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最近そう悪くなかった気がするのだが今日はものすごく調子が宜しくない。今週からレキソタンが半分に減っているのが良くないのか、病み上がりなのが何か良くないのか。自分自身の存在に疑問を感じるような。存在の相対性に不安するような。死にたいわけではなくて、でも消えてしまっても大丈夫なんじゃないかとか感じる。一方で自分は消えて行ってしまって自分の痕跡、記憶、跡、そういうものが無くなってしまうのではないか、そういう感じの恐怖感。昨晩は夢を見た。とても奇妙で気持ちが悪い夢。丸い穴の3つ空いたビル、5つ空いたビル。その穴の3つ空いた方のビルで自分は女性と同棲してる。自分と同棲する女は新興宗教にハマっている。私は家、部屋から出ないこの人を半分見捨てていて、同じ新興宗教に属している人妻と浮気をしてる。全くこの人は信心はなくて、ただ、こういう宗教に属している、というだけ。もしかすると旦那がこの宗教に入れ込んでいるのかもしれない。彼女は、離婚するつもりだという。初めて寝る前に”何故離婚するの?”と訊いたら”さぁね”と笑って答えていた。寝てみるととてもいやらしい人で、私もとても堕ちる事が出来て。細身で、抱きしめるとなんだか折れてしまいそうで、剃毛していることもあって、少し幼い体付きにもみえた。恐らく昨日剃ったような感触が顎に感じられて、味でこの人が今日は下着を着けていなかった事が解った。ああ、この人も変態だなとその時気が付いて。私が気が付いた事に彼女も気が付いて、どちらだと思う?と訊いてきた。剃っているのは大方、Mだろうから、そう答えてみた。当たり。と彼女が微笑んで言う。私はMなので少しだけがっかりするけれど、彼女の細い身体を虐めてみたいと思いもした。けれどもなめらかな肌と幼い体付きには傷は加えたくない。思う以上にこの人が被虐趣味であったなら、やはりそれでもこの肌に傷を付けねばならぬのかなと危惧する。なにしろ、自分はMとしては肌に傷をつけられたい人間だし。前述のいかがわしい新興宗教の人間はなんだか悪い人達ではなかったけれど、あまり、そういう人達とも関わりたくはなかった。同棲してる女を捨てて、この人妻を奪って、この宗教とは関わりを絶とうと思った。5つ穴のあるビルは多分その宗教の本部か何かだろう。3つ穴のあるビルの中で同棲する女が何も出来ずに自分を待っている。何故か自分の心には胎児を殺した罪悪感が刻まれている。多分同棲している女との間に出来た子供なんだと思う。胎児といえばまだおなかのなかに居る子供で、胎児殺しというなら中絶なのだろうけれど、殺しというからには流産の原因となる暴力かなにかでも私にあったのか。でもなんだかそんな事ではなく、乳児を殺してしまったような生々しくて重苦しい罪悪感があった。でも”胎児殺し”という言葉だけ強烈に自分の中にあって。胎児殺しの罪は浮気相手の人妻も知って秘密を共有してくれている。不真面目でアバウトで魅力的できっと恐ろしい彼女はそれを知っていて笑顔で私と一緒に居る。人殺しで、不貞で、多分誰からも責められるべき対象であろう私に笑いかけて受け入れてくれて。そういった罪を世間から秘している自分の醜さを責めないでくれる。この人と逃げだそうと思った。なんかそんな時に目が覚めた。胎児殺しとセックスと宗教と。なんかそんな妙な夢で気持ち悪い印象だけが起きても自分の中に残ったそんな夢。自分は何を考えているのだろう?どんな精神的パーツから成り立っているのか、自分で疑問を持ちたくなるような夢だ(苦笑)3つ穴のビル、5つ穴のビル。正反対のタイプの女性にセックス。何故か胎児殺し。覚えていればカウンセラーの先生に話して意味を訊いてみたいものではある。
2006年01月30日
