくれた。だからこそ、批判を書いた。その内側には、理解しようという心があった。だから、「批判」が嬉しく私の心に響いた。でも、単に否定してかかる人は、世の中の争いを招いているだけ。そんな(第三者の)コメントを、彼女のブログで見て、とても悲しくやりきれない思い。
2006年02月28日
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昨日、例のフィリピン人の彼女に会った。それまで、電話しても応答なしだったし、家を訪ねたけど、出てこなかった。誰にも会いたくなかったのだと思う。無理もない。昨日は、偶然に町で。私の顔を見て、嬉しそうに微笑んだ彼女。「来週、フィリピンに帰るの」と、寂しそうに笑った彼女。彼女の様子を聞いて、彼女の肩を抱きしめて、私の気持ちを伝えた。昨日の夜は、彼女のことを考えて泣けてきた。彼女、どんな思いだろう。彼女の思いを想像するだけで、胸が苦しくなる。代われるものなら代わってあげたい。でも、これは彼女自身が乗り越えなければいけない試練。代わってあげられるとしても、身代わりになってあげるのは、彼女のためにはならない。彼女が頑張って乗り越えていけるように、私にできることはできるだけしたい。自分のことでない痛みは、自分のことよりも、私の心に深くつきささる。自分の苦しみだったら、何とか頑張っていこうって思えるのに、ひとの苦しみは、余計に辛くてたまらない。
2006年02月28日
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記事や、コメントのお返事など、書きたいことが色々あるのですけど、ちょっと慌しくしていてできません。ごめんなさい。必ずお返事しますから、待っていてくださいねーーー。あと、大学時代の親友が、ブログに、シュタイナーのことを書いてくれました。シュタイナー批判、と彼女は言って、「ごめんね」と、メールも送ってくれました。親友の信じているものに、対立する意見を書いたこと、彼女にとっては、とても、勇気のいることだったに違いありません。書くまで思い悩んだ姿が、目に浮かびます。でも、私は、彼女の書いたものから、全く「批判」というものを感じていなくて、「対立」も感じていません。そのことについても、もう少し、ブログ上で書いてみたいのです。でも、深く考えながら書く余裕が今ないので、もう少し先に、余裕のあるときに、書きたいと思います。ただ、彼女のブログが私を傷つけたりはしていないし、それどころか、彼女が、勇気を振り絞って書いてくれたことに、私は感謝しています。だって、友達だもの。感じていること、正直に言ってくれて、嬉しいです。正直に言ってくれるからこそ、これから先も、彼女とはいい友達でいられると思うのです。あんまり思い悩まないでねーーー。
2006年02月27日
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円に内接するように描かれた正五角形。その対角線をひいて描かれたペンタグラム(星型)。これを見ると、いつも、Dr.エルンスト・シューベルトが言っていたことを思い出す。星の中心にできる小さな正五角形の面積は、人間の肉体の大きさを表す。星型の面積は、人間のエーテル体の大きさ。正五角形の面積は、人間のアストラル体の大きさ。一番外側の円の面積は、人間の自我の大きさ。健康でない人間は、このバランスが崩れているのだそうだ。もちろん、この「健康」は肉体だけの話じゃない。霊的な部分、エーテルやアストラルも含めての話。現代人で、霊的な意味で健康な人間って、どれだけいるだろう。せめて、子どもたちには、真の意味でバランスのとれた健康な人間に育って欲しい。
2006年02月25日
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シュタイナー教師の仕事は、種をまくこと。子どもたちの中に、これから育つ種を。「三角形とは、3つの辺と3つの角で成り立つ多角形。」そんな概念を、最初から押し付けたりはしない。三角形を描いてみたり、動いてみたり、自然の中の色んな三角形を探してみたり、三角形を感じてみたり・・・・。そんな体験をするうちに、三角形というものが、彼らの中で息づきだす。それが、種。その後、私たち教師は、種を育てるための栄養をあげるけど、その種を育てていくのは、生徒自身。一般の教育では、効果がすぐに点数になって現れる。でも、シュタイナー教育でまかれた種は、すぐには成長しない。時間をかけてゆっくりゆっくり育ち、彼らの中で生き続ける。メインレッスンの中で、たくさんの健康な種を子どもたちの中に植え付けたい。その一心で、工夫を凝らす。3週間のメインレッスンじゃ足りない。やりたいことが多すぎて。
2006年02月25日
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知人が二階から飛び降りた。自殺未遂。とっても純粋なフィリピン人の女の子。まだまだ人生経験も浅い20歳台前半。イギリス人男性と恋に落ちて、結婚するためフィアンセ・ヴィザでイギリス滞在中だったのだけど、男性の気持ちが変わってしまった。私は、当事者じゃないから、どっちが良くてどっちが悪いと、判断することはやめておく。でも、悲しくて仕方ない。私にできることがないか、明日、彼女を訪ねてみるつもり。ただただ、彼女を抱きしめて、彼女の気持ちを聞いてあげたい。
2006年02月24日
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今日の黒板絵。7年生の幾何学。正五角形、ペンタグラムの作図から、黄金比へと進みます。
2006年02月24日
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朝一番のメインレッスンのために、毎朝家族4人で登校する。夫は、今メインレッスンがないので、私が教えている間、子どもたちを遊ばせながら、授業の準備などの作業をする。夫の教室で、めいっぱい動き回って探索して回る子どもたち。だから、私の授業が終わったあとは、子どもたちはもう、お昼寝モード。私も疲れているので、子どもたちを連れて家に帰る。早々に、子どもたちをベッドへ送り込み、私はブログを見る。ブログを見ることが、教師としての私を切り離すのに役立っている。子どもたちが目覚めたら、すっかり母親の顔ができるようになった。明日で、復帰最初の一週間を完走する。反省する部分は多々ある(反省ばかり?)けど、育児、家事と両立しながら、未だに夜通して眠れぬ寝不足の頭で、けっこう頑張ってるじゃない、と、ちょっとは自分のことも誉めてあげたい。ブログを(見るだけでなく)ちゃんと書きつづけている自分にも驚き。
2006年02月23日
