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まず、こちらを。https://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/202309250000/元ネタは毎日変態新聞の伊藤某ですが、兎に角「俺は悪くない、愚民どもが悪い」としか言っていないようで。>芸能界は特殊だからとか、人の性的指向に口は出せないといった遠慮を超えて、芸能メディアには打算やそんたくがあっただろう。それでも、出版メディアは創業者の異常性について半世紀前から何度も警告していた。新聞は追及しなさすぎたが、裁判の判決はその都度報じている。しかし、それでは事件を止められなかった。「事件を止められなかった」ではなく、ジャニーズ(というか故ジャニー喜多川)は「叩くと実害が出る」相手だから「止める気が無かった」が実態でしょうに。で、次の一文が凄いのですよね。>メディア(媒体)には影響力も責任もあるが、受け手に黙殺されれば、それも成り立たない。見聞きしたくないことに目と耳と口を塞いできたファンと社会は、純粋中立な第三者と言えるだろうか。この戯言、「受け手(=社会)が悪い」でしかないのですよね。というかですね、この伊藤某、反安倍反自民と見受けられますけど、伊藤某が頑張ったところで国政選挙は自民の圧勝に終わっている現実を見れば「伊藤某の戯言は社会から黙殺されている、影響力が無い」となるわけでして。そういう時、普通は「伊藤某の戯言が悪い」とか「伊藤某の伝え方が悪い」となりましょうがね。無能の戯言では「俺は悪くない、理解しようとしない愚民どもが悪い」でしかないわけでして。>伝えた、伝わっていないの水掛け論に陥るのは、権力問題として突き詰められていないためだ。いいえ、「実害が出る相手には批判の一つすらまともにできない」「己自身に原因があるのに、それを認めず他者に責任を求める」という毎日変態新聞及び伊藤某の自己保身が原因でございます。>権力支配は、上からの一方的な強制だけでなく、支配される側の先を競い合う組織内での服従と、組織外でそれを傍観し、追従する沈黙が作り出す。服従と追従が自らの意思による支持だと思い込む人々が現れると、「帝国」は出来上がる。つまり、ファンと社会の沈黙が欠かせない。それ抜きにはメディアの沈黙も生じない。いやはや、日ごろ『権力の監視』と称して実害の無い相手(政府自民党)には無いこと無いこと書き連ねるのに、実害のでる故ジャニーズ喜多川にはだんまりですか。政府に対しては「服従していない人がいる」と言って行動を正当化するとしても、当然に故人による被害者は「服従していない人」になりましょうから、それを根拠にジャニーズ批判をするのは簡単でしたでしょうに。結局、【批判すると実害がある相手に批判はしない】という事実を認めたくないがために、社会やファンに責任転嫁しているだけでしょうて。ちなみに、芸能界といえば枕営業も有名でしてね。某AKBなんかもその黒い噂があったわけですよ。批判しようと思えばいくらでもできるわけですがね。まあ、芸能界における実力者を批判したら実害出ますものね。だから同じく「社会ガーファンガー」で逃げるのでしょう?それでは社会の木鐸としての存在価値はないのです。>かつては企業や政治など、多くの分野で大小の「帝国主義」が珍しくなかった。転換へのカギは、外からの民主的統制を受け入れるかどうか。メディアは警鐘を鳴らすが、扇動するわけではない。そう、なので各種マスコミも外からの民主的統制を受け入れて、公正中立な、特にTV局は放送法を順守できる体制を整えるべきなんですね。メディアの警鐘の対象は当然に己自身も含まれる。そういえば、「女性役員、大臣の登用が少ない!」とマスゴミどもが騒いで、当のマスゴミは如何と言えば、登用が0なんてギャグみたいな話もありましたね。>ジャニーズ問題を民主主義政治の構造問題まで広げれば、鼻白む人もいる。だが、その程度の類推すら退けるようでは、知らぬ間に未知の「帝国臣民」になっていても気づけまい。類推も何も、【四の五の言わず社会の木鐸としての責務を果たせ】で終了でしょうに。それを責任転嫁の理由を書き連ねるだけの時点で社会の木鐸としての存在価値は皆無。中小企業成りなんて醜態さらしていないでさっさと廃業しろとしか言いようがない。では、佐原の反応でも>この記事は、始めのほうで「ジャニーズの性加害問題は主として週刊誌が報道するだけであったが、新聞であっても裁判で判決が出ればそれはそのとおりに報道はしてきている」と、言い訳がましく書いている。流石の佐原でも「言い訳がましい」というのは感じたようですね。でも>あまり大きく取り上げることがなかったのは、社会に「他人の性的嗜好をとやかく言うものではない」という意識が存在したからだとでも言いたげであるが、それもある程度事実であるのは間違いないのでと、まあ、政府批判仲間は擁護したいようでして。>、しかし、最近、被害者のカミングアウトで加害/被害の実態が明らかになったからには、ジャニーズ事務所はこれまで通りの営利活動を継続することは許されないと思います。ジャニー喜多川の親族が保有する株式は即刻売却し、売上金の一部を数百人の被害者への補償金とし、残りを在籍するタレントの活動拠点として新たな事務所の立ち上げ資金とするべきで、犯罪者の名前を冠した事務所は解散するのが、この記事で言うところの「民主的規制を受け入れる」ことだと思います。「犯罪者がトップだったのは許されない」のはいいのですけど、その場合、某WaiWaiでしたかね? 日本人に対する性犯罪推奨みたいな記事を書いて、それに対する懲罰が社長昇進というこれまた黒い噂のある毎日変態新聞とか、佐原の言う通りに解散対象となるわけですがね。
