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笑いの臨界点 #47 靴を履いたあとで忘れ物を思い出す朝。出かけようとして、玄関で靴を履いた。右足、左足。かかとを入れて、紐を整える。よし。今日は珍しく、わりと順調である。財布もある。鍵もある。私は立ち上がった。その瞬間だった。スマホ。テーブルの上だ。なぜ今なのか。靴を履く前に思い出す時間は、いくらでもあった。着替えている時でもいい。顔を洗っている時でもいい。玄関まで歩いてくる途中でもいい。なのに記憶というものは、靴を完全に履き終えた瞬間を狙って戻ってくる。私は玄関から部屋のほうを見た。距離にして、たいしたことはない。数メートル。ただし、ここには日本の住宅における大きな壁がある。土足で入れない。当然である。五十二年も日本で暮らしている。そこはわかっている。問題は、もう一度この靴を脱ぐのか、ということだ。昔なら何も考えなかった。脱ぐ、取る、履く。終わり。今は違う。まず、しゃがむ。これが一工程である。靴紐を緩める。脱ぐ、立つ、スマホを取りに行く。戻る。またしゃがむ、靴を履く、紐を結ぶ。立つ。スマホ一台に、ずいぶん工程が多い。私は玄関で少し考えた。なくてもいいか。いや、いる。電話もある。連絡もある。決済もある。地図もある。令和の外出は、スマホを置いていくと急に心細い。昭和なら、財布と家の鍵があれば外に出られた。平成になると、携帯電話が加わった。令和ではスマホ一台の中に、財布も地図も連絡先もカメラも入っている。便利になったはずなのに、忘れた時の破壊力は増している。仕方がない。私はしゃがんだ。よいしょ。言った。言ってから気づいた。誰もいないのに、よいしょと言った。まあいい、靴を脱ぐ。部屋へ戻る。テーブルの上には、スマホがあった。堂々と置いてある。隠れていたわけでもない。私はスマホを手に取った。これでいい、玄関へ戻る。そして、もう一度靴を履いた。右足、左足。かかとを入れる、紐を結ぶ。立つ。今度こそ。私はドアノブに手をかけた。その時だった。眼鏡。私は止まった。今日は眼鏡をかけて出るつもりだった。洗面所に置いたままだ。玄関が静かになった。私はドアノブを握ったまま、少し笑った。二回目は、笑うしかない。一回なら忘れ物である。二回続くと、何かの訓練に近い。また脱ぐのか。さっき履いたばかりの靴を見る。靴に罪はない。だが少し腹が立つ。いや、完全に八つ当たりである。五十代になると、忘れ物そのものより、取りに戻る工程のほうが気になる。立ったり。座ったり。しゃがんだり。記憶より先に、膝と腰が会議を始める。私はまたしゃがんだ。今度の「よいしょ」は、さっきより自然に出た。人間、二回目は慣れる。あまり慣れたくないが。眼鏡を取り、玄関へ戻る。三度目の靴。もう慎重になる。履く前に、私はその場で確認した。スマホ、ある。財布、ある。鍵、ある。眼鏡、かけている。ほかは。……たぶん、ない。この「たぶん」が少し怖い。私は靴を履いた。立ち上がった。数秒待った。記憶が何か言ってこないか、待ってみたのである。何も来ない。よし。ドアを開けた。外の空気が入ってきた。やっと出られる。たったそれだけなのに、少し達成感があった。若い頃は、家を出ることに達成感なんてなかった。今は、忘れ物を回収して、靴を三回履いて、ようやく外へ出る。生活というものは、こういう小さな手間が少しずつ増えていくのかもしれない。でもまあ、全部思い出した。家を出る前に。そこはまだ大丈夫だ。私は歩き出した。十メートルほど進んだところで、一瞬だけ思った。玄関、鍵かけたよな。……。振り返らなかった。今日はもう、自分を信じることにした。たぶん。
2026.10.14
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ロスジェネ脱線学 #51 詰め替え用だけ三つある昼過ぎ昼過ぎ、洗面台の下を開けた。ハンドソープの詰め替えを補充しようと思ったのである。奥から袋をひとつ取り出した。その後ろに、もうひとつあった。さらに横から、もうひとつ出てきた。三つある。私はしばらく、詰め替え用の袋を見ていた。買った記憶はある。安かったから買った。たしかに買った。問題は、それを二回か三回やっていることだ。五十代になると、「家にあったかどうか」の記憶がかなり曖昧になる。ない気がする。あった気もする。でも、なかったら困る。この「困る」が強い。若い頃なら、なくなったら買えばいいと思っていた。今は違う。値段を見てから、少し考える。昨日より高い気がする。先月はもう少し安かった気がする。気がする、ばかりである。昭和の頃、詰め替えというものは今ほど多くなかった気がする。ボトルを買って、なくなったらまた買う。平成になって、詰め替え用が当たり前になった。令和では、環境にも財布にもやさしい顔をして、棚の中で増えている。やさしいものほど、場所を取る。洗面台の下には、ハンドソープだけではなかった。シャンプーの詰め替え。洗剤の詰め替え。いつ買ったかわからない掃除シート。生活の予備軍が、静かに待機している。昔、FAX修理の現場でも予備部品は大事だった。ないと困る。あれば安心する。ただし、持ちすぎると工具箱が重くなる。家の中も同じなのかもしれない。安心を買ったつもりが、少しずつ場所を狭くしている。私は三つの詰め替え用を、手前に並べた。こうすれば、次は忘れない。そう思った瞬間、自分でも少し怪しいと思った。次の私は、また同じことを言う気がする。それでも今日は、ひとつだけ本体に入れた。袋を切る。ゆっくり注ぐ。最後の方で少しこぼす。そこまでが、だいたいセットである。手についたハンドソープの匂いを嗅ぎながら、まあいいかと思う。少なくとも、しばらく手は洗える。人生も、足りない不安で少し多めに抱えることがある。物も、言葉も、心配も。全部が無駄ではない。でも、全部を覚えていられるほど、こちらの棚は広くない。洗面台の下を閉める。中にはまだ二つ残っている。忘れないようにしよう。そう思ったことだけは、たぶん忘れる。
2026.10.13
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一瞬永遠 第55幕 鍵をかけたあと玄関の鍵を閉めるカチリという音が朝の静けさに残るそのまま歩き出して二、三歩したところで一度だけ振り返るちゃんと閉めたわかっているのに確かめたくなる昔はこんなことをしなかった気がする忘れ物火の元戸締まり気にするものが少しずつ増えた年齢のせいなのか守りたいものが増えたせいなのかよくわからない閉じた扉の向こうにさっきまでいた部屋がある飲みかけの水畳んでいない服途中まで読んだもの帰ればまたそこから続きが始まる当たり前だったはずのことが今は少しだけありがたい出ていく場所があり戻る場所があるただそれだけのことを以前より深く感じるようになった私はもう一度だけ扉を見た何も変わっていない鍵もちゃんとかかっているそれを確認して今度こそ歩き出す背中の後ろで家は黙ったまま今日の続きを待っている戻ってこられるそう思えるだけで足取りが少しだけ軽くなった
2026.10.12