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読書会3 「アストラル体」「自我」(イザラ書房版 p.50 l.6 - p.55末)人間の第三の構成要素は「アストラル体」。感情体とも言うように、人間の感情の担い手。好き、嫌い、欲望など、一般に「感情」といわれているもの。エーテル体とは、力の形態。アストラル体は、「それ自体のなかで動きと色彩にみたされながら、光り輝くイメージ」からできている形態。この描写は、ドキドキするくらい感動的。私たちの生命は、力。気は力の現れ。アストラル体は、美しい色に光り輝いて、動いている。きっと、光り輝いているアストラル体は、美しい感情で満たされているのだと思う。醜い感情が心に渦巻いている時のアストラル体は、きっと美しくない色で、ひかりも鈍いに違いない。・・・と思う。第四の構成要素の自我は、私という概念。外の世界と内なる世界の境界。2歳くらいの子どもが、突然、反抗的になり何でもかんでも"No! No!"と言い出す。世界に対して「我」が出てきた頃。もう少しして、3歳くらいになると、自分のことを「わたし」「ぼく」と言い出す。「自分」という意識が生まれる。「自分」というのは、人間だけが使う特別なことば。自我は、肉体、エーテル体、アストラル体に一本の柱のように上(自我)からつきささっている。(あくまでイメージです)自我が、これらの三要素に深く影響を与える。自我の使命は、まさに、「ほかの様々な構成要素に働きかけて、それらを気高いものにし、純化する」こと。まさしくその通り。そのために、私たち人間は生きている。つまり、進化していくために。「良い芸術に心身を浸すことで、自我がエーテル体にまで働きかける。」というところがとても印象的だった。芸術がアストラル体に働きかける。美しさが感動を呼ぶ。心が喜ぶ。もっと深く芸術を体験すると、それがエーテル体まで浸透する。つまり、エネルギーの流れみたいなものが、芸術によってエーテル体に流れ込む。音楽を考えてみると分かりやすい。音楽のリズムは生命そのもの。エーテル体はリズムだ。呼吸、睡眠のリズム。リズムを整えることで、エーテル体を強くする。そんな風に、芸術によって、自我がアストラル体を通し、エーテル体まで働きかける。*****次回は、「高次の人間本性」にしましょう。イザラ書房版では、p.56-p.58 l.7 です。
2006年02月23日
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シュタイナー教育では、席を決める時、同じ気質の子どもをかためる。似た気質の子どもたちが集まると、同類の気質が刺激をしあって、他の気質が伸びていく。例えば、憂鬱質は憂鬱質同士かためる。そうすると、静かな憂鬱質の子どもが活発になり、胆汁質的な資質を伸ばすことができる。緑色にベタ塗りされた面をジーッとみていると、眼の中で緑の補色の赤が見えてくる。それと同じ原理だという。教師も、子どもの気質を見て、子どもの気質に合わせて対応を変える。憂鬱質の子を頭ごなしに叱っては、傷ついてしまうので、理性的に、共感を込めて諭す。胆汁質の子は、強い人に惹かれるので、教師はたくましくて強いリーダーになる。悪いことをしたら、ガーンと強く叱る。我が家の場合、長男は憂鬱質と胆汁質の組み合わせ。憂鬱質的傾向が大きい。すぐに爆発し、泣き出すと止まらない。そんなとき、彼の憂鬱質的なところを考えて、「悲しいねーー。ママと一緒に遊びたいのに、遊べなくて。」って、さも悲しそうに、共感を表す。「(長男が)泣いてると、ママも悲しくて悲しくて仕方ないよ。」と、本当に泣きそうな顔を作る。そうすると、長男、すっと泣き止む。緑色の中に赤が生まれた・・・。私にとって難しいのは、粘液質の子ども。対応に悩みます。どなたか、粘液質の子どものお母さん、ケーススタディ・・・しませんか?
2006年02月23日
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人間の体や心にも毒出しが必要。悪いものは、体から出してしまう。出す時には、症状が自分の弱いところを狙って現れる。でもそれは、悪いものを出してしまって、いいものを取り込むための、必要な過程。最近のエルムフィールドが、そんな毒出しの状態・・・のような気がしている。昨年度から夫が勤め始めて、学校改革に乗り出して、そして、今年度は、トラブル続き。今まで抱えていた色んな問題が表面化してきて、それを解決せずにはいられない状況。そんなことが、次から次へと起こる。これから良い方向へ向かう為の毒出しに違いない。ただ、この毒をうまく出し切るには、かなりの根性が必要。人間の体の毒出しと同じ。ここで、毒を封じ込めてしまうと逆効果。とことん、毒を出し切るだけの根性があるか。今、エルムフィールドは試されている時だと思う。でも、毒が出始めたのは、いい兆候。これを上手く乗り越えるように、私もできるだけ頑張りたい。素敵な素敵な学校だもの。
2006年02月22日
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教壇復帰。専業主婦は廃業。教師業と母親業と主婦業を兼業。といっても、やっぱり、子どもが優先なので、朝一番のメインレッスンを教えるだけ。昼からは、子どもたちとの時間を大切にしながらも、やっぱり頭では、学校のことを考えずにはいられない。昨年度、教えてた時は、まだ次男が生まれてなくて長男だけだった。教えた後に、長男のところに戻るとすぐに、気持ちが切り替わって、「母親」に戻った。今回は、まだその切り替えが上手くできていない。教師の顔を、家でもしてる。子どもたちに接する時は、体も心も全部、子どもたちに向かっていたいのだけど。それにしても、女性って凄い。学校にいるママさん先生たちは、うまく、ママの顔と教師の顔を切り替える。うちの息子たちを見ただけで、すぐに、教師でなく母親の顔に変わってる。私も、慣れたらそうなると思うけど。この生活に慣れるまで、ちょっとだけ待っててね。
2006年02月22日
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今日から、メインレッスンが開始。後ろで見ているR先生は、狐につままれた顔。今日一日で、R先生にはシュタイナー教育を理解しようという気持ちがないことがはっきり分かった。R先生から、シュタイナー教育に対する反感さえも感じてしまい、かなり失望。授業が終わった後、クラス担任が、「R先生の代わりに物理も教えてくれない?」彼女も、R先生のシュタイナー教師としての姿勢には不満。物理は専門ではないけれど。教えることになりそうな予感。それにしても、(特に)高校レベルのシュタイナー教員の人材不足はかなり深刻。何とかしないと。シュタイナー学校でシュタイナー教育ができなくなっちゃう。
2006年02月21日
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数日前の日記「焦り」のつづき。いいことを思いついた。R先生には、色んなアクティビティに生徒と一緒に参加してもらおう。体を使ったムーブメント、スピーチエクササイズ、手仕事、作図、それから、ユーリズミーまで。シュタイナー教育を知らない人は、まず、体験してみるのが一番。授業を、第三者として見ているだけより、よっぽど勉強になるはず。私も、その方が楽しいし。
2006年02月20日
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ブログを始めて4ヶ月。シュタイナーを中心に輪が広がってきて、定期的に来て下さってる方も増えている様子。ブログならではの、素敵な人たちとの出会いと交流。読書会を始めてから、人智学に関する話題も深まってきて、嬉しい限り。そして、読者の方のコメントによって得られた、いつもとは違う気付き。そして、コメントに対する回答を書くのも、人智学の学びになることは勿論、自分の魂と対話をしながらの作業。私の魂が、精神が、鍛えられるのを感じています。今、私の中が感謝の気持ちで満たされています。コメントを下さる方はもちろんのこと、読みに来てくださる全ての人に、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
2006年02月20日
