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ロスジェネ脱線学 #26 送らなかったメールで考えたこと送らなかったメールで考えたこと下書きフォルダの重さ私は1974年生まれだ。手紙の時代と、メールの時代の両方を知っている。若い頃、伝えたいことは紙に書いた。消しゴムで消して、書き直して、最後はポストまで歩いた。投函した瞬間に、もう戻せなかった。今は違う。送信ボタンの手前で止まれる。何度でも直せる。消すこともできる。だが、不思議だ。送らなかった言葉のほうが、いつまでも残る。就職氷河期の頃、本音を書きかけて、消したことがある。怒りも、悔しさも、正しさも。送らなかったからこそ、胸の奥に居座った。50代になっても、下書きフォルダは軽くならない。誰かに言わなかった一文。自分に言えなかった一文。それらは、削除しても消えない。送らない選択は、臆病だろうか。それとも、優しさだろうか。ロスジェネの世代は、飲み込む技術を覚えすぎた。波風を立てない。摩擦を減らす。だがその分、胸の中に積もる。今日もまた、一通のメールを閉じた。送らないまま。それでも明日は来る。言葉は消えなくても、日付は進む。たぶんそれでいい。全部を外に出さなくても、生きてはいける。だが、いつか一度くらいは、送信ボタンを押してみたいとも思っている。
2026.03.31
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一瞬永遠 第30幕 夜の入口夜は音もなく街の上に降りてくる昼の名残がまだ少しだけ空に残りながら店の灯り車のライト信号の赤それぞれが小さな星のように道を照らしている歩く人の数は昼より減り足音だけがはっきり聞こえる扉を開けると家の空気がゆっくりと身体に戻ってくる外の時間がそこで一度止まる靴を脱ぎ鞄を置き明かりをつけるそれだけの動作が今日という一日を静かに閉じていく胸の奥にほんの少しだけ安堵が広がった何も特別なことは起きていないそれでも確かに一日を生き終えた窓の外ではまだ街が動き誰かの時間が続いているその流れの中で私の今日もそっと夜へ渡される画像
2026.03.30
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介護の朝は突然に…#21|予定通りにはいかない土曜日【50代】先日書いた予定は、やはり予定通りにはいかなかった。まあ、介護とはそういうものだ。むしろ予定通りに進む日のほうが少ない。頭ではわかっている。わかってはいるのだが、朝からそれを突きつけられると、気持ちは少しざわつく。嫌な予感は、朝から始まっていた朝のルーティーンの中で、父の尿の出が少ないことに気づいた。昨日、カテーテルの清掃をしてもらったばかりだ。それでも、何となく嫌な予感はあった。浮遊物の多さ。匂いの感じ。そういう細かな違和感というのは、毎日見ていると妙に引っかかる。案の定、出ている量が少ない。しかも尿もれもそれなりにある。まずいかもしれない。朝いちで訪問介護に連絡をした。だが今日は土曜日だ。やはりすぐには来られないらしい。昼以降になるとのことだった。当番で回しているのだから仕方がない。そこはよくわかる。私もCE時代、夜間や休日の対応で似たようなことをしていた。限られた人数で回す。優先順位をつける。すぐ行きたいが、すぐ行けない。その現実はわかる。だが父には、そんな理屈は通らない。「なんで早く来ないんだ」当然、ご機嫌は斜めになる。そこを何とかうまくなだめる。介護は、処置や段取りだけではない。待つ時間の空気をどう持たせるかも、かなり大きい。桜は、諦めたとりあえず尿もれの処理をする。来るまでにはまだ時間がある。しかも今日は土曜日、父を風呂に入れる日でもある。ならば先に入れてしまおうと思った。準備を進めていると、娘が出てきた。友達と横浜へ行くらしい。気をつけるようにだけ言った。先日のサンシャインの件もある。どこで何が起きるかは、本当にわからない。だが心配ばかりしていても仕方がない。ある程度見守ることも、親の役目なのだろうと思う。父を風呂に入れた。ここまでは何とか順調だった。本当なら今日は、桜を見に連れて行こうかとも考えていた。だが、もう諦めた。たぶんカテーテルは交換になるだろう。そうなると訪問介護から訪問医療へバトンタッチになる。また時間がかかる。桜は逃げない。そう自分に言い聞かせるしかない。腰痛が、正直に届いた昼を食べ、少し休んでから、気分転換も兼ねて筋トレを始めた。ところが、やっているうちに腰へ痛みが来た。ああ、これは無理ができないやつだ。早めに切り上げた。悔しい。正直、悔しい。やれると思っていたことが、身体の側から止められる。50代というのは、こういうことが確実に増える。だが、無理をして長引かせたらもっと面倒だ。そこはもう認めるしかない。家キャンは、やはり効くしばし家キャンで休憩した。椅子に座る。少し外気に触れる。呼吸を整える。大げさなことではない。だが、こういう小さな間がないと、気持ちは詰まりっぱなしになる。それからは、訪問介護が来るまで、両親と話しながらうまく気を紛らわせた。父の不安を煽らず、母の流れも乱さず、場の空気だけは崩さないようにする。地味だが、神経を使う。そうこうしているうちに、訪問介護の方が来てくれた。再度清掃。今回も、ひとまず大丈夫そうではある。だが不安が完全に消えたわけではない。介護では、この「たぶん大丈夫」が続くことが多い。白黒きっぱりつかないまま、様子を見ながら進む。そこがまた、こちらの気持ちを削る。最後まで、こちらの都合では終わらないそのあとには、義理の母を風呂へ入れるため、妻と車で行かなければならない。その間、うちの両親だけになる。見守りカメラで時折チェックしながら進めるしかない。普段とそんなに変わらないようでいて、今日は腰痛が響いて少し疲れた。身体の一か所が痛むだけで、気持ちの余裕まで削られる。それもまた、若い頃にはあまり意識しなかったことだ。本当は、ゆっくり風呂に浸かりたい。今日はそんな気分だ。だが、それもなかなか叶わない。介護のある土曜日は、最後までこちらの都合では終わらない。もっと落ち着いたら、ゆっくり温泉にでも浸かりたい。そんなことをぼんやり想像しながら、今夜の夜キャンは地図でも眺めようと思う。予定通りにはいかなかった土曜日。だが、予定通りにいかないことを前提に、何とか回していくしかない。介護とはたぶん、そういう日々の積み重ねなのだろう。
2026.03.29
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そばか、うどんか。|ロスジェネ氷河期世代の胃袋は、今日も迷うこれは麺の話ではない。どんな時代を、どう食べてきたかの話だ。味の好みだけでは片づかない。記憶が絡む。時代が絡む。生きてきたテンポみたいなものまで、少し入ってくる。ロスジェネ氷河期世代。バブルの時代を子どもとして見て、社会に出る頃には景色が変わっていた世代だ。派手な夢を語るには空気が悪く、かといって達観するにはまだ若かった。そんな半端な場所で、私たちは案外いろいろなものを胃袋に流し込んできた。その中に、そばとうどんがある。うどんには、戻ってこられる感じがある私は関西風のうどんが好きだ。田舎が四国だったことも、たぶん大きい。子どもの頃、夏休みに祖父母の家へ向かう途中、宇高連絡船の中や高松あたりで食べたうどんの記憶がまだ残っている。湯気。だしの匂い。やわらかさの中にちゃんと芯のある麺。何ということのない一杯なのに、不思議と記憶の棚から落ちてこない。疲れていても入ってくる。胃袋に強く主張しすぎない。それでいて、ちゃんと旨い。妙にやさしい。今は関東にいても、讃岐系のうどんは珍しくなくなった。昔なら地方でしか味わえないと思っていたものが、今はかなり身近だ。ありがたい。だが少しだけ、複雑でもある。本場の味にわざわざ会いに行かなくても、かなり近いところまで来てしまった。便利な時代の、少しだけ複雑な感触だ。立ち食いそばを、私はわりと信用している一方で、そばも強い。むしろ年齢を重ねるほど、その良さがわかってくる。若い頃は勢いで肉を食い、脂で押し切れた。だが50代ともなると、胃袋は昔ほど無茶に付き合ってくれない。そうなると、そばのあの軽やかさが効いてくる。ただ、私にとってのそばは、上品な名店だけではない。むしろ立ち食いそばの存在が大きい。ロスジェネ世代の人間なら、あの世界に世話になった人は多いのではないか。朝の駅、仕事の前、仕事帰り、時間も金もあまりない昼。だが何かは食べたい。そのとき、立ち食いそばはやけに頼もしかった。早い。安い。うまい。この三拍子は、ただの宣伝文句ではない。あの時代をくぐってきた人間には、妙に身にしみる。余計なことを言わず、黙って腹を満たしてくれる。だしの香りが立ちのぼり、熱いそばをさっとすする、その一瞬にちゃんと救いがある。駅のそば屋には、駅のそば屋にしかない良さがある。椅子もなく、長居も前提にしていない。それでも、ひと口すすった瞬間に妙に落ち着く。ほんの数分だけ、自分の生活が持ち直す感じがある。うどんは記憶に近く、そばは生活に近いこうして考えると、うどんとそばは役割が少し違う。うどんは、記憶に近い。家庭に近い。帰省や土地の匂いが混ざる。そばは、生活に近い。働く日々に近い。忙しさや空腹や、少し草臥れた自分のそばにいた。だから困る。どちらが上かなんて、決められない。うどんを食べれば、ああやっぱりいいと思う。そばを食べれば、いやいやこっちも強いとなる。この勝負、永遠につかない気がしている。50代の胃袋は、正直だ年齢を重ねると、食べ物に求めるものが変わる。若い頃は量と勢いだった。今は、身体に入ったときの具合まで考える。今日は胃がどうか。疲れがどうか。夜に響かないか。その意味でも、そばもうどんも50代の味方だ。無理をさせすぎず、ちゃんと旨い。この条件は案外大きい。私はコスパ至上主義でもタイパ至上主義でもない。だがロスジェネ世代として、「早い、安い、うまい」に助けられてきた実感はある。見栄を張る余裕のない時代、食事に金も時間もかけられない日々、その中でそばもうどんも、ずいぶんこちら側にいてくれた。どちらも譲れない、という答えうどんには、幼い頃の空気がある。そばには、大人になってからの時間がある。どちらも私の中に、ちゃんと残っている。今日はうどんの気分の日がある。今日はそばでいきたい日もある。それでいいのだろう。人生もたぶん同じだ。どちらか一つに決めきれないものを抱えながら、人は案外うまく生きていく。少なくとも私は、そういう曖昧さが嫌いではない。そばか、うどんか。この答えがまだ決まらないうちは、たぶん私の胃袋も、人生も、まだ少し元気なのだと思う。
2026.03.28
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心を揺らさぬために、私が持つ「静穏の芯」【50代】50代になってから、心が揺れる場面が立て続けに起きている。ひとつ片づいたと思えば、またひとつ。いや、片づくという言い方すら違うのかもしれない。人生の難題というものは、きれいに終わって次へ行くのではなく、いくつも折り重なりながらこちらへ来る。そんなことを、この数年で嫌というほど知った。まず、ダブル介護が始まった。父には余命宣告が出た。母は認知症。この二つだけでも十分に重い。しかも、どちらか片方だけ見ていればいいわけではない。父には父の危うさがあり、母には母の難しさがある。種類の違う負荷が、同時に続く。そこへ娘の進学の問題も重なった。発達障害のある娘の進路については、かなり悩んだ。普通科へ行くのがいいのか。別の道がいいのか。将来の就労まで見据えたとき、何が本人にとって一番現実的なのか。考えれば考えるほど、簡単な話ではなかった。最終的に、支援学校へ行かせる判断をした。これは苦渋というより、現実を見た上での決断だったと思う。勉強そのものは、何歳からでもできる。本気で学びたくなれば、あとからいくらでもやり直せる。だが、就労へ向かうための土台づくりには、その時期にしか積みにくいものもある。3年は長いようで短い。振り返れば、あっという間だ。だからこそ、その3年をどこに置くかは大きい。さらに、昨年は妻の入院と手術もあった。これも急だった。もともと体調が万全なほうではなかったが、まさか入院、それも手術になるとは思っていなかった。手術どころか、これまで入院すらしたことがなかった人である。それだけに、こちらの心への響き方も小さくなかった。無事に手術は終わり、今は通常の生活に戻っている。それでも、あのときの緊張感は残る。人は普段、家族がそこにいることを当たり前のように受け取っている。だが、その当たり前は、ある日急に揺らぐ。それを思い知らされる出来事だった。そして、義理の母の介護もある。これについては、どうにも割り切れないものが残る。妻が実質的にメインになりがちな状態が続いているからだ。妻は三人きょうだいの末っ子である。長男は義理の母と一緒に住んでいる。ただ、仕事でほとんど家にいない。一番上の長女は隣の県で、夫と二人暮らし。家の広さも十分ある。子どももいない。