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今日は、立川志らら夫妻、立川らく次、陳さまの四人で、千葉県のたかご山に遊びに行きます。目的はサルのエサやり。もう三年ばかり行ってないので、サルたちとの面会が楽しみ。もちろん、世代交代で、馴染みのサルはもう少ないだろうが。帰宅が遅いと思うので、今日の、人の生き方にかかわる迷言・名言のようなもの、こんなのはいかが? 今回で16か17回目だろうと思いますが。 「人生は、食う、出る、しゃべる、これが健康長寿の三原則である」食うことは生きることなり、これは誰も毎日三度食べてるが、食ってるだけで外に出ることをしなければダメ。一日一度は外出すべし、散歩でもいい。引きこもりは最悪で、命を縮めます。そして大事なのが、しゃべる。むろん相手がいなくてはいけません。孫やペットでは、話し相手になりません。一方通行の会話ですから、相手は人間でなくてはダメ。さらにいえば、話題の共通する、気ごころの知れた相手でないと、場が盛り上がらないので、自分が活性化しません。ただの時間つぶしでもいいけど、やはり折角だからこちらもいい刺激もらわなくてはいけないので、肌の合う、気の合う、居心地のいい相手を選ぶに限ります。ただし妻は、たとえ気ごころが知れていても、話し相手としては賛成しませんね。彼女らは自分ペースで、亭主のこと本気で考えてはくれませんから。かくて、食う、外に出る、しゃべる、この三か条さえ実行していれば、健康長寿間違いなし。あたくしもこれを心がけて、毎日ぐうたらに暮らしています。
2017/05/31
その昔、陳さまがテレビ・ラジオなどで忙しかったころ、よく使って受けたコトバの中のひとつ。もう二十何年も前のことになりますか。「美人薄命、ブス不滅」これぞ迷言、って感じでしょ? 当時はこれで笑えましたが、時代変わって現代じゃ、これが内容を伴った、笑えぬ真実味のあるコトバになってます。まず美人、最近はカネのある社長や御曹司を捕まえて、玉の輿、いや腰かな、それに乗るのが秘中の作戦、当然の狙いなのは常識で、これがいわば成功の勝ち組パターン。そのための合コンや婚活が当たり前ですけど、これじゃ、薄命の美人なんて存在しません。今の美人はみんな、カレシ以外には、薄情!イヤですね、テレビなども敬遠してしまいます。片や、ブスですが、かつてのコンプレックスなんてのは、徐々になくなってきましてね、なぜか自信がついてきました。たとえデブでも、自らポッチャリ系と認じ、まず仕事ができる、一生懸命やる、美人みたいに手を抜かない、しかも明るくて前向きだ、頭がよくて、いいアイディアもどんどん出すから、上司に目をかけてもらえるわけ。いわば頼りになる存在なんですね。しかもカノジョは、愛されるオーラをはなち、魅力的な言動で周囲を和ませる存在だから、ブスやデブであるのは、ブスはむしろ売り物で、周囲にうまく溶け込んでいるから、もはやデブとかブスなんて、誰も気にしなくなりますし、本人もそれをすっかり忘れてしまって、美人社員以上にもてまくるわけなんです、仕事上、そして会社内で。現代は、ことのほか個人の人権を大事にしますから、そういう背景もあるのでしょうが、かつてのブスが自信を持ち、デブだって劣等感なんてのとは縁がなくなってきて、生き生きと仕事して存在感を示せる時代になってきました。いい時代ですね。まさに、ブス不滅といえます。これからますますカノジョらは活躍するでしょう。美人は嫌われ、ブスが愛される、そんな時代になりそうです。いやそれよりも、今や、ブスの定義を変えるべきですね。美人に対するブスでなく、美人を含めて、性格の悪いオンナたちを、ブスと呼びましょう。そういう「性格ブス」は周囲にたくさんいます。できるオンナは、もはやブスでもデブでもありません。こうなると、その昔、陳さまご愛用の「美人薄命、ブス不滅」なんていう言葉はもう、古い。もう死語ですね。反省しかありません。蛇足ですが、陳さまはトシとともに、美人よりデブやブスのほうが好きになってきました。
2017/05/30
今日の迷言は、おなじみの名文句、これです。「サヨナラだけが人生だ」井伏鱒二氏の名訳ですが、元は漢詩の、「花発けば風雨多し、人生別離足る」からきてまして、人生には別れがつきもの、という心情に訴えるから、このフレーズは永遠なんです。具体的な別れの出来事よりむしろ、コトバに酔う感じなきにしもあらずですから、歌謡曲のテーマにはもってこい。誰にも、別れることへの思い入れがあるはずです。家族、友人、男と女、今じゃペットも、そして故郷、職場や仕事など、別れの思いは人さまざまに感慨深く、複雑でこころを揺さぶります。これを、感傷的と片づけちゃうと、ミもフタもないけど、この忙しい時代では、別れの思いも一時的なものになってしまうかもしれませんね。そうならないで、いつまでもこころに残る別れは、身近な人の他界です。死なれてしまう別れは、本当に、あとあとまで残って終わりがありません。そんな時こそ、サヨナラだけが人生だ、というこの名文句が生きてくる、と思うのですが。
