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「私の持論だが、愛車を磨く男は自分も磨く。」「その通りさ、警部。」「(アハハハ・・・)外国人にしてはユーモアがある。フランス式の皮肉。分量もスパイスほど。」作品冒頭部のつかみは実に良かった!思わず惹き込まれていくしかけになっている。リズミカルなシナリオが効果的だったのか、はたまた演出か、あるいはアクションか・・・?主人公の役割とかキャラみたいなものが、この触りのシーンだけでギュッと凝縮されていて、明快なストーリー展開に成功している。主役を演じたジェイソン・ステイサムも、おそらくこの役柄に惚れ込んでいたのではなかろうか。ギスギスした陰鬱なマフィアや、正義感に燃える熱血刑事などではなく、スタイリッシュで腕力にも自信のある元軍人という設定。なんだかジェイソン・ステイサムが二つ返事でこの役柄を引き受けた様子が目に浮かぶのだ。(←あくまで吟遊映人の勝手なイマジネーションなのであしからず。)退役軍人のフランクは、南フランスに在住のプロの運び屋として、どんな依頼品も時間厳守で正確な目的地へと届ける。その任務遂行のためにいくつかのルールを、依頼人にもまた自分にも課すのであった。 しかしそんな中、依頼品としてバッグを渡されたところ、中身を不審に思ったフランクは、ルールを破りバッグを開けてしまう。そこには、手足を縛られ口をふさがれた東洋人の女性がいたのである。この作品の見どころは、やはりカーチェイスであろう。主人公の設定が“運び屋”ということもあり、車の運転には自信があるというわけだ。 パトカーに囲まれ、四面楚歌の状況下にあっても慌てない、必ず道は開ける・・・という妙な爽快感さえ覚える。残念なのは、ラストシーンでヒロインが実父に銃口を向けるシーン。ここはやはりフランクをかばってヒロインが父に撃たれ、娘を撃ってしまった父が泣き崩れて己の罪の重さを改めて思い知る・・・的なしめくくりはどうだろうか?エンディングはうずくまる父を警察が連行、フランクの腕の中でヒロインが息絶える・・・あ、この結末はあまりにベタ過ぎてありがちかも。やっぱりヒロインが実父を撃つことでエンディングが正解か。いずれにしても、カーアクション映画としての完成度はとても高い作品に仕上げられている。2002年(仏)、2003年(日)公開【監督】ルイ・レテリエ、コーリー・ユン【出演】ジェイソン・ステイサムまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.28
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「申し上げても(よろしいでしょうか)?」「何なりと言いたまえ。私に遠慮するな。」「このまま大尉を見殺しにする気ですか?」「状況は複雑だ(どうすることもできない)。」とにかく逃げる。走って、隠れて、撃たれて、また走って・・・。この息を呑むような逃走劇は、アクション映画にも勝るとも劣らない。何がこれほどの迫力を効果的に表現しているのだろうか。一つにはやはり、カメラワークの充実ではなかろうか。さながら、自分が現場にいて体感している気分なのだ。さらに、ガンアクションの大家、ジーン・ハックマンもその圧倒的な存在感を持って作品を重厚なものに演出している。“老兵”と言われようともこの人物の影響力は絶大なもので、若さや勢いだけでは表現できないいぶし銀を加味してくれるのだ。1992年、和平協定の結ばれたボスニアにおいて、米海軍バーネット大尉は訓練ばかりの軍務に嫌気がさし、レイガート司令官と衝突してしまう。そんな折、クリスマス休暇のはずのバーネットにボスニア上空の撮影任務を命じられる。 ボスニア上空を飛行中、レーダーに怪しげな兵器が映り、最新鋭のカメラに収める。しかし突然、地対空ミサイル攻撃を受け、墜落。パラシュートで脱出を試みたが、そこは敵地セルビア人武装勢力のど真ん中であった。 この作品をジャンル分けする際、【戦争・史実】に区分したものの、内容としてはあまり反戦主義的なイデオロギーもなく、あるいはむやみやたらな残酷極まりないシーンもなく、【アクション】モノとして区分するべきか否か迷った。だが、作品ラストのテロップを見て、どうやら実際に起きた史実を脚色してのストーリーっぽく感じたので、あえて【戦争・史実】に区分してみた。「エネミー・ライン」は、忌わしいボスニア・ヘルツェゴヴィナにおける民族紛争の何たるかを語るものとしてではなく、とにかく危機迫る逃走シーンを堪能していただきたい。観ているこちら側までヘトヘトに疲労するほどの、手に汗握る逃走劇なのだ。2001年(米)、2002年(日)公開【監督】ジョン・ムーア【出演】オーウェン・ウィルソン、ジーン・ハックマンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.27
