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早いもので、もう11月。ありきたりの言葉ではあるが本当に、あっという間だった。終わったことや、日々にクローズアップしたくないが何もしていなかったと考え、落ち込むこともあった。体調だってイマイチな日が多く何もする気もない日々が続いていた。しかし、最近の自分を見ているとそんな中でも、少しずつ何かを吸収し3歩歩いて2歩下がりつつも前に進んでいる事を実感している。それが顕著にあらわれているのが、先月からの色々な行動だ。講習会に行ったことは、自分にとってとても大きい。久しぶりに外の世界に触れ、人との交流の楽しさを改めて感じ自分のやりたい事を、どのような心身の状態であれ行動に移して自信をつけてきた。そのようにしていると、本当にどんどん思考も変わってくる。自分は「先延ばし癖」がある。必ずやらなければならない事があった。自分の苦手としている用事だ。いつもだったら急ぎでないのだから違う日でもいいやと、先延ばししていた。でも今日は違った。自分でもわからないのだが心の中からいつもと違う感情が沸き起こってくる。いずれは、やらなければならないしここでいつまでも先延ばしにしているとこの用事が終わるまで、モヤモヤが続く。「それならさっさと終わらせてしまおう!」という今までの自分にはなかった、前向きな感情が出てきたのだ。そしてその用事を終わらせたときの何とも言えない解放感。思い切ってすぐに行動して良かった。苦手な事にも辛いながらも挑戦しその経験がまた自分の糧になる。モヤモヤした気持ちを手放せてまた心が軽くなった。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*「セルフコンパッション」という心理テクニックがあると知った。自分への思いやりで前向きな気持ちになれるように「自分で自分を励ます」というテクニックだ。そういえばここ最近よく自分でもやっていてもう一人の自分と会話するなんて少しおかしい?のかなとも思っていたが今日改めてこの事を動画で知ってあながち間違っていなかったのだなと安心できた。「先延ばし癖」も減るという効果もあるそうだ。そのおかげで自分の「自己効力感(やればできるという感覚)」が知らず知らずのうちに上がっていたようだ。その他の効果も、今の自分に当てはまっているものが多かった。そのおかげで、本当に最近は落ち込むこともあまりなくなった。何かあっても、良いように考えられるようになったし心も身体も軽くなってきたように思う。といいつつも、その日によって体調も心の状態も良い時もあれば、そうでない時もある。しかし以前よりは、気持ちの切り替えも上手になってきてそうすることにより、いい循環が出来て生活にもいい影響が出てくる。少しずつ変わってきていることは実感しています。今日も、この用事を行う前に「セルフコンパッション」を実践していった。本当にお勧めします。これからも、自分で自分を励ましながら自分が心地よく過ごせるようにこれからも続けていきたいと思います。読んでくださった方、ありがとうございました。【52歩目】
2021.11.02
本来、人見知りだと思っていたがそれも年齢を重ね、様々な人たちと出会いたくさんの交流をしていく中でその中で色々と揉まれながらも良くも悪くも様々な経験をし、振り返ってみると自分は自分が思うより、人が、人と話すことが好きなんだという事に気づいた。一人の時間が好きだと、よくここでも言っているのだが決して人が苦手とか嫌いとかではない。自分は「一人が好き=人が苦手」がイコールではない。今はかえって以前よりも人の好き嫌いがない。色んな人との関りの中で、相手の良い所を見るように自分なりに思考を変えてみたからだ。そんなこともあり、自分の時間も有り余っているので数年前から興味があり、やってみたかった事に挑戦したくなりそこでやっと今年、その講習会★に行くことが出来た。二回目の講習では、始まって早々ほぼ初対面の講習者同士ペアになり会話をするというものだった。いきなりで驚いたが、この講習の目的でもあるので自分はドキドキよりワクワクが大きかった。最初の相手は、自分より少し年上かな?と思われる男性だった。思ったより変な間もなく、会話もスムーズに出来てあっという間に制限時間が来た。次は、年上の女性の方だった。こちらの方とも自己紹介から始まり色々と話をしているうちに時間が来た。「あれ?なんか楽しいな」これが正直な感想だった。全然緊張もしなかった・・・と思う。なんか、もう少し話していたかったなと思うくらいだった。(これは自分だけか?)その後、講習を聞き、また後半に二人の方と同じように会話をした。最後に話した方は、自分と同じ位の世代でとても話しやすい方だった。今回の講習会で、このように名前も知らない初対面の方と話す機会を与えられとても新鮮で貴重な体験が出来た。そして終わった後は、何とも言えない心地よい気分になっていた。今回、自分と話してくれた4人の方は自分に対してどんな印象を持ってくれたのかは分からないが自分は反省しなくてはいけない発言をしてしまったという自覚がなくはないのが正直なところだ。緊張してはいないと言ったが、きっと舞い上がっていたのだろう。とっさに出た言葉で後になって蘇ってきた発言(たぶん失言)がある。この事をきちんと覚えておいて次にこのような事が無いように気をつけたいと思った。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*社会との繋がりからしばらく離れていてやりたい事とは言え、少し不安もあったが勇気を出して行って良かったと思えた。やはり人と話すのは好きなんだなと思ったし楽しいなと思った。だけどこれは、たまに話すからいいのであって仕事とかになったらこうも言っていられないのかもしれない。これからどうなるかは分からないがあともう一回ある講習会を楽しみにしている。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*生きてく中で、やはり人との関りは大切でこれから出会う人も、決して自分と合う人ばかりではないと思うけどそしてどうせ関わるなら、気持ちよく過ごせる方がいい。自分の軸はしっかりと持ちつつも相手の事もきちんと考え、接していけるようにしていきたい。最終目標は、「あなたとまた話したい」と思われる人になる事だ。読んでくださった方、ありがとうございました。【51歩目】
2021.11.01
ここ最近は、今までの巣ごもり生活から一転して行動力が増し、動き出している。不安ながらにも、色々と行動しその行動をした事により自信がつきそうすることにより、また違う行動をしたくなる。とてもいい気持ちの循環が出来ている。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*先日、数ヶ月ぶりに帰省した。無性に家族や親友に会いたくなり連絡を取った。そうするとみんな自分に会う事をとても楽しみに待っていると言ってくれた。正直、本調子とは言えなかったがそんなこと、いつまでも言っていても何も変わらないし、今の気持ちを無視しまた体調を言い訳に行動しなかったら絶対に後悔すると思ったからだ。そうして久しぶりにみんなに会った途端案の定、話が止まらない。最初は母親とたくさん話をした。次に、親友とその親友の娘の家に数年ぶりに会いに行った。念願だった親友の初孫とも初めて会った。そして自分も「おばあちゃん」気分を味わせてもらった。自分の娘のように思っている親友の娘も自分との再会をとても喜んでくれて話は尽きず、とても充実した楽しい時間を過ごせた。以前、ブログ★にも書いたのだがこの子の第二子の誕生を夢で見たのだがその夢で見た通りの性別だった。正夢になった。そして夜になり、親友の家に移動し親友の末娘と、自分の子どもとも合流し秋の夜長を満喫し、語りつくした。久しぶりの帰省で、違う土地での夜の外出。初めて夜遊びしたような、そんな頃の感覚が湧いてきて一人ではしゃいでいた。次の日は、朝から夜帰るまで姉と喋りつくした。前日から喋りつくして喉がガラガラだったがそんな事、お構いなしに話しは止まらなかった。子どもの頃は、仲が悪い訳ではないが今のように話す関係ではなかったのでお互いに大人になり、色んな経験をした中で今になって自分の数少ない良き理解者になってくれている。考え方も似ているというのか話していても楽だし、全然疲れない。(相手はどうかわからないが・・・)今回の帰省で、今自分がやりたい事の練習も兼ねて人と話すという事をしてみたのだが今回みんなと会って感じたことはみんな自分が目指す「聞き上手」だという事だ。自分はどちらかというと、家族の中では一番おしゃべりで毎回、一人で弾丸トークをしている感じなのだが今回は相手の話を聞くことを少し意識してみた。この変化を感じてくれたかは分からない。最初からうまくいくとは思わないがこうしてみる事によって相手はどう感じたのか何も変わってないと思われているのか。直接聞いてみてはいないが今度また会ってみたら聞いてみようかな。今回の帰省は、本当に自分の栄養になったし色んな勉強にもなった。違う意識も生まれた。気心の知れた人達と話していると時間があっという間に過ぎてしまう。本当に、久しぶりに心の緩む日が過ごせた。本当に本当に楽しかった。今回の体験を糧に、これからの目標に向かってやれるだけやってみようと思います。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*今回は、やっとの思いで【50歩目】になりました。思っていたよりも時間がかかってしまいました。何事も続けるという事はそうそう簡単な事ではないですね。それでも、これからも自分のペースで「100歩目」目指してぼちぼちと続けていきたいと思います。読んでくださった方、ありがとうございました。
2021.10.29
いつもの定位置にいる「ぬいぐるみ」を見て「ただ、いてくれるだけでいい」ってこういう事なんだなって、今日ふと思った。にこやかに、ただボーっとしているような表情をしている。そして、その表情と存在にいつも癒しと安らぎをもらっている。他の人からしたら、ただの「ぬいぐるみ」かもしれないが自分にとっては、今はなくてはならない存在だ。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*3年前の今頃、ある店でその「ぬいぐるみ」に出会った。その日、目的の物を買いにそのお店に行った。そこで色々と見て回っていたらふと、その「ぬいぐるみ」が目に入った。いつもであれば見るくらいなのだがその時は、なぜだか無性に気になって仕方がなかった。寒い季節だったので、なんか暖かそうだしそのホワホワした感触と何とも言えない、つぶらな瞳の表情が可愛くて思わず手に取っていた。この時は気づかなかったがきっと何か縁があったのかもしれない。「ぬいぐるみ」をここまで大事にするのは小学生の時に「犬のぬいぐるみ」を持っていた以来だ。大人になって持っていた時もあったが気に入って買ったとかはなくてゲーセンで取ったものなどをたまに飾っておくくらいだった。「ぬいぐるみセラピー」というのもある。まさに今自分は、このセラピーを必要としている。いい歳をした大人が「ぬいぐるみ」を大事にしているとは以前ならきっと言えなかっただろうが今の自分は堂々とこの「ぬいぐるみ」が大切だと言える。もちろん「ぬいぐるみ」なので話すわけでもないし何かをしてくれる訳でもない。しかしただ、そこにいるというだけで何とも言えない安心感がある。抱きしめるだけで元気をもらえる。先の見えない未来や、今の日常に漠然とした不安がまだあるのが正直なところだ。その不安感を少しでも癒してくれる為に依存しているのかもしれないが今の自分には必要なのだ。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*「ぬいぐるみ」と「人間」はもちろん違うが「人間」も、ただ存在してそこにいてくれるだけでいいという事がやっとわかったような気がする。 仕事を辞めてからは特に生きている意味ってなんだろう?とか常に何かをしていなければ、そこにいてはいけないようないつもそんな事を考えていたけれどそんなことは関係なくって誰でも、誰かにとっては大事な人でただ生きていて、そこに居てくれるだけでいいという事を「ぬいぐるみ」を通して再確認できた。今、自分の周りにいる人に日々感謝し今いる家族も、ただ一緒に居てくれるだけでそれだけで十分幸せなんだとそう思えた。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*今思うと、きっと「ぬいぐるみ」と出会ったその頃から無意識の中で、周りとの違和感を感じ始め疲れてきていた頃だったと思う。それで知らず知らずのうちに何かを求めていたのかもしれない。そのタイミングで、自分の元に来てくれたこの「ぬいぐるみ」何度も洗い、綿も少しくたびれてきているが何か縁があってきっとここにいるはずだ。だからこれからも、ずっと大切にしていきたい。寒さも厳しくなってきました。皆さま、体調に気をつけてお過ごしください。読んでくださった方、ありがとうございました。【49歩目】
2021.10.21
8月と9月の、何となく不調だった日々からやっと抜け出したのか10月に入って、少しずつ動き出している。面白いもので、動き出すことで自信も取り戻し気持ちも軽くなるというのか比較的どのような状況でもその事に対して前向きに考える事が出来ている。あとは「行動する」事の大切さを実感した。まぁ、これくらいの事でって事かもしれないけど自分にとって喜ばしい事だったので書いておこうと思います。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*最近見つけたブロガーさんが、お勧めしていた化粧水があった。某有名メーカーのものなのだが自分も少し気になっていた商品だった。しかしお値段もそこそこなので、なかなか手は出なかった。その方は「試供品をもらって試してみてはいかがでしょう」とそのように言っていた。試供品をもらえるなんて思っていなかったので試しにもらえるものなのか聞いてみようと思いドラッグストアに行ってみた。とりあえずは、その商品のところに行きその場にあった試供品をつけてみた。なかなか良い付け心地だった。そしてそこで他の商品も見ていたら店員さんがやってきて声をかけてきた。「何かございましたら、お申しつけください。」これは何というチャンスだ。なのですかさず「こちらの試供品ってもらえるんですか?」と聞いてみた。そうしたら「差し上げますよ。少々お待ちください。」と、そういって取りに行ってくれた。今までの自分だったら、変に気を使ってしまいもらえなかったら恥ずかしいなとか余計な事ばかり考えて、行動に移せていなかっただろう。しかし、50歳を過ぎ自分を見つめ直し思考を変えたことや、歳を重ねて図太くなったのもあるのかこの時ばかりは、素直に言葉が出てきた。「それではこちらを三日分差し上げます。」と念願だった試供品をもらう事が出来た。こんなにすんなりと、もらうことが出来るとは少し拍子抜けしてしまったが、また一つ知る事が出来た。しかもこんな高級品を三日分もくれるなんてかえって申し訳ない気もしたがきちんと自分の意思を伝えてきちんと対応していただけたことが何より嬉しかった。これは大切に使わせていただきもし自分に合ったら、ぜひその対応してくれた店員さんから購入したいと思った。もちろんこの時も、最近心がけている「丁寧な声がけ」をした。ほんの少しの滞在時間の買い物だったがまた気分を良くして帰ることが出来た。決して相手の対応に毎回、一喜一憂している訳ではない。今の自分なら、たとえ好ましくない対応をされたとしてもきちんと流せるんじゃないかと思っている。・・・なんて言っているが、どうなのかな?その時になってみないと分かりませんね今の自分の課題の「行動」今月はまだこの課題があるので日々、成長していけるように挑戦あるのみ。出来ることからやっていこうと思います。読んでくださった方、ありがとうございました。【48歩目】
2021.10.16
今、自分は「穏やかな自分、心地よい暮らし」をしていきたいなと思って日々過ごしている。自分だけではなく、相手も心地よい気分になるにはやはり自分からアクションを起こした方が手っ取り早いというか分かりやすいということも何となく実感してきている。「自分が変われば相手も変わる」ということを身に染みて感じるようになってから家族や友人など身近な人だけではなく自分とは直接関係ない人たちにもこれは通用するのか?と少し興味が出た。なので、買い物や病院など行った先で店員さんや受付の人などに以前よりも丁寧にきちんと聞こえるような声で対応するようしてみた。一番心がけてみたのは帰り際の挨拶だ。「ありがとうございました。」「それでは、お願いします。」このような言葉を相手が言う前に言うようにしてみた。すると以前よりもかなりの確率で相手からはもちろん、たまに店にいる他の店員さんからも気持ちのいい返事が返ってくる。この事を始めてから、毎回と言っていいほど外出先で気分が明るくなる確率が上がった。人との交流が楽しいものになっている。なので家に戻ってからも良い気分が続き自分のモチベーションも上がったままだ。正直、この考えになる前は、相手の対応に対して自分の対応を決めていたとでも言いましょうか・・・しかも相手の態度があまり良くなかったことに対して憤りを感じたりしていたこともあった。しかしこれは、全くの自分勝手な行動であり考えであった。「自分がされたい事を相手にすればいい」こういう事なのかと、しみじみ感じた。もし自分が反対の立場だったらこのようにされたら嬉しい。実際に接客業をしていた時感じのいいお客様がいると気分が良かったなと今になって思い出した。しかしこの考えも時と場合によってやる内容や相手によって独りよがりになってしまう場合もあるのでそこのところは、気をつけなければならないがこの丁寧な挨拶作戦は続ける意味があると思うのでこれからも続けていきたい。今回の事だけではなく家庭の中でも未だに実行中で今朝も親子でくだらないやり取りだったけど(以前の自分なら言い返していた内容)自分が発した一言で、みんなが笑ってそしてそれぞれ出勤、登校していった。たったそれだけの事なんだけどなんか朝からほっこりと幸せを感じた。自分の心がけ次第で変わることがあるのならこれからもこの思考のままでいきたい。本当に以前よりも気持ちが楽になった。我を通しすぎるとかえって自分が辛くなる。悟りを開くまでは、いってないかもしれないけど少しは近づいたかもしれません。読んでくださった方、ありがとうございました。【47歩目】
