《櫻井ジャーナル》

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巣鴨信用金庫
店番号:002(大塚支店)
預金種目:普通
口座番号:0002105
口座名:櫻井春彦

2012.12.26
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 64年前のクリスマス・イブに19名の戦犯容疑者が巣鴨刑務所から釈放された。東条英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章が処刑された翌日のことだ。釈放された19名の中には岸信介、児玉誉士夫、笹川良一が含まれている。戦後、アメリカの情報機関に協力したと言われ、後にロッキード事件で名前が浮上した人物だ。翌年、つまり1949年3月には極東裁判の打ち切りが決定される。この年の10月には中国でコミュニスト政権が成立した。

 1947年には情報機関のCIAが、また48年には破壊工作機関のOPCが創設され、ワシントンDCでは、ジョセフ・グルー元駐日大使を中心とするACJ(アメリカ対日協議会)が組織された。ダグラス・マッカーサー元帥が率いるGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)に残っていたニューディール派の影響を排除する目的でジャパン・ロビーが形成されたが、その中核がACJだ。

 ジャパン・ロビーの背後にはウォール街の大物たちが控え、その中心的な存在だったのはジョン・フォスター・ダレス。このダレスと昭和天皇の話し合いで戦後の日本が形作られたことは、関西学院大学の豊下楢彦教授が明らかにしている。

 中国でコミュニストが勝利するのはアメリカだけでなく、ソ連も想定外だった。1944年の時点で、国民党軍の総兵力が430万人だったのに対して紅軍は120万人、しかも国民党軍にアメリカは資金援助だけでなく、軍事顧問団も派遣、装備は最新のものだった。それに対して紅軍は日本軍から奪った旧式の装備。常識的に考えると、国民党軍が圧勝するはずだった。

 しかし、結果は非常識なものになる。そこでアメリカは秘密工作を練り上げた。人民解放軍(1947年からこの名称を使用)が北京入りして幹部が天安門広場に勢揃いするのを待ち、そこで全員を暗殺、偽装帰順させた部隊に蜂起させるという計画だった。が、これは途中で計画が漏れて中止になる。

 コミュニストの勝利が決定的になった1949年にOPCは東アジアの拠点を上海から日本へ移動させる。その年の起こったのが国鉄を舞台とした「怪事件」、つまり下山事件、松川事件、三鷹事件である。日本政府はマスコミを使い、一連の事件はコミュニストによるテロだと宣伝、左翼は致命的なダメージを受けた。

 1950年6月にダレスが訪日、渡辺武、松平康昌、海原治、沢田廉三と会談、その直後に韓国空軍は北側を空爆し、地上軍は海州を占領している。「朝鮮戦争が勃発」するのは、その2日後のこと。その数カ月前からアメリカは旧日本軍の特務機関員を使い、挑発工作を続けていた。1951年4月には国民党軍がCIA(OPCはCIAに吸収されていた)の軍事顧問団を伴って中国に軍事侵攻したが反撃にあって失敗、翌年8月の侵攻作戦も失敗する。

 日本の「戦後」はこうして始まり、現在に至っている。リチャード・ニクソンと田中角栄は中国を制圧するという目標を降ろしたが、そうでもない人が今でもいるようだ。





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最終更新日  2012.12.27 01:56:08


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