普通に考えれば、そちらへ移るのが筋ではないか。そう思いたくもなる。だが、現実はそうならない。長男も、同居しているわりにはあまり協力的とは言いがたい。結局、うちが一番近い。車で20分くらい。だから行く回数も増える。妻は運転ができない。となれば、私も自動的に一緒に動くことになる。もちろん、それぞれに事情はあるのだろう。外から見ただけではわからないものもある。それは頭ではわかる。わかるのだが、心が完全についていくとは限らない。家族というものは、そのあたりが厄介だ。こうして見ると、心が揺れることの連続である。大きな出来事だけではない。日々の生活の中にも、細かいことはいくらでもある。言葉ひとつ。態度ひとつ。予定の乱れ。体調の変化。数え始めたらきりがない。いちいち反応していたら、こちらの心のほうが先に擦り切れる。だからこそ、私は思う。この先を生きるには、不動心が必要なのだと。もちろん、最初からそんなものがあったわけではない。もともと私は、情で動く人間だ。腹も立つ。焦りもする。理不尽さに納得できないこともある。心は、普通に揺れる。ただ、揺れ続けるままでは持たない。そこで自分なりに編み出したやり方がある。細かいことでは腹を立てない。焦りに飲まれない。他の家庭や他人のことは、なるべく気にしない。比べれば乱れる。見れば腹が立つ。考えすぎれば、自分の芯が削れる。疲れや不満は、胸の中でこね回さない。空へ放る。家キャンでもいい。小高い丘でもいい。風に吹かれ、夕日を見ながら、空気の中へ溶かしてしまう。言葉にすると少し気取って聞こえるかもしれないが、実際かなり効く。夕方の風に当たっていると、胸の奥のざらつきが少しだけほどける瞬間がある。私はあの感覚を、わりと信じている。これを私は、「静穏の芯を持つ」と呼んでいる。心の真ん中に、静かな芯を持つ。慌てない。騒がない。外でいろいろ起きても、中心まで崩さない。さざなみは立ってもいい。だが、大しけにはしない。できれば、さざなみすら立たせない。現実には、そんなにうまくはいかない。人間だから、腹も立つ。ときには不公平さに歯ぎしりしたくなる。「なぜうちばかり」と思う日も、正直ある。けれど、そのたびに感情を全力で燃やしていたら、長期戦は戦えない。介護をやっていて、まだたった2年半。たった、と言うには濃い時間だった。だが、本当の意味ではまだ入口かもしれない。これから先、いつまで続くのかはわからない。明日少し楽になる保証もなければ、逆に一気に重くなる可能性もある。だからこそ、心の安定は重要なのだ。気合いではない。我慢大会でもない。精神論だけでもない。自分の心を毎日立て直す、小さな習慣のようなものだと思っている。他人を変えるのは難しい。状況を一気に変えるのも難しい。家族の事情は、理屈通りには並ばない。ならばせめて、自分の中心だけは大きく崩さない。そこに力を使うしかない。50代になって、そういう生き方が少しずつ必要になってきた。若い頃は、揺れても勢いで戻れた。怒っても、落ち込んでも、寝れば多少は回復した。だが今は違う。揺れ方次第で、そのまま翌日にも響く。数日引きずる。身体にも出る。だからこそ、心の持ち方は以前よりずっと大事になった。私は今日も、静穏の芯を持とうと思う。外ではいろいろ起きる。これからも起きるだろう。介護も、家族も、老いも、そう甘くはない。それでも中心まで明け渡さない。風には吹かれても、倒れない。できることなら、静かに立っていたい。それが今の私の、自己流の方法である。
2026.03.27
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私が夢中になるとき|52歳の私は、没頭することで自分を保っている【50代】夢中になるときがある。介護という、没頭せざるを得ない現実目の前のことに必死で向き合うと、余計なことを考えなくなるもう一つある。NOTEだ。書き始めると、いつの間にか入り込んでいる夢中になることは、逃避ではない集中力が落ちた。持続力も落ちた。それでも、まだ没頭できる。まだ何かに本気になれる。それなら、たぶんまだ終わらない。夢中になるときがある。最近つくづく思うのは、今の私は昔より集中力も持続力も落ちてきているということだ。若い頃のように、何時間でも一つのことに没頭し続ける感じは薄くなった。気力も体力も、少しずつ削れている。それはもう認めるしかない。だが、そのまま落ちていくのも違う気がしている。だから私は、それに抗うように、あえて夢中になる。没頭する。そうすることで、何とか自分を保っているのだと思う。介護という、没頭せざるを得ない現実一つは、介護だ。好きで没頭しているというのとは、少し違う。状況的には、没頭せざるを得ない、のほうが近い。それでも結果として、私はかなり深く入り込んでここまで来た。ダブル介護。父は余命1年と言われながら、すでに2年半。母は認知症が進み、もともとの気質もあってか、以前よりさらに攻撃的になり、他人の意見をほとんど受け入れない状態になっている。昨年は妻が入院し、手術もあった。発達障害のある娘は、支援学校へ進んだ。更に義理の母も介護状態でフォローにいくことも、しばしば。こうして並べるだけでも、なかなかの密度である。今振り返っても、よくあの時期を回していたものだと思う。目の前のことに必死で向き合うと、余計なことを考えなくなる介護に夢中で取り組んでいる時、不思議と余計なことを考えなくなる。次は何をするか。何を優先するか。誰を先に落ち着かせるか。どこに目を配るか。そういうことだけで頭の中が埋まる。すると、先のことばかり考えて沈んだり、自分の感情をこね回したりする時間が減る。苦しくないわけではない。しんどさはある。だが、没頭して当たっていると、かえって何とかこなせてしまうことがある。人間というのは不思議だ。限界だと思っていても、その場に入ると何とか動く。そうやって私は、ここまで日常を回してきた。しかも、仕事もやれている。それはもう、奇跡的といっていいかもしれない。介護がすべてを飲み込んでもおかしくない状況の中で、仕事も回している。大げさではなく、本当にそう思う。もう一つある。NOTEだ。介護が始まった時期と、毎日投稿を始めた時期はほぼ重なっている。普通に考えれば、この状況で毎日書こうとはあまり思わないだろう。仕事がある。介護がある。心も身体も削られる。その中でさらに書く。冷静に考えれば、なかなか無茶である。だが、当時の私には必要だったのだと思う。一気に難題が押し寄せたあの時、自分がここにいる証として、何かを残しておきたかったのかもしれない。ただ日々に飲まれて終わるのではなく、自分の言葉で何かを刻みたかった。それがNOTEだったのだろう。そしてNOTEを続ける中で、同じような境遇の人たちとつながることができた。介護。50代のしんどさ。家族の問題。身体の衰え。仕事との両立。似たような悩みを抱える人たちが、思っていた以上にいた。自分だけではない。皆それぞれ大変な中で、それでも頑張っている。そのことを再認識できる場になった。それは大きかった。書き始めると、いつの間にか入り込んでいるNOTE自体は、今年の5月で丸6年になる。だが本腰を入れてやるようになったのは、連続投稿を始めてからだ。あそこからNOTEは、単なる投稿の場ではなくなった。暮らしの一部になり、生き方の一部になった。毎日がそうとは限らない。気が乗らない日もある。何も出てこない日もある。ただ疲れているだけの日もある。それでも、いったん書き始めると、いつの間にか入り込んでいる。ああでもない、こうでもないと考え、言葉を選び、流れを整えているうちに、時間を忘れてしまうことがある。書くという行為の中に、自分がちゃんと戻ってくる感じがある。夢中になることは、逃避ではない50代になると、やる気も行動力も落ちる。集中力も持続力も、昔のようにはいかない。それは事実だ。だが夢中になるというのは、逃避ではない。現実から目をそらすことでもない。むしろ、現実のただ中で、自分が自分であるための行為に近い。介護に夢中になる。NOTEに夢中になる。そうやって私は、何とか今をつないできた。これから先も、ずっと同じようにできるかはわからない。体力も変わるだろう。環境も変わるだろう。だが少なくとも今の私は、夢中になることで持ちこたえている。集中力が落ちた。持続力も落ちた。それでも、まだ没頔できる。まだ入り込める。まだ何かに本気になれる。それなら、たぶんまだ終わらない。私はそう思っている。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.26
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笑いの臨界点 #23 かごを持ったまま、目的が消えるスーパーに入る。かごを取る。この時点で、私はもう勝っている。今日は買うものが決まっている。決まっているのだ。たしか。私はまっすぐ歩いた。迷わない。余計な棚を見ない。「できる大人」みたいな歩き方で。そして、ある地点で止まった。止まった瞬間、頭の中のメモが白紙になった。……私は、何を取りに来たのだろう。かごは空。手はかごを握っている。体は前進の姿勢のまま。なのに目的だけが消えている。こういう空白は、スマホなら再起動で済む。人間はそうはいかない。私は棚を見た。調味料。乾麺。レトルト。どれも違う気がする。違う気がするというか、正解が何だったかが思い出せないので、違うも何もない。少し前まで、「絶対にこれ」だったはずなのだ。その「これ」が、いまは霧の向こうにいる。私はゆっくり歩き出した。歩けば思い出す。人はそういうものだ。たぶん。だが歩いても、思い出さない。むしろ歩くほどに、自分が何者かわからなくなってくる。さっきまで、私は生活者だった。いまはただ、かごを持った人だ。そのとき、後ろから視線を感じた。感じただけだ。誰も見ていない。見ていないはず。だがこちらの脳内では、「目的を失った男」という札が背中に貼られている。私は一度、かごを見た。空。きれいに空。空っぽというのはなぜこんなに、心細いのか。そこで私は、禁じ手を使った。スマホを取り出し、買い物メモを開く。……ない。メモがない。私はメモを作った記憶がある。だが、存在していない。この手の出来事が起きると、人は世界より先に自分を疑い始める。「いや、そもそも今日は買うものなんてなかったのかもしれない」そんなことはない。ここまで来て。かごを持って。強い意志で歩いて。何も買わずに帰る人生は、さすがに薄味すぎる。私は立ち止まって目を閉じた。呼吸。静かに。思い出せ。思い出せ。思い出せ。……その瞬間、頭の隅から小さく出てきた。そうだ。私は、マヨネーズを買いに来た。マヨネーズ。その程度のことで、ここまで彷徨ったのか。私は笑いそうになった。でも笑わなかった。スーパーの通路で笑うのは少しだけ危険だ。マヨネーズ売り場へ向かう。あった。普通にあった。私はそれをかごに入れた。たった一本。たった一本が入っただけで、かごが急に「生活」になる。人は不思議だ。物が一つ入るだけで、自分がちゃんと人間に戻った気がする。レジへ向かいながら、私は思った。たぶんこれが、大人のユーモアの正体なのだ。劇的なことは起きない。ただ、マヨネーズを忘れてマヨネーズを思い出す。その間に、自分の衰えや、焦りや、どうでもいいプライドが見える。そして見えたものを、深刻にしすぎずに持ち帰る。マヨネーズと一緒に。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.25