2021.10.15
先日、ずっと以前からやってみたかった事の講習会を受けに行った。2年越しの念願が叶った日だ。講習会を受けただけなのに「社会との繋がり」とは大げさかもしれないがこの一年、日常生活以外での外部の人との交流もなかったので新しい何かをするということが自分にとっては社会生活なのだ。行ったことのない場所でたくさんの知らない人がいる所に行く。期待と不安でワクワク、ドキドキしながら会場に行った。正直、不安症を持っている自分は講習会で、拘束される2時間が不安だった。だけど今回は自分のやりたい事だったのでそんな気持ちは薄れていたが少し心配ではあった。しかし最初は少し落ち着かなかったが話を聞いているうちにそんな心配もどこかにいっていた。話を聞いていて、たまに自分の想像していた事と少しズレを感じたところも正直あったが初めての事なので、やってみないとわからないし初回はただ話を聞いただけなので実践してみないとわからない事だ。なので自分に合っているかは分からないけど最後まで講習を受けてそこから考えてみようと思う。この講習は自分より年上の方が多かったがいくつになっても何かを学び社会の役に立つことをしていきたいのだなと尊敬の眼差しで見ていた。なので自分も負けていられないなと改めて思わせていただきました。久しぶりの社会との繋がりは慣れない事ということもあり家に帰るとドッと疲れが出ていた。お腹も空いていたので、ご褒美に食べようと作っておいた「安納芋」を食べた甘くて美味しくて、身体に染みわたりました~今回の行動でも、また少し自分に自信がついたのでここからまた少しずつ何事にも恐れがあっても挑戦して行きたいと思います。今月は結構、挑戦していることがあるので少しずつ書いていこうと思ってます。読んでくださった方、ありがとうございました。【46歩目】
2021.10.14
久しぶりに「勇気の神様」が降りてきた。この悶々としていた日々に生きている喜びを感じることが出来た一日だった。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*やりたいことがあるのに言い訳をして動かない自分に嫌気がさしまた復習するつもりで自分と同じような境遇の方のブログを見返した。そんな中、色んな前向きな言葉を見ているとふと頭にある言葉が、浮かんだというか聞こえた。「人生は一度きり。楽しめ!」もう一人の自分がこう言っていた。(幻聴とかではないです・・)「そうだよな~。なんか人生楽しまないとな。」と、単純な自分はこの言葉を聞き入れて以前からずっと行きたかった「少し遠い公園での散歩」に行くことを決意をした。「公園に行くことくらい事なんてことないじゃん!」と、思う方もいるかと思いますが前回話したように、外出することに少し不安が強い時はこのようなことですら、自分との闘いなのです。思考が悪い方にばかりいってしまいなかなか思うように足が動かない。そして結局行かずじまいで自己嫌悪。絶対に行かなきゃいけない訳でもないのに一人で勝手にジャッジして一人で苦しんでいる・・・このような日々の繰り返しだった。それがこの日は、もう一人の自分に背中を押されこの自分の計画を実行できたのだ。こういう時は本当に勇気が湧いてきて驚くほどに行動できる。できた。(勇気の神様、降臨?)自分で課した苦手な運転ルートを逃げることなく行くことも出来た。そして目的の公園に着くと、天気も良く花や景色を眺めたり、ぐるぐる歩いているうちに楽しくなってきて大げさかもしれないけど、久々に生きてる実感が湧いてきた。この自然豊かな景色を見ているだけでまだ自分は大丈夫なんだ、そう思えた。なんかムーミンのような、ドラゴンのようにも見えた。(気のせい?・・・)外の新鮮な空気と、自然と太陽からパワーをもらい久しぶりの外出を満喫した。日焼けなんてことは、どうでもいいやと思うくらい太陽の光を体に取り入れてきた。小一時間ばかりだが、とても充実した時間だった。木々からもパワーをもらったそして帰ってきたら、このご機嫌な様子を察知したのかここぞとばかりに子どもが「○○と○○に乗せていって欲しいな~」と。まぁ今日ばかりは、自分のリハビリにもなるし自分も用事を足したかったので、またその足で出かけた。そして買い物を満喫できた。なんか自分が思うよりも何も難しい事ではないんだよな・・・と。行動する前に何も考えずに動けていた自分に戻れたらなとか思ったりしたが戻れるわけはないので、前に進むしかない。これからまた不安ながらにも行動してどんどん自信をつけていくしかないのだ。こういうところに「負けず嫌い」が出ればいいのだが変なところに弱気になってしまう。まぁ無理せずにやっていくしかないかな。今月は出かける用事が、いつもよりあるので少しドキドキもあるが、楽しみでもある。自分を信じて日々過ごしていこうと思う。読んでくださった方、ありがとうございました。【45歩目】
2021.10.01
先月、自分にとって心が揺れ動く出来事が何度かあった。その事もあってか、あまり調子のよくない日が多かった。特に後半は体もだるく、出かけることすら出来なかった。やりたい事はあるのに調子が悪い事を言い訳にしただ同じような毎日を過ごしていた。そんな中で、今の自分に必要な事を書いてくれているブログを偶然見つけた。吸い込まれるように、そのブログを読み尽くした。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*「逃げると闘う」逃げてもいい闘った方がいいどちらがいいのかたまにわからなくなる。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*「考えるより、まず行動」時と場合により、これが出来なくなることがある。その行動に対して以前にツラい、嫌な思いをしたことがあるとまたその行動をしなければならない時にその時の模様が蘇り、動けなくなる。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*この二つの言葉は、自分が下書き日記に保存していたものだ。そして、この二つの言葉を解決してくれたのが今回見つけた方のブログの記事だった。その方は「パニック障害」を数年前に患い未だにその症状は出るそうだが、薬を使わず臨床心理士の先生と一緒に前向きにその症状と向き合い、毎日を過ごしているという。そしてその病気に対しての向き合い方がとても今の自分に必要な事でどこか何かが自分と似ている感じがして今までの経過の記事をすべて読ませてもらった。そう。かくいう自分も結婚前に「不安神経症」と診断され苦しんでいた一人だ。だが記事を読ませていただいたが自分はまだ軽い方なのかもしれない。でも、このような体験をしてしまうと大小差はあるのかもしれないけど怖いものは怖いのだ。もう何十年もこの病気と付き合っているのだから多少の対処法は分かっているつもりだったのだが久しぶりに出てきたこの不調に困惑していた。症状は、だいぶ落ち着いてはいるが更年期と重なっているからか調子の悪い時など、ひょっこりとこの症状が現れる。心がザワザワ、ソワソワしだす。この病気があるから、何か行動する前など必要以上に考えてしまい、動けなくなるというのが特にここ最近のパターンだ。仕事を始めた時は、多少の不安はあったもののその時は、やりたい気持ちが強かったのでたまに症状が出ながらも、立ち向かったおかげでいつの間にか気にならなくなり色んなことに躊躇なく活動的に過ごしていた。今思い返しても、よくやっていたなという感じ。今より若かったのもあるとは思うが・・・。仕事を辞めて、家に居て外出することも減ったこともあるし社会から離れてしまったような焦りとこの世の中の閉塞感というのもあるのかまたこの症状が出てきてしまったかというネガティブな気持ちになっていた。その中で、たまたま目に入り見つけた先程のブログ。その方は、恐怖から逃げずにその苦しみを抵抗せず受け入れるという。その方が苦しみが消えるそうだ。そうしてこの病気に立ち向かう姿勢に感銘を受けた。そうだ、この言葉を探していたのかもしれない。今の自分に、背中を押してくれる言葉が。仕事をしていた時に自分で自分を鼓舞して克服していったことを忘れていた。自分は勝手にこうなるのではないかと頭で考えて勝手に行動を制限しているところもあったかもしれない。考えすぎて、モヤモヤしていた気持ちがこのブログを読んで、少し晴れてきた。こうしてグジグジ悩んでいたがこの言葉を胸にやっと重い腰を上げ少しづつ行動することが出来ている。行ってしまえばなんてことはない。今回の自分の悩みの答えは「逃げない」方だ。この体験を少しずつまた体に染み込ませて何事にも躊躇せずに出来るようにしていきたい。そしてこのブロガーさんにも「ありがとう」と言いたい。読んでくださった方、ありがとうございました。【44歩目】
2021.09.23
先日、ついに心に溜め込んでいたものが自分で抱えきれなくなり中学時代からの親友と話したくなった。こちらから連絡すると、ちょうど彼女も自分と話したかったと快く自分の願いを快諾してくれた。いつも彼女と電話をする時は、かなりの長電話になるのでお互いの都合のいい時間を合わせ、それからゆっくりと電話をする。予定の時間に合わせるために、早めに晩御飯の支度を済ませ準備万端にしておいた。予定の時間になり、彼女から電話がかかってきた。すると向こうもかなり溜まっていたのか話始めから、しばらく聞き役は自分の方になっていた息つく暇なく、お互い色んなことを話していると自分が一番話したかったことは何だったのか?何に悩んでいたんだっけ?とそう思うくらいに気分がスッキリしていた。あと、数ヶ月ぶりに話した中で自分が想像していなかったことに彼女が悩んでいた事も初めて知った。今までたくさんの話をしてきたが彼女とは、付き合いを重ねていくごとにどんどん深い話が、出来てきている。信頼しているからこそ、話せるということもある。人との付き合いを減らしていった中でも寂しさを感じないのは、彼女がいてくれるからだ。良い距離感を保ち、お互いの境界線も超えない。本当にしっくりくる付き合い方が出来ている。それぞれの生活のなかで、環境も違うが色々と話していく中で今回また改めて、彼女との価値観が近いものを感じ今の自分に、大切な人なんだと再確認できた。それと今回嬉しかったのは、お互いの老後の話になった時自分は地元に戻る気はない、と話をしたら彼女は少し残念そうにしていた。彼女は気丈な人なのであまりそのような表現はしたことがなかったように思うがそのように思っていてくれたという事がとても嬉しかった。将来は、どこかでシェアハウスか同じアパートで、それぞれ部屋を借りて住むか近くに住めたら心強いね~!なんて夢物語を語った。実現するか否かは問題ではなくこのように語れたことが、とても嬉しかった。少し不安に思っていた老後もこのような思いや希望があるという事だけで胸のつかえが取れたような、そんな気がした。本当に喋りに喋りまくって自分の胸に抱えていた、あのモヤモヤ感も消えていた。さっきまで悩んでいた事も忘れるような何とも心地よい気分になれた。時間は日付をまたいでいたがそんなことも感じさせないくらい、あっという間だった。話す人によって、長く話すと疲れる場合もあるが彼女とは全然そう感じたこともなく話すと逆に元気になれる。今は、家族以外と話すこともなくどんどん自分の中に色々な思いや感情を溜め込みすぎて、心が辛くなってきていた。かと言って、これは家族に話せることじゃない。でも彼女と話すことにより、あっさりと解決してしまった。どんな薬よりも即効性がある。そして重かった身体も、心なしか軽くなった気がした。「友のチカラと、人と会話することの大切さ」この二つを実感できた貴重な日になった。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*今、自分にはやってみたいことがある。今回の「友との会話」でさらに思った。そうだ、この感じだ。人と話すことによって感じる、この安心感。自分も誰かの為に、このような事をしたい。人と話すことは嫌いではないので何か出来ることをやってみたいと思いどうなるかは分からないけどとりあえず一歩進んでみることにした。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*ちなみに通話時間は「5時間」でした読んでくださった方、ありがとうございました。【43歩目】
2021.09.16
以前、「16時間断食とパン」という記事★で水面下で挑戦してみようかなと言っていたのだがこの話の流れで、ちまちまと「約16時間断食」を実行していた。「約16時間」なんてなんともアバウトな言い方で申し訳ないのですが16時間空ける日もあれば、そうじゃない日もあるのであえてこう書かせていただきました。仕事をしていた時は今では考えられないくらい不摂生な食生活をしていた。そんな生活をしていたから、体重は増える一方だった。自分の中の大台の数字を超えてしまっていた。しかも年齢とともに代謝も悪くなる。さすがに危機感を感じてきていた。この頃は恐ろしくて体重計に乗れなかった。そして50歳になって、また専業主婦になり仕事をしていた時のように体を動かさなくなったのでそんなにお腹が空くという感覚もなくなり食べる量も以前に比べ、少なくなった。食に対するこだわりも無くなってきたというか腹八分までいかなくても満足できる胃と精神状態になっていた。本当にこれは驚くほど自覚できた。今までどんだけ暴飲暴食していたんだと少し恐ろしくもなった。それならこの胃と精神状態の時にチャレンジしてみようという気になったのだ。しかし始めは、しばらく食べ物を口にできないなんて絶対ストレスになる!と思っていたが案外とそうでもなく、水分をきちんと取っていればそんなに空腹も感じなく何となくコントロールできるようになった。本当に本格的な「16時間断食」ではないけれど自分なりに調整して間隔を空けるようにして食事の量も少し調整していったら体重がどんどん落ちてきていた。2ヶ月前の正式な体重は正直分からないけどたぶん4キロは減ったと思う。自分のベスト体重まで、もうすぐだ。もちろん並行して、朝晩のストレッチも欠かさない。最近のお気に入りは「たけまりさん」の12分全身ストレッチだ。ひと行程が30秒で10秒休憩があるので、とてもやりやすい。これを朝晩やり始めたら、なんか体脂肪などの数字が比較的ゆるやかだが落ちてきている。逆に、筋肉量や骨量は増えたり安定している。いつもだと体重が落ちていた日は筋肉量や骨量は減っていることが多いが今日は体重は減っていたのに筋肉量と骨量は増えていたのだ。昨日の食事もそんなにいつもと変わらずなのに基礎代謝も上がっていた。なので体内年齢も初の「45才」になっていた。食べたいものを我慢していることもないしストレッチも習慣化出来ているので自分にはこの「約16時間断食」は合っているようだ。やはり体重が減っていくともう元には戻りたくないと思ってしまう。しかし、体重は落ちても年齢はごまかせない。見た目ではあまり実感できないのだ。特にお腹周りは・・・。そこは部分的に鍛えるしかないのかな8月23日から本格的な数字をつけているのでスマホのアプリで体重管理を始めた。目標体重まではあと約2キロ減だ。もし目標を達成してもそこからその体重維持する方が難しそう。でもあまり神経質になりすぎず緩やかにやっていこうと思います。もし読んでくださっている方でダイエットしている方がいらっしゃいましたら一緒に目標体重を目指しましょう!読んでくださった方、ありがとうございました。【42歩目】
2021.09.11
