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T360(AK)のブログなどは数多い、一番情報多いのがフェースブックのブログ。こちらです、T360/500 owners group新しい記事は毎回見てる、今回はゼロ戦色T360.20年前に県内の愛好家さんから譲ってもらった。T360は水色と思ってたらなんとブリティッシュグリーン。なんで塗り替えたのですか?聞いたらこれはゼロ戦色、塗装やさんにプラモデルの箱を持って行き塗ってもらったそうだ。ゼロ戦に愛着有りそうなので、私はこのまま乗ってる。この愛好家さんT360を4台持っていて私のゼロ戦号が最後の1台と聞いた。前の3台は高齢のため中古車屋さんに売却したそうだ。それから10年以上たったころ「ゼロ戦号売ったのですか?」知人から電話頂いた、まだ持ってます。中古車屋さんに売ってます、写真も送ってもらった。全くうり二つ、これで思った、前オーナーさんは4台ともゼロ戦色に塗ったのかも?2台は確認してる、残る2台はまだどこかに寝てるはずだ。これは私のではありません。Hマークはゼロ戦の裏側の空色、うり二つ、あと2台有るはず。
2022年04月14日
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このブログ「T360公道復帰」は2002年5月14日から始めた。ホンダT360を検索したときヒット数たった27件、20年前。ほとんど写真だけのリンクだった。あまりにも情報少ないのでブログ書き出した。(今はヤフー検索で55万件)昨日でヒット数800万回超した、最初のブログ、写真無い。たぶん一千万回ぐらいまでは行きたいが今でも高齢者の部類に入るので、落ち葉マーク付けるまで頑張ります。T360とアペ、実はアペの方が古くから持ってる。2002年5月19日エンジン始動、開始から5日でエンジン回った。5月19日のブログ。
2022年01月24日
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T360の動画はタナボタさんのYouTubeに、越中八尾のクラシックカー参加時のYouTube動画が新たに出来た。雰囲気はタナボタさんのによく似てるがこちらは荷台に発動機有り。当方の説明は公開前提にしてないオヤジの与太話なので、それなりに。八尾クラシックカー、越中八尾一人発動機運転会。タナボタクボタさんのT360ユーチューブ動画。再生回数11万回とは恐れ入る。
2021年12月03日
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約10年前、ホンダ公式HPのT360紹介では「真の幻の名車」と書かれていた。それから台数が増えたので、この名称は削除された。オーナーはいまだに真の幻の名車と自負してる。ホンダT360は週末29日のお台場に展示、ニューイヤーミーティング、ブース32番に展示。見に来てください。なんでT360が良いの?、これは本に関係する。軽トラなんてどれでも一緒だと思ってたが1978年発売の「ホンダスポーツ」にT360試乗がある。発売15年ですでに絶滅寸前機種、全国を探して1台見つけている。記事も感傷的で、後、数年で絶滅するT360を忘れないで欲しいとある。注)古いブログは写真が無い、楽天ブログで削られたから。最初は写真無制限だった、利用者が増えてきたからか突然、100枚に制限されて大量の写真は消滅した。下は10年前のブログをコピペ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日、紹介した新刊・日本の軽自動車のT360説明文に「現存数は多い」 書いてあった。 全国津々浦々、取材に出かける甲賀さんの記事なので間違いない。T360をwebと雑誌に紹介された固体だけ見ると かなり少ない、が、実際には氷山の一角、まだまだ隠れている。新城市で開催されたAK講習会には見たことも聞いたことも無いT360が3台参加していた。 愛知県の一地域で素晴らしいコンディションが3台なので この分布で行くと、全国には・・・・かなりありそうだ。このブログのトップページにリンクしていた ホンダさんHPのT360のページは削除されたので、リンクを消した。 公式HPには「真の幻の名車」とT360を紹介していたが、 台数が多い(増えてきた)せいなのか?幻でもなさそうなので ページごと削除された。私は「真の幻の名車」と勝手に思っているので、 「かって絶滅寸前の「真の幻の名車」と呼ばれていた軽トラがある」 これからはこう書く。 第3回AK講習会のT360。 湿式オイルバスクリーナーの初期型T360。 新城市東上駅前。
2017年01月25日
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楽天ブログ先月末から始まったアクセㇲレポートは昔のどんなブログが読まれてるのか分かり面白い。ダントツがアクティクローラ、イベントレポも多い。次に珍しい固有名詞、レベデンコやランツブルドックなど。昔のレベデンコ戦車のブログ下記に貼り付け。不整地走行にはクローラ(キャタピラ)方式と車輪を大きく(トラクター)方式の2種類ある。 トラクター方式の一番大きい車輪は直径15m、そんなデカい車輪なんかホンマにあるの?調べたら、ほんまに有りました。 巨大車輪の戦車。 何処かのブログから1枚拝借。 敵に与える脅威は最初だけ、その後は標的になるだけ。 実戦には一度も出ていないそうだ。たしかに 大量投入し、横一線で進軍して来ると恐ろしい光景になる。レベデンコ戦闘車両の説明T360の不整地走行に全輪に直径1.5mの車輪を付ければ面白いと思うが、乗り降りは大変。クローラ方式が一番賢い。当時の軽四は全長3m未満、車輪は最大でも1.5m以内になってしまう。T360のクローラは各部にサスペンションが付いていて豪華な造り、工業農業用クローラとしては別格、これに近いクローラは採算度外視の戦車だけ、アルミを多用してるので戦車以上かも。
2016年10月20日
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昭和39年(63年)発売のT360は約4年間発売されていた。生産台数は約10万台。最近オークションにT360がよく売りに出てる。T360BK? BKとは正式な名称ではない。T360の型式はAK250、後期型はエンジンが大きく違うので当時のホンダSFで区別のためBKと呼んだ。AKは前期と、途中でN360と部品を共通にして、コストダウンを図った、後期(BK)に分かれているが、これだと大雑把過ぎるので、さらに、1)最初期型 (オイルバスエアークリーナー)2)初期型 (鉄板ボンネット、グローブボックスの蓋)3)中期型 (プラボンネット、引っ張りスイッチ)4)後期型 (セルダイ、サイドマーカー)後期型(BK)は残存数が少ない。BKの特徴であるサイドマーカー(ウインカー)はBK以外にも販売店で穴を開けて付けていたそうだ。プラスチックボンネットも部品として前期にも付けていたのでこれも判定材料にならない。後期で鉄板に交換した場合もある。キャブの種類での判別も無理、最初期型から2と4キャブがあり、途中でキャブは交換されている場合が多い、、キャブ数でも無理。結局、車台番号だけが頼りなのだが、現存する物が少なすぎて良く分からんし、なんとも・・・・特に我がAKのように中期型は何でもあり、改造もされてる。ワンオーナー車以外歴史不明。最初期型のさらに初期型は灰皿が上に付く。 後期型(BK)のサイドマーカー、横にもウインカーが付く。この写真のBKは荷台は前期エラ付き、なんせ50年前の車なので部品は交換されてる。T360は外見内装だけで年式は判別できない。AKBKの違いはエンジンを見ればわかる。座席の下がエンジンでいっぱいなのがAK、BKだとセルダイなので多少地面が見える。後期型の正式名称はAK改。
2016年10月14日