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ロスジェネ脱線学 #26 レシートの文字が読めなくなって考えたことピントが合わないのは、紙だけじゃない私は1974年生まれだ。ロスジェネ氷河期第一世代。若い頃、乱視ではあったが見えないことはなかった。夜。買い物帰り。手元に一枚、レシートが残る。白い紙に、黒い極小文字。あれはもう、文字というより粒だ。粒の行列。情報の砂嵐。読もうとする。近づける。見えない。遠ざける。見えない。腕を伸ばした瞬間、ふと思う。この動き、人生に似ている。近づきすぎると見えない。離れすぎても見えない。ちょうどいい距離を探して、ずっと調整している。昔は、読めないものなんて少なかった子どもの頃、読めないものは大体ワクワクだった。ゲームの攻略本の裏技。雑誌の小さなコラム。説明書の注意書き。読めないなら、読めるようになればいいと思っていた。目も、体も、気持ちも。育てれば伸びる。努力すれば届く。そう信じやすい時代だった。でも今は違う。読めないものは、だいたい現実だ。支払い期限。細かい手数料。知らないうちに変わったルール。よく見ると増えている、何か。レシートには、全部書いてある。買ったものも、金額も、そして小さな違和感も。だけど読めない。読めないのに、捨てられない私はレシートをすぐ捨てられない。財布に入れる。ポケットに入れる。車のドリンクホルダーに突っ込む。帰宅して、テーブルの端に置く。たまっていく。白い紙の墓場。理由はわかっている。確認しないと落ち着かないのだ。この世代は、だいたいそうだと思う。何かを信じ切れない。どこかで裏を取りたくなる。見えない不安を、紙にして持っていたい。そして結局、見えないまま持ち続ける。なんだこの矛盾。でも、これがロスジェネの体温だ。ピントが合わないのは、未来のほうだったレシートを腕を伸ばして眺めていると、たまに思う。自分は、いつからこうなったのか。老眼とか、年齢とか、そういう話もある。でもそれだけじゃない気がする。若い頃は、未来が近くにあると思っていた。手を伸ばせば触れられる距離にある、と。ところがいつの間にか、未来は遠ざかった。腕を伸ばしても届かない。近づこうとすると、ぼやける。離れると、もっとぼやける。結局、ずっとピント合わせをしている。人生の後半は、そういう作業ばかりだ。健康。仕事。親のこと。お金。人間関係。一つにピントを合わせると、別の何かがぼやける。全部を鮮明に見るのは無理だと、体が先に教えてくる。そんな中で、レシートだけは妙に正直だ。「あなたは今日、これを選んだ」そう言ってくる。選択の積み重ねが、暮らしになる。暮らしの積み重ねが、人生になる。その事実だけは、粒の文字でも読み取れてしまう。それでも、捨てる私は最後に、レシートを丸める。くしゃ。紙が縮む音。あの音が、少しだけ救いになる。完璧に理解できなくても、全部を把握できなくても、今日を終わらせることはできる。捨てる。流す。忘れる。それもまた、生き延びる技術だ。私は1974年生まれだ。まっすぐ進めた気はしない。でも、寄り道しながらここまで来た。ピントが合わないなら、合わないなりに歩く。ぼやけたままでも、温度だけは残せる。深夜の台所で、ふと思う。レシートの文字は読めなくなっても、湯気の匂いとか、誰かの気配とか、そういうものは、まだ感じ取れる。だったら今日も、まあ悪くない。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.24
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一瞬永遠 第29幕 灯りが生まれる頃空の色がゆっくりと名前を変えはじめる昼の青が少しずつほどけ街の輪郭が柔らかくなる店の窓に灯りがともり人の顔がやさしく見える歩く速度も昼よりわずかに遅い急ぐ理由がどこかへ置き去りになったようだ角を曲がると遠くの家の窓にひとつ灯りが見えたその瞬間胸の奥が静かに温かくなる大きな出来事ではないただ誰かが今日を終えようとしているそれだけの光街はまだ動いている車も人も信号もけれどこの時間だけは少しだけ静かだ私はその静けさの中で歩きながら今日という日が確かに存在していたことを思い出す一瞬のまま過ぎていく時間それでもどこかに残る小さな灯りのように─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.23
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私と東京|昭和の東京にあって、令和の東京から薄れていったもの私と東京東京は、私にとって憧れる場所ではなかった。最初からそこにあった、空気のような土地だ。港区三田で生まれた。港区三田で生まれ、小学1年までを過ごした。小学2年からは世田谷区用賀へ移り、結婚する33歳までそこにいた。結婚後は品川区戸越公園に5年。その後、神奈川県へ引っ越して今に至る。人生の大半を、東京で過ごしてきたことになる。だから東京には思い入れがある。だが、よくある「東京への憧れ」とは少し違う。私にとって東京は、憧れる場所ではなく、最初からそこにあった土地だ。空気のように当たり前で、だからこそ特別でもある。FAXの仕事をしていた頃も、現場はずっと都心部だった。千代田区、中央区、港区、品川区。あのあたりを自転車で走り回りながら働いていた。東京という街は、思い出としてだけではなく、生活と仕事の匂いごと身体に染みついている。何か大事なものを、失っていっているような気がする今の東京はきれいだ。再開発も進み、建物は洗練され、駅も街も整った。見た目だけ見れば、今のほうがずっと立派かもしれない。だが不思議なもので、そこにあまり魅力を感じない。東京スカイツリーよりも東京タワーのほうに惹かれる。それは高さや新しさの問題ではない。街が持っていた匂いとか、雑音とか、空気感とか、そういうものの違いなのだと思っている。昭和の東京には、生活の匂いが濃くあった路地があった。個人商店があった。赤ちょうちんがあった。町工場があった。木造家屋もまだ色濃く残っていた。少し雑然としていて、少し不揃いで、少し古びていた。だが、その雑多さがそのまま街の個性になっていた。三田に住んでいた頃も近くの麻布十番など今とはだいぶ違う。もっと静かで、他から来る人も少なく落ち着いた場所だった。今のように観光地化はしていない。少し先にあった六本木は当時から人は多かったと思うが。用賀も引っ越した頃はまだ空き地や畑なども結構残ってた。古い商店もたくさんあった。整ってはいなかった。むしろ不便も多かった。それでも、街ごとにちゃんと顔があった。上野には上野の匂いがあり、新宿には新宿の熱があり、浅草には浅草の古さがあり、神田には神田の渋さがあった。今よりずっと、場所の気配が濃かった。昭和の東京は、子どもが少し背伸びして街へ出ていける空気があった三田にいた頃は、バスで渋谷にも目黒にも五反田にも出られた。だから小さい頃から、わりと一人でバスに乗ってあちこち行く子どもだった。用賀に移ってからは、低学年の頃から電車を駆使してそれなりに動いていた。当時の自分には、それが特別なことだとは思っていなかった。だが今思えば、少し危なっかしくもあり、少し自由でもあった。街は変わる。それは仕方がない。だが、変わっていく中で、確かに何かは薄くなった。人の顔が、生活の中に見えていた昭和の頃は、今より近所付き合いが濃かった。顔見知りの店主がいた。世話焼きのおばちゃんのような存在もいた。面倒なことも多かったと思う。だが、人の顔が生活の中に見えていた。令和はその逆だ。個人の自由は大きい。干渉もされにくい。一人でも生きやすいし、気楽でもある。その便利さは否定しない。ただその一方で、人との接点は薄くなり、孤独もまた見えにくい形で増えているように思う。消費や娯楽も変わった。昭和はテレビが強かった。喫茶店、商店街、映画館、祭り。みんなで同じものを共有する空気があった。昨日見たテレビの話を、翌日みんなでしていた。今はスマホとネットがある。好きなものを好きなだけ選べる。だが、共通体験は少しずつ減っていった。便利さの代わりに。空気感が減ると、街の魅力まで薄く感じることがある昭和は不便なことが多かった。待つことも多かった。寄り道もあった。雑談もあった。無駄も多かった。でも、その無駄の中に人情や偶然が入り込む余地があった。令和は何もかも速い。効率は上がった。だが、心の余裕は減った。路地に迷い込み、店主と立ち話をし、常連同士の空気に少し触れる。そういう偶然が、街の魅力になっていた。今の東京は完成度が高い。だが完成度が高すぎるぶん、どこか均質に見えることもある。きれいで、便利で、洗練されている。その一方で、少し薄い。思い出補正は、たぶんかなり入っている昭和が全部良かったわけではない。狭い家もあった。差別もあった。男尊女卑も強かった。情報は乏しく、働き方も荒っぽかった。今のほうが明らかに良くなった部分もたくさんある。だから、昭和をただ持ち上げたいわけではない。ただ、それでも思うのだ。昭和の東京には「不便だけど濃い」魅力があった。令和の東京には「便利だけど薄く感じることがある」空気がある。その違いは、やはり大きい。東京タワーを見ると、少しほっとする私は今、東京を離れて神奈川に住んでいる。だからこそ、少し距離を置いた目で東京を見ることができる。用賀も、渋谷も、品川も、今はもう日常の延長ではない。少し離れたぶん、余計にわかることもある。再開発で生まれ変わっていく東京を見るたびに、感心するより先に、少し寂しさが立つ。きれいになった。便利になった。だが、あの頃の雑多さは戻らない。あの頃の匂いも戻らない。それでも私は、東京タワーを見ると少しほっとする。路地の残る街に入ると、妙に落ち着く。赤ちょうちんや古い喫茶店に、つい目が行く。たぶん私は、東京の新しさよりも、東京に残っている古い体温のほうに惹かれる人間なのだと思う。私と東京都会への憧れの話ではない。自分がどんな空気の中で育ち、どんな街の匂いを身体に染み込ませてきたか、という話である。今でも東京を思い出す時、先に浮かぶのは高層ビルではない。路地であり、雑音であり、商店街であり、少し古い店の灯りであり、あの頃の空気なのだ。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.22
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連休は部屋を片付けたい 介護のある家で暮らしを整える【50代】この連休中は、部屋の片付けをしたいと思っている。もっとも、何でも好きなようにやれる連休ではない。うちは介護がある。看護の手も常に必要だ。だから大前提として、両親に問題がないこと。そこがまず第一である。幸い、今のところは大きな変化もなく、何とか大丈夫そうだ。介護をしていると、この「今のところ大丈夫」がどれだけありがたいか、よくわかる。何も起きていないだけで、その日の土台がひとつできる。だからこそ、この連休は少しでも家の中を整えたい。まずは、自分の机まわりを整理したい。気づけば、何となく積み重なったものが増えている。書類、細かな道具、よくわからないメモ、あとで見ようと思って放置したもの。机の上というのは、不思議とその時の頭の中を映す。乱れている時は、だいたい生活も少し乱れている。子どもの部屋もなかなかの状態だ。ぐちゃぐちゃと言って差し支えない。本当は自分で整理整頓をさせたい。これはもう、やらせないといけない時期だろうと思っている。うちは、妻も子どもも私も、全員典型的なO型である。かなり適当だ。実に適当だ。ゆえに、いつの間にか私が「ちゃんとする係」みたいになってしまっていた。本来、私だってそんなにきっちりしている側の人間ではない。むしろ雑な側だったはずなのだ。だが、気づけば真逆に回っている。人生というのはわからない。もっとも、何かと口うるさく言うのも、こちらとしては面倒なのである。その結果、つい自分でやってしまう。すると子どもからすれば、「やらなくても、そのうち勝手に誰かがやってくれる」になる。これはよくない。今さらだが、やはりちゃんとやらせないといけない。そう思いながらも、まずは今日、やれるところまでやろうと思う。しかも今回は、ただ片付けるだけでは終わらない。コンセントまわりの埃のチェック。差し込みが抜けかかっていないかの確認。電気製品まわりもひと通り見ておきたい。ブルーレイレコーダー。NAS。こういう機械類は、動いている時は存在を忘れがちだ。だが、いざ不調になると急に困る。まして埃や熱はじわじわ効く。ファンまわりの清掃もしておきたい。時間があれば、PCの内部まで手を入れておきたいと思っている。こういうのは、やろうと思っているうちがまだいい。本当にまずいのは、「そのうちやろう」を繰り返して、ある日突然トラブルに見舞われることだ。50代になると、そういう後回しのツケがわりと露骨に返ってくる。家も、身体も、機械も、だいたい同じである。もちろん、介護用品のチェックも外せない。消耗品の残量。足りているか。手すりなどの状態はどうか。緩みはないか。日々使っているものほど、当たり前になってしまって見落としやすい。だからこそ、こういう時に一度見ておくべきだと思う。考えてみると、やることはかなり満載である。部屋の片付け。トイレの掃除。電気製品の点検。介護用品の確認。そして必要があれば修理も入る。連休といっても、のんびり羽を伸ばすというより、暮らしのメンテナンス期間に近い。だが、今の私にはたぶんそういう連休のほうが合っている。遠くへ出かける余裕はない。家を長く空けるわけにもいかない。ならば、家の中を整える。足元を立て直す。生活の土台を少しでもマシにする。それだけでも、十分意味がある。実際、早速部屋の掃除に取りかかり、父の椅子の修理も行った。こういうのは、始めるまでがいちばん重い。だが手をつけてしまえば、案外進む。目に見えて片付く。直る。整う。それだけで、気持ちも少し前へ出る。まあまあの初日、といったところだろう。完璧ではない。全部終わったわけでもない。だが、ゼロではない。ちゃんと前へ進んだ感覚がある。この「少し進んだ」が、案外大事なのだと思う。その合間に、家キャンの休憩もできた。ほんの短い時間だったが、あれがあると違う。外の空気を吸う。椅子に座る。空を見る。そういう小さな呼吸があるから、また家の中へ戻っていける。片付けも介護も、ただ詰め込むだけでは持たない。途中で少し緩めるから、また続けられる。連休というと、どこかへ行くとか、何か特別なことをするとか、そういう華やかなイメージもある。だが今の私には、こういう連休も悪くない。家を整える。介護の足元を確認する。機械を点検する。子どもにも少しは自分でやらせる。そして合間に家キャンで呼吸を入れる。派手さはない。だが、こういう地味な整え方こそ、今の暮らしには必要なのだと思う。まずまずのスタートだった。この調子で、やれるところまでやっていこうと思う。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.21
