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2006/05/31 mercolediお天気はよいのに、霞んでいて、富士山も伊豆半島も殆ど見えなかった。9:50の駅での待ち合わせは、改札口(北口)とある。Mkさんの知人Stさんが迎えに出るという。 この駅、改札口は、在来線と新幹線の2つ。北とか南とかはなく、改札出てから、南口や北口に別れるのだ。さ~て、いったい皆さんはどこ?と、見回しながら行ったら、一見してそれと分かる集団を見つけたが、肝心のStさんが分からない。 自宅に待機しているMkさんに電話をして風体を聞く。「向こうも見つからないって電話してきたところ」 「探すから・・・」「きょうは紺のブレザーにチノパンですって」 「背は高い?」なんてやりとりしながら探して、まだ着かない1人は午後のみ参加ということになったので、古い建物の調査を専門にしている先生方3人と、好奇心の塊の一行はバスで鈴木邸に出発。バスを降りて最後の角を曲がり、正面に鈴木邸が現れると、先生方、「あそこが明治で、あっちが大正、こっちの部分は昭和だろ~」殆ど長屋門に隠れていて、屋根しか見えてないのに・・・今日は流石に私の未だ知らないことがいっぱい出てきた。Mkさんも、叔父さんや叔母さんにいろいろ昔のことを訊いて準備していたらしい。上方にもりあおがえるの卵を吊した池のある庭をぐるっと回って、裏の蔵の中まで入った。文書蔵というだけあって、古文書の類も沢山ありそうだ。「これはまた改めて、専門の先生に見て貰いましょう」と封印。棟札があれば、建てた時期が確実に分かるので、ちょっと探してみたがない。母屋に入って、図面など見ていると、もう時間がなくて、お昼を食べないとバスに乗り遅れるということになり心を残して、古谿荘に向かった。古谿荘は、維新の元勲田中光顕伯(1843~1939)が明治後期に建てたという、敷地1万6千坪・建坪940坪という巨大なもの。今は財団法人野間文化財団が所有しており、なかなか内部まで見せて貰えないところ、今回の世話人のがんばりで、実現した貴重な機会。S氏の車で行った私たちは一行より一足先に着いた。「そこは、馬車の車寄せだから」と早速管理人。待っている間、庭を散策したらどうだとかいいながら、蛇がでるから気を付けろとか、親切なのか五月蠅いのかわからない。そのうち、町役場の人も来て、どうやら案内係はこっちらしいので一安心。車寄せから上がって直ぐに目につくのは、奇妙な木目の天井。どうやら楓らしいという。コートかけがずらっと両側に並んだ廊下を通って、やがて現れた大広間。延72畳の広縁に囲まれ、6畳の床を左右対称に配置した6間*2.5間。この部屋に人が入ったところを想像すると、何だかクラクラしてくる広さだ。それだけではない。漆で防水した水洗トイレ・浴室などの水廻りや、ドイツ製の分電盤。 トイレは、傍の金具を足で踏むことによって水が流れる仕組み。隣町の製紙工場から送電され、明治40年に点灯されてから今でも使用可能だという。和風建築とも洋風とも、さりとて和洋折衷というのもどうかと思う、独特の様式。和も洋も、とにかくその時代の最も贅沢なものを取り合わせただけじゃないか?と私は思っちゃうのだが・・・しかも、当人はどうやらたった3年くらいしか住んでおらず、それは、建築にかかった期間と大差ない。あ~、何かあの時代の世相というか、絶大な権力と財力の在処の1部を突き止めたような気分。
2006年05月31日
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2006/05/30 martediひかり10:06東京発で、お昼少し前に浜松着。同じ県に12年住んだのに、 私はこの町を知らない。同道の友が、この町の教会を訪ねたいと言い、私もその設計者の名を耳にしていたので、見てみたいと思い、ついでにちょっと足を伸ばして秋野不矩美術館という計画。駅ビルで中華のお昼を済ませたあと、タクシーに乗ったが、運転手さんは全くの不案内。20年やってるけど、行ったこと無いという。持参した地図と住所で見当を付けて何とかたどり着いたが、まさに町はずれといったところ。少なくとも、街道沿いというか、普通に車が往き来するところにあるものと思っていたが、小さな看板見つけた角を曲がったものの、その先に何の表示もなく、時を告げるという鐘楼も見えず、不安なまま走って、突然「あ、これだ」畑と民家の中に建っている教会の使命は?なんてことを考えながら聖堂に向かったが、入り口の脇に先ず目につくように置かれたもの。そこには、設計者の名前と東京の事務所まで書かれていた。驚きというより、ショックだ。美術館などのパンフレットに設計者の名前くらい入れてくれ、と思うことはよくある。しかし、こうまでしなくても・・・?まして、心を静めて、祈りに来た人の目に先ず飛び込むものがこれでいいのか?ここの司祭も信徒もこれでいいと思ったのか?南の方の国の森林を伐採した輸入材を使わずに、日本の山の木を使おうよという運動に熱心な設計者と聞いていたけれど、外壁はRC打ち放しだし、聖堂内部の木の使い方も特に美しいとは思えず、普通、聖堂建築は光の採りいれ方を大事にするのに、トップライトも単なる明かり採りにしか思えない。聖謐の所在も確かめず、祈る気にもならず、早々に外に出てしまった。未だ新しいぴかぴかの建物、周辺にも人っ子1人見あたらない。傷心のうちにとぼとぼと、道なのか庭先なのか分からないところを抜けて、幹線道路まで出てもバス1つ通っている様子はない。友が、領収書を見ながら電話をしていると、ラッキーなことにタクシーが来た。1番近い遠鉄電車の駅に着けて貰って、ローカルな沿線風景を楽しみながら終点まで行き、タクシーで秋野不矩美術館に向かった。川を越えてすぐ、山の上に樹々に埋もれるように、写真で見覚えの建物が見えた。「あ、あれだ!」それからが、感動の連続だった。秋野不矩さんの絵は、県立美術館などで何度か見ている。しかし、「建築探偵」とか「タンポポハウス」「ニラハウス」などで話題の建築家藤森照信氏が、生前の画伯と尾根に建てるか、谷に建てるかの末に負けて一時意気消沈し、気を取り直して出来た美術館というものを是非見たかった。何時か地中海の島に行った時の話を聞いても、彼は、決して奇をてらうというのではなく、およそ解放された自由な発想の出来る人という印象を持っていたので、楽しみにしていた。玄関前でタクシーを降りた。素晴らしい眺望の尾根に、もっこりと建つ。目立った看板もなく、中にはいると、まず靴を脱ぐ。裸足で歩きたいな、と思いながら備え付けのスリッパを履いたが、展示室に入る前にそれも脱がされた。籐ゴザの床が心地よい。ここでは特別展示で、上村松篁の「額田王」(井上靖著)挿絵展をやっていた。大きな絵より、こんな小品がよく見える。次の白い部屋が主展示室。マケドニア産という大判の大理石の床は目地が何やらキラキラ光っている。中心に何やらぷっくり膨れたところがあり、その上に立つと足の裏が何げに気持ちよかったりする。床暖房の入る季節には、座り込んで鑑賞する人もいるとか・・・暖かい絵の雰囲気にマッチして、何だか去り難い。曲がりくねった坂道を降りて、バスで元来た駅に出て、今度は二俣線で掛川へ。焼津のホテルにチェックインした時は、もう7時を廻っていた。
2006年05月30日
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2006/05/29 lunedi昨日は日帰りで、明日また出掛けることになっている中の、今日は休養日。そもそも、今朝、関白が出張に出るというので、向こうに続けているわけに行かないと思い、一旦替えることにしたのだが、土壇場になって、昨夜のうちに出発してしまった。こっちはこっちで、法事の後、Mzさんが家具を引き取ってくれる知人を連れて来てくれたので、幾つか運び出し、そのあとはまたうな平さんへ。何と驚いたことに、この前引き取ってくれた祖母の古い着物で作ったという、可愛いバッグが待っていた。持ち手は、これも、祖母の丸ぐけの帯締めを使ってくれている。虫食いか?ちっちゃな穴が2つ空いていて、「時間がなかったから、後でかがっといて」と言われたが、解れてこなければそのままにしておきたい気がする。だいたい私は袋フェチなので、それだけでも嬉しい。素材が柔らかいので、見かけより沢山入りそう。それに、黒というのは重宝なのだ。不祝儀の時のサイドバッグになる。でもやっぱり、祖母の着ていたものを持つことが出来るという幸せが1番。そして、その中に、直ぐ調理できるようにと戻した昆布と、今朝掘ったという筍5本【重いので、3本は帰りにN家に置いてきた←内緒】無理やり押し込めるようにして入れてくれた。更に、蒲焼き2串をMzさんがお礼だと言って、持たせてくれたので、急に帰りを急ぐことに。法事の後で親戚に「明後日また来るなら、家へ泊まればいいのに」と、随分言われたけれど、やっぱり、泊まるわけにはいかなくなった。関白は出掛けた後だし、今日は夕方までのんびり。明日明後日は、写真も沢山撮ることになりそうで、バッテリーの充電したり、明後日は、初対面の先生方からいろいろお話を伺えると思うと、準備にも久し振りにワクワクする。
