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先ほどの画像が大きすぎたので少し小さくした。これはこの前の土曜日に猪苗代ハーブ園で撮った写真です。 さてインドネシアのみやげの話をしたが、一般的な物価が日本の約20分の1なので、われわれ日本人にとっては、だいたいのものが安い。では彼らが日本に来たらどうかといえば、やはり日本の物価はびっくりするぐらい高い。でも彼らがびっくりするくらい安い店があるのです。 それは100円ショップです。値段がインドネシアより安いかどうかは、よくわかりませんが、彼らが言うには、値段の割に品質がいいそうです。何年か前に彼らが日本に来たとき、100円ショップに連れて行ったら大変喜んでいました。それ以来インドネシアからの来客は必ず100円ショップに連れて行くようにしています。 次に彼らが興味を示すのは、やはり電気製品です。パソコンやデジカメは日本のほうが種類も多く値段も安いみたいです。インドネシアでは売っていない機種はよく説明を聞いていました。それから量販店の衣料品です。デパートは彼らにとってもびっくりするくらい高いので見るのもいやらしい。ただ量販店の衣料品はそのほとんどが中国もしくは東南アジアで作られているので、どこの国で作られているか、よく見て買うように言わないと、まちがって自分の国の物を買いかねない。 彼らが日本に来るときに、一番気を使うのが食事だ。なにしろイスラムは豚肉を食べない。日本で豚肉を使わない料理というのは実は非常に難しいのです。華僑ならなんでも食べるので問題ないが、イスラムの人はどこに連れて行くか悩みます。 まず、中華料理はダメです。すべてのだしに豚骨のスープを使います。日本料理はだいじょうぶのような気がするが、店の人によく言っておかないと、大変なことになります。一度、日本料理を食べにある店に連れて行ったとき、最後にメロンがでて、その上に生ハムが載せてあったのを見て、彼らはその楽しい食事をすっかりだいなしにした思い出があります。
2005年09月30日
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海外旅行へ行っても、仕事がらおみやげはあまり買わない。まあ、空港の免税店でチョコレートを買うくらいだ。しかしどこの国でも、よく調べると、あの時買って置けばというものがある。だから本来なら前もって調べてから行くといい。 インドネシアは人件費が安い、だから人手のかかったものは安い。お土産屋で買わず、できれば現地に住んでいる人に聞いて本物の売っている所で買うのがよい。特にお勧めなのが木彫りである。 木彫りといえば、北海道の熊の木彫りは有名だが、今はびっくりするくらい高い。あれのもっと精密なものが、その10分の1くらいな値段だと思ってもいい。高さが60センチくらいな人物像でも5000円くらいで買える。それもすごくよくできている。 色もこげ茶色が多く、あるとき、あの色はどうやって付けるのかと聞いたら、あれは靴墨を使っていると知って興醒めしたものだが、現地で興味があるなら、ぜひお勧めする。重いけれど、できるだけ大きいものを。 次に薦めるのが現地の人が書いた生の風景画だ。印刷されたものでなく、実際に書いたものだ。これも芸術的価値はまったくないと思うが、自分の部屋に飾っておくには充分だ。だいたい男の部屋なんてカレンダーの写真しかないのが普通だが、毎日カレンダーの富士山ばかり見ていないで、実際に書いた風景画をみるのもいいものです。2000円もだせば、テーブル大くらいの大きさの絵が買える。これもおみやげ屋さんでなく、町の骨董品を扱っているところだといいものが買える。
2005年09月30日
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仕事が休みの日や、土曜日の午後によく床やへ行った。現地の床やにもいろいろな種類があるが、もともと髪を切るのが目的なのでオーソドックスな床やさんへ行く。 床やに入って、髪を切ってくれというと、ハサミだけか、バリカンを使うか尋ねられる。日本ではバリカンを使わないように言うが、ジャカルタではバリカンを使ったほうが料金が高く、腕のいい職人にあたる。 一見、バリカンのほうが安上がりに思えるが、すべてのもの、機械や道具を使ったほうが高い。私は縫製の工場にいたが、ここでもミシンで縫うより手で縫ったほうが安くあがる。それで現地では可能なかぎり手作業に頼る。だって工業用のミシンは現地でも20万円くらいします。1日80円でワーカーを雇えるのですから、投資が大きすぎるのです。 床やの料金なんて知れているので、なるべく腕のいい人にやってもらわないと、あとで後悔しても遅いです。マッサージも薦められるが、床やのマッサージはしないほうがいいと言われていたので、やったことがない。ただ一度だけマッサージOKといったら、となりの個室へ案内させられた。そこにはベットがあったので、これはちょっと時間がかかると思いキャンセルした。 海外の床やさんは、できればあまり利用しないほうがいいが、興味もあるし、無難に利用しょうと思えば、ちょっと高いがホテルの床屋さんがいいと思う。時間も早いしきれいに仕事をする。
2005年09月29日
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ゴルフが終わるとよくマッサージにいった。ジャカルタの繁華街、ブロックMという所へいくと、ちょうど新宿の歌舞伎町のようなところだが、もちろん夜のほうがにぎわっているが昼でも人通りが多い。 マッサージ屋さんは2種類あって、いわゆるオイルマッサージといって、素っ裸になって全身にオイルをつけて体をもむのと、ベットにうつぶせになると、ちょうど顔のところに穴が空いていて上に乗って足で揉むのとある。天井にステンレスのようなパイプが付いていてマッサージする女の子はそれにつかまって両足でマッサージする。これが実によくきく。1時間コースと2時間コースがあり、いつも2時間コースを頼む。 たしか2000円くらいだったと思う。最初の10分くらいはとても耐えられないほど強く、2時間コースにしたことを後悔するが、だんだん気持ちよくなりしまいに寝てしまう。広いホールみたいなところにベットが30くらいあって、それでも待っている人がいつも10人くらいはいる。日本人と韓国人が客のほとんどなので、そこにある日本の週刊誌を読みながら順番を待つ。30くらいベットがあるので、すぐに自分の番になる。 私はこの足のマッサージが好きでよくやった。テレビでよく見る足をマッサージするやつも、もちろんある。しかし、あれは一度やったけど、とても耐えられるものではない。もっと弱く、もっと弱くと言っても、相手はすぐにまた強くやる。体のどこかが悪いのか、とても我慢ができません。 オイルマッサージは素っ裸になるのがいやです。もちろんとなりのベットから見えないようにカーテンを引くのだけれどベットの前後は空いているんですよ。横を歩けば見えるし、ましてや、マッサージをする女の子が見ているんですよ。仰向けになったときには、バスタオルをあそこに載せてくれるのですが、じっくり見ながら載せるんです。いやですよね。とても自慢できるものじゃあないですよ。私の物は。
2005年09月28日
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インドネシアでゴルフをする人は平日はわからないが、休日は日本人と韓国人が多い。オランダ人や他の欧米の人はめったに見ない。日本の企業が開発したゴルフ場もあり、そういった所にはお風呂もある。 ただメンバーコースはロッカーもあり貴重品もだいじょうぶだが、パブリックのコースだとロッカーがなく、シャワーもしないでホテルに帰ってからシャワーをした。なんか危ない感じがするんですよ。そういったところでは貴重品はバックとともに車の中に置いた。 ゴルフのスタートはゴルフ場が混んでいる場合、空いているホールからスタートする、いわゆるショットガン方式にスタートさせてくれる。日本ではほとんど経験がないです。だから大きなコンペでもみんながほぼ同じ頃スタートできて、同じ頃終わる、あれは実にいい方式です。 何度か○○商事のゴルフコンペに参加したが、1回100人ほどのコンペで中間賞をとったことがある。現地の駐在員には常に転勤や日本からの短い出張者が多く適正ハンディがわからず、いつも順位の中間の人が一番いい商品があたるようになっていた。その中間賞をとりました。 それは、バリ島のグランド・ハイアットのロイヤル・スペシャル・ルームのカップル3泊の宿泊券でした。みんなからうらやましがられましたし、私もうれしかったです。一年間の有効期間があったので、充分に行けると思っていました。 でも半年後にその券は、現地のおせわになった駐在員にやりました。だって当時一週間もプライベートで休日をとることなんてできなかったですよ。日本で何人か友達にやろうかといったんですが、実際に行くとなると、みんな仕事があるし大変なんですね。今考えると、もったいなかったですよ。その券をもらった駐在員は休みをとって奥さんと行って来たそうです。おみやげにチョコレートをもらいました。チョコレートはそんなに好きではないんです。 インドネシアは乾季と雨季があります。乾季は大変暑く、雨はほとんど降りません。雨季は約半年間ありますが、とても強い雨、いわゆるスコールが10分から20分続きます。それだけです。一日に一回から三回くらい強い雨が降って後は降りません。ですから雨季でも雨のときに中断すれば充分ゴルフはできます。 でも、世界中が異常気象になっているようにインドネシアでも乾季に雨が降ったり、雨季にスコールが来てもなかなか晴れなかったりします。ゴルフをやるなら暑くても乾季がいいです。でも暑いですよ。それも猛烈に。 私が最初にジャカルタに行った頃、どうして日本の旅行者が少ないのか聞いたところ、暑すぎて旅行者が参ってしまう。と言う返事でした。そんなところです。
