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大船渡のある小学校では校舎2階から道路への避難通路が全校児童を救った。その通路はひとりの市議の方が提案し400万をかけて最近完成したばかりだった。校舎は海岸から200mという悪条件であったけれど子供たちは揺れている最中にその通路から避難することができた。最近市の担当者はその避難路が使われることがないことを願っていたとインタビューに答えていた。使われることがないかもしれないものに400万の予算を得るためにその市議の方はどれだけ尽力されたことでしょう。しかしその方は今回の地震の少し前に病気でお亡くなりになったそうです。病とたたかいながらそのことを遺言にするとまで強く主張されていたとのことです。何にも屈しない強い信念を持ちつづける。誰にでもできることではない。過去に大きな津波被害を受けてきた三陸に伝わる言いつたえ津波てんでんこ津波が来たら家族もなにも気にしている余裕はないてんでんこに(それぞれに)逃げなきゃダメだということそうは言ってもできない。家族だもの仮にそうして生きながらえても違う責めを背負うことになる。てんでんこに(自力で)動けないひとの環境は限られた人員でカバーできるように日頃から整備しておかなきゃないということを市議の方は教えてくれました。子どもたちは みんな 助かりました。本当にありがとうございます。
2011.04.29
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義援金の募金先が多い、という声を聞きます。組織が一般の方に呼びかけて集める義援金の窓口がやたらに多いのは、どうなの?きちんとしているところは集めたお金をどこに送るか明記している。でもあなた達が間に入る必要って???いちいち個々の募金額が表示されないし、そこで人件費がとられる位なら直接、日本赤十字ではダメなの?日本赤十字社の送金先がパンクするからですか?と思うのは私だけ?どこに募金したらいいの?SAVE IWATEのエジプトからの報告の中にひとつの答えを見つけました。(SAVE IWATEには国内からだけでなく海外からも支援が届けられています。)直接支援する相手があるひとはそちらへそういう相手がいないひとは公的なところへという心づかいによって以前岩手にいたことのあるその方はエジプトの学校で集めた募金をSAVE IWATEに送る許可をいただいたそうです。たしかに。公的な窓口が多いのは、沢山の方のタイミングに沿うためかもしれませんね。
2011.04.21
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やっとSAVE IWATEの活動への支援金を送金しました。さんざん書きながら遅い…被災したうちに入らないと言ってもいつもと違う環境になじんだりハハの病院の付き添いが加わったり震災で延期した新システム開始が、18日の大きな余震でまた停電~延期となったり何か、と思っていても時間とタイミングが合うまで時間がかかってしまった。なぜ活動支援金にしたか?今援助を必要としている方にすぐに利用してもらえそうだから。でも1回ではダメだね。今後も節目に送っていこう。今回は、続けることが、大事だからね。現場でボランティアできれば、と思ってもなかなかできるものではない。そういうことにもいろいろな意味でタイミングがある。(時間や体力や資金)定年後の大工さんが、被災地の片づけに的確な指示を出し、経験のないボランティアの頼もしいリーダーとして活躍をして帰っていった、という記事を見ました。かっこいい。リタイアした皆さんぜひ長年の経験を発揮してください。
2011.04.20
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10日の疑問のひとつの答えになる記事を見た。地震後最初に「予想される津波3m」の警報が出た地域があった。それで2、3階なら大丈夫という判断が生まれてしまった。でも警報を出したところをせめることはできない。揺れている時間が長いと全情報を解析してからでは3分以内に警報を出せないので途中の情報で出した結果が3mだったらしい。仮に正しい警報が出たとしても、停電で情報が途絶した状況では届かない可能性が高い。(津波が来るまで時間があったところは、6~7mの津波の情報が適切な判断につながり大勢のひとが救われた地域もあったらしいですが。)「ただならぬ揺れを感じた時は一刻も早く高台へ」「日頃から、そのルートをわかりやすく表示しておく」「子供には居場所に応じた避難場所を教えておく」「車は乗り捨てるひとのため渋滞になる危険が大きい。海沿いに住むときはこれらを根気づよく語りついでいかなければならない。
2011.04.15
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今回、津波の怖さを十分知っているはずの地域で多くのひとが逃げられなかったことが腑におちなかった。全員が別々の場所で被災し津波に巻き込まれた家族もいながら全員無事に助かった一家の記事を見た。家族で一番無防備な状況に陥ったのは小2の女の子だった。まだ下校していないところでは学校が子供たちを守ったけれどその女の子は、通学路の歩道橋の上でしゃがみこんでしまった。その時走ってきた小5の少年が、歩道橋のうえにいた数十人を(通学路で被災した時避難する場所に指定されている) 中学校へ行くよう誘導しおかげで皆助かったそうです。その少年の学校ではつい最近も避難訓練をしたばかりでしかも学校にいた場合と通学路にいた場合の避難場所をきちんと区別していたらしい。それにしてもその少年はすごい。小5だったら自分が逃げるので精一杯でもおかしくないのに。難を逃れた方の記事には、ただちに高台へ逃げる訓練を繰り返し受けていた様子が多かったです。
2011.04.10
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いろんな方がいる。いろんな考え方がある。自分から話すひともいれば聞かれてもあまり話さないひともいる。その日のことをあれこれ思うことをやめようとしているひとがいることをインタビューするひとは知っておいてほしい。誰にもわかるつらい心境を聞きださなくていいです。それを誰に伝えようとしてるんですか?
2011.04.08
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時が立つにつれて、世間は徐々に日常を取り戻しつつある。でもあの日の前にはもう戻れない。被災した方はもちろん、被災したうちに入らない私たちも以前の消費漬けの生活はもうできない。物質的にも心情的にも。限りあるものを大切に使っていかなければならない。こういう自粛行動への意識は大きな個人差がある。(職場の若いKちゃんの節電のまめさに驚きました。)野球の開幕はもめましたが、常識的な結論になってよかった。「野球やサッカーをしていていいんだろうか」その感情はプレーヤーである前にやっぱり大事。一流のプレーヤー、アーチストはいつか被災した方を勇気づけるために持てる力を衰えさせないでいてほしいけれどそれを受け止めてもらうにはそれ相応の時間が必要だと思う。桜のほころびと共に自粛するか迷う声が聞かれるようになった。前向きな方は、経済を活発化して間接的に復興に貢献してほしいと言ってくださる。でもそうでない方もいる。こういう問題はNoという方に配慮するべきと思うがこれだけ範囲が広大だと影響も大きい。だからと言って今の問題を日本人全体の危機と被災した方を一緒にくくってしまうのは少し早すぎないだろうか。(ACのCM、あの無遠慮な連続、見るのが苦痛以外の何ものでもなくなってきてますが)
2011.04.03
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最初、なんで政府は原発ばかりと思った。報道される以上の事態を伏せているかと勘繰りたくなった。あれだけの損壊がありながら施設を復旧させようと考えていたことが信じられない。今もって収束させる見通しすら見えない。なぜ経験のあるアメリカやロシアに指揮をとってもらうわけにはいかないの?原発ってこういうものだったのね。それにしても壊れてみると堅固な建造物に見えないのはしろうと目だからですか?もうどこでも稼働してほしくないと誰もが思っているでしょう。現時点で安全、といいながら出荷停止を指示している野菜の被ばく量など比べものにならない環境で高くない報酬で日本のために現場で立ち向かっている方たちほんとうに申し訳ありません。その方たちのケアをもっともっともっと手厚くしてあげてください。(できれば将来の子を育む世代までははずれていてほしいけど。)
2011.04.01
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