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ー丹頂の里ー ねぇねぇ、ケイサン、昨日も泣いたの? 玄太ちゃん見て、エヘヘ… あれ見て泣かんかぁ? うん、TOKOちゃんも泣いたよ。 やろ? ケイサンと一緒に見てみたいなっ、池中玄太ちゃん…エヘヘ。 なんで? だって、泣いてるケイサン見たいからぁ。 あはは。 いつか一緒にタンチョウヅル観に行きたいなっ… ええなぁ、いつか行こうな… ホント? うん、ホント。 わーいっ! でも、ひとつ教えてやるわ(笑) あれは“タンチョウ”やねんっ、“タンチョウヅル”じゃ無いよ。テレビちゃんと見てなあかんでぇ…。(笑) へぇ、でもそんな事はどうでもいいもんっ! えっ!? ケイサンと一緒に行けるんだったらどこでもいいから…エヘヘ。 あはは。 タンチョウを鶴と呼ばない事も、絶滅に瀕している事も、保護のために釧路にセンターが出来た事も、そして、美しい求愛の舞いがある事も、 僕は“池中玄太80キロ”を見て知り、そこが北海道・釧路だったから深く好奇心と憧れを持った。いつか、野生のタンチョウを雪の季節、求愛の季節に見てみたいと思うようになった。 今、僕はここにいる。 国鉄とバスを乗り継いでやって来た。 “タンチョウ観察センター” ツアー客が定期的に訪れ結構な賑わい。タンチョウが姿を見せなくても時間がくれば帰っていく…。 そんな中、センターで僕は注目を浴びていた、かっこ良かったからでは無い。観光率百パーセント、カメラ携帯率百パーセント、平均滞在時間三十分の中、若者が一人で訪れ、カメラも持たず、ずっと居座り続けたからである。 私のこころが空ならば 必ず北から鳥が来る 鳥よ、鳥よ、鳥たちよ、鳥よ、鳥よ、鳥の詩。 美しく舞い、切ないヴィブラートを奏でる鳥だ。 よほど奇異に映ったのだろう。 センターの職員が近寄って来た。 めんどくせぇなぁ、 僕は、こう言った。 …池中玄太見て来ました… 安堵の笑顔が、ワラケル。 そう、ここは池中玄太のロケ地として使われていたのである。 ドラマの中で西田敏行扮する玄太は杉田かおる扮する娘達三人を伴い、タンチョウの撮影に訪れる、流れるメロディは西田敏行が唄う“鳥の詩”だった。 そう、泣かずにはいられない名シーンである。 館長さんが来てくれて、撮影エピソードとか写真とか見せてくれた。 僕は仕方が無いので好青年を演じてつきあった。 あはは…。 翌日も、訪れた。 その、翌日も訪れた。 次も…… 僕は一週間通い続けた。 ウオークマンで鳥の詩を聴きながら、最終バスの時間までずっと眺めてた。 タンチョウの求愛の時期はもう少し先だと教えてくれた。 じゃあ、またその頃来ます。 釧路湿原は真っ白だった。 さて、 次は、 流氷だな、 僕は、接岸が例年より少し遅れているオホーツク海沿岸に向かう事にした。 1984年2月10日だった。
2010.01.31
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ー羊ヶ丘ー 札幌までは一日かけて移動した。最果ての真冬の装備がわからなくて悪戦苦闘。 寒いのでは無い、イ・タ・イ・のだ。 先ずは、足元… ブーツ型長靴と靴下を重装備に、そして、カラー軍手を三重にした。 街中の移動は、仕方ない… タクシーにした。 北大前のいつものビジネスホテルに宿を取る。 ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、、、 真っ白だった。 どの景色も美しく、感動したが、カメラは持って来ていない。 見せる人がいないから…。 そんな感傷も吹き飛ばす横殴りの雪、風、つまり、吹雪。 僕にはお似合いの場所に思えた。 