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50代、今日は少しだけ自由だった。こんな午後が、いちばんありがたい。やっと、歩けた今日は天気がいい。ここ最近、ゆっくり歩く時間がなかなか取れなかった。時間があると思えば天気が悪く、晴れたと思えば別の用事が入る。今日も朝からいろいろあったが、何とか少しだけ時間を作ることができた。だったら歩こう。大げさな予定ではない。目的地も決めていない。ただ家を出て、いつもの辺りを少し歩くだけだ。それだけなのに、外へ出た瞬間からずいぶん気分が違った。幹線道路は見事なくらい混んでいた。車はずらりと並び、世の中は世の中で忙しそうに動いている。ところが一本中へ入ると、急に静かになった。人も少ない。空は青い。風も気持ちいい。久しぶりに、「歩く」ということだけをしている気がした。公園まで貸し切りだった途中、小さな公園へ寄った。誰もいない。見事に誰もいない。ベンチも遊具も、しばらく全部こちらのものだった。うーん。気分がいい。こんな日なら、本当はもっと大きな公園へ行きたかった。少し遠くまで足を延ばして、何も考えずに歩きたかった。でも今日は、そこまでは無理だ。以前なら「せっかく晴れたのに」と思ったかもしれない。今は、これだけでも十分だと思える。家に戻れば家のことがある。介護も待っている。月曜日は普通に仕事だから、世間が連休でも私にはそれほど連休感はない。そもそも、介護に休みの日はない。だからこそ、この少しだけ空いた時間が妙にありがたい。何もしない時間ではなくなった家では家キャンもできた。椅子を出して、一息つく。散歩をして、公園に寄って、家で少しぼんやりする。書き出してみれば、それだけである。何かを成し遂げたわけでもない。遠出をしたわけでも、特別な場所へ行ったわけでもない。でも今日は、それでいい。毎日何かしら起きる生活をしていると、「何も起きない時間」は空白ではなくなる。むしろ貴重品になる。今日は少なくとも、その貴重品を少しだけ手に入れた。そして最後は、やっぱり50代だった少し歩きすぎたのだろうか。帰ってきてから、腰が少し痛いような気がする。久しぶりだったからだろう。いや。気のせいだ。うん、気のせいということにしておこう。そういえば帰り道、ダイソーにも寄った。買うものを見て帰ればいいのに、気がつけば店内をあっちへ行ったり、こっちへ行ったりしていた。たぶん余計に歩いたのは、散歩よりダイソーである。まあ、それもいい。今日は歩けた。公園は貸し切りだった。家でも一息つけた。腰のことは、明日の私に任せる。派手なことは何ひとつない。それでも今日は、いい一日だった。50代になると、こんな午後が思っていた以上にありがたい。たぶん私は、こういう時間を欲しかったのだ。✨✨✨ここまで読んでいただき、ありがとうございます。✨✨✨こういった、50代のなんでもない日常も書いています。普通の一日、激動の一日、様々な一日があるのでまた見に来て頂けると新たな発見があるかもしれません。✨✨スキやフォローをいただけると、直せない日々を言葉で保守し続ける励みになります✨✨
2026.10.11
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CE EP.03|街から人が消えた日2002年、FAX修理CEが見たワールドカップ街から、人が消えた。少なくとも、あの日の私にはそう見えた。平日の昼間だった。普段ならスーツ姿の会社員や配達員、営業マン、買い物客でごった返している時間だ。私はその日も、いつもと同じだった。工具かばんを自転車に積み、FAX修理CEとして大都会の中を走っていた。ところが、人がいない。信号待ちをしても、人の塊がない。歩道にも、いつもの勢いがない。オフィス街なのに、街全体が妙に静かだった。何かあったのか。そんな感じだった。あれは2002年だった。日韓ワールドカップ。日本中がサッカー一色になっていた頃だ。正確にどの試合だったのかは、もう覚えていない。相手も思い出せない。ただ、日本代表の大事な試合が平日の昼間にあった。そのことだけは覚えている。試合そのものより、街から人がいなくなったことのほうを覚えている。人間の記憶というのは、妙なところを残す。私は、そこまでサッカーに詳しい人間ではなかった。同僚には好きな人が何人かいた。普段なら仕事中だ。修理が入れば現場へ行く。ポケベルが鳴れば会社へ電話する。次の手配を確認する。定期保守もある。納品だってある。つまり、テレビの前でのんびりサッカーを見ているような仕事ではなかった。ところが、その日は修理が来なかった。不思議なくらい、来なかった。いつもなら、こちらの都合など一切考えずに鳴るポケベルが静かだった。FAXという機械が、全国一斉に健康になったわけではない。故障しなくなったわけでもない。たぶん、FAXを使っている人間のほうが、仕事をやめていた。そう考えると、今でも少し笑える。同僚数人と、家電量販店のテレビの前にいた記憶がある。どういう流れでそこへ行ったのかは、もう曖昧だ。サッカー好きの同僚について行ったのかもしれない。通りかかったら人だかりができていて、そのまま吸い込まれたのかもしれない。でも、その光景は残っている。平日の昼間なのに、ものすごい人数だった。普段ならテレビを売るための売り場だ。液晶だかブラウン管だか、まだいろいろなテレビが並んでいた頃だった。その何台ものテレビが、同じ試合を映している。その前に人がいる。サラリーマン。買い物客。たぶん、私たちみたいに仕事の途中らしい人間もいた。誰も商品を見ていない。テレビを見ている。床に座り込んでいる人までいた。それでも店側は、特に何も言わなかった。追い払わない。注意しない。その時間だけ、家電量販店が家電量販店ではなくなっていた。巨大な観戦会場になっていた。店の中は、興奮のるつぼだった。チャンスになると、「おおっ」と声が上がる。惜しいと、「ああー」となる。誰かが誰かを知っているわけでもない。それでも、全員が同じ画面を見ていた。私はそこまでサッカーに関心がなかったはずなのに、気がつけば一緒に見ていた。仕事中である。しかもCEだ。いつポケベルが鳴るか分からない。それなのに、その時ばかりは、「まあ、いいか」みたいな空気があった。会社だけではない。店も。街も。日本全体が、「今くらいはいいだろう」と言っているように見えた。後からテレビで見た、戦後の街頭テレビの映像を思い出す。プロレス中継の前に、人が集まっている。知らない者同士が肩を寄せ合って、一台のテレビを見上げている。もちろん時代は全然違う。2002年だ。テレビは各家庭にある。携帯電話も広がっていた。PHSもあった。インターネットも、すでに珍しいものではなくなりつつあった。それなのに、人は家電量販店のテレビの前に集まっていた。あれは、今思うと少し不思議な風景だった。「個人で見る時代」に入り始めていたのに、あの瞬間だけは、みんなで同じものを見ていた。2002年のワールドカップで、日本代表は初めてグループステージを突破し、ベスト16まで進んだ。JFAはあの大会を振り返って、日本中にサッカーが溢れていた時代だった、と書いている。今なら、その表現がよく分かる。