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日本機械学会というのがあるそうだ・・偶然ブログで見つけた。2007年から遺産として永久に残す国産機械のリスト。国の産業遺産登録は有名で福井県からも何件が登録されてる。機械遺産のリストを見ると、ホンダからはCVCCとF型カブエンジン。ヤンマーのHBも登録されてる。機械遺産のパンフレト。申告制みたいだ。石油発動機運転会に行けば登録できそうなのが五万とある。個別の登録より全国の石油発動機愛好会か運転会をまとめて登録するのも面白いかも。北海道の「土の館」トラクタ博物館が昨年登録されてる。1台づつでなく施設も登録されてる、発動機運転会は??昨年開催された国指定・近代化産業遺産「ゆめおーれ勝山」での発動機運転会。これに参加してた発動機に脱穀機、選別機にバーチカルポンプなどは、十分に認定の資格がありそうだ。昨年大野市で開催された運転会のヤンマーHB、これなどは国と機械学会のダブル登録の発動機。ホンダT360(AK)は日本初のDOHCエンジン、申請すれば登録されるかも? AK以前の一般的なエンジンはOHCでなくOHVエンジン、OHCを飛び越してツインカム。恐ろしいぐらいの画期的なエンジンになった。
2015年02月09日
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来月T360の車検、2002年に始めての車検を取ったときから何回目か・・それでも軽トラは車検代が比較的安いので助かる。T360専用のブログなのに最近T360の話題が少ない。大野発動機運転会でも普通に走っているので話題が無いということは・・元気な証拠。福井~大野の無料高速は@キロで巡航、エンジン絶好調!春の大野では7台のAKが参加した。東芝カラーのAKも参加。ハデなカラーリングなのでAKでは一番人気。2002年のブログのリンク先はこちらに。このブログ自体はT360専用だった、当時のインターネットでT360を検索すると28件だけヒットした。少ない情報に驚いて、T360のブログを作った。最近は発動機の話題が多いが、本道はホンダT630です。
2014年08月23日
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連休は雨なのでT360での走行不能、エンジンは調子良いので鈴鹿AHSMは何時でもOK、臨戦態勢は常時維持。1週前に作手村に行くかも? 現在まだ未定。いま発売されてる雑誌にS360の記事が多い。開発時の記事もあった。S360はホンダ車内の数名の名人が手作りで作ったのかと思ってたら、総力を挙げて製作してる。開発スタッフの集合写真を見ると・・・人の数が多い。制作費は現在のスーパーカー1台ぐらいらしいが、これは部品代。人件費も入れると恐ろしい金額の軽四輪になる。中心開発スタッフ3名の写真が載ってた(茂木でのS50周年の時?)一人はFTPのゲストとして福井に来ていただいた伊東和彦さん、スーパーCG元編集長で自動車史の専門家。今年の「T360友の会」でモテギサーキットを走る前にサーキット見学しに行ったら、川本社長と伊東さんがおられた。(右側・伊東さん)FTPラリーのゲストとしてお越しいただいたとき、控え室でT360の載った名刺をお渡しした。いきなり「S360・・知りませんか?」聞かれた。田舎に来て、T360なら、S360を持ってるか、もしくは情報があるかも?S360の話しは当地ではまったく聞きません、と答えた。伊東さんは、特別な許可をもらってホンダに残る古い資料を探した事があるそうだ。日本におけるS360の第一人者。FTPゲストとして小林彰太郎氏はジャガーで福井まで来られた。だいたいゲストさんは高級車で来られる。OT誌の甲賀編集長は長距離深夜バスで福井まで来られた。いかにもですが、伊東さんは福井までJR鈍行で来られた、なんでドン行なんですか?一度、福井まで各駅停車で行ってみたかったそうだ・・・
2013年11月04日
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さいたまさんBBSを見たらホンダT360の動画のリンクが・・見てビックリ、12分の動画。内容が素晴らしい。50周年を記念しての事業所巡回「モノ語り」展用に制作した映像。はっきり言って最高のムービー。超お勧め・・・ホンダ4輪発売50周年ムービーT360友の会でコレクションホール見学した時の、スペシャルゲストの元コレクションホール館長さんからの紹介らしい。 昨日、クラシックカーフェステバルin金沢の参加受理書が届いた。9月22日開催、これを我がT360の50周年イベントとしようと考えてたが、T360の発売は1963年8月、9月ではひと月遅い。今日からの大野市・発動機運転会を50周年記念イベントに決定。道路の使用許可もあるらしいので、炎天下展示予定。ひとりホンダ50周年、今日が発売50周年の記念日になる。荷台に発動機3台と小物多数の満載状態。一番困ったのがA1サイズの説明パネル、発泡スチロールにアルミ枠では荷台にしばりつけると破損する、試しに助手席に載せたら・・・載った。運転に支障なし、これが積めるとはAK恐るべし。50周年ムービーにも有るが、当時は三人乗りもあったのかも?荷物満載。後部車高が低い。CB125を3台積んでの走行・ハンドリングにまったく影響無しなのでこれくらいはヘッチャラ。
2013年08月10日
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4日、ツインリンクモテギで開催された歴史パレードのレポがUPされた。最初はしげカッパさんの参加レポ。T360は2台参加と聞いていた、1台は関東の雷電号。もう一台が不明だったが、福井県から参加のコマーシャルカーだった。遠路ご苦労様です。S参加のS800Mさんのレポはこちら。次回は50年後の100周年歴史パレード、今回参加した車両は間違いなく50年後も参加すると思う。さいたまさんのレポ。臨時AK講習会になったみたいだ・・・
2013年08月06日
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50周年歴史パレードの動画は多数Upされてきた。この動画は50年後の100周年歴史パレードで再び見る人が多いのでは。honda s800m 1969さんのブログに動画。s800mさんは、前回の鈴鹿サーキット開業50周年パレードは先導車を勤めたが今回は色別なのでS最後尾、後ろにAKが連なってるのでAK動画になった。メインスタンド走行中。スタンドに観客が少ない? 皆さんピットに移動してるのでピットは満員。ホンダ公式動画はこちら。2&4レース中のスタンドは満員、もの凄い人。2輪4輪のダブルレースは見比べれるので面白い。今回、初めて観戦した。shiraさんのブログにも動画あり。写真はこちらのブログに。スタンド前にはトミカが年代順に紹介されてた。T360コマーシャルカーは今回、実車が走行するので選ばれたのかも?ASは500が無かった。コレクションホールのT360も正面テントに展示されてた。
2013年04月25日
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今年のフレンチトーストピクニックの目玉車にT360展示。フランス車中心のイベントにホンダ車もなんですが、ホンダ4輪発売50周年なので最初で最後の、お立ち台展示になる。ホンダT360はFTP作業車として使用してるので、イベントの前後に登場してくる、ようは後片付けなので見た人は少ないと思う。昨年、取材されたJAIA様レポに偶然T360が写っていた。JAIA様から写真一枚拝借。後ろに小さく写ってるのがT360、作業中です。今年は晴れ舞台?ホンダ4輪発売開始50周年記念パネル製作して展示します、乞うご期待(誰も期待してない)日本初DOHCエンジン搭載T360。どれほど画期的だったのか、それまで・・・・国産車は全てOHVエンジン。OHCエンジンは高級車グロリアスーパー6に初めて搭載された。グロリアのカタログには日本初のOHCエンジンと大きく書いてあり、さらに、虫眼鏡で見るような小さい文字で「一部商用車を除く」と書いてる。一部商用車とは、つまりDOHC軽トラ・T360。当時の最高級車の二歩先を行ってた・・・FTPですが、今年のディラーさまが用意する試乗車は8~10台になる。いろんなフランス製新型車が試乗できます。
2013年04月03日