2005年09月28日
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ジャカルタの休日はよくゴルフに誘われた。日中はとても暑いので朝早くのスタートが多かった。朝早くスタートして、そのまま1ラウンドしてシャワーを浴びて冷房の効いた食堂でビールを飲みながら昼飯を食べる。 朝一番のスタートだと6時頃になる。空が真っ暗なうちにスタートのティーグランドに立つ。ジャカルタは赤道より少しだけ南半球なので日が昇り始めたら、真っ暗な状態からすぐに明るくなる。その時間は5分とかからない。 日暮れも同じで夕焼けなど5分も出ていない。小さい頃、テレビでハリマオというドラマがあったが、夕焼けの中をハリマオの歌がゆっくりと流れていたが、ジャカルタでは、おそらく夕焼けとともに、その歌を歌いだすと、おそらく歌い終わらないうちに真っ暗になってしまうだろう。 さて、ゴルフにはキャディが1人のプレイヤーに1人付く。すなわち1組は6人もしくは8人でまわる。タイでは1人のプレイヤーに3人のキャディが付くので、ティーグランドに立つと、フェアウェーに16人もの人がいるので異様な感じがするが、前の組が8人でも、ちょっと変な感じだ。 キャディはほとんどが男の子である。女性のキャディのゴルフ場もいくつかあるが、だいたいは若い15歳から20歳くらいの男の子だ。彼らは自分たちの主人に仕え自分たちどうしで、自分たちの主人のスコアーで賭けをしている。だから私に仕えたキャディは私のスコアーがよければ、非常に喜び、また次にくるときは自分を指名してほしいと頼まれる。 しかし私のスコアーが悪かったり、私がOBを出したりすると、非常に残念がり軽蔑のまなざしで私を見る。最初の頃、私は数字の4という言葉がどうにも覚えられず、というのは発音が難しいのもあるが、日常会話にはほとんど使わない。例えば1個、2個、3個の次はいつも、たくさんである。ところが私が4パットをしたとき、私のキャディが、頭をかかえて、ウンパット、ウンパットと繰り替えした。それが短いパットだったものだから、私より彼がしょげ返っていた。私はそのときから、4=ウンパットとすぐに出るようになった。 ジャカルタのゴルフ場は池が実に多い。そして池のまわりに多くの子供たちがボールが池に落ちるのを待っている。泥だらけの汚い水がいっぱいの池だがボールが池の中に落ちると、大勢の子供が池に飛び込み池の底のボールをさがす。そのようにして集めたボールを1ダース200円から500円くらいで、次のティーグランドで売っている、子供にとっては実にいい商売である。続きはまたあとで。
2005年09月28日
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休みが続いたり、仕事が忙しくなったりと、なかなかゆっくりと書けなかったが、ひさしぶりにインドネシアのことを書いてみようと思った。 インドネシアの滞在日数は通算で500日は超えると思う。そのほとんどが4日から15日の短い滞在なので、宿泊はホテルです。初めのうちは朝食にホテルのバイキングを利用していたが、これが日本円で1500円くらいと、べらぼうに高い。私の行っている工場の工員の約18日分の日給にあたる。それで、ホテルのとなりのスカイラインビルのとなりに大きなスーパーマーケットがあったので、そこからパンやジュース、牛乳を買って朝食にした。 そのことを工場で話したら、もっといい所があると言って、中国人のたくさん住む地域、たしか「コタ」とかいう名前の場所にある市場に連れて行かれた。 そこは主に現地に住む華僑がよく利用する市場でした。夜遅くまでテントを広げて野菜や果物,魚、なんでも売っていた。バナナがいいと言ったら両手で抱えきれないくらいな束のものを買ってくれて、ひとりで食べきれないと言ったら、食べ終わるまでジャカルタに滞在すればいいと言われた。 また、スカイラインビルには日本の企業が多く、そのビルの中に一軒だけ日本人が経営する喫茶店があった。そこは、ときどきコーヒーを飲みに連れて行ってもらったが、そこにモーニングサービスがあると知って、試してみた。日本のモーニングサービスより、ずっと豪華だ300円くらいだったと思う。日本の週刊誌を読みながら朝食をしたものだ。 日曜日で特に予定のないときは、よく工場のオーナーである華僑の社長夫婦と中華レストランで飲茶に誘われた。現地では朝早くから飲茶が、どこのレストランでも満員だ。現地の上流家庭では一般的にメイドが一軒の家庭に3人いて、一人が掃除、一人が洗濯、もう一人が炊事をやる。 メイドの場合は3つの仕事を兼用できなく,必ず3人のメイドを雇わないといけないらしい。これは現地に駐在している日本人の家族にも同様だという。だから現地の華僑の女性は掃除、洗濯、炊事はやった経験がない。それで休日にはメイドにも休日を与え自分たちは外食をしなければならないという。それで日曜の飲茶が満員と言うわけだそうです。 上の写真はインドネシアではありません。借りてきた写真です。ただイメージはインドネシアと同じです。
2005年09月27日
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今日もいそがしい一日になりました。と言っても今は休憩です。この写真、さっき用事でとなりの町からの帰りに撮ったものです。 白い包みの中は米を取ってしまったあとの稲です。これを太陽にあてて熟成させるのですかね。牛のえさになるそうです。この写真を撮った後ろに大きい牛舎があります。 秋も終わりになると、ここ新潟には雪が降ります。そうなると牛の食べ物は今から用意しておかないといけません。このあたりではこうやって牛の冬の食料を用意するのです。
2005年09月27日
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3連休明けの今日は朝からなれないパソコンと奮闘していました。新しいことを始めたのだけれど、わからないことだらけ。夕方になってようやくめどがたって、ちょっと休憩です。 明日も忙しくなりそうです。なにごとも慣れるまでたいへんです。今日は日記は書けません。24日に撮った花の写真を載せておきます。さあ、もうひとがんばりするとしますか。仕事が大事ですから。
2005年09月26日
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写真の整理が少しおわったのでコスモスの花だけ載せました。上のように今日の猪苗代ハーブ園ではコスモス畑はパンフレットとはだいぶちがって花が少ないでした。きっと昨日の休日に大勢の人が花を採っていったのですかね。 ここは、たしか500円だか払うと花を何本だか採ることができるそうです。来週までにまた花がたくさん咲くでしょう。でもひとつひとつは下のようにきれいでしたよ。
2005年09月24日
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今日は猪苗代ハーブ園に行って来ました。でも霧がかかっていて写真のように視界が遠くまできかず、景色はいまひとつでした。 でもきれいな花をたくさん写真で撮って来ました。ほんとうはコスモスのたくさんあるのを期待して行ったのですが、花を摘んでしまった後なのか、まだ早かったのか、あまりコスモスの花はありませんでした。ラベンバーも有名なのですが、時期は7月なのでまったくなかったです。 猪苗代は私の家からだと1時間半です。今日は渋滞もなく順調にドライブできました。今度は晴れた日にまた行くことにします。 写真の後ろに薄く写っているのがリステル猪苗代というホテルです。今の季節も混んでいたようです。冬はホテルの裏がスキー場になっています。
2005年09月24日
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今日は結局どこも行かなかった。お彼岸なのでいろいろな人が来たりして、いろいろと話をしていったりしていました。朝は6時から公園で2時間ほど運動をしたので今日は眠い。明日はどこかへでかけるか。上の写真は家のちかくで撮ったものです。秋もきれいな花が多いですね。
2005年09月23日
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今日はお休みです。となりの家の木の実が大きくなりました。何の木の実でしょう。知っていますか。木の実が下に落ちて私の家の敷地内にはいれば、その木の実は私のものです。木からとったらどろぼうです。たけのこもそうですね。となりの敷地内までのびてしまったらとなりのものになってしまいます。 だまって落ちるのを待つ。でもこれはたべられるのかなあ?