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小学校の卒業アルバムを開いたら、1986年が遠すぎて少し笑った【50代】こういうものは、危険である。少しだけのつもりが、だいたい止まらなくなる。写真を見て、文集を見て、学校行事を見て、当時の世の中の出来事まで目に入る。気づけば今の時間より、あの頃の空気のほうに長く浸かっていたりする。1986年卒業。数字で見ても昔だし、実感としても十分に遠い。だが卒業アルバムというやつは、その遠さを一気に縮めてくる。開いた瞬間、急に昭和の空気が立ち上がる。世界は、ちゃんと動いていた主な出来事の欄を見ると、なかなか時代が濃い。阪神タイガース日本一。つくば科学万博開催。ソ連のゴルバチョフ就任。メキシコ地震。こうして並ぶと、世界はちゃんと動いていたのだなと思う。当たり前だが、私がただ小学生としてぼんやり生きている間にも、世の中はそれなりに大きく揺れていた。もっとも、当時の私はそのあたりをまるで見ていなかった気がする。ゴルバチョフと言われても、ふーんで終わっていたはずだ。小学生というのは、見えているようで何も見ていない。あの頃の自分は、たぶんそちら寄りだった。日航ジャンボ機墜落事故のことこの年の出来事として一番強く残っているのは、やはりあれだ。しかも私はその時、父の実家のある徳島にいた。子どもながらに、妙に胸がざわついたのを覚えている。大人たちの空気が重かった。詳しいことなどわからなくても、「大変なことが起きた」という気配だけは伝わってくる。ああいう記憶は、説明より先に身体に残る。うちは父が大の飛行機嫌いだった。だから徳島の田舎まで、毎回電車で行っていた。東京から岡山まで新幹線。岡山から宇野まで在来線。当時はまだ瀬戸大橋もない。宇高連絡船で高松へ渡り、さらに在来線で海南まで。最後の区間だけで3時間はかかっていた気がする。昭和というのは、そういう「大変だけど仕方がない」が普通にあった時代でもある。飛行機を避けて、時間をかけて、ようやく辿り着く田舎。その途中で、空の大事故を知る。何とも言えない怖さが、今でも少し残っている。未来には、まだキラキラしたものが待っていたつくば科学万博。あれは本当に行きたかった。結局、行かないまま終わった。だが当時、詳しいことなどわからなくても、あれには何か未来の匂いがあった。科学。万博。ロボット。新しい技術。子どもの頭の中で、それらは全部「なんかすごい未来」として一つにまとまっていた。昭和の子どもにとって、未来というのは今よりもっとキラキラしたものだった気がする。実際には、未来はそんなに都合よく光ってばかりではなかった。だが少なくとも当時の万博には、「これから先には何かすごいものが待っている」という空気があった。あの感じは、少し羨ましい。ファミコンと、昭和の子どもの雑な幸福スーパーマリオブラザーズ。これは思い出深い。家でもやったし、友達の家でもやった。だが、一人でやるより、誰かの家で大勢でわいわいやるほうが妙に楽しかった。ああでもない、こうでもないと騒ぎながら、順番を回し、失敗して笑い、たまに本気になる。あの時間には、昭和の子どもの雑な幸福が詰まっていた気がする。文集の、ひどさが際立っていた小学校時代の文集を読むと、しっかりしている子が結構いる。字が驚くほどきれいな子もいる。文章に、すでにその子の性格が出ている。未来がまだ白紙のはずなのに、すでに輪郭がある。それに比べて、自分のひどさが際立っていた。字も甘い。文章もふわっとしている。何か頼りない。写真もまた、なかなか味わい深い。常にぼーっとした感じなのだ。目に力がない。何かを考えているようで、たぶんそんなに考えてもいない。写真は正直である。残酷なくらい正直だ。それでも、そのぼんやりが今の自分につながっているシャキッとしていなかった。要領もよくなかった。しっかり者でもなかった。だが、そういう人間はそういう人間なりに、あとで妙な味が出ることもある。少なくとも私は、そう信じたい。卒業アルバムというのは、優秀だった人の記録である前に、不完全だった自分の記録でもある。そこがいいのだと思う。うまくできなかったこと。ぼんやりしていたこと。未来のことなど何もわかっていなかったこと。そういうものまで全部、あの一冊には閉じ込められている。1986年。遠いのに、消えていない。徳島へ向かう長い電車。宇高連絡船。つくば万博への憧れ。友達の家で騒いだマリオ。日光の空気。文集のひどさ。写真のぼんやりした顔。そういうものが、今の自分の中にまだ少し残っている。人間というのは案外、子どもの頃の空気を引きずったまま大人になるのかもしれない。卒業アルバムを見返すとは、昔を懐かしむだけの行為ではない。あの頃の自分の頼りなさと、今の自分の頼りなさを、静かに見比べる作業でもある。あの頃よりは少しはマシになったのか。それとも、ただ年を取っただけなのか。答えはまだよくわからない。だが、ぼーっとした少年がここまで来たことだけは確かだ。それだけでも、まあ悪くないのかもしれない。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.20
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枯れるか、もう一度光るか|分水嶺は50代、ロスジェネの行動論行動力を失ったら、自分もいよいよ終わりだ。そう思うタイプの人間が、ここにいる。最後にものを言うのは、動けるかどうかだ50代に入って、年々強く思うことがある。頭の良さでも、器用さでもない。運の良さでもない。結局そこへ戻ってくる。動けるかどうか。それだけだ。周りを見ていると、40代中盤あたりから行動力が落ちる人が増える。落ちるというより、消えるに近い人すらいる。若い頃は動いていたのに、50歳あたりで急に止まる。その手前で何かが折れる。理由はわかる。疲れる。忙しい。体力が落ちる。守るものが増える。失敗が怖くなる。どれも、本当のことだ。ただ、今の世の中は、立ち止まった側から置いていかれる。ゆっくりしている間に、景色が変わる。気づいたときにはもう、追いつけない場所へ行ってしまっている。そんな速度で回っている。コスパとタイパで、人生を測りたくない少し寄り道をする。最近の世の中は「コスパ」と「タイパ」で全部を片づけたがる。それが妙に苦手だ。安いスーパーで食料品を買うのは現実だ。そこは否定しない。だが、人生の価値までコスパやタイパで測る空気には、どうにも馴染めない。遠回りにしか見えない時間が、後から効いてくることがある。意味のないように見える行為が、心を立て直すこともある。人生の本体は、そういう「無駄」の中に潜んでいると思っている。数字に換算できないものが、案外、一番大事だったりする。行動力を失ったら、終わりだと思っている話を戻そう。他人を裁く気はない。人それぞれの事情がある。優先順位もある。だが、自分に関しては、かなり厳しい見方をしている。行動力を失ったら、自分もいよいよ終わりなのではないか。そう思うタイプの人間だ。だから、モチベーションが落ちないように工夫する。物の考え方を整える。楽しみ方を自分で作る。それを行動につなげる。年齢を重ねると、なんでも億劫になる。面倒くささが先に来る。疲れを理由にするのは、簡単だ。しかも50代は、疲れて当然の要素が山ほどある。仕事。家族。親。体力。介護。金。先の不安。全部がまとわりついてくる。ここで枯れるのか。もう一度、光るのか。その分水嶺が、50代なのだと私は思っている。介護がある。時間がない。体力も落ちた。だから何もしない。そうやって静かに縮んでいく未来は、たぶん一番つらい。私はそっちへ行きたくない。胸の奥で、その一点だけは揺るがない。だから、どんなに大変でも、できる範囲で突き進む。完璧は狙わない。ただ止まらない。小さく動く。それを積む。行動力とは、気合いではなく循環だ不思議なもので、動いていると気持ちが戻ってくることがある。逆に、動かないでいると、気持ちが腐りやすい。動くから、心が回る。心が回るから、また動ける。この回転を止めないことが、50代の自分には必要だ。行動力とは意志の問題ではなく、循環の問題なのだと、今は思っている。まだ、お楽しみはこれからだ。そう言い切れるうちは、たぶん終わらない。私はそう信じている。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.19
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笑いの臨界点 #22 閉ボタンを押したつもりだったエレベーターに乗った。私ひとりだった。静かだった。こういうとき人は、少しだけ機敏になる。早く閉めて、早く着いて、何食わぬ顔で目的地に向かいたい。大した急ぎでもないのに、乗った瞬間だけは妙に「できる人」になりたがる。私は自然な動作で、閉ボタンを押した。押したつもりだった。だが扉は、やさしく開いたままだった。一瞬、エレベーターというものの思想が変わったのかと思った。最近のは利用者に寛容なのか。急がせない哲学でも導入されたのか。そんなはずはない。見れば、私の指は、きちんと開ボタンの上にあった。なるほど。閉めたいという意志と、実際に押しているボタンは、別の人生を歩んでいたらしい。私は何事もなかったように、もう一度押した。今度こそ閉ボタン。そのつもりだった。だが扉は、また静かに開いたままだった。後ろから人が来た。このときの背中というのは不思議である。誰も怒っていないのに、勝手に「仕事のできない午後」を演出し始める。入ってきたのは、ごく普通の人だった。当然である。だが、こちらの心にはもう、「開ける係を二度連続で遂行した男」という記録が残っている。相手が乗り込む。私は少し端へ寄る。扉は閉まる。私がやりたかったのは、これである。最初からこれでよかった。結果としては同じだ。だが過程が、あまりにも締まらなかった。目的の階へ上がるあいだ、私は階数表示を見つめた。ああいうとき人は、数字を見るふりをして、自分の小さな失態から目をそらしている。思えば歳を重ねるというのは、こういうことの積み重ねなのかもしれない。大事件は起きない。人生を揺るがすような何かでもない。ただ、閉めたいのに開ける。それを二回やる。それだけのことで、自分の現在地が少しわかる。若い頃なら、こういう場面もただのミスで済んだ。今は違う。そこに少しだけ、身体と意志の時差のようなものが混じる。頭では閉めている。だが指先は、なぜか世界に余白を与えてしまう。悪くないとも思う。もちろん、毎回これでは困る。会議室でも車でもなく、エレベーターだから笑って済む。場所にかなり助けられている。それでも、急いで閉めようとして、結果として人を待たせず乗せたのだから、見方によっては少し親切ですらある。たぶん違う。たぶん違うが、人はそうやって自分を回収しながら生きていく。階に着き、私は軽く会釈して降りた。外に出ると、何事もなかったような廊下が続いていた。世界は私の開ボタン失敗など、まったく問題にしていない。だが私は知っている。今日もまたひとつ、大人としての微妙な取りこぼしを経験したことを。閉めたかっただけなのに。本当に、ただそれだけだったのに。そして次にまた、無人のエレベーターに乗ったとき、私は少しだけ慎重な顔でボタンを見るのだろう。人は失敗から学ぶ。などという立派な話ではない。同じ種類の小さな恥を、できれば今日より一回減らしたい。その程度の、たいへん控えめな向上心である。だが案外、そういうもののほうが長持ちする。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.18
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ロスジェネ脱線学 #24 擦り切れた財布で考えたこと擦り切れた財布で考えたこと減らない癖と、増えない残高私は1974年生まれだ。財布は、気づけば長く使っている。若い頃に少しだけ憧れた。背伸びして買った革財布。中身より、外側に価値がある気がしていた。就職氷河期を抜ける頃には、財布は「生存装置」になっていた。何枚入っているか。何日もつか。レジ前で一瞬だけ計算するあの感覚。あれは、世代の共通言語だと思う。擦れた角。折り目の深くなった札入れ。カードポケットは増えたのに、自由は増えなかった。それでも、古い財布を捨てられない。理由は機能じゃない。これで何度も乗り切った、という記憶だ。50代になって、「増やす」より「減らさない」ほうが難しいと知った。体力も、信用も、関係も。残高は数字だけど、人生の残高は目に見えない。財布を閉じる音が、妙に乾いている夜がある。それでも、ポケットに戻す。明日も使う前提で。ロスジェネの財布は、派手じゃない。だが、軽くもない。積み重ねた日々の重さが、ちゃんと入っている。新しい財布に替える日は、たぶん来る。でも今日じゃない。まだ、この擦れた革で十分だと思っている。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.17