2017/05/29
お昼は、ブティック社の志村相談役と雑談ランチ。新刊で、蒙古の怪人キラー・カーンの自伝読みましたが、陳さまにとっては実に面白かった。アメリカでトップを長く続けたヒールの人気レスラーだから、その話が楽しい。今は新大久保の駅のそばで、居酒屋カンちゃんをやってるが、また行きたい店だ、自分じゃ酒は飲めないけど。最近は視力が落ちて、週刊誌を読むのにも時間かかるが、記事のナカミや世間の出来事にも、あまり関心がなくなって、残り時間の少なさを痛感します、ややオーバーですけど。今日も家にいますけど、テレビもそれほど面白くはなくて、やっぱり気のあう相手との雑談が楽しい。話題は、何でも構わないし、陳さまは聞き役のほうが多いけど、たまにロレツが回らなくなって、ガックリします。年齢には勝てませんね、当たり前ですけど。迷言は夕方、書く予定です。
2017/05/29
朝一番で、池袋新文芸坐へ。「実録・私設銀座警察」と「新仁義なき戦い」の二本立て見てきました。両作とも、安藤昇さんが出てました。懐かしかったです。西武デパートの食品館で、今週分の食料いろいろ買いこんできました。今日の、人の生き方を迷わすコトバ、迷言シリーズは、当たり前の発想ですから、解説ごときは不要ですけど、「人生、トシとともに減退していくもの、欲望、好奇心、自信、そして貯金である」欲望の衰えはガックリです。物欲、食欲、色欲、知識欲など、すべての欲望がヘナヘナと衰退・減退していきます。それにつれ、好奇心もなくなり、諸事万端、生きぬく自信がなくなる。そして情けなや、貯金だけは無情に、確実に減っていきます。ただしこれらの減退、ないし衰退は、70代に入ってから顕著になりますから、それ以下の人たちは、もうしばらく、こういう情けない思いはしないで済むでしょう。明日はもう少し、パンチのある迷言、いきたいですね。
2017/05/28
ゴルフの宮里藍さんが、突如の引退宣言。これに対し、惜しい、残念、などの声が多いけど、陳さま思うに、これまでのカノジョの実績を高く評価して、ここは拍手送って、よくやった、偉い、というべきだろう。そこで、今日の、迷うコトバはこれ。「人は、余力のあるうちに引退したほうがいい、それがベストである」スポーツ選手に限らず、どんな仕事でもそうですが、いつまでも現役ではいられない、引退はいつか来ます。それならば、衰えてボロボロになる前に、現役を退くほうがいい、年齢的に限界だ、と自分が一番よくわかるわけだから、そんな時はもう、現役にこだわらず、次に備える余力を残して、引退したほうが将来のためなんですね。全盛期の雄姿が見せられずに、衰えていく姿を世間に見せるのは、人をガッカリさせるし、何よりも自分が恥ずかしい。そんな自分を見たくないし、見せたくもない、倒れるまで頑張る、なんてのは、みっともない、カッコ悪い、というのが、今日の迷言、いや名言ではないでしょうか。宮里藍の引退理由などは、本人がいずれ語るでしょうが、今回の引退の決断は、いいタイミングだったと思います。引退宣言ってのは、やさしいようで、実は難しい。勇気もいるし、身辺事情もあるし、自分一人では決められない場合もあって、陳さまの周辺にも、倒れるまでトコトン頑張るという例もありますが、ここは将来のために、余力を残したまま、惜しまれて退くことが大切です、どんな仕事でも、誰であれ、そう思います。「人は、余力のあるうちに引退したほうがいい、それがベストである」
2017/05/27
前回は、「人生は宝くじだ」という迷言。この形式、人生はナニナニだ、という類似品?なら、いくらでも作れるし、世に流布してます。あの岡本太郎さんと、椿山荘のホタル狩りで遊んだ時、太郎さんにご挨拶いただき、「この際、なにか哲学を」とお願いしますと、しばらく考えた末に、開口一番いわく。「人生はホタルだ」それだけ。たぶん思うに、人生は輝いてる時間が短い、というのか、真意は説明なしでしたが、このイキで行きますと、マネはいくらでもできます。「人生はウナギだ。ヌルヌルして、掴まえどころがない」「人生は線香花火だ。。小さく光って、すぐ消える」どうも軽くて、つまらない。へたな、謎がけみたいでお粗末すぎますね。じゃ、これは?「人生は大相撲である。八勝七敗なら上出来である」これはまぁまぁでしょうか。この成績を上げるのが、結構大変なんですって、大相撲は。人生も、そうですよね。わずか一勝でも、勝ち越しは大変です。この調子で、さらにいい加減な思いつきを並べると、「人生はサル芝居だ」とか、「人生は茶番だ」とか、キリがないのでここらで止めます。今日も、国立演芸場へ、立川流落語会見に行きます。立川志らくと、志らら、談修などが出るので。夕方、時間見つけて、今日の迷言、出来れば名言を、何か書きますが、視力落ち、腰が曲がって、困ってます。