2005年09月23日
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黄色いハンカチといえば、高倉 健の映画を思い出します。この映画では賠償千恵子が高倉健の帰りを待って、家の前に黄色いハンカチをたくさん飾っていたあのシーンは、とても感動したものでした。 インドネシアでも、ちょっと似たことがあったんですよ。私のいた工場では地方の出身者が多いのです。彼女たちは中学を卒業すると親元を離れ何人かの友達と一緒に出稼ぎに出ることが多いようです。 でも彼女たちにとって日給100円くらいではたいした生活はできません。ですからアパートの一部屋に4人くらいで生活しているそうです。私のいた工場では優秀な人材用に10家族くらいが住める長屋と20室くらいある長屋(若くて独身の女性用)が用意されていました。 でも働いている人は、もっと多いのでどうしてもアパートが要ります。そこで不動産屋が登場します。アパートといってもバラックです。日本の物置小屋のほうがはるかにいいです。それが一部屋3000円くらいするのです。高いですよ。でも4人で借りるとなんとか彼女たちでも払えるので借りているそうです。 そんな彼女たちにデイトはどうするのかと聞いたら、デイトの日は順番にその部屋を使うそうです。他の3人は部屋から出され入り口のドアのところに黄色いハンカチを結びつけておくそうです。ハンカチが結ばれていると、中にまだ一人の女の子と男がいるので入ってはダメだそうです。 彼女たちは「あっけらかん」とそんな話を私にしてくれました。聞いているほうがはずかしくなりました。南国の女性はエキゾチックです。
2005年09月22日
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マクドナルドの店がジャカルタにできると聞いた。それで一個いくらかと聞いたら日本円で約100円だという。1992年頃のことです。当時の工員の給料は100円から150円の時代、ちなみに私のいた工場(タンゲランにありました。)では初任給が80円(1日ですよ。)です。そんな高いハンバーガーが売れるわけがないと思いました。 これが翌年店がオープンすると行列ができたのです。それも若い女の子ばかりです。早速工場で若い女の子に聞くとジャカルタへ行ったらぜひ食べてみたいとのこと、一日分の給料がたった一個のハンバーグですよ。信じられませんでした。 当時インドネシアでは給料は毎週一回の支払いが一般的でした。毎週現金を詰めて一人づつ手渡しするので非効率すぎると、月一回の支給を提案したところ、一ヶ月分の給与を渡すと次の日から誰も来なくなるからだめだといわれました。 現地の一般的な人はお金をもらえば、あればあるだけ使ってしまい次の給料日まで何も食べず水だけで済ますそうです。ですから給料日の前には、いつもお腹のすいたワーカーばかりで能率も落ちます。 それではと、いろいろな工場を調べると、2週間に一回給料支給の工場がいくつかあることを知り、そのように実行してもらいましたが、ワーカーにとっては不満が多く2,3回やったら、また元の週給制にもどりました。 前にも書きましたが、インドネシアでは給料はほとんど、こずかいです。基本的な生活には、お金をかけません。しかし若い人はテレビとかの影響か、やはり流行に左右されます。インドネシアの主食は米です。でも若い人はパンを食べます。それもお店で売っているやつでないとだめみたいです。ですからどうしてもお金がいるんです。 コカコーラやケンタッキーも人気ですよ。私は現地では食べたことがないけど、ケンタッキーの鶏肉は現地でもブロイラーを使っているそうです。現地の年寄りが嘆いていました。「あんな鶏なんにもおいしくない」と。そうですよね、ブロイラーより地鶏のほうが美味しいに決まっていますよね。でも流行ってこわいですね。
2005年09月22日
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インドネシアにも美人の産地があるという。美人の3大産地、それはメナード、ソロそしてバンドンだそうだ。 メナードはジャカルタから飛行機で約4時間かかるという。ちょうどフィリピンと中国とインドネシアの間にある諸島です。その3カ国の混血がいわゆるメナード美人ということです。メナード化粧品の名前もこのメナード諸島からきているらしい。 私は、そのメナードの人には会ったことがないので、どんな美人かはわからないが、ソロとバンドンの女の子にはジャカルタの飲み屋でよく会っていたので、美人だということは納得できる。また人の話では、ちょっときれいな女の子は飲み屋では出身地をソロかバンドンと言うと、ハクがつくというか、まあそうらしい。 バンドンには訪イ中に何度か訪れたが、ジャカルタから車で4時間ほどかかるが、かなり山を登っていく。高原なので気温も20度くらいで、大変すごしやすい。温暖な気候のもとに美人が多いのかと、街中の女性を見ても私にはジャカルタと同じに見える。 バンドンの駐在員にその話をすると、一般にインドネシアの女性は普段は化粧をしないという。会社で年に一度ほど慰労会をするときは彼女たちは化粧をしてくるのでびっくりするほどきれいになっているそうである。そうか、それで飲み屋の女の子はきれいに見えるのですね。 一般的にインドネシアの女性は背が低い、顔はこげ茶色で、髪の毛は黒い。目はパッチリしている子が多く、くちびるがとっても厚い。南国らしく会話をすると、とても明るく、なんでも隠さず話す。秘密を守るなんて彼女たちにはとてもできないと思われる。 上の写真はインドネシアではありません。借りてきたものです。イメージは同じです。
2005年09月21日
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インドネシアで、当時ワーカーを採用するときは工場の前に新規採用の張り紙を張り出します。すると10人の採用に対して100人くらいの応募があります。当時はまったくうらやましい話でした。 どんな人を採用するか見ていると、女性の場合はけっこう美人が多いのです。なぜかと聞くと「美人で背が高い」のは欲の少ないインドネシア人のなかでも欲があり一生懸命働くのだそうです。 私にはインドネシア人の美人の感覚はよくわかりませんが、身だしなみのよい子はやはり美人にみえます。顔はよくみてもみんなおんなじ顔に見えます。きっと彼らから見ても日本人はみんな同じ顔に見えるでしょうね。 当時の給与は日本円で日給80円くらいでした。ワーカー10人くらいの上にチーフがいるんです。その子が倍の160円くらい。ひとつの部署を束ねる、つまりチーフを3~5人管理すると320円くらいの日給でした。スタッフは営業、経理、全体の生産管理などでひとつの会社に5人から10人です。インドネシア人がなることのあるけど中国人が多いです。中国人スタッフだと月3万円から4万円、インドネシア人だと2万から3万円だったと記憶しています。でもだいたいが経営者が中国人が多いので中国人のスタッフがおおいです。日系の現地企業も中国人のスタッフが多いですね。これはやはりインドネシア人は仕事に対していいかげんなことが多いということでしょうね。 私が彼らに教えるにあたって前もって言われていたことがいくつかあります。ひとつは彼らを叱るときは決してみんなの前で叱らないこと。これは彼らには日本人以上のプライドがあるそうです。2番目に一日に2つのことを教えない。二つ目を教えているあいだに一つ目のことを忘れるそうです。まさかと思いましたが実際経験するとわかりました。三つ目に人に指を指さないということです。 でも、いいこともあるんです。まず単純作業が苦にならない。これはいいですよ。日本人にはなかなかまねができません。朝から夕方まで例えば、窓ガラスを拭くなんてことは、飽きますよ。次に目がいいのです。現地商社マンの話だと視力は5.0くらいだそうです。昔からジャングルの中で動物や食べ物を見つける生活をしてきたせいですかね。砂漠に住んでいる人も視力がいいそうですね。 ですから、細かい作業が得意なんですね。小さな溝に部品をひとつずつ入れるような作業は日本人以上ですよ。私だったらそんな作業一日やれと言われたら一日は持たないでしょうね。 上の写真は昨日家の近くで撮ったものです。
2005年09月20日
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外国人に技術を教えることは、その国の事情を理解しないと難しい。相手は日本人でなく日本人と同じように教えても理解してもらえないことが多い。 特にインドネシア人には、自分たちが日本人より裕福だという考えがあり、貧しい日本人から教えてもらうということに抵抗感があるようだ。 ちょっと考えると私達には理解しがたいが彼らは、少なくとも自分たちは日本人より裕福だと考えている。テレビの普及が彼らに日本人の生活が実によく理解されている。 まず第一にインドネシア人は子供を5人から多い人で10人も作る。日本人はなぜ1人か2人しか作らないのかと聞く。 第二にインドネシア人は7時間しか働かない、これは国の法律で仕事がないインドネシアでは、できるだけ大勢の人に仕事をあたえるように7時間以上の時間にたいしては自給が2倍になるという法律があり、それならばもうひとり雇うほうがいいというのがほんとうであるが、彼らには毎日夜遅くまで働いている日本人が貧しくみえるのです。 第三にインドネシア人は働く場所の近くにバラックを作りそこから工場に行くことは前に書いたが、通勤時間は実に短い。日本人はなぜ通勤に2時間もかけるのか、もっと近くに働く場所がないのか、 こういった質問に対しては「物質的」欲望を追及する我々にはなんと答えていいのかわかりません。もっともこれらのことは田舎のことであって都会では、こういった会話をしたことがないので別の回答があるかもしれません。 インドネシアは国中がジャングルです。ですから食べるものが、いつでもあり、年中夏ですから、お金がなくても最低限の生活はできるのですね。日本にきている出稼ぎのインドネシア人が少ないのも納得です。 上の写真は昨日家の近くで撮った写真です。
2005年09月20日