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今年でT360発売50周年。実際に公式に走ったのは1962年鈴鹿サーキット完成(半分だけ)の時。日本初のサーキット、鈴鹿サーキットを一番最初に走った市販車はT360なのだが、当日の目玉は発売されなかったS360。本田宗一郎と中村良夫の乗ったS360は写真などで見てるが、この時、T360は本当にサーキットを走ったのか、展示だけ?走った、とはどの本にも書いてない。というよりも・・・軽トラごときの記事が無い。AHSMゲストで来られた山下克吉さんに「本当にT360は、走ったのですか?」聞いたら、「間違いなく走りました」。当時の現場担当者の話なので間違いない。日本で最初にサーキットを走った市販車はホンダT360となる。山下克吉さんの『ホンダ四輪の挑戦』 前回の紹介は2007年9月3日だった。絶版ではなく注文すれば入荷する。山下さんは入社した時(1962)から日記をつけている。この日記を元に出版、ほとんどボヤキの毎日。このボヤキが貴重な資料になる。1966年5月の「脆弱なサービス体制の時代」では、設計スタッフも全国の顧客訪問をしている。66年に北海道にクレーム修理のため、全T360オーナー宅に訪問している。といっても、この時、北海道に10台しかなかったそうだ。たった10台、T360が発売されて2年以上経つのに10台とは少ないので、山下さんが担当した台数かも?ベテランAK乗りさんから、鈴鹿AHSMで面白い話を聞いた。ハンドルロックを採用した車はSが日本初。最初のロックに不具合が見つかり、地元販売店の方とオーナーさん宅を訪問し、販売した担当者がボンネットを開け、バッテリーやクーラントの点検し、オーナーさんと車の調子など雑談。その間に、本社から来た社員が、こっそりロックを交換したそうだ。販売台数も少ないし、リコール制度も無かったと思うのでこんな方法で部品交換したのかも?どこのメーカーも当時はこんなもんでしょ・・ちなみに、バイクのハンドルロックはもっと古く、ラビットS25が日本初。盗難が多かったみたいだ。
2013年01月22日
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今年はT360が発売されて50年、半世紀になる。当地で毎年開催されるFTPに100年前の車は何台か参加してる。100年だと国産車に出番は無い、が、50年後には100年になる。問題はここ、T360・100周年の盛大なイベント?では半分の50年の記録が出てくる、ので、50周年の記録を残さないといけない。ホンダSは台数が多いが、T360の実動台数は少ない。50周年イベントを開催しても、せいぜい10台。この少ない参加台数が貴重。NYMが初っ端、その後何回かあると思う。たとえ2~3台でも50周年記念イベント。東北大震災で被災したT360もありました。数台は100年後も間違いなく生き残る。T360の50周年は、ひっそりと何処かでやってます。
2013年01月10日
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来年でホンダが4輪車を発売して50年めになる。4輪1号車となるT360なので50周年イベントは当然必要。何をするの?1)ホンダ主催の50周年イベントに参加する。2)ホンダ・ツインカムクラブ主催のイベントと合同。3)T360だけで開催する。1番は、たぶんホンダ主催50周年イベントは無いと思う。鈴鹿サーキット50周年が済んだばかりだし、マツダの50周年はクラブ単位で開催したぐらい、昨今の経済事情では?2番は、ツインカムクラブは関東関西にありT360だとAHSMになる。毎年のイベントなのだが50周年となると盛大なのでは。AK単独で鈴鹿は? 費用的に無理。3番のT360オーナーさんだけで、ささやかに。集まっても10台だと思うがこの少なさがAKらしく、懇親会だけでも十分。場所は?ツインリンクモテギか鈴鹿か、関東か関西かになる。中間の浜松もあり、本田宗一郎伝承館も面白そうだ・・・浜名湖周辺でT360だけの本格的クラシックカーラリーは面白そうだが準備する人が足りない。故事に習い、祇園で記念撮影して懇親会もあり・・・本田宗一郎記念館(伝承館)。AK講習会で一度訪れてる。何処で何をするのかは、1月のNYMでの話しになりそうだ。50周年はどのメーカーも盛大にお祝いするが、国内メーカーは雑誌などで見る限り・・記憶に無いような?写真はフェラーリ50周記念。豪華なのはフェラーリだから、AKは愛好者だけでひっそりと、ホンダT360らしい・・・・・
2012年12月19日
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雑誌に不整地走行にはクローラ(キャタピラ)方式と車輪を大きく(トラックター)方式の2種類あると書いてあった。一番大きい車輪は15mと書いてあった・・・調べたらほんまに有りました。巨大車輪の戦車。 何処かのブログから1枚拝借。敵に与える脅威は一瞬だけで、後は標的になるだけ。実戦には一度も出ていないそうだ。大量投入し、横一線で進軍して来ると恐ろしい光景になる。レベデンコ戦闘車両の説明。クローラ方式はT360スノーラ。この方法が一番賢い。 なぜ本田宗一郎がこんなハーフトラックを作ったのか?たぶん、進駐軍のM3ハーフトラックに興味を持ち・・作ってしまった。
2012年10月22日
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我がT360は公道復帰して10年、まだまだ元気。エンジンは一度も開けてない、現在実動中のAKはこのパターン多い。つまり・・・触らなければ、このエンジンは壊れない・??(そのままだと80%まで、開ければ100%の性能が出せる)昔は故障の多い軽トラで、結局、これが原因で後続車種のTNの下取りに、それも半ば強制的なものだったそうだ。ホンダとしても面倒な車種は楽な車種(TN)に替えたかった。ホンダツインカムのエンジン寿命は?昔のSFスタッフさんの記憶では4万kmらしい。まもなく5万km、まだまだ逝きそうにない。エンジン状態の判別方としては500km走行で500ccのオイル消費量が目安。(聞いた話では)これ以上のオイル消費は分解整備の目安となるらしい。ツインリンク茂木まで1260km走ってオイル消費量は約200ccだったので、まだまだ走れる。 (走り方にもよりますが)T360が表紙の書籍。T360の発売は来年8月で50周年。50年前の今月に鈴鹿サーキットで始めてT360が披露されてる。同時にS360も披露され、写真などでS360の走行は記録されてるが本当にこの時、T360も走ったのか?AHSMゲストとして来られた著者の山下克吉さんに聞いたら、あの時、間違いなく「T360は鈴鹿を走った」そうだ。鈴鹿サーキットを走ったホンダ市販車第1号は・・・T360になる。11万台製造されて、現在、実動車は20台ぐらい。つまり、今も生き残ってるAKは強運の持ち主、壊れるわけが無い。
2012年06月23日
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今月でHONDA・T360入手から10年になる。早いもんだ・・・・このブログも10年目、今月中にカウンターが150万回になる。100万は2010年4月なので8年かかってるが150万は2年。前回の100万回のブログ。10年区切りで終わっても良いのだが、イベントが次々あるので当分は続く。入手した時、公道復帰すれば日本で2~3台の貴重な軽トラと信じてたら・・・次々と実働車が現れる、T500のオーナーさんからもコメントいただいた、T500には、たまげた。初めて鈴鹿AHSM見学した時、「てぃ~さんびゃくろくじゅ」と言ってたら、皆さんAK、 以後、私もAK(エ~ケ~)と呼ぶようにした。お世話になってます。これからもよろしくお願いいたします。
2012年05月02日