2017/05/27
お昼は、青春出版の山崎クンと雑談ランチ。そのあと、国立演芸場で、立川流落語会に顔を出す。午後、迷言シリーズの15回目か、「悪名は無名にまさる」という十行の駄文をまとめたんですが、急に消えてしまい、アップできませんでしたので、今やり直しです。縁起が悪いので、別のコトバを。平凡過ぎますが、視力が落ちて長く書けないので、これでお茶濁します。「人生は宝くじだ。当たりより、外れのほうが圧倒的に多い」当たり前すぎるけど、それでも人は僥倖を求め続けます。結婚なんてのも全く同じで、当たりはめったになくて、外れのほうが多いように思います。いやいや、これは陳さまだけの偏見でしょうか。あたくしは宝くじ買ったことがないし、年賀はがきも、切手しか当ったことないから、宝くじに当たる幸運などまったく期待してません。そんなことで、自分の運を使ってしまったら、つまらない人生になってしまいそうなんで。大相撲見ましたが、どうやら、白鵬の優勝できまりですね、どうでもいい話ですけど。
2017/05/26
パソコン不調につき、回復したら、ブログまた書きますので、お許しを。
2017/05/26
お昼、新文芸坐で映画一本。「男はつらいよ・夜霧にむせぶ寅次郎」を見てきました。時間つぶしですが、まだ見てない作品だったので、面白かった。固定電話は、鳴ったと思えば、売り込みやセールスですね。さっきも、証券会社から、「いい商品がある」との触れ込みで、なにやら説明を始めたので、すぐ切りましたが、電話一本ですぐ乗っかる人がいるとでも、思ってるんでしょうか、かれらは。イヤ、そういう人がいるから、オレオレ詐欺の類があとを絶たないのでしょう。固定電話は、もう廃止にしようか、と思ってます、料金がムダですから。明日も、迷言をなにか紹介します。
2017/05/25
昨日の迷言は、「若者は老人を軽視し、老人は老人を嫌う。それが人生というものだ」こんな感じでした。まったく若い人はめったに、老人のそばに寄ってきませんね、おこずかいやるなら話は別でしょうが。今日の名言、いややっぱり迷言でしょう。これです、古いけど。「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」あの田中角栄さんが好んでよく使った、と言われます。陳さま自身は、直接聞いたことなし。でも、数十年前、一世を風靡したコトバですから、覚えてるかたも。今じゃ、格差社会がモンダイになってる時代だから、これなんぞ通用しませんね。それどころか、差別用語だ、と葬られてしまいます。当時は、永田町で立派に説得力がありました。政界出世術の基本というべきでしょうか。駕籠にのる人が最高目標で、権力者。その次が駕篭を担ぐ人、補佐役、女房役ですね。草鞋作りに至っては、初歩からの出発、下積みの苦労をトコトンやりながら上をめざせ、やれない奴はダメだ、そんな意味をこめ、一年生議員はハッパかけられたそうですから、まさに隔世の感あり。角栄さんは、このコトバを人生全体にあてはめていたようで、人間を三段階に分けて競争させることで子分を育成しようとしたのかもしれません。でもこれが世の中の、定着したありのままの姿だと、ご本人は認識していたかも。人間には三段階ある、三種類といってもいい、、それが人生ってものだよ、と。現代の若者は、まるで拒否するでしょう。いや、ひょっとして面白がるのかも。中にはこれを、教訓ととらえる人もいるでしょう。これを出世するための座右の銘にするのも、一興かと思いますが、どうしても上を目指したいなら、角栄流もまた悪くありませんね。俺は草鞋作る人はイヤだ、もう少し上に行く、ってところでしょうか。
2017/05/25
お昼は、神田雲林で焼きそば。吉川潮クンと、島敏光クンといっしょです。そのあと、近江屋洋菓子店で、飲みながら雑談しばし。帰宅して大相撲、見てました。夜は、テレビで、阪神巨人戦。今夜も、早く寝ます。明日一番で、大森胃腸科の予定。
2017/05/24
今日は久しぶりに、迷言です。名言でなく、人の生き方を迷わす、現代的な名言的な迷言、とでも言いましょうか。「若者は老人を軽視し、老人は老人を嫌う」世間一般に、敬老精神は薄れました。でも、電車内で席を譲ってくれる若者は、けっこういますし、あたくしなんぞ感謝して、喜んで坐らせてもらいます。とはいえ、世の中は老人を大事にはしてくれません。老人の教訓や体験は、もう時代遅れだし、カレラ若者のほうが今の生きた時代について、多くの知識と情報を持っているから、老人は時代遅れを実感するのみです。さりとて老人は、老人を見たくないし、老人に接したくない。そこに自分の老いを見せつけられ、老いの実感で気持ちが前向きになれないのでしょう。あたくしも,老人の姿を見るのは好きではない。そこに自分を見て落ち込む。老いることはほんとにイヤだし、つらいと思ってる人が多いのでは?、ホンネでは。そうそう、直接関係ないけど、昔のコトバに、「子供、叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ」というのがありましたが、これなんぞも今や重みがなくて、通用しませんね。コドモは叱るべきだが、やたらと甘やかされるし、年寄りは嫌われながらも、増加の一方です。しかも、政治は年寄りにバラまき政策をとる。あたくしに言わせれば、「老人過剰、ガキ過保護。オトコ衰亡、オンナ横暴」こんな愚痴も吐きたくなります。明日はガラリと趣きの変わったコトバでいきたいですね。
