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☆サンレモの歌手たち 651 ミーナ 14 ミーナ1〜ミーナ 12もご覧ください。62年を最後にミーナはサンレモ音楽祭に出場していませんが、彼女のその後の事を書き続けます。★ミーナ(vf) Mina本名ミーナ・アンナ・マッツィーニ (Mina Anna Mazzini)、1940年3月25日ミラノの近郊ブスト・アルシツィオ(Busto Arsizio)生、イタリアの歌手。デビュー当時外国のカヴァー曲を歌う時にベビー・ゲイト(Baby Gate)の芸名も使った。 ORL-8525 所属レコード会社: Italdisc, RI FI, PDU (Durium, EMI, RTI, Sony Music)サンレモ音楽祭出場2回(4曲):1960年8位、参加、61年4位、5位公式サイト:https://www.minamazzini.it/it/ 前回「サンレモの歌手たち 624 ミーナ 13」の81年の編集ベスト盤紹介の続きから始まります。 ミーナの1981年のアルバムは2枚組「Salomè(サロメ)」でした。これは83年キングからミーナの新譜アルバムでは最後になるアルバム「私だけの歌・ミーナ(UNA CANZONE・MINA)」の元になるアルバムでした。国内盤は残念ながら1枚仕立てだったので、曲数が相当削られてしまいました。 もう1種類は公式編集ベスト盤と言われるものでした。編集ベスト盤は歌手がアルバムに準じて企画して発売する物と、レコード会社が企画してアルバムやシングル盤から選んで編集して、あるいは廉価盤シリーズの一環として発売するものがあります。 「ミーナ13」で紹介したのは公式編集ベスト盤で「Del mio meglio n. 6 Live」と言う、タイトル通り今までにPDU発売したライブ盤の中から選んだ曲を集めた盤でした。 さて今回「ミーナ14」で紹介するのは81年に発売された言わば『非公式』編集ベスト盤です。こちらはミーナがオーナーのPDUの音源でなく、それまで所属していたレコード会社で吹込んた音源で作られた物です。 デビューしたイタルディスクは弱小レコード会社でしたし、次に移籍したリフィは79年に創業者ジョヴァンニ・バッティスタ(Giovanni Battista)が亡くなり、息子のトニーノ(Tonino:イヴァ・ザニッキのご主人)が経営を承継したのですが、80年以降、新らたなレコード制作が出来なくなるという経営不振い陥ります。 そういう事でこの2社の音源は各レコード会社に貸し出されます。 CBSの離反で自身も経営不振になっているCGDも廉価盤シリーズ、レコード・バザールにイタルディスク音源を使います。 RB- 314 (1981年7月 Record Bazaar – CGD Messaggerie Musicali) 30cmLP Ritratto Di Mina1.Io Sono Il Vento (恋のブルース)2.Personalità (パーソナリティ)3.Chi Sarà4.Sabato Notte (恋の土曜日)5.Vola Vola Da Mè (ヴォラ・ヴォラ)6.Stringimi Forte I Polsi (手首を強く握る)7.Passion Flower (情熱の花)8.Coriandoli (コリアンドリ)9.Let Me Go (Lassame)10.Perdoniamoci (許し合おう)11.Mi Vuoi Lasciar (冷たいあなた)12.Io Amo Tu Ami (私もあなたも恋してる)13.Da Chi (誰)14.Non Piangerò (泣きはしないさ)15.Tu Sei Mio16.Splish Splash (スプリッシュ・スプラッシュ)RB- 314 NL-33172 NL-33172 (1981年 Linea Tre – RCA Italiana) 30cmLP Mina – Ancora Insieme1.Personalità (パーソナリティ)2.Dindi (ジンジ)3.La Notte (夜よ、わたしを恋して)4.Sciummo (河)5.Vulcano (恋の火の山)6.Improvvisamente (突然に)7.La Ragazza Dell'Ombrellone Accanto8.E' Vero! ... (ほんとうなのよ/真実/エ・ヴェーロ)9.Io Amo, Tu Ami (私もあなたも恋してる)10.Bum! Ahi! (Che Colpo Di Luna)11.Mi Guardano12.Que No, Que No13.A Volte14.Briciole Di Baci 続いてイタルディスク音源で、RCAイタリアーナのリネア3、ドゥリウムのスタートから廉価盤が出ています。 LP・S-40・144 (1981年 Start – Durium) 30cmLP Mina – Il Cielo In Una Stanza1.Come Sinfonia (コメ・シンフォニア)2.Folle Banderuola (沢山の小旗)3.Moliendo Café (コーヒー・ルンバ)4.Coriandoli (コリアンドリ)5.La Notte (夜よ、わたしを恋して)6.Le Mille Bolle Blu (青い泡がいっぱい)7.Il Cielo In Una Stanza (しあわせがいっぱい) 8.Renato (月影のレナート)9.Lu Tue Mani (あなたの手)10.Una Zebra A Pois (水玉のしま馬)11.Piano (そっとさようなら)12.Stringimi Forte I Polsi (手首を強く握る)LP・S-40・144 LP・S-40・145 LP・S-40・145 (1981年 Start – Durium) 30cmLP Mina – Due Note1.Due Note (二つの音)2.Nessuno (ネッスーノ)3.Cubetti Di Ghiaccio4.Sabato Notte (恋の土曜日)5.Prendi Una Matita6.Bum, Ahi (Che Colpo Di Luna)7.Tintarella Di Luna (月影のナポリ)8.Chihuahua (チウァウァ)9.Io Amo Tu Ami (私もあなたも恋してる)10.Stessa Spiaggia Stesso Mare (太陽の海)11.T'Ho Vista Piangere 12.Personalità (パーソナリティ) 正当な音源所有のリフィの廉価盤シリーズ、ペニー・オーレから比較的レア曲を集めた盤を出します。 RPO・ST-72043 (1981年 Penny Oro - RI FI) 30cmLP Speciale Mina1.Mi Sei Scoppiato Dentro Il Cuore (悲しみに胸やぶれて)2.Insensatez (無分別)3.Se Non CI Fossi Tu4.Ta-Ra-Ta-Ta (タ・ラ・タ・タ)5.Full Moon And Empty Arms (むなしい願い)6.Cartoline7.Quando Vedro' (愛を知らずに)8.Brava (ブラヴァ)9.My Melancholy Baby (マイ・メランコリー・ベイビー)10.Una Casa In Cima Il Mondo (青空に住もう)11.Uno (ウノ)12.Io Sono Quel Che Sono (わたしは私)13.L'Ultima Occasione (偶然)14.Lontanissimo (Somewhere) (サム・ホエア) RPO・ST-72043 TAORL-38527 (1981年 CGO – Dischi Ricordi) 30cm2LP Meravigliosamente... ORL-8524 (1981年 Orizzonte – Dischi Ricordi) 30cmLP Meravigliosamente... Vol.1ORL-8525 (1981年 Orizzonte – Dischi Ricordi) 30cmLP Meravigliosamente... Vol.2 ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照1-1.Città Vuota (It's A Lonely Town/夜が欲しい/うつろな街)1-2.Addio (忘れえぬ想い)1-3.Se Tu Non Fossi Qui (愛のひきしお)1-4.Tu Non Mi Lascerai (別れられない)1-5.Un Anno D'Amore (わかれ(別離))1-6.Conversazioni1-7.Noi Due1-8.Angel Eyes (エンジェル・アイズ)1-9.Io Sono Quel Che Sono (わたしは私)1-10.L'Ultima Occasione (偶然)1-11.La Barca (小舟)1-12.