2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全21件 (21件中 1-21件目)
1
と、今気が付いたdravenです。昨晩からの母方親戚宅に尽くモロトフカクテルでも浴びせてやろうかという(失礼)ブチキレ、父親曰く”人生のロス”は、午前中、意中の癒しの女神様とお話が出来たので中和。むしろ中和を通り越し、お肌に優しい弱酸性。気分はむしろハッピー。いつもながら単純な私。
2006年02月28日
コメント(3)
言葉が汚いが勘弁。さて昨日の事になるが、母親、姉、長女である私から見れば伯母(という関係であること自体がいやだが)が、母親に電話を掛けてきた。母親の面倒事(精神病)に関しては全く無視してきた、母方の姉兄弟だが、面倒事だけは、持ってくる。母親も結局、実家と縁を切れない弱い人で、関わってしまう。自分の病状が悪い時、姉兄弟にどういう仕打ちを受けたかということもあの人にとっては、あの姉兄弟がどういう人種であるかという事を学習する種にはなっていない。要は、母方の婆さんを老人ホームに入れるという話だ。母の兄弟は嫁の手前、それが良い。特に兄は在宅でヘルパーだのなんだの、自分は何も出来ない、何ももする気のないお嬢様育ちの、あの婆さんの為に色々と面倒をやってきたわけで、そりゃぁ老人ホームに入ってもらえれば楽であろう。が、母の姉という人は一番歳が上なので、気に食わないと、口を出す。そして、味方としてうちの母親を巻き込もうとする。ツレだってトイレに行く小学生の女子と同レベルの人間だ。○○さんが悪いわよ~ねぇ?△△ちゃん?とかやらないと気がすまないガキなわけだ。そういう一方的面倒事自体、何度も何度も巻き込まれているのに、当の母親は学習する気配もない。姉の思惑通り、兄弟に老人ホームの話について、苦言の電話をする。親を馬鹿よばわりするのはなんやろとかあるかもしれないが、私は儒教はクソ食らえなので、敢えて言うが、あの母親は馬鹿だ。上手いこと利用だけするあの姉にしろあの母親の兄弟は言うまでもない。朝、父親と話をした。「(母親を)可哀想な人だと思えばそうではあるが、もう事ここに至ってはそう思って気をもむことさえ、人生のロスだ。お前も考える必要はない」「ワシに何かあっても、○○(母親の実家)の人間には知らせなくていいし、来ても帰ってもらってくれ」私も大して何も父親に迷惑ばかりで孝行などできている人間ではない。が、もし父親に何かあったら、または自分が結婚するなら、全力で母方の親類共は追い返そうと心に誓った。世間体だけは気にする連中だから来るだけきやがるから。クソ共めが。とか気をもむこと自体が精神的無駄に思える。嗚呼、私はあいつらと血が繋がっていて、自分の血に混じった幾ばくかのあの穢れた血を自分で変えて行かねばならんのだと改めて感じた。P.S. こうやって思ってしまう事自体がまた母親と同じように血に呪縛されているようで自分が腹立たしかったりもする。とりあえずあいつらには関わらないで欲しいがそれでわざわざ不快になったりする事自体、父の言うように”人生のロス”だ。気にしないようにしないといけないなぁ・・
2006年02月28日
コメント(2)
生活に張り合いが出来るというか。いつもと同じ部屋なんだけれど、小さな一輪差しの華が増えたような。いつもより少しだけ、頑張ってみようかなっていう力になる。まだ全然本調子なんてものにはほど遠いのだけれど、体調とか音楽に対する姿勢はなんか実際、自分の意志として変わってきている気がする。作曲はまだ出来ない。代わりに文章を書いてみたりしている。ギターの腕はすこぶる調子も良い。色んな事に不確定要素は多いけれどもとりあえず、と思えるのは悪くない傾向じゃないかと思う。そこにある華の力に、全く頼ってしまっては、華の咲く力を奪ってしまう。失った時に自分は崩れてしまうのを知っている。だから、華には届いても届かなくても、手を伸ばす自分の在り方に本分を置かなきゃならないんだと今は思う。背中を押す力は貰っても、自分を引っ張ってもらうのはもう卒業しなければ。私の今できてる事少しずつ拡げて行っている何か、なんて世間的には見ればちっぽけな事で笑止かもしれないけれど、今はそれでも良い。自分に、華に、音に、心に、手を今は伸ばそうと出来てる事だけでも、ずっと責め続けている自分を、今少し、少しだけ赦せるかもしれない。
