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ロスジェネ脱線学 #39 タオルだけ少し湿っている夕方洗濯物を取り込もうとして、タオルだけ少し湿っていた。シャツは乾いている。靴下も、まあ乾いている。ハンカチなどは、むしろ乾きすぎて少し硬い。なのに、タオルだけが怪しい。手に取る。広げる。端を触る。真ん中を触る。うん。これは乾いていない。完全に濡れているわけではない。そこがまた面倒くさい。びしょびしょなら判断は早い。干し直す。以上。だが、こういう「ほぼ乾いているが、まだ少しだけ湿っている」状態は困る。たたんでいいのか。もう少し干すのか。部屋の椅子にでも掛けておくのか。タオル一枚で、夕方の予定が少し止まる。若い頃は、たぶん気にしなかった。少し湿っていても、そのうち乾くだろうと思って畳んでいた気がする。実際、何とかなっていた。生活全体が雑だったのか、身体が鈍かったのか、両方かもしれない。五十代になると、こういう小さな湿り気に敏感になる。湿ったまましまったら、あとでにおう。におったら、また洗う。また洗えば、水道代も電気代もかかる。洗剤も減る。柔軟剤も減る。一枚のタオルから、急に家計の話が始まる。物価高というのは、スーパーのレジだけで感じるものではない。洗濯機のスイッチを押す時にも、少し顔を出す。乾燥機を使うかどうか。エアコンの風に当てるかどうか。もう一回洗うのは、もったいないかどうか。昔なら、そこまで考えなかった。いや、考えなかったというより、考える余裕も知識もなかったのかもしれない。昭和の頃、洗濯物は外に干すものだった。ベランダや庭にずらっと並んで、風に揺れていた。天気予報が外れると、家の中がちょっとした避難所になる。平成になると、部屋干し用の洗剤が増えた。除菌とか抗菌とか、いろいろ頼もしい言葉がラベルに並ぶようになった。こちらの生活より、洗剤の方が先に進化していた。令和になると、乾燥機つき洗濯機、浴室乾燥、サーキュレーター。便利なものは増えた。増えたのだが、全部を使うほどの決断力と電気代への度胸が、こちらにはあまりない。結局私は、湿ったタオルを手に持ったまま、しばらく立っている。何をしているのか。タオルと相談しているのである。FAX修理の現場でも、半端な状態というのが一番困った。完全に壊れていれば、原因を探せる。完全に動いていれば、終われる。たまに止まる。時々紙がずれる。今は直っているが、さっきおかしかった。そういうやつが一番手ごわい。タオルも似ている。乾いているようで、乾いていない。いけそうで、いけない。終わったようで、終わっていない。なんだか仕事みたいである。洗濯物にまで、かつての客先対応を思い出すとは思わなかった。私はタオルをもう一度広げた。夕方の光が、布の表面に当たっている。見た目には乾いている。問題は手触りだ。こういう時、自分の指先もあまり信用できない。昔より鈍くなっている気がするし、逆に妙なところだけ敏感になっている気もする。熱いものには弱くなった。冷たいものにも少し弱くなった。湿り気には、やたら慎重になった。人間の性能は、年とともに落ちるというより、変なところで偏ってくる。結局、そのタオルだけもう一度ハンガーに掛けた。他の洗濯物は畳む。タオルだけ残業である。ベランダに一枚だけ残ったタオルを見ると、少し間が抜けている。洗濯物の中にも、居残り組があるのだなと思う。ロスジェネ氷河期第一世代という言葉を、こんなところに持ち出すのも大げさかもしれない。ただ、私たちはずっと、何かが少し乾ききらないまま来たような気もする。就職。給料。将来の見通し。自信。どれも、完全に濡れているわけではない。でも、胸を張って乾いたとも言いにくい。それでも畳まれて、しまわれて、また使われる。少し湿ったままでも、生活は次へ進む。もちろん、タオルと世代論を同じ物干し竿に掛けるのは、さすがに無理がある。タオルも迷惑だろう。ただ、夕方のベランダで一枚だけ残ったタオルを見ていると、少しだけそんなことを考えてしまう。完璧に乾いてからでないと進めない、というわけでもない。でも、湿っていることに気づいたなら、もう少し干してもいい。急がなくていい日もある。たたまずに残す判断も、たぶん生活の一部だ。しばらくして、もう一度触ってみる。まだ少し湿っている。私は笑うほどでもなく、少しだけ鼻で息を抜いた。まあ、そう簡単には乾かない。人間もタオルも、だいたいそんなものだ。
2026.06.30
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一瞬永遠 第43幕 背中に家を残して玄関の扉を閉めると家の音がそこで一度遠くなる鍵を回す小さな金属音が朝の空気に混じり今日が外側へ動き出すけれど心だけはすぐには出てこない部屋の奥椅子の気配湯呑みの位置まだ閉じきっていない襖そんなものが背中に残ったまま私は道へ出る若い頃は家を出れば自分の時間だった仕事へ行く人と会う腹を立てる失敗するそれでも全部が自分の前にあった今は違う外へ出ても家は完全には離れない誰かの体調機嫌小さな物音鳴るかもしれない電話それらが見えない荷物になって鞄とは別の場所にぶら下がっている重いそう思った瞬間少しだけ自分を責めそうになるけれど重いものは重いそれをなかったことにしても歩き方がおかしくなるだけだ角を曲がる朝の道にはもう人がいる犬を連れた人自転車の学生急ぎ足の背広ごみ袋を持つ誰かみんな何かを抱えているのだろう見えないだけで胸の奥でふと置いてきた家の空気がもう一度だけ揺れた戻るべきか進むべきかそんな大げさな話ではないただ五十代の朝には小さな迷いが何度も足首に絡むそれでも歩く戻るためにも歩く守るためにも少し離れる自分を失わないためにも今日の中へ出る空は昨日より少し薄い青をしている答えをくれるわけではないただ黙って道の先に広がっている私は背中に家を残したまま前を見る一瞬は軽くないけれど重さを知った一瞬だけがあとになって永遠のように胸に残ることがある今日もそのひとつなのかもしれない
2026.06.29
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身体を通っていない言葉は、なぜ人の奥まで届かないのか|50代ロスジェネが考える「自分の言葉」の重さ自分の言葉は、うまい必要はない夜の台所で、冷めた味噌汁を温め直しているときに、ふと考えることがある。人の言葉は、ずいぶん便利になった。検索すれば気の利いた一文がいくらでも出てくるし、少し深そうに見える言い回しも、今は簡単に拾える。SNSを開けば、立派なことを言う人は山ほどいる。正しそうで、整っていて、隙がない。けれど、読んでいて妙に温度のない言葉がある。間違ったことを言っているわけではない。見た目もきれいだし、筋も通っている。なのに、こちらの胸の深いところまでは入ってこない。表面を撫でて、そのまま帰っていく。たぶん、その言葉が悪いのではない。その言葉が、その人の身体をまだ通っていないのだと思う。失敗した日の靴下の湿り気も、病院の待合室で飲んだぬるい缶コーヒーも、仕事帰りの駅前で感じた、あの何とも言えない薄い敗北感も、そこには混じっていない。言葉だけが先に立っていて、暮らしの匂いがついていない。私は、そういう言葉に昔ほど強く反応しなくなった。若い頃なら、もう少し簡単に感心していた気がするのだが、50代になって介護と仕事のあいだを行ったり来たりしていると、見えるものが少し変わってくる。立派な言い回しに寄りかかりたかった頃若い頃は、うまい言葉に弱かった。本で読んだ言葉。偉い人の言葉。講演か何かで拍手を浴びそうな言葉。そういうものを身につけていれば、自分も少しはまともに見えるのではないかと思っていた。実際、そういう時期は多くの人にあるのだろうし、私だけが特別だったわけではない。ただ、ロスジェネ氷河期をくぐってきた人間には、あの時代特有の焦りがある。最初から椅子の数が足りなかった。こちらが努力不足だったと言われれば、それも一部はそうだったのかもしれないが、そもそも会場に入ったときから椅子が足りていない感じがあった。会社説明会の空気は硬く、履歴書は何枚書いても薄く、こちらの名前より前に、年齢でも資格でもなく、空気のような序列が先にあった。だから、せめて言葉くらいは整えたくなる。中身が頼りないなら、外側をもう少しまともに見せたくなる。みっともなさを隠したいし、軽く見られたくもない。立派な言い回しに寄りかかる気持ちは、わからないでもない。私も、その気持ちの中を通ってきた。外装だけ磨いた言葉は、肝心なところで止まる現場でFAXを直していた頃、外から見た印象と、中を開けたときの状態がまるで違う機械に何度も当たった。外装だけは妙にきれいで、拭きあとまで残っている。お客さんの前ではちゃんと動いていたのだろう。けれど、カバーを開けるとローラーは削れ、センサーには紙粉がたまり、前の処置で無理にごまかした跡が残っている。ひとまず送れるようにはしてあるが、いざ通しで動かすと、途中で紙が斜めに走る。見た目だけではわからない不具合が、奥に残っている。言葉も、それに少し似ている。外から貼っただけの言葉は、入口ではきれいに入る。読み始めた瞬間は、なるほどと思わせる力もある。だが、途中で止まる。相手の中をまっすぐ通っていかない。最後まで届く前に、どこかで引っかかる。出力されたものが、妙にかすれている。もちろん、人はひとりで言葉を生み出しているわけではない。誰かの文章に助けられることもあるし、先人の言葉に背中を支えられる日もある。私だって本を読んできたし、人の言葉に何度も救われた。それを否定したいのではない。ただ、それを自分の暮らしの中で一度も揉まずに、そのまま口から出すと、やはり薄い。自分で引き受けた痛みも、うまくいかなかった日の沈黙も、家族に腹を立てながら薬の袋を確認する指先も通っていない言葉は、どこか肩が浮く。新品の作業着みたいなものだ。見た目は悪くないが、袖口が落ち着かない。ポケットの位置が身体になじまない。工具を取ろうとしたとき、手が迷う。毎日着て、汗を吸って、少し擦り切れて、ようやく自分のものになる。言葉も、その程度には使い込まれていないと、いざというところで身体から離れる。私は、自分の本音、生活そのもの、生き方そういったものをありのまま書いている。ようするに言葉や文章のうまさではなくその内容が本物であるかということだ。ある意味、700日以上を連続投稿できている秘訣がそこにあるのかもしれない。顔にも、しぐさにも、言葉の出どころは滲む50代になってから、言葉は文章だけに出るものではないと、前よりはっきり思うようになった。顔に出る。しぐさに出る。人との距離の取り方に出る。怒り方、謝り方、黙り方にも出る。うまいことを言う人がいても、その人の目の動きや、誰かが困っているときの反応や、自分より弱い立場の人への当たり方を見ていると、何となくわかってしまうことがある。言葉だけ整えていても、その外側にある生き方が追いついていないと、結局どこかで滲む。それは、責めるために見ているのではない。こちらも完璧ではないし、むしろ失敗だらけだ。介護ひとつ取っても、立派とは言えない日がいくらでもある。面倒くさいと思う日もあるし、疲れて苛立つこともある。情けないほど小さい人間だと思うこともある。けれど、そういうものをごまかしていない言葉には、まだ手触りがある。夜中に呼ばれて廊下へ出るときのスリッパの音。洗面所の鏡に映る、昔より少し重たくなった顔。湿布の匂いが抜けきらない朝。そういう生活の中から出てきた言葉は、うまくなくても妙に残る。整いすぎていないぶん、こちらも油断して読める。見抜かれる側は、見抜く人を嫌う厄介なのは、身体を通っていない言葉に頼っている人ほど、それを見抜く相手を嫌うことがある点だ。会社でも、地域でも、ネットでも、これはわりとある。立派なことを言う人ほど、近くで静かに見ている人の沈黙を怖がる。安易に拍手しない人、空気よく乗ってこない人、自分の言葉の表面だけでは動かない人を、どうにか遠ざけようとする。糾弾する。悪者にする。小さな罠を仕掛ける。静かに席を外させる。たぶん、相手を憎いというより、自分のほころびを見られたくないのだろう。FAXでも、紙詰まりの場所が見つかると困るケースがあった。表から見えないところで紙が曲がっていると、そこを開けられたくない。だから、カバーを閉じたまま、音だけ大きくなる。回っているように見せる。動いているように見せる。人の言葉も似ていて、正しさの音、善意の音、理念の音ばかりが大きいときほど、中の細い紙片が引っかかっていることがある。本当に自前で生きている人は、案外、大きな音を立てない。言葉数も多くない。陰に回されることもあるし、損な役を引き受けることもある。うまく立ち回る人に場所を取られ、気づけば端の席に座らされていることもある。それでも、そういう人の言葉には妙な強さがある。装飾ではなく、根のある言葉が残る私は、派手な装飾より、根のある言葉のほうを信じたい。駅前の再開発の看板みたいに大きくはないが、商店街の端のプランターみたいに、誰が水をやっているのかわからないまま、季節になればちゃんと咲いているものがある。目立たないが、通る人の記憶に少し残る。言葉もそうだと思う。見栄えのいい包装紙で包めば、一時的に人を動かすことはできるのかもしれない。短い時間なら、立派に見せることもできる。だが、包装紙は食えない。冷めた味噌汁を温め直す夜に、腹の足しにはならない。noteでは時折書くが、装飾された文章に人の魂は乗らない。それは例えばAIで文章を書いたからではない。今の時代、文章を整えてもらうくらい皆やっているだろう。そうではなく、そこに自分の言葉が入っているかどうか?自分自身の言葉、言い回し、そして文章の温度。何より書き手の本音がそこにあるか?そういったものが人の心に触れ、響く。人の奥に残るのは、たいてい、失敗した日にも捨てなかった言葉だ。誰にも褒められないまま続けた仕事の言葉。介護の途中で、きれいなことを言う余裕もなくなった日の言葉。家族に腹を立てながら、それでも今日の分の薬を確認している手から出てくる言葉。そういうものには、生活の汗や、うまくいかなかった日の沈黙がついている。検索すれば出てくるような都合のいい一文ではなく、自分の暮らしの中で少しずつ削れて、汚れて、ようやく手になじんできた言葉。そのほうが、私は信用できる。自分の言葉は、うまい必要はない外から持ってきた言い回しを全面的に退けたいわけではない。人は誰かの言葉に触れながら育つし、その中で自分の考えも少しずつ形になる。最初から全部が自前である必要もない。ただ、それを自分の人生の代わりにしてしまうと、どこかで無理が出る。紙詰まりを放っておいたFAXが、ある日まとめて止まるように、人間もごまかし続けたところから音を立てる。外装だけでは、長くはもたない。自分の言葉は、うまくなくていいのだと思う。誰かの心に響けばそれでよい。台所で出た言葉でもいい。病院の待合室で噛みしめた言葉でもいい。仕事帰りの暗い道で、ようやく拾えた言葉でもいい。少し不格好でも、自分の手で拾ったものなら、その汚れごと残せる。介護と仕事のあいだで、直せない日々を言葉で保守する。私が書いているのは、たぶん、その作業に近い。全部を直せるわけではないし、きれいに整う日ばかりでもない。それでも、どこがまだ生きているかを見て、どこで詰まったのかを確かめて、今日も何とか動くところまで持っていく。読まれるための文章。書きたいことを書く文章。共鳴される文章。私は届くべき人に、心に届く文章を書いていきたい。うまい文章など不要、同性代の人が奮い立つ、頑張ろうと思う。自分の生活の中でまだ動いている場所を少し確かめたくなる。そんなnoteでありたい。言葉というのは、その程度の不器用さのほうが、案外、人の奥に残るのかもしれない。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。少しでも残るところがありましたら、スキやフォローで応援していただけると励みになります。
2026.06.28
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朝6時の洗浄剤と、血圧の薬を飲む腹を決めた日|50代健康月間の最後に来たもの金曜日の朝6時から、経口腸管洗浄剤を飲んだ。台所の時計を見ながら、まず一杯。これが、なかなか手ごわい。うまいものではないし、飲みやすいものでもない。病院から渡された説明書どおりに進めているだけなのに、朝っぱらから身体の中を全部引っ越しさせられているような気分になる。今月は、身体の点検が続いた。月初めの口腔機能低下症検査に始まり、一連の健康診断があり、締めくくりに胃カメラと大腸カメラが来た。こうして並べると、なかなか立派な健康月間である。会社なら点検表に判子を押して終わるのだろうが、自分の身体となると、そう簡単には済まない。昔、FAXを見ていた頃なら、異音、紙詰まり、印字不良、通信エラーと、症状をひとつずつ切り分けていった。50代の身体も、少し似ている。歯、口、胃、腸、血圧、腹まわり。あちこちに小さな症状が出てくる。ただし機械と違って、部品交換で済まないところが面倒くさい。朝6時の洗浄剤大腸カメラは、人生2回目になる。前回は4年前だった。なんとなく記憶は残っている。こうだったな、ああだったな、と頭では思い出すのだが、身体のほうはあまり親切ではない。朝6時から洗浄剤を飲み始めて、結局10時近くまでおなかが落ち着かなかった。飲んではトイレへ行く。戻って、また飲む。家の中の移動距離としてはたいしたことがない。けれど体感では、ちょっとした山岳行軍である。台所とトイレのあいだを何度も往復しているうちに、自分が検査の準備をしているのか、何かの修行をしているのか、少しわからなくなってくる。そのうち、おしりも痛くなってくる。これが地味につらい。洗浄剤だけではなく、普通の水も飲むので、かなりの量が身体に入っていく。飲んでいるのに、出している。出しているのに、また飲む。朝の静かな家の中で、ひとりだけ妙に忙しい。介護でも仕事でも、朝からバタバタする日はある。ただ、この日の忙しさは方向が違った。誰かに呼ばれたわけでもなく、納期に追われたわけでもない。自分の腸をきれいにするためだけに、トイレへ走っている。50代になると、こういう用事が増える。若い頃にはなかった予定が、カレンダーに静かに入ってくる。検査着の暑さ検査はお昼からだった。病院へ行く頃には、おなかもどうにか落ち着いていた。これで途中で困ることはなさそうだと思いながら受付を済ませ、検査着に着替えて処置室へ入った。そこから、なぜか暑くなってきた。じわじわ汗が出てくる。緊張なのか、部屋の温度なのか、朝から飲んだもののせいなのか、自分でもよくわからない。麻酔の点滴をつけたあと、上の服を着たままだったことに気づいた。これは無理だと思った。看護師さんにお願いして、何とか脱がせてもらった。病院では、こちらの都合などたいてい後回しになる。けれど、暑いものは暑い。いい大人が処置室で汗をかきながら服を脱がせてもらうのは、なかなか情けない景色ではあるが、そこで我慢しても誰も得をしない。間髪入れずに、口からも麻酔。まず大腸カメラが始まった。目の前に画面がある。自分の中身が、全部見えている。あまりいい気分はしない。普段、洗面所の鏡で自分の顔を見るだけでも十分なのに、腸の中まで見せられると、人間としての隠し場所がなくなっていくような気がする。それでも、前回よりは違和感が少なかった。