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一瞬永遠 第28幕 色が変わる前に西の空がまだ決断をしていない青のままでもいられるし橙にもなれるそのあいだで街は何事もなく動いているコンビニの自動ドアが開き冷えた空気が腕に触れた買う予定のなかったものを手に取って棚へ戻すそれだけの往復に妙な時間が流れるレジの前で前の人の背中を見ていると今日という日が静かに閉じかけている気がした胸の奥がほんの少しほどける理由はないただ光が柔らかくなったから外に出ると信号の赤が昼よりも深く見える人の声も少しだけ低い一日は終わりを急がないこちらが勝手に区切ろうとするだけだ歩きながら肩の力を抜くまだ何も終わっていないけれど確実に色は変わりはじめているその途中に立つこの瞬間だけがやけに静かだ私はその静けさを手放さぬよう歩幅を少しだけ緩めた
2026.03.16
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やる気は“出すもの”じゃなく“減らさないもの”だった【50代】最近、同世代と話していると、この言葉を本当によく聞く。昔は、もう少し気合で何とかなっていた気がする。徹夜もできた。無理もきいた。多少の疲れは、週末でリセットできた。いまは違う。50代に入って、体力は落ちる。集中力も落ちる。新しいことへの興味も、正直、昔ほど勝手には湧いてこない。気づけば、何もしないまま一日が終わる。こんな人が多いように感じる。スマホを眺めて、動画を流して、ゲームを少し触って、もう夜。「今日は何をしたんだろう」と思いながら、布団に入る。こういう日が、たまにじゃなく、普通に増えてくる。そんな人が増えていませんか?多くの人が、同じ場所に立っていると思う。ここでよく出てくるのが、「どうやったら、やる気を出せますか?」という問いだ。でも、最近、私は少し違うことを考えるようになった。やる気は、出すものじゃない。減らさないものなんじゃないか、と。やる気がゼロになる瞬間なんて、実はそんなに多くない。問題は、毎日、少しずつ削られていくことだ。睡眠不足。微妙に合わない人間関係。先延ばしにした小さなタスク。散らかった机。開きっぱなしの通知。決めなくていいことを、毎日決め続けている生活。こういうものが、静かに、確実に、やる気を削っていく。私自身、仕事と介護とnote執筆を並行する生活の中で、「今日は気合が足りないな」と思う日が何度もあった。でも、よくよく振り返ると、気合の問題じゃないことのほうが多い。ただ、疲れている。ただ、考えることが多すぎる。ただ、始めるまでの摩擦が大きい。それだけだ。たとえば、note。毎日書けるかどうかは、モチベーションの高さで決まっているわけじゃない。「書くのがしんどくなる要素」を、どれだけ減らしているかで決まる。書き始めるまでのハードルを下げる。ネタはメモしておく。完璧を狙わない。疲れている日は短くてもいいと決める。投稿の時間帯を固定する。考えなくていいことは、最初から考えない。これは全部、「やる気を出す工夫」じゃない。「やる気を削る要因」を一つずつ消しているだけだ。仕事も同じだ。介護も同じだ。気合で乗り切ろうとすると、必ずどこかで折れる。50代になると、それはもう、はっきり体に出る。だから私は、「頑張る」より先に「削らない」ことを考えるようになった。疲れを溜めすぎない。予定を詰め込みすぎない。判断の回数を減らす。気持ちをすり減らす場所に、長く居座らない。これだけで、やる気は「出さなくても」残る。続いている人たちは、特別にモチベーションが高いわけじゃない。ただ、モチベーションが減る環境を、少しずつ片付けているだけだ。継続力について書いた過去の記事でも、結局、同じところに行き着いている。続ける人は、意志が強いんじゃない。続けられる形を、先に作っている。やる気は、ガソリンじゃない。アクセルを踏む前に、穴の空いたタンクを塞ぐ作業のほうが大事だ。50代になると、気合で押し切る日は続かない。でも、削らなければ、意外と続く。派手な自己啓発みたいに、人生は変わらない。ただ、静かに、確実に、前には進める。やる気は、出すものじゃない。減らさないものだった。いまは、そう思っている。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.15
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歯を放置しない この先の人生のためにやるべきこと【50代】歯科医に通い始めて、気がつけば結構な時間が経っているがようやく終りが見えてきた。もう半年は超えた。ただ、行ける頻度は早くても3週間。あるいは1か月に1回。中々、予約が取れない。普通の町医者なのに。そのくらいの間隔だから、体感としては一気に進む感じではない。じわじわである。実にじわじわだ。虫歯の治療ではない。歯周病になりかかっていたらしく、その改善に取り組んでいる。一周終わって、いまは二周目。ようやくここまで来たか、という気持ちもあるし、まだ終わらないのか、という気持ちもある。このあたりが、いかにも50代っぽい。派手な達成感ではなく、地味な継続の連続である。家でのケアも、それなりに定着してきた。朝は歯磨き。夜は歯磨きに加えて、歯間ブラシ、口腔洗浄機。気になる時はリステリンも使う。昼もやろうと思えばできる。だが、あまりやりすぎるのもどうかと思い、基本は朝晩の二回にしている。これだけ書くと、ずいぶん丁寧にやっているようにも見える。実際、以前よりはかなり手をかけるようになった。若い頃の自分なら、ここまで口の中に時間を使うことはなかったと思う。歯ブラシ一本で終わり。気になった時だけ少し丁寧にやる。その程度だった。だが、50代の歯は、そんな雑な付き合い方を許してくれない。どうやら、かなり改善してきているらしい。終わりも少しずつ見えてきた気がする。あと少しで一区切りか。そう思いたい。もっとも、歯医者の「あと少し」は、こちらの感覚より少し長い。そこがまた何とも言えない。ただ、気になることはまだある。昔治療した虫歯の詰め物の中。あのあたりも、そろそろどうなのだろうとは思っている。とはいえ、今回はそこまで手をつける予定はない。まずは今やっていることをきっちり終える。話はそれからである。そして、もう一つ。やはり気になるのが、真横に生えた親知らずだ。これがまた厄介で、抜くとなれば口腔外科での対応が必要になる。私自身もそうだし、今通っている歯医者さんの方針も、基本は抜かない方向らしい。昔、一本は抜いている。だが残りはそのまま。そのうち一本だけが、見事に真横へ向かっている。もちろん、奥歯への影響がまったくないわけではない。今後の状況次第では、いずれ向き合わなければならないかもしれない。だが、今はまだそこまでの段階ではない。少なくとも、そう言い切れるうちは、今できる手入れを積むしかない。最近つくづく思う。50代というのは、「何かが壊れてから慌てる」のでは遅い年代なのだと。若い頃は、少し無理をしても戻った。多少手を抜いても、どこかで帳尻が合った。だが今は違う。放置したものが、そのまま残る。先送りしたものが、あとで重く返ってくる。歯など、まさにそれだと思う。歯は、食べることに直結する。会話にも響く。見た目にも出る。さらに言えば、身体全体にも影響を及ぼしかねない。口の中の不調を甘く見る年齢では、もうないのだ。介護をしていると、そのことは余計によくわかる。食べられること。噛めること。口から食べる意欲があること。それがどれだけ大事か。元気の土台が、案外そこにあることを思い知らされる。だから私は今、歯を整えることを、単なる口の中の話だとは思っていない。これはもう、この先の人生の土台を整える作業だ。面倒ではある。正直、かなり面倒だ。夜、疲れて帰ってきた時など、歯間ブラシも口腔洗浄機も省略したくなる。今日はもういいだろう、と言い訳もしたくなる。リステリンだけで終わらせたくなる日もある。人間、楽なほうへ流れるようにできている。まして50代は、何事にも腰が重くなりやすい。動きも鈍る。億劫さが先に立つ。だが、そこで面倒に負けていたら、この先の人生にもきっと大きく響く。歯だけではない。身体もそう。心もそう。暮らしもそう。50代というのは、雑に扱ったものから順番に崩れ始める年代なのかもしれない。だからこそ、ここで手をかける。きっちり整える。まだ動けるうちに。まだ間に合ううちに。派手さはない。達成感も薄い。誰かに褒められることでもない。だが、こういう地味なメンテナンスの積み重ねこそが、結局いちばんものを言うのだと思う。肉体改造もそうだ。睡眠もそう。介護の合間の小さな息抜きもそう。派手な逆転ではなく、崩れないように整え続けること。今の私は、そこにずいぶん重きを置くようになった。歯のケアも、まさにその一つである。革命ではない。だが、地味な手入れは確実に効く。すぐには変わらなくても、少しずつ違ってくる。そういうものを信じられるようになったのも、年齢のおかげかもしれない。50代になり、今後のことを踏まえれば、歯をきっちり整えておくべき時期だと思っている。後回しにしていい話ではない。面倒でもやる。気が進まなくてもやる。未来の自分が困らないために、今日の自分が少しだけ頑張る。そんな年代なのだと思う。そんなことを自分に言い聞かせながら、今日もまた歯のケアにいそしむのである。ようやく次が最後になりそう。最終チェックで問題なければ終了。来月に長かった通院も終わるかも知れない。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.14
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50代、介護の夜に深く眠れない|眠いのに眠れない、52歳の夜深い睡眠がしたい。たったそれだけのことが、妙に遠い。深く眠ることが、こんなに遠い。眠いのに、眠れない。これが地味につらい。かなりつらい。疲弊しきった身体を横たえても、意識だけが妙な場所に浮いている。落ちない。沈まない。眠りの底へ届かないまま、朝になる。もともと、寝つきは良くなかった布団に入ればすぐ眠れる人間が、昔から羨ましかった。頭が止まらない。身体は疲れているのに、意識だけが残る。そういう夜は、若い頃から珍しくなかった。そこへ酒が加わる。飲んで寝る。眠ったようでいて、眠りは浅い。途中で目が覚める。喉が渇く。変な時間に意識が戻る。結局、寝たのか寝ていないのか判然としない朝になる。さらに、年齢である。加齢というやつは、静かに来るくせに遠慮がない。夜中にトイレへ行く回数が増える。一度起きると、眠りの底まで戻れないこともある。それだけでも十分厄介なのに、今は介護がある。私は、寝ていても完全には寝ていない父は、いつ急変してもおかしくない状態が2年続いている。母は、認知症の症状が進み始めている。夜だから休まる、という話ではなくなった。両親は1階。私たちは2階。枕元には受信機を置いている。何かあればそれが鳴る。夜中に物音がすれば、カメラの映像を確認する。人感センサーで導線の移動も見ている。どこかで気を張っている。耳だけ起きているような感じがある。何か鳴れば反応する。物音がすれば、意識が浮く。眠りの底へ落ちきらないまま、朝になる。深く眠れないのも、当然なのだろうと思う。52歳の寝不足は、翌日にそのまま残る若い頃なら、それでも何とかなった。無理がきいた。寝不足のままでも動けた。多少削れても持ちこたえるだけの、雑な強さが身体にあった。だが今は違う。寝不足のダメージが、鈍く重く、あとを引く。集中力が落ちる。気力が削られる。精神はまだ頑張れるが、やはり仕事などでもミスが出る。普段ならありえないような失敗もする。さらには身体の回復が遅い、確実に回復力が落ちている。しかも介護は、こちらの回復を待ってくれない。1日まともに寝ていなくても、気絶するように眠れるわけではない。眠くて仕方がない、身体は重い、頭も鈍い、それなのに横になっても落ちない。この感じは、なかなか消耗する。悪循環だとわかっている眠れないから、夜になるとまた酒を入れてしまう。理屈は単純だ。酒で眠りを誘い、結果として眠りは浅くなり、翌日また消耗する。わかっている。だが人間は、理屈だけで動かない。気が張った一日が終わり、ようやく少し力を抜きたくなると、どうしてもそちらへ流れてしまう。去年の終わりから、週に1回ほど休肝日を入れるようにした。ゼロではない。だが根本的には、やめたほうがいいのかもしれない。自分でもそう思う。とはいえ、仕事の付き合いもある。今月末には地方へ行く予定もあり、昭和の名残みたいな空気は、まだあちこちに残っている。自分だけきれいに線を引けるほど、世の中は整っていない。これは不眠ではなく、生活全体の問題だ酒を断っても、解決しない。介護の緊張が消えるわけではない。父の状態が安定するわけでもない。母が夜中に動かなくなるわけでもない。つまり私は、眠れない理由をちゃんと抱えたまま生きている。神経の話であり、年齢の話であり、家庭の事情の話であり、責任の話でもある。身体だけでは片付かない。深い睡眠がしたい。何も気にせず、朝まで沈むように眠ってみたい。枕元の受信機も気にせず。物音にも反応せず。酒の力にも頼らず。ただ静かに、深く。しかし現実はそれは出来ない。私がやらなくてはならない。ぐっすり眠ること、それは今の私には、少し贅沢に思える。こちらが壊れたら、終わる介護をしていると、自分のことは後回しになりやすい。親の状態、家の段取り、仕事、金のこと、先の見えなさ。考えるべきことが多すぎて、自分の眠りなど最後に回される。だが、こちらが壊れたら終わる。そこだけは、きれいごとでは済まない。眠りは気合いでどうにかなるものではない。だが、放置していい話でもない。酒との付き合い方も、そろそろ本気で考え直す時期なのかもしれない。そう思いながら、今日もまた夜になる。深い睡眠がしたい。それは甘えではなく、今の私にとっては切実な願いである。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.13