これは昨日の出来事ですが昨日公開しそびれたので「今日の出来事」のままです。ご了承ください。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*何となく、8月に入ったくらいから心と体の調子が、あまりよろしくない日が続いている。なんか心が揺さぶられる出来事が多かったのか心のバランスを取るのが、難しい日が多かった。今日も気分はイマイチだったが以前から作ろうと思い買っておいた生クリームの賞味期限も怪しかったので、朝からチーズケーキを焼いた。よしよし今日は動けたぞ。その後、やることもないのでゲームをしていた。しかしなぜか、ゲームをしていてもつまらない。心の中が「暇だ~!」と叫んでいる。楽しいと思っていたゲームが全然楽しくない。自分がやりたいのはゲームじゃない。そう思った途端、頭に浮かんだのは「片付け」だった。数日前、いや、もうずっと前からやりたかった「片付け」調子が悪い事をいい事に、延ばしに延ばしにしていたこと。ずっと見ない事にしていたこと。何もしていない中でも、いつも見ては気になっているミニマリストさんのブログや動画。「片付けると色々と変わる」とそれを実行して、自分も変わりたいといつも思っていたのになかなか動かない怠惰な自分。代わり映えしない毎日に飽きていた自分にやっとスイッチが入った。そこでまず気になったところが「キッチン」我が家の黒歴史の道具があるのだがまずはそれを片っ端から捨てた。その当時の想いなど蘇ってきたがこれも気持ちの整理をするのに大切な事だとそう思いながら捨てました。そして、お恥ずかしながら2ヶ月前に書いた記事★に「伸縮整理トレー」がホコリを被ってスタンバイしていると書いていたのですが、それを今日やりました。今の今まで見てみないふりをし続け、2ヶ月もそのままでした。家族の人数分のカトラリーと使うものだけを残し使わないものは全て捨てました。やっと「伸縮整理トレー」が所定の位置に入ることが出来てそれがずっと置いてあったところもそして自分の心も、スッキリしました。この事は恥ずかしいから、書かないかとも思ったのですがこんなだらしない自分も隠さないでおこうと思い書きました。一旦やり始めると止まらない・・・でもいつまでもやり続けたら晩御飯の支度の気力・体力が持たないなぁ・・・なんて考えながら踏み台に乗って棚を拭いていたら「ガンッ」「イタッ!」左の肘を思いっきり換気扇の角にぶつけた。あの学生時代の、学校の椅子に肘をぶつけたあの感覚。「ビリビリ、ジンジン・・・」あ、そうか!もう止めておけと、もうそこまでにしておきなさいとそういう事でよろしいでしょうか?・・・と、勝手に良い方に解釈して、今日はそこで止めた。心の声が、このような事態を起こしたのかもしれませんね痛い思いはしましたが、ある程度片付けた後で良かったです。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*体がダルいからと何もしないでいるよりも多少、しんどくても動くと良いという事が頭ではわかっていても今日まで出来なかった。自分に言い訳ばかりして退屈な毎日にしているのは自分だ。でも、たまに何かに背中を押されているんじゃないかとそう思うかのように、力がみなぎってくる時がある。ここ最近はなかなかこのように背中を押されることがなかったので久しぶりのこの感覚になれたことが嬉しかった。そして、少しでも片付けてキレイになってまた気分も上がる。この感覚が毎日続いてくれるといいんだけどそれも自分の努力次第ってことですね。今日のスイッチが切れないように明日も続きができるかな?今は、ミニマリストを目指している訳ではないけど少しでも近づけられるようにこれを機にまた「片付け」をしていこう。読んでくださった方、ありがとうございました。【41歩目】
2021.09.10
先日、子どもがあまりの暇さに「そろばん」をやり始めたと言っていた。今は、youtubeで色々な動画がありその中で「読み上げ算」をやっているという。自分の子ども時代は「そろばん」はメジャーな習いもので自分も小・中学まで習っていた。三日坊主の自分が唯一と言っていいくらい長く続いたものだ。そのおかげか「段位」までいった。しかも物持ちがいいのか、唯一の自分の勲章として持っていたのか分からないが、その当時の問題集と賞状を嫁入り道具として持ってきていた。そこでそれを引っ張り出し自分もボケ防止と暇つぶしのために「そろばん」をやってみる事にした。現役から35年経ち、久しぶりに触ったがきちんと指は覚えているものだ。しかし、あの当時のような手の動きは出来ない。手が鈍りながらも、久しぶりの「そろばん」は楽しかった。9桁の数字を当時は軽々やっていたのに見取り算なら出来るけど、読み上げ算となると結構難しい。そしてすごい集中力がいる。一度でも数字を聞き逃すともう終わりだ。ここでまた、負けん気が久しぶりに顔を出す。正解しないと気が済まない。これも変なとこに完璧主義な自分が出てきてしまう。なので、初心に返り少し簡単なものからすることにした。すると少しずつ感覚も戻ってきて「正解」が多くなってきた。あれ?なんか楽しくなってきたぞ簡単な暗算もやってみた。まだまだ脳みそは、落ちぶれてはいないようだ。そして動画を観て驚いたのが今の子たちは両手でそろばんをやっている。あれはどのようにするのだろう?いつから進化したのか、それとも自分の時代でもあった技術なのか?これもちょっと、お勉強してみようかな。最近、単調な毎日でこのように頭を使っていなかったからとてもいい刺激になった。ボケ防止にも良さそうだから、またやろう。・・・でもこれも三日坊主になってしまうのだろうか。まぁ、あまり深く考えずにやりたい時にやればいっか読んでくださった方、ありがとうございました。【40歩目】
2021.09.04
前回書いた記事★で「ナンバーズ3」を試しに買ってみた。そして昨日、その200円×5回のドキドキが終わった。最初の日は、知り合いの誕生日の数字だった。その子がもし買っていたら当たってたんだな・・・とか、いらん妄想をしていた。二回目、三回目・・・かすりもしていない四回目・・・ボックスだったら2個あったなそして最終日、9月2日「クジの日」いよいよ、「くだらない実験結果」が分かる。ドキドキ、ワクワクしながらサイトを開いた。「・・・」夢を見て、その夢にまた夢をかけて買った宝くじはただの紙切れになってしまった現実はそう甘くないと教えてもらった。でも楽しかったから、これはこれでよかったのかな少し退屈になってきていた日常に少しの楽しみを見つけ楽しめた。ただそれだけの事だけど今の自分にとっては、これも大事な事なのだ。少し落ちかけていた心にこのような「遊び心」は大切でこれからも「遊び心」を忘れずに過ごしていきたいなと思います。余白ではなく、単発で書かせていただきました読んでくださった方、ありがとうございました。【39歩目】
2021.09.03
この話は、とてもくだらない(かも)です。50歳のいい大人が書く内容ではないかもしれませんがそれでもいいという方だけ読んでいただければ幸いです。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*昨日、夢を見た。宝くじに当たる夢だ。夢占いによると、あまり良い夢ではないようで正夢にも、ほぼならないとも書いてあった。この夢占いを信じるも信じないも人それぞれの自由だがこの夢から、ある事を思いついてしまった。宝くじに当たった夢と言っても高額ではなく10万円なのだが(これも高額か)3ケタの数字も出てきた。それはハッキリと覚えていて念の為にその数字もひかえておいた。ナンバーズ3を買ったほうがいいのかと単純な事を思ってしまった。なので、今までの当選番号を調べてみたけど自分の見た数字はどこにも見当たらなかった。まぁ、そんなうまい話がある訳じゃないよな。と思いつつ普段、自分は宝くじは買わないが夢占いが、本当かどうかという意味合いも込めてものは試しに実験の意味も込めてほぼ毎日、引きこもっている自分にとっては珍しいくらいに心の中から行動したい衝動が湧き出てきて今日、いてもたってもいられずに買いに行ってしまいました😁(買ってすぐに帰ってきました)こんな発想を思いつく50歳の自分をちょっと馬鹿げているかなと思いつつ本当にくだらない事かもしれないけどこの悶々とした日々の中でほんのささやかな楽しみを見つけ一回200円で、ドキドキ感を味わうのもたまには、いいでしょうか?夢で見た通りの数字をストレートで一口を5回継続で買ってみました。「絶対に当ててやる!」と意気込んで買ったわけではないのでただの楽しい実験?とでも言いましょうか。これで少し楽しみが増えました。あ、たまたま最終抽選日が「9月2日」でした。「クジの日」ですね。世の中、そんな上手くは行かないけどこれもどうなるか楽しみですこの「くだらない実験」の結果発表は後日、どこかの記事の余白にでも書く予定です読んでくださった方、ありがとうございました。【38歩目】
2021.08.27
以前、今年に入ってから感謝を言うようになったという記事★を書いたのだがそんなある日、ダンナさんが晩御飯を食べた後に「今日も美味しいご飯、ありがとうございます。ごちそうさまでした。」と突然言ってきた。今までこのような言葉を言われたことは、ないに等しい。と思う。我が家は、ダンナさんが仕事でいつも帰りが遅いのでほぼ一緒に食卓を囲むという事がなく面と向かってこのようなセリフを言われたことは忘れているだけかもしれないが自分の記憶には残っていない。何を急に言い出すのかと、こちらもビックリしたので思わず「どうしたの?何かあった?」と聞いてしまった。すると「いや、感謝を伝えておかないと・・・」と。普段、聞きなれない言葉を聞くとやましいとかじゃなく、変な方に胸騒ぎがして何か素直に喜べないというか、何というか・・・。しかし、この感謝の言葉「ごちそうさま」が後に自分の負担になる言葉だと思う事に気づく日がやってくる・・・。何日か同じセリフを言ってくれていたのだがその日は違った。「ごちそうさまでした。」その日は特に気にならなかった。そしてまた違う日「今日も美味しいご飯、ごちそうさまでした。」あれ?日によってセリフが違うぞ。そしてまた違う日「ごちそうさまでした。」変に勘ぐってしまう自分はピン!ときた。自分好みのメニューだったり特に味が良かったと評価された日は「美味しいご飯」をつける。そうでもない日は、そのまま「ごちそうさまでした。」何とも分かりやすい表現だと感心したが自分もこういう事には敏感すぎるとこもあり気にしなきゃいいとは思うんだけどそれもそう上手くはいかない。自分はこういう事をされるのが、とても嫌だ。何かジャッジされているようで。なので思った事を言ってみた。そしたら苦笑いしつつ、案の定図星だった。このように言うなら今度からは「ごちそうさま」だけでいいと、ダンナさんに言った。そうすると、この話を聞いていた子どもは「え?自分ならそう言われたら、次はもっとおいしく作ろうと思うな」・・・色んな考えがある。しかし自分は、子どものようなポジティブな考えにはならなかった。負けず嫌いで、ヘソ曲がりな性格なのか。だが、そう言われたからといってヘソを曲げて次からは、不味く作ろうとかは思わないけど少ししょっぱかった(塩辛い)と言われれば次からは少し塩味を減らすとか、そういう事はしている。たぶん今の今まで、このように言われた事がなかったし何かプライドが傷ついてしまったのだ。しかし以前のように、ここで気持ちを抑えてもストレスが溜まって、自分の心にも良くない。なので、相手に言わないのではなくいつまでも、後に引かない為にもこの時の感情をきちんと受け止め冷静に自分の気持ちを正直に話した。何を言われても、受け流すという事が出来れば(ムーディ勝山さんのように・・)良い事なんだという事も、この「自分見つめ直し期間」で身につけたと思っていたのだがそうでもなかったようだ。やはり嫌なものは嫌なのだ。長年身についた思考や性格を今日明日で治せるものでもない。もういい意味で「がんばらない」と決めたのだ。だから「ごちそうさま」の一言はただの感謝の気持ちと受け取りそれ以上の言葉ではないと思う事にした。・・・が、昨日の「ごちそうさま」も微妙だった。感情がまた乱されそうになったが今、ここにこうして書くことによりまた気持ちの整理をしている。だけど、この事があって今までどれだけ言いたい事を言えなかったのか言えないような雰囲気の家庭だったのか(自分がそうしていたのか)前にも書いたが、今やっと家族らしくなってきた我が家にとっては良い出来事だったのかもしれない。(ここはポジティブ)自分の性質もあるけど(HSP気質)それも分かったうえで「がんばらない、無理をしない」ことを心に留めて、またこれからご飯を作ろうと思う。また何か言われたら心の中で「ムーディ勝山さん」を思い出し歌う事にしよう【37歩目】
2021.08.26
今朝いつもだったら、ほぼ人と会う事のない家から数十メートルの距離のゴミステーションに向かっていたら前から犬の散歩をしていた見知らぬ年配の男性が歩いてきた。すると、すれ違う際にその男性の方から「おはようございます。」と挨拶をされた。突然だったので少し驚きつつも自分もとっさに挨拶を返した。するとその男性は、そこで立ち止まり今度はワンちゃんが言っているかのような口調でまた「おはようございます。」と言ってきた。それで自分もまたワンちゃんに「おはよう~」と返事を返した。(ワンちゃんにはタメグチきいてしまいました)そしてワンちゃんもしばらく立ち止まり自分の方をジッと見ていたのだがワンちゃんやネコちゃんは可愛いし決して嫌いではないんだけど正直どう接していいのか分からなくてアイコンタクトだけしてその場を離れた。このような時に「よしよし~」とか出来たらいいのかなとか思ったりするけど別にやらなくたっていい訳で相手だってそれを求めているとも限らない。この考えもまた自分の勝手な思い込みで「~しなければならない」思考が発動する。でももう、この思考はやめて無理せずに自分に出来る自分が出来る事をやればいいと、そうも思った。まぁ、このくだりはどうでもいい事なんだけど思いついたので書いておきました思い返せば、以前にもこのような光景があったようなそんな感じがしてきた。誰かに挨拶された記憶が・・・。ゴミを捨てに行く時間は、毎回同じではないけどもしかしたら今日と同じ人だったのかな?このご時世、本当に人との交流もほぼ無く寂しい感じもするが今日のように一瞬ではあったけど「ささやかな交流」が出来て朝から少し暖かい気持ちになれました挨拶ってやはり大事だし、気分のいいものですよね。挨拶とは、みんながみんな誰にでもする訳でもなくましてや知らない人に挨拶しようと思う人の方が少数派のような気もするのですが挨拶されて自分は嬉しかったです。今日もまた大事なことを教えてもらえた気がします。もしまたいつか、今日の二人?に会ったら今度は自分から挨拶してみようかな【36歩目】
2021.08.21
昨日、数か月ぶりに友人と会った。今の自分の中では、数少ない友人の中の価値観の合う人だったが昨日はなぜか、家に帰るとドッと疲れていた。とても久しぶりの家族以外との会話だったし自分の体調も万全だったわけではないからそのせいもあったのかもしれないがなんか心がスッキリしていなかった。昨日、待ち合わせ場所に着いたときに彼女は先に来ていて、誰かと電話をしていた。その声のトーンや何となく聞こえた会話の内容から何か家の事情の事なんだなというのを察した。自分も彼女の家の事情を、何となくは聞いてはいた。だけど親しくとも境界線は引いているので向こうから話してこない限りこちらからは聞かないようにしている。それから楽しく会話をし、お互いの近況報告や価値観の共有が出来たとも思っていた。しかし昨日は、彼女がどことなく何かいつもと違った。いや、彼女じゃなくて自分が違ったのかもしれない。今年に入って数回会った時から彼女との会話の端々にたまに違和感を抱くようになっていた。価値観なんて、その時々や周りの環境などで変わっていくものなんだろうし全ての価値観が合うなんて事はいくら親しい友人だったとしてもあるとは思ってはいない。自分もいつもだったらもう少し踏み込んだ話をするけど少しずつ感じてきていた違和感もありなぜか心にストップをかけていた。違和感を感じる前・・・まだ自分が仕事をしていた時は無我夢中で周りの事が見えなくて自分が当たり前の事をしていると思っていて今、振り返ってみても本当に無茶していたなと思う。そんな時、彼女は自分の話をただ聞いてくれてその当時はまだ、今のような思考になっていなかったので仕事や人間関係の愚痴もたくさん話した。今となっては本当に迷惑な話ですよね家庭の事で、色々悩んでいる時にも本当に彼女には助けてもらっていた。それが今、自分が冷静になり自分と向き合い周りが見え始めたらこのような感情が出てきてしまった。頭で考えてばかりだと冷静にはなれているんだけど本当はどうしたいのかが分からなくなる。だけど、このように書き出すことによって自分が、自分勝手な発言をしている事に気が付いた。自分が、彼女にしてもらっていたことを忘れていた。思い出せてよかったです。人が生きている間には良い時もあれば、そうでない時もある。その波がみんな一緒という事ももちろんない。きっと今は、自分と彼女の波が逆になっているのかもしれない。そう考えると、自分が落ちていた時は彼女も今の自分と同じ気持ちで周りが見えていなかった自分を何も言わずに受け止めてくれていたのかもしれない。そうだとしたら今は受け止めるのは自分の番なのかも・・・だ。自分はたまにこうして自分の価値観を人に押し付けてしまっていることがあるのかもしれない。人のプライバシーや、ダークな話題は今はもう話したくない事は彼女も知っている。本当は話したい事があったのかもしれないがそこはブレーキをかけさせていたんじゃないかと今、こうして振り返ってみて思う。昨日の別れ際に、いつも何かあった時に一番に会いたいのは、自分だとそのように言ってくれた。こんな自分勝手な人間にそんな言葉をかけてくれるなんて申し訳ない気持ちになりました。人との縁は、今までの出会いを振り返ってみても永遠でないこと事の方が多いと思っている。しかし、その中でも今、自分の周りにいてくれている人たちは世界の人口約78億人という人間の中で奇跡的に縁がある、あった人たちで今の自分に必要な人たちなんだろう。ここに書き出さなかったらまた自分の思考が誤作動していたかもしれない。今またこうして改めて気付きを得られて良かったです。次はまた、いつ会うかは分からないけどその時はもう少し彼女の気持ちも考えどんな事でも聞いてあげれたらいいなと。そして、今回のこの違和感が時とともに薄れていけばいいなとそう思っています。【35歩目】