慣れたのか、あきらめたのか、そのあたりはよくわからない。ポリープと、まあこんなもんだ早速、ポリープが見つかった。見つかる時は、あっさり見つかる。こちらが心の準備をしているかどうかは関係ない。画面の向こうで医師が淡々と処置を進め、ポリープは除去された。全体としては悪くないとのことだった。そこは、ひとまず受け取っておく。続けて、胃カメラに入った。こちらは口からである。胃カメラは、好き嫌いで言えば、好きになる要素があまりない。今回は途中から少し意識がもうろうとして、気がついたら終わっていた。終わっていた、というのはありがたい。検査というものは、最中よりも「終わりましたよ」と言われる瞬間に救いがある。胃のほうにもポリープ。ピロリ菌なし。逆流性胃腸炎。食道裂孔ヘルニア。名前だけ並べると、なかなかにぎやかだ。病名というのは、こちらの生活感とは別のところで妙に立派な顔をしている。けれど説明を聞いているうちに、心の中では「まあこんなもんだ」と思っていた。50年以上使ってきた身体である。何もないほうが、むしろ不思議なのかもしれない。前に受けた健診と血液検査のほうは、おおむね問題なしだった。メタボも予備軍から外れていた。これは少し意外だった。腹まわりの感触としては、まだまだ現役の予備軍という気がしていたからだ。身体というものは、こちらが思っているほど悪くないところもあり、思っているより悪いところもある。点検しないと、案外わからない。血圧178/120ただ、血圧だけはそうも言っていられなかった。178/120。この数字を見た時、さすがに腹を決めた。もう飲むか、と。今までどこかで、血圧の薬を飲み始めることに抵抗があった。一度飲み始めたら戻れないような気がしていたし、自分の身体がひとつ段階を下りたような気もしていた。年齢を認めることと、負けを認めることが、頭の中でごちゃまぜになっていたのだと思う。けれど、50代になると、意地だけでは保守できない場所が出てくる。紙詰まりならカバーを開けて、ローラーを拭いて、破れた紙を取り除けばまた動くこともある。血圧はそうはいかない。見なかったことにしても、数字は下がらない。介護も仕事も、こちらの血圧が高いからといって待ってはくれない。夜中に呼ばれる日もあるし、朝には洗濯物がある。病院の待合室でぼんやりしていても、家に帰ればリモコンの位置だの、薬は飲んだのかだの、いつもの生活が戻ってくる。こちらが倒れたら困る人がいる。そう思うと少し重いが、少なくとも故障を広げるわけにはいかない。だから、血圧の薬を飲み始めることにした。負けたというより、これ以上ややこしくしないための処置である。50代の健康診断は、保守点検票に近い健康月間は、なかなか疲れた。朝6時の洗浄剤。トイレへの往復。検査着の暑さ。画面に映る自分の中身。ポリープ。血圧178/120。薬を飲む腹の決め方。いろいろあったが、ひと通り見てみると、まだ使えるところもある。若い頃の健康診断は、成績表のような気分で見ていた。AだのBだの、再検査だの、異常なしだの。どこか他人事で、数字を眺めて終わりにしていた。50代の健康診断は、少し違う。これは合格発表ではなく、保守点検票に近い。どこが詰まりかけているのか。どこはまだ動いているのか。どこに無理をさせないほうがいいのか。そういう目で、自分の身体を見る年齢になった。今回も、いくつか赤字は入った。ポリープは取った。胃には名前のついた症状があった。血圧には薬が出た。派手に壊れているわけではない。ただ、放っておくと面倒なことになりそうな箇所が、いくつか見つかった。まあ、想定内だ。そう言えるうちに点検しておく。それくらいが、今の自分にはちょうどいい。介護と仕事のあいだで、自分の身体まで後回しにしていたら、生活の紙送りが止まってしまう。完全に直せなくても、詰まりかけたところを見て、ローラーの汚れを拭き、まだ動く場所を確かめる。健康月間は終わった。明日からはまた、いつもの廊下を歩き、台所で水を飲み、薬をひとつ増やして暮らしていく。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。胃カメラ、大腸カメラ、血圧、介護、仕事。50代になると、点検する場所が少しずつ増えていきます。少しでも残るところがありましたら、スキやフォローで応援していただけると励みになります。
2026.06.27
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30数年ぶりに、世田谷区の利用カードを作った|50代30数年ぶりに、世田谷区の利用カードを作った30数年ぶりに、世田谷区立図書館の利用カードを作った。正確には、作り直したと言った方が近いのかもしれない。世田谷区立中央図書館へよく行っていたのは、中学時代だった。あの頃の私は、たぶん今よりずっと本を読んでいた。いや、本を読んでいたというより、図書館という場所にいること自体が好きだったのだと思う。静かで、本が並んでいて、誰もこちらに余計なことを言ってこない。中学生にとって、あの場所はなかなか貴重だった。今回、久しぶりに中央図書館へ行くことになり、ふと思い出した。そういえば、昔の利用カードをまだ持っていたな、と。財布だったか、書類入れだったか、どこかにずっと残っていた。捨てる理由もなく、使う機会もないまま、何十年も眠っていたカードである。一応、窓口で出してみた。当然のように、登録はもう残っていなかった。そりゃそうだ。こちらも中学生ではなく、今は50代である。登録が残っていたら、それはそれで驚く。むしろ、カードそのものがまだ手元にあったことの方が不思議なくらいだ。結局、改めて利用カードを作ることになった。変わらないカードに、少し驚いた少し驚いたのは、新しく作ったカードが、昔のカードとほぼ変わらなかったことだ。細かい部分はもちろん違うのだろう。印字の仕方も、管理の仕組みも、裏側ではずいぶん変わっているはずだ。だが、手に取った時の感じが、妙に昔のままだった。こういうところは、変わらないのだなと思った。今の世の中は、何でもかんでもアプリだ、QRコードだ、認証だ、ワンタイムパスワードだと忙しい。便利になったのは確かだが、こちらの頭と気持ちが追いつかない時もある。その中で、図書館のカードが、昔の記憶とあまり変わらない顔をして戻ってきた。それが、妙に嬉しかった。中央図書館の空気も、どこか当時のままだった。もちろん建物や設備は変わっているのだろうし、私が覚えていないだけの変化もたくさんあるはずだ。それでも、本棚の並び、紙のにおい、机に向かって調べものをしている人たち、窓口でのやり取り、そういうものが中学時代の記憶とつながっていた。一瞬だけ、昔の自分がそこにいたような気がした。制服を着て、少し大きめの鞄を持って、何を借りるでもなく棚を眺めている自分。ずいぶん遠くまで来たつもりでいたが、結局また同じ場所に戻ってきたのかもしれない。左が30数年前・右が今回作ったもの用賀の昔の地図を作っている今回、利用カードを作った目的は、今作っている用賀の昔の地図づくりの資料を見るためである。昔の用賀に何があったのか。あの角にはどの店があったのか。あの道は昔からあの形だったのか。今はマンションになっている場所には、以前は何が建っていたのか。子どもの頃に見ていた景色は、今の地図のどこに重なるのか。そんなことを調べながら、Googleマップのマイマップに少しずつ記録している。最初は、ちょっとした思いつきだった。父との話のきっかけになればいい。昔住んでいた場所の話なら、父も少しは話しやすいかもしれない。そんな感じで始めた。ところが、やり始めると私の方もだんだん凝ってきた。記憶だけで作るには限界がある。自分では覚えているつもりでも、意外と抜けている。店の名前が出てこない。場所はわかるのに、そこに何があったか思い出せない。逆に、古い地図を見ているうちに、急に昔の看板や店先の様子が浮かんでくることもある。記憶というのは、実に頼りない。だが、頼りないくせに、何かの拍子に突然戻ってくる。だから資料がほしくなる。古い住宅地図、郷土資料、地域の写真集、当時の記録。棚に出ていない資料を出してもらうためには、利用カードが必要になる。そんなわけで、30数年ぶりに世田谷区の利用カードを作ることになった。父との最後の共同作業になるかもしれないこの用賀の昔の地図づくりは、父との最後のコミュニケーションになるかもしれない。そう思っている。父は精神的に揺れる日が多い。体調の問題もある。こちらが何か話しかけても、うまく噛み合わない時がある。表情が沈んでいる日もある。もともと、父とはそこまで仲が良かったわけではない。親子だから何でも話せる、という関係ではなかった。むしろ、距離の取り方が難しい時期の方が長かったと思う。こちらにも思うところはあるし、父にも父の言い分があるのだろう。ただ、今はそんなことばかり言っていられない。残された時間がどれくらいあるのか、正直わからない。その中で、毎週日曜日にする将棋と、この昔の用賀の地図づくりは、父との良い時間になっている。将棋を指す。昔の用賀の話をする。「ここに何があったっけ」と聞く。父が少し考えて、「あそこはたしか……」と話し始める。その時だけ、父の表情が少し変わる。病気のことや、家の中の不安から少し離れて、昔の道に戻っていくように見える。父にとっても、昔住んでいた場所の記憶を呼び起こす作業は楽しいようだ。これは、ありがたい。介護の中で会話を成立させるのは、簡単ではない。体調、気分、薬、食事、眠気、不安。いろいろなものに邪魔される。それでも、昔の地図を見せると、父が話せる場所に戻ってくることがある。地図というのは不思議だ。ただ道や建物が並んでいるだけではない。その人が歩いてきた時間が、そこに引っかかっている。図書館は、記憶を探しに行く場所になった中学時代の私は、たぶん本を借りに中央図書館へ行っていた。今の私は、父との会話の材料を探しに行っている。同じ図書館なのに、行く理由がまるで違う。30数年の時間とは、そういうものなのだろう。あの頃は、自分の未来のことなど何もわかっていなかった。まさか50代になって、父の介護をしながら、昔の用賀の地図を作るために図書館カードを作り直すとは思っていなかった。人生というのは、妙なところで昔とつながる。中央図書館の机に座り、資料を開いていると、中学時代の自分と、今の自分と、父の記憶が、同じ机の上に並んでいるような気がした。やっていることは、特別なことではない。古い地図を見る。メモを取る。帰ってからマイマップに打ち込む。父に聞けそうなことを少し残しておく。それだけの作業である。だが、その小さな作業が、今の私にはけっこう大事になっている。父との時間を少しでもまともなものにするために。自分の記憶を確かめるために。消えてしまった街の名残を、少しでも残すために。玉川台図書館にも、また行ってみたい昔は、玉川台図書館にも行っていた。中央図書館よりは小さかったと思う。近かったこともあり、こちらはこちらでよく使っていた記憶がある。今度、あらためて行ってみたい。小さな図書館には、小さな図書館の良さがある。大きな図書館のように何でも揃っているわけではないが、地域に近い感じがある。棚の高さ、机の配置、入口の雰囲気。そういうものを見に行くだけでも、たぶん何か思い出す。世田谷区には、まだ行っていない図書館もある。この際、少しずつ回ってみるのもいいかもしれない。もちろん、介護があるので自由に動けるわけではない。行ける時に行くしかない。予定を立てても、父の状態や家の状況で崩れることはいくらでもある。それでも、時間を見つけて行きたい。図書館を巡るというのも、今の自分にはちょうどいい。派手な外出ではない。お金もそれほどかからない。静かに調べものができる。少しだけ昔に戻れる。そして、父との会話に持ち帰れるものがある。カード一枚で、昔の道が開いた30数年ぶりに作った世田谷区の利用カード。たかが図書館カードである。だが、今の私にとっては、ただ本を借りるためのカードではなくなった。中学時代の自分につながるカードであり、昔の用賀を探しに行くためのカードであり、父との残された時間を少しでも穏やかにするためのカードでもある。昔のカードとほぼ変わらない姿を見て、妙に安心した。世の中はどんどん変わる。街も変わる。家族も変わる。身体も変わる。親子の関係も、最後の最後で少し変わることがある。それでも、変わらないものが少しだけ残っている。図書館のカード、古い地図、昔の道、父の記憶、自分の記憶。そのあたりを、今は少しずつ拾っている。用賀の昔の地図づくりは、まだ途中である。完成するかどうかもわからない。どこまで調べられるかもわからない。父がいつまで一緒に話せるかもわからない。それでも、今できるうちにやっておきたい。日曜日に将棋を指し、昔の地図を見せ、父が何かを思い出し、私はそれをメモする。そんな時間が、あとどれくらい残っているのかはわからない。だからこそ、作る。だからこそ、調べる。だからこそ、図書館へ行く。30数年ぶりの利用カードを財布に入れながら、そんなことを考えた。ゆるぎなく、まっすぐに。昔の道をたどりながら、今の父との時間を、もう少しだけ続けていきたい。
2026.06.26
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小高い丘の夕日と、いつか消える名前|50代夜になる前の、少し高い場所で夕方、住宅街の端にある小高い丘へ上がると、町が少しだけ遠く見える。遠くといっても、駅前のビルが見えて、スーパーの看板が見えて、どこかの家のベランダに干しっぱなしの洗濯物が見える程度の高さだ。山の頂上でもなければ、観光地でもない。犬の散歩をしている人が通り、部活帰りの高校生が自転車で坂を下りていく。それでも、そこから見る夕日は、妙に大きい。空の下の方が赤く焼けて、電線が黒い線になり、家々の屋根が少しずつ影になる。昼間の騒がしさが、まるで誰かに音量を下げられたみたいに小さくなっていく。私はそこで、ふと親のことを考えた。今ごろ家では、薬の袋が台所の端に置いてある。飲んだかどうかをあとで確認しなければならない。洗濯物もまだ少し残っている。夜になれば、また廊下の灯りを消しすぎないようにして、親の部屋の気配を耳で探ることになる。そして、親のことを考えているうちに、自分のことまで混ざってくる。親がいつまでいるのか。私はいつまでいるのか。この町も、この空も、いま見ている夕日も、いつまであるのか。夕日を見に来たつもりが、ずいぶん遠いところまで頭が行ってしまった。親の寝息は、哲学より近い若い頃、死という言葉は、新聞の端か、ニュースの向こう側にあった。もちろん身近な人が亡くなることはあったし、葬式にも出た。黒いネクタイを締め、焼香の列に並び、親戚の顔を見て、帰りにコンビニでおにぎりを買う。そんなことをしながらも、どこかで自分だけは別の列にいるような気がしていた。五十代になると、その勘違いが少しずつ剥がれてくる。朝、靴下を履こうとして腰が引っかかる。洗面所の鏡を見ると、顔に父親の線が混じっている。病院の待合室では、親の診察券を持ちながら、自分の血圧のことも考えている。同年代の訃報を聞いても、昔のように「まだ若いのに」とだけは言えなくなった。親の老いは、私に死を教えに来ているのかもしれない。ただ、その教え方は、教科書のように整っていない。夜中に呼ばれる。何度も同じ話をされる。薬を飲んだと言い張るが、袋は開いていない。こちらも人間なので、腹が立つ。やさしい顔など、そう長くは保たない。それでも、夜の廊下へ出て、親の寝息を確認する。聞こえれば、まだ大丈夫だと思う。聞こえなければ、少し足が速くなる。死生観などと立派な言葉を使わなくても、親の寝息はそれよりずっと近いところにある。記録は、思ったほど強くない人は、忘れられないために記録を残す。写真を撮る。動画を保存する。日記を書く。墓に名前を刻む。スマホの中には、家族の写真も、病院の予約画面も、どうでもいいスクリーンショットも入っている。クラウドに上げておけば、何となく安心する。けれど、記録はそこまで強くない。昔のアルバムを開くと、名前の分からない人がいる。誰かの結婚式なのか、旅行先なのか、庭先なのか。笑っているのに、声が聞こえない。何を怒り、何を喜び、どんなふうに茶碗を持った人なのか、こちらにはもう分からない。写真は残っている。でも、人はかなり消えている。データも似たようなものだ。パスワードを知る人がいなくなれば、開けない箱になる。保存形式が古くなれば、読める機械を探すところから始まる。紙なら残ると思っても、感熱紙は薄くなる。インクは滲む。湿気で波打つ。物は永遠ではない。元CEだった頃、読めるはずのものが読めない現場は、何度も見た。送ったつもり、残したつもり、届いたつもり。その「つもり」のあいだで、文字は薄れたり、ずれたり、途中で切れたりする。人生も同じです、などと大きく言う気はない。ただ、残したものがそのまま残るとは限らない。石に刻んでも、石は削れる。墓も守る人がいなくなれば、草に埋もれる。土地も変わる。町も変わる。地図から消えた名前は、たくさんある。もっと遠くまで行けば、地球だって残らない。太陽もいつか形を変える。空に見えている光も、いつまでも同じ場所で同じ強さのままではいられない。物の記録も人の記憶も永遠ではない。そんなことを考えると、記録も記憶もずいぶん頼りない保管庫だと思う。小高い丘から見える夕日は、誰のものでもない丘の上で夕日を見ていると、少し変な気分になる。この夕日は、私のために沈んでいるわけではない。親のためでも、町のためでもない。太陽はただ燃えていて、地球はただ回っていて、その途中に私の五十数年が、たまたま挟まっている。それなのに、人間は夕日を見てしまう。きれいだと思う。寂しいと思う。今日が終わると思う。昔の誰かを思い出す。もう会えない人の声を、少しだけ探す。空は返事をしない。夕日は慰めてくれない。宇宙は、人間の事情には興味がない。この冷たさは、嫌いではない。人間の生活は、あまりにも自分たちの都合でいっぱいだ。薬の時間、食事の支度、病院の予約、仕事の納期、未読のメール、減っていく通帳の数字。家の中にいると、それだけで世界が全部のような顔をしてくる。けれど丘の上に立つと、町ごと小さく見える。親の部屋の灯りも、私の疲れも、古い怒りも、まだ片づけていない洗濯物も、全部まとめて夕方の色の中に沈んでいく。それで問題が解決するわけではない。家に帰れば、薬の確認は残っている。食器も洗わなければならない。親がまた同じ話をすれば、こちらの眉間も少し硬くなる。ただ、丘の上にいる数分だけ、自分の生活を遠くから見ることができる。あれほど重かったものが、町の明かりの一つになる。それは救いというより、距離だった。忘れられるために生きているわけではない人はいつか忘れられる。親も、自分も、誰かの子どもも、友人も、昔好きだった人も、仕事で一度だけ会った人も、遠い未来にはほとんど残らない。名前が残る人もいるだろうが、その人が風呂上がりにどんな顔をしていたかまでは残らない。寝ぐせを直さずに新聞を取りに行ったことや、冷蔵庫の前で何を食べるか迷ったことまでは、どこにも保存されない。それにどんなに名声があったとしても、偉人であったとしてもいつかはすべてが無となる。では、なぜ生きるのか。なぜ人は子どもを産み、育て、面倒を見て、腹を立て、心配して、また次の朝にご飯を出すのか。どうせ忘れられるなら、なぜ続けるのか。この問いは、まじめに考えるほど、足元が抜ける。こういう問いは愚問なのだろう。