本当に、サッカーが街に溢れていた。新聞も。テレビも。店頭も。会社の雑談も。普段サッカーを見ない人間まで、日本代表の話をしていた。私もその一人だった。でも、私が今も覚えているのは、選手の名前ではない。ゴールでもない。試合結果でもない。人のいない街だ。いつもなら、自転車で走るのも一苦労するような場所。人をよける。車を見る。横断歩道では大量の会社員が渡ってくる。そんな場所が、あの日だけ妙に広かった。道路まで広く見えた。街そのものが、日本代表の試合を見に行ってしまったようだった。CEという仕事をしていると、街の動きには妙に敏感になる。自転車で走るからだ。朝の混み方。昼休みの人の流れ。夕方の駅前。雨の日。雪の日。給料日。連休前。会社員が外へ出てくる時間も、人が引いていく時間も、身体で覚えていた。だからこそ、あの日の違和感は大きかった。いつもの街ではなかった。そして何より、修理依頼が来なかった。これが一番面白い。いつもなら、「FAXが使えない」「すぐ来てくれ」「今日中に何とかしてくれ」そんな電話が入る。少々こちらが忙しくても関係ない。客にとっては、自分のFAXが止まっていることが一番大事だ。当然だ。ところが、ワールドカップの日本戦が始まったら、その「一番大事」が一瞬どこかへ行った。FAXよりサッカー。仕事よりサッカー。それだけ、日本中が同じ方向を見ていたのだと思う。試合が終われば、また街は動き出す。人が出てくる。電話も鳴る。仕事に戻る。ポケベルも、また普通に人を追い回し始める。たぶん私も、何事もなかったように自転車へ乗った。工具かばんを積んで、次の現場へ行った。あれから二十年以上が経った。FAXも減った。街の姿も変わった。ポケベルは消えた。家電量販店で、知らない人たちと同じテレビを囲むことも少なくなった。今ならスマートフォンで、どこにいても一人で試合を見ることができる。便利になった。間違いなく便利になった。でも、あの日のような妙な一体感は、便利さとは別の場所にあったのかもしれない。試合の相手は、もう思い出せない。結果も曖昧だ。それでも、街から人が消えたことは覚えている。平日の昼間、仕事中の大人たちが家電量販店のテレビの前に集まり、店員も何も言わず、普段は鳴り続けるポケベルまで静かだった。私は、ゴールより、静かな街を覚えている。そういう記憶が、二十年以上経った今になって、突然よみがえる。だから、CE EPに残しておこうと思う。FAXを直した話だけではない。FAXを直しながら、その時代の街を見ていた。それもまた、私の17年間だった。引継事項2002年。日本中が、一つのテレビを見ていたような午後があった。その時、私は工具かばんを積んだ自転車で、人の消えた街を走っていた。いつもなら鳴るポケベルは、妙に静かだった。呼ばれなかったから、少しだけ立ち止まった。そんな日も、CEにはあった。画像CE EP|呼ばれれば、行った。元FAX修理CEとして17年間、街を走った記憶を超不定期で残しています。修理した機械の話だけではありません。客先。自転車。ポケベル。工具。そして、仕事の途中で見た街の風景。誰にも記録されなかった仕事には、その時代そのものが残っている気がします。✨✨✨スキやフォロー✨✨✨をいただけると、また工具かばんの底から古い記憶を引っ張り出す励みになります🎉そして、あなたにもありますか。「あの日だけ、街の空気が違った」と覚えている日。スポーツでも、災害でも、ニュースでも、仕事上の出来事でもいい。年月だけでも、コメントに置いていってください。人が覚えている街の風景もまた、小さな時代の記録だと思っています。
2026.10.10
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認知症の母を宝くじ売り場へ行かせる父。介護で見えてしまった『親の嫌なところ』|介護の朝は突然にまた、宝くじ売り場から電話がかかってきた。電話をしてきたのは母だ。父に頼まれて、ナンバーズやロトを買いに行っている。母は、そもそもこういうものにほとんど興味がない。仕組みもよく分かっていない。そのうえ認知症が進んでいるのだから、マークシートを間違えたり、何をどう買えばいいのか分からなくなったりしても不思議ではない。困った母は父に電話をする。父が説明するが、母にはうまく伝わらない。結局、宝くじ売り場の人に電話を渡し、父が直接説明することになる。それでも父は、母が理解できないことに腹を立てる。今日も朝から、機嫌は最悪だった。このところのわが家は、誰かがほんの少し火花を散らせば、それだけで一気に燃え上がりそうな空気になっている。父の不機嫌には理由がある。それでも、つらい父は白内障で目が見えにくい。耳も聞こえにくくなった。身体も少しずつ弱り、歩くことさえ以前のようにはいかない。頭の中に言いたいことはあるのに、言葉がすぐに出てこないことも増えてきた。自分では、まだできると思っている。けれど、身体がついてこない。自分では、まだ分かっているつもりでいる。けれど、言葉が出てこない。その焦りや苛立ちは、私が外から想像するより、ずっと大きいのだと思う。余命のことだってある。少しずつできないことが増えていく中で、自分に残された時間まで意識せざるを得ない。穏やかでいろと言うほうが無理なのかもしれない。そこまでは、私にも分かる。ただ、分かることと、耐えられることは別だ。父は、もともと短気だった。頑固だし、自分の思い通りにならないと機嫌が悪くなる。わがままなところだって、今になって突然現れたわけではない。老いが父を別人にしたというより、昔からあった性格の角が、弱っていく身体の中から以前より鋭く突き出してきた。私には、そんなふうに見える。目が見えない。耳が聞こえない。思うように歩けない。言葉がすぐに出てこない。そこへ元来の短気さが重なる。そして、爆発する。理由が分かっているからこそ、こちらも単純に怒れない。それがまた、厄介なのだ。認知症の母は、今日も宝くじ売り場へ行く母の認知症も進んでいる。けれど母も、認知症になって突然別人になったわけではない。もともと我が強い。プライドも高い。膝が痛い、腰が痛い、背中が痛い。それでも毎日のように出かけていく。そして、家族から見れば「それ、今いるのか?」と思うようなものを買って帰ってくる。昔から買い物をやめられないところがあった。認知症が進んだからといって、そこだけ都合よく消えてくれるわけではない。病気は、人間が長い年月をかけて身につけてきた癖まで、きれいに洗い流してはくれない。父も母も、自分ではかなりのプラス思考だと思っている。でも、一緒に暮らしている私からすると、ときどき思う。先のことを考えないことと、前向きに生きることは違う。二人とも、驚くほど先のことを考えない。そして今、その「考えなかった先」に起きたことを、私が一つずつ拾っている。「スマホで買えば済む」が、済まない理由ナンバーズもロトも、本当なら話は簡単だ。私がスマホで買えばいい。母がわざわざ出かける必要はない。マークシートの前で迷うこともない。宝くじ売り場から電話をしてくることもない。父が母に腹を立てる理由だって、一つ減る。技術的には、数分で終わる話である。