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金・土・日と夜勤である。職場では、また移動や転勤の話が出てきている。今日、2名の移動が決まった。また大きな転勤の話が出てくるようだ。まあ、なるようにしかなるまい。今日、仕事中に工程内(クリーンルーム)で同僚が死んでいるクワガタを見つけた。防塵服を着て作業をするクリーンルーム内に、何処から入ったのか、時々虫を見かけることがある。いったい何処がクリーンルームなのか疑問を持った。そのクワガタを早速貰い受ける。長女の宿題である昆虫標本を昨日仕上げるつもりだったのだが、変色や乾燥してしまい、結局4匹の標本となった。長女に見せたら5匹じゃないとだめだと言う。手はひとつも出さないが、口だけは大いに出すから困ったものだ。今日クワガタが手に入ったので、夜勤明け、標本を仕上げた。今日、明日も夜勤があるので、ここで寝ることにする。月曜までお待ちを!
2002年08月31日
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今日は、近くの遊園地のプールに行って来た。新聞屋にもらった遊園地のただ券の期限が8月いっぱいだったからである。長女も誘ったが、少し考えてからやっぱり行かないの返事。私、次女と家内の3人で行く事に。今日は朝からいい天気。次女はプールに行くのがうれしいらしく、ひとりはしゃぎまくっていた。わが家の行動としては珍しく、朝早くから出かけられたのだが、家から車で5分足らずの遊園地は、着いた時にはまだ開いていなかった。園の前にあるコンビニでおにぎりやお菓子を買う。しばらく待って開園。その場にいた誰もが遊園地には行かず、プールに向かう。時間がはやいせいか、流れるプール脇のデッキチェアを2つ押さえる事が出来た。しばし朝食の時間。平日ということもあって人もまばらで快適な時間を過ごした。午後、1時を過ぎた頃から雲行きが怪しくなってきた。台風の影響だろうか。そして1時半頃になって、急に雨が降り出してきた。段々激しくなってくる雨にも負けず、プールには濡れても気にすることがないせいなのか、たくさんの人が泳いでいた。次女も雨など少しも気にせず、むしろ面白がって泳いでいたのだが、雷が鳴り始めた途端、急に怖がって帰ろうと言い出した。結局、2時を少し回り、雨が止んだ頃を見計らってプールを出た。この時間になってやってくる人もいるから面白い。夏休み、最後のプールになるだろうが、次女にとってはいい思い出になったようだ。
2002年08月29日
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月、火と夜勤だった。夜勤中にも日記に書きたいことはいろいろあった。三月に三重に転勤した元同僚の親父さんが亡くなり、夜勤出勤前にお通夜に参列したことや、また三重に転勤した別の元同僚からこの日記を読んでいるとのメールをもらったこと。そしてまた9月が近づいて来たためか、転勤の噂がちらほら出始めたことなど。少しずつだが確実に月日が流れているのを実感した。子供達もそれは同じで、夏休みがあとわずかしか残っていないのをあらためて実感しているようだ。特に長女は宿題の追い込みで忙しそうだった。ここ数年は、夏休みの宿題に手を貸すことがあまりなかったのだが、今年の宿題の中で、どうしてもひとつだけ手伝って欲しいと言われた宿題がある。昆虫採集と昆虫標本作りである。中2にもなって今更昆虫採集とは思ったのだが、その目的と標本の作り方と書かれたプリントを見せられ納得をした。そこには、昆虫を集めて殺してしまうだけでは、無意味で昆虫がかわいそうである。昆虫の採集を通して昆虫の生活を知り、自然の知識を得ると同じく、昆虫の標本を作ることで昆虫の形態を観察し比較研究する態度を養って欲しいと書かれていた。昆虫名・採集地名・採集年月日・採集者名を記入するとともに採集した場所の様子、採集した昆虫について調べたこと、考えたことなども合わせてまとめるというもの。長女は虫が嫌いである。特にこの季節、セミが嫌いで、たとえ1匹でもセミが道に死んでいるのを見つけたら、当分の間、その道を通る事が出来ず、遠回りしてでも他の道を通って帰ってくるという。そんな長女なので昆虫採集は彼女にとっては厳しい宿題になった。それでも夏休み中、友達と待ち合わせて採集に行き、バッタやかなぶんなどの虫を採っていたようである。私も通勤途中に死んでいた、かぶとむしやとんぼなどを拾ってきては渡していた。それをあと残された数日間で標本にし、まとめ上げなければならない。標本作成は私の担当になった。ネットで調べたら結構作り方を載せているサイトが多く、参考になった。ただ、虫をピンで刺して止めればいいというわけではないらしい。死んで硬くなっている虫を湯で温めて軟化させ、足や羽をひろげたりしてピンで止める。また大きいものは内臓を取り出し、綿を詰めたりしなければならない・・・・ん~む。奥が深い・・・・さあ、どんなものが出来上がるか、楽しみ?である。
