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すごーく素敵な歌を知りました。「哀しみの終わりに」という歌です。“今年また夏が来てあなたみたいに光る 大好きだった紫陽花があなたの窓叩く いなくなってしまうとわかっていたのなら ドアは開けなかった 二度と帰らないのがわかっていたのなら 離しはしなかったのに 本当ですか哀しみにもやがて終わりが来るって 本当ですね哀しみが終わっていつか笑える日が来る”何せ、歌番組はおろか、テレビもあまり見ないので、全然知りませんでした。先週末の「サワコの朝」で、伊集院静が出演し、ご自分の作詞したこの曲を紹介。震災のときに仙台にいた氏の気持ちだけでなく、喪失感の中にも希望の一筋を見出そうという歌詞で、とても良かったです。曲も覚えやすく、私もユーチューブで、何度も聞いて覚えました。ちなみに、歌手は前川清。私はこの人の歌は「長崎は今日も雨だった」しか知りませんが、なかなかいい雰囲気ですよ。でも、私的にはもっとほかにも歌って欲しい人がいるんだけどなぁ。それより、合唱曲にしてコーラスで歌ってみたら素敵だと思うんですが・・・・・作曲は都志見隆という人です。
2012年10月31日

水前寺公園は熊本藩初代細川忠利が開いたのが始まりで、回遊式のゆったりした、水のきれいな公園です。広いお庭の片隅に出水(いずみ)神社の能舞台がありました。春と秋の例祭と夏に薪能を催すようです。普段はガラス張りで、雨風を防いでいます。
2012年10月30日

カナダ西部で地震が発生し、津波がハワイまで来たとのニュース。なんだか地球規模で、あちこちが軋んでいます。富士山だっていつ噴火をしてもおかしくないと言われると、もうどこにいても災害は避けられないのではと、暗澹たる思いになってきます。そんな中、雲仙普賢岳の噴火で被害にあったところの様子を見てきました。1991年6月、火砕流によって流されしまった住宅が何件も、その当時の状態で、そこに埋もれています。思わず息を呑む有様です。普賢岳は雲に隠れて見えませんでしたが、あれからもう20年以上経つのですね。東日本大震災の津波の被害の跡も、もっともっとひどい有様だったのでしょう。早く復旧して普段どうりの生活を取り戻して欲しいものですが、この政治のていたらく状況ではいつになるのやら。もっともっとひどいのが、原発漏れによって故郷を追われた人々です。また冬がやってきます。何とか笑顔を取り戻せるように私たちは何ができるのでしょうか?
2012年10月29日

長崎の帰りに寄った島原城です。天草四郎の戦いのあったところで、隠れキリシタンの資料が残されて下り、弾圧のすごさも垣間見られました。
2012年10月28日

棚田百選に選ばれたという長崎の棚田。お百姓さんの苦労は大変だと思いますが、日本はきれいです。
2012年10月27日

今日は、孫のおままごとの道具作り。DIYの木工教室にいってきました。先日の調理台、電子レンジに次いで、今日は冷蔵庫です。なかなか難しいですね。電動の工具も力がないせいか、斜めになったり大変。でも、ようやく出来上がりました。さてさて、台所の調理台のように喜んでもらえるでしょうか?
2012年10月26日

長崎駅から見た夕日は、長崎港を挟んだ稲佐山の方向に沈んでいきました。長崎は港を真ん中にして三方が山ですから、山の上から見る夜景はそれはそれはきれいだとガイドの方が自慢していました。中でもテレビ塔がある稲佐山からの夜景は、大パノラマで、函館、神戸と日本三大夜景の1つとか。函館も神戸も見ているから、それでは見るしかないねと山の頂上へ。さすがにここは歩いては上れず(夜です)、車で行きました。すばらしかったですよ。でも、タクシーの運転手さんが「モナコと香港と長崎は世界3大夜景に認定された」と大威張りしてましたが、本当かな?
2012年10月24日

長崎の中華街の近くに宿を取ったので、毎日傍をを通りました。横浜に比べると小さい小さい。東西南北に門はありますが、あっという間に通り抜けられます。そこに関西からの中高生の修学旅行が、押すな押すなに群がっていて、どこの店も満員状態。それはいいのですが、お勧めは何といっても「長崎ちゃんぽん」と「皿うどん」。その上目をむいてしまったのが、「横浜中華街ではどの店のちゃんぽんがおいしいですか?」と、マジに聞かれた事。「えっ!うっ!」「ちゃんぽん」なんて、中華の店で食べたこと無いよ。「ちゃんぽん」は「リンガーハット」でしょ。ちょっとしたカルチャーショックでした。
2012年10月23日