2006年02月27日
コメント(0)
なんや、ほんとひと言ひと言に一喜一憂。月湖ねえさま、ほんまカキコありがとうでした。あのあと、メールして、返ってきまして、大丈夫でした。多分。はぅ。ご心配おかけしました。今日は朝から良い天気。元々は一人なのだから、と。自分に言い聞かせて。朝、加入するかもしれないバンドの人とスタジオで合わせる予定なので、一曲久しぶりにスコアを起こしたりして。ちゃんと自分の耳は衰えてない。スコア起こしたらすぐに弾けるし、ギターの腕もまずまず。三日前から始めた、自分の好きな曲を聴きながらの20分程続くラジオ体操も一通りこなし。程よく体も動かして。きちんと自分を充実させてさせておかないと、本当に一憂になったときに、どうしようもなくなるから。自分整えた上で、単刀直入にメールしてみた。気にしないで下さいって返ってきた。まぁ、今日も捨てたものじゃない日かもとか思う。良い天気がうらめしかったのが、一転、気持ちよく感じられる。単純。
2006年02月24日
コメント(4)
俺の馬鹿が。今日は寝よう。
2006年02月23日
コメント(2)
簡単な事ではなくて。彼女の言う事を信じるなら彼女は「恋愛感情を持ち合わせていない」からお付きあいとかは考えられない。今は右手にはめている指輪を私にくれた女性も、昔私に同じ事を言った。重なりそうになるけれど、でもそれは失礼だから。みんな、違う一人一人。同じ人じゃないから同じようには行かない。体の良い断りとちゃうかとも思ったけど、相変わらず、むしろ段々うち解けて話してくれるし、まいいか。別に万一騙されててもいいやと思う。よく、「よくも私の気持ちを踏みにじったわね」とかって台詞があるけどもあまり好きじゃない。好きになるのは自分の勝手。相通じるまでは勝手な気持ちなんだから踏まれようと抱きしめられようと文句なんて言えないと思ってる。ま、好きかもと思った以上、踏みにじられても良い覚悟だから、頑張るだけ頑張ろうと思って。相手を変えようっていうのは傲慢で、そうではなくて、なんか付き合うとかは置いておいても良い関係を築ければ互いに何か影響与えて良い方に変わって行けるかもって思う。なるだけ近くに居たいかなぁと思う気持ちが少しやっぱり恋愛じみてるんだろうな。この間まで滅多に充電しなかった携帯電話が、1日に一回充電が必要になってなってきてる。
2006年02月23日
コメント(0)
”私って癒し系?とかって調子に乗りますよw”乗って下さい。私にとってはすごく癒し系です。”あははw いや俺にとっては癒し系ですw”馬鹿丸出しです。自分でも解ってますが、なんだかもう頭がふわぁです。会って幻滅されるのが怖いですけど、と言われて、ああ、深読みするな、冷静に、と思いながら。でもなんだか朝から久しぶりの感覚。嗚呼、私、恋とかしてるのかもしれねぇ。冷水で顔を洗ってみても、頭は冷えない。
2006年02月21日
コメント(2)
他愛ないメールの内容を覚えていてくれたこと私に聞いて欲しかったっていう言葉自分が"それだけだよ"冷静に言葉だけ受け取ろうとする自分とただただ無邪気に、嬉しくて心躍らせる自分とに分裂する私も聞いて欲しかった歌を送るその人から受け取った曲を一晩中流しながら眠った。
2006年02月20日
コメント(0)
色んな事が絡み合って自分の状態が今こうあってちょっと胸にある予感ま、努力なんだろうけどね。
2006年02月19日
コメント(0)
ずっとずっと自分を苛んでいた気持ちがなんだか優しく解けていって涙が出て自責や後悔や色んな感情が流れて行ったありがとうあれから初めて二人の時間が自分の中で糧に変わった気がするまだ、私には”手”もきっと残っているまた誰かを愛せる
2006年02月15日
コメント(2)