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「過去と現在を混同してるし、私たちの母親が(すでに死んでるのに)生きてるように話すのよ。」「そう、彼女にとっては死んでないのよ。」スペイン映画なんて、久しぶりのような気がする。派手が地味かで言えば、地味な部類に入るかもしれない。だが派手にドンパチやらかすアクション映画ばかりが花というわけではない。日常的で穏やかな日々に思わぬトラブルがあり、そこで苦悩する人間の生き様が実に見事に表現されている。作中、死体を片付けるシーンなどを見ると、すわサスペンスかと思いきや、実はこの映画は豊饒な人間ドラマなのである。とりわけ、女性が強くたくましく生きていくライフスタイルを、機微に描いているのだ。 さてこの作品は、スペインのマドリッドが舞台となっている。主人公ライムンダの夫パコが失業したことから、夫婦間に亀裂が入る。パコは、我が子パウラを見る目つきが尋常ではなく、パウラは不穏なものを感じる。そしてライムンダが仕事に出かけている間に事件は起きる。パコはパウラに○○○○を迫るのだった。驚いたパウラは、キッチンの包丁を持ち出し、パコを刺し殺してしまう。パウラは実父を殺してしまったことに罪悪感を持つが、実際のところパウラはライムンダの連れ子であり、パコは実父ではなかった。そしてこの事件が、様々な人間の絡み合う物語の序章となる。「コレリ大尉のマンドリン」にも出演していたペネロペ・クルスは、断然この「ボルベール」の方が輝いていた。外見的な美しさというより、烈しい気性とか内に秘めた陰鬱な過去・・・みたいな役柄を通しての演出がピタリとはまっていたような気がする。驚いたのは作中、レストランの冷凍庫に死体を隠したままお店を営業するという女性の強さだ。にもかかわらず、作品全体を通しての空気は、狂信的な暗さを感じることもなく淡々としていて、かえって女性を傷つけた役立たずの男が消えてくれてさっぱりした・・・ぐらいの勢いがあるから、客観的に鑑賞したらもの凄いストーリー展開だと思う。ガンで余命いくばくもない女性、半分痴呆を患い老いて亡くなる女性、○○○○の呪縛に苦しむ女性、様々な苦悩を抱えながらも身体を張って生きていく女性たちの強さを全面に打ち出した作品に仕上げられている。※○○○○は本来漢字四文字ですが楽天のご指導ご鞭撻「わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断」により伏字と致しました、残念!2006年(西)、2007年(日)公開【監督】ペドロ・アルモドバル【出演】ペネロペ・クルスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.25
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「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み非常の措置を以って時局を収拾せんと欲しここに忠良なる爾臣民に告ぐ。」この作品は文字通り、日本国家の存亡を左右する一大事決定の長い一日を映画化したものである。モノクロ映画ということもあって、刹那的な歴史観だけでなく重厚感があり、昨今の利潤追求の戦争映画とは一線を画す。ここで私があえて戦争の何たるかを語るよりも、この作品を鑑賞することで各人の感想をそれぞれにお持ちになられた方が適切のような気がする。オールスター出演の、稀に見る大作なのだ。作品は、太平洋戦争終結を決定した昭和20年8月14日正午から、玉音放送を通じポツダム宣言受諾を知らせる8月15日正午までの、大日本帝国最後の一日を描いている。この映画では、わずか24時間のうちに起きた不穏な動き、例えば宮城事件(※)など由々しきクーデターのあらましを、そうそうたる役者陣の迫真の演技によって表現されている。※宮城事件とは、一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀が中心となっておこしたクーデター未遂事件である。