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昨晩、友人宅のディナーに招かれた。学校の同僚たちが集う。ドイツ人の女性クラス担任が、私の息子たちを見比べて言う。「二人とも随分違うわね」それを聞いて、イギリス人女性教師が言う。「そうかしら。とってもよく似ていると思うけど。」後になって、夫が言う。「あれは、イギリス人とドイツ人の、世界に対する態度の典型的な違いだね」確かにそう。イギリス人は、世界に対して共感が強い。おおらかというか、心が広いというか、目の前にあるもの、ことを疑わずに受け入れる。ドイツ人は、世界に対して反感が強い。まずは、ネガティブな面を見たり、疑ってみたり、批判してかかる。日本人はどうかな。世界に対して反感が強い方だろうな。ほんと、国民性の違いって面白い。
2006年02月19日
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幾何学のメインレッスンで、やろうかやるまいか、迷っているアクティビティ。日本では、確か子安美智子さん(だったと思う)の本で九九の練習用とか紹介されていたように思う。別に九九用教材と決まっているわけではなく、7年生の幾何の題材にもなる。クラス担任の、何気ない提案だったのだけど、どうしようか検討中。作図して、釘を打って、糸をかける。それだけのことなのだけど、30人近いクラスでこれをやるとなると、授業がカオスになることは目に見えていて。授業がカオスになることは悪いことじゃはない。カオスになるときと、集中して作業する時と、うまくリズムができるのがいい。できたものはとても美しいし、糸をかける作業は、幾何の美しさ、規則性を体験するのに最適。さて、どうしよう。まだ迷い中。
2006年02月19日
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こんどの月曜日まで、ハーフターム休暇。その翌日の火曜日から、私の幾何学メインレッスンが開始。教壇復帰の日。今までリラックスして構えていたのだけど、今になって焦りと不安。大きな不安材料は R先生。R先生は新人で、シュタイナー教育のことをほとんど知らない、高等部の生物とIT担当教師。と言うわけで、色んな先生についてまわって、シュタイナー教育を勉強中。そんなR先生が私の授業を見る。これは、クラス担任が私の授業を気に入ってくれたことから、始まってしまったのだけど、私だって、シュタイナー教師としては新人。同僚のお手本にさせられるなんて、とっても気が重くて仕方がない。お手本にさせられる、というだけではなくて、R先生本人に、不安材料がある。R先生は、年上の男性、本当はお医者様。日本の、男性優位の学歴社会で、目上の人を敬うように育てられてきたのが、体に染み付いている。R先生はその三拍子が揃っていて、それだけで、私は苦手意識が。これは、この体に染み付いた苦手意識を克服する為の試練?それとも、嫌なことは嫌、って、正直にNOと言うための試練?ああ、気が重い。
2006年02月18日
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Dr.シュタイナーは言った。小さな子どもは、世界と一体になっている。子どもは、自分と世界と言う区別がない。彼らは、その環境の一部分。特に、3歳くらいまでの子ども。彼らにとって、自分は世界の一部。だから、彼らは「わたし」とか「ぼく」と言う一人称は使わない。「たろー」とか「ちーちゃん」とか、自分のことを名前で呼ぶ。小さな子どもを見ていると、世界に溶け込んでいるのが良く分かる。いい環境も、良くない環境も。だから、子どもたちが良くない環境にいると、彼らの態度がおかしくなる・・・。先日、シュタイナーのターコイでのレクチャーを読み返した。そこには、「子どもは環境と一体になっているから好奇心がない。」「彼らの好奇心に訴えかけて、育てようとしてはいけない。」え????子どもは好奇心のかたまり・・・だと思うけど。同じレクチャーの英語版を見てみても、curiosityという単語を使っている。好奇心。うーーーん????夫と議論。夫の見解は、ドイツ語の好奇心という単語は、interestに近い。つまり「知的好奇心」という意味合いが強い。シュタイナーは、ここで「知的好奇心」の意味で使ったに違いない。納得。納得。子どもの好奇心は、知的なものではなくて、純粋な「興味」。だから、「好奇心」"curiosity"という語を使ってしまうと、全く意味が違ってくる。だって、共感からくる純粋な好奇心と、反感からくる知的好奇心では全く違う。小さい子どもに、この反感からくる知的好奇心はない。知的好奇心に働きかけることは、彼らの才能をつぶしてしまう。さて、このレクチャーは、人間理解からの教育に収められています。翻訳は難しいですね。でも、このレクチャーは、シュタイナー教育の基本が分かりやすく説明されていて、初心者向けのいいレクチャーです。
2006年02月17日
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今日は、車ででかけました。バーミンガムで所用を終え、リッチフィールドという町へ。そこの大聖堂を見ようと思って。リッチフィールドに着いて、夫が、手帳がないことに気付きました。夫の手帳は、財布と一体型。現金、クレジットカード、運転免許、ナショナルインシュランスカードなどが入っています。どうも、車に乗り込むときに、手帳を車の屋根に置いたまま、手帳を忘れて自分だけ乗車しちゃったらしい。そんなこと、普通しないよねぇ・・・。でも、実はうちの夫がいかにもしそうなこと。普段から、所持品の管理はズボラで、常々注意するように警告はしていたのですが。そんな人なので、今回のことも驚きもしませんでした。本人は、カーッとなっちゃって、モノに当り散らすわ、私や子どもにも当り散らすわ・・・。私や子どもには何の罪もないのだけど。これもいつものことなので、適当に受け流し、「今できることをしましょ。」と落ち着いて言って、責めもせず、怒りもせず、クレジットカード会社に電話したり、警察へ行ったり、どこで車の屋根から滑り落ちたか分からない手帳を求めて、夫の気が済むまで一緒に探し回り・・・。見つかるわけないよねぇ。怒りがおさまり、落ち込んでいる夫に、「事故にも遭わなかったし、家族4人みんな元気だし」「手帳はなくしたけど、あなたは私を無くしてはいないわよ。まだ。」と励まし、その上、私たちお気に入りのイタリアンレストランへ連れて行き、美味しいものを食べ、気分を良くしてもらい、帰宅したのでした。はぁ。自宅の留守電に、手帳を拾ったとのメッセージ発見。ホッと胸をなでおろしたのでした。これも、夫が自己管理できるようになるよう、通るべきレッスンだったのでしょう。・・・・・・・・・・・・・。それにしても、私って、つくづく損な役回りだわ。
2006年02月17日