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今日も休みですね。朝、車でちょっと出かけてきました。そのときに撮った写真です。なんの花か知らないけれど、今の季節、もうだいたいの花は咲く時期を終えていますね。これからは花より紅葉の季節がはじまりますね。 さて今日は家に帰ってから、新聞を見たりしてすごしましたが、まだちょっと残っている水虫を撃退するため、洗面器に「ある人」からもらった「死海の塩」を大サジ一杯入れてお湯を入れよくかき混ぜてから一生懸命足を洗いました。 この方法は効くかどうかは、まだ数回しか試していないのでなんとも言えませんが、私は毎年、夏になると近くの海に行き、足を海水に浸し熱い砂浜を歩きます。 以前は足に水虫の薬を塗っていましたが、海水に足を漬けて砂浜を歩くほうがよく効きます。でも今年の夏は2回しか海に行けなかったのでまだ少し水虫が残っているんです。 毎日、昼と夜の2回、足を洗っているのに大変ですよ。一度水虫になると、完治するまで大変です。そろそろ水虫も冬眠の季節なので、このままにしておくか、徹底的に今直しれしまうか。かゆみをこらえながら思案しています。
2005年09月19日
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昨日の日曜日、車でちょつと遠くまで出かけてきました。道路はどこも混んでいるようだったので、なるべく混まないルートを選んでドライブです。 前から一度行って見かかった釣堀です。写真のようにその日は小さな子供がたくさんきていました。ひさしぶりの釣りですが、ここは釣りざおが一本100円で釣ったにじますは1尾50円でそこで焼いてくれます。 でも、ここのにじますは、糸をたらすとすぐにじますがえさに飛びついてくるんです。あんまり簡単なのでおもしろくありません。ゆっくりやったんですが15分くらいでこの成果です。 これを焼きあがるまで30分待つのです。予定だと最初の2尾くらいを焼いているうちに釣りを楽しみ、食べている時に焼けるまでに釣った魚を焼いてもらうつもりでした。うまくいかないものですね。 帰りは逆方向はすごい渋滞です。市街地に住んでいるみなさん、大変ですね。3連休だとどこへ行っても車、車で渋滞を覚悟で出ないといけませんね。 車でドライブしていると、この辺はそば畑が多いんです。そばの花は今が満開ですね。先ほども私の住んでいる町の外れに美味しいそばのお店ができたというので、ちょっと位置確認で行ってきたのですが、そば畑はあってもそば屋さんは見つけられませんでした。
2005年09月19日
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今日は日曜日です。夕方から雨が降りそうなことをいっていましたが、それまで、ちょっとドライブです。紅葉には早いしまだ空は曇り空です。でも新潟はどこへ行くにも高速道路は整備されているし、一般道路もすいています。 私の家からだと、会津若松まで約1時間、福島市だと2時間、山形市まで2時間半、長野市は3時間、軽井沢も3時間で行けます。いずれもラッシュとは逆方向なので道路はすいています。 前に金沢まで行ったことがありますが、だいたいが日本海ぞいに走りますので景色はいいのですが、4時間はさすがに疲れますね。そうそう、以前に仙台のむこうの松島でゴルフをやってその日のうちに帰ってきて家で夕食を食べたこともあります。 新潟から松島まで3時間と少しです。東京からちょっと離れたところでゴルフをやるのとそんなに変わらないでしょう。
2005年09月18日
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私のジャカルタでの定宿はサリ・パシフィックだと前に書いたが、このホテルはジャカルタのほぼ中心地でタリムン地区といってちょうど日本の銀座四丁目のような所です。 ホテルの隣にスカイラインビルという大きなビルがあり、そこに日系企業の現地事務所の多くがあり、私もそこの○○商事には仕事のことでよく行っていました。そこの現地子会社の社長に1992年に日本の本社から私のよく知っている課長が赴任しました。 3カ月後に私がジャカルタへ行くと彼はもうすでに、インドネシア語には不自由していませんでした。彼に聞くと転勤を命じられてから日本で2ヶ月必死で勉強したということでした。そして現地で3カ月、私にはとっても信じられないことでした。 そのときまでに、私はもう10回以上ジャカルタに行っていたのに、おはようとありがとうぐらいしか話せませんでした。でも彼にインドネシア語の覚え方を聞いて、それから必死に勉強しました。今ではもうだいぶ忘れましたが、それから一年くらいで簡単な日常会話ぐらいは話せるようになりました。 インドネシア語は、通常の話言葉は確かに、そんなに難しくなく、ある程度勉強すればあまり不自由しなくなります。買い物とか、自分の言いたいこととか、相手に伝えることはなんとかなります。英語に比べたら数段易しいです。しかし問題はインドネシア人はインドネシア語で会話をしていないということです。 だからインドネシア語を一生懸命勉強しても、彼らどうしが話しているのは決して理解できないということです。おかしな国だなと思って聞くと、インドネシア語自体がもともとのインドネシアの言葉ではなく、マレー語だそうです。 スカルノさんが日本から独立したとき、インドネシアはさまざまな言葉を話すいろいろな民族の集合体だったそうです。そのどの言葉を国語にしてものちのち国内で氾濫が起きないように、世界で一番やさしいマレー語を国の言葉としたそうです。 1945年当時、テレビもない国でまったく別な言葉が国の言葉として決められ、その後、急速に国内に広まったそうですから、よほど簡単な言葉なんですね。・・・・・・・・・・・まず、そう思ってからインドネシア語を勉強すること。彼は私にそう言ってから具体的な勉強方法を私に教えてくれました。さすが日本を代表する○○商事の課長さんだと感心させられました。
2005年09月17日
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プラウ・スリブーの中には日本航空が開発した島もあり、日本人観光客にも人気がでたのはもっと後のことだったと思います。 南国のほぼ無人島での夕日もきれいですが、満天の星空が味わえる夜はまた格別です。南十字星は一段とかがやき、日本でも北アルプスの稜線に近い山小屋に泊まると晴れている日には星空がグンと近くに見える、あれですよ。ジャカルタではスモッグの為か星はあまりはっきり見えないんです。 その夜空の下で夕食ですが、ビールを飲んでいると「蚊」が飛んでくるんです。それも日本の数倍もある大きな蚊が。さされると腫れるんです。まるで日本のハチですね。ですから夕食は蚊との格闘のなかではじまりました。 我々3人の日本人だけが、あっちを叩いたり、こっちを叩いたり、他のテーブルを見渡しても、誰もそんなことはしていません。日本人にしか刺さないのか、我慢しているのか。もちろんみんなお酒も飲んでいますよ。 夕食のメニューは覚えていませんが、品数の少ないバイキング形式だったと思います。まあ食事はそうそうにして蚊からのがれるほうが先でした。 部屋に帰りベットに横たわると、どこから入ってきたのか蚊が一匹いるんです。備えつきのスプレーをかけても利かないんです。おかげでその日は眠れませんでした。なんでインドネシアには蚊取り線香がないんだろうと思いましたね。 後でわかった事ですが、インドネシアの蚊には日本の香取り線香は利かないということです。おかげで日本に帰ってからも一週間は刺されたところが腫れていました。 インドネシアでも日本でもそうですがゴルフ場で半袖、半ズボンでも蚊に刺されることはありません。みなさんもテレビで山の中のゴルフ場でプロが蚊にさされて掻いているのを見たことはないでしょう。たぶん農薬がたくさん使われているんでしょうね。そう思うと怖いですね。私たちは農薬の中で、今日も空気が美味しいなあなんて言いながら朝から夕方までプレーをしているんですよ。
2005年09月17日
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上の写真はインドネシアではありません。昨日の写真と借りたものです。ですがイメージは同じものだと思ってもいいでしょう。 さて南国の海は海流がおだやかで海水が暖かくナマコが大発生しやすい環境になっているようです。全身砂まみれになっているので、最初はバナナが海底にたくさんあると思っていました。 しかし、それを手に取って見ると生物だということがわかりました。しかしナマコだとは思いませんでした。長さが25センチくらいあるのですよ。しかしいっしょに行った社長が「それはナマコだよ」と教えてくれ下をよく見ると海底にびっしりナマコが張り付いていました。 海は遠浅だったので、すでに海岸から50メーターほど沖合いに出ていました。そこからはなるべく海底に足が触れないように岸までもどりました。よく見るとクラゲもたくさん泳いでいました。 写真で見るとさんご礁の海は気持ちよく泳げる所だと思っていましたが、人間に気持ちがいいようにナマコやクラゲにも快適な場所だったのですね。 海から上がった私達は他の白人観光客といっしょにプールで泳ぐことになりました。さんご礁の海にプールがあったわけがやっとわかりました。 さて水泳を済ませてからコッテージに戻って一休みです。コッテージは大きなリビングのような部屋が玄関を入るとすぐにあり、その奥に寝室が2つあり、そのおのおのにベットが2つずつ入っていました。私と2人の女性がひとつのコッテージ、社長夫妻とまだ幼い2人の子供とその子供の世話をするメイドさんがもうひとつのコッテージです。 さて夕食はフロントの横のレストランです。建物が厨房でその周りを屋根だけが囲いテーブルが厨房を取り巻くように並べられ客どうしの会話があまり気にならないようにしゃれた造りのレストランでした。 そこで夕食を食べたんですがエキゾチックな雰囲気を台無しにすることがあったんです。 時間ですのでまた書きます。
2005年09月17日