(「ウィキペディア」より参照)「日本のいちばん長い日」を手掛けた脚本家・橋本忍は、黒澤組の一人であったが、後に離脱。1974年に公開された「砂の器」では、原作者である松本清張より絶賛され、数々の映画賞を総なめにした伝説のシナリオライターなのだ。この橋本忍にペンをとらせ、岡本喜八にメガホンをとらせ、そして三船に主役を演じさせたら、その作品が悪かろうはずがないではないか!とにかくモノクロであることに抵抗を持たず、まずは一度観ていただきたい。改めて平和への感謝の念が、胸を熱くするのだ。1967年公開【監督】岡本喜八【出演】三船敏郎、笠智衆また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.23
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「フランス野郎ども! 貴様らの“天使”はどうなった? フランスのクソ野郎ども! 俺が教えてやろう。あの売女は地獄へ送り返してやった! 悪魔とヤッてりゃいいのさ! 貴様らこれからどうする気だ? さっさとかかってこい、戦ったらどうだ! 聞えるか!?」「聞えるとも! 私は生きている! 主よ、冒涜を許したまえ・・・でも私は許さない・・・決して!」歴史大作は、どんなにお金をかけて壮大なスケールのもとに製作されていたとしても、興味がなければ“ブタに真珠”“猫に小判”で片付けられてしまう。グローバル化が唱えられて久しいが、今一度自国の歴史に目を向けて、先人たちの偉業に心から敬意を表し、感謝すべきではなかろうか。そして日本史を学ぶ傍らで、世界史にも興味を持つことがあれば、その時こそ英仏百年戦争の長きに渡る歴史をひも解くことをお勧めする。だが、活字離れで本は億劫だと感じる方、そんな方にこそ「ジャンヌ・ダルク」を観ていただきたい。人間ジャンヌ・ダルクの波瀾の生涯をダイジェストに描写し、神との在り方、宗教の在り方について問うている。時は15世紀、イギリスとフランスが長きに渡って争う百年戦争下のフランス片田舎。 神の使者として使わされたと、ジャンヌ・ダルクはシャルル王太子の許しを得て、祖国フランスのために鎧を身に着け、剣を振りかざす。ジャンヌ率いる仏軍は激戦の末、難攻不落のオルレアンを陥落し、見事英国軍を撃破した。これにより、シャルル7世としてフランス国王に即位。一方、ジャンヌを妬む一派が彼女の人気を危惧し、しだいにジャンヌは孤立していくのであった。それにつけても衝撃的なのは、ジャンヌの目の前で姉のカトリーヌが敵兵に刺し殺され、○○されるシーンだ。いくら教養のない末端の兵士でも、これほど残虐非道な行為が横行していたとなれば、復讐が復讐を呼び、戦争は苛烈して当然であろう。さらに、ジャンヌが純潔の処女であることを証明するために、何百人もの目にさらされる中、産婆によって性器に手を入れられ調べられるシーン。これもあまりに退廃的で、目を覆いたくなってしまった。しかし、マリー・アントワネットも皇太子を出産の際、やはり多くの人々の目にさらされての出産だったとあるので、当時のフランスではそういう気風があったのかもしれない。1431年、ルーアンにおいて19歳という若さで火刑に処せられたジャンヌ・ダルクの、太く短い生涯をこの作品からじっくりと味わっていただきたい。※○○は漢字二文字ですが、楽天の「わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています」というご指導ご鞭撻により○○といたしました。1999年公開【監督】リュック・ベッソン【出演】ミラ・ジョボヴィッチ、ジョン・マルコヴィッチまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.21