È L'Uomo Per Me (He Walks Like A Man/私のあの人)2-1.L'Immensità (涙に咲く花)2-2.Una Casa In Cima Al Mondo (青空に住もう)2-3.Sabor A Mi (サボール・アミ)2-4.So Che Mi Vuoi (It's For You/あなたの為に)2-5.Se Piangi, Se Ridi (君に涙とほほえみを)2-6.Ora O Mai Più2-7.Portami Con Te2-8.Cartoline2-9.Caminemos (愛なき夜のブルース)2-10.Mi Sei Scoppiato Dentro Il Cuore (悲しみに胸やぶれて)2-11.Sono Come Tu Mi Vuoi (あなたのままの私)2-12.Se Telefonando (束の間に燃えつきて) TAORL-38527 ORL-8524 それとリフィ音源で、ディスク・リコルディはCGOレーベルを使い2枚組を出し、その編成通りで廉価盤シリーズ、オリゾンテで2枚を分割バラ売りで発売しています。 ミーナの国内盤(1981年)は有りません この後ミーナ15は1982年サンレモ音楽祭の後に続きます ☆サンレモ音楽祭のコンピレーション(オムニバス)盤24 (1981年) 1980年以降サンレモ音楽祭コンピレーションの国内盤は毎年発売されなくなり、不定期ですが1985年にアナログLP盤で、89年CDで発売されましたが、この2回だけしか出ていません。 イタリア本国では反対にレコード会社を超えた出場曲のコンピレーションが盛んになります。これも言い換えれば苦肉の策として考え出されたものでしょう。シングル盤でヒットを出すのが難しくなり、またそれぞれのレコード会社が数人の出場歌手と、多くの曲を若手歌手でカヴァーした時代のようにLPが売れなくなってきたからです。 第31回はフォノグラム・イタリアからポリドール・レーベルの2枚組が出ています。これは出場28歌手中25歌手が収録されています。 入っていないのはベビー・レコーズのリッキ&ポーヴェリ、パオロ・バラバー二、CBSディスキのミケーレ・ザッリッロ、マルチェラとSAARのトム・フッカーとなっています。 2448-122~3 (1981年2月 POLYDOR – PHONOGRAM,Italy) 2LP TUTTO SANREMO '811-1.PER ELISA (エリーザ) [アリーチェ (ALICE)]1-2. I RAGAZZI CHE SI AMANO [イ・コラージェ (I COLLAGE)]1-3.AMORE MIO [エンツォ・マレパッソ (ENZO MALEPASSO)]1-4.CHE BRUTTO AFFARE [ジョー・キアレッロ (JO CHIARELLO)]1-5. TU COSA FAI STASERA? (今夜の君は) [ダリオ・バルダン・ベンボ (DARIO BALDAN BEMBO)]1-6.(TUTTO E') BLUE [スターリング・サン・ジャーク (STERLING SANT-JACQUES)]1-7.MILLE VOLTE TI AMO [ウンベルト・ナポリターノ (UMBERTO NAPOLITANO)]1-8.MALEDETTA PRIMAVERA (夏を待ちましょう) [ロレッタ・ゴッジ (LORETTA GOGGI)]1-9.POI PASSA [シャルル・アズナヴール (CHARLES AZNAVOUR)]1-10.CAFFE' NERO BOLLENTE (沸いたブラック・コーヒー) [フィオレッラ・マンノイア (FIORELLA MANNOIA)]1-11.UN'ISOLA ALLE HAWAII [フランコ・ファザーノ (FRANCO FASANO)]1-12.ANGELA [レアーノ・モレッリ (LEANO MORELLI)]1-13.BIANCA STELLA [セバスティアーノ・オッキーノ (SEBASTIANO OCCHINO)]2-1.LA BARCA NON VA PIU' (行き先のない船) [オリエッタ・ベルティ (ORIETTA BERTI)]2-2.ANCORA (アンコーラ) [エドゥアルド・デ・クレッシェンツォ (EDUARDO DE CRESCENZO)]2-3.MIDNIGHT (真夜中) [ザ・パッセンジャーズ (THE PASSENGERS)]2-4.TULILEMBLE [ドメニコ・マッティア (DOMENICO MATTIA)]2-5.IO MI (イオ・ミ) {ステファーノ・トーシ (STEFANO TOSI)}2-6.MA CHI TE LO FA FARE (マ・キ・テ・ロ・ファ・ファーレ) [マリネッラ (MARINELLA)]2-7.ROMA SPOGLIATA (略奪されたのローマ) [ルカ・バルバロッサ (LUCA BARBAROSSA)]2-8.NON POSSO PERDERTI [ボビ-・ソロ (BOBBY SOLO)]2-9.FOLLOW ME [カルメン & トンプソン (CARMEN E THOMPSON)]2-10.LA ROSSA (ラ・ロッサ) [ミルバ (MILVA)]2-11.QUESTO AMORE NON SI TOCCA [ジャンニ・ベッラ (GIANNI BELLA)]2-12.GUERRIERO [オペラ (GLI OPERA)] 2448-122~3 1981年(第31回)サンレモ音楽祭は以上です。
2023.07.25
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★ジャンニ・ベッラ (vm) Gianni Bella本名ジョヴァンニ・ベラ(Giovanni Bella)1947年3月14日、シチリア島のカターニア(Catania)生、自作自演歌手、作曲家。歌手マルチェラ(Marcella)の兄。 活動期間:1974 – 現在所属レコード会社:Derby, CGD, RCA Italiana, Polydor, Fonit-Cetraサンレモ音楽祭出場5回:1981年入賞、90年入賞(マルチェラ・ベッラとデュエット)、91年19位、2001年12位、07年12位(マルチェラ・ベッラとデュエット)、サンレモ音楽祭楽曲提供14曲:1972年7位(マルチェラ)、78年参加(ビーンズ)、81年9位(マルチェラ)、同入賞(ジャンニ・ベッラ)、86年第3位(マルチェラ)、90年入賞(マルチェラ&ジャンニ・ベッラ)、91年19位(ジャンニ・ベッラ;グロリア・ゲイナー)、2001年12位(ジャンニ・ベッラ)、04年6位(マッシーモ・モドゥーニョ&ジプシー・キングス)、同18位(ヴェルスカ)、05年第2位(マルチェラ・ベッラ;クラシック)、07年12位(マルチェラ&ジャンニ・ベッラ) ジャンニ・ベッラの詳しい生い立ちは分りません。5才とし下の妹が歌手のマルチェラ・ベッラ (Marcella Bella)であることくらいです。 1968年マルチェラはデビュー前からのカテリーナ・カセルリ(Caterina Caselli)マネージャーでプロデューサーのイヴォ・カッレガーリ(Ivo Callegari)に認められ、CGDと契約を結びます。ジャンニ・ベッラは、妹の付き添いでミラノに出てきたと思われます。 ジャンニが世に出ることとなったのは、妹マルチェラに書いた楽曲が認められたことでした。69年にマルチェラはデビューしたのですがシチリア訛がきつく、71年ヴェネチア国際音楽祭銀のゴンドラに”吹きすさぶ夜 (Hai Ragione Tu)”で再デビューします。