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喉の痛みがだいぶ引いてきたdravenです。ガラにもなくゆっくりせずにがんばっちまって治りが遅いです。昨日の話ですが、それとはまた別で病院に行って参りまして。どうも夜数度目が覚めてしまうことや、ダルいのに眠れないこと。クスリでやる気とか行動力が戻ってくるのに比例して強迫も戻ってきていることなど報告してみました。とりあえず、全開、最初からの方針で一週間毎にパキシルを10mg、20mg、30mg~と増やして行こうということだったのですが、このクスリが強迫にも効果があるようなので、今週20mg錠剤にパワーアップするので様子を見てみるかって感じでした。んで、早々に、やっぱりカウンセリング勧められました。先生の曰くには、(去年とかの酷かったのも含めて)強迫があるのは、結構遡って小さい頃からの話をすることになるだろう。君の心の中は今ものすごく色んなものが渦巻いてる。カウンセリングってのはそれを整理して、大切な事の優先順位をつけ、必要のないものは切り捨ててしまう、その為のものだ。との事で。とりあえず、私的には、自分のall or nothing的思考が柔軟になれば良いななどと思ったりするのでした。今日もなんだか一日ダルさが取れなかったのですが、近くに新しく出来たTUTAYAのレンタル半額セールに繰り出してみまして・陰陽座 (最新作以外を3枚)・Dir en Grey (最新作1枚)・ムックを (7弦ギター使いなのは知ってたけど、どんなバンドか気になってたので2枚程)・Janne da Arc (Sevenっていう好きな曲が入ってるのを1枚)以上ヴィジュアル系7枚。まだ聞き込んではないのですがとりあえず初めて聞いたムックは悪く無かったです。7弦ギターを使ったバンドとしては同じ7弦ギター使いのDir en Greyよりもヘヴィで洋楽的な音像でした。ガゼットとかドレミ團ほどあからさまじゃないんですが歌メロが歌謡曲的なところもあったり。Dirはもう別次元に行っちゃった感があるのでムックと比較するのは可哀想かもしれないですけど、ムックを聞いてみて(無論ムック格好よかったんやけど)逆に、Dir en Greyの唯一性というか、個性と言うか。京さんの声の表現力のすごさとかギターの音(ちょっと軽いのが玉に瑕やと思うけど)やらリフの作り方、無機質である意味不自然なパターンを多様するドラムそういうの全部が誰にも真似出来ない音楽作り出してるんだろうなぁと(真似しようとして明後日の方向に行ったバンドは沢山あるけど)思ったりしました。・ブレッカーブラザーズ -”ヘヴィメタルビバップ”無論ブレッカー兄弟のプレイは格好良くて、こういう感じをギターで弾けたらクールやろうなぁと思って借りたのだけれど、何よりテリーボジオ様(exフランクザッパ、ミッシングパーソンズ、UK、VAI等々)がドラムを叩いているので、凄く聞きたかった。・チックコリア・リターントゥーフォエヴァー -”浪漫の騎士”高校生の頃、アル・ディメオラにハマったときに知って、ちょっと気にはなっていたアルバムなのです。が、大学のジャズ部の先輩に借りた、(ディメオラ加入以前の)あのスペインとかの入ってるリターントゥーフォエヴァーファーストだったかな?アルバムが思ったよりまったりした感じの音楽で、きっと、浪漫の騎士もそんな感じの音楽にちょろっとアル・ディメオラがリードギターを入れてるくらいなんだろう、とか思っていたのです。が、試聴機にかけてみてビックリ。すごいパワフル。チックコリアのバンドなのにレニー・ホワイトとスタンリー・クラークのリズム隊は殆どハードロック並の音圧。そこにディメオラのハードロックな音のギターが乗る。ディメオラのプレイはソロになった後みたいにラテンラテンしていないのですが、それもそれで面白くて。という感じのフュージョン二枚。計9枚。アホやな、私。一週間後までに、頑張ってコピーします。はい。
2006年01月20日
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抗不安薬には、脳神経に作用し、不安(恐怖)・緊張といった症状を緩和させる作用(wikipedia)があるとの事で、まぁそんなことはよく解っちゃいるのですが、お薬のお陰で無気力状態とそれに対する強い嫌悪感、不安感からなんぼか脱して、すこしやる気のようなものが出てきたのですが。どうやら向かう方向があれです。いつものあいつであります。強迫。ハンドソープはお友達。結果、アカギレとハンドクリームとも切っても切れないお友達になってしまうわけですが、これだけじゃ終わらないんですね。