2017/05/24
今日は立川志ららが、夫婦で来てくれて、パソコンの修理をしてくれたので、なんとかこのブログ書くことができてますが、この先自分の操作ミスでどうなるか、わかりません。お昼は、近所のイタメシやにいきましたが、一時過ぎてるのに、満員で待たされましたが、無事に?食べ終わり何とか無事にいま、パソコンに向かっています。今日の相談では、月末にチバのたかご山に、サルのエサやりに行くことになりそうです。エサはバナナとリンゴ、それにキュウリとニンジンが主な食べ物ですが、サルが飽きるまではこちらもエサやりをやめるわけにいきません。大体いつも三時間はエサやりにかかります。次回は体力の関係で、二時間で抑えるつもりです。大相撲は、面白くなってきましたね。優勝は誰になるか予想もつきませんが、横綱ふたりと高安の争いになるのが一番楽しみだ、と周囲では話題になってます。例の、迷うコトバは、次回あたりから復活しようかと思いますが、その日の体調でどうなるか分からないので、しばらくお待ちのほど。
2017/05/23
北朝鮮が、またミサイル発射をやった、という報道。なんとか手をうたないと、面倒なとことになる、と心配してる人は多いだろう。日本だけでなく国際的な問題だから、なんとか大事にならぬようにしてもらいたい。抗議だけで、通ずる相手ではない。心配過剰でなけえばいいが。
2017/05/22
今日も天気いいから、どこかへ行きたいですね。ブログは来週から、長くしたい。今は、四行ぐらいで、器械がストップしていまい、長い文章が書けません。残り時間を活用したいので,もう少し字数がほしいです。
2017/05/21
今日は、吉川潮クンと、三遊亭白鳥のひとり創作落語会へ行く。彼の落語は、吉川クンも僕も大好きで、切符買って行くくらいだから、推して知るべし。午後は、池袋の野外ジャズ大会に行く予定です。気分次第で、夜まで遊んでるかも。パソコンは、来週には復活すると思います。
2017/05/20
最近は、わかりにくい話題が多いですね。警察署内の盗難事件、さみだれ的にネタが出てくる籠池問題、四国のなんとか学園ネタ、豊洲移転と築地改築問題など、よく理解するには、情報が断片的で少ないから、テレビにお任せ。大相撲のほうが、わかりやすくて面白い。今日も見ます。今日も、パソコン不調でここまで。
2017/05/19
お昼は、銀座の煉瓦亭。そのあと、喫茶で雑談。吉川潮クン、桂竹丸師匠、この三人で話はずんで、帰宅は五時過ぎになりました。視力が落ちて、テレビ見てもかなり疲れるので、洋画は字幕読むのが面倒です。しばらく邦画中心にします。そして古い映画のほうがなじむので、ここらでも老化を痛感します。
2017/05/18
お昼、定年後の友人が、神楽坂にマンション借りて、独立したので、そこを見せてもらって、久しぶりに神楽坂の鳥源で親子丼食べ、ついでに、あんみつ食べて帰る。テレビは皇室ネタで、賑やかですね。平和です。夕方は大相撲見ますが、迷うコトバはしばらく中断、パソコンの都合で。
2017/05/17
パソコンが不調で、長い文章が書けません。来週、立川志ららが来て、調整してくれる予定なので、それまでは短いブログになります。なぜか、五行ぐらいでストップしてしまうので、悪しからず。回復したら、十行ぐらいの長さで行けますので、またよろしく。
2017/05/16
人生を主語とした迷言シリーズその13です。「人生は、ホンネとたてまえの使い分け」これが人間関係のカギってわけで、たてまえばかりでは信頼されないが、ホンネ一本槍も嫌われる。ここらを上手に使い分ける人が、成功する手ことでしょうね。
2017/05/16
今回は迷言その12。あまりにも有名な、古くからの名文句です。「人生で避けて通れぬものが二つある。それは死と税金である」これだけじゃ当たり前すぎるので、老いの実感を補足して、「死と税金だけじゃない、若さへの嫉妬と羨望も、避けて通れない」どうですか、人により思いは違うかも。
2017/05/15
今日は、吉村作治さんと、ニコ動の収録。あたくしは勝手に喋るだけ、どんな画面がアップされるのやら、あんまり見たことなし。夕方、パソコンが不調にならなければ、今日の迷いことば、書く予定です。パソコンがどうも調子悪くて、その上、視力低下で苦戦してます。