2023.09.29
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ちと古くなりましたが、まずこちらを。https://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/202309180000/元ネタは毎日変態新聞のようですね。>松野博一官房長官は先月末の定例記者会見で「政府内に事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と述べ、改めて調査する考えのないことを示した。これ、事実では?と、いうのも>政府の中央防災会議の専門調査会が2009年に公表した報告書は「朝鮮人が毒薬を井戸に投じた」などの流言をきっかけに、虐殺が起きたと認めている。と直後に言ってますけど、その報告書から抜粋しますとhttps://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf『この節では殺傷事件の概要を述べるが、当時の混乱の中では同時代的にもこの種の事件のすべてを把握することはできず、また、後に述べるような政府の対応方針もあって、公式の記録で全貌をたどることはできない。』と、公式の記録で事実関係を把握できないのは2009年に公表した報告書でも認めているわけでして。それでも無理矢理記録ベースで被害者数をカウントするなら「234~488」(報告書にある司法省報告書と戒厳業務詳報より)としかならない。また、先の報告書のPDFファイルの4枚目から抜粋すると『朝鮮人被殺害者数の全体について、朝鮮総督府の記録によれば、10月22日現在、内務省は「朝鮮人被殺人員」を約248名と把握していた。しかし、朝鮮総督府東京出張員はこれを前提に「内査したる見込数」として、東京約300、神奈川約180、埼玉166、栃木約30、群馬約40、千葉89、茨城5、長野3の合計約813名を挙げている(大正12年12月朝鮮総督府警務局,「関東地方震災ノ朝鮮ニ及ホシタル影響」,斉藤実文書,『関東大震災朝鮮人虐殺問題関係史料Ⅳ』影印)。』『その後、総督府は震災による朝鮮人の死者・行方不明者を832名と把握して、1人200円の弔慰金を遺族に支給した(大正13年6月,朝鮮総督府官房外事課,「関東地方震災時に於ける朝鮮人問題」,『現代史資料(6)』所収)。』と、ある通りで、震災死を一切考慮しない場合で最大832名にしかならないわけですね。6600を肯定したいであろう毎日変態新聞には都合が悪そうなんですがね。>小池百合子都知事は議会で「何が明白な事実かについては、歴史家がひもとくものだ」と答弁してきた。虐殺犠牲者らを慰霊する民間団体主催の式典には、今年も追悼文を送らなかった。緑の狸については「票にならないことはやらない」で片付けるとしても、『何が明白な事実かについては、歴史家がひもとくものだ』に関しては真理でしょうて。というかね、政府の記録のみで構築するとどうあがいても『被害者数は1000未満』としかならず、『政府としてはこれが真実であり、6600はおろか、2600さえも虚偽です』とやるのが果たして正しいのかしら?ところで、報告書には次のもあってですね。https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/22_column8.pdfPDFの2枚目から抜粋すると『これは合計6,661名(現在内訳を再計算すると6,644名であると山田昭次氏が指摘している)に達するが、うち神奈川県で遺体を発見できなかった1,795名と第一次調査を終了した11月25日に各県から報告が来たとする追加分2,256名は、府県名のみでそれ以下の地名は記されていない。山田昭次氏は、埼玉県に関する数値を検証して、この追加分を算入しない方が現在までに得られる他の情報と近いことを指摘し、「追加合計数の根拠を今日解明することはできない」としている。』これを取り上げないのは何故でしょうね? まあ、取り上げると「6600は虚偽」と発覚して、緑の狸の行為(6000云々への追悼を出さない)の正当化ができてしまいますからね。>流言を政府自身が広めたことを示す資料も防衛省防衛研究所に残る。当時の内務省警保局長が各地方長官に宛て、「爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり」と、朝鮮人の取り締まり強化を指示する電文を送っていた。それ、「デマであることを知りながら意図的に広めた」ではなくて「流言が事実であるとの認識で発した」つまり誤報の類でしょうに。「誤報すら駄目だ」とするのは別に構わないけれど、それで首が絞まるのは毎日変態新聞や朝日、東京中日や沖縄二紙等の「イデオロギー優先で事実を捻じ曲げるアジビラの類」でしょうて。>個々の文書で全容を把握するのは容易でないとしても、虐殺があったこと自体は疑いようもない。事実の認定を曖昧にするような発言は、歴史をゆがめかねない。政府は「だから虐殺は無かった」とは言うとらんのですがね。