歩いていくとすぐに坂にぶつかります。だから長崎のお年寄りは元気なのですね。唐人屋敷町の中の坂道です。竜馬の亀山社中に行くのは、寺町の興福寺から。行けども行けども坂・坂・坂、きつかったなぁ・・・まだまだこれしき・・もっと上です。昔の人はどうしたんだろう。信じられない。シーボルトの屋敷のある鳴滝も坂だらけもちろん大浦天主堂もグラバー邸も坂の上。有名なオランダ坂も雰囲気は抜群。日本二十六聖人殉教地も・・坂道を登って毎日毎日歩いて歩いて、上って下りて、上って下りて、足腰鍛えられました。でも好きだなぁ長崎の町。
2012年10月22日

軍艦島には興味があって、いつか行ってみたいと思っていたのです。この島では江戸時代に石炭が発見され、佐賀藩が細々と採掘をしていたのだとか。明治23年、三菱の経営となり、本格的な海底炭鉱として創業されました。最盛期にはこの小さな島に5300人もの人が生活していたそうです。台風の影響も無く、船が出るとのことで、軍艦島の上陸ツアーに参加しました。長崎港ターミナルから南西に19キロ、本当の名前は「端島(はしま)」。その外観が、軍艦土佐に似ていることから軍艦島と呼ばれましたが、まさに岸壁すれすれに鉄筋の高層アパートが立ち並んでいる光景は軍艦の名前がぴったりです。海底炭鉱の島で、島の地下が炭鉱。ただただ炭鉱で働く人のために作られたアパートや、その家族のための学校、病院、商店、プールもありました。そして神社やお寺まで、すべてこの島の中で間に合うようにできていたとか。さすがにお墓だけは隣の島に作ったそうですが・・・それにしても操業をやめた1974年からわずか40年足らずで、こんなにも荒廃してしまうのですね。多分潮風が大きく影響しているとは思いますが、鉄筋コンクリートのもろさが不気味でした。廃墟そのものです。
2012年10月21日

長崎へ行く飛行機の中から撮った富士山です。西へ行くときは必ず富士山を捜しいる私がいます。静岡で育った私ですので、やはり南側から見た富士の御山が一番きれいだと思っているのですが、飛行機に乗ったときもやはり捜してしまいますね。まだ頂上には雪もありませんでしたが、そろそろ初冠雪の便りも聞こえてきそうですね。
2012年10月20日

長崎へ行って来ました。5日間、同じホテルに泊まり、バスに乗り、電車を使い、坂道に格闘しながら、水とカメラを持って、夫と二人、毎日毎日歩きました。最後はレンタカーをして雲仙泊経由で熊本に出て、帰ってきましたが、充実した楽しい旅でした。それにしても、坂道の多いこと、急なこと。ちょうど扇状の要のところが坂ノ下で、広げた扇子の羽のてっぺんが坂の上です。ある時は、歩けどもも歩けども目的地ははるか上。くじけそうになりながらも、70歳に近い二人ががんばって、達成感は100パーセントです。行きたかった場所、見たかったところはもちろん、知らなかった長崎に会えて、満足満足。私の中では長崎は教会の街だと思っていましたが、何の何の、仏教寺院の多いこと。それも大きな(でっかい)すばらしいお寺が、これでもかこれでもかとあって、見ても見ても見足りない有様。長崎、いいですね。大好きな街になりました。
2012年10月19日

今日の空。朝のうちは雲ひとつない青空でした。午後になって・・・・見事ないわし雲。しばし見とれてしまいました。
2012年10月13日

旧甲州街道一番の難所は笹子峠です。笹子宿から駒飼野宿までの距離にして10数キロ、標高1096メートルの峠道です。道幅は狭く九十九折カーブが多くまさしく難所。そのため昭和13年に全長240メートルの笹子隧道(トンネル)が完成し、東京はずいぶん近くなったのだそうです。そのトンネルも昭和32年に国道20号線に全長2953メートルの新笹子隧道ができました。また車社会になって、昭和52年には中央自動車道に全長約4800メートルの笹子トンネルが完成しました。その上、鉄道もふもとを通り、笹子の峠道のトンネルは御用済み、お役ごめんになったのです。全長が長ければ長いほど、山のふもとを通っているということで、わざわざ笹子の峠を越える人はいなくなったのです。と言うことで、物好きの私たちのようなのが嬉しがっている訳ですね。ちなみに、平成11年この隧道は登録有形文化財に指定されました。
2012年10月12日

秋の笹子峠越え・・・シュウメイ菊がきれいでした。特に白の一重がいいですね。これはサンザシの実?でもって、この気味悪いのは?誰か知っていますか?
2012年10月11日