それでも父は、私には頼まない。理由も分かっている。自分がいくら使っているのかを、私に知られたくないのだ。私自身は、余命があとどれくらいあるかわからない父の僅かな楽しみだ。それくらいは、やらせてもいいと思っている。それでも父は私にどの程度かっているか、毎日買っているかを極力隠そうとしている。だから母に買いに行かせる。母はよく分からないまま売り場へ行く。分からなくなって電話する。父が苛立つ。母も混乱する。そして、そのやり取りを見ている私の神経が削られていく。何度繰り返したか、もう分からない。父を見ていると、ギャンブルというものは「もう十分だろう」くらいでは終わらないのだと思わされる。以前住んでいた用賀のマンションも、父のギャンブルで膨らんだ借金が原因で手放すことになった。この時は、私が結婚直前の時だった。そんな事になっているなんて、まるで知らなかった。もう20年近く前のことだが、本当に無計画、無責任には当時すごく腹もたった。当時のことは、いつか書きたいとは思う。こういった事を書くのも、人生劇場のひとつとなるだろう。話を戻そう。家を売る、そこまでいっても、結局は終わらなかった。身体が思うように動かなくなっても。残された時間が少なくなっても。それでも、ロトの数字、競馬の結果は気になるらしい。人間には、最後まで手放せないものがあるのだろう。それが夢や希望なら、きれいな話になる。現実は、そんなものばかりではない。介護で見えてしまう「親の嫌なところ」介護をするようになってから、両親の嫌なところをずいぶん見るようになった。いや、これは少し違う。新しく見つけたのではない。昔から知っていたものを、逃げることのできない距離で毎日見せられるようになった。そのほうが近い。介護を始める前は、親と少し距離を取ることができた。腹が立てば離れればいい。面倒なら、その場を離れることもできる。見たくないものを、しばらく見ないで済ませることだってできた。介護が始まると、その距離がなくなる。短気、頑固、見栄、依存、わがまま。昔から繰り返してきたこと。親が弱っていく姿と一緒に、そういう部分まで至近距離で見ることになる。介護は、親を美化してくれない。親だから、何もかも好きになれるわけではない。病気になったからといって、これまでのことが全部消えるわけでもない。そして介護する側だって、聖人にはなれない。私だって腹は立つ。今日も何度か、父に言ってやりたくなった。認知症なんだから、そんなことで母に怒るなよ、と。けれど、そこで私まで本気でブチ切れればどうなるか。それも私は知っている。親子だからだ。父はさらに意固地になる。母はもっと混乱する。そして、その怒りは父と母の間だけでは終わらない。家の中に残る。親子だからこそ、言えない言葉がある他人なら、もっと簡単なのかもしれない。「それは間違っている」そう言って終われることもある。けれど親子には、積み重なった年月がある。この言い方をすれば父がどうなるのか。どこまで言えば引き返せなくなるのか。何を言えば意地になるのか。だいたい分かってしまう。だから飲み込む。ただし、何でも我慢するわけにもいかない。父をなだめる。時には擁護する。間違っているところは、できるだけ爆発させない形で修正する。真正面からぶつかれば荒れる。全部受け入れれば、今度はこちらが壊れる。その間にある、ものすごく細い場所を毎日歩いている。昔、機械を修理していた頃は、故障箇所を見つければよかった。部品が悪ければ交換する。調整が必要なら調整する。原因を追い込めば、少なくとも次に何をすべきかは見えた。介護は、そうはいかない。原因が分かっていても交換できない。性格も。過去も。親子関係も。何十年と積み上がってきたものを全部そのまま抱えながら、今日を動かさなければならない。父の「残り時間」と、妻と娘の「今」父には、残された時間がそれほど長くない。そう考えると、できるだけ好きなようにさせてやりたいという気持ちはある。今さら何もかも取り上げて、最後の最後まで「それは間違っている」「こうしろ」「ああしろ」と言い続けたいわけではない。もう、どうしようもない親だな。腹の底からそう思う日だってある。それでも親なのだ。あと幾ばくもないのなら、好きにさせてやろう。そう思う自分も確かにいる。ただ、そこで一つだけ、絶対に混同してはいけないことがある。父が好きに生きることと、家族全員がその代償を背負うことは同じではない。わが家には妻がいる。娘もいる。二人には関係のない怒りや苛立ちまで、毎日のように家の空気として吸わせるわけにはいかない。父の残りの時間は大切だ。けれど、そのために妻と娘の「今」を壊していい理由にはならない。最近、それだけははっきりと思うようになった。私が守らなければならないのは、親の余生だけではない。妻と娘が普通に話し、普通に笑い、普通に息をして暮らせる、この家の空気も守らなければならない。ここのところ、毎日が修羅場のようになってきた。正直、精神もかなり削られている。それでも私は、今日も二人の間に入る。父を全部許したからではない。私が強いからでもない。何も感じなくなったわけでもない。苦しいし、辛い、大声で怒鳴りたい。それでも、怒りというのは解決にはならない。冷静にすべてを受け止め、受け流す。これ以上、火の粉を広げないためだ。介護の朝は突然に始まる。そして最近、その朝は、夜になっても終わらない。今朝の試合開始は午前4時。✨✨✨ここまで読んでいただき、ありがとうございます。✨✨✨認知症の母と、身体の衰えが進む父。その間で起きる、きれいごとだけでは済まない介護の日々を書いています。✨✨スキやフォローをいただけると、直せない日々を言葉で保守し続ける励みになります✨✨📕マガジン「介護という旅の途中で」🖋️家族と介護の現実を残しています。noteにて
2026.10.09
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終着駅の名前は、まだ読めない|50代という、答えのない時間を生きる若い頃、50歳くらいになれば、もう少し人生のことが分かっていると思っていた。仕事のことも。家族のことも。自分が何者なのかということも。それなりに答えを持って、落ち着いて生きているものだと思っていた。実際に52歳まで来てみると、どうも違う。分かったことは増えた。でも、それ以上に、「結局、これは分からないままだったな」と思うことも増えた。50代とは、答え合わせをする年代だと思っていた。どうやらそうでもないらしい。あの時、違う方へ行っていたら人生を振り返れば、いくつも分かれ道がある。あの仕事を選ばなかったら。あの人と出会っていなかったら。あの時、もう少し頑張っていたら。逆に、あそこで無理をしなかったら。考え始めれば、いくらでも出てくる。けれど、選ばなかった方の人生を見ることはできない。だから、「あれでよかった」とも、「あれは間違いだった」とも、本当のところは最後まで分からない。若い頃の私は、もっと単純に考えていた。正しい道がどこかにあって、それを選べた人がうまくいく。そんなふうに思っていた気がする。でも50年以上生きてみると、正しい道なんて最初から表示されていなかった。選んでから、どうにか歩いてきただけだった。