森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2014.06.21
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生活の発見会の会員数はその時代の影響を強く受けていると思う。
水谷啓二先生が1970年3月19日58歳という若さで急逝された後、長谷川洋三氏などによって再発足することとなった。
1970年代は、試行錯誤を重ねながらもどんどん成長していった。
1972年朝日新聞日曜版に生活の発見会の紹介記事が載り認知度が急に高まった。
発見会はたくましく全国に集談会を増やし、会員が増えていった。
くしくも、この時代は日本が経済成長を謳歌して、物質的に急に豊になった時代であった。

そして1980年代に入る。生活の発見会は依然として成長発展期が続いた。
各地で頻繁に学習会が開催されるようになった。組織的にもしっかりとしてきた。
社会的認知度も高まった。1988年にはメンタルヘルス岡本記念財団が発足している。


そして激動の時代へ突入していく。
1990年代は社会的にはバブルがはじけて、失われた10年といわれる時代である。
失われた10年ののちは長らく停滞が続いて、今に至っているのである。

さて1990年代の生活の発見会は激動の時代を迎えた。まずは高揚期を迎える。
1994年(平成6年)生活の発見会の会員は6220名に達した。
発見会は自画自賛して、我が世の春を満喫していた。
自助グループでこれだけの会員が、全国各地に分散していたことは驚きである。

私の参加していた集談会では年間月平均参加者が27名を超えるに至った。
参加者が多すぎて自己紹介だけで相当の時間がとられ、本来の森田理論学習と体験談の時間が無くなった。
そこで集談会は3つに分割された。ところがこれが裏目に出た。先見の明がなかった。
その時代が生活の発見会にどういう影響を与えるかは考えもしなかった。


結果としては、どんどん参加者が減少してきたのである。
そのスピードは驚くほど早く、加速度を増してきた。
こうなっては誰もが食い止めることはできなかった。
そしてついに開催が危ぶまれるまでに落ち込んでいったのである。

全国的にどこの集談会もそうした問題を抱えていた。

そして今や会をどうして残していくのかという問題を突きつけられている。難しい問題だ。

これを社会的時代背景と対比させてみよう。
バブルがはじけて深刻な影響が出始めたのは1994年ごろからである。
1996年には株価低迷に加えて、不良債権問題が表面化してきた。
巨大企業の倒産、業績の悪化が相次いだ。
信じられないような新聞報道が相次いだ。
個人的には正規労働がなくなり、派遣社員、アルバイト、パートで働く人が多くなった。
低賃金で将来への希望を持てない人が増えてきた。
つまり心の悩みを抱えて神経症に陥っているような余裕が少しずつ減少してきたのである。
とにかく生きるために必死で働かなくてはいけない時代になってきたのである。





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Last updated  2014.06.21 11:01:16
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森田生涯 @ Re[3]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ 今の生活は日中のほとんどが…
stst@ Re[2]:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、返信アドバイスをしていただ…
森田生涯 @ Re[1]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ コメントありがとうございま…
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