2006年05月29日
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2006/05/28 domenica今月3回目の静岡行き。今日は、大叔父・大叔母の法事。集まったのは、この間の「いとこ会」と殆ど同じ面々。とても心がこもっているとは思えないお経の後の法話。曰く最近はこんなに大勢での法事は滅多にない。《そうかも知れない》自分の生活が大事で、ご先祖さまを大切にしなくなってる。《そういうこともあるかも知れない》他の国では、もっと聖職者を大事にします。《日本でも、大事にされてる聖職者もいると思うけど・・・》命を賭けて聖職者を守ってます。《なぬ~っ!原理主義者によるテロのこと? 命を賭けて信徒を守る方が先じゃないの?》延々と続く。お経よりも長いのでは?もう、アホらしくて誰も聞いていない。先代の住職の死後、跡を継いだ、現住職の評判は、始めから悪かった。お経の始まるまで待つ部屋は、今や私物が山積み、納戸状態。東京の墓地に改葬した我が家のお墓は、離壇料(こんなもの払わされるなんて知らなかった)を払い、墓石の撤去費用も払ったのに、10年以上たった今もそのまま残っている。「何時か、真新しいお塔婆が入っていたわよ」という目撃談もある。「こんなことがあったそうですから、早く片づけて下さいって言ってきなさいよ」と言われたけど、あんな生臭坊主と口きくのもイヤだ!場所を変えての、美味しい中華料理とお喋りは、相変わらず楽しい。
2006年05月28日
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2006/05/27 sabato今日は朝から、とても緊張しているという88歳。というのも、介護保険法の改定で、グループホーム協議会というのが出来、入所者として出席しなくてはならないのだ。そして、入所者の家族として出席の私は、この勘違いの世界の住人が、何を言い出すかハラハラドキドキなのだ。ここの施設関係者は承知しているからいい、福祉協議会の人も直ぐに気付くだろうからいい、しかし、地元の町内会とか老人会の人はどうだろう。まだまだグループホームというものの認知度は低い。よくいろんな所で、知的障害者施設の建設に、地元の反対運動が起きたりする話を耳にする。そういう人達に、老人施設はどうなんだろう?まして、認知症ばかりがはいっているのだけど・・・だからこそ、このような会合をもって、理解して貰うことが必要ということなのかも知れないが。先ず自己紹介「長い間、専門学校をやって来ましたが、対象は、若いお嬢さん方や家庭の主婦で、こういう年齢層の方たちにお教えするのは初めてですから、最初は戸惑いましたけど、みなさんが助けてくださるので・・・」今後の希望を訊かれて「何十周年という行事を、どんな風にやったらいいか、今はそれで、頭がいっぱいです。何かいい案があったら教えて頂きたい」よどみなく話す姿に、このような場でなく初めて会った人なら、誰も何の疑問も持たずに言葉通りに受けとるかもしれない。昨年、50周年を目前に閉校せざるを得なかったリアルの学校は、実は、88歳の頭の中で、ここのデイホームが自分の経営している各種学校にすり替わって、続いているいるのだ。しかし、スタッフにしろ私にしろ、本人の前で、説明するわけにもいかない。さ~て、町内会や老人会の方は、帰ってどのように報告してくれるのだろうか。
2006年05月27日
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2006/05/26 venerdiこのところ、遅れることはあっても、欠席してないイタリア語教室。今日こそCl先生だった。私のエピソードはl'artro ieri sera 一昨日夜の、「平野りり子リサイタル」。勿論、誰も知らない。イタリアの歌も歌ったよ、と「タンゴ・イタリアーノ」Tango italianoと「心遥かに」Testarda io (La mia solitudine)の2曲の原題を調べていったけど、案の定Clはどっちも知らない。案の定というのは、日本でポピュラーに歌われているシャンソンを、フランス人は殆ど知らないということをよく聞くからだ。そして、彼女のお母さんは、昔「港の見える丘」を歌った歌手だと言ったら、pianistaのMkさんが、♪あなたと2人で来た~おか~♪と歌い、becchio!古い!という。でも、綾戸智絵が最近歌ってるよ~。英語の歌詞付けて。「チラリ ホラリ」というところが気に入ったみたいで。Ysさんは件の白インゲン豆ダイエットで酷い目にあった話。下痢嘔吐で、結果的に1キロ痩せたというので、「そういうことだったの~」と、ぽっちゃりClに大うけ!Nkさんが、育休中のSmさんから内祝いを預かってて、配った。「そんな~、お返し頂くほど上げてないでしょ」「いいのいいの、幸せばら撒きたいんでしょ」毒づいてみても、赤ちゃんのことだと、ホントッ!なごむな~。
2006年05月26日
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2006/05/25 giovedi体調あんまりよくなくて、中断してた歯の治療を再開した。昨日の午後の予約を入れた時点では、全く問題ないつもりだったのに、当日になったら何だか怪しい。どうやら、お天気が下り坂。心配になったので、長時間は無理かも知れないと、あらかじめ頼んだ。治療を先延ばしにした虫歯は、確実に進んで、神経に障るギリギリまで削らなければならなかった。仰向けになるので、ちょっと苦しかったり、途中で咳が出そうになったりしたけど、何とか耐えられた。ところが終わってみたら、何だか耳が変。自分の声が籠もって聞こえ、まるで、水が入ったよう。これまで、歯の治療で、何回も麻酔も掛けているし、神経もいじっているけれど、こんな経験は初めて。でも、やっぱり麻酔のせいなんだろうから、一晩寝れば治っているだろうと思った。しかし、今朝になっても未だおかしい。しかも、首のリンパ腺も腫れて痛いし、おまけに頭も片側だけ痛い。何か食べてると、ビ~ンと耳と顎の間に痛みが走るのは・・・なんだ。治療したのは下の歯なのだから、関係ない場所だと思うけど・・・神経繋がってる?それに、声も未だ籠もったように聞こえる。まさか聞こえなくなるのでは?不安になる。折角、声帯の方の調子がよくなってきて、また歌えるかな?と思っているのに、聞こえなくなったのでは困る。ベートーベンじゃないんだから~~~歯医者は休診日だで、明日は行くことになっているから、勿論話すけど、とりあえず、気休めかも知れないけど、手持ちのフロモックスを呑んでみる。理由というかメカニズムの分からない苦痛は、限りなく不安を呼ぶ。
2006年05月25日