2021.08.19
前回「感謝を伝えると変わる」というような内容の記事★を書いたのですがそれは我が家のダンナさんが発した感謝の言葉で自分も変わっていったという内容の話でした。今回は、自分が発した言葉でダンナさんが変わったという話と、友人の事も話したいと思います。(正確にはこっちが先の話です。まぁどちらが先でもいいのですが・・・)*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*自分がまだ仕事をしていた時帰りの遅いダンナさんを待たずに先に寝ていたという事もしばしばあった。お弁当を持って行っているのだが以前なら朝に自分がそれを洗ってからまたそこにお弁当を詰めるという感じだった。それがある時、同じように先に寝ていた時遅く帰ってきたダンナさんがそのお弁当箱を洗ってくれていた事があった。次の日、起きた時に弁当箱が洗って置いてある。それはすごく、ものすごく嬉しかったしありがたかった。普段は「あまのじゃく」な自分だがこの時ばかりは感謝の言葉を言わずにはいられなかった。「お弁当箱、洗ってくれてありがとう!すごく助かるわ~」と、少し大げさなくらいに感謝を伝えた。別にまだこの時は「感謝すること」に対して特に何も意識していたわけではなかった。普段、こんな言葉を発しない妻から感謝の言葉を言われて嬉しかったのかそうでないのかは分からないがその日以来、ダンナさんは自分で弁当箱を洗ってくれるようになった。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*この事があってからの、しばらくたったある日友人との会話の中でこの「感謝して褒める作戦」が使えそうな出来事を聞いた。友人の旦那さんは、どちらかというと亭主関白であまり家の事をしてくれないし友人に対して皮肉めいたことを言うから腹が立つと言っていた。ただ、きれい好きなようでたまに掃除をしてくれることがあるとそのようにも言っていた。しかし友人はその事に対してお礼を言ったことが無いと言った。そこで、この自分の出来事を思い出し我が家での出来事を話して「今度何かをしてくれた時に、大げさなくらいに褒めてみたらどう?」とひとこと伝えてみた。ここで実行するもしないも友人の自由だが友人はこの作戦を受け入れてくれていた。そして後日、また会った時にこの話になり聞いてみたところなんと効果があったとのことだった。掃除をしてくれていたので褒めて感謝の言葉を伝えたそうだ。そして以前なら売り言葉に買い言葉のようにお互いにぶつかり合っていたそうだがこの「感謝して褒める」という事をコツコツとやってみたら思いの外、効果があったようで二人の関係も少しずつ良くなり旦那さんもあまり口うるさくなくなり以前より口喧嘩も減ったそうだ。腹の立つことがあったとしても深呼吸でもして、その気持ちを一旦横に置き何かをしてくれた時には演技のようでもいいから「感謝」を伝えてみる。誰でも感謝されて悪い気はしないだろうから。その事があってから、会って話していても以前なら旦那さんの愚痴も多かったが今は、愚痴ではなく旦那さんとの嬉しい話が多くなった。最近は、二人でよく出かけているらしくそしてお互いを思いやり良い関係になってきているそうだ。しかしここまで来るには、もちろん昨日今日の話ではない。すぐに変われた訳でもない。友人の努力もあったし「感謝されて褒められる」という事をされて旦那さんも何かを感じ取り、変わってきてくれている事が「感謝」の言葉の効果を感じた気がした。あと自分の発した「ひとこと」を聞き流すことなく、実行してくれた友人にも「感謝」している。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*これから歳を重ねて、子どもも巣立っていき二人の生活になった時にそして更に定年を迎えてからこんなはずじゃなかったと慌てる前にいかにストレスなく過ごしていくかと考えたらそりゃあギスギスしているよりはやはりお互いが思いやり、気持ちよく日々を過ごしていくのが一番だと思うから今のうちから基盤を作っておくと良いのではないかと思っています。もし何か相手の言葉に対して腹の立つことがあったとしても我を通したくなる気持ちもたまには、正直なくもないけどでもそこを少し見方を変えて時と場合によっては一呼吸おいて流すというのも大事かなと。あと、いつまでも根に持たないで良い意味で忘れるのも大事かと。自分が少し大人になるとでもいいましょうかそして演技でも良いから相手が小さなことでも何かしてくれたら大げさなくらいに褒めまくり、感謝しまくる。そうするともしかしたら相手も少しずつでも変わってくるかもしれない。意外と褒めるのに慣れてくると何の抵抗もなく褒め言葉がスラスラと出てきますよ。これからの人生、自分の人生をどうせなら気分良く、穏やかに過ごしていきたいからそれならまず自分が変わるのが手っ取り早いと思ったので、今も何かしてくれた時にはきちんと感謝の言葉を伝えています。すると本当に感謝することをたくさんしてくれますそれで今は、もう仕事を辞めたので弁当箱は自分が洗っております。(感謝を込めて)なんて偉そうなこと言って、自分もまだこんなこと言える立場ではないのかもしれないけど自分が体験して感じたことをただ聞いてほしいと思った限りです。読んでくださった方、ありがとうございました。【34歩目】
2021.08.16
先日、突然ショックな話を聞いた。話を聞いた後、しばらく気持ちがザワザワして落ち着かなった。自分は、HSP気質が多少あると思うのでそういうショックな事を聞いたりすると必要以上に考えこんでしまう事がある。次の日の朝、目覚めてもまたその事を思い出し、気持ちが落ち着かなかった。その事が頭から離れなかった。そんな中、少しでも気を紛らわそうといつもの習慣の動画を観ていた。そして「推しメン」がデュエットで歌っているのを観たのだが言葉は解らないんだけどとても感情がこもっていて、何か伝わるものがあって胸にグッと込み上げてくるものがあって、自然と涙が出てきた。持ち歌のバラード曲だったのだが自分はまだ知らない歌だったので、ただ聴き入っていた。その後知ったのだが、彼も涙を堪えての熱唱だったのだ。その時は全然気づかなかった。それを知って、その涙のそうであろうという意味を知ってまたそこでもらい泣きしてしまった。そしてそれをきっかけに今度はなぜか色んなことが頭をよぎって堰を切ったように涙が溢れ出てきた。今まで溜め込んでいた感情やそのショックな出来事に対する思いや亡くなった祖母を見送った時のことなど色々な思いが込み上げてきて久しぶりにたくさん泣いた。自分は感情に蓋をするクセがあるというか悔しくて、腹が立って泣くとか今は特に感情的になる出来事がないのもあるけど普段自分は、自分の事で泣くということは本当に余程の事がない限り、滅多にない。泣くことは全然悪い事ではない。逆に感情を素直に出す方が良いのも分かっている。あまのじゃくな傾向の自分はその辺があまり上手くできないようだ。だから何かをきっかけに年に数回こういう風に泣く時がある。きっと何か自分の中で何かが溜まってきた時に偶然見た本や映画やドラマや今回の動画みたいにこのような良いタイミングで泣くスイッチが入る場面に遭遇する。この時はチャンス!とばかりに自分に向けて心のなかで「泣け泣けー!」と泣く事を後押しする。泣く事を自分に許して、涙をたくさん出して心を浄化させる。でも仕事を辞めてから、ストレスもだいぶ減ったようで溜まっていたものも少なかったみたいで今回は、ティッシュ10枚くらいで済んだそうして泣き止むと、胸につかえていたものがサーッと引いていくのがわかった。泣いてきちんと浄化できたようだ。その後は、聞いていたショックな出来事に対してももう動じることもなく、きちんと受け入れられていつも通りに戻った。こういうところは単純なようだ。自分と向き合う事を始めてから考え方もだいぶ変わって以前よりは立ち直りも早くなったような気がする。歳のせいもあるかもしれないが良い意味で忘れる事が出来るようにもなった。今回も泣く事により心が浄化され早く気持ちがスッキリするという事も、また改めて分かった。今度からはあまり溜め込まずに進んで泣くようにしよう今回の「ショックな出来事」からまた人生を考える事を教えてもらった気がするがここもまた難しく考えないことが一番いいんだよなと思っている。そんなの、わかっちゃいるんだけどね・・・【33歩目】
2021.08.13
これは今日見た夢の話です。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*ダンナさんに「晩ごはんだよ~」と声をかけるがなかなか来ないので、部屋に行ったらベッドを背もたれにして座ってくつろいでいる。そして「どうせカレーだろ」と言われ(カレーではなかったけど)その事に腹を立てて、ずっとイライラしている。その後、ダンナさんのやることなすことにいちいち文句をつけている。そして「そろそろ、こっちも言わせてもらうぞ」と威嚇してきた事に対して「言えるもんなら、言ってみな」みたいな売り言葉に買い言葉のようなセリフを言ったところで、夢は終わった。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*また生々しい夢を見た。なんか普段とは違う自分だったので夢から目覚めたら、ぐったり疲れていた。最近、特に喧嘩した訳でもない。でもなんかお互いにストレス溜まってんのかなと思ってしまった。*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*今は、ダンナさんに対して特に大きな不満はなく感謝の方が多いと思っているが潜在意識の中で、何か思っていることが無いとは言い切れないのかもしれない。(お互いに)ダンナさんは、今年に入ってから自分に対して感謝の言葉をよく言ってくれるようになった。最初は、どういう心境の変化だ?と変な感じもしたのだが言われて悪い気はしないので素直に受け取るようにした。そして、自分も感謝の言葉や思った事を言うように心がけていった。今までなら「言わなくても分かるだろう」という感じでお互いにあまり言いたい事を言わず当たり障りのないように、過ごしていた。今では、以前よりも何気ない会話も増えて家族がリビングにいる時間も増え少し「家族らしく」なったような気がする。決して仲が悪い訳ではないけど今までは正直そんなに会話する方じゃなかったので「家族らしい」って言葉が合っているのかはよく分からないけど我が家はどちらかというと全員「個人主義」なので「サザエさん一家」のような家族団らんとは、かけ離れていた家族だったがここ最近は、家族団らんが増えた気がする。自分が仕事を辞めて家の事をゆっくり出来るようになり以前より心に余裕が出来てピリピリする事が少なくなったから家の中の空気も少し変わったのかそのせいか、家族も少し変化を感じ取ったのか話しかけやすくなったのかもしれない。今まで、どんだけ態度に出ていたのかって話ですね(反省)「夫婦」という感覚も20年以上経っても未だに、よく分かっていない感じもする。ただ、お互いが一番大切にしたい所が同じような価値観を持っている(と思う)ので決してここまで、順風満帆で来た訳ではないが今やっと「夫婦」として、「家族」としてしっくり来ているような気がする。家族それぞれが、お互いを干渉することなくやりたい事好きな事をして、日々を過ごし何か困難が起きれば、その時は助け合い協力し合う。それが我が家の「夫婦のかたち」「家族のかたち」だ。それぞれの「家庭のかたち」があるだろうがまぁ我が家は、これで成り立っているからこのままでいいのかな*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*怒っている夢を見てからの夫婦の関係を改めて思い返してみましたが「自分が変われば相手も変わる」というのは自分はあると思っています。逆もまた然りで「相手が変われば自分も変わる。変われる。」相手を変えるのは、なかなか難しいのでまずは先に自分が変わらないといけないんですけどね。今回の件は相手が変わった例ですけど・・・。正直、ここまで来るには長い道のりがあり今日書いたことだけではないですが長くなりそうなので今日はここで止めておきます読んでくださった方、ありがとうございました【32歩目】
2021.08.11
気になっている「バッグ」があった。好きなサイトを見ていた時にモデルさんが持っていた、その「バッグ」を見た瞬間個性的なそのデザインに一目惚れしてしまい「このバッグ可愛い!欲しい!」と思った。しかしその時は、まだ販売している商品ではなくこれから販売されるかも分からなかったのでとりあえず、その「バッグ」を頭に記憶しておいてひとまず、そのサイトを後にした。しばらくして、そのサイトから届いたメルマガの中にあの「バッグ」が載っていた。すぐさまそのサイトに飛び、ポチろうとしたのだがなぜか指が動かない。少し冷静になって考えてみた。あの時は欲しかったのかもしれないがすぐに購入しようと思わないのは今は必要ないと判断したのか?しばらく悩んだ末、ひとまず買わずに少し様子を見ることにした。そして数日後、もう一度そのバッグを見に行くともう既に「品切れ」になっていた。すると何だろう・・・一時は買う事をためらったくせに一度でも欲しいと思っていたモノが手に入らないと思うと、なぜか無性に欲しくなって(人様の物には手を出さないですよ)なぜか悔しいような、負けたような?何とも言えない感情が沸き起こってきた。そこで早速「再販のお知らせメール」をポチり連絡を待つことにした。すると、比較的早く「再販のお知らせメール」が届いたのだが何度行ってもすぐに「売り切れ」こんなやり取りが何度も続いた。ここまで来るともう諦めの境地に達してきた。そしてまた考える。これは「本当に欲しいのか」それともただ「購買意欲が掻き立てられてるだけなのか」あるいは「縁が無かったのか」最初に見た時のあの「トキメキ」はあの時だけだったのだろうか。答えは出ないままだった。そして先日、この事を思い出し「お気に入り」に入れていたので何気にチェックしてみたところ今度は「予約商品」に変わっているではないかこれだけ待ち望んでいたものだから普通ならここで喜んで「即予約」となるのだろうがあと1ヶ月待たなきゃならんし今度は確実に手に入るんだと思うと少し拍子抜けしたようななんとも言えない気持ちになってしまった。今までは比較的、衝動買いをしたり安物買いの銭失いだったりして後々後悔するという事が多かったので今回の出来事は自分にとって、本当に必要なものを考える良い機会となったのかもしれない。考えた末、これは今の自分に必要ないモノだと判断した。今は、モノを増やすより減らすことが、優先だという事も分かった。これからは、本当に吟味して心から必要だと思えるモノを買おうと思った。************************この記事を書いてて、また思う。なんか自分ってつくづく「あまのじゃく」なんだなと思った。ブログって本当に、色んな自分が垣間見えて面白いですね読んでくださった方、ありがとうございました。【31歩目】
2021.08.09
先日、「学ジャーから卒業する」というような記事★を書いたのですが、そこから2日経ちました。(まだたった2日ですが・・・💦)おかげ様で、今のところ継続できています。「面倒くさい」という気持ちより「楽しいな」という気持ちの方が強いです。昨日も早々に化粧もし「身ぎれいなセット」を完了させました。そして宣言した日と同じサロペットを、また着たのですがあ、もちろん上の服は取り替えましたよ(;^ω^)この宣言を子どもにもしていたのですが昨日は起きてくるなり子「ママ、その服のままで寝たの?」私「失礼な!ちゃんと着替えたよ。」いつもほぼ毎日学ジャー姿の母しか見ていなかったので朝から着替えて化粧をしている母を見ていや、着替えているとは思わないから思わず出てしまった正直な気持ちだったと思う。子どもに、このようなセリフを言われるという事は今までどんなに自分が、ズボラだったかという事を思い知らさせた気がして改めてまた、心を入れ替えられる良いきっかけとなった。すると、「学ジャーを卒業する」にあたって次の新しいパジャマと洋服が欲しくなってしまった。先に買って、それを着てテンションを上げ継続をさせるか習慣を変えると言われている「21日」を継続出来たらご褒美で買うか。何事も「モノ」から入り手に入れると満足してしまって何事も続かなかったり、飽きてしまったりというのが今までの傾向だったが最近は、以前より習慣化できている事が多くなってきている。その習慣化の一つでキッチンリセットのきっかけとなった「モノ」の一つ「水切りバスケット」は、最初に買ったものだ。山崎実業 【 伸縮水切りバスケット トスカ 】 tosca 食器乾燥 水切り カ...これに関しては、別に習慣化を目的として買ってはいなかった。「ときめいたモノ」を買ったのでそれが結果良い方に向かったようだ。もちろん、今も継続中ですこれを踏まえた上で、今ときめいている【2021aw新作】HARVESTY(ハーベスティ)コットンチノクロスサーカスパ...このサーカスパンツ、ゆったりしていてお家でもリラックス出来そういや、待てよ。もし先にパジャマを買ったとしても「ときめくパジャマ」を買うから気に入りすぎて「学ジャー」の二の舞になるだろうか。それなら先に「ときめく洋服」を買ってすぐに着替えるように仕向けた方がいいかな。でもまだ「ときめくパジャマ」には出会っていないから後で買う事にしようかな。出会っていないってことは、まだ買うなって事かな。今の自分は、どの方法が「継続」する為に合っているだろうか。「自己投資」と思えばいいのか。「モノ」に釣られない強い心でそのままやればいいのか。「優柔不断な自分」は、しばらく悩みそうだ。とりあえず、明日もきちんと「身ぎれいなセット」しようっと【30歩目】