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来年8月はホンダT360の発売50周年。これがホンダ最初の4輪車になる。2ヵ月遅れて、10月に始めての普通乗用車S500が発売される。発売差はホンダの本気度の表れ、ホンダSも出来てはいたがオープン2シーターでは企業の本気度が?当時の売れ線は貨物車。ホンダT360の型式はAK250、オートモービル・貨物かカーゴだと思う。開発主任の中村良夫は、著書ではAK360と読んでいる。たぶん、会社内での開発コードはAKの360ccなのだが、登録時点で、この安易な名称ではすでに登録されてたと思う。AK250となったのでは?翌年9月に発売されたT500はAK280。T360のレストア終了、いよいよ登録となった時に、ガレージ証明がいる。登録事務所に出かけ書類に記入して提出。担当者からAK250の後ろの数字も記入して下さいと言われた。AK250だけなんですが・・・・だいぶん待たされて、AK250で証明書が出来上がった。来年はホンダ4輪車50周年、ホンダが盛大なイベントを開催するか?昨年からの災難続きの企業状態を考えると・・・無いと確信できる。ダイハツも公式50周年はなかったみたい?なので・・やっぱし無いな~来年のAK講習会は鈴鹿サーキットのサーキットホテル集合、泊まりはサーキットホテルか近くの宿にして懇親会。結局・・ホンダ50周年の大パーティーと題しても実際は、参加車が少ないので居酒屋での、ささやかな催しになりそうだ。AK250とC100。共通点は斬新なデザインと強力な新エンジン。個人的には、AKのデザインはC92だと思う、AKとは神社仏閣。
2012年01月03日
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関東でT360とスノーラのセットを売りたい方がいるそうだ。電話があったので関東のAKオーナーさんを紹介したが、どうなるなら??雪の無い地域では難しいかも・・AKスノーラ、これは実際に凄い走りをする。以前、雪の時期にスノーラのTV取材があった。放送は15分ぐらいだったが、スノーラの取り付けから収録。これは良い記録になった。スノーラの脱着は案外かんたん、本体の重量は70kgあるが持ち上げることは無く、ゴロゴロ転がしていけるので重くは無い。ジャッキアップしてボルトの位置を合わせ、バールで押し込みボルト固定。たったこれだけ、最初は不安だったが・・・これでなんとも無いらしい。チェーンドライブ、これってSとどっちが先なのか?Sの応用だと思うが、Sがスノーラを応用したの?前輪に着けるスキーは持って無い、これがあると新雪で無敵なのかも?新品木箱入りでもってる方はいます。たぶん、探せば木箱入り新品スノーラも残ってるのでは・・古い雑誌にAKバンタイプのスノーラ郵便配達車。雪国で実際に多く使われたそうだ。ツインカムのトラックはアルファにもあるが、ハーフトラックはAKが最初で最後だと思う。
2011年10月29日
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我が家にT360がやってきたのは2002年のゴールデンウイーク。ジャパレン積車を借りて取りに行った。事の発端は、「福井にT360は存在しない!」これは定説だったが、ある時、福井に有るらしい?との話を聞いた。 今までも数回聞いたがガセ。今回は電話番号まで教えてくれたので、かなり期待して電話したら、見学何時でもOKの返事。日時を決め自宅までAK見学に出かけた。第一印象は・・・ホコリの塊、色が水色でない、荷台が写真とは違う。有鉛ガソリンが無くなってから乗ってないそうだ。これがT360なの? オーナーさんは4台持っていてこれが最後の1台だそうだ。各部の写真を撮らせてもらった。帰り際に「この車、買ってくれませんか?」 二つ返事でOKした。取りに行ったら、見違えるほど綺麗。ワックスでピカピカ。付けてくれたパーツはダンボール箱に数箱、さらにスペアーエンジン1機。さらにおまけに、奇怪なアルミの塊も2個。スノーラだった。最初のブログ。
2011年08月20日
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現在走れるT360とT500は500で1台、360で30台は無いと思う。海外にも何台か走行可能状態で生存してる。オランダのT500、ベルギーにも1台確認している。北米のT500、有名なホンダ専門ショップにある。以前、鈴鹿AHSMにオーナーさんが参加してたそうだ、t5さんとAK情報交換したそうだ。webなどで確認できるのは北米でこの1台だけ。ドイツのホンダ専門ショップにも1台確認できる。グッドウッドのT360、海外では珍しい360cc。イギリスのレース場では有名な車体らしい。同じ右ハンドルのオーストラリアでも数台確認されてる。国内の有名車体。ガレージAKさんのAKは新車同様の車体、奇跡の車体。この車で初めて殺人(凶器)ミラーなる言葉を知った。T360の宣伝カー、販売店(ディラー)が本社より購入した。赤のヘッドマーク生産台数はかなり多そうだ。最近、発見された赤ヘッドマークの未再生車。現在レストア中。 オリジナルの幌は貴重。初期型なのでアッパーアームとアンダーアームは組立式。足回りの微妙な調整が出来るので、レストアすると調整が難しいのでは?ベテランさんに聞くと、そんなに難しくは無いそうだ。それに組立式アームはAKだけでなくS600初期型にも使われていたそうだ。最近、ネタも無いので昔の写真を徐々にUP予定。改めて見てみると、数が多い、多すぎる。
2011年08月08日
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ブログを始めて9年目、あの当時ブログなる名称は無く単に、日記。9年前の日記を見たらレストア最中だった。とにかく、何にも知らないで始めた。今のように情報があれば、AKレストアは難易度高く、長いトンネルに見えるが知らない強みで、いけいけドンドン。今すぐにも走りそうな勢いだ。2002年7月6日の日記。次へ、で次の日記に行きます。今思えば・・・レストア中が一番楽しかった。写真が無い! 楽天が日記を始めた時には写真無制限だった。これは便利と始めたら、利用者が多くなってきて写真は一人100枚までと突然決められた。数百枚あった写真は切られた・・・ (クラウドの発想はなかったのかも)今は有料で無制限。純正ウオーターポンプリペアーキット。これはカーボンなのでS600用セラミックを使ってみた。9年経ってもまったく異常なし。S600用セラミックシールが使えることをブログで書いたら、webのセラミックシール説明に(T360にも使用可能)と書かれていた。こんなの試したのは私しかいないので、ブログを見られたのかも。あの当時、T360用としての需要は無かったと思う。
2011年07月06日
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T500についても、電話でいろいろ聞いた。当時のディラーでT500はよく売れたそうだ。ただし10台売れると10台ともT360になったそうだ。T500にT360のボディーを載せるか、T360に500のエンジン移植。T500の排気量は魅力的、私も試乗したがT500は別格のパワー。普通トラックは車検・税金と不利、軽四輪で登録したそうだ。レストアしピストンを計ったら、エンジンは560ccだった。これが、それだと思う。当事者さんが感心するのは、t5さんの「シングルナンバーT500」の存在、信じられないそうだ。当時でも無いのに現存している。あのT500は奇跡の生存かも。鈴鹿AHSMのT500。プラグをサーキット用の10番に交換中。同じ車体で200cc近くUPすると走りは凄い。我がAKは8番にしてる、これだと11月でもなんとか一般道を走れる。気温が高いときには9番。
2011年02月03日
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昨日ブログのT360ライトバンのリンクの正体は?当事者さんに見てもらった。古い話なので記憶があいまいだが写真のライトバンは関西では無いそうだ。関西のディラーオプションのライトバンは後部席との間仕切りが無く左側に乗降用後部ドアがあるそうだ。3枚ドアになる。リンクの写真では左側が写ってないのでドア不明だが、運転席の間仕切りは残っているので関西の某板金所の製品ではない。当時、全国のホンダサービス(SF?)は顧客の要望で改造してた。あのようなバンがあったのかも。ディラーオプションでなくアフターパーツの可能性もある。当時の関係者さんも写真のライトバン風のAKは初めて見たそうだ。それにしても写真のバンは良くできている。高さも合ってるしT360専用のバンには間違いない。たぶん残っているのはこれ1台だけだと思う、貴重な車種。電話でいろいろ聞いた。それによると、「T360最初期型は木製荷台」の都市伝説。木製荷台はありえないそうだ。ただし、ディラーでバイク輸送用として荷台を取り払い、アングルを溶接し木製の枠を付けたのが実際に何台もあったそうだ。このAKが走り回ったので木製荷台と思ったのかも。ディラーからの要求でその後、三方開きとフラットデッキが発売された。Sもグラスファイバー車体で新規登録できた。T360もカタログ以外にもっと種類がありそうだ。バイク屋さんが使う時、一方開きはカブ1台ぐらいしか載らない。高床式三方開きなら3台は積める。