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2006/05/24 mercoledi友人平野りり子さんの3年半振りだというリサイタル。新宿の、前回の会場のあった朝日生命ビルは取り壊され、今回は安田生命ホール。朝日の方は、tamの日舞のおさらいも何回かやっているのでよく知っていたが、今回の会場は初めて。「安田生命って、あのスカートビル?」 「違う違う、バスターミナルの向こうに見えるもっと低いビルよ」「そんなのあったっけ?」 「スカートビルは、損保ジャパンよ」「損保ジャパンて、安田生命じゃなかったっけ」 「そういえば、ゴッホのひまわりあるのは安田だったような・・・ 安田が、損保になった?でも今日の会場は違うビルよ」朝、まさにその並びのビルに通う関白とこんな会話をしていて、頭の中がゴチャゴチャになってきた。こうして考えると、新宿の西口、この半世紀の変貌すさまじい。スカートビルだ、三角ビルだ、で分かった頃が懐かしい。今はもう、そんな超高層ビルも、他のビルに隠れて見つけるの大変だったりする。結局、ネットで調べて、損保になったのは安田生命ではなく、安田火災海上だったことが判明して、スッキリ。コンサートは超満員。普段はお茶目で、時に毒を吐く彼女が、こういう時には、緊張しまくり、照れまくりで可笑しい。歌はもともと歌唱力があるので、素晴らしいが、シャンソンはやっぱり、年と共に味が出て来ることを実感させてくれた。何しろ、80代半ばが、未だ現役張ってる世界。まだまだ彼女のこれからが楽しみ。「イスラエルの子守歌」 から始まった2部になると、流石に会場は盛り上がって「ブラボー」の声が飛び交う。いつも必ず入る、彼女の亡き母上が歌ってた「港が見える丘」も「君待てども」もプログラムにないと思ったら、「白い船のいる港」という初めて聴く歌が入っていた。何でも最近、「ニュース23」で、ドイツの歌手が歌ってたので、自分が歌わなきゃと思ったらしい。何だか、曲想が「港が見える丘」によく似ていたけれど、半世紀近く前の歌謡曲・流行歌といわれるものはそんなものかも知れない。長いブランクだったけど、やってみたらこんなに大勢来てくれて、またリサイタルやりたくなる、と言っていたが、ホント、せめて年1回はね、お店じゃなく、こうしてたっぷり聴かせて欲しい。
2006年05月24日
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2006/05/23 martediサイト巡りをしていると、思いがけない情報に出会うことがある。今日も、喘息病院の先生 という方の書き込みを見つけた。 抗炎症効果としてはフルタイドの方が上ですけど… それだけ吸入をしっかりやっていて咳が出るのなら、 やはり鼻炎治療をお勧めしたいのですが、 鼻炎の併発型の特徴としては、 ノドに違和感があることです。 イガイガするとか、 なんか痒い感じになるとか、 ノドに痰が張り付いているとか、 乾いた咳が出て、ノドがヒューとかゼーと鳴るとか… どれか一つでも当てはまるようなら、 試しに薬局でナザールとかいう佐藤製薬の点鼻を買ってみては!? 1000円くらいですし、 うちの患者さんの中で一番評判がいいです。 安い店なら700円くらいで買えるようです。 ちなみに成分を見たのですが、 同じものは病院の処方にありませんでした。 Naru先生早速買ってきたが、気のせいか咳の回数が減ってる。実は私、最近毎回のように主治医に、「調子はいいのですけど、咳だけが・・・」と訴えている。「鼻の検査ってしたっけ?」「点鼻薬使ってみる?」と訊かれるのですが、以前頭痛でMRやった時副鼻腔炎が見つかって、声帯の治療と一緒に鼻の治療も断続的にして貰っている。しかし、そこでは点鼻薬は出ていない。随分昔、杉花粉症で、鼻炎が酷かった時インタールの点鼻薬を使ったことがあったけど、何だかあまり好きになれなかった。そんなことで、主治医の薦めを断ってたのに、「なんだかきいてるみたい・・・」なんて言ったら、怒られちゃうかな~!?
2006年05月23日
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06/05/22 lunedi今日はパパがお休みで、家にいてくれるというので、88歳の病院に、nonが一緒に行ってくれることになった。nonが88歳に合うのは、半年振りくらい。11時20分くらいに、グループホームに迎えに行くと、もうすっかり支度をして待っていた。病院の予約は、2時なので11時過ぎ行くといってあったのだけど、「20分の遅刻ね」と言われてしまった。nonに「この人初めてよね」と、GHの責任者Tさんを紹介したのはまあいいとして、《直前に目の前で、私が紹介したのは忘れてる?それとも無視?》「この人私のマネージャー」引退した各種学校長のつもりでいるらしい88歳が、Tさんのことをどういう人と思っているのか?謎が解けた。他のスタッフや、入所者は、どうやらみんな生徒らしいのだけれど。こんな風に、おかしなことが起きているのに、記憶はわりとしっかりしている。この遠くの病院に行く時には、お寿司が食べられるということも忘れない。それも、3ヶ月くらい前に1度行っただけなのに、薬屋さんの大きな看板が見えたら、「あそこね」前回、お昼にお寿司を食べたいというのだけれど、病院の食堂にはないので、途中、探しながら行った。しかし、都心を抜ける道中には、駐車場付きのお寿司屋はなく、病院の近くまで来てやっと、大型ドラッグストアと、ファミレスと回転寿司の並んだ一角を見つけたのだった。都の肝入れで数年前に出来た高齢者医療センターも、1年前はじめてきた時はガラガラだったのに、最近は大分混んできた。今日は、診察は予約時間の1時間遅れになるし、会計もかなり待つような有様だった。院外処方なのだが、結局、近所の薬局に行ってる時間はなくなった。保育園にshunを迎えに行かなくてはならないnonを降ろして、GHに戻った時には5時を廻っていた。
2006年05月22日
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2006/05/21 domenica今日もまた、ha-を日曜学校に運ぶ。shunが昨夜、咳をしているといってたと思ったら、今朝は熱が出たそうな。MINIの助手席で、ダッシュボードの上の小さなデジタル時計を見て、「ミサ、何時まで?」「11時ぐらいじゃない?」「終わっちゃうよ」「大丈夫、その時計違ってるから」「遅いの?早いの?」やはり、ミサは大分進んでいた。ha-をリーダーに預け、流石に聖歌隊席は遠慮して、1番後ろで与る。声が出ない!?昨日の夕立で、空気は洗われ、今朝はいいお天気。ちょっとルンルンで出てきたのに、どうした?ちょっとユ~ウツ!ちょっと悲しい。久し振りにあった友達と立ち話していると、ある日突然パパになったMくんが、「今日、授業参観なので、行ってきたとこ」と、首からぶら下げた保護者カードを見せてくれる。「お父さん、忙しいわね。でも楽しいでしょ」「近々、千住真理子のコンサートがここであるんだけど、チケット直ぐに売り切れちゃって・・・会場、何か手伝いましょうか?って訊いたんだけど、手が足りてるからって断られちゃった。結婚したら、なかなかコンサート行けないんだよね~」「そりゃそうよ!1人で行くわけにいかないでしょ!2人で行くには子どものことがあるし」友達と2人で、ちょっとからかってみる。一所懸命教会で働いてくれる青年が、伴侶を見つける機会に恵まれずにいるのを心配していた、亡き友を思い出す。教会が若い子の幸せな人生の邪魔をしてるンじゃないか、と。こうして、遅ればせながらも、家庭を持ったことの喜びと悩みを話すMくんを見て、彼女は天国でどんなに喜こんでいることだろうと偲ばれる。
2006年05月21日
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2006/05/20 sabato何だか蒸し暑いと思ったら、激しい夕立。風も強く、大粒の雨がガラスを打ち付ける。時間的には未だ夕方というには早かったが、明日まで降り続くような雨とは違う。ひとしきり降ると、雨音がだんだんにまばらになり、スッと止んだ。こんな雨の後の霊園の景色が好きだ。このところ、日増しに緑が濃くなって、鬱蒼としてきた樹々は、迫る夕闇に黒々と見える。何故か走る車も、駐車中の車も、歩く人も殆どなく、冷たい風が心地よい。夕立の去ったばかりの空は、怪しげな雲の間にきれいな青空がのぞく。霊園を抜けて、お魚やさんに行く。木立の向こうに、4半世紀前からそびえている超高層ビルを隠すように、マンションが建築中だ。そろそろ40階に届こうかという、その脇にお魚やさんはある。「凄かったね~。ビルが軋んでたよ。工事の人が走ってってさ~」ビルが軋むだろうか?いや、建築中だから、足場やいろいろがついていて、それはさぞギイギイいったことだろう。ケースの中は、もうすっかり片づけられていて、奥から出して貰って買って帰った。未だ空に雲は残っており、明日は晴れるのだろうか。
2006年05月20日