おれんぢちゃんに言われて今日がバレンタインだということに気付いたdravenです。幸か不幸か、今年は何も御座いません。当然です(苦笑)「いつも、バス停でバスを待っているところを見てたんです!」とか言われて見知らぬ女の子にチョコを貰って付き合ったのもうはや○年も前になるわけで、そんな学園漫画みたいなアレはこの歳で望むべくもありません。「いつも、見ててマゾじゃないかと思ってたんです!」とか言ってくれる女性は居るかもしれませんが。いや、いないかなぁ・・・(ぉぃなんか日本人ってイベント好きですよね。ちなみにヴァレンタインは元々神戸のモロゾフが仕掛けたらしいです。昔、私は男の子も女の子にチョコあげられたら、想いを告げるきっかけ、理由が出来るのになぁ、とか想ってましたが、そんな純情だった少年は、こんな直情ラテン系、なのに鬱という複雑な風に育ってしまいまして。好きだと想った時に好きだと言うので、別に季節モノイベントのチャンスをどうとか、ってのは全然関係ないんですね、残念ながら。で、まぁなんにしても、口説き落とせるにしろ、玉砕するにしろ、”好きだぁ~!” Ti amo! と、言う相手が居ないと意味がないんだよなぁ・・・・。振られても良いからなんか、口説きたい。(アホ)昔イタリアに滞在しとったとき、仲良くなった16歳のオーストリア人の美術学生の女の子が居たんです。ゲルマン系(とりあず赤ら顔で太ってらっしゃる女性が多かった)にしては綺麗な黒髪の子で。なんかちょっと仲良くなって語学学校の合間のお茶とかご飯とか一緒してたんですが、あるとき「貴方、ドイツ語は話せるの?」と訊かれまして「いや、僕のの知ってるドイツ語は”Ich liebe dich”だけだよ(笑)」と、なんの気なく冗談のつもりで言ったら、その彼女が(肌が白いだけにすごくよく解るくらい)真っ赤な顔になって下を向いてしまって「滅多なことでそんな事言わないで・・・」と恥ずかしげに言うたのです。今となっては良い思い出。って・・・何故ここで口説かなかったのかしら私!?なんか妙な事を思いだして後悔する、そんなヴァレンタイン。ヴァレンタインとなんも関係ないね。うん。
2006年02月14日
コメント(8)
囲め 囲め籠の中の鳥はいつ いつ出やる
2006年02月13日
コメント(2)
外に出た。霜に凍った世界が白い月に照らされている。清浄に冷えた空気。ヒトの気配はなく月明かりは注意深く穢れたものを避けて地上に光を配ってゆく見慣れた世界が幻のように異次元にシフトして私はなんだか良い気分になって部屋で暖かくて甘くないココアを飲んで睡眠薬を飲んだ
2006年02月12日
コメント(0)
私の事を”自分の事も親の事もよく客観的に見て分析してる””とても繊細””個性的でそれはとても素敵よ、抑え付けるとストレスになるでしょ、解き放つ事も大切よ”と言って下さる。”繊細ね”とか”素敵”とかそういう評価を親や目上の人だとかにそうやってめんと向かって言われた事なんてあんまりほんと無くて、最初のセッションで今までの事を話して”大変だったのね”って言われた時なんぞは恥ずかしながら涙が出そうになったし、いつも、話し終わると涙が出そうになる。sex(生物学的性別)としての男性に私は迷いはない。けれどもgender(文化的性別)としての男性には迷いや抵抗がある。† † † † † † † † † † † † †※余談だけれどもジェンダーってフェミニストがよく使うけれども、(特に極論者の使う)フェミニストの使うジェンダーって言葉には抵抗がある。なんだかそういう人達の言うジェンダーは意味合いが違ってきてる気がする。フェミニスト運動っていうのを私は否定しない。けれども名前としてfemmeっていうのがおかしくないかしら?日本語にしたら女(femme)主義者、なわけだろう?じゃぁhomme、男は?そこをラディカル・フェミニストは考えない。もしくはこれまでの雪辱を果たさん、とばかりに女性優位でも構わないような事も言う。その隙を突いて、私の嫌悪する保守的男根主義者共(ラディカルオムニストとでも言えば良いのかしら)は、男性の支配的優位性を死守すべく、ラディカル・フェミニスト達と、不毛で程度の低い議論をしあう。結局、男根主義者を嫌悪するあまり、中立ではなく、自分がただ、その彼岸に立って男根主義コンプレックスをぶちまけてるに過ぎない。