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「どのみち人は皆旅人にすぎない。つかのま地上を歩き、次には船を出して波間を行くが、いつか沈む運命だ。」この作品を見て思い出したのは、京都府舞鶴市から望む日本海の深くて濃い海の色だ。 “岸壁の母”でも有名で、海上自衛隊舞鶴基地のある所でもあり、昔は軍港として栄えた町である。この辺りでは、“弁当忘れても傘忘れるな”と言われるほど雨天が多く、年間を通して晴れ間を見ることが少ない。「シッピングニュース」は、そんな舞鶴とオーバーラップするかのような、ニューファンドランド島のさびれた漁港のある田舎町が舞台となっている。富も名声もないしがない男が娘をつれて、疎遠になっていた父の故郷を訪れる話なのだが、実に良かった。時間が人々の中を吹きすさぶ風とともにゆっくりと過ぎていくのだ。時には雷や大雨を伴うこともある。だが、降り止まぬ雨はなく、夜明けの来ない夜はないのだ。内向的で素朴で一途な男クオイルは、ひょんなことから知り合った見ず知らずの女性ペタルと男女の関係を結ぶ。お互いを知るわけでもないが、純粋なクオイルはペタルと結婚し、女児を儲ける。ペタルはもともとクオイルを愛して結婚したわけではないため、数々の男と享楽に耽り、家庭を蔑ろにした。そんな薄情なペタルを心底愛しているクオイルは、他に女性を作るわけでもなく、愛娘バニーの子守りと家事、そして仕事に追われながらも、ペタルの愛を信じているのだった。ある日、クオイルに一本の電話がかかる。それはなんと、妻ペタルが交通事故で即死したという知らせだった。そんな中、クオイルの叔母と証する女性が訪ねて来る。彼女は不幸に見舞われたクオイルとその娘バニーをつれ出し、故郷であるニューファンドランド島へと向かうのだった。この作品は昨今のありがちなラブストーリーとは一線を画し、役者のセリフと映像美と演出による効果で微妙な心の動きや情感を表現しているため、字幕による解説やナレーション等に一切依存していない。見どころは、愛を求めて止まない不器用な男と、不器用な女がすれ違いながらも吸引されるように結ばれていく場面。心に深い傷を負った悩める人々が、田舎町で少しずつ自分を取り戻し、解放され、癒され、再生していく、静かで良質なドラマなのだ。2001年公開【監督】ラッセ・ハルストレム【出演】ケヴィン・スペイシー、ジュリアン・ムーアまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.19
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「それにしても私たちはなぜ、何のためにあんなに思い込んでいたんでしょうかね。」 「そや、愛おしさでございもす。人の世がどんな風に変わろうと、愛おしかもんのためになぁ誰もが夢を懸け、命も懸けられるもんでしょう。」年の瀬が近づいて、人々が享楽に耽る様子がそこかしこで見受けられる季節になった。 平和な時代の象徴でもある。有り難いことだ。その昔、日本という国が、現在の北朝鮮のような軍事国家であったなどとは今の若者たちには信じられないことであろう。貧弱な資源に喘ぐ日本国家は、西欧諸国に対抗するため領土拡大を目指し、大東亜共栄圏を掲げて開戦に踏み切った。健康な青年男子には召集令状が下り、婦女子は軍需工場に借り出された。天皇陛下を生き神様だと信じ、崇め奉ったのである。若き特攻兵たちは、皆が口を揃え「天皇陛下万歳!」と唱え、海の藻屑となって消えたのである。1945年太平洋戦争末期、鹿児島県知覧町(現・南九州市)にあった陸軍最大の特攻基地で、厳しい飛行訓練を受けていた若き特攻兵たちの青春を描く。富屋食堂で若い兵士たちの空腹を満たすため、精一杯の食事をふるまう鳥濱トメの視点から、戦時下の様子を語る。飽食とブランド品と高級車に溺れる現代人が、いくら当時に敬意を表して同情したり立派なご託を並べたところで説得力に欠ける。ならば今を生きる我々にできることは何であろうか?それは感謝の気持ちに他ならない。全ての事象、物事、人々に対する感謝の気持ち。そして、戦争イコール殺戮を断固として回避しなければならない。広島・長崎に投下された原爆による世界唯一の被爆国である日本は、同じ過ちを二度と繰り返さないよう、子々孫々に至るまで肝に銘じ、死守して勝ち得た平和を守り続けていかねばならない。2007年公開【監督】新城卓【脚本】石原慎太郎【出演】岸恵子、徳重聡また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.17