2011年02月02日
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石川県の日本自動車博物館に「輸出された左ハンドル車」のコーナーがある。実に多種多様な左ハンドルが展示されてる。それならばT360に左ハンドルもあったのか?左ハンドルはかなり製造され、主に東南アジアに輸出されたそうだ。ただしメーカー製造ではなく、ディーラーオプション。注文があるとディーラーで左ハンドルにして輸出したそうだ。当時のディーラーは注文さえあれば何でも作った。ぺダル位置は右からABCとなるが、CBAのクルマも作られた。主にハンディキャップのある人向け、これで新車登録できたそうだ。間違えて乗ると・・・もの凄く怖い車だったそうだ。今ならオートマが一般だが当時はミッション、顧客に合わせ改造された。一番凄いディーラーオプションはT360ライトバン。T360にオプションの箱荷(バン)はあるが・・・ライトバン。これもディーラーオプションで30台ほど作られたそうだ。T360は荷台に補助席が付けば4名乗車登録できた。1台現存している。(車検証は定員4名)ディーラーでライトバンを作るのは簡単だったのでは。これで新車登録してしまうのは凄い。今となってはカタログも実物も無いので、どんな形なのか?写真が見つかればゼヒ見たいものだ。どなたか写真がありましたら見せてください。日本自動車博物館には輸出用左ハンドル車のコーナーがある。まさか、と思うような車種まである。T360の左ハンドル車も有って当然かも。
2011年01月24日
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北陸の冬は雪の中、なので、なにも動きなし。AKは春まで冬眠。同じく石油発動機も動きなし、あの鉄の塊では触るのも冷たい。オールドエンジンクラブさんBBSも冬なので発動機の話題が少ない。代わりに・・・・AKの話題が多い。と言うよりも、T360のBBSか?九州にもAKが多いそうだ。最近のAKレストア写真を見てると、皆さん複数台所持。こんなに有るのか~九州でAKクラブ創設の話もあるそうだ。AK講習会が九州で開かれるならゼヒ参加したいものだ。もちろん自走参加する。 2005年8月11日、大阪で第1回AK講習会開催。第2回は滋賀県。樹齢300年の「えどひがん桜」の下で開催。Ak講習会とは、オーナーさんで年に1度集まり、一杯飲みましょう、それだけ。
2011年01月20日
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記念すべきホンダT360の発売日は1963年8月。初めて姿を見せたのは1962年6月5日。ホンダ4輪車生産開始50周年はどちらになるのか?63年の販売開始が一番妥当だと思うが、62年も面白い。 62年だと来年。特振法に合わせ、62年の1月に開発が決まり、発表は6月5日と決められてるので、実質4ヶ月で製作。6月4日は徹夜になり、早朝完成したそうだ。これだけの突貫工事だと軽トラ用エンジンを開発する時間は無い。S360のエンジンで行ってしまえ・・・・前代未聞のDOHC軽トラが出来上がった。50周年をどうしようか・・・マツダなどの他メーカーは50周年を終えてる、目だったイベントなし。この不景気では予算が回らない。その場合はAKオーナーさんが集まり、細々と50周年イベント開催。別段なにもしません、集まって一杯飲むだけ。バブル期のフェラーリ50周年は盛大だった。122を展示してあったが、ホンダだとステージに軽トラが鎮座することになる。たしかにT360は「真の幻の名車」なのだが、ただの軽トラ、一般うけはしない。S500が無難かも。たぶん、ホンダ公式4輪生産50周年イベントは無いと思う。まさに。
2011年01月11日
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ホンダ製品で最もユニークな商品はスノーラ。カセットボンベ使用の発電機もユニークだが、ハーフトラックとなると桁違い。 発売中の雑誌グランドパワーにシトロエン・ケグレスの写真が載ってた。(国内では最も古いハーフトラックの写真だと思う)大正14年に陸軍技術本部がモロッコの砂漠で活躍してたシトロエンのハーフトラックを参考輸入したそうだ。雪上車として厳冬期の弘前に送りテスト。これが日本で最初のハーフトラック走行になる。当時の新聞にも報道されたそうなので、当然、本田宗一郎も知ってたはずだ。参考輸入したハーフトラックはこれ?大正14年は1925年、スノーラ発売は1964年。アメリカ軍ハーフトラックも1925年にシトロエンを輸入したのが初めて。日本もアメリカも同じ年に輸入してる。ドイツも同じ年に輸入したのだと思うが、貧相な日本の工業力で大量生産は無理。M2ハーフトラックの説明。ハーフトラック(スノーラ)はアクティ・クローラとして現在も発売してる。特装会社が特殊用途向けに受注生産するのなら分かるが、大メーカーが50年も生産を続けているのは・・・・・・凄い。アクティクローラ、クローラを外すと6輪車になる。
2011年01月08日
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昨日の地元新聞朝刊に、T360が載ってた。来週ある番組の番宣。来週「ユニークな愛車」として登場予定。間違いなく・・・ユニークです。昨日の番組見て、高橋ジョージさんは確かに芸人、話が上手い。AKの場合もあんな感じだったので、面白い番組になりそうだ。私の説明は足りないはず。何を話したか記憶に無い。AKのデザインも話したかったが、その時は忘れていた。T360は神社仏閣。C92(プレスハンドル)一緒に並べるとデザインの類似性がある、と思うけど・・今回は奥に置いてあったので写ってないはず。T360最大の殺し文句は、本田博俊さんが語る「ホンダT360ボンネットの大きなHマークがオヤジの生きざまです」これも話すと良かったが、5分ぐらいの放送では無理。
2010年02月02日
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T360の取り説やマニュアルは試作車で作っているのか別物みたいな写真で説明があったりする。サービスマニュアルは車台番号00008番で製作されている。AKは朝令暮改で改善されてたので・・・見たことない写真が載ってたりする。t5のKさんmixiブログT500の取り説に載っているイラストは見た事ないタイプ。後部バンパー付きは昔、実際にあったそうだ。 t5さんブログから拝借。オランダで発見された後部バンパー付きAK、国内では現存確認されていない。このAKも専門ショップに運ばれたみたいなので、完成が楽しみだ。
2009年03月17日