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2006/05/19 venerdiまた雨。梅雨じゃないの?と思ったりするが、沖縄がいつもより遅れて梅雨入りしたばかり。沖縄より1ヶ月くらい遅いはず、と誰かがいっていた。1冊はばらしたものの、もう1冊ばらす決心がつかないでいるオモ~イ教科書を、背中に背負って出掛けた。もともと、iBookを持ち出す時のために、と思って買ったものの、これまで出番がなかったバッグ。頻繁に出し入れするsuicaとかFCカードとかを入れた小銭入れが、背中に入っちゃうとどうなんだろう?という心配が何となくあって、使えずにいた。しかし、今日は、傘が離せないだろうし、帰りにはどうせ買い物もあるのだからと、デビュー。今日こそCl先生と思っていったのに、またまた外れ、Mc先生だった。あいかわらずil congiuntivo(接続法)のつづき。おっ、Gae Aulentiガエ・アウレンティが教科書に登場。オルセー美術館の再生、ヴェネツィアのパラッツォ・グラッシの修復や新しいミラノ・カドルナ広場で知られるが、なんと今、日本で旬。あのお濠端の赤いビルで物議を醸しているイタリア文化会館。確か昨年秋ぐらいに完成して、どうやらご近所からの、苦情が大変らしい。実は私、寒い間、出不精決め込んでいた所為もあって、未だ観ていない。写真を見ては、雪景色にきれいだろうな?千鳥ヶ淵の桜に埋もれたらどんなだろう?なんて想像していたのだけれど、こんなにブーイングが出るなんて、実際のところどうなんだろう。藤田嗣治展にでも行ったついでに廻ってみようなんて思ってもいたけど、もうじき閉幕だから無理かも。新緑の中ではどう?そぼ降る雨の日は?騒ぎになってると聞くと、見て来なきゃ!と気がせく。Pensavo che fosse l'uomo. 男かと思った。(Gaeという名は、男女不明の名だそうな)Pensavo che fosse piu' giovani. もっと若いと思った。Non sapevo che avesse progettato イタリア文化会館. イタリア文化会館を設計したなんて知らなかった。
2006年05月19日
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2006/05/18 giovediいよいよエポック10に、指定管理者制度を導入するかどうかの検討が始まった。今日は検討委員会のメンバーの顔合わせと、委員長選出。担当課長のプロジェクターを使ってのプレゼンの後、今後の予定など。そもそも指定管理者制度について、学識経験者と所長(?)以外のメンバーがどの程度の知識を持っているのか?そしてそれを、どのように理解しているのか?プレゼンの受け止め方もまちまちだし、9月くらいには報告書をまとめたいという所長の説明にも過剰反応。繰り返し、導入するるかどうかは今現在全く白紙でスタート、と説明されても、実は導入はすでに決まっていることであり、プレゼンもその方向に行くしかないように作られているではないかという。どんな時でも、まるでそうするのが自分の勤めでもあるように、イチャモンを付ける人がいるものだが、今度の場合は、根拠として、深刻な区財政の困窮があり、入っている建物はすでに、この4月から指定管理者に委ねられているという現実がある。「制度導入の目的」民間事業者の有するノウハウを公の施設の管理に活用し、住民サービスの向上、公の施設管理の効率化・経費削減を図る(パートナーシップの構築)あくまでも、住民サービスの向上、公の施設管理の効率化が担保されての、経費削減でなくてはならないと思う。財政困窮といっても、収支のバランス無視して払い続けてきた人件費の問題が大きく、設備、施設を使ってなにをするのか、よく考えず、設備や施設を「つくる」ことばかりに気をとられてきて、今になって利用率が悪いといいたてるのは腑に落ちない。民間企業ではあり得ないこと、という批判がメンバーの中から当然のように出るが、だからといって、このような施設男女平等推進センターの管理運営を、利益追求の民間企業に任せられる筈はなく、また施設の性格をよく理解して、引き受けてくれる既存の民間企業があるようにも思えない。地方自治法の改正で、外郭団体に管理委託する制度はなくなったといいながら、NPOや自治会或いは新会社といった指定管理者が、結局は、新たな外郭団体みたいな物になるだけということはないのだろうか。それなら5000万円の経済効果を無視して、直営でいくのか?600万円のテナント料のために、地の利の悪い場所に移転して、明らかに利用率を落としている現状。全国的な認知もあの場所にあったからこそで、今のところでは、区民への認知度を上げることさえ難しくなってるというのに・・・本屋で立ち読みした「論座」5月号にこの問題を取り上げていた方のサイトでも、今回この制度により民営化された例をみてみると、何やら「公のサービス」のレヴェルアップ、効率化とははずれたところで、民間委託がされている雰囲気が見えてきます。というような記載がある。やはり少しずつ急速な導入により弊害が出てきているかと思います。問題点その1.選定委員の人選(この制度の意味がわかった方が審査しているのだろうか?)問題点その2.評価委員会はどのようなことを評価指定しているのだろうか?住民の側に立って評価しているのか?問題点その3.別に私企業が悪いわけでもないが、公益性という意味がわかって運営しているのだろうか?施設の設置目的は、公共の利益のためと思うが、その実施が行われているだろうか?さしあたって、急速な導入ってことを避けるために、この検討委員会としての結論を先延ばしにしていくというのはどうだろう?国会の強行採決みたいなことが起きるのだろうか?
2006年05月18日
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2006/05/17 mercoledi最近すっかり本を読むペースが落ちている。そもそも、我が家で取ってる新聞の、書評に面白そうなものが載らない。広告見てもあんまり・・・本屋を覗く回数も少なくなっているが、それでも積ン読は増えていく。「バロック音楽」の後は、何か軽い小説と思ったのが、「重蔵始末」逢坂剛tamが入院した時、「なにか時代小説を・・・」といわれて買ったもの。このカバー装画、「鬼平」など池波作品の挿絵で知られた、逢坂氏の父中一弥が描いているのだが、何とも親しみを感じる近藤重蔵ではないか。もともと逢坂剛は私の好きな作家の1人で、スペイン物やお茶の水界隈を舞台にしたサスペンス物は、文庫本になった時点で、殆ど読んでいる。とはいうものの、この3月に文庫が発売になった上下2冊は目下積ン読中なんだけど。何時かは書きたいといっていた時代物を、とうとう書いたと知ったのは、もう随分前だが、そこはそれ、文庫でなくちゃ~と待っていて、それも大分前に出たようだったが、他のシリーズや、他の作家がが優先してしまい、手を出さなかった。それにシリーズ物は、もっとまとまってからでないと、初めて読むには物足りなく感じるのではないかと懸念してもいた。たまたま、今度読んでみたら、話は期待に違わず面白く、しかもまた、知った地名が次々出て来るので、これも江戸物読む楽しさを味あわせて貰った。あとがきで紹介されている近藤重蔵という人物。歴史上の人物として、なかなかユニークな生涯を送ったらしいが、たった5編では、まだまだこれからが楽しみといったところ。早く次を読みたい気もするが・・・逢坂剛と時代小説。私のイメージの中では未だしっくりいってない。
2006年05月17日
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2006/05/16 martedi先週の後半くらいから、ちょっとトーンダウン。この間の定期受診日には、ご機嫌のグラフを持って行ったピークフロー値も、ここへきて、イエローゾーンに3回ほど落ちた。それでも以前に比べれば、変動幅も小さくなっているのだけれど、この際、減薬に持ち込みたい私としては、困る。前の先生は、いいと直ぐに減薬してくれたのだけれど、N先生になったら3ヶ月キープしたらね、と厳しい。確かに、折角減薬しても、またダメで戻すというのも結構ガッカリするけれど、減薬したいよ~。喘鳴だって、聴診器だと聞こえるところがあると言われても、え~っ!って感じだったのに、今は、横になると自分でも聞こえる。横になってみて、苦しくて跳び起きるなんてことも一時なかったのに・・・今年の杉花粉は、少ないと言われていた所為もあるけど、目が痒いくらいで、それも目薬1本で終わった。喉が時々痛くなったのも、ことによると、鼻腔が腫れて無意識に口呼吸が多くなってたということかも知れないと、今になれば思うけど、それは今はない。声も随分よくなったと思っているので、耳鼻科には行ってない。要するに、気管支だけがご機嫌悪い、というか不安定。日照時間が記録的に少ないという、今年のこの5月。低気圧が次々やってきて、前線が行ったり来たりで不安定なお天気。いっそ梅雨に入って、毎日雨なら雨とはっきりしてくれ~なんて思うけど、湿度が高いのもどうかな~。それでも、地下鉄の階段上れるし、人並みに合わせて歩けるし・・・焼津で山(?)登れたし・・・piano piano・・・