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タンゲランでの仕事で一度だけ日本の女性社員を連れて行ったことがあります。火曜日の夜成田を出て土曜日の昼まで仕事をして日曜日の夜行で現地を離れるという強行軍です。女性は2人ですよ。 約1日自由時間がとれるので、その会社の社長夫妻といっしょにサンゴ礁の島に行くことになりました。プラウ・スリブーです。工場から約1時間ほど、ですからジャカルタからだと2時間くらいですか、車で田園風景の中を走りました。 インドネシアの田園は日本の昔によく似ているんです。稲を植えているんですね。1年に4回取れるそうです。だからまわりをよくみると、田植えをしている所があったり、稲刈りをしている所があったりします。 田んぼのなかで働いている人も多いんです。田植えは牛を使ってました。彼らがかぶる帽子は日本の明治維新のときに政府軍がかぶっていたような、わらでできた三角形の帽子です。 田んぼのあぜ道に大きな天秤棒のようなものを持ち両サイドにたぶん○○の入った桶を背負っていました。まわりの山々の景色も日本といっしょです。ちがうのは川で洗濯をしたり、子供が大勢で水遊びをしていることです。だってその水はどろどろに濁っているんですよ。 海岸に着くと、ちょうど浦島太郎を思いだすような古い民家、バラックのような家が10軒くらいあるだけで、あとは木でできた防波堤が海に一本だけ突き出していました。船ではなく舟を待っているあいだ海を見ていると海の中に半円形した網のようなものがあります。 あれは何んだと聞いてみると魚が来るのを待っているのだ教えてくれました。日本だと魚を網ですくうけれど、現地では魚が網に入るまで待つのですね。 さて我々の乗った舟は10人くらいしか乗れない小さな舟でしたが舟の上から海の下を見ると海の底が見えるのです。すごく透きとおるのですね。ですから怖いんですよ。まるでビルの上に居るようでした。 プラウ・スリブーとはプラウが島という意味でスリブーは1千です。ですから千の島という意味です。以前は日本の団体旅行はバリ島はよく行ってもジャカルタにはあまり行きませんでした。成田発の飛行機はジャカルタ経由バリ島行きが多いのですが、ジャカルタで降りるのではずかしかったですよ。もちろん最近はちがいますよ。 プラウ・スリブーのなかでも海岸から30分くらいで行ける近い島に泊まることに予約をしてありました。その島はほんとうに小さな島でしたが周囲がサンゴ礁に囲まれていました。 さっそく宿に荷物をおいて、宿って言ってもかやぶき屋根みたいな平屋の建物がフロントと食堂で客室はコッテージです。自分たちのコッテージまで歩いて水着に着替えてサンゴ礁の海に行きました。 海はぬるかったですね。でも海の中にコンニャクみたいなのがいっぱいいるんですよ。最初はわからなくて「どうしてみんなプールで泳いでいるんだろう」と他の客のことを思っていました。 そのコンニャクがじつはナマコだったんです。それも海底いっぱいに。 続きはまた後日
2005年09月16日
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インドネシアのタンゲランという当時できたばかりの工業団地ではたくさんの住宅がもうすでにできていた。南国の労働者の住宅というのは実にかんたんで、テントのような建物です。なにしろ南国で冬がないから風通しがよく、雨をしのげればよいというもので、屋根はバナナの葉をたくさん使っていた。 インドネシアの田舎では自分の家から会社に通うという考えよりも自分の家を会社の近くに持っていくという考えです。だから彼らにとって日本人が2時間近くもかけて会社に行くなんて考えられないことなんです。 1989年当時はタンゲランには工場がどんどん建設され、空き地には無許可のバラック住宅がどんどん作られていきました。当然、商店もできます。 ある日、車の窓から見ていると、魚が見えたので、車を止めて近寄るとベニア板(サイズは日本と同じくらい)2枚のうえにたくさんの魚を置いた魚屋さんでした。 その魚の上をたくさんのハエがついているんです。私はびっくりして、同乗者のインドネシア人に聞くと、魚が新鮮だからハエがつくので新鮮でなかったらハエも寄らないというのです。魚屋のおっさんは自分の魚は新鮮だということをハエによって証明しているのです。 そんなインドネシア人でも、決して生水は飲みません。ミネラルウォーターか沸騰して冷ました水しか飲みません。私のいた工場では幹部(スタッフ)はミネラルウォーター、一般労働者(ワーカー)は井戸水を沸騰させて飲料水としていました。 そして、びっくりするのは彼らは生の食べ物は決して食べないのです。ほとんどの食べ物は油で揚げるのです。ですからインドネシアの有名な食べ物といえば、ナシゴレン(焼き飯)ミゴレン(焼きそば)といったように、○○ゴレンというのが多いです。このゴレンは油で揚げるという意味なんです。 でも果物はというと果物は必ず皮がついているのでバイキンに汚染されていないということです。ですから「いちご」のようなものは彼らがもっとも警戒する果物です。 私は現地の商社の紹介でサリ・パシフィックという宿をいつも定宿にしていましたが、そこは東急の系列らしく食事に関しては管理が厳しく生で食べる野菜や果物は必ず煮沸した水でよく洗っているとのことでした。 このような食料事情なので、現地の日本料理屋も材料の仕入れには気を使い、スシのねたは日本から輸入するか、管理の充分な所からしか仕入れしないと言っていました。 1994年になると、日本からすでににぎられたスシを冷凍で輸入するスシ屋ができ、料金は他の日本料理店の倍くらいするのですが、いつも満員でした。現地の日本人がいかに食材に気を使っているか考えさせられました。 それ以来、私は日本人の旅行者が食べに行く店、これはガイドブックに載っている店以外では生野菜は食べないようにしています。
2005年09月16日
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今日の新潟は涼しいです。今25度です。昨日の夜中に途中で起きて毛布を掛けてまた寝なおしました。朝起きたら19度でした。もう、すっかり秋になってしまいましたね。 インドネシアでのくだものの思い出といえば「ランブータン」を思い出します。あづき色をして長いひげがいっぱい付いた上の写真のくだものです。 日本でも見たことはあったけれど、食べるのはインドネシアが初めてでした。私はジャカルタに宿をとりタンゲランという町まで毎日、通っていました。タンゲランはジャカルタから1時間ほど西へ行ったところにある工業団地です。当時はまだ開発されたばかりでホテルもなく新しい工場がいくつも建設中でした。 私の仕事は現地の工場の技術指導でしたが、当時はまだ日本の会社の現地進出など大きな会社ばかりでした。日本から遠いこともありビジネス関係の日本人はまだ少なかったようでした。 でも日本のODAはインドネシアが一番多いし、石油とか鉱石とかに関係した日本人はけっこう知り合いになりました。あらゆるところに「わいろ」があり日本のビジネスにはどちらかといえば不向きな国でした。 今日は「ランブータン」の話でしたね。ジャカルタから高速道路にのりタンゲランの入り口で降りると露天商がいっぱいいるんですよ。やしの実、マンゴー、ドリアン、パパイヤなど非常に安く売っています。毎日、車で通っていると、工場でその日のおやつに今日はマンゴー、明日はパパイヤと毎日、食べることだけが楽しみな生活でした。 そんな中で「ランブータン」が灼熱の太陽の下で働いているとその中の白い実が「さわやか」な甘い味が、とっても好きになりました。甘すぎず、やわらかく、シャーベットを食べているような感じです。 ここだけの話ですが、一度その「ランブータン」を日本に持って帰ったことがあるんですよ。帰国の夜、現地の社員に工場まで取り立ての「ランブータン」を持ってきてもらって箱に枝ごと詰めて空港まで持っていきました。 夜12時ごろの飛行機ででると新潟には翌日の昼過ぎ,2時頃には着きます。灼熱の太陽の国から雪のいっぱい積もっている新潟に「ランブータン」を持って帰りました。 あんなに美味しかった「ランブータン」ですが冬の新潟で食べても、美味しくないんですよ。やっぱり南国のくだものは現地で食べるのがいちばん美味しいですね。 ランブータンに興味のある方は下へどうぞ 上の写真は下の店から借りてきました。 ランブータン【1Kg】
2005年09月16日
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私がインドネシアに初めて行ったのは1989年でした。その後50回くらい仕事で行ったけど最初の訪イはいまでも強烈に覚えています。 最初にインドネシアに行った時、マニラ、バンコックと行った最後の訪問国がインドネシアでした。スカルノハッタ国際空港に着いたとき、強烈に暑かったのをよく覚えています。 着いた日が土曜日で次の日は休養日の予定だったので、いろいろと飛行機の中でどこに行こうかと本を読みながら移動していました。空港から出ると、今まで感じたことがないような暑さで体じゅうが汗びっしょりになりました。 空港からジャカルタ市内まで車で約1時間ですが、ジャカルタに近づくにつれて渋滞がはげしくなり、結局1時間半ほどかけてホテルにつきました。 今までの強行軍の疲れか、その日の夕食はキャンセルして部屋でおとなしく横になっていました。ホテルの部屋の中には籠に入ったくだものが用意されていました。 今までテレビ等で見たことがあっても食べたことのないくだものがいくつか入っていたけど、体の調子がよくないので、夜中にその中から夕食のかわりにバナナをとって食べました。 それがインドネシアで食べた、最初のバナナでしたが、味は日本で食べるほど甘くないんです。でも食べてみると自然の甘さというべきか、日本で食べるより美味しいんですよ。おなかがすいていたせいもありますね。 あとでわかったのですが、日本のバナナは輸入するときには青くて硬いものを輸入して日本にくるあいだに腐る直前のものが黄色になり甘さを増して売られているそうですね。だから熟れているのとはちがうようです。 そのバナナを食べて、すっかり元気になった私は翌日は念のためホテルから夕方まで一歩も出ず、ホテルのプールで昼寝と日光浴をして翌日というかその日の夜からの強行軍にそなえて休養をとりました。 インドネシアにはいろいろなくだものがあります。そのことに関しては、また別の機会でかきます。 上の写真は下の店から借りてきました。興味のある方はどうぞ覗いてください。 送料無料!●フレッシュ(生鮮)マンゴスチン小粒28個●お試し価格で初登場!冷凍物とは比較に...