2017/05/15
昨日は雨の中、神田祭りの大行列を見物。行列の人たちは大変だろう、と同情しながら、こちらも寒かったけど、無事に夕方、終了しました。陳さまの故郷浜松の親友、花島貞二さんの訃報に接し、呆然たり。一昨夜、久しぶりに会ったキラーカンちゃんは、大病を克服し、元気で居酒屋をやってたから安心でしたが、この年齢になると、大親友の他界は、ショックです。今日の迷うコトバは、後ほどに。
2017/05/14
ひどい雨ですが、今日は神田明神のお祭りで、陳さまは大行列を見物に行く予定なんで、どうしようか迷ってます。微妙な、決断ですが、たぶん、行くことになりそう。今日の迷言は、その12かな。これで行きましょう。「人生は、いかがわしい見世物の連続である」いかがわしい、これを、怪しげな、という人もいますが、たしか、有名な作家の残した言葉だった、と思います。まさしく、この世の中、昔ながらのお祭りの、いかがわしい見世物が続々と登場し、見物をあきさせません。テレビのワイドショーが、今はその囃し手でしょう。数年前には、マトモだと信じられ世間に支持された出来事、ないしは人物、または評判の事柄が、今から思えば、あれは何だったの、てなもんで、しょせん、その時その時の世情をにぎやかにした、適当な見世物に過ぎなかった、そんな思いを皆さんもされてることでしょう。かなり前の世論調査では、総理大臣にしたい政治家として、田中真紀子や舛添要一の名前が、何回か、第一位にノミネートされていました。石原慎太郎さんも、名知事の評価だったし、小池百合子知事も今後どういう評価・展開になっていくのやら、さっぱり分かりませんが、これも十年後、いかがわしい見世物になってるやもしれません。「政治は一寸先が闇と欲」なんて、月並みなコトバでなく、世界中の出来事が、国も個人もがそうなんです。時がたてば、みんな、いかがわしい見世物で処理されてしまうのです。かく申す陳さまも、そしてこのブログお読みの方々も含めて、これは例外ではない、これが人生だ、という意味を込めた迷いコトバが、「人生は、いかがわしい見世物の連続である」もっと書くことあるんですが、目が痛くて、今日はこの辺で。次の機会に、補足する予定です。
2017/05/13
今日は、バカバしい迷言にしましょう。「人生、食うことなり」当たり前すぎて、申しわけない。「生きることは食うことなり」という人もいますが、人間うまいものお腹いっぱい食べれるうちがハナで、これ以上の人生はない、動物は食が第一、食が基本、これが生きる目的、という意味かな。どうってことなさすぎるコトバですね。人生なんてそんなものさ、食うことが仕事さ、生きる価値は付け足しで、食う価値はあるんだ、とニヒルに割り切られても困るから、もう一つオマケ。「人生いろいろ。だから、何なのさ」これもふざけてるね。島倉千代子の歌の題名なんだけど、衆議院の予算委員会でも、「人生いろいろ」は使われていた。人生は一つとして、同じものはありません。それぞれ、みんな違う。お手本もヒナ型もない。自己流で、好きなように生きればいい、人さまに迷惑かけなければ。この程度に解釈するなら、このコトバに対しは、「わかってるよ、それでいいなら、だから何なのさ」そう、だから「人生いろいろ」なんですね。蛇足を言えば、まだ朝9時前なので、アタマがかなりボケてます。スイマセン。
2017/05/12
昨夜は、三軒茶屋までいき、世田谷パブリックシアターで、笑福亭鶴瓶の鶴瓶噺2017をみてきました。立川志ららが水先案内人をつとめてくれたので、はじめての劇場だったが、無事に終わりまで楽しむ。終演後、楽屋で鶴瓶さんと少し話す。彼の番組にも出ないかと誘われたが、あいまいな返事しておく。いまさらテレビ出演するには、もうとっくに過去の人だから……。今日は晴天。雑談ランチの仲間は、吉川潮クンと立川らく次クン。さて今日の迷言、これはどうですか。「出る杭は打たれる、出ない杭は抜かれる」これって、語呂合わせだね。一種のコトバ遊びといってもいいですけど、解釈は各自勝手にするほうが面白い。30代なら、とりわけ気になる生き方かも。陳さまなら、こう補足します。「出たい杭は隙間を狙う」これが自分の生き方でしたから。立川談志さんは、あたくしのことを、「陳さんは、隙間産業だな」もう一つ補足すれば、「出たくない杭は、遊んで暮らす」これも悪くない、いや最高?妄言、多謝。これが迷言の10で、明日は、その11になります。
2017/05/11