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笑いの臨界点 #21 レジで急に指がわからなくなる昼。コンビニのレジ前に立った。会計は、728円。財布を出す。小銭もある。たぶん、ある。私は一度、硬貨を見た。10円。50円。100円。1円。5円。見えている。見えてはいるのだが、なぜか指が、正解に向かわない。728円。728円である。頭の中では、100円玉を2枚。10円玉を2枚。5円玉を1枚。1円玉を3枚。そういう計算が、一応できている。だが現場の指先は、まるで別の部署だった。なぜか50円玉をつまむ。戻す。今度は10円玉を2枚取る。そのあと、なぜか5円玉を見つめる。店員さんは静かだった。とても静かだった。静かすぎて、こちらの混乱だけが、よく響いた。後ろに人の気配。気配というのは不思議だ。責めてもいないのに、責められている感じだけは一流である。私はもう、小銭をあきらめかけた。ここで潔く千円札。それも大人の判断。そう思った。だが、人は妙なところで負けず嫌いになる。いや、出せる。728円。私はまだやれる。何に対してなのかは、よくわからないが、やれる気がした。そしてついに、100円玉を2枚。10円玉を2枚。5円玉を1枚。1円玉を3枚。そして千円札出した。出した瞬間、私は少しだけ誇らしかった。国家試験でも終えたような顔をしていたと思う。店員さんが、「ありがとうございます」と、ふつうに言った。ふつう。あまりにも、ふつう。こちらだけが勝手に死闘を繰り広げ、相手は終始、穏やかな春の池のようだった。商品を受け取り、私は店を出た。外は明るい。風もやわらかい。さっきまでの小銭の戦場が、急に遠く感じる。たぶん、ああいう時間があるから、人は少しずつ自分の年齢を知っていく。走れなくなった、とか、無理がきかない、とか、そういう大きな話ではない。728円で、少し手こずる。そのくらいのことで、人は静かに現実と握手する。けれど、それは敗北というほどでもない。レジ前で少し戸惑い、それでも最後はちゃんと払って、何食わぬ顔で外へ出る。大人とは、案外そういうことでできている。そして私は今日もまた、次こそは一瞬で出してみせる、という無意味に小さな決意を胸に、コンビニの自動ドアを抜けた。たぶん次も、少しだけ指は迷う。だがそれくらいが、ちょうど人間らしくていいのかもしれない。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.12
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3.11から15年|忘れないだけでは、もう足りない【50代】記憶は、備えに変えていかなければならない。2011年3月11日から15年。長いようでもあり、少し目を離した隙にここまで来てしまったようでもある。時間というのは妙だ。遠くなったはずの記憶が、ある瞬間に急に近づくことがある。私は50代になった今でも、あの夜の空気を覚えている。揺れそのものもそうだ。だがそれ以上に覚えているのは、その後の妙な静けさだ。電車が止まり、人の流れだけが続いていた夜。街はいつもより静かなのに、人だけが黙って動いていた。あの不気味な感じは、今でも体のどこかに残っている。あの夜、手の中にあったのは初代Galaxy Sだった今のスマホから見れば、ずいぶん頼りない機械だ。画面も小さい。動作も遅い。バッテリーも心もとない。それでも、あの夜のあれは確かに命綱だった。電話はつながりにくくても、文字は届くことがあった。とはいえ通信は殆どできないような状態。地図は、暗い道の上で次に足を出すための小さな灯りになった。情報がある。ただそれだけで、人は前に進める。あの日、身をもって知った。それから15年。スマホは進化した。防災アプリも増えた。情報はあの頃よりずっと速く、ずっと多い。便利になった。そこに異論はない。ただ現実的には通信が使えなくなると思っていたほうがいい。やはりラジオが重要だろう。携帯型でも一つはあったほうが良いだろう。だが、情報が増えたからといって、不安が消えたわけではない。便利さは人を救う。だが、便利さだけでは人は安心しきれない。災害は、そこがやっかいだ。防災が、一般論ではなくなった15年という時間が流れて、私の側も変わった。若い頃の私は、防災をどこか知識として見ていた。備えたほうがいい、気をつけたほうがいい、その程度だった。だが今は違う。介護がある。父はいつ急変してもおかしくない状態が続いている。母は認知症が進み始めている。ダブル介護のただ中にいる。この状況で大きな災害が来たらどうなるか。その問いは、昔よりずっと現実味を帯びて胸に入ってくる。避難所に行けるのか。両親を連れて動けるのか。薬はどうする。トイレはどうする。夜間の見守りはどうする。そういうことを考え始めると、防災は一気に一般論ではなくなる。祈るだけでは、現実の揺れには勝てない過去の記事でも書いた。9月1日の翌日に、あえて「一人防災の日」をやると。防災の日そのものより、翌日のほうが人はもう気を抜いている。やった気になって終わる。だからあえて翌日にやる。3.11から15年という節目も、同じだと思っている。忘れない。祈る。思い出す。それはもちろん大切だ。だが、それだけではもう足りない。忘れないという気持ちを、今の暮らしの備えへつなげていかないと、記憶はだんだん優しい言葉に変わっていく。そして優しい言葉だけでは、現実の揺れには勝てない。東日本大震災の災害関連死は、2025年末時点で累計3,810人に達したと報じられている。災害は一瞬で終わることもある。だが本当に厄介なのは、そのあと長く続く傷のほうだ。完璧な備えなど、できないあの夜のGalaxy Sも、完璧ではなかった。だが、完璧ではなくても役に立った。防災もたぶん同じだ。水の本数を数える。充電を確認する。ラジオを確認する。薬の在庫を見る。簡易トイレを足す。家族で最低限の動きを確認する。そういう地味なことが、結局いちばん効く。揺れの瞬間より、その後に日常がどう削られるか。水、電気、物流、介護、通院、トイレ、情報。人は結局、その全部で生きている。だから防災とは恐怖を煽るものではなく、日常の崩れを少しでも小さくするための、現実的な作業なのだと思う。記憶を、今日へ降ろし直すこと父をどうする。母をどうする。家をどう保つ。何日持たせる。その問いに、少しずつでも答えを用意していく。それが、15年後を生きる私なりの3.11だと思っている。あの日を、ただ遠くへ置かないこと。自分の今日に、静かにつなげ直すこと。3.11から15年。私は、あの夜を忘れていない。けれど、忘れていないだけでは、もう足りないとも思っている。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.11
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ロスジェネ脱線学 #23 蛇口の水音で考えたこと蛇口の水音で考えたこと止めたつもりの、流れ続けるもの私は1974年生まれだ。夜、台所に立つと、たまに蛇口の音が気になる。きちんと閉めたはずなのに、ポタ、ポタ、と小さく続く。コップ一杯にもならない量が、確実に時間を連れていく。子どもの頃、水は勢いのあるものだった。手を洗えば跳ね、夏はホースで遊び、流れること自体が、少し楽しかった。大人になると、水は「管理するもの」になる。料金表、検針、節約。止めることに意味が生まれて、流れることは、いつの間にか無駄と呼ばれるようになった。就職氷河期の頃、私はよく「止めたつもり」になっていた。期待を。計画を。先の話を。でも、完全には止まらない。ポタ、ポタ、と、どこかで続く。画像50代になって、音に敏感になった。大きな出来事より、小さな継続のほうが、生活を形作っているとわかるからだ。蛇口の水音は、うるさくない。ただ、「まだ流れている」と教えるだけだ。完全に止めるより、きちんと受け止めて、整える。たぶん今の私は、そっち側にいる。栓を締め直す。音が消える。でも、時間は消えない。時の流れは止まらない。流れは、止めなくてもいい。こぼれないように、見ていればいい。笑いの臨界点|EX-FAX-CE|EX-FAX-CE|ロスジェネ氷河期的視点|note笑ってしまえば、生き延びられる 人は、追い詰められたときほど不思議な笑い方をする。 怒るでもなく、泣くでもなく、ただ小さくnote.com─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.10
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午後の光がやわらぎはじめる影は朝よりも長くなり足元に余計なものを連れてくる仕事の音人の声返しきれなかった相槌すべてが背中に残っている横断歩道を渡りながらふと今日がもう戻らないことに気づく胸の奥が一度だけ静かに沈んだ大げさな感傷ではないただ確かな事実として信号は青に変わり人の流れがまた動き出す夕方にはまだ早い空は何も決めていない顔で広がっているポケットの中のスマートフォン鳴らないことが少しだけ安堵でもあり少しだけ寂しさでもある歩幅を整える呼吸を合わせるそれだけで私は今日の輪郭を保っている一日は特別な音も立てず確実に終わりへ向かうその途中に立つこの瞬間だけが妙に澄んでいる私はその透明さを壊さぬようにゆっくり歩く─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.09
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束の間の家キャン 土曜日、日中の平和を噛み締める今日は土曜日だ。父を風呂に入れる日でもある。まず気になるのは、やはり前夜のことだった。トイレで血が出た件である。朝いちで確認する。出血はなさそうだ。ひとまず、そこは少し安心した。体調も、そこまで悪い感じではない。ただ、相変わらず気分は落ち込み気味だ。父の表情を見ていると、こちらまで引っ張られそうになる。だからこそ、私は努めて明るく振る舞う。介護をしていると、こちらの空気が案外そのまま伝わる。雑に暗くなるわけにはいかない。朝食を済ませる。そのあと、まずは妻を仕事へ送る。土曜でも、家の中はのんびりとはいかない。送り終えて帰宅。今度は父を風呂に入れる番である。ところが、こういう日に限って、いつも使っている短パンが見つからない。なぜか毎回、父を風呂に入れる時の短パンだけは、肝心な時に消える。家の中にはいろいろな謎があるが、これもその一つだ。仕方がないので、パンツ姿で風呂へ入れることにした。風呂から上がって脱衣所へ出ると、そのパンツがとてつもなく冷たい。濡れた布が肌に張りつく、あのどうにも情けない冷たさである。だが、まずは父のほうが先だ。こちらの寒さなど後回しである。身体を拭く。体重を測る。おむつを替える。服を着せる。部屋まで移動する。ここまでやって、ようやくひと区切りつく。だが、まだ終わらない。風呂掃除がある。最近はそこまで手が回らず、まともにやれていなかった。どうせ自分も濡れている。ならば今やるしかない。そう思って、時間もないので手早く済ませる。結果、さらに濡れる。寒さは倍増する。鼻水まで出てきた。何をやっているのかと思わなくもない。だが、こういう細かい実務の積み重ねで家は回っている。誰かがやらなければ進まない。ようやく身体を拭いて着替え、少しストーブの前で温まる。その時間だけは、わりと切実だ。身体が温まるにつれて、ようやく人心地つく。そんなことをしているうちに、もう昼が近い。昼食の準備をする。両親と娘と食べる。一息つく暇もなく、午後一番ではまた妻を迎えに行く。