2006年05月16日
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2006/05/15 lunedi今年の「いとこ会」は。昨晩は26名の参加。夕食後4名が帰ったので、泊まりは22名。年齢層は30代から86歳まで。といっても30代はtam1人で、殆どが50代半ば以上。それがお互いにちゃん付けで呼び合うって、よその人が見たらどうなんだろう?って、今思ったんだけど・・・朝目が覚めたら、久し振りにいいお天気。みんなで、私たち、やっぱり行いがいいンだわ! ああ、海からの日の出が見られたのに・・・でも、4時半ぐらいよ。朝湯に入って、バイキングの朝食いっぱい食べて・・・何しろ昨夜からの食べ方ときたら、お腹いっぱいと言いながら、食後も持ち寄ったお菓子を広げて、お喋りした。流石に、少し何とかしなくちゃ、と裏の遊歩道散策に行く。何度も来ていながら、これまで、裏に出たことがなかった。展望台を過ぎると、「あら、山じゃない!」某女子大の山岳部長だったAちゃんが、山だと言うんだから、山なんだわ。なんて言いながら、歩いているとホントに道は細くなり、両側に檜が高くそびえて、湿った土の臭いがしてくる。途中、観音像などがあったが、やがて仁王門に出た。市指定有形文化財で、仁王像は1706年のものだという。どうやらこの上に香集寺(815年創建)とやらがあるのだろうが、階段見上げて、引き返してきた。これだけ山道を、他の人に遅れず歩けたことで十分。マイクロバスで、由比に向かった。お昼は桜エビ料理だ。その前に、広重美術館を観て、桜エビの立ち泳ぎを見た。お料理屋はホントは定休日だけど、20名以上なら開けますといってくれた店で、勿論桜エビづくし。ひげが多くて、あまり好きになれない桜エビだったが、どうやら、お料理する時はひげは取るもののようだ。熱々のかき揚げもよかったが、丁度今朝、久し振りに入ったという生の桜エビが美味しかった。漁期が、春秋それぞれ2か月しかなく、休日や天候不良で、船の出る日は限られる。だから、ホントの生のものには滅多にありつけない。貴重な駿河湾の桜エビは、こうして守られているのだろう。またまたお腹がいっぱいになってた。時間があるから、と立ち寄った、大蘇鉄・大サボテンで知られている龍華寺で、高いところにある高山樗牛のお墓まで上ってきた。富士山の見えるところにと、ここを墓所に選んだというだけあって、絶景だが、あいにく今日は、うっすらと形が見えてるだけだった。東海道の町由比には、思いがけず面白いものがいろいろありそうだ。またゆっくり散策したい。
2006年05月15日
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2006/05/14 domenica年1回のいとこ会で、夕方までに、焼津に行かなくてはならない。このところのぐずついたお天気では、とても景色は期待できないが、みんなに会うこととお料理が楽しみ。これまでずっと土日にやってたのが、殆どの人がリタイヤしてるからと、今年初めて日月になった。未だ仕事に夢中の関白は、休暇も取らず、不参加。代わりに、お料理に釣られてtamが行く。朝、ha-がどうしても教会学校を休みたくないといっているからと、電話があり、送り届けることに。孫に引かれて何とやらで、ミサだけ出たら帰って来ちゃうわよ、迎えには行かないから。MINIの助手席に乗ったha-の左手人差し指に、絵入りバンドエイドが。 もう随分前に指しゃぶりは止めたと聞いていたけど、学校に入ってまた始まっちゃったのかな?と、チョットからかってみる。「ちがうよ~。△太郎くんの所で、太鼓の達人やりすぎてマメができたんだよ~」《フ~ン、太鼓の達人って、太鼓を叩きすぎたってこと?》まあ、学校にはすんなり馴染んでいるようだから・・・教会に着いたら、今日は駐車禁止。インターナショナルデーだった。すっかり忘れてた。仕方ないので、警備員さんに頼んで、チョットだけ車を置かせて貰い、ha-を聖堂内まで連れていきリーダーに預けて、私はミサをパスして帰ってきてしまった。実はインターナショナルデーは、ホントにインターナショナルで、私の大好きなイベントなのだ。アジア・アフリカのいろいろな食べ物や雑貨が並ぶ。今の日本では、どこでも世界中のものが手に入るけれど、本物とはチョットずつ違うことが分かる。それに集まってくる人も、ホントにいろいろな国から来ており、多彩な衣装も間近に見られて嬉しい。バザーだけでなく、午後になるといろんな国の珍しい催し物もあったりして、それも楽しい。これまで、年1回、十数年も続いているイベントなのに、未だ1度もゆっくり最後まで見たことがない。いつも来年こそは?と思うのだが、何だかいろいろブッキングしてしたり、忘れたり~。今年も・・・チョット残念。お昼過ぎ、ha-を迎えに行ったnonが春巻きを買ってきてくれた。中にはいろんな野菜がぎっちり詰まって、皮はパリパリで美味しかった。
2006年05月14日
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2006/05/13 sabato朝起きたら喉がメチャ痛い。色つき痰も出て、風邪の様相なので薬を飲む。まるで梅雨のような雨が降っている。届け物があったので、午後になってグループホームに行った。戴いた新茶を渡したら、もうすっかりよくなったので、静岡に行きたいという。連れて行けないことはないかも知れないし、連れて行ってやりたいとも思うが、困った!少しずつ片づけて、家からいろんな物が無くなっているのを見れば、盗られたと騒ぐかも知れない。仕事を再開すると言うかも知れない。とりあえず自力歩行が出来て、身体も、どこも気分が悪い所があるわけでもなければ、頭の中の神経細胞に異変が起きてることなど知る由もなく、奇異な言動に、周囲が笑えば、自分の冗談が受けたと思う。忘れっぽいなんてことは、カバーできる。しかし、状況判断が出来ず、人の言ってることしていることが理解できないだけでなく、とんでもない解釈をして、他人を傷つけるのは困る。幻視や妄想で、交番に駆け込んだり、他人を巻き込むのは困る。一歩外に出れば、行きずりの人みんなにいちいち認知症だからと理解を求めることは不可能だ。私と話しているスタッフのところに、1人の入所者がやってきた。「ねぇ、ワタシもう帰らなきゃいけないんだけど、出口がわからなくなっちゃったのよ~」 「どこの出口?」「いや~ね~、出口は1つに決まってるでしょ」 「そんなことないわよ、ホラ」と、スタッフが1つのドアをあけて部屋に入り、また出てきてみせる。 「ここも出口でしょ」「そうじゃないの(笑)さっき神田で降りて、改札出て、ここへ来たでしょ?」 「えっ、ここ神田じゃないわよ」「そうなの????神田じゃないの???」 「○○よ」「そうなの?家から近いじゃない。それなら車拾って帰るわ」わりと最近入ってきたこの人も帰宅願望なんだ。訊くと、どうやら我が家の近くらしい。しかし、それ以上の細かい説明は出来ない。スタッフが引き留め策に入る。「そろそろご飯の支度しなくちゃならないから、手伝って」つい先頃まで同じように、毎夕、帰らなくちゃと盛んに言ってた人も「ご飯食べていったら?」「明日にしなさいよ~」脳のトレーニングが流行っている。果たして、どれほどの効果があるのだろうか?アルツハイマー型と言われてる認知症の1/3は、実は88歳のようなレビー小体型だとも言われているのに、一向に周知されない。私たちは、いったいどうなるのだろう?どうせ、自分では何も分からなくなっているのだろうか?