単に毎日変態新聞が「お上も虐殺があったと認めているぞ、だから6600も事実なんだぞ、従え!」とやりたいだけでしょ。>近年、虐殺そのものを否定するような言説も目立つ。インターネット空間には、偽情報や在日外国人へのヘイトスピーチが飛び交う。政府や政治家らの歴史に対する不誠実な態度は、こうした風潮を助長しかねない。いや、だって、ねぇ。かつて一部の朝鮮人どもは「強制連行の被害者」と称して不当な優遇を得ていたわけでしょ。それが拉致発覚後の流れの中で虚偽レベルと発覚したときに、総連なり民団から謝罪の一言でもありましたか? 不当な優遇を一部が受けていたことに対して謝罪の一言がありましたか? 謝罪が実際にあったとして、それを毎日変態新聞等の変態どもが大体的に報じましたか?「朝鮮人どもなら不正をやりかねない」というのを助長しているのは、他ならぬ変態どもでしょうて。余談ながら、拉致被害者奪還後くらいからかしら。それまで「強制連行の被害者」と騒げば不当に利益を得られていたのが、『拉致被害者も帰国を望んでいたし、強制連行の被害者も同様でしょう。(親切心から)帰国されては如何?』と、利益を得られなくなったようでして。『国に帰れ』をヘイト扱いしたいのには、ここら辺も理由なのかもしれないと邪推の一つもしたくなる。>虐殺問題を研究する田中正敬・専修大教授は「民主主義を掲げる国であれば、人権や生命を何より尊重すべきで、過去に向き合うことを避けてはならない」と話す。そうですね、過去に向き合って『6600の内、事実とは言い難い部分が含まれている(つまり6600は虚偽)』も認めなければならないし、戦後直後の三国人(朝鮮人を含む)犯罪、あるいは昭和にあった『強制連行の被害者と称して不当な優遇を得ていた』とも向き合わなければならないですね。勿論、拉致被害は絶対に避けては通れない。で、以前も書きましたけれど、こういう『悪質な在日朝鮮・韓国人どもによる被害者て、【日本人】と【真っ当な在日朝鮮・韓国人】』なんですわ。ところで、こちらでも見かけたのですがhttps://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/202309220000/田中正敬てそっち方面での御用達なんでしょうかね?後、脱線ついでに、こちらでアカどもが自画自賛しているようですけどhttps://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/202309190000/戦前~戦後と暴力革命を目指していたテロリストどもは、特に戦後に三国人と一緒に暴れていた犯罪者どもは、はたして手前らの過去の罪に真摯に向き合っているのでしょうかね?さて、私はよく故阿川弘之氏の著書から抜粋しているのですが、同じく抜粋しますとですね『それにつけても、「先生先生、日本が又こんな悪いことをしかかってます」と、お隣の国へ告げ口に行き、「そうか、そいつはけしからん、厳重に注意しとこう」と、自分の国のこと、きびしく叱って貰うと嬉しくて得意な気分になれる新聞記者流の心理というのは、一種の変態性欲じゃないかと思うんだけど、国民の大多数は別に変態じゃありませんからね。もっと皆健康ですよ。』『どんな国の人だって、自分の国はいい国だよと子孫に教えたがるのが自然でしょう。山本夏彦さんも、自分の国の悪口は誰も言いたがらないし言わないものだ、それが健康なんだ、だから私は健康が嫌いだと大変含蓄のある皮肉を書いています。』一見にしてパヨども、アカどもは“不健康”に見えるのですが、それは日本という共同体の仲間として見るからそう見えるだけで、日本という共同体の仲間ではない、アカどもなら日本とは線を引く共産党という共同体として見るなら非常に“健康”なんですよね。アカども、パヨどもが真の意味で“不健康”になるのはいつの日になるのやら。そして毎日変態新聞、過去の騒動が原因で変態扱いなんですが、こちらの意味でも変態というのがね。私はLGBTQのQを指して『変態は死んでも治らない』と言いましたけど、こちらもまた、死んでも治らん不治の病なんでしょうね。さて、脱線が続きましたが、「これでもまだ足りない、もっとぶって」と変態趣味全開の変態の反応でも>この社説は「負の歴史から目を背けるようなことがあってはならない」と、大変控えめな姿勢で始まっていて、権力の座にある政治家をあまり刺激しないようにとの「配慮」があるような気配を感じざるを得ません。まあ、ねぇ。変態どもは「『反省している自分は素晴らしい』とできるから、6000が事実だと言え(だけど根拠を問われたら「6000は形容詞」で逃げます)」でしょうから、6000に言及しない時点で物足りないのかもしれませんけどね。>こういう「おとなしい」批判では、松野や小池のような根性の悪い政治家に「反省」を迫る効果は期待できず、良心的な読者に「注意」を促す効果も希薄だと思います。私は毎日変態新聞が根拠とした資料から「6000については実現不可」と明示しましたけれど、この変態は何を担保に反省しろと騒ぐのでしょうね? 正直、私ごときに詰められて「6000は形容詞」と逃げた時点で、『自分が自慰できるから認めろ』以外の何物でもないのですがね。>大地震のような非常時に、誰かが変なデマを流すとたちまち武器を持って集まって差別意識をむき出しにして傷害致死事件を引き起こす者たちが、日本には一定程度存在することを、松野や小池のような「政治家」は計算に入れた上で、自分たちは「そのような公文書は存在しない」とか「何が事実かは、歴史家がひもとく」などとテキトーなことを言っていれば、後は「一定程度存在する」者たちが「関東大震災時に、虐殺など無かったのだ」と主張して歴史を改ざんする活動をやってくれると計算しているものと思われます。