2002年08月28日
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今日も休みの1日。私の職場でサマーフェスタなる夏祭りがあり、家内と次女の3人で出かけた。長女は「宿題をやる」といって家に残る。う~む。毎年、恒例だが、この不景気のせいか、年々規模が縮小されているようで、去年までは2日間だったのが、今年は今日1日だけとなり、出店しているお店も、出し物も少なくなっているのが寂しい。それでもかなりの人出でにぎわっていた。知っている人にも何人も会い、挨拶を交わすのに忙しい。朝、ご飯を食べていなかったので、食堂で昼ご飯。カレー、ざるそば、唐揚げ、サラダ、ラーメン、なすの煮物、これで1000円ちょっとの安さ。味は別として?毎日の事だからありがたい値段である。やはり子供向けの出し物が多い。ハリケンジャーショー、大道芸、迷路、アニメ上映会、ストラックアウトなどのスポーツコーナー、参加すると花火や水鉄砲、お菓子などがもらえるので子供たちはおおぜい行列を作っていたのだが、次女もウキウキしながら順番を待っていた。その後、パソコンコーナーや売店を覗き、野菜などを購入。会社の歴史・技術ホールを見学し、さらに花火をもらった。最後は、体育館での抽選会。自社製品の液晶TVやレンジ、掃除機が多数当たるので、凄い人だかりだった。みんな自分が当たると思っている。抽選が始まった。最初は、メロンやぶどうなどの商品。そこで次女の名前が呼ばれた。ぶどうが当たった。これまで1度も当たったことがないだけに大喜びである。帰る車の中でも、次女は得意げだった。「パパもママも何にも当たらなかったね~」「おうちに帰ったらサキちゃんが当たったぶどう、食~べよう!」ご機嫌の次女を見ながら、「来年も開催されるといいのだが・・・」と思った。帰り道、奈良公園を通ったら、バサラ祭りをやっていた。よさこい祭りをモデルにした踊りのお祭りで今年で4年目だと言う。鳴子とお面を付けたチームが元気に踊っていた。躍動感があり、心に響く踊りだった。来年はこちらもきちんと最初から見たいと思った。
2002年08月25日
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家内の在宅の仕事が溜まりはじめていたので、また次女を連れ出かけることになった。長女は初めから行く気などない。次女に「何処に行く?」と聞けば、「星がいっぱい見れてボタンを押すところ」と言う。それだけで場所がわかる。もうこの夏休みに入って3回も行っている。京都の木津にある光科学館「ふぉとん」である。以前の日記にも書いたが、次女にとって最近のお気に入りの場所である。プラネタリウムを見るようなドームの劇場の中で、CGを使った光に関するプログラムが上演されているのだが、座席にあるレバーを操作してプログラムを選ぶ仕組みになっている。また途中で拍手を要求されたり、声を出させたりするのが面白いようだ。他にもレーザーの実験を見たり、さいころ状に切られた木材にレーザープリンターで自分の名前を焼き付けてもらったりした。入園料大人300円でそこそこ楽しめる場所であるが、こう続けて来ると始めて来た時ほどの感動も少ない。まだまだ夏休みが残っているので1度くらい来るかもしれない・・・夕方、私の住むマンションで行なわれた夏祭りに参加した。毎年、順番で役員が選ばれ、その役員の方々が中心となって運営する祭りである。夏祭りといっても100世帯にちょっと欠ける規模のマンションなのでそんなに大規模なものではない。ただ、周辺に住まわれている方も年々来られるようになって、少しずつ拡大しているようだが、こじんまりとしたうちわの集まりには変わりない。またそこがいいのだが。事前に買っておいた、チケットで遊べる仕組みになっている。毎年だいたい同じような出し物になっていて、ヨーヨー釣り、輪投げ、ストラックアウト、当て物、金魚すくい、それにオツマミ、ソーセージ、焼きそば、たこ焼き、おにぎり、焼き鳥、のコーナーなどがあり、子供たちが楽しそうに遊んだり、食べたりしていた。最後はビンゴ大会で閉めるというもの。次女だけでなく、長女も楽しみにしている行事である。「早く行かないと景品がなくなってしまう・・・」などと心配するほど気合が入っているから可笑しい。どれも手作りで、素人っぽさで全開だが、少ない予算の中、毎年、1年交代の役員の方々の必死のやりくりで毎年続けられている。来年か再来年には私も役員がまわってくる。こうした行事は、いつまでも残していきたいと思う。きっづ光科学館ふぉとん