50代になれば迷わなくなると思っていたこれも違った。今でも迷う。むしろ、若い頃より簡単に決められないことが増えた。自分のことだけ考えれば済む時代ではなくなった。家族がいる。年を取った親がいる。自分自身にも、できることとできないことが出てきた。時間にも、体力にも限りがある。若い頃なら、「やってみればいい」で済んだことが、今はそう簡単ではない。だから慎重になる。でも慎重になれば、正解が分かるわけでもない。ここが困る。52歳にもなって、まだこんなことで悩んでいるのか。そう思う日もある。でも最近は、そういうものなのかもしれないと思うようになった。人生には、答え合わせのできない問題がある学校の試験なら、あとで答えが分かる。仕事でも、数字や結果が出ることは多い。けれど人生には、それがない。あの時の選択は正しかったのか。家族にちゃんと向き合えてきたのか。もっと違う生き方があったのではないか。今から始めることに意味はあるのか。誰も採点してくれない。模範解答もない。それでも時間だけは進む。たぶん、ここに50代の厄介さがある。人生経験は増えた。失敗もそれなりにした。だから何でも分かるようになるかと思えば、逆だった。分かっているつもりだったことまで、「本当にそうだったのか」と考えるようになった。全部は選べなくなった20代の頃は、時間がずっと続くような感覚があった。やり直すこともできる。あとで考えればいい。いつかやればいい。その「いつか」が、かなり遠くまで続いているように思えた。52歳の今は違う。まだできることはたくさんある。でも、何でもできるわけではない。全部を選ぶこともできない。だから以前より、何をやるか以上に、何をやらないかを考えるようになった。これは少し寂しい。でも悪いことばかりでもない。全部を追わなくてもいいと分かってきたからだ。誰かが持っているものを、自分まで持たなくてもいい。昔できなかったことを、全部取り戻さなくてもいい。それより、今の自分がまだ大事だと思っているものを、雑に扱わない。最近はそちらの方が大切になってきた。正解より、自分で引き受けられる方へ私はずっと、どこかで正しい答えを探していた気がする。仕事でも。人生でも。人との付き合いでも。間違えないように。失敗しないように。あとで後悔しないように。でも、それは無理だった。失敗もした。後悔もある。あの時こうしていればと思うことも、なくなりはしない。それでもここまで来た。だったら今から必要なのは、絶対に正しい選択ではなく、選んだあとに自分で引き受けられる選択なのかもしれない。最近は、そう思っている。正しかったかどうかは分からない。でも、「自分で決めた」と言える。50代になった今は、その方が大事になってきた。終着駅の名前は、まだ読めない人生の先が、ぼんやり見える年齢にはなった。だからといって、どこまで行くのかは分からない。終着駅の名前は、まだ読めない。いつそこへ着くのかも知らない。ただ、昔とは違って、この道が永遠に続くわけではないことだけは知っている。だからといって急いで答えを出す必要もないのだと思う。52歳になっても分からないことは、分からない。迷う時は迷う。立ち止まる日もある。でも、まだ途中だ。今日の選択が正しいかどうかは、たぶん今日には分からない。何年か後にも、分からないかもしれない。それでも、自分で選びながら進んでいく。若い頃に思っていた人生とは、ずいぶん違った。でも今は、こちらの方が本当の人生に近い気がしている。終着駅の名前は、まだ読めない。だから私は、今日降りるつもりはない。
2026.10.08
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笑いの臨界点 #46 電話を切るタイミングが合わない夕方。用件だけの電話をした。長話ではない。確認して、返事をもらって、「では、よろしくお願いします」で終わる。そのはずだった。相手が言った。「はい、では失礼します」私も言った。「失礼します」ここまでは普通だった。問題はそのあとだ。切れない。相手も切らない。こちらも切らない。ほんの一秒か二秒。でも電話の中では長い。沈黙だけが残る。あれ。どちらが先に切るのが正しいのか。昔からよくわからない。かけたほうが切るのか。受けたほうが切るのか。目上の人が切るのを待つのか。もうそんな時代でもないのか。考えているうちに、相手がもう一度言った。「はい」私も言った。「はい」なぜ返事をした。会話は終わっている。終わっているのに、終わりの確認だけが続く。電話の中で、小さな延長戦が始まっていた。私は画面を見た。通話中。わかっている。その表示が少しだけ責めてくる。終わったなら切りなさい。そう言われている気がした。私は親指を赤いボタンに近づけた。その瞬間、相手が何か言いかけた気がした。切れない。今切ったら、最後の言葉を踏んだみたいになる。でも待っていると、また沈黙になる。電話というのは、終わり際だけ妙に難しい。会って話しているなら、会釈で逃げられる。手を上げる。一歩下がる。背中を向ける。そういう曖昧な終わり方がある。電話には赤いボタンしかない。冷たい。最後は指で終わらせるしかない。若い頃は、もう少し勢いで切っていた気がする。「失礼します」で、すぐ切る。それだけだった。今は少し待ってしまう。相手がまだ何か言うかもしれない。切るのが早すぎたと思われるかもしれない。感じ悪くなかっただろうか。誰もそこまで気にしていない。たぶん。でもこちらは気にしている。気にしている時点で、もう少し疲れている。私は思い切って、赤いボタンを押した。通話終了。画面が静かになった。終わった。終わったのに、少しだけ残る。最後の沈黙。二回目の「はい」。切る直前の迷い。電話は切れても、こちらの中の会話は少し残業する。ロスジェネ脱線学なら、ここから「終わらせ方を教わらないまま働いてきた世代」とか言い出しそうだ。いや、そこまで言わなくていい。ただ電話を切るのが下手なだけだ。私はスマホを机に置いた。そして、少し笑った。用件は済んだ。失礼もしていない。たぶん嫌われてもいない。それなのに、通話の最後の二秒でこんなに反省できる。人間は燃費が悪い。五十代になると、会話の中身より終わり方が気になる日がある。言えたかどうか。失礼じゃなかったか。ちゃんと閉じたか。でも、まあいい。少し間があっても、二回「はい」と言っても、電話は終わる。赤いボタンは、ちゃんと仕事をする。私はもう一度スマホを見た。着信も通知もない。静かだ。今度こそ終わった。そう思ったところで、なぜか一人で小さく言った。「失礼します」誰に。自分にかもしれない。
2026.10.07