けれど、人間は忘れられないためだけに生きてきたわけではないのだろう。子孫を残すという言葉は、どこか立派すぎる。実際の家の中では、もっと散らかっている。夜泣きがある。学校のプリントがない。食費がかかる。親子で言わなくていいことを言い合う。介護になれば、薬の管理、着替え、病院、洗濯、機嫌の悪い沈黙までついてくる。そこに壮大な意味など、毎日は見えない。それでも人は、熱い茶碗を渡す時に「気をつけて」と言う。夜中に布団をかけ直す。病院の帰りに、親が食べられそうなパンを選ぶ。自分が疲れていても、廊下の灯りを少しだけ残しておく。そういうことは歴史に残らない。でも、その場にいた人の身体には少し残る。茶碗の持ち方。味噌汁の濃さ。玄関の靴をそろえる癖。怒ったあと、少し気まずそうに水を飲む背中。病院の受付で、やけに小さくなった親の声。誰から受け取ったのか分からないものが、自分の中に残っている。自分もまた、誰かへ何かを渡してしまっているのかもしれない。立派な言葉ではなく、仕草や癖や、面倒な日の背中として。完全には残らない。けれど、完全に消えるまでには、思ったより長い道のりがある。光がなくなるとしても、今夜の灯りは消せない宇宙の最後には、光さえも今のようには残らないのかもしれない。そんなことを考えると、人間の一生は本当に短い。小高い丘の上で夕日を見ている五十代の男など、宇宙から見れば、ほとんど一瞬の埃のようなものだろう。それでも、その埃にも家がある。帰れば親がいる。薬の袋がある。冷めた味噌汁がある。洗面所の鏡があり、そこには父親に似てきた自分の顔が映る。人間は、遠い未来に勝つために生きているわけではないのだと思う。どうせ消えるから何もしない、とはなかなかならない。どうせ腹が減るのに、人はご飯を炊く。どうせまた汚れるのに、洗濯物を干す。どうせ眠れば朝が来るのに、夜には布団を直す。消えると分かっていても、今そこにいる人を放っておけない。忘れられると分かっていても、今日の記録を書いてしまう。終わると分かっていても、夕日を見れば少し黙る。それが人間の面倒くさいところであり、見捨てがたいところでもある。丘を下りる頃、町には灯りがつき始めていた。ひとつひとつは頼りない。風が吹けば揺れそうな窓の明かりもある。台所の蛍光灯、玄関のセンサーライト、二階の子ども部屋らしい白い光。どの灯りも、宇宙の闇に勝てるほど強くはない。けれど、その家に帰る人には十分な明るさなのだろう。私も家へ戻る。玄関で靴を脱ぎ、台所の薬の袋を確認し、廊下の灯りを少し落とす。親の部屋の方へ耳を向けると、かすかな寝息が聞こえる。遠い未来には、この夜も消える。私の名前も、親の名前も、この文章も、夕日の色も、たぶん残らない。それでも今夜、廊下の灯りを全部消さずにおく。誰かが夜中に起きた時、足元が少し見えるように。人間が続いてきた理由など、私には大きく語れない。ただ、その程度の灯りを残す手つきが、遠い昔から誰かの手を渡ってきたのだろうとは思う。そして今夜は、私の番らしい。この文章を書きながら、少し遠くまで考えすぎたかもしれないと思いました。親のこと、自分のこと、記録のこと、忘れられること。そこから夕日や宇宙の終わりまで広げると、話が大きくなりすぎて、足元のスリッパが見えなくなる怖さがあります。でも、死について考える時、人は案外、台所や洗面所から離れられないのだと思います。親の薬を出す。夜の廊下を歩く。鏡に映った自分の顔に、親の影を見る。小高い丘から夕日を見て、家へ帰る。どれも大きな出来事ではありません。それでも、そういうところでしか考えられないことがあります。最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。少しでも残るところがありましたら、スキやフォローで応援していただけると励みになります。介護と仕事のあいだで、直せない日々を言葉で保守する。そんな調子で、また書いていきます。介護の朝は突然に: 50代、家の灯りを消さないための生活保守記録 (EX-FAX-CE_WORKS)www.amazon.co.jp590円(2026年06月04日 14:01時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.25
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笑いの臨界点 #35 リモコンの電池フタだけがない夜。テレビをつけようとして、リモコンを持った。軽い。いつもより、ほんの少し軽い。気のせいかと思った。ボタンを押す。テレビはつく。問題ない。問題ないはずなのに、手の中で何かが落ち着かない。裏返す。電池フタがなかった。ああ。そこか。電池は見えている。単四が二本。むき出しで並んでいる。まるで、楽屋を見てしまったような気分になる。リモコンというものは、表側だけ見ていればいい。音量。チャンネル。電源。それで十分だ。裏側の事情まで見えると、急に生活感が出る。私はソファの上を見た。ない。クッションの隙間を見る。ない。テーブルの下を見る。ない。ここまで来ると、テレビを見たい気持ちより、フタを探したい気持ちのほうが勝ってくる。番組は始まっている。だが私は、リモコンの背中に取り残されている。いつ外れたのか。昨日か。今日か。もっと前か。思い返そうとする。無理だった。最近の記憶は、細かい部分から先に消える。テレビを見たことは覚えている。チャンネルを変えたことも覚えている。でも、リモコンのフタがあったかどうかなんて、誰が覚えているのか。私は床に膝をついた。またこの姿勢だ。五十代になると、床に近づくたびに、戻るときのことを考える。しゃがむ前から、立ち上がる心配をしている。なんだそれは。ソファの下をのぞいた。暗い。ホコリがいた。細長い何かも見える。手を伸ばす。取れた。昔のレシートだった。お前じゃない。また手を伸ばす。今度はペンのキャップ。お前でもない。なぜソファの下には、人生の小物が集まるのか。必要なものだけがいない。私は少し笑った。テレビの音が遠くで聞こえている。画面では誰かが深刻な顔で話している。こちらは、リモコンの電池フタでそれどころではない。人の悩みには大小がある。そして今の私は、かなり小さいほうに全力でいる。ようやく立ち上がる。膝が少し遅れてついてくる。はい、どうも。リモコンをもう一度見る。電池はちゃんと入っている。操作もできる。つまり、実用上は問題ない。問題ないのに、フタがないだけで、リモコン全体が未完成に見える。人間もそういうところがある。中身は動いている。日々もなんとか回っている。でも、どこかの小さなフタがない。そこだけむき出しで、自分でも少し気になる。大げさか。いや、リモコンに人生を背負わせるな。私は自分にそう言った。とりあえずセロハンテープで留めるか。一瞬そう思った。でもそれをやると、負けた気がする。何に負けたのかはわからない。メーカーか。過去の自分か。生活そのものか。仕方なく、フタなしのまま使うことにした。音量を下げる。チャンネルを変える。普通に動く。ただ、手のひらに電池の丸みが当たる。押すたびに、少しだけ現実を触ってしまう。表面だけ整った暮らしなんて、そう長くは続かない。どこかの裏側は、だいたい見えている。ふと、テレビ台の横に目がいった。黒い小さな板。あった。電池フタだった。思ったより近くにあった。たぶん、落ちてからずっとそこにいたのだろう。私は拾った。リモコンの裏に合わせる。カチッ。その音が、妙に気持ちよかった。世界が少しだけ閉じた。いや、閉じたのはリモコンだ。でも、こういう小さな「カチッ」に、一日の乱れが救われることがある。私はテレビの前に戻った。番組の話は、もう途中からわからない。でもリモコンは直った。それだけで、今日はまあいいかと思えた。五十代の夜は、大事件では終わらない。リモコンのフタが見つかって、電池が隠れて、手のひらが少し安心する。その程度で、少しだけ笑える。それで十分な日もある。笑いの臨界点: 50代、日常の小さな敗北を笑いに変える生活記録 (EX-FAX-CE_WORKS)www.amazon.co.jp590円(2026年06月10日 05:36時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.24
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ロスジェネ脱線学 #38 醤油を少し入れすぎる昼昼に冷奴を食べようと思った。たいした話ではない。豆腐を皿に出して、かつお節を少し乗せる。そこへ醤油をかける。それだけである。それだけのはずだった。ところが、醤油が思ったより出た。ドバッ、というほどではない。そこまで派手な失敗ではない。ただ、自分の予定より二割ほど多い。この二割が、五十代には大きい。若い頃なら気にしなかった。濃ければご飯で受け止める。少ししょっぱければ、水を飲めばいい。それくらいの雑な解決で、何とかなっていた。今は違う。血圧という言葉が、食卓の横に立っている。別に誰かに注意されたわけではない。でも、どこかで見た健康番組の記憶とか、病院の待合室に貼ってあったポスターとか、健診結果の数字とか。そういうものが、醤油の一滴にまで口を出してくる。私は皿の上の冷奴を見た。白い豆腐の端に、茶色い池ができている。小さい池だ。だが、気分としては霞ヶ浦くらいある。醤油の加減というのは、意外と難しい。かけないと物足りない。かけすぎると、豆腐の味がどこかへ行く。ほんの少しでいい。そのほんの少しが、手元から逃げる。昔、FAX修理の現場では、調整という言葉がよく出てきた。濃度調整。紙送りの調整。読み取り位置の調整。少しズレると、印字がかすれる。少し強いと、紙が詰まる。今思えば、機械の方がよほど正直だった。ネジを少し回せば、少し変わる。原因があれば、結果が出る。ところが、五十代の手元はそうはいかない。少しだけ傾けたつもりが、多めに出る。止めたつもりが、最後にもう一滴落ちる。その一滴が、妙に目立つ。私はティッシュで拭こうかと思った。しかし、それはそれで負けた気がする。冷奴の醤油をティッシュで吸う。字面だけで少し寂しい。昭和の食卓には、ガラスの醤油差しがあった。赤いフタがついていて、たまに注ぎ口が詰まる。母が台所で爪楊枝を使って直していたような記憶がある。平成になると、スーパーにはいろいろな醤油が並び始めた。丸大豆、減塩、だし入り、刺身用。こちらの舌より先に、棚の方が進化していった。令和では、鮮度を保つボトルである。押すと出る。戻すと止まる。理屈としてはすばらしい。ただし、こちらの押す力が安定していない。私は冷奴を箸で少しずらした。醤油の池から、できるだけ遠い白い部分を探す。まるで災害地図を見ているようである。一口食べる。やはり、少ししょっぱい。でも、うまい。そこが困る。体には控えめがいい。舌には少し濃い方がうまい。五十代の昼食は、だいたいこの二つの間で揺れている。若い頃、味の濃さは勢いだった。ラーメンのスープも飲んだ。揚げ物にもソースをかけた。弁当の端に入っている漬物まで、きちんと食べた。あれは健康に無頓着だったというより、自分の身体がずっと同じ性能で動くと思っていたのだろう。当時の私は、身体をリース契約か何かと勘違いしていた。壊れたら交換できると思っていた節がある。できない。この身体は、ずっと使うしかない。部品交換もなかなか効かない。点検結果だけは年々細かくなる。豆腐をもう一口食べる。醤油の濃いところに当たる。うん。これはもう、冷奴ではなく醤油の説明会である。それでも全部食べた。食べながら、少しだけ思った。人生も、だいたい加減を間違える。言いすぎる。黙りすぎる。頑張りすぎる。遠慮しすぎる。ちょうどいいところを狙ったつもりが、少し多いか少し足りない。若い頃は、それを取り返そうとしてさらに足した。謝る言葉を足しすぎたり、やる気を見せすぎたり、無理を重ねたりした。結果、味が濃くなる。今は、少しわかる。足しすぎたら、次を薄くすればいい。今日しょっぱかったら、明日は味噌汁を薄めにする。全部を一回で整えようとしない。冷奴の皿には、醤油が少し残っていた。私はそれを流しに持っていく。もったいない気もする。でも、全部受け止めなくていいものもある。蛇口をひねると、茶色い水が流れていった。それを見ながら、なんとなく息を吐く。昼はまだ残っている。午後もまだある。今日は少ししょっぱかった。それくらいなら、まあ、やっていける。👇️おすすめノスタルジアの窓~記憶のアルバム|EX-FAX-CE|EX-FAX-CE|ロスジェネ氷河期的視点|note昭和を懐かしんだり、時代を遡ったり、思い出を楽しむnote.com👇️こちらも是非笑いの臨界点|EX-FAX-CE|EX-FAX-CE|ロスジェネ氷河期的視点|note笑ってしまえば、生き延びられる 人は、追い詰められたときほど不思議な笑い方をする。 怒るでもなく、泣くでもなく、ただ小さくnote.comロスジェネ脱線学: 薄いビニール袋が開かない夜 (EX-FAX-CE Works)www.amazon.co.jp498円(2026年06月02日 16:47時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.23
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一瞬永遠 第42幕 呼ばれた気がする朝朝の支度をしている途中でふと名前を呼ばれた気がした実際には誰も呼んでいない洗面所の水音台所の換気扇遠くを走る車それだけがいつものように朝を動かしているそれでも身体は先に反応する振り向く耳を澄ます少しだけ息を止める五十代になってからこういう瞬間が増えた気がする誰かに必要とされることはありがたいけれど呼ばれる前から待っているような身体になると休んでいるはずの時間までどこか立ったままになる若い頃は自分のことで精一杯だった仕事金将来見栄負けたくない気持ちそれだけで胸の中はいつも騒がしかった今は違う自分の予定だけで一日は組み立てられない誰かの体調機嫌小さな変化それらが見えない糸のように今日の形を変えていく玄関の方を見る出かける時間は近づいているけれど家の中にはまだ置いていくものがある心配確認言い残したこと言わないままにしたこと全部を持っては行けないそれでも置ききることもできない胸の奥で小さく何かが引っかかったそれは優しさだけではない責任でもある疲れでもある少しの苛立ちでもあるそれを悪いもののように隠しすぎると自分が薄くなっていくだから今日はちゃんと認める重いものは重いそれでも投げ出したいわけではない洗面台の水を止める静かになる何も起きていない朝が少しだけありがたく思える鞄を持つ鍵を持つ一度だけ家の奥を見る大丈夫かどうかはわからないでも今は出る時間だ私は扉へ向かう呼ばれたら戻ればいい戻れる場所がある限り私はまだどこかへ行ける一瞬はいつも家を出る前に少しだけ重くなるそれでも今日の光は玄関のすき間からちゃんと差し込んでいた👇️おすすめ一瞬永遠(いっしゅんとわ)|EX-FAX-CE|EX-FAX-CE|ロスジェネ氷河期的視点|note一瞬は永遠を孕み、永遠は一瞬に宿る。 このマガジンは、日々の暮らしの中でふと立ち止まった瞬間を、一篇の歌や詩に結晶させる試note.com介護の朝は突然に: 50代、家の灯りを消さないための生活保守記録 (EX-FAX-CE_WORKS)www.amazon.co.jp590円(2026年06月04日 14:01時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する✨近日公開予定✨まちのすみっこ絵本シリーズ まちのすみっこのあかいポスト 全3回予定
2026.06.22
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疲れている時ほど、人は他人の光に目をやられる。そして勝手に自分を小さく見積もる。だが、そこで跪いてはいけない。人と比べてしまう夜がある。スマホを開けば、誰かの成功が流れてくる。誰かの旅行、誰かの仕事、誰かの家族、誰かの新しい挑戦、誰かの立派な言葉。こちらはといえば、台所の洗い物を片づけ、親の様子を見て、明日の段取りを考え、腰に手を当てながら「今日はもう勘弁してくれ」と思っている。その横で、画面の中だけはやけに眩しい。あれは厄介だ。疲れている時ほど、人は他人の光に目をやられる。そして勝手に自分を小さく見積もる。だが、そこで跪いてはいけない。他者の光は、その人のものだ。自分が頭を下げるためにあるのではない。本当に青いのかもしれない。ただ、光の当たり方がいいだけかもしれない。見せている場所だけ綺麗に刈っているのかもしれない。こちらが疲れすぎて、自分の庭を見る目を失っているだけかもしれない。CEをやっていた頃、それは嫌というほど見てきた。立派なビルの受付を通り、奥へ行くと書類が山積みで、人間関係も機械もギシギシしている現場があった。逆に、古い町工場のような場所でも、社員同士が妙に穏やかで、こちらに缶コーヒーを出してくれるような現場もあった。外側だけでは何もわからない。人間も同じだ。SNSの写真一枚、短い投稿、誰かの肩書き、フォロワー数。そんなもので、人の人生の総量など測れるわけがない。それなのに、こちらは勝手に比べて勝手に落ち込む。まったく、割に合わない。隣の芝生をいくら眺めても、自分の庭の土は耕されない。自分の庭に戻るしかないのだ。自信とは、大きな声ではない自信というと、堂々としている人を思い浮かべるかもしれない。人前で迷わず話せる人、仕事で結果を出している人、自分の人生に迷いがなさそうな人。だが、私は最近そうは思わない。本当の自信とは、大きな声ではない。誰かを見下すことでもない。自分を実際以上に飾ることでもない。誰も見ていないところで、今日やるべきことをやった。逃げたかったけれど、逃げずに済ませた。怒りそうになったが、飲み込んだ。身体が重くても、家のことを一つ片づけた。介護で疲れていても、必要な確認をした。誰かに評価されなくても、自分の仕事を投げなかった。そういう小さな事実が、自分の底にたまっていく。それが自信なのだと思う。派手ではない。人に見せびらかすものでもない。だが、最後に自分を支えるのは、たぶんそういうものだ。比較癖は、心の燃費を悪くする人と比べる癖は、心の燃費を悪くする。何もしていないのに疲れる。ただ画面を見ているだけなのに、自分が遅れているような気がする。誰かの成功を見て、自分が失敗したような気分になる。これはおかしい。他人が成功したからといって、自分が失敗したわけではない。誰かが前へ進んだからといって、自分の道が消えたわけでもない。それぞれ歩いている場所が違う。背負っている荷物も違う。介護がある人もいれば、ない人もいる。子どもの心配がある人もいれば、仕事だけに集中できる人もいる。条件が違うのに、結果だけ比べる。競技が違うのにタイムだけ見て落ち込むようなものだ。無茶である。だから、比較癖から抜けたいなら、まず見るものを減らす。特に疲れた夜のSNSは危ない。元気な時なら流せるものも、疲れている時は刺さる。自分の調子が悪い時に、他人の晴れ舞台ばかり浴びる必要はない。スマホを置く。湯を沸かす。台所の椅子に座る。今日できたことを一つだけ思い出す。それだけでいい。自分を削る行為を一つ減らす、そこから始めればいい。自分という庭に、尊厳の根を張れ人には、それぞれ違う強さがある。すぐ結果を出せる人もいる。人を笑わせるのがうまい人もいる。