この曲のクレジットではイターロ・ヤンネ(Italo Ianne)とG.Bellaでしたが、新人作曲家の悲しさ、いつの間にかG.Bigazziに差換えられていました。ほろ苦い作曲家デビューとなりました。 翌72年マルチェラのサンレモ音楽祭初出場曲“青い山脈 (Montagne Verdi)”以降、約5年間マルチェラのヒット曲を量産、彼はヒット作曲家として認められます。 妹に5年遅れでますが、74年彼ニも、CGDのサブ・レーベル、ダービーから日本でも発売された“渇き”で自作自演歌手としてデビューをします。この曲でファスティバル・バール(結果3位)と夏のディスク・フェスティヴァル(入賞)に出場し、74年年間ヒット・ランク19位という大ヒットの大成功を収めました。 DBR- 2339 (1974年 Derby – CBS Sugar) Più Ci Penso (渇き)/L'Arancia Non È Blu (私は救世主)DBR- 2339 DBR- 2832 DBR- 2832 (1974年 Derby – CBS Sugar) Guarda Che Ti Amo (愛すると知って)/Siamo Marinai 2枚目のシンッグル”愛すると知って”も同年年間ヒット・ランク71位で連続ヒットとなりました。 翌75年シングル盤“オー・ママ”で前年同様フェスティバル・バールと夏のディスク・フェスティヴァルに出場しましたが、参加に止まりました。 DBR- 3246 (1975年 Derby – CBS Sugar) Oh Mama (オー・ママ) [Un Disco per l'Estate 1975]/Eppure Più BellaDBR- 3246 DBR- 4161 DBR- 4161 (1976年 Derby – CBS Sugar) Non Si Può Morire Dentro (哀しく美しい君)/T'Amo 76年”哀しく美しい君”で三度目のフェスティバル・バールと夏のディスク・フェスティヴァルに出場しました。フェスティバル・バールで優勝しました。夏のディスクはコンクール形式を止め、音楽ショーとなったため順位は有りません。 この曲は週間ランキングで№1ヒット、年間ヒット・ランクでは第2位のメガヒットとなり、彼の代表作となります。ファースト・アルバム「Gianni Bella – Sogni Di Un Robot」も発売されました。このアルバムは76年年間ベスト・セラー42位になっています。 81254(DBR) (1976年 Derby – CBS Sugar) Gianni Bella – Sogni Di Un Robot1.Non Si Può Morire Dentro (哀しく美しい君) 2.Vivrò Vivrai 3.Sole Nell'Anima 4.I Sogni Di Un Robot 5.Più Ci Penso (渇き) 6.Oh! Mama 7.Guarda Che Ti Amo (愛すると知って) 8.Eppure Più Bella 9.T'Amo 81254(DBR) 77年”僕は歌う、そして君は...”でフェスティバル・バール(ゲストで)と夏のディスクに連続出場をします。曲はこの年も年間ヒット・ランク43位の大ヒットでした。 DBR-5255 (1977年 Derby – CBS Sugar) Io Canto E Tu (僕は歌う、そして君は...)/Me Ne Andrò (去り行く愛の詩)DBR-5255 82150(DBR) 82150(DBR) (1977年 Derby – CBS Sugar) Gianni Bella – Io Canto E Tu1.Sirene (シレーヌ)2.Pane Caldo (熱いパン(つかのまに燃えて))3.L'Equilibrista (哀しみのピエロ(道化師))4.Io Canto E Tu (僕は歌う、そして君は...)5.Me Ne Andrò (去り行く愛の詩)6.Sei (君)7.Io Canto E Tu (Strumentale) (僕は歌う、そして君は...(演奏)) 一連のヒットでセカンド・アルバム「Gianni Bella – Io Canto E Tu」が制作されました。これは83年日本でも国内盤「僕は歌う、そして君は... (IO CANTO E TU)」として発売されました。 2枚しかアルバムを出していませんが、編集ベスト盤「Ritratto Di Gianni Bella」も発売されます。 RB- 74 (1977年 Record Bazaar –CGD Messaggerie Musicali) Ritratto Di Gianni Bella1.Non Si Può Morire Dentro (哀しく美しい君) 2.Vivrò Vivrai3.Sole Nell'Anima4.I Sogni Di Un Robot5.Io Canto E Tu (僕は歌う、そして君は...)6.Più Ci Penso (渇き)7.Oh! Mama8.Guarda Che Ti Amo (愛すると知って)9.Eppure Più Bella10.T'AmoRB- 74 CGD-10091 CGD-10091 (1978年 CGD – CGD Messaggerie Musicali) No/Sei (君) 77年後半、CGDは提携していた米CBSが提携を解消し,独立イタリア法人を設立したため、大きな改変があり、ジャンニ・ベッラは親レーベルCGDの所属となります。 78年も”No”で夏のディスクに出場しました。連続出場も5回で途切れます。年間ヒット・ランクは39位、安定したヒットを出してその地位を確保していきました。 78年、ヒット曲”No”を収録したサードアルバム「Toc Toc」を出しました。 CGD-20105 (1978年 CGD – CGD Messaggerie Musicali) Toc Toc1.Toc Toc2.Amico Gay3.No4.Basta5.Dolce Luna (Parte 1a)6.Dolce Luna...Dormi7.Dolce Luna (Parte 2a) [マルチェラ]CGD-20105 CGD-10131 CGD-10131 (1978年 CGD – CGD Messaggerie Musicali) Toc Toc/Basta アルバム・テーマ“Toc Toc“をシングル・カットし、この曲は翌79年間ヒット・ランク96位になっています。 79年は2枚目の編集ベスト盤のみになります。 RB- 213 (1979年 Record Bazaar –CGD Messaggerie Musicali) In Compagnia Di...Gianni Bella1.Sirene (シレーヌ)2.Pane Caldo (熱いパン(つかのまに燃えて))3.L'Equilibrista (哀しみのピエロ(道化師))4.Io Canto E Tu (僕は歌う、そして君は...)5.Me Ne Andrò (去り行く愛の詩)6.Sei (君)7.No RB- 213 CGD-20222 (1980年 CGD – CGD Messaggerie Musicali) Gianni Bella – Dolce Uragano1.Dolce Uragano2.Agati'3.Sabato4.Jesus Christ5.Quando Mi Sposerò6. Innamorarsi (愛し合って...)7.Fondersi8.Al Ladro9.Chi Dorme PiùCGD-20222 CGD-10273 CGD-10273 (1980年 CGD – CGD Messaggerie Musicali) Dolce Uragano/Fondersi 4枚目のアルアム「Dolce Uragano」を80年に出し、シングル・カットした”Dolce Uragano”でフェスティバル・バールと夏のディスクに出場、曲は年間ヒット・ランク31位になります。 81年サンレモ音楽祭に”Questo Amore Non Si Tocca”で初出場、年間ヒット・ランク60位です。5枚目になるアルバム「Questo Amore...」を出します。 