《櫻井ジャーナル》

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2010.06.28
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 イスラエルのアビグドル・リーバーマン外相は、パレスチナ問題の「解決策」を公表した。パレスチナ人から市民権を取り上げ、将来のイスラエル領から追い出すという内容である。先住民を抹殺、あるいは駆逐して「ユダヤ人の国」を作るということのようだ。

 リーバーマンは旧ソ連、モルドバのキシニョフで1958年に生まれ、1978年にイスラエルへ家族と一緒に移民している。その後、ウラジミール・(ゼフ・)ジャボチンスキーの思想を受け継ぐ政党「イスラエル・ベイテイニュ(我が祖国イスラエル)」を創設している。

 ジャボチンスキーとは、1880年にウクライナのオデッサで生まれた人物で、1925年に「修正シオニスト世界連合」を結成し、1931年にはパレスチナで「ユダヤ人国家」を建設しようと提案している。

 しかし、「ユダヤ人国家」の建設を最初に思いついたのはイギリス政府。1838年にイギリスはエルサレムに領事館を建設し、1840年になるとイギリスのタイムズ紙は、同国政府がユダヤ人の復興を考えていると報じている。こうした動きとジャボチンスキーの動きが無縁だとは思えない。

 もっとも、こうしたイギリス政府やジャボチンスキーの思惑通りにことは進まない。住み慣れた場所を離れ、パレスチナに移住しようという「ユダヤ教徒」はほとんどいなかったからである。

 第一次世界大戦の最中、1915年にメッカの豪族、フセイン・ビン・アリに対し、大戦後の自治と引き替えにオスマン帝国と戦うようにイギリス政府は求めた。これが「フセイン・マクマホン協定」。その2年後、1917年にはシオニストに対し、パレスチナに「ユダヤ人の国」を造らせると約束している。これが「バルフォア宣言」。実際に、この宣言を書いた人物はアルフレッド・ミルナーだ。

 1891年にセシル・ローズ(歴史の教科書にも出てくる有名人なので説明は省略)は、「選民協会」なる秘密結社を創設しているが、ミルナーもそのメンバー。1901年からはミルナーが協会の主導権を握った。「ミルナー幼稚園」や「円卓グループ」と呼ばれるグループは選民協会に含まれている。

 また、「RIIA(王立国際問題研究所)」はミルナー・グループが創設したシンクタンクであり、そのアメリカ支部的な役割を果たしたのは、JPモルガンが主導権を握ってからの「CFR(外交問題評議会)」だ。

 フランクリン・ルーズベルトが大統領に就任した直後からJPモルガンを中心とする勢力は反ルーズベルト/親ファシストのクーデターを計画するが、スメドレー・バトラー退役少将の告発で失敗に終わる。その後、CFRはロックフェラーが支配するようになった。



 第2次世界大戦でナチスは障害者や左翼勢力のほか、「ユダヤ人」を弾圧しているが、それでも多くのユダヤ教徒はパレスチナへ移住していない。大半はイギリスやアメリカなどへ渡っている。当然だろう。「多くのユダヤ人がヨーロッパに住みたくない」と考えるようになり、パレスチナに「ユダヤ人国家」を作ろうとしたとする説明は、事実に反している。

 そうした中、1947年に国連はパレスチナ分割案を提示するが、水資源が豊かで農耕に適している土地は「ユダヤ人」に、砂漠に近い土地はアラブ人に割り当てられたもので、きわめて不公平な内容になっていた。「イスラエル建国」の黒幕を考えれば当然かもしれないが、これで先住のアラブ系住民に納得しろという方が無理だった。

 1948年4月4日、シオニストはイスラエル建国に向けて、アラブ系住民を追い出す大規模な作戦を開始している。「ダーレット作戦」だ。その過程でデイル・ヤシン村に住むアラブ系住民254名が虐殺されている。「殺されたくなければパレスチナから出て行け」というわけだ。この虐殺にイルグンと呼ばれる武装グループも含まれていたのだが、メナヘム・ベギンはその指導者だった。

 恐怖に駆られたアラブ系住民が逃げ出して難民化する中、5月14日にイスラエルの「建国」が宣言されている。アラブ諸国の軍隊が参戦するのはその翌日だ。建国前、シオニストに武器を供給していたのがニカラグアの独裁者、アナスタシオ・ソモサ・ガルシアだ。

 こうした事態を問題視する人もいた。そこで、国際連合調整官のフォルケ・ベルナドッテ伯はパレスチナ難民の帰還を含む解決策の草案を公表していたのだが、その内容をイスラエル側は気に入らない。そして9月17日、ベルナドッテ伯は国際連合監視者のアンドレ・セロー大佐とともに、シオニストの非公然武装グループ「レヒ(通称スターン・ギャング)」のメンバーにエルサレムで暗殺された。イツハク・シャミルはレヒを指揮していた。

 1967年6月の第3次中東戦争でイスラエル軍はヨルダン川西岸とガザ地区が占領しているのだが、当初の予定ではさらに広い領土を獲得するつもりだったと言われている。おそらく、リーバーマン外相は当初の予定通りに領土を拡大するつもりだ。

 現在、イスラエルは旧ソ連領からの移民が動かしている。その資金源は、ボリス・エリツィン時代に不正な手段で巨万の富を手にし、現在はイギリスやイスラエルに亡命している富豪たちである。その富豪たちは現在、イギリスのロスチャイルド家と親密な関係にある・・・・・。長くなりすぎたので、今回はこの辺で終わりにする。





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最終更新日  2010.06.29 00:11:14


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