昨日の迷言は、「人生は試行錯誤の連続である」でした。失敗を重ねながら、目標を目指す、目標達成まで粘って、それを繰り返す、というのが試行錯誤なんでしょうが、今日は、ガラリと雰囲気を変えて、このコトバにします。本当は、早く、漢詩の名文句紹介に入りたいのですが、それまでに消化しておきたいコトバが多々あるので、今回はこれでいきます。「人生、恥をかけ。大きな恥は人を成長させ、小さな恥は人を委縮させるが、いずれにせよ、恥をかくのはいいことである」生きるってことは即ち、恥をかくことに他ならないでしょうが、恥かくことを恐れてはいけませんね。それを恐れて無難に済ませようなんて弱気と見栄は、かえって自分を小さくしてしまいます。大恥かいて、コテンパンに打ちのめされてこそ、自分が変わるキッカケなんですね。陳さまは恥かくのをなるべく逃げ、無難に自分を守るような人生を過ごしてきたことを、いま後悔してますが、このトシではもう、恥かく気力も根性もないので、何にも挑戦しないで無難におとなしく、目立たないように、しかし、どっこい生きてます。もっと恥をかく人生を選択すればよかったかな、たまにそんな思いにとらわれます。生き恥さらした男、というのは、史記をのこした司馬遷でしたね、武田泰淳によれば。
2017/05/10
今日も、ちいばす即ち地域バスを活用し、六本木ヒルズへ。ランチのあと、ヒルズの展望台、森美術館をみたあと、TOHOシネマで「美女と野獣」を見ました。なにしろ、ヒルズは若い人ばっかり。中高年の姿がないのに、やや慌てました。八時過ぎに帰宅しましたが、疲れましたね。足もとが途中で何回か、フラフラしましたが、無事に帰れたので一安心です。
2017/05/09
近所で、工事中の騒音がひどくて家にいられないので、この後外へ出ますけど、その前に、生き方を迷わすような、名言、いや迷言のその9です。今日のコトバは、これ。「人生は、試行錯誤の連続である」生きるからには、人は完成を目指す。ピークを望む、ともいえよう。それへの試行錯誤はほとんど、ゴールに達せずに終わり、人生もそこで終わる。この試行錯誤のプロセスこそが、楽しみあり、苦しみありで、生きていく,ということなのであろう。人はだれしも、そういう性向があるように思うが、現実には50代あたりで、試行錯誤に疲れて、途中で投げ出す、自覚もなしにやめてしまう。それが大半の人である。老後はもう、そんな気力もないし、試行錯誤を繰り返す意味も感じないのが普通である。それも仕方がないだろう、試行錯誤に必要な、好奇心、知恵と工夫、そして努力と忍耐力などが、年齢とともに失われていくのだから。嗚呼、人間は悲しい。なんだか、昭和初期のフンイキになりましたね。
2017/05/09
人生とはナンだ、この迷言シリーズの8ですけど、迷言とあえていう所以は、ここで紹介するコトバが人の生き方を迷わせるような、そんな名言が多くて、迷言としか言いようがないからです。それに、あたくしが何てえことのない蛇足のコメントを付け加えるのも、邪魔でムダなんで、できるだけ簡潔にまとめようと思います。今日のコトバは、「人生には、上り坂、下り坂、そして、まさかの坂がある」これ、あまりにも有名です。小泉元総理も国会で使いました、ノムさんこと野村元監督の口癖でもありました。國際情勢でも、トランプ大統領の誕生とか、イギリスのEU離脱とか、まさかの坂がいろいろある。フランスの大統領選挙は、まさかの結果ではなかったですけど、現代この世の中には、まさか、が想像以上に多い感じです。お互いの人生にも、まさかが多いのは、誰しも思うところ。悪い「まさか」は困りますが、ありがたい、いい「まさか」なら、大歓迎です。
2017/05/08
今日の、志の輔らくごは、十分に楽しめた。客席は、満足の大拍手。志の輔さんも、もう還暦過ぎではないか、と思うけど、実にパワフルでした。終わって、立川志ららといっしょに、赤坂の美登利ずしで食べて、さっき帰宅。明日は、東京MXテレビの、若いスタッフたちと、雑談ランチの予定。
2017/05/07
今日の迷言は、「人生とは、なにか」シリーズその7です。迷言もあれば、名言もありますが。7・「人生、二ついいこと、さてないものよ」古くからの処世訓のひとつ、陳さまの好きなコトバなんですけど、欲が深いのはダメよ、、ってことですよね、お説教風にいえば。人間、生きてりゃ誰しも、一つぐらいは、いいことがあるから、そこで満足して、もっと欲しいなんて望みなさんな、抑え目の欲がいちばんだよ、それが人生だ、ということなんでしょうけど、どうかな、人生に二つもいいこと、めったにないです。一つだってあるか、ないか、疑問ですからね。イヤ、それよりも、いいことってのは、どんなことなのか、人により違いますし、いいことの大小もありますから、人それぞれの思い方次第で、人生はどうにでもなってくる、と割り切るしかないのでしょう。このコトバは、ヘタな解説なしに、単純に、自分流に,直感で、味わうのがベストだ、と思います。ところで今日は、赤坂へ行きます。恒例の、志の輔らくごです。今年で九年目だそうですが、きっと今日も満員でしょう。
2017/05/07