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読書会2 「肉体とエーテル体」(イザラ書房版 p.45 l.4 - p.50 l.5)人間の構成要素として、肉体、エーテル体、アストラル体、自我というように人間を四分割する見方がある。今回は、そのうちの二つ、肉体とエーテル体について。肉体というのは、私達の物質的な体のこと。皮膚や筋肉や骨などの、私達の(一般的に言う)感覚を使って、感じ取ることができる物質。だから、鉱物も植物も動物も人間も肉体を持つ。エーテル体というのは、別の言い方をすれば生命体。いのち。鉱物はいのちがない。つまりエーテル体を持たない。水晶はゆっくりゆっくり成長するけれど、それは、エーテル体の働きではなくて、形成体というものの働きだとシュタイナーは言う。植物も動物も、私達人間もいのちがある。つまりエーテル体を持っている。イメージするとしたら、私達の肉体より少しだけ大きい、私達の目には見えないエーテルと言う名の「体」。肉体が、それ自体で存在するように、エーテル体もそれ自体で自立する。霊眼の開けている人には見えるけれど、一般人の私達には見えない。見えないから存在しない!というのは唯物論者の言うこと。物質である肉体を見るのには、肉体に備わった物質的な眼が必要。霊的な体であるエーテル体を見るのには、霊的な眼が必要。盲目の人が目の手術で目が見えるようになるように、私達も、霊眼が開ければ、エーテル体が見える。そして、シュタイナーは、「誰でも、忍耐強く修行をすれば霊眼をひらくことができる」と言う!!エーテル体は、私達の肉体を保持する。エーテル体がなければ、私達の肉体は滅びていく。私達が今の生を終えた時、肉体からエーテル体が離れていく。そしていのちを失った肉体は、滅びていく。それから、エーテル体は、私たちの体を作っていくのにも働いている。親から生まれてきた肉体は、7歳までに全て(細胞も歯も)が生まれ変わる。その後人間が、自分自身の(親からもらったものではない)肉体を作っていくことができるのは、エーテル体があるからこそ。肉体やエーテル体が、教育の中でどんな働きをするか、という話はこの後に出てくるので、ここでは、まず、肉体、エーテル体とは何か?ということだけで話を留めておきました。*****次回は、「アストラル体」「自我」イザラ書房版では、p.50 l.6 - p.55末の予定です。
2006年02月16日
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シュタイナー学校でも、色々だ。それぞれ問題を抱えながら理想へ向かっている。エルムフィールドの場合、問題は伝統。50年の歴史を持つエルムフィールドは、先生達もベテラン揃い。20年、30年とシュタイナー教師やってる先生が多い。それはそれで素晴らしいのだけど、どうしても、新しいことを始めよう、というエネルギーに欠ける。だって、みんなかなり年齢もいってるし。夫はそんな中に入って、学校の改革へと向けて一人戦っている。「若い仲間が必要だよーーー」「kayo・・・、早くフルタイムで働いてくれよーーー」と嘆く夫。私は、内心、今パートタイムでよかったと思っている。だって、学校改革に乗り出す前に、シュタイナー教師として、もっと自分を高めておきたいもの。
2006年02月16日
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引越し話がもちあがっている。学校のメインビルディング。その建物は、産業革命で儲けた資産家のお城だった。そこの最上階(と言っても3階だけど)全部が、一軒のフラットになっていて、そこに入らないかと言われている。学校は丘の上に建つ。その最上階からは、町全体が見下ろせる。道路から離れているので静かだし、隣家からの騒音もない。広々として、天井も高いフラット。暖房費がかさむだろうけど、環境この上なし。1日24時間学校にいることは、メリットもデメリットもあるけれど、私達には絶好のお話。ただ、イギリス人は、話がもちあがってから実現までに、もの凄く時間がかかる。数ヶ月で実行されれば早い。数年かかるかもしれないし、数十年かかるかも。もしかして、実現しないかも。ということで、あまり期待せずに待っている。
2006年02月15日
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昨日、夫が探し物をしていたとき、無くしたと思ったアメリカの友人の連絡先を発見。連絡先がなくなって、つながりが切れちゃったかと思って悲しんでいたのだけど、見つかって本当にラッキー。早速アメリカへ電話。お互いに連絡先が分からない状態で、2年ぶりの会話。アメリカから、何かプレゼントを送ってくれるという。夫は、「リーバイス!」とリクエスト。だって、アメリカでは3000円くらいなのに、イギリスでは、13000円くらい。1着買うのも躊躇していた。電話の向こうでは、友人が私のリクエストを尋ねる。とっさに思いついたのが、「ジャンバ・ジュース!」ジャンバ・ジュースは、アメリカのスムージー屋さん。新鮮な果物をその場で絞ってスムージーを作ってくれる。電話の向こうでは、笑いながら、「送ってもいいけど、受け取っても嬉しくないと思うよ。」と言う声。電話が終わってからも、アメリカから何が欲しいか考えてみたけど、特に思い当たらない。アメリカ(CA)のもので恋しく思うもの。ジャンバ・ジュース豊富で美味しいフルーツ便利さ、物価の安さスケールの大きさ太陽の光
2006年02月15日
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冬期オリンピックで思い出すのは、高3の冬。冬期オリンピックが開かれていた。3月の大学入試二次試験本番に向けて追い込み・・・、だったはずが、私はオリンピックばかり見ていた。冬のオリンピック。滑るもんや、落ちるもんばっかり。だから、第一志望落ちたのか。・・・ってことはないけれど。
2006年02月14日
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夫が、父兄向けの冊子の作成をしている。夫の教えるクラフトについても、説明を書かなければならない。こういうとき、難しいのが、人智学のことを知らない人にも分かる説明をしなければいけないこと。例えば、シュタイナー教育を説明するのに欠かせない、思考と感情と意志の働き。思考と感情というのは分かりやすいのだけど、「意志」というのが、誤解されやすい。シュタイナー教育で言う、意志というのは、意志を伴う「行動」のこと。教育の中では、何かを作ったり、描いたりする、手を使ってする行為のこと。簡単に、「意志」と言うだけでは意味が違ってくる。ここで言う「意志」とは、完璧な人智学用語だ。そんなかんだで、私達シュタイナー教師が普通に使っている言葉は、父兄には通用しない。一般用語に翻訳しないといけない。でも、シュタイナー教育は、人智学者のためだけの教育ではないから、全てのひとにオープンで分かりやすい教育を目指したい。シュタイナーカレッジにいたとき、クラスメートが、「父兄用 人智学用語集」を作ろうか、と、冗談交じりで話していた。それもいいかも。でも、もっと色んな角度から、父兄を教育することも考えたい。父兄向けのユーリズミー講座、クラフト教室、育児講座・・・etcそんなことを父兄向けにやっていけたらいいな。というか、やっていかないと。子どもの教育は子どもだけではすまない。だって、親、家庭は、子どもの大事な環境だから。
2006年02月14日
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LYRAの色鉛筆がずーっとお気に入り。シュタイナー学校で採用されているものだけど、シュタイナー学校に限らず人気があって、普通の文房具屋にも売っている。この色鉛筆のよさは、芯の太さ。直径6mm。広い面をムラなく塗るのにいい。細部にこだわり過ぎず、ダイナミックな絵を描けるのもいい。程よい、芯の柔らかさも使い易い。それから、発色の良さも抜群。重ね塗りしても、互いの色を生かしながら上手く混ざり合う。シュタイナー学校の低学年では、クレヨン(シュトックマーのブロック・クレヨン)で、塗った上に、色鉛筆で文字を書いたりするけれど、普通の色鉛筆では、蝋の上では上手く色が出ない。でも、LYRAは蝋の上でもキレイに書ける。こんな色鉛筆を子どもの頃に持っていたかったな。