CGD-20245 (1981年 CGD – CGD Messaggerie Musicali) Gianni Bella – Questo Amore...1.Dolce Uragano2.Agatì3.Sabato4.Al Ladro5.Quando Mi Sposerò6.Questo Amore Non Si Tocca7.Innamorarsi (愛し合って...)8.Fondersi9.Jesus Christ10.Chi Dorme PiùCGD-20245 CGD-10316 CGD-10316 (1981年 CGD – CGD Messaggerie Musicali) Questo Amore Non Si Tocca/Agatì 82年は何も出さず、83年変則的な発売になります。アルバム6枚目の「G.B.1 Nuova Gente」はRCAイタリアーナ傘下のアヴェントゥーラから、テーマ曲”Il Patto”のシングル盤はCGDから出ています。 アルバムは83年年間ベスト・セラー94位になります。 ZPLAV-34188 (1983年 Avventura – RCA ITALIANA) Gianni Bella – G.B.1 Nuova Gente74321-95385・2 (2002年RCA – BMG Italy) CD Gianni Bella – G.B.1 Nuova Gente1.Io Signore2.Fiocco Rosso3.Perirò4.La Vela5.Il Patto6.Nuova Gente [ミア・マルティーニ]]7.Giurai Prudenza8.Può Darsi ZPLAV-34188 74321-95385・2 CGD-10467CGD-10467 (1983年 CGD – CGD Messaggerie Musicali) Il Patto/Fiocco Rosso ジャンニ・ベッラは独立してアヴェントゥーラ・レーベルの所属になったようです。CGDから3枚目の編集ベスト盤が発売されました。 RB- 379 (1983年 Record Bazaar – CGD Messaggerie Musicali) Gianni Bella – Prima Dell'Avventura1.Toc Toc2.Agati3.Questo Amore Non Si Tocca4.Sabato5.Dolce Luna Dormi6.Dolce Uragano7.Jesus Christ8.Chi Dorme Più9.Amico Gay10.Innamorarsi (愛し合って...) RB- 379 ジャンニ・ベッラの国内盤SR- 874 (1974年8月 SEVEN SEAS - . キング) 愛をたずねて/サン・ヴァンサンカン音楽祭 (ST. VINCENT FESTIVAL)9.渇き (PIU' CI PENSO) SR- 874 SR- 879 SR- 879 (1975年4月 SEVEN SEAS - . キング) 1974~5ロ-マTVフェスティヴァル (1974-1975 ROMA TV FESTIVAL)5.愛すると知って (GUARDA CHE TI AMO) GP- 382 (1975年9月 SEVEN SEAS - . キング) サン・ヴァンサン音楽祭/夏のディスク・フェスティヴァル1975 (ST. VINCENT FESTIVAL)15.オー・ママ (OH MAMA) GP- 382 GXC- 5~6 GXC- 5~6 (1977年2月 SEVEN SEAS - . キング) ネグロ・炎・別離のロ-マ空港/イタリアン・ポップスの新星たち (NEGRO/NESSUNO MAI/VOLO AZ504 - ITALIAN POPS ALL STARS)1-5.哀しく美しい君 (NON SI PUO' MORIRE DENTRO)1-6.渇き (PIU' CI PENSO) GP- 520 (1977年12月 SEVEN SEAS - . キング) 恋するフェミ-ナ/マルチェラ (FEMMINA/MARCELLA)1.ふたりの旅路 (ANDARE) [マルチェラ と ジャンニ・ベッラ] GP- 520 K22P- 368 K22P- 368 (1983年7月 SEVEN SEAS - . キング) 僕は歌う、そして君は... (IO CANTO E TU)1.シレーヌ (SIRENE)2.熱いパン (PANE CALDO)3.哀しみのピエロ (L'EQUILIBRISTA)4.僕は歌う、そして君は... (IO CANTO E TU)5.去り行く愛の詩 (ME NE ANDRO')6.君 (SEI)7.僕は歌う、そして君は...(演奏) (IO CANTO E TU <INSTRUMENTAL>) ジャンニ・ベッラ2は1990年サンレモ音楽祭の後に続きます
2023.07.20
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★フィオレッラ・マンノイア(vf) Fiorella Mannoia1954年4月4日 (2月生まれ説もあり)、ローマ生、歌手。 活動期間:1968年 – 現在所属レコード会社:Carisch, It, RCA Italiana, Dischi Ricordi, CGD, Ariston, DDD, Sony Music, Oyàサンレモ音楽祭出場5回:1981年入賞、84年14位、87年8位、88年10位、2017年第2位、オフィシャルサイト: フィオレッラ・マンノイアはシチリアの出稼ぎだった父ルイジ・マンノイア(Luigi Mannoia)とローマの北130kmにあるウンブリア州(州都はペルージャ)出身の母の娘として1954年にローマで生まれました。 芸能活動の開始は、68年ダニエレ・ダンツァ(Daniele D'Anza)監督のTVミニ・シリーズ・マカロニ・ウェスタン番組「”NON CANTARE, SPARA」で歌手、女優のルチア・マンヌッチ(LUCIA MANNUCCI)のスタント・ウーマン(身代わり代役)として父や兄マウリツィオ(MAURIZIO)、姉パトリツィア(PATRIZIA)と一緒に働きだしでした。 同年10月にカストロ・カーロ新人コンテストに出場します。歌った曲は68年サンレモ音楽祭でドン・バッキー(DON BACKY)が歌う予定で作った”カンツォーネ(CANZONE)”親分アドリアーノ・チェレンターノ(ADRIANO CELENTANO)が横取りし、出したシング盤B面曲” ライオンに向かう若者(UN BIMBO SUL LEONE)”でした。 LL- 2155・NC(1968. 5.25 COLUMBIA INTERNATIONAL - 日本コロムビア)“カンツォーネ(CANZONE)/ライオンに向かう若者(UN BIMBO SUL LEONE)” LL- 2155・NC カストロ・カーロ新人コンテストでは優勝できませんでしたが、名門カリッシュ・レコード(68年当時は老舗ドイツ系のオデオンやパーラフォンの販売権をEMIに取られ、没落会社でしたが)と2年契約ができ、レコード歌手デビューすることが出来ました。 わずか14歳の少女歌手フィオレッラとして” Ho Saputo Che Partivi/Le Ciliege”でスタートを切りました。 VCA-26201 (1968年 CARISCH – CARISCH,Italy) Ho Saputo Che Partivi/Le Ciliege VCA-26201 VCA-26205 VCA-26205 (1969年 CARISCH – CARISCH,Italy) Gente Qua, Gente Là/Occhi Negli Occhi 翌69年夏のディスク・フェスティヴァル(UN DISCO PER L'ESTATE)に”Gente Qua, Gente Là”で出場しましたが、本選には進めませんでした。 同年多くの新人歌手のデビューが辿る道筋でしたが、2年契約3枚目のシングル盤”Mi Piace Quel Ragazzo Lì”を出して終了となりました。 