クラーク博士は寒くないのかな? あの指先、凍傷になんないのかな? どれほど目を凝らしたなら 明日が見えるのだろう 僕にもわからないけど 信じていたい 誰かを責めちゃいけない もちろん君自身も 何かが狂っただけさ よくあることさ せめて君の夢が叶うよう 僕は歌い続けるこの歌を… ホント、松山千春だ。 僕は、たった二日で鼻の頭と指先が痒くなってきた。 霜焼けってやつかな? 小学生の時以来だ。 我ながら、ワラケル。 札幌地下商店街で“耳あて”を見つけた。 胸が、 胸が、熱く、セツナク、狂おしく、なった。 買った…。 二日かけて釧路に辿り着いた。 三年ぶりの、釧路駅前。 駅前の電話ボックスは健在だった。 胸が、熱い。 心が、寒い。 そう、松山千春だ。 冬の北海道は、まず、早い時間に宿の確保からしておかないと、大変なことになる。 三年前と同じビジネスホテルに滑り込んだ。 さぁ、明日はいよいよ… ー鳥の詩ー だ。 あなたがいた頃は 笑いさざめき 誰もがしあわせに見えていたけど 人は人と別れて 後で何を思う 鳥は鳥と別れて 雲になる 雪になる… ちくしょう、ちくしょう、二度とこんな思いはしないぞっ! そう、硬く誓った。
2010.01.31
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ー津軽海峡冬景色ー 私は対象を見えるようにではなく 私が見たままに描くのだ。 ピカソはこの水墨画にも色彩を施すのだろうか? だろうな。 だからパブロなんだ。 紛れもなく、冬の津軽海峡は、雪景色だった。こんなに吹雪いてるのに、連絡船は出航するとゆう。 係留中から、こんなに揺れてますけど、 現実味を帯びて、乗船名簿に記入した。 さぁ、殺せっ! 導かれるように、気がつくと僕は売店にいた。 絵葉書も、冬景色となっていた。 買おうかな… 否、届ける先が、 無い。 だから、僕はここにいる、ともいえる自己矛盾。 龍飛岬は言うに及ばず、なんにも見えない、ダッチロール四時間半……。 神は僕を生かした。 函館着。 先の長い、急がない旅だ。 朝市近くのいつもの民宿に泊まろう。 函館にあまり思い入れは無い。 旅の出口だとゆうイメージがあるからだ。でも夕焼けは好きだな、一日の終わりだけど。でもディジェスティフには満足よりも、寂しさが勝るな、映画や書籍はオープニングが高揚するな、でも、満たされるのはエンドロールだけど… そう、どうでもいい事を、だだ取り留めなく思考の海に漂う… そんな、旅の始まり。 この景色の先には、なにがあるのだろう。 明日、描く絵が一番すばらしい。 と、ピカソは言った。 ネクスト・ワン… 次、作る映画が最高傑作となる、 と、チャップリンは言った。 わかんないわかんない
2010.01.30
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ー本編・北へー 海のなかで生きるように、君は孤独に生きてきた。 その孤独の海が、君を育んだ。 嗚呼、それでも君はいま、岸へと向かおうとするのか。 26年前、あなたは何歳でしたか? 1月29日、あなたはどこにいましたか? 夜8時、あなたは誰を想っていましたか? 1984年1月29日午後:8時 あなたの悩みは何ですか? ちくしょう、俺は、二度とこんな思いはしないぞっ! そう呟きながら列車に乗った。 三度目の寝台車の見覚えある天井と心地よい揺れはセツナイメロディだ。 いつの頃からか、僕はセカンドバックに単行本を常に4冊持ち歩くようになり、ウオークマンで、フルヴォリュームで音楽を聴きながら通勤なり、Macなり、散歩をするようになった。車窓から町並みを眺める事も、乗客の挙動を気にする事も、無くなった。 ふと気がつくと、美容室での接客とスタッフとの意味不明な会話以外、人と接することは稀となっていた。 常に対話は、本と映画と自分自身だった。 それが、心地よかった。 そして、僕は何事も“受け身”で対処するようになった。 