2002年08月24日
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今日は、朝から大阪に出かけることになった。家内が水戸に住んでいた頃の友達2人と大阪で会う事になっていた。一人は、宝塚出身の人で旦那の転勤で宇都宮に行き、さらに水戸に転勤した時、長女の小学校で子供を通して知り合った女性。今はさいたまの浦和で暮らしている。もう一人は北海道出身の人で、やはり旦那さんが水戸に引っ越してきた時に家内が通っていたテニスクラブで知り合った女性。現在は旦那さんの転勤で堺で暮らしている。3人とも水戸では仲良くしていた。宝塚出身の女性が家族揃って実家に帰省してきたので会う事となった。どうせ大阪に行くなら、私も久々に大阪に行ってみようと思い、家内に言ったら、「それじゃ、終わったらこの前、海遊館のところに出来たおいしいものの食べられるとこ行こうか!」ということになったのだ。会合が終わった頃、待ち合わせて家内を拾い、天保山に向かう予定で話がついた。11時に梅田の阪急で待ち合わせということで、車では時間が読めないこともあり、行きは電車で行くこととなった。近くの駅まで車で送っていき、私と次女は車で大阪に向かう。長女は、ここのところ続いていたクラブ活動の疲れがあるのか、やはりのってこず、一人で留守番することとなった。待ち合わせの時間まで、次女と扇町のキッズプラザにある公園や3Fにあるサイエンスサテライトで遊んだ。あまり時間がなさそうだったのでキッズプラザには行かなかった。2時を過ぎても電話がかかってこなかった。地下のマックで食事をとり、さらに待つこと2時間。結局、会えたのは4時半を過ぎていた。積もりすぎる話に花が咲きまくり、とても楽しい時間を過ごせたようだった。近況報告、子供の話、旦那の話、趣味の話、転勤の話、行った土地の話、美容の話、等など話が尽きなかったらしい。車の中で今日の報告会は永遠と続いた。最後は、転勤でどこの土地を訪れたとしても、多少の習慣や風習の違いがあるにせよ、それは大した問題ではなく、最終的には人と人の付き合い方次第だという意見で一致して大いに盛り上がったと言う。天保山に着いたのは5時を回っていた。「なにわ食いしんぼ横丁」食い倒れで有名な関西の名店を集めたフードテーマパーク。万博で活気があふれていた昭和40年代前後の大阪の街をイメージしたテーマパークである。当時の看板や家並みを模して作られた館内は懐かしさにあふれていた。お好み焼き、たこ焼き、イカ焼き、カレー、餃子、オムライスなど老舗や元祖などの名店が昔ながらのつくりで軒を並べていた。池袋のナンジャタウンを彷彿させる。同じナムコが製作したのだから当たり前なのだが、ナムコは他にもラーメン、カレー、餃子とここのところフードテーマパークに力をいれているようだ。玉子を混ぜて食べるカレーやハヤシライス、ソースをかけず、ネギと酢醤油で食べる元祖たこやき、甘栗ほど甘くなく、自然で素朴な味のぽん栗、イカ焼き、カリッとしたカレーパン、これだけ食べるのが精一杯だった。どこも安くて美味い。とくにたこ焼きはソースをかけていないのに味がしっかりしている。家内も次女も大満足である。しっかり遅くなってしまい、長女のお土産を買い、海遊館も行かずに帰ってきた。家に帰ったら、長女が食器を綺麗に洗い、きちんと片付けをしていた。毎回、家の事を何もしないと家内に怒られていたのが効いたのか、今回はやることはやっていた。成長したと言う事か・・・なにわ食いしんぼ横丁
2002年08月23日