黙って支えることができる人もいる。一度決めたことを、地味に続けられる人もいる。全部持っている人など、まずいない。だから、自分の中に一つだけ、これは自分の柱だと言えるものを見つければいい。私なら何だろうと考える。成功者ではない。器用な人生でもない。会社は解散し、再就職にも苦しみ、今は介護と仕事のあいだで毎日を回している。それでも、続けてきた。CEとして現場を回った。知らない機械にも向き合った。理不尽な時代を何とかくぐり抜けた。父の介護をし、母の認知症と向き合い、家の中の空気を読みながら、それでも毎日文章を書いている。ならば、私の柱は「続けること」なのかもしれない。誰かより眩しくなくていい。誰かより立派に見えなくていい。自分にはこれがある、そう言えるものが一つあれば、人は簡単には崩れない。自分という庭は、他人に見せるためだけにあるのではない。自分が生きていくためにある。土が硬い日もある。雑草だらけの日もある。水をやる気力すらない日もある。それでも、自分の庭だ。他者の光に跪くな。自分という庭に、尊厳の根を張れ。その根は、誰かに褒められるためではなく、明日の自分を倒れにくくするために伸びていく。他人の目は、鎖ではなく点検道具でいい他人の目を完全に無視して生きることはできない。社会で生きる以上、どう見えているかはある程度大事だ。清潔感、言葉遣い、態度、仕事への向き合い方。そういうものは相手に伝わる。ただ、それは他人の評価に人生を明け渡すこととは違う。他人の目は、自分を縛る鎖ではない。たまに自分を点検するための道具でいい。「あなたは意外と粘るよね」「なんだかんだ逃げないよね」「そういうところ、見ている人は見ているよ」こういう言葉は、聞こうとしてもなかなか返ってこない。こちらが求めている時ほど、相手も気を遣う。だが、忘れた頃にふと届く言葉がある。その方が、案外本物だったりする。だから、他人の目を恐れすぎなくていい。受け取るものは受け取り、流すものは流す。そのくらいでちょうどいい。比べるより、ゆるぎない自分軸人と比べない生き方など、簡単ではない。私も比べる。落ち込む時もある。誰かの順調そうな姿を見て、胸の奥が少し沈むこともある。だが、それは一瞬に過ぎない。比べたら、自分に戻る。他人を見たら、自分の足元を見る。誰かの庭を眺めたら、自分の庭に水をやる。結局、それしかない。人生は、人と並んで走る徒競走ではない。同じコースもなければ、同じ荷物でもない。途中で介護が来る人もいる。病気が来る人もいる。仕事を失う人もいる。それでも、みんなそれぞれの場所で何とかやっている。ならば、自分も自分の場所でやるしかない。noteという場所はある種、特別な場所に思うがやはりその本質はSNSでしかない。確かに暖かい場所ではある。だが、その裏にはさまざまな思惑がひしめき合っている。noteの目的は人それぞれ。ゆえに私は私であり続ける。他人の庭と自分の庭は違うのだ。派手でなくていい。速くなくていい。人に勝たなくていい。ただ、自分を捨てないこと。自信とは、そこから始まるのだと思う。ゆるぎなく、まっすぐに。これは、誰かに勝つための言葉ではない。他人の光に目を奪われても、自分の足元を見失わないための言葉だ。今日も、自分の庭に戻ろう。水をやれる日なら、水をやればいい。無理な日なら、眺めるだけでもいい。それでも、そこは自分の場所だ。そしてその場所にこそ、明日の自分を支える根が伸びていく。👇こちらもぜひ介護という旅の途中で|EX-FAX-CE|EX-FAX-CE|ロスジェネ氷河期的視点|note日々の介護に追われる日常について話しています。 父は余命一年でほぼ寝たきりに近い生活 母は認知症 そのほか家族を交えたいろnote.com介護の朝は突然に: 50代、家の灯りを消さないための生活保守記録 (EX-FAX-CE_WORKS)www.amazon.co.jp590円(2026年06月04日 14:01時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.21
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血圧175/100という現実|50代の身体は、もう言い訳を聞いてくれないEX-FAX-CEです。昨日は健康診断を受けてきた。6月の健康月間、先週の口腔機能低下症検査につづいて第2弾である。採血もかなりした。ほかにもいろいろ検査を受けた。この年齢になると、健康診断というものは、ただの年中行事ではなくなってくる。若い頃なら、多少数値が悪くても「まあそのうち何とかなるだろう」で済ませていた。しかし50代になると、そういう逃げ方がだんだん通用しなくなる。身体のほうが、こちらの都合を聞いてくれない。そして今回、やはり来た。血圧である。測定された数字は、175/100。一回しか測っていないので、それだけですべてを決めつけるつもりはない。病院で測ると高く出ることもあるし、緊張もあったと思う。それでも、175/100はさすがに笑えない。数字を見た瞬間、どこかで「来たか」と思った。驚いたというより、薄々わかっていたものを、とうとう目の前に置かれた感じだった。介護が始まる前の自分介護が始まる前、私は毎日血圧を測っていた。ウォーキングもしていたし、筋トレもしていた。食事もそれなりに気をつけていた。体重も一年かけて10キロ落とした。短期間で無理に落としたのではない。毎日少しずつ動き、食べる量を見直し、じっくり落とした10キロだった。その後も60キロ代前半をキープ。その頃は血圧も130台まで下がっていた。あの時の私は、わりと真面目に自分の身体と向き合っていたと思う。朝に血圧計を巻き、数字を見て、記録する。歩く。少し筋トレをする。派手なことは何もしていないが、続けていた。続けていれば、身体はそれなりに返してくる。それは一度、自分で経験している。だから今回の数字は、余計にこたえた。やれば下がることを知っている。やらなければ戻ることも、今日よくわかった。この2年で変わったものこの2年で、生活は大きく変わった。父の介護があり、母の認知症があり、家の中の段取りが増えた。病院、薬、食事、見守り、風呂、トイレ、家族の予定、仕事。気づけば一日が終わっている。介護は、ただ手を貸すだけではない。常に頭のどこかを持っていかれる。父の状態はどうか。母の機嫌は荒れていないか。薬は大丈夫か。今日は誰がどこまで動けるか。明日の予定は崩れないか。そんなことを毎日考えていると、自分の身体は後回しになる。いや、後回しになったのではない。後回しにしていたのだと思う。介護があるから仕方ない。疲れているから仕方ない。今は自分のことまで手が回らない。そう言えば、一応もっともらしく聞こえる。実際、介護が大変なのは間違いない。きれいごとでは回らないし、正論だけで済むものでもない。しかし、血圧はその言い訳を聞いてくれなかった。175/100。数字というのは、情け容赦がない。こちらの事情を少しもくんでくれない。画像ぽっくり、などと考えてしまう時点で疲れている正直に言えば、一瞬だけ思った。いっそ、ぽっくり逝けるなら楽なのかもしれない、と。こういうことを書くと、少し重く見えるかもしれない。だが、介護が続き、家のことが続き、自分の身体まで怪しくなってくると、人間は時々ろくでもない考えをしてしまう。ただ、すぐに思い直した。今、私が倒れるわけにはいかない。父がいる、母がいる、妻がいる、娘がいる。仕事もある。毎日書いているnoteもある。ぽっくりなどという言葉は軽いが、現実はそんなに都合よくできていない。倒れ方を自分で選べるわけではないし、残された家族にさらに重い荷物を背負わせることもある。だから、ここで自分の身体を放っておくわけにはいかない。これは格好いい決意表明ではない。かなり現実的な危機管理である。やる時間がない、を一度しまう「やる時間がない」この言葉を、しばらく使うのをやめようと思う。血圧を測る時間はある。少し歩く時間も、探せばある。筋トレも、完璧なメニューでなくていいならできる。できない理由を探せば、いくらでも出てくる。介護がある。疲れている。予定が読めない。まとまった時間がない。全部本当だ。だが、本当だからといって、そのまま何もしなくていい理由にはならない。CEをしていた頃も、完璧な条件で仕事ができたことなど、ほとんどなかった。急ぎの現場、初めて見る機種、足りない情報、焦っているお客さん。そういう中で、手を動かしながら何とかしてきた。自分の身体にも、同じことをするしかない。全部整ってから始めるのでは遅い。今ある条件の中で、できることをやる。まずは家で血圧を測る。記録する、歩く、筋トレを戻す。食べるものを見る。必要なら医師にも相談する。書いてしまえば当たり前のことばかりだが、この当たり前が崩れていた。疲労を言い訳にしないが、無視もしない最近の私は、どこかで「疲れているから仕方ない」に逃げていたのだと思う。ただ、ここで間違えてはいけないのは、疲労そのものをなかったことにする必要はないということだ。疲労はある、介護もある。50代の身体の重さもある。そこを「気のせい」で片づけると、結局また無理をして壊れる。だから、疲れていてもできる形に落とし込む。長く歩けない日は短く歩く。筋トレがきつい日は回数を減らす。血圧だけは測る。記録だけはする。昔のように一気に戻そうとすると、たぶん続かない。続かないものは、今の私には意味がない。大事なのは、立派な健康法ではなく、生活の中に戻せる健康管理だ。食べ物に関しては野菜中心の生活を数か月前からしている。やはり問題は運動量とお酒だろうとは推測できる。来週は胃カメラと大腸カメラ来週は、6月健康月間の締めくくりとして、胃カメラと大腸カメラが控えている。正直、気が重い。好き好んで受けたい検査ではない。できれば避けたい。だが、今年は避けないことにした。知らなければ安心、という年齢ではもうない。血圧もそうだ、体重もそうだ、胃も腸もそうだ。目も歯も腰も膝も、50代になるとそれぞれが勝手に主張を始める。若い頃のように、気合いだけで押し切るには無理がある。だから測る、調べる。結果を見る。まずいものはまずいと認める。面倒くさい。本当に面倒くさい。だが、面倒くさいからといって放っておける時期は、もう過ぎたのだと思う。今年の夏は、立て直す今回の健康診断で、かなりはっきりした。私はこの2年、介護を言い訳にして、自分の身体を見ることから少し逃げていた。もちろん、介護が大変なのは事実だ。その事実まで否定するつもりはない。だが、自分の身体を壊してまで介護を続けることはできない。私が倒れれば、家がさらに大変になる。妻にも娘にも負担がかかる。父と母の生活にも影響する。自分の健康管理は、もう自分だけの問題ではない。だから、今年の夏は全力で立て直す。無茶をするという意味ではない。倒れるまでやるという意味でもない。毎日測る、歩く、筋トレをする。食事は今の野菜中心生活の継続、お酒の量を減らす。検査を受ける。数字から逃げない。それだけだ。しかし、その「それだけ」が一番難しい。175/100。今日のこの数字は、嫌な数字だった。だが、見なかったことにするよりはずっといい。まだ間に合ううちに、身体が知らせてくれたのだと思うことにする。50代の身体は、もう言い訳を聞いてくれない。ならば、こちらも言い訳を減らすしかない。ゆるぎなく、まっすぐに。この言葉は、こういう時にも使うものだと思う。今年の夏は、身体を立て直す夏にする。介護のためにも、家族のためにも、そして何より、まだ自分の人生を続けるために。👇️おすすめ介護という旅の途中で|EX-FAX-CE|EX-FAX-CE|ロスジェネ氷河期的視点|note日々の介護に追われる日常について話しています。 父は余命一年でほぼ寝たきりに近い生活 母は認知症 そのほか家族を交えたいろnote.com👇こちらも是非このような50代の身体、介護、ロスジェネの日常、元FAX修理CEの視点を毎日書いています。また読みに来ていただけたら嬉しいです。笑いの臨界点: 50代、日常の小さな敗北を笑いに変える生活記録 (EX-FAX-CE_WORKS)www.amazon.co.jp590円(2026年06月10日 05:36時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.20
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親の介護でイライラする日|冷たい人間になったわけではない【50代】介護は正論だけで回るほどきれいなものではない。イライラするのは、まだ見捨てていないからでもある。親の介護でイライラしてしまう日がある。静穏の芯を持った気になっていてもなお、そういう日もある。そう書くと、少し冷たい人間のように見えるかもしれない。親なのだから優しくするべきだ、年を取れば誰でも頑固になる、認知症があるなら仕方がない。そういう正論は、こちらも頭ではわかっている。けれど、介護は正論だけで回るほどきれいなものではない。この記事は、親の介護でイライラしてしまう自分を責めている人に向けて書いている。私は50代で、家族の介護の中にいる。きれいごとではなく、介護の現場で起きる本音として書いておきたい。親の介護でイライラするのは、冷たいからではないこちらが何かを提案する。身体のために必要なことを伝える。訪問リハビリの話をする。少しでも動けるうちに、できることを残した方がいいと説明する。すると、不満が顔に出る。言葉に出る前から、もう空気が変わる。こちらが出した内容そのものより、「自分の思い通りではないことを言われた」という一点で、不機嫌のスイッチが入る。そこから先は、話し合いではなくなる。説明ではなく、火消しになる。介護でつらいのは、身体の負担だけではない。おむつ交換やトイレ介助や通院の付き添いだけなら、まだ作業として切り分けることができる。もちろん楽ではない。腰も肩もきしむし、こちらの体力も削られる。それでも、手順があるものはまだ耐えられる。本当に疲れるのは、会話が成立しない時だ。「やりたくない」の壁は、説明では崩れない自分の生きてきた経験則がすべてになっている。そこに年齢による頑固さが重なり、柔軟な考えが入る余地がなくなっていく。こちらが今の状況を見て必要なことを伝えても、相手の中では昔の判断基準が勝つ。昔はこうだった。自分はこれでやってきた。そんなものは必要ない。やりたくない。結局、最後はそこに戻る。やらなければいけない理由を説明しても、答えは「やりたくない」になる。身体のため、転倒予防のため、できることを少しでも残すため。どれだけ言葉を尽くしても、本人の中で嫌だと決まっているものは、嫌なのだ。もちろん、本人にも本人の怖さがあるのだと思う。動くのが怖い。失敗するのが嫌だ。人に見られるのが嫌だ。できなくなった自分を認めたくない。そういう気持ちがあることも、頭ではわかっている。だが、こちらにも生活がある。介護だけをしているわけではない。仕事があり、家のことがあり、自分の身体もあり、家族のこともある。こちらだって毎日万全ではない。睡眠が足りない日もある。肩が痛い日もある。そんな中で、何度も同じ説明をし、何度も同じ拒否を受ける。本人のために考えていることが、攻撃として受け取られる訪問リハビリのような話は、本来なら建設的な話のはずだ。少しでも身体を動かす。できることを残す。転倒を防ぐ。寝たきりを防ぐ。本人の生活を守るためでもあり、家族の介護負担をこれ以上増やさないためでもある。けれど、本人にとってはそう単純ではない。やりたくないものは、やりたくない。面倒くさい。疲れる。人に指図されたくない。今さらそんなことをしても仕方がない。そういう気持ちが先に立つ。こちらは理由を説明する。必要性を伝える。今やらないとあとで困ることも話す。だが、本人の中で拒否が決まっていると、どれだけ説明しても届かない。そして、こちらが悪者になる。無理やりやらせようとしている。本人の気持ちをわかっていない。面倒なことを増やしている。そんなふうに受け取られる。介護者がしんどいのは、ただ拒否されるからではない。本人のために考えていることが、まるで攻撃のように受け取られるからだ。言ったことを覚えていないより、反撃されることがつらい言ったことを覚えていないのは仕方がない。認知症や老いが関わっているなら、記憶が抜けること自体を責めるのは違う。そこは切り分けて考えようとしている。しかし、こちらが一つ諭しただけで、十の反撃が返ってくる時がある。説明したはずのことが、いつの間にか別の意味に変わっている。こちらが責めたことになっている。無理やりやらせようとしたことになっている。丁寧に説明したつもりでも、相手の中で改変される。これが、こたえる。こちらは少しでも良くなるように考えている。転ばないように、弱らないように、困らないように、できるだけ先回りしている。それなのに、まるでこちらが敵であるかのように受け取られる。介護をしていると、優しさの在庫が音もなく減っていく最初は丁寧に言える。次もまだ言える。三回目も、まあ仕方ないと思える。けれど、同じことを何度も繰り返し、そのたびに不機嫌や反撃が返ってくると、こちらの中に小さな黒いものが溜まっていく。その黒いものを見た時、自分が嫌になる。親に対して、なぜこんなにイライラするのか。もっと穏やかに受け止められないのか。介護をしている自分が、どこか冷たくなっていくようで怖くなる。けれど最近は、少し考え方を変えている。イライラするのは、冷たいからではない。それだけ関わっているからだ。何もしていなければ、イライラもしない。どうなっても知らないと思っていれば、説明もしない。訪問リハビリの話もしない。腹が立つのは、まだ見捨てていないからでもある。もちろん、だから怒っていいという話ではない。言葉をぶつければ、あとで自分に返ってくる。介護の現場で感情をそのまま投げると、あとに残るのは疲労と後悔だけだ。元FAX修理CEのように、介護のイライラを切り分けるだから私は、元FAX修理のカスタマーエンジニアだった頃の考え方に戻る。症状を混ぜない。紙詰まりの現場では、いきなり機械を責めても直らなかった。どこで止まっているのか。給紙なのか、搬送なのか、排紙なのか。紙が悪いのか、ローラーが滑っているのか、湿気を吸っているのか。そこを切り分けないと、直せるものも直せなくなる。人間は機械とは違う。当然だ。だが考え方の応用はできると思っている。介護のイライラも、たぶん同じだ。覚えていないことへの怒り、不機嫌な態度への怒り、反撃されることへの疲れ、悪者にされる悲しさ、自分の時間が削られる焦り、自分の身体がついてこない不安。これらは全部同じように見えるが、実際には別の故障箇所だ。全部まとめて「親が悪い」としてしまうと、こちらの心も壊れる。だから、せめて自分の中だけでも分けておく。覚えていないことは、病気や老いの領域。不機嫌になることは、性格や不安の領域。リハビリを嫌がることは、恐怖や自尊心の領域。こちらが悪者にされることは、受け取り方の領域。それに腹が立つ私は、介護者として疲れている。こうして分けても、現実が急に楽になるわけではない。相手が素直になるわけでも、訪問リハビリを前向きに受けるわけでもない。ただ、こちらが全部を背負い込まないための逃げ道にはなる。完璧な介護者にはなれない。それでも今日も現場に立っている介護は、きれいな親孝行だけではない。怒りもある。疲れもある。うんざりする日もある。もう勝手にしてくれと思う瞬間もある。それでも、結局は薬を確認し、食事を気にし、転ばないように見て、必要な手続きや予定を考える。愛情だけではない。責任だけでもない。情もある。義務もある。怒りもある。諦めもある。それらがごちゃ混ぜになったものを、毎日どうにか抱えている。それが、私にとっての介護なのだと思う。親の介護でイライラしてしまう自分を、責めすぎなくていい。ただし、イライラをそのままぶつけ続ければ、こちらも相手も壊れる。だから、少し離れる。深呼吸する。説明を短くする。今すぐ説得しようとしない。全部を今日直そうとしない。修理できないものもある。けれど、保守ならできることがある。私はただの50代で、身体も心もそれなりにきしんでいる。ロスジェネ氷河期の中を抜け、仕事を変え、家族を抱え、親の老いと自分の老いを同時に見ている。その中で、今日もまた介護の現場に立っている。イライラする日があってもいい。冷たい人間になったわけではない。見捨てたり、どうでもいいならば腹も立たなくなるだろう。そうではないからこそ、である。それでも見捨てないために、私は今日も、自分の心の接点を少しだけ磨いている。👇️おすすめ介護という旅の途中で|EX-FAX-CE|EX-FAX-CE|ロスジェネ氷河期的視点|note日々の介護に追われる日常について話しています。 父は余命一年でほぼ寝たきりに近い生活 母は認知症 そのほか家族を交えたいろnote.com👇️こちらも是非一瞬永遠(いっしゅんとわ)|EX-FAX-CE|EX-FAX-CE|ロスジェネ氷河期的視点|note一瞬は永遠を孕み、永遠は一瞬に宿る。 このマガジンは、日々の暮らしの中でふと立ち止まった瞬間を、一篇の歌や詩に結晶させる試note.com画像介護の朝は突然に: 50代、家の灯りを消さないための生活保守記録 (EX-FAX-CE_WORKS)www.amazon.co.jp590円(2026年06月04日 14:01時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.19