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もしT360を発見し、観察すると・・・ひょっとすると初期型かも?判別のしかた。T360初期型はインパネのスイッチでも判別できるが、最初期型かはインパネだけでは無理、ただし、灰皿が上に付いていたら文句なしに初期型の前期?(ややこしい)。エアーフルターが湿式オイルバスなら初期型、荷台下がこんな感じなら文句なしに古い。ダイナモの後ろにオゾン抜き用ゴムホースが付いているのは最初期型。これはツインキャブだがアルミの色が違うので、後付けかも?もしオリジナルだと、最初期型から4キャブと2キャブの二本立てなのでキャブの数では判別できない。オイル入れのパイプは上のほうに付いている。最初期型の試作車に近いのはオイルパンにオイルパイプが接続されている。オイルパンから出ているオイル入れ、こうなると最々初期型。(ややこしい)これは試作販売車ともいえる貴重なT360.数台生存しているようだ。手っ取り早い見分けかたは灰皿、この場所の灰皿は最初期型。灰皿、ダイナモ、オイルバスとくれば最初期型なのだが、そんなに簡単でもなく、良く分からない物もある。設計変更は朝令暮改、これが何年何月ごろとかは分からない。かなり遅くオイルバスが付いたのもある。それに、前オーナーさんが交換した場合もありそうだし、ワンオーナー車以外は判らない。エンジンマウントビームがパイプだと古い、などいろいろ見所は有るが、付いてるパーツだけでの判別は難しい。ガラスの年式刻印もガラス交換している場合がある。オイルパンにオイルパイプは、文句無く大発見。それ以外は、キャブの数やダイナモ、セルダイの違いは有ってもボンネットに大きなHマークさえあれば・・・T360。この湿式オイルバス・エアクリーナーが付いているSは最初期型。当然S500。
2008年11月20日
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T360にウイングマークは付くのか?実は付いてます。車体には付いていない、オプションのターポリン(幌)にウイングマークがある。実物は見たことないが、スクランブルカーマガジン65号(1985)に品川ナンバーのT360登場、オリジナルの幌が写っている。20数年前の記事なので現在も残っているのか不明。右下の写真は、確かにウイングマーク。幌の純正支柱、Hmマークが付いている。鈴鹿AHSMで撮影。 幌より弱そうな(錆)支柱が残っているのであれば、幌も残っていそうだ。倉庫の奥に寝ていませんか?ネコパブリッシングの書籍・雑誌にAKは良く登場する。(数年に1回あるかどうかですが)記事の締めくくりは毎度泣かせる・・・SCM65号の最後は、「・・・・トラックでこれほど貴重な扱いを受けるものは他にあるまい、 それというのもT360は単なる珍車だけではなく、 エポックメーカー・ホンダの最右翼車だからである。」23年前には貴重な扱いを受けてたみたいだ。
2008年10月17日
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リンクしている蒙古の2馬力さんブログに面白い写真が・・なんとなんと、T360が教習車として使われている。T360の教習車? 生徒さんも整備担当者さんも大変だったのでは。埼玉県のレインボーモータースクール創立45周年の広告が電車(目黒線)の壁面広告に有るそうだ。蒙古の2馬力さんはmixiなので、見れない方用に1枚拝借。教習車・トラックAKと載っている。教習用にT360が有ったとは・・・たまげた。レインボーさんは創立45周年、T360も45周年なので、当時の最新鋭車種をそろえたのかも。たぶん、ホンダ系の教習所なので、アンマッチさんもご存知かな?私はT360(ティサンビャクロクジュ)と呼んでいた。ASHMに初参加した時は、皆さんAKだった、だれもT360とは言わない。マニアさんだけがAKと呼ぶのかと思ったが、トラックAKと書いてあるので、当時からAKと呼んだのかも?
2008年09月16日
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リンクしているオトキチ(元祖)さんブログにS600ベアシャシーUPされる。AKのレストアが終わり次はS600。おそらくこのSも凄い仕上がりになりそうだ。一番上はN600。この写真はレストア前のS600とT360ベアシャシー(フレーム・エンジン・タイヤだけ)ASとAKスケルトンが並んだ写真はおいそれとは見れない。AKもASも車軸間距離はピッタシの2m、軽四輪全長3mだと車軸は2m。設計は全て、この車軸間から始まった、 だと思うけど?ベアシャシー2枚の写真を見せ、どっちがスポーツカー?だれでも下の写真を指す。AKとは完璧なミッドシップマウント、けれども軽トラ。ただしAKは350kg積のトラック、実際は1t以上積むので、フレームは頑丈、鉄のアングルそのもの。しかし、AKはSより100kg以上軽い590kg(三方開き)。これが不思議だ、オープンセミモノコックだとボディが相当重いみたいだ。最初の乗用車、それもオープンスポーツなのでこれはしかたが無い、これも歴史。河島二代目社長は「箱物は作ったことがないので、とりあえず、最初は軽トラから・・」トラックならボディは簡単?
2008年09月15日
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コレクションホールで特別展が開催されてるそうだ。さらに詳しい案内を探したら、ガリバーHPに有った。この写真はデカイ、それにしても綺麗な車体。春には、コレクションホールの近くまで行ったのだが、館内には入れなかった。何時でも行ける・・・この写真もデカイ、ミッドシップマウント。カタログにミッドシップとは一言も書いてない。「アンダーシートマウント」、3mの車体にこんな大きいエンジンは車台中央にしか置けない、結果、ミッドシップ(船体重心)に間違いなし。ガレージAKさんにお借りしたコレクションホールの写真。ピストンリングと「夢」がメインステージなら、AKと汎用品がお立ち台。綺麗な写真だ。
2008年07月15日
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オークションに出品されていたT360が落札された。このT360はTN360で出品されていた。廃車証にはTN360、排気量660ccと書いてあるそうだ。初期型車体に660軽エンジンが載っているのか?昔はT360にいろんなエンジンを載せたのが有ったらしいので、今、残っていると貴重な車種になる。ミラーを見ると初期型殺人ミラーの次の車種になり、現存しているのは少ない。660cc規格は1990年からなので、30年以上昔にTNのエンジンを搭載して登録、さらにエンジン載せ変えたのか?このT360は案外簡単に動きそうなので?どこかのイベントで見れるかも。昔はS800のエンジンを積んだT360も本当にあったらしい。この改造T360も走り出すと歴史的な個体になる。それに・・・速そうだ。T360一番の変り種は「4人乗りT360」荷台に補助席が付き車検証にも4名乗車となっていて、現存している。全国に眠っているT360はまだまだ多い、ユニークなT360もまだ眠ってるはずだ。見つけて公道に復帰させたい。AK講習会で見せてもらったAKエンジンカットモデル。当時、どこかで実際に使われていたものらしい。これを見たときには正直、驚いた。
2008年04月13日
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ホンダT360は45年前の360cc軽トラにしては速いと思っているが・・・実際はノーマル車では遅い。スポーツトラック、レーシングAKといわれるのは特別。これはトップページのHPAさんの鈴鹿走行動画のせいかも?確かにこの2台は速い、鈴鹿用ギアに交換して、エンジン本体はチューンされている。 (レーシングAKは3台あり、もう1台はもっと速い)鈴鹿を3分40秒ぐらいで走るそうなので・・・無茶苦茶速い!動画に左側を走るAKを追い越すシーンがある。このAKはノーマルT360なので、こんな速さだと思う。それでもストレートで100km以上は出る。 (鈴鹿のストレートは下り坂)T360は速いか遅いか?確かに遅いが、今の街中走行では別段問題の無い速さだと思う。シフトチェンジがいそがしいし、3速までの吹き上がり騒音は凄い、これは、しかたが無い。一応、100km出るので速いような気がする。この写真を見ると鈴鹿サーキットを激走しているみたいだが、実は遅い。サーキットでは町乗りノーマルSとAHSM 54・55・56号車とでは差は歴然、AKもレーシングAKとノーマルとの差は物凄くある。
2008年02月22日