2006年05月13日
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2006/05/12 venerdi朝になって思い出した。この間の88歳の検査結果訊いたり、介護度の更新書類のお願いにH医院に行かなくてはならなかった。仕方がない、イタリア語は遅刻だ。その旨事務所に電話をしたら、直後に友達から携帯メール。○○さんは体調不良で、**さんはお子さんのことで、私は仕事でお休みします。あらま~それじゃなるべく早く行かなきゃ!と思ったけど、結局、かなり遅くなってしまい、お教室に入ったのはpausa休憩ちょっと前。それにしても少ないな~?と思っていたら、私のすぐ後にMkさんが入ってきて、pausaの後になってMyさんが。しかも、先週は休日だったので、今日はてっきりCl先生と思って、エピソードを用意してきたのに、座っていたのはMt先生で、前回Mc先生がパスした前置詞のcompiti宿題の答合わせをやっていた。まあこれが、見事ボロボロ!そもそもinとaの使い分けの境目はどこ?住んでいるのはa Romaだったり in citta'だったり。他の人もかなり苦戦しているようだったが、私の頭はpreposizione前置詞といわれればそれだけにしか反応せず、 articolo冠詞のことなどすっかり忘れている。しかもこの2つはくっついて、1語になる。それもただ繋げればいいわけではなく、in+il=nelとかin+i=nei、di+il=delという風に変わったりするから困る。まあ、日本語のて・に・を・はも難しいといわれるが・・・何て言ってないで、いい加減に覚えなきゃいけないんだけど、さしあたってイタリアに行くあてはなし、お尻に火がつかないと気合いが入らない私は、いつまでもpiano piano.帰りの電車の中、Yeさんが怖ろしい話をしてくれた。白インゲン豆ダイエットのことは、つい2・3日前も他の所で話題に上った。「それって、豆きんとんをお正月だけでなく、毎日食べればいいってこと~?」「そんなわけないでしょ。特別な調理法があるのよ」「へ~~~」その時はそれで終わったのだが、Yeさんは、TVで言ってた通り実行した。しかも、その豆(たかが白インゲン)はなかなか手に入らず、遠くまで車で行ってやっと買えたのだという。それを何分間とか煎って、ミキサーにかけて、それも固くてなかなか粉ににならないので、ミキサーが壊れるかと思うくらい長い時間掛けて、やっと出来たので早速ご飯にかけて食べたところ・・・これまで経験したことの亡いような下痢・嘔吐。散々苦しんで、とにかくTV局に電話をしようとしたが繋がらなかった。その後の報道では、同じ様な目にあった人からの電話が650件あったそうだが、彼女のように繋がらなかった人もいるので、実際にはどれだけの被害者が出たのだろう?どうやら加熱が足りないとこんなことが起きるらしい。「そうだ、沢山残っているのどうしようかと思ってたけど、甘く煮ちゃえばいいのね」
2006年05月12日
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2006/05/11 giovedi前回の運営委員会は臨時だったので、今日が今年度の第1回。足場の悪いところに移転して1年。以前あったのは駅から直結という、最高に恵まれたところだったので、利用率の低下は免れない。更に、あろう事か、利用料金も高くなったということがあったが、この方は、特別措置として、期間限定で大幅な割引が実現した。前所長の置き土産だ。しかし、これがまた運営委員会としては、1つの枷に。つまり、期間限定ということは利用率を上げろ!さもなくばまた元の料金に戻すぞ!という脅しでもあるのだ。それなら、移転前は、十分な利用率を確保できていたのか?そうではないから、日曜開館日を減らし、移転せざるを得ない羽目になったのでもある。すべては、区の財政が潤っていれば、何の問題にならなかったことである。けれど、男女共同参画という国のかけ声に応えて、区として、条例・宣言と進めてきたものの、息切れしているのか、空回りしているのか。このままでは形骸化しかねないという危機感もあるのだが・・・折も折りとて、指定管理者制度の導入も検討にはいることでもあり、男女平等推進センターというものを、スタート時点に返って見直す時期なのかも知れない。初めての男性の所長が、若い世代として新しい展開をみせるのか?予感させるような・・・期待しすぎ?
2006年05月11日
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2006/05/10 mercoledi路上駐輪場の更新をしてきた。年間?5000である。年1回の更新で、今年で3回目か4回目になるのだが、今回はちょっと引っ掛かることがある。というのは、同じ通りの延長で、端から、おそらく200~300mしか離れてはいないだろうと思われる所にも、新しく駐輪スペースが出来たのだ。しかもそこは、地下鉄と都電の駅を挟んでいるので、そっちに乗る時には、そこに置いていきたいと思うのに、登録は別なのだ。誰が考えたって、同じにしてもおかしくない距離だと思う。そもそも更新して下さいという葉書に書き込まれたアンケートは利用される鉄道の駅は?目的は、通勤?通学?とあったが、私が利用するのは、殆ど買い物。しかも、地下駐輪場ならば無料扱いの3時間以内ということが多い。それならこ、地下駐輪場を使えばいいのだが、場所も主要な通りからはずれ、しかも夜などチョット近づきたくないゾーンにある。それに、地下まで脇の細いスロープに自転車を乗せて、引きながら階段を下りていくのは楽なことではないし、体調によっては、帰りも同じようにして上るのは無理。坂の多いこの辺では、歩けない時でも電動アシスト付き自転車ならどこへでも行かれる。おまけに、食料だの日用品などは重いものが多くて、どうかすると帰りは5kg近い荷物になる。自転車ならばその悩みもない。従来からの駐輪場は、その地下駐輪場で登録受け付けをしているのだが、新しい方は、区役所だという。「1台の自転車なんだから、同時に両方を使うわけではなし、 どちらも使えることにしてくれればいいのにね。 どうしても別にするというなら、割引とかしないのかな~」 「さ~ぁ、区役所に掛け合って下さい」掛け合ってどうにかなるのだろうか?どうにかなった人がいるのだろうか?ついでの時に行ってみよ~。忘れなければね。
2006年05月10日
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2006/05/09 martediある意味、ちょっとコワイおばさま方との昼食会(いまいちイタメシ)の後病院。先週nonに呼ばれて、呼吸器科だけで帰ってしまったので、予約でない残りの2科の診察。皮膚科は、手の甲に出来た赤い斑点が大きくなって増えてきたので、心配になっていったのが最初。その時、腕に古くからあるシミが最近急に濃くなったと見せたのが運の尽き。それを液体窒素(ドライアイス)で焼くことになった。手の甲の方は、貰った軟膏で赤い色は消えたのだが、ドライアイス治療はどうやら何回も繰り返さないといけないらしい。で、どうせ4週毎に来るのだからついでだ、と思っていたのだが、今日の先生、「毎週来て貰った方がいいんだけど」 「え~~~っ?」「空けても2週間ね。すぐ終わるから」しかもこの先生、甲の赤斑の後にしこりが残ってるのを見つけ、更に左手にも同じ様なものを2つ見つけ「イボね。ウィルスだから増えるわよ。これも焼いときましょうね」総合診療科の方は受付番号が、大分遅かったので、待つことになった。こちらは、さしあたって、これという治療はなく、近況報告、電子カルテで、呼吸器の薬などチェック。血圧測りながら、今日の話題は、遠くに住んでる妹さんが、二人目のお子さん出産したばかりという話。「可哀想なのよ。母が死んじゃったから、誰も手伝ってやれないでしょ。 寝られな~いって電話かかってくるの。 赤ちゃんと一緒に寝てると、上の2歳の子が起こしに来るんだって」私が、娘に呼ばれて、先週こっちをポケたんだ、と話したからこういう話題になったのだけど、こんな雑談も、臓器を特定せず、患者さまを全人的にとらえ、専門診療科との連携を・・・云々というこの科の特徴なのかも知れない、な~んて思ってみる。
2006年05月09日