2021.08.07
朝、歯を磨きながら鏡の中の自分を見た。頭に老眼鏡を刺し、ヨレったTシャツに子どもの学ジャーのハーフパンツ。「これはヤバいな・・・(;^ω^)」いつもの日常のはずなのに今日は、自分の姿を目の当たりにしなぜかいつも以上に、危機感を感じた。家に居るようになってからというもの月に数えるほどの外出以外は前述のような格好で化粧もせずに毎日過ごしていた。自分に手をかけてなくてなんか自分が、哀れに思ってしまった。お掃除をして部屋がキレイになると気持ちがいいし、心も軽くなる。人間もそれと同じなんじゃないかと今更になって気付いたようだ。最近、洋服を買った。その服は届いたときに試着しただけでハンガーにかかったままだった。可哀そうな自分を自覚した時にその服が急に頭に浮かんだ。せっかく気に入って買ったのに一度も着ないで飾っておくだけなんてその服が可哀そうだ。出かける時だけ、良い服を着るというのはなんか違うんじゃないかと急にそう思ったのだ。サロペットパンツ オーバーオール レディース 綿 送料無料・7月4日10時〜再再...このオーバーオールです。とても着やすくて可愛いです。そう思った途端、いてもたってもいられず化粧をして、髪の毛をセットし、ピアスも付けその洋服を着た。久しぶりにテンションが上がった。こころなしか背筋も伸びる。家の中でも、いつもの学ジャーではなくきちんとした服を着ているとやはり気分も違う。今では宅配便も対面しなくていい事を、良い事にすっかり手抜きをしていた自分にこの洋服が、何か教えてくれたような気がする。いくら自分を変えようと躍起になってもまずは身なりからきちんとしなければならないと思った。いつ何があっても、いつ見られても恥ずかしくない格好をしておかなければと今更ながらに気付いたストレッチやダイエットなど体の方には、多少手をかけてはいるけど今日の出来事を機に外見にも、きちんと手をかけてもっと自分を大切にしてあげないと、と思えてよかった。この事も、これから習慣化していかないと今日の気づきが無駄になってしまう。「~しなければならない」という思考が時には自分を苦しめる時もあるが今回の自分をいつもキレイにする習慣は自分のテンションを上げてくれるので「良い習慣」として継続していきたい。「歳を重ねても若々しくて、キレイな人でいたい」という、以前立てていた目標すらも忘れて怠惰な生活になっていた事に気付けて良かった。まずは身ぎれいにする習慣をつけその事で体調も良くなり、心もキレイになって滲み出る雰囲気も良くなれば最高だな。ちょっと欲張りすぎかな?************************同じ家事をするのも身ぎれいにしているのと、いつもの学ジャーでは気持ちが違うし、心なしか捗る。掃除や料理にも、多少変化が出る。そうすると家族も喜ぶ。で、みんな幸せになる。・・・と、今日のイメージトレーニングをしてみました************************自分を大切にする感覚を今、化粧をしてお気に入りの洋服を着ているとこんな短時間でもなんか取り戻せてきた気がしています。(どんだけグータラしていたんだって話ですね)そのうち学ジャーからも卒業してお気に入りのパジャマでも見つけようかな【29歩目】
2021.08.05
これは子どもの事です。「ねぇ、○○した方がいいかな?」「ねぇ、こういう風に言った方がいいかな?」 etc・・・今でこそ回数は減ったが未だにこのように聞いてくる。 ただ昔と違うのは自分がここで、自分の思う答えを言わないことだ。以前であれば「こうした方がいいんじゃない?」「こう言ったらいいんじゃない?」と言うように、なんでもかんでも答えていた。そのようにしてきてしまったので子どもは「自分で考える力」が正直あまり身についてはいなかった。もちろん、これは自分の責任でもある。しかし、この「自分で考える力」が身につくようになってきたいや、やらざるを得ない出来事が子どもに起きたのである。入学した高校が合わなく、休みがちになりついには出席日数も足りなくなり本人も続ける意思もなく、転校するという事に決めた。色々な学校を調べ、まずは合同説明会に行った。その中で、候補は二か所あった。そして、そのうちの一校に見学に行ったのだが本人は、あまりしっくりこなかったようで後日、改めてもう一つの高校に見学に行くことになった。ここまで来るには、正直本当に色々あった。子どもも、かなり辛かったと思う。だけどその時、思ったのだった。結局行くのは子ども本人だ。自分で選ばせた方がいいのでは?と思ったのだ。ここでまた、なんでもかんでも、口も手も出してはまた同じことを繰り返してしまうのではないかと。そう思い「次の高校は一人で見学に行ってみる?」と心を鬼にして問いかけてみた。すると答えは、意外とすんなり「OK」だった。親の自分が驚いた。二校目は説明会の時に、本人が一番気になっていた所だ。そして見学の日を迎え、子ども一人で見に行った。すると雰囲気や先生も良かったらしくここの学校に決めた!と自ら言い出した。やはり直感というのもあったようだ。自分の意志で一歩前に進めたということがとても嬉しかった。子どもには「自分で考え決める力」というものがあったのにも関わらず親の自分が、その芽を摘んでいたのだ。その自分で決めた高校では心と身体が万全ではない中でも部活にも入り、学校行事にも、きちんと参加し親の自分が驚くほどの行動力を見せてくれた。良い先生達にも恵まれ本人も少しずつ明るくなってきた。そして、無事に卒業する事もできた。それでも、時には壁にぶつかるときもあった。その時は、話を聞き色んな選択肢がある事を伝えその中でも、自分で考え答えを出し行動する。こうして過ごしてきた中で、今の子どもの姿がある。思い返せば、決して簡単ではなかったが本当によく乗り越えたなと思う。親の勝手な考えで、いきなり突き放され自分で考え選択することを余儀なくされ、最初は戸惑っただろうがそのようにした頃からの方が子どもが変わりだしてきた気がする。バイトも始め、やりたい事、欲しいものを買い一人で道外旅行にも行く。(もちろん今は行ってません)自分よりも行動力は凄い。10代の頃とは見違えるほど、たくましくなり充実した人生を送っている。これからの進路の事などは自分なりに考えているみたいだ。自分は、ただそれを見守るだけだ。これからも、選択だらけの人生だが後悔のないように自分の人生を生きていってほしいと思っている。************************このように、書きましたが冒頭や、前回書いた記事★のようにどうでもいい事の選択はまだ決められない事が多々あり頭を悩ませている次第であります でも自分で蒔いた種だから今になって自分に返ってきてるのかなこの記事を書いても思うがなんか本当に自分勝手な親(自分)だな。しかし本当の自分をさらけ出さないとブログをやっている意味がなくなるからこれからも、今までの色んな出来事を振り返り、反省しながら書いていこうと思います。読んでくださった方、ありがとうございました。【28歩目】
2021.08.05
「冷たい」と言ってもアイスクリームとかではなくすみません・・・くだらない前置きです子ども(成人済み)が、今日から祖母宅へ。「ピロ~ン」出先から電話をかけてきた。子「お土産に何がいいかな?ドーナツが良いかな?パン?」私「そんなの知らんがな。自分で考えて」と言いつつ私「暑いから、水ようかんとか良いんじゃないの?」と一応アドバイス。子「わかった~」電話を切る。「ピロ~ン」また電話がくる。私「はい?」面倒くさい子「水ようかん、こしあんと小倉どっちがいい?」私「・・・そんなの知らんがな、自分で決めて」子「わかった~」電話を切って思う。「自分って冷たいんだろうか?」子どもには、こうしてなんでも「聞くクセ」がある。突き放しすぎなのかなと思ったりもする。でももう成人済みだし、こんな事は自分で考えてよ~ってのが本音だ。以前も、知人に私の子どもに対する電話の対応が冷たい、可哀そうとよく言われていた。もともと普段の話し方も、優しいとは言えないし声のトーンを上げて話したものならかえって気味悪がられるし。いや、声のトーンはさておきこの手の、どうでもいい質問にいちいち、答えなければならないのかと。このように何でも親に聞く子になったのも子どもの幼少期の、自分の育て方が悪かったのかともちろんそこは反省している点でもある。なので思春期に入った頃から「自分で選択させる」ことも始めた。 (これに関しては後日また記事を書く予定です)こんなことくらい教えてあげればいいじゃないと思う方もいると思います。でも自分は、比較的早い時から自分の子どもとは逆で親に何も聞かずに「自分で決めるクセ」が身についてしまっているのでこのように思ってしまうのかもしれない。時折このような「どうでもいい質問」が投げかけられその度に「だいたひかる」と答え (どうでもいいですよ)突き放してしまいますがめげずに何度も聞いてくる子どもとのこのくだらないやり取りもいつまで続くものやら・・・。先程無事に、祖母宅に着いたとLINEが来た。結局、ドーナツとパンと水ようかんを全部買ったそうですそして・・・子「さっき動物のフンが頭に落ちてきた、良い事あるわ!」私「ウン(運)がついてるね!」子「そうだね!」このようにブログを書いてる最中に、タイムリーに最後にオチのLINEを送ってくる子どもってなんだかんで、憎めません自分もかなり「面倒くさい人」だから人の事言えた義理じゃないんだけど誕生日では二人は「ソウルメイト」だそうで言われれば、たまに親子が逆転しているなと思う状況もあったりで色々教え合うように、生まれてきてくれたのかなとも時々思います。似たもの親子ってことですね本題からかなりそれてしまいましたが・・・ちなみに、水ようかんは「こしあん」を買ったそうです(だいたひかるですね)【27歩目】
2021.08.04
自分にとって、毎日の家事は「そろそろ、やらなきゃ・・・」「まだ、やりたくないな・・・」この二つの感情との闘いだった。しかし、この闘いに打ち勝つアイテムが登場した。「エプロン」だ。数年前までは、この習慣はなかった。しかし、経緯は覚えていないけど「エプロン」を装着することで不思議と、家事のやる気スイッチが入る事に気が付いた。自分にとって「エプロン」とは例えが合っているかは判らないが「仮面ライダーの変身ベルト」のような存在になっていた。やる気のない精神に、気合を入れるかのようにお気に入りの「エプロン」を装着し仮面ライダーのように「家事という名の敵」を片っ端からやっつける・・・と、言えば聞こえはいいかな今年は、母の日のプレゼントに子どもから「エプロン」をもらった。とてもお気に入りなのだが生地が厚地のデニムなのでこの季節には、ちょっと暑い送料無料 アンドパッカブル エプロン AND PACKABLE メンズ レディース ユニセックス 保育士 大きいサイズ デニム エプロン 前掛け 収納 おしゃれ かわいい 料理教室 胸当て おうちキャンプ 母の日 ギフト メール便こちらの商品です今は、もう一つの薄地のエプロンをしています。Johnbull Johnbull/(U)ツールバックエプロン ジョンブルプライベートラボ インナー/ナイトウェア ルームウェア/その他 ブラウン【送料無料】これもいいBAYFLOW BF FOODエプロン ベイフロー 生活雑貨 生活雑貨その他 カーキ ネイビー ベージュこんなのも好きエプロン メンズ レディース CULTURE MART カルチャーマート アメリカ雑貨 アメカジ雑貨 ガーデニング BBQ バーベキュー レジャー キッチン 雑貨 オシャレ アクセサリー 小物 グッズ 新生活 誕生日 プレゼントこちらもタイプちょっと頑張ってリンクを張ってみましたまだまだ暑い日が続きそうですが「エプロン」を装着しながら日々の家事を頑張ろうと思います。もし、「家事のやる気が起きないよ~」という方がいらしたら「エプロン」お勧めですよ【26歩目】
2021.08.01
今朝、二本立てで夢を見た。しかも、両方とも昔の友人が出てくる夢だ。後で見たほうが、とても生々しくて最初の方は登場人物すら忘れてしまった。************************生々しい方に登場した彼女は以前は、とても仲良くしていたのだがいつの頃から、お互いの価値観が変わっていき付き合う事に、自分が疲れてしまったので自然と距離をおいてしまった人だ。そして昨日、ちょうど彼女の連絡先を削除したばかりだった。************************二人とも、それぞれの車でそこに来ていた。夢は一緒に旅行に行くという設定だった。最初は現実に今、会ったらこんな感じなのかなというとても、ぎこちない感じで会話をしていた。しかし途中から詳しい内容などは覚えていないけど自分が今まで言わなかったいや、言えなかった胸の内を静かに彼女に話していた。すると彼女も、色々と話しだしお互いに少しずつ笑顔になっていった。そうすると彼女は車の中から自分に渡そうとしていたというお菓子を両手いっぱいに抱えて持ってきて自分にくれた。そして、夢の中だけど自分の心も晴れやかになっている気がした。************************夢はここで終わってしまったのだがあまりにも生々しかったのでこうしてブログに「夢日記」として綴っておくのもありかなと思ったので今後、夢を見て覚えていたらこのように書いていこうと思います。あくまでも、これは夢なので現実もこうなるとは思わないけどあまり良い別れ方ではなかったから自分の中でも何かわだかまりがあったのかもしれない。それが今回、このような形で夢に出てきたのかは、分からないけどこの夢を見て気づいたのは今の、このご時世の中で以前のように簡単に人には会えなくなったという事態を良い事に自分を見つめなおしたという工程で「人間関係の見直し」をした事により自然と距離を置くという選択をしてしまったがその一方で、どこか寂しさを感じていたのかもしれない。この選択をした事に、後悔はしていないが人との関わりも、あまりなくなり煩わしさもなくなったが今、自分の周りにいてくれている人を大切に今後、付き合っていく人達とはきちんと胸の内を話せるように自分に正直に生きていきたいと改めて思わせてくれる夢だったかもしれない。【25歩目】
2021.08.01
最初に言っておきますがこれは家族間の話です。何かあった訳でもない。ただただ噛み合わない。話しかけられても、正直「上の空」その立場が、もちろん逆の時もある。もちろん噛み合う日もある。そういう時は、本当に中身のある会話が出来る。お互いに納得のいく良い時間だと思う。自分が「話したくない、聞きたくない」になる時のほとんどは、ただ単に自分が「一人になりたい」だけなのだ。無意識に「近づくなオーラ」を出している時もあるかもしれない。こういう態度を取るのは相手に対して失礼なのも分かっている。一つ言えるのは、態度には出してしまうけど決して声を荒げることはない。(苦しい言い訳ですね)いつも穏やかに対応出来ればいいとは思っているがうまくはいかないのが実情で・・・。一人の時間がないとどうにも心のバランスが取れない性質のようで一人の時間があればあるほどありがたく、ご機嫌な自分でいられる。「噛み合わない = 一人になりたい」結局、「嚙み合わない日」とは自分が「一人になりたい日」なのだ。こうして書いていて思うけど本当に自分は、分かりやすくてただの気分屋で、わがままな人間だな。目標としている「穏やかな人」になるにはまだまだ修行が必要だ。でも、このように書くことにより思いっきり自分の恥を晒しているのですが自分を分析し、冷静に考えることが出来るので良い事ですねもうすぐ始まる「夏休み」精神修行が始まります【24歩目】
2021.07.29
昨日の記事★の最後に書いた「引き寄せたい」事が、今日叶ってしまった購入特典のランダムグッズになんと「推しメン」が来てくれたのだ!神様に感謝です!もう今年の運を(一生分じゃないのか?)使い果たしたのではないかと思うくらい嬉しかったしかし自分は、このグッズの事しか頭になくてランダムトレカの事を忘れていたのだ。トレカに関しては、今までに「推しメン」がうちに来てくれた事は一度もないしかも毎回、我が家に来てくれる他の二人のメンバーがいる。もちろん、メンバー全員好きだから誰が来てくれてもいいのだが正直、やはり本音は「推しメン」希望だ。でももしこれで全部「推しメン」が来たらもうそれこそ恐ろしすぎる。その事をすっかり忘れて、何も考えずにCDを開封した。「・・・」そのメンバーは、よほど我が家が好きなのかまたまた来てくれた。いやいや、かっこいいぞ!いいじゃないかもう一枚ある。今度こそはと、気を取り直してドキドキしながら開封した。「・・・」さっきと違う、また我が家によく来てくれるもう一人のメンバーが来てくれた。「いらっしゃい、よく来てくれたね」子どものお気に入りくんだからこれはこれで、いいじゃないか。・・・という感じで、ドキドキの開封式が終わった。結果は、昨日の願いの購入特典は「推しメン」が来てくれたので願いが叶ったという点ではビックリでした。でも人生そう何もかも上手くいかないという事をこの開封式で教えてもらいました。もし全部「推しメン」が来ていたら「何かの才能があるのでは?」ととんでもない勘違いをしそうだったので勘違いせずにいられてよかったです(冗談です)今回、更年期の動悸とは違う「ドキドキ」感を楽しめたので購入したCDを聞きながらまた日々の生活を過ごしていきたいと思います。【23歩目】