自分からは仕掛けない、語らない、思わない…。 思い返せば小さい頃からそうだったのかも知れない… 母親によく言われた。気難しい子、偏屈な子、勝手ツンボ… 中学生の頃、野球部で最上級生になった時、当たり前のように満場一致で“キャプテン”となった。 付き合った彼女には“殿”と呼ばれた。 高校時代は、新学期学校へ行くと“学級委員長”になっていた。 高校野球最後の大会の、クライマックスでスクイズ失敗しても誰も責めなかった。 美容専門学校時代、気がつくと隣りにはいつも女の子がいた。 そんな、感じ。 あはは。 そんな僕の“孤高”を唯一乗り越えてくれるのは… ねぇねぇ、なに考えてるん? エヘヘ… だった。 そんな物思いに耽っているうちに、夜が白み始め、銀世界が広がった。 少し、ほんの少し、癒された。 青森着。 真っ白だった。見渡す限り真っ白だった。
2010.01.29
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ー空疎ー 修羅場の後の過ごし方を僕は知らない。 僕の記憶の景色の中にはあの日から退職までの一ヶ月半の記憶がまったく、無い。 なぜか? 仕事もしていたしパチンコも打ったしメシも喰ったし本も読んだし、、オンナとも寝た。 なぜか? うまく表現出来ないが、恐らく、虚無とか、無意味とか、虚脱とか、要するに自分の意志で生きていなかったのだ。 ずっと、ずっと、考えてた。 僕は、あの修羅場で数多くの大切な事を学んだ。学習した。習得した。そして、誓った。 あの日のことは僕たちだけの秘め事となり、無かった事となった。 ねぇねぇ、なに考えてるん? 俺さぁ、 オレ、オレ、って、かっこいぃ♪ そうかぁ、誰だって使うよ、俺、なんて… だってぇ…♪ だって、なんやねんっ!?(笑) だってだから…♪ はぁ?(笑) ねぇねぇ、いつものように言ってよぉ♪ はぁ?(笑) こっちこいっ!って…♪ あはは。 ねぇねぇ、 なんやねんっ!?(笑) エヘヘ、ケイサンってかわいいところもあるんだね♪ はぁ?(笑) ケイサン、大好きやよ、ケイサンはどう思ってくれてるんかな? 大好き、大好き、大好き、大好き、大好き(笑) そうゆうふうに言ったらTOKOちゃんが喜ぶって思って言ってくれてるん? そうや(笑) 僕は、こののち十数年後、ある書物と出合う。 こう書いてあった… 人は生まれながらの自分の性格を持ち、その自分の性格のように生きる。やがて、人は自分の運命と出合う…。 僕は、なんら意味のない日々をやり過ごし、新年1984年を迎えた。それはそれはセツナイ一年となるであろう。しかし、同時に学び、誓った生き方のスタートの年ともなるであろう。 僕の、性格。 僕の、運命。 何者でも無くなった、天使のいない僕は、どこに吹かれてゆくのだろう… 僕は、フリーハンドの旅に出る。なんら制限を持たない旅に行けるのだ。北海道へ行くこともさえ誰も知らない、、、 それが出来るのも、 かけがえのない人を無くしたのも、 パチンコだ。 僕は自分の性格のように生きて行こう、どんな運命と出会うのだろう… 1984年1月29日PM:8時 僕は大阪駅13番ホームにいる。 TOKOちゃん、いつの日か笑顔で話そうな、お互い色気も無くなり抱き締めても許される歳になったら、デートしような… この想いは、景色は、まだ、色褪せない。 さぁ、行こうか…
2010.01.28