ダラダラ長いですけど、『変なデマに流されて、差別意識剥き出しで騒いでいる』のは他ならぬ佐原なんですよね。なお、佐原の大好きな某吉見なんかも一応歴史家の類に含まれるのでしょうけど、目の前のことさえ否定できればいい佐原にその辺りの整合性を求めるのは難しいのでしょうなぁ。>毎年、9月1日に都立横網町公園で開かれる「朝鮮人犠牲者追悼式典」に対し、同じ公園で同じ時間帯に右翼団体が「朝鮮人虐殺はなかった」と主張する集会を計画し、昨年も一昨年も東京都はその右翼団体に「公園使用許可」を出しました。この右翼団体は、集会を開く度に都条例に抵触するヘイトスピーチを行なっていると東京都が認定しているにも関わらず、都はこの団体に対して「都立公園の使用を許可」しており、今年は事もあろうに、その右翼団体が「追悼碑」の前で集会をしたいとの「申請」に「許可」を出したと言われております。身も蓋も無いけど【基準を満たせば許可は出る】。基準を満たしたのに許可が出ない方が大問題でして。ぶっちゃけ、佐原の戯言は【四の五の言わず俺の言う通りにしろ】以外の何物でもないのですよね。さて、『憂国の士が国を亡ぼす』。勝海舟の言葉らしいですけど、独善の(しかも多々間違っている)正義感で動くと混乱が起こるわけでして。その点で言えば、佐原も酷使様も向いてるベクトルが違うだけで同レベルなんですが、気づくことは無いのでしょうな。
2023.09.23
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まず、こちらを。https://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/202309080000/元ネタは東京新聞ですが、毎年恒例のネタですね。>1923年の関東大震災から百年。当時の朝鮮人虐殺について、否定する声も一部で残る。東京都の小池百合子知事は、虐殺犠牲者を含む震災犠牲者への哀悼の意を示す一方、9月1日の追悼式典への追悼文送付は今年も見送る。節目の年に、私たちは歴史にどう向き合えばいいのか。在日朝鮮人の歴史を専門とする東京大大学院の外村大教授は「事実は事実として語り継ぐ必要がある」と訴える。そうですね。少なくとも虐殺数とされる6600の内、4000に関しては証明不可能で事実認定できないことを語り継ぐ必要がありますね。都合が悪くても、事実は事実ですから。>「証言も資料もある。『全然知りませんでした』という人には、資料を見せればいい」。外村教授に虐殺の事実関係について尋ねると、こう答えた。当時の証言や資料のほか、東京都の「東京百年史」や政府の防災会議の報告書、教科書にも記述があるという。いや、ねぇ。当時の政府すら雑に言えば200名程度は認定しているのですから、それ明示するだけで一発でしょうに。今の教科書だの都や今の政府の報告よりも、一次資料として確実ですからね。まあ、なぜかこの手の連中、権威主義で「政府が言ったぞ」だの「学者が言ったぞ」に弱いですからね。それ故でしょうね、都知事が追悼出さないことに関して騒ぐのは。何せ、出してくれないと「都知事も認めたぞ」と言えないですからね。そんな下らん事よりも、一次資料を見せるほうがはるかに有意義だと私は思いますけどね。>虐殺そのものをなかったとする見方の背景については「普通の町で暮らしていたごく善良な日本人」が加害にくみしたことから「否定したくなる気持ちは人間の感情としてある」と分析する。自称リベラルと対をなす酷使様ならともかく、6600という数字を否定しても「虐殺は無かった」なんて言う人、まず聞かんのですがね。>虐殺の被害人数については、当時の調査が不十分だったとして「正確な数は分からないとしか言えない」と説明する。その上で、政府の防災会議が、10万5千人あまりとされる死者の「1~数%」としていることに触れ「たとえ少なく見積もった数の千人だとしても、大変な社会的影響力をもった歴史であることを考えないといけない」とした。さて、以前も取り上げましたけどhttps://plaza.rakuten.co.jp/dohdemo/diary/202303090000/『この節では殺傷事件の概要を述べるが、当時の混乱の中では同時代的にもこの種の事件のすべてを把握することはできず、また、後に述べるような政府の対応方針もあって、公式の記録で全貌をたどることはできない。現在までの歴史研究や掘り起こし運動はこの欠を補い、災害の教訓を継承する活動としても有意義である。しかしながら、本事業の目的は歴史的事実の究明ではなく、防災上の教訓の継承であるので、これらの成果の概要についてはコラムに譲り、以下では当時の公的記録と公文書に依存した叙述を行う。』これ「1~数%」と触れた直後の文章でして。別に「数%だから6600も事実認定できる」ではないのですよね。そして、「少なく見積もった数の千人だとしても~」とするのであれば、それこそ虚偽を含む6600に拘る必要が一切ないわけでして。6600に拘って「6600は出鱈目だとしても、相当に被害があった」とする者まで差別主義者だ歴史修正主義者だとレッテル貼って敵に回して、それでいて「事実は事実として語り継ぐべき」言われてもね。