2021.07.27
最近、何気に思ったことや夢で見たこと、以前会話した内容が現実に起きるという事が、立て続けに起きている。果たして今回起きている事が「引き寄せ」「シンクロ」などのスピリチュアルな事と、結びつくとは思っていませんがただの偶然な出来事として書き記しておこうと思います。最初に言っておきますが自分は、スピリチュアルな事に少し興味はありますがたまにタロット系の動画やスピリチュアル系のブログを見る程度で才能とかある訳でもなくただの素人です。一つ目は、結構前にダンナさんが「この前食べたカップラーメンが〇〇(私)が好きそうな味だから、買ってきてあげようと思ってるんだけど置いてある店がなかなかなくてさ。見つけたら買ってくるわ〜」なんて会話をしていました。それを先日、ふと思い出し子どもにこの話をしたんです。そうしたら、その日仕事から帰ってきたダンナさんが袋からゴソゴソとそのカップラーメンを出してきたのです。「これ売ってたから、買ってきたよ~」と。「これはシンクロなのか?引き寄せか?はたまた偶然か?」あまりにも、こんな偶然あるのかとビックリした出来事だったので自分は何か才能でもあるんじゃないのか?と勘違いをしてしまいそうでしたそしてまた、今度は思っていたことが現実に・・。あまり良いことではないのですが最近のタイムリーな話で自分の車の担当者さんが、相性が良くないのかあまり良い印象を持っていなくて先日もお会いしたのですがその際に心の中で「そろそろ担当者さん、変わらないかなぁ」と思っていたのです。(ごめんなさい)そうしたら、さっきハガキが届いて「異動のご挨拶」「・・・」言葉を失った元々決まっていたのかもしれないがなんかあまりにもタイムリーだったので少し怖くなった。本当に偶然なんだろうけどなぜか心臓がドキドキしています。あまり良くない事を書いているってのもあると思います。だけど、不思議体験の一環として書かせてもらいました。気を取り直して、次は良い事で一か月くらい前に夢を見た。親友の娘が女の子を産んだ夢だった。正夢だったらすごいなと思いつつ親友に聞こうと思ったがその時は聞かずにいた。そして昨日の朝、ふとさっきの夢の親友を思い出した。「元気かな~、そろそろ連絡しようかな?」なんて思っていた。するとしばらくして、滅多に鳴らないline音が鳴った・・。「ん?誰だ?」なんと、その親友からだった。「娘に、二人目が出来ました~」「マジか?正夢じゃんよ~」そして、久しぶりにlineで近況報告などをして楽しい時間を過ごした。でももし、これで女の子だったらまた何か勘違いしそうですわもう少ししたら、きっと性別も分かるので楽しみが一つ増えました。なんかここまであまりにも「シンクロ」のような「引き寄せ」なんだか分からんけどそのような事が多すぎて、少し驚いている。いや、ただの偶然ですねここまでは、ただの偶然だろうけど自分には本当に「引き寄せたい」事がある。もうじき届くであろう「推しのCD」の中に入っている「購入特典のランダムグッズ」だ。ここで推しメンを引き当てたら違う意味で怖いけど、嬉しい欲張ると良くない事は分かっているが祈りが届くことを願ってこのドキドキ感を楽しみたい。【22歩目】
2021.07.26
数日前の朝子どもが貰ってきたパンがあったのだがあまり好きではないパンだったらしく「ハハ、食べていいよ~」と言われたのだが内心では、違うものを食べようと思っていたし自分も美味しそうに見えなかったので正直いらないなぁと思っていた。いつもなら「いらない」と言う時は、きちんと言えるのにその日はなぜか言えなかった。もうこの時点で、自分軸になっていない。自分が、心から食べたい物ではなかったのに「くれる」という気持ちを踏みにじってはいけないかなという思いと「もったいない」ということだけで食べたくもない物を安易にもらってしまった。 「いらない」と言えずに食べたパンはやはり、美味しいとは思えなかった。後悔で後味が悪かった。今回のパンに限らずいらない物を貰うという事は自分にとって必要ならば、貰ってもいい事なのだろうけど「もったいないから」という理由や「本当は、いらない」という自分の気持ちに嘘をついて貰ってもやはりどこか心にしこりが残る。この時はなぜ「いらない」と言えなかったのか自分でもよく分からないのだがたまに現れる「ぐるぐる思考」が邪魔をしたと思われる。相手の気持ちも、もちろん大事なのだけど「自分軸」になるにはやはり自分の気持ちを優先しないといつまでたっても変わらないままだ。もう「自分軸」になっていたと思っていたのにほんの些細な出来事だったかもしれないけどこの経験を通してまだ全然そうじゃなかったという事に気付かされた。しかし今回は、自分の気持ちに嘘をついてしまい後味が悪くなってしまったがこれはこれで、お勉強したという事で・・もしも次、このような状況になってもいかに自分の気持ちに正直になれるかでこれから先「自分軸」に近づいていけるのかな。次からは、同じことを繰り返さないように自分の正直な気持ちに嘘をつかずに相手に伝えたいと思います。【21歩目】
2021.07.24
今の自分の顔(雰囲気)って人から見たらどのように見えるんだろう。と言っても、今はこのご時世なのでマスクから上の目元しか見えないが笑顔の印象に見えるだろうか。それとも、ブスッとしている印象なのかな。はたまた、どっちでもないのか。鏡に映る自分と写真の中の自分。正直、全然違ういやいや、歳を重ねたシミやたるみではなく自分から滲み出る雰囲気が重要なのだ。「穏やかな人」を目指している自分は「口角の下がった人」にだけはなりたくないと日々思っていてやはり日頃から愚痴や不満など口にしているとちょっとずつ下がっていく気がするのでそこのところを心がけて近頃は、過ごしている・・・と思うだが、こうしてパソコンに向かっている時はブスッとしていない事は証明できる「笑顔」ではなく「にやけ」かもしれないが目(ポスター)と耳(音楽)から「癒しの推しメン」が自分を癒してくれているので必然的に「怪しい笑顔」を作ることが出来ている。少なくともこの間は口角は下がっていない・・・はず。更年期世代には、とっても必要なセロトニンも分泌されていると思います一石二鳥ですね家に居る時は、にやけていても他人に見られるわけでもないしもし家族に見られても「今日のハハは機嫌がいいんだね」くらいに思う事でしょう。(そう思ってるのは自分だけ?・・・笑)「お母さんがご機嫌なら家庭がうまくいく」というような言葉をどこかで見たけど今の我が家は、この言葉がとてもしっくり来ています。考えは、人それぞれだけどお母さん(自分)次第で家族が楽しく過ごせるか、そうでないか自分が変わり始めてからこの現状を、ひしひしと感じています。まぁ、このようになるにはかなりの時間を要しましたが・・・この辺も、機会を見て書いていく予定です。少し(かなり?)話が逸れましたが今回は「穏やかな人」になる為に「笑顔」を作ることを心がけると決してそれがにやけて「怪しい笑顔」でも「笑顔」には変わりないって事で自分にも、周りにも良い事があるという事をただ伝えたかったのです。(よくわかりませんね。自己満です。)でも、外ではマスクかけてるから多少にやけてても口元隠れるから大丈夫かな?危ない人認定されない程度に微笑んで(にやけて)いようかな【20歩目】
2021.07.23
まだ20にも満たない記事を書いた中で自分は秘密主義だという事を、何度か書いている。ここ何日か、ブログを書こうと思ったのだがなぜか思うように手が進まない。なぜ自分はブログを再開しようと思ったのか。何を書きたくて始めたのか。どこまでさらけ出して、書いたらいいのか。頭の中で色々な思考がまた、ぐるぐると動き出す。きっと自分の秘密主義の思考が書く内容に対して制限をかけていたと気付いた。このままずっと秘密主義を続けていれば書くことだって限られてくる。それでは始めた意味がない。自分の経験や体験したことなど掘り下げて書いていってもし自分の記事を読んでくれている人が何かを感じてくれたならそれが今、自分の一番嬉しい事だ。だけど、さすがに自分にも守らなければならない領域がある。そこだけは秘密主義を貫くけどこれからは少しずつ秘密主義を一部解放して過去の体験談なども書いていこうかなと思ってます。こんなことを宣言しておきながら言うのも何なんだけどプレッシャーにならない程度にさらけ出していこうと思います。ご理解のほどよろしくお願いいたします。【19歩目】
2021.07.21
「行ってらっしゃーい!」いつもより声のトーンが上がり一緒に買い物に行くという二人を見送る。やっと自分の、一人の時間がやってきた。コーヒーを飲み、好きな音楽を聴きながらこうしてパソコンに向かってブログを書いている。今、一番自分が好きな時間だ。秘密主義な自分はこうしてブログをやっていることを家族には話していない。こうして今、一人でやりたい事が出来ている。とても幸せな時間だ。自分は、一人の時間を確保できないとストレスが溜まり気持ちをリセットできない。この事に気づくのは、歳を重ねるにつれて子育ても一段落し、自分のこれからを見つめ直した時に気づいた事だった。家の中にいても、家族それぞれの部屋があってそれぞれ、そこに居たとしてもそれは自分にとっては、一人ではないのだ。家に誰もいなくなって本当の一人になれる。なんてワガママな奴だという声が聞こえてきそうですが嘘偽りない、今の自分の正直な気持ちです。こんなこと、いつも家族が居て安心できる環境にいるからこそ言えることだ。これがもし、本当に誰も居なくなって本当の一人になったら自分は大丈夫なのだろうかと時々考える。相変わらず面倒くさい奴だ。でも本当に、家族には感謝している。年々、この気持ちは増すばかりだ。二人は自分が一人が好きだというのを知っている。こんなとてもわかりやすくワガママな妻、母親に付き合ってくれて「ありがとう」と言いたい。この時間があるから以前より穏やかな自分でいられる。二人に感謝し、これからも日々の家事を頑張っていこうと思います【18歩目】
2021.07.17
穴があったら入りたい出来事など今までに、ごまんとあるけど今日、電話口で赤っ恥をかくとは思いもよらなかった車の点検の予約をするためディーラーさんに電話を掛けた。自分は平日希望だったので、その旨を伝えたところ「19日の月曜日はいかがでしょうか?」と。ん・・?19日って祝日じゃないのか?とカレンダーを見ながら思いつつ「19日って赤い日じゃないですか?」と意気揚々と言い放った。すると電話口の社員さんは「今年は22日に移ったんですよ~」「へ?・・・」電話を切った後、すぐさま検索した。令和2年12月21日・・・自分の時間は、いつから止まっていたのだろう・・・。少しカルチャーショックを受けつつも今日、この事を知れたのは、ありがたい事だ。ディーラーの社員さんに感謝です去年から、内にこもり自分を見つめ直すという事を始めてからというものほとんどニュースや、外部の情報を入れない生活をしていた為冗談抜きで本当にこの事を知らなかった。オリンピックをやるのも、つい最近知った。興味のない事には目が向かないのだ。だけど、ここまで何不自由を感じずに普通に生きてこれたので今のままでもいいのかな。知らないことがあっても何も恥ずかしい事ではない。知らないものは知らない。それで、今日のように知れることもある。赤っ恥とは言ったけど50歳の自分には、ほんの一瞬で忘れ去り面白おかしく話せるという技が身についている。今回の恥も、知らない事を知れたという「ポジティブな恥」という事でこのように、書き記しておこうかなと思いました。なんか矛盾しない事ばかり言っているかもしれないけど今の自分は、このくらいがちょうどいいかな。【17歩目】
2021.07.16
いつの頃からだろうか秘密主義になったのは。母親の影響でもあるのだろうが・・・。自分の本当に知られたくないことは絶対に人には話さない。話していない。もちろん、人から聞いたこともだ。特に大人になるにつれ、年を重ねるにつれ自分の心の中にしまっておくという大切さを痛感している。今では、墓場まで持っていくという自信もある。しかし、中には心の中にしまっておけない人がいるのも事実だ。今はこんな事を言っているが以前は自分も、こちら側の人だった時もないといえば嘘になる。本当に大事な守るところは、守っていたが人との会話の中で、つい一緒になって他人の事など、言ってしまっていたこともある。今となっては、反省してもしきれない。去年の出来事★から、人間関係を見つめなおして本当に自分は、どんな人付き合いがしたいのかどういう人と一緒に居れば今後の人生穏やかに過ごせるのかと考えた時に「「自分」の話ができる人」これからの人生、自分の事を大切にしていて自分軸で生きている人かなと思った。そして「心から信頼できる人」これはこの「秘密主義」な人とも言えるがこの部分を理解し守っている人はいくら仲が良いとはいえ、他人の境界線を越えてこない。自分の身になる話が出来る。お互いが精神的にも自立していて本当に必要な時には助けを求める。そんな程よい距離感の付き合いが出来る人だ。自分の家族(実家)とも、このような距離感を保っている。旦那とも、お互いに干渉することもなく程よい距離感を保っているので色々な夫婦の形があるだろうが自分達二人にとっては良い夫婦関係を築けているのではないかと(勝手に)思っている。残りの人生、言い方は悪いがもうどうでもいい他人の話はいらない。かと言って、完全に他人を遮断するという事ではないです。人と話すのは嫌いじゃないので。いらないのは「他人のゴシップを話す」という事です。これからは、自分の大切な家族、友達そして「自分」と自分の好きな事、物、アイドルこれらを大事に生きていければそれでいいのじゃないかと思う。【16歩目】
2021.07.15
その日は朝から、あまり調子が良くなかった。でも、やりたい事が二つあった。そこでまた、自分との闘いが始まる。「行くか」「行かないか」何でもない時なら、こんな葛藤はない。ただ今、絶賛更年期真っ最中。心が揺らぐ日が続いているのだ。自分はよく、この闘いに呪文を使う。「大丈夫、大丈夫」「負けてたまるか」「案ずるより、横山やすし」以前、TVで外国の男の子がこう言ってたのを拝借このような言葉で自分を鼓舞し、「勇気」を注入するのだがこの「勇気」がなかなか注入されない時がある。今日も呪文が効かないのか・・・と思ったがこの日は急に「勇気の神様」が降りてきて一つ目のやりたい事が、すんなり出来たのだ。なぜか、突然「開き直りの思考」が頭に浮かんだ。「なんとかなるって、大丈夫だ!」「行っちゃえ、行っちゃえ!」もう一人の自分の心の声がそう叫ぶ。そう思ったとたん、ハンドルが目的地に向かい無事に用事を済ませることが出来た。そして、もう一つのやりたい事は「美容院に行く」だ。体調の悪い時に行くのは、自分にとっては本当に勇気のいることなのだ。カラーもしたかったので、大体2時間は拘束される。そう考えただけでも、足が向かなくなる。でも、髪は決まらないし、白髪も目立ち始めてきた。多少の美意識だけは忘れず持っているのでボサボサの白髪頭の自分の姿を見るたびに、気分は下がる。髪型が変われば、気分も変わるのも知っている。だけど、自分との闘いになかなか勝てずにただただ時が過ぎていく・・・そんな日々を過ごしていた。だけどこの日は、第一関門を突破し、自信がついたのかいてもたってもいられなくなり、すぐさま予約の電話を掛けた。そうすると、タイミング良くすぐに出来るとのことだったので間髪入れずにお願いし、行くことにした。なんだかんだで、美容師さんと楽しく会話をしながらあっという間に、2時間半の施術も無事終了。髪もスッキリし、白髪もキレイに染まり、気分も体調も良くなった。この日は突然「勇気の神様」が降りてきてまた一つ、自分のモヤモヤを取り除くことが出来た。そしてまた、自信をつけることも出来た。このように書き込みをしていて、思ったことがある。普段の自分の考えや思考を見ているとただ、取り越し苦労をしているだけなのではないだろうかと。行くまでは、頭の中でグルグルと色んな事を想像し二の足を踏む。だけど思い切って行ってしまえば、意外と難なく出来ている。こうして書いていても、つくづく面倒くさい性格だと思う。変なところに完璧主義な性格も関係してるんだろうな。この日のように行動できる日もあれば、できない日もある。だが、こういう自分も受け入れて、付き合っていくしかないのだ。実際、このブログを始めてこのように自分の様子を書き出すことによって更に冷静にみれるようになり、少しずつではあるが以前、ここに書き込みした苦手だった事もあまり苦手意識を持たずに出来るようになっている。それによって、ストレスもかなり軽減された。その事により少し自信も付き、気持ちも楽になってきている。だけど、変なところはポジティブなので上手にバランスを取って、焦らずゆっくり日々を過ごしていけば大丈夫かなでも次々とやらなきゃならない事が出てきてまだまだ「勇気の神様」は、必要なのでまた降りてきて来ますように【15歩目】
2021.07.13