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「ルール:1 上達する唯一の方法は強敵との勝負。ルール:2 高度なゲームには高度な仕掛け人がいる。優れた仕掛け人は自分の“手の内”でカモを動かす。“手の内”が広いほどやりやすい。犬に骨を投げ、弱点を探り、少し勝たせ、気分よくさせる。」この手のサイコものは嫌いじゃない。混乱と交錯と曖昧さのコラボは、ふだん眠っている思考回路を多いに刺激し、怠惰を一蹴してくれる。渇いたコンクリートの壁面と、カジノバーのざらついた空気。服従と支配、自由と束縛が絡み合う意識と無意識の世界。「リボルバー」は、いわゆる多重人格障害(ボーダーライン)を扱った作品だと思われる。(←あくまで吟遊映人の個人的感想によるものなので、あしからず。)主人公のジェイク・グリーンが本来の“自我”だとすると、カジノ王マカやプロの殺し屋ソーターなど登場する全てのキャラは“超自我”ではないかと思う。ストーリーは、ジェイクが出所してから様々なトラブルに直面し、自己との葛藤を表現しているかに見えるが、実は精神病院の個室かあるいは独房の中での妄想に過ぎないのではなかろうか。カジノ王マカの罠にはめられ、ジェイク・グリーンは7年間獄中生活を余儀なくされる。 しかしジェイクの独房の両隣には、チェスの天才とペテンの達人が投獄されていて、二人から勝負師としての究極の方程式を授けられる。出所後、ジェイクはマカに復讐をするため、カジノに現れ、まんまと大金をせしめる。 ところが帰る途中、ジェイクは突然気を失って倒れてしまう。病院での検査結果は、なんと血液の病気で、余命三日という宣告を受けるのだった。作品の冒頭部で、ジェイクが閉所恐怖症のためエレベーターを極度に嫌悪するシーンが出て来るが、このあたりからジェイクが健常者らしからぬ節が見え隠れしていておもしろい。心の声も効果的で、自己との葛藤と苦悩が見事に表現されていた。様々な人格を統一するために現れたような、プロの殺し屋ソーター役を演じたマーク・ストロングが妙にカッコ良く、決まっていた。決して派手さはないが、ストーリー展開や演出にこだわったサイコ作品で、一度鑑賞したら止み難い中毒に襲われそうな後を引く代物なのだ。2005年(英・仏)、2008年(日)公開【監督】ガイ・リッチー【出演】ジェイソン・ステイサム、レイ・リオッタまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.15
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「私なら母乳が出るからこの子を連れてきたのね。この子のことだけ考え、私の子がどうなったか聞きもしない。」「(・・・そうだな)確かに。(俺は)最低だった。」「いいの。悪いのは私よ。ママが言ってたとおり。“卵は石と踊ると割れてしまう。”」 とにかく深い意味なんてない。万人の楽しめる痛快娯楽映画というものがある。「SHOOT’EM UP」が、それだ。ちまちました人間関係にうんざりしている人、上司の説教に納得のいかない人、気分転換したい人などストレスを抱えている人には持って来いの作品だ。銃撃戦の連続で、死体が山のように積み重ねられていくのだが、死んだはずのエキストラの方々も中には小刻みに呼吸していたりするから、なかなかハードな動きに息が乱れたのだろうなどと同情してしまったりする。内容と言っても、手っ取り早く言わせてもらえば“赤ちゃん救出劇”みたいなものだ。 廃墟で妊婦を襲う物騒な連中。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓とっさに妊婦を助けるスミス。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓さらに物騒な連中がなだれ込む。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓妊婦、陣痛でヘロヘロ。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓スミス、敵から銃を奪って応戦しながら妊婦の出産を手伝う。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓妊婦、無事に出産するものの逃げる途中で撃たれて絶命。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓スミス、赤ちゃん抱っこして大急ぎで売春宿へ直行。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓赤ちゃんプレイ専門店なので母乳の出る娼婦に預けようとするが、一度は拒否される。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! 