その帰りに買い物も済ませて帰宅。ここまでで、もうそこそこ一日分動いた気がする。ようやく少し時間が取れるか。そう思ったところで、今度は母である。出かけたまま、まだ戻ってこない。迎えに行くべきか。少し悩む。だが、とりあえずGPSで場所を確認する。認知症とはいえ、今のところは何とか帰ってこられている。ここで慌てて追い回すと、かえってややこしくなることもある。まずは少し様子を見ることにした。とはいえ、じっとしているのも落ち着かない。なので、私も同じ方面へウォーキングに出ることにした。様子見ついでのウォーキング。一石二鳥である。歩いていると、途中で桜が目に入った。ああ、もうそんな時期かと思う。介護の中にいると、季節の移ろいが妙に遠くなることがある。だから、こうして不意に桜が目に入るだけでも少し救われる。歩きながら、胸の中のざらつきが少しだけ洗い流される感じがした。帰宅しても、まだ母は戻っていなかった。だがGPSを見ると、どうやら近くのスーパーで休憩しているようだ。そのくらいなら、もう少し様子を見ても大丈夫だろう。私は父の様子をうかがう。問題はなさそうだ。ならば、今しかない。すかさず家キャンである。玄関脇に椅子を置く。そこへ座り、ノンアルコールの赤ワインスパークリングを飲む。ほんの一息。たったそれだけのことだ。天気が少し曇ってきたのは残念だった。晴れ切っていれば、なおよかった。それでも、この時間は貴重だ。本当に貴重だと思う。朝からずっと、細かい判断と動きの連続だった。父のこと。母のこと。妻の送迎。買い物。風呂。掃除。食事。見守り。どれも派手ではない。だが、一つ一つが確実にこちらの時間と神経を削っていく。だからこそ、こういう数分が効く。玄関脇の椅子に座りながら、土曜日の昼間の空気を吸う。家のすぐ外なのに、少しだけ日常から距離が取れる。遠くへ旅に出られるわけではない。何時間も自由があるわけでもない。だが、それでも十分なことがある。束の間の家キャン。ほんの短い時間。それでも私は、この時間にかなり助けられている。介護のある暮らしでは、大きな自由はなかなか手に入らない。だからこそ、小さな平和をきちんと拾わないといけない。でないと、毎日はただの消耗戦になる。曇り空の下ではあったが、それでも悪くなかった。土曜日の日中の平和。それを、少しだけ噛み締めることができた。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.08
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介護の夜も突然に… 終わるはずの夜に、また呼ばれる金曜の夜のひととき父をベッドに寝かせて、ようやく一息ついた。早めに風呂もさっと済ませた。さっぱりした。さて、今日も何とか無事に終われそうだ。そんな気配が、ようやく家の中に漂い始めていた。少しだけ外へ出て、夜の家キャンでもしようか。縁側に椅子を出し、ランタンの灯りでも眺めながら、ほんの数分、気を抜こう。そう思った、その時だった。父が、トイレへ行くと言う。私はすぐに立ち上がり、父のもとへ向かった。こういう時は一拍も置けない。一緒にトイレへ向かう。途中で、出てしまったようだった。まあ、それは仕方がない。無理に急いで転ぶより、よほどいい。そう自分に言い聞かせながら、まずはトイレへたどり着くことを優先する。着いてから処理をする。どうやら少しゆるくなっている。下痢というほどではない。だが、いつもとは少し違う。そういう微妙な違和感は、介護をしていると妙によく目につくようになる。とりあえず私は、おむつの処理をしていた。するとまた父が呼ぶ。どうしたのかと聞くと、「血が出ている」と言う。見ると、拭いたトイレットペーパーに赤い血がそれなりについていた。一気に緊張が走る。こういう時、心臓は先に騒ぎ出す。だが、騒いでも何も進まない。まずは深呼吸。とにかく一度落ち着く。そこから状況確認である。便の色は黒くない。普通の色だ。血も、どす黒い感じではなく赤い。この時点で、少なくとも上の消化管からの出血ではなさそうだと考えた。実は父は、1週間ほど前からおしりの皮膚が荒れていて痛がっていた。そのためアズノールを塗っていた。ただ、見た感じではそこから出たようにも見えない。やはり、おしりの中か、その付近から出たと考えるのが自然だった。一連の処理を終え、部屋へ戻る。父に確認すると、おしりも腹も痛くないという。どこかが切れたのかもしれない。血の色が赤い以上、奥のほうではないだろうとも思う。だが、思うのと判断するのは別だ。時刻は21時。どうするか。明日は土曜。訪問看護も医療も、どのみち休みの体制になる。父の意向もある。迷った末、結局電話することにした。こういう時の「どうするか」は本当に難しい。大ごとではないかもしれない。だが、軽く見ていい保証もない。夜という時間帯が、その迷いを余計に重くする。流れはいつもの通り、まず訪問介護への連絡からである。状況を説明し、来てもらうことになった。到着までは30分ほど。ありがたい。本当にありがたい。実はその日の夕方にも、父の膀胱洗浄で来てもらっていた。どうやら同じ方が、その日は当直だったらしい。さすがに申し訳ない気持ちがよぎる。ついさっきも来てもらったばかりなのに、また夜に呼ぶことになるとは。だが、現実には呼ばなければならないこともある。来ていただいて、一連の確認をしてもらう。血は今は出ていない。血の色は赤い。痛い箇所もない。状況を総合して、やはり今は様子を見る、という判断になった。私自身も、たぶんそうなるだろうとは思っていた。それだけに、来てもらうのは少し申し訳ない気もしていた。だが、一度きちんと見てもらう安心感は、父にとって必要だったと思う。そして、たぶん私にとっても。介護をしていると、判断の連続である。しかも、その判断にはいつも少し不安が混ざる。呼びすぎではないか。まだ様子見でいいのではないか。逆に、ここで見過ごして悪化したらどうする。頭の中で何通りも考える。そのたびに、正解のない分岐に立たされる。CE時代の記憶が蘇る私は昔、CE時代に夜勤で緊急出動したり、夜間受付の電話を受けて、行くべきかどうかの判断に関わっていたことがある。だから少しわかる部分もある。こういう時の対応や判断は、本当に難しい。限られた人数。限られた時間。その中で回していかなければならない。全部に完璧には応えられない。だが、それでも誰かが夜を支えている。介護も医療も、24時間対応してもらえることがどれほど心強いか。実際にこういう夜を経験すると、その重みが身にしみる。昼の介護も大変だ。だが夜は、また別の顔をしている。一日が終わったと思ったところから、突然始まる。ようやく気を緩めたところを、静かに揺さぶってくる。介護の夜も突然に、である。今夜は結果的に、大事には至らなかった。それはよかった。本当によかった。だが、こういう「何もなかった」で終われる夜の裏には、いくつもの確認と判断と、誰かの支えがある。終わったと思った夜に、また呼ばれる。介護とは、そういうものなのだと思う。そしてそのたびに、こちらもまた少し鍛えられ、少し削られ、少しだけ現実に詳しくなっていく。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.07
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夢は、いまの自分を映す 落下と操縦席と、あの日好きだった君の名前【50代】爪の跡みたいに引っかかる夢夢は、だいたい脈絡がない。場面は飛ぶし、説明もない。それでも、目が覚めたあと、妙に残る夢がある。体の奥に、爪の跡みたいに引っかかって、昼になっても取れないやつだ。私は、そういう夢をいくつか、何度も見てきた。そして最近は、こう思うようになった。夢は、未来を予言しない。でも、今の自分の状態については、驚くほど正直だ。胸の奥が、少し痛む。夢1 逃走 追いかけられる不安追いかけられる夢。理由もなく、どこかから追いかけられている。あの、胃の底がひっくり返る感じ。目が覚めたあとも、しばらく体に残る、あの感覚。これはたぶん、「不安」の形をした運動だ。誰かはわからない、ただ身を潜め息を殺し隠れながら移動している。スパイにでもなったかのようなステルスアクション。一瞬の気の緩みも許さぬ緊迫の連続。まるでスパイ映画の主人公のような緊張。そして突然の落下。ビルなのか、飛行機なのかはわからない。こういう夢の時に、私は決まって落ちる。仕事のこと。生活のこと。将来のこと。何が原因かは、夢は教えてくれない。ただ、「いま、足元が揺れているぞ」とだけ、体に知らせてくる。夢2 操縦する夢 手放せない責任なぜかパイロットになって、難しい着陸を任される夢。操縦席に座っている理由は不明。でも、落としたら終わり、という状況だけは、やけに現実的だ。これはたぶん、「責任」の夢だ。誰かの生活。誰かの安心。あるいは、自分自身の選択。簡単に手放せないものを、いま握っている時に、私はこの席に座らされる。うまく降ろせるかどうか、不安でたまらない。でも、代わりはいない。そういう局面に立っている時、夢はちゃんと操縦席を用意してくる。介護も、仕事も、家族の生活も。すべてが私の操縦席だ。墜落は許されない。でも、着陸の仕方がわからない。夢3 再会の夢 あの日好きだった君の名前中学校の同級生の女の子と再会する夢。名前も、はっきり覚えている。当時、たしかに好きだった子だ。これは、懐かしさというより、少し照れくさい感覚に近い。過去の誰か、というより、過去の自分に会いに行っている感じがする。さらに時代が移り、今この現在で彼女と合うところも描写される。すごく不思議な感覚。あの頃の不安。あの頃の未完成。あの頃の、今よりずっと無防備だった気持ち。夢の中で名前を呼ぶと、少しだけ胸の奥がざわつく。「お前、ちゃんとやってるか」と、昔の自分に問われている気がする。用賀で過ごした中学生時代。FAXのカスタマーエンジニアとして駆け回った日々。あの頃の自分は、今の自分を想像できただろうか。夢は、検査結果に近い夢は、何かを解決してくれない。答えも出してくれない。ただ、いまの自分の姿勢や、疲れ方や、無理の溜まり方を、少し誇張して見せてくる。落ちる夢は、足場の不安。操縦する夢は、手放せない責任。再会の夢は、置いてきた自分。たぶん、夢はメッセージというより、検査結果に近い。「ここ、ちょっと無理してますよ」「ここ、見ないふりしてますよ」そういう赤い丸を、無言でつけてくる。意味づけしすぎない、という向き合い方私は最近、夢を「意味づけ」しすぎないようにしている。ただ、「ああ、今の自分は、こういう状態なんだな」と受け取る。それだけで、少し呼吸が整う。夢は正直だ。こちらが言葉にする前に、体のほうが先にしゃべっている。それだけの話なのかもしれない。深読みしない。解釈しすぎない。ただ、受け止める。これが、50代の夢との向き合い方なのだと思う。ロスジェネが見る夢 不安と責任と喪失と私たちロスジェネ氷河期第一世代は、どんな夢を見ているのだろう。おそらく、多くの人が似たような夢を見ている。落ちる夢。足場のない不安。就職氷河期を経験した私たちにとって、足場の不安は日常だった。操縦する夢。手放せない責任。親の介護、子どもの世話、自分の生活。すべてが同時にのしかかる。再会の夢。あの日好きだった君の名前。あの頃、描いていた未来と、今の現実のギャップ。夢が教えてくれる、身体の声夢は、身体の声だ。意識が無視しているものを、無意識が教えてくれる。「もう、限界に近いぞ」「このままじゃ、倒れるぞ」「少し、休んだほうがいい」夢は、そういう警告を発している。でも、私たちは無視する。介護があるから。仕事があるから。家族がいるから。休めない理由は、無限にある。それでも、夢は諦めずに警告を続ける。落ちる夢と、介護の不安落ちる夢を見る頻度が、最近増えた。これは、おそらく介護の不安だ。父の余命。母の認知症。娘の将来。すべてが不確定で、すべてが制御不能だ。足場がない。先が見えない。だから、夢の中で私は落ち続ける。操縦する夢と、終わらない責任操縦する夢は、最も頻繁に見る。これは、終わらない責任の象徴だ。介護も、仕事も、家族の生活も。すべてが私の肩にかかっている。墜落は許されない。でも、着陸の仕方がわからない。ずっと、空中で彷徨い続けている。再会の夢と、失われた可能性再会の夢は、最も切ない。好きだった君の名前を呼ぶ瞬間、昔の自分が蘇る。あの頃は、まだ可能性に満ちていた。未来は開かれていた。でも今は、選択肢がない。道は一本しかないように思いがち。失われた可能性を、夢の中で拾い集めている。あの日好きだった君は、今どこで何をしているのだろう。そして、あの日の自分は、今の自分を見て何を思うのだろう。夢は、体のほうが先にしゃべっている夢は正直だ。こちらが言葉にする前に、体のほうが先にしゃべっている。落ちる夢が教える不安。操縦する夢が教える重圧。再会の夢が教える喪失。すべてが、今の自分の状態を映している。夢を無視しない。でも、意味づけしすぎない。ただ、「ああ、今の自分は、こういう状態なんだな」と受け取る。それだけで、少し呼吸が整う。ゆるぎなく、まっすぐに。夢と向き合いながら、今日も私は生きていく。あとがき 夢日記という記録1974年1月生まれ、現在52歳。最近、夢をよく覚えている。若い頃は、夢なんて気にしなかった。でも50代になって、夢が教えてくれることが増えた気がする。身体の声。無意識の警告。置いてきた自分との対話。夢は、もう一人の自分からの手紙だ。もしあなたが同世代なら、自分の夢を振り返ってみてほしい。きっと、何か見えてくる。もしあなたがまだ若いなら、夢を記録してみてほしい。後から読み返すと、当時の自分が見えてくる。夢は、検査結果だ。定期的に確認することで、自分の状態を知ることができる。今日も私は、夢からのメッセージを受け取りながら、現実を生きていく。あの日好きだった君の名前を、夢の中でまた呼ぶ日まで。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.06