2006年02月13日
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今年の初め、今年はエネルギーの流れのいい年になりそうな気がした。何故か不思議と、エネルギーを流すことを、意識せずにするようになった。新鮮な空気を頻繁に部屋の中に取り入れる。家の中に、いい空気というエネルギーを。水をいっぱい飲む。混じりけのない水を沢山飲むことで、体内を浄化。そして、食べるものも体にいいものを。食べ過ぎないことがポイント。お腹をしっかり空かせてから食べる。燃費のいい体に。(これは、結構難しいけど)エネルギーは、よどんでしまったら流れない。空気も、水も、栄養も、お金も、それから、私自身の気力も、上手に使って、次のエネルギーを取り込むスペースを作って。私の周りのエネルギーが活発になってきているのを感じる今日この頃。
2006年02月13日
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カリフォルニアで2年間暮らした後、イギリスへ引越しして1年半。イギリスへ引っ越した時は、米語から英語へのギャップに苦しむどころか、英語の方言に苦しんだ。というか、今でも苦しんでいる。ここバーミンガム地方は、結構訛りが強い。例えば、take away タイク・アウェイchange チャインジSee you later シー・ユー・ライターvery much ベリー・ムッチmoney ムニーと、挙げればきりがない。今日も、カーディーラーで、店員が「ハウォールド」って言う。"How old"と聞こえたけど、カーディーラーがクルマの年式を客に聞く訳ないし、まさか開口一番、女性客の年齢を聞くとは思えない。だから、おきまり"pardon me?"と尋ねる私に対して「ホーゥルド」と繰り返す店員。半分想像で、"cold"だと理解した。その後、車の契約で住所を口頭で言う時、"hall street, エイチ・エィ・エル・エル・・・"と伝えたら、復唱しながら書く店員。"ハイチ・アイ・エル・エル・・・""h"はハイチじゃないでしょー、エイとアイじゃ全く違うアルファベットでしょーーー、って感じだけど。こんな感じで、いつまでたっても、バーミンガム訛りに苦しむ私。バリバリの地元民の訛りは、ほんと、分かりません。
2006年02月12日
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今日、クルマを買いました。イギリスに来て、クルマなし生活1年半。公共交通機関が不便なところなので、クルマなしで、乳幼児2人の生活も限界。貧乏なので中古車です。中古と言っても、欧米では中古市場も盛んで、10年落ちのクルマが壊れても、ちゃんと嫌がらずに修理してもらえます。日本だったら、「買い換えたら?」って言われちゃうところですが。アメリカで乗っていた、日産マキシマは13年たった古ーーいクルマだったけど、15万円ほどで売ることが出来ました。これまた、日本だったら、お金出さないと引き取ってもらえないところです。今回は、5年落ちオペル・アストラ・エステート。実は、私にとって3代目のオペルです。1台目ベクトラ、2台目アストラ・カブリオレ。別にオペルが好き、って訳じゃないんですけどね。今回は、久しぶりに5速マニュアル。ヨーロッパではマニュアルが主流。運転大好きなので大喜びです。私の昔を知る友人は、きっと、私が1年半もクルマなし生活をしたというだけで驚くに違いありません。
2006年02月12日
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海外暮らしをしていると、自分の体質が変わってくるのに気付く。それもそのはず。気候がまるで違えば、食べるものも違う。同じ野菜を食べても、育っている土地が違えば、栄養素が違うのも当然。日本にいたときは、脂っこいものを受け付けなかったのに、今は、脂っこいものを体が欲している。実際、西洋には、体に良くて質のいい油が豊富にある。食べる油だけではなくて、スキンケアにも油がよく馴染むようになった。そうなってくると、困ってしまうのが、栄養のある食生活を考えるのに、日本にいたときの常識が通用しないこと。日本にいたときは、ゴボウは繊維質の代表格だったのに、こっちでは、ゴボウがないぞ。サツマイモはあるけど、まるで違う種類。栄養素もかなり違うだろうな。と、今までの常識じゃやってられない。もちろん、日本の栄養学の本じゃ通用しない。人智学系友人(イギリス人)に、人智学的かつ実践的な栄養学の本を知らないか尋ねてみたけど、実践的なものってないらしい。特に、子どもの栄養を考えた本。西洋人って、ほんと食にこだわらないからねぇ・・・。
2006年02月11日
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本が好き。TVも見ない。ラジオも聞かない。CDは聞くけど、子どもが寝静まった後だけ。そんな私の一番のエンターテイメント(!)は、本。中身はもちろんのこと、本というモノの存在も好き。製本とデザインのいいハードカバーは美しい。新品の本もいいけれど、私が読んだ後、折り目がついて、メモや印がいっぱい残る古びた本たちは、もっともっと、いとおしい。ペーパーバックは、手軽に読める、持ち運べる手軽さと、安価なお値段が魅力だけど、作りも悪いので、気に入った本は、できるだけハードカバーで欲しい。今の悩み。「天の瞳」あすなろ編1・2と成長編1・2をハードカバーで買うか、文庫にするか。ここまでの6冊は全部ハードカバーだから、本棚に並べるには、ハードカバーでそろえた方がいいのだけど。・・・・本代がかさむ我が家です。
2006年02月10日
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ハーフ・ターム休暇に入ります。毎学期の真中に、1~2週間のお休み"half term break"があるのです。今、学校の先生達は、究極に疲れているころ。灰色の空と、風邪の脅威と戦いながら、冬をのりきるこの春学期は、結構大変です。今日で、学校はお休みに入ります。10日間ほどのお休み。私は、夫というベビーシッターを利用して、メインレッスンの準備を本格的にしたいと思います。
2006年02月10日
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昨日、階段をひとりで下りれるようになった長男(1歳10ヶ月)。今日は、さっそく、階段から落ちた。「ぎゃぁーーーーーーーーー!!!」悲鳴を聞いて駆けつけて、抱き上げる。怪我はなし。泣き声も半分うそ泣き。「だいじょうぶ。だいじょうぶ。」と言って、落ち着くまでしばらくだっこ。これも、学びの過程。通るべき道。でも、これから、数え切れないほどハラハラさせられるんだろうね。男の子だし。色んな経験して、強く大きく育つんだよ。私も強くならなきゃね・・・。
2006年02月10日