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左肩が上がらない朝、私は五十肩の掲示板の前に立っていた|50代直せないものはある。だが、見捨てないことはできる。朝、洗面所で左肩を上げようとして、途中で止まった。痛い、というより、拒まれる感じだ。腕の奥に、小さな通行止めの札が立っているような感覚がある。棚の上の湿布を取ろうとして、その動きで、もう肩が痛い。なかなかよくできた罠である。五十肩。たぶん、そういう名前の故障なのだろう。名前は知っていた。だが、自分の肩に実装されるとは思っていなかった。若い頃、五十肩という言葉は、どこか他人の町内会の掲示板に貼ってある告知のようなものだった。老眼。腰痛。疲れが抜けない。首が回らない。ああ、そういう年齢になると大変なんだな、と遠くから眺めていた。ところが今、自分がその掲示板の前に立っている。しかもけっこう真剣に読んでいる。身体のあちこちで、昔とは違う音がする左肩の不調は、まだ続いている。少し楽な日もある。だがすっきり戻る感じはない。気圧のせいなのか、疲れが溜まっているのか、単に年齢の処理落ちなのか。切り分けようとしても、原因がひとつに絞れない。肩から首にかけて、重い。凝りという言葉では少し軽い気がする。奥の方で固着している。時々、しびれのようなものまで来る。目も早い。昔なら、もう少し画面を見ていられた。もう少し文章を読めた。最近は目の奥に早めの閉店時間が来る。まだ午後なのに、シャッターが半分下りているような日がある。大きく壊れたわけではない。ただ、使われ続けた機械のように、少しずつ異音が増えている。介護には、こちらの体調に合わせた自動調整機能がないそして、そんなこちらの都合とは関係なく、親の介護は始まる。親の予定は、こちらの肩の可動域を見てくれない。目が疲れていても薬袋は確認しなければならない。首が重くても、声をかける場面は来る。今日は休みたいと思っても、家の中の現場は動いている。仕事なら、まだ段取りを変えられることがある。メールを送る、予定をずらす、急ぎでないものを明日に回す。だが介護は、そのあたりの融通がきかない場面がある。食事。薬。通院。見守り。同じ話。急な声。急な沈黙。そして、こちらの中に残る、名前のつけにくい疲れ。そこが、じわじわ効いてくる。なかなか、きつい鏡である親の介護をしていると、親だけを見ている時間ではなくなってくる。親の老いを見ているはずなのに、いつの間にか自分の未来をのぞいている。親の背中を支えながら、自分の背中の丸まり方を想像している。親の言葉に苛立って、そのあとで、いつか自分も誰かに同じような顔をさせるのかもしれないと思う。なかなか、きつい鏡である。介護は、美談だけでは回らない。やさしさだけで処理できるほど、現場は単純ではない。眠い目がある。上がらない肩がある。言い返したあとに残る後味がある。何も悪いことをしていないはずなのに、なぜか自分が削られているような夜がある。私はたぶん、CE時代の癖を人生に持ち込んでいるエニアグラムをやってみた時、自分は思っていたより硬い人間なのだと感じた。正しさを探す。筋を通したがる。段取りが崩れると、心の中で小さなアラームが鳴る。ちゃんとしなければ、と思う。迷惑をかけてはいけない、と先に考える。若い頃なら、それは長所として使えた。FAXの修理でも、まずは切り分けだった。紙詰まりなのか。ローラーなのか。センサーなのか。通信なのか。相手先なのか。環境なのか。思い込みで部品を替えると、余計に迷路へ入る。だから、ひとつずつ見る。どこまでは正常なのか。どこから怪しいのか。まだ生きている機能はどこか。たぶん私は、その癖を人生にも持ち込んでいる。親の老いも。自分の身体も。家の空気も。仕事と介護のあいだで崩れる段取りも。全部、どこかで点検しようとしている。だが、人間はFAXではない。ローラーを替えれば紙送りが戻る、という話ではない。親の老いには交換部品がない。自分の五十肩にも、人生後半の疲れにも、簡単な保守マニュアルはない。分かっている。だが、余力が足りない左肩が上がらない。首が固まる。目が早く疲れる。しびれのようなものが来る時もある。こういう症状は軽く扱わない方がいいのは分かっている。医者に行く段取りも、生活の保守項目に入れるべきなのだろう。分かっている。だがその項目を入れる余力が足りない日がある。親の予定、仕事の予定、家の用事、自分の身体。一枚の紙に全部書き出したら、紙の方が先にくしゃくしゃになりそうだ。それでも私は今月は健康月間と定めた。歯科検診から始まり、各種検査が目白押しだ。問いをやめると、日々が雑になる気がする答えはない。親の最期をどう受け止めるのか。自分はどんな老い方をするのか。どこまで踏ん張り、どこで人に頼るのか。矜持と意地の境目はどこにあるのか。考えても、きれいな結論は出てこない。自問自答という言葉がある。最近は、それが少し愚問にも思える。問いを投げたところで、誰かが正解を返してくれるわけではない。親の介護が急に軽くなるわけでもない。左肩が翌朝すっと上がるわけでもない。ただ、問いをやめると日々が雑になる気がする。なぜ腹が立ったのか。なぜ疲れたのか。なぜ親の姿を見て自分の終わり方まで考えてしまうのか。役に立つ問いばかりではない。むしろほとんどは答えの出ない問いだ。それでも問い続けることで、今日を乱暴に扱わずに済むことがある。何度でも立ち上がる。50代は、中途半端な場所にいる。若いとは言えない。かといって、もう何もできない年齢でもない。身体はきしむ。目は疲れる。肩は上がらない。なのに、やることは減らない。倒れない姿というのは、胸を張って立ち続ける姿だけではないのだろう。壁に手をつくこともある。洗面台にもたれる朝もある。湿布を貼りながら、情けないなと思う日もある。それでも、今日の分だけ動く。左肩は上がらない。首は重い。目も疲れている。親の介護は続く。胸の中では、答えのない問いがまだ回っている。だから今日も点検する。どこが痛いのか。どこが摩耗しているのか。どこがまだ動くのか。直せる場所と、抱えていくしかない場所を、間違えないように見る。直せないものはある。だが、見捨てないことはできる。誰にも答えの出せない、正解のない問い。目の前に積み上げられる問いを、一つ一つおろし続ける。後退や停止はない、前進あるのみ。親のことも。自分の身体も。この日々も。介護と仕事のあいだで、直せない日々を言葉で保守する。今日もまた、その現場に立っている。生きるとはそういうことだ。まちのすみっこ絵本|EX-FAX-CE|EX-FAX-CE|ロスジェネ氷河期的視点|note町のすみに残るもの、使われなくなったもの、誰かの記憶を抱えたものを、静かな絵本にしていくマガジンです。 公衆電話、赤いポnote.com🖊️このような50代の身体、介護、ロスジェネの日常、元FAX修理CEの視点を毎日書いています。また読みに来ていただけたら嬉しいです。介護の朝は突然に: 50代、家の灯りを消さないための生活保守記録 (EX-FAX-CE_WORKS)www.amazon.co.jp590円(2026年06月04日 14:01時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.18
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笑いの臨界点 #34 寝ぐせだけが若い朝。洗面所の鏡を見た。そこに、妙に元気な髪が一本立っていた。いや、一本ではない。数本が、それぞれ別の方向を向いている。右へ。左へ。上へ。まるで朝礼で、誰も校長先生の話を聞いていない状態である。私はしばらく見た。顔は眠い。目も眠い。肩も眠い。なのに髪だけが元気だ。お前だけ、どうした。水で押さえる。一度は寝る。だが手を離すと、ゆっくり戻ってくる。反抗期か。五十代の髪というのは、全体としては勢いを失っているはずなのに、一部だけ妙に強い。少数精鋭。そこだけ若い。そこだけ昭和の運動部みたいな根性を見せる。私はもう一度、水をつけた。今度は少し多めに。ぺたん。よし。そう思って歯を磨き始める。鏡の中で、また立っている。いつの間に。こちらが口の中に集中している隙に、髪が会議を開いたらしい。「やっぱり立とう」と決議されたのだろう。満場一致で。私は歯ブラシをくわえたまま、少し笑った。朝から私は、自分の髪に負けている。若い頃なら、寝ぐせなんて勢いで直した。手ぐし。水。終わり。少し変でも、駅まで歩くうちにどうにかなった。今は違う。駅まで歩くうちに、どうにもならなかったものが、そのまま一日を背負ってついてくる。スーパーのガラス。コンビニの入口。エレベーターの鏡面。あらゆる反射が、こちらを確認してくる。「まだ立ってますよ」言わなくていい。私は洗面台の引き出しを開けた。整髪料がある。いつ買ったのか思い出せない。容器の側面に、少しだけほこりがついている。使うか。迷う。寝ぐせ一本に整髪料。大げさではないか。だが、この一本を放置したまま外に出るのも、それはそれで負けた気がする。私は少しだけ指に取った。本当に少しだけ。そのつもりだった。指先が予想より多かった。こういう加減も、最近ずれる。塩も多い。醤油も多い。スマホの音量も一段大きい。少しのつもりが、少しではない。私は寝ぐせを押さえた。今度こそ落ち着いた。ただ、そこだけ妙に濡れている。全体は乾いているのに、一部だけ決意したように湿っている。これはこれで変だ。鏡の前で、私はしばらく無言になった。直したはずなのに、直した跡が残る。人生みたいなことを、朝の髪に言われている気がした。やめてくれ。まだ出勤前だ。タオルで軽く押さえる。少し自然になる。たぶん。たぶん、が増えた。大丈夫だと思う。変ではないと思う。見られても平気だと思う。昔より、自分の判断に小さな保留がつく。玄関に向かう。靴を履く前に、もう一度洗面所へ戻った。確認。立っていない。よし。その瞬間、鏡の中の自分と目が合った。髪よりも、戻って確認した自分のほうが、少し可笑しかった。たかが寝ぐせである。でも、たかが寝ぐせに、朝の気分は持っていかれる。五十代の一日は、大きな覚悟では始まらない。髪を押さえ、襟を直し、昨日より少し重い体を起こして、何もなかったような顔で外へ出る。玄関を出た。風が吹いた。前髪が少し浮いた。私は空を見た。もう、好きにしろ。そう思ったら、少しだけ楽になった。寝ぐせは直すものだ。でも、直りきらないものと一緒に出かけるのも、たぶん大人の朝なのだ。ロスジェネ脱線学: 薄いビニール袋が開かない夜 (EX-FAX-CE Works)www.amazon.co.jp498円(2026年06月02日 16:47時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.17
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ロスジェネ脱線学 #37 ペットボトルのキャップが固い昼昼すぎ、麦茶を飲もうと思ってペットボトルを手に取った。冷蔵庫から出したばかりの、よく冷えた二リットルのやつである。ラベルには、体に良さそうなことがいろいろ書いてある。カフェインゼロ。ミネラル。香ばしさ。ありがたい。だが、問題はそこではない。キャップが開かない。最初は軽い気持ちだった。まあ、ちょっと固いだけだろう。そう思って右手でひねる。開かない。左手でボトルを押さえ直す。右手に少し力を入れる。手首に妙な緊張が走る。開かない。この時点で、麦茶との関係が少し変わってくる。さっきまで「飲み物」だったものが、急に「攻略対象」になる。私は深呼吸をした。誰も見ていないのに、少し姿勢を正す。こういう時、人はなぜか見栄を張る。昔は、ペットボトルのキャップくらい何も考えずに開けていた。開ける、飲む、置く。それだけだった。FAX修理の現場では、固いネジも回した。カバーのツメも外した。劣化したローラーを交換する時など、指先にそこそこ力を入れたものだ。機械の奥に手を突っ込み、狭い場所で工具を回す。あの頃の手は、もう少し信用できた。今は違う。ペットボトルのキャップを前にして、手が会議を始める。親指はやや不満そうで、人差し指は参加する気が薄い。手首は最初から保守的である。無理はしない方がいい、とでも言いたげだ。画像五十代の身体は、ある日突然壊れるというより、こういう小さな場面で少しずつ通知してくる。通知音は鳴らない。ただ、開かない。昭和の頃は、瓶だった。王冠を栓抜きで開ける。プシュッという音がして、それだけで少し特別だった。ファミレスのドリンクバーもなかったし、ペットボトルを持ち歩く習慣も今ほどなかった。平成になって、いつでもどこでも飲み物を持てるようになった。自販機で買う。コンビニで買う。会議室にも、車の中にも、鞄の横にも置かれるようになった。令和になったら、ラベルレスまで出てきた。環境にいい。分別しやすい。それはわかる。わかるのだが、こちらの指先はそこまで進化していない。キャップだけが、妙に強い。私は一度、ペットボトルをテーブルに置いた。負けたわけではない。作戦変更である。布巾を使う。これが五十代の知恵だ。若い頃なら力でいった。何でも力でいけると思っていた。仕事も、生活も、気合いも、睡眠不足も。実際には、だいたい力で押し切った分だけ、あとでどこかに請求書が来る。ロスジェネ氷河期第一世代として社会に出た頃、弱音をうまく出す場所は少なかった。できません、より、やります。わかりません、より、調べます。きついです、より、大丈夫です。大丈夫ではない時も、大丈夫の顔をしていた。そうやって回してきた人は、たぶん多い。だから今さら、ペットボトルに向かって「開きません」と言うのは、少し悔しい。相手は麦茶である。麦茶に負けたくない。布巾をキャップに巻きつける。左手でボトルを押さえる。右手でゆっくり回す。ミシッ。音がした。開いた。たったそれだけのことなのに、少し達成感がある。誰も拍手してくれない。ニュースにもならない。だが、昼の台所で私はひとつの山を越えた。コップに麦茶を注ぐ。氷は入れない。入れると片づけが増えるからだ。そういう判断が早くなった。ひと口飲む。うまい。さっきまで敵だった麦茶が、急に味方に戻る。人間とは勝手なものだ。いや、私が勝手なだけかもしれない。画像テーブルの上には、開いたペットボトルが立っている。キャップは横に転がっている。その小さな丸いものを見ながら、私は思う。年を取るというのは、大きな階段を一気に降りることではないのだろう。キャップが固い。袋が開かない。文字が見えにくい。階段の最後の一段を少し疑う。そういう小さな確認が増えていくことなのだと思う。ただ、それは全部が悪いわけでもない。布巾を使えばいい。少し待てばいい。誰かに頼んでもいい。力で押し切らない方法を、ようやく覚え始めたのかもしれない。麦茶をもうひと口飲む。昼はまだ続いている。特別なことは何もない。でも、開かなかったものがひとつ開いた。それだけで、今日の私は少しだけ機嫌がいい。画像このような50代の身体、介護、ロスジェネの日常、元FAX修理CEの視点を毎日書いています。また読みに来ていただけたら嬉しいです。👇️おすすめ介護という旅の途中で|EX-FAX-CE|EX-FAX-CE|ロスジェネ氷河期的視点|note日々の介護に追われる日常について話しています。 父は余命一年でほぼ寝たきりに近い生活 母は認知症 そのほか家族を交えたいろnote.com👇️こちらも是非まちのすみっこ絵本|EX-FAX-CE|EX-FAX-CE|ロスジェネ氷河期的視点|note町のすみに残るもの、使われなくなったもの、誰かの記憶を抱えたものを、静かな絵本にしていくマガジンです。 公衆電話、赤いポnote.com画像ロスジェネ脱線学: 薄いビニール袋が開かない夜 (EX-FAX-CE Works)www.amazon.co.jp498円(2026年06月02日 16:47時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.16
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一瞬永遠 第41幕 身体が先に知っている朝の階段を一段ずつ下りる昔なら何も考えずに降りていた段差今は膝の奥と腰のあたりが先に返事をする痛いというほどではないけれど何もないとも言えないその曖昧さが五十代の身体には妙に多い駅へ向かう人の流れは今日も速い若い背中が軽く前へ出ていく私は少し遅れて歩幅を整える無理をすればまだ追いつけるでもそのあとに残る疲れをもう身体が覚えている悔しいわけではないいや少しは悔しいのかもしれない認めたくないものを認める朝はいつも静かに重い信号の手前で立ち止まり肩を回す鞄の紐がいつもより深く食い込んでいるふとあと何年こうして歩けるのだろうと思ったその問いは大きな音を立てず胸の底へ落ちた答えはないただ今日の足はまだ前に出るそれだけを確認するように私は一歩を置く人生は頭で考えるより先に身体が知らせてくることがある急ぐなでも止まるな無理をするなでもあきらめるなそんな矛盾した声を背中に受けながら私は朝の道を進む若さは戻らないけれど戻らないものだけで人生が終わるわけでもない残った力でどこまで行けるかたぶんこれからはそこを見ていく時間なのだ光が足元に落ちている私はそれを踏みながらゆっくり今日へ入っていくロスジェネ脱線学: 薄いビニール袋が開かない夜 (EX-FAX-CE Works)www.amazon.co.jp498円(2026年06月02日 16:47時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.15