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2日間の日勤を終えて帰ってきた。朝、車での通勤途中に対向車線を佐川急便の車と何台もすれ違った。通勤路の途中に佐川急便の配送センターがあり、そこから次々とトラックが出てくるのである。どのトラックも朝からヘッドライトをつけっぱなしにしている。先日実家に帰っていた時にも、都内を走るタクシーや多くのトラックが昼間からヘッドライトをつけて走っていたのを思い出した。「いったいどんなメリットがあるのだろう・・・」その時も気になっていたのだが、奈良に帰ってきてから、すっかり忘れていた。そして今日である。さっそくネットで調べて見た。あるわ、あるわ、山ほどあった。下はその中の一つのサイトである。四輪車の昼間点灯に関する情報要するに、日中からのライトオンは事故防止に役立つからということらしい。以前からバイクでは当たり前にやってきたことが、ようやく自動車の世界にも進出してきたのだろう。世界各地では事故防止の観点から、昼間からライトをつける国も多く、義務付けられている国もあるらしい。また日本でも長崎県では一般の車も当たり前のように昼間からヘッドライトをつけて走る車が多いという。しかし日本ではまだまだなじみの無い習慣であり、地域によって格差が大きいと思う。もし、昼間ヘッドライトを付けた車を見かけたとしてもトンネルから出てライトを消し忘れているとしか思わないだろう。ただ、世の中は少しずつ動き始めたようである。昼間からのライトオンには多少の疑問が残るが、これから少しずつでも検証し、考えていこうと思う。涼しい夜のベランダでそんな事を考えた。
2002年08月22日
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今日も私は休み。会社に提出しなければならない資料があるため、1日家で過ごした。長女はバトミントンの試合があるので朝早く出かけた。長女に持たせる弁当を作るため家内も早起きしたようだ。昨晩、遅くまで起きていたので、昼前に起きた。資料作りもほとんど捗らず、ネットサーフィンをしていたからちょっとばつが悪い。家内と次女が出かける準備をしていた。次女の幼稚園の役員仲間から誘いの電話があったらしい。ひとりになった。すぐに長女が帰ってきた。午前中の早い時間に負けてしまったと言う。弁当などいらなかったようだ。それでもひとりで勝手にラーメンを作り食べていた。育ち盛りである。夕方、家内と次女が帰ってきた。友達と遊んだ後、ピアノのけいこにも行って来たようだ。夕食は、コロッケと五目ごはん。昨日の手巻き寿司で残った刺身もある。ちょっと心配だが、大丈夫だろう。食後、一服をしようと思ったら、タバコがあと1本しかなかった。これを機会に禁煙しようかと一瞬考えたのだが、ベランダから帰ると無意識のうちに玄関に向かっていた。「何処へ行くの?」次女が追っかけてきて私に言った。「ちょっとタバコを買いに・・・一緒に行く?」「うん!」嬉しそうに応える次女。家から30秒のところにタバコの自販機がある。だが、そこには私の好きな銘柄が置いていない。暑くもなく、次女も一緒だったこともあり、ちょっと先の自販機まで散歩がてら行くことにした。手をつなぎ、普段とは違う夜の散歩に次女ははしゃいでいた。今日の友達の家での出来事、ピアノで5つも進んだこと、東京での思い出など、次から次へと語りだす。「ねえ、パパ見て!お月様がとってもキレイ!」「あ、ほんとうだ!」「さっきからずっとお月様ついて来ているよ!」「車に乗っている時もそんなこと言ってたね~」「今日は車じゃないから、追いつかれてしまうかも・・・」たった10分足らずの短い時間だったけれど、とってもいい時間が過ごせた気がした。
2002年08月20日
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今日は台風13号の影響なのか、風が強い1日だった。関西方面は台風の影響も少ないようだが、それでも時折、風に混じって雨も降っていた。今日は休み。長女だけが部活や塾に通い、ひとり忙しそうだった。夜食は手巻き寿司。子供たちはすしのこが嫌いなので、私と家内だけがそれぞれ丼のごはんにすしのこを適量混ぜて食べた。夜、帰省中のページを作成した。ベランダに出て一服タイム。ほんの数日前まで、あんなに暑かったのに、今晩は風が涼しい。たくさん虫たちの鳴声も聞こえてくる。もう秋がそこまで来ている。
2002年08月19日
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3日間の日勤を終えて帰ってきた。夜食を食べ、TVのニュースを見る。はじめ家内や子供たちも起きていたが、スポーツニュースを見ているうちに布団に入ってしまった。ベランダで一服を済ませ、PCを付けた。楽天を開いたら、19日の午前1時からサーバーメンテに入ると言う。あと1時間もない。とりあえず今の状況を書いてみる。この後は、時間がくるまでお気に入りの方のところを覗いて見ようと思う。さあ、その後何をしようか・・・