「それ、『君らにとって都合のいいことを語り継ぐべき』だよね」と皮肉の一つも言いたくなる。>朝鮮人犠牲者を含めた震災犠牲者全体に哀悼の意を示す一方、追悼式典への追悼文送付を見送る小池知事の対応を巡っては「曖昧でちょっとがっかり。なぜここまでかたくななのかよく分からない。語らないことが臆測を呼び、人々が歴史を受け止められなくなる」と指摘した。単純ですよ。追悼云々と騒ぐのは6600を事実認定したい側で小池の票田とはならない。一方、6600は出鱈目とする側は小池の票田なりうる。票にならないことを、緑の狸がやるとでも?(なおこれ、佐原のとこのコメントが開いていた時のコメンテータ諸兄の指摘なので、二番煎じです)>その上で「自治体トップが、関東大震災でこんな痛ましい事件が起きたことをはっきりと認め、二度と起こさぬよう追悼の意を示すことが必要」と述べ「事実は事実として説明し、歴史否定的なデマは間違いなのだと、メッセージや行動で示してほしい」と願った。前にも書いた気がしますけどhttps://plaza.rakuten.co.jp/dohdemo/diary/202209130000/『そもそもの話、都知事が当時の政府の発表を根拠に「震災死込みで800余名が被害にあった」あるいは「当時の吉野による調査結果はまだしも、他は出鱈目なので6,600余名は出鱈目であり最大で2,613名が被害に遭った」と言われて納得するのか。「数の問題ではない」ならば、極論言えば「被害は0では無かった」の根拠になる「震災初期に判明している200余名」だけを事実認定しても「数の問題ではなく、事実として被害があった」を認めているので何ら問題が無いわけですが、それで納得するのか。』6600の事実認定のためではなく、震災の教訓として追悼を欲するなら、マジでこれでも十分なはずですがね。「6600を明確に否定してもOKですか?」と一度聞いてみたい気もしますね。では、続けて、こちらもどうぞhttps://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/202309100000/今度は神奈川新聞ですね。>だが小池氏は知事就任2年目の2017年以降、送付していない。追悼式典とは別に、都慰霊協会が主催する大法要に参列して「大震災と、その極度の混乱の中で犠牲になられた全ての方々に哀悼の意を表している」というのが理由だ。いや、だって、ねぇ。その石碑、6000が事実であるかのように明記されてますもの。で、確か、小池の支持層から「その文言を削れ」という要望が出ていたはずでして。>朝鮮人虐殺については、政府の中央防災会議が09年にまとめた報告書で、震災後に警察や軍隊、住民による朝鮮人らへの殺傷行為が多発し「虐殺という表現が妥当する例が多かった」と明記。犠牲者を千~数千人と推計している。やはり以前取り上げましたけど『殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。』別に数千の被害があったと明示しているわけじゃないのですよね。以前も挙げた気がしますが、正確な数字がつかめないが故の数パーセント表記と見るのが妥当でしょう。>昨年には、小池氏のこうした姿勢が都職員に影響した可能性をうかがわせる出来事もあった。>アーティストの飯山由貴さん制作の朝鮮人虐殺に触れる映像作品について、都立施設の企画展関連事業での上映可否を検討する過程で、都人権部の職員が「朝鮮人虐殺を『事実』と発言する動画を使用することに懸念がある」とのメールを施設担当者に送っていた。小池氏の追悼文不送付にも触れていた。以前佐原が取り上げていて、それを元に私も書いた記憶がありますけどhttps://plaza.rakuten.co.jp/dohdemo/diary/202211190000/この時は東京新聞が元ネタであったようですね。当該箇所を佐原の日記から再度抜粋するとhttps://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/202211180000/『関東大震災時の朝鮮人虐殺に触れた映像作品の上映を東京都が認めなかったことについて、都人権部は28日、上映禁止の理由を「精神障害者の人権という(企画展の)趣旨に沿わなかった」と強調し、小池百合子知事への忖度を否定した。一方で、人権施策推進課の職員が小池知事の歴史認識に配慮するメールを、都人権啓発センターの担当課に送っていたことは認めた。 都人権部の担当者は「職員は朝鮮人虐殺が歴史家の見解が分かれる史実だと意識し、内容を確認する意味でメールを送った。映像を採用するかしないかに都知事は関係なく、(都知事という言葉は)必要ない表現だった」と釈明した。』で、こちらでも取り上げていたので再度佐原の日記から抜粋するとhttps://plaza.rakuten.co.jp/dohdemo/diary/202211290000/https://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/201709030000/『追悼式は「あやまった策動と流言蜚語(ひご)のため6千余名が尊い生命を奪われた」と刻まれた追悼碑の立つ都立横網町(よこあみちょう)公園(墨田区)で開かれる。3月の都議会で自民党都議が碑文の記述を問題視。ネット上などで「6千人虐殺には根拠がない」と主張する団体が9月1日、同公園で別の慰霊祭を開くと予告している。