2005年09月15日
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エビのチリソースは最近あまり美味しいと思わない。なんか昔とエビの種類が違ったみたいで昔のような美味しさを感じないのは私だけだろうか。 以前インドネシアによく行っていたころ、現地の友人に「お腹いっぱいエビを食べてみたいものだ」と言ったところ彼にあるレストランに連れて行ってもらった。 そこはジャカルタから車で1時間ほどのところで、海岸に面していて砂浜に大きなテントを張り中にテーブルがいくつか置いてあり、30人くらい収容できるところでした。もちろん冷房などなく、それでも海風が気持ちよくあたり暑さを感じさせないところでした。 彼、華僑ですが、彼の家族が8人くらいいて日本人は私一人でした。みんなでテーブルにつくと、直径50センチくらいな大きな皿が2つでてその中に45センチくらいな大きなゆでたエビがたくさん入れてありました。 めいめいにはラーメンの器のようなものにチリソースのはいったものが配られ、エビの皮をむいて器に入ったチリソースをつけて食べるのです。 ひとつ食べるだけで食べた気になります。だって伊勢エビよりもずっと大きいのですよ。ふたつ食べるのがやっとでしたね。彼は私に「お腹いっぱい食べたい」って言っていたのにふたつしか食べないのかと笑っていましたけど、あの時はお腹いっぱいエビを食べたという感じでした。 でも大味なんですよ。やっぱり、美味しいのはちょうどよい大きさがあるのかな。ちょっと贅沢ですかね。 その後、何度かそのレストランに誘われましたが、その後はまだ行っていません。 そうそうインドネシアにはエビの養殖場がたくさんあって、そのほとんどが日本向けだそうです。彼が言ってましたがインドネシアのエビはみんな日本に行ってしまって、彼らが食べるエビは規格外のエビや曲がったエビばかりだそうです。ほんとうなんですかね。
2005年09月14日
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昨日の続きです。 昨日は途中で止めてしまったので続きを今日書くつもりですけどちょっと途中で抜けなければならないのでどこまで書けるか。 シベリア鉄道は、私達外国人は一等車です。一等車といっても日本の二段式ベットが二つ入った部屋(コンパートメント)です。日本とちがうのは上のベットへ行く「はしご」がないことです。私も上のベットだったんで靴を脱いで下のベットと窓ワクに足をかけて上のベットにあがりましたが女のひとはどうやって上がるのかと不思議に思いました。 4人部屋にはなっているけど、男女はいっしょです。私が上のベットで本を読んでいると向かいの太ったおばさんが何か分けのわからない言葉で話し掛けてきました。どうやら少し部屋から出て行ってほしいようだったので部屋の外へ出ました。 10分ほどたって部屋に戻ってみると彼女は向かいの上のベットに入っていました。どうやって上がったんでしょうかねえ。 毎日、電車の中で食べる食事は同じメニユーで2日で飽きます。モスクワに着いたときに食べた夕食はひさしぶりに美味しかったと思いましたよ。当時の社会主義国はサービスという考えがまだなかったんですね。 レシピNo.111 ボルシチ
2005年09月13日
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今まで主にスープの話が多かったので、ついでにロシアのスープの話です。以前シベリア鉄道に乗ったことは書いたが、そのとき初めてボルシチを食べました。 ボルシチはロシアの代表的な料理だが、基本的には牛肉入りの野菜スープということらしい。赤カブとトマトが必ず入っているが、あとは煮詰めてあるので野菜なら何でもいいみたいです。 シベリア横断鉄道に乗ると朝は紅茶とパン昼はこれにチーズとハムがついて終わり、夕食はボルシチに牛のステーキです。 私達、外国の個人旅行者は日本を出るときにロシアを出るまでのすべての切符の手配と宿の手配をしないとビザがおりませんでした。今はどうですかね。 当時ロシアは貧しい国でしたが外国人にたいしては乗り物も宿も一流のところでないと予約できなかったのです。でも一流といってもそんなに高くはなかったように覚えています。 ちょっと用事ができたので続きはまたあとで。 【ロシア風野菜スープ】ボルシチ8パックセット
2005年09月12日
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タイに行くと辛い料理ばかりだと昨日書いたが工夫しだいで美味しい料理になるのもある。鶏肉である。タイの鶏肉、レストランでだす鶏肉は農家の庭で育てられたものが多い。 タイに行くとしゃぶしゃぶは日本人には歓迎される料理だが、私はこれを食べるとき鶏肉をたくさん注文する。そして鍋の中に鶏肉をたくさんいれると油がいっぱい浮いてくる。 日本のしゃぶしゃぶも昔は油がたくさん浮いてきたものだが今は鶏にエサをあまりやらなくても大きくなるように工夫されて飼育されているので鶏に油がない。でもタイの農家で飼われた鶏は油がいっぱいあるのですよ。 鍋いっぱいに油が浮いてくるの待ちながらスープをたれをつくります。タイでは辛い魚の醤油だれが一般的ですが、普通の醤油を注文します。ソヤソースと言えばだいたい普通のレストランなら置いてあります。相手がわからなかったら、キッコウマンと言えば通じますよ。 その醤油に鍋のスープを少し入れればできあがり。美味しい水たきが食べれます。おなかがいっぱいになったらスープを飲んでもおいしいですよ。最後にうどんがあればいいんだけれど、ビーフンかラーメンしかないとおもいます。 日本人にタイ式しゃぶしゃぶが人気だったのでバンコックの「コカスキ」という店が東京に店をだしたと聞いていますが、「コカスキ」は私はタイでは行ったことがないのですが、ジャカルタではよく行きました。 「コカスキ」のしゃぶしゃぶを食べるときは海鮮しゃぶしゃぶが美味しいですね。エビ、カニ、イカなど海の幸をたくさん入れて白菜や長ネギも現地にありますからたっぷりいれても日本よりずっと安いですから現地に行ったら食べてみるのもいいですよ。 そのときは現地の「たれ」がまずいと思ったら日本の醤油ですよ。
2005年09月10日
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今日のお昼のテレビ「スクランブル」を見ていたら自民党の枡添さんが「自民党は官僚のすごい抵抗にあっても改革を進めてきた」と自民党の今の改革が道半ばだということを、盛んに言っていた。それに対して野党は自民党の欠点ばかりを責めていた。 まぁ今日のテレビで感じたけれど、というかよりはっきりわかったけれど、やはり小泉さんのやったことは大きかったのだと思う。 そうでなければ、野党は自分たちならこうするということを具体的に述べるだけでいいのに相手の批判ばかりいうようでは国民は納得しないだろう。 竹中さんはいつも具体的に物を言う、だから勉強不足の自民党の長老から嫌われるのじゃあないですか。小泉さんも、やっぱりしっかりやっているんですね。 私は一度民主党に政権をとってもらいたいと考えていたけど、今回は小泉さんの続投がいいみたいですね。石原慎太郎が動かなかった、動けなかったのですか。正解でしたね。石原慎太郎が外務大臣になったら日本も外国に対してもっと強く言えるのに、外務大臣だけはもっといい人になってもらいたいですね。
2005年09月09日
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タイの名物料理といったらトムヤムクンだろう。あの激辛スープは確かにおいしいですね。でもスープの上にのっているパクチという葉っぱは何度トライしてもだめです。 タイにいくとサラダにも煮物にもだいたい入っています。私はそれをきれいに取ってから食べるようにしています。 日本人でもあのパクチが大好きだと言う人がいますが信じられません。匂いがだめです。ドクダミの匂いと同じようなにおいですね。 写真に写っている料理の上にのっているのがおそらくパクチだと思います。写真は下の店から借りてきたのでタイ料理に興味のある方はのぞいて見てください。 しかしタイはほんとに暑い国ですね。だからみんな毎日辛いものばかり食べているのですね。私も辛いものは好きですが毎日はだめです。 それから、日立のコマーシャルで「この木何の木、気になる木」というのがあるでしょう。あの木はタイの木なんですね。バンコックから1時間ほど北へ行ったところだと覚えていますが「あの木」がありましたよ。それもたくさんあったのを覚えています。
2005年09月09日
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改革の小泉さんだが改革しなければならないのはたくさんある。そのひとつが医療費だろう。昨年の医療費は31.4兆円、これが多いか少ないか。 私は医学に関しては、まったく素人だけれど、素人なりに考えてみよう。 医者になるには、5000万円くらいないと私立の大学で6年間過ごせないという。このくらいかけて医者になるなら医療費も当然高くなるだろう。でもカゼでもガンでも、また単なるジンマシンでも医者に行くと同じ治療をうける。 私たちは買い物にいくと、デパート、スーパー、100円ショップとそれぞれグレードを考えて買い物をする。食べるときも町中のすし屋か回るすし屋か選択する。しかし医者はあえて言うなら総合病院か診療所だろう。でもどちらも5000万円の医者ですよ。 私は2年に一回くらい原因不明のジンマシンになるのですが、医者に行って注射を打てばすぐ直るのですが、それでも治療しますね。そして注射でも打ちますかと言われるだけで、毎回初診料とかいろいろ取られるのです。 医者にもAクラス、Bクラスを作ったらどうですかね。例えばBクラスの医者になるには看護師歴10年後に試験を受けるとかして、病気の相談とか簡単な治療しかできない。そのかわり料金は3/1くらいにする。 風邪とか切り傷なんかそれでいいんじゃあないですか。10年くらいなベテランな看護士だったら充分できますよ。 医療費は毎年15%くらいずつあがっているそうです。なんとかしないと健康保険もあがるし治療費もあがりますよ。
2005年09月08日