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ロスジェネ脱線学 #50 半袖だけ少し早かった朝少し前のある朝、半袖で外に出た。前日の昼が暑かったからである。天気予報も見た。最高気温も確認した。だから大丈夫だと思った。玄関を出て、三歩で少し後悔した。風が冷たい。ものすごく寒いわけではない。戻って上着を取るほどでもない。ただ、腕だけが明らかに早まっている。五十代になると、こういう判断のズレが地味に残る。若い頃なら、多少寒くても平気だった。むしろ「これくらい余裕」と思っていた。今は違う。腕の冷えが、肩に来る。肩の違和感が、首に来る。首がこわばると、午後まで引きずる。半袖ひとつで、身体の会議が始まる。昭和の頃は、衣替えというものがもう少しはっきりしていた。六月になれば夏服。十月になれば冬服。季節の境目にも、どこか号令があった。平成になると、気温差が読みにくくなった。令和では、朝と昼で別の季節みたいな日がある。こちらは一人の身体で対応しているのに、季節だけが何着も着替えてくる。私は腕をさすりながら歩いた。半袖で出た以上、今さら強がるしかない。すれ違う人の中には、ちゃんと薄い上着を着ている人もいる。ああいう人は、生活が少し上手に見える。私も上着を持てばよかった。ただそれだけのことなのに、少し人生全体の段取りまで下手に思えてくるから困る。でも、昼になれば暑くなる。たぶん。そう信じて歩く。年を取るというのは、未来を信じることではなく、昼の気温を信じることなのかもしれない。午前の風は、まだ少し冷たい。それでも私は、腕をさすりながら歩いている。完全な失敗ではない。ただ、少し早かった。人生には、そういう半袖の日がある。
2026.10.06
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一瞬永遠 第54幕 冷蔵庫の灯り夜中に目が覚めた喉が渇いて台所へ行く部屋の電気はつけなかった冷蔵庫を開けると白い灯りが足元まで伸びた水を取り出しひと口飲むそれだけのことなのに夜の中では何もかもが少し違って見える食べかけのもの明日のために買っておいたもの忘れていた小さな容器昼間なら気にも留めないものが静かにそこに並んでいる生活というのは案外こういうものなのかもしれない目立たないものを少しずつ残しながら次の日へつないでいく若い頃は夜中に目が覚めてもすぐ眠れた今は少しだけ考える時間ができる身体のこと親のこと仕事のことまだ終わっていないこと答えの出ないものばかりが暗い部屋の中で浮かんでは消えるけれど冷蔵庫の灯りは何も言わないただ開けているあいだだけそこを照らしている私はもうひと口水を飲んだ扉を閉める灯りが消えまた夜だけになるその暗さが少しだけやさしかった明日になればまた開けるそれでいい眠りに戻る途中足元だけがまだ少し明るい気がした
2026.10.05
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家から数歩。それでも私には、ちゃんとキャンプだ|50代たぶん7年くらい使っているColemanの椅子がある。キャンプ用品として買ったものだけれど、これが「家キャン」の椅子になったのは、ここ2年くらいのことだ。置いてあるのは玄関先。どこか遠くのキャンプ場でもなければ、広い庭でもない。玄関を開けて、ほんの数歩。そこに椅子を出して座る。私の家キャンは、だいたいそこから始まる。画像以前にも家キャンについて何度か書いてきた。仕事があり、介護があり、家のことがあり、子どものこともある。「今日は一日自由だ」そんな日は、今の私にはそう多くない。だったら遠くへ行くことばかり考えず、家のすぐそばで少しだけ外へ出ればいい。そんなところから始まった。今でも、その基本はあまり変わっていない。昼間は玄関に座ることが多い。何時から何時まで、と決めているわけではない。仕事と仕事の間だったり、家の用事がひと段落した時だったり。空いた時間に、ちょっとだけ座る。春から秋なら、ノンアルコール飲料や炭酸水。冬になれば、ホットコーヒーや紅茶、日本茶。季節が変われば、持っていくものも変わる。夏の玄関なら、蚊取り線香はほぼ必須だ。そんなものを用意して、Colemanの椅子に腰を下ろす。たったそれだけである。キャンプ飯らしいものを作るわけでもない。ある日は、こんな感じだった。スイカパン。ポテトチップス。そしてノンアルコールの梅酒ソーダ。これを見て、「キャンプ飯ですね」と言う人は、たぶんあまりいない。私もそう思う。でも、これでいい。家の中で同じものを食べるのと、玄関先の椅子に座って食べるのとでは、ほんの少し気分が違う。外の空気がある。車の音がする。風が通る。暑かったり、寒かったりもする。その「ほんの少し違う」が、家キャンでは案外大きい。そして夜になると、場所を変える。私が「縁側」と呼んでいる場所だ。正確に言えば、写真の手前側に本来の縁側があり、その横に椅子と小さなテーブルを置いている。ひっくるめて、私はここを縁側と呼んでいる。昼の玄関とは、ここから少し雰囲気が変わる。みんなが寝たあと。ある程度まとまった時間が取れた夜。ここへ酒を持っていく。ウイスキーだったり、焼酎のハイボールだったり。たまにサングリアのこともある。冬場にはランタンを出すこともある。その姿は、またいつか紹介しようと思う。夜は、昼ほどせわしなくない。空を見て、何も考えないこともある。逆に、いろいろ考えてしまう夜もある。これからの人生のこと。介護のこと。昔のこと。もう会わなくなった人のこと。忘れたと思っていた出来事が、突然浮かんでくることもある。別に答えを出したいわけではない。酒を飲みながら、「あんなこともあったな」と思っているだけの夜も多い。それで十分なのだと思う。家キャンという名前をつけているけれど、やっていることは大げさなものではない。テントを張るわけでもない。焚き火をするわけでもない。車に荷物を積んで何時間も走ることもない。玄関まで数歩。縁側までなら、もっと近い。しかも屋根があるから雨の日でもできる。一年中できる。だから続いたのだろう。時間がたくさんある人の趣味ではなく、時間が細切れになっている今の私にもできる。昼なら5分でもいい。10分でもいい。夜に少し長く座れるなら、それもいい。家キャンを始めて2年ほど経つ。最初の頃、私はこれを「心の避難所」のように書いていた。今はどうか。やっぱり、あまり変わっていない。仕事がある。介護がある。家族のことがある。明日になれば、また何かが始まる。だから私は、玄関の椅子に座る。夜になれば、縁側へ行く。別に人生が変わるわけではない。悩みが消えるわけでもない。それでも一度、家の中から数歩だけ外へ出る。それだけで、頭の中に少しだけ隙間ができる。私にとって家キャンは、たぶんキャンプそのものを楽しむ以上に、その隙間を作るための時間なのだと思う。10年使っているColemanの椅子は、今日も玄関にある。遠くへ行けない日もある。まとまった時間が取れない日もある。そんな日は、数歩だけ外へ出る。そこが今日の私のキャンプ場だ。
2026.10.04