以上のように、流れとしては銃撃戦の合い間はスミスが赤ちゃんを抱っこして逃走しているシーンが主である。驚いたのは、赤ちゃんに飲ませるミルクのために、赤ちゃんプレイ専門の娼婦を連れて逃走するくだり。さらに、ホテルではスミスがムラムラして娼婦と性○為に及んでいる最中、突然の敵の襲撃を受けながらもしっかりフィニッシュしているというその道のプロ技(?)を披露!最初から最後まで笑いが込み上げて止まらない作品なのだ。※あくまでアクション映画であり、コメディ映画ではないのであしからず。2008年公開【監督】マイケル・ディヴィス【出演】クライヴ・オーウェン、モニカ・ベルッチまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.13
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「お帰り、ミッキー。」「授業以上に私ができることを見せてやりたくてね。このゲームには過去と未来がある。今夜は過去を忘れよう。未来だけを見る。」「ああ、これが最後(のゲーム)だ。」邦題が今一つに思えたのは自分だけだろうか?とは言うものの意味的にはわかり易い。ラスベガスで多いに儲けてやるという意気込みは伝わって来る。この作品で注目していただきたいのは、しがない貧乏学生が大金を手にすることで、短期間のうちにどんどんと変貌していく様子だ。お金の魔力をイヤというほど味わって欲しい。人相・風体どころか、性格まで変えてしまうのだから、これほど恐ろしいものはない。 お金が全くなければ、今日食べるパンさえままならない。だが身に余る富は、人格さえ破壊してしまうということだ。マサチューセッツ工科大学に通うベンの夢は、ハーバード大学医学部へ進学すること。 だがそのためには、30万ドルという途方もない学費が必要であった。頼みの綱である奨学金も、自己アピール・プレゼンテーション能力に欠け、受けられる目途がつかなかった。そんな折、ミッキー・ローザ教授から謎の研究チームに誘われる。それはなんと、ブラック・ジャックの必勝法であるカード・カウンティングの習得であり、ねらうのはラスベガスで大金を手に入れることであった。本作では、主人公のベンがラスベガスで大金を稼ぎ、または失い、挫折し、再びリベンジするという青春の一ページをストーリー化している。目のくらむような大金を一夜のうちに稼ぎ出す技を、誰もが夢見ている。それは他でもない、己の欲望を満たすためだ。若さが許す一抹の衝動も、加速し過ぎれば止まらなくなってしまう恐れがある。我々は常に良識を持ち、冷静で客観的に物事の判断を下していかねばならない。ギャンブルをテーマにした作品だが、ラストは痛快なハッピーエンドで締めくくられている。2008年公開【監督】ロバート・ルケティック【出演】ジム・スタージェス、ケイト・ボスワースまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.11
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「忘れるっていうのは、神が人に与え賜うた素敵な能力だと思うんだけどね。」「はい?」「こないだイヤなことを思い出したものだから・・・。」「その文法に則って言うのならば、忘れずに覚えておくことの方が価値ある能力だと思いますがねぇ。」本作の副題も含めた正式タイトルは、「相棒ー劇場版ー絶対絶命! 42.195km東京ビッグシティマラソン」である。テレビでシリーズ放送されているドラマ、例えば「踊る大捜査線」や「HERO」など絶大な人気と視聴率を誇った番組が、後に劇場版となって映画化されることは少なくない。「相棒」もその中の一つであり、興行的にも大成功を収めた作品である。主役を演じている水谷豊は、若かりしころ定番となっていたやんちゃな役柄を見事に脱却し、火サスなどの2時間枠のドラマでは知的で大人の落ち着いた演技を披露してくれた。また、この作品にゲスト出演している役者陣の顔ぶれも錚々たるメンツばかりで豪華の一言。10000人のエキストラを動員しての撮影も見逃せない。都内で謎の猟奇殺人事件が発生。現場にはチェスの棋譜と思われる記号が残されていた。そんな折、国会議員である片山雛子のオフィスで郵便物爆発事件が起きる。警視庁特命係の杉下右京と亀山薫は、独自の捜査に乗り出し、謎の猟奇殺人と関連性があることを突き止める。