昨日は、ちぃバスを乗り回して、六本木ヒルズ、麻布十番、そして表参道と、何の目的もなしに半日かけて、ぐるぐる回ってブラブラしたから、疲れました。今日は一日、休息します。人生とは何か、今回はその6の、迷言となります。今日は、これ。「人生、不本意」誰しも、自分の過去を振り返れば、たら、ればの思いを強くする、これはもう当たり前でしょうが、まさしくこの世は、自分の思うようには全くなりません。だから誰だって、自分本来の望みや願いが叶わず、思い通りには行かなくて、不本意のまま年月を重ねてしまい、不本意ながら、こんな半生になってしまった、という実感ではないでしょうか。「生き恥さらした一生だった」なんて人は少ないでしょうが、たいていは、「恥多い人生だったな」という思いで、老後、自分の人生をほろ苦く回顧しがちです、知る限りでは。あの時、こうすれば、こうしていたら、なんて思いはいまさら無意味ですが、そう思いたくなるほどに、誰しもの人生、不本意に展開し、不本意に終わる、と陳さまは思いってます。あたくしの旧著である「李白と杜甫」は、この有名な二人の詩人の一生が、いかに不本意であったか、このテーマで書かれています。このゲンコウは、あたくしが60代になってから書いたもので、当時のあたくしの心境そのもので、「オレの人生、不本意だったな」という実感が込められています。なぜ不本意と思うのか、過去の回想ですから、詳しくはここに書きませんが、陳さまはもっと違う人生を望んでいたので、李白と杜甫にそれを託した、という実に傲慢な発想でした。この本は、あまり売れなかったけど、85歳の今でも、陳さまとしては、「チンペイの人生、不本意だったな」と死ぬときには、そう総括してオサラバしたいと願っています。
2017/05/06
人生とはナニか、の迷言?シリーズ、今日は何回目ですか。5回かな。陳さまがこれまで85年生きてきた中で、人生にはこういう面があるんだな、というポイントを、感じたまま断片的にコトバにしたものを書き並べています。今日の迷言は、これ。「人生は、ネタミ・ひがみ・やきもちの坩堝である。特に政治の世界は、これらに、裏切り、だましあいと続く」このあたくしだって、トシとったくせに未だに、若いやつ、売れてるやつに軽い嫉妬・羨望するし、成功者をねたんだり、わが身をひがんだり、テレビなんか見ていても、複雑な思いで不快になるときあり、人間ってのは因果な存在だ、と痛感することが、再々あります。まして、議員時代には、権謀術数の網の中で振り回された、にがい思い出がいくらもあるから、あるイミで陳さまは、人間不信です。政治家不信なのではなく、人間ってものを信じ切れません。ですから、世の中ってのはこういうものだ、嫉妬、ねたみ、ひがみが当たり前の付属物で、おまけに油断すると、利用されるだけ。挙句の果てには、裏切られ、騙される、そう思って警戒してないと、完全にカモにされる、水面下に沈められてしまう、と割り切るしかありません。人の心は読みにくいし、ウラもあればオモテもある、実に油断ならない存在、それが人間ですから、全面的には人を信用せず、誰とも距離少しおいて、自分中心で生きていくのが賢明かな、と思わざるをえないのです。恵まれた、安定の老後を送ってるあたくしめが、こんなこと言っても説得力がないでしょうけどね。
2017/05/05
立川志ららに案内されて、渋谷の小さな映画館へ。「知事抹殺の真実」というドキュメント映画で、福島県の知事の汚職事件の裏側に迫る、なかなかの内容。驚いたのは単館上映とはいえ、次回上映も満席でした。昼飯たべてから、若者だらけの渋谷の街で、ゲーセンなどを見物?して、さっき帰宅。志ららのおかげで、普段、自分では行けないところへ、スイスイ行けるので、視野が広がってありがたい。持つべきものは、若い友人ですね。
2017/05/04
「人生とはナニか」この迷言?シリーズも、もう三回続き、その1「人生は、運とコネ」その2「人生は、死ぬまでのヒマつぶし」その3「人生は、体力勝負」これらは、それぞれ独立した言葉で、相関性はないのですから、陳さまの常識的でヤボな補足コメントなど無視して、自分流にコトバそのものを味わってもらうのが一番だと思います。そこで今日は、その4「人生、成り行き」これは今は亡き立川談志さんが、好んで色紙に書いた談志流の名言です。恋愛も結婚も、仕事も人間関係も、人生様々のことが、実は熟慮の結果ではなく、その場その場の思い付きで始まり、思わぬほうへ展開していく、そしてすべてが自分の思うようにはいきません。成り行きは止められないのです。それが人生の楽しいところ、でもあります。出たとこ勝負なんてことも言いますけど、成り行き次第で人生はどうにでもなっていく、気が付いたらそうなっていた、あれこれ考えること自体が無意味でバカバカしい、結局はすべて成り行き通りさ、ってわけでしょうね。ヘタな頭で考えて動いても、そうは問屋が卸さない。人間素直に、おとなしく成り行きに従うのが正解です。成り行きに逆らうな、デレリと世間の流れに身をまかせる、これが最高の選択なんですね。これって、老荘思想の「無為自然」に一脈通じるものがあります。談志師匠が胸のうちでどう考えていたか、それはわかりませんが、師匠の人生まさに成り行きだった、と晩年の親友であった陳さまは、そう考えています。またもや、どうでもいい蛇足を補足してしまいました。