声明はこうした動きに触れ、「小池知事は特定の政治的潮流に迎合した」と懸念も表した。』こういうのを勘案すると、6600という数字を事実としたいパヨチン側と、その事実認定に使われたくない小池側というのは、あながち間違いじゃないと思ってます。そうすると、『職員は朝鮮人虐殺が歴史家の見解が分かれる史実だと意識し、内容を確認する意味でメールを送った。』というのも6600を巡っての確認と見ていいんじゃないかなと思いますね。>結局上映は認められず、都は理由を「精神障害の理解を深めるという企画展の趣旨にそぐわなかったため」と説明。メールに関しては「殺傷事件を否定したものではない」と釈明した。1930年代の精神障害に係る話なのに、1923年の関東大震災をねじ込むとか『企画にそぐわない』言われて当然ですし。また、6600を否定しても殺傷事件そのものの否定とはなりませんし。パヨチンどもは何故か『6600の否定=虐殺の否定(=0)』とやりたがるけどね。>飯山さんは「都知事への忖度(そんたく)としか思えず、こんな形で表現の機会を奪われることはあってはならない」とし、都庁前で抗議行動を続けている。いや、当時私も突っ込みましたけど『1930~40年の精神科病院を元に「障害者と人権」について語るというときに、1923年の関東大震災がどう関連するのか。「朝鮮人は皆精神障害者であり、それが原因で井戸に毒物を入れるような仕草をしていて、デマが事実と認識された(だから虐殺された)」とでも言いたいのでしょうか。関連性が無いことを捻じ込もうとすれば、それは当然に弾かれるとしか。』>追悼式典の宮川泰彦実行委員長は「自然災害の被害と、人の手による犠牲は違う。過ちを繰り返さないために、未来に語り継ぐ必要がある。100年という節目に、碑に込められた思いに都が正面から向き合う必要がある」と訴えている。ええ、だからまずは1.吉野作造による聞き取り調査:2,613名2.神奈川で遺体を発見できなかったから虐殺とした:1,795名3.府県名と名前のみの一覧:2,256名この内の2.3.が事実であることを証明し、碑に記載された6000云々が成立し得ることの説明が必要ですよね。それもせんと「6000が事実」であるかのように言われても、「そりゃ違うよね」となるのは必然でして。なお、聞き取り調査も重複を含むそうなので、この数字も過大ではあるのですが、一旦仮置きとして『被害は200余名(当時の政府資料)~2600余名(民間聞取り調査)』とするのはやぶさかではない。これだけでも「虐殺は0だ」という酷使様どもを封じることができるのだから、「未来に語り継ぐ」が主眼なら受け入れてくれそうですがね。まあ、現実は、6600として兎角日本を悪く言いたい、自分らは反省しているから高みにあるとしたいパヨチンどもでは、受け入れは困難(というか不可能)でしょうけど。佐原の反応についてはまあ、相も変わらずなので割愛します。そもそも、歴史改ざんしているのは「6600は事実」としているパヨチンどもなんですけどね。
2023.09.11
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まず、こちらを。https://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/202309020000/元ネタは東京新聞ですが、どうも共生と寄生を理解できていないようです。前半についてはまあ、経緯が判らんので保留しますが。>1910年の韓国併合の後、日本の植民地化による朝鮮での貧困の拡大と、安い労働力を必要とする日本の職場や政府の存在を背景に、多数の朝鮮人が日本に渡った。朝鮮半島の経済に関しては、併合以前から当時の感想で「1000年遅れている(=平安時代程度)」なわけでして。併合以前から極貧であったわけですよ。そうすると、併合となったら「日本人より安価に朝鮮人を使った」としても「朝鮮人からしたら十分な報酬になる」わけですね。それが併合当初の朝鮮人移入の原因とのこと。ただ、急速に移入が進むと当然ながら治安も悪化する(元が平安時代ですからね。日本も鎌倉武士の振舞とか畜生そのものとの話もありますし)、しかも本来朝鮮の発展に寄与すべき労働力が流出しますから、当時の政府も移入制限をかけています。警務総監令第 3 号「朝鮮人旅行取締ニ関スル件」がそれとのこと。>戦後、生活基盤の喪失や南北分断などにより帰還を断念した朝鮮人が約60万人残った。日本政府はこれらの人々を、一律に外国人として管理統制と排除の対象とした。排除したもなにも、三国人(戦勝国民を名乗っていた朝鮮人どもに対し、「戦勝国でも敗戦国でもない、無関係の第三国人だ」としたのが語源)として暴れていた朝鮮人に対して、「君ら敗戦国民よ」と管理できたでしょうかね。>「見えてきたのは、日本による朝鮮の植民地支配から続く『非対称な関係性』だった」。朝鮮人は戦前は皇民化の対象だったが、戦後は外国人とされ、さまざまな権利から除外された。前述通りで、朝鮮人を敗戦国民として扱うことが可能であったでしょうかね。三国人の横暴ぶりを聞けば【敗戦国民扱いとか無理】となること確実でしょうけど。>「植民地支配で生まれた主従の力関係は、戦後も国籍問題に形を変えて続いた。日本人を相手に『帰れ』と言い返すこともできない」そりゃアンタ、ここは日本であり「日本人が帰る国」ですもの。