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私の大好きなネックレスとピアス。雫型のアクリル製。中は曇ってる。(半透明)光に透かすと、黄色くなる。闇に透かすと、青くなる。それが、空が青い理由。ゲーテの自然科学。ゲーテが、芸術的な観点とともに、空や植物を観察した成果。シュタイナー学校の理科の授業も、ゲーテの自然科学に基づく。光とは何か。暗闇とは何か。真っ暗で光のない部屋に入ったら、どんな体験をするか。そんなことを、6年生の物理で体験する。*****このネックレスとピアスは、ロシアのシュタイナー学校のクラフト教師達の作。経済状態が悪くて、生きていくのも必死な彼らが、このネックレスとピアスを作る。ドイツのシュタイナー学校教師OBのクラウスが、世界各国でのワークショップへ行く時、このネックレスとイヤリングを持っていく。たった数ドルの安い値段で売るのだけど、売価のほとんどが、ロシアの先生達への利益となる。それが彼らが生きていくために使われて、子どもたちへのいい教育という活力となる。
2006年02月09日
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さて、読書会です。ご参加希望を表明されていない方も、飛び入り参加も歓迎です。どうぞ、お気軽にコメント下さい。(読書会に無関係なコメントはご遠慮ください。)コメントに対するコメント、コメントのコメントのコメント・・・も大歓迎です。それから、テキストを読んだという前提で話を進めていくことを、ご了承ください。読書会1 「現代の教育事情」「霊学の人間認識」(イザラ書房版 : p.40-p.45 l.3)シュタイナーは、まず、植物を例にとって、人間の人生の見方について話しています。植物も人間も、未来の形をそこに備えています。例えば、チューリップの球根を見ると、それは単なるタマネギ形で根も葉も茎も花もありませんが、そこにはもう、チューリップの葉や花が育つ要素が含まれています。それがなければ、そこから先へ育っていかないでしょうし、育ったとしても、チューリップの球根から、もしかして薔薇が咲くかもしれません。(?)それと同じように、人間も、将来なる姿を潜在的に備えた存在です。この先どうなるか、今の私達を見ても予測するのは難しいけれど、それは、もう私達自身に備わっている要素なのです。チューリップの球根に将来のチューリップの形態や質が備わっているのと同じように。チューリップと違って、人間は複雑です。だから、ひとりひとりの人間の将来の姿を予測することは簡単にはできません。でも、人間は見えている部分だけで成り立っているのではなく、将来への姿を見えないところに備えている、将来への姿だけでなく、他にも、見えない要素を多く備えた存在だということを知って、人間について考えていくと、子どもを育てる上で、子どもを見る見方が変わってくるし、対応の仕方も変わってきます。この見えない部分、ということについて、シュタイナーはこの先に出てくる、エーテル体、アストラル体、自我のことへの導入として述べているのですが、輪廻や進化のことなども含んでいると思います。でも、ここでのポイントは、見えることだけ信じてたら、人間の(世界の)本質は見えないよ、見えない部分も考え、感じながら、子どもに接していこいう!ということで、この先の人間認識の話へとつなげているのだと思います。*****「現在の人生の中にどれほど多くの改良する余地があるとしても、この人生にこそ未来の為の萌芽が見出せるということを、霊学研究者は決して忘れない。しかし霊学研究はまた、すべてのものが成長し進化することをも知っている。したがって霊学研究者の眼には、変化と成長の為の萌芽がいつでも、どこでも現れている。彼はどんな計画をも考案しない。ただ存在するものからそれを読み取る。そして読み取れたものが計画そのものになる。」この部分から、「天職」という言葉を連想しました。人には、(大きな意味で)「天職」があると思います。単にお金を稼ぐための仕事という意味だけでなく、人生の中ですること全体をさして、大きな意味での「職」です。彼らに備わる魂や霊の素質、前世からのカルマなど、色々な要素が、私達に備わる天職を作り出しているでしょう。天職は、自分で決めるものではなく、自分自身に備わっているもの。その天職が、ひとりひとりの人間に備わった、これから育つ芽や葉や花ではないかと思います。本当の天職を見つけた人は、やりたいこと(天職)が、理想へ、善へとつながっていくと思います。そして、その天職が、自分の素質だけから決まるものではなく、多分宇宙的な意図から、自分に課せられた課題であるのを感じると思います。だからこそ天職。霊学研究者が子どもを見たときには、その天職を、その子どもの中に読み取れるでしょう。その読み取った天職に逆らって、例えば、「何でもいいから、お金の稼げる仕事をするのが一番ですよ。」「それには、良い就職のできる大学、学部を選ぶのが一番ですよ。」なんて、勝手に決め付けて(計画を立てて)、子どもに押し付けたりはしないでしょう。天職へ向かって子どもの力が育っていくように、天職を子どもが自分の力で見つけられるように、力を添えてあげるでしょう。そのために、私達が、人間の本質(見えない部分も)について学んでいきましょう。*****私があまりコメントしなかった部分についても、みなさんの考えをお聞かせくださいね。あーー、書きすぎた・・・気がする。*****来週は、「肉体とエーテル体」。イザラ書房版では、p.45 l.4 - p.50 l.5です。
2006年02月09日
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シュタイナー学校の数学・算数の授業って凄い!シュタイナー教育に惹かれている人は、そう思っている人が多いと思う。現実にシュタイナー学校の算数の授業は凄い。というか、とっても奥深い素敵な授業になる。教師次第で。ただ、実際問題として、シュタイナー学校にあるべき、素敵な奥深い算数・数学の授業をしている教師は多くはいない。私も一応、他の先生の授業を見させてもらおうと、メインレッスンの記録を貸してもらったけど、全然面白いことやってなくて、使えそうにもない。だから、結局、私は私にもどる。私の授業をする。シュタイナー学校の授業を、ドクマ的にならずに、イチから自分のものを作りあげるぞ、と、逆に気合が入る。逆に、お手本になる素晴らしい数学の先生が、身近にいなくて良かったのかも・・・なんて思う。だいたい、人と同じことする気は毛頭ないし。シュタイナー学校ならではの、深ーーい数学の授業ができるよう。今まで出会った、お手本になる素晴らしいシュタイナー学校の数学の先生といえば、エルンスト・シューベルト。今、カリフォルニアのシュタイナーカレッジに教えに来ているそうだ。うらやましい。私ももう一度エルンストの授業を受けたい。シュタイナー学校の算数の時間
2006年02月08日
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冬至に向かうにつれて、私達や自然は、内へ内へと入り込む。冬至を過ぎて夏至に向かう間は、外へ外へ。それを予感させるかのように、植物が芽吹く。上へ、上へ。私も、天に向かって背伸びをしたくなる。7ヶ月の次男、突然、手をたたくことができるようになった。パチパチパチ。誇らしげに、パチパチパチ。私も喜んで、パチパチパチ。パパも嬉しそうに、パチパチパチ。長男も真似して楽しそうに、パチパチパチ。と、一家四人でパチパチパチ。1歳10ヶ月の長男、昨日、突然、階段をひとりで下りるようになった。誇らしげに、何度も、上っては下り、上っては下り。私は、心がポカポカするのを感じながら、長男を下から見守る。次男も、階段の下で長男を見て大喜び。キャッキャッ。冬の間蓄えていた力が、芽吹きだす。私も、冬至すぎてから、急に活動的になり出した。体の奥底から湧き上がってくるエネルギーに、ちょっと興奮しつつ。
2006年02月08日