以前のようにアルコールのスプレーで何から何まで吹いちゃったりはしないのですが、どうもいけません。一日部屋に掃除機何度かけてることか。ただの綺麗好きと違うのは偏執的なんですね。実際汚れてるから綺麗にしたいってわけじゃないのです。まぁだからこそ強迫云々なんて名前もつくのでしょうけれど・・・イメージとして解りやすいと思うのは、昔、学校の帰りに”白踏み”ってやりませんでしたか?横断歩道やコンクリートなんかの白い所だけ踏んで歩くやつです。鬼がいて、白い所を踏み外した奴の現行犯を見つけて鬼交代とか、そういう遊びだったと思います。普通に考えれば、白踏みってのはタダの遊びのルールで白いとこ以外踏んじゃいけない現実的な危険や理由なんてないんです。けれど、強迫ってあれを一人でやってるようなもんです。なんか自分の中に決まりがあって、プレイヤー兼、鬼なんです。何か自分のなかで決まったもの以外のモノに触ってしまうとアウトになるわけです。で、リセットする為に手を洗う。部屋も、ある、ルールに則ってる。それを乱される事があると、その部屋は実際がどうあれ汚れた”ことになって”掃除機をかけてそのあるべきルールの回復を図らないといけない。そのルールが白踏みと大して変わらないレヴェルでもなんだかやらざるを得ないんです。白踏みやってるときってなんか、白以外どうしても踏んじゃいけない気分になるじゃないですか?wなんだか、無気力やったときはそれはそれでしんどいというか嫌なもんですが、クスリで不安やなんかを取り除いた先がこれじゃアカンなぁとも思います。一つ前の日記じゃないですが、ギターに対する扱いっていうのもやっぱり、自分の中にあるべき形があるんです。ある手続きをしないと落ち着いて”コレが私のギターである”と安心できないんですね。ということで明日は病院であります。あの病院でこんなことを話す時間があるのかしら。まぁとりあえず今はクスリが手に入れば良いと言えば良いのですが。嗚呼、中庸を手に入れたい。
2006年01月18日
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失恋をしてからギターをまともに弾いたことがなかった。2ヶ月前には愛機の弦を切った。ネックの調整の為だったけれど、調整が終わっても弦を張る気がしなくて、弾く気力も無かった。申し訳ない、紫。(愛機の名。ちなみに源氏物語になぞらえていて、もう一本の79年製の古いギターを六条、初めて買ったギターは葵と呼んでたりする。)ということで。お薬で元気というのもどうなんだかとは少し思いつつ、しかし、鬱なよりはたといおクスリのお陰とはいえベターなのかなという今日このごろ。遂に、ギターの弦も張って、ネックも調整し。音を出した時のなんとも言えない感覚。数ヶ月振りか、いやもっと久しい感触。各部の調整も完璧、俺様天才。(こんな事だけ)そんな感慨に耽りつつも風邪で今にもベッドに吸い込まれそうなdravenでありました。喉いてぇ
2006年01月18日
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●新しい病院へ行ってまいりました。所謂、心療内科、という奴で、ちょっと精神科とは雰囲気も勝手も違うようです。しかも女性客(敢えて患者と呼ばずに)向けなのか、院長さんの趣味なのか、待合室に入るなり、ほのかに漂うアロマオイル。そんな待合室の”椅子”、じゃなくて”ソファー”に座って待っていますと、看護婦さんが、ハーブディーを持ってきて下さいます。流れてくるジャズに身を委ねつつカップを傾ける ア タ シ美味いっす。って、一体私は何をしに来ているんだ・・・でも、でも、この病院に来た方はみんなそうやってハーブディー頂きながらソファーに座って待ってらっしゃるんです。しかも、なんだか待合い室内に、ちょっとした噴水と言いましょうか、なんだか水が流れてる装置(言い方が無粋だ)があったりするわけですよ。イメージ的に言うならば、東急ハンズなんかにある、部屋に置く水がチョロチョロ流れて循環するオブジェ?みたいなやつでしょうか? あれが10倍くらいでかくなったような奴です。今までの病院と違いまして、今回は個人医院。