2017/05/04
今日は、吉川潮君たちと、新宿で焼肉を食べ、その足で、新宿末広亭に回ります。桂竹丸がトリを務めてるので、のぞきに行く趣向です。連休だから混んでると思いますが、それも一興だし。「人生とはナニか」の迷言シリーズ、その3です。たまには、役に立つ名言があるかも。きょうは、「人生は、体力勝負である」そうです、体力ある者が最後は笑う、という意味ですね。頭脳明晰でも、いい企画やいいアイディアは弱い体力からは、うまれません。どんなにキレる頭でも、個人では平均で終わり、突きぬけるには、グループないしは集団のバックが必要であり、それも体力と言えます。個人の頭は、しょせん集団のそれにかないません。体力よりアタマの良さだ、と思いがちですが、体力あってこそ気力も湧き、気力あってこそアタマも働いてくれます。最後までギリギリ粘れるのは、アタマでなく、体力。どんなに優れたアタマも、体力が切れれば、そこで終わてしまいますから、体力こそが、最後の勝利を勝ち取る、と思うべきです。「俺は体力だけが自慢で、アタマはからきしダメだから」なんて嘆きを聞きますが、とんでもない、人生は体力の勝負です。体力第一、アタマ第二なんです。新人の採用も、体力優先で選んだほうが外れがない、と思いますよ、体力あってこそのナンボですから。
2017/05/03
人生とはナニか……、この迷言?シリーズの二回目です。前回は、「人生は運とコネである」この運を、ツキといいたくなるが、ツキでは軽すぎる。やはりここは、運というべきであろう。陳さま、50代のころは、「人生、努力が3分、才能3分、あとの4分が運である」と思ってましたが、60代になって周囲をよく見て、見方がやや変わりました。では今回の迷言。「人生は、死ぬまでのヒマつぶし」これはかなり、世に知られた名言ですが、60過ぎてから、これを痛感するようになりました。生きることなんて、しょせんヒマつぶしなんだ、と考えれば、気持ちがラクになって人生がおもしろい。ただし、若いときは何しても、ヒマはつぶれる。ヒマを持て余すことなんて、めったにありません。若さは無自覚に時間を浪費してしまいますから。老後はそうはいかない。ヒマを持て余し、ヒマのつぶし方がわからない。カネがなくても、ヒマをうまくつぶす方法は、いくらでもありますが、そのアイディアが浮かんできません。このヒマつぶしが上手か下手か、これが老後を楽しく生きるポイントです。死ぬまでの時間は、思った以上に長いですから、ヒマのつぶし方は無限といってもいいくらい、多岐多様にありますが、ヒマがうまくつぶせないと、けっこうきつい、引きこもりの老後になります。本来この言葉は、中高年向きに、皮肉な辛口に解釈したほうが面白いんですけど、現代の老後は長すぎて、このヒマつぶしが現実の必須課題になってきてますから、むしろこれは、高齢者向きの迷言というべきでしょうね。実はあたくしも、こうしてこのブログ書くことでヒマをつぶしています。
2017/05/02
ここ十年、身辺雑記中心にこれ書いてきたが、同じことの繰り返しで、もう飽きてきたし、残り時間も少ないので、ここらで趣向を変えて、85年の生涯を振り返り、人生について、思うところを断片的に、迷言?のような形で書き残しておきたい、と思います。人生とは何か、85年も経験してきたけど、その実態はよくわからないものの、端的に表せばどんな感じか、それを思いつくまま、こレから数回、まとめてみます。たぶん、参考にならないと思うけど、老人のたわごとと読み流してください。その1は、「人生は、運とコネである」陳さまの実体験から、そう思います。努力も人並みに必要なのは当然ですが、努力が報いられるかどうか、それは運しだい、ってことになります。運もコネがないと、なかなかつかめません。コネとは、人間関係の中から偶然的に生ずるもので、人に好かれ、まじめで誠実な人づきあいをしてないと、コネは訪れてこないし、訪れてもモノになりません。いわば、運とコネは車の両輪のようなもの。ふたつ揃って動き出すと、、まぁまぁ充実した満足な人生が送れるように思います。もちろん健康であることが、基本条件ですけど。才能豊かで、どんなに努力しても、運とコネがないと、人生は上向きにならないような気します、周囲を見る限り、全くこの通りなんですけど、そう思いませんか。
2017/05/01
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