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始まったばかりのこの物語のクライマックスなのかも知れない… 夜分失礼いたします。 この一言で闘いの扉が開いた。 お母さん? 大きな瞳、間違なくお母さんだ。 あっ、、、、 ………。 お互い言葉が出てこない。 お母さんは目線で頷きながら居間へと入って行った。 間もなく、お父さん?と共にやって来た。 僕は無意識に玄関に正座した。 一張羅だが仕方ない。 …。 ……。 少しの、しかし永遠とも感じられる長い沈黙。 …お嬢さんからお電話をいただきました。 …………。 …お嬢さんとお会いしてお話したくて伺いました。 ………。 お母さんは二階に向かい階段を上がって行った。 お父さんは何も語らず無表情で僕を見下ろし続けた。 僕も、目線を合わせ、睨まず見つめ続けた。 ……。 ………。 やっと、やっと、お母さんは天使を伴い降りて来た。 が、僕は天使を見る事が出来ない。なぜならお父さんは無表情に僕を見下ろし続けていたからである。僕もお父さんを見つめ続けた。 セオリーだ。ケンカの鉄則だ。 ん? 僕はケンカしにきたのか? 四人の無言が始まった。 最初に口を開いたのは、、天使だった。 初めて聞く強い口調でこう言った。 …なにしに来たん!! ホッとした。やっと視線を移すことが出来る。 一年ぶりに見る天使は、少し痩せて、そして、ホントに髪を切っていた。“セシールカット”ベリーショートだ。 天使の強い覚悟と僕の敗北を悟った。 …電話もらって、会って話したくて来たよ。 お母さんが隣りで泣いている。 天使は大きな瞳いっぱいに涙を浮かべながら毅然とこう言った …わたしは結婚するって決めたから、お見合い結婚するって決めたから… 真夜中、薄汚い天井を見つめながら描いた甘い物語、まさに夢物語。それは当然の如く崩れ去った。 こうだ。 僕を見た天使は泣きながら駆け寄り僕の隣りに正座し、お父さんお母さん、わたしはやっぱりケイサンが大好きなんです。ケイサンにずっとついて行きたいんです。 お母さんが、お父さん二人を一緒にさせてあげてください。 あはは。我ながら、ワラケル。 僕は、信じられないが、いつもの僕に戻った。 そして、天使に向かい、天使だけにこう言った。 …それで、いいんやね。 天使は僕の知ってる二人の時の口調でこう言った。 …うん、もう、決めたから。 僕は、ここに天使を悲しませる為に来たんじゃない、お母さんを泣かせる為に来たんじゃない、揉め事起こす為に来たんじゃない、と気がついた。 そう冷静に自己分析できた途端に、いつものプライド高き僕がツノヲダシタ。それと共に恥じ入る気持ちが支配した。 お母さんは天使と僕の“交換日記”を盗み読みしていて馴れ初めからのすべてを知っていた。そして、温かく見守り、そして、泣いてくれた。 最後は、かっこよくスマートなお別れにしなくちゃ…不覚にも涙がこぼれそうになった。天使とお母さんが泣き続けていたからである。 お父さんに向かいこう言った。 お嬢さんとお話しさせていただきありがとうございまた。 次が、出てこない… 一か八か、だな、 一張羅のスーツ着て革靴履いて、玄関で正座。 お母さんが助け船を出してくれた。 アキさん、どうかお引き取り下さい。お願いします。 初対面の僕を、名字で呼んでくれた… 僕は、立ち上がり天使を見つめた。 天使は、 天使は、声を出して泣き出した。 もう、じゅうぶんやで、 もう、ホントじゅうぶんやで… ホント、 ホント、 ごめんな… お父さんは結局一言も話す事無く、この修羅場を思いのまま仕切り、思うところに納めた。 完全なる、敗北。 僕は、思う。 僕は、天使と、なによりお母さんの涙に負けたんだと。 お母さん、ごめんなさい。 外では、ウエダが立って、臨戦態勢で待っててくれた。 僕は、タカちゃんの信頼に応えなくちゃイケない。 黙って車に乗った。 ウエダは、絵に描いたように、一言の狂い無くこう言った。 “TOKOちゃん、さらってこようか!!” 実にわかりやすい奴だ。でも、実は僕もそれを期待して連れて来たのだ。 だが、僕はウエダじゃ無い。天使はタカちゃんじゃない。 タカちゃんが言ってくれた“頑張って、気をつけてね”は“ウエダの事よろしくね”とゆうことなのだ。 ウエダを、犯罪者にする訳にはいかない。天使の縁談をこんな僕が破談になんて出来ない。 