朝鮮人が帰る国は韓国なり北朝鮮なわけでして。なので、日本人が韓国で不当な要求をしたら、韓国人から「日本に帰れ」言われるのは当然ですし、「韓国人相手に『帰れ』と言い返せない」と件の日本人が言ったところで「君、頭おかしいよね」となるのも当然なわけです。日韓入れ替えるだけで、この手のバカどもでも無理筋なのを理解出来そうな気もしますがね。>加害側の言葉はパターン化しているのに対し「被害経験は、生きてきた人生の数だけ多様だった」という。返す言葉を失わせる沈黙効果とあきらめ、なぜ自分は生まれてきたのか、という自己否定、周囲の日本人への警戒と不信感、見て見ぬふり、反論・反撃―。被害を受けないように、ルーツを隠して生きることを決めたという人もいる。在日韓国人として生まれたのなら1.祖国韓国に帰って発展に尽くす2.日本に帰化して日本の発展に尽くす3.外国人として日本で暮らすこのいずれかでして。返す言葉も何も「近々帰国予定です」でも「帰化予定です」でもいいし、あるいは「外国人として日本のルール守って生きてますよ」でもいい。ルールを守る人間まで理不尽に叩くほど人は馬鹿ではないですよ。でもね4.祖国に帰りたくない、日本にも帰化したくない、でも権利だけは日本人と同等にしろ。優遇しろ。これでは帰れだ市ねだ言われるのもむべなるかな。>板垣さんは「ヘイト解消法に定める危害や侮辱の言葉ではないが、共に生きることを否定するのが『帰れ』という言葉。私にとって、これほど苦しくなる意見書はなかったが、日本人の責任として、きちんと伝えないといけないと思った」と力を込める。共生て、アリとアブラムシがいい例でしょうけど、相互の助け合いが無いと成立しないわけでしょ。寄生も一応共生に含まれますけど、それを強制するとか論外では?>一覧表にある被害経験を読むと胸が締め付けられる。「祖国に帰れ」と言われた人々がどれほど苦しんできたか。身を守るには押し黙るしかないという状況も理不尽そのものだ。今に至るまで繰り返されてきた歴史は重い。十分に手を打たずに来た日本社会の姿勢も問われている。(榊)知ってますか? 悪質な在日朝鮮・韓国人どもによる被害者て、【日本人】と【真っ当な在日朝鮮・韓国人】なんですわ。で、マスゴミ各社、悪質な在日朝鮮・韓国人どもを確り報道していましたか? 第三国人すら隠蔽して、それを明示した故石原元都知事を非難していたのが実態でしょうよ。これでは悪質な寄生どもを排除できない。これで共生言われても、「君らの言う共生て寄生でしょ」で終了でしょうよ。佐原の戯言についてはまあ、「相も変わらず独裁指向だな」としか。
2023.09.03
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まず、こちらを。https://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/202308310000/元ネタは東京新聞ですが、まあ、何というか、ね。>「強者には従うというだけなら報道機関はいらない」―。これは本紙7月24日朝刊に掲載された、喜田村洋一弁護士の言葉である。そうですね。自民党や自民党政権みたいな『いくら叩こうと実害の無いサンドバック』を叩いたところで、「強者に従わない」なんてならないわけでして。「強者に従わない」をやりたいなら、故ジャニー喜多川が【存命中】に実害出ること承知で報道するべきでしてね。故人になって、実害が無くなってから騒いだところでサンドバック殴っているのと変わらんのです。そういえば、某AKBと言えば元センターが枕営業やらされていただの、姉妹揃ってAV堕ちしただの、あるいは研修生とやらがAV堕ちしただのと噂含めて黒い話が転がっておりましたね。プロデュースした人間は存命中ですから、是非とも「枕営業をやらせるとは何事か!」と強く非難、継続して報道してもらいたいものです。それが【強者に従わない】ですからね。>「台湾有事という言葉を知っていますか?」>「知りません」。>これは、沖縄県の宮古島に遊びにきていた若者にテレビの取材者が聞いた時のやりとりである。仰天した。軍拡費43兆円も、南西諸島への自衛隊配備も知らない。言葉を額面通り受け止めたとして、興味のない事なら知らんで当然でしょうに。それと、遊びで、つまり観光で来ている可能性が高いというのに、変なのに絡まれて時間を無駄に費やしたいと若者が思うでしょうかね?>集団的自衛権行使容認も敵基地攻撃能力の保有と予算決定も、その決定の是非を巡る議論も、テレビ放送や新聞で毎日のように報道すべきことだが、されてこなかったのではないか。いや、東京新聞でも普通に報道していたでしょうに。佐原が複数取り上げるくらいには。そして、イデオロギー優先が原因なのか、割と否定的な論調なのが多かったはずでしたね。>その著書『分断と凋落の日本』(日刊現代)には、報道が伝えてこなかった日本の現実がデータとともに示されている。その中には、日本はあと3年ほどで経済破綻するだろう、と官僚が語る場面もある。現実は3年後の2018年でも日本経済は破綻していないわけでして。こいつの集めたデータが悪いのか、データ分析が悪いのか。ただね。>データをどう読むか、責任はどこにあるのかは諸説あって良い。しかし事実を知らなければ、議論も投票も軌道修正もできない。経済状況なら基本的に数字の世界ですね。某官僚とやらがパヨチンどもに忖度して数字を捏造した、あるいは分析を捻じ曲げてわざと悪い方向に結論つけたのであれば、それは『事実を知らせない』に等しいわけでして。