VCA-26208 (1969年 CARISCH – CARISCH,Italy) Mi Piace Quel Ragazzo Lì/Occhi Negli OcchiVCA-26208 ZT- 7022 ZT- 7022 (1971年11月 IT –RCA ITLIANA) Ore Sei/Mi Gira La Testa* (以降[*]印はメンモ・フォレシが作曲した曲) 70年カンタウトゥーリ、作曲家、レコード・プロデューサーのメンモ・フォレシ(Memmo Foresi)と巡り合い、ヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)がRCAイタリアーナの為に作った新人育成レーベル、イト(It)からフォレシのプロディースで“Ore Sei”/“Mi Gira La Testa”のシングル盤を出しました。この頃からフィオレッラ・マンノイアとメンモ・フォレシの恋愛関係は始まっていたと思われます。 彼女は一方70年代初頭、いくつかのマカロニ・ウェスタン映画に端役ですが出演をしていました。何れも日本での公開はなかった映画と思われますが72年「UNA COLT IN MANO AL DIAVOLO」、73年“E IL TERZO GIORNO ARRIVO’ IL CORVOと“SEI BOUNTY KILLERS PER UNA STRAGE”でした。 72年フォレシは彼女を前面に立てたマンノイア・フォレシ&カンパニーとしてRCAイタリアーナから同名のファースト・アルバムでメジャー・デビューをさせます。彼女への愛の証であったと思われます。 PSL-10559 (1972年9月RCA –RCA ITLIANA) Mannoia Foresi & co. (come Mannoia Foresi & co. (Fiorella Mannoia, Memmo Foresi))1.Prologo (Ma Quale Sentimento*)2.Labirinto**3.Volo*4.La Caduta*5.Il Filo Di Arianna*6.Povertà D'Amore*7.Che Cos'È*8.Libertà*9.Non È Vero*10.Se Mi Davi Retta*PSL-10559 PM-3680 PM-3680 (1972年10月RCA –RCA ITLIANA) Ma Quale Sentimento* (Prologo)/Che Cos'È* ファースト・アルバムから”Ma Quale Sentimento* (Prologo)”をシングル・カットしました。 74年シングル盤を”Ninna nanna”/”Rose”を出しましたが、歌詞の内容が検閲の対象となり変更して発売となります。 TPBO-1084 (1974年RCA –RCA ITLIANA) Ninna Nanna*/Rose* TPBO-1084 この後、76年にフィオレッラ・マンノイアとメンモ・フォレシもリコルディに移籍しました。 SRL-10・818 (1976年RICORDI – DISCHI RICORDI) Piccolo/Che sete ho*SRL-10・818 SRL-10・819 SRL-10・819 (1976年RICORDI – DISCHI RICORDI) Saremo Di Più/Camminando [Memmo Foresi] リコルディに移籍したメンモ・フォレシの出したシングル盤のレコード番号はフィオレッラ・マンノイアの次の番号で、二人がセットで移籍したとしか思えません。フォレシはマンノイアへの楽曲の提供とプロディースが続きます。ただリコルディではセクシー歌手としてセールス・プロモーションを展開し、彼女にとっては相当の軋轢となっていったようです。 77年のシングル盤両面の作曲家のクレジットがシッラ・フォレシ(Silla Foresi)となっており、この名前はオルネラ・ヴァノーニ(ORNELLA VANONI)のアルバム「ヴァノーニ讃歌(PIU'」に収録されている”闇に消えゆく愛(TU CHI SEI? (CHE COSA VUOI DA ME)”にしか見ることが出来ず、メンモ・フォレシの変名かも知れないと思っています。 SRL-10・842 (1977年RICORDI – DISCHI RICORDI) Tu Amore Mio / Viva SRL-10・842 SRL-10・881 SRL-10・881 (1978年RICORDI – DISCHI RICORDI) Scaldami/Cover Girl* 78年フォレシのプロデュース(B面曲も彼の作曲)で“Scaldami”これも不発で終わりました。 2年後CGDに移籍します。CGDでの最初の仕事は今までにした事のない、他の歌手のアルバム制作に参加し、デュエットすることでした。仕事の相手はピエランジェロ・ベルトーリ(Pierangelo Bertoli)です。70年代前半から出てきた(現代の吟遊詩人的)フォーク系カンタウトゥーリでしかも車椅子歌手でもありました。 76年CGDでメジャー・デビューしてアルバム制作したのですが、会社の方針に沿わず、自分の方針に固執して軋轢を生じていました。CGDとしても扱いに困っていたのですが、歌手を引退したカテリーナ・カセルリ(CATERINA CASELLI)が起ち上げたプログレッシブ・レーベルのアスコルト(Ascolto)に彼を委ねて4作目のアルバム制作でした。 軋轢を抱えた二人のデュエットは”漁師(PESCATORE)”のみでしたが、会心の出来でベルトーリ、マンノイア双方の評判をあげる曲となりました。 ASC-20233 (1980年ASCOLTO – CGD MESSAGERIE MUSICALI) PIERANGELO BERTOLI/CERTI MOMENTI1.CENT'ANNI DI MENO2.CANZONCINA3.PESCATORE (漁師)4.FER L'AMAUR5.I POETI6.IN FONDO7.CERTI MOMENTI8.RIFLUSSO9.E POI 3フィオレッラ・マンノイア (FIORELLA MANNOIA) と ピエランジェロ・ベルト-リ (PIERANGELO BERTOLI)ASC-20233 CGD-10318 CGD-10318 (1981年2月CGD – CGD MESSAGERIE MUSICALI) Caffè Nero Bollente (沸いたブラック・コーヒー)/Meno Male Che Il Temporale Sta Passando* こうしてフィオラッラ・マンノイアは81年サンレモ音楽祭の出場権を得て、かなり大胆で挑発的な歌詞が特徴の曲である“Caffè Nero Bollente (沸いたブラック・コーヒー)”で初出場しました。結果は入賞(順位なし)で、年間ヒット・ランクには入りませんでしたが、週間ランキング最高位40位(在位10週間)とマンノイア初のヒット曲となりました。 81年2枚目のシングル”E Muoviti Un Po'”はファスティヴァル・バール出場曲です。彼女のジャケット写真は笑顔で写っていることがないにですが、この頃はまだ葛藤を抱えていたのか、非常に厳しい表情で写っています。 CGD-10340 (1981年CGD – CGD MESSAGERIE MUSICALI) E Muoviti Un Po'/E Muoviti Un Po'CGD-10340 CGD-10475 CGD-10475 (1983年CGD – CGD MESSAGERIE MUSICALI) Il Posto Delle Viole*/Torneranno Gli Angeli 83年メンモ・フォレシが作曲した“Il Posto Delle Viole”をA面にしたシングル盤をマリオ・ラヴェッツィ(Mario Lavezzi))がプロディースして発売されました。 この曲を収録したマンノイア2枚目(ソロ歌手としては初)のアルバムも出されました。メンモ・フォレシが作った曲が3曲、プロディースしたマリオ・ラヴェッツィの曲が4曲と言う割合でした。フォレシがマンノイアに曲を提供したのはこれが最後となりました。 CGD-20357 (1983年 CGD - CGD MESSAGERIE MUSICALI) Fiorella Mannoia5054197104404 (2021年Atlantic – WARNER MUSIC ITALY) Fiorella Mannoia1.Torneranno Gli Angeli2.Non Si Possono Correre Rischi*3.Ma Sarà Vero4.L'Altra Faccia Della Luna5.Dimmi Di No*6.Il Posto Delle Viole*7.Bella Giovenitù8.Canzone Leggerissima9.Atlantide Non Vedrò10.Canto ControCGD-20357 5054197104404 フィオレッラ・マンノイアは84年サンレモ音楽祭出場を機に、レコード会社をアリストンに移籍し、プロディーサーもマリオ・ラヴェッツィに変更します。 