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私が中国に初めて行ったのが1986年です。天安門事件が1989年ですから、まだまだ開放が進んでいませんでした。街中にいる人々の服装はまだ人民服でした。 北京でもまだ車は少なく道路も舗装してあるところは少ないでした。店をのぞいても品数は少なく必要なものは外国人専用の店、友誼商店というのが、あっちこっちにあって、そこでないといろいろな種類のものがないという時代でした。 そのとき、桂林まで行きました。今でこそツアーでかんたんに行けますが、当時はまだ日本人は少なくほんとうの田舎町でした。 川で洗濯をする人もいたし夜になると民家には電気があったのかどうか。夜の町は街灯がないので歩くのが大変でした。そこで2泊しました。 昼中、町を散歩したとき、市場がありました。庶民の食材がいろいろと売っていました。生きたかえるや生きたにわとり、へびやザリガニなんかもありましたよ。もちろん野菜も豊富にありました。 お昼の12時頃になると、みんな一斉にその店の中で大きな中華なべで炒め物をはじめるのです。どの店も一斉に始めるのですから、その煙とにおいで、とてもそこに居れないのです。どんな油を使っているのか、においがきつかったですよ。 品物の売買は天秤ばかりで計っていました。実際使っているのは、ひさしぶりに見ましたよ。でも計算は小さな日本製の電卓でした。便利なものは当時の中国の奥地でもすぐ浸透するんですね。 そこで、おみやげに12センチ四方くらいの中国茶を買いました、たしか日本円に換算すると1円くらいでした。当時の中国の物価は安かったんですね。 日本に帰る前に広州でもう1泊することになっているので、物価が安く、特に買うものがないので両替した人民元が残っているので、桂林から広州まで電話してもらって広州で一番いいレストランの一番高い料理を予約してもらいました。6人ほどいたんですけど、今なら絶対にできないですね。 その料理は・・・・・広州といっても当時はまだ田舎町ですよ。人は多く家もたくさんありましたがビルがまだ少なかったですね。道路もほとんど未舗装です。 レストランはりっぱな所でしたよ。個室にとうされて、6人のうしろに6人のかわいい女の子が着いていました。私達がお酒を飲もうとすると、必ず後ろの女の子が注いでくれるのです。 でも注文しておいたはずの熊の手やサルの脳みそは出てきませんでした。料理は普通の中華料理でした。・・・・・その女の子たちですか?当時の中国は女の子にさわらせることさえダメですよ。
2005年09月08日
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今日の新聞やテレビでも民主党は苦戦をしていますね。日本は基本的に平和なんですね。だから大勢の人は変化、政権の交代を望んでいないのですね。 最も小泉政権になってから、日本には大きな災害や大きな問題は起きなかったのでしょう。新潟の地震なんかは、神戸の地震の後なので、いろいろとマニアルがあって政治の対応のまずさなどは出てきませんでした。 海外には大きな問題は沢山あったけど、日本国内の政治にはあまり影響なかったのでしょうね。 郵政も年金も少子高齢化の問題も民主党より自民党のほうがうまく解決すると国民は思っているでしょうか。私は多くの国民がどっちでもうまくいかないと思っていると思うんですよ。 政治家の公約なんてたいしたことはないと選挙が終わったら、政治家も国民もみんな忘れてしまうんですね。 前回の選挙のとき、自民党はどんな公約をしてどれだけ実行できたか、民主党はもっと突っ込まないとダメですよ。靖国とか国債30兆円とか、それはとりあえず今の国民には直接響かないのですよ。というか、やむ終えないことじゃあないですか。 もっと直接国民の生活に響くようなことで自民党が前回の選挙のとき約束したことで、なんにもしていないのが沢山ありますよ。それを前面に出せば民主党ももっと善戦するのになあと思います。 今回の選挙の各政党の言うことをよく聞いているとみんないいことを言っていますよ。すぐにでもいろいろと改革が進むんじゃあないですか。それとも、ただ当選したいために言っているだけですかねえ。 NHKの不払い、国民年金の不払い、これはすぐに解決してほしいですね。あと半年この問題が解決しなかったら、「不払いで得をする」「不払いなんかこわくない」などの本がでたりして誰も払わないことになるのではないですか。 そして、この前も書いたけど、道路公団は廃止して高速道路は無料にしましょうよ。道路公団関連会社を全部民営化すれば天下りもなくなるし、料金回収の人もいらなくなるし高速道路無料化はできますよ。日本の経済の活性化にもなると思うのになあ・・・・・・・ひとりごとですよ。
2005年09月07日
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天津で中華料理を食べたときにでたスープがあひるの水かきのスープでした。その日、私を食事に誘ってくれた現地駐在員はそうとうゲテ物が好きらしく、私も珍しいものは嫌いでないので、どんなスープが出てくるのかと期待して待ちました。 でてきたスープは大きな器に4人分のスープがいっしょに入り白く濁っていました。ウエイターがそのスープを小さな器に4当分するのですが、あひるの水かきがそのままの形ではいっているのです。 小さなスープ用の器にあひるの水かきがあふれんばかりに入っているのを想像してください。 4人ですから4本の足をつかっているのですね。白く濁ったスープはまさしく鶏がらスープです。他にたて切にした細いネギが少しはいっているだけです。 あひるの水かきは美味しいですよ。と言われても、そのものズバリの姿ではやっぱり抵抗感があります。でも思い切ってガブッと噛んでみると不思議な噛み応えなんですね。 決して美味しくはないですね。スープは全部飲みましたが、あひるの水かきは残しました。 香港では鶏の「とさか」のスープを飲んだ事がありますが、あの赤いやつですよ。そのときもズバリが入っていました。あれもダメでした。 なんで中国人はそういったものを好むのですかねえ。いいだしがでるのであれば、ダシを取ったあとの材料は入れなくてもいいのにねえ。 そうそう中国で珍しく美味しいスープを飲みましたよ。「がま」の油のスープだと言っていました。「がま」は入っていませんでしたがこくがあって、こってり味のスープでした。 どうやって「がま」の油を取るんだって聞きました。そうしたら、三方をカガミに囲まれた箱にガマを入れるとガマはカガミを見て敵がいると思いカガミに向かっていくそうです。何回もガマが跳んだり、跳ねたりすると「あせ」をかく。それがガマの油だそうです。 「ほんとうか」と現地の中国人に聞き返すとただ笑いながら、そうだといっていました。信じられない話ですね。でも美味しかったですよ。
2005年09月07日
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小泉さんが首相になってから4年になるという。この4年間で小泉さんの一番の功績は、私は拉致問題の進展だと思う。 拉致問題はもう15年以上前からわかっていたのに、官僚の厚い壁に阻まれて、手付かずにいたのを小泉さんが積極的に動いて3家族の帰国を実現し、拉致を北朝鮮に認めさせた功績は大きいと思う。 一般的に官僚とは、新しいことに手をつけるのが嫌いらしい。だからいくら拉致のことを当局に言っても、難しい問題には手をつけてこなかった。政治家に陳情しても自分の徳にならないのには、誰も相手にしなかったでしょう。 特に北朝鮮は国交がなく解決は誰からみても難かしく思え長いことニュースにもなりませんでした。でも小泉さんはやりましたね。 あのときが小泉さんの絶頂期じゃあないですか。官僚を動かすのは大変なんですよ。なにもないことが官僚には一番いいのです。変化を嫌うのですね。 官僚は自分の部署以外のことは絶対にしたがりません。ですから省益を超えた問題、たとえば竹島問題や神戸の地震のときなど動きがにぶかったでしょう。 その官僚を相手にこれから自民党も民主党もがんばってくださいね。
2005年09月06日
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おとといの「世界ルンルン滞在記」を見ましたか。かえるの焼いたのをおいしそうに食べていましたね。食べてみたいと思いましたか。でも、かえるを食べないのは日本人だけではないでしょうか。たしか、フランスでも食べるときいていますよ。私が一番最初にかえるを食べたのは、中国の天津(テンシン)でした。北京から片側6車線ほどのびっくりするほどの広い高速道路で3時間くらいだったと思いますが天津につきます。天津は人口1000万の大都市です。戦前は日本から紡績産業などが進出して当時の建物がまだ残って、そのまま使われていました。私が行ったのは,今から6年ほど前のことですが外国人が泊まるホテルがまだ少なくて、やむおえずヒルトンホテルをとってもらいました。でも、町中にレストランは充実していて、そこにある30階建てくらいのビルの最上階のレストランで中華料理をご馳走になりました。そのときかえるを食べたことがあるかと聞かれ「ない」というと、天津のかえるは美味しいからといわれ、食べることになりました。形がそのままなので、最初は抵抗感があったのですが、食べてみると鶏肉のようで美味しかったですよ。中国では一般的な料理なんですね。そのあと、いろんなところで「かえる」を食べる事になるのですが、そのことはまた別の機会に書きます。蓮4044
2005年09月06日
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今日の新潟は台風がまもなく来るせいか、空はどんよりとした曇り空です。気温は24度でとても涼しいです。今日は日記用のステキなワクを借りてきました。使い方がよくわからないので苦労しています。はたしてうまくいくでしようか。・・・・・・なんとか、うまくやれたみたいですね。このテンプレートはいちばん簡単なものですが私にはなかなか難しいですよ。 このテンプレートはまだワクだけなのでどうにかできましたがバックに画像が入っている、つまり日記の背景に薄く模様がついていたり動くハートや風景などは、その説明文を読んでもよく理解できないんです。まだ勉強不足ですね。もっとがんばりますよ。みててくださいね。蓮4044
2005年09月06日
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今回の選挙の特徴は郵政民営化反対議員に対して小泉さんが、いわゆる刺客といって対抗馬をそれぞれの反対議員に仕立てたことだろう。 でも、そのいわゆる刺客と言われる人たちは、比例代表の上位にいて当選確実なことになっている。 選挙も始まる前から当選確実とは、いかにも有権者をばかにしたものだが、誰からも不満がでない。確かにどの候補も履歴は優秀だし、文句をつけるつもりはないが、選挙前に当選が決まっているのはどうも腑に落ちない。 そして小選挙区に落ちても比例区で当選するのもどうだろうか。有権者は自分の選挙区で一人しか当選がないからと思って真剣にえらんでいれたのに、そこで落ちたはずの人が、しかもその選挙でバンザイをしているなんてしらけますね。 これって議員保護というか議員保証法じゃあないですか。どの議員からも反対はでないでしよ。議員年金といっしょです。 議員年金もその大部分が税金でまかなわれていますね。自民党議員は長い人が多いからみんな反対しますよ。もちろんその廃止にです。 いま民主党はまだ議員歴の浅い人が多いので、今のうちにこれを廃止しないとそのうちどの政党からも廃止の意見がなくなるでしょうね。 10年くらいたったら、あの時たしか議員年金に反対した党があったよなあ、なんてね。 今日の新聞をみても、野党が悪そうですね。やはり自民党しかないんですかね。おそらく自民党が頼りになるのではなく民主党が頼りないのでしょうね。 どっちが政権をとってもいいけれど、今一生懸命言っていることを、できるだけ早く実行してもらいたいですね。 私の予想では小選挙区は自民党の勝ちで比例区は民主党の勝ちだと思います。だって比例区をみるとセレブな女性たちがたくさんいますね。私は男だけれど選挙区の女性たちって、そういうのに反発するのではないですか。女性はこわいですよ。 まあとにかく、今の選挙区制度はどうみても関心しません。投票率が低いのも、この選挙制度にひとつの要因があると思いますよ。
2005年09月05日