「知らぬが仏」知らなくてもいい事を、わざわざ言わなくてもいいのに・・・心の中で止めておいてほしかった・・・聞きたくなかった・・・そう思うことが、これまで生きてきて何度もある。もちろん誰にでも、ある事だろうが。反対に自分が相手に言ってしまったことも多々あるだろう。子ども時代、自分はこの言葉を知らずにきっと何人もの人を傷つけてきたかもしれない。そしてそこから成長していく過程で、色々経験し学び今こうして年を重ね、わかったからこそ相手に対して言葉を発するときに、まずは一呼吸おいて、考えてから発言するように心掛けている。色んな価値観があるが、何でもかんでも話をすることが良いわけではないというのが自分の考え。もちろん誰に対してもだけどこれが大切な、身近な相手ほど大事にしなければならないのではないかとも思う。「知らなかった方が良かった・・」そんなこともたくさんあった。もしこれが逆の立場だったら聞かない方が良かったと思わないのだろうか。この経験が、今の自分の思考になる。あとは、親の影響でもある。自分の親は秘密主義とでもいうのか本当に何も言わない人だった。自分が家を出て離れてからも、親自身が病気をして入院しても、離婚しても一切連絡なんてしてこない。なんでも「事後報告」だ。家族なのに、そんなことも言わないのか?と疑問に思う人もいるかもしれない。でも自分はこのような家庭で育ったのだ。心配をかけまいとする親の愛情と思っていいのか。自分も大人になって、その時の親の気持ちが理解できる。もし、子どもが独り立ちし、同じような状況になっても自分は自分の親と同じ行動を取るだろう。良い意味で個人主義の家庭だったとでも言おうか。かと言って、仲が悪い訳ではない。実家に帰った時は、その「事後報告」や自分の話など、おしゃべりする。今となったら、この距離感が丁度いい。家族に限らず、友達でもこの距離感が良いのだと年を重ねるたびに、そう思うようになってきた。困難が起きてもまずは、とりあえず自分で考え、向き合い自分で解決するようにしている。でも、どうしても助けが欲しくなったらその時は誰かに相談に乗ってもらう。だが、このような考えが理解できない人もいるだろう。今、自分の周りにいる人は同じ思考をしてる人がほとんどだ。と言うか、合う人とだけいるようにしたというのが本当だろうか。それこそ数は多くないけど、それでいいのだ。これからは、自分にとって心地よい人と付き合っていきたい。「余計な言葉を言わない」「言っていい事と、言わなくていい事」これらの事を心して、相手の立場になって言葉を選びお互いに思いやれる気持ちを持ってこれから過ごしていきたい。【14歩目】
2021.07.11
今年に入ってまた、心変わりをしてしまった。それまで好きだった「アイドル」だ。心変わりする前の推しのグループは、たまたま観ていた歌番組でそのパフォーマンスに釘付けになり、瞬く間にハマっていった。その頃、心も身体も疲れ切っていた自分にとって彼らの存在は、生きていく上でとても力になってくれていた。しかし、自分の弱点は「熱しやすく冷めやすい」というところだ好きになるのは大体グループでまず一人の推しメンができるのだがパフォーマンスやバラエティーを観てその他のメンバーの人柄などを見ているうちに、気が変わってしまう。このグループでは一回変わった。そして次の「彼」の出現により、このグループはもう過去になった。最初は、のめり込むのだが、次第に熱が少しずつ冷めていく。期間も様々で、一瞬で終わることも多々ある。打ち上げ花火のように。気が多いって事ですね嫌いになるのではなく、興味がスパッと無くなってしまうのです。小学生時代から始まったこの「アイドル」好きを続けていて少しわかったこともある。「顔」から入った人ほど、すぐに飽きてしまうという事だ。これまでの推しの遍歴を思い返してみても間違いはなさそうだ。あと、スキャンダルを起こした人もダメだった。でも、そのスキャンダルを受けいれられなかったというのも所詮、そこまで好きではなかったという事だったのかもしれない。そこで今の「推しメン」を好きになったきっかけは「声」だった。たまたま入ったMVで初めて、その「彼」の存在を知った。だけど、初めて観た時は記憶には残っていなかった。グループ自体は名前を知っている程度だった。最初にそのMVを観た時、グループの一人は観ていたドラマで知っていてそのメンバーが映っていたので、どんな感じなのか観てみようかなとそれくらいの気持ちだった。そして、そのメンバーがこのグループだったんだ~程度で終わった。しかしその後、何度かそのMVを目にすることがありその落ちたと思われる瞬間は、歌のワンフレーズの「声」だった。この声の持ち主は誰なのか気になり、たまたま録画されていたMVを何度も何度も観返して「声」の持ち主を探し当てた。「この人の声だったんだ・・」そこから、そのグループの以前のMV をくまなく見始めた。すると、その彼の声もさることながら、グループ全体のダンスや歌声にもすぐさま魅了されてしまった。どの歌も耳に心地よく、何度聞いても飽きなかった。そしてまた、以前のバラエティー番組などで彼らの人柄などを垣間見てどんどんハマっていった。もちろん推しメンの歌声、人柄、ビジュアル、雰囲気全てにおいてもだ。穏やかな彼が今の自分にとって、とても心地よい存在だ。彼と彼らから、目から耳から癒しとパワーをもらっている。もちろん今も、現在進行形だそして今のところまだ「推し変なし」ですこういう事を経験し思うことは出会いっていつどこであるかわからないし今の自分の状態の波長に合った人の事を好きになるものなのかなとも思う。これって、「アイドル」に限らず今、生きていく上でも言えることなのだと年を重ねるにつれて思う事です。これからは、自分の波長に合った人と気持ち穏やかに生きていきたい。それが今の自分の願いです。「穏やか」この気持ちが今、自分が一番好きで、目指している事。このように「ゆるり」と過ごしていきたい。今は、こんな風に語っているけど今回は、打ち上げ花火にならないことを願って今の気持ちを大事に、静かに「推し」活動していきたいと思います。【13歩目】
2021.07.09
今までの自分の人生を振り返るとほとんどが、自分の直感で選択してきたように思う。その直感というか、自分に合う合わないをすぐに感じてしまうという感覚というかここは自分の居場所じゃないなぁというか。その時の違った感覚を感じた時に、そこを離れるという判断は迷うことがなかった。早かったこの感覚は、思春期のあたりからだろうか。こういう感覚は誰にでもあるのかな。二十歳の時に採用になったスーパーの事務の仕事は女性の多い職場だった。その頃はまだ、前回書いた記事★で出会った彼女に出会う前のコミュニケーションもろくに取れない消極的な自分。一緒になった事務の同世代の女性は明るくハキハキしていて他の従業員さんとも和気あいあいと過ごしていた。そんな大人数の中での、休憩時間は地獄だった。このアウェイ感がもう耐えられない。人見知り全開で誰とも話さず、ただ黙々と食べていた。そんな中、その事務の女性が近づいてきて、こう一言「もっと、人と話さなきゃダメだよ~!」この瞬間思った「あ、もうダメだ・・」入って二日目だったと思う。今だったら、こんな事くらいでと思えるが当時の自分にとっては苦痛としか言いようのないプライドも傷つけられた気分になってしまったのだ。今思い返せば、初日から既に居場所じゃないことを感じていたかもしれない。ここに来る前にいたバイト先は何もかも、最高な職場だったのでそことのギャップも、半端なかったんだと思う。出来ることなら、ずっと働いていたかった。そう思うほど、とても良くしてもらっていた所だった。二十歳を過ぎ、これからの人生を考えての転職。正社員になる為に選んだ最初の会社。そこで学んだ人間関係の難しさ。家からも少し遠かったのもあるが、内弁慶のくせに、プライドだけは一丁前という二十歳の小娘は、この会社を迷うことなく三日で辞めた。後悔はなかった。スッキリしていた。本当に、こういう決断だけは早かった。10代の時も色々あったのだが、親にも誰にも相談せず、その度に、ほとんど自分で判断してきた。親にはいつも事後報告。この頃から、自分の直感と心に正直に生きてきたと思う。親にも感謝している。口数が少なく、良い意味で放任主義の親だった。自分がどんな選択をしようと何も言わず見守ってくれていた。賛否はあるかもしれないが、少なくとも自分の性格にはこのように接し、育ててくれたことが合っていたようだ。良くも悪くも何も言わない。言いたい事は、たくさんあったかもしれない。だけど、自分には見せなかったけど一度だけ自分のことで、ツラそうにしている姿を見てしまったことがある。その時は何も言えなかったが、未だにその光景だけは覚えている。自分が親になり、同じ経験をすることになる事をこの時の自分はまだ知る由もなかった正直、このような行動はここだけではないが最初に違和感を感じた所は、すぐに離れその度、この後に必ずと言っていいほど直感で、行きたいというかすごく気になって仕方ない所が出てくる。それが、後に働くことになる二か所の職場だ。この直感に従って行った職場は本当に良い出会いに恵まれ良い思い出もたくさん出来て、楽しく働けた。こういったことも踏まえ、最近気になる「直感」や「人生の転機」や「人との縁」など、目に見えない力というものも多少はやっぱりあるのかなとか思ってしまう。やむを得なく、転職しなきゃならなかったバイト先。結婚のために退職した職場。この二か所では嫌な思いをした事は、ほぼ無い。自分の直感は、あながち間違ってはいないのだと思っている。でも、このことがあって、次の会社では良い出会いもあり女性の多いところは自分は苦手だったのだという事にも気付けたので、何事も経験は大事ですねその他にも、まだ直感の事は書きたいことがあるのでいずれ書きたいと思います。【12歩目】
2021.07.07
先日、ストレッチが習慣化になったと書き込みをしたのですがその際に、もう一つ習慣化できた事があると予告?しておいたので、その事を書こうと思います家にいる時間が増えたので、片付けでも始めようとまずは、キッチンから手を付けた。物も多く、キッチンの引き出しも活用されていなくてそれをどうにかしようと思い、断捨離も兼ねて片っ端から物を処分した。レンジ周りをくまなく拭き、カウンター回りもスッキリし引き出しも使い勝手が良くなってテンションが上がってとても気持ちが良くなったやるまでは時間がかかるが、やり始めると止まらなくなる。以前、ミニマリストさんの動画で、ガスコンロの五徳を外し、壁に立てかけているのを見てこれはぜひ取り入れてみようと、早速、実行してみた。最初は面倒なのかなと思いつつ、いざやってみると意外となんてことはなかった。五徳を外し洗い立てかけ、コンロの上をメラミンスポンジで磨きふきんで拭き仕上げる。すると、なんと気持ちのいい事か今までなんて、油でギトギトしていても、見てみないふりして限界に達したら仕方なくやる・・・そんな感じだった。しかし、このキレイな気持ちよさを一度味わうと不思議と、このキレイさをキープしたくなるのだ。今では、使い終わってそのままにしている事のほうが気持ちが悪く、すぐに拭きたくなる。そうなると、他の所も気になりだす。十数年選手の水切りラックだ。受け皿付きの物なのだが、めんどくさがりの自分はまめに受け皿を洗っていた訳でもないのでこれもまたストレスの一つだった。そこでまた、youtubeでミニマリストさんの動画を観ていた時に気になった、珪藻土の水切りバスケットを思い出した。早速、検索して探しだした。とても自分好みの品揃えのショップだった。山崎実業さんの「tosca」シリーズがとにかく良い!そうなると、他の商品も気になりだす。色々見ているうちに、受け皿のないタイプを見つけた。持ち手が木で、めっちゃ可愛いもう一目惚れしてしまい、すぐさま購入した。こちらの商品です(初めてリンクというものを貼ってみたのだけど、大丈夫かな?)持ち手の部分には、ふきんも掛けられるし下に受け皿もないので圧迫感もないし見た目よりも結構入る。とにかく、可愛いのですもう、テンション上がりまくりです!あまり好きではなかった、お皿洗いもため込まずに、すぐに洗うようになりました。道具ひとつで、こんなにも変わるとは思ってもみませんでしたお気に入りのものがあると、それだけで気分が良いまぁ、何事も道具から入るという性格も功を奏したのかも「お気に入りの物だけに囲まれて過ごす。」よく、ミニマリストさんが言っている言葉ですね。自分もそうなりたい気持ちがあります。まだキッチンに少し手に付けただけなので、まだまだ先になるけど、少しづつ自分のペースで片付けていこう。・・・こう、ここに書き出してまた自分のやる気を上げるこのテンションの高かった時に、次にやろうとニトリで買っておいた「伸縮整理トレー」が、ホコリを被ってスタンバイしているコンロとカウンターで力を使い果たしてしまったので目の前にあるのに、ずっと見えないふりをしている自分に喝を入れるためこうしてここで、たぶん数名の読んでくれている方がいるであろうと想定し、宣言した方が、やらざるを得ない状況になるので「カトラリーを次に片付ける事」を、ここにこうして宣言します!こうして、このお家生活が始まった中でめでたく「習慣化」した「キッチンリセット」と、いう習慣。料理をするのも以前より楽しくなった。やはり、キレイなキッチンだと気持ちもいいので、一石二鳥な「習慣化」が身について嬉しい何事にも、熱しやすく冷めやすい性格で、長続きしないのでやり始めるととことんやるのだが、すぐに飽きてしまう。こんな自分でも、このように今まで出来なかった事が「習慣化」出来るようになるとは思わなかった。そして、今回登場した山崎実業さんの「tosca]シリーズの商品。「伸縮水切りバスケット」の他に数点購入したのでこれもまた、いずれ紹介したいと思います【11歩目】
2021.07.06
遅ればせながらついに先日、メルカリデビューをした。それこそ十数年前は、バリバリにヤフオクをしていた。それも、ブログ同様やらなくなり、今に至る。どうしても、欲しいものを見つけてしまった。その情熱が自分の「行動」の元になった。「このタイミングを逃したら、きっと後悔する!」そう思ったとたん、動かずには、いられなかった。何度も何度も、取り引きの仕方をおさらいし、即購入OKだったので、ドキドキしながら、購入ボタンを押した。「やったぞー!」いくつになっても、初めての経験は緊張する。ボタンを押しただけなのかもしれないが、自分にとっては大きな一歩なのだ。そうこう興奮している間に出品者様からメッセージが入った。本当は、こちらから先にしなければならなかったのだろうけど本当にすぐに来たので驚いた。その後も、スムーズにやり取りができ、商品も無事に届いた。初めてのお取引がこの出品者様で良かったと思うくらい、とても良い方で最近、家族以外とは大した交流もしていないのでこうしてSNS上ではあるが温かい交流が出来て嬉しかった。見ず知らずの方だけど文字だけのやり取りだけど良い人柄が伝わってきた。メルカリのやり取りでもやはり、色々な方がいると思うのでこれからも、また誰かと取引すると思うがそれもこれも、お勉強なので少しずつ慣れていこうと思う。初めてのメルカリへの挑戦。欲しかった商品が、手に入った嬉しさ。それと同時に、久しぶりに感じた人との交流の温かさ。「ドキドキ」「ワクワク」「嬉しい」今回、こんなにもたくさんの感情を味わえた。そして、購入した商品を手にして「幸せ」も感じている。些細な事かもしれないが少しずつ動き出している自分がいる。【10歩目】
2021.07.05
数年前から、ジワジワと体重が増え ついに自分の設定していた境界線を超えてしまっていた。 以前に受けた健康診断の時、問診票の欄に 「ここ一年以内に3kg増減がありましたか?」 そんな項目があり、家に体重計はあるのに ほぼ乗っかったことなんてなかったし 見た目も変わったという自覚もないし その時は、堂々と「いいえ」に○をつけた。 身長、そして体重・・・ 体重計に表示された数字を見て驚愕した。 なんと3kg以上増えていたのだ。 「穴があったら入りたい」とはこの事か。 どこからそんな自信が湧いてきていたのだろう。 なんともおめでたい性格だ 結果を知り、多少焦りはあったが、その時は仕事もしていたし 動けば少しは減るだろうという、安易な気持ちで特に何もしなかった。 年齢とともに体重も増加するが 代謝は下がるので、体重はなかなか減らない。 そんなことも知らずに日々過ごしていた。 その日から数年、すくすく育ったこの身体。 恐る恐る体重計に乗ってみた。 「」 10代の頃のピークの時より重いじゃないか 仕事を辞め、ずっと家にいて大して体も動かさない生活。 さすがにこのままじゃヤバいと 50歳という節目を迎え、やっと気づいたのだった。 そこでYou Tubeで、たまたま見つけた ストレッチ動画を3月くらいから始めた。 「ズボラストレッチ」 ズボラな自分にぴったりなお言葉 すぐに試してみた。 「ズボラさん」は、その名の通り ズボラでも途中休んでもオッケー!無理しないでー!などなど とても優しい声かけをしながらストレッチを教えてくれる。 なので、とても気楽にできる。 だが、ここで変なところに負けず嫌いな自分は その優しい声かけに反発するかのように 最後までやり遂げた。 しかし、これが功を奏したのか相性が良かったのか 今まで、何事も三日坊主だった自分が ここまで継続出来ている。 「ズボラさん」は、 「週一でも立派な習慣化です!一緒に頑張りましょう!」 と言ってくれる。 おかげで今のところは、 やらないと落ち着かないと思うほどに毎日、習慣化出来ている。 着ているTシャツの一言もユニークなものが多く それを見るのも楽しみの一つだ 「ズボラさん」の本名は「深井さん」です。 「セクシーお兄さん」 もう一人のお気に入りの人だ。 朝のストレッチは、ここからはじまる。 声がとてもセクシーで 勝手に「セクシーお兄さん」と呼んでいる。 骨と筋肉の柄のTシャツが印象的だ。 この方の動画も自分には合っているのか セクシーな声を聴きながら、ストレッチするのも 毎日の習慣化に繋がっている。 「筋肉が喜んでいます」と言うセリフが大好きだ😁 「セクシーお兄さん」の本名は「中川さん」です。 この二人のストレッチを始めて 体重も、緩やかではあるが落ち始め 程よく筋肉も付き始め、体脂肪やBMI値などは下がり 筋肉量や基礎代謝は上がってきている。 すべての項目で標準をキープ出来ている。 体内年齢は今日は47歳だった。 一番最初の日、体力には自信があったのに、 いざやってみると意外とキツかった。 だが、変なところに負けず嫌いな自分は 最後までやらないと負けだと勝手に思い込み 20分弱のメニューをやり終えた。 すると、久しぶりに感じたことのなかった達成感を感じたのだ。 たかが20分弱のストレッチをやったくらいで 何を言っているんだと思う人もいるかもしれない。 しかし、自分にとっては、ささやかな成長なのだ。 その日から、せっせとストレッチし始め、 今では、朝起きてからのルーティーンになっている。 基本、何事も三日坊主だった自分が ここまで習慣化できるとは思ってもみなかった。 今は、何かひとつでもやらないと かえって落ち着かないまでになっている。 それはきっと、日に日に結果に現れてきているのがわかるから 続いているのだと思う。 あとは、顔のたるみ、二重あご予防と白髪対策もやっている。 まぁ、全身くまなくやっています でもこうして、何かに取り組めるっていうことは幸せなのかもしれない。 ブログを始めたことももちろんそうだ。 本当に自分が落ちてしまったら、 身体を動かすことすら、出来ないかもしれないのだから。 「習慣化」 これが、出来ていることが何より嬉しい。 あともう一つ、以前は全然出来ていなかったのに 出来るようになった「習慣化」がもう一つできた。 これはまた、別の記事で書くことにします。 最後に・・・ 「ズボラさん」と「セクシーお兄さん」 勝手に呼び方作っちゃってゴメンなさい でも、あなた達の動画に助けられています。 ありがとうございます! そしてこれからも、お世話になります 【9歩目】