それはフェミニズムっていうものの本来の目的からは大きく逸脱してると思うわけだ。† † † † † † † † † † † † †そもそも、孔雀にしても、オスの方がむしろ着飾るものだと言うのに、この社会で求められる男ってなんだ、って思う。美しくない。女性は頑張ってるってのに。自分は多分男。でも男にはなりきれない。なんかさ。自分的男の美学として、例えば洋服の青山だかなんだったか知らないけれど、ウエストを調整出来る礼服なんてものが存在するのは男性美学の敗北だと思うわけだ。そんな服、女性にあるかい?あったとしてあんな誇らしげにおおっぴらにCMするか?太るの前提じゃん。美しくなさすぎる。女性ものの服ってよく買うけれど、やっぱりそれはウエストラインが絞ってあってシルエットが綺麗だから。ところが男もののシャツとかジャケットってどうよ?寸胴で、中年太りを隠す為にあるとかし思えない。折角、自分はそれなりに努力をして体型を維持しているのに、あんなもの着てしまっちゃ意味がない。それでなくても背丈がない方だからもうとてもじゃないけど見れたもんじゃなくなる。いや、なんか私怨が入ってきたなwいつでもやはり納得出来る理由が欲しい。生物学的でも良い、社会学的でも良い、民俗学的でも良い。論理的に。それ故にこんな病んでるのかもしらんけれど・・・・。社会的性の根拠って何? 何処か誰でも持ち合わせている同性愛的な部分を、綺麗な男が居て、呼び覚まされるのが男は怖いから記号としての男の姿を男全体に求めるのかなとかたまに思う。明治前まであれだけ男色をおおっぴらにしてた反動かしらとも思う。女性側からの要求も何かあるのかわからないけど。(女性は逆に男と違って格好良い男らしい女性っていうのに寛容だと思うんだけど)カウンセラーの先生は私がそんな風に考えたり、それ故の容貌ってやつも、素敵でじゃない、と受け止めてくださる。抑え付けちゃダメよ。と。「でもいざ社会に出ようとするとそうも行かない部分は出てくると思うのですよ」「そこは、ずるい言い方かもしれないけれど、何かすり寄るというか、自分の中で妥協点を見つけて、そこに行けるようになれると良いわね」そう。そうなんだよな。ガキっぽいけれどもそれでも自分は自分である証はどこかにちゃんと残しておきたい。それが何故それかと聞かれると男性っぽくないからっていう漠然とした答えしか返せないけれど。それで、針を買ってヘソに穴を開けてみた。
2006年02月12日
コメント(0)
カウンセリングに電車で。ついでに街に出る。最近ピアス開けたい病。アイライナーしたりするのも復活気味。妖しいお店に入って開口一番。”ニードルあります?”ということで、ピアス用?のニードルゲット。排出して失敗したへそピアスをもう一度やってみる。なんか余裕。ピアッサーって無駄に痛いのがよく解った。ピアッサーでへそ開けたときはもう脂汗かいて、切腹ってきっとこんな感じなんだわ、とか思ったけれども。ニードルはなんか注射針みたいになってるので、痛みも傷も少なくて済む。なんだか鋭い痛みは、ちょっとだけ心地よかった。ちょっと浅くなりすぎたかな・・・けれどまぁまたダメならまたいつか開けよう。次、目指すは乳首ピアス。これはさすがに氷が必要かもしれない。自分は男だからいつか耳には付けれなくなる事があると思うから、これからはボディに開けてみようかなどと思っているわけです。
2006年02月09日
コメント(7)
脅迫ぢゃありません強迫。一応。今日はなんだか楽でして、自分のメインギターにやっとこさ触れました。一週間ぶり?もっとかなぁ。兎に角、手を洗ったりすごく手順を踏まないと汚してしまいそうで、一番大切なメインギターにはずっと触れずじまいだったのですが、今日は少し楽で。ああ、いいなぁと。良い音してんじゃんと。あと指もちゃんと動く。(まぁアコギ弾いてたりはしたので)ヴァン・ヘイレンを断片的に弾いてみたいり、SymhonyXの気に入ってるラインとか、リストの曲の一部とか、スケールとか。以前ライブでやった曲を弾いてみたり。まだ、やっぱりサボってたり、少し触ってなかた分、身体に少しだけ馴染まないし、指の動きも本調子じゃない。けれど、あれだけ放置していたのに、機嫌を悪くしなかったギターに感謝。