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2006/05/08 lunedi88歳のいるグループホームが、満杯の9人になったのは確か2月だった。昨年10月にオープンして、4・5人までは次々に入ってきたが、その後は人選が厳しくなって、ひと月に1人くらいのペースで入居してくるようになった。このような施設で、新しい人を迎えるということは、とても大変なことなのだ。先ず、殆どの人が帰宅願望を持っている。《それの全くない88歳みたいな例は少ないらしい》入居したては、毎日夕方になると、コートを着て、バッグを持って、「帰らなくちゃ!」と、ウロウロし始めるので、スタッフ総出であれやこれやと引き留め策にかかる。そうすると、もう落ち着いている筈の他の人達も何だか怪しくなってくるのだそうだ。それだけでなく、認知症はそれぞれ違う症状を見せ、しかも他の病気と違って、普通の理解を超えることばかりが起きるので、大変なのだ。新人の行動パターンを掴むまで、どうしてもスタッフはその人に集中することになるので、先に入居している人達のことを考えると、1度に複数迎えることは大きなリスクを伴う。さてこうして、満室になったのを見ていると、スタッフも増えて、何だかとっても賑やかだ。薬の管理なんかも、訪問看護の方からナースがヘルパーさんを何人も引き連れてきて、1人1人の分を各自の大きな薬箱に整理している。そこで出てきた要望が、薬局に頼んで、なるべく分包にして貰ってということだった。ところが我が家の場合、2つの病院から薬が出ており、特に、内科は近所の町医者で、いまだに院内処方。最近はごく普通についてくる薬の説明書き(有料)も貰ったことなく、お薬手帳なんてものにも縁がない。昔ながらの薬袋に、日数分だけシートで入っている。なので、小さなビニール袋に入れて、作ったシールを貼って、私が分包して届けることにしている。さて、その小さなビニール袋を買いに行ったところが何と!8枚入り120円!!!ビックリして買わずに帰ってきて、tamに言ったらポンと100枚出て来た。彼女は、包装材料の問屋みたいな所で買ってくるのだが・・・大きさもちょっと小さいってこともあるけれど・・・
2006年05月08日
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2006/05/07 domenica昨年亡くなった、関白の従姉妹の納骨のお知らせを戴いた。《あ~、まだ手元の置かれていたんだ》素敵なご一家を思いだし、お誘い戴いたことが嬉しくて、郊外の霊園まで出掛けていった。あいにくの雨も、そう酷いことにならないで、広い霊園は、若葉の薄緑がきれいだった。お坊さんも牧師さんも神父さんも無しで、大勢に見守られながら、今回新しく建てられた墓石の下に納められた。90歳を超えた夫君は「ホントに素敵な人でした。 私(元大学教授)の学生たちにもとても慕われてましてね~」昨年の憔悴した様子と違い、しっかりと皆さんのご挨拶を受けられている。何年か前には、お加減が悪いということを聞き、心配したこともあったので、ずっとお若い夫人に先立たれるこことになろうとは、思っていらっしゃらなかったのではないか。新しい墓地は、日本画家だった父上の筆塚に並んでおり、更にその隣には、ご両親のお墓がそれぞれ建っている。刻まれた文字は、お母様にふさわしい字を、と息子さんが探し、最澄の書から採ったものだという。「最後におじさま、おばさまにお願いがあります。 母は5人兄弟の2番目、女の子としても2番目で、きっと影の薄い子だったのではないでしょうか。 でも、今はあちらで、両親と一人っ子の生活を満喫していると思います。 どうぞ、出来るだけ長く一人っ子にしておいてやって下さい」心のこもった、暖かい納骨式だった。
2006年05月07日
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2006/05/06 sabato久し振りの長距離運転は、予想以上に堪えてる。全身重い感じで動きが悪いのだが、特に左の腿が痛い。AT車だったのだから使ってないのに、左が痛い。使った右脚は全く何ともない。何故だ?NHKの世界遺産で、アントニ・ガウディをやってた。1994年マヨルカへの旅の途中、モスクワ経由で、バルセロナに着いたのは深夜に近かった。翌日の夕方、マヨルカへ発つまでの時間を私たちは、市内のの作品を見るのに費やした。ン十年前、日本の新しい建築は、コンクリート打ち放し仕上げ、或いは、鉄骨ラーメン構造に、PCコンクリートのカーテンウォールという時代で、雑誌でガウディが紹介されても、私などあまり関心を持つことはなかった。部分的に取り上げられた建物は、異様なものにさえ思え、恩師にいつも周囲との調和を考え、目立つことを考えるなと言われていたので、むしろ否定的に見てきた。しかし、美術専攻の学生というガイドの案内で現地で観たガウディは、まるで違っていた。グエル公園は、歩いているだけで、新しい発見があり、それはそれは楽しい。街の中のカーサなど、奇妙なもののように思っていたけれど、この街では見事の溶け込んでいるのに驚いた。要するに、わたしが地中海のこの街を知らないまま、酷い誤解をしていたことになる。サグダラ・ファミリアはやはり圧巻だった。塔の上からの展望も素晴らしいが、沢山の小窓を覗きながら、狭い階段を登るのも楽しかった。完成までにはまだまだ年数がかかりそうで、私たち今の日本人にはそんな長くかかるものを造ろうとすること自体、考えられないことなのだが、ヨーロッパの教会では、何百年も掛けて造ることがそんなに珍しいことではないということも知った。後で立ち寄った、日本人建築家の設計によるオリンピック会場が何とみすぼらしく見えたことか。夜になっても左脚の痛みは消えない。
2006年05月06日
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2006/05/05 venerdi朝起きて1番に、昨日作ったゴミ袋25袋を出しに行く。それからホテルに戻って、ゆっくり朝食バイキング。チェックアウトしてから再び、今度は、東京に持って行く物をピックアップして整理。しばらくすると、ロックミシンが欲しいと言っていたMzさんが、古布を再利用していろいろ細かいものや、洋服を作る友達うな平さんの女将さんを伴ってやって来た。20年以上も前に亡くなった祖母の着物など見て貰ってから、3Fに上がる。ウマとかまんじゅうと呼ばれる様々な形のアイロン台の中に、「あら、これ、これ探していたのよ!」とうな平さんが見つけたのは、床に転がっていた鉄の台の、小ぶりだが重~いアイロン台。「特殊なものだから、買いたくてもそういう専門のところでないと手に入らないのよ」私などにはサッパリ分からないが、テーラーの職人さんたちが使うものらしい。この建物の中の物、使ってくれる人がなければ、ゴミとして処分されてしまう運命にある。これ程喜んで貰って貰えるものがあったとは!こんなGWの最中、当然お休みだと思っていたのだが、お昼に誘って下さった。パタパタと、鰻を焼く団扇の音が聞こえる中、一足先に「さっき戴いたばかりなの」と山菜の天ぷらが大皿に盛られてきた。菜の花・こごみ・いもぎに、三陸のわかめの天ぷらも盛り合わされている。こごみ・いもぎなどは、私は初めてだがこごみの方はゼンマイに似た形で、何故か関白が知っていた。いもぎは、寸又峡のような高地に行かないと取れないものだそうで、それこそ滅多にお目にかかることはないだろう。どれも柔らかくて、あくも強くなくて、薄衣の天ぷらは塩だけで美味しくいただけた。お重に残った、たれのしみたご飯を、木の芽と共にお握りにして、天ぷらの残りと一緒に持たされ、さらに、ゆでたての筍と、三陸わかめを一袋、お土産に戴いてきた。86歳の親戚に報告を兼ねた表敬訪問をしたあと、5:40に東名に入った。相当な渋滞を覚悟の上だったが、大井松田を過ぎるまでは極めて順調に走れた。その後も、それほど長時間耐えなければならないということはなく、9:00過ぎには我が家に到着。それにしても、みんな疲れていたのだろうか?路肩にリタイヤーした車がいくつあっただろう?そして、速度を回復して下さいという表示。速度を落とせというのは珍しくはないが、これにはちょっと笑えた。PAでのもう一つの楽しみに、帰りの暗闇の中で出会った。大荷物で潰されそうになってる可哀想な車。明るい時だったらもっとよく見られたのに・・・イエイエ、中の荷物ではありません!私もMINIで来てたら並べたのに・・・
2006年05月05日