そして、犯人の標的が東京ビッグシティマラソンに参加するランナー3万人と、15万人の大観衆にあるのではと奔走する。いろいろと見せ場はあるものの、当管理人が個人的にシビれてしまったのは、やはり西田敏行が犯行の動機を切々と語るシーンだ。正直、この卓越した演技力に水谷豊はすっかり呑まれていて、犯人役の西田敏行が“愛息子を失った憐れな父親”として視聴者を完全に味方につけてしまったかに思えた。進行性のスキルス型胃癌であると宣告を受けている犯人役の西田敏行が、「私には時間がないのです・・・!」と、涙ながらに訴える件は思わず目頭が熱くなった。この作品は、視聴者の期待を裏切らないどんでん返しのあるストーリー展開になっており、非常に興味をそそられるシナリオに完成されていた。2008年公開【監督】和泉聖治【出演】水谷豊、寺脇康文また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.09
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「イスラム教徒の娘たちをレイプしまくって切り刻み、村々を“浄化”してった。」「ひどい・・・。」「その先がある。フォックスの警護を務めるこのサージャンって野郎・・・額にキリル文字のタトゥーがある。“生と共に死を授かった男”(という内容だ)。ハーバード(大学)で習ったか?」リアルタイムで話題になっている小室哲哉は、正に芸能界の栄枯盛衰を体現してくれた。 90年代のミュージックシーンを席捲した時代の寵児であったが、先日の逮捕時にはその面影すらなく、いそいそとワンボックスカーに乗り込む様子が報道されていた。しかし、そんな事例は特に珍しいことでもなければ驚くことでもない。800年もの昔編纂された「平家物語」の序文にもあるように、“おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし”と、栄華は長く続くものではないことを示唆しているではないか。「ハンティング・パーティ」の主人公サイモン・ハントにとっても同じことが言える。 売れっ子ジャーナリストとして取材のために第一線で走り回っていた人物であったが、ある出来事をきっかけにサイモンはTV業界から干されていく。人生とは、無常だ。TV向けの戦場レポーターサイモン・ハントは、カメラマンのダックと共に第一線で活躍していた。ある時、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を取材中、事件は起きる。現場を生中継でレポート中に暴言を吐いたことが原因で解雇されてしまうのだった。その後、サイモンは仕事を干され、消息すらつかめない状態になってしまった。一方、カメラマンのダックはニューヨークに栄転し、出世街道を歩む。この作品は、1992年~’95年に起こったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を取材したジャーナリストが、再起と復讐を兼ねて、戦争犯罪人を探し出すというストーリーになっている。テーマそのものは反戦というより、天国と地獄の両方を味わった男の半生、あるいは野放し状態になっている戦犯への憎悪、CIAに対する糾弾等、複雑に交錯している。ややもすれば重苦しい戦争ドラマになりがちなテーマを、もっと広義に渡って興味を持たせたいとする製作者サイドの意図もあってか、軽いノリでコミカルに表現されていた。主役のリチャード・ギアは、男くさい大胆な役柄を伸び伸びと好演。テレンス・ハワードとの息の合った芝居に安定感があった。リチャード・ギアファン必見の作品である。2007年(米)、2008年(日)公開【監督】リチャード・シェパード【出演】リチャード・ギア、テレンス・ハワードまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.07