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昨日は9月の第一日曜日でした。この日は山形の芋煮会が毎年行われる日です。昨日もテレビで大勢の人が川原でおいしそうに芋煮を食べているのがニュースで何度もでていました。見た人も多いかと思います。 私は4年前だと思いますが、9月に仕事で山形へ行った時、打ち合わせの後の夕食で初めて山形の芋煮を食べました。 山形の芋煮は以前から有名だったのですが、食べるのは、その時が初めてでした。 新潟では普通、里芋には鶏肉を入れるんですが山形の芋煮は牛肉なんですね。その日は米沢牛だったそうで、牛肉と里芋、コンニャク、長ネギが入って、醤油だしでした。 なんか初めて食べたせいか、スキヤキに里芋が入っているようで、ちょっと違和感がありましたが、おいしかったですよ。 毎年9月の第一日曜日に直径6メーターほどの鍋に3万食の芋煮を作るそうですね。3時間ほどでなくなったそうです。昨日は。 新潟でも里芋はとれますが、主に10月の中旬が収穫の時期です。写真は近くで取れた里芋です。 山形で芋煮をご馳走になった後、歌でもと、スナックに誘われましたが、そこでも芋煮がでました。その日は山形市内のホテルに泊まったのですが、次の日の朝食、和定食にも芋煮がでたのには、ちょっと参いりましたね。
2005年09月05日
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今日は午前中はずっとテレビをみていた。次から次にといろいろなチャンネルで党首討論をやっていました。 この種の番組はやっているときは夢中に見ているけど、どの番組も時間切れで、もっと突っ込んだ議論がないので、あんまりよくわからないうちに終わっています。 どの政党も、確信部分に突っ込まれると正当な反論が党首ではできないように思えます。最も党首討論なんてアメリカやヨーロッパでは常識でも日本ではまだ最近始まったばかりですね。 それにしてもどの新聞をみても、現在は自民党が圧倒的に優勢ですね。あと一週間、民主党は挽回できるでしょうか。 新潟県はもともと保守王国でした。田中角栄がいた当時は大部分の議席を自民党が取っていました。 でも先回の衆議院の選挙では6つの選挙区のうち2つしか取れませんでした。あとは田中真紀子さんと3人の民主党が当選しました。 今回は新潟県でも私は実感がないのですが、新聞では自民党が4つは取りそうな感じです。岡田さんより官さんのほうがよかったのですかねえ。 今日は日曜日です。家でゴロゴロばかりしていないで、ちょっと出かけてきますか。
2005年09月04日
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ひさしぶりに日帰り温泉に行ってきました。新津の「花水」です。写真でみるようにこの温泉の建物はちょっとヨーロッパ風の感じで若い女性にとても人気だそうです。 料金は950円と新潟県内ではちょっと高いのですけど、温泉がぬるぬるしていて、お風呂場の天井がとても高く、音が高い天井に吸い込まれ、静かに、ゆっくり入れます。 サウナも広くて12人くらいは入れますよ。お風呂のあとは休憩室や仮眠室、レストランなどもあります。 私はリクライニングシートのあるリラックスルームっていうのですか、静かな部屋で熱帯魚の泳ぐ大きな水槽のある部屋で休憩して帰ってきました。 土曜日の午後はどこでも満員ですね。家から20分くらいで来れるので、よく来ますがみなさん疲れているのですね、マッサージも満員でしたよ。あっ、そうそうここのマッサージは若いきれいな女のマッサージ師がたくさんいますよ。
2005年09月03日
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昨日民主党が政権を取ったほうが今回はいいと書きました。民主党が政権をとっても参議院では民主党はまだ少数政党なので議案の通過が難しいと今朝の毎日新聞に書いてありました。 はたしてそうでしょうか。今の小選挙区制は自民党と民主党に有利になっているのは誰でもわかります。おそらく公明党は現状よりひとつかふたつ議席を減らすでしょう。他の政党にいたっては大きく議席を落とすでしょうね。 もし民主党が選挙に勝てば、小泉さんのあとは誰が自民党の総裁になるでしょうか。おそらくなり手は誰もいないのではないでしょうか。その次をねらったほうが賢明ですね。 参議院には、今回の郵政法案に反対した自民党議員はたくさんいます。彼らはおそらく自民党が選挙に負ければ、自民党に帰りやすくなるでしょう。しかしその場合、自民党は一枚岩ではないでしょう。 いろいろな意見が通りやすくなり、分裂の危機に陥るのではないでしょうか。そこで小沢さんなどが反自民の連合を作る動きにでるのではないでしょうか。 これは10年ほど前に日本新党の細川政権と同じ流れですね。ただ当時と違うのは当時の日本新党と今の民主党では政党のスケールが全然ちがうということです。 民主党には実現はともかく、我々の生活に勇気を与えるようなマニフェストが用意されています。特に高速道路が無料になればほんとうにいいですね。 しかし自民党が勝てば官僚の汚職はこのまま、ほとんど手付かずですよ。ゆっくり改革しても国民の支持は得られると自信持ちますからね。 自民党が勝てば道路公団の改革も骨抜きになり猪瀬さんも、もうあまり意見を言わなくなるのではないのでしょうか。小泉自民党にとっては猪瀬さんはだんだん、けむたい存在になるのではないでしょうか。 昨日も書いたけど、私はもともと、そして今でも自民党びいきです。でもいまの自民党ではダメです。あまりにも長く政権を取りすぎました。国民に見えないことがあまりにも多くありすぎます。 今の自民党は「だまってついて来なさい」です。そして50年もだまってついて来たら世界のなかで最も裕福な国のひとつだと思っていたのが、気づいてみると、なんの意見も海外に対して言えない、そして大企業は金持ちだけれど、物価とか教育費とか老後を考えれば、世界で最も貧しい国のひとつに落ちてしまったのではないでしょうか。 今日はおなかがすいたのでここまでにします。ごめんなさいね。また明日、元気で。
2005年09月02日
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海外に出たら、基本的に生ものは食べないほうがいいと思う。しかしパリの生ガキは特別でしょう。 一般的に冬の名物なのだが、10月になると、あちらこちらに生ガキや新鮮な貝を生で食べさせる屋台がでます。25センチくらいの平たい皿にカキを放射線状にならべて一皿いくらで売っています。 屋台の隣にベンチがあってそこで座ってレモンをひとつ、たっぷりとかけてフオークで食べます。大粒のカキはプリプリして、とても美味しいですよ。 あるとき友人と2人で日本の居酒屋みたいな所に入ったとき、生ガキと生の貝の盛り合わせを頼みました。白ワインを飲みながら、ムール貝みたいなのを私が食べていると、ウエーターが私の所へ来て、何か言いました。 私はその時、ムール貝みたいな貝の貝柱を一生懸命フォークで取っていたのですが、そこには菌が居るので食べてはダメだと言っているようでした。 2人ともはフランス語がまったくダメなので、たしかそういっているようだと2人で納得して貝柱を食べなかったのですが、もったいないことをしましたよ。 フランスでは貝柱は食べないのですかね、また生の貝柱は食べられないのでしょうか。 上の写真は宮城県の生ガキです。楽天市場から借りてきたので興味のある方は下からどうぞ、そうしないと無断借用になりますから。【三陸】宮城県産 生牡蠣(殻付)MLサイズ10個大赤札!シーズン最終!(送料込・税込1980円)
2005年09月02日
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今回の選挙のことでテレビで連日がんがんやっていますね。 私はもともと自民党びいきでした。今でも自民党でないと政治はうまくいかないと思っています。でも最近の改革など、どれをとってもうまくいっていないでしょう。 猪瀬直樹がいろいろと道路公団や社会保険庁などの不正をテレビで取り上げていますね。今のまま自民党の政権だといつになっても汚職はなくならないと思いますよ。 自民党だって小泉さんのいうことは、郵政以外は説得力がないでしょう。たいしたことはないといってテレビ討論会でも官さんの意見にはまともに答えてないですね。 私は今の自民党では官僚の改革などできないと思いますよ。民主党ができるかといえば結局できないでしょう、でも民主党が一回政権を取ると、官僚にも危機感が生まれ、自民党にもこんなスピードでは国民から見放されてしまうと真剣に日本をどうしたらいいか考えてくれると思います。 国民年金は今の状態では払わない人が増えるのは当然です。NHKと同じですね。私は厚生年金なのでしかたないけど、今の状態だと景気も悪いし、企業の中では厚生年金をやめて社員をパートとして社員も国民年金も払わないということになるのではないのでしょうか。 いつ、いくらもらえるかわからない年金なんて、また今後は払った金額よりもらう金額が少なくなりそうだと言われれば、だれだって払いたくないでしょう。 我々が払った年金でムダな建物や公団の理事の膨大な給料や退職金に使われているのですからねえ。 まあとにかく早く、安心できる国にしてほしいですね。今の自民党に「かつ」をいれないとだめですよ。
2005年09月01日
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昨日、NHKを見ていたら「ためしてがってん」でオリーブオイルの保存法をやっていました。熱と光がそのうまみをなくすということですね 私はもともとオリーブオイルはあまり好きではありませんでした。お店でサラダを出されても、いつもマヨネーズを使用しドレッシングは使いません。スパゲッテイは好きなのでよく食べますが、サラダにオリーブオイルをかけることはあまりしませんでした。 ところが、スペインのバロセルナへ行った時、たまたま、生野菜にドレッシングのボトルが一本つきました。なんでも自家製のオリーブオイルだといってビール瓶みたいな大きさです。 たくさんかけたほうが美味しい、足りなかったら追加すると言われたけれど、もともとオリーブオイルが好きでない私は「マヨネーズ」があったらなあと思いながら、そのオリーブオイルをかけて大きな器に入った生野菜を食べました。 実に美味しかったんですよ。オリーブオイルを沢山かけたほうが生野菜の味を引き立ててくれて、いくらでも食べられるんですね、現地の駐在員に聞くとその店のオリーブオイルは美味しくて人気があるのだそうです。おかげで大きな器に入った生野菜をもうひとつオーダーして、そのオリーブオイルを一瓶一人で空にしてしまいました。 日本に帰ってから、いろいろなオリーブオイルを試していますが、いまだにそれに近い味にはめぐり合えません。 今度買うときは陳列棚の一番奥の電気のあまりあたっていない商品で新しいものを買えばいいんですね、そして冷蔵庫に保管して使うときに固まっているのをぬるいお湯で一分解凍する。今度やってみますね。美味しい生野菜が食べれそうです。バルセロナみたいに。 昨日のテレビで、もうひとつ確かアイスクリームにオリーブオイルをかけて食べたらゲストの人たちがみんな美味しいといっていましたね、信じられますか。 最近いろんな食べ方がありますね。てんぷらや、さしみにマヨネーズをかけたり、ごはんにマヨネーズも考えただけでもぞっとしますよ。
2005年09月01日
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