2002年08月18日
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今日は、私と家内の高校の時の同級生であるさっちゃんが、大阪出身の旦那さんの帰省に合わせてこちらに来ていると言う事で、また会う事になった。正月にも二人で帰省してきており、その時にボーリングをして以来の再会である。本当なら今回私たちが東京に帰省している時に彼らの住むマンションを訪ね、ベランダから噂の松嶋奈々子&反町隆史の住むマンションでも拝見しようと考えていたのだが、時間的に都合がつかず、またの機会となってしまった。5時に近くの駅で待ち合わせ、2人を載せてけいはんなに新しく出来たレストラン街に向かう。酒飲みの2人に合わせて養老之瀧に入った。ここの店は、場所柄、他の養老之瀧の店と違い、子連れの家族連れが多い。家内も久々に思いっきり酒を飲み、級友との再会に話が弾む。子供たちは借りてきた猫のようにおとなしかったが、それでも出された料理を黙々と食べていた。結局、店を出たのが8時近くになってしまった。それから、東大寺に向かった。今日は、奈良公園で燈花会、春日大社で万灯篭、東大寺で万燈供養会、大文字の送り火などが催され、盛りだくさんの内容だった。ところが、出足が遅くなったせいで、いつもの大仏殿裏に車を止めようとしたのだが、あと少しのところで車が渋滞しており、まったく動かなくなってしまった。それでも車内では、さっちゃん夫婦との話が盛り上がり、渋滞もたいして気にならなかった。結局、9時半頃になってしまい、東大寺の大仏殿の中に入って、燈篭に照らされた大仏さまを幻想的な気分で見ただけで終わってしまった。飛火野で行なわれていた燈花会にもそして春日大社にも行けなかった。ちょっと悔しい気もしたが、さっちゃん夫婦との再会があったので、まあよしとすることにした。
2002年08月15日
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帰省から帰った翌日から2日間の日勤だった為、日記が書けず、今ようやく後追い日記を書き終わった。今回の帰省をもう1度振り返って思い出しながら書いた。今日は、家内が在宅の仕事に追われ、私は子供たちを連れ、図書館周りに追われた。返却日が11日だった。今日は珍しく長女も付いて来た。読書感想文の宿題があるかららしい。夜食は私が腕を振るってそばめしにした。おかずは一切無し!もうすっかり普段どおりの生活に戻った感がある。ハードディスクが一杯になってきたので久しぶりにデフラグをした。終わらない。途中で止めたらハードディスクの容量がさらに一杯になってしまった。寝る前にすればよかった・・・
2002年08月14日
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十二畳ある和室で布団を敷き、2家族で一緒に寝たのだが、弟のいびきが凄かった。仕事で疲れているのだろう・・・そんな状態で朝、早く起きた。今日は奈良に帰る日である。運悪く帰省ラッシュと重なり、渋滞が予想されていた。7時過ぎに実家を後にした。母や弟一家だけでなく近所の人までが見送りに出てくれた。ありがたいことである。山手通りを通り渋谷から246に入る。池尻から首都高に乗ると東名まではスムーズだった。東名に入った途端、渋滞に巻き込まれた。厚木まで30キロ。3車線ある道路はずっと先まで車でいっぱいだった。それでものろのろ動くのが救いである。厚木を過ぎるとそれまで渋滞していたのが嘘のように流れ始めた。後は快適なドライブとなった。足柄SAでは富士山をバックに写真を撮り、浜名湖SAでは「うなぎパイ」を買う。東名阪では、鈴鹿インター付近で昨日大事故があった現場を見、災難に遭われた方の冥福を祈った。奈良の市内へ入る道が混んでいた。京都の木津にいる家内の姉のところにハムスターを預けていたので、引取りがてらお土産を私に出向いた。なんとか無事に帰ってくることが出来た。学生時代の友人に会う事が出来ず、また水戸にも行けなかったが、それはまた来年の楽しみにしようと思う。
2002年08月11日