2006年02月07日
コメント(2)
そう、もう居ないあの人は結構私の好みだったのかもしれない。今でも彼女の存在は決して小さなものではない。彼女が消えてしまってどのくらいになるだろう。だからと言って今、居たとしてもどうにもならないのだけれどね。別れは悲しかった。涙が溢れた。チャットログを読み直す。涙が滲んでくる。今こうやって想うことは切ない。冬恒例なのですが、肩から二の腕あたりの肌が荒れます。鏡で見て、ちょっともう自分でも可哀想な感じがしたので、明日は皮膚科へ行ってみようかと思います。なんとも痛痒いのに耐えられません。乾燥は敵です。あとひげ剃りも結構男の肌にとっては敵かもしれません。まぁ顔の肌は、化粧水と乳液で保ってるのですが。なんか毛が。ふと、風呂でもって。前カノと付き合う前くらいからなんか脇の手入れとか(確か)しててなんか全身綺麗に剃ってたんですが、この2,3ヶ月全く無頓着(髭と眉はちゃんとしてる)だったのです。で、なんか今日風呂で”あ、なんかこれイカン。”と思って脇とか腕とか脚とかまとめて処理しました。変かなぁ。なんか自分の美意識(自分が美しいとかは思ってるわけじゃないんですが。むしろバンコラン、マライヒ~みたいだったらどんなに:以下略)にやっぱり合わない。って思って。まぁ、女王様とかが今居るわけじゃないけれど、M的にもこういう身体の方が気にいってもらえるような気はする。あと自称ヴィジュ系的にもやっぱ毛はね。まぁぶっちゃけ突き詰めると自分のジェンダー観とかに行き着いて多分5000文字超えるような文章書きそうなのでこんなところで。なんて日記だ・・・
2006年02月06日
コメント(2)
音楽に打ち込みなさい、と先生に言われたけれど、打ち込めているのか良く解らない。ちなみに今はブラジルのバンド、ANGRAの一番新しいアルバムを聴きながら書いていたりする。此処で、CDを借りた事を書いて、Return to Forever、というかChick Coreaに亜夜那ちゃんが興味を持ってくれて、圧縮ファイルにしたアルバムを送って聴いてもらって、結構気に入ってもらえた。ロックともジャズともなんとも言えない音楽、簡単にジャンル分け出来ない音楽は好き。自分もちょっと亜夜那ちゃんがReturn to Foreverに興味を持ってくれた事に刺激を受けて、ジョン、マクラフリンのMAHAVISHNU ORCHESTRAを聞いてみたり。チック・コリア、ジョンマクラフリン、キース・ジャレットが在籍した頃のマイルスのアルバムを聴いてみたり。ちょっと外れてデコイとかTUTUなんかも聞いてみたり。みたりしながら、ヴィジュアルロック聞いたり、こうやってプログレッシブメタル系を聞いてみたり。自分の音楽もしたいな。したいな、じゃ出来ないんだけれどね。アレンジしてあげたい曲がある。歌詞にメロディーを付けたい曲もある。なんだか思うように最近は行かないのだけれど・・・。でも、形にしたいな。形になった自分の作品というより、多くは自分と誰かとの創造力の絡み合った作品、なんかそういうのは、やっぱり嫌いじゃない。薬は効いて、不安は無くなる。思考と感情も少し削がれる気がする。ギター握っても、鍵盤に指を走らせても、少し解らなくなる。何が表現したい?感情から世界観、空気、色んなものが表現出来るハズ。ベタベタのラヴソングでも良い、ドロドロのルサンチマンでもいいのに、何を創りたい?昔は何も考えなかった。じっとしていたら、妖精が耳元で囁いて、そして、私はその声を聞き逃さないように、五線譜に書き留めて行く。そんな風だった。妖精は、まだきっと居るはず。頻度は減ったけれど、まだ時折、声を聞く事はあって、ウソみたいに、曲が出来て行く。自分が書いているけれど自分は書いていない。きっと彼女らは今も囁きかけてくれているはずなのに、どこか、感じられるはずの所が穢れてしまっている。掃除をしなければ。動くだけの手も、鼓膜の振動でしか聴けない耳も私にとっては必要ない。一度真っ白に、なりたい、なろう、ならなきゃ。
2006年02月04日
コメント(0)