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父は粉薬を飲み、私は一言を飲み込んだ。|介護の朝は突然に朝イチから、父の機嫌が悪かった。原因は薬だった。父は飲んでいる薬の数が多い。これまでも先生と相談しながら薬の見直しをして、減らせるものは減らしてきた。それでも今の状態では、これ以上減らすのはなかなか難しい。薬局では一回に飲む分をまとめてもらっているのだが、問題はそれを実際に飲む時に起きる。錠剤を口に入れようとして、どこかへ落としてしまうことがある。小さな薬が床を転がり、あとになって私が探すこともある。しかも父は薬についてかなり細かく、今日は何個あるのか、これは何の薬なのか、前と同じなのかと、その都度確認する。自分が飲む薬なのだから、確認すること自体は悪くない。むしろ当然だと思う。ただ今の父には、白内障で文字が見えにくいことに加えて、耳もかなり聞こえにくくなっている。自分では確かめたいのに、よく見えない。こちらが説明しても、聞き取りづらい。そのもどかしさが、さらに苛立ちを増幅させているところもあるのだろう。そこで今回、錠剤だったものも含め、できる薬はすべて粉にしてもらうことにした。これなら口に入れる途中で落とすこともないし、錠剤を一個ずつ数える必要もない。少しは楽になるだろう。私はそう考えていた。ところが、いざ粉薬に変えてみると、今度は「袋に薬がくっつく」「うまく飲めない」と言い始めた。これまでも別の粉薬は普通に飲んでいたし、その時には特に問題にしていなかった。私も実際に袋の中を見てみたが、少なくとも薬が大量に張りついて残っているようには見えない。それでも父は気になるらしい。錠剤なら錠剤で問題があり、粉にすれば今度は粉で問題が出る。朝からそんなやり取りを繰り返しているうちに、こちらの中にもじわじわと嫌なものが溜まってきた。もう、何をやっても気に入らないんじゃないか。そんな言葉が喉元まで出かかった。父は昔から、機嫌が悪くなると口を利かなくなる人だった。こちらが話しかけても黙り、そのまま不機嫌を引きずったかと思えば、何かの拍子に突然キレる。考えてみれば、私が小学生の頃からそうだった。子どもの頃の私は、父の機嫌が悪くなると自然に距離を取るようになった。何を言えば怒るのか分からないのなら、余計なことは言わないほうがいい。そんなことを繰り返しているうちに、父と口を利く時間そのものが少なくなっていったのだと思う。今朝の父を見ながら、そんな昔のことを思い出した。52歳になって、朝の粉薬を前にしながら、親子の距離がどうやってできていったのかを改めて確認することになるとは思わなかった。そして、そんな父を今は私が介護している。薬を管理し、病院へ連れていき、先生の話を聞き、薬局とも相談する。きちんと飲めているのかを確認し、その日の体調を見ながら、時には機嫌まで気にする。別に、美談にするつもりはない。昔のことが全部消えたわけでもなければ、介護を始めたからといって、急に仲のいい親子になったわけでもない。腹が立つものは腹が立つし、過去は過去として今も残っている。それでも、今ここで私がやるしかないことがある。それを使命と呼ぶのが大げさなのかどうかは分からない。ただ少なくとも、今の私に回ってきた役目なのだとは思っている。私は17年間、FAXのカスタマーエンジニアとして機械を直してきた。動かなければ原因を探し、怪しい場所を一つずつ確認し、部品を替え、設定を見直し、また動作を見る。現場では問題を切り分けていけば、たいていどこかに原因があった。けれど介護は、そんなふうにはいかない。錠剤を粉に変えたからといって、それですべてが解決するわけではない。人間には性格があり、機嫌があり、長い年月の中でできあがった癖もある。そして、その人と何十年も一緒に生きてきたこちら側にも、同じように積もっているものがある。機械なら、不具合の原因が見つかれば直せることも多かった。人間は、そうはいかない。今日も私は何度かキレそうになった。「だったら、もう知らない」と言ってしまえば、それはそれで一瞬は楽だったのかもしれない。画像けれど、どうにか飲み込んだ。ここで余計な一言を発したところで、事態がよくなることなど一つもない。その一言から、もっと面倒なことが始まるくらい、長い付き合いの中で嫌というほど分かっている。火を見るより明らかだった。父は粉薬を飲んだ。私は一言を飲み込んだ。どちらが苦かったのかは分からない。そして薬の問題は、まだ終わっていない。私は四六時中、父の横について見ているわけにはいかない。きちんと飲めたのか、こぼしていないのか、袋の中に残っていないのか。粉に変えれば解決すると思っていたところから、また別の課題が始まった。たぶん明日は、今日とは違う問題が出てくるのだろう。一つ片づけたと思ったところから、また次の宿題が出てくる。介護というものは、どうやらそういうものらしい。それでも今日は、余計な一言を言わずに済んだ。それくらいは、自分を褒めてもいいのかもしれない。精神修行は、明日も続く。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。✨✨✨スキやフォロー✨✨✨をいただけると、直せない日々を言葉で保守し続ける励みになります✨✨✨
2026.10.03
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就職氷河期を生きた私たちが、今度はAI時代に放り込まれた。|50代私は17年間、FAXを直していた。客先へ行って、機械を開ける。基板を見る。ギヤを見る。音を聞く。どこがおかしいのかを探して、部品を交換し、動作を確認して、また次の客先へ向かう。FAXが会社にあって当たり前だった頃、それが私の仕事だった。そして52歳になった今。私は画面の向こうにいるAIと話している。文章について相談する。画像を作る、調べものをする。Kindleを作る時にも使う。FAXを直していた男が、二十数年後にはAIと話しながら本を作っている。その頃の自分に言っても、ドラえもんでもついに出来たのかと?!AIという言葉自体はそれこそだいぶ昔から知っている。それこそ、ファミコン時代のドラクエ4とかでAI搭載とか謳っていたし、どこがAIなのかと今では思うが、すごい進化だ。自分で書いていても思う。ずいぶん遠くまで来たものだ。また、時代が変わるらしい私たちは就職氷河期に社会へ出た。もちろん、同じ世代でも歩いてきた人生はそれぞれ違う。それでも少なくとも私にとって、「会社に入った。これで安心だ」そんな時代ではなかった。仕事を覚えれば安心でもない。経験を積めば安心でもない。会社に長く勤めれば、この先もそこに会社があるとは限らない。私自身、FAXのカスタマーエンジニアとして17年働き、その会社はなくなった。その間にも世の中は変わった。パソコンが広がった。インターネットが当たり前になった。携帯電話はスマートフォンになった。FAXも、かつてとはずいぶん違う場所へ移っていった。そして今度はAIである、ニュースを見てもAI。ネットを開いてもAI、AIで仕事が変わる。AIを使える人と使えない人で差がつく。そんな言葉が毎日のように流れてくる。またか。そう思うことがある。また新しいものを覚えるのか。また「これからはこれです」と言われるのか。こっちは前の変化に、ようやく慣れたところなんだけどな。昔から、新しいものは嫌いではなかったとはいえ私は、新しいものが嫌いな人間ではない。むしろ昔は、好きな方だったと思う。新しいガジェットが出れば気になる。知らない機能があれば触ってみたい。「それ、何ができるんだ?」と思えば、調べ始める。仕事が機械相手だったことも、たぶん関係している。