僕には、そんな価値は無いのだ。 僕はこう言った。 ええか、ウエダ。 これは俺の本心やから。確信やから、掛け値なしのことやから、、、もう、話はすんだから。TOKOとは、終わったから。 ホンマ、後悔せんのやな。 あぁ、ありがとう、帰ろうや。 ふと見ると、天使はお母さんと一緒に玄関先に出てくれていた。 ウエダは、車を降りようとドアを開けた。 おいっ! わかってる、わかってるから… ウエダは天使のもとに行き、一言、二言、会話を交わして帰って来た。 お前、話に行かんでええんか?TOKOちゃん待っててくれてるで。 ……。 もう、ええ。すんだ話や。 お前っちゅう奴は…。 僕は、お母さんに一礼した。 ウエダはしぶしぶ車を出した。 車中… なんで、出て行ったらへんかったんや? 行ったらどうなる? TOKOが大泣きして、俺も泣いて、、抱き締めてまうやろ? 収拾つかんようになるやろ?? それは、俺には出来んっ! 一緒に見送りに出てくれてるお母さんに申し訳がたたんっ! お前は…。女心わかってないなぁ、勉強不足や。 二人で、泣いた。 家に帰り着いた。 やはり、タカちゃんは玄関先で待っていた。 僕は、こう言った。 心配させてごめんな、ちゃんとフラれて来たから。何事も無く収まったから安心して! …… ありがとう。 おぉ、上がれや、酒飲もうや… 色々ありがとうな、助かったわ。今日は酒飲まんとこうや、そんなんかっこわるいやろ?…やけ酒とか(笑) 飲んで、泣いたらええのに… うん、お前ひとりで泣いて(笑) あほっ!(笑) 僕は翌日、カズコ先生に退職を申し出た。 僕は、この日の、この景色を決して忘れない。 天使の涙を決して忘れない。 ホントに大切なことは忘れないものだ。 僕は、21歳だった。
2010.01.27
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ー敗北ー 歩いて来た道は変えられない… ただ、 ただひとつ、行き着く先の景色を見てみたい道がある… 二か月前。 帰ってきねぇ、 帰ってきねぇ、、 帰ってきねぇ、、、 アパートの薄汚い天井を、豆電球の小さな明かりを眺めながら、深く、深く、想う… おぅ、明日帰るから夜付き合って欲しいとこあるんやっ。 ……。あぁ、わかった。待ってるわ。 翌日… 僕は何も告げず実家に帰り一張羅のVANのスーツを着てウエダの家を尋ねた。 新妻のタカちゃんが出迎えてくれた。 えっ!? どうしたんっ!? それ以上は何も言わず二人の愛の巣へと通された。 ……。 ……。 で、どうするんや? と、ウエダ。 あぁ、今からTOKOの家行こうと思う。付き合ってくれるか? 付き合うしかないやろ?(笑) そして、ニヤリと笑い、こう言った… 俺もスーツ着たほうがええか?? 二人で爆笑した。 それで理解し合える仲だ。 タカちゃんが、頑張ってね、気をつけてね、と言ってくれた。 あっ、っと我にかえり、深く、胸に誓った。 車中… 電話があった事を話した。 で、どうしたいんや? それが、よう、わからん… ……。 ………。 行ったら修羅場やでぇ、 やなぁ… お前らしぃ無い行動やな、、 ……。 先も考えんと、落としどころも決めんと… やなぁ… だから俺を誘ったんやろ? そういうことや。 かもなぁ… こらっ! ここまで来て、えぇスーツ着て、なんじゃ?(笑) そして、こう言った。 TOKOちゃんは、やっぱりお前の事が好きなんや、それはわかるやろ? かなぁ… お前は、人のことはなんでもようわかるし、冷静やし、かっこえぇのに……(笑) やなぁ…(笑) まぁ、ここまで来たんや、思うようにやったら? オンナとの事なんて頭で考えても仕方ない。そうやろ? うん、そう書いてあった。 “女心のつかみ方” ふたりでクスクス笑った。 で?おっちゃん、おばちゃんは知ってんのか?この事。 