メンモ・フォレシとの恋愛関係も80年代後半に入る頃には終焉を迎え、フォレシは音楽業界から引退します。 フィオレッラ・マンノイアは84年サンレモ音楽祭出場曲“愛はあなたのために(Come Si Cambia)”が14位入賞ながら、彼女が『歌うことが私の仕事になっていることを実感させてくれた作品でした。そして何よりも、私の使命は感情の糸に触れることであることを理解しました』と発言するように、より一層スケールの大きな歌手に成長していきます。 フィオレッラ・マンノイアの国内盤DQCP-3556~60 (2019年5.月15日) 5CD Box 小さな村の物語イタリア音楽選集~イタリアン・ポップスとカンツォ-ネ100曲/逢いびき~美しき1日のために (LA VITA DEI PIOLI ORGHI D'ITALIA)1-19.女の子が決して言わないこと (女たちの時代) (QUELLO CHE LE DONNE NON DICONO)3-16. 漁師 (IL PESCATORE) DQCP-3556~60 フィオレッラ・マンノイア2は1984年サンレモ音楽祭の後に続きます
2023.07.15
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今回と同じようなブログ「その間、何をしていたか?」(2019/08/15)のようなことをしていました。と言っても外付けHDDが故障していたわけでありません。が、昨年末買った新しいPCがネットに繋がらなくなってます。古いPCが慣れているのでそちらばかり使っているので問題は有りません。 イタリアのカンツォーネのアナログ盤をヤフオクで売りながら、一方でカンツォーネのレコードを集めている一環として、日本人がカヴァーしている盤も集めていました。その辺りの事はブログ「その間、何をしていたか?」(2019/08/15)をお読みください。 それで私の”古希記念事業”として「古希Pops '50's」を作っていたのです。そして従兄弟、友達連中配ったのですが、私の従弟から60年代の日本人カヴァー集を出して欲しいと言われていました。 60年代は日本語カヴァー・ポップス花盛りの年代で上・中・下巻くらいは軽くできそうで、またレアの曲は中古市場で法外な値段が付いて集めるのは困難?だと想像できます。それらを音楽ファイルに落とし、焼込んでいく作業も大変なのですが、それ以上に大変なのはどの歌手でどの曲を選ぶか、出来る限り多くの歌手を入れたいし、人気のある曲はダブるし、欲しいレア曲は日本語で歌ってないし、と言う事になります。 前に組んだ50年代も今回の70年代も共通する事は男性歌手が日本語カヴァーを歌っている曲が少ないことでした。 さて60年代を飛び越え70年代を先に作ったもう一つの理由があります。この春、私より5才年上の従兄が亡くなりました。その追悼でこのアンソリジーを組むことにしました。 70年代(一部60年代後半も含む)は彼にとって社会に出て、第一線に立って働き始めた時期であり、我々年下の者も学生から社会に出る10年強は”人生夏の時代”でした。彼が夏、車の窓を開け、風を感じながらカー・ラジオから流れていたであろう曲を聞いていただろうと思い巡らしながら、選曲してみました。 全体としてタイトル曲”追憶”のイメージで、ジャケット、レーベルにはバーブラ・ストライザンド主演映画「追憶」の画像を流用しました。 06SP- 64 SOPB- 266 添付のリーフレット表紙(裏表) 収録曲を紹介していきます。 Disc 201)ラヴ[日](LOVE [J]) [1970・1980: ジョン・レノン (vm=e)]:倍賞 千恵子 (vf=j) SKA- 130SKA- 130 16Y- 2 02)青春の光と影[日](BOTH SIDES NOW [J]) [1969ジュディ-・コリンズ (vf=a)]:森山 良子(vf=j) 16Y- 2 03)ある愛の詩[日] (LOVE STORY [J]) [1971フランシス・レイ楽団 (am,orch=f)]:三田 明 (vm=j) SJX- 78SJX- 78 CM- 1003~4 04)雨にぬれても [日] (RAINDROPS KEEP FALLIN' ON MY HEAD [J]) [1970ビリ-・J.ト-マス (vm=a)]:岸 洋子 (vf=j) CM- 1003~4 05)バラはあこがれ[日](L'IMPORTANT C'EST LA ROSE [J]) [1970ジルベ-ル・ベコ- (vm=f)]:上条 恒彦 (vm=j) SKD-1008SKD-1008 ALR- 6024 06)愛の歴史(ミスター・サマータイム)[日](UNE BELLE HISTOIRE Mr. SUMMERTIME [J])) [1973ミシェル・フュガン (mv=f)]: サーカス (coro=j) ALR- 6024 07)あまい囁き(あまいささやき)[日] (PAROLE PAROLE [J]) [1972ミ-ナ (vf) と アルベルト・ル-ポ (vm)]:安奈 淳 (vf=j) と 鳳 蘭 (vf=j) AX-8001AX-8001 C28A- 0382 08)セイリング[日] (SAILING [J]) [1975ロッド・スチュワ-ト (vm=e)]:木の実 ナナ(vf=j),細川 俊之 (vm=j) C28A- 0382 09)アドロ[日・西](ADORO [J・ES]) [1969: 1973フランク・プ-ルセル楽団 (orch=f)]:沢 たまき (vf=j) SJV-5042~3SJV-5042~3 ETP-72268 10)あなたの瞳に誘われて (遠くからみちびいて)[日] (YOU TURN ME AROUND [J]) [1978シェリル・ラッド (vf=a)]:ハイ・ファイ・セット (coro=j) ETP-72268 11)クロコダイル・ロック[日](CROCODILE ROCK [J]) [1972エルトン・ジョン (vm=e)]:草刈 正雄 (vm=j) L- 8089・RL- 8089・R RVS-1172 12)YOUNG MAN(Y.M.C.A.) [日]((Y.M.C.A. [J]) [1979ヴィレッジ・ピープル (compl=a)]:西城 秀樹 (vm=j)RVS-1172 13)哀しみのシンフォニー (愛よ永遠に) [日](CARO MOZART (SYMPHONY No.40 FIRST MOVEMENT) [J]) [1971ワルド・デ・ロス・リオス (orch=sp);1972シルヴィ・バルタン (vf=f)]:奥村 チヨ (vf=j) TP- 8207TP- 8207 JRS-7291 14)ラスト・ワルツ[日] (THE LAST WALTZ [J]) [1967エンゲルベルト・フンパ-ディンク (vm=e);ミレイユ・マチュ- (vf=f)]:前川 ひろし、内山田 洋とクールファイブ (coro=j) JRS-7291 15)うつろな愛[日](YOU'RE SO VAIN [J]) [1973カ-リ-・サイモン (vf=a)]:夏木 マリ (vf=j) KICS- 8084KICS- 8084 NCS-101110 16)シー・ビリーヴズ・イン・ミー (愛を信じて)[日] (SHE BELIEVES IN ME [J]) [1979ケニー・ロジャース (vm=a)]:松崎 しげる (vm=j) NCS-101110 17)ザ・ウィナー[日](THE WINNER TAKES IT ALL [J]) [1980アバ (compl=sw)]:梓 みちよ (vf=j) 28AH-137028AH-1370 KICS- 334 18)僕の歌は君の歌 (君へのLove Song)[日] (YOUR SONG [J]) [1971エルトン・ジョン (vm=e)]:島田 歌穂 (vf=j) KICS- 334 19)マイ・ウェイ[日](MY WAY (COMME D'HABITUDE)[J]) [1967クロ-ド・フランソワ (vm=f); 1969;1975フランク・シナトラ (vm=a): ポ-ル・アンカ (vm=ca)]:布施 明 (vm=j) SKW- 47~8SKW- 47~8 JRS-7142 20)時計をとめて[日] (EL RELOI [J]) [1971トレス・カバジェロス、{ロス・}(trio=mx)]:あおい 輝彦 (vm=j) JRS-7142 21)イエスタデイ・ワンス・モア[日](YESTERDAY ONCE MORE [J]) [1973: カ-ペンタ-ズ (duo=a)]:青江 三奈 (vf=j) SJV- 683~4 SJV- 683~4 Disc 1に比べると少し大人ッポい曲が多いかもしれません。