2021.07.04
今、ガチガチではないが、ダイエットをしていて その中でもパンを食べるという事を 極力避けているのだが なぜか無性に食べたくなり 次の日、子どもと買いに行こうとなった。 行く時間は、決めていなかったので 子どもが起きてくるまでの間 とりあえず空腹を満たすために、コーヒーを飲んでいた。 その時に、ふと最近よく読ませていただいている ブロガーさんの記事を思い出した。 「16時間断食」 昨日の夜ご飯を食べてから、結構な時間も経っているし ちょっと試してみようかな? そんな軽い気持ちだった。 10時位にお目当てのパン屋さんに行き 数あるパンの中で、目移りしながら 食べたいパンを選び購入し、家路に着いた。 「休日の朝にパン屋さんで、好きなパンを選んで買う。」 ただ、それだけの事なのに 普段、ほぼ家にこもっている自分にとって 何とも言えない幸せな気分になった。 こういう感情を味わうのも 今の自分には大切で。 少し前のダルくて不調な時ならば きっと、こうしてパンを買いに行こうなんて そういう気にもならなかったから。 でもホント、久しぶりに食べたパンは美味しかったな あ、話が逸れました😅 それで、大体16時間経ったので 買ってきたパンをコーヒーと共に美味しくいただいた。 罪悪感も感じず、幸せを感じながら。 その数時間後、おやつと称したサンドイッチと 夜ご飯は、前の日の残り物を軽く食べた。 あ、基本夜に、お米は食べないです。 後は、おやつの後に30分位のストレッチと 寝る前にやる10分位のストレッチ。 こんな感じで過ごし眠りについた。 次の日の朝、早速体重計に乗ってみた。 「ピピピッ」 え?えーっ? あんなにパン食べたのに 体重、内臓脂肪、体脂肪と体内年齢は下がってて 基礎代謝と筋肉量は上がってる (ちなみに骨量は毎回多いです) 驚きと、嬉しさとともに この「16時間断食」ってスゴいなと 実感できた出来事でした。 とりあえず、これを続けるかは 今は、断言しません💦 だけど、効果はあるというのは確かだと思います。 この方法を、取り入れている方の 意思の強さに尊敬の念を抱きます。 何事も慣れるまでが大変なのですよね。 私は一度、滝にでも打たれて 精神修行してこないと、出来ないかもしれません😅 だけど、8時間以内に好きなものを 好きなだけ食べれるというのも魅力。 でも、朝の時間なら 白湯か、ノンカフェインコーヒーでも飲みながら ブログを書けば、あっと言う間に時間が過ぎそう。 やってみる価値はありそうだな。 今、やっているストレッチと、夜の炭水化物抜きは ほぼ継続出来ているので、これを続けつつ そのうち、水面下で挑戦してみようかな 【8歩目】
2021.07.04
「おひとりさま」 今ではこのように言うのだろうが その当時でいえば「一人行動」とでも言ったのか。 買い物などは別として その他の少しハードルの高い行動の事だ。 若かった時には考えられなかった。 学生時代、いや20歳を越えても ほぼ、していなかった。 しかし、この「おひとりさま」を いや、「おひとりさま」は 悪い事、難しい事ではないという事を20代前半に勤めていた会社の同僚に教えてもらう事となる。 彼女は自分より年下で一人っ子だった。 その頃の自分は、まだまだ世間知らずで あまり自己主張も出来ないような人間だった。 それに引き替え彼女は物怖じせずに 会社の人達とコミュニケーションをとり、 行動的で、ランチも一人で食べに行く。 ブランド物を持ち、オシャレで バブル時代の先端をいっている感じだった。 今までに出会った事のないタイプの子だったので 最初は正直苦手だった。 印象としては、「一人でも平気な子」 これまで集団の中で過ごしていた自分としては 珍しいタイプだった。 自分はと言うと、一人でいると思われたくないと そう人目を気にしているタイプだった。 でも、そんな彼女が羨ましくも思っていた。 しかし後に、少しずつ打ち解けて 色々話しているうちに 彼女には彼女なりの事情があり そんな中でもブレずに前を向いて生きている 見習うところがたくさんある魅力的な人だった。 その頃からだろうか 彼女を見習って、勇気を出し 自分も一人で行動するようになったのは。 そうすると世界が広がってきた。 それまでの自分では、 やらなかっただろう事もするようになっていた。 彼女の生き方を目の当たりにし 自分の価値観も変わり、 少し生きやすくなった気がした。 その後、会社の人達と コミュニケーションも取れるようになり 飲み会に、麻雀、数多くのスポーツなど この会社では、本当に色々な事が経験出来た。 彼女は一年位で辞めてしまったけど、 本当に出会えた事に感謝している。 今は、どこで何をしているのかわからないし その後の人生、何かあったかもしれないが きっと彼女ならどこにいても たくましく生きている気がする。 いや、生きていてほしい。 人生の転機って何度かあるけど、 彼女に出会えた事も 自分の転機だと思っている。 「おひとりさま」 このキーワードを思いついたときに ふと思い出したのが 今回のこの「彼女」だった。 自分も、このタイプの人間だったんだと 今、こうして自分と向き合う中で 数十年後に、また改めて気づくのだった。 これを機に、この時に学んだ 「勇気」 今の自分に必要なキーワード。 こうして、この時の出来事を思い出すという事は その当時、勇気をもって行動していた 自分を思い出せって事なのかな そして、また新たに「おひとりさま」で やりたい事がたくさん出てきているので その当時の「自分」と「彼女」を 思い出し、少しずつ勇気をもって行動していこう。 「どんな人と出会うかで、人生が変わる」 この言葉も改めて実感できた。 良くも悪くも人との出会いは 多少なりとも人生を左右する。 これから、また新たに「彼女」のような 自分の人生に良い刺激を与えてくれる そんな人と出会えたら嬉しいな 【7歩目】
2021.07.03
最近ダイエットの為に しらたきとこんにゃくを活用し始めた。 YouTubeでレシピを調べて色々作って食べているのだが、 特に今日作った、 「しらたきのペペロンチーノ」 はとても美味しくて、 夜ご飯用に作ったのに、 ついパクパクと止まらなくなって、 お昼に一人で全部食べてしまった。 その後、何事もなく過ごしていたのだが、 夜が近づく頃から胃なのか、お腹なのかわからないが シクシクと痛みだしてきた。 そういえば今日大きい方は出ていないなぁなんて思いつつ、 久しぶりのお腹の痛みと格闘していた。 考えられるとしたら… すぐに「しらたき、こんにゃく食べすぎ」で 検索して調べてみると自分と同じ症状が書いてあった。 しかも一人あたりの一日の適正量は 「100~200g」となっているではないか😱 自分が食べた量、「360g」 2倍?3倍? どちらにしても食べ過ぎじゃないか〜い😱 こりゃ自業自得だわ。 気休めに胃薬を飲み、ずっと横になっていた。 いや、動けなかった・・・。 そうこうしているうちに いつの間にか眠りについていた。 次の日の朝 痛みはなくなったが、お腹は張ってるし お腹が空いた感があまり感じられなかったので、 とりあえずコーヒーと72%チョコだけにしておいた。 きっと腸の中で程よく膨れ上がって それにより空腹感を感じないのかな? と勝手に解釈した。 結局、お昼近くまで全然空腹感が感じられなかった。 体重計に乗るのは忘れたので、 このことによる効果はわかりませんが、 今度からは、適正量を守り 独り占めせずに家族の分をきちんと残しておこうと 心に誓いました 神様はちゃんと見ているのですね そして、決して「しらたき」と「こんにゃく」の事を 悪く言っているのではないです! ローカロリーでダイエットの味方の素敵な食材だと思っています! ただ単に何事も「ほどほどに」って事を言いたかったのです。 自分の無知さを知らされた今回の出来事でした。 こういう思いや経験をして色々学ぶ。 日々学び・・・。 だが、決してムダなことではない。 この経験でまた一つ学べたのだ。 50になっても知らないものは知らないんだ。 こんなに堂々と威張って言うことではないか これを読んでくださっている方がいるとしたら みなさん、くれぐれも気を付けてくださいね 【6歩目】
2021.07.02
「勇気は薬」 さっき、ふっと感じた言葉だ。 最近、あることをする時に対して不安が拭えず そのことをする時に、頭の中をグルグルと余計な妄想が駆け巡り 動くことが出来なくなっていた。 しかし、このまま心で言い訳を作ってまた逃げるのか 勇気を出して立ち向かうのか しばらく自分と闘っていた。 だが、この不安は自分が勝手に作り上げているものだ。 思い返せば、何年か前にも同じ状況になったことがある。 ふと、その時の事が頭によぎった。 その時は、ツラい中でもやらなければならない状況だったから そんな中でも立ち向かって少しずつ克服していったと思う。 なので、今までその事に対して何も感じずに出来ていた。 そこで、自問自答を続け、 やはり自分に負けたくない気持ちが湧いてきたので 思い切って行動した。 「あれ?なんともないじゃん」 最初は正直、少しドキドキしていて 体も重かったのだが、 その事をやり終えたとたん、体が軽くなるのを感じた。 さっきまでのモヤモヤは何だったのだろうか? そう思うくらい心もスッキリした。 その後の家事も軽やかに出来た。 更年期真っ最中なのも 多少は影響しているのだとも思う。 精神的に不安定になるのも、ある意味仕方のないことだと 受け入れたほうが楽なんだと。 今、こうして書き込んでいて思ったのだが、 先日書いた「完璧じゃなくていい」 このことにも通じるものがあるのではないかと思った。 自分は、なんでもやる前に 頭の中で勝手に色々想像して二の足を踏むことが多々ある。 特にこの兆候がでるのは、 今のように、精神的に少し弱っている時だ。 何もない時には同じことでも何も考えず 普通にできていたことだ。 だけどこうしてまた、壁にぶつかり 試行錯誤しながら乗り越えていく。 振り返れば、幼少期から今まで その時々の問題を自分なりに 色々考えながら乗り越えて、 色々な感情を覚え、感じて 今の自分が出来上がっているんだと思う。 もちろん、その時々周りにいた人達の力ももらっていた。 色々な貴重なアドバイスもたくさんもらった。 だが、最後に決めるのはやはり「自分」だ。 「自分」を信じてあげるのもやはり「自分」だ。 「やる」「やらない」「できる」「できない」 まだまだ選択肢はたくさんあるが、 どちらを選ぶのか、今の自分のこの課題に立ち向かう。 選択とは、生きてる上で誰もが必ずしている事なのは、 承知の上の事です。 でも、今の自分には一番の課題なのです。 というか、何も考えずにサラッと行動する思考が欲しいのかな 今の自分に必要なのは「自信」だと思う。 それは、あることに対しての「自信」 他の事には多少の自信はあるのだ。 なんとも面倒くさい人間なのです 「勇気」を持って行動しそれが「自信」となる。 今日、自分の行動によって感じとれたことだ。 これを期に少しずつ自信をつけていきたい。 色々な薬があるが、 今の自分の症状には「勇気」が一番の薬なのだと思った。 【5歩目】
2021.07.02
仕事を辞め、最初にハマったのが「YouTube」 その時はこれからどうしていったらいいのか どうなるのか不安でいっぱいだった。 人間、弱ると何かにすがりたくなるもので その時に、目に入った動画が「タロット」系だった。 占いは嫌いではない。 かと言ってのめりこむわけでもない。 雑誌やテレビの占いを見て、結果がどうであれ その時は一喜一憂するが、根が単純なもので すぐに忘れるという程度のものだ。 試しにその時に「ピン!」と来た人のを観てみた。 その時は、何を言っていたのか正直覚えていないが 今でも観ているということは、 少しは心に引っかかった何かを言っていたのだろう。 たくさんのタロット系youtuberさんがいる中で その時々で観る人が変わるというのも 面白いものだなぁと思っている。 以前はよく観ていた人なのに 観るときの自分の状態でしっくりこなくなる時がある。 そういう経験を得て、 自分の今回の経験を踏まえて 人と人の波長、波動みたいなものもあるんだなと 感じた。 信じる信じないは人によってあるだろうが、 多少なりとも自分はあると思っている。 それで今回、この記事を書こうとしたのは 今日観た動画の自分の選んだリーディングの中で、 「完璧主義なところがある、100%じゃなく10%でオッケー! よく見せようとするんじゃなく自分らしさを出しましょう!」 図星だ・・・ まさに今の自分の状態を言われた気がした。 今回、このブログを始めたものの、 文才があるわけじゃないし、 ただの素人のつぶやきブログなんだから 何も完璧にすることはないのに 何度も何度も読み返し、何度も何度も書き直し、 結局、全然投稿もできずに立ち止まってしまう。 誰の目にも留まらないかもしれないのに かと言って、最初に出した3記事は、 完璧なものではないが、自分なりの精一杯で書いたつもりだ。 あまり難しく考えるのではなく、 もう少し気楽にってことなのかもしれない。 そう思うと気が楽になった。 なので、こうしてすぐに書き出すことができた。 だからといって決して普段の生活などは 全然完璧ではない。 掃除も嫌いだし、料理は嫌いではないが できることなら、いつでもサボりたい やらなくていい日は超ご機嫌な50歳 しかし、最近はこのようなご時世なので ほぼ作らなければならないが・・・。 見た目と身体は50歳だけど、精神年齢は中学生で止まっている そんな人が書いているんだと思って読んでくれると嬉しいです。 せっかく勇気を出して始めたんだから、 これからブログ生活を楽しんでいこうと思う。 【4歩目】
2021.07.01
いつもと変わらぬ日常で いつもの仲間と 当たり前だと思ってやっていた仕事。 その日常が突然崩れていく日がくるとは 考えたことなんてなかった。 あの日の出来事がなければ。 確かにその日の自分の行動は 相手からしたら「???」 だったかもしれない。 しかし、私はきちんと考えた上での 判断をしたつもりだった。 その後、その件についての相手の言い分が 綴られた長文が送られてきた。 それを読んだ私は 体の中から何かこみ上げるものを感じた。 これまで、無意識に気づかないようにしていた感情が ドッと溢れて出てきた。 「これが青天の霹靂ってやつなのか…」 正直こっちの言い分だってあった。 だが、その時自分は その言い分を心の中に閉じ込めて、 次の日からも何事もなかったように 接し過ごしていった。 その件については一切触れなかった。 きっと、今まで築いてきた関係を壊すのが この時は、怖かったのかもしれない。 しかし、その日以来 日に日に体調が悪くなっていくのを感じた。 仕事に行く足取りが重く、体もダルく その日の仕事をこなすのが精一杯な日々が続いた。 そのような状態が1ヶ月くらい続いた頃 もう心も体も限界に達していたので 休みをもらった。 そして、もうその日から 仕事に行く事はなかった。 今まで張りつめていた糸が切れてしまったのだ。 当たり前だと思ってやっていた事が 当たり前だと思い込み、 それがずっと続くと思っていた。 しかし、今回の事があって 自分の体に異変が起き 潜在意識で感じていた事が 無意識で見ないように 蓋をしていた感情があったのだ。 この事があってから 自分と向き合うという事を やり始めたのかもしれない。 これまで自分なりに頑張っていたことは、 間違ってはいなかったのだろうが、 いつの間にか、何かがズレていっていたのだろう。 そして今まで気づいていなかった 「当たり前」じゃないことにも 気づくのだった。 【3歩目】
2021.06.28
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