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今日は板橋に住む弟夫婦が2人の子供を連れ、泊まりにやって来た。毎年恒例になりつつある実家の庭で両家族で花火をする予定である。私たちの帰省に合わせて泊まりに来てくれるのがありがたい。私の弟は2歳下で、今年39歳になった。奥さんはなぜか私と同様、高校の同級生で、上は6歳の女の子で下は2歳の男の子。弟は私とは違い、いささか波乱にとんだ人生を送っている。いつの頃からか北海道が好きになり、憧れを持つようになった。それが嵩じて北海道で暮らしたいと思うようになり、大学も北大を目指して頑張った。ところがそんなに世の中は甘くはなく、2浪して夢破れ、結局都内の私大に落ち着いた。それでも北海道で暮らす夢を捨てきれなかった彼は、就職先を北海道の企業に絞り、なんとか決める事が出来た。卒業すると晴れて北海道に・・・と思っていたところが、配属は都内の支店。いつまで経っても北海道には行けず、ようやく北海道への転勤が決まり、家族ともども北海道へ引っ越して行った。ほんの数ヶ月努めたところで会社が経営破たんで倒産。弟はたくぎんに勤めていたのである。何度も繰り返される面談で北海道に残る事を希望した弟だったが、北海道出身でないことが災いしてリストラに遭ってしまった。そんな時に父が倒れ、亡くなるまでの数ヶ月、北海道から実家に何往復を繰り返した。(私も奈良からだったが定職を持っていたことを考えればはるかに状況が違う)父が亡くなり、母が一人となったこともあり、東京で再就職を考えた弟は奥さんの実家である板橋の近くで家を見つけ、北海道から引っ越してきた。そして就職をするため職安に通う日々。大学の先輩に頼み、運良くその先輩が経営している居酒屋チェーンに就職する事が出来た。しかし、その居酒屋チェーンの仕事は想像以上にハードで休みがほとんど取れず、しかも午前中から朝方まで働きどうしだったという。睡眠時間も毎日2,3時間でその割には収入も少なく、家族の中もうまく行かなくなっていった。奥さんや奥さんの実家、もちろん私や母も心配し、何度となく、連絡を取り合った。結局そこを2年努め、やめる事になった。去年からは、目白に本部のある、外資系の進学塾に勤めている。母も近くに住んでいる弟の方が心配のようで、連絡を取ると必ず弟の話が出る。そんな弟だが、兄弟とは不思議なもので、会えば安心するせいなのか、とくに話し込むことが少ない。黙ってTVのニュースを見て一言二言批評する程度のこと。兄弟とはそんなものかもしれない・・夜は母を交えて2家族総勢9名で花火を楽しんだ。
2002年08月10日
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本来なら今日はTDLに行く予定だったが、昨日のTDSがとてもハードだったので家内が音をあげ、急遽中止になった。特に長女が残念がり、「本当は今日お土産を買う予定だったのに・・・」と不満を漏らした。とは言うものの昨日しっかりTDSでお土産を買ってきてはいるのだが・・・そこで私が思いついた。まだ1度もTDLに行ったことの無い母を連れ、雰囲気だけでも味合わせてあげようとイクスピアリに行ってはどうかと。母は人ごみが嫌いで、周辺のホテルには幾度もバイキングを食べに行った事があるのだが、TDLは興味が無いと言う、今まで何度も誘ったのだがいっこうに首を縦にはふらなかった。今回は、室内で涼しいからという声に騙され私たちに付いてくることとなった。駐車場に車を止め、アンバサダーホテルを眺めつつ、イクスピアリに入った。涼しいはずがまったく涼しくなかった。外と内にドアが無く、冷房もほとんど効いていない感じだった。ディズニーショップやアンバサダーホテルでお土産を買い、食事を済ませただけで早々に帰る事となった。首都高も普段の渋滞でのろのろ運転。おかげで母は車に少し酔ってしまったようで、私は本当に母を騙してしまったと少し反省した1日となった。
2002年08月09日
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朝からTDSに行った。暑い1日で、しかも蒸し暑い風が吹いていた。おかげで昼も夜もショーが中止になった。とにかく初めてなので園内に何があるか、また混み具合もわからず右往左往の連続だった。ファストパスをなんとか有効に使い、だいたいのアトラクションをのる事が出来たが、長女に合わせると次女が身長制限でひっかかり、次女に合わせると長女がつまらなくなる。家内と二手に分かれて行動し、汗だくになりながら回った。それでも閉園時間まで目一杯遊び、くたくたになって帰った。真夏のこの時期にはちょっと辛いものがあると実感した。
2002年08月08日