最近の個人医院ってこういうもんなのかもしれません。多分、若い人(注;一般論であって私も若いです。若いはずです)や、ちょっと精神科なんかに抵抗のある人向けなんでしょうね。病院だ、っていう雰囲気よりもリラックス出来る雰囲気を作ろうとされていることが伝わります。がああいう、”よかれと思って狙ったらしくない”雰囲気ってのは場合によっては圧迫感になるかもしれません。前の病院みたいに廊下の奥の端っこで耳塞いで座り込んで順番待ったりとか(実話)あまりそういう奇行(やってる時はかなり必死)は出来そうになくて。いやしちゃいけないようなピースな雰囲気に満たされておりまして。そういうヘヴィな時にはこういう病院は絶対行けないなぁと思ったりもしました。ちなみに院長さんの居る診察室は、ドラマか少女漫画に出てくる”良家の子女が通う、パンピーにはちょっと入学は難しいかもしんない私立高校(金持ち美少年集団が幅を利かせていたり、ある一定の基準を満たしたお嬢様方による自治組織があったりする”の、理事長室)”、と言った趣でした。私がまぁ、学園を仕切る金持ち美少年集団の一人で学内では珍しいパンピー女子学生に恋していたりするような身分だったらきっと大丈夫なのですが、私自体がパンピーなもので、無駄に広くて、”理事長の席”に院長の座っている”理事長室”診療室ははっきり言って、リラックスというより緊張しました。とりあえず、前の病院ほど話をゆっくり聞いてはもらえません。やはり個人医院なので、予約で回転させてゆくのでしょう。あんま大した話もせず、”このテスト何回やったかなぁ”という心理テストを受けて。新機軸で、”自律神経を調べましょう”と言われて心電図かなんかを取ったのですが、結果を説明された所によりますと、”ぶっちぎりの自律神経失調症+不整脈”あまり時間も長く取らない(取れない)所でしたし先生もサクサク進め、しかも何故か自信を持って”じゃぁ二ヶ月でよくしていきましょう”そんなことを仰る方なので、ここ大丈夫かなぁ、見かけ倒しちゃうか?とか思ったりしたのですが、ちょっと今までの病院とやり方がだいぶ違うようなので、2ヶ月通ってみるかぁなどと思ったのでした。でも、あれですよね、看護婦さんにハーブディーを運んで頂くってのはマニアにはたまらないものかもしれません。つか普通あり得ないシチュエーション。もとい、こちらで処方して頂いたお薬なのですが、どうもかなりツボにはまったようでして、今の所良い感じです。万事やる気の出ない中、”やらなきゃいけない”とか思ってものごとこなしていたのですが、そのへん楽になりまして。”PCが出来てあとは寝れるだけ”状態にまで雑然と散らばって救いようのなかった部屋が、結構二日で綺麗になっています。年末大掃除2回分くらいをやっている気分です。が、まぁ苦もなく。お薬万歳。●週末恒例事項で親父が外に出るというのでちょっと昨日は私も見たいものがあったので一緒に付いて出てみました。仕事が休みになる土日祝というのは親父はなんとかして、”一人で”家から出掛けます。一人で、というか要するにエスケープ・フロム母親です。あの母親と一日同じ屋根の下に居るなど耐えられん、という訳です。解ります。すごくよくわかります。こないだ父親の逃避に便妙して外出した時は、私はコーヒー店の喫煙室で読書、親父殿は本屋。各々3時間くらいつぶした後、合流してもまだ帰るのがかったるいので喫茶店でさらに1時間半ほど、時間つぶし。そんな事を親父殿は毎週するくらい。それほど嫌か!それほど嫌です。(きっぱり)で、昨日もご多分に漏れず外出。ちょいとPCショップ私も中古部品漁りたかったので同行。親父殿は、自パソコンが煙を吐いて昇天されたので、次はどういうパソを組むものかと状況視察。二人とも、PCに疎い方ではありません。むしろどっちかってとまだ詳しい方だと思います。が何コレ?確かに、親父や私の使ってるPCはもう2世代前くらいのモノなんですね。でも一世代くらい前のパソコンはまだ辛うじて解ってるつもりでした。でも久しぶりの部品屋で愕然。いや、部品自体は何か解るのですが・・・この規格ってなんですか?・・・時代って進んでるよね。Dellとかって甘い誘惑だ。(でも後でいじるなら結局解らないと意味ない)親父殿と”勉強しなおしてこよう”と誓ったのでした。