>知りたいのは政治家のお題目ではない。実際の行動や決定が公正か、閣議決定がどう作用するか、司法は国民の側に立っているか、日本経済のかじ取りは今のままで良いのか等々、報道によって判断しなければならないことが山とあるのだ。そのためには【事実をありのままに報道する】必要があってですね。例えば福島第一の処理水なら「処理水を海洋放出することを政府が決定した」「処理水についてはIAEAの基準を満たしている」とそのまま報道してくれればよい。是非の判断は受け手であるこちらでやるので。変に角度つけて「汚染水ガー」だの「科学的に正しくても~」だの戯言はいらんのです。>とりわけ「台湾有事」という名で政府が可能性を示している戦争については、国民が自ら考えなくてはならない事柄がある。自分たちの生命と生活についてだ。台湾有事、ということは『中国が、力による現状変更を選択した』でして。そんな国が日本に対して牙を剥かないという保障がどこにあって?>最優先事項は戦争回避の努力だが、果たしてなされているのだろうか?防衛力増強を進め『中国が戦争により得られる利益より、戦争による損害が大きくなる』ことで戦争抑止につなげようとしていますね。「キュージョーキュージョー」と念仏唱えて戦争が無くなるなら、とっくの昔に戦争は撲滅されておりますよ。>日本が戦場になった時の、あるいは原発施設が攻撃された時の避難方法と避難場所は、設計されているのか?避難等は有事法制で対応されるはずですね。さて、有事法制に「戦争になるぞ」と騒いで反対していたのはどこの東京新聞でしたかね?>戦時の日常を想像できない人が戦争に容易に賛同する。報道機関は「人が生きる」その足元に立って、国民の想像力を喚起し、問題を提起してほしい。『治に居て乱を忘れず』これで十分なんですがね。その程度も理解できないのが有事の備えを「戦争への賛同」と騒ぐ。ところで、東京新聞の社内システムは「外からの攻撃は絶対にない」として、各種セキュリティを持たないノーガードなシステムなんでしょうかね? この手のバカの戯言を聞く限りにおいて、バカどもは「セキュリティなんて金の無駄」と騒いでくれそうな気もしますがね。では、サンドバック叩いて正義面している愚か者の反応でも>政府が平和憲法の精神を踏みにじり、敵基地攻撃能力だの沖縄県への自衛隊基地新設を実行しても、国民は気にも留めずに海水浴を楽しむという「異常な事態」になっている。憲法の精神ねぇ。では、日本高憲法前文から『われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。』この精神から外れた国があってですね。北朝鮮と中国、ロシアが確実に挙がるわけなんですが、佐原がこの2国を批判したとは一切聞かないですねぇ。『われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。』こちらも北朝鮮と中国、ロシアがこの精神から外れた国として確実に挙がるわけですが以下同文。憲法は9条だけではないのですがね。そして、佐原の大好きな憲法9条にしても『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』これ、『日本からは紛争の積極的な解決としての戦争、それに類すること(事変の類)をしない』なんですがね。敵基地攻撃能力に関しても、1956年の答弁だと『わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います。』限定的な条件ではありますが、敵基地攻撃能力を持つのは自衛に含まれるわけですね。この自衛すら否定すると『敵(米国)がいる内は憲法違反でも軍隊を持つ』とほざく共産党なんぞ佐原の批判対象となるわけですが、佐原が共産党を批判したとは全く聞かない。>上の記事が指摘するように、最優先事項は「戦争回避の努力」であるが、果たしてなされているのか? 答えは「否」だと思います。そりゃ、中露や北韓の狗である佐原なら、そいつらによる侵略、恫喝が失敗しかねない日本の国防力増強に反対するでしょうなぁ。>歴代自民党政権は、吉田茂や田中角栄の時代は別として、アメリカの顔色をうかがうばかりで、アメリカの言いなりに行動はするが、自発的に行動したのは田中角栄政権の「日中国交正常化」事業くらいのもので、その後は要りもしない武器や戦闘機などを買わされて、今また「台湾有事」のときは米軍に変わって自衛隊が戦闘行動が取れるように準備をしている。次世代主力戦闘機のF35の購入を決定したのは2011年、つまり民主党政権においてなんですがね。まあ、佐原からしたら自民党はこの世全ての悪であり、戦闘機購入も悪神アベの所業でなければならないのでしょう。ですが、せめて手前の取り上げた記事の>しかし事実を知らなければ、議論も投票も軌道修正もできない。これくらいは実行してほしいものですね。>国民の同意もないままに、勝手に戦争準備をしている実態を、勇気をもって国民の目の前に見せてくれる骨のあるジャーナリストの登場が期待されます。登場するといいですね(棒)まあ、ぶっちゃけ、自民党や自民党政権みたいな『いくら叩こうと実害の無いサンドバック』を叩くしか能がない連中に期待すること自体が間違いですがね。
2023.09.02
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