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朝、みんなで実家の近くのお寺に父や祖父母のお墓参りをしに行った。昼から最近、友達とあっちこっちのホテルのランチバイキングに行くのを楽しみにしている母に付き合って品川のパシフィックホテルに中華バイキングを食べに行った。同じバイキングでも普段私たちが食べているお店と違って、食材も料理もそしてサービスも格段に良かった。当分行けそうにない種類のお店である。その後、翌日に行く予定だったTDSのチケットを買いに有楽町に行った。国際フォーラムの駐車場に車を止めた。都庁の跡地に立派な会議場が出来ていたのを知ってはいたが中に入るのは初めてだった。なかなか素敵な雰囲気でとてもスケールの大きい会場だと思った。チケット売り場は以前、そごうの1Fにあったのだが、ビックカメラに変わっていて売り場も三井ビルに移っていた、ついでにビックカメラを覗いたが、人、人、人で凄い熱気だった。ここには不景気の影響が無いのではと思わせるほどの人ごみだった。その後、母が孫に「靴を買ってあげる」という事で銀座のデパートをはしごしたのだが、長女の趣味は難しいらしく、気に入った靴がなかったようだ。暑さと人ごみに少々参った1日となった。都内を走るタクシーが昼間からヘッドライトを付けっぱなしにして走っているのが気になった。ライトオン運動とか言うらしいのだが、いったい何のメリットがあるのだろう・・・・
2002年08月07日
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朝7時半出発通勤時間と重なり市内を抜けるのに少々時間を食う。名阪国道、東名阪自動車道、名古屋から東名を経由して中央道にのる。諏訪湖で昼食。車が少なく快適なドライブ。大月で河口湖方面に出てリニア実験線をくぐり都留で降りる。家内の両親が眠るお寺を訪れ、お墓参りをする。家内の亡くなった母親の実家に挨拶をしに行き、泊まっていくよう勧められたが、次回と言う事にして山梨を後にする。夕方の中央道から首都高は混んでいた。久しぶりの渋滞になぜかうきうき。永福町で降り、山手通りを池袋方面へ。道は変わらないが、周辺の建物のあまりの変わりように家内と目を丸くしながらキョロキョロ眺めていた。早稲田通りに入り、高田馬場駅前のD-BOXに車を止め、学生時代によく行ったピザのシェーキーズで夕食を済ませた。家内と懐かしさに涙を流しながらピザを食べた。子供達も気に入ったようである。8時過ぎに実家に無事到着。
2002年08月06日
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二日間の夜勤が明けた。初日には朝方に降った雷雨のおかげで瞬低(瞬間電圧低下)が発生し、多くの装置がダウンしてしまった。モノシラン・ホスフィンなどの猛毒ガスや有機溶剤などの薬液供給システムも緊急停止がかかり、上や下への大騒ぎとなった。そんなあたふたとした夜勤も明け、いよいよ明日から夏休みである。明日は車での移動。途中、山梨の都留に寄る都合、東名ではなく、名古屋から中央高速に乗り換えての移動となる。家内の実家は池袋だが、小さい時に亡くなった母親の実家が山梨なので墓参りをする予定だからである。家内の父親も私と結婚して長女が生まれる前に亡くなり、家内の母親と一緒の墓に入っている。両親が眠るお墓に毎年は行けていない。今回も2年ぶりのお参りである。久しぶりに顔を出し、子供たちの成長ぶりを見せてあげて来ようと思っている。家内の実家は先にも書いたが、池袋である。今も後妻の義母が息子と暮らしている。ただ、この義母と前母の子供たち3人とは非常に仲が悪い。相当、子供時代に嫌な思いをしてきたらしく、いまだに両者の間には深い溝があるようで、最近は疎遠になっている。普通、どちらかと言えば母親側の実家に行く事が多いなか、私たち夫婦の場合、ほとんど私の実家に行く。家内と私の母との間はいたって平和的に見える。ただ、家内からすれば、やはり姑に気を使わなければならないようで、のんびり過ごす事が出来ないらしい。帰省の準備をしながら「これで飲みおさめ・・・」とつぶやき、ビールを飲む家内には頭が下がる思いがするし、なるべく気を使わせないよう、心がけてはみるつもりでもいる。ちょっと家内にはかわいそうな帰省でもある。追伸、帰省の為11日までの6日間、お休みします。その間、書き込みにうかがえませんが、帰ったらまたどうぞよろしくお願いします。
2002年08月05日