その後、茶しまして、親父は本屋、私はCD屋。冷やかし程度で入ったので全然買う気もなにも無かったのですが、ロック→ジャズ→クラシックと見て行き、あ、そうだワーグナー欲しいなぁ(←なんとなく最近聞きたかった)と思って棚を見ていっているとふと目に入る背帯。”ギヨーム・デュファイ世俗音楽集”ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000197JAY/qid=1137269674/sr=8-5/ref=sr_8_xs_ap_i5_xgl15/250-9524295-8250603(直リンクしたら”楽天以外のアフィリエイトが含まれています”とか言われた。んなこって負けるのも癪なので、コピペして頭にh付けて頂くと見れます。) デュファイだ~しかも安!ギヨーム・デュファイはリンク先見て頂いたら解るのですが、15世紀の音楽家です。バッハ以前、所謂、古楽ってのになるんじゃないかと思います。高校生の頃か、エニグマのヒットからグレゴリオ聖歌の再評価そこから流れて古楽リヴァイバルみたいなのが地味~にあったようで、結構そういう素朴な美しさを持つ音楽が好みだった自分は作曲者もしらないまま視聴して好みだったのを片っ端買っていた時期がありました。まともに解ってから古楽のCD買ったのは大学に入って音楽史をやった後ではモンテヴェルディくらいなのですが、デュファイはその大学の授業で他のどの作曲家よりも印象に残った作曲家として頭にあったのです。おお~なんだか忘れていたものを見つけた気分。哀れワーグナーさんは頭から消えてしまったのでした。そうこうするうちに最近70年代のサンタナを聞いてファンになった親父殿が戻って来まして、私が”新作出てるで”というと興味津々に視聴。父サンタナ、子デュファイをゲット。デュファイはなんともいえませんが、(中世~ルネサンスのヨーロッパの空気みたいなのに浸ってトリップしたい方には是非聞いて欲しいのですけれど)帰りしなカーステレオで聞いたサンタナの新譜は良かったです。サンタナがうちの親父と同じ歳だったのはビックリでしたが、それよりもヴォーカルで一曲参加していたエアロスミスのスティーブン・タイラーがサンタナの一つ年下=親父の一つ年下だったことに驚きました。スティーブンが親父ってファンキーやろうなぁ。私的にはメタリカのカークハメットが参加してサンタナと競演を繰り広げていたのも驚きでした。哀愁のヨーロッパ演ってたギタリストとクリーピング・デス~~!とか演ってたギタリストが一緒にやるのだから、なんだかすごいなぁと。まぁカークもギタリストとしてはサトリアーニの弟子ですから、こういうスタイルへの対応も余裕なのだろうなぁとも思いはするのですが。ミシェルブランチとの曲ももちろん良かったです。でもやっぱり、サンタナ単独、ゲスト無しでやっている曲っていうのを聞くと、ほんと、70年前後からほんとこういうスタイルで今まで一線でやってるわけでそう思うとほんとにすごいなぁと思ったりするのです。
2006年01月14日
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2時間でも集中するのは大事っすね。なんにしろ道は長く険しいのですが。(そうでない道なんてないですごめんなさい)ここまで来て急いでも仕方はありますまい、むしろ悩むようなレヴェルじゃない気もする。が、焦っちゃうんだよな、これが。別に負け惜しみじゃないんですが(多分)幼稚園からこの方、これほど女性の事を考えなかった時期は初めてかもしれません。漫画とかであるような”俺にはサッカーがあるから君のことは今は恋愛のこととか考える余裕ないんだ”とかそういう男の子の台詞に昔から”何言ってやがるんだ、オレはモテるためにテニスもギター始めたってんでい” ↑ その結果モテたことはないとか思ってたのですが、今は少しだけ解る気がします。まぁいつまでこんなガラじゃない気持ち続くかは自分でも保障は持てませんがが。
2006年01月11日