やはりロック系の曲は草刈正雄の歌ったエルトン・ジョンの“クロコダイル・ロック”がやっとでした。外国のロック・バンドの曲をコンサート会場で演奏することはあっても、スタジオ録音の日本語カヴァー盤と言うのはほぼあり得ないと思います。(時間のある時に探してみることはしますが) 60年代のカヴァー曲はレコード会社別に編集されたアンソロジーがあったり、カヴァーを売りにしたヴィ-ナスなどのグループが出したりと盛んですが、80年代の方は私の見付けたCDでは↓ UICZ-8040 (2008年 3月26日 UNIVERSAL - ユニバーサルミュージック合同 ) CD 懐カヴァ●邦楽ヒットの洋楽カヴァー集● UICZ-8040 ディスコ系ダンス・ミュージックのカヴァを石井明美、森川由加里、麻倉未稀、荻野目洋子、小林麻美たちが歌っています。またもや男性歌手の影すらみえません。多分洋楽カヴァーは80年代で終わり、90年代にはレア・ケースとなっているのかも知れません。その辺りの事はこれから、探しつつ分かっていくことだと思います。 最後に1970年代洋楽曲カヴァー集で削らざるを得なかった曲たちを紹介しておきましょう。 選曲は元曲、日本人歌手も懐かしいビッグ・ネームを選んでいます。まず候補は約200曲、1歌手1曲(但しデュエット、グループは2曲まで)とし、50曲以下まで絞込み45曲にしました。 簡単な計算上では収容可能と思っていましたが、焼付けの段階でDisc1、2の各1曲の削除を余儀なくされました。加藤登紀子,長谷川 きよしの”灰色の瞳 [日]”と西島三重子の”風のささやき [日]”でした。 ・灰色の瞳 [日] (AQUELLOS OJOS GRISES [J]) [1974:ウニャ・ラモス] 加藤登紀子(vf=j),長谷川 きよし(vm=j) DR-1844DR-1844 CA32- 1553 ・風のささやき [日] (THE WINDMILLS OF YOUR MIND [J]) [1969ノエル・ハリソン (vm=e)] ;西島 三重子 (vf=j) CA32- 1553 そしてCD音源の曲で音量のレベルが合わなかったので曲を差換えたのが奥村チヨ(” オ-・シャンゼリゼ”→ 哀しみのシンフォニー (愛よ永遠に) [日])、媒体変更CD(DYCS-1243→VIH- 1041)でアナログ・シングル盤を使ったのが伊東ゆかりでした。 ・オ-・シャンゼリゼ [日] (LES CHAMPS-ELYSEES [J]) [1969ジョ-・ダッサン (vm=f);1971ダニエル・ビダル (vf=f)]:奥村 チヨ (vf=j) CDSOL-1378CDSOL-1378 DYCS-1243 ・あなたしか見えない[日]( 激しくは泣かない) (DON'T CRY OUT LOUD [J]) [1979メリサ・マンチェスター (vf=a);リタ・ク-リッジ (vf=a)];伊東 ゆかり (vf=j) DYCS-1243(DQCL-3669) 最終段階での絞込みで私のテリトリーであるカンツォーネのカヴァー曲と趣旨からして80年代前半の曲を外しました。カンツォーネのカヴァー曲はいつかソレのみで、作りたいと思っています。 ・哀しみのソレア-ド(再会)[日](SOLEADO [J]) [1974ダニエル・センタクルス・アンサンブル (compl)] 加茂 さくら (vf=j) CWA- 324CWA- 324 EPCE- 2012 ・ ケ・サラ [日] (CHE SARA' [J]) [1971リッキ&ポーヴェリ (coro),ホセ・フェリシアーノ]:内藤 やすこ (vf=j) と 因幡 晃 (vm=j) EPCE- 2012 ・アイ・ライク・ショパン(雨音はショパンの調べ) [日] (I LIKE CHOPIN [J]) [1984ガゼボ (vm)]:松任谷 由実 (vf=j) TOCT-25400TOCT-25400 28AH-1760 ・ルナティック(月光のパラノイア) [日](LUNATIC [J]) [1984ガゼボ (vm)]:小林 麻美 (vf=j) 28AH-1760 最後となりました、日本のベテラン・シャンソン歌手の方も削らざるを得ませんでした。 ・神の思いのまゝに (レッツ・イット・ビ-・ミ-)[日] (JE T'APPARTIENS (LET IT BE ME)[J]) [1971ジルベ-ル・ベコ- (vm=f)]:深緑 夏代 (vf=j) JDX-7070JDX-7070 TP- 2469 ・コンドルは飛んで行く [日] (EL CONDOR PASA [J]) [1970サイモン & ガ-ファンクル (duo mm=a)]越路 吹雪 (vf=j) TP- 2469 音楽ファイルでなくMP3のデータ・ファイルの拡大版か続編もあるか!と思っております。
2023.07.10
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(2023年)7月2日でヤフオクの映画音楽シングル盤(1枚だけLP)の出品を終了しました。今回は東芝(東京芝浦電気~東芝EMI)、ビクターのビクター・ワールド・グループ、ビクター・フィリップス・グループ(後継の日本フォノグラムを含む)の出品でした。 特に原盤イタリアのカム(CAM)を集中して出してみました。落札率は44.63%で半数以上が『売れ残り』となりましたが、”ブーベの恋人”、アリダ・ケッリの”死ぬほど愛して~刑事”のヴァージョン違いが多かったので、仕方がない数字でしょう。 世の中、数字に拘り過ぎると「碌なことはない」ので気にしないことにしましょう。マイ・ナンのトラブルも数字に拘り過ぎて『大切なもの』を忘れてしまったのが原因のような気がします。 ところで、ブログの方が随分疎かになってしまいました。「サンレモの歌手たち」の1981年出場歌手紹介もフィオレッラ・マンノイア (Fiorella Mannoia)とジャンニ・ベッラ(Gianni Bella)未稿で、81年年次出場曲のコンピレーションを書いて締め括らないといけません。82年の事はその後に考えましょう。 ヤフオクへの出品は夏の期間を避けましょう。熱に弱い塩ビ盤が配達されるまで、暑い倉庫の中にあることを想像するだけでゾっとします。 話は変わりますが、今回と同じようなブログ「その間、何をしていたか?」(2019/08/15)のようなことをしていました。と言っても外付けHDDが故障していたわけでありません。が、昨年末買った新しいPCがネットに繋がらなくなってます。古いPCが慣れているのでそちらばかり使っているので問題は有りません。 イタリアのカンツォーネのアナログ盤をヤフオクで売っていますが、昔はカンツォーネを集めながら、一方で日本人がカンツォーネを歌っているカヴァー盤も集めていました。その辺りの事はブログ「その間、何をしていたか?」(2019/08/15)をお読みください。 それで4年前ですが、私の”70才記念事業”として「古希Pops '50's」を作っていたのです。そして従兄弟、友達連中配ったのです。すぐに私の従弟から60年代の日本人カヴァー集を出して欲しいと言われていました。 60年代は日本語カヴァー・ポップス花盛りの年代で上・中・下巻くらいは軽くできそうで、またレアの曲は中古市場で法外な値段が付いて集めるのは困難?だと想像できます。それらを音楽ファイルに落とし、焼込んでいく作業も大変なのですが、それ以上に大変なのはどの歌手でどの曲を選ぶか、出来る限り多くの歌手を入れたいし、人気のある曲はダブるし、欲しいレア曲は日本語で歌ってないし、と言う事になります。 