新しいFAXが出れば、その機種を覚えなければならなかった。機械を開ける、構造を見る。サービスマニュアルを読む、分からなければ調べる。そういうこと自体には、それほど抵抗がなかった。だからAIが世の中に出てきた時も、「そんなものは俺には関係ない」とは思わなかった。やっぱり気になった。何ができるんだろう。どこまでできるんだろう。ちょっと触ってみたい。その辺は、昔とあまり変わっていない。ただ、一つ大きく変わったものがある。私自身だ。好奇心にも、体力がいる52歳になった。これは認めるしかない。若い頃のようには、新しいものが頭へ入ってこない。説明を読んで、「なるほど」と思ったはずなのに、翌日になると、「あれ、何だっけ」となることもある。一度覚えたはずのことを、もう一度確認する。設定画面を開いて、昨日どこを触ったのか分からなくなる。そして何より、昔ほど何時間でも調べ続けられない。若い頃なら、分からない。だから気になる、調べる。すると、もっと気になる。そんなふうに延々と潜っていけた。今はその途中に、「まあ、今日はいいか」が入ってくる。理解力だけではないのだと思う。新しいものを追いかけることにも、体力がいる。探究心にだって、体力がいる。そもそも日々の仕事と介護、家族のフォローで手一杯。50代になって、そのことを知った、少し寂しい。昔の自分なら、もっと面白がっただろうな。そう思うこともある。それでもAIは、妙に引っかかった。52歳で、また初心者になったAIを触り始めると、分からないことが次々に出てきた。昨日までできなかったことが、今日はできるようになっている。知らない言葉が増える。使い方も変わる。せっかく覚えたと思ったら、また新しいものが出てくる。ちょっと待ってくれ。こっちは覚える速度が落ちているのに、そっちの進化速度は上がっている。なかなか意地が悪い。それでも私は触っている。文章を作る。画像を作る。調べる。本を作る。そして一つできるようになると、「じゃあ、これはできるのか?」と、また試したくなる。その瞬間だけは、昔の自分が少し戻ってくる。52歳にもなると、仕事でも生活でも「知っている側」に回ることが増える。ところがAIの前では、私は普通に初心者だ。分からない。失敗する。やり直す。また調べる。面倒なのに、少し面白い。AIが人生を救ってくれるとは思っていないだからといって、AIを使えば人生が逆転する。50代でもAIさえ覚えれば稼げる。就職氷河期世代に、ようやく大逆転のチャンスが来た。私はそこまで単純には考えていない。AIを使っても介護はなくならない。親に呼ばれれば、私はそちらへ行く。仕事もある。家族もいる。52歳の身体が20歳へ戻るわけでもない。AIに聞けば、人生の答えが全部返ってくるわけでもない。そんな便利なものなら、私だってもう全部聞いている。ただ、できることが一つ増えた。これは結構大きい。頭の中だけにあったものを形にする。一人では見落としていたものを、違う角度から見る。できなかったことを、試してみる。私にとって今のAIは、そのための道具だ。昔使っていたドライバーやテスターとは、まるで違う。でも「道具」というところでは、そんなに遠くないのかもしれない。「もう分からないからいいや」で終わりたくない若い頃のように、全部を追いかけることはできないと思う。新しいサービスが出るたびに調べ、新しい機能を全部覚える。そこまでの元気はない。面倒だと思うこともある。今あるもので十分じゃないか。そう思う日だってある。でも、完全に興味を失ってしまうのも少し嫌なのだ。新しいものを見て、「何だこれ」と思う。少し触る。失敗する。調べる。できる。そんなことを、もう少し続けていたい。若い人と競争したいわけではない。最先端に立ちたいわけでもない。ただ、「もう分からないからいいや」だけで、この先を閉じてしまいたくはない。昔の私は工具カバンを持って、故障したFAXの前に立った。機械を開けて、「さて、どこがおかしい」と覗き込んでいた。52歳の私は今、AIの前に座って、「さて、これは何ができる」と覗き込んでいる。理解する速度は落ちた。探究心だって、若い頃とまったく同じではない。それでも完全には消えていないらしい。そこは、少しうれしい。就職氷河期を生きた私たちが、今度はAI時代に放り込まれた。この先がどうなるのかは、私にも分からない。AIがどこまで進むのか。仕事がどう変わるのか。52歳の私が、どこまでついていけるのか。昔のような速さでは走れないだろう。途中で、「今日はもういい」と投げ出す日もあると思う。それでも、「何だこれ」と覗き込むくらいの好奇心は、まだ残しておきたい。時代はずいぶん変わった。私も、ずいぶん歳を取った。それでももう少しだけ。この先に何が出てくるのか、見てみたいと思っている。
2026.10.02
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52年生きても、自分のことは案外わからない。今日もゆっくりと深呼吸をして、1日をはじめる。そう書くと、ずいぶん静かな朝に見えるけれど、実際はそんなこともない。今日やること、仕事のこと、家のこと、親のこと、この先のこと。目が覚めた瞬間から、頭の中にはいろいろなものが並び始めている。不安や焦りが大きくなりすぎると、目の前のひとつに気持ちを持っていかれて、かえって何から手をつければいいのかわからなくなることがある。だから朝一だけは、一度ゆっくり息を吸って、吐く。それだけで何かが解決するわけではない。不安が消えるわけでもないし、急に前向きになれるわけでもない。それでも、「まあ、ひとつずつやるか」そこまで戻れれば、朝としては十分だと思っている。不安も焦りも、全部なくせばいいとは思わない。少しくらい焦っているから動ける日もあるし、少しくらい不安だから、もう一度確認することもある。ただ、それが大きくなりすぎると厄介だ。頭の中で同じことを何度も考えて、自分で自分を追い込んでしまう。そんな時は、私は書く。腹が立っているなら腹が立つと書く。怖いなら怖いと書く。どうしたらいいかわからないなら、わからないと、そのまま書く。誰かに読ませるものではないから、うまい文章にする必要もない。頭の中にあるものを、とにかく一度、自分の外へ出してみる。書いて、少し眺めて、また書く。そうしているうちに、「ああ、俺はこれが嫌だったのか」と、ようやく気づくことがある。自分のことなのに、案外わからないものだ。52年も生きているのに、いまだにそう思う。もちろん、書くのが合わない人もいる。誰かに話したほうが楽になる人もいるだろうし、少し歩けば落ち着く人もいる。何もしないで、静かな場所にいるほうがいい日もある。やり方は人それぞれでいい。ただ、自分の中で何が騒いでいるのか、一度ちゃんと見る時間くらいはあってもいいと思う。答えが出ない日もある。それでも、昨日より少しだけ、自分が何を考えているのかわかればいい。今日も、いろいろあるだろう。だからまず、ひとつ深呼吸する。そして、ひとつずつやる。私はたぶん、そうやってここまで来た。
2026.10.01
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