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50代が50の質問に答えてみた|yunomiさん企画【私のこと】1.名前の由来は?元の職業から2.誕生日は?いってんにいさん3.血液型は?超適当なO型4.出身は?港区男子(爆)5.居住は?横浜北部6.身長は?173→171.5へ縮み中7.利き手は?右8.兄妹は?一人っ子9.ロールモデル(憧れの人)は?同い年のあるオペラ歌手、とある理由で名前は明かせない10.自身の好きなところは?良く言えばピュア(爆)、言い方変えると馬鹿正直11.逆に、苦手なところは?面倒くさがりなところがある12.noteをはじめたきっかけは?はじめは地震について何かしたいなとノープランで13.今、夢中になっていることは?noteから新しいことにチャレンジすること14.スマホのロック画面は?火星15.スマホのホーム画面は?フォルダ分けをいていて、すぐ使えるとこにカメラ、強震モニタ配置【暮らし】16.朝型?夜型?朝型17.睡眠時間は?7時間位だが、寝れないこともしょっちゅうある18.朝の習慣は?両親の介護のルーティン、note執筆等、家のいろいろな朝準備19.夜の習慣は?時間があれば縁側でランタン置いてウィスキー飲みながら夜空を見る20.身支度の時間は?マッハ21.お気に入りのスポットは?近所にある小高い丘で夕日を見る22.休日の過ごし方は?平日と変わらず、介護と子どもの世話23.大切にしている時間は?5分でも家キャンをしてリフレッシュする時間24.1日の中で、ほっとする時は?すべてが終わり皆が寝静まった時25.最近、買ってよかったものは?調べ物をする時に使うルーペ【好み】26.好きな映画は?バック・トゥ・ザ・フューチャー、グーニーズ、サイクロンZ27.好きなドラマは?すいか、暴れん坊将軍、太陽にほえろ、マイボスマイヒーロー、湘南女子寮物語、ウーマンドリーム28.好きな漫画は?80年代ジャンプ系29.好きなアニメは?YAWARA、めぞん一刻、80年代あたりのもの30.好きなYouTubeは?あかでみっくなカレッジ、富士地震火山研究所byえいしゅう博士、牛沢31.好きなゲームは?スペランカー、悪魔城ドラキュラ、ドラクエ、スト232.好きなキャラクターは?北斗の拳のアイン33.好きなアーティスト(アイドル)は?前述のオペラ歌手34.好きな食べ物は?キュウイ、にんにく、野菜全般35.好きな飲み物は?おいしい水、緑茶【今までの】36.習い事は?合気道、ピアノ、体操、水泳、学習塾37.部活(サークル)は?卓球38.好きな教科は?地理、日本史39.苦手な教科は?英語、科学、音楽40.反抗期はあった?常に忖度の人生41.いちばんの『ラッキー』は?生まれてきたこと42.いちばんの『決断』は?結婚43.やっていてよかったことは?note44.逆に、手放してもよかったことは?ありすぎ【これからの】45.やってみたいことは?noteでの新展開や派生するものへの挑戦46.行ってみたいところは?日本をまわりつくしたい、ギザのピラミッド、イタリア47.欲しいものは?強靭なメンタルと若さ48.ささやかな夢(目標)は?note1000日連続投稿49.BIGな夢(目標)は?肉体改造をつづけて20代の肉体に近づく50.どんな人になりたい?決して諦めない不屈の男ふう、結構なボリュームでした。改めて自分のことを考える良いきっかけになった気がします。自己紹介の補足みたいになったでしょうか?介護の朝は突然に: 50代、家の灯りを消さないための生活保守記録 (EX-FAX-CE_WORKS)www.amazon.co.jp590円(2026年06月04日 14:01時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入するこのような50代の身体、介護、ロスジェネの日常、元FAX修理CEの視点を毎日書いています。また読みに来ていただけたら嬉しいです。フォロー、スキもよろしくね👍✨✨
2026.06.14
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2か月ぶりの歯科健診へ|口腔機能低下症検査やってみた【50代】口腔機能低下症を受ける2か月ぶりに歯の健診へ行ってきた。半年ほど続いていた、歯周病になりかけていた歯茎の治療がひと区切りついてから、はじめての健診である。結果から言えば、歯茎の方は概ね問題なしだった。これは正直、かなりホッとした。この半年、自分なりには真面目にやってきた。歯磨きはできるだけ丁寧にする。フロスも隅々まで通す。口腔洗浄器も使う。疲れている夜などは、もう今日はいいかと思う日もある。眠気に負けそうになる日もある。だが、50代の身体は、そういう手抜きをわりと正直に返してくる。若い頃なら、一日くらい雑でもどうにかなった気がする。歯磨きも、まあそれなりで済んでいた。少なくとも、そこまで深刻には考えていなかった。ところが今は違う。歯茎も、腰も、目も、肩も膝も、それぞれが勝手に自己主張してくる。しかも、なぜか同じ時期にまとめて来る。まったく、年齢を重ねると身体の管理項目が増える。元FAX修理CEとしては、点検項目が増えた機械ほど手間がかかることをよく知っている。しかも人間の身体は、ローラー交換して終わり、センサー清掃して終わり、というわけにはいかない。「パ」「タ」「カ」を真面目に言う時間今回の健診では、一般的な虫歯や歯周病のチェックに加えて、50歳以上が受けることのある「口腔機能低下症」、いわゆるオーラルフレイルの検査も受けてきた。これが思っていたより本格的だった。検査だけで、だいたい30分くらいはかかったと思う。簡単な問診があり、口の中の乾き具合を見たり、唾液の量を調べたり、舌の力を測ったりする。噛む力や飲み込む力も見る。さらに、滑舌のチェックもあった。診察室で、いい大人が真面目な顔をして、「パパパパパ」「タタタタタ」「カカカカカ」とやる。もちろん検査なので、こちらも真剣である。だが、なかなか不思議な時間だった。家で急にこれを始めたら、家族に「どうした?」と言われるかもしれない。だが、実際にやってみると、普段どれだけ口や舌の動きを意識せずに暮らしているかがわかる。話す。食べる。飲み込む。毎日当たり前にやっていることだが、その当たり前を支えているものは多い。歯だけではない。唇も動く。舌も動く。唾液も出る。噛む力もいる。飲み込む力もいる。口の中というのは、思っている以上に細かい現場なのだ。結果用紙に出る、逃げられない現実検査結果を見ると、全身状態は特に問題なし。基礎疾患なし。服用薬剤なし。肺炎の既往もなし。体重は63kg、身長は1.73m、BMIは21.0で正常範囲内だった。体重の変化もなく、食事も常食で、食欲もある。ここは、まあよしとしたい。口の機能についても、口の中の乾き具合、噛む力、舌の力、咀嚼機能、嚥下機能は正常範囲内だった。これはありがたかった。特に飲み込みの機能が問題なしだったことには、少し安心した。介護をしていると、食べることや飲み込むことがどれほど大事かを日々見ている。食事は、ただ栄養を入れるだけの行為ではない。生活そのものに直結している。だから、自分の飲み込みがまだ保たれているという結果には、胸をなでおろした。ただ、全部が問題なしというわけではなかった。舌の表面の汚れが少し目立つらしく、口腔内の衛生状態は「低下」と出ていた。歯磨きもフロスも口腔洗浄器もやっているつもりだったので、ここは少し意外だった。さらに、唇や舌を素早く動かす検査でも、もう少し機能向上を目指しましょうという扱いになっていた。「パ」はぎりぎり。「タ」もぎりぎり。「カ」は少し足りない。つまり、前の方の動きも、奥の方の動きも、油断していると落ちていくということなのだろう。そして最後に、実にわかりやすい一文があった。「舌ブラシを使いましょう」逃げ場のない言葉である。磨いているつもりでも、見落としはある自分では、かなりやっているつもりだった。歯磨きは丁寧にしている。フロスも使っている。口腔洗浄器も使っている。以前より明らかに時間も手間もかけている。それでも、舌の汚れまでは十分ではなかった。たしかに、舌ブラシという存在は知っていた。ドラッグストアにも売っているし、歯科医院でも見かける。だが正直、自分の問題としてはそこまで考えていなかった。歯と歯茎は気にしていた。フロスも通していた。口腔洗浄器で水も当てていた。しかし舌は、どこか後回しになっていた。ここで思い出したのが、やはりFAX修理の現場である。お客様はよく言った。「ちゃんと使っているんだけどね」「掃除もしているつもりなんだけどね」しかしカバーを開けてみると、紙粉がびっしり溜まっている。ローラーに汚れがついている。センサー付近に小さなゴミが入り込んでいる。外から見れば普通に動いているように見える。だが中では、少しずつ負荷が溜まっている。口の中も同じなのだろう。見えている歯だけを磨いていても、足りない場所がある。歯茎、舌、唇、唾液、飲み込み。口はそれぞれの働きが合わさって成り立っている。今回の検査は、そのことを結果用紙で突きつけられたような感じだった。50代の身体は、急に壊れるわけではない50代になると、身体は「壊れているか、壊れていないか」だけでは見られなくなる。痛くてたまらないわけではない。食べられないわけでもない。普通に話せるし、普通に食べられる。だが、少しずつ落ちている部分がある。今回で言えば、舌の表面の汚れだったり、唇や舌の動かし方だったりする。普段、そんなことを意識して生きている人はあまり多くないと思う。少なくとも私は、今回の検査を受けるまで、そこまで考えていなかった。だが、話すこと、食べること、飲み込むこと、笑うこと。全部そこにつながっている。加齢というのは、こういう目立たない場所から始まるのかもしれない。若い頃は、身体を一つの大きな塊として見ていた。元気か、疲れているか。せいぜいそのくらいだった。今は違う。腰は腰で文句を言う。肩は肩で重い。目は勝手にピントを放棄する。歯茎は腫れる。そしてついに、舌まで点検項目に入ってきた。まったく忙しい身体である。歯磨きは、日々の保守点検になった今の私にとって、歯磨きはただの習慣ではなくなった。これはもう、保守点検である。朝晩の歯磨き。フロス。口腔洗浄器。そしてこれからは、舌ブラシも加わる。正直、工程が増える。また増えるのか、と思う。ただ、これを面倒だからと後回しにしていると、あとでもっと面倒なことになる。これは仕事でも介護でも、嫌というほど見てきた。機械もそうだが、人間の身体も、完全に悪くなってから戻すのは大変だ。戻らないこともある。だから、まだ自分でできるうちに、少しずつ手を入れておくしかない。若さは戻らない。だが、落ちていく速度を少しでもゆるめることはできるかもしれない。そのくらいでいいと思っている。きれいごとの健康論はいらない。完璧な生活も無理だ。介護もある。仕事もある。家のこともある。日々はだいたい予定通りにいかない。それでも歯ブラシを持つ。フロスを通す。口腔洗浄器を使う。舌ブラシも使う。そういう地味なことを続ける。人生は案外、こういう地味な保守点検で持っている。まだ自分の口で食べたい今回の健診で、歯茎が概ね問題なしだったことは本当に嬉しかった。半年続いた治療が無駄ではなかった。毎日の歯磨きも、フロスも、口腔洗浄器も、それなりに意味があった。ただ同時に、まだやることはある。舌ブラシを使うこと。口をしっかり動かすこと。「パ」「タ」「カ」を馬鹿にしないこと。50代になって、まさか自分の舌の動きを検査されるとは思わなかった。だが、受けてよかったと思う。知らなければ、たぶん何もしない。何もしなければ、少しずつ落ちていく。落ちてから慌てる。それはもう、いろいろな現場で見てきた。機械もそう。家もそう。身体もそう。人間関係だって、たぶんそうだ。日々の小さな手入れを馬鹿にしてはいけない。口は、食べるためだけの場所ではない。話す。笑う。愚痴を言う。家族に声をかける。介護の中で「大丈夫か」と言う。noteのことを考えながらコーヒーを飲む。その全部に関わっている。だから、口を守ることは、日常を守ることでもあるのだと思う。2か月ぶりの歯科健診。たかが歯。されど歯。そして、まさかの舌。次の健診まで、また地味に続けるしかない。歯を磨き、フロスを通し、口腔洗浄器を使い、舌ブラシも使う。面倒だ。本当に面倒だ。それでも、まだ自分の口で食べたい。まだ自分の言葉で話したい。まだくだらないことを言って笑いたい。そのための小さな保守点検なら、まあ、やるしかない。ゆるぎなく、まっすぐに。そして今日から、舌ブラシも忘れずに。このような50代の身体、介護、ロスジェネの日常、元FAX修理CEの視点を毎日書いています。また読みに来ていただけたら嬉しいです。ロスジェネ脱線学: 薄いビニール袋が開かない夜 (EX-FAX-CE Works)www.amazon.co.jp498円(2026年06月02日 16:47時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.13
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700日続けて、少し離れたところから自分を見てみる|50代大したことを書いてきたわけではない。それでも、まあ、悪くはない。明日、連続投稿700日を迎える。700日続けて、少し離れたところから自分を見てみる。大したことを書いてきたわけではない。毎日、何か新しい発見があったわけでもない。振り返れば、似たような場所を何度も歩いている。親のことを書き、身体の重さを書き、仕事のことを書き、家の中の空気を書き、ロスジェネだなんだと言いながら、結局また自分の今日に戻ってくる。画像同じことを書いているな、と思う日もある。でも、生活のほうもたいして変わらない。朝になれば、やることがある。昨日と似た用事が残っている、身体は重い。ちょっとしたことで腹も立つ。それでも、黙って片づけるものは片づける。だから文章も、同じ場所に戻るのだと思う。きれいな成長記録ではない。毎日、新しい自分になったわけでもない。ただ、似たような毎日の中で、少しずつ違う疲れ方をして、少しずつ違う言葉を置いてきた。そう考えれば、まあ、悪くはない。介護の朝は突然に: 50代、家の灯りを消さないための生活保守記録 (EX-FAX-CE_WORKS)www.amazon.co.jp590円(2026年06月04日 14:01時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.12
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即断即決で、点検予約を入れた朝|50代の身体保守今日の保守記録まだ違和感は残っている今日の朝は、お騒がせしました。大丈夫です。そう言ったものの、正直に書けば、まだ違和感は残っている。胸の下というか、腹の上というか。明け方にざわついたあの感じが、完全には消えていない。痛い、とは少し違う。でも、体の奥で何かが鳴ったような感じがあった。いろいろなことが重なっていたのも確かだ。睡眠も取れていない。メニエール病も再発している。右耳が聞こえにくい。幸い、めまいはない。私の場合、発症してもめまいに来ないだけ、まだましだと思っている。ただ、ましだから大丈夫。そう言い切れるほど、もう若くはない。しかも、今note関係でも色々とやり始めていて忙しい。そのあたりも考えないといけないが、今やれることを、どうしてもやっておきたい。いつどうなるかなんて人間わからないもの。今日、元気でも明日はわからない。だから、いろいろやってしまう。介護のほうは、相変わらずのダブル介護だ。父は少しずつ弱り始めている。母は認知症が進んでいる。症状は一気に来るわけではない。少しずつ、少しずつ進んでいく。こちらはそのたびに、予定を変え、言葉を選び、顔色を見て、段取りを組み直す。きれいごとだけでは回らない母は相変わらず感情の波が激しい。自己中心的で、上から目線になることもある。そう書くと冷たく見えるかもしれない。でも、現場はきれいごとだけでは回らない。認知症だから仕方ない。親だから受け止めたい。そう思う自分と、勘弁してくれよと思う自分が、同じ台所に立っている。父は、昔の父より小さく見える日が増えた。寝ている背中を見ると、こちらの言葉も少なくなる。昔は大きかった人が、少しずつ小さくなっていく。それを見るのは、なかなかこたえる。家の中にも、それぞれの不調がある妻は妻で、頭痛がひどい。お腹の調子もよろしくない。娘は多感な時期だ。発達障害がある中で、将来に向けて学校でいろいろなことをやっている。そのうえ、生徒会副会長までやっている。よくやっている。本当に、よくやっている。自分の体調はいつも最後尾になるだからこそ、こちらが倒れるわけにはいかない。そうやって並べていくと、自分の体調はいつも最後尾になる。自分のことで弱音は出せない。身体がどうであれ、多少の無理を無理と思っていたらやっていけない。そう思って、今まで突っ走ってきた。立ち止まるわけにはいかない。止まったら全部止まる。そう思ってきた。元FAX修理CEとして見ると危ないでも、元FAX修理CEとして言えば、これは少し危ない考え方でもある。機械は、動いているうちに点検する。完全に止まってからでは、現場が困る。紙が出ているから大丈夫。通信できているから大丈夫。エラーコードが出ていないから大丈夫。そう言って使い続けて、ある朝、完全に紙を噛む。故障は急に見えて、前から始まっている。ローラーが滑る。センサーが汚れている。定着部に熱がこもる。原因は一つではない。湿気。紙粉。部品の摩耗。設置場所。忙しい現場で無理に回し続けた時間。故障は、急に見えて、たいてい前から始まっている。人間も同じだ。予約を入れただから今日、健康診断の予約を入れた。胃カメラも予約した。大腸カメラも予約した。今月末になるので、少し時間は空く。それは仕方ない。でも、予約は入れた。即断即決で、即行動。これは強がりではない。根性論でもない。点検に出すことにしただけだ。自分の体を、工具鞄より雑に扱ってはいけない。FAXのローラーより雑に扱ってはいけない。人の生活を回すなら、まず自分が完全停止しないように見ておかないといけない。弱音ではなく、保守記録。弱音は出せない。そう思ってきた。でも、違和感を記録することは、弱音ではない。予約を入れることも、逃げではない。点検だ。今日の保守記録今日の保守記録。明け方、胸の下に違和感。睡眠不足。右耳の聞こえにくさあり。めまいなし。介護負荷、高め。家庭内負荷、高め。気力だけでの運転、継続中。対応。健康診断予約。胃カメラ予約。大腸カメラ予約。必要なら、追加で受診。根性で動かすな、保守で回せ。根性で動かすな。保守で回せ。今日は、それを自分に向けて言う日だった。完全停止してからでは遅い。まだ動いているうちに、点検を入れる。今日の私は、そこまではできた。それで、かなり上等だと思う。今を全力で生きる!介護の朝は突然に: 50代、家の灯りを消さないための生活保守記録 (EX-FAX-CE_WORKS)www.amazon.co.jp590円(2026年06月04日 14:01時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.11