前に組んだ50年代も今回の70年代も共通する事は男性歌手が日本語カヴァーを歌っている曲が少ないことでした。 さて60年代を飛び越え70年代を先に作ったもう一つの理由があります。この春、私より5才年上の従兄が亡くなりました。その追悼でこのアンソリジーを組むことにしました。 70年代(一部60年代後半も含む)は彼にとって社会に出て、第一線に立って働き始めた時期であり、我々年下の者も学生から社会に出る10年強は”人生夏の時代”でした。 彼が夏、車の窓を開け、風を感じながらカー・ラジオから流れていたであろう曲を、聞いていただろうと思い巡らしながら、選曲してみました。 全体としてタイトル曲”追憶”のイメージで、ジャケット、レーベルにはバーブラ・ストライザンド主演映画「追憶」の画像を流用しました。 SOPB- 266 06SP- 64 添付のリーフレット表紙(裏表) ※リーフレット用にバーブラ・ストライザンド主演の映画「追憶」の使えそうなジャケット画像(映画のポスターの画像も)を探したのですが、殆んどが左側の冬ヴァージョンで、特に今回のカヴァー集は夏のイメージで作ったので再発シングル盤のジャケットに使われた夏ヴァージョンが見つかって助かりました。 選曲は元曲、日本人歌手も懐かしいビッグ・ネームを選んでいます。まず候補は約200曲、1歌手1曲(但しデュエット、グループは2曲まで)とし、50曲以下まで絞込み45曲にしました。 しかし焼付けの段階でDisc1、2で各1曲の削除を余儀なくされました。加藤登紀子,長谷川 きよしの”灰色の瞳 [日]”と西島三重子の”風のささやき [日]”でした。音楽ファイルでなくMP3のデータ・ファイルの拡大版もあるか!と思っております。 収録曲を紹介していきます。 Disc 101)追憶 [日] (THE WAY WE WERE [J]) [1974 バ-ブラ・ストライザンド (vf=a)]:佐良 直美 (vf=j) GX- 11GX- 11 SOND-66074 02)悲しき天使 [日](THOSE WERE THE DAYS [J]) [1968メリ-・ホプキン (vf=e)]:南 沙織 (vf=j) SOND-66074 03)メロディ・フェア(小さな恋のメロディ)[日](MELODY FAIR [J]) [1971ビ-・ジ-ズ (compl=e)]:野口 五郎(vm=j) MR-2210MR-2210 GAM-1001 04)愛するハーモニー[日](I'D LIKE TO TEACH THE WORLD TO SING [J]) [1972ザ・ニュ-・シ-カ-ズ (compl=au)]; 麻丘 めぐみ (vf=j) GAM-1001 05)白いバラ [日](LADY D'ARBANVILLE [J]) [1970キャット・スティ-ヴンス (vm=e)]:岩崎 宏美 (vf=j) SJX-20112SJX-20112 ETP-72228 06)フィーリング[日](FEELINGS [J]) [1975モーリス・アルバート (vm=br)]:ハイ・ファイ・セット (coro=j) ETP-72228 07)ウィザウト・ユー[日] (WITHOUT YOU [J]) [1972ニルソン {ハリー・ニルソン} (vm=a)]:木の実 ナナ(vf=j),細川 俊之 (vm=j) C28A- 0382C28A- 0382 SOLJ- 81 08)やさしく歌って[日](KILLING ME SOFTLY WITH HIS SONG [J]) [1973ロバ-タ・フラック (vf=a)]:金井 克子 (vf=j) SOLJ- 81 09)別れの朝 (夕映えの二人)[日] (THE MUSIC PLAYED [J]) [1969ウド・ユルゲンス (vm=ou)]:前野曜子、ペドロ&カプリシャス (compl=j) L- 6054・AL- 6054・A SV-2532 10)ビューティフル・サンデー[日] (BEAUTIFUL SUNDAY [J]) [1972 :1976ダニエル・ブ-ン (vm=e)]:田中 星児 (vm=j) SV-2532 11)涙のくちづけ[日](SEALED WITH KISS [J]) [1962ブライアン・ハイランド (vm=a);1969レタ-メン (coro=a);1972ボビ-・ヴィントン (vm=a)]:郷 ひろみ (vm=j) SOLJ- 43SOLJ- 43 38AH- 11~2 12)シュガー・ベイビー・ラヴ[[日](SUGAR BABY LOVE [J]) [ 1974ルベッツ (compl=e)]:キャンディーズ (coro=j) 38AH- 11~2 13)故郷へかえりたい(カントリー・ロード) [日] (TAKE ME HOME, COUNTRY ROADS [J]) [1971ジョン・デンバ- (vm=a); オリヴィア・ニュ-トン=ジョン (vf=au)]:伊藤 咲子 (vf=j) TP-72231TP-72231 TP- 4320 14)さよならを教えて(涙が微笑みにかわるまで)[日] (COMMENT TE DIRE ADIEU)(IT HURTS TO SAY GOODBYE [J])) [1967ヴェラ・リン (vf=e);1973フランソワ-ズ・アルディ (vf=f)]:小川 知子 (vf=j) TP- 4320 15)みんな一人ぼっち (二人だけ)[日](WE'RE ALL ALONE [J]) [1976 ボズ・スキャッグス (vm=a);リタ・ク-リッジ (vf=a)]:サーカス (coro=j) ALR- 6006ALR- 6006 FX- 8015 16)思い出のグリーングラス[日] (GREEN, GREEN GRASS OF HOME [J]) [1967トム・ジョ-ンズ (vm=e);1970ポ-タ-・ワゴナ- (vm=a)]:尾崎 紀世彦 (vm=j) FX- 8015 17)きみの友だち[日・英] (YOU'VE GOT A FRIEND [J・E]) [1971ジェイムス・テイラ- (vm=a);1972キャロル・キング (vf=a)]:高橋 真梨子、ペドロ&カプリシャス (compl=j) L- 5507~8・AL- 5507~8・A AX-8072 18)愛の休日[日] (HOLLYDAYS [J]) [1971ミッシェル・ポルナレフ (vm=f)]:麻実 れい (vf=j) AX-8072 19)私の孤独 [日] (MA SOLITUDE [J]) [1971ジョルジュ・ムスタキ (vm=f)] :仲代 圭吾(vm=j) YV25-1013YV25-1013 VIH- 1041 20)あなたしか見えない[日] (DON'T CRY OUT LOUD [J]) [1979メリサ・マンチェスター (vf=a);リタ・ク-リッジ (vf=a)]:伊東 ゆかり (vf=j) VIH- 1041 21)シング[日] (SING [J]) [1972カ-ペンタ-ズ (duo=a)]:菅原 洋一 (vm=j) UPCY- 6248~9 UPCY- 6248~9 JRS-7160 22)明日に架ける橋 [日] (BRIDGE OVER TROUBLED WATER [J]) [1970サイモン & ガ-ファンクル (duo mm=a)]:和田 アキ子 (vf=j) JRS-7160 次回はDisc 2を紹介しますが、これらだけのメンバーで充分往年の「紅白歌合戦」が出来そうにおもいます。しかし、残念ながら50年代のカヴァー集の時と同様に男性歌手1に女性歌手2の割合になり、「紅白にする」には無理のようです。またロック曲の日本語カヴァーはほとんど見当たらない状態でした。 元曲の歌手名を見ていただれれば分かると思いますが、ロック系の曲がほとんど入っていません。ロック系の曲を日本の歌手がカヴァーしていても、まず原語(英語)で歌っていて、私の探す能力では見つけられませんでした。もし見つけたとしても、その盤にどんな値付けがされているかも問題です。まあ「お遊び」で作っているので、数万円と言われたら『はい、そうですか!』と言って引き下がるしかありません。 ブログにするのでジャケット画像を入れていきましたが、色とりどりで見た目も華やかなものになりました。 次回「インテルメッツォ ~ その間なにをしていたか2」に続きます
2023.07.06
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