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数日ぶりでもって、勉強というものをしました。すいません、ありがとうございました。(誰に言ってる)ひとたび始めてしまうと不必要に進めてしまいます。いや、いずれ必要な範囲ならば不必要ということはないのですが、それにしても、本当にこのペースで進むとあっと言うまに勉強範囲を網羅出来る計算になります。つまるところ、継続不可能と思われる高ペースということです。一度にこんなにやらなくても良いから、スランプ期間を無くしてはどうかと、自分でも感じるわけですが、気が向いた時の集中力は自分でも呆れる程素晴らしく、時間とスタミナの許す限り色気も感動もない本でも食らいつきます。一昨日300P超の小説を一晩二冊読んでしまった集中力は伊達じゃありません。問題は続かない事でせう。MP大量消費の必殺技を出しては、へたるというループが非効率。・・・。集中力の極端なムラ。続かないかもという懸念がまた、一度の勉強量を無駄につり上げ、息切れし、再び自己嫌悪と小説ぢごくへと私を誘います。アカンやん。もっと余裕を持って、集中力の山と谷をもうちょっと均一化して、継続して続けてこそ、と思うわけですが、なかなかウサギさん体質の私はカメさんになれません。ウサギの欠点を重々解っているのに、ついつい瞬発力で物事進めてしまいまする。人生短距離走ならば良いのですが、自分は美人薄命、激しく咲いて散るオスカルなガラでもありませぬ。どっちかってと草むらに名も知れず咲いている花なので。でもちょっとアンドレにはなりたいな、おすか~る。フェルゼンも素敵やけどね、本国帰ったあとの極悪ぶりとか。ルイ16世も考えれば可哀想ですが。もとい、人生長距離。持続力ランナー、Mr.カメにもうちと近づきたい。
2006年01月09日
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くらいの勢いで小説を読破している。いつかの自分の中での京極夏彦ブームは(未読の彼の小説が少なくなってしまったので)一応の所去り、もうちょっと軽い気持ちで読みたいという願望から、”セカイ系”と分類されるらしきライトノベル系に手を出してみたりした。ライトノベルというけれども、正直じゃちょっと堅苦しそうで、○○賞とか取っていて、正当派っぽい表紙の小説に劣るかってとあんまりそうも思わない。自分的には本当に綺麗な日本語で書く作家ってのは、三島由紀夫で終わっているし。夜空が満天の星で満ちるとかそういう表現に微妙に引っかかるけれども、そういうのはライトノベルじゃなくても最近の作家って多いように思う。ただ、ちょっとライトノベルって美少女系なアニメ絵が表紙であることが多いのでレジに持って行くのが恥ずかしいかもしれない。ちなみに、セカイ系ってのはポスト・エヴァンゲリオン系の最近のストーリー形態なんだそうで。某web百科事典で目にして気になっていた”代表作”とされる小説が気になっていたので、勉強がはかどらないのを良い事に連日本屋に通っては一日一冊ペースで漁っては読破して行っている。ちなみに、有名どころだと名前的にセカイ系と言われて非常に解りやすい”世界の中心で愛を叫ぶ”とか漫画の”最終兵器彼女”とかもそのへんの部類なんだそうだ。小説に没頭する自分を客観的に見つめるにつけ、嗚呼この集中力を勉強に向けられぬモノか、と思うわけだ。小説が私の人生を左右することはまぁまぁあまりないのだが、勉強は私の人生を左右する。ヘヴィさとシリアスさは圧倒的に勉強の方が上なのだが。そのヘヴィさとシリアスさを身に纏った堅い教科書がまた、一定の気合いと事前の集中力を要求するのも確かであって。小説を読む分には、登場人物の受難や恋の悩みや現実との葛藤も、涙を誘う事はあっても、あくまで自己と切り離されたフィクションなのであるけれども、そもそも、何かを勉強しようと言うときには、本の内容は現在自分の理解の範疇を越えた事である。小説のように魅力ある人格の登場しない学術書はあくまで。受難も悩みも葛藤もなく、むしろ完璧な模範であって、受難し悩み、葛藤するのは読者たる私の方なのである。嗚呼。故に、初恋の甘酸っぱい想いの重なる少女なんてのは法学の本にはまかり間違っても登場しないのだと、そんな風に納得しつつ。誰か文才のある方、そういうのを両立できないものでしょうか?(笑)そうだ、私と同じ勉強をしてくれる美少女が居たら万事解決ではないかなどと思いつきとも妄想とも付かないアホな事を頭によぎらせてつつ、思いつきの実現性の低さに頭を抱える土曜の宵でありましたとさ。何もしてないよりはマシなんだが・・・逃げてるなぁ(割り切って息抜きとか思えないくせに行ってしまうとなかなか帰って来れない私。)・・・今宵こそはちゃんと本読めていたら良いのですが・・・