嗚呼、私が季節ものの日記書くなんて珍しい。恵方巻なんで私が小さかった頃はそんな習慣あまりなかったと思うのですが・・・誰かがどこかで発見して商業ベースにうまいこと乗せたのでしょうか。と思って調べました。† † † † † † † † † † † † †現在の恵方巻の全国販売はセブンイレブンが、1998年にコンビニ初の恵方巻全国販売を開始し、ローソン、ファミリーマートなどがこれに続いた。引用 Wikipedia† † † † † † † † † † † † †ということで太巻きはセブンイレブンの功罪のようです。歳徳神の居る方向に向かって食べるんだそうですよ。あたしは今年どちらの方向かわからなかったので、太巻きにかぶりついたまま360度回転してみました。うん、完璧。でね、豆まきというのがあるようなのですが、豆ももう、豆そのまま投げたら食べれないじゃんということで、小分けの袋に入れて、袋のまま投げてくださいとか書いてあるのを発見しました。情緒はありませんが・・・ありませんがまぁ食べ物を大事にと。でもまぁ煎った大豆なんて節分じゃなきゃ滅多食うもんじゃないですが・・・。それでその”小袋のまま豆まき”な豆の袋のパッケージを見てますと”危険なので人に向かって投げないで下さい”何を仰るウサギさん。人に向かって投げるから節分なんじゃないかwこれもPL法のなんとやらなのか、クレーム予防なのか。豆を買わせておいて、鬼に投げるなとこれまた、世知辛い世の中です。元はと言えば節分=追儺、豆どころか、人に向かってビシバシ石投げてナンボの年中行事ですぜ。鬼とはなんぞやなどと考えを巡らせてみると、鬼ごっこやかくれんぼをはじめ、ごっこ遊びの中での”鬼”って奴の存在、”忌み、避けるべきもの”、”何らかの力があって畏怖すべきもの”にもかかわらず、孤独である事、そういった”鬼”役割。マレビト、被差別民、民俗信仰、宗教性なんか色々もっとあるのでしょうが色んな視点から見る事が出来るのでしょう。なんだかそんな事を踏まえたら鬼に豆を投げつけるという行為もまた、感慨深いものがあるような気もするのです。
2006年02月03日
コメント(3)
で、ありました。夢の話、それから昨日の日記にも書いた、好きな人に噛み殺されて、食べてしまわれたかったという話なんかをしたりしまして。その後付き合った人とも上手く行かなかった事に対する自分なりの反省と分析や、目標とする自分像のようなものも話したりして。目標、行きたい場所が解っているというのは良い事ですし、dravenさんは自分の事も人の事もよく分析してらっしゃいます、(分析という言葉で父親の分析と発言n在り方に不快感が在ることを言うと)その上でちゃんと相手の事も考えられるのだと思います、と。仰って頂き。目標、立ちたい所は解るのです。けれども、此処から一歩踏み出す、そのことに、どうやったら良いのか解らない恐怖や、立ちすくみがあって、それが問題だと思うのですと言うとそうですね、それはでもゆっくりやって行きましょう、みんな誰もがそうやって思うものに向かって思うように動けるわけじゃないですし、ゆっくりで良いんですよ。なんかそんな風な言葉を掛けて頂いて、なんというか、そして、言葉を掛けて下さる時に、微笑みかけて下さるんですね。問題も含めて自分を受け入れ認めてもらえること。そして、”頑張りなさい”とか”お前はここが悪い”、”だが”、”しかし”ではなく、ただ”大丈夫ですから”と、目上、立場の上の人に言ってもらえる事というのはなんというか、自分の中で経験したことのないような、なんだか不思議な気持ちで、少し涙が出そうになったりするのです。なんといいますか、よっこさんが心配して下さって、メールをよく下さいます。その感覚に少し似て居まして、もしこう・・・面と向かっていたらこんな感じなのだろうかと思ったりしました。私は結婚するかどうか解りません。その上でしたところで子供を産むかなんてもっと解りません。けれども、万が一親になったらば、言ってはならないこととか。何を自分が大人から求めていたのだろうかと。そういうことはきちんと認識して育てられたら良いとは思うのです。そこもまだ未整理ですが、万一私が子供を持つ事があったならば、父方の血、母方の血、それぞれの歪み、ドス黒い世代に引き継がれてきたモノに自分の子供を感染させたくはない。こういうのをきっと、取らぬ狸の皮算用と言うのですがwwwしかし、独り身ながらたまにふとそういう事も最近思うのです。