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私、昔から可愛げのない子どもだった。小学生のくせに、「ファウスト」とか読んで、分かってもいないのに、分かったふりしたりして。昔から、子どもっぽいものが嫌い。可愛いのも嫌い。絵のついた文房具なんて、大嫌いだった。今でも、その可愛げのない性格はあるけど、子どもができて、絵本やおもちゃが身の回りに存在するようになって、ちょっとは変わったのかもしれない。このあいだ、meg-mimiさんのところで紹介されていた、「タオのプーさん」今までの私だったら絶対読まなかった。タオイズムの本を読みたいなら、小難しい解説書を選んで読んで、結局分かったような分かってないような、でも、分かったふりしてたと思う。この本の存在も知っていたけど、今まで読んだことなかった。それは、「プーさん」だから。「子どもっぽい」=「つまらなさそう」で、選ばなかった。でも、何かが私のなかで変わってきて、今、読んでるのはこれ。"The Tao of Pooh"by Benjamin Hoffプーさんをいとおしく思いながら、楽しく読んでいる。
2006年02月07日
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以前、友達に「雲の消す方法」を教えてもらった。雲を見つめて、心を感謝の気持ちで満たし、「ありがとう。」「消えてくれてありがとう。」と、心の中で念ずると、これまた不思議。雲が消える。小さな雲しか消せない。もっと強いパワーを持った人だったら、消すことができるかな。私の中に、「感謝」の気持ちが足りないかな。この間、ふと、「イギリスの雲を消してみよう」と思った。外に出て、小さ目の雲を探す。・・・・空一面、灰色。うう。晴れの日、もういちどトライ。小さ目の雲を探し、念じる。うう。寒くて、じっとしていられない。断念。だから、イギリスは雲が多いのか。・・・なんてことはないだろうけど。
2006年02月07日
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カリフォルニアの北部にあるシャスタ山(写真)へ行ったときのこと。車で頂上付近まで行き、空を見上げたり、山を見つめたり、それから瞑想したり、と静かな時を過ごした。しばらくして、私の目の前に見えてきたもの。空気(エネルギー)の流れ。何だか分からないけど、山のところどころから、気流のようなものが。友達は「そんなもの見えない」って言うけど。キラキラ光るものが沢山。チリが太陽の光を浴びて、キラキラ光ってるのかと思った。でも、手を伸ばしても触ることができない。風の動きとは全く違う動きで、キラキラしてる。しかも、全く距離感がつかめない。近くにあるように見えるし、遠くにあるようにも見える。友達はやっぱり「そんなもの見えない」って言う。何なんだ?とにかく、霊感など全くない私は、こんな体験初めて。ちなみに、シャスタ山は霊的波動の強い山として有名だ。でも、何か霊的なもののような感じだけ受け取って帰宅。カレッジで同じような状況下で、あのキラキラが見えるか試してみた。・・・見えない。そのまま、あのキラキラを見ることもなく1年が過ぎた。次にそのキラキラをみたのは、私が妊娠3ヶ月ほどの時だった。その後、妊娠期間中、ずっと、そのキラキラを私をとりまいていた。そのキラキラが見えるとき、私は、守られているのを感じた。私の周りを取り巻く状況は、大変な時だったけど、「大丈夫だよ」って、言ってくれているかのように。そして、とても、神聖な気持ちになった。畏敬の念に包まれて。出産後もしばらくは、キラキラが見えたけど、いつのまにか見えなくなった。でも、次男を妊娠した時も、またキラキラし始めた。今回もまた、出産後しばらくして見えなくなってしまった。あれは、霊的な存在だった・・・と思う。まだこの世に生まれぬ、霊的な存在である赤ちゃんを取り巻くエンジェル?何でもいい。肉眼で、普通には見えないものを見て、感じた。それは、確かな事実。
2006年02月06日
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人智学では、意識の進化という考え方をする。歴史をとらえるとき、一般には、何がいつ起こったか、くらいしか考えないのだけど、シュタイナーは、人間の意識を元にして、歴史を見る。割と近い歴史だけ見てみると、感覚魂の時代から悟性魂へ、それから現在の意識魂の時代へと進化している。意識魂の時代は、西洋史で言えば、ルネッサンス、産業革命から現代へと続いている。霊的なものとのつながりを断ってしまい、とても物質的なものに固執。人智学用語を使えば、とってもアーリマン的悪の要素が強い。(でも、マイカエルの強さでそれに立ち向かっていく!!!)でも、国によって、意識の進化の速度は違っていて、西欧の意識の進化と日本の意識、また他の国の意識の進化には時間的なズレがある。でも、時間的ズレがあるにせよ、どの国も、やはり、この意識の進化をたどっている。そのことを考えると、他の国のことを理解するのに役立つ。例えば、昨日の記事に書いた、「アジアの安全な食べ物」を見て思うのは、中国は、西洋史で言えば、今まさに、産業革命のころと同じ意識かな・・・ということ。公害や環境のことなんかより、より沢山の製品を安く効率的に生産し、利益を得ることの方が大事だ。物質的に豊かになるために、見た目だけの豊かさを手に入れるため、公害のもとをバンバン撒き散らし、身を粉にして働いているころ。それは、私達日本人も通ってきた道なのだけど、西欧諸国も日本も、先進国と言われる国は、もうその段階を通り過ぎてしまい、物質的なことだけでなく、環境のことや人間としての存在を、もっと大切に考えられる段階に近づいて来ているから、中国が今やっていることを非難する。(私達も、同じことをしてきたのだけど。)しかも、更に悪いことには、中国の安い労働力を利用しているのは、私達、先進諸国だ。私達は、彼らの段階を、もう体験してきたのだから、中国などの国を批判するだけではなくて、現段階の彼らの意識を理解して、彼らに、どうしたらいいか、智恵を貸してあげることもできると思うのだけど。
2006年02月06日
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この時期になると食べたくてたまらないもの。恵那川上屋の生チョコ。絶品です。食べたいよーー。
2006年02月05日
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もりのいえさんのところからのリンク。中国野菜の危険性についてのサイト。アジアの安全な食べ物あまりにもショッキングだったので。こちらにもリンクを張りました。怖すぎる。
2006年02月05日