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数日前にブログした佐藤正明著 『ホンダ神話』の上巻を読み出した。上巻も面白くホンダ本の定番。前回の下巻ブログ。T360に関する項目は第1章「二人羽織」 最後の約10ページぐらいに簡潔にまとめてある。長く書いてもだらだらするだけ、T360発売までの経緯が良く分かる。四輪販売はT360とS500が最初からの方針、S360は最初から販売の予定はない。「T360の宣伝用に数台製作された」この説に近い内容かな?販売店会議で公開された最初のS360は試作車ではなく、「試作途中車」だそうだ。同時に展示されたT360は、すでに完成していたと思う。SもAKも販売面では失敗作、どちらも月産百台ぐらいだそうだ。それでも・・・45年経っても、ひつこく走っている。毎年、鈴鹿サーキットに全国から自走参加、遠方では往復千キロ以上、この事実だけでもT360は大成功と言える??序文に「佐藤氏による本書を読まずして、ホンダや世界の自動車産業の現状を 理解することはできない」まさにその通り、しかし、まだ半分しか読んでない。
2008年01月25日
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リンクしているlife4atさんのブログに面白い燃料フィルターの解説がある。アクティー用フィルターには横転時燃料カットの装置が付いている。こんなの初めて知った。まだまだ知らないことがある、知っているのは、ほんの数%。life4atさんは北風さんですか? 問い合わせあり。そうです、分散して3ヶ所にリンクあり。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤正明著 『ホンダ神話』 文庫本が10数年ぶりに大幅加筆され上下で文庫本が発行された。時間がかかりそうなので、少しずつ読んで行く予定。下巻、4章 合従連衡を昨晩読んだ。この部分は加筆された部分で? ホンダ社内の派閥争いに、本田博俊氏の事件が詳しく載っている。博俊氏は無罪、北川は懲役3年。 事の発端は・・川本元社長との・・・いろいろ有るみたいだ・・・著者は、博俊氏がホンダの取締役で残っていれば、社内がまとまりやすかったのでは? 書いている。宗一郎の夢と精神の引継ぎは、なかなか大変みたいだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第4章、GMとの技術提携の文中で、ホンダは4輪2輪汎用エンジン合わせると、年間1千万台、世界最大のエンジンメーカーである。しかし、ホンダエンジンは逆回転なので(反時計方向)他社にエンジン供給が出来ないと書いてある。S2000から順回転に変えたそうだ。T360は順回転だし・・・ この話は本当なのか?詳しい方がいたら教えて下さい。
2008年01月20日
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昨日、紹介した新刊・日本の軽自動車のT360説明文に「現存数は多い」 書いてあった。全国津々浦々、取材に出かける甲賀さんの記事なので間違いない。T360をwebと雑誌に紹介された固体だけ見るとかなり少ない、が、実際には氷山の一角、まだまだ隠れている。新城市で開催されたAK講習会には見たことも聞いたことも無いT360が3台参加していた。愛知県の一地域で素晴らしいコンディションが3台なのでこの分布で行くと、全国には・・・・かなりありそうだ。このブログのトップページにリンクしていたホンダさんHPのT360のページは削除されたので、リンクを消した。公式HPには「真の幻の名車」とT360を紹介していたが、台数が多い(増えてきた)せいなのか?幻でもなさそうなのでページごと削除された。私は「真の幻の名車」と勝手に思っているので、「かって絶滅寸前の「真の幻の名車」と呼ばれていた軽トラがある」 これからはこう書く。第3回AK講習会のT360。湿式オイルバスクリーナーの初期型T360。新城市東上駅前。
2007年09月20日
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オトキチさんのN360の部屋を見ると、67年式N360は特別な重みのある車体みたいだ。T360も63年式は特別である。一番の特徴はオイルバス式湿式エアークリナーにオイルパンから出ているオイルレベルゲージ、灰皿は上に付く。まだまだ違いはあるが、これだけ知っていれば上等。実物は数台しか現存していないので、滅多に見れない。このブログを始めた当初は、サービスマニュアルに載っている、湿式クリーナーやオイルレベルゲージは実車がまだできていなかったので、試作車でマニュアルを作ったのでは?と書いたが、これは間違い、ノープロブレム。湿式エアークリナー。 (手間ひまかかっている)AK初期型に使われている、Sには使われていないと最近まで思っていたが、63式S500に一部使われていて、数台現存しているのが判った。実働T360の湿式エアークリナーは第3回AK講習会で始めてみた。一方開きでは外から見れないのが惜しい。 一番上は三方開き高床式T500。63式オイルパン。 仕切り板がある。灰皿がこの部分に付く。これ以降はグローブボックス横に付く。これは少しでも室内を広くするために、ダッシュボードの厚みを薄くしたと思う?こんなお金のかかる変更は・・・親分の鶴の一声だと思う。
2007年09月07日
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発売中の「ノスタルジックヒーロー」にT360の販売期間が載っていた。SではガレージイワサさんのSレストアとヨタハチのレストア。T360は1963年8月発売。販売終了はいまいちはっきりしなかったが製造は68年後半まで、在庫がはけたのは69年だそうだ。63~69年までがT360の販売期間になる。製造期間は6年間。63年に発売されても販売店へのデリバリーは64年の春ごろなので販売期間も6年間になる。TN360は67年11月から販売された。T360の後継車種なので、この時点でT360の生産は終わったと思っていたが、TN360が発売されても約1年間は生産していたことになる。T360後期型(BK)とはTN360の生産が始まってからなので、なんでこの時、生産を終了しなかったのかが不思議だ。T360は30馬力だが、TNも2気筒空冷で30馬力。きっぱりT360の生産を止めておけば・・・・たぶん、TN360が売れなかったときの安全策?(本田宗一郎はT360に絶対の自信があったのでは・・・売れなかったけど)ISBN4-86031-0365山下克吉さんの著書から年表として記事を拾っていくと、66年5月30日他社の軽トラは26万円台も出てきてコストダウンが急務となり、5万円の価格引下げを決める。66年7月23日AKのコストダウン車を休日出勤で組み立て。66年8月1日月産100台(Sも合わせた数だと思う)の生産台数ではコストダウンもままならず、新聞などでは本田倒産の噂も出始める。67年6月10日F1レースの成績は散々、莫大な財産が瞬時に飛んでいく。量産車のコストダウンぐらいでは・・・・ (社員のぼやき)68年9月25日給料日、手取り20200円。 (5万円のコストダウンは大変だ)68年12月28日仕事納めの親分の訓示。「4輪に参入して、泣かず飛ばずの毎日だった、 来年は打って出る、決戦の年になる・・・・」69年5月15日H1300がラインオフ。 (これはいそがしいはずだ)長くなってしまうので終わり。66年4月5日の日記に本田最初の4輪工場が狭山に建設中と書いてある。山下さんはこの時、狭山に転勤。
2007年09月03日
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リンクしているマツダ360クーペさんのブログに、くろがねベビーとコニーが連続して載っている。この2台は非常に珍しい車種、これをお持ちなら、さらに何かありそうだ・・くろがね・コニーは日本自動車博物館にだいたい揃っている。外見からは「くろがね」とホンダは素人目には共通点が無いみたいだ。専門家さんが見れば違うのかも。昭和村のイベントに参加した時、コニーも参加していた。詳しく拝見させてもらったら、T360との共通点が多い。サスペンションのウイッシュボーンや、何よりも雰囲気が似ている。過去のブログにも書いたが、T360とは比類なき孤高の軽トラと思っていたが、コニーには驚くと同時にショックだった。(博物館では外見しか見れない)T360設計にはコニーも参考にしたと思う。コニー360のエンジン。2気筒空冷ならアンダーシートに収まり地面も見える。T360はこの部分にツインカム4気筒水冷エンジン搭載する。アンダーシートの半分はラジエターが占めてしまう。T360とはかなり、そうとう無茶なエンジンを搭載しているが、これがT360なんです。昭和村の旧車イベントの写真はこちら。(一部写真が入れ替わっている?)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今晩NHK8時から「探検ロマン世界遺産」はイタリア・オルチャ渓谷。ドライブには最高の場所です。