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今日で私はよい年になった。41歳である。去年はさすがにいよいよ大台に入るということもあって多少意識はしたものの、今年はまったくと言っていいほど無関心でいられた。「そう言えば、誕生日だっけ・・・」ののりである。家内も6月に一足先によい年になっていたので、ようやく追いついた感じである。いや、家内は35歳からストップしたままだった。家族からプレゼントとして先日「千と千尋の神隠し」のビデオを貰った。子供たちが欲しがっていた物なので私のプレゼントとは名ばかりであるが、まあよしとしよう。今日は、私のお祝いをしに食べ放題のバイキングに行く事となった。しかも3時のランチタイムでのバイキング。値段も安いし、ケーキもついでに食べられるからという理由らしいが、結局各自勝手に好きなだけ食べて腹が一杯となり、みんな大満足して家路についた。店を出る頃、突然の雷雨となった。雷は落ちるし。滝のような雨が降り始めた。それだけで私は大喜び。池のように溜まった水溜りを通るとシャワーのように水が跳ね上がる。対向車が跳ね上げた水がフロントガラスに叩きつけられ、前が見えなくなった。その度に、車内は意味不明な爆笑の渦。なにが面白いのか、笑い転げる娘たちや家内。お腹が一杯になって、車内で雨や雷にはしゃぐ家内や子供たちをみながら「こんな誕生日もいいなあ~」などと、楽しいひと時を過ごしていることを実感した。と同時に実家でひとり暮らす母に「私を産んでくれたことに感謝しなければ・・」とも思った。6日から帰省の予定である。楽しみにしてくれているだろうか・・
2002年08月02日
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関西に来て7年、噂に聞いていたPLの花火大会をようやく見に行くことが出来た。何日か前から職場の同僚やネットの口コミ情報を見て検討した。「電車はやめた方がいい」「車で行くと何時間も動かないから避けた方がいい」「近いと全体が見えない」「遠いと迫力がない」「ワールド牧場辺りがいいですよ」「ダイエーやイズミヤの屋上がサイコ~」「川原沿いが座って見れるし、帰りが混まない」「PLの病院に入院すれば間近で見れる」あまりにいろいろな情報がありすぎて参考にならなかった。ただ、全体を通して言えることは、早く行って場所取をすること、あまり近いと帰りがとてつもなく遅くなる事、見える場所が多いことなどであろう。今年になってまだ、まともに花火大会を見に行ってなかったので、家族はみんな楽しみにしていた。ただ、まだ1度も行った事が無い場所だけに地理にも人出の出足にも多少の不安があったので、わが家の行動としては珍しく少し早めに出かけた。と言っても3時を回っていたのだが・・・行動範囲から考えて、頭から電車で行く事は考えていなかった。次女もいることで、帰りに寝られた事を考えれば車で行く方が当然の成り行きかもしれない。家から富雄川沿いを走り、大和郡山、斑鳩、広陵町、大和高田を抜けていく。166号通称竹之内街道を通ると大阪に出た。ここまで意外とスムーズに来た。時間が早いせか・・・帰りのことを考えてワールド牧場近くのさくら坂という住宅地が全体を見るのに良さそうだったので、ここから見ることにした。しばらくすると子供たちが「おなかが空いた!」と言い出した。近くのスーパーかコンビニでオニギリを買ってくることになったのだが、行けども行けどもこの辺りには店がない。結局買うまでかなり走ることになった。しかしその近くからの方が眺めが良さそうだったので場所を代えた。小高い丘に田んぼが広がる農道に面した場所。もうすでに車が何台も止めてあった。そこで2時間近く待った。花火が始まった。長時間の連発である。やはり1時間で12万発の勢いであろうか。すごい量の花火である。ただ、残念だったのは、少し遠かったせいで、花火の音が遅れてやってくる。炸裂した時の風圧を感じることが出来なかった。それでも迫力を感じるのだから間近で見たらきっと凄いのだろうと思った。最後が凄かった。夜空一面を真っ赤に染めるほどの大きな花火。しばらくしてから地響きのような炸裂音が聞こえてきた。周りからも歓声があがった。多少の風があるものの、田んぼのかえるの鳴声を聞き、蚊にさされながらの鑑賞だった。それでも家族みんな満足したようだ。ただ、もし来年も見る機会があったらもっと近い場所で見たいと思った。帰りは竹之内街道で少し渋滞に巻き込まれたが、11時ちょっと過ぎには帰れたので、まあよしとしよう。
2002年08月01日
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