2006年02月02日
コメント(0)
行って参りました。レキソタンやはり、2mgに戻してもらい。こっそりと今日の昼は3mgとか飲んだりもしたので、昨日までのダウンワード・スパイラルからは一時的脱出。不安感、不安定とかからはこれで抑えられるわけですが、今度の先生は主に私の強迫症の方を主眼に据えてらっしゃるようで、こんな話をして下さいました。「ジグゾーパズルの話をしたかな? ジグゾーパズルをしてると、良いんだよ。何も考えなくて良いでしょ、その事だけ考えるから。強迫はそれと同じ事でね。強烈にね、嫌な事があると人間、記憶に蓋をしようとする。究極、そうやって記憶から消してしまう。(それは以前の恋人で見てきてるからなんとなく解る、彼女も蓋、と言っていた)けれども蓋をしようとしても消えないもののことを考えてしまうともうどうしようもなくなってしまう。大体そういうのは小さい時の事とか、親との関係とかそういうのが多いのんだけどね。そういうのを考えてしまってもワァ、ってなる。だから、他の事、ジグゾーパズルみたいに、その記憶から逃れる為に、一種の人間の脳の自衛本能だよね、何か他のことをする。鍵を閉める、手を洗う、そういうことに集中して、そういう記憶から安全な所に行くんだよ」そんな感じだったかしらん。蓋かぁ。私も何か無意識に蓋をしている記憶、いや蓋をしきれずに溺れそうになってしまう記憶のようなモノがあるのかしら。そこはまぁ、カウンセラーの先生とも話しをしてるし、すぐにどうこうって事じゃないから時間をかけて、と言われた。でも、「趣味なんかに没頭して嫌な事を忘れるっていうのは悪くないよ、と。ボクなんかも、ジャズピアノやるから、行き詰まった時は日曜日とか一日中ピアノ弾いてる。今度までの君の宿題はあれだね、音楽趣味でしょ?音楽に没頭することだね。」との事で。没頭出来るかな?ギターに触るにも、手を洗わないと、とか、まだあるし、作曲も思うように進まないので、結構簡単なことじゃないかもしれない。けど、ちょっと色々忘れる為に、宿題をしてみるのも良いかもしれないなぁ。明日はカウンセリング。あの夢の話でもしてみるか。† † † † † † † † † † † † †”おにいちゃんの手って素敵、なんでも創り出せる。私はあの人達の感情を消したのに、おにいちゃんはあの人達に無かったはずの感情まで創ってしまったんだよ”*****”殺しても罪にならなかったら俺の事どうしたい?””ん~、頸噛み切って血がピューって出るの、それでおなかとかもこう・・・ぐちゃぐちゃって・・・それでお肉残さず食べる。あ、でもね○○ちゃん(私)の手だけはあの子が好きだから、残しておかなきゃね”*****”あんた、危なかったよ、もうちょっとで宿主本当にのど笛噛みきってたわよ”*****あの時の私の手はどこにあるのかなぁ。今でもあるのかしら。何故か解らないけれども、女性に殺されるっていうヴィジョンに憧れが何故かある。食べられると言うことはさらに、その上その人の血肉になるということでもあるし。あの人が喉笛に噛み付こうとした時の恍惚とした表情と妖しい目と甘いため息とかは本当にリアルに思い出せるし、嗚呼、あの時、頸を噛み切られて居ればとうっとりしたりもする。殺す事と殺される事ってのは相互に望んでも、犯罪になってしまって自分の好きな人が犯罪者という烙印を押されるからそうしてはいけないのだと理解していた。殺してくれるかもしれないという期待で、生きていている事を確認してこの身を傷つけるられる事で、この人は私を傷つけない、と思う。この人と死ぬ覚悟っていうのは共に生きる覚悟でこの人を殺せる、と思えたら本当に愛してるのかもしれないなあ。殺されても良いと思うのに殺せると思わないのは逃げなのかもしれない。頸を締める手も私だけどこか手加減。† † † † † † † † † † † † †
2006年02月01日
コメント(0)
全21件 (21件中 1-21件目)
1