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旅がしたい 行けない今は、地図の上で遠くへ行く【50代】旅がしたい。ただ、今の私には簡単なことではない。読者の方なら事情はご存じかと思うが、私は現在ダブル介護のただ中にいる。それ以外にも、細かく挙げれば難題は山ほどある。ひとつ片づいたと思えば、また次。そういう日々だ。だから、気軽にふらっと遠出、とはいかない。荷物をまとめて、数日家を空けて、知らない土地でのんびり過ごす。そういう普通の旅が、今は少し遠い。けれど、人間は詰まりっぱなしでは持たない。どこかで息を抜かないと、心のほうが先にすり減る。だから私は、自分なりの小さな息抜きをいくつか持っている。ひとつは、家キャンである。と言っても、本格的なものではない。家でキャンプ気分になるだけだ。夜なら、縁側に椅子を置く。ランタンの灯りを眺めながら、酒を飲み、夜空を見る。昼なら、玄関脇に椅子を置いて、空を見ながらコーヒーを飲む。たったそれだけ。実に簡素だ。だが、これが案外いい。もちろん長時間はできない。5分、10分。せいぜいその程度である。けれど、そのわずかな時間があるだけで、心の詰まりが少しほどける。家の中にいながら、ほんの少しだけ日常から身をずらせる。それが大事なのだと思う。もうひとつある。私が「心の避難所」と呼んでいる場所だ。数か所ある。心も身体も疲れたとき、ほんの少しでも時間が作れそうなら、そこへ行く。家から歩いて10分ほどの小高い丘。そこで風に吹かれる。あるいは、夕日を眺める。ただそれだけである。これも長居はできない。一時の時間しかいられない。だが、それで十分なこともある。風に当たっていると、胸の奥にたまった熱が少し抜ける。夕日を見ていると、今日一日のざらつきが少し遠のく。うまく説明できないが、人は景色に助けられることがある。私はその手の力をわりと信じている。そして最近、この二つにもうひとつ楽しみを加えた。妄想旅行である。できれば紙の地図がいい。あの折りたたみの、少し広げにくいやつがいい。だが、今どき都合よく手元にあるとも限らない。なのでGoogleマップでもいい。ただし、あえて実写は見ない。そこは少しこだわっている。あくまで地図だけ。線と地名だけ。その上で、行きたい場所を考える。ここへ行くなら、何時に出るか。どのルートで行くか。どこで乗り換えるか。泊まるならどのあたりか。一泊か、二泊か。朝はどこでコーヒーを飲むか。そんなことを頭の中で描きながら、地図を眺める。これが実に楽しい。少し情けない話に聞こえるかもしれない。おもちゃを買ってもらえない子どもが、広告を見ながら妄想しているのと、たいして変わらない気もする。だが、変わらなくていいのかもしれない。人は大人になるほど、そういう無駄な想像を切り捨てがちだ。けれど、その無駄が心を守ることもある。妄想旅行のいいところは、時間も金も気にしなくていいことだ。現実の旅には、どうしても制約がつきまとう。日程。費用。家を空けられるかどうか。介護の段取り。何かあったときにすぐ戻れるか。今の私には、そのどれもが軽くない。だが、地図の上なら自由だ。今日は東北へ行ってもいい。次は四国でも九州でもいい。その気になれば日本全国、好きなだけ回れる。想像の中では、時間も財布もそう簡単には邪魔をしない。もともと私は、地図を見るのが好きなのだと思う。この道はどこにつながるのか。この先には何があるのか。海のそばか、山の近くか。駅のまわりは栄えているのか。少し外れれば静かな町なのか。そういうことを考えていると、妙に気持ちが落ち着く。旅そのものも好きなのだろうが、旅の輪郭をなぞる時間も、私は好きなのだ。行く前の心の空白。いや、心の空白というより、助走に近いのかもしれない。まだ踏み出していないのに、気持ちだけが少し先へ行っている。あの感じがいい。今月末には、仕事で地方へ行く予定がある。ただ、それはあくまで仕事だ。旅ではない。家もそんなには空けられない。現地でのんびりというわけにもいかないだろう。だから、本当の旅行は先に取っておこうと思う。いつか、もう少し自由に動ける時が来たら。今は無理に欲張らず、その時の楽しみに残しておく。行けない今に無理をねじ込むより、その日のために想像をふくらませておくほうが、今の自分には合っている気がする。旅がしたい。それは現実逃避なのかもしれない。けれど、逃避という言葉だけで片づけるのも違う気がする。人は、現実を生き抜くためにも、少し先の景色を必要とする。今ここではない場所を思い浮かべることが、今日をやり過ごす力になることもある。そう考えると、妄想旅行も立派な息抜きである。家キャン。心の避難所。そして妄想旅行。どれも大げさなものではない。金もあまりかからない。時間もそれほどいらない。だが、こういう小さな工夫がないと、介護のある暮らしは息が詰まる。遠くへ行けないなら、行けないなりの旅を作る。自由が少ないなら、少ない中で風を通す。今の私は、そうやって持ちこたえている。そして少し思う。想像力というものは、案外、昭和の人間のほうが鍛えられているのかもしれない。今は何でもある。見ようと思えば、実写も動画も、現地の空気までいくらでも先回りして見られる。便利だ。とても便利だと思う。けれど、何でも見えてしまう時代だからこそ、見えないものを勝手に思い描く力は弱くなっているのではないか。地図だけを見て、その先を頭の中で立ち上げる。そういう遊びは、昭和の人間のほうが少し得意かもしれない。買えないものを広告で眺めていた子ども時代。行けない場所を地図帳で見ていた頃。不便だったぶん、想像力で埋めていた。あの頃の癖が、こんな年齢になって役に立つとは思わなかった。旅がしたい。だから今は、地図の上で遠くへ行く。本当の旅は、もう少し先の楽しみに取っておく。その日まで私は、ときどき椅子を外に出し、風に吹かれ、地図を広げるのだと思う。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.05
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笑いの臨界点 #20 右に曲がる癖右に曲がる癖駅からの帰り道。いつもの角で、右に曲がった。二歩、進んでから気づく。今日は、用事があった。曲がるのは、左だ。立ち止まる。振り返る。信号は、ちょうど変わるところだった。この道は、体が覚えている。考える前に、足が動く。悪いわけじゃない。ただ、少しだけ早い。横断歩道の白が、夜に浮かぶ。車のライトが、静かに流れる。待つ。渡る。画像今度は、左。ちゃんと。歩きながら、思う。間違えた、というほどでもない。戻れた、というほどでもない。ただ、癖が出ただけ。それでも、少しだけ胸の奥が軽くなる。正しい方向に向き直した、その一歩の分だけ。家に着くころには、さっきの角のことは、もう薄い。でも、右に曲がりかけた自分を、なぜか悪くないと思えた。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.04
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ロスジェネ脱線学 #22 郵便受けの前で考えたこと郵便受けの前で考えたこと届くものと、届かないもの私は1974年生まれだ。一日の終わりに、無意識で郵便受けを開ける癖がまだ残っている。カチ、と軽い音がして、中をのぞく。ほとんどはチラシか、請求書か、名前だけがやけに丁寧な封筒。昔みたいに、手紙が入っていることは滅多にない。子どもの頃、郵便受けは小さなイベントだった。封筒の角が見えただけで、少し胸が動いた。中身よりも、「誰かから届いた」という事実が大事だった気がする。大人になると、届くものは現実ばかりになる。支払い、連絡、確認。未来の知らせは、だいたいネットの向こうに行ってしまった。就職氷河期の頃、私は何度か郵便受けを怖がった。結果通知。お祈り。沈黙。封筒の厚みで、少しだけ運命を測ろうとしていた自分を思い出す。50代になって、郵便受けはまた静かになった。大きな知らせは来ない。代わりに、今日を続けるための紙だけが入っている。それでも、空っぽの郵便受けを見ると、少しだけ肩の力が抜ける。何も来ない日は、何も壊れなかった日でもある。私はふたを閉めて、部屋に戻る。届かなかったものも、たぶんある。でも、今日も戻る場所はある。それで、今のところは十分だと思っている。─────────────EX-FAX-CE | NOTE執筆家「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」「ゆるぎなく、まっすぐに」「言葉は、再起動ではなく継続の証」▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点X:@zdocomo / note:/exfaxce─────────────
2026.03.03
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一瞬永遠 第26幕 昼の影は短い昼の光は思ったよりも高く影を足元に押し戻していた歩く止まるまた歩くそれだけで時間は勝手に進む交差点の角で風が紙切れを転がし誰も気に留めない店先のガラスに自分の姿が映り少しだけ知らない人に見えたその瞬間胸の奥がかすかに冷えたすぐに何事もなかった顔に戻り信号が変わるのを待つ鞄の重さ靴の感触遠くのクラクションどれも今日の部品だ昼は感情を長く預かってくれないだから置き去りにしたまま先へ行ける影は短く足音は確かに残るそれで十分だと言い聞かせるでもなく私はまた人の流れに混じる
2026.03.02
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介護の朝は突然に…#16【50代】介護の朝は突然に…昨日の父は、朝から身体のあちこちに痛みがあるようだった。見ていて、こちらまで少し息を詰める。ほぼ寝たきりの状態。それだけでも、身体には相当な負担がかかるのだと思う。肩を叩く。肩をもむ。足つぼを押す。どれをやるにも、力加減に神経を使う。しかも、全身の骨に転移がある。少しでも強ければいけない。弱すぎても意味がない。介護というのは、こういう細かなさじ加減の連続だ。昨日は、お風呂に入れる日でもあった。湯で温めれば、少しは楽になるかもしれない。そう思いながら、いつも以上に気を配る。冷えた身体に、湯のぬくもりがゆっくり入っていく。その時間だけでも、痛みがやわらいでくれればいい。そんなことを考えていた。ここ最近は、立ち上がった後の力も、どうにも弱い。踏ん張りが効かない。身体が、少しずつ正直になっている。余命一年と言われたところから、もう二年を超えているのだから、無理もない。そう頭では分かっていても、現実として目の前に出てくると、やはり重い。尿パックの詰まりも増えた。月曜に洗浄には来る。けれど、それまでもつのかどうか。こういう小さな不安が、毎日の中にいくつも浮かぶ。ひとつ片づけても、また次が出てくる。それでも、本人が落ち込まないようにするしかない。こちらまで沈んでしまえば、空気はそのまま伝わる。だから、できるだけ明るく振る舞う。無理にでも、という日もある。だが、それもまた支える側の役目なのだと思う。もう少しで春だ。春になって、気温が落ち着いたら、桜を見に連れていかなければと思っている。その時、どんな顔をするだろう。ちゃんと外の空気を吸って、桜を見上げられるだろうか。そんな光景を、まだこちらは諦めていない。支える側のこちらが、ときどき心が折れそうになることはある。正直に言えば、ある。胸の奥が、ひびの入ったガラスみたいに感じる夜もある。けれど、折れるわけにはいかない。ここで崩れるわけにはいかない。しっかりやらないといけない。それは気合いの言葉というより、いまの現実そのものだ。朝は突然に来る。介護もまた、突然にこちらへ重みを増してくる。だから今日も、できることをやる。ただ、それだけを積み重ねていく。
2026.03.01
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