知らん… そうか… ウエダはタカちゃんを進学先の岐阜県恵那市から夜中連れ帰り、反対するタカちゃんの親父さんを殴って同棲を始めた…。僕の親父はそれをタカちゃんの親父さんから伝え聞きこう僕に言った… お前の一番の親友やし、小さい頃から知っとるし、ワシも悪さやって来た人間やから多少のことは大目にみる、でもな、身内になる、それも親になるかも知れん人間に手をあげるなんて、お前はどう思う? もしワシが殴られたら、殺してしまうぞ… 親父の気持ちはよくわかる、当たり前だ。だが、ウエダは無二の親友だ。是非を問わずの間柄だ。 僕は、何も答えられなかった。 親父もそれ以上は何も言わなかった。 到着した。三年前、高3の真冬泊まりに来たことがある。天使は焼き飯を作ってくれた。スリル満点の夜だった。 その家は離れとなり、新築の2階建ての立派な家が目の前にある。 ……。 どうする? 一緒に行こうか? あはは…。アホかっ。ひとりで行く。 ここで待ってて。 あぁ。 深く、息をした。 ドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキ…… 小さな頃からチヤホヤされて、思いのまま育ってきた、挫折など知らず思うように生きて来た。 そんな、甘いお坊ちゃまになにが出来るとゆうのだ、ひとりで夜中思い描いたように事が運ぶほど世の中甘くは無い、、とは、わからなかった… 僕の、初めての修羅場のゴングは、鳴った。 “Din.Din” 僕は21歳だった。 天使が一番なりたいと言っていた21歳だった。
2010.01.26
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ーpolonaiseー 1983年12月25日。PM7:00 お世話になりました。 お疲れ様でした。年末はゆっくり休んで、新しい目標に向かって頑張って下さいね。 ありがとうございます。 アキ君は、もう美容師はやらないって言ってるけれど、またいつでも始められますから。基礎はしっかり習得出来てますから自信持ってて下さい。 ありがとうございます。 この時代の年末年始の美容室と言えば…。ましてや百貨店内の店舗である。 スタッフの冷ややかな視線と作り笑顔の中、僕は、何者でも無くなった…。 もう、この世界には帰ってこないな、 そう思った。 数日後。 僕の二年の証が目の前にある。 人生で初めての挫折、敗北、虚無感、そして、やるせなさ。 そして、 52万円。 最後の給料、パチンコ貯金、天使との貯蓄。 僕は、四畳半+二畳+キッチン+共同トイレ+風呂無し+呼び出し電話付き、家賃13000円のアパート代金1年分を先払いした。 電気ガス水道料金1年分を大和銀行平野支店へ入金した。 残金30万円。 なんの感慨も無い、期待も無い、不安も無い。 ただ、ただ、あるのは、おめおめと美容師なんかやってられない、とゆう気持ちだけだ。 ここにはいたくない、とゆう気持ちだけだ。 天使が嫁ぐ時、僕は誰とも関わりたくない、何もしていたくない、とゆう気持ちだけだった。 僕は、天王寺の国鉄みどりの窓口へ行き、三年前と同時刻発の切符を買った。 大阪発20:20分、ブルートレイン“日本海2号・B寝台車”青森行き。 しかし、周遊券は無かった。ピンクの小銭入れも無かった。そして、無限の可能性も、希望も無い。 あるのは、 ただ、 現実逃避だけだ。 出発日は1984年1月29日。 天使の嫁ぐ二週間前。 21歳の男が傷心旅行に真冬の北海道へ… 我ながら、情けない。 そして、この事は誰も知らない。美容師を辞めた事さえ誰も知らない。 それが、僕なのだ。 三度目の北海道へ… 流氷の啼き声を聞きに行こう、 タンチョウ舞いを観に行こう、 僕は21歳だった。 天使が一番なりたいと言っていた21歳だった。
2010.01.25
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