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「今夜僕の演奏会があるんだ。」「本当か?」「うん、でも行かれない。」「なぜ?」「わけがあって・・・。」「もし僕が君なら演奏会に行くよ。何が何でもね。」「うん。(でも)もし悪いことが起きたら?」「音楽は捨てるな。何が起きても。どんなにつらい時だって音楽さえあれば感情を吐き出せる。僕の経験だ。でも大丈夫。悪いことは起きない。自分を信じろ。」この子役どっかで見たなぁと、自分の記憶のあいまいさに半ば嫌気がさした。どこか薄幸そうで、貧相な顔立ち、でも笑うとこの上なくキュートなこの子役は・・・?そうだ、「チャーリーとチョコレート工場」にも出演していた子役だ!やっと胸のつかえがとれてスッとした。(汗)フレディ・ハイモアは、妙にこういう役柄が似合ってしまう。貧乏でめぐまれない環境にもかかわらず、健気で前向きで心は豊か・・・みたいな役どころである。「奇跡のシンフォニー」において、フレディ・ハイモア以外にこの主役は考えられないほどに適役だった。作品冒頭では、一面の小麦畑の中に身をうずめ、風の声に耳を傾ける主人公エヴァンの表情に注目していただきたい。物欲のない、無邪気な微笑みに吸い込まれそうだ。ニューヨーク郊外の養護施設で暮らす11歳のエヴァンは、並外れた音感にめぐまれていた。エヴァンはどんなに辛く悲しい時も、音楽とともにあり、両親がいつかきっと迎えに来ると信じて疑わなかった。そんなある日、彼は外界のあらゆる音に導かれるようにして養護施設を抜け出し、マンハッタンにたどりつく。そこで出会ったのは同年齢の黒人アーサー。彼はギター一本でストリートミュージシャンとして稼いでいるのだった。全体を通して感じられる流れるような詩的なセリフ。音楽に乗って天空を舞う浮遊感。このセンシティヴな心の動き、感情の起伏を、身体全体で受け留めていただきたい。男女の恋愛感情も、親子の絆も、それを結びつけるのは常に自分を信じ、願うこと。感性とは、物事に対して知的な批判を浴びせることではない。頭で考えた美辞麗句ではなく、心でときめいたほとばしる泉のことだ。「奇跡のシンフォニー」は、心の琴線に触れる豊饒なラブドラマなのだ。2007年(米)、2008年(日)公開【監督】カーステン・シェリダン【出演】フレディ・ハイモア、ケリー・ラッセルまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.05
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「偉大な(フェリーニ)監督が助言してくれたの。」「何て?」「こう言ったわ。“多くの可能性に向かって生きろ。”“子供のような熱意があれば道は開ける。”って。」世間では三連休。この秋の休日をみなさんはどのような状況の下、おすごしだろうか?全ての人が家族サービスに明け暮れるわけではないだろう。フリーの人は、自分のためにのんびりした休日を満喫するだろうし、中には「休日なんてとんでもない。フツーに仕事だ。」と、連休とは無縁の方々もおられるだろう。「トスカーナの休日」は、一人の女性作家が寝耳に水の離婚を経験し、異国で再生を遂げるストーリーである。働く女性にとって、食べていくための手に職はあっても、良きパートナーにめぐまれない不運はよく耳にする。精神的な打撃を若さだけでは乗り越えられない年齢に達していた時、誰かの支えが必要な時、環境を変えてみるのは一つの打開策であるかもしれない。書評家のフランシスは、離婚のショックから立ち直るため、イタリアのトスカーナ地方にツアーで訪れる。そこで目にしたのは、築300年の荒れ果てた売り家。“ブラマソーレ”という言葉に惹かれてその家屋を衝動買いしてしまうのだった。フランシスは、家屋の修繕のために人手を雇い、少しずつ完成させていく。その間、知り合った隣人の晩餐に呼ばれたり、身重の親友が突然訪ねて来たり、イタリア人男性と甘い関係になったり、様々な人間模様に彩られていく。女性作家フランシス役のダイアン・レインは、年齢とともに知的な役者さんに成長しているように感じた。以前の印象では、何かコンプレックスを抱えているような女優さんに見受けられたのだが、「トスカーナの休日」では、そういう暗い影みたいなものが払拭され、とても魅力的なヒロインを演じてくれた。フランシスの親友パティ役は、サンドラ・オーが同性愛者という役回りで、明るく健気に生きるマイノリティーとして熱演。イタリアという陽気で情熱的な土地柄のせいか、苦悩を抱えて生きる人間でさえ光り輝いて見えた。時間がゆっくりと過ぎていく、ほのぼのとした恋愛ドラマなのだ。2003年(米)、2004年(日)公開【監督】オードリー・ウェルズ【出演】ダイアン・レインまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.01
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