2006年01月07日
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ここに変に格好付けたような文章を書いてる自分がそもそも違うような気がしてきました。ほんとの自分はこう、もっと格好悪くてドロドロへなちょこに悩んでるのにねぇ・・・いや、そんなん解ってるってな・・・エヴァのシンジ君の如く、心の中では”逃げちゃダメだ”と繰り返し繰り返し。ほんとはもっとへなちょこで情けないのですよ。今日もなんか逃げちゃったよな気がする。いや逃げたな。自分の中の自分面接官が自分に言うのですよ”言い訳はもう良い、当方が見たいのはキミの努力であり行動であり結果だ!”そして自分はそれに対してまたもや言い訳をしようとするのですが、被面接人も面接官も根本的に自分なので、自分で言い訳じみた思考を進めようとた所で、所詮は自分の考える事。自分で自分をごまかそうとしているのは丸わかりなので、もっとどうしようもない気分になっちゃうだけなのです、これが。逃げちゃダメ、じゃん。と。*******一年前とかそうだったような気がするのですが手が汚れてる気がする。んでしょっちゅう手を洗う。手を洗わなきゃモノに触れないしモノを触ったら手を洗わなきゃ気がすまない。部屋も同じくで、なんだか外から帰ってきたら、靴下は新しく変えたり、風呂場で足を洗ったり。果ては鞄からウォークマンまでアルコールで拭いちゃうという始末で。なんか部屋が汚れる気がしてたんですね。そういうのは外から帰ってきたときの儀式だったわけですが、そのうち気がつくわけです。外にでなきゃそんな作業も要らないし、部屋も汚れない。そしてひきこもり度は加速する傾向に。外に出掛けても、ひどいときは鍵をかけたか気になって玄関に戻って電車に遅れるとか。なんかそういうのはなんにせよ、杞憂だったり、本末転倒だったりすると思うのです。けれどもそういう恐怖はちょっとした一歩やきっかけって奴をものすごく制限したり抑圧したりしてしまう。今はそういう解りやすいカタチでは出てこないけれども、そういう自分の性癖のようなものはまだ払拭しきれていない事をちょくちょくと感じてしまう。恐怖や警戒がおかしな方向に向かって踏み出す事を阻害する。これにもっと抽象的で、けれども根本的なところで向き合わなきゃならない。外に出る事が出来て、腕を切る事が無くなった。今日はそうでもないけれども、概して以前より気分もよく安定している。けれど、まだ解決したわけではない。その事実に関して自分は言い訳にしてはならないけれども、自分を或る程度認めて許してやらなきゃならない。その境界は今でも見えないけれど、少しずつ。そしてその少しずつというスタンス自体をもっと柔軟に自分自身に対して許せたら良いのにと思う。
2006年01月06日
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見たような気がするなぁ・・・二つくらい。内容・・言えねぇ・・・;人に言うと叶わないなら言っても良いぞ・・・?人に言えないけど・・・言わずに叶ったらそれもそれでビックリ。ちなみにうちには正月の家族団欒などというファンタジィは御座いません。母親の脳内で自己完結されている家族像と、父親の容赦ない理性と諦観で見つめられた崩壊家庭像のぶつかり合いは、悲劇を飛び越えてもはや喜劇のようでもありますが、少なくとも心温まる笑みのこぼれるものではありません。こんな中で、年末(おれんぢちゃんと紅鳩ブラザと逢った時)とも同じになるのですが、親友と顔を合わせる事は自分の中で精神を暖め、明日を生きる力を手に入れるにはとても良い機会です。昼間、久しぶりになるYちゃんとランチをしつつ、去年の互いの失恋(?)等について語り合い、理想の異性を互いに語ってみたりして。