甲州街道の難所、笹子峠越えです。笹子駅から少しずつ道は上りのスロープ。少し行くと、妙心寺が見えてきました。お寺の前には中に入ると、芭蕉の句碑もますます上り坂。少しずつ上っていくと、笹子峠の表示がありました。が、がけ崩れで、通行止め。鉄のゲートがしっかり閉まっています。困った!!近所で畑仕事をしている人に聞くと、歩行者なら大丈夫との事。少し迂回して、矢立の杉を見て歩けるところまで行こうと、ゲートを潜り抜け(見つかったらやばいかも?)工事中のところを通り、昔の笹子隧道までたどり着きました。ずっと上り坂です。隧道の入り口が見えるところに、笹子峠の道標が、「熊出没」の案内と共にありました。今度はもっと本格的な山登りです。ようやく峠に着きました。今度はくだりです。森の中を行くと、砂のようなざら石の道に落ち葉が積もっていて滑りやすく怖かった。ようやく道路にぶつかってもまた道なき道を行きます。途中で道が見つからず、戻ってみたりまた探したりで川の袂で立ち往生。川の向こう側ではないかと、橋のない川を渡り、ようやく道の痕跡を見つけダメならダメでも川に沿っていけばいいだろうと、どきどきしながら歩きます。。ようやく甲州街道の案内板を見つけ、本当のところ、ホッとしました。そこからまたまたぐんぐん、ぐんぐん下ります。ようやく駒飼野宿に着きました。そこからもまだまだ下り坂。足はがたがた、疲れはピーク。どこまで続くの下り坂?駅について、どこかで休みたいと思っても、喫茶店のひとつもなく、駅のホームのベンチに座ってようやく人心地つきました。
2012年10月10日
久しぶりにいい天気なので、布団を干しました。今夜はお日様のにおいでよく眠れそう。夏の暑いときは布団の熱さで眠れなかったものね。ようやく秋らしい天気で、今夜も月が無いので、りゅう座流星群が見られそうです。忘れないようにしなければ。
2012年10月08日

お友達の家で、夏の暑さよけに、今年初めて緑のカーテンをパッションフルーツでしたそうです。見ると、トケイソウです。・・「えっ、トケイソウ?」クダモノトケイソウというんだそうです。葉っぱは青々と濃く、ゴーヤなどと違って隙間がないので、部屋の中は本当に涼しくなっていました。それが、このところ収穫しているというので見に行ってきました。自然受粉は難しいので手で受粉を助けたそうです。見事な果物がいくつもなっていました。これが赤紫になって落ちると甘いパッションフルーツなのです。「スプーンですくって食べたけど、おいしかったよー」タイで食べたけど(トロピカルフルーツ)、日本のしかも横浜でも栽培できるんですね。びっくりしました。夏見たときより今のほうがジャングル状態でした。毎年種を蒔く必要はないんだとか。来年は私もトライしてみようかな?
2012年10月07日
森鴎外。いわずと知れた明治の大文豪にして医学博士。その最初の妻との折り合いの悪さから、別居、離婚へと流れていく「手紙」が磐田市で見つかったとの新聞記事。西周の紹介で結婚した二人は、於菟が生まれてすぐに別居、その後鴎外が家を出ます。才媛だった妻との、今で言う性格の不一致でしょうか?静岡県磐田市の旧赤松家が記念館になっていて、そこに展示されているとのこと(10月14日まで)。同窓会に行ったついでに見てきました。今まで知らなかったのですが、赤松良則の娘登志子が鴎外の最初の妻で、於菟の母だったんですね。さらに、赤松良則は咸臨丸でアメリカにも行っていますし、造船技術を学ぶためにオランダ留学もしています。立派なレンガ造りの建物や大きな庭、土蔵などが残されていて、また今度はゆっくりと見てみたいと思いました。
2012年10月06日
満月から5日。今夜の月は臥待月。二十日月とも言い、昨日の寝て待っている寝待=臥待ち月よりもますます遅く、今頃(夜10時)東の空に出てきました。月はもう半分欠けていて、月光も薄ぼんやりとしています。このなんともいえない寂しさまで、昔の人は楽しんだのですね。
2012年10月05日
冬野菜の植え付けをしなくては・・・種をまく前に土の改良(?)と肥料を入れて・・・石灰と油粕を混ぜ込みました。しばらく置いて(1週間ぐらい)種まきをしようと思います。それにしても、今日も暑くて、畑仕事は汗びっしょりです。疲れました。
2012年10月04日

いつもの夕焼けとは違った雰囲気で、障子の外が真っ赤です。何事かと思って窓を開けると、雨模様の曇り空に夕焼け?おかしな雰囲気です。何かの前触れじゃないかといやな気分になりました。
2012年10月03日
昨日は中秋の名月。せっかくの満月のお月見も、台風のおかげで残念なことに見られませんでした。でも台風一過、今夜の十六夜の月はものすごくきれいです。窓を開けて、見て下さいな。今の時間(6時半)は東の空にきれいに上っているでしょう?中秋の名月の次の日の月が十六夜。それから一日ずつ、立待月、居待月、寝待月と変わり、旧暦20日の月が更待月(ふけまち)と言います。寝て待つ寝待月よりさらに遅れて出るので、夜の更けるまで待たないといけないのです。月はもう半分ほど欠けてきて、さびしく感じられます。なんて細やかな表現。日本人でよかったと思う時です。
2012年10月01日
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