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笑いの臨界点 #33 片方の靴下だけがいない朝。靴下を履こうとして、引き出しを開けた。いつもの場所。いつもの段。いつもの、少し疲れた黒い靴下たち。一足をつかむ。違う。もう一足をつかむ。これも違う。似ている。かなり似ている。だが、違う。黒い靴下というのは、遠目には全部同じ顔をしている。でも近くで見ると、丈が違う。ゴムのくたびれ方が違う。つま先の丸みも違う。人間関係より細かい。私は床に座り込んだ。朝からやる姿勢ではない。引き出しの中を探る。奥のほうまで手を入れる。なぜか一枚だけ、夏用の薄い靴下が出てくる。今じゃない。さらに探す。ない。片方だけ、いない。昨日の夜、洗濯物を畳んだときにはあった気がする。気がする。この「気がする」が、最近いちばん信用できない。見た気がする。置いた気がする。閉めた気がする。言った気がする。全部、気がする。私は立ち上がろうとして、膝に小さく抗議された。はいはい。わかりましたよ。床から立つだけで、体のどこかと軽く会議をしなければならない。洗濯カゴを見る。ない。洗濯機の中を見る。ない。乾燥機のフィルター付近を見る。ない。そこまで行くと、もう靴下探しではない。捜査である。犯人は誰だ。洗濯機か。洗濯カゴか。それとも私か。だいたい最後は私なのだ。少しだけ怖くなって、冷静な顔で布団の端をめくった。ない。ソファの下をのぞく。見えない。老眼鏡をかける。見えた。ホコリだけが、いた。私はそっと元に戻した。今日はそこまで踏み込まない。昔なら、左右が少しくらい違っても履いたと思う。たぶん履いた。昭和の頃は、靴下にそこまで厳しくなかった気がする。平成の途中から少しずつ、身だしなみという名の監視カメラが増えた。令和の今は、自分で自分を見張っている。誰も見ていないのに。私はもう一度、引き出しの前に座った。似ている黒い靴下を二枚並べる。丈が三ミリ違う。たった三ミリ。でもその三ミリが、なぜか今日の私には大きい。これを履いて出たら、一日中気になるかもしれない。信号待ちで気になる。エスカレーターで気になる。靴を脱ぐ場面なんてないのに、どこかで急に靴を脱ぐことになる未来まで想像する。そんな未来、そうそう来ない。それなのに不安だけは、きちんと先回りしている。私は笑った。朝から、片方の靴下に人生の主導権を握られている。たいしたことではない。本当にたいしたことではない。でも、こういう小さな欠け方が、妙に胸に残る日がある。一足そろわないだけで、自分まで少しそろっていない気がしてくる。仕方なく、別の靴下を履いた。ちゃんと左右そろっている。だが、少し厚い。今日は少し暖かいのに。足だけ冬である。玄関で靴を履く。少しきつい。靴下の厚みのぶん、人生に余裕がない。また少し笑った。ドアを閉める直前、ふと洗濯機の横が気になった。狭い隙間。身をかがめる。膝がまた何か言いたそうにする。手を伸ばす。あった。片方の靴下が、壁と洗濯機の間で、静かに丸まっていた。逃亡犯というより、隠居している感じだった。私は拾い上げた。小さい。軽い。ただの布だ。それなのに、見つかった瞬間、少しだけ安心した。そろっていないものが、そろう。それだけで、朝が少し戻ってくる。でももう履き替える時間はない。私はその靴下を洗面台の横に置いた。「帰ってきたか」声には出していない。たぶん。出していたかもしれない。五十代になると、物に話しかけるハードルが低くなる。それは寂しさではなく、確認なのだと思う。お前はそこにいるな。私はまだ見つけられるな。そういう、小さな確認。結局その日は、足だけ少し暑いまま出かけた。駅まで歩く途中、靴の中で厚い靴下がじわじわ主張してくる。まあいい。片方がいない朝よりは、少し暑い朝のほうがましだ。帰ったら、あの靴下をちゃんと相方と並べてやろう。たぶんまた、どちらが相方かわからなくなるけれど。笑いの臨界点: 50代、日常の小さな敗北を笑いに変える生活記録 (EX-FAX-CE_WORKS)www.amazon.co.jp590円(2026年06月10日 05:36時点 詳しくはこちら)Amazon.co.jpで購入する
2026.06.10
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ロスジェネ脱線学 #36 睡眠スコアに励まされない朝。朝、スマホを見たら、睡眠スコアが出ていた。63点。微妙である。赤点ではない。でも胸を張れる点数でもない。学生時代なら、「まあ、追試は免れたか」くらいの数字だ。こちらとしては、ちゃんと寝たつもりだった。布団にも入った。電気も消した。途中で一度、トイレには起きた。そのあと少しだけ考え事をした。少しだけ、のはずだった。気づいたら、昔の職場のことを思い出していた。なぜ今それを思い出すのか、自分でも分からない。夜中の脳は、倉庫整理が下手である。もう使わない段ボールを、わざわざ引っ張り出してくる。それで朝になって、スマホに言われる。「睡眠の質が低下しています」知っている。身体で知っている。目の奥が重い。肩がこわばっている。起きた瞬間から、もう少し寝たい。そこへ数字で追い打ちをかけられる。63点です、と。令和は、何でも点数にしてくる。歩数。心拍数。睡眠時間。ストレス度。消費カロリー。集中時間。そのうち、「今日のため息回数」まで出るのではないか。いや、もうどこかにはあるのかもしれない。昭和の頃、体調はもっと雑だった。眠い。だるい。腹が減った。風邪っぽい。だいたいそれで済んでいた。熱があれば体温計。なければ気合い。もちろん、それでよかったとは言わない。無理も多かった。今なら止められるようなことも、普通にやっていた。平成になると、健康診断の数字が気になり始めた。血圧。中性脂肪。肝機能。封筒を開ける時の、あの何とも言えない緊張感。学生時代の通知表より、よほど現実味があった。そして令和である。毎朝、スマホが小さな健康診断をしてくる。頼んだ覚えはある。アプリを入れたのは自分だ。設定したのも自分だ。だから文句を言う筋合いはない。でも、朝起きてすぐに点数をつけられると、まだ一日が始まっていないのに、もう評価された気分になる。ロスジェネ氷河期第一世代は、評価というものに、少しだけ敏感である。就職活動の頃から、こちらはずっと何かに見られていた。学歴。職歴。年齢。経験。空白期間。「あなたは何点ですか」とは言われなかったが、だいたい似たようなことは感じていた。だからなのか、睡眠スコア63点にも、必要以上に反応してしまう。寝ることくらい、放っておいてくれ。そう思う一方で、明日は70点を目指そうかな、とも思っている。このあたりが面倒くさい。反発しながら、少し乗っている。50代とは、そういう年頃なのかもしれない。若い頃は、体力を借金のように使っていた。多少寝なくても、何とかなると思っていた。夜更かししても、翌朝コーヒーを飲めば動けた。今は違う。睡眠不足は、きっちり利息をつけて返ってくる。膝に来る。目に来る。機嫌に来る。特に機嫌に来るのが厄介だ。自分では普通のつもりでも、返事が少し雑になる。物を置く音が大きくなる。洗濯物の袖が裏返っているだけで、人生全体が面倒になる。たぶん睡眠スコアは、そういう未来を知らせているのだろう。親切なのだ。分かっている。ただ、親切も朝一番だと、少し胃に重い。スマホを閉じて、湯を沸かした。台所に立つと、昨日洗ったはずの茶碗が一つ残っていた。見なかったことにしようかと思ったが、63点の人間としては、ここで逃げるとさらに点が下がる気がした。誰も採点していないのに。結局、茶碗を洗った。蛇口の水が冷たい。その冷たさで、少しだけ目が覚める。睡眠スコアは63点でも、茶碗を洗った私はたぶん2点くらい加点である。何の採点かは知らない。でも、そういう小さな加点を自分で勝手につけていかないと、この年齢の生活は少ししんどい。アプリの数字は参考になる。けれど、数字にならない朝もある。ちゃんと起きた。湯を沸かした。茶碗を洗った。今日の予定を思い出した。それだけで、もう十分に動き始めている。たとえ63点でも。私はスマホをもう一度見た。画面には、「睡眠改善のヒント」と出ている。ありがたい。ありがたいが、今はまだ読まない。まずは味噌汁を温める。健康は、アプリの中だけではなく、鍋の中にも少しある。そう思ったら、63点の朝も、まあ悪くはない気がしてきた。高得点ではない。でも、今日を始めるには、ぎりぎり足りている。50代の朝なんて、それくらいで十分なのかもしれない。
2026.06.09
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一瞬永遠 第40幕 まだ終われない朝朝の道を歩いているとふいに自分の年齢が背中に乗ってくることがある誰かに言われたわけではない鏡を見たわけでもないただ少し重い鞄上がりきらない肩思ったより戻らない疲れそういう小さなものがひとつずつ今日の私に年齢を教えてくる50代口にすればただの数字なのに身体に乗ると妙に現実になる若い頃は未来という言葉を遠くに置いていたいつか何者かになる気がしていたいつか報われる気がしていたいつか胸を張れる場所にたどり着ける気がしていたけれどいつかは思ったより静かに過ぎていく音を立てない合図もしない気づけばこちら側に立っている何を得たのか何を失ったのかそれさえうまく数えられない朝がある信号の前で立ち止まる目の前を自転車が走り抜け学生の笑い声が風のように過ぎていく眩しいとは思わない羨ましいとも少し違うただあの軽さにはもう戻れないのだと身体のどこかが知っている胸の奥で小さく何かが軋んだそれは諦めではない悔しさでもある焦りでもあるまだ名前をつけたくない生き残りの火のようなもの私は終わった人間ではないそう言い切るには少し疲れているでも終わったことにしてしまうにはまだ息が残っている歩くいつもの道を少し遅い速度でポケットの中の鍵がかすかに鳴る家がある帰る場所があるまだ書く言葉があるそれだけで十分だと言える日もあればそれだけでは足りないと叫びたくなる日もある50代の朝は穏やかな顔をして容赦なく問いかけてくるお前はこのままでいいのか答えは出ない出ないまま今日も青信号になる人の流れが動き出す私は少し遅れてその中へ入る迷っている焦っている傷んでいるそれでもまだ終われないこの一瞬をただ通過点にするために私は今日も前へ出る
2026.06.08
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工具かばんの重さを書いたあと、まだ肩に残っていたもの|50代小説を公開してから、少し時間が経った。公開する前は、あの頃の空気をどこまで持ってこられるかばかり考えていた。ポケベルの音。公衆電話を探す時間。夜間受付の白い蛍光灯。工具かばんの肩紐が、じわじわ食い込んでくる感じ。古い記憶のはずなのに、書き始めると妙に近かった。忘れていたというより、普段は開けない引き出しの奥に、そのまま入っていたのだと思う。少し黄ばんだ紙のように。捨てたつもりはない。けれど、毎日見るには少し重い。そういう場所に置いてあった。床に置いたはずのかばん書き終えたら、少し軽くなると思っていた。長いこと肩にかけていた工具かばんを、ようやく床に置ける。そんな気がしていた。ところが、そう簡単ではなかった。かばんは床に置いたはずなのに、肩にはまだ跡が残っている。あの頃の肩紐の食い込みだけが、妙に律儀に残っている。重さが消えたのではない。持ち方が変わっただけなのだろう。懐かしさより先に来たものあの小説を書いて、最初に残ったのは懐かしさではなかった。恥ずかしさだった。若かった自分の判断の甘さ。分からないのに、分かったような顔をしていた時間。焦って、急いで、立ち止まるべきところを通り過ぎたこと。今の自分なら、あの時の自分に言いたいことはいくらでもある。そこは一回戻れ。会社に連絡しろ。無理なら無理と言え。客先の空気に飲まれるな。仕事の順番を間違えるな。だが、たぶん当時の私は聞かなかったと思う。聞かなかったというより、聞こえなかった。頭の中には次の現場があり、止まっているFAXがあり、待っている人がいた。送れない。受け取れない。紙が詰まる。仕事が止まる。誰かの段取りが崩れている。そこに、自分の心細さを差し込む余白がなかった。それを責任感と呼ぶには、少し危うい。でも、その危うさの中でしか覚えられなかったものもある。FAXの前には、いつも人がいた現場で怒っている人は、ただ怒りたいわけではない。困っている。焦っている。仕事が止まり、約束がずれ、誰かに責められるかもしれない。その温度が、電話の声や客先の空気に乗って、こちらへ来る。若い私は、機械だけを見ようとしていた。エラー番号。紙詰まり。ローラー。センサー。回線。ケーブル。もちろん、それを見るのが仕事だった。けれど、FAXの前には、いつも人がいた。怒鳴る人。黙り込む人。横からずっと見ている人。直った瞬間に、少しだけ表情が緩む人。機械を直す仕事のようでいて、実際には人の焦りの前に立つ仕事でもあった。小説にしてみて、そこがようやく見えた気がする。今も残っている、あの頃の癖今、私が介護のことを書く。50代の身体のことを書く。ロスジェネ氷河期第一世代として、置いていかれた時間のことを書く。直せないものの前で、言葉を探している。その根っこには、やはりあの頃の現場がある。親の介護も、自分の身体も、人生も、FAXのようには直らない。部品を替えれば済むわけではない。テスト送信が通ったから完了、というわけにもいかない。五十肩は今日も素直に上がらない日があるし、疲れも昔のようには抜けない。親の予定は、こちらの体調を待ってはくれない。それでも、昔の癖だけは残っている。どこで詰まっているのか。何が摩耗しているのか。まだ動いているところはどこか。今すぐ手を入れるべきところと、しばらく抱えていくしかないところはどこか。そういう見方は、工具かばんを持って東京の町を歩いていた頃から、たぶん続いている。作業報告書には残らなかったもの作業報告書には、残らないものがある。交換部品。作業時間。確認結果。お客様サイン。紙の上では、仕事はずいぶん薄くなる。そこには、指先の震えは残らない。夜の蛍光灯も、胃の冷え方も、公衆電話の小銭も、客先の沈黙も、直ったあとに少しだけ聞こえた「助かった」も残らない。たぶん私は、そこを書きたかったのだと思う。あの頃の仕事を立派に飾るためではない。若かった自分を、今さら美談にするためでもない。むしろ、格好悪かったところや、逃げたかった気持ちや、変な汗をかいた背中まで、できるだけそのまま置いておきたかった。若い私を、今の私が持ち直す公開してから、若い頃の自分が少し静かになった感じがある。許した、というほど大げさではない。情けない場面は、今読んでも情けない。苦いところは、やはり苦い。ただ、あの頃の自分が何も考えずに働いていたわけではなかったことくらいは、今なら分かる。言葉にできなかっただけで、怖さもあり、意地もあり、少しの誇りもあった。工具かばんは重かった。中に入っていたのは、ドライバーやテスターや部品だけではなかった。失敗、焦り、見栄、後悔、名前の残らない仕事をしていた時間。そういうものまで入っていたから、あのかばんは重かった。今はもう、FAXを直していない。ポケベルも鳴らない。公衆電話を探して走ることもない。東京の現場へ向かう若い自分も、もうどこにもいない。けれど、直せないものの前に立つ感覚だけは残っている。介護と仕事のあいだで、身体の異音を聞きながら、今日もどこかで切り分けをしている。親のこと。自分のこと。生活のこと。直せるものばかりではない。むしろ、直せないものの方が増えてきた。それでも、見ないふりをすれば、もっとこじれる。小説を書いたことで、あの頃の工具かばんを完全に下ろせたわけではない。ただ、少し持ち方は変わった。若い自分だけに背負わせていたものを、今の自分が言葉で持ち直した。そんな感覚がある。かばんの中身は変わったポケベルが鳴っていた頃、私はFAXを直していた。そして今は、直せない日々を言葉で保守している。かばんの中身は変わった。重さも少し変わった。それでも今日も、私はそれを持っていく。まだだ。まだ、終わらんよ。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。少しでも心に残るところがありましたら、スキやフォローで応援していただけると励みになります。介護、仕事、50代の日々を、これからも少しずつ言葉で保守していきます。
2026.06.07
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夜中に突然の体調不良明け方四時の保守記録夜中、いや、明け方だった。たぶん四時ぐらい。胸の下というか、腹の上というか、そのあたりが急にざわつき始めた。痛い、とは少し違う。でも、何かがおかしい。布団の上で、少しジタバタした。大人が布団の上でジタバタするなんて、あまり見せたい姿ではない。けれど、体の中で変な警告音が鳴ったような気がした。今は落ち着いている。落ち着いているけれど、まだ布団の上にいる。もう起きなければならない。普段は5時には起きる。起きなければいけない。誰にも、今は心配をかけられない。大丈夫。まだいける。そう言いながら、まだ動けてはいない。元FAX修理CEとして、何度も機械の異音を聞いてきた。動いているから大丈夫、とは限らない。紙が出ているから正常、でもない。ローラーが滑りかけている時も、センサーが汚れている時も、機械は最後まで普通の顔をして動こうとする。人間も、たぶん同じだ。根性で動かしてはいけない日がある。でも、動かさないと回らない朝もある。介護もある。仕事もある。家の予定もある。自分の体調だけを真ん中に置けるほど、生活は親切ではない。だから今、初めてスマホの音声入力でnoteを書いている。指で打つ元気がない。でも、何か残しておきたい。これは立派な文章ではない。朝の決意表明でもない。ただの記録だ。明け方というのがまたなんともいえない時間帯だ。今日は父を風呂に入れたり、家の用事も満載だ。こんな時もある。今日の保守記録。まずは、完全停止していないことを確認する。そして、必要なら、人に言う。病院にも行く。だが、まだ元気だ。これを入力していたら力が湧いてきた。タイトル画像も作れるほどに。よし、行こうか。今日も一日を始めよう。皆様、心配無用。とりあえず更新していないと何かあったのかと思うかと、取り急ぎこのようなNOTEの投稿となりましたが。そろそろ起きないと。起きる前に、もう一度だけ息をする。実はここのところ、メニエールが再発?もう何回目かわからないけど。右耳が聞こえにくい。もっとうまく息抜きをしないといけないと、実感と反省。たまにはこういうNOTE。
2026.06.06