(同姓同士で理想の異性を語るとかなり不毛ですが異性と話すのは色んな批判や意見があって面白いと思うのです)これからの事や、結婚適齢期(?)の事や、そもそも自分達(主に私)は結婚出来るのかしらなどと言う事も含めて、まぁ男も大変だけど女も大変だよね、などというような事を延々と。あと、互いの価値観(これは異性とか結婚云々に関して思う所と共通する部分もありますが)、美的な感覚や、共通の趣味やなんかの話もして、ああ、こういう刺激のし合いが出来るのは素敵だ、自分が忘れちゃいけない、失っちゃいけないと思っている事は多分こういう感覚だ、と再確認しました。この人とは恋人が出来ようと結婚しようと、こうやって二人で話をする機会は持ちたいなぁと、そんな事は互いに思っているのですが。人によっては男女の友情とか信じない人も居るし、まぁ実際友達とかって立て前に隠れて一線越えるような類の人達も居るわけで・・・どうだろうなぁ・・・理解と信頼のある人と将来一緒になってればジジババになってもこうやって二人でお茶飲んで喋りたいもんだとか薄ボンヤリと思ったりしたのでした。また彼女と美術館や喫茶店を巡りたいなぁ。んで、その後一路高速を走って、帰省中のS氏に会いに。気が付くとYちゃんと同じか、一年短いかくらいなのでS氏とも結構長い付き合いになっていたりします。ネットで結構話して居たり、去年はスタジオでちょくちょくすれ違う事も多かったので、あまり話していない気、会っていない気はしてなかったのですが、結構こうやってゆっくり二人膝をつき合わせるのは1,2年ぶりだったりしました。同じ趣味(とはいえS氏の趣味は私より多岐に渡るのですが)や、奇しくも同じく目指しているものに関する話、なんだか私のずっと前の彼女の事やらまぁ色々(・・・orz)など話しながら、結構遅くまでお邪魔してしまいました。彼はものすごくアクティブで、内にこもりがちな自分とは正反対と言っても良いくらいの行動力があります。ある場面に対してその場に的確に考えて行動する力は本当に尊敬に値します。同じようには出来ないかもしれなくても見習うべきは本当に多くあります。以前音楽を一緒にやったりしていたのですが、二人共、目指すものを達する事が出来たら、どこかで一緒に仕事をしてみたいなぁとかこちらもまたウスボンヤリと思ったりします。結構住んで居る所が近かった頃は彼の家に入り浸ってたいたことを思い出して、そういう若さってのもいいよねとかジジくさい事を考えたりしたのでした。今日は、よっこさんからメールも来ました。ずっと去年は暖かい言葉を頂いて、力になって頂きました。私は何か、同じように返せる程じゃありませんけれど、何か何分の一かでもお返し出来たらと思ったりするのです。弟と酒飲みながらちょこっと話したりしました。私から見ればこいつはかなりの天然ですが、向こうも私の事をとんでもない兄を持った思っているのかもしれません(笑)兄らしいところはなんもないのですが、こいつも幸せになったらええやなぁとか思ったりしました。なんもオチがありません。落としどころも逃したような気がします。タイトルと絡ませるなら夢オチかしら・・・んな元も子もない事はございません。なんやろいつかも書いたけどやっぱり親友には恵まれてると思うのですよ。生きてて良かったかもと思えます。そんな感じで。あ~やっぱり転も結もないままに終わり。すいません
2006年01月02日
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明けましておめでとうございます個人的に、昨年は非常に目まぐるしく身の回りが移ろい行きました。結果失ったもの、得たもの共にありました。幸せな事、辛い事、両方が自分を多少なりとも、成長させてくれたのではないかと思います。そうあれたのも、皆さんに少なからず支えられてきたお陰です。色んな力を頂きました。本当にありがとうございました。皆さんにとって、今年が飛躍の年でありますように。幸せが一つでも多くありますように。私も、また今年一年、前進のあるよう生きて行ければと思います。今年もよろしくお願い致します。
2006年01月01日
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