2007年06月30日
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寒い日が続くのでT360には乗っていない。T360ネタが無いので、上記、長ったらしい名前の法案を。(簡単に)T360はこの法案があったから生まれた。この法案は貿易自由化に対抗するために準備された。この法案のために10の分科会が発足、自動車では「乗用車小委員会」と「特別小委員会」が下部組織として設けられた。乗用車委員会は昭和37年2月発足、特別小委員会はメーカー代表で組織され37年10月発足しているが、ホンダはまだ4輪車を生産していないので「特小委員会」に入れなかった。(この流れで行くと、ホンダの4輪車発売は寸刻を争うので 「T360開発・発売が最優先された」は納得できる)ホンダがT360とS360発表、半分しか出来ていなかった鈴鹿サーキットで発表したのは37年6月なので委員会にぶつけるように発表したのが分かる。この法案はメーカーの規制みたいだが、実際はもっと厳しく「車種規制」が本題になっている。つまり、新規参入はもちろん、現在作っている自動車も規制をうける厳しい法案だった。(この法案に反対したの本田宗一郎とメーカー委員の3名だけ)当時の国産車のコストは、外車100とすると平均で150を越えている。国産車は外車に比べて割高・・これでは勝てない。(800ccでは1.74倍)さらに、昭和37年の乗用車生産は約27万台。この年スズキも生産を開始したので9メーカーで27種類のクルマを生産していた。単純計算で1型あたり12000台、月産千台では多種少量生産。外車に対抗するには車種規制しかなかった。そんな事情のなかで 空前絶後水冷4気筒ツインカムエンジン軽トラT360は大急ぎで登場した、コストはど~でも良かった、とにかく・・ド肝を抜く必要があった。『軽自動車誕生の記録』小磯勝直著 から引用した。
2007年03月20日
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左リンク欄にリンクしているtimoさんからホンダ公式HP英語版に埼玉T360生産ラインが載っている。10分に1台の生産だそうだ。 web翻訳で読める。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・同じくリンクしているSじじいさんからS800cの雪中ラリーのHP,こちらもホンダ公式HP。ラリー参加Sはクーペ。クーペは海外で人気があっても国内ではいまいちだった。 Sはオープン!確かにオープンの屋根付きなら幌が良いのでは?と思っていた。東京のTさんは「クーペは長い間「冷や飯喰い」だった」 そうだ。ブログに オープンは「ひまわり」、クーペは「月見草」とも書いてあった。不遇な時代もあったのか?最近はクーペが良く見える、私見ながらクーペは知的に見える。40年経って、時代がクーペに追いついてきた?昨年FTP会場にT県のクーペ2台到着シーン。創作の森入り口。第2回AK講習会参加車輌、我がT360のお隣りは黄色のSクーペ、AHSM55号車さん。こう見ると・・・何故か私の周りはクーペばっかし。オープンに比べると1割?の生産台数なのに・・・何故か多い。FTPには5台のSが見学に来てた、その内4台がクーペ。
2007年03月10日
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発売中の「ドライバー」誌にジョーホンダ氏のコラムがある。今回で連載2回目。ジョーホンダ氏(定塚信行)はレース好きホンダ好きな方ならご存じのレース写真家。今号には、始めて見る写真や貴重な話題が載っている。ジョーホンダ氏は最初ホンダチームから嫌われていた、中村良夫もそんな事を書いている。この話の説明もあり、面白い。小林彰太郎氏がS600で行ったのに、ジョーホンダ氏はカローラ、これでは・・ウサンクサイと思われるかも。ジョンサーティス乗車のRA300モンツァ優勝の話題に、中村良夫と佐野彰一氏の写真もある。ジョーホンダ氏の個展が2003年秋、FTP会場になっている当県の金津「創作の森」で開催され、私も見に行った。これが当時の写真。右側がジョーホンダ氏、トークショーの風景。このイベントは金沢市にあるMINI専門ショップさんが主催した。クルマショップさんが美術館の一番広い会場を借り切って開催したので・・・えらいな~と感心した。個展やトークショーは楽しかったが、PRがほとんど無かったのである事を知らない方が多く、残念だった。市井のショップさんが開催したイベントとしては、たいしたものだった。
2007年03月07日
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トップページの説明にT360はミッドシップ(船体中心)と書いている。AKのカタログにはミッドシップとは書いてない。アンダーフロアーと書かれている、エンジンが大き過ぎて床下でないと置く場所はない。もしフロントエンジンにするとスポーツ360のピックアップになり運転席を高くしても、荷台にはおそらくミカン箱2ヶしか積めなくなる。重量配分は51:49、ガゾリンの増減を考えると完璧なミッドシップなのでこのままにしておく。用語として、アンダーフロアーとアンダーシート、さらにフロントミッドシップとリアミッドシップがあるそうだ。T360と雰囲気が似ているコニー軽トラエンジン。(ライトバン)アンダーシートはこれになる。 アンダーシートは三輪車から、コニーも三輪車の発展型。空冷2気筒なら座席の下で充分、下の地面が見えるからガラガラ。水冷4気筒だとラジエターだけで半分を占めてしまい、絶対に座席の下だけでは収まらない。AKがアンダーフロアーと書いているのもこのため。私は歴代ミッドシップで一番理想的なエンジン配分だと思っている。エスティマも50:50らしいので理想的だが、こちらはエスティマより40年前の・・しかも軽トラ、立派なもんだ。元祖・天才タマゴ軽トラ。T360のシートを外すとキャブは1ヶ半しか見えない。上のコニーの写真と比べるとエンジンのお化け。
2006年12月22日
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昨晩、シティ・カブリオレのコメントを赤カブさんから頂いた。シティのブログは最近書いてないので?? 昨年7月の金沢クラッシックカーミーティングの話だった。赤のシティが参加していて、この車体が新車同然のきれいな車体で、特にプラスチック部品の劣化が全く無かった。ピニンファリーナのロゴが誇らしくアッチコッチに書いてある。手前のシティが赤カブさんの愛車。シティは車高が高く「ト-ルボーイ」と呼ばれていた、一番上のリンクで確認したら、トールボーイとは書いてないので正式なキャッチコピーではないのかも?奥にステップバンが4台並んでいる、シティが一番車高が高いのかと思ったら147cmだった、T360は155cm、こちらが元祖トールボーイになる。ちなみに、ステップバンを調べたら162cmもある、そんにあるの・・・高そうに見えて高くないと思っていたが、ほんとにノッポだ。昨年は滋賀県KさんのT500も参加していた。メッサーシュミットは金沢クラミ重鎮Tさんの愛車、自作ジェットエンジンは映画に出てたメッサを参考にした、お遊び。これは2005年参加の写真。金沢は毎年7月第4週に開催される、1年で一番暑い時期なので、クルマも参加者も熔けそうになる、主催者さんは「この一番暑い時期に開催する事に意義がある・・」挨拶してたので毎年この時期だと思う。金沢は桜の時期が良いので4月第1週ならベストと思うのですが・・・
2006年12月15日
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