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日曜夜、家族の気配の中で50代は少し休む日曜の夜というのは、少し不思議な時間だ。休みが終わる寂しさと、明日からまた始まる現実が、台所の湯気みたいに混ざっている。若い頃の日曜夜は、もっと単純だった気がする。サザエさんのエンディングを見て、なんとなく憂鬱になり、明日の仕事のことを考えて少し黙る。それだけだった。だが50代の日曜夜は、もう少し複雑だ。明日の仕事だけではない。父の体調。母の機嫌。薬の確認。家の中の空気。妻の疲れ。娘の様子。そして、なぜか減らない洗い物。人生というものは、歳を重ねるほど荷物が増える。しかも、その荷物は宅配便のように時間指定できない。突然来る。しかも着払いである。なかなか手厳しい。それでも、日曜夜には少しだけ救いがある。夕飯のあと、湯呑みにお茶を入れる。熱すぎないくらいの温度にして、少しずつ飲む。部屋の灯りを少し落とす。妻が、少し疲れた顔で座っている。娘は娘で、自分のペースで何かをしている。その姿を見ると、ふと思う。今日もこの家は、なんとか一日を越えたのだな、と。介護がある暮らしでは、誰か一人だけが頑張っているわけではない。もちろん、表に出る役割はそれぞれ違う。動く人。見守る人。我慢してくれている人。空気を読んでくれている人。妻には妻の負担がある。娘には娘の感じ方がある。こちらが介護や仕事で頭がいっぱいになっている時、家族もまた、その空気の中で生きている。それを忘れてはいけないと思いながら、忘れそうになる日もある。余裕がないと、人は視野が狭くなる。父と母のこと。仕事のこと。生活費のこと。自分の身体のこと。そこに意識を取られているうちに、すぐ近くにいる妻や娘の小さな疲れを見落としそうになる。これは、なかなか怖い。家族だから大丈夫、ではない。家族だからこそ、雑にしてしまうことがある。日曜の夜は、そんな自分を少しだけ立ち止まらせてくれる。湯気の立つお茶を飲みながら、妻に「今日はありがとう」と言う。娘に、何気なく声をかける。大げさな会話ではなくていい。長い話でなくてもいい。ただ、そこにいることを確認するような言葉。そのくらいでいい。50代になると、休むことにも少し技術がいる。ただ寝れば回復する、という時代は終わった。寝ても腰が痛い日がある。寝たはずなのに眠い日もある。なぜか朝から疲れている日もある。これが中年である。なかなか味わい深い。味わいたくない味わいだが。それでも、こうして日曜の夜に、少しだけ自分を緩める時間を持つ。妻と娘の気配が近くにある。父と母も、ひとまず今日を越えた。それだけで、心のどこかが助かることがある。今日一日を、なんとか終えた。家の中が大きく崩れずに済んだ。誰かが完全に倒れることもなく、ここまで来た。それだけで、本当は十分なのかもしれない。派手な達成感はない。拍手もない。誰も褒めてくれない。だが、家が回った。これは、かなりすごいことだ。妻がいて、娘がいて、父がいて、母がいて、私がいる。それぞれがそれぞれに、不完全なまま今日を生きている。完璧な家族ではない。美談だけの暮らしでもない。むしろ、疲れもある。苛立ちもある。言葉が足りない日もある。余裕がなくて、反省する夜もある。でも、それでも同じ屋根の下で、今日を終える。日曜夜は、頑張る時間ではなく、ほどく時間でいい。全部を背負って眠ろうとすると、布団が重くなる。だから今夜だけは、少し置いておく。玄関の端でもいい。台所の隅でもいい。心の中の小さな棚でもいい。そこに一度、荷物を置く。また明日、必要なら拾えばいい。熱いお茶と、少しの静けさ。妻と娘の気配。そして、今日もなんとか生き延びた自分に、小さく頷く。それでいい。ゆるぎなく、まっすぐに。でも今夜だけは、少しだけ、やわらかく。このような50代の身体、介護、ロスジェネの日常、元FAX修理CEの視点を毎日書いています。また読みに来ていただけたら嬉しいです。
2026.06.05
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介護の夜は突然に|脱衣所に落ちていたもの【50代】介護の朝は突然に来る。そして、介護の夜も突然に来る。それは、こちらが少し油断した時に来る。ようやく一日が終わると思った頃に来る。風呂に入って、あとは寝るだけ。そんな生活の終盤に、遠慮なく割り込んでくる。昨夜もそうだった。お風呂に入りに行った娘が、脱衣所から戻ってきた。表情で、だいたいわかる。また例のアレである。母が娘の前に風呂へ入っていた。だから当然、そういうことはある。本来なら、母には一番最後に入ってもらうのが一番いい。こちらとしては、それが一番安全で、一番後処理もしやすい。だが母は、一番風呂でないと嫌なタイプだ。人が入ったあとの風呂は嫌。他人のあとに入るのは嫌。清潔でなければ嫌。そのわりに、こういうことが起きる。この矛盾に、いちいち腹を立てていたら身がもたない。だが、腹が立たないわけではない。人間である。こちらも。今回は脱衣所だった今までは、風呂場だった。もちろん風呂場でも大変だ。だが、まだ洗い流せる。排水口もある。掃除の動線も想定できる。ところが今回は、脱衣所だった。少しとはいえ、数カ所に落ちていた。あぁ、マットが。一瞬、そう思った。もうボロくなってきていたマットだった。この際だから、捨ててしまうことにした。介護をしていると、物の寿命が妙に早まる。タオルも、マットも、シーツも、衣類も。生活の中で消耗していくというより、介護の出来事に巻き込まれて退場していく。マットもまた、そういう退場の仕方をした。脱衣所を確認し、処理をする。風呂場もチェックする。とりあえず、そちらは大丈夫そうだった。ほっとするというより、被害状況を確認する気持ちに近い。小さな災害のあとに、家の中を見回る感じである。なぜ、は愚問であるなぜこんなところに。一瞬、そう思う。だが、その「なぜ」は愚問だ。母は認知症であり、高齢者である。身体の感覚も、判断力も、こちらが思っているようには働かない。もはや説明不要。頭ではわかっている。責めても意味がない。本人に悪意があるわけではない。問いただしても答えは出ない。だから普段は、何も言わない。言葉はぐっと飲み込む。飲み込んで、処理する。飲み込んで、片づける。飲み込んで、次のことを考える。介護は、言葉を飲み込む作業でもある。だが、飲み込んだ言葉は消えるわけではない。体のどこかに沈む。沈んで、溜まる。溜まって、いつか少し漏れる。昨夜は、その少しが出てしまった。火に油を注いだ夜私と妻と娘で、慌ただしく処理をしていた。母は、いつもの調子で言う。「何か落ちていたの?」「なんだろう?」そして勝手に言い出す。「まさか、そんなところでするわけないし」こちらは黙っている。黙って処理している。だが母は、さらに続ける。「私がしたっていうのか?」突然、キレ始める。こうなると厄介だ。言っても無意味なのは重々わかっている。火に油になるのもわかっている。ここで正しさを主張しても、何ひとつ良いことはない。わかっている。わかっているのに、私はつい言い返してしまった。もう何度もあることだ、と。その瞬間、自分でも「あ、やってしまった」と思った。案の定、火に油である。「私がしたのか?」「ありえない」「もししたのなら、もう終わりだわ」「死んだほうがいい」いつものパターンが始まる。この言葉が出ると、家の空気は一気に重くなる。母の怒りと被害者意識が膨らみ、こちらの疲労も膨らむ。そして、そこへ父も合わさる。こうなると、家の中は修羅場に近くなる。介護は一人だけを見ていればいいわけではない。一人が荒れると、もう一人にも波が伝わる。その波を止めようとしているこちらにも、当然ぶつかってくる。まるで狭い家の中で、複数の火元が同時に燃え始めるようなものだ。人間性の話にしてはいけないこういう時、つい考えてしまう。母の人間性はどうなっているのか。元からこうだったのか。認知症でこうなったのか。本当の母とは何なのか。だが、そこへ行くと危ない。人間性の話にし始めると、出口がなくなる。認知症だから仕方がない。でも、もともとの性質もある。昔から上から目線だった。傲慢なところもあった。こちらを見下すような言い方も多かった。そんな過去の記憶まで一気に掘り返される。そして目の前の便の処理より、心の処理のほうが難しくなる。だから本当は、そこへ行ってはいけない。処理する。片づける。妻と娘を守る。父に火が回らないようにする。夜を越す。こなす。だが、そう割り切れるほど私はまだできた人間ではない。妻と娘を離す妻と娘には、他の部屋へ行ってもらった。もう、これ以上この場にいなくていい。娘には娘の生活がある。妻にも妻の疲労がある。介護は家族全員に影を落とす。だからこそ、できるだけ巻き込みすぎないようにしたい。もちろん、完全には無理だ。同じ家にいる以上、見えてしまう。聞こえてしまう。匂いも、空気も、感情も伝わってしまう。それでも、少しでも距離を取らせる。その間に私は、ただ処理を進める。もう何も言わない。説明もしない。反論もしない。正しさも主張しない。処理する。拭く。捨てる。確認する。また拭く。そして、時が過ぎ去るのを耐える。介護の夜には、解決ではなく通過しかない場面がある。揺らさぬ心など、まだない私は、まだ揺らさぬ心をものにできていないようだ。そう思った。日々の介護の中で、少しずつ強くなっているつもりだった。怒りを飲み込むことも覚えた。説明しすぎないことも覚えた。母の言葉を真正面から受け取りすぎないことも、少しずつ覚えてきた。それでも昨夜は、言い返してしまった。たった一言。でも、その一言で火がつく。介護は、本当に油断ならない。ただ、だからといって自分を責め続けるのも違うのだと思う。こちらも人間だ。毎日、父を見て、母を見て、家を見て、仕事もして、家族も見ている。疲れが溜まっていれば、言葉の蓋が少しずれる夜もある。理想の介護者など、たぶんどこにもいない。いるのは、汚れたマットを捨て、脱衣所を拭き、怒鳴り声を聞きながら、それでも翌朝また起きる人間だけである。まだ終わらんよ介護は、美談だけでは書けない。きれいな言葉だけで包むと、現実がこぼれ落ちる。便もある。怒鳴り声もある。被害者意識もある。自己嫌悪もある。家族を別室へ逃がす夜もある。それでも、朝は来る。マットは捨てた。脱衣所は拭いた。風呂場も確認した。妻と娘を離した。父の火元も何とかやり過ごした。完璧ではない。まったく完璧ではない。でも、夜は越えた。それでいい。介護の夜は突然に来る。こちらの都合など聞かずに来る。そして、何事もなかったように生活の中へ沈んでいく。私はまだ揺れる。言い返す。腹も立つ。まだ迷う。だが、まだ終わらんよ。この言葉だけは、少しだけ自分を支えてくれる。ゆるぎなく、まっすぐに。たとえ昨夜、少し揺らいだとしても。また姿勢を戻せばいい。今日も家は続く。介護も続く。私も、まだここにいる。このような50代の身体、介護、ロスジェネの日常、元FAX修理CEの視点を毎日書いています。また読みに来ていただけたら嬉しいです。
2026.06.04
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笑いの臨界点 #32 湿布の透明フィルムに負ける夜夜。風呂あがりに、腰が少し重かった。痛い、というほどではない。でも、痛くないと言い切るほど若くもない。こういう中途半端な違和感が、50代の入口にはよく落ちている。私は棚から湿布を出した。袋を開ける。あの匂いがする。少しだけ薬局。少しだけ部活の更衣室。少しだけ昭和。湿布の匂いには、なぜか人生の後半が混ざっている。一枚取り出す。白い。冷たい。頼もしい。問題はここからだ。透明フィルム。あれが、はがれない。端を探す。ない。いや、あるはずだ。人類が作ったものだから、入口はある。親指でこする。人差し指でつまむ。爪を立てる。何も起きない。湿布は静かに私を見ている。いや、見てはいない。でも、見られている気がする。私は少し焦る。湿布を貼りたいだけなのに、湿布を貼る前に疲れている。何をしているんだ、私は。昔なら、こんなものは一瞬だった。たぶん。本当に一瞬だったかは、もう怪しい。記憶の中の自分は、いつも少し器用だ。今の私は、透明フィルムの端に負けている。指先が乾いているのか。目が追いついていないのか。それとも湿布側が進化したのか。私は一度、湿布を置いた。落ち着け。相手は湿布だ。そう思った瞬間、少し笑ってしまった。夜の部屋で、上半身だけ少しひねった姿勢のまま、湿布に精神論を持ち込んでいる50代。誰にも見られていないのが救いであり、誰にも見られていないのが少し寂しい。もう一度挑む。今度は慎重に角を曲げる。すると、ほんの少しだけ透明なものが浮いた。来た。私は勝利を確信した。しかし次の瞬間、湿布が自分自身にくっついた。終わった。白い面と白い面が、してはいけない抱擁をしている。私は慌ててはがす。余計にくっつく。湿布はもう、私の味方なのか敵なのか分からない。腰はまだ重い。手元は騒がしい。心は少し折れている。ここで、若い頃なら「もう一枚出せばいい」で済んだ気がする。でも今は違う。もったいない。この言葉が、背中からそっと出てくる。昭和を通った人間は、湿布一枚にも簡単には敗北を認めない。私はくっついた湿布を、ゆっくりはがした。少しシワになった。でも、まだいける。たぶん。腰に手を回す。貼る位置を探す。ここか。いや、もう少し右か。痛いのは左のような気もする。体の地図が、年々あいまいになっている。ようやく貼った。冷たい。ああ、これだ。さっきまでの戦いが嘘みたいに、湿布は急に仕事を始める。私はしばらく動かなかった。貼れたことに安心していた。鏡を見る。腰に少し斜めに貼られた湿布。きれいではない。だが、目的は果たしている。人生もたぶん、こういう貼り方が増えていく。まっすぐではない。少しズレる。少しシワになる。それでも何とか効いてくれればいい。私は袋を棚に戻した。そのとき、指先にまだ少し湿布の匂いが残っていた。それを嗅いで、また小さく笑った。負けたような。勝ったような。少なくとも今夜、私は透明フィルムより少しだけしぶとかった。
2026.06.03
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ロスジェネ脱線学 #35 AIに聞く前に、質問で詰まる夜夜、スマホを持ったまま固まっていた。画面には、生成AIの入力欄が開いている。「何でも聞いてください」そう書いてある。何でも。この「何でも」が、50代には意外と重い。何を聞けばいいのか。それがまず分からない。昼間には、聞きたいことがあったはずなのだ。たしかにあった。車の中で思いついた。仕事の合間にも思った。風呂に入る前にも、「あ、あとでAIに聞いてみるか」と思った。そして今、いざ入力欄を前にすると、きれいに消えている。何だったか。健康のことだったか。文章のことだったか。親の用事だったか。スマホ料金のことだったか。それとも、単に「最近なんか疲れるんだけど」くらいの話だったか。AIは待っている。こちらが何かを入力するのを、文句も言わずに待っている。人間なら、そろそろ「で、何?」くらい言ってきそうな間である。私は入力欄に、とりあえず一文字打った。「あ」それだけ打って、また止まる。50代のバグは、こういうところに出る。冷蔵庫の前で止まるとか、財布の中を探すとか、そういう分かりやすいバグだけではない。いまは、AIの前で止まる。令和のバグである。昭和の頃、分からないことは人に聞いた。親に聞く。先生に聞く。近所の物知りなおじさんに聞く。その答えが合っているかどうかは別として、聞けば何か返ってきた。平成になると、検索した。検索窓に言葉を入れる。単語を並べる。間違えても、何となくそれらしいページにたどり着く。「○○とは」「○○ 原因」「○○ 安い」ずいぶん検索窓には世話になった。そして令和。今度はAIに聞くらしい。しかも、ただ聞くだけではない。うまく聞く必要がある。プロンプト、という言葉まで出てきた。また横文字である。ロスジェネ氷河期第一世代は、若い頃から横文字に振り回されてきた。リストラ。アウトソーシング。コンプライアンス。キャリアアップ。こちらが人生を整える前に、社会のほうが次々と新しい言葉を投げてきた。今度はプロンプトである。正直、もう少し日本語で頼む、と思う。ただ、AIが悪いわけではない。むしろ丁寧である。こちらが雑に聞いても、そこそこ整った答えを返してくれる。それがまた、少し怖い。こちらの質問が雑なのに、返事だけが妙に立派だと、自分の中身の散らかり具合が見えてしまう。「最近、疲れます」と打つ。するとAIは、睡眠、食事、運動、ストレス、生活リズム、受診の目安などを、きれいに並べてくる。全部、正しい。正しいのだが、こちらはその正しさを受け止める体力がない。分かっている。寝たほうがいい。歩いたほうがいい。食べすぎないほうがいい。スマホを見すぎないほうがいい。それを全部やれるなら、そもそもAIに聞いていない。私は画面を見ながら、少し笑ってしまった。AIは賢い。ただ、こちらの生活は賢くない。洗濯物はたたまれていない。湯呑みは流しに置いたまま。明日出すゴミ袋は玄関の横にある。親の薬の確認も、まだだった。世界はどんどん便利になる。でも便利になった世界で、こちらの身体が急に便利になるわけではない。50代の私は、相変わらず立ち上がる時に膝を気にしているし、スマホの小さい文字に目を細めているし、夜になると集中力が電池切れになる。AIに聞けば、たぶん答えは出る。でも、何を聞きたいのかを見つけるところまでは、まだ自分の仕事らしい。そこだけは、誰も代わってくれない。ふと、入力欄にこう打ってみた。「50代になって、何を聞けばいいのか分からない夜について」我ながら、面倒くさい質問である。でも、少しだけ本音に近い。若い頃は、答えが欲しかった。どうすれば勝てるのか。どうすれば抜け出せるのか。どうすれば認められるのか。今は、答えよりも先に、自分が何に引っかかっているのかを知りたい。怒っているのか。疲れているのか。寂しいのか。ただ眠いだけなのか。その区別がつかない夜がある。AIに聞く時代になっても、人間のほうは案外そのままだ。便利な道具を手にしても、心の奥は昔のまま、少しもたついている。でも、そういうものなのかもしれない。すぐ答えが出る時代に、すぐ言葉にならないものを抱えている。それも、50代の現実だ。私は結局、AIへの質問を送らなかった。入力欄の文字を消して、スマホを伏せた。そして流しの湯呑みを洗った。AIに聞くほどでもないことを、ひとつ片づける。案外、今日の答えはそれくらいで足りた。画像
2026.06.02
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一瞬永遠 第39幕 迷いながら歩く朝朝の道を歩くいつもの景色なのに少しだけ距離がある信号を待つ人自転車で急ぐ人ランドセルの背中開き始めた店のシャッター誰もが自分の今日へ向かっている私はどこへ向かっているのだろうふとそんな問いが足元に落ちた拾わないまま歩き出す50代になって迷いは減るものだとどこかで思っていた若い頃より経験も増え失敗も知り傷の数もそれなりに重ねてきたそれなのに道に迷うことはむしろ増えた気がする身体は昔ほど無理を聞かない時間はまだあるようで前ほど遠くまでは見えないやりたいことがあるでもすぐに動けない朝がある大丈夫だと言い切れないけれど終わったとも思いたくない胸の奥で小さな焦りが靴紐のようにほどけかけた立ち止まり結び直すふりをして少しだけ息を整える空は何も答えないただ昨日より少し明るいそれだけで歩く理由にはならないかもしれないそれでも歩くきっかけにはなる人生はわかった顔をした途端にまたわからなくなるだから今日も迷いながら進む確かなものなど多くはない鍵の重さ朝の光足の裏に残る道の感触そのくらいで十分な日もある私は答えを持たないまま人の流れに混じる一瞬を見失わないように永遠などまだ語れないまま
2026.06.01
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