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今日は友達(日本人)の結婚式へ。彼女は、カリフォルニアのシュタイナーカレッジで、私と一年を共に過ごした友達。何故か、イギリスのこの小さな町で再会。奇遇だねぇ・・・。色々あって、彼女は、イスラエル人の彼と結婚することに。まずは、郡の小さな結婚式場で、法的に結婚式を挙げる。式場の天井に小さなカメラが備え付けてあって、インターネットで、その映像が日本に送られるんだそうだ。日本にいる彼女の両親が、4秒後れで、映像を見る。たいしたもんだ。その後、キャンプヒルに50人ほどが集まってティー・パーティー。彼女達は、今後、キャンプヒルの一員として、働きながら、6月に生まれる赤ちゃんを育てていく。パーティーは、手作りケーキなどをみんなで持ちより、皆でささやかなスピーチをしたり、皆で歌を歌ったり、という、あたたかなもの。キャンプヒルの施設は、町の中にいくつもあるのだけど、今回の会場になったのは、その本部。実は、イギリス全土のキャンプヒルの本部なんだそうだ。知らなかった。幸せそうな二人の姿を見て、私も嬉しくなる。良かった。良かった。お幸せにねーー。二人はこれから日本へ。その後はイスラエルへ。お祝いを3回するらしい。(ひゃー。)それにしても、結婚の制度の国による違いは面白い。日本は、基本的に結婚届を出せばOK。(離婚だって、二人の間で問題がなければ離婚届一枚だし。)アメリカ(CA)では、結婚するのに、ライセンスをとらないといけない。ドイツでは、結婚の意志を表した書類を、公的な場に6ヶ月間掲示する。その期間中に、その結婚に異議を唱える人が現れなければ、結婚が認められる。イスラエルでは、相手がユダヤ教信者じゃないと結婚が許されない。でも、国外で結婚するのはOK。イギリスでは、同じように、書類が2週間掲示される。異議を唱える人が現れなければ、結婚できる。今日の結婚式では、「結婚に異議がある人は、今ここで言いなさい。」って、言ってた。異議を唱える人があったら、中断されるのかな??ま、国が違えば法律も色々。何にしても、二人の幸せそうな姿が見れて良かった。私の心もあたたかくなった。私達夫婦も、「私達も幸せだね。」って、幸せを再確認。(って、毎日のことだけど。)
2006年02月05日
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今日は、夫のクラスのクラス・トリップに参加。二人の息子を連れて、観光バスに乗り込んで。今、彼らが学んでいる産業革命に関連して、アイアンブリッジという、バーミンガム北西部にある小さな町へ。ここには、その名の通り鉄橋がある。世界遺産認定の世界最古の鉄橋。産業革命発祥の地。町の周りに、沢山の博物館。severn riverに沿って煉瓦作りの民家や工場が立ち並ぶ。蒸気機関が発明される前は、水力が重要なエネルギーだった。だから川の存在は大きい。その産業革命の舞台になった古い町。今は静かな、観光地となっている。(カメラを持ってったけど、写真をとる余裕がなかったので画像なしです)私は引率者じゃないから、生徒たちのおもちゃになって喜んでいる息子達を横目に見ながら、ちょっとだけのんびり。夫のクラス担任としての面を見れたのも嬉しかったし、家族全員、丸一日一緒にいられたのも幸せ。そして、生徒達を見るのは、やっぱり嬉しい。今日は、寝る前に、このクラスのルビーという女の子について瞑想したい。彼女、どうもクラスに馴染めなくて浮いてしまっている。ルビーと折り合いの悪い先生も多い。でも、ルビーは、とても良い面を持っていて、私の前では、ものすごく良い子だ。彼女が教師の間で問題になっているのが信じられないくらい。私の前で、彼女はあんなに魅力的な子なのに。イースター休暇明け、私も幾何学メインレッスンで、このクラスを教えることになる。ルビーに、数学教師として向き合う時、彼女は、私にどんな顔を見せるだろうか。それは、私の彼女に対する態度次第。私がどれだけ彼女の素の姿を判断せずに、受け止めることができるか。そのための一歩として、今日は彼女を思って眠りにつきたい。
2006年02月04日
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素敵なひとになりたい。誰だってそう思う。でも、素敵なひとってどんな人?自分の弱点が気になって、弱点を克服したいと思う。「弱点克服したら素敵な人になれるかな?」なんて思ってみるけど、素敵なひとって、弱点のない人・・・・じゃない。と、ふと気付く。「あの人は、悪いとこもいっぱいあるけど素敵なひとね。」そんなひとはいっぱいいる。むしろ、悪い所がちょっと目立つくらいの人のほうが、素敵だったりする。弱点を直したいと思って、努力をすることは大切だけど、自分のいいところにももっと注目しよう。そんなことを、ふと思った。最近、だいぶ自然体の私を受入られるようになったみたい。
2006年02月03日
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家っていうのは大きな買い物。イギリスでも、家は高い。新築の家は少なくて、築100年だったら新しい方らしい。中は改装してあって、現代的な設備が入ってるし、壁は自分で塗り替えちゃえばいいし。イギリス人は、大抵、一生のうちに家を何回か買い換える。買っては売り、もうちょっと大きな家を買って、また売り、子どもが巣立ったら、小さめな家に買い換えて。我が家では、家を購入する予定は今のところないのだけど、家を買うとしたら、適度な広さのあるキッチンが欲しいな、と、近頃思う。カリフォルニアにいたときのキッチン、結構好きだった。広々としたダイニングキッチン。大人3人が一緒に料理してても、全然ストレス感じないくらいのゆったりスペース。ダイニングからは、庭へ出る大きな窓。外には、青々とした芝生と、真っ青で雲ひとつない空。今、私がキッチンで働いていると、子どもたち二人が足元にまとわりつく。(しかも一人は、ハイハイだ。)更に、仕事から帰ってきた夫が、カウンターにもたれかかって、作りかけの料理をつまみ食いしながら、学校の話をする。私の周りに皆が集まってきて、私は幸せな気分。でも、実は・・・・、邪魔で仕方がない。料理してるっていうのに、身動きとれない。我が家のキッチンは、そのくらい狭い。キッチンに家族全員が集まるなんて、とっても素敵なこと。子どもたちがteenagerになっても、キッチンにたむろして、家族でワイワイできたらいいな、と思う。いや、大人4人は、このキッチンでは不可能だわ。その前に引っ越さなくちゃ。ああ、こんな物質的なことに、イライラしてしまう私。まだまだ修行が足りません。
2006年02月03日
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私は、どちらかというと、きちんとしていてしっかり者、に見られる。本当のところは、私だけじゃなく、大抵の日本人は、西洋では、完璧主義のしっかり者に見られる。確かに西洋人のいい加減さ(いや、おおらかさ)に比べれば、日本人は、本当に仕事をきちんとこなすし、仕事は細かいところまで丁寧。完璧主義のしっかり者。(日本の皆さん、誇りに思いましょう!)だけど、私も結構そそっかしくて、(見えないところで)ミスをする。この間も、子どものおやつにパンケーキを作ったとき、出来上がったパンケーキを丸ごと、クッカー(ガステーブル+オーブンの一体型)とカウンターの隙間に、落としてしまった。ひい~~~。(涙)夫にそのことを言ったら、「kayoが完璧じゃなくて良かったよ」と笑っていた。ふっと力が抜けた一瞬だった。「完璧じゃなくていい。」から、「完璧じゃないからいい。」へ・・・。そう、人間だもの。完璧じゃないところが、人間のよさ。また、シュタイナーカレッジのブライアンの言葉が蘇る。「エンジェルは、間違えることができないんです。でも、人間は、間違えることができるんですよ。素晴らしいですね。」
2006年02月02日
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最近、はまっているもの。ひじきごはん。たっぷりの乾燥ひじきそのまま、あとゴマと塩少々を入れて、普通に炊いただけのごはん。調味料は塩だけ。素朴な味わいが口の中にほんわか広がる。なぜか、すっかり中毒状態。
2006年02月02日
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