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2006/05/03 giovedi何となく朝から疲れている。睡眠時間も足りてない。しかし、8:30家を出る。スタンドで、洗車・ガソリン補給・タイヤ空気圧確認。控え室で洗車を待っていたら、後から入ってきた男性がたばこを吸い出した。こんな体調イマイチの時は、もろ来る。逃げ場がないまま外に出たら「もう少しかかりますので、中でお待ち下さい」という。仕方がないので訳を言って、外で待たせて貰う。出だしからこんな具合で、しかも混んでいそうだし、急ぐわけではないので、首都高を行かないで、明治通り→目白通り→環7→246用賀から東名に乗るつもりだったが、見落として、横浜青葉まで、246を走ることになってしまった。東名に入っても、流れの悪いのは予想通りだが、AT車はこんなとき楽だなのだがすぐ眠くなって困る。何とか頑張って、海老名SAで休憩。しばらく来なかったら、あまりの変わりようにビックリ。こういうところでは、味噌おでんとか、いい臭いを流している五平餅とかを食べるのが楽しみなのだけれど、見つからない。その代わり、家の近くのデパートに入っているような店がずらりと並んでいる。晴れているのに、富士山は見えない。一回りしてみたものの、つまんなくて、自販機で氷入りのアイスコーヒー、ブラックで入れて車に戻る。渋滞は更に酷く、御殿場まで続いた。御殿場の出口は大変な行列。バスも混じって、どうやら、挙って巨大アウトレットモールを目指している様子。私は行ったことないけど、こんな渋滞引き起こしてるとしたら、随分迷惑な話。車で行くしかないようなところに、お客を沢山呼ぼうと思うなら、専用道路でも造って下さい。その後は嘘のように快調に走って、家を出てから5.5時間で到着。1年前、88歳が放り出すことになってしまった、住居兼事業所の片づけをする。最終的には、専門の業者に頼まなくてはしょうがないのだが、身の回りのもの最小限は、私の手で処分したかった。明日の朝のゴミ収集に合わせて今日来たわけだが、市指定のゴミ袋で25袋作ったところで、今日の作業は終わり。ホテルにチェックインして、シャワーを浴びた後、食事に出る。何度か行ったことのあるお寿司屋に入ったが、生桜エビなし、生しらすなし、かつおまで、地のもの何もなくてガッカリ。疲れただけで終わった、冴えない1日。
2006年05月04日
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2006/05/03 mercolediこの頃はゴールデンウィークとは言わない?黄金週間って書いた頃もあったわよね。今は大型連休。金でも銀でも銅でもなく、ただお休みが続くだけって人が多くなったってことかなあ?でも、海外に行く人最高に多いいんだっていう話。我が家の場合、関白は9連休!!!騒いでいたけれど、他の人の反応はだから~?「何処か行く?」って言われても、遅すぎますっ!何ヶ月か前に言って頂かないと・・・で、当人は書斎でPCに向かって仕事かトランプか麻雀か。さもなくば、居間のTVの前でゴロゴロ夢かうつつかのザッピング。私は関白がいると、なかなか1つことに集中できず、落ち着かない。夕方になって、食料仕入れに出掛けた。いつも買い物に行く街は、多かれ少なかれいつも混雑しているが、今日はちょっと様子が違う。人混みの中を歩くことには慣れてるはずなのに・・・歩けない。やたらとぶつかりそうになる。しばしば足を止めなくてはならなくなる。子どもの動きは、読めないので戸惑う。普段と違うところに人だかりが出来てる。思いがけないところに行列が出現する。などなどで、大した買い物でもないのに、すっかり疲れてしまった。明日は、久し振りに長距離運転しなくてはならないのに、大丈夫か?これからは、こんな連休前には、食料を買いこんどくとか、周到な準備をしておく必要がありそうだ。大雪予報が出た時のように・・・大型台風が接近している時のように・・・
2006年05月03日
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2006/05/02 martedi時間通り、お見事!って感じで、1:50頃呼ばれた。前回予約の時、「変えました。今まで4人入れてたのですが、3人にしましたから」といって、いつも2:00に入っていた私の時間を30分繰り上げたN先生。つまりは、診る患者数を減らした、ってこと?それで今日の受付番号が、その時間帯の3番だったから1:50は正解。二つ折りにしたピークフロー値のグラフをそのまま開かずに裏から見て、「おっ、イイね。270以下ないじゃない」最近の3枚のグラフを広げて並べたと思ったら、「こうやって見るとよく分かるね。これより前は、見るのもイヤだけど」この先生、時々、患者の発言になる。私「あとは咳。特に酷くはならないけど、なくならないですね~」「大丈夫だと思うけど、これやってみて」と出されたチェックシート。8点以上だと逆流性胃食道炎が疑われるというもの。タケプロン15ミリ/day服用中なので、5点。呑んでなかったらとんでもない高得点だったはず。逆流性胃食道炎が咳の原因のことがあるので、こんなことをしてみる。あとは副鼻腔炎だが、これも喉の治療ついでに、吸入なんかやっているので多分咳の原因にはなってないと思う。「最近どっかの健診とかで、レントゲン撮った?」「しばらく撮ってないですね。健診は今度○○健診までないので、秋ですね~」「じゃ~次やっとこう」調子がいいと思ってるのに、聴診するとやっぱり、強く吐く時音が聞こえるという。この先生、よっぽど感度のイイ聴診器使ってるんだな?とか思うけど、時々何気なくゴロッと横になって、苦しくて慌てて跳び起きる事もあるから、イイといえどもピークフロー値も自己最高値には達してないことでもあるし、無音と言うことはないのかも知れない。「そういえばこの間、O先生(総合診療科)にあったらchiaraさん診てるわよ~って言ってましたよ」今日は、風邪引きshunと留守番しなくてはならないので、呼吸器科だけで帰る。病院の売店で買った音の出る乗り物絵本で、ママ・ストーカーの引き剥がし成功。
2006年05月02日
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2006/05/01 lunedi午前中にグループホームに88歳を迎えに行き、入所以来初めて、Ht先生の診察に連れていった。小さな医院の前の道路は狭く、車を置くことが出来ないかも知れないと、そしたら車は我が家に置いて、88歳には歩いて貰わなくてはならないと思っていた。しかし、何とか路側帯の内側で納まったので、そのまま路駐にした。Ht先生は、限りなく優しい。この間からお通じの色を気にして、今日は検体を持ってきたのだが、心配しなくて大丈夫だからと、それはそれは丁寧に話して下さる。言葉だけではない、長身をかがめて、88歳の顔をのぞき込むようにして話してくれる。私が言っても、GHのスタッフが話しても安心して貰えなかったのが、これで納得してくれるといいのだが。お昼は好物のお寿司か鰻と思っていたが、GWに入って外は混んでいるかも知れないので、我が家で、デリバリーのお寿司を食べて貰った。居合わせたtamには「久し振りね」だったが、今日から休みを取ってる関白には、丁寧なご挨拶。「お世話になります」後で関白が言うには「俺のこと、忘れてる」「そうじゃなくて、この家の主としてのあなたに挨拶したのよ」と説明しといたけど・・・もしかしたら?と思わないでもない。でも、今のところ長いつきあいの人の顔は殆ど忘れてない。こんなところが、奇妙なわりに脳の萎縮が少ないレビー小体型なのだろうか。ついでに、我が家に置いてある、これからの季節の衣類を見て貰う。殆どの衣類は、向こうの家に置きっぱなしで、暑い夏に締め切りの家の中にあったので、見に行った時には、もう使い物にならなくなっていたから、こっちに持ってきた物は数少ない。「もう、外へも出ないからいらないんだけど、こういう風に縫うのよ って教えなきゃならないから持ってくわ」ああ、やっぱり今でも、学校をやってる気でいるのだろうか?2FのGHで共同生活しながら、1Fのデイホームの教室に通って・・・「あたし、あんまりゆっくりしていられないの。忙しいのよ」「あら、送ってくれるの?」「荷物持ってくれるの?」まるで、1人で帰れるし、荷物も持てるかのように言う。こっちは、階段降りるのもハラハラして見てるのに。自分がいろいろ出来なくなってることが分からない?出来ないことを、受け入れられない?それとも、全部分かってて、見栄張ってるの?分からないのは私たちで、当人の頭の中はそれなりに完結しているのかも知れない。
2006年05月01日
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